2019年2月22日金曜日

おっばいバレー (2008)

綾瀬はるか主演の青春コメディ映画。監督はブジテレビ系の「海猿」、「MOZU」などを手掛けてきた羽住栄一郎。

軟弱男子中学バレーボール部員から「試合で勝ったらおっぱい見せて」と言われて、困惑しながらも奮闘する女性教師を通して、皆が成長していく話で、コメディ要素は主としてこどもたちが担当。

もちろん、綾瀬はるかがおっぱいを出すはずはありませんが、ブルーリボン賞主演女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞し、けっこう見れる映画になっています。

思春期の性に興味を持つバカっぽい中学生。そこへ赴任してきた新人教師の寺嶋美香子(綾瀬はるか)は、彼らの所属する男子バレーボール部の顧問をすることになります。ところが、バレーボール部というのは名ばかりで、まったくバレーはしたことがなく、集まってバカをしているだけの連中。

奮起を促す美香子に、彼らは「勝ったらおっぱい見せくれ」と頼み、美香子が返答を言いよどんでいるうちに、その気になって頑張り始めます。そんな彼らを指導しているうちに、美香子も後に引けなくなってしまいました。

ところが試合の直前に、その約束が噂で広まってしまい、美香子は好調から真相を迫られます。部員たちは、自分たちが勝手に言い出したことだと説明しますが、美香子は了承したと言い責任は自分にあると認め退職することになるのでした。

実は、美香子は前に勤務していた学校で、こどもたちと一緒にライブに行こうと言ったことを責められて、自分はそんなことは言っていないと釈明してしまった結果、こどもたちの信頼を失った苦い経験をしていたのです。

試合当日、美香子がいないバレーボール部員は元気なく第1セットを失います。そこへ、自分の信念に対して自信を取り戻した美香子が応援に駆け付け、第2セットを奪い返しますが、最終セットは力尽き試合は負けてしまいました。

でも、彼らはがんばることを勉強し、負けても前に向かう力を得ることができました。美香子も、新たな気持ちで教師を続ける勇気をもらいました。去っていく美香子に、部員たちは精一杯の見送りをするのでした。

もちろん、ほぼ経験ゼロのチームがちょっと頑張って勝てるわけはなく、今どきは「おっぱいを見せる」なんて不適切な指導としてやり玉に挙げられるのは当然で、ストーリーとしては荒唐無稽みたいなところがあって突っ込みどころは満載。

でも、舞台を70年代に設定し、街中のシーンでは走っている車がみんなレトロなものなのには驚かされます。使われている音楽も、当時のヒット曲がどんどん出てきます。青春ドラマが大人気だった時代ですから、こんな展開も中高年には懐かしく受け入れやすい。

綾瀬はるかの好演だけでなく、市毛良枝、仲村トオルらのベテランが端役で要所を締めているのもあって、うまくまとめ上げられた映画となっています。

2019年2月21日木曜日

高台家の人々 (2016)

綾瀬はるか主演のラブ・コメディで、監督はフジテレビの土方政人。この監督は、ほとんどテレビの仕事をしている人で、映画は他に「謎解きはディナーのあとで」だけ。

綾瀬はるかの映画は、目下のところ最新作は「今夜、ロマンス劇場(2018)」ですが、これをラブ・ファンタジーとするなら、ギャグ満載の綾瀬のコメディ映画としてはこちらが一番新しい。

原作はマンガで未読ですから、違いはわかりません。でも、はっきり言えば、ロマンスをきれいに、そして重たくまとめ過ぎで、そのために前半のドタバタが浮いてしまっています。前半のドリフ並みの笑いの勢いを、全体に持続できればそれなりに良かった。あるいは薄いギャグにして、全体の品を保つべきだったのではないかと思います。

高台家のイギリス人の祖母アンと日本人の祖父茂正は大恋愛の末に結婚し、日本でセレブな生活をする息子の茂正Jr(市村正親)には、家柄を重んじる妻の由布子(大地真央)、長男の光正(斎藤工)、長女の茂子(水原希子)、次男の和正(間宮祥太朗)がいます。高台家には秘密があり、実はアンは人の心が読めてしまう「テレパス」という力を持っていて、孫たち3人にもその力がありました。

会社では光正は、女性社員の憧れの的でしたが、光正は彼女たちの心が読めてしまうので、その薄っぺらの恋愛観に辟易していました。ある時、地味な平社員の平野木絵(綾瀬はるか)の心を偶然読んでしまった光正は、そのあまりにぶっ飛んだ妄想に興味を持ちます。

ふだんから人の心が読めることを晒すことを恐れていた光正ですが、木絵の純粋な心に惹かれ、二人はついに婚約します。しかし、由布子からは家柄が違うと反対され、またテレパスのことを告白すると、木絵は姿を消してしまいました。しかし、いろいろ悩んだ末に木絵は、すべてを受け入れる覚悟で、光正のもとに向かうのでした。

・・・と、まぁ、こんだけの話。人気の綾瀬はるかは可愛いねとか、斎藤工がかっこいいねとか、そういうところで見ていれば特に不満は無いのかもしれませんが、映画としてはねぇ・・・やはり監督の本来のフィールドであるテレビ・ドラマでやった方が良かったんじゃないのかなと思います。

2019年2月20日水曜日

ハッピーフライト (2008)

今どきの女優さんの中では、どんな役でもこなせて、演技力でも評価が高い綾瀬はるかはトップクラスに位置していることに異論をはさむ方はいないと思います。ふだんのインタヴューなどでの天然系のキャラクターは、好感度を上げることにも役立っていますし、その雰囲気を持ち込んだコメディでの演技もなかなか魅力的。

綾瀬のコメディエンヌとしての演技が、映画で見れるのは木村拓哉主演の「HERO(2007)」あたりが最初で、端役ですが印象を残しました。実際この頃にブレークした感がありますが、主役の一人として、最初に活躍したのが「ハッピーフライト」です。

とはいえ、空港で働くさまざまな人々のどたばたの1日を描いていて、全員が主役みたいな映画です。監督はフジテレビ系の矢口史靖で、「ウォーターボーイズ」、「スイングガールズ」など、最近では「サバイバル・ファミリー」で知られています。

綾瀬はるかの役どころは天然でどじをしまくる新米のCAで、そのちょっと先輩が吹石一恵、鬼の上司が寺島しのぶ。機長昇格に臨むパイロットは田辺誠一、その訓練教官が時任三郎。

クランド・スタッフは田畑智子、平岩紙、その上司に田山涼成。オペレーション・コントロール・センターは肘井美佳、昼行燈みたいな上司に岸部一徳。そして新米整備士、厳格な上司に田中哲司。乗客には、笹野高史、菅原大吉、バードパトロールはベンガル、管制官に宮田早苗などなど。

どの部署に興味を持つかは見る人それぞれの好みですが、やはり機内のCAとパイロットが中心になるのはしょうがない。綾瀬はるかは、初フライトで失敗ばかりで、上司に怒られ自信を失いかけますが、特技が活きて皆の窮地を救います。きっと、仕事に慣れて自信を深め、良い先輩CAになっていきそうな感じです。

ストーリーは書くほどではなく、綾瀬、田辺らが乗り込んだ飛行機がバードストライクにより、エンジントラブルに見舞われ引き返すことになり、嵐の空港は大騒ぎになるというもの。それぞれの部署での、バタバタ振りを比較的リアルな描き方で見せていきます。

つまり、物凄く大事件というほどの物は起こりませんが、飛行機の運行に携わるすべての人たちを、100分という限られた時間の中で、丁寧に描出していると思います。実際の現場でも日常的にありうる話という感じが好感を持てます。空港が好き、飛行機が好き、そして綾瀬はるかが好きという方は見て損はありません。



2019年2月19日火曜日

鉄道員 - ぽっぽや (1999)

高倉健の東映任侠物の時代を知らない自分にとっては、平成になって健さんの映画の中の存在感をあらためて確認させてくれた映画が、浅田次郎原作、降旗・木村・高倉の鉄壁のトリオによる「鉄道員」でした。

亡くしたこどもの幽霊が、人生の終わりが近づく鉄道一筋の男の元に会いに来るというファンタジー。これを「バカげている」と思うか、単なる夢話と思うか、あるいは「そんなことがあってもいいじゃないか」と思うか・・・そんなことがあれば、とっても幸福なことだと思って見ることができるなら、任侠物後の健さんのベスト・ピクチャーと呼べるかもしれません。

映画の舞台は、北海道の真ん中あたり、かつて炭鉱で盛った幌舞。これは、架空の町で、JRには幌舞線も幌舞駅もありません。昔、機関車の釜焚き、そして現在は幌舞駅のたった一人の駐在駅員である駅長の佐藤乙松(高倉健)は、定年が迫っていました。幌舞線もまた廃線が決定している最後の正月を迎えようとしていました。

乙松の妻の静枝(大竹しのぶ)は数年前に亡くなりましたが、鉄道一筋の乙松は妻の臨終の際にも駅に立っていました。さらに、思い出されるのは高齢でやっともうけた一人娘の雪子の事。雪子は生まれて間もなく、肺炎により亡くなっていたのですが、この時も乙松は駅を離れることができませんでした。

若い頃からの乙松の仲間の仙次(小林稔侍)は、定年後の再就職先を決め、乙松にも一緒に誘うつもりで、おせち料理を携えて大晦日に幌舞駅にやってきます。しかし、仙次の説得にもかかわらず、乙松は「俺にはぽっぽや以外はできない」と頑なに断るのでした。

仙治が酔って寝込んだ頃、見知らぬ少女が人形を持って駅に現れます。乙松は名前を尋ねますが、はっきりしたことを言わないうちに人形を忘れていなくなってしまいました。それからしばらくして、もう少し大きな女の子が現れ、妹が忘れた人形を取りに来たというのでした。でも、乙松をからかうように笑って、また人形を置いていなくなります。

翌朝、仙治は考え直すように言って始発に乗って帰っていきました。夕方になって、高校生くらいの女の子(広末涼子)が現れます。乙松は、正月でお寺の祖父母のもとに来た三姉妹だと思います。女の子は鉄道のことに詳しく、乙松が夕方の上り列車を見送っている間に夕飯の支度をして乙松を驚かせます。

ちょうどそこへお寺から電話があり、孫たちは来ていないということを知った乙松は、女の子に「雪子なのか。成長してきた姿で順に会いに来てくれたのか」と尋ねます。人形は、乙松が雪子のために買ったもので、静枝が人形用にちゃんちゃんこを縫って着せたものだったのです。

乙松は、鉄道の仕事のために何もできなかったことを詫びるのですが、雪子は「お父さんはぽっぽやなんだから、しょうがないよ。ありがとう、お父さん。私は幸せだよ」と言って乙松を責めません。そして、人形を持って消えていくのでした。翌朝、除雪のためのラッセル車が幌舞駅に到着すると、駅のホームにはすでにこと切れた乙松が倒れていました。

映画では、雪子の霊が乙松の人生をすべて許して、幸福な気持ちで死んでいけるように導いていくように思います。でも、乙松はもう一人、静枝にも負い目を抱いて生きてきたのです。静枝は、乙松を認めてくれていたのでしょうか。

映画の中で静枝が口ずさむ曲は、アメリカの名曲懐メロである「テネシー・ワルツ」です。乙松と静枝の夫婦愛を示す場面で何度も登場し、時には健さんも口ずさみます。

実は、この曲は江利チエミのデヴュー曲です。江利チエミは、高倉健の妻であり、やむをえない事情で離婚し、1982年に急死しました。死後、健さんは毎年の墓参を欠かさなかったと言います。健さんが、プライベートでもずっと背負ってきたものと、乙松が妻と娘の死に対する気持ちを重ねる演出は・・・ずる過ぎる。

そこに気がつくと、いつもよりもやたらと涙腺が緩い健さんが見えてきます。静枝からも許されていることを通じて、江利チエミの死から気持ちを開放させてあげたいという、映画仲間からのメッセージが込められているのだろうと思います。

健さんは、昔の東映時代の映画作りの仲間が定年で続々映画界を去っていくなかで、もう一度最後に一緒に仕事をしたいという願いを聞いて出演を決意しました。「ぽっぽや」を「映画屋」と変えて見ると、公私取り交ぜた高倉健の集大成という見方もあながち間違いではなさそうです。

2019年2月18日月曜日

あ、うん (1989)

これも、降旗・木村・高倉トリオによる作品ですが、原作は向田邦子。もともと、1980年にNHKドラマとして向田邦子が脚本を書き、その後小説化したもの。

開頭一番、美しい花々が画面に溢れかえり、木村のカメラの見事な映像にうなります。そして、昭和12年を舞台にして、雑巾がけをする高倉健が早速登場します。

この瞬間の違和感・・・

う~ん、どうしたらいいんでしょうか。健さんとしては長髪でポマードで固めた髪型。会社社長ですから、スーツでびしっと決めてるんですよ。また、よー喋るんですね。

それと、なんで、なんでしょうか。メイン・キャストですけど、任侠物で「仲間」だった久しぶりの共演となる富司純子は女優の格としてはいいとして、もう一人の主役が板東英二ってのは・・・板東英二を俳優と呼ぶのには、かなり抵抗があります。何故ここに「素人」が選ばれるんですかね。

新しい健さんの映画だから、ってことで納得できる方もいるかもしれませんが、やはりここで健さんが演じているのは、やはり「不器用に実直」にしか生きられない男です。箱が変わっても、健さんは健さんなんですが、どうにもその箱の作りが甘すぎます。

向田邦子ですから、基本的には変則的なドラマになる人間関係があって、コメディ要素を盛り込みながらストーリーが進行していきます。へらへら、にやにやする健さんが見れるのはこの映画の価値かもしれませんけど。

戦友の門倉(高倉健)と水田(板東英二)は、家族以上の付き合い。軍次産業特需で景気が良い社長の門倉は、何かにつけて水田一家の面倒を見ていて、水田はそれを遠慮なく受けている。

門倉は水田の妻、たみ(富司純子)に惚れているのだが、水田も感じているが、それを理由に門倉に世話になってばかりいることを正当化しているようだ。水田が芸者に入れあげてたみに相談された門倉は、芸者を囲って水田から遠ざけます。

それをきっかけに二人の友情は少しずつ歪んでしまい、たみへの思いも深まることを恐れた門倉は、水田に絶交と言わせるように仕向けるのです。

一番、役がはまっているのは、健さんの奥さん役の宮本信子。門倉のたみに対する思いはわかっていて、それを出したり出さなかったりしながら、門倉や水田一家に接するあたりの微妙な機微を、表情や仕草で演じる所はさすがです。

狛犬の阿と吽になぞらえた男同士の友情と、プラトニックな三角関係をうまく作り上げた向田ワールドはさすがです。配役を考えなければ、映画としての完成度はそれなりにあると思いました。

2019年2月17日日曜日

夜叉 (1985)

高倉健主演、降旗康夫監督、木村大作撮影となれば、間違いなしの「健さん映画」なんですが、困ったことに嫌いな任侠物の残り香みたいな映画。

「居酒屋兆治」が終わって、次回作となる本作を準備中に、黒澤明監督の「乱」へのオファーがあったことは有名な話ですが、降旗組への礼節を重んじた健さんはこれを断りました。

この映画では、役柄はかなり名の通ったヤクザでしたが、今は堅気になって漁師をしている男。ところが、背中には昔の名残りである、夜叉の刺青が彫られている。回想シーンでは、ヤクザらしい場面が多々出てくるのですが、昔の映画と違うのは、かなりモダンなところもあって、ボルサリーノ帽をかぶってスーツで決める。帽子をボトルにひょいとかけて、ジャック・ダニエルスをくいっと一杯。日本刀も使うけど、拳銃で手っ取り早く終わらせたりもします。

この映画の特徴の一つは、全編にわたってBGMは佐藤允彦とトゥース・シールマンによるジャジーな曲が流れていること。最後のテーマも歌のはナンシー・ウィルソン。ジャン・ギャバンのギャング物が日本海の荒波を舞台にしたみたいなところがあって、こういう荒々しいけど物悲しい風景が木村大作のカメラとぴたっとはまっているわけです。

大坂ミナミでかつて知られた修治(高倉健)は、組を抜け十数年、妻の冬子(いしだあゆみ)の実家で今は敦賀の漁師として、背中に夜叉の彫物はひたすら隠して平穏な生活をしていました。

ある日、そこへミナミから流れてきた蛍子(田中裕子)が居酒屋を始めます。さらに情夫である矢島(ヒートたけし)がやってきますが、矢島は漁師連中を賭けマージャンに誘い、さらに麻薬を売りつけていくのでした。修治の友人の啓太(田中邦衛)も、その誘いにのせられ家の金をつぎ込んでしまいます。

修治の意見で蛍子は矢島の麻薬を棄ててしまうと、矢島が包丁で町中を追いかけまわす大騒動になります。止めに入った修治に矢島が切りつけたことで、衣服が裂け背中の彫物が露わになります。町の人々の修治に対する態度も変化していき、どこかで同じ空気を感じあう修治と蛍子は惹かれ合うようになります。

義母(乙羽信子)は、「夜叉は修治の背中にあるだけじゃない。心の中にいるんだよ」と言った通り、蛍子に頼まれ薬の金を払えず捕まっている矢島を助け出しに、修治はミナミに向かうのでした。挨拶に出向いたかつての姉御からは、「何かするならけじめをつけなきゃいけないのは私。気のすむように見物したら海へお帰り」と言います。

修治は矢島を捕まえている組に乗り込み連れ出しますが、結局矢島は昔の弟分(小林稔侍)に殺されてしまいました。弟分は「すまねえ。でも、こうしないとここで生きていけない」と泣いて詫びます。

修治は町に戻って蛍子に矢島が死んだことを伝えると、蛍子は町を出ていきました。夜行に乗った蛍子は、急に吐き気を感じます。つわり?・・・蛍子は夜叉を思い浮かべうっすらと笑みを浮かべるのでした。そして、修治は再び漁師としての生活に戻りました。

よく健さんのキャラクターは、「生きていくのが不器用」と表現されることがあります。一つ事にこだわり、なかなか自分を変えることができない。でも、見方を変えると、優柔不断で決断を迫られても、「これしかできないんで」と言い訳して逃げているようにも見えます。

夜叉の刺青を隠していたのは、もしかしたらいざとなったら元に戻れる保険のようなものだったのかもしれません。でも、すでに「夜叉の修治」は終わった人間でした。昔の世界に戻ることはできず、ずっと苦しくても心の中を封印し続けなければならないのです。

妻の冬子に対して、修治を過去に引き戻すのは夏の蛍。蛍子は、心のどこかで漁師になり切れていない修治の隠れた願望を具現化する魔性の女であり、本当の夜叉なのかもしれません。

2019年2月16日土曜日

八重咲の梅

f/5.6  1/400sec  ISO-100 160mm

暖冬で例年ほどではないとはいえ、寒い寒いと思っていますよね。来週からは、天気予報は春めてい来るらしい。

ちょっと周囲を眺めて見ると・・・すでに満開の梅の木を見つけました。

この品種は八重咲で、一見、桃の花とよく似ています。桃は開花はもっと遅いし、花びらの先がもう少し尖っている。

東風吹かば匂いおこせよ梅の花・・・と菅原道真が詠んだ梅は、たぶんこの八重咲の梅だったんではないかと。

春を迎えるの準備は、着実に進んでいるということですね。

2019年2月15日金曜日

神様は乗り越えられない試練は与えない

・・・私は神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています

本当に、これには素直に感動した。

18才の女の子から出てくる言葉として・・・・凄すぎると思います。

年を取って涙もろくなってきたのか、池江璃花子さんのコメントには心が揺さぶられる思いでした。

最近、最も衝撃的なニュースですが、キャッチャーな話題をブログに書くのはあまり好きではありません。また、医者ではありますが、白血病が専門ではないので、安易にどうこう言える立場ではありません。

ですが・・・

リオで結果を出せなかったこともあり、東京にかける思いは人一倍あるんだろうと思います。この微妙な時期に、「なんで私が」と悲嘆にくれるだけなのが普通のはず。

ところが池江璃花子さんは、すでに前を向くだけでなく、あきらかに進みだしている。

こんなすごい人を生み出した「平成」という時代も良かったと思えます。日本人として、絶対に治ってもらいたい。また、活躍する姿を見せてもらいたいと心から願います。

2019年2月14日木曜日

第25回田園都市リウマチフォーラム


昨夜は、田園都市リウマチフォーラムの会合で、この会も25回目になります。

昨今は、製薬会社はユーザーである医師との癒着の疑いをもたれないように、どんどん自主規制を強化しています。それはそれで正しい事ではあるんですが、製薬会社がスポンサーになっている小さい研究会は、風前の灯火状態。

最近では、大きな学会ですら、運営方法を考え直す必要に迫られているような状態もあります。本来は、医師が主体になっている学会や研究会は、全ての運営を自分たちだけで行うのが筋ですが、現実には自分たちだけでは難しい。

田園都市リウマチフォーラムは、自分たちが「リウマチ診療の中で日々疑問に感じることを勉強したい」という主旨で始めました。幸いにも、現在のスポンサーとなっている製薬会社は、最大限理解していただけているので感謝しかありません。

今回は、リウマチ診療上、必要不可欠なメソトレキサート(MTX)に関連して発生することがあるリンパ腫の問題を取り上げました。MTXは21世紀になって使われ始め、しだいに使用量が増えてくるにしたがって、リンパ腫の発生頻度が増えています。

10年くらい前から、このことに気がつき警笛をならすようになった一人が、今回の講演会の講師をお願いした埼玉医科大学教授の得平先生です。先生は、「この数年は、このテーマで話したとき、聴衆側の医師たちの反応がよくなった」と実感していると言っていましたが、自分も含めて経験することが増えたということだと思います。

これらの問題はMTXの副作用の一つと考えられ、メソトレキサート関連リンパ増殖性疾患という概念でまとめられますが、実は今でもまとまった教科書記述を探すことは困難です。特に日本人に多いことが指摘されていて、私たちは断片的な情報から試行錯誤している状況です。

得平先生は、日本の中でもこのテーマに関して位置にを争うトップ・ノウレッジをお持ちで、この疾患の概念啓蒙に尽力されていて、今回もわかりやすく知識を整理していただけました。聞いた内容を、日常診療に生かせるようにがんばります。

2019年2月13日水曜日

リアル~完全な首長竜の日 (2013)

ホラー映画を中心に活躍し、コアなファンが多い黒澤清監督による作品。乾緑郎によるSF小説で、第9回「このミステリーがすごい!」大賞の大賞受賞作である「完全なる首長竜の日」を原作としていますが、主だった設定を引き継ぎながらもほぼ別の話というくらい改変しているらしい。

メインのモチーフは、米映画「インセプション(2010)」で注目されたアイデアで「他人の意識の中に入り込み、仮想現実空間で対話する」というもの。世界レベルのVFXをうまく使いながら、主演の綾瀬はるかと佐藤健の二人芝居を中心に進行するストーリーは難解で、個人の感じ方によって映画を受け入れられるかどうかずいぶん違ってくると思います。

冒頭、人気漫画家として活躍する和淳美(綾瀬はるか)は、自宅のマンションで幼馴染で恋人の藤田浩一(佐藤健)と食事をしています。淳美は「昔からずっと一緒だったみたい」と言い、浩一は「これからもそうだよ」と答えます。

1年後、浩一は先端病院で淳美の心の中に入り込む「センシング」を行うことになります。1年前に自殺未遂を起こしずっと意識が戻らないため、和美の意識の中に潜入し自殺の原因を確かめ何とか回復させることが目的。

意識の中で淳美は、締め切りに追われて漫画を描き続けており、浩一に「こどものときに渡した首長竜の絵を探してほしい」と頼みます。何度かのセンシングにより、和美の潜在意識の中でみた光景が、しだいに浩一の現実の中に混入し始めてきます。

ある日、何と驚いたことに淳美からセンシングを依頼さてきたという連絡を受け、浩一は病院に急ぎます。この中で、絵が見つからないことを伝えさらに混乱を深くした浩一はマンションに戻って、首長竜の絵を自ら書きはじめます。

そこへ淳美が部屋に入ってきて、「やっと会えたね。絵が描けるようになったね」と言います。実は、自殺未遂をして昏睡状態が続いている漫画家は浩一の方で、センシングで意識の中に入ってくるのは淳美だったのです。

自殺未遂は単なる事故だったことがわかりますが、浩一の心の中にはかつて自分をいじめてくる友人が海で死んだとき、それを見捨てて逃げたことが深くトラウマになっていました。その友人を、首長竜の絵に託して封印していたのです。

友人は浩一を死の世界に連れて行こうとしたため、現実の浩一は脳死状態に陥ります。淳美は最後のセンシングを試み、浩一の意識に入ると、必死に浩一を呼び止めるのでした。それに怒った友人は首長竜になり二人を襲って来ます。

何とか首長竜の怒りを鎮め、浩一は「昔からずっと一緒だったみたい」と言い、淳美は「これからもそうだよ」と答えます。現実の浩一も回復に向かい、ついにゆっくりと目を開けるのでした。

この映画では、前半と後半が鏡面構造のように展開します。仮想現実の映画だと、その境界が見ていてよくわからないことが多いのですが、この話ではセンシングのオンとオフがわかりやすく、しだいに混乱していく現実というのも受け入れやすい。

ただ、そのことをうまく利用して、前半の浩一だけの想像の世界を本当のようにうまく「だます」ことに成功しています。そのために、後半の「真実」の話へ違和感なく突入していけるのです。

前半、浩一が車を運転するシーンで、車の外の景色をあきらかにスクリーンプロセスによっ映しています。CGなどが活躍する前の手法で、実際に演じている後ろに風景の映画を映して一緒に撮影するというもの。そのくらいの予算をけちるはずがないので、これはいったい何だろうと思わせます。医者の怪しげな行動も不思議。これらのすべてが、浩一の意識下の仮想現実であることを暗に匂わせていたわけです。

一度見ただけでは、なかなか理解しにくい映画ですが、演技力のしっかりした二人の若手俳優によって、VFXだけに頼らない見ごたえのある作品に仕上がっていると思いました。

2019年2月12日火曜日

今夜、ロマンス劇場で (2018)

目下のところ、綾瀬はるか主演の映画としては最新作で、数々の名作映画へのオマージュを込めた武内秀樹監督作品。

白黒映画の世界から現実社会へ抜け出た「姫」は、映画監督志望の青年との恋に落ちるのだが、彼女は人の温もりに触れると消えてしまう運命だった!!

・・・という、何ともすごいファンタジーなのですが、初めは綾瀬はるか得意のコメディ要素満載なのですが、いつの間にか二人の切なすぎるストーリーにはまってしまいます。

死期が近づいている牧野老人には、いつも見舞いに来る孫がいますが、彼女は老人(加藤剛)が転びそうになっても支えたり助けたりしないらしい。老人は、入院している病院の担当看護師にせがまれて、昔書いた映画の脚本の話をすることになります。

通っていた映画館、ロマンス劇場で古い廃棄されるフィルムを見つけた健司(坂口健太郎)は、その中に登場するお転婆な姫、美雪(綾瀬はるか)に恋をしてしまいます。嵐の晩、落雷が落ち停電すると、何と映画の中の美雪が白黒のまま健司の目の前に現れました。

美雪は、健司を下僕と呼び、やりたい放題。健司は働いている映画会社のメイク室に美雪を案内して、化粧で色を付けるようにしました。そして、美雪にいわれるがままに、いろいろなところへ連れていく健司。

健司は、美雪とのことをそのまま映画の脚本にまとめあげていきます。いつしか、健司は自ら美雪に見せたい景色をいろいろと案内するようになっていきます。

そして、ついに「ずっとそばにいてほしい」と告げますが、いつも映画の外から自分を見ていてくれた健司に会いたくて飛び出してきたけれど、人の温もりに触れると私は消えてしまうと言い残して、健司の元を去っていくのでした。

美雪は健司に片思いの映画会社社長の娘、塔子(本田翼)に、健司の事を頼むと託します。しかし、塔子は健司に美雪の本当の想いを伝え、そけを知った健司は美雪のいるロマンス劇場へ向かいました。そして、美雪は、最後に私を抱きしめて欲しいと言います。健司の手が美雪の肩に伸び・・・牧野老人の脚本はそこで終わっていました。

老人の自宅で、孫が昔の写真を懐かしそうに眺めていると、そこへ老人の危篤の電話が入ります。孫と思われていたのは、実はずっとずっとお互いに触れることなく、でも本当に幸福な日々を一緒に過ごしてきた美雪だったのです。

牧野健司は、美雪を抱くことをこらえて、それでもずっとそばにいてくれさえすればいいという選択をしたのでした。病院に駆け付けた美雪は、初めて健司の体に触れ、そして健司の命の灯と共に静かに消えていきました・・・

初めのうちは、美雪のハチャメチャに笑い、健司の男として何とも情けないところが目立ちます。しかし、だんだん、この絶対に成就できない恋の応援団員になっていく自分に気がつきます。でも、どう考えても結末は、最後は消えていく姫を追いかける王子しかありません。

健司が美雪に触れようとした瞬間に、話は現実に戻って年老いた老人(名優・加藤剛さんには申し訳ありませんが)のアップ・・・って、いやいやそりゃないでしょうと、がっかりさせておいて、さらに次の瞬間、病室に見舞いに来た「孫」が美雪!! というのは、「いゃーその手があったか」という感じです。

綾瀬・坂口のカップルのイメージから、しだいに坂口だけが年老いていく回想をおり込んでいくことで、綾瀬・加藤のカップルになっても見ていて気持ちが途切れない工夫がうまい。あまりにもプラトニックで、究極的な無償の愛とでも言えるような荒唐無稽な話ですが、このクライマックスは涙無しでは見られませんでした。全編にわたって、たくさんの色彩をこれでもかっていうくらい散りばめた画面も見所でしょうか。

2019年2月11日月曜日

ICHI (2008)

勝新太郎の当たり役である座頭市を女性に置き換えたリメイク作品・・・ていうより、座頭市にリスペクトして「目が見えない剣術使いの女性」を描いた映画。

監督は、曽利文彦。この人は「ビンポン」で映画監督デヴューし、実写版「あしたのジョー」、最近では「鋼の錬金術師」を監督した、TBS出身の主としてCGクリエイターとして活躍している。

VFX系の人は、時にその創造力に頼り過ぎるきらいがあるんですが、現在のコンピューティング技術をもってしても、あくまでも映画で演技をしているのは生身の俳優であり、その魅力以上のものではありません。

「ピンポン」は元々の原作漫画がよくできていて、実写化にあたって現実に演じきれない部分をVFXでうまくカバーしていたと思いました。しかし、今回は原案といえる座頭市のキャラクターはあっても、ストーリーはオリジナルに近い。

いくつか目を引く演出はあり、殺陣シーンでのVFXも多少の見所なんですが、ストーリーの進行自体が当たり前すぎて脚本の詰めの甘さみたいなものが目立つのが残念です。

瞽女は、主として北陸地方を中心に、明治時代まで三味線を持ち歩き門付巡業をした盲目の女旅芸人で、売春をおこなうこともありました。一人で門付をするはなれ瞽女の市(綾瀬はるか)は、自分に剣術を教えてくれた恩人(父親?)を探す旅をしています。

折れた剣で母を失明させたことから、腕は確かだが剣を抜くことができなくなった浪人の十馬(大沢たかお)は、実際はチンピラを市が斬ったのですが、勘違いから宿場を仕切っている白河組の用心棒に雇われます。

宿場の近くの岩場に本拠をおく悪党の万鬼党の首領の万鬼(中村獅童)は、元々出世が期待されていた武士ですが、顔半分の火傷のため落ちぶれていました。

市は万鬼が探している人物を知っているのでないかと考え、一人万鬼党に乗り込みますが、逆に捕まってしまいます。十馬は市を助け出し、白河組二代目の虎次(窪塚洋介)らと共に万鬼党との決戦に挑みます。

どうしても剣が抜けない十馬ですが、いよいよ万鬼との一騎打ちとなり剣を抜くことができました。しかし、相討ちとなり十馬は倒れます。市が駆け付け、立ち上がった万鬼を倒します。十馬のおかげで、生きる意味を少しだけ見出した市は、また旅を続けるのでした。

という感じの話なんですが、見るべきものは綾瀬はるかの一点。勝新太郎と違いずっと眼を開いている演技なんで、これはこれで大変。また、アクションもこなせることを証明してみせます。ただし、目を動かせない、表情もほとんど変えない、セリフもほとんどない寡黙な役回りでは、汚い格好をしていても綾瀬はるかは可愛い以上にはなりません。

実質的な主役とも言えなくはない大沢たかおも、おどおどした間抜けな面が強調され過ぎていて、最後にすっと剣を抜いて戦うのは「かっこいい」けど違和感があります。そもそも、市抜きでの最終決戦というのもがっかり。最後に手負いの万鬼を倒しても、なんかなぁという感じ。

綾瀬はるかというと、どうしても「天然」的な印象があり、またそれをうまく利用したコメディエンヌとしての役柄が多いので、こういうシリアスな演技はじっくり見るのには貴重なんですが、監督・脚本が平凡で映画全体としては低評価と言わざるをえないのは残念です。

2019年2月10日日曜日

野生の証明 (1978)

高倉健のアクション映画とくれば、「新幹線・・・」、「君よ憤怒・・・」に続いて、監督は佐藤純彌。当時「犬神家の一族」、「人間の証明」で大ヒットを飛ばした角川映画第三弾は、森村誠一原作の本作でした。

お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ
男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない

この二つのフレーズが、宣伝のためのキャッチコピーとしてメディアを賑わしました。物語のテーマである「野生」とは何かわかりにくいのですが、「荒々しく暴力的」というような意味ではなく、「愛おしいと思うものを守ろうとする本能」と健さんが後に語っています。

味沢岳史(高倉健)は、自衛隊の中で極秘にされている殺人をいとわない特殊部隊の一員で、東北での過酷な訓練中、寒村での全村民大量虐殺事件に遭遇します。

それから数年後、退役した味沢はその近くの地方都市で保険の外交員として、事件の唯一の生存者、頼子(薬師丸ひろ子)を養女にして暮らしていました。頼子は事件後から「予知能力」を持つようになり、失った記憶を少しずつ取り戻しつつありました。

その街は、ほとんどが一企業の支配下にあり、会長の大場(三国連太郎)は市長、警察、新聞社なども意のままにし、自衛隊にもパイプを持つ人物でした。虐殺事件の巻き添えで姉を失った女性記者(中野良子)は、この巨大悪を暴こうとして味沢に協力を依頼します。

虐殺事件は頼子の実の父親が、風土病から精神に異常を来して起こしたものと判明しますが、北野刑事(夏木勲)だけは、味沢の犯行と考え執拗に単独捜査を続けていました。大場の一人息子の成明(舘ひろし)は、女性記者を殺害し、さらに味沢のにも迫ってきます。

ついに格闘となり、味沢の特殊部隊員としての経歴が覚醒し、成明らを殺してしまうのでした。そして、その姿を見た頼子は、味沢が父親を殺したことを思い出します。実は、それは、娘を殺そうとしていたために行ったことだったのですが、頼子は心を閉ざしてしまいました。

北野刑事は、味沢と頼子を伴って、街から脱出しますが、味沢の存在を消去したい特殊部隊(隊長は松方弘樹)の攻撃を受けるのでした。自衛隊演習地に紛れ込んだ三人は、特殊部隊員を倒しながら逃げ続けますが、北野刑事のその中で自ら盾となって命を落とします。

味沢は頼子を逃がすために、一人でヘリコプターから攻撃してる隊長と対峙します。そこへ、すべての記憶を取り戻し、味沢を許せるようになった頼子が「おとうさん!!」と呼びながら走り出てきますが、機銃掃射により絶命します。味沢は、頼子の亡骸を背負い、一人拳銃を構えて、戦車部隊に正面から立ち向かうのでした。

映画はここで終わりますが、当然、勝てる状況ではなく、味沢の何かを守るためにはどうしてもやらないといけないことがあるという鉄の意志を示しているわけです。しかし、冷静に考えると、この映画では、悪の崩壊の兆しはあるものの生き残り、善は全員死んでしまうわけですから、ある意味「救いがない」健さんらしい映画かもしれません。

自衛隊が悪者ですから協力してもらえなかったので、アメリカでの軍の協力のもとのバトル・シーンが撮影されました。自衛隊の装備には無い装備が出てくるという突っ込みがあるかもしれませんが、かえって迫力はあって見どころになっています。また、この作品が映画デヴューとなる13才の薬師丸ひろ子は、新人とは思えない堂々とした演技で健さんをもうならせました。

2019年2月9日土曜日

居酒屋兆治 (1983)

降旗康夫監督、木村大作撮影、高倉健主演のゴールデン・トリオによる作品。高倉健の役柄は、現役ヤクザ、元ヤクザ、犯罪者、元犯罪者、あるいは軍人、警察官など強権の中で我を通して一悶着があるものが多い。この映画では、たぶん初めて普通の人の設定・・・といっても、それなりに浮き沈みがあります。

今回の舞台は居酒屋で、健さんは居酒屋の親父で主題歌も歌います。ヒロインは初共演の大原麗子で、なんともけだるい哀しみしかない役柄。居酒屋には、いろいろな人々が集まるので、結構意外な人物が登場してくるのが面白い。常連客には、池辺良、小松政夫、細野晴臣、武田鉄矢、山藤章二(題字も担当)、山口瞳など。校長は大滝修治、その若き後妻に石野真子、向かいのスナックのママはちあきなおみ、もつ屋にあき竹城、そして居酒屋のことを伝授したのが東野英治郎といった面々。

函館の斜陽化した造船の街の一角で妻(加藤登紀子)と居酒屋をやっている兆治(高倉健)は、かつて活躍を期待された高校球児でしたが肩を壊して造船所に入社します。しかし、リストラの担当になることを嫌い退社しました。

かつて恋仲だったさよ(大原麗子)は、牧場主(左とん平)と結婚しこどももいますが、いまだに兆治のことが忘れられず、しばしば行方をくらましてしまいます。ある日、さよは竈の火が周囲に広がっているのを見て見ぬふりをして家が全焼し、「あなたがすべて悪いのよ」とつぶやき消えてしまいました。

兆治は昔からの仲間の岩下(田中邦衛)と休日をすごしたりして平穏な生活をしていましたが、さよかららしい電話がかかってくるようになり、昔のことを思い出さずにはいられなくなります。

常連客の河原(伊丹十三)は昔の先輩で、何かにつけて横柄な態度でしたが、仲間に対する軽口についに我慢できなくなった兆治は殴ってケガをさせてしまいました。警察に留置された兆治は、河原の事よりも放火の嫌疑をかけられているさよの行方について追及されるのでした。

札幌のキャバレーで働いていたさよは、酒浸りの生活でどんどん健康を害していきます。釈放された兆治は、さよを探し出すしかないと決意し、噂を頼りに札幌に出ます。やっとさよの住居を探し出した兆治を待っていたのは、酒のせいで吐血しすでに冷たくなっているさよでした。手には昔の兆治との思い出の写真を握りしめていました。

このようにあらすじだけ辿ると、あまり救いのない話で(もっとも健さんの映画はそんなのが多い)、微妙な雰囲気が残ってしまいます。ここで、意外と映画の雰囲気をまとめあげるのに功績があるのが、妻役の加藤登紀子。

当然、大原麗子のような華やかさはありませんし、女優としてうまいわけではありません。しかし、とんがった夫の人生に振り回され、黙って支え続けるという役柄を静かに好演して、健さんの帰れる場所をしっかり作ってくれています。

それにしても、悲しみを溜めるに溜めた目をした大原麗子さんは美しいですね。せりふは最小限で、ほとんどが表情・行動だけの演技ですが、そこからひしひしと情念みたいなものが伝わってきます。あらためて、すごい女優さんだったと思いました。