2019年10月31日木曜日

第27回 田園都市リウマチフォーラム


2010年秋から始まったこの会は、今回で27回目。

平成29年4月に、聖マリアンナ医科大学のリウマチ内科教授に着任された川畑教授は、就任以来2年半がたち、この間神奈川でのリウマチ学推進に積極的に関わってきました。

川畑先生の構想の下、聖マリアンナ医科大学病院に関係する各科が協力して診療にあたるセンターが設置され、ことになってほぼフル稼働できる状態になったそうです。

当会にて講演していただくは2回目。

今回、世話人の中から出たテーマは「血液検査」です。リウマチ診療では、当然のことながら血液検査は必須で、診断のためにとどまらず、治療方法の選定、治療効果の判定、合併症・副作用のチェックなど、目的は多岐にわたります。

その中から、検査値の考え方として、誤解しやすい物、実際に誤解されているものなどを整理して解説していただきました。

代表的な物としては、「リウマチ因子が陽性なら関節リウマチである」というのがあります。さすがにリウマチ診療を専門にしていると、リウマチ因子は診断上絶対的な物ではないことは重々承知しています。

しかし、非専門医の先生の中には、リウマチ因子だけで診断を確定してしまう傾向は今でもあることは否定できません。あらためて注意を喚起することは大切です。

その他にも、似たような項目はいろいろありますし、検査結果によっては鑑別しなければならない「ほとんど知らない病気」、「新しい病気の概念」などにも言及していただきました。

この会が対象としている地域としては、聖マリアンナ医科大学は最もリウマチ診療の専門性の高い大学病院ですので、川畑先生には今後も会に積極的に関与していただければ幸いです。

2019年10月30日水曜日

鱗雲の真下


天高く馬肥える秋・・・というくらいで、秋空は雲が高い。

秋らしい雲の代表的な形は、巻積雲(けんせきうん)。普通は、うろこ雲とかいわし雲と呼びます。もこもこ、ふわふわした感じがひろく広がっている感じ。

ふと、遠くの空を見たら鱗雲が広がっていて、秋だなぁとか思ったりしました。

鱗はどこまで広がっているのかなと、ずっと視線を手前まで移してみたら、すぐ真上まで連続していました。

近くなればなるほど、うろこが繋がった様に見えて、縞々模様になっていました。

ソーセージ? 下手くそなうどん?

いや、どこかで見たことがあるなぁと考えていたら、思い出しました。ひねり揚げだ。時々食べるやつ。

なんにしても、食べれるものから離れられない食欲の秋ということでしょぅか。


2019年10月29日火曜日

八千草薫さん逝く

八千草薫さんが亡くなりました。

「昭和の大女優」みたいな表現をすぐにしてしまいますが、八千草さんは平成でもコンスタントに活躍を続けていたわけで、いつも年齢に応じた可愛らしいほのぼのとした味を出し続けていました。

元々、宝塚出身ですから不思議ではないのですが、自分が持っているDVDで八千草さんが主役をしているのは、なんと「蝶々夫人」です。言わずと知れたプッチーニのオペラ。

長崎が舞台で、令嬢である蝶々さんとアメリカ海軍士官のピンカートンとの恋愛悲劇ですが、これをイタリア映画として作成した際に蝶々さんを演じたのが八千草さんで、さすがに歌唱はプロのソプラノ歌手が行った60数年前の映像。

オペラ映画としては、それほど名作とはいえないかもしれませんが、外国の歌手が演じる「蝶々夫人」でいつも感じる強烈な違和感がなく、素直に物語を楽しめるものです。

自分は特別に好きな女優さんというわけではありませんでしたが、実は、父親がファンだった・・・ということで、出演されているといつも気になる存在。このオペラ映画を代表作とは呼ぶことはありませんが、「この頃が父親の好きな八千草さん」だったのかなという感慨も持ちます。

合掌

2019年10月28日月曜日

Leonard Bernstein WPO / Mahler Symphony #9 (1971)

実は、この2週間くらい、手持ちの音源だけでなく、いろいろな動画サイトを駆使してマーラーの交響曲第9番を繰り返し見聞きしています。

アバドだけでも、CDでベルリンフィル、ウィーンフィル、ビデオでグスタフ・マーラー・ユーゲントとルツェルンの4種類。

コンセルトヘボウのハイティンク、シュトゥッガルトのノリトン、サイトウキネンの小澤征爾などのビデオが手軽に観れちゃうなんてすごい時代です。

そして、マーラーといえばバーンスタイン。CDは4種類。他にウィーンフィルを引き連れてベルリンフィル本拠地に乗り込んだ公式ビデオがあります。さらに1985年のイスラエルフィルを引き連れた日本公演のビデオ(隠し撮り?)も見れます。

録音数の割に、マーラー通の方々からあまりアバドは高い評価を受けていないように思うのですが、たぶんそれは他の指揮者がいろいろな思い入れたっぷりに「自分の音はこれだ」と言わんばかりの演奏をするからじゃないかと。

だんだんとわかってきたんですが、マーラーは作曲家であると同時に優れた指揮者でした。マーラー自身が、指揮者が曲をいろいろと歪曲して好き勝手に演奏することを知らないはずがない。

ですから、自分の楽曲を大切にするために、ものすごく細かいところまで楽譜に書き込んで演奏方法を指定していました。ただし、第9番は自ら初演する前に亡くなっているので、実際に演奏しての推敲が含まれていない。つまり演奏者が付け入るスキが残されているかもしれません。

アバドのマーラーは「おとなしい」と言われ、オケがやりたいようにやっているみたいな思われるわけなんですが、はっきりと「死」をテーマにしている楽曲であることを考えると、アバドの演奏は奇をてらうことなく、むしろマーラーの意向を最大限素直に表現しているように思います。

とは言っても、こういうことは結局人それぞれ好き嫌いの話で、主観的なものですから、技術的な部分は別として、誰がなんと言おうと自分の感覚にマッチすればそれが名演・名盤ということで落ち着く話です。

若者だけのグスタフ・マーラー・ユーゲントは、さすがにアバドのこどもたちで、只物ではない。26歳以下のメンバーだけとは思えないくらいの実力で、アバドに必死に食らいついていく感じはさすがです。

ただし、続けてルツェルンを聴くと、さすがに超がつく実力派集団です。演奏能力は圧倒的に優っているのが、素人の耳にもわかります。特に最終数分間、他の指揮者の演奏と比べてもこれ以上は無理と言えるくらいの最弱音での安定感は圧倒的です。

そして、バーンスタインにも触れないわけにはいきません。70年代のバーンスタインの全交響曲の映像は、クラシック音楽の世界遺産です。ただし、アバドのマーラーに慣れてしまうと、ここで聴かれる音楽は「バーンスタイン節」なんでしょうね。元気はつらつ、ファイト一発みたいなマーラーで、主たるオケであるウィーンフィルはついていけていないところもあるように思いました。

第9番は、特に敵地に乗り込んでみたいところで、硬さがあることは否めない。何かお客さんもカラヤンに慣れていて、バーンスタインの指揮ぶりには面食らっている感じがします。それでも、バーンスタイン本人はのりのり。第4楽章途中からは、譜面をめくることもしなくなって、音に委ねているのか次から次へと自然と体が動いている感じ。

これは編集上の問題ですが、曲が終わると途端にばっさり映像が終了してしまうのは残念。アバドのまるで自らの「死を迎えた」かのような長い余韻は、この曲のエピローグとして重要な要素に含まれていると思います。

作曲家であり指揮者、ニューヨークフィルとウィーンフィルをまたにかけたユダヤ人という共通点が多いマーラーとバーンスタイン。バーンスタインは、マーラーの曲を「自分が作ったみたいに思う」と言っていたくらい思い入れがある。

当然、マーラーの演奏の在り方として一つの時代を作った名演の数々によって、バーンスタインは忘れてはいけない存在であることは間違いありません。そうであるなら、アバドのマーラーは余計な衣ははぎ取ってマーラーの考えを端的に表現したものと言える名演だろうという気がします。

2019年10月27日日曜日

アバドのマーラー録音をコンプリートする 2

グスタフ・マーラーの交響曲以外の作品は、ほぼ声楽曲のみと言えます。

これらのうち、初期の「3つの歌曲」、「若き日の歌 (Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit、全14曲)」についてはピアノ伴奏となっています。

クラウディオ・アバドでマーラーをコンプリートしようと思うと、当然はずれてしまうのはしかたがない。もっとも、バーンスタインのように自らピアノを弾いて伴奏してしまうケースもあります。

それら以外は、オーケストラ伴奏譜とピアノ伴奏譜の両方をマーラー自身が、ほぼ同時進行で作っている。

カンタータ「嘆きの歌 (Das klagende Lied)」
さすらう若人の歌 (Lieder eines fahrenden Gesellen、全4曲)
少年の魔法の角笛 (Des Knaben Wunderhorn、全12曲)
リュッケルトの詩による5つの歌曲 (Rückert-Lieder、全5曲)
亡き子をしのぶ歌 (Kindertotenlieder、全5曲)
交響曲「大地の歌 (Das Lieder von der Erde、全6曲)」

アバドは「嘆きの歌」と「さすらう若人の歌」は、現在までは登場していません。「少年の魔法の角笛」はベルリンフィル、フォン・オッター、クヴァストホフで収録しました。「大地の歌」はベルリンフィルのデジタル・コンサートで、フォン・オッター、カウフマンで正規配信。

リュッケルト歌曲集は、ルツェルン音楽祭で2009年に交響曲第4番と共に演奏され、映像が遺されました。独唱はマグダレーナ・コジェナー(サイモン・ラトルの奥さん)でした。音声だけだと悪くはないのですが、映像だとコジェナーの身振り・手振り・表情がやや大袈裟な感じで、ちょっとなと思ってしまう。

CDとしては、1981年にシカゴ交響楽団と交響曲第1番収録の際に、ハンナ・シュバルツの独唱で収録し、後に交響曲第5番、あるいは第6番のCDに追加されましたが、現在入手可能なボックスからは除外されています。

「亡き子をしのぶ歌」は、1992年にベルリンフィル、マルヤーナ・リポフシェクで録音があります。リポフシェクは、抑制が効いた染み入るような歌唱が素晴らしい。リュッケルト歌曲集の白眉である「私はこの世に捨てられて」私はこの世に捨てられて」も歌われています。

ただ残念なのは、現代音楽作曲家のノーノの曲とのカップリングで、メインのノーノの方がなんだかよくわからないせいか、アルバムとしてぱっとしない。

さて、アバドのマーラー作品の落穂拾い・・・隅々まで探して見ると、後は残ったのは交響曲第10番だけということになりました。

この曲は第1楽章のみの未完成曲で、後にマーラーが遺したスケッチを元に補筆完成版がありますが(クック版が有名)、そもそも第1楽章だってマーラー自身が完成したとは考えていたわけではないでしょう。

アバドは、1985年にウィーンフィルで第1楽章のみを収録しています。また、2011年5月になって、ベルリンフィルとの演奏が「大地の歌」と共に配信されました。

そして同じ2011年8月に、ルツェルン音楽祭のオープニングでも取り上げたものが配信でのみ公開されています。これは、同年に発生した日本の東日本大震災の鎮魂の目的での演奏でした。

2019年10月26日土曜日

Claudio Abbado BPO / Mahler Symphony #8 (1994)

マーラーの交響曲第8番は、しばしば「千人の交響曲」という副題で呼ばれています。これは、演奏するのにオーケストラと声楽で1000人の演奏者を必要とするため。

マーラー自身は、勝手に副題を初演興行主につけれら嫌がったらしいのですが、実際にマーラー自ら初演した時に用意された人員は1000人だったらしい。その規模の大きさから、他の曲に比べてなかなか実演されることは少ない。

そのせいか、アバドは、他が2~3回の正規録音があるのに第8番だけは1回しか演奏を残していない。ルツェルン音楽祭のチクルスでも、この曲だけは演奏されていません。

ですから、アバドでマーラーを聴きこむとなると、この1994年2月にベルンフィルの本拠地で収録されたアルバムが唯一の選択となります。

アルバムジャケットの写真を見ると、ステージ後方客席にどんどる合唱隊は、中央に児童合唱団、その両翼に混声合唱団が配置され、おそらく全部で200人程度。オーケストラも200人はいそうで、ベルリンフィルのメンバー総出状態。

手前に独唱者8名とアバドが立っているので、全部合わせて多く見ても500人はいないと思いますが、それでも通常のクラシックの演奏会からすると数倍の人数です。また、客席も人で埋まっているようなのでライブ収録だろうと思います。

独唱者は、この時期アバドの常連が並びます。ソプラノは、シェリル・ステューダー、シルヴィア・マクネアー、アンドレア・ロストの3人。アルトはアンネ・ゾフィー・フォン・オッターとローゼマリー・ラング。テナーがペーター・ザイフェルト。バリトンはブリン・ターフェル、そしてバスがヤン=ヘンドリク・ローテリング。

マーラー本人が「交響曲」と呼んでいるので口をはさむところではないのですが、ベートーヴェン以来形成された交響曲の概念を壊しまくったマーラーが、行きつくところまで行ってしまった感じで、通常の交響曲のイメージではとても説明できない。

何しろ第1部30分、第2部50分の2楽章構成だし、冒頭いきなりオルガンの和音とともに大合唱が炸裂する。聴いていて歌詞の内容がよくわからない立場としては、ベートーヴェンの第九の終楽章の声楽が登場する部分がずっと続ているような印象を受けます。合唱の内容は、キリスト復活後の聖霊の降臨を讃えるもの。

第2部に入ると、音楽は落ち着きを取り戻し、ゲーテの「ファウスト」終章を歌い継いでいきます。「ファウスト」は世界文化遺産級の名著とされていますが、何しろ長大で難解。

ここで歌われるのは、最後に悪い事をたくさんして死んだ後、悪魔メフィストフェレスに魂を持っていかれるところを、辛い思いをさせた妻グレートヒェンの霊と聖母マリアに導かれ天に昇っていくという最後の場面。

アバド贔屓で聴いているせいかもしれませんが、最後まで緊張感が持続したいい演奏だと思います。将来、この時の映像が出てくることがあれば最高なんですけどね。

2019年10月25日金曜日

シャク


あまり見たことが無い植物をみつけました。

最近は、スマホで撮影した写真をアップロードして、けっこうな精度でそれが何か教えてくれるアプリがあったりします。

パソコンではどうしたら? ということなんですが、これが意外と簡単で、Googleのスタート・ページの右上に「画像」と書いてあるところをクリックして、「Google画像検索」に移動します

そしたら、画像を画面にドラッグ&ドロップするだけ。膨大なGoogleのキャッシュから似た画像を探し出して、リンク先を提示してくれます。う~ん、確かに便利。

そこで、上の写真を使って調べてみました。

なるほど、これは「シャク」と呼ばれている。あとはWikipediaに移動して確認。解決です。

シャクはセリ科シャク属の多年草で、別名、ヤマニンジン。根を食用にできるようですが、ドクニンジンと間違えやすいので注意が必要らしい。

世の中、便利になったものです。

2019年10月24日木曜日

Claudio Abbado BPO / Mahler "Des Kunaben Wunderhorn" (1999)

グスタフ・マーラーは交響曲作曲家の大家として知られていますが、交響曲以外はほぼ歌曲しか発表していません。

その中でも、「少年と魔法の角笛」を歌詞とした一連の歌曲が有名であり、自身の交響曲への転用もしばしば行われたことから、マーラー鑑賞上重要な位置を占めています。

少年と魔法の角笛」は、19世紀初頭に出版されたドイツの民用歌謡の詩集のタイトルで、「マザーグース」のドイツ版みたいなもの。この詩集そのもののディスカッションは他に譲るとして、この場ではドイツ・ロマン派以降の作曲家に作曲意欲を沸かせた素材としてだけしておきます。

歌曲集としての成り立ちは複雑で、オーケストラ版が基本ですが、ビアノ伴奏版も作ったり、削除されたり追加されたりいろいろな変更があって、

歩哨の夜の歌
むだな骨折り
不幸な時の慰め
この歌を作ったのは誰?
この世の生
魚に説教するパドヴァの聖アントニウス
ラインの伝説
塔の中で迫害されている者の歌
美しいラッパが鳴りひびくところ
高い知性を賛える
原光(交響曲第2番の4楽章に転用)
3人の天使が歌った(交響曲第3番の5楽章、合唱から独唱への編曲)
天上の生(交響曲第4番の4楽章)
死せる鼓手 (後に追加)
少年鼓手 (後に追加)

という全15曲から、交響曲に転用された3曲を除く12曲の歌曲集として落ち着いたというのが現状です。しかし、歌曲集「若き日の歌」では第1集の5曲を除いて、第2集(4曲)と第3集(5曲)は、少年と魔法の角笛」の歌詞が使用されています。

また、別の歌曲集である「さすらう若人の歌 (全4曲)」は自作詩となっていますが、「少年と魔法の角笛」に強く影響されていることが指摘されています。

アバドは、コンサートでマーラー交響曲を取り上げる際には、時々歌曲も併せて演奏したようですが、正規録音として残されて物はあまり無い。まとまった歌曲集としては、この「少年と魔法の角笛」が唯一のアルバムです。

演奏はベルリンフィル。独唱は、アンネ・ゾフィー・オッター (Ms)とトマス・クヴァストホフ (Br)の二人の名手。

死んだ鼓手、ラインの伝説、不幸な時のなぐさめ、無駄な骨折り、番兵の夜の歌、この世の営み、塔の中の囚人の歌、この歌を作ったのは誰?、魚に説教するパドヴァの聖アントニウス、高き知性への賛歌、トランペットが美しく鳴り響くところ、少年鼓手、原光

という全13曲の構成で、後から追加された2曲でオリジナル10曲を挟んで、交響曲第2番第4楽章「原光」を最後に付け加えた物。だいたいオッターとクヴァストホフが交互に登場する感じで飽きさせません。オッターの登場する第2番が他には無いので、貴重な録音です。

2019年10月23日水曜日

Claudio Abbado BPO / Mahler "Das Lied von der Erde" (2011)

https://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/2922
ルツェルン音楽祭におけるクラウディオ・アバドの映像をいろいろと観ていると、いろいろと気がつく、あるいは感じることがありました。

ルツェルンにおけるアバドは、円熟の境地というか、とにかく音楽を心から楽しんでいる感じ。これは、ベルリンフィルの頃とは明確に差がある。

ベルリンフィルという自他ともに認める「世界一」の楽団の監督という責任、あるいは長い事「カラヤン色」に染まった楽団から、自分の色を出すことに苦労したんだろうということは容易に想像できます。

アバド就任時のドキュメント、あるいはラトル退任記念のドキュメントがあるんで見ていると、はっきりと言葉にはしにくいのですが、なんとなくベルリンフィルに抱いていたもやもやみたいなものが少しわかってきたような気がします。

ベルリンフィルの楽団メンバーは、自主運営の原則から当然かもしれませんが、指揮者を「選んであげた」という意識が高い。

カラヤンは帝王として振る舞い、最後は楽団と衝突したことはよく知られたことですが、楽団もまた帝王になっている。同一組織内に帝王は二人いりません。

それは、古くは戦後にベルリンフィル再興に尽力したチェリビダッケとの確執もあり、カラヤンによって作られたというよりは、メンバーが変わっても元々からの体質なのかもしれません。

アバドにしても、ラトルにしても、ベルリンフィル以前の活躍に比べて、ベルンフィルでの音楽の評価が必ずしも高くないように思うのは、この辺りが関係しているように思います。

まぁ、もともとオーケストラ、それもカラヤン & ベルリンフィルの仰々しい感じが好きでなかった自分が持つ感じですから、マイナスの印象から感じているだけなのかもしれませんけど・・・

でもって、アバドの「大地の歌」です。

「大地の歌」は、マーラーの交響曲としては第9番になるはずのものでした。交響曲というタイトルはついていますが、番号はついていません。

多くの作曲家が、交響曲第9番が最後になったという、「9」にまつわるジンクスを忌み嫌ったからというもっともらしい理由がよく言われています。

ただ、交響曲のフォーマットをいろいろと壊してきたマーラーをもってしても、基本的に6楽章性の交響曲というよりは、オーケストラ伴奏を伴う大規模な6曲からなる連作歌曲集という色合いが強いことが、交響曲とするにはためらわれたというのが真意ではないかと思いますけど。

歌詞は中国漢詩をヒントにしたものと言われていて、この曲の最後の一節、「永遠に」を繰り返すメロディが、交響曲第9番の出だしに引用されつながっていると言われています。

いろいろなパターンの二人の歌手の組み合わせで、交互に歌うのが一般的。たくさんの名盤がありますが、中にはピアノ伴奏だけのものや、カウフマンのように一人で歌い切ってしまうものもあります。

アバドは正規に録音したCDはありません。幸い、2011年に行った演奏会の模様がベルリンフィルのサイトで公式に配信されています。当然、オケはベルリンフィル。コンマスはわれらが樫本他大進。

歌手は、ヨナス・カウフマンと大好きなアンナ・ソフィー・フォン・オッター。この二人が素晴らしい。さすがに現代を代表する歌手です。演奏も悪いわけがない。で、アバドは・・・というと、最初からそう思っているわけではありませんが、ルツェルンの時ほど嬉しそうじゃない。

逆に映像無しで、音だけで聴いた方がよかったのかもという感じがしたのは自分だけでしょうか。

2019年10月22日火曜日

即位礼正殿の儀

HP「首相官邸」より

本日、令和元年10月22日は、皇居において即位礼正殿の儀が執り行われます。

そのため、今年に限り本日は祝日となり、クリニックも休診です。

もう、言わずと知れた「即位礼正殿の儀」は、イギリスなどの王室の戴冠式と同じで、新天皇が即位したことを内外に公的に示すための儀式です。

毎年11月23日の勤労感謝の日として祝日になっているのは、もともと天皇がその年の収穫を感謝するための新嘗祭が起源。特に天皇が代替わりした時に行われる初めての新嘗祭を大嘗祭と呼び、即位礼と共に新天皇の即位に関わる二大イベントです。

いずれも、一般国民が参加できるわけではありませんが、公金を使うのはどうかとか野暮な議論をする方もいますが、日本という国の根幹に関わる行事なんですから、素直にお祝いさせていただければいいんじゃないでしょうか。

ただ、残念なことに先の台風の大きな被害を考慮してパレードは延期、そして今日は朝からずっと雨模様。

でも、後は天気が良くなるしかないとポジティブに考えて、自分と同世代の天皇の即位を喜びたいと思います。

2019年10月21日月曜日

アバドのルツェルンの記録

こうやってルツェルン音楽祭のクラウディオ・アバドの話ばかりを書いていると、まるでベルリンフィルを辞して残された10年余り、アバドはマーラーばかり演奏していたかのようですが、もちろんそんなことはあのません。

アバドにとっては、ベルリンフィル時代より、自由に好きなことを好きなように楽しむ充実した期間でした。その代表的な仕事の一つが、アバドを敬愛して集まってくる仲間とのルツェルンでのマーラーだったということ。

もともとレパートリーには事欠かない人ですが、少なくともルツェルンでの11年間だけでも、様々な音楽を指揮しています。

2003年8月 ワグナー、ドビッシー、バッハ、マーラー#2
2004年8月 R.シュトラウス、ワグナー、ベートーヴェン(#4 ポリーニ)、マーラー#5、ヒンデミット、ベートーヴェン#1
2005年8月 ベートーヴェン(#3ブレンデル)、ブルックナー#7、ベルグ、シューベルト、マーラー#7、ノーノ、ワグナー
2005年10月ローマ ベートーヴェン(#3アルゲリッチ)、ブルックナー#7、シューマン(ポリーニ)、マーラー#7、ノーノ
2006年8月 モーツァルト、マーラー#6、マーチン、ベルリオーズ、ヴェルディ、ブラームス(#2ポリーニ)、ブルックナー#4
2006年10月東京 モーツァルト、マーラー#6、ブラームス(#2ポリーニ)、ブルックナー#4
2007年8月 ベートーヴェン#9、マーラー#3
2008年8月 ドビッシー、ラベル、ベルリオーズ、ラフマニノフ(#2グリモー)、チャイコフスキー、ストラヴィンスキー、ベートーヴェン(#4 ポリーニ)
2009年8月 プロコフィエフ(#3ワン)、マーラー#1、マーラー#4、リュッケルト歌曲集、モーツァルト
2010年8月 フェディリオ、マーラー#9、
2011年8月 ブラームス(#1ルプー)、ワグナー、マーラー#10、モーツァルト#35、ブルックナー#5
2011年10月欧州ツアー モーツァルト#35、ブルックナー#5、シューマン(内田)、
2012年8月 エグモント、モーツァルト・レクイエム、ベートーヴェン(#3ルプー)、ブルックナー#1
2012年9月欧州ツアー モーツァルト(#17ホリーニ、ピレス)、ブルックナー#1
2013年8月 ブラームス、シェーンベルグ、ベートーヴェン#3、シューベルト#7、ブルックナー#9

2013年8月26日の最後のコンサートの後、10月に日本ツアーが組まれていましたが、アバドの体調が悪くキャンセルされました。アバドが生涯最後に振ったのはブルックナーの最後の未完の交響曲第9番だったのです。

この最後の演奏は、CDとしてドイツグラモフォンからすでに発売されています。好き嫌いにかかわらず、ある種の感慨を持たずに聴くことはできません。

それはさておき・・・ブルックナーです。

ベートーヴェンで結晶化した交響曲というジャンルを行く着くところまで高めたのがマーラーであり、彼を含めて後期ロマン派というくくりの中で活躍した作曲家というと忘れてならないのがブルックー。

マーラーよりは少し早い時代で、どちらかというとブラームスがライバル。基本的にいくつかの宗教曲と9つの交響曲しか作らなかった。そして、長大な曲が多くて、もともとマーラーが苦手だった自分は、当然ブルックナーも苦手です。

ルツェルンのアバドを集めていたら、当たり前のようにブルックナーも向こうから寄ってきた。上のリストを見ると、ブルックナーの交響曲については#1、#4、#5、#7、#9の5曲が演奏されています。

実は、アバドのブルックナーのレパートリーとしては、過去に主としてウィーンフィルと録音していますが、#2、#3、#6、#8は演奏していません。どこかのライブでやっているのかもしれませんが、ルツェルンでのアバドは自分のブルックナーはすべて再演しています。

毒を食ったら皿まで・・・みたいな話で、好きな人には申し訳ありませんが、こうなったら行くしかありませんね。

2019年10月20日日曜日

Claudio Abbado LFO / Mahler Symphony #9 (2010)

マーラーの完成された交響曲としては、第9番が最後。ルツェルン音楽祭でのアバドのマーラー・チクルスは、2003年の「復活」に始まり、7番まで行って次は8番かと思ったら、9番が来ました。

アバドのマーラーでは、悔やみきれないのはルツェルンでの8番が抜けていること。多数の音声・映像が残されているにもかかわらず、第8番についてはベルリンフィルとの1994年のCDしかない。時期的には映像収録もあって当然のように思うのですが、フィルハーモニーのどこかに眠っていませんかね。

やはり大人数を要するため、おいそれと簡単に企画できないのでしょうか。それとも、アバド自身があまり気が向かなかったのでしょうか。ビデオの1~7番と9番では制作・発売元が変わっているので、何かスポンサーの異動などの影響もあるのかもしれません。

それにしても・・・この交響曲第9番、にわかマーラー・ファンにはかなりハードルが高い。

古典的な匂いを残していた初期の作品から、遂にベートーヴェンの呪縛を解き放ち独自の世界を作り上げたマーラーは、第8番で「交響曲」という形態の音楽の究極の高みにまで上り詰めた感があります。

となると、その次は・・・? 普通なら、その究極路線の延長線で熟練の技を研ぎ澄ましていくかと。ところが、マーラーは完全に独自の世界に入って、「マーラー」というジャンルの音楽に突入していくのです。

当時、新ヴィーン派と呼ばれるシェーンベルグ、ヴェーベルン、ベルクらが台頭してきて、現代音楽に通じる無調性音楽が注目されていました。マーラーも彼らの音楽を許容し、一定の理解を示していたようです。しかし、マーラーは音楽の自由を求めていましたが、自らの音楽では楽典的な枠組みの中で美的な追及に向かったようです。

実はこのあたりはマイルス・デイビスにも似たようなところがあって、オーネット・コールマンの出現によりジャズがフリーに向かった時、マイルスは一定の形式を維持しながら、即興演奏の自由度を高める方向に向かいました。

その結果が結実して、今では大傑作として誰もが認めるのが「Bitches Brew」です。しかし、自分も初めて聴いたときは、何だこの音楽は? という感じで、だらだらもやもと続く音の洪水のような印象だったんです。しかし、何度も何度も聴いているうちに、マイルス・デイビスという音楽が見えてきたんです。

一般的な解釈として、この第9番は「死んでいく音楽」であり、死を目前にした人間が人生を振り返り、辛い時、哀しい時、苦しい時を乗り越えて、楽しい時、そして戦う時を回顧するかのような流れ。ただし、キャッチャーな主題を見つけにくいため、悪く言えば俳優を邪魔しない「ドラマのBGM」が、時には無調性ぎりぎりで延々と続く感じ。

最後の第4楽章は、まさに音楽そのものが「死んでいく」わけで、音は次第に途切れ途切れになり、もう普通に聴いていたんでは聞こえないくらい弱々しくなっていきます。まさに少しずつ心臓の拍動が間延びしていき、留まったかともうとときどき収縮する。そして、遂には待っていても次の鼓動が起きなくて、臨終を迎えたことを認識する・・・そんな終わり方。

2回や3回では、とうてい理解できません。少なくとも、これを単純に交響曲と呼んではいけないだろうということだけはわかる。随所にマーラーらしさがある・・・ではなく、すべてがマーラーそのもの、これが「マーラー」という音楽なんだろうということ。

アバドは2004年にも、自ら若手育成のために創設したグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団との共演でビデオが残っています。どちらも、第4楽章の途中から舞台・会場の照明が落ちていき、譜面台の小さな灯りだけが残るという演出をしています。

クラシック音楽の世界では、しばしばこのような作為的な雰囲気作りの演出は否定的な見方をされます。しかし、独自のカラーを打ち出したマーラーは、普通使われないような楽器を多数登場させたり、演奏者に立ち上がることを指示したり、視覚的にも総合芸術を志向していました。

ですから、当時可能ならマーラー自身が照明効果を楽譜に細かく指示していたとしても不思議はありません。できれば譜面台用のライトも消してほしいくらいです。

ルツェルンでは、最後の音が消えてから、1分経過してからオケの面々が楽器を下ろし始めます。大変優れた聴衆も、物音一つ立てずに、「死んだ」音楽の余韻に浸ります。アバドが緊張を解くのは、何と2分15秒立った時で、鳴りやまぬ万雷の拍手が沸き起こるのでした。

2019年10月19日土曜日

Yuja Wang + Claudio Abbado LFO / Prokofiev Piano Concerto #3 (2009)


ルツェルン音楽祭では、アバドはもちろんマーラーだけ演奏していたわけではありません。ソロイストとしては、ピアノと歌手をしばしば招いています。

ピアノに関して、ビデオとして発売されているのは、ブレンデル、ポリーニという旧知の仲間と共に演奏したベートーヴェンの協奏曲。グリモーとのラフマニノフの2番は、グリモーのビデオが少ないので貴重。アルゲリッチとのモーツァルトはCDで発売されました。

そして、マーラー1番とカップリングで収録されたのは、ユジャ・ワンで、これがまたなかなか優れものです。

演目はプロコフィエフの協奏曲第3番で、ユジャにとっては得意曲だろうと思います。

ユジャにとっては、2013年に発売したアバド指揮マーラー室内管弦楽団とのラフマニノフ第2番があり、これが実質的に人気を決定づけたともいえる重要なアルバムになりました。録音時期は2011年で、2009年のルツェルンでの共演の延長線上に企画されたものだろうと想像できます。

ルツェルンの時点では、ユジャは新進気鋭の若手ピアニストですが、アバドをはじめそうそうたるオケの面々に気後れすることなく、ダイナミックな演奏で聴衆を魅了しました。

今でこそこのくらいの演奏は、ユジャにとっては朝飯前だろうと思ってしまいますが、何しろメジャーデヴューの年の演奏とは思えないなかなかの名演です。強力な左手の打鍵力がいかんなく発揮され、この難曲を見事に弾き切っています。

アバドは絶えずユジャを見ながら、うまくオケをコントロールしている感じ。新人をオケに合わさせるのではなく、オケをピアノに合わせることでユジャが自由に弾けるように気を遣っているところが、孫を心配するおじいちゃん風情。

ピアノとオケの掛け合いが続く変奏曲楽章の第2楽章は、両者の実力如何なく発揮されています。はにかみ気味のユジャの笑顔も◎です。

2019年10月18日金曜日

Claudio Abbado LFO / Mahler Symphony #1 (2009)

さて、巨人です。

きょ、にアクセントを持ってくるとジャイアンツ。じん、を持ち上げると「進撃の巨人」のような、でっかい人のことになる。この場合は、当然ながら後者。

アバドのルツェルンでのマーラー・チクルスは、2009年には第4番に続いて交響曲第1番も演奏しました。演奏する側からすると、演目がマーラーと決まると、かなりのストレスらしい。それを同一期間に2曲というのですからさぞかし大変だっただろうと。

マーラーの交響曲には副題がついていることが多い。例えば第8番は「千人の交響曲」と呼ばれますが、実際マーラーが指揮をした初演の時にオーケストラと合唱で千人を必要としたために興業側がつけたもの。

実際に、マーラーが正式に副題をつけたというのは無い。この第1番も「巨人」と呼ばれますが、いろいろ改訂している中で、一時「巨人」と呼んだらしいのですが、最終稿では削除されています。

何しろまだ青年指揮者の最初の交響曲ですから、いろいろと試行錯誤はあって当然で、そもそも最初は「交響詩」として発表し、騒音をまき散らす音楽として不評を買っています。

その後第2楽章は削除されていますが、「花の章(Blumine)」として今では独立して演奏されることがあります。また第1楽章の伸びやかな主題は「さすらう若人の歌」の第2曲をそっくり転用しています。このあたりは巨人というより、さわやかな牧場かどこかのカッコーの鳴き声がする朝の様子を想像するような感じ。

後半に行くにしたがって、多少は「ここが巨人かな?」みたいなところはあるんですが、最終第4楽章が爆発的に始まるあたりで最高潮に達します。もうアバドは大丈夫かと心配したくなるくらい腕を振り回します。最後は勝利?の喜び溢れる雰囲気で終了。

オーケストラの面々も、脚を踏み鳴らしてアバドを讃えるところが嬉しいじゃないですか。いゃ~、いつもながら、アバドのルツェルンでマーラーにはまってよかったというところでした。

ちなみにこのディスクには、これまたお気に入りのユジャ・ワンでプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番も入っています。これがまたいいんですね。小柄なユジャのどこからこのパワーがでてくるのかという、強靭な打鍵力は見所です。

2019年10月17日木曜日

Claudio Abbado LFO / Mahler Symphony #4 (2009)

アバドのルツェルン音楽祭の記録としては、2008年は「ロシア音楽の夜」というテーマで、マーラーはいったんお休み。エレーヌ・グリモーのピアノによるラフマニノフの協奏曲第2番の映像が残されています。

そして翌2009年、今回取り上げたマーラーは、「リュッケルトの詩による歌曲」と交響曲第4番でした。

独唱歌手として起用されたのは、マグダレーナ・コジェナー。今を代表するメゾソプラノ歌手の一人として、サイモン・ラトルの奥さんとしてもとても有名。

自分の映像コレクションの中では、ラトル、ベルリンフィルの「マタイ受難曲」で独唱歌手として登場します。普通にしていると美人なんですが、どうも歌うと表情がきつい印象。ここでも、顔つき手ぶりがやや大げさなんですが、歌唱は素晴らしい。

交響曲第4番は、1時間ちょっとでマーラーの曲の中ではこじんまりしたもの。日本でも、早い時期に紹介・演奏されていたようで人気がある。昔のレコード盤の特性、つまり最大収録時間が1枚で60分くらいというのも関係しているのかもしれません。

また、勇壮な始まりが多いマーラー物としては、鈴の音でサンタがやってくるような可愛らしいスタートがうけているかも。

比較的「わかりやすい」マーラーと言われていますが、第1~3楽章は起伏が少なくて、やや退屈。第4楽章は、歌手か加わり盛り上がりもあっていい感じです。

基本的にはソプラノ歌手の指定があるので、実はメゾソプラノのコジェナーにはちょっと高音域に無理があるのかもしれません。

でも、演奏中のアバドの楽しそうな雰囲気は顕著で、終わった後の観客の反応も単なる儀礼以上のものがあると思います。

2019年10月16日水曜日

Claudio Abbado LFO / Mahler Symphony #3 (2007)

演奏時間が長い曲というのは、今ではやたらとあって、そのほとんどは現代音楽です。何日もかかるとか、自分に言わせると作曲家のエゴであって、「音を楽しむ」というよりは苦痛でしかない。

まぁ、まっとうに聴けるものとしては、ワグナーの楽劇は長い。ただし、休憩あり。バッハのマタイ受難曲も3時間以上かかりますが、途中休憩があります。

休憩無しで一気に聴くものとしては、マーラーの第3番は一時は最長の交響曲としてギネスにも載っていたらしい。

第2番もだいたい90分かかるので十分に長いのですが、第3番は100分くらいかかる。もしも、モーツァルトの交響曲が100分あったら・・・たぶんだれまくるかもしれません。

マーラーの交響曲を繰り返し聴いていると、確かに最初は長くてなかなか集中力が続かなかったのですが、だんだん面白くなってきたというのは・・・山あり谷あり、海あり川あり、晴れ間がでたかと思うと嵐になるから。

そんなバラエティに富んだ、長編小説のようなたくさんの起伏があり、随所に耳に残るメロディが出てくる点が、たしかに面白いと思えるようになりました。

それを実演するには、演奏する側の持続する体力と集中力が必要ですし、聴く側にも同じことが求められる。

アバドのルツェルン音楽祭での2007年は、その交響曲第3番が映像になっていのす。

第3番では、冒頭からマーラーらしいホルンの超かっこいいメロディが登場し、低音と打楽器による「ずっ、どん」というリズムの刻みがかぶってくる。もう、一気にマーラー・ワールドが炸裂します。

30分かかる第1楽章がびしっと終わると、ちょっと可愛らしい第2楽章とおどけた感じの第3楽章であわせて30分。ここまで1時間座って出番を待っていたのが、メゾソプラノの歌手の方です。

ここではアンナ・ラーションが起用されています。この方は国際デヴューが1997年で、アバド指揮ベルリンフィルのマーラー第2番だったそうです(1996年の日本公演ではマリアンナ・タラーソワ)。以来、アバドとの共演が多い。

多くを歌うわけではないのに、強い印象を残す役どころ。第4楽章に入るとこどもの合唱も加わって楽し気な雰囲気に。そして最終楽章はゆったりとした中に次第に盛り上がり大円団を迎えます。

いやいや、長かった。でも楽しかった。演奏する皆さん、指揮をしたアバド、お疲れさまでした。そして、聴く自分も。

2019年10月15日火曜日

リリエンベルグ @ 新百合ヶ丘


台風が各地にもたらした被害は、令和の時代としては驚くべきもので、いまだに爪痕は深く残っています。

でも、台風はやっと秋の空気ももたらしたのか、昨日は1日中ひんやりとしました。

気がつくと10月も半分終わっています。秋と言えば食欲、味覚の秋というのは昔からの定番。

スイーツ好きな方にはたまらない季節。

その代表は栗。栗と言えばモンブラン。

モンブランというのは、山の形に似せて作るところからついた名前。正式には、Mont Blanc aux marrons、栗で作った白い山という意味のフランス語。

今回は、新百合ヶ丘の大人気店、リリエンベルグのモンブランです。甘みの少ないすっきり系のモンブランです。

ただし、実は基本的にスイーツと呼ばれるものは、あまり好きじゃない。紹介していて無責任と怒られそうですが、まぁそういうこともあります。

2019年10月14日月曜日

Claudio Abbado LFO / Mahler Symphony #6 (2006)

フィルハーモニーというのは、ギリシャ語由来で「音楽を愛好する」という意味が込められているらしい。

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団・・・と、日本では一般に呼称しているけど、正式な名称は現在は、独立法人で自主運営される"Belin Philharmoniker"です。ベルリンにある、彼らの本拠地のコンサートホールを含む建物も同じ呼ばれ方をしています。

2002年までは、ベルリン市営としての顔も併せて持っていたため、市営として活動する際には"Belin Philharmonisches Orchester"と名乗っていました。

そもそもの始まりは1882年というから、創設から140年余り。初期にはブラームスやマーラーも指揮台に立ったというくらい、歴史的な重みがあり過ぎるくらいある楽団です。

1895年にアルトゥル・ニキシュが最初の常任指揮者 (楽団員は「シェフ」と呼んでいますが) に就任。1922年には二代目シェフにヴィルヘルム・フルトヴェングラーに就任し、反ナチスとして活動を続けました。そして1955年に「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンが三代目として終身監督として就任。

カラヤンはおびただしい録音を残し、ベルリンフィルを世界一有名な楽団にしたと言っても過言ではありません。1960、1970年代は両者の関係は順調ででしたが、1981年に有名な「ザビネ・マイヤー事件」をきっかけに、カラヤンと楽団の亀裂は決定的になります。

ここでカラヤンが犯した不可侵領域は、楽団員の選抜を含む自主運営に対してでした。それまで女性楽団員がいなかったこと、カラヤンが強引にマイヤーを首席クラリネット奏者にしようとしたことで、楽団員は猛反発しました。結局、この事件以後、カラヤンは他楽団との仕事を増やし、終身契約であったにもかかわらず1989年4月にシェフを辞任しました。

そして、楽団員による投票により選ばれた新しい四代目シェフが、イタリア人のクラウディオ・アバドでした。しかし、カラヤンの色を払拭し、やっと軌道に乗ってきた2000年に胃がんにより体調を崩し2002年に退任。そして、五代目のイギリス人サイモン・ラトルに席を譲ります。

今年から六代目に就任したのが、ロシア人のキリル・ペトレンコで、すでに積極的な活動が始まっています・・・って、まぁ長々とした前置きなんですが、要するに世界一のオーケストラは指揮者を招くということが基本にあるということを再認識したかったということです。

一方で、ルツェルン祝祭管弦楽団は、基本的にスイス、ルツェルン市が1938年に第1回が開催された音楽祭のために編成される臨時のオーケストラです。初期に音楽祭に尽力したのはトスカニーニ、また戦後ベルリンを追われていたフルトヴェングラーの活躍の場でもありました。

2003年、体調が回復したアバドが芸術監督に迎えられると、アバドが組織していたマーラー室内管弦楽団のメンバー中心に、世界中から名だたる名手たちが集まって再編されました。

しばしば、スーパー・オーケストラという呼ばれ方をしますが、単なる凄腕が集まっただけではなく、若手からベテランまでの混成チームであってもアバドと一緒に音楽を作っていきたいという共通のモチベーションがあり、それがアバドを含めて全員の意識の中で明確化されていることが大きな特徴だろうと思います。

ネットで在籍メンバーをいろいろ探して見ると・・・

コリヤ・ブラッハー バイオリン 元ベルリンフィル首席
セバスティアン・ブロイニンガー バイオリン ゲバントハウス首席
ローラン=アルブレヒト・ブロイニンガー バイオリン 元ベルリンフィル
グレゴリー・アース バイオリン カメラータ・ザルツブルク
ラファエル・クリスト バイオリン マーラー室内管弦楽団コンマス
ハンス=ヨアヒム・ヴェストファル バイオリン 元ベルリンフィル
ルノー・カプソン バイオリン
ドメニコ・ピエリーニ バイオリン 北ドイツ放響コンマス
荻原尚子 バイオリン
ジャック・ズーン フルート
エマニュエル・パユ フルート ベルリンフィル首席
ルーカス・マシアス・ナバーロ オーボエ 元ロイヤル・コンセルトヘボウ管首席奏者
アルブレヒト・マイヤー オーボエ 元ベルリンフィル首席
カイ・フレームゲン オーボエ ヨーロッパ室内管首席
吉井瑞穂 オーボエ マーラー室内管弦楽団首席
ザビーネ・マイヤー クラリネット
ヴォルフガング・マイヤー クラリネット
アレッサンドロ・カルボナーレ クラリネット 聖チェチーリア国立音楽院管首席
ラインホルト・フリードリヒ トランペット フランクフルト放送交響楽団首席
アレッシオ・アレグリーニ ホルン 聖チェチーリア国立音楽院管首席
シュテファン・ドール ホルン ベルリンフィル首席
ヨルゲン・ファン・ライエン トロンボーン ロイヤル・コンセルトヘボウ管首席
ウォルフラム・クリスト ヴィオラ 元ベルリンフィル首席
ディームート・ポッペン ヴィオラ ヨーロッパ管、モーツァルト管
ゲオルク・ファウスト チェロ ベルリンフィル首席
ナタリア・グートマン チェロ
ゴーティエ・カプソン チェロ
アロイス・ポッシュ コントラバス ウィーンフィル
イェンス・ペーター・マインツ チェロ ベルリン・ドイツ響首席
吉野直子 ハープ
ハーゲン四重奏団
アルバン・ベルク四重奏団
ザビーネ・マイヤー管楽アンサンブル

次んら次へとそうそうたる名前がずらずらと登場してきます。年によって、多少の入れ替わりはありますが、よくもまぁ、こんだけ集まったものです。マーラー室内管弦楽団と現役・元を問わずベルリンフィルを中心に、普通にソロイストとしてアルバムをたくさん出している人も含まれています。

そこで、マーラーの第6番です。2番、5番、7番に続いてルツェルンのアバドがマーラーを取り上げるのは4曲目。

全交響曲を聴いてみると、この第6番の出だしが一番好きかもしれない。コントラバスの低音の刻む音が、ずしずしと響いてくるあたりが掴みとしてはバッチリ。すぐさま弦楽器全体でテーマが弾かれますが、これがめちゃめちゃかっこいい。しだいに木管金管が絡んでいくところが素晴らしい。

いろいろな珍しい楽器か登場することで楽しいマーラーの交響曲ですが、この第6番では、一番話題になるのが大きな木槌(ハンマー)です。「運命の一撃」と呼ばれる強大な「ズドーン」という音が、一気に曲調を変えてしまいます。

例によって長い曲ですが、オケのメンバーを見て、アバドを見ていれば、まったく飽きることがありません。

2019年10月13日日曜日

書けない店名 @ 山梨県


急に富士山の近くの温泉に行きたいみたいな話で、中央高速にを走って富士山の近く・・・大きな日帰り温泉に行ったんですが、その時に入った蕎麦店の話。

当然、土地勘はありませんので、ナビとかスマホで検索。手打ちらしい店を見つけました。

建物の外観は欧風レストランかと見間違えそうな感じで、ちょっと? ですが、外に置いてあるメニュー立て看板を見ると、ラーメンもあるというので、また? となりました。

中は、やはり日本蕎麦の店とはだいぶ雰囲気が違う。これは、元々あったレストランが撤退した後を利用しているのかなという想像をします。

ちょっと鶴太郎風のモダンなオヤジが一人で切盛りしているみたいで、注文したのはスタンダードな天せいろ。ただし、蕎麦はいくつかから選べたので更科です。

更科は、ほぼ純白と言ってもいいくらいの白さで、一見冷や麦が間違ってでてきたのかと思いましたが、食べてみると確かに蕎麦。

その点を除くと、う~ん。決定的な問題はないんですが、汁は何か物足りない。天ぷらも何かなぁという感じ。

少なくとも、次の機会は無いということだけははっきりしました。

2019年10月12日土曜日

新・台風直撃


1か月前の台風15号は、千葉県を中心に大きな被害を出しましたが、まだ復旧しきれていないのに、さらに巨大な台風19号「ハギビス」が接近中です。

台風15号は上陸時960hPaで、ほぼ関東全域を飲み込む大きさでしたが、19号はなんと日本全体を包むような大きさ。

八丈島付近にあって935hPaというとんでもない強さで、今日の夕方以降に神奈川付近に上陸する見込みになっています。

昨日はホームセンターでは、防災用品を買い求める方が多かったようです。またコンビニも食料品・飲料水を中心に売り切れになっていました。

気象庁も厳重な警戒を呼び掛けています。不要不急の外出はせず・・・というより、不要不急じゃないこともできるだけ予定をずらす必要がありそうです。

クリニックの診療について

本日の診療は、患者様・スタッフの安全のこともあり、午前のみとさせていただきます。午後は休診いたします。

大変ご迷惑をおけしますが、何卒ご理解、ご了承いただきますようお願いいたします。

2019年10月11日金曜日

書けない店名 @ 川崎市

初めての店は、ネットでの評判を探したり、たまたま通りかかって良さそうと思って入ったりします。

それで、美味しい食事ができると、なんか得した気分になって、ここにも書きやすいわけですが… … …逆の場合は…

せっかくわざわざテリトリーを離れて遠くまで行っても、がっかりの場合は…

まぁ、失敗があるから成功の喜びも大きくなると割り切るしかない。

今回の店は、駐車場は一杯で、人気があるように思うので期待が膨らみました。入り口には、「家系」と書かれていて、濃厚醤油豚骨が売りの店。

先に食券を買う。座る。水は自分でセルフサービス。

ラーメンが出てくる。スープをすする。う~ん、辛い。辛いのは塩気。倍に薄めていいんじゃないかくらいの味。家系といっても、魚の出汁がきつめ。

麺は極太。いくら何でも硬すぎ。チャーシューも、とろけるほど煮込めとは言わないけれど、一度では噛み切れない。

食べ終わると、食器の下膳もセルフサービス。

ちょっと遠出してドライブしたということで、チャンチャン。

2019年10月10日木曜日

フォン・オッターの歌声でマーラーを聴く

まぁ、ほぼ交響曲作家として認知されているグスタフ・マーラーなんですが、それ以外の遺された仕事はほぼ歌集だけ。交響曲の中にも独唱、合唱を問わず声楽を含むものが大変多く、マーラーを聴いていくうえで避けて通れない。

声楽付き交響曲は、
第2番 ソプラノ、アルト、混成合唱
第3番 アルト、混成合唱
第4番 ソプラノ
第8番 ソプラノ×3、アルト×2、テノール、バリトン、バス、児童合唱、混成合唱

声楽曲は、
カンタータ「嘆きの歌」 ソプラノ、アルト、テノール、バリトン、混成合唱
交響曲「大地の歌」 アルト、テノール
若き日の歌 歌手指定なし、ピアノ伴奏またはオーケストラ
さすらう若人の歌 低域歌手、ピアノ伴奏またはオーケストラ
少年の魔法の角笛 歌手指定なし、ピアノ伴奏またはオーケストラ
リュッケルトの詩による5つの歌曲 歌手指定なし、ピアノ伴奏またはオーケストラ
亡き子を偲ぶ歌 歌手指定なし、ピアノ伴奏またはオーケストラ

歌集は声域が指定されておらず、またほとんどは順番の組み合わせは自由になっているものがほとんどで、いろいろなバリエーションが可能になっています。

そこで、どうせなら歌手はできるだけお気に入りで聴いてみたい。

自分の場合、声楽のスターはダントツでアンネ・ソフィー・フォン・オッター。やはり、声楽の苦手意識を最初に無くしてくれた大いなる「功績」があって、ガーディナー、アバドとの競演が多いので聴く機会が多い。

バロックから現代音楽、さらにポップスまで、守備範囲がものすごく広いフォン・オッターのキャリアの中から、マーラー作品を抜き出してみます。

自分名義のアルバムは、ガーディナー指揮、NDR交響楽団でゼレメンスキーの歌曲とのカップリングがあります。ここでは、「さすらう若人の歌」と「リュッケルト歌集」の全曲が収録されています。また「ボルフ / マーラー歌曲集」には「若き日の歌」から6曲と「子供の魔法の角笛」から4曲を歌っています。

ブーレーズ指揮、ウィーンフィルでは、「マーラー歌曲集」のアルバムに、「亡き子を偲ぶ歌」全曲が含まれます。そして、交響曲第3番の独唱にも起用されています。

アバド指揮、ベルリンフィルは、何と言ってもアバド唯一の交響曲第8番の独唱歌手の一人がフォン・オッターです。そして、トーマス・クヴァストホフとの共演で「原光」を含めた「子供の魔法の角笛」全13曲があります。また配信のみですが、ヨナス・カウフマンとの共演で「大地の歌」が視聴可能です。

主要作品は、ほぼ揃いました。フォン・オッターの歌声だけでマーラーを聴きこむというのも、マニアならでは楽しみ方かもしれません。

最近は、同じメゾソプラノとして日本人の藤村実穂子が世界的に活躍しており、マーラー作品でも積極的に仕事をしていて注目です。

2019年10月9日水曜日

マーラー全集

グスタフ・マーラーは、オーストリアで1860年に生まれ、1911年にわずか51才で亡くなっています。

今では最強の「交響曲作曲家」として絶大な人気を誇っていますが、初演時は自作に対する批判も多く、評価が定まったのは1970年代以降のこと。

何しろ活動期間が長いとは言えず、残された曲の数も大変少ない。完成された楽曲は、交響曲といくつかの歌集だけです。

つまり、
交響曲は第1番~第9番、
交響曲「大地の歌」、
合唱曲(カンタータ)「嘆きの歌」、
歌集「若き日の歌(14曲)」、
歌集「さすらう若人の歌(4曲)」、
歌集「少年の魔法の角笛(12曲)」、
歌集「リュッケルトの詩による歌集(5曲)」、
歌集「亡き子を偲ぶ歌(5曲)」
ですべて。

これに演奏可能な断片的なものとして、
交響曲第10番第1楽章、
花の章(交響曲第1番第2楽章、後に削除)、
交響的前奏曲(偽作の可能性あり)、
ピアノ四重奏曲(1楽章のみ)
があるくらい。

えっ? これだけ? と思わず言いたくなるほど少ない。それだけ、作曲については交響曲にエネルギーを注ぎつくしたということなのか、交響曲の濃厚な作りは全音楽史を通じて他の追従を許しません。

バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの過去の大作曲の全集のCDはいろいろありますが、いずれも膨大な枚数を要し、一生かかっても全部を本気で聴くことは無理じゃないかと思ってしまいます。

ところがマーラー全集は、生誕150年記念として、ドイツグラモフォンから出たものでCD18枚、EMI(現ワーナー)のものがCD16枚。山ほどある交響曲全集はどれも、いくつかの歌集を含むものが多く、いずれもCD10~14枚程度。コレクターとしてはコンプリートしやすい作曲家と言えます。

これらの全集は、曲によって演奏者は異なりますが、どちらも数千円で手に入りますので、とりあえずという時には大変魅力的。

DGはカラヤン、メータ、ハイティンク、バーンスタイン、アバド、ショルティなどが集結。EMIはバルビローリ、フルトヴェングラー、ジウリーニ、クレンペラー、ラトルなどなど。もう、そうそうたる面子が揃っていますので、どれをとっても聴くべき価値は十分ありそうです。


2019年10月8日火曜日

アバドのマーラー録音をコンプリートする

いやぁ、長大で大袈裟でよくわからんと思っていたマーラーの交響曲が、アバドのルツェルンのBDを繰り返し見ているうちにだんだん楽しくなってきました。

細かい専門的なことは知りませんけど、楽しくなってくるということは、いわゆる「音楽がわかる」ということなんでしょうか。

ルツェルンでのアバドの一番いいのは、とにかくこの音楽を演奏することが本当に楽しいという様子が全力で伝わってくるところ。これはビデオならではのもので、アバドやオケの面々の表情や、マーラー独特のオケの動き、マニアックな楽器の登場など見所満載て゜す。

楽しくなるとさらに掘り下げたくなるというのが人情で、まずはアバドの他のマーラーのCDを探してみました。どうも海賊盤もいくつか出回っているようですが、これらは簡単に手に入るわけではないので除外します。

正規録音としては1976年シカゴ交響楽団との第2番「復活」がスタートですが、アバドの職歴と共にオーケストラが変わっていき、最終的に3回のチクルスがあるにもかかわらず、同一楽団での全集完成は一つもありません。

シカゴ交響楽団
第1番(1981)、
第2番(1976)、
第5番(1980)、
第6番(1980)、
第7番(1984)、
リュッケルトの詩による5つの歌曲(1981)

ウィーン・フィルハーモニー
第2番(1992)、
第3番(1980)、
第4番(1977)、
第9番(1987)、
第10番(1985)

ベルリン・フィルハーモニー
第1番(1989)、
第3番(1999)、
第4番(2005)、
第5番(1993)、
第6番(2004)、
第7番(2001)、
第8番(1994)、
第9番(1999)、
少年の魔法の角笛(1999)、
亡き子を偲ぶ歌+私はこの世に捨てられて(1992)
以下配信のみ
第10番+大地の歌(2011)

ルツェルン祝祭管弦楽団
第2番(2003)
以下DVD、BDのみ
第1番(2009)、
第3番(2007)、
第4番+リュケットの詩による5つの歌曲(2009)、
第5番(2004)、
第6番(2006)、
第7番(2005)、
第9番(2010)
以下配信のみ
第10番(2011)

シカゴ響とウィーンフィルでは第8番が抜け、第2番がダブリになっています。ベルリンフィルでは、第2番が足りない。そしてルツェルンでも第8番が不足しています。

正規発売されているものとしては、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団との第4番、第9番がビデオになっています。

そして、実はベルリンフィルで不足している第2番については、ネットを探すと1996年の日本公演でのNHKで放送されたライブ映像があるんです。これで補完すればベルリンフィルで全集が完成できます。

ちなみに、ベルリンフィル就任ライブの第1番の映像も見つかります。また、ルツェルンは2016年にシャイリー指揮で第8番が演奏されたので(BDあり)、これを加えればオーケストラとしてはチクルス完成。

アバドの生前に唯一「全集」として発売されたのはDGからのもので、ベルリンフィルが中心で、シカゴ響、ウィーンフィルを部分的に取り混ぜたもの。ところが、世評としてはベルリンフィルのものは、ちょっとイマイチ。

アバド集大成のシンフォニー・ボックスには、ルツェルンの第2番を含めてベルリンフィルだけの「全集」が含まれています。

シカゴ響は、全体的に若さが溢れ明晰さもあるサウンドで評判が良い。韓国ユニバーサルがメモリアルとしてシカゴ響をメインにした全集を発売しましたが、現在はほぼ入手不能です。

「全集」からはずされたシカゴ響との演奏は、アバとのシカゴ響ボックス(DG)に含まれているので、これらを全部取り混ぜて、ほぼすべてが揃うことになります。

2019年10月7日月曜日

金田正一逝く

前人未踏の400勝投手、金田正一さんが亡くなりました。

金やんが、現役だったのは1969年まで。自分が野球少年だった時の、長嶋・王に次ぐ名の知られた存在。

「巨人の星」にも実名登場していましたし、壊れた肘の話などでプロ野球選手の過酷さを子供ながらに印象付けました。

自分より若い世代だと、ロッテの監督のイメージが強いかと思います。最近の若者には、ご意見番的なお年寄りの一人として認知されているんじゃないでしょうか。

200勝すら夢のような今とは時代がまったく違う、年間20勝以上が当たり前だった頃ですが、それでも400という数字は格違いです。年間を通して、甲子園球児のような活躍をしないと無理。

誰がどう言おうと、昭和を代表する人の一人であったことは間違いありません。

合掌

2019年10月6日日曜日

ソース焼きそば


B級グルメの定番中の定番の一つがソース焼きそば。

ソース系だと、お好み焼きは広島、たこ焼きは大阪とか相場がありますが、焼きそばは全国どこにでもある感じ。

バーベキューとかをすれば、〆はお好み焼きでもたこ焼きでもなくソース焼きそばしかない。

以前、新宿に通勤していた時には、新宿駅構内の立ち食い蕎麦屋によく行きました。たいていはかき揚げそばですが、けっこうな頻度で注文していたのがソース焼きそば。

濃厚なソースがしっかりと絡んでいて絶品でした。たいてい豚肉が入っていますが、大き目の切れ端が見つかると、何か妙にラッキーという感じがしたものです。

スーパーで買って来るのは、たいていは安いという理由でマルちゃんの三食入りのもの。ソースは粉ですけど、かえって水っぽくならないので嫌いじゃない。

トッピングは青のり、紅生姜はいいとして、からしマヨネーズもいきたいところなんですが、カロリーが気になるのでがまんします。

2019年10月5日土曜日

Claudio Abbado LFO / Mahler Symphony #7 (2005)

2005年のルツェルン音楽祭で、クラウディオ・アバドと彼のスーパー・オーケストラが挑んだのはマーラーの交響曲第7番。

楽章の説明に「夜の音楽(nachtmusik)」と記されていることから、全体が「夜の歌」と呼ばれるようですが、マーラー自身が副題としてつけたわけではない。

出だしは、確かに夜っぽい。テノール・ホルンと呼ばれる、通常のホルンとチューバの中間のような楽器により、やや不穏なメロディから始まります。でも、その後からマーラーらしいかっこいいメインテーマが出てくると、夜は一気に吹き飛んで、元気な重厚なマーラー節です。

あえて夜のイメージをかぶせて考えると、「禿山の一夜」のようなさまざまな魔物の饗宴を想像してしまうのも無理が無いところかと。管楽器と弦楽器が交互にテーマを変奏していくような感じですが、切り替わりで気持ち悪くない程度のテンポの揺れが感じられるのも面白い。

マーラーはいろいろなかわった楽器を使うことでも有名ですが、この曲でもっとも特徴的なのは、第2楽章以後に出てくるギターとマンドリン。いやいや、オーケストラにギター? マンドリン? と思いますよね。

どう考えても、音量が無いのでマーラーの大音量楽曲の中では埋もれるだけだと。しかし、当然と言えば当然なのは、これらが出てくる場面ではしっかりと全体の楽器はおとなしくなってちゃんとギターもマンドリンも聞こえるんですね。この時だけは、交響曲というよりは室内楽のような雰囲気です。

このようないろいろなものが出てきて、こどもがおもちゃ箱をひっくり返したような何でもありみたいなところがマーラーの魅力の根底にあるんですね。

病気から復活して安定してきたアバドは絶好調で、お馴染みになってきたスター揃いのオケの面々も、余裕を感じられる演奏です。

2019年10月4日金曜日

カップヌードル グリーンカレー


別にカップヌードル・フリークではないので、積極的に新作をおいかけているわけじゃありません。

ありませんが、コンビニで見たことが無いのがあると、ついつい買ってしまうのがカップヌードルの威力なんでしょうか。

オリジナル、シーフードなどは、災害時用ということもあり、スーパーで安売りの時に多少買いだめしてあります。

今回見つけたのは「グリーンカレー」で、ココナッツミルクたっぷりの刺激的なカレー味・・・を期待しましたが、それほど辛さはたいしたことはありませんでした。

似たような味だと、「シンガポール風ラクサ」というのがすでに登場していますが、そっちのほうがタイ・カレーにより近いかもしれません(イエローですけど)。

まぁ、変わり種は一度食べればたいてい満足。無くなれば恒常的にストックしておくことはないと思います。

2019年10月3日木曜日

Claudio Abbado LFO / Mahler Symphony #5 (2004)

クラシック音楽では、最大の弱点は演奏される曲に限りがあること。まだ発見されていない曲とかがあるかもしれませんが、基本的に作曲家はほぼ全員がすでに亡くなっているわけで、「待望の新曲」みたいなものはない。

ところが、演奏者は新しい人がどんどん出てきて、また再びさまざまな過去の遺産に挑んでいきます。楽譜通りとは言っても、使用する楽譜の校訂の違い、演奏者の解釈の違いによって、それぞれ個性があるのが楽しいところ。

とは言っても、ジャズほど個々の即興性を出せるわけではないので、同じ曲を何でも集めていたもつまらない。

例えば、バッハのゴールドベルク変奏曲では、各種の鍵盤楽器だけでなく、弦楽三重奏版、オーケストラ版、管楽器版、ギター版、ハープ版・・・普通にAmazonなどで手に入るCDだけでも100種類以上はありそう。

この例は、まだ楽器の違いが大きいのでわかりやすいのですが、シューベルトのピアノ・ソナタというようなジャンルになると、楽器の選択はモダン・ピアノかピリオド楽器かくらいしかなく、演奏者の差は大変わかりにくい。

まぁ、そのわずかな違いを見つけて喜んでいるのがマニアなんですが、編成が大きな曲になるほどアンサンブルで個々が勝手をするわけにいかないので、達人でも違いを見つけにくくなっていきます。

そこでマーラーですが、マーラーの主要楽曲は9つの交響曲。未完のものと交響曲扱いのものを含めても11曲。交響曲だけでハイドン100曲、モーツァルト40曲からすれば、わずかな数です。

70年代以降、評価が高まりいろいろな演奏者がいどんで、完成された全集だけでも20種類くらいありそうです。個別には一番人気は交響曲第5番らしい。

これは、中に含まれる「アダージェット」の楽章が、ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す(1971)」にたっぷりと使われた影響が大きく、また長大なマーラーの楽曲の中でも比較的短いこともレコード化しやすかったということらしい。

マーラー初心者の自分が語るには早すぎるとは思いますが、いきなり多くの演奏家を聴き比べるのはやめておいた方が無難のようです。とにかく曲が長いので、聴き比べたくても楽譜を見ながら追いかけでもしない限り、そうそう演奏の違いははっきりするもんじゃない。まずは、お気に入りの演奏家によるものをしっかりと聴きこむのがよさそうです。

そこで、クラウディオ・アバドです。アバドは、実は3回全曲演奏を意図して収録に挑んでいるのですが完成された全集が無い。録音年代・オーケストラの違いを気にしなければすべてを聴くことはできますが、その場合全集と呼ぶには多少無理がある。

しかし、アバドはマーラー指揮者としてはトップではないにしても、一定の評価を受けていることは間違いなく、全体の構成を明解に描き出すという評価がなされているように思います。

そこで、ルツェルン音楽祭でのチクルスです。再三書いたように、動画付きということが、たとえ動きの少ないクラシックでも強力なお助けになる。ベルリンフィルでの演奏が無い第2番を除いて、CD化されてなくビデオのみのためにあまり評価がされていないのが残念ですが、どの曲でも楽団のメンバーからのアバドに対するリスペクトが本当によくわかる素晴らしい演奏です。

2003年のルツェルン・デヴューで第2番「復活」を成功させたアバドの、翌2004年のマーラーは第5番でした。アバドには、さぁ、音楽を楽しもうという雰囲気が溢れています。開始早々のトランペットのファンファーレにつづく、全員の音は一気に会場全体に360゚で鳴り響きわたりワールド全開になります。

有名な第4楽章アダージェットも、徹底的にゆったりとして弦のタペストリーを紡いでいく様は大変気持ちが良い。最終楽章に入って一気にアクセルが踏まれていくのですが、各演奏者の高い力量に支えられてまったく力負けしないアンサンブルは本当に見事。

鳴りやまぬ拍手とともにずっと余韻にひたっていれます。アバドを含め、楽団員全員の満足の表情も大変嬉しい。こういうところが見れるのも、ビデオならではの利点ですね。

2019年10月2日水曜日

最高の人生の見つけ方 (2007)

この秋話題の映画の一つが、吉永小百合・天海祐希の主演による「最高の人生の見つけ方」だと思いますが、これは実は2007年のアメリカ映画のリメイク。

本家は、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという二大スターが共演しています。なんと、Amazon Primeで無料でみれます。

お金はたくさんあるけど、家族がいない剛腕実業家のニコルソン。お金はない自動車修理工だけど、家族のために自己犠牲を払い、家族からは愛される自らの向上心が強いフリーマン。

あたりは偶然に病気で余命半年を宣告され、病院で同室したことをきっかけに親交を持つようになります。フリーマンが「棺桶リスト」という死ぬまでにやっておくべきことを書きだすリストを見たニコルソンは、自分のやりたいことを含め金に任せて実行することにします。

二人は世界中を飛び回り、やりたいけどやってこなかったことを一つ一つ実現させていくのでした。そして、フリーマンは家族のもとに戻り亡くなっていきます。フリーマンがニコルソンに託した最後の願いは、ニコルソンが疎遠になっている娘と再会することでした。

最終的には主役二人が死んでいくのですが、比較的ハッピーエンドのようなほのぼのとした余韻が残る映画です。ただし、素材としては面白いと思いますが、二人が旅立つまでと旅立ってからの時間配分のバランスが悪いのか、何か伝わってくるものが希薄な印象でした。

ニコルソンが天海、フリーマンが吉永ということだと思いますが、男性二人を女性に置き換えてのリメイクとなるので、これを吉永・天海でどのように料理したのか興味深いところです。

2019年10月1日火曜日

麺一 @ 溝の口


溝の口の駅前から5分ほど歩いて離れた場所にある、比較的外見は普通っぽいラーメン店です。

午前11時半すぎくらいに到着したんですが、10席ほどのカウンターは満席でした。けっこう人気が高いようです。

ここの売りはネギ。見ていると、ラーメン作りと並行して、長葱を千切りにする作業もずっとやっていました。

さい注文したのは、味噌ラーメンです。

いつも辛味噌が好みですが、先週激辛を食べたので、今回はノーマルです。たっぷりのネギが嬉しい。そして、チャーシューが厚切りなのもポイントが高いところ。

スープは・・・いわゆる札幌味噌ラーメンとはだいぶ違います。たぶん鶏ガラベースに赤味噌を加えた感じ。比較的すっきり系の味噌味です。お馴染みの「初代」の味噌とはだいぶ違う系統の味でした。

麺は中太ストレート。このスープには、確かにこの麺はあっているように思いました。

食べているそばから、次々にお客さんが入ってきて待っていました。