年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します
2022年7月31日日曜日
更科 @ すすき野
毎度おなじみ、青葉区すすき野にある、お蕎麦屋さんです。
昨年末以来の外食で、その時に行ったのもこの店。近くて気楽に入りやすく、何と言っても美味しい。
何度も何度も書いていると思いますが、汁に関しては、少なくとも自分が知る限り一番美味しい店だと思っています。
普通の店で、特に自家製手打ち蕎麦とかをうたっているいるわけでもありませんが、細く白い、いかにも更科という麺の喉越しの良さも素晴らしい。
今回はかき揚げです。ごぼう、たまねぎ、にんじん、かぼちゃ、さつまいもなどの千切り野菜のかきあげで、小麦粉が分厚くなっているところがなく、最初から最後までサクサク食べれます。
ざるも普通盛りですが、割と多めなので、十分に食べ応えがありました。満足の一品です。
2022年7月30日土曜日
俳句の勉強 13 句またがり
このルールに従わないで、上と中、あるいは中と下に単語が続いている場合を「句またがり」と呼びます。五七五の韻律が狂うので、声に出して読んでみるとリズムが悪くなりやすいので、初心者は安易に使うテクニックではありません。ただし、上級者がわざと句またがりの俳句を作るというのは普通にある。
春惜しむ宿や日本の豆腐汁 正岡子規
子規の名句とされるこれは、まさに句またがり。一見すると、上は「春惜しむ」で5音、中は「宿や日本の」で7音、下は「豆腐汁」で5音。定型句のように見えてしまいますが、内容から「春惜しむ宿や」と「日本の豆腐汁」の上8音、「日本の豆腐汁」で下9音に分割されます。
同じような形式では、
我と来て遊べや親のない雀 小林一茶
も有名です。これも区切りは「・・・遊べや」の後ろが間違いなく切れています(最初の5文字でも切れそうですけど)。
句またがりを使うと、5文字、7文字の制限を突破できるので表現の仕方が増やせるのが最大のメリットです。一方、またいだ分、前後にしわ寄せが来ますので、そこをどう収めるかが難しい。やっていけないわけではなく、テクニックとして知っていて損は無いけど、それなりの覚悟がいるということです。
うつし世はゆめ夜の夢こそまこと 江戸川乱歩
これは季語が無いので、俳句としては無季の句、場合によっては川柳ということになりますが、江戸川乱歩が色紙に添えた一句。これも全部で17文字ですが、上七、下十の句またがりです。
「うつし世」は漢字だと「現世」と書き、現実の世界を意味します。現実が夢で、夜の夢が本物(真)とは、まさに乱歩の作品世界を見事に言い表していて、高校生の頃あまりにも印象的で気に入り覚えていました。
句またがりに挑戦してみました。
葭切(よしきり)見渡すも声の場所何処(いずこ)
ヨシキリはスズメの仲間で、写真がそうなのかは自信がありません。葭切が夏の季語ですが、ヨシキリの鳴き声から「行々子(ギョギョシ)」とも呼ばれ、これも夏の季語に使えます。
電線に一羽だけ止まって「まわりを眺めているけれども、仲間の声がする場所がどこだかわからない(ため困っているように見える)」という感じ。上9音、下8音の構成。かなり無理した感じがしますけど、とりあえず形にはなりました。
ただし、声に出すと、葭切が見渡しているはずが、自分が葭切を探していて鳴き声の場所が見つけられないという意味にも取れてしまうと気が付きました。季語である「葭切」をもっと強調できないと凡人句と言わざるを得ない。
葭切とまりて声何処と望む
どうでしょうか、季語の葭切が主役になったでしょうか。句またがりは、無理して作るものではなく、使いたい言葉が5文字あるいは7文字に収まらないという必然があって、初めて使われるテクニックです。無理してするもんじゃありませんね。
2022年7月29日金曜日
俳句の勉強 12 字余り字足らず
原則として俳句は「上五、中七、下五」と言うように、17文字(17音)から成立します。これ組み合わせは、読んだときにリズムがあって、日本人的な落ち着きが得られる組み合わせ。
その中に組み込めるように、最大限の省略や言い換えなどをするわけですが、どうしても5文字、あるいは7文字以内に収まりきらない言葉を使いたい時があるものです。そもそも6文字、あるいは8文字以上の季語もあったりします。
上中下の決まった文字数を超えて作句する場合、それを「字余り」と呼びます。逆に、あえて埋めきらない場合もあって、それは「字足らず」です。ただでさえ使える文字数が少なくて四苦八苦しているので、字足らずの句は珍しい。
字余りでも、何文字でも増やしていいのかというと、きちんと決まっているわけではありませんが、どんなに多くても3文字までが望ましいと言われています。たいていは1文字多い物が多いようです。多くなればなるほど、リズムがとれなくなり、散文調になってしまいます。
ただし、どうしても適切な文字数の言葉が思いつかないから、結果として字余りになったというのはダメで、最初から余りが出ることで句としての面白さが増すようにわざと使うというのが正しい・・・とは言っても、初心者には難しいですよね。
字余りの代表句として、しばしばあげられるのは芭蕉の句です。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 松尾芭蕉
芭蕉の生前、最後の句としても有名な物。上句が「たびにやんで」で6文字で1文字の字余り。「病んで」としなくても、「病み」とかで文字数を合わせても意味は通りそうです。しかし「病んで」としたことで、「病んだために」という意味が強くなり、続く中句以下の原因としいて強調されます。また、字余りでリズムを狂わせ、不安感を醸し出す効果もありそうです。
雀の子そこのけそこのけお馬が通る 小林一茶
これも有名です。上五中八下七で、全体で3文字オーバーですが、この場合は声に出してみると妙にリズムがはずんで、いかにも馬が歩いている様子が見えてきます。
一方、字足らずの例として必ず取り上げられるのがこれ。
兎も片耳垂るる大暑かな 芥川龍之介
上四の字足らずです。当初は「子兎も」で5文字にしていたのが、人に言われて「子」をとって、あえて字足らずにしたらしい。
睡蓮、根は泥の中モネ知らず
またもや無謀な挑戦。字足らずに挑戦です。
「睡蓮」は晩夏の季語で、水面に美しい花と葉を浮かべている様子はとても絵になります。植物にとって一番大事なのは根っこですが、睡蓮の根は水底の泥の中にあります。印象派のモネのたくさんの睡蓮をモチーフにした絵画はとても有名ですが、モネは根が泥の中だって知っていたのかなぁと・・・
上五にどんっと「睡蓮」を置いてみましたが、残念ながら4文字しかない。睡蓮のイメージを強く印象づけるための定石としては、「睡蓮や」と切れをつけるのが普通だと思います。
でも、あえて4文字で止めて一瞬の間を作ると、睡蓮をぼーっと見ていたら中下の内容をふと思いついたみたいなほんわりした感じにできるように思いました。間を強調するため句読点を入れています(文字数としてはカウントしません)。
でも、素人の無理矢理感は否めませんよね。
2022年7月28日木曜日
俳句の勉強 11 文字の数え方
俳句は5-7-5で17文字。これ、大原則。
では「おじいちゃん」はどうでしょう。「お・じ・い・ちゃ・ん」となり5音6文字です。小さい「ゃ・ゅ・ょ」は、い段の文字の後ろについて拗音(ようおん)と呼ばれ、俳句では前の文字と合わせて1文字として扱います。
促音(そくおん)と呼ばれる小さい「っ」はどうでしょうか。「っ」は積極的に発音しませんが、一文字分の間合いが入るのでカウントされます。「日本」は「に・ほ・ん」と読めば、3文字ですが、「に・っ・ぽ・ん」と読むと、4文字になります。
「エレベーター」は、「エ・レ・ベ・ー・タ・ー」となり、ひらがなで「え・れ・べ・え・た・あ」とも書くことができて、6文字と数えます。直前の文字の発音を延ばす、長音符(長音記号)と呼ばれる「ー」は、母音を追加することになり単独で1文字と数えます。
よく引き合いに出される「チューリップ」はどうでしょうか。「チュ」は拗音で1文字、「ー」は長音符で1文字、「ッ」も促音で1文字と数えるので、「チュ・-・リ・ッ・プ」で俳句では5文字です。
おまけです。「超かっこいいジャニーズ」は何文字? 「ちょ・う・か・っ・こ・い・い・じゃ・に・-・ず」なので、11文字です。「チョーかっこいー」としても同じ。今時風に「チョ、かっきー」とすれば2文字節約できます。
まぁ、17文字もあると余裕でかまえる人はめったにいない。普通は17文字しかないと思うわけですし、その中に季語として普通は3~5文字を取られてしまうことを考えると、自由にできる残り文字数は12~15文字しかありません。
いかに省けるところを省き、一つの文字にも意味を持たせることを考えないと、深みのある俳句にならないので、文字の選択はとても大事ということですね。
2022年7月27日水曜日
ケアプラザ勉強会
地域ケアプラザというのは、横浜市社会福祉協議会が運営するデイサービス、居宅支援などの介護サービスを行う半官半民の拠点施設で、横浜市では各区に数か所ずつ整備されています。
2020年3月まで、医師会を通じて依頼が来る協力医をしていました。毎年、主にケア・マネージャーの方々を対象に勉強会の講師をしていましたが、協力医を辞した後も勉強会はやらせてもらっています。
とは言っても、2021年はコロナ渦の影響で中止。2022年、今年は2月に予定されていたのですが、第6波で延期。先週、やっと開催されました。
また第7波と言われ感染者が増加している状況でしたが、感染対策に十二分に配慮して、参加者も限定した感じでした。そんなわけで、多いときは20人以上集まっていましたが、今回は10数人です。
今回のテーマは高齢者の骨折。背骨の圧迫骨折とか、足の付け根の大腿骨頸部骨折などは、個別に話したことがありますが、それら以外の好発部位を含めて、問題点や対策などを総論的に話させていただきました。
毎度感じることですが、介護に携わる方は直接的な医学の勉強はしていませんが、この手の話をすると、直接自身の仕事に関わることなので大変まじめに意欲的に聴講していただけます。
その分、こちらもしゃべりに熱が入るのですが、もともとしゃべるのが嫌いではないので、とても楽しく講義を行うことができました。コロナでも介護を待つ人は減ったりしませんから、少しでも携わる方々の役に立てるなら、今後もできるだけ協力させてもらいたいと思います。
2022年7月26日火曜日
俳句の鑑賞 2 獄門島の句
俳句鑑賞の力をつけるために、まずは聞き覚えのある俳句から入ってみるのがよさそうです。とは言っても、知っている句は数限りなく少ないので、とりあえずこの3句を並べてみました。
たぶん、昭和の人間は、70~80年代に角川書店が仕掛けた横溝正史ブームを覚えていると思います。昭和の推理小説、と言うより探偵小説と呼ぶ方が似合っているんですが、名探偵、金田一耕助が何事件に挑むシリーズが大ヒットして、映画やTVドラマがたくさん制作されました。
「獄門島」は金田一シリーズとしては初期の作品ですが、横溝正史作品としては3本の指に入る傑作とされています。戦地からの復員船の中で、自分が帰らないと妹たちが殺されると言い残し息を引き取った友人に替わって、金田一耕助が獄門島にやってきます。しかし、三人の娘が、俳句に見立てて次々と殺されてしまうのでした!!
というわけで、その俳句がこちら。
無残やな兜の下のきりぎりす 松尾芭蕉
鶯の身を逆さまに初音かな 宝井其角
一つ家に遊女も寝たり萩と月 松尾芭蕉
最初は「奥の細道」から、石川県の多太神社を訪れた芭蕉の句。は、平家側の斎藤実盛は、幼い木曽義仲の命を救ったものの、後年、白髪を染め若武者と見せ出陣し義仲に討たれました。義仲は、恩人のために多太神社に兜を奉納したのです。「戦いたくない戦を強いられた実盛は気の毒だ。この兜の下のきりぎりす(こおろぎ)は、その悲しみを思い鳴いているのだろう」という内容のもの。
これは史実を知らないと理解できない句で、「獄門島」でしか知らなかったら、きりぎりすが兜の下敷きになって潰れて死んでいるかのように思います。俳句を心底理解するには、本当に知っておくべき知識量が半端ないというところでしょうか。
二番目は、芭蕉の弟子、宝井其角(榎本其角)のもの。身の軽い鶯が木の枝につかまり、上下が逆になっても、初音を聞かせてくれる。初音は、その年最初に聞く鳥や虫の鳴き声ですが、一般には鶯に特化された言葉。
三番目は再び芭蕉の「奥の細道」から。月の美しい晩に、庭に萩の花が咲く一軒の宿に遊女と泊り合わせた。おそらく、芭蕉は遊女達の薄幸を気の毒に思う心情から詠んだと思われます。
本来は、いずれもとても風情のある句なんですが、どうも「獄門島」で殺された娘たちがこれらの句に見立てられていたため、そっちのイメージがなかなか払拭できません。半世紀戻せるなら、先に芭蕉を勉強しておくべきでした。
というわけで、これじゃああまり鑑賞の勉強にはならなかったかもです。
2022年7月25日月曜日
俳句の鑑賞 1 高濱虚子
俳句は作るのは大事ですが、それと同等に重要なのが他人の句を鑑賞すること。まさに「人の振り見て我が身を直す」ことをしないと、いつまでも自己満足だけで終わってしまいます。
そもそも俳句という形式を確立したのは松尾芭蕉と言われていますから、おおよそ400年という歴史があり、多くの名句が誕生しているわけで、それらすべてを鑑賞するわけにもいかない。
それでも、それなりに代表的な俳句は、例えば歳時記の季語の例句として掲載されていますので、季語を調べるときに必ずどうして名句とされるのかをしっかり鑑賞することを心がけたいものです。
炎天の地上花あり百日紅 高浜虚子
これは高濱虚子(たかはまきょし)の句。虚子は、明治の巨星、正岡子規に端を発する「ホトトギス」を引き継ぎ、五七五の形式と季語を重視し客観的な見たままを詠むことを強く推奨し、明治から昭和戦後期の俳句界の最重鎮となった人。現在も、ホトトギスおよびその派生集団は、ほぼ虚子の孫、曾孫らが主宰となっています。
さて、この時期にまさにぴったりな俳句です。虚子の言うまさに客観写生の句と言えます。まず、鑑賞するに当たって、最初にすべきは解釈です。そのまま何を表しているかを明確にします。
この句の解釈は、「大変暑さの厳しい時期であるが、地の上(高い所)には百日紅(さるすべり)の花が咲いている」ということ。
次に句の構造を理解しましょう。形式は定型的な五七五で、季語は、夏の天文に分類される「炎天」ですが、実は「百日紅」も夏の植物に含まれる季語。つまり、季重なりです。
季重なりは初心者はできるだけ避けることが望ましいと言われますが、主役となる季語が明確にわかる場合は良しとされます。「炎天や」というように、暑さを詠嘆・強調するように切ると、主役は「炎天」になってしまいそうですが、「炎天の」であくまで中七の「地上」を修飾するので、名詞止でびしっと決まった「百日紅」が主役と考えるのが順当。
百日紅は夏の間、ずっと花が次から次へと咲き続けることから漢字が、また、樹皮がすべすべしていて、「木登り上手の猿でも滑ってしまう」ということから呼び名が由来します。夏の暑い時期を象徴する草木と言えます。
そこまで理解した上で、この句の言いたいことを考えることが鑑賞ということになります。鑑賞は個人の自由ですから、個々に色々と感じるままに内容を理解すれば良いこと。真夏のギラギラと照り付ける日差しに、思わず上を見上げたら、直接に陽があたるようなずっと高い場所に真っ赤な百日紅の花が咲いていることに生命力のすばらしさを感じた・・・というところでしょうか。
2022年7月24日日曜日
枝豆
夏だ!! ビールだ!! 枝豆だ!!
枝豆が嫌いな人、いる? というくらい、隠れた国民食じゃないかと。御多分に漏れず、自分も大好物で、あればあるだけ食べてしまいます。
もう、皆さんご存じの通り、枝豆は若採した大豆です。夏の定番ですが、今では冷凍物が一年中ありますから、いつでも食べることはできます。
ただし、冷凍したものは、流水解凍してもたいてい柔らかくて、一味二味落ちてしまうことは否めません。
手間が増えるとは言え、この時期、採り立てを固めに茹でて、温かいうちに頬張るのが最高だと思います。
最近、ネット・ニュースで、茹でずに炒める方法が紹介されていて、「簡単でこっちの方が旨い」とか出てしました。試してみましたが、確かに炒めても美味しく食べることができますが、手は油でべとべとするし、茹でる方法よりも美味というのは・・・
まぁ、好き好きですけどね。
2022年7月23日土曜日
俳句の勉強 10 類想・類句
青い・・・と言えば空ですかね。白いのは雪、赤いのは炎、緑なら森とか、比較的誰もが同じように想像する言葉はたくさんあります。
そのような一般的な想像にたどり着く内容で俳句を作ると、だいたい同じような内容になってしまい、あまり面白い俳句とは言われません。似たような発想を類想、類想によってできた俳句を類句と呼びます。
初心者と呼ばれる理由の一つが、類想・類句です。ここから脱却することが大事ですが、そのためには自由な想像力と、それを表現するための豊富な語彙が必要ということ。
語彙を増やすのは努力。いろいろな物を見て聞いて知ろうという探求心を培うしかありませんが、一応、類語辞典を使うことである程度は簡単に様々な表現を見つけることができます。自由な発想力は各自の素質によるところが多いとは思いますが、語彙を増やすことは発想の幅を広げることにつながりそうです。
「夏」あるいは「祭り」、合わさって「夏祭り」という季語を使うと、誰もが「花火」、「浴衣」、「縁日」などを想像するもので、類想・類句のオン・パレードになりそう。
夏祭り大輪の花咲く夜空
あえて想像通りに句を作ってみましたが、「大輪の」という表現を使えば「花」に決まっているし、「花」が「咲く」のも当たり前。「夜空」に咲く「花」とくれば「花火」しかありませんし、もうどうしようもない類想・類句です。
夏祭り音に振り向き金魚揺れ
ちょっと視点を変えて、花火を脇役にしてみました。金魚すくいをしていたら、打ち上げ花火の音に驚いて振り向いたら、持っていたお椀の中の金魚が揺れて飛び出しそうになった・・・という感じの風景です。
少しは類想・類句から脱したように思いますが、如何せん夏祭りの固定イメージを払拭するところまでは行けていません。それに「音に」の「に」は何かに向かってゆっくり動いている感じなので「音で」とした方が驚いた感じがしそうです。
今年は、とっくに梅雨明け宣言されましたが、結局またまた雨模様が続き、湿度が高い日が続きます。梅雨と言えばじめじめした、何となく嫌ぁな感じ。ですから、
窓開けて風からサウナ戻り梅雨
梅雨のはしりと違い、気温が高くなった分、湿度も高いのが戻り梅雨。夕方になって、気温が少し下がったので窓を開けてみたら、まるでぬるいサウナにいるような風が吹き込んでくるという内容。
梅雨でじめじめを絵にかいたような内容なので、おそらく類想・類句と言われそうな句になっていると思います。ただ、梅雨時を快適と思う人はまずいないので、季語に梅雨関連を選んでしまうとなかなか辛いところがあります。
2022年7月22日金曜日
俳句の勉強 9 似てる季語
歳時記を眺めていると、似たような意味合いの季語はけっこうあって、読み方を変えただけとか、ちょっと語尻が違うだけなら傍題としてひとくくりにします。しかし、ほとんど同じような状況にもかかわらず、微妙にニュアンスが違う場合は、見出し季語としては別の物。
例えば真夏の太陽が照り付ける状況を表現する「炎天(えんてん)」に、じっとりと汗ばむ感じが加わわると「油照(あぶらでり)」、特に焼けつく昼に限ると「炎昼(えんちゅう)」です。他にも暑さを表す季語としては「炎暑(えんしょ)」、「酷暑」、「猛暑」、「劫暑(ごうしょ)」などもある。
夏至の時に一番昼が長く夜が短くなるのですが、春の側から表現すると「日永(ひなが)」で、夏の側からだと「短夜(みじかよ、たんや)」となり、夜が早くに明けることに重点を置いたのが「明易(あけやす)」です。日本ではありませんが、太陽が没しないため夜の時間になっても明るいままなのが「白夜(はくや、びゃくや)」です。
立秋間近になると、実際にはまだまだ暑い日が続くわけで、秋と言われても実感が湧きません。とは言え、そろそろ夏の終わりが近づいてきた、もう少し辛抱だと期待感がにじむのが「夏の果(なつのはて)」という季語。入道雲が姿を消し鱗雲が見えたり、蝉の鳴き声か減ったり、その声がアブラゼミからつくつく法師に変わってくると、直接的に秋の気配を感じることになり「秋近し」を使ったりします。
ちょっと安直に例句を作ってみました。秋の魚と言えば秋刀魚(サンマ)ですが、先日、初物のセリがニュースになっていて、数十匹しか水揚げされなかったそうで、なんと値段は1尾1万円!!
夏の果手が出ぬ細身の高級魚
秋近し手が出ぬ細身の高級魚
秋刀魚としてしまうと秋の季語になってしまうので、「細身の」として、超高値で庶民が食べれる魚じゃないということで「高級魚」扱いです。
同じ意味を持つ季語を変えただけですが、何となく受ける印象が変わってきます。「夏の果」を使うと、もうすぐ秋だというけど、秋刀魚を食べれるのはまだまだ先のことだみたいなガッカリ感があって、とても高くて手が出せない雰囲気とマッチする感じです。
一方、「秋近し」を使うと雰囲気は楽観的になって、「手が出ぬ」という否定的な表現とは相性が悪そうな印象です。
秋近しいつかは細身の高級魚
とすると、秋への期待感と食べたいなという食への希望が合致しそうです。ただ、どうひねくり回しても、俳句としてはたいしたもんじゃない。どっちかと言えば川柳に近いですかね。
2022年7月21日木曜日
俳句の勉強 8 歳時記
季語は大事ですが、たくさんあるので辞書的なものが無いとどうにもならない。ですから、どうしたって季語便覧として「歳時記」と呼ばれる本は最低でも1冊は持っていないと困る。
ただしどこかで正式に季語として認定しているわけではなく、何となく季節をよく表しているので、名人が「これは季語にしよう」と言えばそれが季語みたいなところがあります。
たくさんの歳時記が発売されていますが、編纂した人によって季語として採用した言葉には微妙な違いがあったりする。発行された時代を反映して、古い季語が消えたり新たな季語が加わったりもします。基本として使われる「見出し季語」と、そこから派生する似たような表現の「傍題」とがあります。
間違いなく誰もが季語と認める、基本となる重要なものを中心に収載している初心者用もので2000~4000語くらい。おそらく、現行で最大の数を誇る、ありとあらゆる季語が集められているのが角川書店の大歳時記で、見出し季語約6000語、傍題も含めて約1万8000語を集めたというから驚くしかありません。A5サイズ5分冊です。
初心者用を買って、後でこれじゃ足りないと後悔するのは嫌なので、どうせなら大歳時記が欲しい。ただし角川版は、改訂された新版が出たばかりなので、まだ古本はないし、季節ごとの分冊で全部そろえると約3万円になる。しかも、詳しいのはいいのですが全部文字だけの書物なので、見るのがつらくなりそう。
そこで目を付けたのが、約10年落ちにはなりますが講談社の「カラー版新日本大歳時記 愛蔵版」です。もともと四季+新年の5分冊(4万円超え)だったものを1冊にまとめたもので、見出し季語約4200語、傍題を含むと約1万5000語となり角川に迫る量です。合本になって価格も安くなり、古本で1万円以下で手に入る。Amazonポイントがたまったので、これをポチリました・・・
が、ここで問題が。何と、想像していた以上にこれがでかい、重い。A4サイズで1500ページあって、片手じゃ持てない。膝の上に乗せると痛くなる。角川と違い、何しろ季語をあらわす写真などもたくさん載っていて見ていて楽しいのですが、さすがにこれを広げていろいろ考えるのは大変。
そこで、結局、季節ごとに分かれた安価な文庫本サイズを合わせて持つのがいろいろなところでおすすめとなっているのですが・・・やはりコンパクトになった分、説明が少なくてよくわからない。中級以上になったらこれでも良さそうですし、さらに上級ともなれば説明を省いた季語だけが列挙してある「季寄せ」というものでも足りるのかもしれません。
さらに致命的なのはコンパクトだと・・・文字が小さい!! 老眼には辛い、辛すぎる。そこでいろいろ探した結果、小学館の「読んでわかる俳句歳時記」を購入しました。これは講談社版と同じ大きさの「日本の歳時記」を4分冊・小型化したもので、見出し季語で約3000、傍題含むと約1万語。
A5判サイズでカバンにも入れやすい。各巻に全体の索引がついているのも親切です。しかも、講談社のように写真がたくさん収録されヴィジュアル的に楽しめ、どの歳時記にもある例句については簡単な解説がついているのが嬉しい。
普段使いに小学館、ゆっくり勉強するのに講談社という具合に使い分けたいと思います。ゆっくりページをめくっていく文芸書と違い、事典的なものなのでデジタルよりアナログの方が使い買っては勝ります。
2022年7月20日水曜日
俳句の勉強 7 省略
俳句の作法として、いかにうまいこと言葉を省略するかというのも大事なポイント。
まず一般に言われているのは、作者の気持ち、感情を直接あらわす言葉を入れないということ。読み手が、その気持ちを読み取れるように作るのが良作とされます。
「桜がきれいに咲いた」と書くと、きれいという作者の感情は引っ込めて「桜が咲いた」だけで十分。普通は、誰もがきれいなんだろうという情景を想像します。
当たり前のこともわざわざ書きません。基本的に雪は白いので「白い雪」と書く必要はなく、単に「雪」だけで伝わります。同じようなことですが、「~のような」という表現もいらない。「ガラスのような水面」と書かなくても、「ガラスの水面」で通用します。
最後が動詞も省略可能。「買い物に行く」としなくても、「買い物に」あるいは「買い物」だけでも、その後どうなるかは想像しやすく、読者の自由な余地が残ります。
夏の海傘の波間に子を探す
続けて、季語「夏の海」を用いて作りました。盛夏の海水浴場は人込みでごった返しているもので、砂浜はたくさんのビーチパラソルが開いています。こどもを連れて出かけた時、ちょっと目を離した時こどもが迷子になってしまいました。うちの子はどこだと目を凝らすのですが、パラソルが邪魔してなかなか探せなったという状況。
相変わらず、ちょっとよさげと思っても、勉強するといろいろ問題点が気になりだします。海の波じゃなくて、砂浜のたくさんのパラソルを波に見立てた所はちょっと気に入っています。本当は見てもなかなかわからないので、どこかで泣いている声はしていないかと詠みたかったんですが言葉が思いつきません。
「探す」で動詞で終わっているので、かなり内容がはっきりと語られていて、読み手が想像する必要が無くなってしまいました。いろいろ考えた結果が次のようになりました。
夏の海泣く子澄ませば傘の波
どうでしょうか。泣いている子がいないか(耳を)澄ましているけど、(邪魔な)傘の波ばかりだという感じで、海の波音と相まって聴覚と視覚に訴える感じになったような気がします。
2022年7月19日火曜日
ガーリック・シュリンプ
ガーリック・シュリンプと言えば、ハワイ名物。たっぷりのニンニクが効いた、プリっプリのエビは、もう癖になること間違いなし。
本当は、ブラック・タイガーとかだと食感最高ですが、さすがに値が張る。安いバナメイ海老がお買い得だったので、今回はこれでガマン。バナメイ海老は車海老の仲間で、身が柔らかいのが特徴なので、そこらのところ込みで値段で納得。
まず、海老の下処理。片栗粉をまぶしてこするように汚れを落とします。特に尻尾の中に汚れが溜まりやすいので、半分くらいは料理ばさみなどで切り落とします。
殻ごと作るのがポイントなので、食べやすいように足だけ落としておきます。殻の間の背中に横に楊枝を突っ込んでワタを除くのもお忘れなく。片栗粉を洗い流したら、軽く塩を振って10分ほど休ませます。
その間にソース作り。好きなだけニンニクのみじん切りを用意しますが、今回はこの量に対してニンニクは3片ほど使いました。タマネギ1/4くらいもみじん切り。オリーブ・オイルを大さじ2~3、塩小さじ1/2~1、そして大事なのがレモン汁。臭みをとってくれて、さわやかな後味を残します。大さじ2くらいは入れて大丈夫です。
よく混ぜたら、ソースの中に海老を入れよく絡ませて1時間くらい冷蔵庫で寝かせたら、いよいよフライパンで強火で焼きましょう。焦げ目がつくくらいしっかりと焼くのがポイントです。今回はパセリを少々、香りづけと彩のために入れています。
最後にバターを少量入れ溶けたら出来上がり。お好みで殻ごとどうぞ。うぉ~おおおお、旨い!! ビールが合う合う。
2022年7月18日月曜日
俳句の勉強 6 てにをは
研究論文などで、「てにをは」が正しくない文章と怒られたことがあります。「てにをは」とは、正しくは助詞のことで、言葉に付け加えて前後の関係を表わす付属語。英語だと"on"とか"in"のような前置詞みたいな働きをします。
国文法の勉強に深入りするのは難しすぎるので、このくらいの知識に留めておきますが、俳句では助詞が大事で、使い方一つで内容がガラっと変わってしまうこともあるので、慎重に選ばないといけません。
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)」という有名な句がありますが、「ば」は仮定をつなぐ接続助詞、「が」は動作の主体を示す格助詞です。
たとえば「柿食うと」とすると、同じ接続助詞でも、「と」は確定を意味するので「柿を食べれば必ず鐘が鳴る」ような感じになります。
また「鐘も鳴る」とすれと、係助詞の「も」は似たものを強調するので、鐘以外にも鳴っているものがあることになってしまいます。
このような初心者向けの説明は、ちょっと探すと山ほど出てきます。作者が注目したいものによって慎重に助詞を選ぶことが重要ですし、読む側もそれを読み解く力が必要だということになります。
夏の海驚き払う飛ぶ海月
当然「夏の海」が夏の季語です。小学校の臨海学校に行った時の思い出ですが、泳いでいて急に腕に痛みを感じて「驚き」、何かゼリー状のものがへばりついていたので腕を振り「払う」ようにしたら、そのままゼリーは「飛ぶ」ようにいなくなりました。それが「海月(クラゲ)」との初接触だったわけで、腕を滑っていったので、全体が赤く腫れてけっこう辛い思いをしたものです。
おそらくこの句のポイントは、驚く、払う、飛ぶという動詞が3つ出てくるところじゃないでしょうか。一般に、俳句では動詞は少なくし、無くてもかまわないという考え方が主流のようです。
動詞をたくさん使うと、散文的になってしまい、情景が確定して想像性が希薄になるということらしい。動詞を省略して、読み手に何が起こっているのかうまく想像させることができる句が良いということ。
そして、当然指摘されるのは「海月」も季語なので季重なりということ。ただ、この句の場合はクラゲで季節を表現したいわけではないので、単なる物体として登場していると考えれば、主体はあくまで「夏の海」なのでご容赦願いたいところです。
それと、もう一点気になるのは、夏の海、驚き、払う、飛ぶ、海月というように全部がぶつぶつと切れている感じがするところ。声に出して読んでみると、それがテンポの良いリズムになっている感じもするんですが、どうでしょう?
2022年7月17日日曜日
俳句の勉強 5 切れ字
俳句の重要な要素に「切れ字」があります。
切れ字とは、一番わかりやすいのは「や」ですかね。日本人なら間違いなく知っている有名な「古池や蛙飛びこむ水の音(松尾芭蕉)」にも使われています。
「古池や」でいったんしっかりとした区切りをいれることで、句のめりはりがつきます。もしも「古池に」だったら上五から中七へ連続した感じになり、読み手の想像する場面も狭まる感じです。
切れ字は、リズムを整えたり、強調したり、余韻を残す、そして場面転換するなどの効果があり、大変重視されています。
「や」の他には、代表的なものとして「かな」、「けり」、「なり」、「ぞ」、「がも」など助詞・助動詞がよく使われます。前後を強調したり、余韻を残す働きがあり、俳句の奥深さを表現するのに重要な要素になっています。
他にも切れ字十八字と言われ、「かな・もがな・し・じ・や・らん・か・けり・よ・ぞ・つ・せ・ず・れ・ぬ・へ・け・いかに」が該当することになっています。
しかし、芭蕉曰く「切字に用る時は四十八字皆切字也。用ひざる時は一字も切字なし」だそうで、そのつもりで使えばすべての文字が切れ字になるようです。
日が暮れて風と飛び込む黄金虫
「黄金虫」が夏の季語。本来は季語としては、「金亀子」と表記するのが正しい。日が暮れたので涼しい風が吹き始めたので、窓を開けたら風と共に黄金虫も部屋の中に飛び込んできたという内容。
これは切れ字十八文字が出てきません。でも、切れ字の例句としては適切とは言えませんが、最後が名詞止めになっていて、すとんと落としているので切れ字の効果といえそうです。
例えば、
日暮れかな風と飛び込む黄金虫
とすれば、上五が「かな」で切れることは明白。ただし、中七との連続性が希薄になる印象です。
黄金虫風と飛び込む日暮れかな
これだと場面の連続性は維持できそうですが、主役は「日暮れ」になってしまいます。また黄金虫が日暮れに飛び込む感じがする。
というわけで、季語で主役の黄金虫を強調するには、名詞止めですぱっと終わるのが一番印象深いのではと思ってしまいました。
2022年7月16日土曜日
これがトマタマカレー
某うどん屋には負けられない。
まじめにトマタマカレーを作ってみた。正式名称は、トマト&スクランブル・エッグ・カレーライス(with オクラ)だ!!
まず、細かめに刻んだじゃがいもと大きめみじん切りタマネギ・・・って同じくらいの大きさです。これをニンニク入りオリーブオイルで炒めます。煮込みません。
なぜ? トマトとたまごがふにゃふにゃの食感なので、歯ごたえの残るじゃがいもでメリハリを付けたかったから。
炒まったら、鍋に移して、普通に水、沸騰したら火を止めてカレールーです。生姜も入れておくのが美味しさのポイント。あっ、オクラも入れます。
こだわりたい方は、当然玉ねぎを「飴色」になるまで炒めるというのもありですが、ここはあくまで食感メインでいきたい。
次に、乱切りにしたトマトに塩を軽く振ってさっと炒めます。といた卵を流し入れ、だいたい固まったら(卵の半熟感を好みで残す)、先ほどの鍋に移して、さっと混ぜたら出来上がり。
肉いらずで、めちゃ、旨いです。間違いなし。
2022年7月15日金曜日
俳句の勉強 4 季語
ふむふむ、俳句が俳句たるのは季語を使うからなんですね。たぶん、一番大事にしないといけないところ。
じゃあ、季語って何? 季語はそれぞれの季節を象徴する言葉。季語には誰もが共通に想像する映像や感覚が含まれているので、たったの17文字しか使えない俳句の中で、端的に共通のイメージを表現できるのです。
逆に、好きなタイミングで好きな季語を適当に使っていいわけではありません。夏の暑い盛りに「雪舞う・・・」なんて句を詠んでも、誰にも意味が伝わりません。夏のことを詠むなら、夏の季語を使うのが決まりです。
ただし注意しないいけないのは、季語の季節は旧暦をもとにしているということ。立冬(11月7日ごろ)から立春(2月4日ごろ)の前日までが冬。ただし、俳句では1月は「新年」という別立ての「季節」です。立春から立夏(5月5日ごろ)の前日までが春で、立夏から立秋(8月8日ごろ)の前日までが夏。そして立秋から立冬の前日までが秋になります。
8月のお盆の時期は、普通はまだまだ暑くて真夏じゃんと思いがちですが、俳句ではもう秋。間違えると、とんだ恥をかくことになるので注意が必要です。
もっとも、こういう決まり事から大きく逸脱するような俳句もあるわけで、例えば季語が複数入り込む季重なりでも、季節が異なるような場合もあったりします。どれが主役なのかがはっきりしていれば、許容される場合があるみたい。川柳との違いが曖昧になりますが、季語が入らない無季の俳句というのもあったりします。
店に鯵泳ぐ姿に手は止まり
これもあまりいい句じゃないな。「鯵」は夏の季語。梅雨時が一番おいしいとされます。
スーパーの店先に発泡スチロールの箱に入れられ、生きて泳いでいる鯵が売られていました。中には、気味悪いと思う人もいるかもしれませんが、自分は買って帰り、さばいて食べるのは可哀そうという気持ちが先に立つ。
活魚で新鮮なのはわかりますが、生きている動物を人が食べるために殺すのを見てたら、とても喉を通らない。ましてや、自分で殺すんじゃ・・・無理、無理、無理。店員さんを呼ぶ手は動かせません。
2022年7月14日木曜日
俳句の勉強 3 投句
自分一人で俳句を作り楽しむというのもありですが、やはり向上していくためには他人の評価というものも必要です。客観的に俳句の良し悪しを教えてもらい、それを次の作品に反映することは、俳句に限らずどんな趣味でも大切なポイント。
俳句の達人に教えを乞うには、いろいろな方法があります。いわゆるカルチャー教室みたいなところの俳句教室に通うというのは一番簡単。俳人が運営する句会に参加するというのもあります。ただし、これらは場所や時間の制約がありますので(ほとんど昼間に開催)、仕事をしていると敷居が高い。
俳句の雑誌などに投稿するという、一般に投句と呼ばれている方法があります。これは、自分の自由なタイミングで、少なくとも選者の方に最低限見てもらうことはできます。ただし、箸にも棒にもかからないで、ボツになって捨てられてしまうかもしれない。
その場合は、評価する値しない駄作だったとあきらめるしかありませんが、何が悪かったのかは知る由もありません。初心者としては、いきなり入選作など作れるわけも無いので、褒められることよりもダメなところを指摘されることが勉強になるというものです。
とは言え、今時はインターネットの俳句サイトはいろいろあって、テレビで有名な人気俳人の方が関与しているところにも、ネットを介して簡単に投句できるので、これを利用しない手はありません。
古網戸突き破る風水しぶき
近年の突然の集中"超"豪雨は、もう俳句で気の利いた季語となっても不思議が無いくらい「いつものこと」になってきました。先日、そのおかげで20年以上の古い網戸が、油断していたら一気に破れてしまいました。
季語は「網戸」で夏です。上中下の全部が名詞止めになっているのはどうなんでしょうか。情景として想像しやすいと思うんですけどね・・・
2022年7月13日水曜日
俳句の勉強 2 形式
何となく始めてしまいましたが、ちょっと勉強するだけでも、相当に奥深いなと。簡単に足を踏み入れて、後で後悔するやつかもしれないと思い始めました。
いろいろ突き進む前に、やはり「そもそも俳句とは何ぞや」というところを整理しておくことにします。
形式としては、5文字+7文字+5文字で全部で17文字で表す、世界一短い、他に類を見ない文学の一分野。五七五の韻律は、リズムが良く日本人的には聞きやすい。そして必ず季語と呼ばれる、特定の季節を表す自然現象や動植物、あるいは行事などを端的に表現した単語が使われます。
いわゆる話し言葉である口語体でも、古い書き言葉である文語体でも構わない。また使う文字は現代の新かな表記でも、昔の旧かな表記でも構いません。
中国の漢詩に対して和歌という呼び名がありますが、広い意味では俳句も和歌の範疇と言えますが、現在は和歌といえばほぼ短歌(五七五七七)を指します。似たような五七五で構成される川柳は、俳句と違い季語を使わずに一般に口語体で書かれるもの。俳句は「詠む」ですが、川柳は「吐く」ものです。
俳句が面白いと思うのは、17文字のパズルというところ。また、最小限の言葉を使って、読む人がどれだけその場面を映像として想像を膨らませることができるか、ということが大変に興味深い。
しかし、そのためには膨大にある季語をある程度知らなければならないし、季語ではない言葉の語彙力が必要になってきて、知的な遊びとしてはかなり高度な知識を要求されます。見たままの自然をどのように表現するのか、そしてどのように言い換えていくのか、これは相当勉強しないと難しそうです。
春の雲委ねし老母てんてんと
知人が、老人施設に入っている母親が、施設の移り先が決まったという話をしていました。
医療費抑制のために医療と介護が分離され、いわゆる老人病院が減りました。結局介護施設も長くいるほど施設の収入が無くなるため、転居を余儀なくされるという状況は同じように繰り返されていて、適切な医療から遠くなった分、高齢者には厳しい環境になったように思います。
空の雲は消えたり移動したり色々な変化をしています。施設に入っている老いた母親も、あちこちに移動せざるを得ないのは気の毒だなと思いました。
季語は「春」、あるいは「春の雲」ですが、夏だと本来は入道雲のような力強い印象を与えるので、ぽっかり浮かぶ雲が多い春を選びました。
「てんてんと」を「転々と」と漢字にしてもよかったのですが、漢字だと重たすぎるかなと思ったのと、ひらがなの方が雲との対比が生きてくるように思いました。
2022年7月12日火曜日
よだれ海老
海老じゃなくて、本来は鶏肉で作る「よだれ鶏」が普通。よだれ鶏は、四川料理の一つで正式には口水鶏(コウシェイヂイ)。口水は「よだれ」のこと。
一番の味の特徴は、いろいろな素材に応用が効く辛いタレですから、海老以外でも鱈とかメカジキとか、タレのレシピさえ覚えればよだれだらけになれます。
海老はムキエビでもいいですが、タレの主張が強いので、できるだけ大きめの方が海老の本来の味が楽しめます。軽く塩を振って臭みをとって下味をつけておきます。
海老は、10分くらいしたら、水気をキッチンペーパーでふき取り、全体に小麦粉をまぶしてごま油で炒めます。全体に軽く焼き色が付いたらOKです。
海老を焼いている間にタレを作ります。
できるだけ細かくみじん切りにしたたっぷりの長ネギに、醤油1、みりん1、酒1、ごま油1、お好みの量のラー油と一味唐辛子を入れます。ここで大事なのが花椒。無ければ山椒でも可です。これもお好みで入れてしっかり混ぜます。
辛味がポイントですから、油っぽいのが良ければラー油を多めに、単なる辛さが欲しければ唐辛子をたくさん入れます。でも、一番「よだれ」っぽいのはぴりっとくる辛さと香りなので、一番のお勧めは花椒(または山椒)をできるだけ多くするのがお勧めです。
もう、旨くていくらでもいけちゃいます。ビールが進みます。
2022年7月11日月曜日
俳句の勉強 1 まず作る
雨降らず傘をさす手は汗の玉
夏です。熱いです。強い日差しがジリジリと射してきて、黙っていても汗がにじんでくる。
最近は、男性でも日傘をさしている人をよく見かけますが、昭和のおじさんとしては雨が降っているわけでもないのに、傘をさしている光景は違和感を感じることが多い。
中にはほとんど露出するところがないくらい、帽子、マスク、手袋などで日差しをシャットアウトしている人がいますが、その方がよっぽど暑いんじゃないかと思ってしまいます。
季語は「汗」です。雨が降って濡れるわけもないのですが、直射日光を避けて傘をさしている人がいる。それでも、手元は日陰にできないので汗で濡れているように見えた・・・というところを詠んでみました。
まず、定型的な上五・中七・下五を意識しました。「玉のような汗」という表現が普通かもしれないのですが、この場合顔の汗を想像するかもしれない。「汗の玉」と逆転した方が、じんわりと手から腕が光っているような感じが出るようなきがしました。
疑問があるのは「ず」の使用。いわゆる切れ字のひとつですが、かなりマイナーみたいで、現代ではほとんど使われていないみたい。季語がダブる(季重なり)ことを避けるために、うかつの言葉が使えず、語彙力の無さにため息しかでません。
2022年7月10日日曜日
味噌を作ってみる 5 産膜酵母
手作り味噌を仕込んだので、その後の経過報告です。
1か月くらいしたところで、うっすらと白い物が出てきました。べたぁーっと広がってきたので、どうもカビっぽくない。
どうやらこれは産膜酵母(さんまくこうぼ)というものらしい。ぬか床とかにも、梅干しの表面とかにも発生する酵母菌の一種。発酵が進むと発生しやすくなるらしく、味噌づくりのプロでも、普通に見るものみたいです。
有害性は低い物の、味噌の風味に影響するので(酸味が強くなる?)取り除くことにします。アルコールで消毒したスプーンでかき取りました。ただ、全部とれたかは確認できないし、絶対に残っていると思った方が間違いない。
そこで、カビの可能性も否定できないので、一応、焼酎を大さじ1くらい袋に入れて全体になじませました(消毒のつもり)。
産膜酵母は発酵が進んだ証拠みたいなものなので、本来は出てくる前にしっかり味噌をかき混ぜることが大事のようです。
いゃ~、だんだん不安になってきた。食べれる味噌ができるのか心配です。
2022年7月9日土曜日
事件の衝撃
昨日、日本中のお昼のひと時に衝撃が走りました。安倍晋三元総理大臣が、明日の参議院選挙の応援演説の最中に銃撃されたのです。その後、おそらく賢明な救命処置が続いたことと想像しますが、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
個人的には、旧態然とした強引な政治手法と二度も政権を投げ出したことを批判的に見てきましたが、少なくとも21世紀の日本において記憶にも記録にもとどめるべき政治家であると認識しています。
いずれにしても、まさか日本で政治家を暗殺する、ましてやその手段が銃撃であったことは、驚きに値します。こんな事件が発生するなんて、誰しも微塵にも想像することはなかったと思います。
まだ、犯行の動機などは不明ですが、どんな理由にせよこのような形で人の命を奪うことは絶対に許されることではありません。強く非難されるべきことであることに、疑いの余地はありません。
先日、自分のクリニックから見渡せる駅前で、たった一人で選挙演説をしている候補者を見かけました。この時は、誰も立ち止まって耳を傾ける人がいない気の毒な泡沫候補が空回りしているくらいに思っていましたが、このような事件が起きたことを考えると、実に無防備な行為に見えてきました。
今はただ、謹んで安倍氏に哀悼の意を表すしかありません。
2022年7月8日金曜日
俳句の勉強 序2 所詮、凡人
まぁ、偉そうに、さも良い句ができた! 的な・・・
灯り消し気づくと夕焼(ゆやけ)驟雨(しゅうう)の香(か)
と意気揚々と発表しましたが、ちょっと真面目に調べただけで、やはり「凡人」の域は出ないしょうもない俳句でした。
「気づくと」は凡人が好む言葉の代表的な一つらしい。素直に「ゆうやけ」と読めばいいのに、「ゆやけ」と無理に字数を合わせてる。
さらに「驟雨」はざーっと振るというイメージで今時の集中豪雨を表現したつもりが、実は夕立ほど強くないにわか雨程度の場合を指す言葉でした。
さらにさらに、「夕焼」と「驟雨」はどちらも夏の季語で、いわゆる「季重なり」で、テクニックとして使う場合はあっても、基本的には避けることが望ましい。
上五の「灯り消し」は、まぁ残すとして、中七、下五は赤ペン入りまくるのは必至のようです。
いやぁ~、困りましたね。
それなりに考えたんですけどね。なかなか、直し方は思いつかない。
これは、ちょっと本気で勉強した方がよさそうです。
2022年7月7日木曜日
漬けボラ大葉巻き
ちょっと前に鯛めしのレシピを探していたら、宇和島風という鯛めしを発見。何と、炊き込みご飯ではなく、漬け丼なんです。
これがとっても美味しそうで、是非、試してみたくなりました。ただ、真鯛の刺身用のさくだと、けっこう値が張るので、どうしようとスーパーの鮮魚売り場をみていたら、一見鯛と似たような白身魚のさくが売られていました。
ボラです。ボラというと、昔は馴染みのある魚だったようですが、近海魚のボラは海洋汚染で臭みのある魚として敬遠されるようになったらしい。でも、今は環境に対する意識が高まり、ボラも再び食用魚として注目されているようです。
鯛なら1000円しそうな大きさが、ボラなら半分以下の値段ですし、外見も似ているのでそうそう違うことにならないだろうと、勝手に想像してチョイスしてみました。
作り方は宇和島風鯛めしの鯛をボラに替えただけ。ボラを5mm程度の厚みで斜めにスライス。これをたれに1時間ほど漬け込みます。
丼の場合は、白米の上に大葉をひいて魚を並べますが、今回はお米はなしです。漬け込んだら、一切れずつ大葉でくるんで皿に並べて完成。
ボラは臭みもなく、食感は鯛に似ていました。もちろん、鯛の独特の味はしないわけで、ボラの特徴的な味はちょっとはっきりしませんでした。それでも、卵黄を入れた漬け汁が浸みて、大葉の香りをまとって大変美味でした。
2022年7月6日水曜日
俳句の勉強 序1 夕焼け
数日前の空ですが、燃えるような夕焼けでした。
ほとんど炎のような濃いめのオレンジ色がかたまりで広がっていて、風情というよりやや不気味な感じ。
グラデーションがきれいに出れば美しい感じだったのかもしれませんが、もしかしたらもうちょっと時間がたてばそうなっていたのかも・・・
空気中の水分が多いときに発生するので、それだけ蒸し暑いということなんでしょうが、台風が接近している影響だったのかもしれません。
そこで、一句・・・
電力逼迫で節電して部屋の照明を暗くしていたら、次第に夕闇が迫って来ました。窓の外を見上げてみたら、真っ赤な夕焼け。またまた集中豪雨が発生しそうな雰囲気が匂っていました・・・的な内容を詠んでみました。
2022年7月5日火曜日
トウモロコシ
トウモロコシ・・・と言えば、夏が旬の食べ物の一つ。
夏祭りの縁日で、おじさんが炭火で焼いて、醤油をたっぷり塗ったトウモロコシ・・・なんていう、こどもの頃の思い出がよぎったりします。
めしべが枯れたのが「髭」なので、髭の本数だけ実がついているということですが、正確には、あの黄色の粒は果実ではなく種子。
茹でる、焼く、蒸すなどの調理をしますが、簡単なのは電子レンジ。ラップをしっかり巻いて、500Wで4~5分くらいチンすればOKです。自分の場合は、さらにバーナーで炙って焦がしてから屋台風に食べるのが好物。
ガブっと食らいついてもいいんですけど、端から食べ始め、隙間に前歯を差し込むようにして一つ一つの実を元から外すように食べるのが好き。うまくとっかかりができたら、横移動して、うまく1列を抜くことができれば、後は簡単です。
まぁ、どう調理しても、どういう食べ方をしても美味しいので、それぞれの好きなやり方でどうぞ。
2022年7月4日月曜日
鯛めし
鯛めしと言えば土鍋。
尾頭付きの鯛が上に乗って、たっぷりの鯛の旨味のつまった出汁が染み込んだご飯が大変美味しい。炊飯器でも作れますが、そのままテーブルに出せないので、鯛を崩してせっかくのビジュアルも下がり気味になります。
炊飯用の土鍋を手に入れたので、鯛めしを作ってみました。
ただし、2合用で大きくないので、尾頭付きをそのままというわけにはいかない。中くらいの大きさの真鯛を三枚におろして切り身を使いました。
切り身になった残ったあらも使います。それぞれに軽く塩をふってから、バーナーで表面が焦げる程度に焼きます。中まで完全に火が通る必要はありません。焼くことで臭みが減り、香ばしさが美味しさになります。
鍋に420mlの水を入れ、あらを全部入れて出汁をとります。水は米2合を炊くのに必要な量です。その間に、米をざっと洗い30分程度浸水しておきます。
出汁ができたら、土鍋炊飯器に米を入れて、塩1g程度を混ぜ合わせます。普通の土鍋の鯛めしでは、その上に鯛の大きさと同じくらいの昆布を挟みますが、それだと結局昆布は取り出さざるを得ない。
そこで、今回は切り昆布を使いました。ただ、切り昆布は味が弱いので、ちょっと隠し技ですが、昆布茶の粉末を1g程度塩と一緒に米に混ぜています。出汁を既定の量入れますが、蒸発したりして少し足りなくなっているので水を足して補います。
もったいないので、あらに残った身もできるだけ取り出して、鍋に入れて切り身を並べたら、後は電子レンジで500W・13分間、チンするだけ。15分蒸らしたら出来上がり。骨が混ざる心配もなく、切り身をしっかり食べれて、大満足の仕上がりでした。
2022年7月3日日曜日
ロースト・牛タン
低温調理の定番がロースト・ビーフなら、同じ牛ですから牛タンでもOKじゃないかと思って作ってみました。
牛タンは、スーパーで普通に売っているのはスライスしたもので、厚さは2mm程度。これは、はっきり言って、牛タンの本当の美味しさを知るにはあまりにもペラペラ過ぎる。
本気で牛タンを食べたい時は、スーパーの精肉売り場のスタッフに声をかけて「ブロックのままの牛タンありますか」と聞いてみるのが一番です。どうせ値段は一緒。スライスしてない方が、肉の新鮮さが保たれているし、自分の好みの厚さで食べることができます。
ただし、値段は高くなる。一塊で、安い時で3000円台。高いと5000円ちかくになります。わざわざ棚にない物を持ってこさせているので、やっぱり結構ですとは言いにくいのが、ちょっとギャンブル。普通冷凍されているので、半解凍して食べる分だけ切り出して、残りは軽く塩を振って再度冷凍するのはありなんですが、あくまでも自己責任です。
さて、今回は景気よく丸ごと全部を低温調理にかけようかとも思ったのですが、何しろ厚さが7~8cmはあるので、半日近く時間を費やすことになりそうですから、厚切りにスライスしたもので調理しました。
表に出ている脂肪とか筋を掃除したから、タン元の方からだいたい1.5cmくらいの厚さで食べる分だけスライスしました。先に塩をふるか、加熱後にするか悩んだんですが、先の塩をして1時間くらい寝かせた方が、全体に均等に味がついて美味しいように思います。
適量の塩とその半分くらいの砂糖をふりかけて、冷蔵庫でしばらくお休みしてもらいます。設定は58℃で105分です。肉が重ならないように真空パックをして、設定温度になったら鍋に投入します。あとは、映画を1本みていると出来上がり。表面を軽くバーナーで炙ったら皿に並べます。
おー、ロースト・牛タンだ。サクッと嚙み切れる牛タン独特の食感があり、焼肉での硬さみたいなところもありません。口の中でジューシーな味わいが広がります。残りの肉も、早めに食べたくなりました。
2022年7月2日土曜日
猛暑
梅雨明けしてから、6月としては異例の猛暑となり、連日熱帯夜が続きます。
昨日は、クリニックのある横浜市都筑区でも、お昼時にはついに37℃という気温まで上がっていました。
恐ろしいのは、パソコンに小さく表示されている体感温度。
何と、43℃となっています。感じられるほどの風もなく、照り返しなどの影響によっては、もっと高い温度になっているところもあるかもしれません。
もうこうなると、冷房は必須で、エアコンは体によくないとか言っている場合じゃありません。
電力需要の逼迫により、節電が呼びかけられていますが、エアコンだけは止めるわけにはいきません。
東日本大震災の後、電気に頼り過ぎる生活を反省させられたはずなのに、いつのまにか震災前以上に電気が周囲に溢れていることに気づかされます。
「風情」と呼ぶ余裕のあった、昭和の夏が懐かしくなるのは、年を取ったせいだけではなさそうです。
2022年7月1日金曜日
サーモンのミキュイ
サーモンを使った低温調理法によるレシピは、だいたいコンフィとミキュイが多い。
コンフィconfit は「保存する」という言葉が語源で、主として肉を油に漬けて低温加熱して調理する物。油を使うのは、そのまま固まって保存がきくようにするためで、現代では無理に油を使わなくてもいいみたい。サーモンの場合は、水に塩・砂糖を溶かしたブライニング液にしばらく浸してから加熱します。
ミキュイ micuit は、「半生(半分火が通った状態)」という意味。生の状態と違って、ほろほろと崩れるような独特の食感があり、焼き上げた硬さとも違います。やはり、低温で調理しますが、コンフィのように事前の漬け込みはありません。
とりあえず、これはミキュイ。アトランティック・サーモンに塩をかるく振っただけで、真空パックして低温調理にかけたもの。設定は、49℃で25分です。
大事なのは、殺菌できないような温度帯での調理なので、刺身で食べられる「生食用」のサーモンで、できるだけ新鮮なものを使うこと。お腹を壊したら元も子もありません。
生の透明感が無くなって、いかにも少し加熱されたような雰囲気があります。そして、身が本当に脆くなっている。ゆっくり切れる包丁で慎重に切らないと、ボロボロになってしまいそうです。ディルを上に乗せ、周りにオリーブオイルとバルサミコ酢をかけ回して完成です。
刺身とも、焼き魚とも違う微妙な食感が楽しい。味自体はサーモンに塩ですから、当然想像通りですけどね。