2014年1月31日金曜日

空っぽ

入ってびっくり、商品棚がほとんど空っぽ。売り物がぜんぜんないじゃありませんか。

ここはどこ? いつの話? って言う感じ。ここは近くのコンビニ、Fマートの一つで、しかもつい数日前の話です。

こんな光景を見た事があるなぁ、と考えたら、2011年の震災のあとのコンビニがこんな感じにだったような。食品や日用品を中心に、あっというまに売り物が無くなりましたよね。

もちろん、最近このあたりで大災害があったわけではありませんし、どうしたことかと思ったら、「改装のため1週間お休みします」と貼り紙がしてありました。

はっきり言って、コンビニの店内なんて、それほど変わりがあるわけではないし、あまり変わった配置や奇抜な商品陳列をされても喜ばれるというものではありません。

何を改装するのかなぁ、と不思議な感じがしますが、おそらく今時はやりのカフェを増築するんじゃないかと。最近は、ちょっと座って、珈琲を楽しむスペースがよくありますよね。

ただ、いれたて珈琲については、セブンの一人勝ちらしい。どうなることやら。

2014年1月30日木曜日

鶏始乳

七十二候に興味を持ったのは、去年の6月。順番に追っかけてきたわけですが、実は春夏秋冬と言うくらいで、暦の始まりは春から。

ですから、冬が最後に来るわけで、二十四節気で今の大寒は冬のとりを飾る一番最後。ですから、いよいよこのあとは春が来る。

ですから、この境目がまさに季節を分ける「節分」となるわけです。今日から、二十四節気の末候、七十二候の最後となる第72候である鶏始乳で、にわとりはじめてとやにつくなのです。

乳と書いて「とやにつく」と読むんだと。鶏が春だと思って、卵を産むということだそうですが、今時は養鶏場で毎日産んでますから、ぴんとこないですよね。

2014年1月29日水曜日

まんぼう @ 荏田

こどもが小さいうちは、よく行ったんですが・・・焼肉屋さん。

こどもが大きくなってきて、食べる量がはんぱじゃなくなったからか、あるいは外食だとアルコール抜きになってしまうのでつまらないからか・・・

いつのまにか、家でバーベキュー的な焼肉をすることが多くなりました。ただし、外で炭火でというのが美味しいのですが、夏は暑い、冬は寒い。

かといって、屋内だとホットプレートで焼く事になって、味がだいぶおちる。そのうえ、部屋中に匂いがついてしまうし、積極的にやりたくはないかも。

と、いうわけで、まんぼうです。まんぼうは田園都市線の荏田駅とあざみ野駅の間にある焼肉店ですが、横浜市青葉区界隈では一押の店。

牛角のようなチェーン店よりは高めではありますが、その分満足感もパワーアップします。定番通り、まずはたんから始めます。うーーー、たまらん。

2014年1月28日火曜日

アマリリスが見頃です MAX

アマリリスの球根から花の芽が2つ出てくる事は珍しくないのですが、たいてい成長がずれがあって、あとから出てきたほうはちょっと弱々しい。

最初のが3輪から4輪の花を咲かせるのに対して、あとのは2輪であことが普通のようです。ところが、今年は違います。けっこう同じようなスピードで成長してきました。

最初のが咲き始めたのが先々週末。4輪で、90度の角度で四方に大きな花が開きました。これだけでも、けっこう見応えがあるのですが、あとから追いかけてきた芽も蕾が4つある。

昨日、ついにそちらも開花しました。ただし4つあるうちの3つで、全部で7輪の花が、もうあちこちに向いて満開状態です。あとひとつ残っている蕾はあと数日かかりそうですが、最初の花がややしおれてきているので、今が最高潮ではないかと思います。

というわけで、見頃MAXはこの一両日でしょうか。

2014年1月27日月曜日

qu'il fait bon のタルト

キルフェボンという店のタルトは、スイーツ好きにはたまらないらしい。

タルトの専門店で、銀座、青山、恵比寿といったおしゃれに街に店があり、横浜だったら相鉄ジョイナスの中。値段もなかなかのもので、一切れがだいたい700円前後。

つまり、丸いままホールで買うとなると、5000円くらいするし、特に高いものだと12000円という、かなりの高額なものになります。

確かにイチゴを中心にしたフルーツはなかなかのもので、これだけでもかなりいいものを使っているんだろうなと思わせる。

自分を含めて甘味はあまり興味の無い人には、(値段で)ただただびっくりするだけ。好きな人は、一度は食べてみたいものらしいです。

2014年1月26日日曜日

関節リウマチのレントゲン検査

関節リウマチのレントゲンで確認できる変化は、古典的にすでに分類されており、現在でも大まかには病期を考える上で利用されています。

当然、初めはまったく変化の認めないわけですが、関節炎がある程度持続すると関節内の骨の表面の軟骨が傷んできます。そのため、レントゲン写真では写らない軟骨の厚みが減る事で、関節の隙間が狭く見えるようになります。

中年以降であれば(あるいは、よほど負担をかけて使ってきた関節の場合も)、加齢性に軟骨が磨り減ってくることは普通に起こっていますので、リウマチによるものなのか、加齢によるものなのかを厳密に判別することは難しい。

さらに進むと、関節内の増殖したに滑膜炎が骨の表面を削り始めるため、レントゲン写真では凸凹した感じが確認できるようになります。そして骨内にパンヌスと呼ばれる滑膜炎組織が入り込んでいくため、穴があいたような透けた部分が見えてきます。

これらの部分は、当然構造的に脆弱ですから、ちょっとした負担がかかったときに、卵の殻を壊すように潰れたりしやすいために、最終的に形が崩れてしまうことで変形が進行するわけです。

骨が崩れるということは、ある種の骨折みたいなもので、骨癒合しようとする働きが起こってくると関節が固まっていきます。このような状態を関節の強直(きょうちょく)と呼びますが、動かせなくなるため機能的な障害となる一方、痛みはほとんどありません。

しかし、中には崩れた骨がどんどん細かくなって癒合せずに、むしろ吸収されてしまうことがあり、この場合には関節部分でどんどん骨が無くなり不安定が強くなっていきます。機能傷害も痛みもより高度で、いわゆるムチランス型と呼ばれます。

これらの変化は、複数の関節に同時に起こっているわけですが、どこまで進んでいるかはバラバラで、軽いところもあれば、かなり進行した所も混在していることが普通です。

この時期になると、加齢性変化の場合は増殖性の変化が中心で、むしろよけいな骨の凸凹が増えていることが多かったり、関節表面がむしろ硬化してより白く見えたりするために、直感的にリウマチとは違うことが判断できます。

膝のような大きな関節では、関節単独のレントゲン変化が機能的な評価に直結しますが、手の場合は複数の関節の複合的な動きが機能につながるので、一つ一つの関節の変化よりも、変化のある関節の数のほうが問題になります。

そこで、実際の臨床の現場では、レントゲン変化の程度と、それを認める箇所をカウントして評価するという方法も利用されているわけです。

生物学的製剤が使われるようになって、またメソトレキセートの増量が可能になってからは、病気を押さえ込む事がずいぶんと可能になりました。そうすると、これらのレントゲン上の変化を見る機会は、かなり減少したと言えます。

もちろん、残念ながら治療効果がでない患者さんもいますので、忘れてはいけないことなのですが、大多数の患者さんではレントゲン検査の意義は少なくなったということは間違いありません。

今は、画像検査では、初期の滑膜炎をしかり発見する事が重視されますので、MRI検査や超音波検査の方が、より重要な情報を提供してくれると言えます。レントゲン検査は、むしろ肺などの合併症のチェックなどに便利でしょう。

時代とともに治療学を中心とした臨床リウマチ学が大きく変化した事は、診断にも大きな変化をもたらしたわけで、レントゲン検査の意義もだいぶ変化してきたということです。

2014年1月25日土曜日

水沢腹堅

水沢腹堅は、七十二候で「さわみずこおりつめる」と読む。二十四節気の大寒の次候にあたり、もう寒さここに極めりみたいな表現です。

日本の最低気温の記録は、旭川のマイナス41度だそうで、これが記録されたのは1902年1月25日。氷点下になっただけで、寒い寒いとぼやく自分には想像に絶する話です。

ヒトのたくましいのは、そんなマイナスをプラスに変える発想がいたるところにあって、旭川では「氷点下41度」というお菓子があったりするんですね。

一方、この頃は三寒四温という表現もあり、1週間単位で寒くなったり温かくなったりを繰り返す。着実に春に向かって、少しずつ陽が伸びて、温かさも増えてくるわけです。


2014年1月24日金曜日

Claudio Abbado / Beethoven Complete Symphonies

アバド氏が亡くなりました。1933年イタリアで生まれ、80歳でした。

自分の場合、クラシックをまじめに聴くようになったのはこの10年くらいですから、アバドは病気で休養することが多くなった頃で、最近の活躍が少ないのが寂しく思っていたところでした。

また、オーケストラ物があまり得意ではないので、積極的に聴かなかったというのもあり、アバドの本当の実績はよく知らないというのが正直なところではあります。

しかし、世界の名立たる指揮者の中で、頂点にいる一人と言う認識をしていたのは、やはりベルリン・フィルハーモニーの芸術監督に就任したからです。

現在の世界のオーケストラの中で、ベルリンフィルは間違いなく最高の評価を得ている楽団であり、指揮者を目指す人は、いつかベルリンフィルを振ってみたいと夢を描く。

1980年代まで、フルトヴェングラーとカラヤンによって作り上げられた、モダン楽器による超重量級の分厚い音は、ベルリンティル以外には出せない迫力です。

神に近いカラヤンが亡くなった後、誰がベルリンフィルを継ぐのかというのは、当時クラシックをあまり聴いていなかった自分にも気になるところでした。ですから、カラヤンの次はアバドとなって、自分の中でも大きく認識されたわけです。

アバドのあとに就任した、現音楽監督のラトルは(ぐしゃぐしゃの頭もあって)どうも小物と感じてしまうのは自分の知識不足かもしれませんが、「カラヤンでなければアバド」という自分の評価は今後も続く事でしょう。

合掌

2014年1月23日木曜日

身体障害者

身体障害者福祉法というのは、おそらく元々傷痍軍人の方を救済する目的が大きかったんだろうと思います。

自分がこどもの頃、まぁ昭和40年代には、渋谷駅のガード下あたりに、軍の帽子をかぶり白い服を着た物乞いの人を見かけたものです。戦争で四肢を無くした方などが、戦後も生活に困窮していたのでしょうか。

整形外科では、肢帯不自由という身体障害を認定するための診断書を書く事が多いのですが、傷痍軍人の方のように腕が無い、足が無いというような「全廃」という状態が最も重度の障害と認定されます。

昔、不思議だったのは、人工関節置換術をした場合。たいてい、壊れた骨を切除して代替となる人工の関節を挿入するわけです。そうすると、関節切除することで関節機能は全廃したという扱いになったんです。

ということは、人工関節の手術をした方は、もうそれだけで一番高い1級の東急が取得できる。医療費については100%減免されたりするわけです。

ところが、基本的に術前よりも痛みが無くしっかり歩けていて、術後の状態は大幅に改善している。手術するんですから、そうなるのが当たり前のことではあるわけです。

何とも納得できないところがあったわけですが、その後見直されて等級はある程度下げられましたが、それでも理想的な手術の結果からすると「障害というのはどうなの?」という感じは残っていました。

1998年、和歌山カレー事件があって、一連の疑惑に身体障害者に関する詐欺も含まれていたことが明るみに出てからは、認定に対してはかなり厳しくなりましたが、根本的な認定条件は代わったわけではありません。

最近、この辺をきっちり見直すということが検討されていたようで、今年の春からは術後の状況に見合った等級で認定するということになったという知らせがありました。

場合によっては、身体障害者と認定されても実質的なメリットはほとんど無いということもありうることになります。もっとも、現実の障害から考えれば当たり前と言ってしまえばそれまでのことですが、こういうところにも医療費を減らそうという政策があるんでしょう。

2014年1月22日水曜日

アマリリスが見頃です

毎年欠かさず、患者さんからアマリリスの球根を11月頃にいただきます。昨年も11月下旬にいただき、せっせと水遣りをしていました。

今週、ついに4輪の花が満開になりました。まさに今が見頃ということになります。今回の球根は花が咲く芽が2つ出てきていて、成長の差が少ないので、今の花がもてば来週全部開花という凄い光景が見れるかも。

今年の花は真っ白ですが、花びらは赤く縁取りされていて、ちょっとおしゃれ。花が大きいし、開花している時間が長いので、大変見ごたえがあります。

こうして、毎年楽しませていただいて、本当にありがとうございます。

2014年1月21日火曜日

日本食材百科事典

ふだん、自分が食べているものって・・・いつが旬なのか、テレビのバラエティでもとりあげられますが、気になりますよね。

冷凍技術が進んだり、世界が狭くなったせいか、食べ物の季節感が少なくなりましたが、やはり自然の中にある食材は、一番美味しい時期に食べたいと思うものです。

ところが、意外とその旬がわからない。というか、知らないんです。今まで半世紀以上も、何を考えて食べてきたんだか。

そんなときに、ちょっと便利な本がこれ。講談社から出ていて、文庫サイズなのですが、オールカラーの図鑑形式。その分、値段はちょっと高い。アマゾンの古本なら300円台であります。

野菜、魚、肉など食材の種類別に、ポイントをおさえた整理された内容が重くなくていい。何より、写真が豊富できれい。それを見ているだけでも楽しくなります。

2014年1月20日月曜日

欸冬華

四季は冬、二十四節気では今日から大寒。小寒よりももっと寒い感じで、冬の寒さもいよいよピークと言う感じですが、ここさえ乗り越えれば春が来るという希望もちらほらと現れます。

大寒の初候、七十二候では欸冬華となり、ふきのはなさくと読みます。欸冬(かんとう)というのが蕗(ふき)のことだそうで、当然いよいよ花が咲くという意味。

蕗は食材としては、日本人には馴染みがあるものの一つですが。花が咲く前、蕾の状態がふきのとうで、こっちの方がより知られている感じもありますね。

何にしても、寒さが身にしみる頃ですので、体調管理には万全を期したいものです。

2014年1月19日日曜日

クラシック音楽の聴き方 2014

どうも人間も半世紀以上生きていると、物忘れとかいろいろぼけたことが増えてくるもので、昨日は「これだ」と思って書いたブログが、実は前にも書いていて完全にかぶっていました。

でも、考えてみると、あまり新しいことには手を出さない・・・というか、手が出なくなってくるので、音楽だって、若い頃に好きだった音楽を繰り返し聞いていれば事足りてしまうことが多いのです。

実際、それほど音楽に没頭している時間なんてそうそうありませんから、ジャズだったらマイルス・デイビスとビル・エバンス、ロックだってクラプトン、ツェッペリン、ジェフ・ベックの三大ギタリストで十分すぎる。

クラシックは、さすがに歴史が長いですから、掘り下げていくとずいぶんといろいろと出てくるものですが、それでも最近は一頃よりは購入ペースは落ちました。

変わって最近は、映画を再確認することが増えたのですが、それでも過去の名作やお気に入りが中心で、なかなか新作にまで手がまわらない。だいいち、2時間じっとしているというのが、なかなか難しい。

 クラシック音楽は、これまでにも何度か「どのように聴くか」というテーマで書いたことがあるの。作曲家別というのが一般的ですが、基本的に古典派中心で一部ロマン派くらいが守備範囲なので、500年くらいある歴史の中の100年分くらいしか聴かない。

次には編曲ものに手を出して、作曲家自ら、あるいは他人が編成を変えて書き直したものなどをせっせと聴いてみた。オリジナルでは気がつかなかったいろいろなところがわかったりして面白いのですが、それほどたくさんないのですぐ行き詰まる。

去年は、作曲家を離れて、一人一人の演奏家に注目してみました。特に力を入れて聴きまくったのは、ピアノのアルゲリッチ、指揮者のガーディナー、バイオリンのイヴラギノヴァ、クラリネットのS.マイヤーといったところ。

繰り返しですが、どうしても声楽と大編成オーケストラが苦手なのは、いまだに克服できていない。ピアノ、弦楽器の独奏か、室内楽が中心になるので、ちょっと深入りしてもすぐに行き詰まってしまうのです。

新譜をチェックしていても、そうそう自分の好みに合うものが次から次へと登場するわけではないので、さぁ次はどうしようと悩んでしまうことがしばしば。

とりあえず、ピアノのポリーニのコレクションは次の目標で買ってみたのですが、まだあけていません。作曲家では、なんとかブラームスを制覇したい思っているものの、あの重みのある曲想がけっこう関門になっています。

作曲家をx軸、演奏家をy軸とした2次元的な聴き方は、自分の守備範囲のクラシックでは、ほぼ飽和しているのですが、最近もう一つ、z軸を加えて3次元的鑑賞法というがあることに気がつきました。

まぁ、そんなにすごい発見をしたわけではないので、何だそんなことかと言われてしまいそうですが、一つの曲を演奏しているのは一人の音楽家だけではないということです。

以前から、コレクションが増えてきて、例えばベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集だけでも20種類以上ある。そうすると、演奏者ごとに聴いてみて、その違いというのを楽しんだりするという聴き方ができるわけです。ですから、実は意識しないでも、以前からそういう聴き方はしているわけです。

たいていの曲では、一つお気に入りの演奏が見つかると、あまり他の演奏家のものは聴かなくなるんですが、なんだかんだとCDが増えてくると、いつの間にかあちこちに同じ曲が入っていて、ちょっと探してみると数種類の演奏を見つけられる。

もともと、楽譜通りに演奏しているわけですから、それほど違いがあるとは思っていなかったのですが、実はその楽譜の解釈の仕方によって、ずいぶんと演奏の色が変わってくるものなのです。編曲ものも、こういう聴き方の発展形みたいなものですかね。

まぁ、そんなわけで今年はxyzの三次元鑑賞法を中心にクラシック音楽を楽しんでみようと思っていたりするのでした。

2014年1月18日土曜日

Earth Wind & Fire - Raise!

地・風・炎・・・風林火山みたいな並びですが、西洋魔術的な、しかも黒魔術的な連想をしたくなるバンド名。

最初は、ロックとジャズが融合したようなブラス・ロックの一つみたいな感じで、ブラッド・スエット&ティアーズ、とかシカゴ、チェイスとかの白人バンドに対向する、黒人バンドとして人気を獲得しました。

ただ、黒人側としては、すでにスライ&ファミリー・ストーンズという強力なバンドが存在していて、二番煎じ的な感が否めませんでしたが、当時若者の遊び場として定着したディスコで踊れる音楽向けの方向性をはっきりさせてからは、飛ぶ鳥を落とす勢いとなります。

数多くのヒット曲を連発して、アルバムも驚異的なセールス。ただポップなだけでなく、最初から持っていた音楽性も確実に盛り込んでいたため、ダンスと関係なく音楽としても十分に聴き応えがありました。

そして、このバンドの傑作の頂点に立つのがこのアルバムでしょう。レコード盤をプレイヤーのターンテーブルに置き、針を落とす。一瞬の間があって、いきなりでてくるシンセベースの地響き一発で、もうEW&Fワールド。

ちょうど大学に通っていた頃でしたが、こういう「かっこいい」音楽は最高にのりのりになれるベストだったわけです。また、アーティスティックなジャケットも、部屋に置いて実にさまになったものです。

しかし、EW&Fはこのアルバムのあと、急速に失速してしまいました。時代の頂点を極め、実質的に燃え尽きた感ということでしょうか。

2014年1月17日金曜日

初診料値上げ

厚生労働省は14日、今年4月の消費税増税に伴う医療機関の負担緩和策として、医療機関に支払われる初診料を現在の2700円から120円、再診料を690円から30円、それぞれ引き上げる方針を固めた(~讀賣新聞)。

・・・というのが、数日前のニュース。 今年は2年ごとに行われている診療報酬改定の年。毎回、上げるの下げるのといろいろ話が飛び交うのですが、小泉改革後は基本的には実質的な値上げはありませんでした。

値上がるのも、社会的に問題になった救急医療、小児医療、そして介護関係の部分が中心で、一般の患者さんや一般の診療所にとっては、あまり大きな変化というほどのものはなく、実際うちのクリニックでも値上がったという実感はありません。

初診料が2820円(3割負担で846円)、再診料が720円(3割負担で216円)になるというのは、すべての患者さんとすべての医療機関に関係することで、実施される場合は開業して8年を超えたうちのクリニックでは、初めて値上げらしい値上げになるかもしれません。

これは消費税増税対策の一つとされていますが、保険医療では医療にかかった消費税を「最終消費者」と言える患者さんに転化できないので、医療機関にとっては消費税増税はばかにできない問題です。

ただ、もっと大きな枠で考えると、消費税を上げてその分をいろいろな方法で補填するというのは医療に限らない話で、結局プラスマイナスゼロみたいなところがあります。

取れるところから取って、特定のところは助けるという感じがあって、税の公平性という観点からは多少疑問を感じるところ。単純に税を一本化して、その中で必要なところにたくさん使うという単純な話にはならないのでしょうか。

このあたりに縦割り行政の歪というのが、まったく是正される事なくいまだに続いているということを実感します。アベノミクスとか言って政府と一部の大企業ははしゃいでいますが、一般市民にとっては、「アベのみクスっと笑っている」だけかもしれません。

2014年1月16日木曜日

タイヤチェーン

先週末から水曜日は雪という天気予報が出ていて、それに向かってテレビなどでも、「あれに注意、これに注意」と盛り上げてくれました・・・が、結局横浜では雪は降らず。

ほっとしたような、ても少しがっかりしたような気分。とは言っても、雪が降って雪だるまを作ったり、雪合戦をして遊んだりしたかったわけではありません。

今シーズンは、車のタイヤをスタッドレスに交換してあるんです。まぁ、週末のたびにスキー場に行くわけでもないし、横浜あたりでは年に2回程度の雪ですから、今まではチェーンだけで対応してきました。

昔は、ギャジアップして鎖のタイヤチェーンを必死につけたこともありますが、今時はそんな面倒な事をしなくても、簡単に着脱ができるプラスチックタイプが一般的。

チェーンも、今ではスプレーするだけとか、布をかぶせるだけとか、より簡単なものもいろいろと出てきていますが、確実性からはちょっと不安。

本当に凍結した滑り安いときは、チェーンの方が効果的で安全です。チェーンが2万円、車は5年間乗るとすると、1回の雪にかかる費用は2000円。

けっこう高いと思いますが、タイヤを丸ごと交換するとそんな値段ではすみません。ノーマルタイヤ4本で4万円、スタッドレス4本で8万円としましょう。1回の雪で8000円はかかることになります。

ただ、スタッドレスを3ヶ月使用すると、その分ノーマルの寿命(およそ5年間)が伸びます。ノーマルを使い続けると、1ヶ月あたり667円。スタッドレス併用だとさらに15ヶ月使えて、1ヶ月あたり533円になる。

でも、結局車を5年で変えるなら、ノーマルを使う期間が15ヶ月減るわけですから、ノーマルタイヤの費用は1ヶ月あたり889円。そもそも、スタッドレスは1ヶ月あたり5333円。

こんなことを考えても、あまり意味は無い事はわかっているんですが、何にしても雪が降るということは、首都圏に住んでいれば個人レベルでも経済的損失がかなりあるということです。

いずれにしても、安全はお金では買えないと考えるしかないわけで、いざという時はスタッドレスで安全、そしてチェーンの用意もあれば安心。まぁ、雪が降ったら家から出ないというのが一番なんですけどね。

2014年1月15日水曜日

雉始鳴

雉始鳴は、きじはじめてなく。

二十四節気の小寒の末候、冬の寒さが本格的になり始めているわけですが、キジが鳴き声が聞こえるのもこの頃からという意味。

じゃあ、なんでキジが鳴くのかというと、春に向かっての求愛行動というわけで、七十二候では冬の厳しさよりも、春を待つ希望みたいなものを表現したかったんでしょうか。

でも「雉も鳴かずば撃たれまい」と言うくらいですから、よほど目立つ鳴き声なんでしょうかね。「雉狩り」というのはも古来よく行われていたことで、狩猟の時期を告げる意味も含まれているのかも。

日本では国鳥に選定されていて、放鳥なども行われていたりして、ポピラーな鳥のはずですが、いっこうに見た事はない。山に入って森の中をウロウロすればけっこう遭遇するのかもしれません。

なにしろ、飛ぶのが苦手で、地面を走るほうが多いらしいので、空を見ていても見つからないんでしょう。

2014年1月14日火曜日

関節リウマチの病型

関節リウマチ治療は、21世紀になって劇的に変貌を遂げて、時には治ったに近い状態 - つまり寛解と呼ばれる状態に達する患者さんが増えました。早期発見と早期の治療介入が一般的となり、かつての病型分類はだいぶ様相が変化しました。

従来の病型分類は、①良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、少しずつ変形が加わっていく、②治療に反応がよく、症状は最初だけ、③治療に抵抗性でどんどん悪化して、重度の変形に陥る(ムチランス型と呼ばれます)の3つです。

20世紀までの治療の中では、圧倒的に多いのが①で、②はほとんどいませんでした。ところが、最近は半分近い方は②の経過が期待できるのです。①の場合も少しずつ悪くなると言っても、そのスピードはかなり遅くなった。

③のムチランス型の方は、かなり少なくなったと言えますが、それでも現在の治療薬でもどうにも反応しない患者さんは存在します。

このような病気の勢いの変化は、あくまでも生物学的製剤と呼ばれる高額な治療薬の使用(それも変形が出ていないうちからの使用)を前提としていることを忘れてはいけません。現実には、経済的な理由で従来の治療法を選択する場合も少なくないのです。

また、生物学的製剤は特効薬、あるいは魔法の薬ではなく、使用していても少しずつ悪くなる①のようなタイプは少なからずありますし、激減したとはいえ③もある。副作用や合併症の関係で、使用できない患者さんもいるわけです。

②や軽症化した①が大多数を占めるようになって、外科的治療の介入の必要性は激減しました。つまり、純粋な整形外科医がリウマチ診療に関わる頻度は激減したと言えます。昔は一般内科医と一般整形外科医が協力して診療に当たるというのが普通でしたが、現代リウマチ診療は、両方の知識を併せ持つリウマチ専門医の必要性が増しました。

とは言っても、いざとなると外科的治療も考慮せざるをえない状況は無くなったわけではないので、整形外科的な知識をどのように活用していくかは、リウマチ専門医の課題としてずっと残る問題です。

体重が絶えずのっていて、動かして使用する膝関節や股関節のすり減り、足部の扁平足や外反母趾、そして手指の腱断裂といった問題は、初期の治療介入が遅かった場合や治療期間が長くなれば、今でも珍しくない問題です。

最先端の薬物治療を駆使して、リウマチそのものの病気の勢い - つまり炎症を抑制できたとしても、一度生じた変形が見た目にわかるほどに治るわけではありません。また一度質が悪くなった骨は、時間とともに少しずつ変形を増して行くのです。

これらに対しては再生医療の進歩に期待するしかないのですが、iPS細胞の登場により一つの道筋が見え始めているわけです。ただし実用化するには、まだまだ時間がたくさん必要な事なので、それまでは少なくなって忘れがちになっている外科的治療の知識をどのように継続させるかということもリウマチ医の課題の一つだろうと思います。

2014年1月13日月曜日

成人の日

成人の日ということで、若者が20歳となった事をお祝いするわけで、我が家でもこどもを成人式に送り出しました。これで、うちは全員が成人ということで、まぁ親としての仕事の一部が終了した・・・と思いたいところです。

最近の若者は・・・みたいな話しと言うのは、よくあちこちで聞くことですが、特に最近言われているのは、ゆとり世代とかさとり世代とかで、バブル崩壊後の不景気しか知らず、高望みしない、活気の少ない若者が多いみたいなこと。

まぁ、おそらく自分たちの上の世代、つまり団塊の世代と呼ばれた方々からすれば、物足りない感はだいぶあるのかもしれませんが、世の中の価値観というものは絶えず変わっていくものですから、それはしょうがないところ。

いつの時代でも、年上からは「今の若者は・・・」とか、「自分の頃には・・・」などということは言われ続けているわけで、若者は「年寄りにはわかるわけがない」というのは巡り巡っていくものです。

現在の若者が数十年すると、「最近の若い奴は・・・」と言っているだろうことは容易に想像できる。ただ、戦後の高度経済成長のような、がむしゃらに死に物狂いで何でもやるみたいな、いわゆるハングリー精神というものの質はどんどん変わっているのでしょうけど。

高齢化社会となって、ご意見番みたいな年上のものがどんどん増えれば、ますます若者は萎縮する傾向が出てるかもしれません。それでも、社会を構築していくことに前向きな方向性というものは必ずあって、それほど悲観的に考える必要はないと思っています。

ただ、最近耳にした「ブラック企業」という言葉だけはちょっと気になりました。少なくとも自分のやっている医療という仕事の枠では、相手は人間で、病気やケガは9時から5時の中だけで解決するわけではありません。

医療関係では、特に医師の場合は勤務時間はあって無いようなもの。医者を目指そうという若者は、最初から「ブラック」であることを承知しておいてもらいたいものだと思います。

2014年1月12日日曜日

ヒッチコックを読む

サスペンス映画の神様として君臨し、1980年4月29日に亡くなりました。この年は、山口百恵が引退した年(あまり関係ないけど・・・)。それから、34年。最近は、テレビの映画枠でも放映される事もなく、若い人には「誰?」という感じかもしれません。

自分にとっては、「鳥」をはじめとして、スリルとサスペンス、怖くてどぎどきさせてくるのヒッチコックの映画は、小学生の頃から親しんだもので、亡くなった時は残念に思ったものです。

当時、好きだった文筆家のひとりの植草甚一さんが、 ヒッチコックが大好きでいくつかのエッセイを出していたので、その影響も随分とあったと思います。植草さんは1979年に亡くなり、こちらもたいへんがっかりしました。

さて、ちょうどヒッチコックが亡くなったすぐあとの7月に発売されたのが、フィルムアート社から出版された「ヒッチコックを読む」と題された本。これはテーマにそって映画を紹介し、関連するエッセイを収録した Book Cinematheque というシリーズの一冊。

当然、出版の準備は1年くらい前には始まっているんでしょうが、まさに追悼出版という感じになったわけです。うちにあるのは、その初版本で、摺れ、しみ、ページ折れなど、もう見る影もないくらいに痛んだ状態ですが、何度も何度も繰り返し、ページを開いた証みたいなもの。

今でこそ、ヒッチコックの映画をすべて紹介する本はいくらでもありますが、自分にとってはベストな一冊として欠かす事ができないものです。今でも、普通に売られていて、自分だけでなく多くの人に支持されているということでしょう。

1980年というと、まだまだビデオもほとんど無かった頃。実際に見たくても、そのほとんどが幻の作品だったんです。この本では、各作品を数ページで紹介し、作品にまつわるトリビアも満載。見ていなくても見た気分にさせてくれる、立体的な編集が素晴らしい。

今は主要作品はBluray、大半はDVD、ごくわずかに残ったものもネットでの視聴が可能となりました。それでも、ヒッチコックがトリフォーと対談した「映画術」とともに無くてはならないファン必携の一冊である価値は減じる事はありません。

よしっ!! 決めた。今年は、この本を片手に、ヒッチコック作品をすべて見直すぞ!!

2014年1月11日土曜日

スノボ > スキー

人気のスノーボードですが・・・いゃぁ~、おじさんはまったく未経験で、これからもおそらくすることはないと思うんですが・・・

何しろ、もともとこどもの頃にはスキーに数回行っただけ。大人になって、まさに「私をスキーに連れてって」 世代のはずが、その頃は研修医生活。

まぁ、ほぼ休みも無く、一日中病院にいるみたいな生活ですから、あらゆる流行からシャットダウンされた世界で、スキーに行くなんてとんでもない。

その後、仕事として学生のスキー実習の付き添いに行った事があるものの、基本的には宿舎で待っているわけで、いまさら颯爽と滑れるわけも無く、おとなしくしているだけでした。

こどもをスキーに連れて行ったこともあるのですが、まぁ自分の親と一緒で数回程度。その頃からスキーは人気が衰退。スノーボードはその頃から、だんだんとのし上がってきた感じでしょうか。

スキーは、ブーツがしっかりしているので足首よりも膝に負担をかけることが多く、膝の靭帯損傷のケガが多い。これは足を開いたり閉じたりできるので、膝に角度が付きやすいということも関係あるんでしょう。

スノボは足をそろえてボードに載っていて、倒れるときに膝への負担は少ないんでしょうか、どちらかというと足首のケガのほうが多いように思います。

安全を考えると、全身プロテクターがお勧めですが、それでは自由がきかない。スノーボーダーは、スキーより大きな動きを求める印象があるんですが、危険な事をしないことが大切・・・って、それじゃ、つまらないんでしょうね。

とにかく、ケガの多いスポーツですから、無茶をせず十分に注意して楽しんでもらえれば、おじさんは何も言う事はありません。

2014年1月10日金曜日

水泉動

七十二候では、今日から水泉動だそうで、しみずあたたかをふくむと読みます。

でも、どんなに寒くても地中では、少しずつ春への準備が始まっているということらしい。凍っていた湖面の下で水が動き出すという様子を言ったもの。

なんか、一番寒い頃に向かっているのに、清水温かさを含むというのはピンとこない。実際、北から今季最大の寒波が降りてきているという話ですからなおさらのことです。

朝は路面が凍結したりしますので、転倒しないように注意してください。車もスリップしやすいので、スピードの出しすぎは禁物。

スーパーでは、正月関連のものはさっさと撤去され、早くも恵方巻きを売る事に力を入れています。それどころか、すでにバレンタイン商戦も始まっていて、確かに世間は春に向かっているのも確かな事ですけどね。

2014年1月9日木曜日

夢の実現

新年も1週間すぎると、さすがにいつまでも正月気分ではいられない。新しい年はもう、始まっていて、いつもの日常に戻りました。

それにしても、サッカーの本田圭祐・・・いゃあ~、かっこいいですね。小学生のときの作文で、ACミランに加入して10番を背負いたいと書いた事を実現しました。加入の記者会見の様子は、日本にも生中継という異例の扱い。堂々とした英語での受け答えも立派。

本田は以前から「ビッグマウス」と呼ばれ、やたらと威勢のいいことを口にすると言われてきました。何かのインタヴューで自ら答えていましたが、最初は願望を口にして、自分や周囲を鼓舞するという意味があったそうです。

でも、最近は「優勝する」というのも、現実的な目標として口にできるようになってきたと発言していました。それは、本田だけでなくチームの成長が確実にあるということでしょうね。

声に出して、公表する事で、自分を追い込むタイプということでしょうか。頭の中だけで思っていることは、いくらでも変更可能で、無理と思ったら引っ込める事もできる。しかし、それでは厳しい事に立ち向かう場合、簡単にあきらめられることになります。

もちろん、口にしなくても、黙々と物事に立ち向かえる人もいるわけで、どちらの方がいいということはない。結局、結果がすべて。その過程も大事ではありますが、他人が評価できるのは結果。結果を出してくるごとに、本田に対しての「ビッグマウス」は褒め言葉になってきました。

自分の願望を口にする、声に出して言うということは大事ですね。最初からできっこないと思っていたら、それが実現することは難しい。夢を叶えるということは、そういうことなのかもしれません。

2014年1月8日水曜日

バルカン超特急 (1938)

ふだん、まとまって2時間テレビの前にいることがなく、もちろん映画館に行くこともない、中途半端な映画ファンにとって、年末年始でまとまって休みがあるときは、まとめて気になっていた映画を見るチャンスなのです。

そんなわけで、去年とかは黒澤明監督作品を集中的に見たりしていたのですが、いくら普段よりも時間があるとは言っても、見れる本数には限りがある。なかなか、全部を楽しむわけにはいかないものです。

今年はサスペンスというテーマでいろいろ見たのですが、結局この手の映画ではヒッチコックに原点回帰するしかなく、昔を懐かしむただのおじさんになってしまう自分を発見する毎日なのでした。

ヒッチコック作品は、1920年代から1970年代まで、全部で50本ほどあるわけですが、当然一番古いのは無声映画であり、戦前のものはいかにも古い映画という感じで、作品としては重要といわれていてもなかなか手を出しにくい。

本当は、ヒッチコック自ら作品を語る「映画術」の本を片手に、最初から順番にすべてを見る事ができると楽しいのですが、どうしても円熟の戦後のカラー作品群に目がいきがち。ブルーレイで出ているものも、新しいものだけに限られます。

ただし、多少の低画質にがまんさえすれば、DVDでほとんど作品が揃うというのは、ファンにとっては嬉しいところ。特に古いもので、著作権の消滅したものについては、中には10作品で2000円弱という激安ボックスもあったりします。

そこで、戦前のイギリス時代の代表作を一つと考えると、「暗殺者の家」か「バルカン超特急」のどちらかというところかなと。「暗殺者の家」は、自ら「知り過ぎた男」として後年リメイクしているので、ヒッチコックはもっといいものが撮れると考えていたわけで、ここでは「バルカン超特急」を選びたいと思います。

「バルカン超特急」は、原題は''The Lady Vanished''で、そのまま訳すと「婦人が消えた」というところ。1979年にリメイクされていて、2013年にもイギリスでTVドラマが作られていたりします。邦題に超という文字が入っているのは、新幹線を意識してのことでしょうか。

内容はまさに原題のとおりで、列車の中で乗っていたはずの婦人が忽然と姿を消すというミステリー。主人公の女性が、確かに会話をしたはずなのに、列車に乗っているすべての人が、そんな婦人は見ていないと証言するのです。

列車は密室のバリエーションで、そこから生まれてくるサスペンスに、ロマンスやアクションなどがてんこ盛りになって、90分間見てるものを飽きさせません。ヒッチコックの得意とする映画作りが、一番最初に見事に成功をおさめた作品ではないでしょうか。

リメイクに限らず、その後この手の作品は山ほど登場していますので、今となっては古めかしさを感じるのはしかたがありません。それでも、十分に楽しめる作品であることは間違いなく、一生に一度はみるべき映画の一つに数えたいと思います。

☆☆☆☆

2014年1月7日火曜日

図書館戦争 (2013)

元々は小説が原作で、架空の法律に縛られる現代日本が舞台。言ってみれば、いわゆるパラレルワールドを描いた話。実写化した映画版を監督したのは佐藤信介で、今時珍しくテレビ出身ではなく、最近では「GANTZ」の監督で有名になりました。

この映画に入り込めるかどうかは、最初の関門として、このストーリーの根底にある設定を理解できるかにかかっています。小説をじっくりと読むのと違って、約2時間の映画の中で、この部分を理解できなければ、ほぼ荒唐無稽なアクション映画の域を脱することができません。

1988年に、悪質なメディアを規制するためにメディア規正法という法律が可決されます。検閲と言う名の下に、本を代表とするさまざまなメディアが監視され、排除されます。監視をするメディア良化隊は武装し、どんどん強権を発動するのです。

図書館は、メディア規制に反対し、図書隊を組織して対抗するようになります。図書隊は本の収集の目的で、規制対象となった図書も買い取ることができ、図書館内ではあらゆる図書を収集し閲覧の提供を続けるのです。

図書隊も武装して、メディア良化隊に対抗するのですが、図書隊は専守防衛が目的で、武器の使用は原則として図書館の敷地内のみで、殺傷しないことを基本としている。対するメディア良化隊は、目的のためには手段は選ばず、相手を武器によって死ぬこともいとわない。

・・・まぁ、何と言うか、日本のナチス化という発想なんでしょうか。昨年のドタバタの特定秘密法案の問題などを目の当たりにすると、あながちありえない話ではないのかもしれません。また、総理大臣をはじめとする閣僚たちの靖国神社参拝なども、この物語が出てきた下地にあるのかもしれません。

映画では最初の30分間程度までが、この状況と登場人物の説明に費やされるわけですが、こればかりはしかたがない。法律の導入については、多少文字説明を使用し、あとは主人公が図書隊に入隊する過程を使って、比較的だらけずに見せていました。


主人公(榮倉奈々)の成長の物語としてみれば、下手な恋愛ドラマ的な要素はかなり排除されていて、うまくできているように思います。教官の岡田准一のアクションも、相変わらず切れがよく、かっこいい。ただし、全体での戦闘場面のチープさは邦画の限界かもしれません。

観終わって、自分としてはいろいろな大義名分を提示されても、どうも納得いかない。ほぼ完全に軍隊といってよい状態が図書を守る・・・つまり、それは思想・表現の自由を守ることらしいのですが、武力で守るようなことが正当化されていいものか。

一 般人はこのことに無関心であるといわんばかりの表現がでてくるのですが、その無関心を関心に変えていくことが本来必要なことなのではないかと思います。映 画の中では、その役目をしているのは外部の記者の人。彼らですら、最後には「どうせ、すぐ忘れる。だから書き続ける」と・・・

映画と言う枠組みの中では、それだけのことでも考えることができるような作りだったので、及第点を挙げたいところなのですが、やはの基本的な設定に共感しかねるというところでしょうか。

☆☆☆

2014年1月6日月曜日

殺しのドレス (1980)

もしも、世の中に果物がりんごとみかんしかなかったら、わざわざ名前で呼ぶ必要はなく、こっちとそっちだけで事足りてしまいます。そこにイチゴが加わっても、あっちが増えるだけ。

ところが、さらにキウイとか、バナナとか、パイナップル、柿にびわ、ぶどうやらすいかにメロン等々と増えてくると、代名詞だけでは無理になってくるわけで、ちゃんとした名詞が必要。それぞれに固有の名前をつけて呼ぶ必要が出てくる。

じゃあ、キャベツはどうなのというと、甘くないし、どうも今までのものとは何かが違う。そこで、それまでのものは果実という集合名詞で呼んで、キャベツは野菜として分類しようということになるわけです。

つまり、特徴が似ているものを整理していく手法が分類であって、知識量が増えてくると物事を分類しないと頭に入ってこないのです。ただ、分類する根拠については、主観的なところがあって、人によって微妙に異なる場合があってやっかいな時がある。

でもって、本題なんですが・・・小説とか映画とかでよく使うサスペンスという言葉なんですが、これが実に難しいと思うんですよね。サスペンスとは何ぞや。何となく使っていますが、実際のところきちんと定義することはできるのか。

スリルとサスペンスというように、使う場合があります。スリルは比較的簡単。スリルとは、ドキドキハラハラするような心理状態のこと。笑いから来てもいいし、恐怖から生まれてもいい。でもスリラーという場合には、怖がらせるものに限定して使われている。

サスペンスは、ズボンのサスペンダーに由来して、人の気持ちを宙吊りの不安定な状態にするようなものということらしい。となると、何らかの不安を抱かせて観客の緊張を生み出すことが必要不可欠ということで、主としてその手段は犯罪が中心になってくる。

通常は、誰が犯人なのかわからないというような、じわじわと不安感をあおり続けるような状況が多い。ところが、突然襲ってくる不安の場合にはサスペンスとは呼ばず、どちらかというとホラーとなり、そこに血が飛び散るとスプラッターでしょうか。

ヒッチコックがサスペンス映画の神様と呼ばれる所以は、まさにそういう観客の不安感をうまくコントロールする映画を作ったからで、 演出・脚本・撮影のいずれにもいろいろな意図が隠されていたことは、「映画術(トリフォーとの対談)」の中で明かされています。

特に「鳥(1964)」では、何度も鳥が人を襲うのですが、そのパターンはすべて異なり、サスペンスの教科書のような存在です。何故鳥が襲ってくるのか最後まで提示されない状況が、観ている側に持続的な不安を抱き、ところどころで実際の襲撃を直接的・間接的に見せることで予想できないショックを与えるのです。

今の映画の作り手が、映画を作ろうとしたら、特にそれがサスペンスならなおさらのことヒッチコックの影響なしということはまずありえない。どこかで何らかのひっかかりはあって当然でしょう。特に1980年に亡くなった直後には、ヒッチコックへのオマージュとして、直接的なヒッチコック風の映画が数多く作られました。

もちろん全部観たわけではないのですが、少なくとも何本かのなかかで印象に残っているのが「殺しのドレス」です。監督はブライアン・デ・パルマ。70年代に「キャリー(最近リメイクされました)」で一躍有名になったヒッチコックの影響が色濃く出ている監督の一人です。

この映画では、明らかにヒッチコックの「サイコ」を強く意識した作りになっていて、日本ではその直前にTVシリーズの「女刑事ペパー」で人気になっていたアンジー・ディキンソンのシャワー・シーンが冒頭にあり、いきなり襲われる(幻想)からスタート。

美術館のシーンもいかにもヒッチコック的。そして主役と思っていたディキンソンが、エレベータ内でのナイフで殺されるところも「サイコ」全開です。そしてエンディングではナンシー・アレンのシャワー・シーンで再び・・・

じわじわと長回しで主観的に迫っていく撮影は、後にデ・パルマ・カットと呼ばれる熱狂的ファンを生み出すのですが、ここでは実にヒッチコック的。「サイコ」や「フレンジー」などの冒頭で、ヒッチコックが見せた遠景から連続的に人物のアップに寄っていく「客観から主観」の手法を取り入れたもの。

デ・バルマは「ボディ・ダブル(1984)」では、「裏窓」と「めまい」をモチーフに取り入れていて、ヒッチコック好きからすると、思わずニヤニヤしたくなる映画監督なのです。「ミッション・インポッシブル(1996)」では、夜のプラハのシーンにヒッチコックを感じる部分が少なくありません。

 まぁ、誰が分類したのかサスペンス映画という枠組みがあって、いろいろなものが含まれているので正確に定義することはかなり難しい感じがするわけですが、とりあえず「ヒッチコックの映像手法を直接的・間接的に取り入れた映画」と言うこともできたりするという話でした。

☆☆☆☆

2014年1月5日日曜日

芹乃栄

新年があけて最初の二十四節季は小寒(しょうかん)。ちょいと寒くなってきましたよ、っということですね。年末はだいぶ冷え込みましたが、年明けからはやや緩かった。でも、天気予報でも少しずつ寒さが増してくるようです。

小寒の初候が芹乃栄となり、せりすなわちさかうと読む。せりと言えば、春の七草のトップに入っているくらいですから、確かに今が旬ということになるんでしょう。

今更言うまでもなく、春の七草というと

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな(かぶ)、すずしろ(だいこん)
スーパーでも、正月食品が片付けられて、七草セットが並べられる頃です。

ここまで首都圏では雪らしい雪は降っていませんし、信州あたりのスキー場ではもまともに積もっていません。冬の寒さは、これからが本番というところですね。

2014年1月4日土曜日

海外特派員 (1940)

極上のサスペンスを求めるならば、基本中の基本と言えるのが、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画。先駆者と呼べる人たちは、いつの時代でも得なもので、もしかしたらもっと優れた人材が出てきても、なかなか勝てるものではありません。

ヒッチコックの映画が素晴らしいのは、映画の技術的な基本が詰まっているだけでなく、映画を見せる・・・つまり観客を喜ばせるエンターテイメントとしての完成度の高さという点にあると思います。

観客が喜ぶというのは、何も爆笑することではなく、「観てよかった」と思うことであり、シリアスな文芸作品であってもかまわない。ヒッチコックは、そのベースをサスペンスにしていただけ。

ヒッチコックが、今でも評価されるもう一つの要因には、実験性という点も忘れてはいけません。映画の中でいろいろなことをするのは、製作者の自己満足に陥りやすく、必ずしも成功するものではありません。ヒッチコックとて、それは同じです。

「ロープ」ではワンシーン・ワンカット・リアルタイムに話が進行し、話がだれる部分もあれば、間が無さすぎのところもある。カット割りをしないことで、サスペンス感はかなり減弱していることも否めない。

「救命艇」は、漂流するボートの中に限定したことで、全体の動きがなさすぎ。「ハリーの災難」では、死体をめぐる行ったり来たりの繰り返しが冗漫な印象を与えます。

「ダイアルMを回せ」も3D撮影のための無理な遠近感の設定や、基本的にアパートの一室に限定した展開をストーリーに無理強いしている部分があります。

だからといって、それらの作品の価値がそれなりに残るのは、最初に書いた「先駆者としてのお得」もありますが、最終的に観客を喜ばせたいというヒッチコックの気持ちがあるからなんでしょう。

戦前から映画作りをしていたヒッチコックですから、幾多の名作が目白押しですが、その中で意外と知られていない、最もヒッチコックらしい映画の一つとして「海外特派員」があります。

戦後のユニバーサル、ワーナーなどの大企業の作品は、何度も繰り返しビデオ、DVD、Blurayとして登場していますが、この作品は一時紀伊国屋書店がDVDで出したくらいで、ほとんど出回っていません。

自分も、ずいぶんと昔にテレビの深夜映画で見たきりで、ずいぶんと昔のことです。ただ、後年「北北西に進路を取れ」で完成する、ヒッチコックの得意とする世界中のあちこちを移動しながら、もともと無関係な主人公が巻き込まれ型でかかわっていくサスペンスの最初の傑作という印象は今も変わりありません。

もともとは戦時下の作品ですから、二重スパイを告発するという戦意増進目的のプロパガンダ的な側面があるのでしょうが、ほとんど感じさせること無く一気に話に引きずり込まれてしまいます。

マクロからミクロへという、俯瞰ショットから近づいていく得意の撮影もすでに登場し、上から開いた傘が密集する中を傘の動きだけで暗殺犯が逃走していくシークエンスは見事。風車を使ったスリルも有名ですし、とにかく話の展開にだれが無い。

最後の飛行機が海に墜落するシーンも有名で、スクリーンプロセスの幕を破って、本物の大量の水が操縦席に流れ込むところは迫力難点です。今でこそ、CGでいくらでもできることですが、スタッフとキャスト全員が体を張って作り出す映像に勝ることはありません。

白黒で古臭いと思うかもしれませんが、本当の映画の楽しみが感じられる作品の一つであることは間違いありません。著作権切れで、ワンコインDVDでも出ているので、ぜひじっくりと見てもらいたいと思います。

☆☆☆☆☆

2014年1月3日金曜日

藁の盾 (2013)

昨年のカンヌ映画祭に出品され、「そして父になる」と共に、話題にはなった三池崇史監督の作品。昨年の映画界がいまいちと感じた作品の一つ。

それにしても、思い出すのはヒッチコックの言葉。「サスペンスは迫る側と迫られる側を交互に描いていく」ことで観ている側に緊迫感が増す。そして「映画は観客の期待を裏切ってはいけない」という主旨の発言もしていました。

この映画は、サスペンスなのですが、ある種逃亡劇で主人公たちの主観からなかなか離れることが無い。危機は突然振って沸いてくるので、びっくりさせられる。すべてそうなら、それも一つの演出として成り立つのでしょうが、逆に妙にのんびりしていてだらけた瞬間も、特に後半に多い。

そして、絶対的にだめなのが、結末までに観客の期待を裏切り続けるところ。つまり、観ていてほっとできないし、最終的に見終わった後の救いがない(わずかな救いを用意はしているものの本筋とは関係が無い)。

物語は、完全に人間のクズと言える殺人犯(藤原竜也)に対して、被害者の大金持ちの家族が懸賞金10億円をかけて殺害するようにメディアに対して大々的な広告を出すところから始まります。そこで、福岡から安全に護送する任務についたのが大沢たかおと松嶋奈々子のSP。

人を殺しても10億円が手に入ればよしとする一般人が現れ、次々と危険が迫ってくる。さらに警察内部にも、すでに手がまわしてあって、彼らの行動はインターネットで筒抜け。警察官すら、殺そうとして襲ってくるという絶望的な状況。

そもそも、金のために何でもしてしまうという心理がいただけない。確かにそういう面は誰にでもあるかもしれませんが、それは人に知られなければという条件付のものではないでしょうか。その方が、より人の道徳観念に厳しい言い方かもしれません。逆に、衆人環視のもと、堂々と殺人をするほど、人は落ちぶれてはいないと思います。

それでも、前半は突進してくるタンクローリーや、鉄道での護送に切り替えてからの列車内のアクションなど、スピーディな展開でけっこう飽きずに観る事ができます。ところが、列車を降りてからの後半のテンションの下がり方は尋常じゃない。

歩くか車に乗るだけで、アクションと言えるものは皆無に使い。裸同然のそこんとこで、襲われなくてどうするのと言いたくなる。この過程で「クズ」の藤原竜也は徹底的に、クズ発言を繰り返し、その度に観ていて気分が悪くなる。

途中で松嶋をだまして逃亡を試みるのですが、ここでは執拗に松嶋が気を取られる演出。完璧なSPという設定にしては、ぼんくらすぎ。さらにどうしようもないのは、このあと、ぼんくらが極まって松嶋は藤原に射殺されてしまうというところ。

基本的にはこの映画の唯一のヒロインである、松嶋を殺してしまうことは松嶋ファンならずともがっかりしまうわけです。しかも、殺した理由が「おばさん臭い」からとくれば、もう観客は何らかの形で藤原が死なないと気持ちの収まりがつかない。

そして、ついに大沢一人で警視庁の前に護送してくることになるわけですが、ここで懸賞金をつけた張本人、山崎務がよぼよぼの老人として登場してくる。どうしたら、こういう場面が成立するのか理解に苦しむのですが、あまりに陳腐なエンディングで笑うしかありませんでした。

エピローグで、死刑判決を言い渡された藤原が言う「後悔・・・反省しています。どうせ死刑になるなら、もっとやっておけばよかった」というセリフだけはすごいと思った。こういう形の映画の締めとしては許せます。こういう流れで、徹底的に藤原の異常な凶悪犯像を描いてきたのだから、いまさら「ごめんなさい」とか言われるほうが白けます。

ところが、その後に、さらに追加して松嶋のこどもと仲良く歩いている大沢というおまけはよけい。さすがに、どこかに観客の救いを入れたかったのかもしれませんが、この不徹底で完全にアウト。

・・・と、まぁ、さんざんなことを書いてしまいましたが、さんざんなことを言いたくなるような映画でしたということ。こういう映画もあっていいとは言いませんが、こういう映画があると多少は他の映画がよく見えるというものです。

2014年1月2日木曜日

ゼロ・グラビティ Gravity (2013)

年末に公開された映画。監督は、ハリポタ3のアルフォンソ・キュアロン。監督以外に製作・脚本・編集の4役をこなしています。主演女優はサンドラ・ブロック。主演というよりは助演男優に近いのが、ジョージ・クルーニー。

なんと驚くべきことに、出演者はほぼこの二人だけ。あとはスペース・シャトルのクルーが数人いますが、画面に積極的に登場することはありません。なにしろ、舞台は宇宙。そうそう登場人物がいるわけがない。

今までの映画だったらば、ヒューストンの様子と交互に切り替わるところですが、今回の映画では通信も遮断され、宇宙空間・・・無重力の世界にたった二人だけが残されるわけで、ここからのサバイバルが物語りの骨格です。

SFというのは、本来Science Fictionの略ですが、通常映画で扱われる場合は、そのほとんどがScience Fantasyであって、現実味は少ない。この映画は、実際の現代の宇宙で起こりうることを描いているわけで、Science Non-Fictionと呼びたくなる内容です。

スートン(ブロック)とコワルスキー(クルーニー)の二人は、宇宙空間でアンテナの修理を行っていました。その頃、ロシアは老朽化した人工衛星をミサイルで破壊。その破片はものすごい速さで飛び散り、他の人工衛星を巻き込んで、二人の近くに降り注いでくるわけです。

シャトルは破壊され、他のクルーは全滅。宇宙空間に孤立した二人は国際宇宙ステーション(ISS)に向かい、そこにある帰還用の宇宙船で地球に戻ろうとします。しかし、無重力空間では、簡単には移動するスピードや向きを変えることができない。

コワルスキーは、ストーンを助けるために、自らワイヤーを切断し漆黒の宇宙空間に消えていきます。ストーンは、ISSに乗り込むものの、そこもすでに破壊されており、中国の宇宙ステーションへ必死に向かうことになります。

あとはネタバレになりますので、まだ観ていない方は、ここから先は読まずに映画館に直行してください。

職業宇宙飛行士ではない女性が、そこまでできるかという基本的なプロットの疑問はないわけではありませんが、しかし十分に現実味が伝わってくるのは、脚本と演出のうまさからでしょうか。

サンドラ・ブロックは、どちらかというと若い頃はキャピキャピ系で、元気はつらつ的な役柄が多く、あまり演技はという印象は少ない。ここでは、冷静沈着な部分と、死への恐怖に苦しみあがくところ、そして死を覚悟して達観するなど、全編一人芝居とも言える映画を演じきっています。

ラストで、大気圏突入して海(湖?)に落下したあと、ストーンが陸地に立つところで映画は終了します。このあたりは、好き嫌いが出るところかもしれません。せっかく宇宙だけを舞台にして、孤独な空間でのドラマを展開してきたので、地上のシーンは無いほうがよかったのではないかという気がします。

絶望的状況からのサバイバルというシチュエーションは、映画の題材としては珍しいものではありません。特に山岳映画などでは、しばしば密室状態での生死のドラマとしていくつかの名作があります。人が宇宙に進出して、宇宙空間に舞台を移すのは必然なのかもしれません。

アカデミー賞の前哨戦となるゴールデングローブ賞では、作品賞・監督賞・主演女優賞・音楽賞の4部門にノミネート。2013年の映画のひとつとして、歴史に刻まれても不思議が無い出来栄えといっておきたいと思います。

☆☆☆☆☆