2014年11月30日日曜日

待降節第1主日

キリスト教の教会の1年は、待降節から始まります。待降節、または降臨節、アドベント(advent)は、人間世界へのキリスト(救世主、メシア)の到来を待ち望む期間のこと。

つまり、キリストであるとされるイエスが誕生するのが12月25日ですから、そこから逆算して4週間を待降節としているということです。一般的に、待降節の間は、禁欲的な静かな生活をして、断食と悔い改めをすることになっています。

300年前、ライブツィヒでもそれは同じ。教会ではカンタータの演奏はなく、音楽抜きの静かに礼拝が12月24日の日没まで行われていたのでしょう。バッハにとっても、ゆっくりといろいろな準備ができる期間として重要だったろうと思います。

だったら、クリスマスまでカンタータは存在しないかというと、実はあるんですね。おとなしくしているのはライブツィヒでの話であって、ワイマール時代を中心に7曲が現存しています。そのうち3曲は歌詞のみだったりして不完全で、演奏できるものとしては4曲。

12月25日のクリスマスから新年にかけては、いろいろなイベントが目白押し。先に整理しておきたいと思います。

12月25日は降誕節第1日。26日は第2日、27日は第3日で、3日の間イエスの誕生を祝います。この3日間のためのカンタータは13曲残っています。

新年までの間に日曜日が入ると、そこは降誕節後第1主日となり、残されているカンタータは3曲。

1月1日は当然新年として4曲のカンタータがありますが、キリスト教的にはクリスマスほどは盛り上がりません。新年後第1主日(カンタータ2曲あり)をはさんで、1月の6日の公現祭(カンタータ2曲あり)までの13日間を降誕節と呼びます。

公現祭は顕現日(epiphany)とも呼ばれ、新約聖書の東方三博士の来訪のエピソードに由来します。キリストの誕生を聞いて、東の方からやってきた占いをする者がイエスを見て拝み、贈りものを捧げたというもの。

降誕節の間のためのカンタータは、あわせて17曲あり、これだけでもかなり密度が高い。ところが、バッハはさらに4大宗教曲の一つに数えられる「クリスマス・オラトリオ」も作曲しています。

これは、オラトリオとバッハ自ら呼称していますが、実際は降誕節のそれぞれの祝日に対応した6曲のカンタータの連作です。しかも、ほとんどが既存のパロディで構成された点が特徴。

教会暦に沿って、まとめてカンタータを聴いていくためには、全部で23曲を13日間で聴いていくことになります。これは聴くだけでも、かなり大変。ましてや、1999年クリスマスから始まったガーディナー先生のカンタータ巡礼では、演奏をしているという・・・

さて、そういう意気込みで、いよいよクリスマス・シーズンに突入するわけですが、今日はそのスタートになる待降節第1主日。3つのカンタータがあります。

BWV61 いざ来ませ、異邦人の救い主 (1714)
BWV62 いざ来ませ、異邦人の救い主 (1724)
BWV36  喜び勇みて羽ばたき昇れ (1725から1730の間)

BWV61は数あるカンタータの中でも名曲とされ、録音も多い有名曲。ワイマール時代の作曲ですが、すでにルターのコラールを取り入れ、後年の成熟した形式になっています。1723年のライプツィヒでの初めての待降節に再演されました。

1724年には、BWV61と同じルターのコラールを元にしたBWV62が、進行中であったコラール・カンタータのシリーズとして新作されています。

BWV36は、もともとは1725年に大学教授の誕生祝賀用の世俗カンタータ(BWV36c)として作曲されました。1726年にもケーテン候妃の誕生祝賀に使われ(BWV36a)、その後教会カンタータとして改作されています。

1731年の待降節第1主日には、間違いなく教会カンタータとして演奏され、その後、1735年にも祝賀用(BWV36b)として演奏されています。バッハ自身もよほど気に入っていたのかもしれませんが、複雑な推移のせいか構成は非定型的で、途中にコラールが出てきたりする2部構成になっています。

2014年11月29日土曜日

紅や黄色

秋の風物詩というと、たくさんありすぎて困ってしまいますが、だいたい11月は紅葉が見頃となって各地から様々な便りが届くことが多い。

実際、テレビでもあちこちの見事な紅葉の様子を見せてくれます。北関東の、たとえば日光のいろは坂などは有名なスポットで、見物の車で長い渋滞が起こっていたりします。

神奈川では、箱根や丹沢などが有名。つい先日出かけた知人によると、鎌倉はまだイマイチだったそうです。

自分の周囲を見渡してみると、ところどころで綺麗に紅く色づいているのですが、あまりまとまりがない感じ。街路樹の色も、ばらつきがあって綺麗とまでは言いにくい。

日中と夜間の寒暖差が大きいほど、緑色の色素であるクロロフィル(葉緑素)が分解されるわけで、だいぶ寒くはなりましたが、まだ朝は10度ていどで、冷え込みが足りないのかもしれません。

2014年11月28日金曜日

手を洗いましょう

これからの季節、インフルエンザやノロウィルスによる感染症が増えてきます。

予防の一つとして、手洗いは効果的であるとして推奨されています。手を洗うとき、何も無ければしっかり水だけでもいいですが、セッケンや殺菌成分の含む洗剤があればもっといい。

以前テレビで、泡になって出てくる殺菌性セッケン液が紹介されていて、クリニックにも置いて使っています。

液だれしないし、何となく電動で泡が出るのが楽しいので、手を洗う頻度が増えた感じがします。

患者さんトイレと診察室用に2個使っていますが、患者さんトイレ用は問題なし。ところが、診察室用が、数ヶ月は調子がよかったのですが、だんだん泡の出方が悪くなってきました。

今月になって、もうほぼ液体として出るだけで、かえって無駄に流れてしまう液の方が多いんじゃないかという具合。

どうも、内部で泡にするための空気の取り入れが詰まってしまって、泡が出来なくなったのではないかと想像しています。

しょうがないので、12月になる前に、いよいよあきらめて買いなおすことにしました。マスクの準備は万端ですので、あとはうがいをしっかりして、感染症の季節を乗り切りたいと思います。


2014年11月27日木曜日

リウマチの学会

関節リウマチに関する主要な学会は、国内なら日本リウマチ学会があります。当然、自分も長らく会員になっていて、必要な情報を得ているわけですが、残念ながら今のリウマチ学を推進しているのは、アメリカとヨーロッパであることは否定できません。

ヨーロッパ・リウマチ学会(EULAR)は毎年6月に開かれますが、近年はかなり勢いがあって、最新の情報の発信源としての重要度は増しています。

アメリカ・リウマチ学会(ACR)は、最近おされ気味とはいえ、リウマチ学の老舗として今でも大きな役割を果たしています。20世紀に使われていた、診断のための基準、治療のためのガイドラインなど、リウマチ診療の重要なポイントはすべてACR主導でした。

ACRは、毎年11月に開催されますが、今年は11月14日~19日にボストンで行われました。大学に勤務している場合は、日常の仕事を他の人にお願いして、1週間出かけてくるということが可能ですが、開業医ともなるとそんなことをしてはいられません。

しかし、長短あるネット社会ですが、いいところの一つとして、ボストンまで脚を運ばなくても、とりあえず発表された概要くらいはインターネットで参照できるわけです。

 とは言っても、英語で最新医学の内容を読みこなすというのはなかなか難しい。特に抄録は、発表内容のエッセンスで、作る側は決められた文字数内に絞り込んでくるものですから、ちょっと読んでもなかなか理解できません。

そうなると、大切なのは、製薬会社が提供してくれる情報もその一つ。ただし、製薬会社は自分たちに有利な情報しか教えてくれません。そのたりは、こちらも十分に考慮しておかないといけない。

もう一つ大事なのが、講演会。講師を依頼される先生となると、ACRやEULARはたいてい出席するものです。大きな学会の後に開かれる講演会では、学会のトピックスなどが紹介されることが多いので、なかなか聞き逃せません。

リウマチ診療は、21世紀になって激変し、新薬は戦国時代の様相を呈しました。最近は、やや落ち着いてきて、診断学が整理され、新薬の治療も一定の評価がされました。今後は、リウマチの根本的な原因の特定が求められのでしょうか。

開業医とは言っても、アンテナを張り巡らせて、最新情報をチェックし続けないといけないのは同じ。そういう意味では、日本整形外科学会のレベルの低さは、本来整形外科医の自分としては残念でなりません。

2014年11月26日水曜日

ワンコ

昨日から雨が続いて、気温が上がりません。だいぶ、寒くなってきましたね。

さて、うちのワンコのおやつを買いにペットショップに行ったのですが、ついでにちょっと子犬を見てみました。

うちのワンコは、15歳を越えた老犬。今年の冬を越えられるか心配で、日中もほとんど寝てばかり。

もしも、死んだら・・・という話は、夫婦の間でもすることがあります。もう、二度と犬を飼わないのか、それともまた飼うのか。

無邪気に遊んでいたり、すやすやと寝ている子犬は、どれも可愛いものです。

ワンコがいることは、いろいろな意味で人の生活を豊かな方向へ向けてくれると思います。

いつかはわかりませんが、きっと自分たちが世話をできるなら飼うことになるのだろうと想像しています。

2014年11月25日火曜日

習慣

習慣とは恐ろしいもので、ふっと気がつくと、毎日同じことを知らず知らずのうちにやっているなんてことが多いものです。

このあたりを、他人にしっかり気がつかれたりすると、何となく気恥ずかしいもので、推理小説なんかだったりしたら、うまくつけこまれていとも簡単に殺されたりするわけです。

例えば・・・風呂に入りますでしょう、当然出る時にタオルで体を拭きますよね。どうやってますか。けっこう、拭く順番が決まっていたりしませんか。

自分の場合は、最初にバスタオルの半分を使って、まず頭をささっと拭きます。まだ髪の毛はそれなりにありますから、一番水をたくさんふくんでいるところ。

そのあと上半身を拭いて、次に背中を拭いて、いよいよ大事なところ。ここまで、タオルの水分含有量は、だいたい70%くらいでしょうか。そして両側の脚、これがけっこう面積があるもので、これでだいたい100%近くなってしまいます。

そしたら、タオルの残りの半分で髪の毛の水分をしっかりと拭きます。そしたら、タオルは床に二つ折りで置いて、その上で足の裏を拭いたらおしまいです。

うーん、こういう順番を意識してしまうと、ちょっと変えてみたりするのはかなり気持ち悪いものです。あまりよけいなことは考えずにもいつものことはいつも通りにやった方が、精神衛生上よろしいようで。

2014年11月24日月曜日

三位一体節後第24~27主日

今年(2014年)は、三位一体節後は第23主日で終わりです。昨日、これでお終いとしていたのに、また今日も三一体かと思われるでしょうが、それには理由があります。

キリスト復活の日は、春分の日の後の最初の満月が過ぎた、最初の日曜日と決まっているため、3月下旬から4月下旬までの期間で復活祭は変動することになりました。

そのため、その後の教会暦も、年によって1ヶ月程度のずれがあるわけです。しかし、クリスマス、つまりキリストの誕生日は動きませんから、三位一体節後の長さを調節して教会暦が作られるため、最大で第27主日までいくわけです。

バッハが用意した、第24主日のためのカンタータは、
BWV60 おお 永遠、そは雷のことば (1723)
BWV26  ああいかにはかなき、ああいかにむなしき (1724)

BWV60では、恐怖を語るアルトと希望を語るテノールの対比が主軸になっています。BWV26でも、冒頭合唱がゆったりとした高音部、早いテンポの低音部、力強い弦が絡み合うところが見事。

第25主日のためのカンタータは、
BWV90 怖ろしき終わり汝らを引きさらう(1723)
BWV116 汝 平和の君、主イエス・キリスト (1724)

大きな災いの中、偽者の預言者が登場し誘惑するが、それに耐えたものが救われるという内容の説教に基づく内容。BWV90では、最後にだけ合唱(コラール)が入ります。

第26主日のためにカンタータは、
BWV70 目を覚まして祈れ!祈りて目を覚ましおれ!(1723)

もともとは、ワイマール時代に書かれた歌詞のみ残っている待降節用の旧作を利用したもの。

そして、第27主日のためのカンタータとして、バッハとかカンタータにまったく興味が無い人でも知っている、BWV147と並ぶ有名曲となっている、
BWV140 目覚めよ、と われらに呼ばわる物見らの声(1731)

 「目覚めよと呼ぶ声あり」というタイトルが知られ、特に第4曲のテノールによって歌われるコラールが有名。

ガーディナー先生のカンタータ巡礼でも、近辺でばらばらに演奏され、これらはVol.9、10、11、12、 19に分散されて収録されています。

当時のライプツィヒでは、待降節は華やかな事はしないという決まりがあって、このあとバッハの毎週のカンタータはお休みになります。

2014年11月23日日曜日

三位一体節後第23主日

ついに三位一体節後第22主日になりました。いやぁ~、長かったです。三位一体主日は、6月15日でしたから、その後から数えて5ヶ月間、いよいよ最後の三位一体節後第××主日、キリスト教的年度末になるわけです。

三位一体節後は、いくつかのキリスト教の祝日が間にありましたが、基本的にはほぼ無風状態でした。おかげで、ずいぶんと本を読んだり、ネット探索をしたり、そして音楽そのものも、いろいろと聴くことができました。

この日のために残されているカンタータは3つです。
BWV163 各々に各々のものを (1715)
BWV139 幸いなるかな、おのが御神に(1724)
BWV52  偽りの世よ、われは汝に頼まじ(1726)

BWV163はワイマール時代、宮廷の喪が明けて演奏されたもの。3曲目のバスのアリアが特徴的で、伴奏の弦楽器が終始低音域で動き回ります。

BWV139は、バッハにとっては新しい17世紀末に作られたコラールを主題にしています。途中のバスのアリアが、快活な三拍子の弦のからみで歌いこまれていくところが印象的。

BWV52はソプラノ独唱カンタータ。冒頭のシンフォニアは、ケーテン時代のブランデンブルグ協奏曲第1番第1楽章が、ほぼそのまま用いられています。華やかですが、どこかのんびりした感のあるシンフォニアが終わると、ソプラノとオルガンによる急転直下の展開が見事です。

いずれも比較的短く、ガーディナー先生の全集では、あと有名なBWV140が収録されています。鈴木雅明版は、原則として作曲された年代順なので、教会暦にそってまとめて聞こうと思うと大変。コープマンも同じ。アーノンクール&レオンハルト版はBWV順で、それぞれ聴き方はいろいろです。

キリスト教における三位一体論は、なかなか理解しにくいところがあって、内部的にも歴史上議論が多い。そもそも4世紀の公会議で整理された概念ですが、実際「理解するものではなく信じるもの」とされています。

唯一である神でしたが、イエスが昇天して神になるとしたことから、「父と子と聖霊は一つである」と考えましょうということのようですが、音楽を聴く上ではあまり踏み込んでもしょうがない。

とにかく、いよいよ神の子の誕生を待望する待降節がやってきて、キリスト教では新しい年が始まろうとしています。

2014年11月22日土曜日

いい夫婦

11月22日ですから、いいふーふ。わかりやすい。

まぁ、うちも結婚して大過なく25年を過ぎましたから、世間的にはいい夫婦でいいんじゃなんかと思いますが。

今は、クリニックを二人三脚でやっていますので、お互い家庭だけでなく、仕事の上でもパートナーでお互いになくなてならない。日々、感謝しております!!

夫婦円満の秘訣ランキングというのがありました。どうやって選んだか、よくわからないのですが、とりあえず、ベスト3だけみておきますと、

3位 感謝すること
2位  思いやり
1位 会話

だそうです。何だ、当たり前のことじゃんと思いますが、その当たり前がなかなか難しい。ずっと連れ添っていて、このあたりがだんだん希薄になってくるのかもしれません。

特に会話というのは、共通の趣味とかあればいいのですが、こどもが成長してしまうと、なかなか話題にする事が少なくなってしまいます。

今は、クリニックのこととかで、話題がいろいろあります。あと、ペットの話とか・・・もう15才を越えた老犬なので、ペットがいなくなるとどうなるのか心配ですね。

孫ができれば・・・・ ・・・・ いゃぁ~、まだ当分なさそうです。

2014年11月21日金曜日

逮捕前インタヴュー

京都で、夫を青酸化合物で毒殺した疑いで、67歳の妻が逮捕されました。しかも、過去の夫が6人死亡しているというから、尋常ではありません。

青酸化合物を使っての犯罪としては、古くは帝銀事件が有名。そのせいか、青酸化合物は殺人のための毒薬として、誰でも思いつくものだろうと思います。ただし、その分、手に入れるのはかなり困難。

毒殺事件では、砒素とかもよく使われますが、戦後最も大きな事件はオウム真理教による一連のサリン事件があります。

今回の事件は、もしかしたら生命保険目当ての連続殺人かもしれません。そうなら、日本の犯罪史に残るものになるかもしれません。いやぁ~、怖い話です。

それにしても、不思議なのは、その容疑者が逮捕前にテレビのインタヴューを受けていること。マイクをたくさん突きつけられて、「私はやっていません。青酸を手に入れられない」ということを発言している。

と言うことは、記者から「青酸を使って、あなたが殺したんですか」という質問があったということ。急にマスコミがやってきて、一般人にあたなは殺人犯ですかという質問をするというのは不思議すぎる話です。

最近の事件の報道で、しばしばこういう情景を見る事があります。それだけ見ていると逮捕されていない人に突撃取材しているわけで、実際に報道されるのは逮捕後ではありますが、逮捕されずにお蔵入りになった映像もあるんでしょうか。

メディアが大挙して飛びつくのも、それなりに信頼すべき情報によるものでしょぅから、当然その入手先は警察以外には考えられません。中には、すでに疑いをかけられ、容疑者自ら釈明のためにメディアを呼ぶようなケースも稀にあるかもしれません。


ほとんどは、警察では証拠が不足している状況で、犯人の周囲をかく乱するために、メディアを利用しているとしか思えません。これは警察が意図的に情報をリークしているわけですから、場合によっては個人情報保護法に明らかに違反している行為です。

それでいいのか、だめなのか、よくわかりませんが、いずれにしても容疑者がテレビに登場して弁明しているというのは、何かすっきりしないものを感じます。

2014年11月20日木曜日

二枚舌

衆議院が開散ですって。そんなことは考えていない、とか再三口にしていた総理ですが、1日2日で、急に決められるはずもないので、まぁ、やっぱり二枚舌の大嘘つきというところでしょうか。

政治家は、なんで正直ではないのでしょうか。本音と建前が必ず両方あって、国民向けには建前だけでリップサービス。本音の部分は、ひた隠しです。

いろいろな意見があって、いちいち聞いていたら大変。いつまでたっても、何も決められないということ。一方で、だからこそこっそりと根回しをして、過半数を手中にできたと思えたとたんに、少数を封殺するわけでしょう。

民主主義というのは、数の理論の上に成り立っていますから、ある程度はしょうがない。ただ、多数と言っても、それはあくまでも日本人のなかではほんの一握りの政治家と呼ばれる集団の中だけの話。

日本の国民の総意ということで考えると、乖離しているとは言えませんが、まったく分離していて別世界のような感じ。政治家が、国民の代表として機能していないというのは間違いない。

みんなの党も消えてなくなるようですが、与党側と野党側に分裂するわけですから、もともとみんなの党に投票した国民からすれば、どっちに転んでも裏切りです。

選挙で投票しても、選挙前の公約はひっくり返るし、そもそも党がなくなるでは、どうしたものでしょう。国会は、かなり低レベルのスキャンダルの暴きあいの場にしかならず、閣僚だけがほとんど何事も決めているんでしょうか。

あーもー、ぼやき以外何もない。だからと言って、自分が立候補するわけではない小市民としては、ため息をついているしかないところ。

それにしても、何で今開散なんでしょぅかね。やっぱり、よくわからない。だから、政治には無縁ということなんでしょうね。

2014年11月19日水曜日

健さん逝く

昨日は、高倉健さん逝く、というニュースにびっくり・・・したのですが、あー、健さんでも亡くなるんだという、残念というより寂しさみたいなものの方が多い感じがします。

昭和のスターというのは、何か日常を超越したところにあって、普通の人に普通に起こる事とは無縁の存在のように思います。

会いにいけるアイドルを売りにしているAKB48のような、今時のスターとは対極の存在。石原裕次郎にしても、美空ひばりにしても、そして健さんにしても、死ぬなんてことは関係ないと思っていました。

特別に健さんが好きで、せっせと映画を見たわけではないのですが、映画界に高倉健という俳優がいるということだけで、何か安心・安定感みたいなものがあって、健さんの映画というだけで見てみようという気持ちにさせられました。

「不器用ですから」という有名な一言がありますが、まさにそこにすべてが詰まっている印象を与える人生だったのでしょうか。

もともと人気がでてきたのは、東映の任侠物ですが、自分はまったく見ていません。生粋のファンからすれば、怒られると思いますが、それでもその後の健さんが一番「らしい」と思えてしまいます。

一般的には「幸福の黄色いハンカチ」、「鉄道員」、「八甲田山」などが人気だろうと思いますが、個人的には「南極物語」 で初めて名前を覚えて、「ブラックレイン」で存在感を認識したと思います。

合掌。

2014年11月18日火曜日

ロ短調ミサ曲

さて、そこで晩年の大作、バッハのキャリアの中で一二を争う傑作とされている「ロ短調ミサ曲」にたどり着くわけですが、もう世界中のバッハ研究者が語りつくしても語りつくせない有名曲ですから、にわか愛好家の自分が解説などする立場にはありません。

ここで確認しておきたいことの一つは、これが一つの曲として成立しているのかという疑問です。その大部分が、過去の自作から引用して正式なミサ曲としての体裁を整えられました。

その結果、早めの演奏でも2時間はたっぷりかかる超大作となっていますから、当然通常のミサの中で使用できるものではありません。実際に上演する機会があったとは考えられていないわけで、ばらばらの曲と考える学者も少なくはありません。

しかし、ある一定の時期に集中的に曲が構成されていることから、バッハはミサの通常文をすべて網羅した形式を意図的に作り上げたことは間違いないようです。 これは、バッハにとってはキャリアの総決算という意味合いがあったことが容易に想像できます。

つまり、当時バッハは一都市の教会カントルであり、その知名度はそれほどのものはなく、自分の死後、時勢を取り入れたカンタータは忘れ去られることを予想していたはずです。

バッハは自分の仕事、痕跡を後世に残すためには、キリスト教の中で普遍的なラテン語を用いた曲の必要性に気がついたといわれています。実際、バッハの危惧は現実になり、バッハの死後、大多数の作品は演奏されることはなく簡単に忘れられています。

後に早くから楽譜として出版されたのは、ラテン語のマニフィカトやロ短調ミサ曲であり、バッハが音楽界の偉人として考えるようになるのは死後80年してのメンデルスゾーンのマタイ受難曲の復活演奏以後のことです。

1730代以後、急速にドイツ語教会カンタータの創作が減ってしまいますが、バッハの最後のカンタータ群のひとつに1945年のクリスマスに演奏されたBWV191が、唯一のラテン語カンタータとして作られています。

タ イトルはまさに「いと高きところには神に栄光あれ(Gloria in excelsis deo) 」であり、ロ短調ミサ曲と同じドレスデンに捧げた小ミサ曲を母体にして作られたもので、死期の迫っていたバッハにとって、ラテン語曲を作ることは重要度の 高いことがらだったことが想像できます。

とにかく、出だしのキリエの合唱から、「魂を揺すぶられる」ような感覚があり、「kyrie eleison」の二つの言葉だけからなる音楽空間から、もう耳を離すことができません。

もちろん、世界一といわれる名に恥じないモンテヴェルディ合唱団を率いたガーディナー盤は、自分の中ではスタンダードの位置にありますが、鈴木雅明のBCJ盤も捨てがたい。ドラマ性のある受難曲よりも、ひたすら真面目に演奏するBCJは、こちらの方が向いているのでしないでしょうか。

1980代初めに、バッハの時代には演奏は一パート一人(one voice per part, OVPP)を提唱したリフキンは、すぐに自らロ短調ミサ曲をOVPP方式で収録しましたが、これは風通しはいいものの、合唱の魅力が半減であまり成功とはいえないようです。

しかし、その後OVPPを実践する演奏家が、しだいに増え始め、最近ではJ.バットのものや、S.クイケンの新録音などは、OVPPであるにもかかわらず、大変バランスの取れたすぐれた演奏だと思います。

もう一つ、自分のお気に入りの演奏がJ.サヴァールの2011年のライブ。これが実にいい。OVPPよりは、やや多めの演奏者数で、音の厚みを損なうことなく、一つ一つの声部の独立性が確保されている感じがします。

特に、出だしの合唱に続いて、すぐにテノールのソロであらためてKyrieが歌われるところはぞくぞくっとするくらいいい声です。このテノールは日本人、BCJでも活躍した櫻田亮さん。このCDは、実際のライブのDVDもついていて、視覚的にも楽しめておすすめです。

2014年11月17日月曜日

バッハの小ミサ曲

さて、ミサ曲です。ミサというと、単にキリスト教の礼拝のことと思っていたのですが、バッハの音楽を通していろいろ勉強してみると、最も基本的なことですが、ミサはあくまでもキリスト教カトリックの典礼のこと。

ミサ曲は、歌詞は聖書を基にしたラテン語で書かれていて、一字一句変更は許されません。基本的な構成も決まっていて、必ず入ってくる部分(通常文)と典礼の内容によって除いたり加わったりする部分(固有文)があります。

キリスト教プロテスタントは、ルターの宗教改革により派生して、より民衆にわかりやすくすることを目的にして、自国語であるドイツ語の聖書を使い、ドイツ語による会衆が歌えるコラールを導入しました。

熱烈なルター派に属していたJ.S.バッハは、プロテスタントの教会音楽を暦に沿って整備することをライフワークとして、膨大な量のドイツ語の教会カンタータを作り続けたわけです。

そのバッハが、本来カトリックのためのミサ曲を作っているというのは、少し知識がついてくると奇異に感じるわけです。しかも、バッハの最後の作品とされるのも「ロ短調ミサ曲」であり、実際に演奏する具体的な目的が無かったにもかかわらず、バッハは過去の作品を集大成するかのようにまとめあげたのです。

ルターは、最初からローマから分離独立することを考えていたわけではなく、あくまでも当時のローマの抱える様々な問題を正すために告発しました。結局、ローマから受け入れられず、結果としてプロテスタントと呼ばれる別派を立ち上げることになってしまいます。

ですから、最初からラテン語を排除していたわけではなく、ルター派プロテスタントでは、ラテン語による正規ミサと日常語による礼拝が混在していたわけです。

バッハは1723年のライプツィヒに着任後、早い段階、1か月もしない洗礼者ヨハネの祝日に演奏するカンタータ(BWV167)との抱き合わせで、ミサの中のサンクトゥスを作曲・演奏しています。

さらにその年のクリスマスには、やはりラテン語によるマニフィカト(聖母マリアの祈り)が演奏されています。さらに1733年、ライプツィヒ市当局との対立から、ドレスデン宮廷を味方につけるために、キリエとグロリアからなる小ミサ曲を作曲しザクセン選帝侯に献呈しています。この小ミサ曲は、後年ロ短調ミサ曲に、そっくり取り込まれることになります。

1738年には、集中的に小ミサ曲を立て続けに作り上げました。これらの4曲(BWV233~236)は、通常「ルター派ミサ曲」という呼ばれ方をしています。いずれも、実際には自身のドイツ語教会カンタータに由来しており、実際カンタータの雰囲気を色濃く残しています。これらのパロディ関係については、大変詳しく解説しているホームページがありますので、そちらを参照してください。

いずれにしても、これらの4曲の小ミサ曲と、いくつかある単独のキリエ、サンクトゥス、クレド(偽作も含まれる)などは、その目的は不明ですが、何らかの礼拝での使用を念頭に置いていたと考えるしかありません。

CDは、小ミサ曲を網羅したものは多くはありません。ヘレヴェッヘのものや、パーセル・カルテットのものが、比較的入手しやすく人気があるようです。

自分は、フランス人のカウンターテナー、ラファエル・ピジョンが率いる新進気鋭のEnsemble Pygmalionのものを購入しました。1733年版ミサ曲も含めて収録していて、まとめて聴くことができます。

2014年11月16日日曜日

三位一体節後第22主日

三位一体節後第22主日です。

バッハの教会カンタータは、この日のためのとして3曲が残されています。
BWV89 われ汝をいかになさんや、エフライムよ (1723)
BWV115 備えて怠るな、わが霊よ (1724)
BWV55  われ哀れなる人、われ罪の下僕 (1726)

BWV89はバスのソロから始まり、コラール合唱で終わります。BWV115は、冒頭と終局にコラールを配置した、構成は典型的なコラール・カンタータ。ただし、途中のアルトとソプラノのアリアは、かなり長めで聴かせどころになっています。

BWV55は、テノールのためのものとしては唯一のソロ・カンタータです。タイトルからしても、自らの罪を告白するという重い感じの内容。長くはありませんが、テノール歌手の真価が問われる曲です。

がーディナー先生のCDには、三位一体節後第24主日のためのものが合わせて収録されています。
BWV60 おお 永遠、そは雷のことば (1723)

2014年11月15日土曜日

バッハの4大宗教曲

いまさらみたいなところですが、通常J.S.バッハの4大宗教曲と呼ぶことが多く、そこに含まれるのは「マタイ受難曲」、「ヨハネ受難曲」、「ミサ曲ロ短調」、「クリスマス・オラトリオ」です。

さらに8大宗教曲と呼ぶ場合には、「マニフィカト」、「モテット」、「昇天祭オラトリオ」、「復活祭オラトリオ」が加わります。
あとは教会カンタータと世俗カンタータ、コラール集、数曲ある小ミサ曲で、ほぼすべてを網羅することになります。このあたりは、4大宗教曲に比べてかなり録音は少ない。

バッハの最高傑作としては、だいたいマタイかミサ曲のどちらかが支持されるのですが、このあたりは好みの問題。自分としては、けっこうヨハネが好きだったりします。


マタイとロ短調ミサについては、さすがに世界に知られる指揮者は一度は棒を振ってみたいと思うようで、バロックとは無縁と思えるような人の録音があったりします。

例えば、ヘルベルト・フォン・カラヤン。クラシックに興味が無い人でも、まず知らないことがないくらい有名ですが、カラヤンもマタイとロ短調ミサは録音がある。

今でもマタイの歴史的名盤としてクレンペラーやフルトヴェングラーの演奏が引き合いに出されますが、カラヤンは・・・無かった事にしようという雰囲気が強い。

モダン楽器によるバッハとしてはリヒターが断然トップに君臨していて、かなり重量級の荘厳な響きを聴かせるのですが、カラヤンも当然ベルリンフィルの分厚い管弦楽を駆使しています。

ただし、「どうだ、ここで感動しておけ」みたいな、上から目線的な・・・もっとも、それがカラヤンなんですが、バッハの世界とは相当かけ離れた演奏だということのようです。

4大宗教曲をすべて録音している指揮者や団体を探してみると・・・

まずモダン楽器を使ったものとしては、リヒター、コルボ、ヴェルナー、ミュンヒンガー、リリングくらいでしょうか。いずれも60~70年代が中心で、バッハの宗教曲を再認識するきっかけを作る意義も深い。ただし、カンタータを全曲録音しているのはリリングだけ。

古楽器による演奏は、80年代以降どんどん増えました。アーノンクール、ガーディナー、コープマン、ヘレヴェッヘ、マックス、クイケン、フェルトホーフェン、鈴木雅明などなど。カンタータも全て揃えられるのは、ガーディナー、コープマン、鈴木の3人です。

古楽器のものには、もう一つの流れがあってOVPP、つまり各パート一人というリフキン式のもの。元祖リフキンはロ短調ミサのみ、パロットはミサとヨハネ、マクリーシュはマタイのみ、バットのミサ、マタイとヨハネ。4曲とも完成させたのはクイケンの新録音だけでしょうか(クリオラは今月発売予定)。

一般のクラシック愛好家なら、マタイとロ短調ミサだけで十分で、フルトヴェングラーとリヒター、ガーディナーと鈴木くらいから選べば間違いなさそうです。

ちよっとバッハが好きという方には、BOXセットが入手しやすいリヒター、ガーディナー、ヘレヴェッヘあたりがお勧めかもしれません。かなり突っ込んで聞きたい人は・・・どこまででも、好きなだけどうぞ。

2014年11月14日金曜日

羊質虎皮

羊質虎皮・・・というのは、「ようしつこひ」と読みますが、虎のような皮、つまり外見は虎なのに、中身は羊ということ。

「張子の虎」という表現は、この後半だけと同じ意味。つまり、見た目はいいけど中身が無いということ。「有名無実」も、同じことを言っていると思います。

このチョコレート、どう思います。けっこう、有名らしく、いい値段のするものですが、大きくて期待して口にしたら・・・

あまりの噛み応えの無さにびっくり。うずらの卵くらいの大きさなんですが、殻だけで黄身も白身も無いのと同じ。相当ながっかり感です。

味も、よくある外国製の甘味の強い感じで、ことさら美味しいとも思えない。これのどこが人気なのか・・・おじさんにはわからない。

話は変わりますが、年内に衆議院が開散して総選挙するって・・・意味がわからない。この時期に選挙をして、多大な税金を消費しようという理由は何?

前倒しで解散する大義名分がよくわからない。もっと普通のおじさんにもわかるように、説明をしてもらいたいものだと。

もともとは大志を抱いて政治家になったはずなのに、ちょっと偉くなると政治家はこのチョコレートみたいになってしまいますね。

2014年11月13日木曜日

整理不能

本棚に詰まったCDの数々・・・いや、もう、ほんと、さすがに整理しきれなくなってきた感満載です。もともとあった、医学書はどこにいったやら。

全部クラシック関連ですが、奥と手前に2列に、だいたい作曲家別に、一部は演奏家別に並んでいるのですが、CDのケースが微妙に大きさが違うので、なかなかきれいに収まらない。

全部で何枚あるかは数えていませんが、1000枚以上はあるんでしょうか。通常のケースで1枚なら、わかりやすいのですが、数枚組もかなりありますし、箱になると数十枚で数え切れません。

平均すると、年間100枚くらいは増えている勘定になるのですが、その原因はCDデフレ。JPOPだったら、1枚2000~3000円するのですが、クラシックの場合は新譜輸入盤で1500円くらいはざら。

旧譜になると、1枚あたり数百円は当たり前。50枚組みくらいになると、1枚100円を割るものも少なくありません。

買うと、すぐにパソコンに取り込んで、あとは聴くのはパソコンか、車のナビか、あるいはテレビにUSBを突っ込んでというパターン。ほぼ、CDを直接CDプレイヤーに入れることはない。

最近、SACDがやや増えてきて、これだけは直接プレイヤーに入れないと楽しめませんが、 オーディオマニアではないので、パソコンレベルでも取り立てて不満はありません。

だったら、ダウンロードでいいじゃないかといわれそうですが、とりあえずamazonのダウンロードは利用したことがあるんです。

確かに安いし、場所も取らないわけですから、たいへん便利・・・と思いきや、まずジャケットの資料がまったくついてこない。演奏者や録音時期、場所などの基本データがないわけです。

そりゃ、今時ですから、ネットを一生懸命検索すれば何とかなることが多いのですが、クラシックの場合は簡単には見つからないことが多い。

それに、すべての音源がダウンロードできるわけではなく、中にはアルバムの一部は抜いてあるものもあったりして、あまりの不徹底ぶりにとてもがっかりするわけです。

まぁ、クラシックのCDなんて、流通量も少ないので、中にはかなりの高額で取引されているものもありますので、もしもそれなりの場所で売れば、多少はまとまった額になるかもしれませんし・・・

並べておくだけでも、所有欲みたいなものは多少なりとも満たされますし・・・いろいろな理由をつけて、周りから邪魔扱いされますが、まぁこのくらいは許してもらいたいと常日頃思っていたりするわけです。

2014年11月12日水曜日

unstable

今日は憲法記念日・・・と言っても、アゼルバイジャンでの話。

世界の地理を学んだのは40年前のことですから、今とは世界情勢はだいぶ違っている。そもそも、アゼルバイジャンなんていう国は・・・ありませんでした。

ちょいと、調べてみると、もともとソビエト連邦に含まれていた地域で、ロシア、グルジア、アルメニア、イラン、そしてカスピ海に囲まれた国。

リヒャルト・ゾルゲの出身国だそうで、音楽好きには偉大なチェロ奏者のロストロポーヴィチを産んだ国と聞くと、何か身近な感じがします。

日本という国に生まれて、半世紀暮らしていると、何も社会の枠組みは変わっていないような感じがしますが、地球規模ではずいぶんと変化がある。

第2次世界大戦までは、今で言う「先進国」の覇権争いが中心のパワーゲームが世界のバランスを保っていました。終戦後、それを引きずって冷戦が続くわけですが、次第に民族主義が台頭してきて、20世紀末にはソビエト連邦の崩壊、そして象徴的な「ベルリンの壁」が続く。

21世紀は、国という大枠では理解できない流動的な社会が、世界のニュースの中心になっているといっても過言ではありません。

人類の歴史が、あと数百年続いているなら、未来のヒトが世界地理とか世界史の中で、この時代をどのように評価するんでしょうか。その頃には、もう国という概念は完全に消えているかもしれません。

いや、何かずいぶんと大げさな話になってしまいましたが、不安定な時代だからこそ、ちょっと未来のことをきちんと予想して行動することが成功の鍵になるのかもしません。

もっとも、その頃は地球には住めなくなって、人類はスペース・コロニーに移住しているかもしれませんが・・・

2014年11月11日火曜日

HEATTECH

自分の父親は典型的な昭和人でしたから、ほぼ一年中ステテコをはいていました。親に反発するのは子の常だからというわけでもありませんが、自分はこの年になるまで、下着といえばパンツとシャツだけ。

シャツは白いランニングシャツで、今時のことばで言えばタンクトップですか。寒くても、たるんできた腕をさらし続けている。

パンツはいわゆる白のブリーフから、いつの間にかトランクスになりました。さすがに、若者のに流行のボクサーパンツは無理。

UNIQLOが先駆けとなって、今やあちこちで見かけるのが吸湿発熱繊維による衣類。UNIQLOの場合はHEATTECHと呼んでいる一連の商品が、寒くなってくると一般化しています。
 
さて、ほぼ今や自分の着ているものはUNIQLOで固めた状態なのですが、この手のものを今まで買ったことは無かったのですが、今年はついに自らの意思でポチっと通販してしまいました。

たまたまこどもの買ったHEATTACHのタイツが余っていて、ちょっと試しにはいてみたら・・・確かに、温かい感じがするし、薄くて邪魔にもなりにくい。

もともと、あまり厚着するのが好きでは無いので、こういう文明の利器というものを使うのも悪くは無いものだと、今さらながらに思ったわけです。

HEATTACHの理屈は、汗などの水分を吸収することで発熱する化学繊維を用いているとのことですが、注意しないといけないのは、その分通気性は悪く乾くのが遅いという事。

スポーツをする時などは、保水してしまうので、むしろ運動後の体温低下を来たすらしいです。特に登山などでは、そのまま寝てしまうと命に関わる事も起こりうる。

まぁ、普通のおっさんが関東あたりの市街地で使う分には、問題にする必要が無い話ではありますけどね・・・

2014年11月10日月曜日

大腿骨頚部骨折が減った?

整形外科領域では、大腿骨頚部骨折(脚の付け根の骨折)は高齢者の代表的な外傷で、いわゆる「寝たきり」になる原因のベスト3に入るようなケガです。

あからさまに転倒したりしなくても、ちょっとつまづいただけで骨折したりすることも少なくなく、骨粗鬆症が基礎疾患にあることはもちろんのことです。

骨折をすると、歩けないだけでなく、長期の臥床により肺炎や尿路感染症の合併症により命に関わる事も少なくありません。ですから、元々歩いけていた方の場合は、積極的に手術をして、できるだけ早期離床を目指す・・・というのが基本方針。

しかし、大腿骨頚部骨折の状況もこの数十年で、ずいぶんと様変わりしました。

自分が医者になった30年前は、80歳代というだけでも(長生きで)驚いていました。可能な限り骨折部を固定する手術をよくしたもので、特に週に一度バイトで出ていた市中病院では、毎週のように手術があったりしたものです。

ところが開業してみると、老人施設から脚の痛みで連れてこられるお年寄りに、この骨折はけっこうな頻度でいるのは変わりませんが、認知症もあるし何しろ元々歩けていない方ばかり。

こうなると、手術をしてもリハビリにもならないし、手術したからといって歩けるようになるわけではない。いくら骨粗鬆症でも、骨折部の癒合はしますので、合併症を予防する事と、少しでも痛みを少なくして、手術無しの治療を考えるわけです。

特に大事なのは、施設に入っている方の場合は、周りの介護しているスタッフが安心して身の回りの世話ができることです。痛がっていると、なかなか手を出しにくくなってしまいます。

そこで、股関節を外から固定するサポータなどを利用して、少しでも骨折部の安定を図りつつ、できるだけ坐位をとれるようにしたりするのが現実的。

先月あった骨粗鬆症学会で、「大腿骨頚部骨折の発生率にブレーキ」という内容の発表が岩手医科大学からありました。

70歳代では過去20年間で最も発生率が低かったということですが、80歳代でもこの5年間くらいは減少傾向が続いてるようです。

これは、骨粗鬆症の治療そのものが効果を上げていることもありますが、そもそも高齢者が圧倒的元気で運動能力を維持することができている方が増えているということなのでしょう。

ただし、喜んでいられないのは、減っているのはあくまでも発生率の話であって、実際の患者数は年々どんどん増えているということです。

発生数は20年前の2倍になっていて、高齢者の割合がどんどん増加した事をそのまま反映しているわけです。その中には、手術の適応にならない方も、ずいぶんと増えているのだろうと想像します。

とにかく、平均寿命がどんどん長くなっても、元気でいられる「健康寿命」が長くないと意味がありません。自分が高齢者と呼ばれる頃には、定年は80歳、高齢者の定義は90歳以上くらいになっているかもしれません。

2014年11月9日日曜日

三位一体節後第21主日

 三位一体節後第21主日です。キリスト教の暦は、固定した祝日もありますが、日曜日の呼び方は毎年変動する復活祭によって決まります。今年は、三位一体節後はあと2回、第23まで。11月30日から待降節となり、新しい年度に入ります。

300年前のライプツィヒでも、だいぶ寒くなって、バッハも雪のちらつく空を眺めながら曲の構想を練っていたのかもしれません。

今日のカンタータは、4曲残っています。

BWV109 われ信ず、尊き主よ、信仰なきわれを助けたまえ (1723)
BWV38 深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる (1724)
BWV98 神なしたもう御業こそ いと善けれ(1726)
BWV188 われはわが依り頼みを(1728または1729)

 BWV109は、タイトルからして、「信じるから信じていない私を助けて」という矛盾を含んだ内容。演奏も弦が比較的活躍し、全体的に重みのある雰囲気を出しています。たいていあっさりと終わる最後のコラールも、弦のからみがはっきりしていて、重厚感があります。

BWV98は、冒頭コラールのみで、終結コラールがないという形で、伴奏も最低限というあまり言うべきところがないもの。

BWV188の第1曲は、オルガン協奏曲のようなシンフォニアになっています。オリジナルは前半の譜面が失われていますが、最初オルガン協奏曲に直され、さらにバイオリン協奏曲をへて1738年にチェンバロ協奏曲 BWV1052 第3楽章として残っているもの。

ガーディナー先生の、1999年のクリスマスから始まり2000年のクリスマスまでの1年間で行ったカンタータ巡礼の全曲演奏会では、当然最後のほうに収録されています。

1998年に収録された三位一体節後カンタータ集にもBWV98が収録されていますが、やや早めの演奏。歌い方もたんぱく、録音もややオフマイク気味で、地味な曲がさらに地味に聞こえます。

2014年11月8日土曜日

燃費ゲーム

ハイブッリド・エンジンとか、あるいは電気自動車、水素エンジンなど、車の走行メカニズムの革新というのは、ガソリンを基本にした燃費改善がスタートです。

化石資源から作られるガソリンは、限界があることは当たり前。そこに、地球温暖化などの環境問題が加わってきたため、21世紀になって急激に加速されてきました。

ですから、ユーザー側も少しでも燃費をよくしようと思って走るのは、基本行動原理・・・とか言うほど大げさではないけど、バカバカしいからやめようと思っても、ついつい・・・

愛車のプリウスαですが、もともと公表されている燃費は、国土交通省審査値であるJC08モードで26.2km/Lです。

このままの燃費が出るとは、誰も思っていなくて、実際の走りでは6割程度になるというのはよく言われていること。となると、15.7km/Lくらいで、燃費を気にしていても通常のガソリン車のような走り方をしていると、確かにこの程度という数値です。

今年は、ちよっと運転の仕方を開眼しまして、車の表示ではコンスタントに20km/Lを越えるようになりました。

その極意とは!!

当たり前のことですが、法廷速度の遵守が基本中の基本。法廷速度の±10km/hの範囲で走る事。そして、発進時に急がない事。停止を予想して、早めにアクセルから足を離す事。

まぁ、結局安全運転に徹するということで、それをつまらない運転と言ってしまえばそれまでのこと。

搭載しているカーナビに、燃費記録をできる機能があるんですが、車の表示よりも燃費は少なく出てしまいます。そこんとこが、ちょいと悔しい感じ。

8月はどうしてもエアコンを使用したので、燃費は伸びませんでした。9月からは、小数点一桁で四捨五入すれば20km/Lの大台をキープ。

このところ、朝の気温がだいぶ下がってきたので、スタート時のアイドリングが長くなってきました。燃費もその分下がり気味で、車の表示でもなかなか20の大台に乗せられなくなってきています。

2014年11月7日金曜日

ハンバーグ & ソーセージ @ Hungry Tiger

クリニックのあるビルの北側、早渕川の向こう岸に、うちが開業当時からあるハングリー・タイガーの店があります。

ハングリー・タイガーというと、炭火焼の肉料理、特にハンバーグでは有名。昨日は、昼に久しぶりに行ってみました。

なんか、急にがっつり食べたくなったんですが、今回でこの店に行くのは3回目。数年に一度という頻度です。

ハンバーグは炭火で焼くと、表面に火がはいって肉汁を中に逃さないので、フライパンで焼くより何倍も美味しくなります。

今回は、「数量限定」に釣られてソーセージ付きを頼んでみました。たっぷりのマスタードが嬉しい。

それにしても、テーブルに持ってきた後に、鉄板の上でジュージューと油を飛ばすせいか、床の滑り具合が半端じゃない。スケートリンクとまでは言いませんが、すべすべです。

そして、おなかは夜までまったく減らず、夜は野菜サラダだけで済ませてしまいました。

2014年11月6日木曜日

秋から冬へ

秋も深まり、樹木も紅く染まり始めています。朝の気温も下がって、日中との寒暖差も開いてきたということ。北の方では、もう雪が普通に舞っている。

まだ、関東では寒さが本格的にならないこのくらいの頃が、自分としては一番好きな時期。とは言っても、先週から風邪気味で、鼻の通りがイマイチ。

去年は、旧暦に興味を持って日々周囲を見回していましたが、意外に暦と季節の移り変わりは、現代でも一致しているものだと思いました。

ちなみに今は二十四節気の霜降(そうこう)で、七十二候では楓蔦黄(もみじつたきばむ)ですが、それも今日まで。

明日から山茶始開(つばきはじめてひらく)ですが、寒椿はすでに蕾が出来上がり、開花の準備完了。立冬は、もうすぐそこまで来ています。

2014年11月5日水曜日

ライプツィヒ時代のバッハ (2)

ライプツィヒ時代の1年目と2年目は、バッハは毎週ある礼拝でほぼ切れ目なしに自作カンタータを演じ続けています。ただし、旧作の再利用やパロディも多め。しかし、2年目は、おそらく大いなる決意を持ってコラール・カンタータの体裁を貫き通しました。

つまりプロテスタントの基本的な讃美歌のメロディの一部を利用した合唱から始まり、アリアとレチターティボをいくつか間にはさんで、最後にコラール本体を置いて締めくくるというのが基本形です。

なお1年目の終わり、1724年4月7日の聖金曜日には、ヨハネ受難曲が初演されました。この時の楽譜はほとんど残っていませんが、最終形に近いものと考えられています。1725年3月30日の聖金曜日にも、ヨハネ受難曲が演奏されていますが、大幅に改定したものと推定されています。

1725年5月からの3年目は、残っているものは少なく、バッハの自作として確認されているものは10数曲。他人の作品、とくに親戚のおじさんJ.L.バッハのものを多く取り上げています。
1726年5月からの4年目になると、再び自作曲が並びます。興味深いのは、この年に独唱カンタータが急増していること。素晴らしい能力を持った歌い手が出てきたか、あるいは市に滞在していたのでしょうか。

1727年に、詩人ピカンダーとのコラボが始まります。そして1727年4月11日、聖金曜日には、人類最大の音楽遺産ともいわれるピカンダーの詩を用いたマタイ受難曲が初演されました。ただし、この初期稿は失われていて詳細は不明ですが、推定復元稿は唯一現役カントルのビラーの演奏があります。

その後は、残されているカンタータは激減しますが、ピカンダーの「1年分のカンタータ詩集」を用いたものが9曲あり、ほかの詩にも曲をつけた可能性は否定できません。1729年4月15日、聖金曜日に、初期稿によるマタイ受難曲が再演されています。

1730 年には市当局に対して、バッハは意見書を提出し、バッハの目指している「整った教会音楽」のために今の作曲・演奏環境が貧しいものかを訴えています。トー マスカントルとしては基本的には、これまでに作ったストックの再演で、日々の仕事をこなすことができるようになりました。

つまりバッハは、この頃に市当局との軋轢が決定的になり、トーマスカントルとしては最低限の業務をこなすことだけにして、自らのこれまでの業績を集大成する ことに力を注ぐようになるわけです。1731年の聖金曜日には、もう一つのバッハ自作の受難曲であるマルコ受難曲が演奏されていますが、歌詞のみで楽譜は完全に消失しています。

実際、教会を離れてバッハが指導を始めていた、大学生を中心としたコレギウム・ムジクムとの活動はこの頃から活発化していきます。また、彼らが演奏することを想定した世俗カンタータも、増えていきました。

1733年、バッハは市の不当な扱いに腹を据えかね、ドレスデンのザクセン選帝侯に対しキリエとグロリアからなるミサ曲を献呈し、援助を求めています。1734年 には、それまでの世俗カンタータのパロディを中心としたクリスマスオラトリオと呼ばれる、クリスマスから新年の特別な6日間に演奏するための連作カンタータがまとめられました。

1736年、ドレスデンの王室宮廷楽団付作曲家の称号を得ます。名誉職ではありましたが、益々悪化していたライプツィヒ市当局との関係には、一定の歯止めになりました。

壮年期に入ると、バッハはいくつかのミサ曲を作り出します。ミサ曲は本来カトリックの典礼のためのものですが、プロテスタントも一部は取り入れていたもので、無理な話ではありません。大部分は以前の作品のパロディで構成されていました。

そして、 1733年のミサ曲をもとに、晩年の有名なロ短調ミサ曲に集約されていくわけですが、これらの成立については不明な点が多く、何故これだけの大規模なミサ曲を作ったのか、また実際に演奏されたのか、謎だらけなのです。

いずれにしてもライプツィヒ市からは冷遇される日々に、大きなかわりはなく晩年のバッハは失明の危機にさらされ、1750年、65歳で天寿を全うするのでした。そして、人々の記憶からは、急速に忘れ去られたのです。