2015年3月31日火曜日

エンブレル10周年

21世紀の関節リウマチの治療戦略を大きく変えたのは、2003年のレミケード(インフリキシマブ)の登場です。生物学的製剤と呼ばれたこの薬によって、それまで「少しでも悪くしない」目標で満足していたものが、「治ったのと同じになる」ことがゴールと考えられるようになりました。

生物学的製剤の第2弾として発売されたのが、エンブレル(エタネルセプト)ですが、それが2005年の春のことで、エンブレルも発売10周年を迎えたわけです。

レミケードが点滴で投与するタイプであったのに比べて、エンブレルは皮下注射という簡便な方法で、患者さんが自ら注射をするという使用方法でした。これは、患者さんにも医療機関にも受け入れやすいもので、その後に登場してくる生物学的製剤の形式に大きく影響したといえます。

ただし、点滴で血管内に大量の薬が入るほうが、圧倒的に速効性であることは間違いありません。また、どうしても自己注射には抵抗がある方もわずかにいますので、患者さんの状況などによって選択されることが望ましい。

またレミケードは抗体製剤、エンブレルは受容体製剤と呼ばれ、リウマチを引き起こす免疫細胞に対する作用は異なります。期待される効果や、危惧される副作用はほぼ一緒なのですが、薬理作用が異なる事は、効果が無かったときにスイッチしてみる価値があることを意味します。

レミケードに遅れて発売されたエンブレルが10周年を迎えたということで、日本の生物学的製剤によるリウマチ治療は、名実ともに第一段階が終了したのかもしれません。

つまり、新しい治療が登場して、最初はその効果が注目されます。効果には主作用と副作用がありますから、最も安全に最大の主作用を発揮させる使用方法が検討され確立することになります。

次の段階で、この薬の問題点から、何を改良できるかが研究されていくわけで、その結果が後続の製剤に反映されてきます。製剤の構造を変えてきたり、ターゲットを変える事で、実際により広く使えるようになってきています。

さらに、この薬を止めれるのかということが議論の焦点になりました。なにしろ、大変高額な薬ですから、いくら大きな効果があるとはいえ、患者さんの経済的負担は無視できません。これらの薬を使うという話をすると、患者さんは「これで治るんですか」、「いつまで続けるんですか」というような質問を必ずしてきます。

そこで、治癒と寛解(治癒に近いが再発する危険を伴う)の違いをはっきりさせるようになり、実際に治療を中断した場合のデータが集積しました。内服薬だけの治療に比べて、寛解に至るケースは圧倒的に多いものの、残念ながら完全に治療を中止できたものは多くはありません。

やはり、根本的な原因を除去しているわけではないということです。これは、遺伝子レベルの病因の特定と、遺伝子操作技術の確立という、さらなる次のステップでの大きな課題といえますが、おそらく実現するには、まだ10年以上はかかるのかもしれません。

とは言っても、最初登場した、レミケードとエンブレルの2種類の生物学的製剤が果たした役割は大きく、医学の歴史の中でも記憶にとどめるべき重要な事項の一つだと思います。

レミケードは昨年バイオシミラーが登場し、エンブレルもおそらく来年あたりには発売になると思います。バイオシミラーは、いわゆる「ジェネリック」製剤のことで、確立した治療方法をより経済的に患者さんに提供することができるようになります。

しかし、オリジナルの薬が持っている膨大な短期~中期的なデータは、バイオシミラーには真似のできないもので、今後は長期的データの蓄積に向かって、大きな意味が出てくるはずです。考え方によっては、まだたったの10年ですから、生物学的製剤が患者さんの一生にどれだけの影響を及ぼすのかはわかっていません。

リウマチ診療が、次の10年、20年・・・どこに向かっていくのか、まだまだ研究されるべきテーマはたくさんあります。臨床家としては、たくさんのアンテナを張り巡らして、遅れをとらないように勉強を続けるしかありません。

2015年3月30日月曜日

Spring has come

春が来た~ 春が来た~ どこに来た~

横浜に来た~ 近くに来た~ 山に来た~

と、いうわけで、近くの裏山は近所では、ちょっと有名な春を満喫できる場所。

日曜日は、朝からぽかぽかの陽気だったので、山のふもとにある有名なパン屋さん「プロローグ」で朝食を調達して、花見をしながらのんびりしました。

さらに、先週の春分の日に、用事があってできなかった墓参りもすませました。

桜は、だいぶ開花してきましたが、満開まではもう少し。
間違いなく、春が来たという感じです。 

2015年3月29日日曜日

棕櫚の主日 ~ 受難週

キリスト教の教会暦では、いよいよ「受難週」に入ります。教会暦をわかりにくくしている最大のポイントは、イエスの復活を記念する復活祭を、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」として移動祝日にしたことにあります。

従って、イエスが十字架に磔刑になって亡くなるのは、その3日前の金曜日。その週の頭の日曜日が、エルサレムに入った日で、棕櫚(枝)の祝日として受難週の幕開けとなります。

原始キリスト教では、復活祭はユダヤ教の過越の祭に行われ、その始まりはユダヤ暦「ニサンの月の14日」に固定されていました。しかし、2世紀から日曜日に全教会が復活祭を行うようにするため、いろいろな論争があり、今のかたちになったと言われています。

それでも、 グレゴリオ暦を用いるカトリック、プロテスタントと違って、東方教会はユリウス暦を用いるため、今でも復活祭の日には世界中のキリスト教で一緒ではありません。

そんなこんなで、混乱の多い話ですから、ましてやキリスト教徒ではない自分にとってはややこしいことこの上ない。教会暦に沿ってバッハの教会カンタータを順番に聴こうという試みは、多くの人が考える事ですが、この当たりの整理をつけておかないと何をいつ聴くか決められないのです。

さて、棕櫚の祝日の話です。ナザレ地方出身の若者であるイエスは、たくさんの奇跡を起こし信奉するものが増えていきました。そして、ついに中心地であるエルサレムに到着したときには、人々は凱旋者を祝うための棕櫚の枝を持って歓迎したということになっています。

翌日の月曜日には、エルサレム神殿の中で店を開いて利益をむさぼっている人々に、「わたしの家を強盗の家にするな。わたしの家は祈りの家と称えられるべきなのだ」と叱って追い出しました。

火曜日には、この新興勢力に危機感を感じていたユダヤ教の司祭たちとの間で、やりとりがありました。ここで、旧勢力としては、危険分子としてイエスを排除することを再確認したのでしょう。

水曜日は、エルサレムから出て近くの村で休みます。ここで、イエスはベタニア村のマリアから高価なナルドの香油を注がれます。イエスは「わたしの葬りの用意をしてくれた」と説明しますが、イスカリオテのユダは納得できず、こっそりとエルサレムに赴き、銀貨30枚でイエスを祭司長に引き渡すことを約束します。

木曜日に、イエスは弟子たちと過越の祭りの食事、つまり「最後の晩餐」を行い、ゲッセマネの園 で祈りを捧げます。その直後に、裏切りの者のユダに引き連れられてきた者達に捕らえられ、ユダヤの法廷に連れて行かれます。

ユダヤ教に対する冒涜者と決めつけられたイエスは、ローマに対する反逆者としてローマ総督ピラトのもとに連れて行かれます。ピラトは、イエスを赦そうとしますが、ユダヤ人たちの執拗な訴えにより十字架刑を決断しました。

そして、金曜日の朝、イエスは自ら架かる十字架をゴルゴダの丘まで引きずっていき、刑に処せられ、午後3時に息を引き取ったとされています。

今日のカンタータは、マリアのお告げの祝日であげたものがあり、実質的には今日のために演奏されるべきものとなります。

今週は、カンタータよりも、別冊超特大号みたいな位置づけになる「受難曲」を聴くべき週ですから、金曜日に向けてマタイ、ヨハネの両受難曲にどっぷりと浸りたいと思います。



2015年3月28日土曜日

駅前のすっきり

クリニック最寄の駅は、横浜市営地下鉄のセンター南駅です。これまで、クリニックに来るのに「出口5番から出たら右に徒歩1分、ベルヴィル茅ヶ崎ビルの4階」みたいな案内をしてきました。

2月に、駅に隣接する長らく空き地だった場所にビルが完成して、巨大パチンコ店がオープン。まぁ、あまり嬉しいことはなく、特にクリニックとしてメリットも少ないなぁ、と思っていました。

でも、ビルの真ん中に駅に通じる通路ができたので、ちょっとだけよいかもと思える点を見つけました。この通路から、バスロータリーに出るとすぐ左にベルヴィル茅ヶ崎ビルが見やすいのです。

今までは、上をしっかり見ながら歩かないと気が付きにくかったのですが、この方だと自然に目に入りやすい。出口の番号はまだはっきりしないので、「改札を出て長~いエスカレーターを降りたら、すぐ右のビルの通路を突っ切ってバスロータリーに出て左を見て」というと探しやすいかもです。

多少は、駅前がすっきりしたというところでしょうか。パチンコ店は、まったく嬉しくないのは変わりませんが、スーパーとかドラックストアとかも入ったので、まぁ、それなりに利用客は増えるのかもというところです。

2015年3月27日金曜日

ちっさいおっさん

最近、なんとなく、プチ・・・はまっている・・・

「みつけて! おじぽっくる」というスマホゲーム。
サブタイトルは「しあわせを呼ぶちっさいおっさん」


いつのまにか、部屋の中にいる
ちっさいおっさんを探すだけのゲームです。

最初は、普通のおっさんだけですが、レベルを上げていくと、


こんなのとか、


こんなのが出てきます。

床には、ポテトチップ・・・それも青海苔のかかったのが、落ちています。
さらに枝豆もあって、嬉しい。

何が目的なのか、よくわからないゲームですが・・・

ちょっと暇つぶしには、ちょうどいい感じです。

2015年3月26日木曜日

卒業式シーズン

東京でも、桜の開花宣言がありましたが、自分の行動範囲ではめだった開花はまだのようです。今週は、寒の戻りで冷え込んでいるので、さすがに桜も顔を出せずにいる感じ。

3月もあと1週間という年度末になると、やはり卒業式が大きなイベントの筆頭でしょう。自分は、最後の卒業式に出てから、もう30年だってしまいました。

正直、最後の卒業式の記憶はほとんどない。確か、大学の学部全体が集まって体育館で行われましたが、すごい人数だったことくらいしか覚えていません。

実際、その頃は医師国家試験が2月にあって、それが大学生活最大の関門でしたから、それが終わるとあとのイベントはかなり霞んでしまいます。卒業式とかよりも、その後に始まる研修医生活のほうに気が周りそれどころではありませんでした。

今と違って、卒業した大学に残って医者をスタートする方がメジャーでしたから、あまり人との別れという雰囲気はなくて、皆で次のステージに行くという感覚だったのだろうと思います。

卒業しないと、次のステップにはいけないわけですから、今から考えるともっと卒業を大事にしておけばよかったと思います。これから卒業を迎える方は、30年たって「あー、卒業式はあんなだった、こんなだった」と記憶に残るものにしてもらいたいものです。

2015年3月25日水曜日

マリアのお告げの祝日

聖母マリアというと、イエスのお母さん。神となったイエスのお母さんですから、当然マリア信仰というものもキリスト教にはある。ただし、イエスは自らの力で昇天し神になりましたが、マリアは人間ですから、神の力を借りて昇天するという違いがあるようです。

聖母マリアについては記念する日がたくさんあり、今日は「お告げの祝日」。お告げというのは、イエスを身ごもったということで、いわゆる受胎告知のこと。天使ガブリエルがやってきて、マリアに告げるシーンは、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画だけでなく、いろいろな絵画に描かれています。

「カンタータの森を歩む(東京書籍、2004年)」という本に詳しいので、詳細を知りたい方は是非そちらを一読されることをお勧めします。

とりあえず知っておくべきことは、バッハの属していたルター派では、聖書を信仰の源としていたので、積極的にマリア信仰を推奨はしなかったということです。ですから、祝日としては2月2日「清めの祝日」、3月25日「お告げの祝日」、そして7月2日「訪問の祝日」の3つだけになっています。

今日のためにバッハが作ったカンタータがあります。それが、バッハ作品目録の1番が冠され、時によってはカンタータ第1番という云われ方をするもの。

BW1 輝く暁の明星のいと美わしきかな (1725)

1724年の5月から始まるカンタータ第2年巻は、コラールを必ず挿入して、バッハが長年目指してきた「整った教会音楽」であるコラール・カンタータの群です。この曲は、第2年巻の最後を飾る作品という位置づけになります。

もうひとつが、ワイマール時代のもの。

BWV182 天の王よ、お迎えします (1714)

いずれも、実は「お告げの祝日」と「棕櫚の主日」が重なった年に作られています。特にBWV182は、内容もマリアとはあまり関係ないテーマ。

つまり、イエスのエルサレム入城を記念するとともに、受難週の幕開けとなる「棕櫚(枝)の主日」までは、ライブツィヒでは教会でのカンタータ演奏は自粛する慣わしだったわけで、唯一音楽を演奏してよかったのは「お告げの祝日」だけ。

そこで、バッハは1724年に再演した際には、「お告げの祝日」という「建前」を利用して、受難週の幕開けを飾る音楽としたらしい。翌年にBWV1を演奏する際は、最初からどちらともとれるような内容を盛り込む事で、保守的な批判を回避する事を狙っているようです。


2015年3月24日火曜日

マタイ受難曲 Part 2 ストーリー

今日は、壮大な「マタイ受難曲」の中身について、自分の知識の整理してみたいと思います。

当時流行っていた自由詩からなるオラトリオ受難曲ではなく、聖句をふんだんに用いた古臭くなっていた受難オラトリオと呼ばれる形式です。

まずはストーリーをおさえておきましょう。とは言っても、たいていの方が知っている、イエスがエルサレムに入ってから、処刑されるまでの一連のエピソード。

詳しくは新約聖書を読めば・・・って、いや、なかなか大変ですから、遠藤習作や三浦綾子の小説がありますので、詳しく知りたい方は、こちらの方がいいかもしれません。

冒頭合唱
聖書の言葉が順番に出てくるのが当たり前だった時に、バッハの受難曲は古めかしい受難オラトリオだとしても、聴衆をはっとさせる大胆な導入が物語をよりダイナミックにする力に溢れています。ヨハネ受難曲でも、不安をあおる不協和音から、「主よ」と叫び入る形はなかなかのものでした。

ここでは、バッハは旧約聖書の雅歌の形式を利用して「シオンの娘たち」と「信じる者たち」との対話形式により、ソロモン王とイエスを重ね合わせ、これから起こるイエスの受難を歌う。

第一部

イエスが、弟子たちの前で自らの運命を預言します。これに対してヨハネ受難曲でも使われたコラールが挿入されます。司祭たちは過越祭りが終わったら、イエスを何とかしようと策略します。また罪の女の香油をたらす行為を批判する弟子たちを、イエスは逆に批判します。この後アルトのアリア「悔悛と悔恨」は、その美しい旋律に耳をうばわれます。

香油についての話を受け入れられなかったユダは、イエスを裏切る約束の代わりに祭司長から報酬を受け取るのでした。このあとのソプラノのアリア(第8曲)も素晴らしい。

そして、いよいよ最後の晩餐が執り行われます。イエスは弟子たちに、「一人が私を裏切る」と語り、ユダが去っていきます。イエスはパンを分け与え、「これは私の肉体」、そしてブドウ酒を注ぎ、「これは私の血」と話します。

その後一同はオリーブ山に登りり、イエスは受難を預言し、この受難曲のテーマソングとでもいうべき受難コラール「おお、血と傷にまみれた御頭よ」が登場します。さらにペテロに対して、「夜明けまで3度、私を知らないというだろう」ということになります。

次に、ゲツセマネの園についた一行は祈り、イエスは自らの今後に苦悩します。それをよそに弟子たちは眠りこけてしまうのでした。

そこへユダが官憲を引き連れて再登場し、イエスに口づけをし、それを合図にイエスは捕縛されます。その後にシオンの娘の嘆きやなどがあり、捕まったイエスはいろいろな罪を問われても黙秘をするのでした。大司祭は「お前は神の子、キリストなのか」と聞くと、イエスは「その通りだ」と答え、大司祭は、その答えを神への冒涜として死刑に値するとしたのです。

ここで、受難曲の演奏は一時休憩になります。礼拝は、司祭の説教の時間となります。

第二部

ペテロの最初の否認から始まります。3度、イエスを知らないと答えた直後に鶏が鳴き夜が明けます。そのあとの、アルトによるアリア「憐れんでください、神よ」はバイオリンの奏でる伴奏にのって、数あるアリアの中でも最も美しい旋律を聞かせてくれます。

イエスは総督ピラトのもとに引き渡されます。 ユダは祭司長のもとをおとずれ、報酬の銀貨を投げ返し、裏切ったことを深く後悔したのち首を吊ります。「私のイエスを返してくれ」という、バスのアリアが始まり印象を強めます。

ピラトのもとでイエスのさばきが始まります。ピラトはイエスに「お前はユダヤの王なのか」と問いますが、イエスは「その通り」と答えます。イエスの「その通り」という答えはルター派の考え方の特徴で、普通は「それはあなたが言ったことだ」というような解釈が一般的です。

ピラトはイエスを助けようとして、民衆に凶悪犯のバラバとイエスのどちらかを恩赦できると民衆に云いますが、民衆はバラバを選択し、イエスを十字架に架けろと叫びます。イエスの善行が語られたのち、ソプラノのアリアが「愛の御心から」を歌います。

しかし、煽動された民衆は納得せず、さらに十字架に架けろと叫ぶ。ピラトはあきらめて、イエスの死には自分は責任がない、お前たちがきめたことだと言います。イエスは鞭で打たれ、侮辱され、十字架に架けられけるべくゴルゴタの丘に向かって行進するのでした。

第58曲で十字架に架けられたイエスに対して、集まった人々は「自分を救ってみろ」、「神の子ならなんとかしろ」などと罵ります。イエスは、「神よ、どうして私をお見捨てになったのですか」と大声で叫びます。これが「十字架上の七つの言葉」として有名な場面。そして第61曲で、イエスが息を引き取ったことが語られます。

追悼のコラールに続いて、地震が起き神殿の幕が引裂けます。見張りをしていたものは、恐れおののいて、イエスは本当に神の子だったのだと考えます。弟子のヨセフはピラトに願い出て、イエスの死骸を貰い受け埋葬し、最後のアリア「私の心よ、おのれを清めよ」が歌われます。

大司祭らはピラトを訪ね、イエスが生前3日目に復活すると予言していたので見張りを立てるように願い出ます。しかし、受難曲は最後のコラールで、イエスの復活への期待を込めてここで終了します。

2015年3月23日月曜日

マタイ受難曲 Part 1 CD紹介

ついに来たという感じ・・・ついに、「マタイ受難曲」をタイトルにしてしまいました。

教会音楽を聴ぎだした最初の頃に、とりあえず聴かないといけない曲の一つとして取り上げたことがありますが、実はその頃はほとんど関係する地域はゼロの状態でした。

1年間、ほとんどこの手の音楽ばかりを聴いていたのですが、知れば知るほど「マタイ受難曲」のすごさというか、素晴らしさに圧倒されて、それについて何かを書くなんてことはためらわずにはいられませんでした。

 去年の待降節の時に、バッハの四大宗教曲について整理をしておこうと思ったのですが、ついにマタイだけは手を出せずに降誕祭を迎えてしまったのです。とはいっても、来週は聖金曜日が来てしまいますので、もうこれ以上先送りはできません。

断片的には、これまでにも少しずつ取り上げてきたわけですが、一般的には「人類最高の音楽遺産」というような賛辞が送られてきたのが、ヨハン・セバスチャン・バッハが作曲した「マタイ受難曲」です。

ドイツ・バロックの開祖、シュッツにも同名曲はありますし、バッハの同時代のテレマンも作曲しています。バッハの音楽がなぜそこまで讃えられるのか、きっちりと理解するのは本当に難しいことです。

幸いなことに、バッハ研究の第一人者である礒山雅氏の名著(マタイ受難曲、1994年、東京書籍)がありますので、実際のところこれを読めば、この曲に関するほぼすべてのことがわかることになっている。

当然、amazonの古書で手に入れて読みだしたのはいいのですが、キリスト教への理解が無い事には文面だけで理解しても、やはりピンっとこないものです。これは、この曲の最初の出会いから芽生えた苦手意識も関係しているのかもしれません。

クラシック音楽をそれほど集中して聴いていなかった頃に、最初に気に入った作曲家がバッハだったので、当然一番の有名曲ということで「マタイ受難曲」も聴いたのですが、これがさっぱりよくわからなくて、声楽に対しても避けるようになってしまいました。

最初に聴いたのは、メンゲルベルク指揮の1939年の録音で、この曲の録音としては「歴史的名盤」とされているものでした。古いライブ録音にも関わらず、観客がすすり泣く声も収録されているという有名な逸話があったりします。

ところが、やはりどうがんばっても戦前の音質がいいわけがない。当然、歌がたくさん出てくるのですが、ドイツ語の歌詞など理解できるわけもなく、何を歌っているんだかさっぱりわからない。そんな状態で、とにかくやたらと長くて重々しい演奏ですから、いやもう聴いているのが苦行のようですらある。

それを救ってくれたのは、やはりJ.E.ガーディナーの演奏でした。古楽器を用いたピリオド奏法で、早めのテンポで、てきぱきと進行するマタイは新鮮でした。また、歌詞の内容についても、日本語訳などを参考に多少は理解できるようになると、もうこれはすごい音楽だと思うようになりました。

ガーディナー盤を皮切りに、いくつかのセットを購入したわけですが、それを並べてみると・・・

カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団、1958年
ヘフリガー(福)、エンゲス(イ)、ゼーフリート(S)、テッパー(A)、フィッシャー=ディースカウ(B)

フリッツ・ヴェルナー指揮、プフォルツハイム室内管弦楽団、シュッツ合唱団、1959年
クレープス(福)、ケルヒ(イ)、ギーベル(S)、ギュンター(A)、ヴェルダーマン(B)

カール・ミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管弦楽団・少年聖歌隊、1964年
ピアーズ(福)、プライ(イ)、アメリング(S)、ヘフゲン(A)、ヴンダーリヒ(T)、クラウゼ(B)

ジョン・エリオット・ガーディナー指揮、イングリッシュ・パロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団、1988年
ロルフ=ジョンソン(福)、シュミット(イ)、ボニー(S)、モノイオス(S)、オッター(A)、チャンス(CT)、クルック(T)、クルック(B)、ハウプトマン(B)

ヘルマン・マックス指揮、ダス・クライネ・コンツェルト、ライニッシェ・カントライ、1995年
プレガルディエン(福)、メルテンス(イ)、フリンマー(S)、ヴィンター(S)、ノリン(A)、ヨッヘンス(T)、ヴィンマー(B)


ジョス・ファン・フェルトホーフェン指揮、オランダ・バッハ協会管弦楽団・合唱団、1997年
テュルク(福)、スミッツ(イ)、ツォマー(S)、ショル(CT)、イェルク・マンメル(T)、コーイ(B)
 
鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパン、1999年
テュルク(福)、コーイ(イ)、アージェンタ(S)、ブレイズ(CT)、桜田亮(T)、浦野智行(B) 

ジョン・バット指揮、ダンディン・コンソート&プレーヤーズ、2007年(SACD)
マルロイ(福)、ブルック(イ)、ハミルトン(S)、オズモンド(S)、ウィルキンソン(A)、ギル(A)、ベネット(T)、スコット(B)、ウォーレス(B)、ブライス(B) 

ゲオルク・クリストフ・ビラー指揮、ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団、聖トーマス教会合唱団、2006年
ゼルビック(S)、シュワルツ(A)、ベツォルト(T)、ヴァイヒェルト(B)、ラスケ(B)

ジギズヴァルト・クイケン指揮、ラ・プティット・バンド、2009年(SACD)
ゲンツ(福)、クラッベン(イ)、サーマン(S)、クイケン(S)、ノスカイオヴァ(A)、ハルト(A)、フンツィカー(T)、ニーダーマイア(B)、


ルネ・ヤーコプス指揮、ベルリン古楽アカデミー、RIAS室内合唱団、2012年(SACD)
ギューラ(福)、ヴァイサー(イエス)、スンヘ(S)、ローテルベルク(S)、フィンク(A)、シャピュイ(A)、
レーティプー(T)、トゥリュンピ(T)、ヴォルフ(B)、カタヤ(B)

・・・と、いったところ。リヒター、ヴェルナー、ミュンヒンガーはモダン楽器。いずれもゆったりした演奏ですが、リヒターが最も荘厳さを前面に出した演奏。超名盤となっていますが、自分的には重すぎでそれほどいいとは思えない。

それ以降は、すべて古楽器によるものです。合唱のすばらしさは、ガーディナーに勝るものはありません。しかし、今となっては特徴があまりない感じですので、30年近くたっていますから、是非再録音をしてもらいたいと思います。

マックスは圧倒的に短い。全体的には早いわけですが、聴かせるところはしっかり聴かせるので、聴きやすい演奏です。フェルトホーヘンはSACDの新録音がありますが、持っているのは旧盤。可もなし不可もなしというところ。鈴木雅明は、日本人としては期待して聴きましたが、大変真面目なマタイですが、やはり目立った面白味には欠けます。

21世紀になってからの録音は、なかなか面白いところを突いてくるものがそろっています。バットは1742年のバッハ自身の最終演奏版というもので、録音も優秀。演奏はほぼOVPPを採用して、マタイの骨組みがわかりやすくなります。

ビラーは現トーマスカントルであり、バッハと同じ聖トーマス教会の少年合唱団を用いています。面白いのは、バットとは逆に、1727年の初演時の形(BWV244b)での演奏というところ。ただし、中身はそれほど面白いものではありません。

クイケンは、何といってもほぼ完全なOVPPが特徴。歌手は全部で11名しかいないわけで、少年合唱に割り当てられるパートを一人のソプラノが歌うところなどが面白い。

ヤーコプスは、通常2群にわけられ左右に配置される歌手と器楽を前後に配置しました。これは、バッハの時代の教会の構造から前後が無理が無いという判断からで、SACDだからこそできる収録方法です。

4月には、エガーの率いるエンシェント室内管弦楽団による、1727年版のCDが登場します。ビラーのものが、多少消化不良君気味だったので、古楽の老舗による演奏は期待度大です。

2015年3月22日日曜日

復活節前第2主日

復活節までの秒読みも、大詰めに近づいてきた感があります。

今週もバッハのカンタータはお休みなので、聴くべき音楽が無い。300年前のライプツィヒでは、それを当たり前のこととして受け入れていたのでしょうから、教会暦に沿って聴くと決めた以上はしょうがない。

イエスの復活ということは、当然その前に「死」があるわけで、その「受難」と呼ばれるエピソードを中心にしたものが受難曲です。

12世紀頃には、復活節前第1主日(つまり今度の日曜日、棕櫚の主日とも呼ばれます)、聖火曜日、聖水曜日、そして聖金曜日に、礼拝の中で4つの福音書から受難にまつわる部分を、ほぼ単一音階によって朗誦するのが通例でした。

13世紀になると、説明部分とイエスの言葉とそのほかの登場人物の言葉を、別々の司祭や助祭らで分担するようになります。特に説明のための地の文を担当する者を福音記者(エヴァンゲリスト)と呼ぶようになります。

15世紀には、多声化が進み「受難曲」と呼べる形式が整ってきます。宗教改革以後、ドイツではドイツ語の受難曲が登場し、さらに4つの福音書を突き合わせて一つの物語とする総合テキストが使われるようになります。

17世紀、バロックの時代になると伴奏楽器が用いられるものも登場します。そして、何よりも一番の大きな変化は、自由詩や讃美歌を挿入するようになったことです。聖書の文章(聖句)のみに対して、より感情に訴えるものが作ることができるようになり、これを「オラトリオ受難曲」と呼びます。

さらに一歩進んで、受難記事を完全に新作するようになると、これらは「受難オラトリオ」と呼ばれるようになり、テレマン、ヘンデルらが曲をつけたブロッケス受難曲は有名です。

すでにテレマンのブロッケス受難曲がライプツィヒでも演奏されていた後にもかかわらず、バッハの受難曲は「オラトリオ受難曲」の形式であり、ある意味古臭い音楽だったといえます。

2015年3月21日土曜日

桂米朝死す

三代目桂米朝さんが亡くなりました。

もう、様々なところで偉業は語られており、今さらですが、戦後ほとんど消えかけた上方落語を復興させた最大の功労者であることに異を唱えるものはいません。

そして、 米朝の死によって、上方落語の真髄を語れる落語家は再びほとんどいないという状況に戻ってしまったことも、大変残念なことです。現存する「師匠」と呼ばれているような方は、もはや「お笑い芸人」の域を出るものではありません。

高校生の頃に、落語にはまったとき、江戸落語とは違う上方落語にも大変興味を持ったものです。当然、その中心は米朝、三代目桂春團治、六代目笑福亭松鶴でした。

中でも米朝は、賑やかで勢いがある関西弁ですが、一定の品があり、芸としての完成された世界は、一聴して引き込まれる魅力がありました。研究者としての知識だけなら学者ですが、それを実演するための演技者としての力量とのバランスは絶品でした。

大変多くのレパートリーがありましたが、やはり「地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)」は、最も有名な演目でしょう。上方落語には旅噺と呼ばれるジャンルがあり、その中でも最も長尺で難しいと言われています。

米朝が、散逸していたエピソードをこつこつと集めて、現代的な感覚もうまく混ぜて再構成したことは良く知られています。

最近は「落語ブーム」みたいなことが言われていますが、自分の知っている昭和の落語からすれば、芸としての熟練度は到底及ぶものではなく、江戸だけではなく桂米朝の死によって上方落語も終わった感があることが大変寂しく思います。

合掌

2015年3月20日金曜日

更科 @ 鴨志田

蕎麦は好きなんですが、◯◯そばというのが色々ある中で、特にお気に入りなのが更科。

更科は、蕎麦の実を磨きこんで、お米で言うと「大吟醸」みたいにしてから、蕎麦粉にしたものを使います。つなぎが多いわけではないのに白くて細めですが、しっかり腰がある感じの食感がいい。

家の近くのすすき野に昔からある更科は、年に何回かは行かせてもらっています。また市ヶ尾にもあって、ここも何度が行きました。前回はたまプラーザ東急にある、元祖みたいな布屋太兵衛の支店にも行ってみました。

今回は、鴨志田の更科に行きました。鴨志田は、青葉台に近く、近くにはあの内村くんも通った日体大もあります。

メニューを見ると、比較的酒のつまみになりそうなものが多いのですが、閉店時間が8時45分となっているのが残念。さすがに、車でないと行けないし、夜は無理そうです。

さて、初めての蕎麦屋では基本的にざるを注文するのですが、この日はちょっと寒かったので、カツ丼とたぬき蕎麦のセットを注文。

麺はまさに更科。温かい汁につかっていても、細くてもしっかりと腰があって合格です。汁は予想通り醤油が強めですが、他の店よりは濃すぎずいい感じ。

セットは、どちらもミニ丼みたいな器だったので、蕎麦がやや物足りない感じでした。やはり、ざるを頼んで、しっかり蕎麦の味を楽しめばよかったかなと思いましたが、こっちの方向に来たときにはまた寄りたい店です。

2015年3月19日木曜日

Windows 10

マイクロソフトの次期OSは、Windows 10で、昨年秋に発表されました。

現行のWindowsは8.1です。9を飛ばして、いきなり10にするところにマイクロソフトの意気込みが現れています。そりゃそうでしょう。Windows7は、高く評価されていて、当然その次はよりいっそうの使いやすさが求められていました。

ところが、Windows8の普及率は低迷し、パソコン市場ではWindows7を使い続けるユーザーが多い。さらに、スマートホンの普及が一気に進みましたが、Windows Phoneは、完全に置いてけぼりになってしまいました。

従来のキーボードとマウスで仕事をする人からはWindows8は使いにくく、タブレットなどのタッチパネルを使う人からも魅力に乏しいと判断された事になり、業界のトップとしての立場はかなりぐらついたことは間違いない。


パソコンからタブレット、スマートホンまで、各種の情報端末をターゲットにしているのですが、Windows10は、そういうマイクロソフトが一発逆転を狙う、起死回生の策になるのでしょうか。

そこでマイクロソフトが打ち出した措置というがすごい。Windows 10では最新の更新プログラムがインストールされたWindows 7 SP1とWindows 8.1に関しては、Windows 10発売から1年間は無料でアップデートできるとしたのです。

しかも、中国国内では4台のPCのうち3台に使われていると言われている海賊版からも、無料のアップグレードを可能にするというのは、驚くしかありません。

さて、今年の夏に正式発売の予定となっているWindows 10ですが、そのpreview版がダウンロードでき、試用できます。さすがに、この時期になると、ほぼ中身は出来上がっていて、細かなバグがあるかもしれないというレベル。

DVD1枚分のデータをダウンロードするのに1時間。さっそく、今のところ使っていないパソコンにインストールしてみました。これが、意外にもあっさり。Windows8のような雰囲気で進んだ作業は、30分程度で、特に問題なく終了。

しばらく、遊んでみたいと思いますが、どれだけ変わったのか楽しみですけど・・・

2015年3月18日水曜日

春本番

ポカポカ陽気で、春めいて来ましたが、天気は不安定。晴れたり降ったりで、スタンダードの名曲、"Come Rain, or Come Shine"なんて曲を思い出したりします。

3月も半ばになると、受験シーズンはほぼ終了。今年もたくさんの受験生が、それぞれの学校を目指してがんばったことと思います。

その結果は、まさに晴れたり降ったりだったかもしれませんが、晴れた方も、新しい環境でがんばらないと土砂降りになることはあります。今回降られた方も、やはり頑張り方次第で、晴れ間はいくらでも見る事はできるものです。

我が家では、毎年受験シーズンというものがあったのは数年前までで、まぁ人並みにいろいろとやきもきしたものですが、終わってみると親としてはずいぶんと楽になりました。

受験シーズンというのは、受験生本人だけでなく、家族も巻き込んでいるもので、みんなが大変です。ですから、そのあとの桜の開花が、よりいっそう心に残るものになるのかもしれません。

いよいよ、桜前線北上の話が出始めています。今年の桜はどうでしょうか。

2015年3月17日火曜日

STARBUCKS COFFEE @ みすずが丘

いや、そもそも、みすずが丘ってどこなんだ、という話です。

この手の地名はどこにでもありそうで、際立った特徴があるわけでもなく、だいいち一番交通量の多い国道は246号ですけど、そこから1キロくらい入り込んだ、住宅街のど真ん中です。

このみすずが丘交差点は、少なくとも3方向は間違いなく坂を上りきったところにあり、言ってみれば峠みたいな場所。

10何年か前までは何もなくて、住宅地が点在するような場所でした。四つ角の一つにローソンができて、そのあとアン・プチ・パケという人気のケーキ屋ができ・・・いくつか店が出来ては撤退はありましたが、なんとなくお店が集まってきました。

最後に残った角にできるのがSTARBUCKSというわけなんですが、それでも普通に考えたら他の土地からわざわざやってくる理由はあまり無い場所ですから、営業圏は広いとはとても思えない。

おそらく、出店理由の一つにあがるのが、坂を江田駅の方に下りたところに慶應幼稚舎が数年前にできたこと。何かとイベントでやってくる、ややハイソな親の待ち合わせや時間潰しにはうってつけ。

もっとも、さらに江田駅に寄ったところにはコメダ珈琲もあったりしますから、客の取り合いになることは必至。ただ、慶應関係者だけで経営が成り立つはずはないので、どういう勝算があるのか、是非とも聞いてみたいところです。

STARBUCKSは、テレビのコマーシャルとかは一切しないという方針があるらしく、ここまで口コミ中心で拡大してきたわけです。こういう住宅街の中は、口コミは広がりやすいのかもしれませんが、その拡大範囲は限定的。

まぁ、近場にあって困るわけではありませんので、そのうち利用することもあるかと思いますが、ドライブスルー付きで開店は4月2日です。

2015年3月16日月曜日

海老名SA下り


昨日の日曜日は、ひさしぶりに「日曜日」だっので、ちよっとどこかに行こうということになって・・・

まぁ、近くて何か面白いかもしれないということで、横浜青葉インターから東名高速道路にのって、海老名サービスエリアにいってみました。

たいしたところに行ったわけではりませんが、どこかへの帰りによる事はあっても、行くときによることはありません。何しろ、のって15分くらいでついてしまいますから、トイレタイムには早すぎる。用賀からでも30分かかりません。

実際、上りの海老名に比べると、だいぶコンパクト。上りは、東京に入る前最後のSAですから、ここぞとばかりにいろいろなお店が入って、デパ地下のようなアミューズメント・パーク状態。一方下りは、ごく普通のよくあるSAです。

それでも、日曜日のお昼時分でしたから、かなりの賑わいでした。自分たちのように、何となく来たという人もけっこういるのかもしれません。屋内よりも、外に並んでいる屋台みたいなところのほうが、個性的な店が多いように思いました。

一番人気で、行列ができてたのが肉まんの店。一つが直径5センチくらいの、飲茶みたいな肉まんが1個90円で、なかなかの人気。世界チャンピオンの店と看板に謳っていますが、なんだかよくわからない。

まぁ、とりあえず、それだけ行列になるのだから食べてみようと・・・確かに、美味しかったです。お腹を減らしていれば、10個近くは食べれるかも。

そんなわけで、ミニ・ツアーを楽しむ、春近き午後をすごしたという話です。

2015年3月15日日曜日

復活節前第3主日


今日もカンタータは無し。

教会では、音楽は自粛して、イエスの受難に向けての静かな暝想を行うべき時期ですから、いたしかたがない。

この1年間のあいだ、主としてジョン・エリオット・ガーディナー指揮、イングリッシュ・バロック・ソロイスト、モンテヴェルディ合唱団による、カンタータ全集を毎週聴いてきました。

もともとは、アルヒーフから発売された、1999年のクリスマスに始まり、2000年のクリスマスまで毎週続いた「カンタータ巡礼」というタイトルの、全曲演奏会の記録です。

アルヒーフは何故か、4枚を発売した時点で企画は頓挫。ガーディナーは残りの録音を、自主レーベルSDGを立ち上げて、継続して発売しました。

寄付などによって、2013年までに28セットによって、ついに全集が完結し、2014年はじめにアルヒーフでの発売分も含めたボックスが発売されたわけです。

内容については、今さら言う必要は無いと思いますが、このブログでも該当するCDのジャケット写真を載せてきましたが、これが大変に印象的で、一見するとバロック音楽、ましてや教会音楽とはまったく関係性を見出せないもの。

すべてが、人々の顔のアップ。しかも、ほとんどは欧米とは関係ない、アラブ、アジアの人々ばかりの顔でしめられています。この写真を撮影したのは、スティーブ・マカリーという写真家です。

マカリーはアメリカ人で、現在65歳、報道写真家として世界中に認められた人です。有名な写真家集団Magnum Photoに参加していて、アフガニスタン戦争の写真でロバート・キャパ賞を受賞しています。

特に「アフガンの少女」として知られる写真は、ナショナル・ジオクラフィック誌の表紙を飾り、 近代で最も有名な報道写真の一枚といわれています。

主として、戦争などの悲惨さに無理やり巻き込まれていく、こどもや年寄りなどの非力な人々の写真を通して非常に鮮烈なメッセージを引き出しています。ガーディナーの希望で、これらの写真が訴えかけるものと、音楽の普遍性を表すものとして使用されています。