2010年11月30日火曜日

社会

日本地理、世界地理。日本史、世界史、倫理社会なんて科目がありましたっけ。

日本史は日本軍将兵として南方戦線から戻った先生でした。昔の話はあっという間に終わって、日本近代史に突入すると、ここからが長い。とにかく太平洋戦争史の様相を呈し、話はまったく進まない。

自分の体験談を交えて、いろいろな話をしてくれました。これが。めっぽう面白い。面白いというと御幣があるかもしれませんが、さすがに実体験に基づくリアルな現代史ですから、ノートを取る手を止めて聞き入ってしまいます。

でも試験には絶対出ません。ですから、成績は悪かった。でも、それでいいと思います。先生の言いたいこと、伝えたいことが、しっかりと詰まっていたと思います。授業としては、最高に楽しかったのです。

高校3年の夏まで、医者になることに抵抗していた天邪鬼の自分だったので、理系科目よりも文系科目に興味があって、高3になっても世界地理とかの勉強をしていました。世界大戦後の東西冷戦の構図は興味深く、西側の軍事同盟のNATOに対する東側COMECOM、西側の経済同盟ECに対する東側WTなんて、今ではほとんど形骸化したり消滅した機構を必死に覚えていました。

なんてったって、NATOにロシアが参加しようかという時代になって、世界情勢の面白さは数段増していると思います。今、高校生だったらもっとはまっていたかもしれません。

なんにしても、勉強は楽しいことが一番大事。苦痛に満ちた勉強はつらい。好きこそ上手の始めなりと言いますが、好きと言う事は面白いということ。自分の好きな勉強から入っていけることができれば、受験勉強も何の問題も無いはずなんですけどね。

2010年11月29日月曜日

リウマチの学会

10月の中旬には、アメリカでリウマチの総本山みたいな学会がありました。アメリカリウマチ学会というのですが、そもそも全世界で使っているリウマチの分類基準というのを作った学会です。

この「分類基準」というのがくせものです。診断基準ではないのです。あくまでも、リウマチとそでないものを分類するだけのもので、診断を確定するものではないというわけですが、これはずいぶんとまやかしみたいなものです。

実際、診断するために誰もが使っていることは間違いなく、なんとなくごまかされているみたいな感じがします。昨年、この分類基準が22年ぶりに、やっと改訂されたのですが、今回からはヨーロッパの学会と共同の策定になっています。

それだけアメリカの学会だけでは物事が通らなくなっているということなんでしょう。世界的に、この10年間でものすごい勢いで進歩してきた分野ですから、もうアジアも含めた世界規模での研究の推進が必要な時代になってきたということです。

昨日の日曜日は、東京で行われたリウマチの学会に行ってきました。新しい分類基準の妥当性などの発表を聞いてきましたが、全体的には低調な印象でした。

もう少し次のステップを見据えたものが欲しかったというのが、正直な印象でした。実地の場で臨床をやっている立場としては、今までの総括的な話はもういいという感じです。

リウマチは治す時代になったとはいえ、実際に治ったというのはどういう状態なのか。どうやって治るようにもっていけばいいのか。臨床家が一番、それぞれで試行錯誤しているところに対しての答えがなかなか見つからない。

いずれにしても、次から次へと出てくる新しい情報をきちんと整理していくためには、なかなかただの開業医とはいえども、なかなか手を抜くことができません。

2010年11月28日日曜日

理科

理科というと、物理・化学・生物・地学といったところ。大学受験では、たいてい2科目選択で、物理・化学がメジャーです。

医学部も理系ですから、当然勉強しないといけない必須科目ではあるのですが、これも苦手だったわけですから、どうも困ったものです。

物理でいろいろな公式が出てくるたびになんのこっちゃ状態で、物理部に在籍していた効果なんて微塵もありませんでした。

物理の先生は、なかなかいい先生だったと思うんですけど、やはり自分の頭で理解できないことには抵抗し続ける、ある意味頑固だったんでしょうか。

化学は、浪人してから得意になりました。有名予備校の有名講師の授業を受けるようになってから、なるほどと思うことが続出で、けっこう自信がついた。大学にはいってからも、化学の家庭教師をしたことがありまた。

じゃあ、高校のときは、というと、もうダメダメ。またもや先生のせいにしてはいけないと思いつつも、かなりしょーもない先生だったと思います。

生徒からはいつも「いじめ」られていて、すぐに教員室に逃げ帰る。担任があわててやってきて、教員室の前で皆で謝るなんてことがありました。まるで天岩戸のようでした。

いじめる生徒が悪いことは間違いないのですが、そのくらいひどい授業だったのだろうと思います。そんなわけで、化学を好きになるわけもなく、当然できるはずがありません。

生物はあまり印象がありませんし、地学にいたってはほとんど聴いた記憶が無いくらい。でも受験の時には、暗記が得意な生徒には有利な科目ですよね。自分は1の理屈を知って10を導くタイプなので、ひたすら10を暗記するのは苦手。

本来、文系が好きだったので、理系はどれを選んでもできたためしがありません。もう一度高校生に戻ったら・・・そんなことはありませんが、最初から化学・生物くらいで攻めていたかもしれませんね。

2010年11月27日土曜日

国語

英語、数学ときたら、次は・・・国語でしょう。
国語は現代国語が普通ですけど、古いのは古文、漢字の世界になると漢文ということで、だいたい3つに分かれている・・・んですよ。

現代国語は、まあ、普通の日本語ですからそれなりに感性があればいいわけですが、それでも悲喜こもごもです。

授業で先生から教科書を読めというのはよくある話ですけど、日常茶飯事というところを日常茶番と読んでしまい大笑いされたのは、今でもトラウマです。

徹底的に苦手だったのが、古文。

もうすでに書いたかもしれませんけど、古文の先生は「痔ろう」がある「ジロー」と呼ばれていました。もちろん本名は違いますけどね。口癖は「そんな、べらぼーな話があるか」と「するってぇと!!」でした。

そんなところを、生徒も突っ込んでばっかりで、もう授業になんてなりゃしません。当然、成績なんかいいわけがない。いまだに、ちんぷんかんぷんですから、有名な古典作品の出だしですらわかっちゃいません。

漢文もだめ。あ~、ゴメンナサイ、菅野先生。自分はよくない生徒でした。れ点、返り点なんぞ、無視しまくりでした。これほど、教え甲斐の無い生徒はいなかったんでしょう。

とにかく、本を読むのが嫌いでなかったことだけが、今の知的財産です。たぶん、当時の高校生としては、かなり多めに本を読んでいたと思いますよ。もっとも、ほとんど横溝正史と江戸川乱歩の探偵小説ばかりでしたけどね。

2010年11月26日金曜日

数学

自分が高校生のときは、数Ⅰ・数ⅡB・数Ⅲという3つがありました。文系の人は数Ⅲはいらない。医学部も一応理系ですから、数Ⅲが必要でした。

数Ⅲというと、微分・積分とか複素数とか、まぁ世の中に出て使うことがあるんかしらんというような勉強ばかりがふえてくる。そこんとこが問題なんですよね。

どこかで無意識のうちに使っている知識かもとれませんが、大多数は世の中に出てからは・・・まぁ、使うことはない。知らなくても困らないと断言してもいい。

となると、あくまでも受験に勝ち抜くためだけの勉強という感じになってしまうので、本当の意味での「学び」とは違ってくるのかもしれません。

中学に入って、算数から数学に呼び方が格上げされて、なんとなくちょっと成長した気になったのもつかの間。数学の中が、代数と幾何という風に分かれている。最近は死語となっているようですが、代数は式を扱い幾何は図形を扱うわけです。

とにかく、英語に続いて、またもやしょっぱなからつまずいた。

当時は、参考書としてはモノグラフという数学のシリーズが人気でした。やたらと専門的で難しいのですが、一つ一つのテーマ毎に薄い本なので、自分の必要なところだけを揃えることができて便利でした。

えっ? 今でもある? へぇ~、そうなんだ。

実際のところ、そういうところで勉強しても、やはりそれほど好成績を取る事ができなかった自分としては、大きなことは言えません。

結局、数学は知的パズルのようなところがあって、勉強すればするほどわかるようになる・・・はずです・・・よね。

2010年11月25日木曜日

英語

初めて英語という外国語に接したのは・・・う~ん、小学生のときに聞いた外国の歌でしょうか。外国といっても、当然それはアメリカであり、プレスリーだったり、モンキーズだったり、ビートルズも英語で歌うからアメリカの歌手だと思っていたわけです。

でもって、当然ちゃんと学校で習うのは中学生になってから。ところが・・・人のせいにしてはいけませんが、最初に教わった先生がまずかった。最初が肝腎とはよく言ったもので、なにしろ''which''を「ホイッチ」と発音するように教えていただいたくらいですから、英語が好きになるわけがない。

確か、中学1年の最初の成績表では英語だけが、見事に赤い字で点が記入されていました。以来40年間にわたって、いまだにまともに英語を話すことはできない。

いや、それなりに努力はしましたよ。今みたいに映画は吹き替えが当たり前のようになっていますが、昔は字幕しかないわけで。できるだけ字幕を見ないようにしたりとか。

ビートルズはイギリスのバンドであることも認識しましたから、音楽だって歌詞を覚えようと頑張った。ビートルズの''Hey Jude''は、
♪ヘイ、ジュード。ドンビアフレイド。ラーララ、ラララッラァ~

ギルバート・オサリバンの大ヒット曲''Alone Again''だって、出だしはこうです。
♪メナメナハーフナウ、ハッピナガニレッサ・・・

う~ん、結局カタカナで耳コピしたみたいなものですから、だめですよね。

何度か外国に行っていますが、行くと何とか頑張って英会話らしきものをしようと頑張ってはみる。すると数日して、何とか簡単なことは意思が通じるようになるんですけど、その頃に帰国してしまいます。そして、ひたすら英語で会話をしない日々が続くわけです。次に外国に行ったときは・・・

うちのこどもが、中学に入って時に英語を勉強するようになって、「チャイアー」とか言っているんですよ。なんだそれ、って聞くと椅子(chair)のことだって。いやもう、自分と同じようなことを繰り返しているわけで、これじゃ後が思いやられる。案の定、今でも英語で苦しんでいるわけです。

さよならおじさんで有名な淀川長冶さんは、映画の宣伝部で仕事をしていた時に、英語の題名を訳す仕事をしていて、名訳がいろいろあるわけですが、「英語なんてわからない単語は全部無視すればいい。いくつかでも知っている単語があれば、だいたい何がいいたいのかわかる」みたいなことを、どこかに書いていました。

これを読んで、目からうろこというほどではありませんが、なるほどと思いました。わからないところで思考が停止していた自分は、そこは無視して先に進んでしまうことで大意を掴むということができるようになりました。

受験英語はそういうわけにはいかないかもしれませんが、英語を道具として考えるならとりあえず悪い方法ではありません。なんにしても、最初にいい先生にめぐり合うことも大事ですよね。何十年たっても、日本の英語教育は進歩が無いなぁ、と思っているのは自分だけでしょうか。

2010年11月24日水曜日

手術

整形外科外来というのは、「外科」といっても外来でいきなり手術するわけでもなく、まぁ整形内科という状態であるわけです。開業医は、事実上手術という治療手段はほぼ無いと言ってもいいわけで、ますます内科的側面が強くなるのはしょうがない。

勤務医をしていてどうしても薬やリハビリテーションの治療だけでは不十分というときには、手術という強力な手段がありました。もっとも、どんなときにも手術でなんとかなるというわけではありませんが、やはり頼りになる武器であることはまちがいありません。

しかし、注意したいのは安易に手術を選択してしまうかもしれないということです。手術をしたいと思う医者が説明すると、どうしても手術が一番いい方法のような話になりやすい。

最近は、手術するにも山ほど書類を説明しながらわたして、うんざりするほどの署名を患者さんからもらわないといけないので、さすがに安易に手術を薦めたりはしないと思います。

それを医療の萎縮と考えるか、適正化ととるかはいろいろと意見が分かれるところでしょう。日本人の場合は、根源的に手術はできることならしたくないと考える人が多い。

それが悪いわけではありませんが、中には手術でしか治療のしようが無い問題も少なからずあることも事実なので、やはりできるだけ公正に情報を提供することが医者に求められているわけです。

まぁ、考え出すと難しいことになってくるので、このくらいにしておきますが、開業して5年たって手術から離れていると、ますます手術が下手くそになっていく自分がはっきりと自覚できるのです。やはり術ですから、いつでもやっていないとダメなんだなぁと思いますね。

2010年11月23日火曜日

グレン・グールドは語る(ちくま学術文庫)

久しぶりに本を買いました。タイトルからして、さもありなんというようなもので、どうせ読むならもっと他に意義深い物がいくらでもあるよと言われそうです。

グレン・グールドは、言わずと知れたクラシック・ピアニスト。若くしてバッハのゴールドベルグ変奏曲のレコードで一躍有名となりました。このレコードはいまだに売れ続ける、クラシック音楽会のロングセラーとなっています。

それにもまして彼を伝説の人としているのが、数々の非凡な行動や言動であることは、いまさら説明するまでもありません。

演奏するときはこどもの頃から使っている椅子を自分でセットして、床すれすれの低い位置に座り、鼻を鍵盤にこすらんばかりの姿勢で演奏します。

演奏しながら、しばしば鼻歌のように自分で声を出し、それがまたレコードに克明に記録されている。演奏しながら、片手があくと指揮者のように振り回す。

大指揮者レナード・バーンスタインにはテンポの注文を出し、コンサート前にバーンスタインは客に向かって「これは自分の意図する演奏ではない」と異例のアナウンスをしました。

人気絶頂の時に、人前で演奏することが嫌になりコンサート活動をしなくなりました。そして、ひたすらレコード制作に専念するという、およそクラシック・ピアニストとしては不思議な活動を行いました。

モーツァルトは享楽主義として切り捨て、ベートーヴェンの英雄主義には意義を唱え、夏目漱石の「草枕」を愛読し、ビートルズを批判しました。

録音では、当時ポップスでは当たり前のように行われていた録音テープの切り貼り編集を行い、最良の音を残すことに集中し、これもまた普通のクラシック音楽の批評家の格好の攻撃の的となりました。

四半世紀にわたる音楽活動は、ゴールドベルグ変奏曲の再録音で締めくくられ、レコードが発売されてすぐに脳出血で亡くなったのは、わずかに50歳の時だったのです。

ちょっと、思い出すだけでもいろいろなエピソードが様々な尾ひれをつけて語られているのです。グールド自身が残した厖大な文章もありますが、グールドはいつでも鎧を身につけて話としてはよくわからない。

この本は、アメリカの有名な「Rolling Stone」誌に掲載されたロング・インタヴューを元に構成された物で、グールドもクラシック関係の雑誌の取材ではないのでけっこう気楽にしゃべっていたのか、おそらく正直にいろいろなことを話しているように思えます。

訳者はグールド研究では日本の第一人者の宮澤淳一ですから、もうグールドの言いたいことはまったくお見通しで、実にストレートですが、わかりやすい文章となっていて読みやすい。

それにしても、正味200ページもない、この薄い文庫本が1100円というのは・・・随分と本も高くなった物です。これでは、ますます活字離れは進むのはいたしかたがないところでしょうか。

2010年11月22日月曜日

Call of Duty

Call of Duty・・・って知ってます?

ゲームです。一人称視点の射撃(first person shooting)を目的とした3Dゲームで、最近ではこのジャンルで最も人気のあるゲームのひとつ。

この手のゲームの元祖はいわずと知れた''Wolfenstein''です。ナチスの要塞から脱出するのが目的で、途中でドイツ兵を打ち倒していくわけ。

そして、ジャンルを確立したのは宇宙生物に占拠された宇宙基地を助ける''DOOM''です。ここから、似たようなゲームがうじゃうじゃ、さらに''Quake''といったヒット作もありました。

Call of Dutyは2004年に始まるシリーズで、宇宙物、ファンタジー物と広がりすぎたゲーム世界を、人間対人間の現実的な世界に引き戻しました。最初のタイトルは第二次世界大戦を舞台にドイツ軍対アメリカ、イギリス、ソビエトの戦いを描いています。

体力は落ちているヘルスパックを拾うことで回復するのですが、ヘルスが落ちている場所を考えながら動かないといけないので自由度は低くなってしまいます。

そこで、2005年のCall of Duty 2からは、一定時間で自然と回復する仕組みに変わりました。舞台は同じ第二次世界大戦、対戦相手も同じですが、よりリアルな戦いが売りとなっています。

3はXbox専用だったのでわかりませんが、2007年の4は、''Modern Warfare''というタイトルで舞台をいきなり現代社会に移し、アメリカ、およびイギリス対イスラム世界という、まさに世相を反映させたような設定になりました。武器もいきなりモダンになりましたが、その分現実的すぎて、どうなんでしょうか。

そして4は''World at War''となり、ふたたび第二次世界大戦の世界。ところが、今度は敵には日本軍もくわわり、「天皇陛下万歳!!」と叫んで玉砕戦法で挑んでくる日本兵は、さすがに日本人としては複雑な心境になります。

昨年発売された5作目になる''Modern Wafare 2''は、ふたたびイスラムの世界で、前作のストーリーを一部引き継いでいますが、最終的には悪者は裏切り者のアメリカ軍大将というのは、やはりいろいろな事情を考慮しているのかと思います。

そして、今度のクリスマスを目前に最新作''Black Ops''が発売されることになっているわけですが、前作でプロダクション内のいろいろなトラブルがあったらしく、スタッフが相当入れ替わっているはずで、どの程度のクオリティが保たれているのか注目されます。

しかし、言ってみれば「殺人ゲーム」みたいなところがあるわけで、これをただのゲームとして考えてもなかなか手放しに面白がるわけにはいきません。トランプやチェッカーやダイヤモンドゲームのようなボードゲームで、みんなでわいわい楽しむ時代は完全に過去のこと。

いまや、仲間とチャットやスカイプで連絡を取り合い、マルチプレイヤーシステムであちこちの離れた場所から同じ戦場へ入り込み、敵を倒して喜んでいるという時代。

それがいいのか悪いのか、とにかくパソコンの普及、ネットの広がりは人間を確実に買えているようです。

2010年11月21日日曜日

ネタなしの日

今日はネタがない。
う~ん、たまにこういう日があるものです。
明日、また出直しますので、
これにて失礼します。

2010年11月20日土曜日

雑記帳

この前の木曜日は、恒例となりましたヘルパー研修会の講師を新横浜でやってきました。先週の日体大の講義と違って、なにしろ3時間の講義というのは、もう果てしなく喋り続けている感じがします。

もう何回やったか覚えていませんが、おそらく介護関係の仕事に就いた方の200人くらいには講義をしたのではないでしょうか。まぁ、ここまで来たらできる限り続けていくのも「地域密着」を目指す開業医としての責務かもしれません。

金曜日は医師会の理事会。公益法人改革という政治決定により、医師会のような団体の身の振り方を決めなければいけません。なかなか大きな問題で、自分にはよくわからない。何度聞いても、う~んっという感じです。

そんな中で、自分の医療法人化に伴ういろいろなところとの契約などを整理しなければいけないというのも、しんどいものがあります。口座振替の変更だけでもうんざりするほどあります。

しかし、世の中を見渡すと、国政の場では相変わらずの低級な発言が飛び交い、また与野党は非難合戦に明け暮れている。裁判員裁判では判決で死刑が言い渡されのに、裁判長は被告に告訴を薦めたり。

明るい話題は、すぐにもっと暗い話題で塗り替えられていくことの連続で、一市民としては、何とも言えない切ない気分です。あっという間に11月も後半に突入して、今年も残すところあと1ヶ月ちょっと。今年のニュースを選ぶのもつらいところでしょうね。

受験生にとっても、センター試験まであと2ヶ月。もう、のんびりしている暇はありません。なんだか、もろもろのせわしいことだらけで、まさに光陰矢の如く状態。時間がいくらあっても足りません。

明日は、自分が担当の医師会仕事である、都筑公会堂で救命講習会と市民医学講演会。聞いておいて損のない災害時の「誰にでもできる救命・救急処置」についての講演です。是非、一般の方はお越しいただきたいと思います。

2010年11月19日金曜日

塾帰り

最初に塾というものに行ったのは・・・たぶん中3くらいの頃だったか。渋谷の懐かしい今は無き「仁丹ビル」の近く。宮益坂を上って青山学院大学の間くらい。ちょっと入ったところだったと思います。

ところが、自分は私立だったので、ほとんどの公立の(小学校の同級生が多かったわけですが)生徒とはやっていることが違いすぎるということで、クビになってしまいました。そりゃ、悲しいものがありますよ。

楽しみは、青山通りに出たところに博多ラーメンの店「きんしゃい麺」とかいうのがあって、帰りにここでラーメンを食べること。当時は、鶏がらベースの醤油ラーメンか札幌味噌ラーメンしか無かった時代ですから、博多とんこつ味というのが、とにかく衝撃的な旨さでした。

結局、高校からは学校の友人と中目黒のこじんまりとした塾に通うことになったのですが、この塾の先生というのがけっこういい加減。確か年末だったか、忘年会をするということになって塾で酒盛り。本当に酒がでてきましたよ。

特にウォッカというものにびっくり。なんてったって、アルコール度数50ですから、もう一度口に入れると火を噴きそうになる。その割には、けっこう呑めたりして、いやもう大変な騒ぎでした。いい時代?だったんですね。

それはともかく、楽しみはというと、やはりラーメン。中目黒から渋谷までは歩いて帰るんですけど、そこで電車賃をけちって途中にあるラーメン屋に入るわけです。もう名前も覚えていない、普通のラーメン屋さん。ところが、なんと普通のラーメン、鶏がら醤油、チャーシューとメンマとナルト、ほうれん草と海苔がのっている・・・それが100円だったんです。

なんともこれが旨い。こういう、寄り道、道草というのは本当に楽しいものですし、こどもにしてみれば、小さいけれど冒険みたいなもので、ちょっと大人に近づいたみたいな気分になれたものなのです。

2010年11月18日木曜日

田園都市リウマチフォーラム

昨日、第1回田園都市リウマチフォーラムに参加してきました。

これは、横浜・川崎近辺の田園都市線沿線で関節リウマチを専門として診療する医者の集まりで、情報交換・質疑応答などを通して診療技術の向上をはかるための会合なのです。

と、まぁ偉そうに説明しましたが、実は今までちょこちょこやっていた横浜市青葉区のひろた内科クリニック、横浜市緑区のあゆみクリニックとの3者勉強会を拡大したもので、うちのクリニックを含めて発起人・世話人として立ち上げたのです。

さらに聖マリアンナ医科大学膠原病リウマチ内科のバックアップを得て、診診連携・病診療連携を強めていくというのも大事な目的にあります。

とりあえず、第1回ということで、今回は聖マリの山田先生に講演をしていただきました。先週、アメリカリウマチ学会があったばかりなので、出席したホットな話題をいくつか紹介していただきました。

そのあとに症例検討ということで、今回は川崎市の先生から、かなり画期的なケースの提示がありました。生物学的製剤の使用により、リウマチ患者さんのある程度の骨変化の回復が可能ということは以前から言われています。しかし、明らかに崩れた骨が修復されるかというと?マークが一杯つくというのが一般的な考え方。

もちろん、大々的な変形ではないのですが、明らかに変形した部分が経年的に修復された症例を見せていただきました。これは、いままで見せられた以上の回復であるといえ、聖マリの先生方興味深く見ていました。

こういう症例が、意外と開業医の中に埋もれているとしたら、それを発掘して他の医者に情報として提供できたことは意義深い。ますます、医療機関の連携を深めて中身の濃い会に発展させたいものだと思うのでした。

2010年11月17日水曜日

息子は誰と?

今日は内の息子は、れいのばしょにお出かけです

こんな写真を送ってきてくれました

学校をさぼっている、

わけじゃありません

父兄個人面談のため休校

男の子たちだけだとしたら、寂しいけどね

2010年11月16日火曜日

挨拶

今日は今シーズン一番の冷え込み、ということで寒さもだんだん本格的になってきました。

さて、挨拶というのは人との付き合いの仲で基本的な事柄ですから、最近Dr.Flickerも外来での患者さんとの挨拶は大事にしているということを書いていました。

もちろん、自分も挨拶については気をつけていることのひとつです。朝は「おはようございます」、昼は「こんにちは」、夜は「こんばんは」というのは基本中の基本。

でも、じゃぁ、その使い分けの境界の時間はいつ?

これがなかなか難しい。朝一番の午前9時から10時くらいまでは「おはようございます」で、たいてい間違いない。患者さんに先を越されて挨拶されても、それほど食い違うことはありません。

ところが10時くらいからは「こんにちは」と言われることが多くなってきます。12時過ぎれば「こんにちは」しかなくなってきます。

クリニックは午後7時までですが、さすがに夕方の延長という感じなので、「こんばんは」という挨拶をすることはほとんどないと言って良い。午後は「こんにちは」一本で困らない。

ですから問題は午前10時から12時くらいの2時間くらいということでしょうか。こちらが「おはようございます」というつもりでいるところに、先に「こんにちは」と言われてしまうと、なかなかすぐに頭の回路を切り替えられないものです。

できることなら、波長が一致して同じ言葉で挨拶を交わせるのが理想なんですけどね。毎日、それまで知らなかった方と顔を合わすことが多い仕事ですから、そんなことにもいろいろと考え込んでしまうのでした。

2010年11月15日月曜日

法人化の途中

クリニック法人化する・・・ということは、支店をだせるとか、より地域の医療に貢献することを約束させられるとか、まぁ建前としてはいろいろあるのですが、正直言うと税金対策という側面は無視できません。

さて医療法人の申請は年に2回ということで、5月に仮の申請をして8月に本申請の許可が出て、10月の末に申請が通りました。今月はばたばたです。

開業の時の借金をどうするのか。一部は法人に引き継げたのですが、またこの手続きが大変です。もう印鑑証明を何度取りに行けばいいのか、という感じですが、これは自分がもともと借金をしているからしょうがない。

そして、さらに一部は・・・・って、つまり自己資金ゼロ開業をした自分なので、複数の借金があるわけです。そして、その一部は、引継ぎができないということで、借り換えをする計画になっています。

開業前の閑なときならいざ知らず、さすがに今は自分から動くことができることは限定されてしまいます。もう、税理士事務所におんぶにだっこ。言われたとおりに書類を用意して、とにかく言われたことを一つ一つこなしていくだけです。

それでも、公的な部分はいろいろ手配をしてくれますが、それ以外にもいろいろと変更をしないといけないことが山ほどあります。

レントゲン機械のメンテナンス契約。血液検査などをやってもらう検査会社との契約。クリニックから出る産業廃棄物、つまり医療ごみの業者との契約。電子カルテの使用についての契約。薬問屋さんとの契約。

他にも、電話、電気、水道、インターネットなどの個人契約になっていたものも法人としての契約に変更していかなければいけません。あ~、もう連絡するだけで頭が痛い。クリニックでの診療をしているので、自分が動ける時間というのは、ごくわずかです。

これも一歩進化するための通り道ですし、なんにしても自分のためですから文句は言えません。とにかく、毎日あたふたしてばかりですけど、なんとか漏れが無いようにやっていきたいと思うばかりです。

2010年11月14日日曜日

認定リウマチ医研修会

今日は朝から新宿へ。JR新宿駅で下りて、向かうのは京王プラザホテル。日本整形外科学会認定リウマチ医のための研修会に行って来ました。

これは、どちらかというと新たに資格を取りたい人向けの研修会で、内容的にはけっこう基礎的な話が多い・・・のですが、なにしろ、こういうまとめて単位を取れるときに取っておかないと、資格を継続するための単位集めがなかなか大変なのです。

普通に考えれば、年に数回講演会に参加していれば、それほど困らないのでしょうけれど、なにしろ開業してからしばらくはそんな余裕がありませんでした。去年からは、だいぶ単位を集め始めたのですが、ちょうど整形外科専門医の単位集めと重なってしまったので、まずはそっちを優先。
今年度はリウマチ医の単位集めを、と思ったのですが、これが意外と講演会は少ない。近場で行ける所と言うのは限られていますから、けっこう大変なのです。

今日1日で6講演を聞いてきたのですが、大半はもういまさら的な話でしたが、中にひとつたいへん勉強になったのが、間質性肺炎の話。これは純粋に呼吸器内科の話ですが、なにしろ関節リウマチの合併症として熟知しておく必要があるテーマ。

特発性肺線維症という大きな概念からリウマチ関係の間質性肺炎に至る話で、整形外科の講演ではなかなか聞くことがない話題ですから、呼吸器科の先生の話を聞けるのは貴重な時間でした。

今となっては、こういう勉強を最初からしていればよかったというところですが、もちろん整形外科としての勉強をしてきたベースがあるから、今新たに勉強したいことが増えてくるわけです。

それにしても、喋るほうも大変なのは十分承知していますが、1時間の講義を6コマ聴き続けるというのは、まじ疲れました。半分は寝ていたかもしれません。これからは、ちょっとずつ単位のポイントをためてあたふたしないようにしたいものです。

2010年11月13日土曜日

日々雑感

こんばんは・・・わ。寒くなってきました。11月になって、早くもつきの半分くらいが終わろうとしています。つきの始めにはやることが多くて、あたふたあたふたとしているとあっという間にこの時期になっているわけです。

今日は昼休みにテレビで原宿が映っていたんですが、あ~昔はここにRalph Laurenの店があったんだよなぁ、とか思っていました。基本的にはトラッドなファッションが好き・・・というか、それしか知らないみたいなところがあって、いまだにワイシャツはボタンダウン。

あすなろ海水魚館は7月末くらいにカクレクマノミとフレームエンゼルの2匹になってからは、とても平和な日々がつづいています。一度はカクレは白点病になりましたが、治療の甲斐があってなんとか無事にのりこえました。海水魚飼育のアクアリストとしては、一皮向けた感じがしています。

淡水魚館は2週間前にグッピーが出産。その時の8匹のベビーのうち5匹は生き残って、自由気ままに水槽を泳いでいます。母親はさらにお腹が膨らんでいても来週始めには、また出産をするのでないかと思っています。水槽を大きなものに交換する必要が出てきました。

スタッフの一人がかぜをひきました。たしかに空気の乾燥も進んでおり、静電気の悩みも出始めています。でも、鼻水がさらさらでどうも花粉症の疑いが・・・

巷ではインフルエンザの話題もちらほら。大きなニュースになると、皆さん急に心配になるものです。うちはかかりつけ(すでに患者番号のあるかた)の患者さんのためのサービスとしてワクチン接種の用意をしています。かかりつけではない方は値段が高くなっていますのでご了承ください。

大騒ぎのヨコハマAPECも、いよいよ今日明日が本番。このイベントは民主党では仕分けをしないのでしょうか。この2日間のために何億もの金が動くというじゃないですか。結果として、日本にとっていい方向性が出せるならいいですけどね。

自宅に帰ったら、長女の友人が来ていました。高校以来の友だちで、何度も来ているので、もう家族に近いような存在です。一緒に夕食も食べてもらって、楽しくすごしました。

あ~、明日は1日中研修会です。寝ることにしましょう。

2010年11月12日金曜日

日本体育大学・健志台キャンパス

今日はクリニックを休診にして・・・日本体育大学で講義をしてきました。
場所は世田谷ではなくて、横浜・健志台キャンパス。青葉区のこどもの国の近くに広大なキャンパスがあるんですね。幸い、クリニックからはそれほど遠くありません。

なんで日体大か、というと、女子医リウマチセンターでお世話になった先生が、その後日体大の教授で転出されていたんです。でもって、なんとか一度授業をやってくれないかというので、木曜日の午後ならなんとかできますと返事をしていたのです。

今年度は、もう日程などが決まっていてどうしても金曜日しかないということだったわけです。断るのは簡単ですが、一度いいですと言ったからにはできるだけ約束は実行したいものだと思いました。

そもそも、講義をするのは嫌いではなくて、自分にとっても気分転換になって大変好都合。開業医で、毎日毎日の仕事ばかり追われていると、違うことをやってみたくなります。

テーマは「スポーツによる手・肘の障害」ということで、関節リウマチ以外では自分の最も得意とするところですから、準備はそれほど大変ではありません。今までに講義などで使った、スライドファイルの再利用を中心にして、スポーツ用に手直ししたものを使いました。

それにしても、医者というのは教育学についてはまったく勉強していないので、考えてみればずいぶんといい加減なことをしているのかもしれません。

今までに、医学部の学生、看護学部の学生、理学療法士の学校の学生、介護ヘルパーの研修生などに授業をしたとがありますが、いずれも大なり小なり医学的な知識を説明するベースはある方たちなので比較的楽チン。

今回は、まったくの学生ですから、医学的知識はゼロという前提で話さないといけない。それもうちのこどもと同じ年頃の学生ですからね。まぁ、若いっていうのはいいもんです。

なんと言っても、リアクションがいい。質問しても、反応が早い。喋るほうばかりが楽しんでしまい、ちゃんと内容がつたわりましたでしょうか。こういう授業は何度頼まれても、できるだけやりたいものです。

最後の質問で、「どぉーやって、勉強したんですかぁ?」というのがあったんですけど、「カンペを一生懸命作る」なんていういい加減な答えをしてしまいました。でも、本当です。カンペは、勉強のまとめを作ることで、これをやるとけっこう頭に入るもんなんですよね。そうすると、実際にはカンペは使わなくてよくなるんです。
写真は、学生に許可を得てのせさせていただきました。

2010年11月11日木曜日

明日の午後は臨時休診

明日は - 11月12日、金曜日。クリニックは午前中は普通に診療しますが、午後から休診です。
大変ご迷惑をおかけいたします。1ヶ月前からクリニック内にはお知らせを貼り出しています。あわせて、ホームページやこのブログにも掲示しています。

でも、知らずにいらっしゃる方がいるかもしれません。扉が閉まっていて、がっかりされることと思いますが、すべての方に徹底周知することはなかなか難しい。おいでになった方には、申し訳ありませんと頭を下げるしかありません。

でもって、わざわざ休みにする理由とは・・・

開業医がクリニックを臨時に休みにするのは、自分が病気の時、家族の不幸くらいのものでめったにあるものではありません。当然、1ヶ月前から決まっていた予定ですから、そういうものではありません。

実は、某大学で臨時講師として授業をすることになっているのです。お世話なった先生から頼まれて、木曜日の午後ならと約束していたのですが、どうしても木曜日に授業が組めないため、今回だけは何とかしてと言われたものなのです。

開業医であるからには、クリニックの診療よりも大切なものは基本的には無いのですが、人に物を頼まれるということ、一度約束したことを守ることは、それなりに意味があることだと思います。

どんなところに言ってきたかは、また明日報告しますね。

2010年11月10日水曜日

KPOP Girl Group

どうも最近の韓流・・・イケメン俳優から女の子グループに移ってきましたね。おじさん的には、あまり深入りするようなものではないのですが、一応、今時の事情には敏感でいたいというところあって・・・複雑です。

とりあえず、Girls' Generationは押さえておかないとね。だって、毎朝見ている「めざましテレビ」でも、ずいぶんと取り上げるんですよ。別に興味は無くても、多少彼女たちの冠する知識が増えてしまいます。

さすがに、メンバー一人一人の名前を覚えようとは思いませんけど。・・・本当ですよ。あんまり言うと、いいわけみたいですけど。

ノ・ノ・ノ・ノ・ノッォ~なんて言って、受けを狙うというのも、中年のおっさんの特徴ですから、まぁ許していただきたいと思いますけどね。

ところが、さらにKARAというグループが、一気に知名度を上げてきましたよね。うちの高校生は、こっちのほうがいいらしい。現役世代がKARAの方がいいというのは何故なのか、おじさんにはまったくわかりません。

「めざましどようび」のテーマ曲は、ビッグバンからKARAの新曲に変わりました。ヒップダンスからジャンピン・ダンス。高校生はうきうきですが、やはりおじさんにはよくわからない。

まぁ、単純にポップスとしては楽しめますが、こんな曲ならどこにでもあるでしょう。やはり、彼女たちのキャラにはいりこめないと本当のところは楽しめないんでしょうかね。

まぁ、おじさんは百恵ちゃんですから。隣の真理ちゃんでもいけど、明菜はもうだめです。アイドルは世代とともに変わっていくものですから、なんでもいいんですけど・・・

まぁ、単純に楽しむしかないか・・・

2010年11月9日火曜日

飲酒勉強

飲酒しながらの勉強というのも、どうも申し訳ないのですが、大人の特権みたいなものでして・・・

今夜はリウマチの新薬についての説明を聞きにいったのですが、いつもの仲良し先生と一緒で、もう質問しまくって、大変有意義でした。

まじめな薬の説明会だと、かしこまって上っ面の話で終わってしまうことが多い(薬屋さんゴメンナサイ)のですが、今夜はいろいろ質問して薬屋さんは困ったかもしれません。

というわけで、場所はたまプラーザの・・・

あ~、すみません。飲酒勉強の飲酒ブログでは、このへんにしておきます。

2010年11月8日月曜日

Stanley Cubric / SHiNiNG

冬来たりなば・・・寒くなってきました。いまだに半袖のワイシャツを着ているというのも、ずいぶんノー天気な自分ですが、さすがに上着は必要。なにしろ、昨日は立冬でしたから。寒くなってくると、空気が乾燥してきてそろそろ静電気が気になる。何かに触るたびに、パチっとなって痛いのでいやぁ~なものです。

さて、冬の映画というのもいろいろあるわけですが、心温まる系もいいけど、全編「雪に閉ざされた密室」と化した状態が、けっこうなサスペンスを生み出すのです。

推理小説でも、金田一耕助が探偵デヴューした「本陣殺人事件」は、密室になりにくい日本家屋を雪で囲むことで,実質的な密室を作り出すことに成功した作品として有名です。

話を元に戻すと、この雪に閉ざされた世界を効果的に使ったのが、スタンリー・キューブリック監督の「シャイニング(1980)」です。スリラー小説家のスティーブン・キングの原作を元にしてはいますが、キューブリックは大幅に内容を変えて、もうほとんど偏執狂キューブリックのオリジナル作品と言ってもいいくらい。

キングはこの作品を原作から大きく変更されたのが気に入らず、後年自分で監督してドラマ化しましたが、あまりに間抜けな出来映えで箸にも棒にもかかりませんでした。

なんといっても、主役のジャック・ニコルソンがいい。「イージーライダー」、「カッコーの巣の上で」と順調に70年代アメリカの狂気を演じてきて、ついにこの映画で完全に自ら狂人となって、家族に襲いかかるようになりました。そのすさまじい演技は、わかっていても背筋がぞっとするような迫力があります。

キューブリックは、まったくぶれずに移動していくカメラワークを多用して、静寂の中にすこしずつ恐怖の伏線をはりめぐらしていきます。最後の雪の迷路の中での追いかけっこでは、一気にたたみかけるように見ている者を恐怖のどん底に陥れていきました。

そして、まったく原作を無視した結末。狂気が満ちた古ホテルの中に取り込まれてしまったニコルソン。見終わった後も、じわーっと恐怖が後を引く最高の演出ではないでしょうか。

すでに30年前の映画ですから、もはやホラー映画としては古典の範疇に入ってくるわけですが、心理的な恐怖をあおっていく手法は、この後のいろいろな映画への大きな影響を与えたといってもいいのではないでしょうか。

あー、なんか書いていたら、無性にまた見たくなってきました。

2010年11月7日日曜日

整形外科の未来

整形外科のテリトリーは疾患が少なく、どちらかというと外傷が中心と思われがちです。まぁ、実際そうなんだからしょうがない。変形性関節症、変形性脊椎症といっている病気は大変多くの患者さんにみられるわけですが、これらは加齢性の問題が大きいので、純粋に病気かというとちょっと違うわけです。

その中で関節リウマチは数少ない整形外科の純然たる病気なのですが、治療戦略の進歩により外科的治療の機会は減少し、どちらかというと内科的側面がしだいに膨らんでいることは否定できません。

他には痛風という疾患がありますが、これも根本的な病態は高尿酸血症という代謝性疾患であり、もともと外科治療の介入することはまずありません。筋肉の病気も通常は神経内科の範疇です。

となると、脊椎・脊髄障害、末梢神経障害、腱鞘炎やテニス肘のようなOVERUSE(使いすぎ)による病気、あるいはスポーツによる障害などが純然たる整形外科疾患として残ることになるのかも知れません。

骨腫瘍というのも病気らしい病気なのですが、何しろ頻度が少ないために整形外科医ならだれでも経験できる疾患ではありません。

整形外科というのは、もともと外科から分離独立したもので、一般には四肢・脊椎、あるいは骨・筋肉・末梢神経といった運動器の疾患と外傷を扱うものととされています。

高齢化社会となって、加齢性変化による問題を抱えた患者さんが増えていくわけで、整形外科の患者さんが増えることはあっても減ることはないと思われています。

自分も確実に老化してきているわけで、将来の患者予備軍に確実にリストアップされていることを実感しますし、そのような患者さんへの対応は大変重大な課題であることは間違いありません。

しかし、医学的な、学問的な将来性という観点からはなかなか未来への展望というのが見いだしにくくなってきているということも言えると思います。

自分が医者になった四半世紀前に、整形外科の中心的な基礎研究課題は「軟骨の再生」と「神経の再生」でした。それは今でも重要な問題の一つですが、ほとんど解決されていないと言っても過言ではありません。

医学全体の研究が遺伝子関連にシフトしていることもあり、整形外科の研究も軟骨・神経を再生させることよりも、作り出す -新生- ことにシフトしてきているようですが、それでもなかなか一筋縄ではいかないようです。

逆説的な話ですが、再生医学の進歩は平たく言えば老化現象の抑制であり、その結果さらに高齢化が進むということかもしれません。となると、永遠にいたちごっこのようなもので、解決することはないのかもしれません。

いずれにしても、整形外科医の立ち位置というものもしっかりと考えていかないといけない時代にさしかかっているのだと思います。外科的手法を中心に考えているだけでは、おそらく存在価値は減少の一途をたどるだけです。自分たちにできることは、そのあたりをしっかりと次の世代に伝えていくことなのかもしれません。

2010年11月6日土曜日

診断書

以前、大学にいたときに診断書料でどのくらい儲かっているのか調べさせられたことがあります。

診断書を書くことは「医者の義務」でして、正当な理由無しに断ることはできません。診断書は「公文書」であり、そこに記載されたことに対しては、医師は法的な責任をもちます。

しかし、診断書を書くことに対しては、自費による報酬を受け取ることができるので、その値段については各医療機関の裁量に任されています。通常は3000円程度というのが一般的ですが、あとは書くことが多い物については5000円程度までの中で値段が決まっていると思います。

うちの場合も、おそらくごく一般的な値段の設定をしているわけですが、ほとんど支出もなくまるまる収益になるというわけですから、正直言って大変助かる話であります。

ところが、勤務医をしていると普通はいくら診断書を書いても、その分書いた医者にはまったく収入として入ってくることはありません。診断書をせっせと書くというのは、実際時間がけっこうかかる物で、その労力はバカにはなりません。

整形外科は、診断書の多い科としてだんとつの実績を誇っているのが普通です。交通事故関連、労働災害関連、身体障害者の診断書、障害年金の診断書、生命保険の診断書など、それはもう数えたらきりがありません。

そこで、当時の大学の医局長が、どれだけ大学の収入に整形外科が貢献しているかという資料の一つとして、文書料の科ごとの額を知りたがったというわけです。

数字は、もうほとんど忘れてしまいましたが、1年間で整形外科から得られた文書料は2千万円くらいあったと思います。1枚3000円とすると毎月550枚くらい。たぶん、一人の医者が毎日数枚書いているような感じでしょうか。

第二位は脳神経外科で、文書料は数百万円。第三位は一般外科でやはり数百万円。あとはどの科もわずかなものでした。

例えば、心臓の手術とかで、一人の患者さんから数百万円の収入が得られたとします。実際は、いろいろなコストのかかる支出をともなっているので、利益率はそれほどたいしたことはありません。ところが売り上げだけはものすごい額になるので、病院内での評価は高くなります。

整形外科は薬をあまり使いませんし、検査もそれほど無いので、売り上げは少ない科の代表みたいなものです。ところが、そのかわり支出はほとんど無く、医者の技術が頼りみたいなところがあるのです。

今の日本の保険医療というシステムは、昔に比べれば少しは改善されたとはいえ、技術・技量という目に見えない物には評価がされないという、何ともやるせないところがあんですよね。

例えば教授が診察しても、研修医が診察しても値段は一緒。整形外科が、どんなに利益率を向上させても、売り上げでしか評価されないというのが、けっこう辛いところがあるんです。

大学で診断書料を調べてからは、診断書の頼まれたら可能な限りその場で書くようになりました。よほどの物でなければ、数分で書くことができます。患者さんが立て込んでいる場合でも、預かってその日に書き終わるのを原則としてきました。ためてしまうと、自分が大変になるだけなのです。

今は、さすがにそれほど多くはないので、あまり診断書を書くことが苦痛では無くなりましたし、そもそも書けば書いた分自分の収入につながるわけですから、一生懸命書かせていただいています。

2010年11月5日金曜日

ネット流出

どうなっているんでしょうか。先日は、テロ関係の機密文書というものがネット流出。そして、今日は尖閣諸島漁船衝突ビデオです。

機密文書は、もしかしたら意図的なものではなく、「しまったぁ!」というようなものだったかもしれません。しかしビデオは違います。明らかに意図的にYouTubeに投稿されたもの。

公開されることの是非という問題とは、まったく別の次元の話です。

個人情報というものが言われるようになって、何でも秘匿するような時代になったことは人との付き合い方が難しくなったと言えます。インターネットの普及の最大のデメリットがここにあるかもしれません。

その一方で、隠すものは現れるという言葉通り、さまざまなものがネットに「流出」するという事態が後をたちません。昔よりも、ある意味たちが悪い。

国がいろいろな行政サービスを提供するために、さまざまの情報を取得することは必要なことです。しかし、その中に「得た情報は本来の目的以外には使われない」という意識の欠如があるとしたら大変怖いことです。

今回のビデオ流出については、直接ネット投稿した者は国とは直接関係ないかもしれませんが、国家機関にかかわる誰かが持ち出したことは間違いありません。

この夏の大きな政治問題であり、いまだに引きずっている事件ですから、ビデオの内容を見てみたいという気持ちは誰にでもあるでしょう。しかし、このような形で公開されてしまうことが外国との関係をさらに悪化させる危険も大きい。

それによって、国民全体が不利益を受ける可能性は否定できないわけで、丸裸の情報公開は諸手を挙げて賛同するわけには行きません。とにかく政府の内部統制がまったくきいていないという状況は、それ以上に怖い。

ほんと、今の日本、いや世界かもしれませんが、どうなっていくんでしょうか。
ため息しか出ません。

2010年11月4日木曜日

リスナーのためのクラシック・ピアノ ~ 番外編

どうせなら思い切りマイナーなもので、是非聴いておきたい・・・いや、聴いてもらいたいものというのも探してみました。まぁ、弾く人も聴くだけの人にも、無くてもあまり差し支えのないものばかりですがね・・・

過去に取り上げた物では、シューマンの妻、クララの作品がいい。夫ロベルトよりも、やや古典派に近い感じで、メロディも親しみやすい。

そしてジョン・フィールド。ノクターンの創始者という事になっていますが、あまりに録音が少なく気の毒です。

そしてオペラで有名なロッシーニのピアノ小品群。ユーモアのセンスをもっていて、軽いサロン・ミュージック風ですが、実に味がある。

偉大なJ.S.バッハの息子たちの鍵盤曲もなかなか捨てがたい。父親ほどバロック調・・・つまり対位法が目立たず、どちらかというと古典派に近い感じで悪くありません。

パーシー・グレンジャーも痛快です。何となく田舎のほのぼのとした情景が浮かび上がってくる。

チャイコフスキー、スメタナ、ヤナーチェク、ドボルザークといった東欧圏の作曲家のピアノ作品も、実に素朴な感覚が溢れていて気が休まります。

他にも、ほとんど聞いたことがないような作曲家が山ほどいるのですが、それを探すのがマニアの楽しみ。あっと驚く素晴らしいものに出会うこともあれば、あー買わなきゃよかったと思うようなこともある。

もっとも、クラシックの場合作曲者の出来と演奏者の出来という二つの要素がありますし、特にピアノ独奏の場合は演奏者の気持ちが色濃く反映されます。曲から入るか、演奏者から入るかで個人の評価は随分と違ってくる。

おそらく初心者ほどどこかで聞いたことがある曲から入るのが無難な攻略法だろうと思います。とにかく最初に聴いた物がその人にとってのスタンダードになる可能性が高いので、名演と評判の高い物から始めるのがいいんでしょうね。

2010年11月3日水曜日

リスナーのためのクラシック・ピアノ ~ 上級編

いよいよ上級編ですが、ここまで来るとなかなか難しい。初級、中級はそれほど異論はでないと思うのですが、上級ともなるとマニア的な色彩が加味されてくるので、ともすれば独りよがりになってしまいます。

所詮、自分の書きたいことを好きに書いているブログですから、何を選んでもいいと言えばそれまでですが、もしかしたら誰かが参考にすることもないとは言えません。

少なくとも、現代音楽のようなところからは、一般に薦めるようなものは選びにくい。そこで、それ以前の時代から、2番手的なものを探してみましょう。

古いところでは、多くの鍵盤曲を残したドメニコ・スカルラティとムツィオ・クレメンティ。基本的にはチェンバロのための音楽ということですが、それぞれスコット・ロスとピエトロ・スパーダによる全集にとどめを刺すでしょう。

F.J.ハイドンは交響曲・弦楽四重奏曲の父という存在ですが、鍵盤曲の多さも並大抵の物ではありません。チェンバロ、フォルテピアノを駆使したショルンハイムの全集はよく考えられたスパらしい演奏です。

初級でモーツァルトのピアノ・ソナタをあげておきましたが、「普通」のモーツァルトを堪能した方に、是非きいてもらいたいのがバッハ作品で有名なグレン・グールドの全集です。グールドはモーツァルトを否定的に見ていたことは有名で、アンチテーゼとしての演奏がまた面白いわけです。

ショパン、リストと同じ時代に、さらにピアノという楽器の究極の技巧を追求したのがアルカン。ピアノを自分で弾く方にとってはとっておきの難曲ばかりですが、近年バカテクの持ち主アムランによって紹介され、ずいぶんと知られるようになりました。

ブラームスも忘れてはいけません。重厚な作風はピアノ曲にも反映されて、ちょっと取っつきにくい印象はありますが、ドイツ音楽の神髄を伝えるものだと思います。オーピッツの全集は、現代にブラームスを伝えることで成功しているのではないでしょうか。

最後にラフマニノフを出しておきましょう。協奏曲が有名で、独奏曲については意外に録音が少ないのですが、東欧圏から現代につながる架け橋として大事な存在と言えます。アシュケナージが比較的まとまった録音を残しています。

自分が上級者と言えるかどうか、僭越な気持ちもあるのですが、あくまでも聴く立場としてこのくらいは押さえておきたい物を列挙したつもりです。これからクラシック・ピアノ音楽を聴いてみようと思っている方の一助になれば幸いです。

2010年11月2日火曜日

リスナーのためのクラシック・ピアノ ~ 中級編

ぱっと聴いたときに、メロディがわかりやすい曲というのは親しみやすいですよね。クラシックではバロック、古典というところは、まさに主旋律がはっきりしているのか、親しみやすい曲が多い。

ロマン派に入ってくると、だんだんメロディがわかりにくくなってくるのか、一度聴いたくらいでは、何がいいのかわからない曲がよく登場する・・・というのは、自分の未熟さゆえでしょうか。

19世紀の音楽は、ロマン派から民族主義みたいな時期にあって、個人の主観が表に出るようになって、なんともわかりにくい音楽が増えてきます。ですからこのあたりを中級者にお勧めするのが順当かと思います。

とりあえず、クラシックピアノがちょっと好きになった人に、次のステップとして聞いてもらいたいのは、リスト、シューベルト、シューマンの3人です。

いずれもロマン派と呼ばれる時代の作曲家。誰でも、名前は聞いたことがあるはずです。個人的にはショパンよりもリストのほうが好きなのですが、なぜかリストのほうが下に見られているような雰囲気があった残念。

リストというと、その超絶技巧ばかりが際立つようですが、「巡礼の年」は余情性でも大変すぐれた作品群で、ピアノという楽器のあり方のひとつの完成形を示した作品といえます。

シューベルトは、ピアノソナタ、楽興の時、即興曲が有名です。ただし、いずれも親しみやすい曲もありますが、全体的には起承転結が不明瞭で、ちょい聴き程度では全体像がつかみにくい。

シューマンも同じようにわかりにくい側面があるのですが、何度も聴いていると本当にロマンチストであることがにじみ出てくるようで、自分としても最も好きな作曲家といえるかもしれません。「子どもの情景」「クライスレリアーナ」が代表作といえそうです。

リストでは、利スリー・ハワードがCD100枚にもわたる全集をだしていますが、内容からはボレットが一押しです。シューベルトは最初にスポットをあてたケンプを筆頭に、内田光子や田部京子といった日本人がなかなか捨てがたい。シューマンはアシュケナージ、アルゲリッチがお勧めですが、ただいまピアノ曲全集進行中のル・サージがすばらしい。

そして、時代が進んで、各国の文化を重んじる時代となって、フランスのドビッシー、北欧ではグリーク、南欧ではアルベニスなどが録音も多い。

ドビッシーはCDも多くて、どれときめるのは大変に難しい。グリークはクナダール、アルベニスはラローチャあたりが定番ではないでしょうか。

いずれも、その国の民謡などもうまくとりこんで、大変祖国のカラーが前面に押し出された曲が多いのですが、いずれもそれぞれの国の風景などが脳裏によぎるような素晴らしい曲であり、演奏です。

2010年11月1日月曜日

リスナーのためのクラシック・ピアノ ~ 初級編

ピアノは他の楽器と比べて、自分でも演奏する、あるいは演奏した経験をもっている方が多いわけです。その点、演奏する立場からは、やや聞き手に耳年増が多く不利な楽器ということが言えます。

それだけ、ポピュラーな楽器であり、限られた資産の中では大変多くの楽曲があるのです。これは、ピアノが独奏楽器でもあり、伴奏楽器でもある、オーケストラに匹敵する音を出せることにも関係があるのでしょう。

しかし、そうなると聴く側としても何を聴くのか迷ってしまうことが多々あります。年代を追っていくのか、好きな演奏家に絞って聴いていくのか。人それぞれの方法があることと思いますが、ここではリスナーのマニア度によって、自分が勝手に聴いて欲しいものを推薦していきたいと思います。

今回はまだまだピアノの魅力に気がついていない、またはちょっと気になり始めた初心者のリスナーの方向けに、いくつか自分のお気に入りを紹介します。

初心者に物を勧めるのは、意外と難しいということは多々あります。何が初心者向けなりかという、一定の基準があるわけではなく、物事に対する価値観は人によって千差万別です。

そこで、単純にいろいろな演奏家によって多くの録音があるもの、つまり手に入りやすいもの。演奏する側も弾きこなしてみたくなるものであろうというものを選んでみましょう。

何と言っても、録音の多さでダントツなのは、ピアニストにとって「聖書」という扱いをされている二つの作品群をあげないわけにはいきません。

「旧約聖書」と呼ばれているのが、J.S.バッハにより作曲された「平均律クラーヴィア曲集」です。そして、「新約聖書」に例えられるのがベートーヴェン作曲の32のピアノ・ソナタ。

その中間の時期をうめるものとして、モーツァルトのピアノ・ソナタも録音の多さでは、ぴかいちの人気を誇る作品群であると言えるでしょう。

そして、最後にピアノと言えばショパン、ショパンと言えばピアノというくらいですから、ショパンをはずすわけにはいきません。数あるショパンのピアノ作品の中で、特にノクターン(夜想曲)をここでは揚げておきたいと思います。

これらの4つの作品群の中には、いろいろなタイプの音楽が詰まっていて、中には面白くないと思われるようなものもあるかもしれません。しかし、そういうものも含めて、とにかく一度は聴いておくべき価値のあることは、万人が認めるところではないでしょうか。

少なくとも、クラシック・ピアノを嫌いになるなら、少なくともこれだけは聴いてからにしてもらいたい。これを聴いてダメなら、潔く撤退してもしょうがないと思います。

厳密にはバッハの時代(バロック)には、まだピアノという楽器はなく、鍵盤楽器と言えば、チェンバロかオルガンであったわけです。モーツァルトの時代(古典)になるとピアノフォルテという現在の形の元型が広まり、そしてベートーヴェンの時代(古典末期)に現在のような形が完成されました。

この間にピアノを弾くための技術的な進歩もどんどん進み、それに連れて曲そのものの表現の幅も拡大していったわけです。そしてショパン(ロマン派の時代)によって、演奏表現が確立されたというが、クラシックピアノの歴史の中での一定のコンセンサスが得られている事実です。

その後の展開については中級に譲るとして、ここまでの流れをはずすことはおそらく初級レベルでは不可避であり、まずはとっかかりとして是非聴いていただきたい。

演奏者は誰でもいいとは言いませんが、まさに個人の好みの分かれるところなので、なかなか一つに絞ることは難しい。ここにあげたすべての録音をのこしている演奏家がいないので、一人のピアニストで制覇することは難しい。

あえて、それに近いピアニストを探すと思いつくのはクラウディオ・アラウくらいでしょうか。個人的には大好きなピアニストなのですが、やはりそれぞれ名演として規範たる録音をお奨めする方がよさそうです。

古いピアニストならば、バッハはグールドかリヒテル、モーツァルトはギーゼキングかクラウス、ベートーヴェンはバックハウスかケンプ、そしてショパンはルービンシュタインかアラウといったところが手に入りやすさを加味するとお奨めでしょうか。

現役はもうあまりにありすぎて、選びようがありません。あえて、自分の好みで選んでみるなら、バッハはヒューイット、モーツァルトは内田光子かピリス、ベートーヴェンはメジューエワ、ショパンはアシュケナージをあげておきます。