年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します

年内は12月28日(土)まで、年始は1月6日(月)から通常診療を行います

2011年2月28日月曜日

ひつまぶし @ 名古屋

鰻は比較的食べ方にバリエーションが少ないような気がしていて、値段も高いし、そうしょっちゅうたべることもありませんでした。

ひつまぶしというのは、なんとなく知っていても、実は食べたことが無くて、今回初挑戦。

単なる、鰻の蒲焼のお茶漬け・・・と言ってしまえばそれまでですが、いや、なかなかうまいものですね。

ひつまぶしの薀蓄はWikiにまかせておいて、お茶漬けにするのに適した、ややしっかりと焼いてかりっとした鰻がまた絶妙です。

ひまつぶしに食べるには、だいぶ高級なひつまぶしでした。

2011年2月27日日曜日

スタバと富士山


今日は、早朝から東名高速道路をひたすら走ってきました。6時に出発して、途中で富士川SAにて最初の休憩としました。

ここは、富士山の西側からの眺望としては絶景ポイントベスト5に入る場所。カメラを並べている方もけっこういました。

それにしても、なんとも不思議な感じがしたのがスターバックがあること。SAの個性は最近評判になりますが、富士山の景色を楽しみながらゆっくりコーヒーを飲むと言うのは、アイデアとしてはいいかもしれません。

ただ、基本的には通りすがりですから、それほどゆっくりするかと言うと・・・

それにしても、行き先は名古屋だったので、この場所でまだまだ中ほどまでにも行っていません。約400キロ近い行程でしたが、6時出発で10時にはなんとか到着しました。

用事をすまして、帰途に着いたのは午後2時半。帰りは浜松の先までは頑張ったのですが、さすがに眠気が襲ってきて、家内と運転手を交代。ほんと、助かります。

さらに恒例の大和トンネルの渋滞があって、家に着いたのは午後8時。
ほんと、疲れましたわ。

ちなみに、交通費は東名高速道路の通行料が片道1450円で、往復は2900円。ガソリンはだいたい往復で満タンでお釣りがくる程度でした。ほとんど高速道路なので、燃費は驚異的に伸びたみたいです。8000円かからずに往復というのは、だいぶ経済的でしたね。

   
 

2011年2月26日土曜日

ネット強迫症

すんません。

今日はお許しいただいて、書くことがありません。Dr.Flickerも毎日書いていると、変な人に見られてないか心配してましたが、ほんまその通り。

毎日、毎日、ブログ書いていると、インターネット中毒者間違いなし。こいつ、なんやねん、と思われてもしょうがない。

そうですよね。せっせとブログ書くのも、変と言えば変。今日みたいな日は、書かなくても誰にも怒られるものでもないのですが、なんかとりあえず書いとかないと・・・単なる強迫神経症みたいなもんですか。

すんません。今日はこれにて、失礼いたします。
また次の話題を・・・おっ・楽しみっにぃ~

2011年2月25日金曜日

えんしょう

えんしょう・・・シリーズ化しようと思ってはみた物の、それほど単語がなくて、次は医者らしく「炎症」を取り上げて終了・・・の予定だったのですが、Dr.Flickerに見破られてしまいました。

ネタばれしてしまうと、天の邪鬼な自分としては素直に炎症の話をするということは自尊心が許さない。う~ん、だからと言って・・・しょうがない封印していたネタを使うことにしましょう。

つまり、実はすでに使ってしまったので、もうこのネタでは書けないと思っていたことなんですけどね。まぁ、何とかしてみましょう。

そこで、今日の話題は「圓生」です。

圓生は落語の三遊亭の中で、もっとも権威のある大名跡。現在までに6人の圓生が誕生し、そしてその最後が、自分の落語趣味の中で最も尊敬する六代目であり、1979年9月3日に亡くなって以来、その名跡は空席のままとなっているわけです。

圓生という名前は、三遊亭の本家本元であり、笑いをとる落とし噺は言うのおよばず、人の機微を語り尽くす人情噺、歌舞伎仕立ての芝居噺・怪談噺など、高度な技量を要求されるネタを得意としてきたわけで、そんじょそこらの噺家にはとても名乗れるものではありません。

実は、この名前を誰が襲名するかというのは、けっこう大きな問題。本来なら六代目の一番弟子だった最近亡くなった五代目圓樂が第一候補だったはずですが、結局襲名できなかった。はっきり言って、実力的な部分でだいぶ物足りなかったことは事実でしょう。

五代目圓樂は自分の一番弟子の鳳樂に襲名させようと動いていたようですが、実力的にはまぁまぁのところですが、いまひとつ物足りない感は否めない。

自分でなりたくてしょうがないのが円丈ですが、もともと際物落語ばかりをやってきた人ですから、圓生の名前はどう考えてもつりあわない。

そして、もう一人の候補が六代目圓窓です。もともとは六代目圓生の弟子ではなかったために、外弟子のように扱われることが多いのですが、おそらく実力的には最も三遊亭の名に相応しいかもしれません。

いずれにしても、自分にとっては圓生と言えば六代目しかありません。少なくとも、自分が生きているうちは、七代目が誕生しないで欲しいと思うのはわがままでしょうかね。

2011年2月24日木曜日

延焼

火事って目撃したことがありますか?

自分は、今までに数回あります。一番近かったのが、自宅から数十メートル。

これは、やばい。ゆっくりと火事見物をしている場合じゃない。なにしろ、うちの前の道は幅せまで、普通の乗用車は対向車ですれ違えないんです。

・・・と、いうことは、消防車、これるんかい? と、いうくらいの路地。いつ、飛び火しても不思議はない。まぁ、とりあえず、なんか小さい消防車がやってきて・・・あ~、よかった。

そういえば、むか~し、昔、連続企業爆破事件というのがありました。間組は比較的自宅から近かったので、うちの親父が野次馬にでかけていった・・・でもって、放水の水をあびて帰ってきたというのはまじです。

こどもの頃に、ずっとお世話になっていた角の床屋さんが焼けたのは残念でした。これは、比較的新しい話なので、話を聞いてびっくりしました。結局、床屋さんは、そのままやめてしまいました。

そういえば、うちでシチュー用の牛肉を煮ていて、そのまま寝てしまったことがあるんですよね。よくもまぁ、火事にならなかったものだと思います。一晩中、焦げた牛肉ですごいことになってしまいました。

まさに、家中が燻製状態で、こどもたちにはずいぶんと起こられましたっけ・・・

2011年2月23日水曜日

艶笑

艶笑というのは、「えんしょう」と読みますが、艶(つや)のある笑いということですよね。まぁ、ちょっとHっな笑いということですから、大人のギャグというわけです。

一番よく使うのは、艶笑落語という言葉。

「目薬」という落語があるんですけどね。眼病を患った熊さんが、目につける粉薬を貰ってくるわけです。でも、どうやって使えばいいかわからない。奥さんが使い方の説明書を見ると「めじりにつける」と書いてある。

熊さんは「めじり」を「女尻」と思ってしまうわけです。そこで奥さんの着物をまくって、出してお尻に薬をふりかけた・・・とたんに、奥さんおならをしてしまう。吹き飛んだ粉が熊さんの目に飛び込んでめでたしめでたし。

まぁ、にやにやしながら聞くような話ですから、こんなのが艶笑落語というわけです。ちょっと、気持ちにゆとりがあった時代のカルチャーの一つとでも言いましょうか。

なんちゃって。

2011年2月22日火曜日

美術展

うちのクリニックによくいらっしゃる患者さんのお宅にお邪魔しました。

いや、別に往診で行ったわけではありません。何故かと言うと、亡くなったご主人が集めた美術展のプログラムを整理したいということで、いただきに行ったのです。

ご主人は絵画の展覧会を見に行くのが好きで、いろいろな展覧会に行っては、その時のプログラムを買っていたので大変な量の本が残っているわけです。

整理したいが、一冊一冊が大変重いのでなかなか大変で今まで残していたのですが、いよいよ処分をする決心をしたので、もしも欲しいものがあれば貰ってくれということだったのです。

気楽な気持ちで出かけて行ったのですが、いざ膨大なコレクションを見てみると、そう安々とはいるとかいらないとかは言えない気持ちになりました。

ご主人が好きで集めたコレクションですから、いろいろな思いがつまっていることでしょう。貰うからには、大切にしないと申し訳ありません。

うちのクリニックの本棚にも、いくつかの美術書が置いてあるんです。ノルウェイの美術館で購入したムンクの画集。フランスに行ったときに買ったベルサイユ宮殿の美術書。長崎のオランダ村で買ったエッシャーの画集などなど。表には出していませんが、ダヴィンチの美術書もいくつかあります。

もともとは両親が展覧会によく連れて行ってくれたので、小学生のときにルノアールとかゴッホとか、いくつかの有名な画家展を見た覚えがあります。そういうわけで、嫌いではないわけで、画集を見ているのは楽しいのです。

さて、伺ってみると、印象派を中心にした展覧会のコレクションが中心で、一番このあたりが好きだったんだろうなとわかります。せっかくなので、いくつかをいただいて帰りましたが、そのうち何らかの形で待合室に置くようにしたいと思っています。

2011年2月21日月曜日

たかが映画じゃないか

アルフレッド・ヒッチコック監督が、大女優イングリッド・バーグマンにいった名言。

そう、たかが映画なのです。所詮、たかが2時間程度の中に面白おかしくストーリーを詰め込んで、観客を楽しませればいい。

でも、これはヒッチコックだからこそ言えたセリフ。観客をいかに楽しませるか、どうやって怖がらせるか、そしてどれだけ満足させられるか、考えに考え抜いた映画監督だからこその含蓄のある言葉です。

言葉にこそしませんが、クリント・イーストウットの映画作りにも、似たようなところがあると思っています。

イーストウッドは俳優ですから、純粋な作り手ではなく演じる側の立場を相当理解しているわけです。幾多の作品でも、共通していることはほとんど撮り直しをしないということ。

頭の中には撮影する前に、ほぼ映画出来上がっているはずですが、その場の勢いというのを大事にしている。キャスティングされた俳優の力量を信じているからこそ、多少のイメージの相違が生じても、それを取り込んでいくゆとりを絶えず持っているということでしょうか。

もともとが、イーストウッドの映画作家としての師匠はドン・シーゲル監督で、ダーティ・ハリーを初めとしていくつもの作品を一緒に作ってきた先輩です。シーゲルはいわゆる「B級」の監督であり、低予算・短期間で観客を集める映画を作ることにかけてはかなりの実力者でした。

イーストウッドも、そんなシーゲルの手法を十分に吸収し、自分の映画作りにいかしてきたことは間違いありません。しかし、表では「たかが映画じゃないか」という作り方でも、俳優が自分の考えている演技を自然とするように周到な準備 - 雰囲気作りをしているのでしょう。

それが40年以上にわたってハリウッドで現役を続けることができている、つまり物凄い大作を作るわけでもなく、超話題作でもないのに消えずにいる大きな要因なのかもしれないと思うのでした。

2011年2月20日日曜日

映画はつまらなくなったか

映画とテレビの違いなんていうテーマは、今となっては語り尽くされた感がある話題。大衆娯楽という側面については同じ文化ではあるが、何となく映画の方が高尚で、テレビの方が低俗というイメージがつきまとう。

いずれにしても、どちらもとにかくつまらなくなったと感じているのは自分だけだろうか。すすんで観たいと思うような作品が、めっきり少なくなったように思う。

映画は、構想××年・制作費××億円というような凄さが売りであった時代もあるが、もちろん金をかけずにこつこつと制作されたものも少なくない。いずれにしても、本来制作する側の意欲が全面に出てくるはずの物。

一方、テレビは基本的に低予算で即時性の映像の提供に強みをもっているわけで、東京オリンピック、連合赤軍事件、日航機墜落事故などの時代を象徴するような出来事をお茶の間(まだあるのか?)に届けてきた。

しかし、しだいにエンターテーメントが本流として叫ばれるようになり、本質が変異して、実質的にコマーシャルが最大の目的となり、コマーシャルを見せるための番組作りがしばしば問題として表出してきたことは事実。

映画も一時観客数の低迷があり、生き残りのためにテレビに接近したわけで、最近の好調さはある意味本来の「映画芸術」の終焉を意味しているかもしれない。最近特に日本で話題になる映画というのは、結局テレビ界とのタイアップであることがほとんど。

もっとも「話題になる」ということ自体が、メディアに操作された結果であるわけだから、観る側の主体性がどんどん無くなっていることが映画をつまらなくしている要因としてあるかもしれない。

結局、あまりに情報量が多い現代社会では、すべての情報を拾捨選択するということは大変な努力が必要。ある程度、誰かが情報を整理してくれることは、時間と手間の節約のためにも必要になり、ここにメディア操作が介在する。

まぁ、小難しいことを考えてもしょうがない。映画にしてもテレビにしても、本当に優れた作品がしっかりと評価されるようになってもらいたいと思うわけです。

2011年2月19日土曜日

Karajan + BPO / Brahms Symphony No.1

最近、ブラームスが好きという方とお話をする機会がありました。

ブラームスというのは、もちろんクラシックの作曲家のヨハネス・ブラームスのことですが、実は自分はあまり聞いていない。

というのも、何となくとっつきにくいという印象があって、食わず嫌い的なところがあるのです。知っているのは、好きなピアニストのグレン・グールドが演奏している、一部のピアノ曲とピアノ協奏曲くらい。

2年前にお買い得なブラームスのほぼ全曲セットを購入したのも、あまり一生懸命集める気力のなさの現れ。こういう「なんでも揃ってます」というのは、実は「何も揃っていない」ということと同じ。

実際、ほとんど手つかずで46枚もあるCDのうち数枚以外は聞いちゃいないわけです。たまたま長女が、大学の課題の関係で昨年資料として活用してくれたので、無駄にはなっていないのですが。

あらためてセットの一枚目、カラヤン指揮ベルリン・フィルの交響曲第1番を聞いてみたのですが、出だしからあの重々しいブラームスらしい旋律が鳴り響くさまは、確かにぞくぞくっとして悪くはありません。

ベルリンフィルのような大編成オーケストラによる、怒濤・華麗な演奏に向いているということなんでしょうか。おそらく、パソコンとかでちまちまと聞いてもつまらいわけで、コンサート・プログラムとして聞くのがいいかもしれません。

それにしても、話をした方は、NHKホールが内幸町にあったころに、毎週N響アワーの公開放送にはがきを出して出かけていたそうです。出せば、ほぼ毎週当たるというのがすごい話ですが、ずいぶんといろいろな名曲を楽しんだといううらやましい話を聞かせてくれました。


自分はコンサートに行くわけでもなく、ひたすらせせこましく、パソコンで楽しんでいるだけですから、本当の楽器の響きというものがわかっていないのかもしれません。

とにかく、せっかく買ったCDですから時間を見つけて少しずつ聞くようにしないとなぁ、思い直したわけです。

2011年2月18日金曜日

m(_ _)m

さて、困った。今日は、想定外の出来事があって、とてもブログどころではありません。
とにかく、今日は今日、明日は明日。また、頑張ります。

2011年2月17日木曜日

なぞなぞ

簡単ななぞなぞです。

人の不幸を商売にしているのは何?

答えは・・・

医者です。

病気になって嬉しい人は、普通はいないわけで、
そういう不幸な人がいるから成り立っている仕事。

ですから、天候が悪くて「商売あがったり」なんていうのは
不遜な表現で、他人の不幸を待っているみたいでいけません。

でも、実際のところ、医者も生活がかかっていますから、
患者さんが来ないと困わけです。

だからと言って、笛や太鼓で患者さんを集めるわけにはいきません。

でも、物は考えようと言います。

人の不幸を取り除いてさし上げるのが、
医者の仕事だと考えることもできるわけです。

そこで、なぞなぞの問題を変えてみましょう。

人を幸せにする商売をしているのは何?

2011年2月16日水曜日

横浜新緑総合病院20周年

今夜は、新横浜駅近くであった会合に出席しました。

横浜新緑総合病院の創立20周年を記念して、勤務医と開業医との交流のための会、ということでした。ふだん関係のある整形外科の先生方はもとより、都筑区の会ではお会いすることの無い先生などにもご挨拶ができました。

もともとあった横浜緑病院というのは、いわゆる「老人病院」というもので、あまり評判の良い病院ではありませんでした。それを三喜会という法人が買い取り横浜新緑病院としてスタートしたのが、平成3年のこと。

東京女子医科大学の第2外科からのスタッフを中心に、救急を扱う病院として再スタートしたわけです。自分は、翌年の4月から週に1回のパートで勤務を始めました。このときは、まだ整形外科の常勤はいない状態だったのです。

平成5年の4月からは、当時在籍していた東海大学の整形外科から出向で、一人医長として始まったのです。当時は、まだ10年にも満たなかったキャリアにもかかわらず、ずいぶんと生意気だったのと思います。

それでも、たしか年間200件くらいの手術をこなして、とにかく強気の診療をしていました。翌年からは、大学からもう一人出してもらって、二人体制で平成9年の3月まで医長を続けたのです。

その後は、しばらく縁が切れていたのですが、平成12年に東京女子医科大学リウマチセンターに転職すると、ベッドが慢性的に不足していて手術を大学でこなしきれないため、平成15年からふたたび横浜新緑病院にお世話になることになりました。

月に1回の外来をもたせてもらって、そこへ患者さんを紹介して手術をセットするというわけですが、開業してからは自分で手術するというよりも、クリニックにきた患者さんのベッドの確保先として大変助かっているわけです。

クリニックにも、すぐに入院が必要な患者さんが来ることは珍しくありません。近くに大きな病院がありますが、なんでもかんでも引き取ってくれるとは限りません。そんな時、外来をやっている関係で、相当無理をきいてくれるのはここしかありません。

そんなわけで、この病院の歴史は、自分の医者としての歴史と多くの部分で重なるところが大きく、おそらく今後も続いていくのだろうと思います。

2011年2月15日火曜日

付き合い

このところ天候の話題を思わず前ぶりで使いたくなるのですが、昨夜からのドカ雪から一転して今日はまた春の日差しです。毎日アップダウンの激しい天候で、体調管理は大変ですよね。

さて、話は変わりますが、クリニック開業して5年。自分の付き合いというのも、次第に増えてきました。

まずは、同じクリニックビルで開業しているの先生方。これは運命共同体みたいなところがあって、全体の評判が個々のクリニックにも影響しますから、ちゃんとしないとね。

そして、地域の先生方。これはだいたい医師会からみか多くなりますが、自分の場合は特にこのブログ関係が一番緊密かもしれません。

リウマチ関連で親しくなった先生方との勉強会もすっかり定着して、いまや無くてはならない付き合いになっています。

自分が卒業した大学の同門関係の先生方とも、定期的にお会いしています。ここでも、気兼ねなくいろいろな話ができるのが嬉しい。

もちろん、いまでも関係が深い東京女子医科大学関連もあります。

まぁ、付き合いもずいぶんと広がってきたものだと思います。このあたりが、開業医としての実績の目に見える部分かもとれません。

ひとつひとつの積み重ねが、自分にとっては財産みたいなものですからね。これからも大切にしていきたいと思います。

2011年2月14日月曜日

雪やコンコン

昨日はあんなに春爛漫、ところが一転、今朝からは雪が降ったりやんだり。夕方からは、本格的な雪で、あたりは一気に雪国の様相を呈してきました。

今回は、ついに車のチェーンが大活躍。年に1回は、使わないとね。横浜あたりで、特にスキーに行くわけでもない自分としては、スノータイヤとかにするのは無駄が多いので、必要なときだけチャチャっとチェーンを装着が一番合理的。

もう、夜は自足20キロも出せば滑ってしまうノーマルタイヤの方々を尻目に、わざと遠回りで、ブィ~ンと帰ってきました。

さてさて、問題は明日の朝。天気予報どおり夜の間中降り続くと、相当雪は積もっていることでしょう。とにかく、何とか時間通りにクリニックを明けれるようにがんばります。

2011年2月13日日曜日

万能薬

今日は天候が回復して、すがすがしい一日、春が近づいてきたこと実感するような日和でしたね・・・って、昨日体調が悪かったので、今日は一日、じっとしていましたけど。

自分の場合の万能薬は、バファリンという薬。

♪頭痛にバファリン~、というCMソングが有名で、ずっと日本人の健康を守ってきた大衆薬の一つでしょう。

もともとは、アセチルサリチル酸(いわゆるアスピリン)を主成分として、アメリカの会社が作って、昭和40年頃から日本でも売り出されたもの。

アスピリンは元祖解熱鎮痛剤として有名ですが、アレルギーを起こすことがあってアスピリン喘息は有名です。また、胃粘膜への負担が大きく胃潰瘍の原因になることも多いとされています。

バファリンは、ダイアルミネートという胃を守る成分の合剤にしたことで、少なくとも胃への負担を軽減したというのが特徴。

最近は、いろいろなタイプもあったりして、古い薬ですががんばっています。特に血液を固まらせない効果がアスピリンにあるために、脳梗塞や心筋梗塞などの持病がある方には、血栓予防のため服用を続けることが大変多くなっていますね。

とりあえず、医者がこんなことを言うのもなんですが、自分の場合とにかく体調が悪いときはバファリンなんです。これさえあれば、たいていのことは乗り切れると思っている。

血液を固まらせないということは、血流がよくなる、従って新陳代謝が向上する。故に、健康的な状態に戻れる。という、かってな理屈を考えていますが、実際、病は気からという言葉もありますし・・・

プラセボという言葉があって、偽物の薬を飲ませても数10%の方には効果が出るという話。これはいくつもの実験が証明しており、鰯の頭も信心からと言うのと同じかもしれません。

2011年2月12日土曜日

LGF

今週初めから、ちょっとかぜ気味でしたが、一昨日くらいからだいぶ調子が悪くなりました。今日は、ほんと、久しぶりに微熱があって、どうもあかん。

バファリンを飲んで、早めに休ませていただきます。

2011年2月11日金曜日

建国記念日 - 雪

立春が過ぎて、ちょっと温かくなったと思ったら、一昨日くらいから急に寒くなってきた。朝チラっと雪が降ったりしたが、今日はいよいよ本格的な雪模様。

こりゃ、どうも止みそうも無く、午後になっていよいよ雪が積もりだした。天気予報でも、少なくともこのまま朝まで降り続きそうな様相だ。今日は祝日でクリニックは休みだが、当然明日は普通にクリニックを明けないといけない。

明日の朝にあわてて車にチェーンを装着するのは、けっこう寒くて辛い。ちょっと早いが、明るいうちにチェーンを付けてしまう事にする。今時のチェーンはジャッキアップすることなく、5分くらいあれば簡単に取り付けられる。

そうはいっても、雪が積もっている道の上で、しかも朝っぱらにチェーンをつけるのはしんどい。指先がかじかんで、感覚がなくなってしまい、下手すれば30分くらいはかかってしまう。

まぁ、これで明日の準備はOK、必要なければはずすのは付けるより簡単。あとは、ゆっくりと温かい夕食を食べるだけ・・・

って、あれれ、今日は休みだけど、建国記念日というやつじゃないですか。紀元前の話ですからね、神武天皇が即位したのは。自分も日本人として生まれたからには、日本と言う国の大元が始まった日ということで、無視するわけにはいきません。

が、特に何をするわけでもなく、何を考えるわけでもなく、毎年毎年この日を過ごしています。今年は、今シーズン、初めてまとまった雪が降った日として記憶に残しましょう。

2011年2月10日木曜日

浪人

浪人というと、江戸時代。お家取り潰しとかで主君を失ったか、あるいは何か不始末をして首になった元侍のこと・・・かと思ったら、正しくはこういうのは牢人というらしい。

浪人とは、戸籍に登録された地を離れて他国を流浪している者のことで、今で言う浮浪者という言葉のほうがどうもしっくり来るようです。

とはいえ、やはり三船敏郎の黒澤映画のようなイメージが圧倒的に強いわけで、一匹狼で打算的なことは気にもかげず我が道を行くみたいな、ちょっとニヒルな二枚目の役どころという印象がついてまわるわけです。

現代の浪人というと、まず最初に思いつくのは大学浪人。高校を卒業して、すぐに大学にいかず(たいていは受験で不合格)にふらふらしている場合。

これは、自分もそうだったわけで、大部分では無駄な時間だったかもしれませんが、今になってみると意味のあることだったところも少なくない。

一番は、自分で考えて決断し実行する力とでも言うのでしょうか、少し大人になったと思います。もっとも、親のすねはかじりまくっての話ですから、あまりかっこいいもんじゃありません。

医者の世界に限って言うなら、現役か浪人かはあまり関係ないと言っていい。もちろん、あまり年を取りすぎているのは、まわりがやりにくいかもしれません。

最終的に医者になってからの良し悪しは、学生時代の成績とかともほとんど関係が無いことが多いと言われていますし、実際自分もそうだと思います。

さて、現代社会で問題になっているのが、いわゆる就職浪人というやつ。大学を卒業しても就職先がなく、けっきょくプータロウでバイト生活なんてことが当たり前になっています。

最近は、企業が現役を優先するため、就職が決まらないと卒業を延期したり、あるいはわざと留年したりして、形だけは「現役」続行というのが問題になっています。

学歴社会という構図は相変わらず存在しているわけで(実のところ医者の世界にも確実にありますね)、その中でもさらに入り口の門が狭められているわけです。

その一方で、若者の仕事に対する覇気がないこともよく問題にされていて、例えば海外赴任を断るなんて当たり前と言われています。このままでは、日本は国際的な競争力をどんどん失ってしまうと心配されている。

他人の責任がやたらと追及されて、毎日のように頭を下げている人たちの姿がテレビに映っているような時代になってしまいましたから、若者ができるだけリスクを回避しようとする気持ちになるのは無理も無い。

なんにしても、現代社会では浪人なんてしないで、やりたい勉強をしたり、やりたい仕事をする機会をもっと若者に与えることができないものでしょうか。こういうところに、高齢化に突き進んでいる日本の根源的な問題が潜んでいるのかもとれません。

2011年2月9日水曜日

断捨離

どうも整形外科は天気に左右される科なもんで、今日みたいに級に寒くて、ちょっと雪混じりの天候になると、めっきし患者さんがへってしまうわけです。

あ~、どうしましょう。こんなに暇ではテナント料にもなりません。まぁ、しょうがない、こういう時は、日頃やれないいろいろな片付けをしましょう。

今日は、ずいぶんとたまってしまったパソコンがらみの捨てるに捨てられなかったケーブルを整理しました。例えば、ACコードとかモニターのケーブルなんてものは、パソコン買うたびにたまっていきます。

いつか使うかもしれないと思っても、実際には器機がどんどん増えているわけではないので、絶対使うことはない。どこかでどうせ捨てることになるわけです。

グラフィックボードなんかもそう。壊れたパソコンから、もったいないからいろいろな部品をとりはずしたりします。グラフィックボードは、けっこう高価なものもあったりしますが、結局どんどん進化していて、規格がかわっていったりしますから、結局使い道がなかったりするものですよ。

だいたい、いまどきSCSI(スカジー)のケーブル持っているって信じられます。もう日進月歩のPCの世界では化石状態ですから、絶対使うことはないと断言できます。

たまたま、古いネガフィルムのスキャナーを持っていて、これの接続がSCSIなので捨てるに捨てられないというわけ。実際、少なくともこの5年間この機械を使ったことが無い。だいいち、今時のパソコンにつなぎたくとも、ドライバーソフトがない。

とにかく、1年以上さわらなかったものは、おそらく一生使わない可能性が高い。思い切って捨てましょう。捨てると、気持ちもすっきり。最初は、もったいなかったかなと後悔するかもしれませんけど、結局はそれが正解だったときっと思うはずです。

と言うくらい達観はできませんが、少しでもガツンと捨てきる勇気を持ちたいものだと思いますね。

2011年2月8日火曜日

池田満寿夫

1934年生まれ、1997年死去、享年63歳。昭和を象徴する美術家の一人。比較的、エロティックな作風で、絵画、版画、彫刻は言うに及ばず一般には映画「エーゲ海に捧ぐ」で有名かもしれません。

まぁ、ほんとのことを言うと、ほとんどの本来の作品については知りません。バイオリン奏者の佐藤陽子が内縁の妻だったとか、飼い犬に飛びつかれて死んだとか、どうでもいいようなことしか聞いたことが無い。

ただ、実はマイルス・デイビスの信奉者として、池田満寿夫は忘れられぬ人となったのです。マイルスの「1958マイルス」というアルバムのジャケット・デザインを担当したのが池田でした。

このアルバムは、マイルスが世間から消えていた1979年に日本の独自の企画として発売されたもので、マイルスの復活をほとんどあきらめかけていたファンとしては、狂喜乱舞したアルバムでした。

その後、本国アメリカでも発売されましたが、この池田デザインが世界的にも使用されたことが日本人としてはなんとなく誇らしい感じがしました。

同じ頃、ジャズアルバム名盤紹介雑誌の表紙などにも池田満寿夫のイラストが登場し、よく作品を目にするようになり、ジャズファンとしては、けっこう馴染み深かったものです。

2011年2月7日月曜日

大相撲が消える日

大相撲・・・自分は巨人・大鵬・玉子焼き世代ですから、相撲と言えば大鵬と柏戸。あとは祖母が応援していた玉の海が虫垂炎で急死したことくらいが記憶に残っています。

正直に言いますが、自分は相撲のファンではありません。昔から、何で国技なんだと思っていました。国技は柔道とか剣道とかでいいんじゃありませんか。

けして競技人口も多くはないし、学校の体育にもはいっていません。特定の集団でやっている「興業」なのにと、不思議でしかたがありませんでした。

プロレスやプロボクシングと何が違うんでしょうか。結局、江戸時代から始まったという歴史ということなんでしょうか。しかし、歴史にあぐらをかいていると、単なる「古典芸能」となんらかわるところがありません。

八百長問題は・・・今までにも、いくらでも疑惑はあったわけで、実際星の足りていない力士が、千秋楽前になるとなんとか勝ち越しているというのはいくらでもありました。

下から力のある力士が這い上がってくれば、大関だってどんどん落ちていくことがあるはずなのに、ほとんどそんな話は聞いたことがありません。どう考えても、おかしいでしょう。

昔は、それは暗黙の了解ですませていたことではなかったかと。大相撲はあくまでも「興業」であって、ひとつのショーとして観客に楽しみを与えることが重要な使命とされてきました。

しかし90年代ごろから、時代は変わってきて、大相撲もスポーツとしての公明正大さがもとめられるようになってきたのは悲劇だったかもしれません。このころから、暗に「無気力相撲」という言葉が使われるようになり、体質の変革が必要とされ始めました。

外国人力士ばかりになって、伝統という名を借りた「古き体質」が守られなくなり、現代の若者からも異質な存在となってきては、もはや暗黙の了解を維持していくことは到底不可能になってきました。

「膿を出し切る」ということは、おそらく大相撲の今までやってきたことすべてを捨てきらない限り不可能でしょう。大相撲がなくなっても、大多数の日本人は特に困ることはありません。

2011年2月6日日曜日

J.E.Gardiner / Pilgrimage to Santiago

これまでにも、しつこくしつこく書いているんですけど、どうもクラシックの声楽曲は苦手で、これまでにも何度かチャレンジしているもののダメなんです。

声楽というとマリア・カラスとかフィッシャーディカウとか、とにかくオペラの舞台の上で腹の底から声を出して・・・そうでなければ、宗教曲。当然キリスト教ということになって、どうもピンとこないわけです。

とにかく歌なんですけど、イタリア語かドイツ語がほとんどで歌詞がまったくわからないというのも、のめり込めない大きな理由の一つであることは間違いない。

シューベルトは歌曲の多さでは誰にも負けませんし、実際クラシックを聴かない人でも「アベ・マリア」とか「菩提樹」とか有名な曲が少なくありません。ところが、器楽曲は「う~ん、いいなぁ」とか思うのですが、歌曲は全然ダメ。

もうほとんど自分の中では、声楽というクラシックのジャンルはなかったことにした存在にまでなっているのです。モーツァルトの「レクイエム」や「魔笛」は弦楽四重奏などの室内楽編曲版があるので、そっちで楽しめばいい。

ところが、一大事件なんです。はじめて声楽曲で、こりゃすごい、聴かねばならぬと思うようなアルバムを見つけてしまいました。

それがジョン・エリオット・ガーディナー率いるモンテベルディ合唱団の「サンチャゴへの巡礼」と題されたCD。1964年に創設された歴史のある合唱団で、主として宗教曲や古いバロック以前の歌物を中心に活躍しています。

それなりにクラシックを聴いていくと、ガーディナーやモンテベルディ合唱団の名前はちょくちょく目にするのですが、これまでは当然声楽ジャンルということで気にもしていませんでした。

ところが、このアルバムはア・カペラなんですよ。ア・カペラというのは伴奏がないわけで、人間の肉声だけで成り立っていると言うこと。実はこのジャンルは、以外と好きなんです。

とは言っても、それはジャズでの話。シンガース・アンリミテッド、スイングル・シンガーズ、マンハッタン・トランスファーなどのコーラス・グループは昔から好きでよく聴いていました。

ア・カペラならってんで、それじゃ聴いてみるべというわけで・・・これが美しい、素晴らしい、天国から響いてくる音楽があるとすれば、きっとこれじゃないかと。まぁ、そんなに大袈裟なものでもないでしょうけど、とにかくいいんですよ。

合唱という形態だと、あのクラシック歌手独特の歌い方が目立たないのもいいのかもしれません。もちろん、何を歌っているのかはわかりませんが、人間の声を楽器と考えてしまえば、歌詞の内容が理解できないことは小さいことです。

キリスト教徒のフランスからスペインまでの巡礼の旅を、途中の土地の宗教曲を集めて再現するというコンセプトのようなんですが、とにかく異教徒でも心の洗われるような清らかな空気が充満する空間を十分に感じることができました。

2011年2月5日土曜日

Miles Davis / AGHARTA

1975年というと、もうかれこれ36年も前の事で、多くの日本人にとっては関係ない時代の話ではありますが、マイルス・デイビス率いるバンドが2年振りに来日して北海道から九州までツアーを行ったのでした。

ジャズの王道を突き進んでいたマイルスが、1969年に''Bitches Brew''で電気楽器を導入し、70年代に入るとロックのビートも取り込んで急速に進化していったのです。

1973年の来日公演のころから、ある程度のフォルムが完成しつつあったのですが、まだまだチック・コリアやキース・ジャレットといった、マイルスに敏感に反応できるバンドメンバーには恵まれていなかったようでした。

1974年、サックスにデイブ・リーブマンが加入して一時的にパワーアップしたものの、やはり特にギターを含むリズムの弱体化は解消されませんでした。

しかし、1975年の来日の時には、バンド全体の反応は格段と向上し、別格のバンドとなっていたのです。これはアル・フォスターのドラムを中心として、レジー・ルーカスとピート・コージーのギター、さらにまとわりつくようなムトゥーメのパーカッションが一体となって、マイルスのやりたいことを完全に把握することができるようになっていたということなのです。

サックスのソニー・フォーチュンだけは、やや力不足であることは否めませんが、逆に出しゃばらすぎないところで、ほどほどに抑えがきいていたのもよかったかもしれません。

そして、日本公演にあたってマイルスの音を20年近く作り続けていたテオ・マセロを招聘して、大阪での公演をライブ録音してくれたということは、もう当時のCBSソニーのスタッフに感謝するしかありません。

そうやって生まれたのが''AGHARTA''と''PANGEA''という二つのライブ・レコードでした。アガルタが最初に出たときに、中のリーフレットの曲目紹介の下に小さな文字で書いてあったことが衝撃的でした。

このレコードは住宅事情の許す限り大音量でお聞きください。

こんなことをお奨めするレコードなんて、いまだかつてありませんでした。ディープ・パープルの''Live in Japan''でさえ、そんなことは書いてはありません。しかし、残念ながら当時所有していたステレオ装置の最大音量なんて出せるわけもなく、その点においては残念な思いをしたのでした。

しかし内容は、とにかくほぼノンストップにマイルスのワンダーランドがつづき、とにかくあまりのパワーに聞いていてもへとへとになるほどでした。マイルスの一挙手一投足でテンポ、リズム、カラーがすべてどんどん変化していく様は「すごい!!」としか言いようがありませんでした。後年、車の中で一人の時に大音量にあらためて聴いて、感慨はひとしおでした。

マイルスはこの2枚を発表した後、長い沈黙に入り引退説が囁かれ、また死亡説まで飛び出すようになったのです。復活までの6年間、ファンはひたすらアガルタに浸り続けていたので、この2枚に寄せる思いは膨らむ一方だったというわけです。

2011年2月4日金曜日

山口はるみ

山口はるみ・・・と聞いて、すぐにあ~あの人とわかる方は・・・できる!!
西武デパートの宣伝部出身で、フリーになった後西武のファッション専門館であるPARCOの創設から関与。PARCOの宣伝用のイラストをずっと書き続けたアーティストです。

山口女史は年齢不詳なのですが、今も芸術活動をやっていて、1970年代に30歳代だとしたら・・・もう還暦以上でしょうか。

とにかく、いわゆるデパート、百貨店しかなかった時代にPARCOは先端の流行を発信するファッション基地として当時の若い女性の心をわしづかみにしたわけですが、そのは山口はるみのイラストによるイメージ戦略がかなりの効果を出していたことは間違いありません。

とにかくPOPということばがぴったしの、明るい色彩を多用した外国人風の女性の生き生きとした表情をエアブラシを用いて、とびきりリアルに描くというのは、まったくもって新鮮でした。

エアブラシというのは簡単に言えば、絵の具のスプレーみたいなもので、大変きれいなグラデュエーションを出すことができるのです。この道具さえあれば、PARCOのポスターのような濡れた唇の絵画誰にでも書けるのでないかというような錯覚を覚えさせてくれました。

2011年2月3日木曜日

節分

なんか、すっかり定着してきた感がある、恵方巻き。まぁ、ただの太巻きって言えばそれまでですが、素直な小市民としては、帰りにスーパーで買って帰りました。

今年の方角は南南東。立ち上がりそっちを向いて、黙ってむしゃむしゃ。さすがに長い一本丸ごとはしんどいので、かみさんと半分ずつにして食べました。バレンタインのチョコみたいなもので、なんか食品会社の宣伝にのせられているようなところもありますけど・・・

こどもが小さい頃は、豆まきをして、こっちは鬼のお面をかぶって・・・そんなことも、ありましたっけね。豆を食べるのも年を取ると数が多くなって大変ですしね。

季節を分けるので節分ですから、冬は今日でおしまい。明日は立春。おー、冬もおしまいか、ってそうはいかない。まだまだ寒い日は続きますし、巷でも1月半ばからインフルエンザが例年よりも遅れて猛威を振るいだしています。

なんにしても、一つの区切りですから、どこかで何かを仕切りなおししたり、気持ちを入れ替えたりするのに便利なイベントです。さぁ、明日からがんばっていくぞぉ~!!

2011年2月2日水曜日

情報伝達

もう、ほんと、好き勝手なことばっかし、テレビでいってます。「ホンマでっか」とかいう、かなりエキセントリックな「学者」を集めてやってる番組です。

テレビというのは、じぶんたちは公明正大で適正な倫理観にのっとって番組を作っていますみたいなことをことあるごとに言うんですが、実際は超かたよった情報を垂れ流しにしているのは間違いない。

もちろん嘘ではないかもしれませんが、こういうテレビで話されていることは、物事のある一面にすぎません。まるで完全なる真実のように番組で扱うというのは、如何なものでしょうかね。医学的な話については、専門外のことでも「ちょっと、どうよ」と思うことがよくあるんですよね。

なんにしても、情報をまったく先入観無くフェアに伝えていくと言うのは大変難しいものです。例えば、手術を患者さんに勧める場合、手術をしたいと思っている医者が説明するのか、したくないと思っている医者が説明するのではだいぶ違ったものになります。

「手術をしないと治りませんよ」というか「手術をしても治らないかもしれません」というのでは、聞かされるほうは相当違った印象をもちますよ。普通は手術をしたらよくなると思うからお勧めするわけですが、手術は絶対ではありませんから、どんな場合には一定の確率でうまくいかないことはあるわけです。

いろいろな合併症だって一定の起こる可能性があるわけで、それらを逐一説明しないといけない時代になりました。最終的には、「手術をしたことで死亡するかもしれません」という説明をしなければいけません。

もっとも、これはあくまでも確率の話ですから、手術をしたそばから患者さんが死亡するようでは治療法として成り立つわけがありません。結局、情報の伝達方法の問題なんですよね。

あ~、やっぱり、すべてを正確に伝えると言うことは、本当に難しいですよね。

2011年2月1日火曜日

痛み止めの薬・・・正確には、消炎鎮痛剤と呼んでいますが、その東西の横綱みたいな存在が、ロキソニンとボルタレンです。まぁ、なんとなく聞いたことがあると思いますが、それほど有名になった薬だと思います。

実はロキソニンは、自分が医者になってすぐの頃に発売になった薬。当時は、痛み止めとしての効果がしっかり出るので、一気にシェアを獲得したものです。

ただし、消炎鎮痛剤は胃粘膜を荒らしやすい。胃潰瘍を作って、出血するなんて話も珍しくありません。昔、内科の先生に「ほら、君が痛み止め出した患者さんだよ」と言って、出血している内視鏡写真を見せられたりしました。

その後に、いろいろ出てきた消炎鎮痛剤も副作用は同じで、続けて飲むにはたいてい胃薬が必要になってしまいました。副作用のために薬を増やすというのは、やはり本末転倒みたいなところがあるわけで、できるだけ避けたいところです。

そのうち、消炎鎮痛剤を使用するときは胃酸分泌を抑制する胃薬を一緒に使ったほうがよいというガイドラインが出たりしましたが、そうは言ってもなかなか薬をどんどん増やすと言うことはしにくいものです。

最近は、消炎鎮痛剤の痛みを抑える作用と胃粘膜を荒らしてしまう作用を分離して、痛み止めの効果だけを強調するタイプのものが出てきています。関節リウマチのように長期間服用することが多い人には使いやすい。

とにかく、薬の主作用と副作用というものは必ずペアで存在しているものだということを忘れてはいけません。単一の作用しかない薬は存在しません。主作用の強いものは副作用も強いし、副作用の弱い薬は主作用も弱いわけで、まぁ飲まなくてもいいかもしれない。

すべての薬は「毒」であるという考え方も、ある意味正しいわけで、必要な薬を必要な量だけ、必要な期間飲むように指導することは医者の大事な役割だということになります。