夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2026年8月18日火曜日

The Bootleg Series Vol.1 - 3 (1962 ~ 1989, release1991)


「デンスケ」を知っているのは、たぶん60歳以上の方。Sonyから発売されていた持ち運べる録音機器の名称で、初号機は昭和30年代からあったらしいのですが、一般向けに使われるようになったのは1973年に発売されたカセットテープを利用した「カセットデンスケ」から。持ち運べると言っても大きさは30×20×10cmくらいあって、A4サイズの雑誌10冊分くらいでした。

多分、相当高価な物だったと思いますが、友人にこれを持ってコンサート会場に乗り込む豪傑がいました。今だとスマートフォン一つあれば、もっと楽に録音が出来たりしますが、基本的にコンサートでのこういう行為は著作権上はほとんどが違法行為です。

ところが、こういう猛者が日本に限らず世界中に大勢いるわけで、彼らが密かに録音した音源がマニアの間でやり取りされると言うのは、録音技術の進歩とともにずっと昔から「普通」に行われていたわけです。特定の人と人の間だけで交換されたりしているうちはまだよかったのですが、それをレコード盤に記録して販売する人が登場するに至って、レコード会社も黙っていられなくなりました。

ボブ・ディランは、そのような非公式音源のターゲットとして、最も早くから狙われてきたアーティストです。客席から録音された音質の良くないライブ音源などは当たり前で、ライブの時に使われる音響機器から直接出力された公式盤並みの高音質のものもあります。さらにスタジオでの収録された音源や仲間内で記録用に簡易録音したものがリハーサルなども含めて流出したりもします。

本来、アーティストが聴いてもらいたいと思って公にするものではないので、レコード会社もそんなニーズはマニア以外にはないだろうと思っていたら、1985年に発売した未公開音源をたくさん詰め込んだ「Biograph」が予想外に好評でした。ディランの場合は、同じ曲の別テイクといっても、まったくアレンジが異なっていたり、そもそもアルバムから漏れた未発表の新曲がたくさんあることが、大きな需要になっているのです。

だったら、音質の悪い海賊盤で広まったものも、公式にしっかりとマスタリングして「公式海賊盤」にしてしまえば、非公式の海賊盤を駆逐できるということで「The Bootleg Series」の企画が始まりました。このプロジェクトを管理しているのは、ディランの個人事務所の代表であるジェフ・ローゼンで、海賊盤市場を徹底的に調査し、倉庫に眠っている膨大な資料やテープなどを整理しました。

「The Bootleg Series」の第1弾が登場したのは、1991年3月で、3枚組CD、5枚組レコード、3本組カセットテープで発売されました。CDの3枚がそれぞれVol.1~3となっていて、全58曲中スタジオ・アウトテイクだけで43曲を占めています。後に似たような企画を立ち上げたアーティストはいろいろいますが、基本的に未発表ライブ音源が中心になっていることが多く、スタジオでの余り物の多さはディランが飛びぬけて多い。

ここでは初めての試みということで、デヴューから「Oh Mercy」までの当時のディランの全キャリアを網羅した形になりました。その後のシリーズは、それぞれに設けられたテーマに沿って、CD5枚組前後でまとめられ、その中のベストを選び出したCD2枚組の二つの形態を基本として登場しています。

ちなみにこの年の2月20日、ディランは第33回グラミー賞で「生涯功労賞 (Lifetime Achievement Award)」を受賞しました。当時はアメリカは湾岸戦争に参画していた時期でしたが、ステージに登場したディランは荒々しく「Masters of War」を歌い、その後のスピーチでユダヤ教聖典の格言を用いて「たとえ両親に見捨てられたとしても、神はいつもあなたがやり直すことができると信じてくれている」と語り話題となりました。


Hard Times in New York Town (1961 home tape recorded by Tony Glover)
He Was a Friend of Mine (1961 "Bob Dylan" outtake)
Man on the Street (1961 "Bob Dylan" outtake)
No More Auction Block (1962 live at the Gaslight cafe)
House Carpenter (1962 The Freewheelin' outtake)
Talkin' Bear Mountain Picnic Massacre Blues (1962 The Freewheelin' outtake)
Let Me Die in My Footsteps (1962 The Freewheelin' outtake)
Rambling, Gambling Willie (1962 The Freewheelin' outtake)
Talkin' Hava Negeilah Blues (1962 The Freewheelin' outtake)
Quit Your Low Down Ways (1962 The Freewheelin' outtake)
Worried Blues (1962 The Freewheelin' outtake)
Kingsport Town (1962 The Freewheelin' outtake)
Walkin' Down the Line (1963 demo for the Witmark Music)
Walls of Red Wing (1963 The Freewheelin' outtake)
Paths of Victory (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Talkin' John Birch Paranoid Blues (1963 live at Carnegie Hall)
Who Killed Davey Moore? (1963 live at Carnegie Hall)
Only a Hobo (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Moonshiner (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
When the Ship Comes In (1963 demo for the Witmark Music)
The Times They Are A-Changin'  (1963 demo for the Witmark Music)
Last Thoughts on Woody Guthrie (1963 poem recited live at NYC's Town Hall

Seven Curses (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Eternal Circle (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Suze (The Cough Song) (1963 The Times They Are A-Changin' outtake)
Mama, You Been on My Mind (1964 Another Side of Bob Dylan outtake)
Farewell, Angelina (1965 Bringing It All Back Home outtake)
Subterranean Homesick Blues (1965 Bringing It All Back Home outtake)
If You Gotta Go, Go Now (1965 Bringing It All Back Home outtake)
Sitting on a Barbed Wire Fence (1965 Highway 61 Revisited outtake)
Like a Rolling Stone (1965 Highway 61 Revisited outtake)
It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry (1965 Highway 61 Revisited outtake)
I'll Keep It with Mine (1966 Blonde on Blonde outtake)
She's Your Lover Now (1966 Blonde on Blonde outtake)
I Shall Be Released (1967 Basement Tape recording)
Santa-Fe (1967 Basement Tape recording)
If Not for You (1970 New Morning alternate take)
Wallflower (1971 previously unreleased recording)
Nobody 'Cept You (1973 Planet Waves outtake)
Tangled Up in Blue (1974 Blood on the Tracks alternate take)
Call Letter Blues (1974 Blood on the Tracks outtake)
Idiot Wind (1974 Blood on the Tracks alternate take)

If You See Her, Say Hello (1974 Blood on the Tracks alternate take)
Golden Loom (1975 Desire outtake)
Catfish (1975 Desire outtake)
Seven Days (1976 live, Tampa, Florida)
Ye Shall Be Changed (1979 Slow Train Coming outtake)
Every Grain of Sand (1980 publishing demo for Special Rider Music)
You Changed My Life (1981 Shot of Love outtake)
Need a Woman (1981 Shot of Love outtake)
Angelina (1981 Shot of Love outtake)
Someone's Got a Hold of My Heart (1983 Infidels outtake)
Tell Me (1983 Infidels outtake)
Lord Protect My Child (1983 Infidels outtake)
Foot of Pride (1983 Infidels outtake)
Blind Willie McTell (1983 Infidels outtake)
When the Night Comes Falling from the Sky (1985 Empire Burlesque alternate take)
Series of Dreams (1989 Oh Mercy outtake)

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年8月17日月曜日

花火大会


この時期、各地で盛大に花火大会が催されています。

今は便利な時代となった・・・というか、家にいながらテレビで楽しめます。

その場に行って、生で楽しむことに比べれば、かなり寂しいところはありますが、暑くないし、ビールも気楽に飲めるし、そもそも帰り道の混雑も気にしなくてよい。

しかも、YouTubeでは、地方の花火大会もライブ配信していたりして、各地の特徴ある花火大会を鑑賞できるというのも嬉しいところです。

そんなわけで、今夜もどこがやってないかな、とネットを探してみるわけです。

2026年8月16日日曜日

Under the Red Sky (1990)

 


1988年6月から始まったボブ・ディランの原点回帰のツアー、俗に言う「Never Ending Tour」は、ディランが自分の歌手としての可能性をもう一度取り戻すための物でした。ディランを支えるシンプルな3ピース・バンドが迎えた最初の試練が、1989年6月にベーシストのケニー・アーロンソンが病気によりヨーロッパ・ツアー中に急に降板したことでした。しかし、ここでディランは自身にとって最高のベーシストと出会うことになります。

緊急の人材探しで、サックス・プレイヤーのトム・スコットの推薦、バンド・リーダーのG.E.スミスの賛同により、トニー・ガルニエに急遽代役が決定しました。ガルニエはほとんどリハーサル無しでディランに見事に対応してみせたことで、そのまま正式にバンドに定着したのです。

次の試練は1990年10月のG.E.スミスの脱退です。スミスはディランのツアー中も、生放送のテレビ番組「Saturday Night Live」のハウスバンドの音楽監督を続けていたのですが、ツアー・スケジュールが過密になるにつれて肉体的・精神的疲労がピークとなったのです。スミスが抜けた後は、ガルニエが実質的なバンド・リーダーとなりました。ガルニエは現在に至るまで、実に35年以上の間、4000公演を超えるステージでディランとバンドの橋渡しを続けています。

1989年9月に発売された「Oh Mercy」が高い評価を得たディランは、年が明けて1990年1月4日にスタジオ入りして、まとめて4曲のレコーディングを行いました。1月半ばから1か月間はツアー・スケジュールが詰まっていて、5月末からのツアーの合間をぬって、3月から5月前半にアルバムに収録する残りの曲の録音とオーバー・ダビングが行われました。

さらに、もう一つのディランにとって大事なセッションが同時進行していました。それがTraveling Wilburysの2枚目のアルバムです。1988年のデヴュー・アルバムが大好評でしたが、メンバーの一人、ロイ・オービソンの急死により活動がストップしていたのですが、残りの4人での再開です。ウィルベリーの異母兄弟は一新され、スパイク(ジョージ・ハリスン)、クレイトン(ジェフ・リン)、マディ(トム・ペティ)、ブー(ボブ・ディラン)という新たな4人で、バスター・ウィルベリー(ジム・ケルトナー)だけはひきつづき参加となりました。

アルバムは10月に「Traveling Wilburys Vol.3」というタイトルで発売され、前作ほどではないにしても、そこそこ良い評判となっています。「Vol.2」抜きでいきなり「Vol.3」となっているのは、海賊盤が出てしまったのでそれをVol.2としたというハリスンのジョークがまことしやかに伝わっています。

そんな多忙な中で、ディランは自分のアルバムに対しては明らかに集中力を欠いていたことを認めていて、前作のようなトータルな雰囲気からは程遠いバラバラの曲の寄せ集めとなり、9月に発売されると多くのファンや批評家の期待を裏切る結果になってしまいました。

もう一つの評価が低い理由は、その内容です。タイトルには「不吉な予兆」を感じさせるところがある一方で、当時4歳になったディランの娘に読み聞かせるためのおとぎ話のようなファンタジー仕立て、「赤い空の下に住む男の子と女の子」のストーリーになっていることにあります。

アップテンポの1曲目は「蛇のようにくねくねと動け」と、いきなり童謡的。Guns N' Rosesのスラッシュのかっこいいギター・ソロが始まったと思ったら、唐突にフェイドアウトしてあっという間に終わってしまいます。アルバム・タイトル曲では、ハリスンのギターが光りますが、最後は「空が落ちてくる」という怖い終わり方。

「Unbelievable」は社会批判のロックンロールで、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのギターがフィーチャーされました。「Born in Time」と「God Knows (神のみぞ知る)」は前作で未収録となった曲のアレンジを変えての再録音。「2×2」は、1×1から始まって2、3、4・・・と数え歌のような構成で、エルトン・ジョンがピアノを担当しました。アル・クーパーがオルガンで登場する「Handy Dandy」は、まるで往年の名曲のパロディみたいに聞こえます。


Wiggle Wiggle
Under the Red Sky
Unbelievable
Born in Time
T.V. Talkin' Song
10,000 Men
2 × 2
God Knows
Handy Dandy
Cat's in the Well

Bob Dylan (vo, g, pf, accordion, harmonica)
Kenny Aronoff (ds), Don Was  (b), Randy Jackson (b)
Sweet Pea Atkinson, Sir Harry Bowens,  David Crosby,
Donald Ray Mitchell,  David Was (back.vo)
Rayse Biggs (tp), David McMurray (sax)
Paulinho Da Costa (perc)
George Harrison, David Lindley, Slash, Waddy Wachtel,
Robben Ford, Jimmie Vaughan, Stevie Ray Vaughan (g)
Bruce Hornsby, Elton John (pf)
Al Kooper, Jamie Muhoberac (org)

January, March ~ April, 1990

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年8月15日土曜日

Oh Mercy (1989)


1987年のグレイトフル・デッドやトム・ペティとのツアーで、新たに自分の音楽への向き合い方のヒントを掴んだボブ・ディランは、1988年6月7日から新たなツアーを開始しました。とにかくステージに立ち歌い続けることがもっとも自分らしいとディランが気がついたからで、特定のアルバムのプロモーションなどとは無関係に、その後現在に至るまで「Never Ending Tour」と呼ばれ継続することになります。

このステージでは、過去のヒット曲、最新曲だけでなく、トラディショナルや他人の曲のカバーも含まれ、特定のセットリストにこだわらず、日によって披露される曲も違えば、同じ曲でもアレンジを変えたりするのが特徴です。また、バンドも実にシンプルで、始まった頃は自分以外はG.E. スミス(g)、ケニー・アーロンソン(b)、クリストファー・パーカー(ds)の3人だけという、逆に自由度が高い編成にしたことも注目されます。

G.E.スミスは、ホール&オーツのリード・ギターを務めた後、テレビの公開バラエティ「Saturday Night Live」のバンド・リーダーをしていましたが、1990年までの初期の「Never Ending Tour」を支えたギタリストです。他の2人も実力派のミュージシャンで、タイトなロック・バンドがこの時期のディランを見事にサポートしました。

1988年は年末までの半年間で71回のライブを行い、1989年も5月から11月までの間にヨーロッパも含めて全99公演を行っています。ディラン自身は「Never Ending」と言われるのは嫌っていて、ただ旅する音楽家として巡業をしているだけと説明しています。

1989年の年明け頃のようですが、ディランの家にU2のボノが遊びに来ました。このあたりは、ディランの交友関係として興味深いところです。ディランはボノに新しい曲は作っているのかと尋ねられたので、最近書いた歌詞を見せると、感銘を受けたボノはすぐさまその場でダニエル・ラノアに電話をし二人の対面をセッティングしました。

ラノアは空気感の演出に定評があるプロデューサーで、その時にラノアが行っていた仕事を見学したディランは、彼に次のアルバムのプロデュースをまかせることにします。2月になると、ラノアはちゃんとしたスタジオではなく、ニューオリンズの住宅街の古い一軒家に機材を持ち込んで、ディランを迎い入れます。

このアルバムに用意された曲は、実は昨年ロン・ウッドらを起用したセッションで、ほぼ丸々収録されていたのですが、出来に納得できないディランはすべてボツにしていたのです(これらはまったく陽の目を見ていません)。即興的な緊張感を好むディランに対して、ラノアは試行錯誤をして緻密な音の構築にこだわるという正反対のような組み合わせは、レコーディングが始まって強い緊張感や衝突が生じました。

時にはディランは逃げ出したりもしたのですが、結局冷静に考えるとラノアの意見は悪くないと思い戻って来るということもあったようです。ディランとしてはかなりこだわって作った「Series of Dreams」は、アルバムの雰囲気に合わないとラノアに却下されましたが、1991年に「The Bootleg Series Vol.3」に収録されると大絶賛されシングル盤として発売されたりもしています。

他にも完成されたアウトテイクが数曲あり、いずれも2008年に発売された「The Bootleg Series Vol.8 Tell Tale Signs」にまとめられ、いずれも非の打ち所がない素晴らしい曲です。説明しにくいのですが、確かにアルバムの持つ雰囲気とは合致しないような気がします。ラノアの慧眼には感服すると同時に、ディランがこの時期に強い創作意欲を取り戻していたということが理解できます。

独特の重厚で精錬された雰囲気を作るため、起用されたミュージシャンはニューオリンズ現地で活躍する精鋭が選ばれ、ソロで目立ってしまう有名所は参加していません。しかし、ラノアの目指した方向性は見事にアルバムとしての統一感を演出し、9月にリリースされると「ディラン復活」、「ディラン再生」などと評され、ディランはスランプから脱出したと高く評価されたのです。

タイトルの「Oh Mercy」は、「なんてこったい!」、「(神よ)どうかお慈悲を」といった意味で使われる感嘆の慣用句。ジャケットの絵は、ニューヨークでチャイニーズ・レストランの外壁に書かれていたのを偶然見つけたディランが気に入り、数か月かかって作者のトロッキーを探し出して使用許諾を得たというエピソードがあります。これらもアルバムの世界観とマッチして、評判を上げる要因になりました。

一曲目はアップテンポですが、アルバム全体のイメージをわかりやすく伝えるダークな曲です。政治が人々に与える影響を風刺する内容は、ディランの十八番と言えるかもしれません。次は一転して過ぎ去ったものに対するノスタルジックなバラード。「Ring Them Bells」はディラン独自の讃美歌みたいな曲で、救済が必要な人に向けて希望の鐘を鳴らすように呼び掛けています。

その後も再びダークな世界に戻ったり、見事なバラードが登場して、全10曲のバランスが見事で、プロデューサーとしてのラノアの力量が遺憾なく発揮されていると言えます。これで、やっとディランも長いトンネルから抜け出して、素晴らしい90年代を迎えられることでしょう・・・と言いたいところなんですが、まだしばらくはもやもやが続きます。


Political World
Where Teardrops Fall
Everything Is Broken
Ring Them Bells
Man in the Long Black Coat
Most of the Time
What Good Am I?
Disease of Conceit
What Was It You Wanted
Shooting Star

Bob Dylan (vo, g, pf, org)
Daniel Lanois (g), Mason Ruffner (g), Brian Stoltz (g)
Paul Synegal (g), Malcolm Burn (key, b), Tony Hall (b)
Larry Jolivet (b), Willie Green (ds), Cyril Neville (perc)
Daryl Johnson (perc), Alton Rubin, Jr. (scrub board)
Rockin' Dopsie (accordion), John Hart (sax)

March ~ April 1989, New Orleans

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年8月14日金曜日

Around DYLAN - Joni Mitchell


ボブ・ディランのことを、ポピュラー音楽界に変革をもたらし続け、今なお多くの音楽家に影響を及ぼし続ける偉大な人物である・・・と考えることは容易く、そして誰もがその意見に異を唱えることはありません。

しかし、公然とディランを否定した人物が一人います。それがジョニ・ミッチェルです。2010年にLAタイムスのインタヴューで「ボブは全く本物じゃない(not authentic)。彼は盗作野郎(plagiarist)だし、名前も声も偽物だ。ボブに関することは全て偽り(deception)だ。彼と私はまるで正反対だ」と話しています。

当然、この発言はいろいろと取り沙汰されることになるわけで、2013年にカナダ放送のインタビューでは、さらに「音楽的には彼はあまり才能がない。彼は声を昔のヒルビリー(hillbillies、田舎の人々に対する差別的な呼び名)から借りているし、彼はギターが上手いわけじゃない。歌を歌うためにキャラクターを作り出した」とまで発言しています。

ディランが、ある意味「労働者階級の星」であったウッディ・ガスリーの模倣から始まったことはおそらく事実ですし、自分から率先してギタープレイを聞かせることはありません。自らの内面をテーマに主観的な曲作りをするミッチェルと比べて、ディランはいろいろなものからヒントを得たり引用・流用したりすることは間違いありません。

確かにミッチェルは卓越したギター奏者であることは間違いなく、特に多彩なオープン・チューニングによる演奏は他の追随を許しません。とは言え、ディランもギター奏者としては一定水準以上のテクニックを持っていることはすでに証明されていると思います。

それぞれのファンからすれば、いろいろと思うところはあるのですが、少なくともミッチェルの発言によってディランの成し遂げてきた成果が否定されることはありませんでした。どこか感情論的な側面があり、少なくともミッチェルにとってプラスになる発言ではなかったように思います。

ジョニ・ミッチェルは1943年、カナダのアメリカとの国境のすぐ近くの町で生まれました。1965年に未婚のまま妊娠・出産するも、経済的な理由からこどもは養子に出してしまいます。これが、曲を作り歌う動機付けとなり、フォーク・シンガーとしてアメリカで自作曲を中心にしだいに知名度が上がっていきました。1968年にメジャー・デヴューしますが、その前から多くの曲が他のアーティストによってカバーされていました。

初期のフォーク期の名曲は多数ありますが、「サボテンの木」、「青春の光と影」、「サークル・ゲーム」などは日本でもヒットしました。特に「サークル・ゲーム」は1970年の映画「いちご白書」でバフィー・セント=マリーが歌ったものが挿入され、とても大きな話題となりました。

特に1971年の4枚目のアルバム「ブルー」は高い評価を得て、ミッチェルのアーティストとしての足場を固める作品となりました。以後は次第にバンド演奏が導入され、フォーク・ロックに変貌していった1975年、ボブ・ディランの「Rolling Thunder Revue」に参加することになりました。

その経緯がたいへんユニークです。ツアーが始まって2週間ほどした頃に、ミッチェルは飛び入りゲストとして登場したのですが、自由な和気あいあいとしたキャラバンを気に入り、そのままツアーバスに同乗して第1期終了まで参加してしまったのです。

この時は、ディランとミッチェルの関係は、互いに音楽的な敬意を払うようなものでしたが、ミッチェルはツアーの狂乱に流されまいと強く意識していたといいます。またディランとの関係を深めたかったミッチェルでしたが、ジョーン・バエズが間に割って入ることが多く不満を残す結果だったようです。

翌1976年にニュー・アルバムでジャズ・フュージョン系の多くのミュージシャンを登用して、ミッチェルは新しい領域を目指しました。特にこの時のジャコ・パストリアスとの出会いによって、ミッチェルは新たにジャズ期に突入し、話題作を連発することになりました。実は、この頃は自分はロックからジャズに好みが変わった頃なので、ミッチェルがジャズにしゃしゃり出てくるのは面白くなかった覚えがあります。

その後、順調にキャリアを重ねていくと思われましたが、1997年にかつて養子に出したこどもと再会したことで、音楽を創作していく意味を失ったミッチェルは急速に音楽活動を縮小していきます。そして2015年に脳出血で倒れてからは、ほぼ引退状態でしたが、2022年のニューポート・フォーク・フェスティバルにサプライズ出演したことは記憶に新しい話題です。

ディランとは音楽への向き合い方が対極にあったからこそ、ミッチェルから辛辣な言葉が生まれたのかもしれません。しかし、表現スタイルは大きく異なれど、二人がポピュラー音楽史に残した偉大な功績はこれからも色褪せることはありません。

2026年8月13日木曜日

レタス炒め


レタスというと、サラダで使う生で食べる野菜というイメージが強いと思います。

でも、火を通してもけっこう美味しい。

だって、炒飯とかに入っていたら旨いですよね。

そこで、簡単レタス炒めを作ります。

切って炒めるだけ。

油は使わず、代わりにマヨネーズをフライパンに適量落としましょう。

ちょっと溶けたら、今回は余り物のバラ肉を使いましたが、ソーセージでもハムでも、なんだったら何もなしでもOK。

肉に火が通ったら、ざく切りにしたレタスを入れてしんなりしたら、醤油をかけ回して完成です。

調理時間はわずか5分ほど。

温かいうちに召し上がれ。

2026年8月12日水曜日

Around DYLAN - The Beatles


ボブ・ディランとビートルズ。どちらも現代ポピュラー音楽界の巨星であり、打ち立ててきた金字塔はまったく揺るぎの無い物として、今後も受け継がれていくことは間違いありません。両者の間には、積極的なつながりは有るとも無いとも言えない、微妙な関係性が存在しています。

両者の初めての出会いは、1964年8月にビートルズの初めてのアメリカ公演の時に遡ります。フォーク一辺倒だったディランは、ビートルズの今までに聞いたことが無い斬新なバンド・サウンドを注目していました。ホテルを訪ねてビートルズの面々と対面したディランは、持参したマリファナをビートルズに紹介したというエピソードは有名です。ただ、ビートルズはハンブルグ時代からある程度は使ったことがあるらしく、ディランがドラッグ体験を初めて教えたというのは眉唾物だろうと思います。

1966年のディランのイギリス・ツアーの際には、ディランとジョン・レノンが同じ車内にいる映像が「Eat the Document」に残されています。泥酔(?)してハイになったディランの支離滅裂な言動に、ジョンがなだめすかしあきれる様子が見てとれます。ジョンはその後も少なからずディランの音楽を肯定し影響を受けていたことは間違いはありませんが、ゴスペル期には信じる神に仕えるよう強制するディラン(Gotta Serve Somebody)に対し、「自分に仕えろ」と自作曲(Serve Yourself)のなかで批判しました。この二人の天才は、友人というより曲作りのライバルとして緊張感が漂う関係だったと思います。

それに対して、ポール・マッカートニーはディランの作曲能力をしばしば絶賛しています。直接的な共演はありませんが(計画はあったらしい)、バックステージではしばしば交流しており、ポールはディランの人間性を褒める発言もしています。しかし、ディランが自作曲を原形がわからないほど作り変えてしまうことに対しては、エンターテインメントとしてファンを裏切る行為であると良くは思ってはいません。ここに、オリジナルを重視するポールと即興性を重んじるディランの対照的なライブ哲学の違いが見て取れます。

リンゴ・スターは、どうしてもビートルズの中で4番手に位置するわけで、味わい深い歌い方をしますがそれほど曲は多くないし、ドラマーとしても物凄い技巧派とも言えません。しかし、ディランはリンゴのドラム演奏は高く買っていて、1971年の「Concert for Bangladesh」以後、リンゴはディランのセッションに数回参加し、逆に未発表になっているリンゴのセッションにディランが参加したりもしています。

ディランが最も強い関係を築いたのはジョージ・ハリスンとでした。ジョンとポールばかりが目立ち発言力も強いグループ内で、ジョージ自身も優れた曲作りをしてきましたし、ミュージシャンとしての技術も二人以上のものを持っていました。しかし、しだいにジョンとポールの関係が険悪になり、グループ内の息苦しさが強くなり始め、「ホワイト・アルバム」完成後、ジョージは音楽に対する意欲を失いつつあったのです。

1968年にジョージはリフレッシュのためにアメリカに渡り、The Bandに招待されてウッドストックに向かいました。そこで隠遁生活を続けていたディランの自宅を訪問し、意気投合した二人は「I'd Have You Anytime」を共作し、ジョージは純粋に音楽を作ることの楽しさを思い出し、ディランとの間に強い友情が結ばれたのです。

「Concert for Bangladesh」の時、人前に出ることを怖れていた当時のディランを見事に復活させたのは、コンサートに来ないかもしれないディランをギリギリまで待ち続けたジョージとの友情の賜物です。もちろんお互いのセッションでの共演も度々実現していますが、最も成果が出ているのはスーパーグループ「Traveling Wilburys」の結成です。たまたま偶然が重なったこととはいえ、ジョージが始めたこのプロジェクトは、まだスランプを脱していなかったディランに再び自信を取り戻す大きなきっかけになりました。

1992年のディランのデヴュー30周年記念ライブ・イベントが開催された際も、ジョージはメイン・ゲストとして扱われ、二人にゆかりがある「If Not for You」などを熱唱しています。1980年にレノンが亡くなった時にディランは、「偉大で存在感がある人物だった」と追悼コメントを出していますが、2001年にジョージが亡くなった際には「彼は永遠に友人であり、彼がいない世界は寂しい」とかなり感傷的になっていました。

ディランとビートルズという両者の巨大な才能は、時に影響し合い、時に牽制し合うような複雑な関係性を生み出しました。それらはディラン史は言うに及ばずポピュラー音楽史における最もドラマチックなシナリオの一部をなしていて、ディラン、ビートルズ(ソロ活動も含めて)の生み出してきた音楽に少なからず関与してきたことは今もなお興味が尽きません。

2026年8月11日火曜日

Traveling Wilburys Vol.1 (1988)


1980年代に入って、ある意味「燃え尽き症候群」となり自分に対する自信を失いスランプに陥っていたボブ・ディランは、トム・ペティやグレイトフル・デッドとのステージを重ねるうちに、少しずつ回復のためのヒントを得ていました。それらのツアーがひと段落した、1988年春に、ディランは親友ジョージ・ハリスンからの連絡を受けます。

ハリスンは、1987年11月に5年ぶりにアルバム「Cloud Nine」をリリースし、久しぶりに大ヒットとなっていました。1988年4月にアルバムから3枚目のシングルを出すにあたって、B面用に新曲を作るように言われたハリスンは、アルバムのプロデュースをしたElectric Light Orchestraのリーダー、ジェフ・リンに相談します。急なことだったので、スタジオがおさえられなかったため、ハリスンはディランのホームスタジオを借りようと電話してきたのでした。

その時、リンはロイ・オービソンのアルバム制作に携わっていたので、ハリスン、リン、そしてオービソンがディランの家に集まりました。さらにハリスンはトム・ペティにギターを預けていたので、それを取りに行ってついでにペティも誘ったという、まさに偶然がここまで重なるものかという展開です。

早速、5人で曲を作り出来上がったのが「Handle with Care」でしたが、レコード会社はあまりに出来が良かったために、同じメンバーでアルバムを作ることを提案してきました。ハリスン、ペティ、リンはワーナー・ブラザース傘下のレコード会社だったので問題はなく、ディランのコロムビア、オービソンのヴァージン・レコードにはワーナーが話をつけたようです。

さて、すぐさま5月に再び集合した5人は、わずか10日間ほどの間に共同で次から次へと曲を作っていきます。バンド名は、ハリスンのレコーディング中に機材トラブルが起こったときに「We'll bury 'em in the mix (そんなのは消しちゃえ)」と言ったことに由来して「Traveling Wilburys」と決まりました。

ここからさらに大人の遊び心で、5人はウィルベリー家の異母兄弟という設定が生まれ、ネルソン(ハリスン)、オーティス(リン)、レフティ(オービソン)、ラッキー(ディラン)、チャーリー(ペティ)という偽名まで用意して覆面アーティストとしてデヴューという流れができました・・・なんですが、サングラスを使うくらいで、ほぼそのまま5人が写真に写ってメディアに露出するし、そもそもミュージック・ビデオまで作ってますから、すぐさま正体はバレバレです。

基本的に全員がボーカルとギターが専門ですが、リンがキーボード、ペティがベースを兼任し、メンバーと馴染みのあるジム・ケルトナーがドラムスを担当しました。ちなみにケルトナーは、バスター・サイドベリーという名前の親戚のおじさん(?)の設定です。10月にアルバムが発売されると大ヒットとなり、1990年のグラミー賞では最優秀ロック・パフォーマンス賞を受賞するほど評価されたのです。

しかしTraveling Wilburysの活動はこれからという時に、残念ながらオービソンが心筋梗塞により急逝(1988年12月6日)してしまったために、グループは活動を一時休止するしかなくなります。なお1990年2月に追悼コンサートが開かれ、ボニー・レイット、ジョン・フォガティ、エミルー・ハリスらと共にザ・バーズのオリジナル・メンバーであるロジャー・マッギン、クリス・ヒルマン、デヴィッド・クロスビーが登場し、またディランもサプライズで出演しました。

偶然から生まれたからこそ、ディランにとっては気心の知れた仲間と純粋に音楽を楽しむ時間となりました。このことが、スランプ脱出の大きな一因になったわけで、事前に計画されていたらむしろプレッシャーになっていたかもしれません。ハリスンが意識的にディランを救おうとしたわけではないとしても、結果として二人の、そしてメンバー全員の素晴らしい関係性が最高の結果を生み出したという事実には拍手を送りたいところです。


Handle with Care
Dirty World
Rattled
Last Night
Not Alone Any More
Congratulations
Heading for the Light
Margarita
Tweeter and the Monkey Man
End of the Line
Maxine (bonus track)
Like a Ship (bonus track)

Nelson Wilbury (George Harrison) (g, slide guitar, vo)
Otis Wilbury (Jeff Lynne) (g, b, key, ds, vo)
Charlie T. Wilbury Jr (Tom Petty) (g, vo)
Lefty Wilbury (Roy Orbison) (g, vo)
Lucky Wilbury (Bob Dylan) (g, harmonica, vo)

Buster Sidebury (Jim Keltner) (ds)
Jim Horn (sax), Ray Cooper (perc), Ian Wallace (tom-toms)

April, May 1988

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年8月10日月曜日

Dylan & the Dead (1987, release 1989)


自分の曲すらどのように歌えばいいのかわからなくなったボブ・ディランのスランプはかなり深刻で、後にこの時は本気で引退を考えたと自ら語るほどでした。そんな1986年の夏、トム・ペティとのツアーを続けていたディランの楽屋に、ジェリー・ガルシアらグレイトフル・デッドのメンバーが訪ねて来ました。

グレイトフル・デッドは、1967年のデヴュー以来、ルーツ志向のブルース、カントリー、フォーク、さらにはサイケデリックなどすべての要素を詰め込み、ライブでは即興性を重視した変幻自在のステージで人気を博していたバンドです。彼らは当初からディランを深く敬愛していて、ディランの曲もいくつもカバーしていました。楽屋で少しギターを鳴らして合わせてみると、ガルシアから一緒にツアーをしたいと申し出を受けます。

定型化したバンド・サウンドや決まりきったセットリストに限界を感じていたディランは、グレイトフル・デッドのその場の感覚で楽曲を自在に変化させる即興性の高さが、自分の楽曲を再生させることになるかもしれないと考え彼らの誘いに乗ることにしたのです。1987年の春にリハーサルが行われ、はじめは自信を失っていたディランも、驚くほど新旧の自分の楽曲を理解してサポートする彼らに支えられて少しずつ前向きになっていけたのです。

ツアーは7月4日フィラデルフィアからスタートし、アメリカ大陸を南西に横断して7月26日カリフォルニアで終了したもので、全6公演という短いものでしたが、ディランはこのツアーを通じて演奏の感覚を少し思い出したようです。特に彼らの自由で高い即興性のある演奏は大きな刺激になったことは間違いなく、一方のガルシアもディランとの演奏はスリルがあって手応えを感じたようです。

グレイトフル・デッドは自分たちのライブをすべてマルチトラックで録音していて、このツアーの音源も膨大なテープの中に埋もれていました。1988年になってコロムビア・レコードがこのジョイント・コンサートをアルバムとして残したいと申し出たことで、グレイトフル・デッド側が、ディランの意見を聞きながらベスト・テイクを選択する形で1年半後の1989年1月に発売されました。

アルバムには、「Highway 61 Revisited」から「Slow Train」までの新旧取り混ぜた比較的知られている7曲が、いろいろな場所での収録からピックアップされました。1曲目は「Slow Train」で、女性に代わってグレイトフル・デッドのコーラスによってゴスペル感は薄まりましたが、快調な滑り出しという感じがします。懐メロの域にある「I Want You」もけっして悪い演奏ではありません。

ただ、聞き進んでいくと、グレイトフル・デッドがディランのバックに徹しているせいなのか、この組み合わせで一番面白くなりそうな即興的な「荒れた演奏」がほとんどなく、とても聞きやすい演奏に終始するのです。ディランやグレイトフル・デッドのことも知らない人が、初めて聞くにはいいかもしれませんが、それぞれのファンからすると行儀が良過ぎて肩透かしを食らったような印象は避けられません。

これは、グレイトフル・デッド側が、自分たちのファン向けではなく、あくまでもディランのファン達を考えて聞きやすいものを中心にセレクトした結果ということなのかもしれません。発売後の評判は、メリハリがない退屈なアルバムという意見があり、全般的に低評価になっています。結局、この組み合わせの真価を知るには、またもや海賊盤の世話にならないといけないという残念な結果になってしまいました。

グレイトフル・デッドとのツアーが終わると、9月から再びトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとの中東・ヨーロッパツアーが行われました。約6週間で30公演を行ったのですが、特に10月5日のスイス・ロカルノでの公演で注目のエピソードが起こりました。ディランの言葉を借りると、「手足に電流が走り、ステージ上で新しい歌い方を会得した」というのです。何か新しい音楽へのアプローチの仕方を閃いたということだと思いますが、少なくともスランプ脱出の鍵を見つけたことは間違いないようです。


Slow Train
I Want You
Gotta Serve Somebody
Queen Jane Approximately
Joey
All Along the Watchtower
Knockin' on Heaven's Door

Bob Dylan (vo, g)
Jerry Garcia (g, vo), Mickey Hart (ds), Bill Kreutzmann (ds)
Phil Lesh (b), Brent Mydland (key), Bob Weir (g, vo)

July 4 ~ 26, 1987, Anaheim, Oakland, Sullivan, Autzen

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年8月9日日曜日

東京タワー

 

そもそも、テレビ放送のための電波塔として計画されたのが東京タワーの始まり。


どうせなら、パリのエッフェル塔の312mを超えるものを建てようということで、昭和32年6月に着工しました。完成したのは昭和33年12月23日というから、まさに突貫工事です。

関東平野全体に電波が届くことが目標だったので、そこから何やかんやと計算して333mになったとか。

日本の戦後復興・高度経済成長のシンボルとして、今なお芝公園に毅然とした姿を見ることができます。

昭和の人間からすれば、ある種の日本人としての誇りを感じ部分で、どこぞにもっと高い塔を建てようが、そんなものはただ作っただけで、存在意義からして比較対象にもならない。

こどもの時に連れてかれて、中間の展望台に行きました。

ところどころに床にガラス張りの小さな窓があって、下が筒抜けで見えるのが、超怖かった思い出があります。今はもっと大きなガラス張りの床があるらしいけど・・・

2013年5月31日をもって、放送塔としての役割はどこぞの塔に引き継がれましたが、今でもFM東京などで使われています。

2026年8月8日土曜日

Down in the Groove (1988)


「Knocked out Loaded」に続くスランプ期のスタジオ・アルバムがこれ。それにしても、この時期のアルバム・タイトルの付け方には、ボブ・ディランの苦悩を色濃く反映したものが続くのは、何とも気持ちが重たくなります。

そもそも「Empire Burlesque」は意味の取りようによっては「(今まで王者だった)自身のパロディ」になりますし、「Knocked out Loaded」は「ベロベロに酔ってまともに歩けない」という意味のスラングです。さらに今回の「Down in the Groove」は、「絶好調」という意味でも使いますが、ここでは「マンネリ状態に落ちる」と考えた方がよさそうです。

ジャケット・デザインも前作の「女性に壺で殴られそうな男」だったり、今回も「暗い場所で一人でギターを抱えるディラン(しかもピンボケ)」という具合で、寂しさはひとしおです。80年代後半の40代のディランは、絶対的な人気者が中年期になって「何を演じてもキムタク」と批判される状況に一脈通じるものがありそうです。

また、1987年1月にディランは何らかの事故にあって右腕を傷めたらしい。本人が明かしているので間違いはなさそうですが、ギターを弾けるかわからないほどのケガだったようですが、詳しくは語っていません。それも、先行きの大きな不安材料になっていたのかもしれません。

このアルバムは、1987年春を中心に収録されていますが、かなりバラバラのセッションから寄せ集められたもので、「Death Is Not the End」は「Infidels」セッションの残り物で、「Had a Dream about You, Baby」は映画「Hearts of Fire」のサウンド・トラック用セッションから流用で、この2曲だけがディラン単独のオリジナル曲です。前作ほどではないにしても、曲ごとにバックのメンバーも変わるため、やはり統一感ではやや弱い。

「Ugliest Girl in the World」と「Silvio」の2曲は、ディランとグレイトフル・デッド専属の作詞家であるロバート・ハンターとの共作。残りの6曲は他人の曲のカバーとトラディショナルとなっていて、ディランが歌うとディランらしくなるのですが、やはり創作意欲が枯渇している状況が続いていることは明らかです。

「Death Is Not the End」はタイトルからして暗い雰囲気をたたえていますが、「どんなことがあったとしても、死は終わりではなく、その先に希望がある」という内容ですが、何しろメロディのメリハリが無く、お経みたいに聞こえる不思議な曲。一度お蔵入りになったのも頷けるのですが、女性コーラスなどを追加して多少華やかにしての復活となりました。

「Silvio」はディランらしいアップテンポのナンバーで、試練を乗り越えてタフに生きるシルヴィオが主人公の歌です。ディランは、昨年のトム・ペティとのツアー中にグレイトフル・デッドと知り合い、この年の7月に一緒にツアーを行うことになっていました。この打ち合わせやリハーサルの中で、ハンターと共作することで、創作意欲を呼び戻そうとしていたようです。

他の曲も一つ一つは悪いとは思いませんが、ディランのアルバムとしてのオリジナリティや必然性が少なく、まとまりに欠けるという批判は間違ってはいないような印象を受けます。それでも、「Empire Burlesque」からのスランプ三部作の中にも、少しずつスランプを脱するためのヒントが散見されました。ディランを深く理解していたトム・ペティやグレイトフル・デッドとのライブの中で、ヒントから正解を導き出し始めたことを思うと、ディランはライブあってのミュージシャンだと確信します。


Let's Stick Together
When Did You Leave Heaven?
Sally Sue Brown
Death Is Not the End
Had a Dream About You, Baby
Ugliest Girl in the World
Silvio
Ninety Miles an Hour (Down a Dead End Street)
Shenandoah
Rank Strangers to Me

Bob Dylan (vo, g, harmonica, key)
Mike Baird, Sly Dunbar, Myron Grombacher,
Steve Jordan, Stephen Shelton, Henry Spinetti (ds)
Eric Clapton, Steve Jones, Danny Kortchmar,
Mark Knopfler, Mick Taylor (g)
Alan Clark, Mitchell Froom, Beau Hill, Kevin Savigar (key)
Nathan East, Randy Jackson, Larry Klein, Robbie Shakespeare,
Kip Winger, Paul Simonon, Ronnie Wood (b)
Peggi Blu, Alexandra Brown, Carolyn Dennis, 
Clydie King, Full Force, Willie Green, Jr., Bobby King,
Madelyn Quebec, Pamela Quinlan (back.vo)
Jerry Garcia, Bob Weir, Brent Mydland (add.vo)

April 1983,  August 1986,  April ~ May 1987

☆☆☆☆☆・・・・・

2026年8月7日金曜日

Knocked Out Loaded (1986)


周囲の思惑など気にせず、自分がこうと思ったらどんなことでやってきたボブ・ディランですから、交通事故も離婚騒動も、そして改宗すらも創作のエネルギーに変えて20数年を突っ走ってきたといえます。しかし、ユダヤ教からキリスト教、キリスト教からユダヤ教への復帰を経て、80年代半ばからしだいに自分に対する自信が揺らいできたのかもしれません。

ディラン自身も語っていることですが、過去の自分を超えられないという気持ちがしだいに強く感じられるようになったようです。また、あえて現代風の曲調を取り入れたりしても、売り上げが思ったほど伸びず、評論家からもケチを付けられる始末です。いわゆる燃え尽き症候群と言って良い状態に陥ったディランは、実質的に全盛期を過ぎたと自覚し、まさに音楽的にスランプに陥っていました。

とは言え、悪いことばかりではなく、プライベートでは1986年1月に女の子が生まれています。母親は、ずっとバックコーラスを担当していたキャロリン・デニス。娘の健全な成長を願って、6月に二人は正式に結婚していますが(1992年に離婚)、家族のプライバシーを守るために、これらのことは公にされていませんでした。ただし、2001年になってジャーナリストのハワード・サウンズが、ディランの半生をまとめるために公的文書の精査をしていて発覚してしまいました。

1986年のほぼ半分は、トム・ペティと彼のバンドであるハートブレイカーズと共に世界ツアーを行いました。両者は前年の「Farm Aid」で急遽共演したのですが、ディランの音楽ルーツを理解していたペティとの相性が良かったことでディラン側からオファーされたものでした。2月のオーストラリア、ニュージーランド、3月には日本、6~8月は北米をまわり、約60公演をこなしています。

マイク・キャンベル(g)やベノン・テンチ(key)らハートブレイカーズの演奏力が高く、すでに人気者だったトム・ペティのディランに対する確かなリスペクトもあって、概してこのツアーは好評でした。ただし、過去のアリーナ・ツアーを踏襲するようなステージは、少なくとも新しさはありません。この時のライブは「Hard to Handle」というタイトルでシドニー公演のビデオが発売され、その後DVD化もされています。

日本公演が終わって帰国したディランは、4月にニューアルバムの制作に取り掛かりました。トム・ペティとの共演を盛り込めば良かったのかもしれませんが、新しいインスピレーションが湧いてこないディランは、他人のカバーを3曲、他人とのコラボレーションを3曲をニューアルバムに収録し、自身によるオリジナル曲は2曲だけにとどまっています。

オリジナル曲の一つ「Drifting Too Far from Shore」は「Empire Burlesque」のセッションの残り物で、正確にはわかりにくいのですが、他にも過去のセッションで部分的に録音されていたソースにオーバーダビングをして作り上げているようです。そのせいで、一般には一貫性が感じられないと低い評価ばかりが目立つアルバムと言われています。個人的には、前作の取って付けたようなモダンな味わいが減っているので、まぁ、普通に聞けるという印象です。

7月にアルバムがリリースされると、そんな中で、サム・シェパードとの共作とクレジットされている「Brownsville Girl」だけは、高く評価されました。11分を超える大作ですが、実はこれも「Empire Burlesque」のセッションの残り物で、もともとは「New Danville Girl」というタイトルでした。ウディ・ガスリーが「ダンビルの娘に夢中になった」と歌ったことがヒントになっていて、昔の恋人に現在の恋人のことを、グレゴリー・ペックの西部劇のことを絡めて語り掛けるというもの。

8月に北米ツアーが終了すると、ディランは映画「Hearts of Fire」の音楽制作を始めるのですが、8月末に行われたセッションにはエリック・クラプトン(g)とロン・ウッド(b)も参加し、サウンド・トラックにはカバー1曲とオリジナル2曲が含まれました。この映画は、「STAR WARS / ジェダイの帰還」のリチャード・マーカンドが監督し、ロックスターになることを夢見る女の子にフィオナ・フラナガンが扮し、それを助けるロック・スターが・・・何とボブ・ディランという配役で、はっきり言って興行的には爆死です。


You Wanna Ramble
They Killed Him
Driftin' Too Far from Shore
Precious Memories
Maybe Someday
Brownsville Girl
Got My Mind Made Up
Under Your Spell

Bob Dylan (vo, g, key)
Clem Burke, Anton Fig, Mike Berment, Milton Gabriel, Don Heffington,
Bryan Parris, Stan Lynch, Raymond Lee Pounds (ds)
T Bone Burnett, Tom Petty, Ira Ingber, Mike Campbell,
Jack Sherman, David A. Stewart, Ronnie Wood (g)
Steve Douglas (sax), Steve Madaio (tp)
Howie Epstein, James Jamerson, Jr., John McKenzie,
Vito Sanfilippo, Carl Sealove (Brownsville Girl), Jon Paris (b)
Phil Jones (congas), Al Kooper, Vince Melamed,
Patrick Seymour, Benmont Tench (key)
Al Perkins (steel guitar)
Carolyn Dennis, Peggi Blu, Lara Firestone, Keysha Gwin, Muffy Hendrix,
April Hendrix-Haberlan, Dewey B. Jones II, Larry Mayhand,
Queen Esther Marrow, Angel Newell, Larry Meyers, Herbert Newell,
Crystal Pounds, Madelyn Quebec, Pamela Quinlan, Daina Smith,
Maia Smith, Medena Smith, Annette May Thomas, Damien Turnbough,
Majason Bracey, Chyna Wright, Elesecia Wright, Tiffany Wright (Back.vo)

☆☆☆☆☆・・・・・

2026年8月6日木曜日

豆腐ハンバーグ


いやいや、そんなにカロリー気にしてどうすんの・・・

という声は、しっかり受け止めつつも、右から左へ聞き流して、今回は豆腐のハンバーグです。

とは言っても、豆腐だけではとても形にならないので、肉も使います。

用意したのは、よくスーパーで売っている小さな3個まとめ売りの木綿豆腐。3個で400gくらいになると思いますが、これに牛豚合い挽き肉150g、鶏むね挽き肉150gくらいを使いました。

ポイントは豆腐は水をたくさん含んでいるので、1時間以上皿に放置して、しみ出てきた水を取り除くこと。場合によっては上に別の皿を乗せても良いかと思います。

全部をよく混ぜて、みじん切りにしたたまねぎ1/2個分、生卵1個をつなぎに使います。塩・胡椒、ナツメグ少々で味付け。いつもと同じです。

つなぎにパン粉を追加することもありますが、当然カロリー・オフ!!

あとは普通に焼きます。そして食べる。普通に旨い。

全部合挽とかで作るより、確実にカロリーは少な目ですから、罪悪感も少な目で満足です。

2026年8月5日水曜日

Biograph (1985)


1985年は、ボブ・ディランにとってチャリティ活動が際立った一年でした。1月にはUSA for Africaのチャリティ曲「We Are the World」に参加、7月にはアフリカ難民救済のための世界規模の「Live Aid」に出演しました。ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドが共演しましたが、かなりトラブル続出の混乱したステージでした。

「Live Aid」でディランが「経営が苦しい農家がある」と発言したことがきっかけで、9月には「Farm Aid」が開催され、ディランは翌年一緒にツアーを行うトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと初共演しました。そして、10月には南アフリカのアパルトヘイトに抗議する「Sun City」にも参加しています。

ツアーこそ行わなかった年ですが、6月には新作「Empire Burlesque」を発表し、さらに11月には、ディランの1962年から1981年までの20年間を総括するコンピレーションが発売されました。タイトルは「Biograph (伝記)」です。アメリカ本国では、ディランのコンピレーション・アルバムが発売されるのは、1967年の「Greatest Hits Vol.1」、1971年の「Greatest Hits Vol.2」以来、14年ぶりのことです。

発売形態はLPレコード5枚組およびCD3枚組(カセットテープ3本組も発売されています)で、レコード大のボックスに収納されていました。全53曲という大ボリュームでしたが、比較的売れ行きは好調で、その後も多少の形態を変えてリマスター版が数回再登場しています。

ディランの場合、まったく珍しくないのは、53曲中3曲はアルバム未収録のシングル盤のみで発表されたもので、さらに何とこれまでに未発表だったものが18曲含まれていました。ディランは後に「もっと早くリリースしたかった」と語ったため、自ら発売したがっていたという説もありますが、実際はコロムビア・レコード側がクリスマス商戦に向けて売れるものを作りたかったというところではないでしょうか。

現在では「The Bootleg Series」や他のコンピレーションにも収録されたりしているので、「previously unreleased」という有難味はほとんど無くなっていますが、当時は驚きを持って迎えられ、ディランは正規のアルバムからもれた隠れた名曲が大変多いことを知らしめるに十分な効果がありました。

このアルバムの商業的成功は、後に「The Bootleg Series」を展開することになるきっかけになったわけで、この手のボックスセットの先駆的名盤という評価をすることができます。

Lay Lady Lay ~ Nashville Skyline
Baby, Let Me Follow You Down ~ Bob Dylan
If Not for You ~ New Morning
I'll Be Your Baby Tonight ~ John Wesley Harding
I'll Keep It with Mine* ~ Bringing It All Back Home outtake
The Times They Are a-Changin' ~ The Times They Are A-Changin'
Blowin' in the Wind ~ The Freewheelin'
Masters of War ~ The Freewheelin'
The Lonesome Death of Hattie Carroll ~ The Times They Are A-Changin'
Percy's Song* ~ The Times They Are A-Changin' outtake
Mixed-Up Confusion ~ A-side single
Tombstone Blues ~ Highway 61 Revisited
The Groom's Still Waiting at the Altar ~ Shot of Love
Most Likely You Go Your Way ~ Before the Flood
Like a Rolling Stone ~ Highway 61 Revisited
Lay Down Your Weary Tune* ~ The Times They Are A-Changin' outtake
Subterranean Homesick Blues ~ Bringing It All Back Home
I Don't Believe You ~ Live at the ABC Theatre Belfast, 1966

Visions of Johanna* ~ Live at The Royal Albert Hall, 1966
Every Grain of Sand ~ Shot of Love
Quinn the Eskimo (The Mighty Quinn)* ~ The Basement Tapes track, 1967
Mr. Tambourine Man ~ Bringing It All Back Home
Dear Landlord ~ John Wesley Harding
It Ain't Me, Babe ~ Another Side of Bob Dylan
You Angel You ~ Planet Waves
Million Dollar Bash ~ The Basement Tapes
To Ramona ~ Another Side of Bob Dylan
You're a Big Girl Now* ~ Blood on the Tracks outtake
Abandoned Love* ~ Desire outtake
Tangled Up in Blue ~ Blood on the Tracks
It's All Over Now, Baby Blue* ~ Live at the Free Trade Hall Manchester, 1966
Can You Please Crawl Out Your Window? ~ A-side single
Positively 4th Street ~ A-side single
Isis* ~ Live at the Montreal Forum, 1975
Jet Pilot* ~ Blonde on Blonde outtake

Caribbean Wind* ~Shot of Love outtake
Up to Me* ~ Blood on the Tracks outtake
Baby, I'm in the Mood for You* ~The Freewheelin' outtake
I Wanna Be Your Lover* ~Blonde on Blonde outtake
I Want You ~Blonde on Blonde
Heart of Mine* ~Live in New Orleans, 1981
On a Night Like This ~ Planet Waves
Just Like a Woman ~ Blonde on Blonde
Romance in Durango* ~ Live at the Montreal Forum, 1975
Senor (Tales of Yankee Power) ~ Street-Legal
Gotta Serve Somebody ~ Slow Train Coming
I Believe in You ~ Slow Train Coming
Time Passes Slowly ~ New Morning
I Shall Be Released ~ Greatest Hits Vol.2
Knockin' on Heaven's Door ~ Pat Garrett & Billy the Kid
All Along the Watchtower ~ Before the Flood
Solid Rock ~ Saved
Forever Young* ~ recording demo

*previously unreleased

☆☆☆☆☆☆☆・・・