2025年3月18日火曜日

river (2003)

鈴井貴之の第2回監督作品で、脚本も自ら担当しました。北海道にこだわる鈴井が、今回はキャストもスタッフもほぼ北海道在住者で固めました。彼の育てたTEAM NACSのメンバーが総出演で、大泉洋は映画初主演です。

北海道の小学校の同窓会で、久しぶりに再会した4人。佐々木耕一(大泉洋)は警察官で、2か月前に通り魔に遭遇したものの、日頃から拳銃を銃弾を込めていなかったため被害者は殺され、犯人にも逃げられてしまいました。藤沢聡(安田顕)は殺された女性との結婚式を間近に予定していて、犯人と見殺しにした警察官を憎んでいました。

いじめに受けていた横井茂(音尾琢真)に誘われて、彼らは2次会としてバーにいきます。そこのバーテンダーはやはり同級生だった九重達也(戸次重幸)で、オリンピックを目指すスキージャンプ選手でしたが、交通事故で断念したのです。それぞれが口に出さずとも、忘れたい過去を引きづっていたのです。

そんな4人に謎の人物が接触してきます。北海薬品工業から「記憶を消す薬」を盗み出してほしいと依頼してきます。横井だけは、こどもが入院したと嘘をついて抜けてしまいます。転校生で半年しかいなかった横井は同窓会に呼ばれるはずが無いことに気がついた佐々木は、横井に対する疑惑を深めます。

流れに乗るしかないと思った佐々木は、藤沢、九重と製薬会社から首尾よく指定されたものを盗み出すことに成功します。しかし、藤沢は逃げ出してしまいました。仕方がなく、盗品の受け渡し場所とした、今では廃校になっている小学校へ向かいます。藤沢は歩いているところ、偶然を装って通りかかった横井の運転する車に拾われ睡眠薬を飲まされてしまいます。

廃墟となった小学校到着した佐々木と九重は、いきなり銃声を耳にします。佐々木は校舎に走っていきますが、足が悪い九重はその場にとどまります。そして、その後ろには銃を構えた横井が経っているのでした。

TEAM NACS総出演なのに・・・まったく笑いは有りません(ちなみにチームのリーダーである森崎博之は佐々木の先輩警官役)。サイコティックな要素も取り入れた陰湿なサスペンスです。映像は徹頭徹尾、暗めのブルーを基調として白黒に近い作りで、暗澹たる空気を増幅させています。またロングショットかアップで人物をとらえることで、極端な主観と極端な客観を表現しているようです。

おそらく大泉洋史上、最高に暗い口調で口数も少ない演技が見れると思います。これは、他のメンバーについても同じで、他の映画と比べても、これほど重たい雰囲気の作品はほとんど思いつきません。

結末は銃声のみで映像としては描かれていません。しかし、おそらく主要人物はすべて死んでしまったのではないかと想像させられる、最後まで希望を見出せない作品です。何故ならタイトルがそれを示している。

学校の浦に小川があり、生徒は毎年春に鮭の稚魚を放流していました。稚魚は皮を下り何年かして同じ川を産卵のため遡上し、産卵の後死んでしまう。つまり、元居た場所に戻ることは死を意味しているわけで、彼らは小学校に戻った時点で運命は決していたということ。

TEAM NACSを使って、真逆のキャラクターに挑戦したところは、彼らを良く知る鈴井だからこそできる芸当というところだと思います。中盤から横井の怪しさを出してサスペンスを盛り上げているのですが、残念ながら事件の動機としては弱いように思いますし、佐々木中心に展開していくので、もう少し丁寧に横井を描いてほしかったという感じがしました。

2025年3月17日月曜日

man-hole (2001)

メディア・クリエイターとして様々な顔を持つ鈴井貴之の第1回監督作品。安田顕は初めての主演作、大泉洋はセリフのある初めての映画出演となりました。

望みを書いた紙を落とすと希望が叶うマンホールが、札幌のどこかにあるという噂がまことしやかに出回っていました。 

小林(安田顕)は札幌の豊水橋派出署の新任警官で、先輩は奥さんに逃げられた村田(中本賢)、あまりやる気のない吉岡(北村一輝)の二人。ある日、女子高校生の鈴木希(三輪明日美)がカバンをひったくられるところに出くわした小林は、犯人(音尾琢真)を追跡して逮捕するが、希はカバンを取り返して姿をくらましてしまう。

希の父親は高校の次期教頭候補で生活指導を担当していて、家庭はぎくしゃくしていました。望みは進学塾に行っているふりをして、寒河江純(大泉洋)のデートクラブに出入りしていました。純が買い物に出かけた時に、客(きたろう)の妻(風祭ゆき)が逆上して怒鳴り込み、仲間の梨絵(尾野真千子)が怪我をしてしまいます。純は建物の外に隠れていた希に事情を教えてもらいますが、そこを小林に見つかり追いかけられる。何とか逃げ切りますが、希は生徒手帳を落としてしまいました。

小林は正義心があふれていたので、勤務時間外に希の周辺を調べ、なんとか犯罪にならないようにしたいと考えるのです。小林がつきまとうのをしつこく感じた希は、小林を名指しでストーカーだとネットに書き込んでしまったため、小林は謹慎させられることになります。

希は小林に、いくら警察官だと言っても人の心の中にまで勝手に入っていいわけじゃないと言い、小林も謝ります。希は一緒に夢のマンホールを探すのに付き合ってほしいと頼むのでした。

TEAM NACSは、北海学園大学の演劇研究会に所属していた森崎博之、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真により1996年に結成された演劇集団で、北海道テレビのバラエティ番組「水曜どうでしょう」により人気が高まりました。番組を企画構成したのが、監督の鈴井で、TEAM NACSにとっては世に出してくれた兄貴分みたいな存在です。

ここでは、TEAM NACSの安田顕を主役に、大泉洋を助演として、音尾琢真を端役で起用しています。北海道にこだわって作られた作品は、自主製作映画に毛が生えたくらい・・・というと怒られるかもしれませんが、おそらく超低予算の中でそれなりに頑張っていると思います。ちなみに、デートクラブのメンバーには尾野真千子や小池栄子も入っていて、さすがに超若いのは驚きます。

登場する人々は、すべてが生きることに中途半端というか、不器用な面がある。劇中に「何のために?」とか「夢は何?」といった会話が度々でてくるのですが、ちゃんと答えられる人はいません。それは現代人誰にでもあてはまるところかもしれません。ある種の閉塞感みたいなものですが、夢のマンホールという出口は誰にとってもある種の期待の一つなのかもしれません。

2025年3月16日日曜日

RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ (2011)

阿部秀司製作総指揮による鉄道シリーズの第2作目。今回の舞台は富山県、富山地方鉄道(通称、地鉄)の運転手の話。監督は蔵方政俊、脚本は小林弘利、ブラジリィー・アン・山田。

地鉄の運転士を42年間、無事故無違反で勤める滝島徹(三浦友和)は定年を控えていました。退職後は家族との時間を作るつもりでしたが、元看護士の妻の佐和子(余貴美子)から緩和ケアの訪問看護師土の仕事をすることにしたと聞かされます。

何度も話をしても理解を示さない徹だったので、佐和子は家を出てしまい、突然妻がいなくなり徹は困惑するのでした。しかも佐和子は、徹に名前を書き込んだ離婚届と自分の結婚指輪を渡すのです。娘の麻衣(小池栄子)も、自分のことばかりで母親のことをわかっていない徹を責めます。

徹は研修中の小田(中尾明慶)の指導を任されますが、明るい性格の小田も彼女との別れ話で落ち込んでしまいます。小田は「もしも、奥さんから離婚と言われたら、滝島さんだって冷静でいられないですよね」と言いますが、徹は平気を装うしかありませんでした。

佐和子が担当した井上信子(吉行和子)は、家族と一緒に最後の時は自宅で過ごしたいと強く思っている患者でしたが、孫に使う薬草を探しに黙って出かけてしまいます。そして帰りに、徹が指導して小田が運転する電車に乗り合わせます。しかし、落雷のため送電が止まってしまい、山肌の斜面の場所で電車はストップしてしまうのです。

徹の連絡で、佐和子が現場に駆け付けますが、救急車が近づけないため佐和子は斜面をよじ登って電車に乗り込み、信子の応急処置をするのでした。佐和子は母親を病院で亡くしたことの後悔と、自分も一時ガンを疑われたことで、強い覚悟を持って復職したのです。徹は、本当の佐和子の姿を始めて理解し、やっと佐和子や自分がこれからどのように生きて行けばいいのかの答えを見つけた気がしました。徹は離婚届を役所に提出し、自分と佐和子の結婚指輪を投げ捨てるのでした。

もちろん、ちゃんとハッピーエンドですからご安心を。指輪を捨てちゃったときは、こりゃ思い切った展開だと思いましたが、なかなかうまい着地点を用意したものだと感心します。

自分も含めて男というのは、どこかで家族のために自分が頑張るという気持ちが強く、いつの間にか家族の事が見えなくなっているものです。それを「男は理性、女は衝動」みたいな言い訳をして、自分を正当化しているところは少なからずあることは間違いない。

電車の運転士という仕事も、一度走り出したら何があっても投げ出すことができないというところは、ある意味医療の仕事と似ている部分があります。主人公は妻が同じような立場になったことで、自分の姿を家族がとのように見ていたかが初めてわかったのかもしれません。

今回もローカル鉄道が舞台ですが、都会から引退した車両などを大事に整備し続けて走らせるところは、地方の鉄道の厳しい事情が垣間見えます。しかし、だからこそ車両に対する愛情は、ドラマとしての深みを与えています。美しい風景と共に、名作とは言えないかもしれませんが、心に残る作品になっていると感じました。

このシリーズは、2018年に第3作として「かぞくいろ RAILWAYS わたしたちの出発」が作られています。こちらは九州のオレンジ鉄道が舞台で、有村架純が女性運転士を目指す話になっています。

2025年3月15日土曜日

RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (2010)

21世紀の日本映画で制作チームとしてしばしば目にするのが「ROBOT」という名前。ROBOTの創業者で多くのヒット作を手掛けた阿部秀司が、大の鉄道好きであることを生かして独立後にプロデュースしたのが「RAILWAYS三部作」です。

これはその第1作目にあたり、島根県出身の錦織良成監督にとっても「島根三部作」の最後を飾る作品となりました。主として松江から出雲大社の間を走るローカル鉄道である一畑電車(通称バタデン)が全面的に協力して、四季折々の美しい風景を織り込みながら良質なヒューマンドラマに仕上がっています。

東京の大手企業の経営企画室長を務める49歳の筒井肇(中井貴一)は、会社命の生活で家族との関係もギクシャクしていました。そんな折、島根で一人暮らしをしている母親の絹代(奈良岡朋子)が倒れてしまいます。さらに同期入社の親友が事故で急死の知らせを聞き、肇は今の自分の生き方に疑問をもち、こどもの頃は家のすぐ近くを走るバタデンの運転手になることが夢だったことを思い出すのです。

肇は夢を叶えられる最初で最後のチャンスなのかもしれないと思い、会社を退職し一畑電車の運転手に応募するのです。妻の由紀子(高島礼子)は、ハーブティーの店を始めて、軌道に乗りかけていました。由紀子は自分はこのまま東京に残るけど、あなたは自分では気がつかないところで息切れしていたからと応援してくれました。

就活中の娘の倖(本仮屋ユイカ)は、休みのたびに島根を訪れ祖母を見舞います。話をしていても時計ばかり見ている父親をうっとうしく思っていましたが、変わっていく父親を見て少しずつ会話が増えていきました。

肇と同期で研修を受けた宮田(三浦貴大)は、高校球児でプロ入り目前でしたが肘の故障で夢を断たれしかたがなく運転手に応募したのです。事情を知ると、肇は自分が何故この年になって運転手を目指したのかを話をして、元気づけるのでした。

運転手の仕事に慣れてきた頃、宮田が運転席に座らせてあげたことがある小学生が、肇と宮田がちょっと目を離したすきに電車を動かしてしまいました。あわてて肇がブレーキを掛けたので、大事には至りませんでしたが、責任を取って肇は退職願いを提出するのでした。

ふだん仕事を理由にして、いろいろなことから意識的に、あるいは無意識に逃げている自分というのは少なからず誰にでも当てはまることかもしれません。そして、そのことによって何か大事なものを失っていくことに気がつくことはめったにないように思います。

この主人公はそこに気がついた。とんでもなくドラマチックなことが起こるわけではありませんが、より豊かな生き方を見つけることができて、それを実践できたのはとても幸せな事だと思います。こういうまじめ一筋のサラリーマンは中井貴一は適任で、このキャスティングだけでもう映画は完成したようなもの・・・というのはさすがに言いすぎかもしれません。

それにしても、こどもが運転してしまうという重大な不祥事を起こし社長が記者会見で謝罪するという場面があるにもかかわらず、実名で登場する一畑電車には頭が下がります。実在する電車が登場するからフィクションでもリアリティが増してくるわけで、会社の英断には拍手を送りたいと思います。

2025年3月14日金曜日

霧だけど・・・


前の日に本降りの雨・・・

昨日の朝は、とんでもないぐらいの霧が発生しました。

高原の朝みたい・・・なんて、のんびりしたことを言っている場合じゃない。この場所は、左側が田んぼなので、霧が出やすい場所ですが、こんなに見えないことは初めて。

道の先が見えないので、視界は100m程度でしょうか。でも、先に進むと、数10m先がよくわからないというところもありました。

時速40km/hだと、車の停止距離はだいたい20mと言われています。対向車も40km/hなら、40mくらいの視界が無いと衝突する危険があるということ。

こういう時は、とにかく安全第一。下手したら雪より怖いかもしれません。

2025年3月13日木曜日

青天の霹靂 (2014)

青天の霹靂(せいてんのへきれき)・・・とは、随分と難しいタイトルですが、米の銘柄ではなく、故事による「晴れ渡った空に突然起こる雷」という意味で、一般には思っても見なかった事件、突然の衝撃といった意味で用いられています。ピン芸人の劇団ひとりが書いた小説が原作で、劇団ひとりが自ら監督・脚本を務めています。

場末のマジックバーで店員をしている轟晴夫(大泉洋)は、手品の腕は悪くないのに口下手のために、後輩がテレビに出てちやほやされているのを苦い思いで見ているしかありませんでした。晴夫はラブホテルの清掃員だった父親の正太郎の手によって育てられ、母親は晴夫を生むと子供を置いて出て行ってしまったということで、ろくな生活をしてこなかったのです。その父親とも、高校を卒業してから一度も顔を合わせていません。

ある日、警察から河原でのたれ死にしていたホームレスが、晴夫の父親、轟正太郎であることが分かったので遺体を引き取りに来てほしいと連絡を受けます。お骨を持って河原に立ち寄った晴夫は、突然の雷に打たれ気を失ってしまうのでした。

気がつくとそこは何と昭和48年、自分が生まれる1年前の東京でした。困っていると通りかかった手品好きの少年に連れられて、演芸場である雷門ホールに案内され、晴夫は支配人(風間杜夫)に手品を見せます。スプーン曲げに興味を持った支配人は、相方が姿を消してしまった悦子(柴咲コウ)に助手をさせて晴夫を舞台に出させるのです。

これが好評で軌道にのったかに見えましたが、悦子が妊娠していることがわかり、父親は姿を消していた相方、手品師の轟正太郎(劇団ひとり)であることが判明します。支配人は、戻ってきた正太郎と晴夫を組ませて、喧嘩しながら手品を見せるようにしたところ、これも人気になりました。

正太郎と晴夫はテレビのオーディション番組に応募して勝ち進みますが、悦子が倒れてしまいます。医者から胎盤早期剥離で、母子ともに危険な状態と聞かされた正太郎はテレビの決勝を辞退してしまいます。悦子が分娩室に入っていったとき、晴夫は一人で決勝の舞台に立ち、一世一代のマジックショーを始めるのでした。

まずキャスティングが絶妙です。バラエティでおおはしゃぎするイメージが強い大泉洋ですが、映画となると実に人間臭い演技がうまい。ここでも、将来に希望が持てない売れない手品師、そしてその根っこにある母親に捨てられたという生きる意義を見出せない男を見事に演じています。気丈な芸人の妻を演じる柴咲コウも、この役にぴったりです。

劇団ひとりはフィクションとして小説を書いているわけですが、実際に昭和の時代までは浅草あたりの場末には売れることを夢見る芸人が山ほどいて、ヒントになるような夫婦が実在していたのかもしれません。劇団ひとりが実際に体験してきたはずはありませんが、そのようにがむしゃらに生きていた人々に対するリスペクトみたいなものが感じられます。

過去にタイムスリップして、自分の出生の謎を解き明かすというファンタジーですが、いろいろな形の家族、親子の関係の一つとして救いを見つけることができるストーリーは素晴らしい。映画監督としての劇団ひとりの評価は可も無し不可も無しというところかもしれませんが、俳優たちに恵まれて合格点の監督デヴューと言えそうです。

2025年3月12日水曜日

こんにちは、母さん (2023)

永井愛の舞台作品を、「男はつらいよ」の山田洋次が監督・脚本を担当し、「母べえ(2008)」、「母と暮らせば(2015)」に続く吉永小百合を迎えた「母三部作」という位置づけの作品です。いかにも山田監督らしい東京の下町を舞台に、母、息子、そして孫という3世代の抱える悩みを描いています。

隅田川沿いの向島で細々と足袋屋を営む神崎福江(吉永小百合)は、近所の人たちとホームレス支援のボランティア活動を行っていました。頑固だった足袋職人の父親との折り合いが悪く早々に家を出た息子の神崎昭夫(大泉洋)は、企業の人事部長でリストラにも関わるストレスの高い立場で、妻とも別居中という悩みも抱えています。

たまたま久しぶりに昭夫は実家訪ねると、娘の舞(永野芽郁)が母親のもとから飛び出して福江の元に居ついていました。昭夫は舞から、福江はボランティア仲間の牧師をしている萩生(寺田聰)のことが好きなんだと思うと聞かされ驚きます。

そして同期入社の友人、木部(宮藤官九郎)がやって来て、自分がリストラ対象だということを何故黙っていたと昭夫に詰め寄るのです。昭夫は立場上言えなかったが、できるだけ木部が会社に残れるように動いていたと説明しますが、木部は聞く耳を持たず「絶交だ」と言い捨てて出て行ってしまいます。福江は何とかしてあげるのがともだちだろと言いますが、昭夫は組織の中では簡単なことではないというしかありませんでした。

萩生にコンサートを誘われた福江は、久しぶりの楽しい一時を過ごしますが、その後で萩生から「実は、北海道の教会に転勤になる。他の人から聞くのではなく、自分の口からあなたに話したかった」と伝えられるのです。一方、希望退職を拒否した木部は閑職に追いやられ、会議に無理矢理出ようとして上司にケガをさせてしまい懲戒解雇になることが決まってしまいます。

昭夫は離婚を決意し、木部の事も人事部長決済で通常の退職として処理するのでした。役員会での決定事項を独断で無視した昭夫は、責任を取って会社を去るしかありませんでした。実家に戻ると、「失恋」した福江は珍しく一人で酒を飲んでいました・・・

福江は亡き夫が残した足袋屋を守らないといけないしがらみを背負い続けています。ボランティアも、ある意味福江にとっては自由への憧れだったのかもしれません。昭夫は妻との関係が崩れ、会社と友人の板挟みになってしまう。舞は両親の間で入って悩み、福江の元に逃避している。

現代を舞台にしていますが、どの時代でも、どの世代でもそれぞれの悩みを抱えて人が生きていること。そして母と息子、父と娘といった、山田監督がずっとテーマに掲げてきた「家族」の在り方を描いた作品ということだと思います。それをどう感じ取るかは、人によって様々だとは思いますが、少なくともいろいろな不平不満も受け入れてくれるのが家族という関係なのかなと思いました。

にぎやかな大泉が、落ち着いた演技をするのも見所で、ハイテンションの宮藤官九郎が対照的に演出されています。ちょっと気になったのは、ホームレスのイノさん(田中泯)の存在。物語の中で、役割がよくわかりませんでした。せっかくの大物登場なんですが、もう少し深い関りが描けてもよかったかもしれません。

それしても、娘、母親を通り越して"大スター"吉永小百合をお婆さんにしてしまったのは、さすが山田監督。しかも老いらくの恋をさせて振られてしまうという、こんな吉永小百合は見たくないと思うか、人間らしさが前面に出て好感を持つか、あなたはどっち?

2025年3月11日火曜日

ディア・ファミリー (2024)

清武英利のノンフィクション「アトムの心臓 ディア・ファミリー 23年間の記録」が原作で、東海メディカルプロダクツの会長筒井宣政氏が、医学知識の無い所から娘のために人工心臓を研究・開発しようとした実話が基になっています。監督は月川翔、脚本は林民夫、主題歌はMrs.Green Appleが歌っています。

町工場を経営している坪井宣政(大泉洋)は、妻の陽子(菅野美穂)、長女の奈美(川栄李奈)、次女の佳美(福本莉子)、三女の寿美(新井美羽)の5人暮らし。しかし、心臓疾患を抱える佳美は幼い頃に20歳まで生きられないだろうと宣告されていました。佳美中心の生活に、奈美も寿美も文句も言わず協力的でしたが、家族としての楽しみには多くの制約が伴っていました。

アメリカで人工心臓が開発されたニュースを聞いた宣政は、佳美を救える望みを抱き、大学や研究室を巡って情報を集め出すのです。東京都市医科大学心臓研究所を訪れた時、自分の工作の知識が人工心臓の開発に応用できると感じた宣政は、貯えてきた私財を投げうって研究所に協力して人工心臓の開発を始めます。

しかし、アメリカでの臨床試験が失敗したことを受けて、それまで協力的だった石黒教授(光石研)は、態度を変え宣政の出入りを禁止してしまいます。絶望する宣政は佳美に「絶対に助ける」という約束を守れないかもしれないと告げるのですが、自分の隣に入院していた少女が亡くなったことで、バルーンカテーテルさえあれば助けられたことを伝え、自分の代わりに多くの命を救ってほしいと言うのでした。

当時は心臓カテーテルで用いられるバルーンカテーテルは輸入した物しかなく日本人の体格には適合せず成功率はかなり低かったのです。人工心臓には否定的だった研究室の富岡(松村北斗)は、宣政の熱意にうたれ日本人のためのカテーテル製作に協力するのでした。

実話をもとにしていますので、感動することは間違いない。佳美はカテーテルでは自分が助からないことをわかった上で、父親の必死の努力が報われる方向に導くのは並大抵の心の持ち主ではありません。何とか成人式は祝うことが出来ましたが、その後に亡くなってしまいます。しかし、現実に宣政が開発したバルーンカテーテルは多くの患者の命を救うことに繋がったのです。

映画では、おそらくドラマ的なフィクションは混ざっているのではないかと思いますが、大筋は実話通り。そのまま映像化すると、かなりベタな展開になってしまいそうですが、そのあたりは脚本の上手さのせいか素直に見ることができました。

ただし、宣政が功績をたたえられ叙勲する場面で、宣政を積極的に取材する女性記者(有村架純)が登場してくるところだけは、やや不必要な付け足しに感じられます。このシーンがあるために、宣政が佳美を救えなかった後悔を和らげようとしているのだと思いますが、感動の上乗せになっているかもしれません。

2025年3月10日月曜日

ブルーピリオド (2024)

青春スターを集めた青春応援映画・・・という薄っぺらな言い回しは似合わない、けっこう硬派な映画です。原作は山口つばさのマンガ。脚本は吉田玲子、監督は「東京喰種 トーキョーグール」の萩原健太郎です。

矢口八虎(眞栄田郷敦)は成績優秀ですが、タバコは吸うし酒も飲むという荒れた生活もしていました。両親(石田ひかり、ずん)は、いい大学を受験してもらいたいと思っていますが、本人は何事にも一生懸命になれないでいました。

ある日美術室で見た一枚の絵に魅力を感じ、佐伯先生(薬師丸ひろ子)が顧問をしている美術部に入部します。美術部には友人のユカちゃん(高橋文哉)もいました。ユカちゃんは、本当は龍二という名で、化粧をして全身ギャル衣装に身を包んでいました。

しだいに絵を描くことで初めて熱中できるものを見つけた八虎は、東京芸術大学を受験することに決め、美術予備校にも通い出します。そこでは、大葉先生(江口のりこ)の指導を受け、しだいに絵画の技量が足りなくても戦略を練ることで自分の絵が描けることを学んでいきます。

いよいよ受験当日。1次試験は丸1日かけてデッサンの課題でしたが、八虎はさまざまな多面性を表現した自画像を描いて合格します。龍二は父親に女装道具をすべて捨てられてしまい。試験をボイコットしてしまいました。八虎は心配して電話をすると、海にいるから心配なら来てよと言われます。2次試験があるから無理だと言うと、龍二は自分の殻を脱げずに上から心配するなと言い返されてしまいます。

八虎はあわてて海に向かいます。龍二は自分の裸を描いてみたみたことはあるかといい、二人とも服を脱いで自分のままを書くのでした。しかし、翌日2次試験会場に現れた八虎は、熱を出して体調を崩してしまったのです。2次試験のテーマは裸婦でした。

眞栄田郷敦の演技力もなかなかのものでしたが、注目だったのは高橋文哉。長い金髪で化粧バリバリのスカート姿で、これが実に板についています。仮面ライダー出身の高橋ですが、他の人気者になった俳優とは一味違った柔らかいイメージです。

美術という評価が難しい主観的な目標を達成するのは、なかなか難しい。ましてや、それをマンガや映画にして見せるのは大変な事だろうと思います。スポ根物と違い、どうしたら「勝利」なのかがわかりにくいのですが、そこを芸大合格というわかりやすいゴールを設定したところがうまいポイントです。ただし、どんどん上に行くだけで、挫折がほとんど表現されていないところがちょっと物足りませんでした。

2025年3月9日日曜日

仮設トイレ


とある工事現場に設置された仮設トイレです。

どうでもいいことですが、いくつか「あれっ?!」と思ったことがあります。

まず、ずいぶんとカラフルで、デザイン性が(多少は)高まったものだなぁと思いました。中には入っていないのでわかりませんけど、少なくとも外観上は清潔感がアップしているように思います。

次に、男子トイレと女子トイレが分かれているのが画期的。人気観光地とかならともかく、そこらの普通の工事現場ですから・・・っていうか、分ける必要があるほど、現場に女子が多いというのに驚くわけです。これも時代というものでしょうか。

ただ、「男子トイレはこちら」、「女子トイレはこちら」と掲示されているものの、その下のピクトグラムが同じというのが、まさに「画竜点睛を欠く」状態。これでは、初めての時にはどっちに入ればいいのか一目ではわかりづらい。

混乱してどこからか文句が出たのか、「左側」、「右側」と手書きされていますが、これがまたわかるようでよくわからない。男か女のどちらかのピクトグラムだけ掲示すれば、シンプルに誰でもわかると思うんですけどね。

2025年3月8日土曜日

手作り餃子


餃子のネタの話。

カロリー気にすると、肉少なめ、野菜多めとなるんですが、キャベツは高いしどうしようかと・・・

冷蔵庫の野菜室を、じっと見る。おー、鍋の残りの白菜があった。使いかけの長ネギもあるじゃないか。

というわけで、キャベツ 1、白菜 1、ニラ 0.3、長ネギ 0.2くらいの割合でみじん切りにしました。

味付けは、少量の塩、多めのにんにく、その半分くらいのショウガ、してテキトウにオイスターソース。

そうそう、ひき肉は・・・シャジャーン、大豆ミートを使いました。

IHですので、いつも中心部は焦げても周囲がいまいちに仕上がることが多い。今回はある程度焼けた後に、弱火で長めに放置したところ焦げ方は十分になりました。

食べてみると、あれれ、あれだけ詰めたはずなのに中身がしょぼい。

うーん、なんでだろん。蒸し焼きの時間が長すぎて、野菜が溶けちゃったかんじです。白菜が多かったのも原因かもしれません。

やはり、奥が深い。いろいろ失敗して賢くなれるということですね。

2025年3月7日金曜日

舞茸の卵とじ


出来上がりとしては、特に変わったところはありません。

舞茸を玉子でとじて美味しくいただきました・・・って、それだけでは話が終わっちゃう。

一応、こだわりのポイントがあります。

そのままだし汁にいれて煮ると、色も抜けて味も飛んでしまいます。

そこで、舞茸を最初にフライパンで炒るんです。油は使いません。キノコは水分が多いので、まず水分を飛ばして、見た目の体積を半分くらいにするんです。

これは、キノコの味を凝縮させて、香りを立たせる効果がある下処理で、食感も増しますから、いろいろなキノコの料理に応用できるテクニックです。

機会があれば是非お試しを。

2025年3月6日木曜日

雪だけど・・・


この数日は天気予報通りで、真冬のような寒さ・・・

というか、3月になったというのに、下手すると今シーズンで一番寒いかもしれない。

雪が何となくパラついたのは、1回か2回ありましたが、積雪らしいのはこの冬で初めてのことです。

ですが、未明から雨に変わっていたので、朝の時点では残っていた雪はわずかで、雪合戦はできないし、ましてや雪だるますら作れない程度にしか残っていません。

屋根が白くなった程度で、雪が降ったのがわかる程度。道路はほぼ濡れているだけで、雨のおかげで凍結もしていませんでした。

大人になると、あーよかったと思ってしまいます。こどもの頃の純粋な無邪気さは、とっくの昔に忘れ去っているようです。

2025年3月5日水曜日

セーラー服と機関銃 (1981)

もう言わずと知れた、初期の角川映画、最大のヒット作であり、かつ邦画史上でも必ず上位に食い込む名作です。当時も「か・い・か・ん・・・」の名セリフと共に社会現象になるほどのブームを巻き起こしました。

原作は赤川次郎。脚本は鈴木清順作品で活躍した田中陽造、監督は相米慎二。相米監督は「翔んだカップル」に続く本作でも、主演に薬師丸ひろ子を迎え、両者とも監督として女優として確固たる評価を獲得しました。

跡目は甥に譲ると遺言を残して、目高組三代目組長が亡くなりました。しかし、その甥は交通事故で亡くなり、その娘である星泉(薬師丸ひろ子)は天涯孤独の身となってしまいます。目高組は佐久間(渡瀬恒彦)、政(大門正明)、ヒコ(林家しん平)、メイ(酒井敏也)の4人しかいませんが、組を潰すわけにはいかないと、泉に四代目組長になるよう頼み込みます。

最初は拒否した泉でしたが、それなら殴り込みをして全員で死を選ぶというため、仕方がなく組長になることを承諾します。しかし、事務所が銃撃され、泉も高校を強制退学させられます。さらにヒコが何者かに殺されてしまう。

どうやら敵対する松の木組、それを操る浜口物産、そして真の黒幕である三大寺らの仕業であると佐久間は考えます。実は、三大寺と手を組む黒木刑事(柄本明)が、手に入れたヘロインを咄嗟に通りかかった泉の父親のバッグに隠し、それが何かわからずに泉が受け取っていたのでした。メイも殺され、ついにイズミは佐久間とマサを引き連れ浜口物産に殴り込みをかけるのでした。

三大寺には三國廉太郎、松の木組組長には佐藤允、浜口物産社長には北村和夫など豪華な大ベテランが脇を固めます。三大寺の娘で佐久間に味方するマユミには風祭ゆき、泉の同級生には柳沢慎吾、光石研などが登場します。

公開時は約112分の映画でしたが、翌年尺の都合でカットされたシーンを復活させた「完璧版(131分)」が公開され、より高い評価を受けました。また主題歌は来生たかおの「夢の途中」が使われ、相米監督の強い意向で薬師丸ひろ子が歌い大ヒットしています。

内容はそもそも、原作者の赤川次郎も映画の3年前に本作を執筆した時点で、なかば薬師丸ひろ子に当て書きしていました。アイドル映画と思いきや、薬師丸ひろ子にとっては、「野生の証明(1978)」で鮮烈なデヴューを飾り、「翔んだカップル(1980)」でアイドル的な人気が上昇、そして本作で演技力も認められ女優としての地位を決定づけました。角川映画創業期を支える看板女優であったことは間違いありません。

相米監督の特徴と呼ばれるワンカット長回しは、この映画でも顕著です。やり方を間違えると画面がだれてしまったりするリスクを伴ないますが、計算された長回しは見る側に一つのシーンで多くの情報を提供できる。もっとも、登場する俳優たちの演技力にもかなり左右されるので、この映画の出演陣の緊張感は見事と言えるかもしれません。