1987年のグレイトフル・デッドやトム・ペティとのツアーで、新たに自分の音楽への向き合い方のヒントを掴んだボブ・ディランは、1988年6月7日から新たなツアーを開始しました。とにかくステージに立ち歌い続けることがもっとも自分らしいとディランが気がついたからで、特定のアルバムのプロモーションなどとは無関係に、その後現在に至るまで「Never Ending Tour」と呼ばれ継続することになります。
このステージでは、過去のヒット曲、最新曲だけでなく、トラディショナルや他人の曲のカバーも含まれ、特定のセットリストにこだわらず、日によって披露される曲も違えば、同じ曲でもアレンジを変えたりするのが特徴です。また、バンドも実にシンプルで、始まった頃は自分以外はG.E. スミス(g)、ケニー・アーロンソン(b)、クリストファー・パーカー(ds)の3人だけという、逆に自由度が高い編成にしたことも注目されます。
G.E.スミスは、ホール&オーツのリード・ギターを務めた後、テレビの公開バラエティ「Saturday Night Live」のバンド・リーダーをしていましたが、1990年までの初期の「Never Ending Tour」を支えたギタリストです。他の2人も実力派のミュージシャンで、タイトなロック・バンドがこの時期のディランを見事にサポートしました。
1988年は年末までの半年間で71回のライブを行い、1989年も5月から11月までの間にヨーロッパも含めて全99公演を行っています。ディラン自身は「Never Ending」と言われるのは嫌っていて、ただ旅する音楽家として巡業をしているだけと説明しています。
1989年の年明け頃のようですが、ディランの家にU2のボノが遊びに来ました。このあたりは、ディランの交友関係として興味深いところです。ディランはボノに新しい曲は作っているのかと尋ねられたので、最近書いた歌詞を見せると、感銘を受けたボノはすぐさまその場でダニエル・ラノアに電話をし二人の対面をセッティングしました。
ラノアは空気感の演出に定評があるプロデューサーで、その時にラノアが行っていた仕事を見学したディランは、彼に次のアルバムのプロデュースをまかせることにします。2月になると、ラノアはちゃんとしたスタジオではなく、ニューオリンズの住宅街の古い一軒家に機材を持ち込んで、ディランを迎い入れます。
このアルバムに用意された曲は、実は昨年ロン・ウッドらを起用したセッションで、ほぼ丸々収録されていたのですが、出来に納得できないディランはすべてボツにしていたのです(これらはまったく陽の目を見ていません)。即興的な緊張感を好むディランに対して、ラノアは試行錯誤をして緻密な音の構築にこだわるという正反対のような組み合わせは、レコーディングが始まって強い緊張感や衝突が生じました。
時にはディランは逃げ出したりもしたのですが、結局冷静に考えるとラノアの意見は悪くないと思い戻って来るということもあったようです。ディランとしてはかなりこだわって作った「Series of Dreams」は、アルバムの雰囲気に合わないとラノアに却下されましたが、1991年に「The Bootleg Series Vol.3」に収録されると大絶賛されシングル盤として発売されたりもしています。
他にも完成されたアウトテイクが数曲あり、いずれも2008年に発売された「The Bootleg Series Vol.8 Tell Tale Signs」にまとめられ、いずれも非の打ち所がない素晴らしい曲です。説明しにくいのですが、確かにアルバムの持つ雰囲気とは合致しないような気がします。ラノアの慧眼には感服すると同時に、ディランがこの時期に強い創作意欲を取り戻していたということが理解できます。
独特の重厚で精錬された雰囲気を作るため、起用されたミュージシャンはニューオリンズ現地で活躍する精鋭が選ばれ、ソロで目立ってしまう有名所は参加していません。しかし、ラノアの目指した方向性は見事にアルバムとしての統一感を演出し、9月にリリースされると「ディラン復活」、「ディラン再生」などと評され、ディランはスランプから脱出したと高く評価されたのです。
タイトルの「Oh Mercy」は、「なんてこったい!」、「(神よ)どうかお慈悲を」といった意味で使われる感嘆の慣用句。ジャケットの絵は、ニューヨークでチャイニーズ・レストランの外壁に書かれていたのを偶然見つけたディランが気に入り、数か月かかって作者のトロッキーを探し出して使用許諾を得たというエピソードがあります。これらもアルバムの世界観とマッチして、評判を上げる要因になりました。
一曲目はアップテンポですが、アルバム全体のイメージをわかりやすく伝えるダークな曲です。政治が人々に与える影響を風刺する内容は、ディランの十八番と言えるかもしれません。次は一転して過ぎ去ったものに対するノスタルジックなバラード。「Ring Them Bells」はディラン独自の讃美歌みたいな曲で、救済が必要な人に向けて希望の鐘を鳴らすように呼び掛けています。
その後も再びダークな世界に戻ったり、見事なバラードが登場して、全10曲のバランスが見事で、プロデューサーとしてのラノアの力量が遺憾なく発揮されていると言えます。これで、やっとディランも長いトンネルから抜け出して、素晴らしい90年代を迎えられることでしょう・・・と言いたいところなんですが、まだしばらくはもやもやが続きます。
Political World
Where Teardrops Fall
Everything Is Broken
Ring Them Bells
Man in the Long Black Coat
Most of the Time
What Good Am I?
Disease of Conceit
What Was It You Wanted
Shooting Star
Bob Dylan (vo, g, pf, org)
Daniel Lanois (g), Mason Ruffner (g), Brian Stoltz (g)
Paul Synegal (g), Malcolm Burn (key, b), Tony Hall (b)
Larry Jolivet (b), Willie Green (ds), Cyril Neville (perc)
Daryl Johnson (perc), Alton Rubin, Jr. (scrub board)
Rockin' Dopsie (accordion), John Hart (sax)
March ~ April 1989, New Orleans
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