2021年9月18日土曜日

秋空


今回の台風は・・・あれれれれ??

ほぼ真北に向かって朝鮮半島の方向へ向かっていたと思っていたら、その手前の東シナ海で足踏み。

まだ、そこにいるのと思っていたら、何か急に右向け右。今度は真東に方向を変えて、列島を横断しそうな雰囲気になってきました。

関東地方は、今夜遅くに最接近、ちょっとずれれば直撃という状況です。

中心気圧は995ヘクトパスカル(18日朝)になって、勢力はかなり弱くなりましたが、それなりの風雨は伴いますので注意が必要です。

どうも秋の空は変わりやすいと昔から言いますけど、この台風もかなり気まぐれ。台風が過ぎれば、また気温が上がって厳しい残暑になるらしい。

もっとも、故人曰く、変わりやすいのは秋の空だけじゃないらしい・・・

2021年9月17日金曜日

日本沈没 (1973)

当時大センセーションを巻き起こした小松左京原作の小説を原作として、東宝が総力をあげて制作したSF大作映画。黒澤組の森谷司郎が監督、橋本忍が脚本。 特撮は中野昭慶が担当し、破壊シーンは綿密に計算された建築工学に基づくリアリティを追求しました。そして、東京大学の竹内均教授ら、本当の科学者たちが多く参加して、可能な限り事実に近い物語を作り上げました。

地球物理学の田所博士(小林桂樹)は、深海調査艇わだつみの操縦士、小野寺(藤岡弘)と共に、小笠原諸島の小島が水没し消失した調査に向かい、海底で異常な地殻変動を発見します。さらに小野寺は、上司の吉村(神山繁)の紹介で地産家の娘、阿部玲子(いしだあゆみ)と葉山でデートをしている時に天城の付近で大噴火が発生します。

山本総理(丹波哲郎)と政府は、田所らを集めて会議を行います。ここでは竹内均教授が自ら出演し、地球の構造を説明するシーンがあり、地殻の動きをわかりやすく説明してくれます。政府は秘密裏にD計画を発動し、フランスの深海調査艇ケルマテックを使い、田所や小野寺をメンバーに加えます。

彼らの調査の結果、大規模な地殻変動が進行していて、最悪、ほとんどの国土が水没すると考えられました。そして、関東に巨大地震が発生、東京は壊滅的な被害を受けるのです。田所らは調査から退避が目的のD2計画を進言し、山本総理は世界各国に日本人の引き取り先を探し始めました。

調査のシミュレーションにより、10ヵ月後に日本の国土が沈没することがわかり、政府は2週間後に内外に公表することにしますが、この異変に気が付いた諸外国に先を越されて発表されてしまいます。そしてついに富士山が噴火し、玲子も巻き込まれ小野寺と別れ別れになってしまいます。

予想より早くに列島各地で大地震と地表の水没が始まり、世界各国も人道的な支援を急ぐ中、ついに日本は世界の地図から姿を消してしまうのです。田所は日本とともに運命を共にし、小野寺と玲子は別々の国で生き延びることになったのでした。


小松の基本的な構想は、日本人が難民になったらというところから始まり、その理由として後から地球物理学の最新知見を導入したと言われ、出版された書下ろし単行本は大ベストセラーになりました。映画は、小説が刊行される前から製作が始まり、小説刊行が1973年3月、映画公開は同じ年の12月というスピードでした。

1974年にはテレビドラマ(小林桂樹、山村聰、村野武範、由美かおる)が放送され、2006年には再映画化(豊川悦司、石川浩二、草彅剛、柴咲コウ)もされています。そして、今年(2021年)10月から、再びオリジナルの登場人物で再構成したテレビドラマとして放送されます(主演は小栗旬、香川照之、仲村トオル)。

日本と言う島国ゆえに単一民族を構成する世界的にも珍しい国が、国土消滅という一見荒唐無稽なプロットながら、度々見舞われる地震を身近に感じ本当に起こるかもしれないと思わせる悲劇は繰り返し映像化する魅力に富んでいるということなんでしょうか。

この小説と映画は、高度経済成長の象徴ともいえるオリンピック、日本万国博覧会が終わり、日本という国がちょっと立ち止まって今後はどうなるのか考え始めるむタイミングでタイムリーに公開されたと言えます。

当然、今のようなCGによる派手な映像はなく、東宝のゴジラの流れを汲んだミニチュアによる特撮ですから、最近の映画に慣れてしまうと物足りないのはいたしかたがない。むしろ、派手な火山の爆発シーンよりもじわじわと国土が無くなっていくところがリアリティを生んでいるように思います。

衝撃的なバッド・エンドを迎える映画なので、せめて小野寺と玲子のロマンスについてはハッピー・エンドにしても良かったのかなと思いますが、あくまでもストーリー展開の中では刺身のつまのような扱いなのがちょつと残念。やはり、主軸は丹波哲郎の必死に国民を助けようとする首相にあるのは当然といえば当然。

しかし、国土(母親)をなくし、帰る場所が無くなっても民族として生き抜こうとする強いメッセージは、単なる悲劇スペクタクルという枠を超えて伝わってて来ます。そういうところが後のいろいろなリメイクは到底及ばないところで、新作ドラマはそういう興味を持って視てみたいともいます。

2021年9月16日木曜日

みすずが丘の自転車屋さん


正しくはサイクリスト・オッジ。オッジ(oggi)は、本来イタリア語で「今日」のことなので、「自転車乗りの今日」あるいは「今日の自転車乗り」とでもいうことなんでしょうか。

けっこうモダンな店構えで、一見すると自転車屋さんには見えません。

さあて、いつだったか・・・たぶんここにこの建物ができたのは10数年前。実はパン屋さんでした。はす向かいは有名なケーキ屋のUn Petit Paquet(アン・プチ・パケ)があって、この小さな交差点は、なかなかの賑わいを見せていました。

ただし、パン屋は数年で撤退。あらまぁ、という感じだったのですが、そのままの外観で始まったのが自転車屋さんということ。

とは言え、普通にママチャリを売っているわけではなく、自転車のマニア向けの、好きな人には「くぅ~、たまらん」というブランドやパーツを扱っているらしく、今では知る人ぞ知る名店になっているらしい。

40代のうちだったら、店に出入りしていたかもしれません。もう今となっては、もしも買うなら電動アシスト必須なので、ここじゃないというところでしょうか。

2021年9月15日水曜日

自民党総裁選挙


与党自民党は、国内外の山積する諸問題そっちのけで、総裁選挙で頭が一杯のようです。メディアは、そんな自民党を批判したりしますが、そういう自分も総裁選挙の話題ばかりを扱っていて、コロナ渦については型通りに新規感染者数の発表だけで終わっているというのが現実。

自民党という一政党のトップを決める選挙は、当然選挙権は党員のみ。一般国民のあずかり知らぬところなんですが、だからと言って党員証を持っていない一般市民に無関係かと言うとそうじゃない。

何故なら、自民党が政権与党であるからには、総裁がそのまま総理大臣になってしまうからです。私たち一般市民が選挙権を持つのは、衆議院・参議院の議員だけ。総選挙の結果を受けて政権を奪取した政党のトップが首相になるのは理解できる。

しかし、今回は総選挙はその後。今の現状を考えれば、与党は議席数を減らすことは間違いないだろうと思いますが、だからと言って政権交代するほどとは思えない。そもそそも政権を作れるだけのパワーが野党にあるとも思えません。

となると、総裁を決める選挙権こそありませんが、党員の皆さんは世論調査などの一般市民の声を無視しないようにしていただきたいものです。世論に反する党利党略だけで総裁を決めれば、総選挙ではさらに手厳しいしっぺ返しをくらうことになるかもしれません。

現在までに、総裁選挙に立候補するのはほぼ3人に絞られたようです。初めての女性首相という肩書は魅力的ですが、政権を2度も投げ出した元首相がバックについている人。安定感はあるけど主流派からは外れ、トップとしての力量はまったくわからない人。若手からは人気でメディアの使い方もうまいのですが、総理大臣の器についてはまったく未知数の人。ちなみに後出しじゃんけんを狙う人は、ぐずぐずしているうちに期を逸したようです。

選挙に勝つことは政治家としては重要であることは否定しませんが、明日の日本を背負って立てる人材は誰なのかを熟考して自分たちのトップを選んで欲しいものです。

2021年9月14日火曜日

トゥモロー・ワールド (2006)

近未来のディストピアを描くこの映画は、つまらない邦題のせいで、もしかしたらだいぶ損をしているかもしれません。原題は「Children of Men」で、「人類のこどもたち」ということですが、「トゥモロー・ワールド」では、映画の世界観とはかなりかけ離れてしまうように思います。それでも、今や押しも押されぬ名監督になったアルフォンソ・キュアロンの技が冴えわたります。

2027年のイギリス。人類は出産能力を失い、希望の持てない世界ではテロ事件が多発し、不法入国者の激増で治安が悪化していました。冒頭、最も若い18歳の少年が死亡したことをニュースが伝える中、主人公であるエネルギー省に勤めるセオ・ファロン(クライヴ・オーウェン)は、コーヒーショップから出た直後にショップで爆弾テロが発生します。この間の1分半は手持ちカメラで主人公を追う形のワン・カット撮影です。

セオは、通勤の途中で不法入国者の人権を守る反政府組織であるFISHに拉致されます。なんと、リーダーは別れた元妻のジュリアン・テイラー(ジュリアン・ムーア)で、不法入国者の娘を脱出させるため通行証を手にいれてほしいと頼まれます。しぶしぶセオは、従兄の文化大臣に嘘をついて通行証を手に入れます。

ジュリアンに引き合わされたのは黒人の若い娘キーで、通行証はセオが同伴することが条件になっていました。早速、出発した一行でしたが、途中で暴徒に襲撃されジュリアンは銃撃され絶命します。ここもワンカット4分の緊迫した映像です。

キーは妊娠していたのです。実はFISHは、赤ん坊を盾に政府に優位に立とうとして、暴徒を装ってジュリアンを殺害し、キーを引き留める計画でした。キーを連れ出したセオは、元ジャーナリストで友人のジャスパー(マイケル・ケイン)に匿ってもらいます。しかし、FISHが追ってきたため、ジャスパーは逃げる時間を稼ぎ盾になって殺されてしまいます。

セオとキーは不法入国者を装って、海のすぐそばにある収容所に入り、キーは無事に出産します。しかし、FISHが収容所を襲ってきたため軍隊との激しい戦闘になります。ここもかなりの長時間ワンカット撮影で、緊迫感を盛り上げます。何とか脱出した二人は、ボートで海に漕ぎ出しますが、銃撃を受けたセオはボートの上で息を引き取ります。そこへ、キーを安全な場所連れていくトゥモロー号が近づいてきました。

ディープ・パープルのデヴュー曲「ハッシュ」、キング。クリムゾンの名曲「キリムゾン・キングの宮殿」が流れたり、ピンク・フロイドの「アニマルス」さながらの発電所と空に浮かぶ豚のバルーンが登場します。後テーマに使われるのもはジョン・レノンの「ブリング・オン・ザ・ルーシー」です。フィッシャーディスカウが歌うマーラーの「亡き子を偲ぶ歌」も使われていたりして、昭和人としては音楽の使い方に唸ってしまいます。

新たにこどもが生まれなくなって18年間。このままだと、長くても100年後には人類は一人もいなくなっている。何も遺す必要はなく、何も希望を持てない世界というのは、本当だったら恐ろしいことで、人類最後の一人にだけはなりたくないものです。

主だった登場人物は皆、人類の唯一の希望となるこどものために犠牲になっていく。そんな思いを託すだけの価値が一人の赤ん坊にあるわけですが、正直に言うと、そんな未来があるかもしれないとはなかなか想像しにくく、ちょっと共感しずらいところがあります。

そこをリアルな映像でなんとかもたしているのが、キュアロン監督得意の長回しのワッンカット・シーン。実際には、複数のカットをつなげて、CGなどをうまく利用しているらしいのですが、こういうさりげないCGの使い方は映画作りのお手本になるのではないでしょうか。

おおかたのディスピア映画では、主人公はまったく歯が立たないか、とりあえず一時は救われます。しかし、ここでは、未来につながる希望の回復が描かれるという点では、皆死んでしまう割には後味は悪くないというところでしょうか。

2021年9月13日月曜日

12モンキーズ (1995)

1962年のフランスの約30分の短編映画は、大変に風変わりでした。タイトルは「La Jetee (ラ・ジュテ)」といい監督はクリス・マイケル。フォトロマンと呼ばれる手法を用いていて、簡単に言えば静止画像を順に見せていく紙芝居のようなもの。荒廃した未来から来た男が現代の女に恋して、過去の自分の前で死んでしまうという話(ネットで視聴可能)。

一方、こちらの映画は、「未来世紀ブラジル」のテリー・ギリアムが監督し、映画の冒頭で「La Jetee」にインスパイアされたことが示されています。「ブラジル」のようなブラック・ユーモアは封印され、アルゼンチン・タンゴの響きと、ルイ・アームストロングの歌声が全体の雰囲気づくりに一役買っています。

2035年。1996年に12モンキーズが起こしたウィルス散布により、世界のほとんどの人類が死亡し、何とか生き残った1%の人々はウイルスを避けて地下での生活を余儀なくされていました。囚人のジェームス・コール(ブルース・ウィリス)は、減刑と引き換えに過去に戻って、ワクチンを作るためにウイルスを採取することになります。

ところが、タイム・スリップしたのは1990年。コールは妄想癖のある患者として精神病院に収容され、コールは女医のキャサリン・ライリー(マデリーン・ストウ)と患者のジェフリー・ゴインズ(ブラッド・ピット)と知り合い、ゴインズに人類のほとんどが死ぬ話をします。ゴインズの手引きで脱走しようとして捕まりますが、未来に一度引き戻されます。

再度、調査を続行するように命じられたコールは、今度は1996年に送り込まれます。キャサリンを強引に同行させて、断片的な手掛かりをたどっていくと、細菌学者の父(クリストファー・プラマー)を持つゴインズが動物愛護団体として活動する12モンキーズのリーダーであることが判明します。しかし、ゴインズに面会したコールは、何が本当なのかわからなくなり混乱し、再び未来に引き戻されるのです。

キャサリンはしだいにコールの言うことが真実かもしれないと思い始め、再び姿を見せすべてが妄想だったと言うコールを連れて事実を探そうとします。ゴインズらは父親を誘拐し、動物園の檻に入れ、代わりにすべての動物を街に解き放つのでした。

12モンキーズの目的がウイルス散布ではなかったことに安心して、逃亡のため空港に向かった二人は、ジェフリーの父親の助手がウイルス散布の真犯人であることに気がつき追いますが、張り込んでいた警察によってコールは射殺され、キャサリンはちょうど空港にいてこの出来事を目撃した少年のコールを見つけるのです。助手は飛行機に乗り込み、隣になったコールを未来から送り込んだ科学者の一人と握手をするのでした。

ブルース・ウィリスは、「ダイハード」のセクシーでかっこよいイメージを自ら破壊する演技を見せますし、それにも増して超ハイテンションで切れまくるブラッド・ピットが凄すぎる。二人の名優の常軌を逸した名演があったからこそ映画としての価値が生まれていることは間違いありません。

それにしても、謎が多い映画です。何度もコールのことをボブと呼んでるくる声。未来からのアドバイスのようで、コールを見張っている何者かがいるのかもしれませんが、正体は明かされません。一度、第一次世界大戦の前線の真っ只中にタイムスリップしてしまうのも、キャサリンがコールを信じるきっかけにはなりますが、やや唐突な印象です。

ラストでも、未来の科学者が真犯人の横にいるのは、ウイルスを手に入れて未来を救うことにつながるのか、あるいは彼らが本当の意味で世界を支配するための事件の黒幕なのかと悩んでしまいます。それに、もしかしたら、すべてがこどものコールの妄想だったのかもしれません。

真犯人については、実は途中で数回登場して伏線が張られているので、最後で急に「あいつが犯人」と言われても、思い出すとなるほどなという感じ。複雑な構成の映画なので、一度見ただけではなかなか理解がしずらいのですが、タイム・スリップとタイム・ループを掛け合わせたような斬新な発想の記憶に残る名作SFと言えそうです。

2021年9月12日日曜日

ロボコップ (2014)

さすがに続編は作らないだろうと思ったら、何と、20年ぶりにロボコップが復活。確かに続編じゃない。21世紀にになって流行りのリブートというやつで、新たな設定で第一作を作り直してしまいました。

オムニ社のトップ、セラーズは中東で成功している保安ロボットを、国内でも売り込みたいのですが、感情を持たないロボットの導入は根強い反対がありました。デトロイト市警のアレックス・マーフィ巡査は、ギャングのバロンを追っていて相棒のジャック・ルイス(黒人男性)が重体になり、自身も爆弾によりほぼ即死に近い状態になる。

セラーズはサイボーグ研究の権威、ノートン博士の協力の元、マーフィの妻の承諾を得て彼をサイボーグとして蘇らせるのでした。目を覚ましたアレックスは、頭部と右手を除いてロボット化していて、自分の状態を理解できずに混乱します。次第に慣れてきたアレックスは、戦闘テストをクリアしました。

しかし、過去の記憶により興奮状態になりコントロールができなくなることがわかり、ノートンはマーフィの感情を消失させる処置を行います。ロボコップとして警察前のお披露目では、妻とこどもに対しても無感情で、いきなり群衆の中にいた凶悪犯を逮捕して見せ、以後次から次へと犯罪を摘発し活躍し始めました。

しかし、次第に再び自ら感情のコントロールを取り戻したマーフィはバロン一味を壊滅し、警察内のバロンと組んでいた本部長らも逮捕します。しかし、マーフィの暴走を恐れたセラーズは、強制的にマーフィをシャットダウンし、マーフィを破棄して家族にもマーフィは死んだと説明します。ギリギリでノートンに再起動されたマーフィは、オムニ社に向かい自分の妻子を人質に逃亡しようとしていたセラーズに銃口を向けるのでした。

というわけで、オリジナルとおおきく違う点は、マーフィが過去の記憶のデータに苦しむサイボーグ様のからロボットから最初から記憶が残っているロボット様のサイボーグに変更されたということでしょうか。それだけ、人間としての辛さ悲しさが前面に出てくる設定です。

マーフィは死んだヒーローではなく、死にそうになったけど復活したヒーローです。ですから、セラーズは、宣伝材料として最高のヒーローは死んでなると言って破壊を指示することになります。

家族とのかかわりも、サイボーグになることを妻は最初から承知して同意しますし、一度家に帰って、変わり果てた姿を家族に見せます。ですから、マーフィとかつて呼ばれたロボコップではなく、この映画の主人公は最初から最後までアレックス・マーフィという人間という感じです。

ロボコップ・スーツは相当改良されたとみえ、走ったりもできるし、けっこうなアクションもこなせるのも、ロボットらしさを希薄にしています。特殊撮影は、さすがにCGてんこ盛りになって、これまでの安っぽさは無くなりました。

これが第一作だったら、そこそこのSFアクション映画という感じなんですが、過去のシリーズを知っていると「何だかなぁ・・・」感はぬぐえないというところでしょうか。旧シリーズを好きな人は見ない方が良さそうですし、こっちを先に見た人は旧シリーズは無視した方が良さそうです。

2021年9月11日土曜日

911


2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件発生。

明らかに世界を震撼させ、人々の生活を一瞬で変えてしまった、人類史から外れることが無い大事件でした。

第二次世界大戦後に戦勝国として優位性が高まり、「世界の警察」を自認するようになったアメリカ合衆国は、かつて経験したことが無い本土、それも心臓部に対する直接的な武力行使により混乱の21世紀の幕開けとなりました。

イデオロギーの対立による領有権拡大のための国家間の戦争という、かつての常識はもう通用せず、テロリストは深く闇に潜み実態を見せませんし、特定の領地を持っているわけではありません。

アメリカは「復讐」という目的のため、アフガニスタン、イラクへ軍を派遣し困難な近代戦を展開しました。しかし、その後のいろいろな明らかにされた事実によって、戦争に至るアメリカ国内のスキャンダルも取り沙汰されるようになってきています。

就任早々に戦争の決断を迫られることになったジョージ・ブッシュ大統領、テロの首謀者と目されるウサーマ・ビン・ラーディンを追い詰め殺害したバラク・オバマ大統領、自尊心を失い疲弊したアメリカを立て直そうとしたドナルド・トランプ大統領。

そして今年あらたに就任したジョー・バイデン大統領は、先頃アフガニスタンからの米軍完全撤退を混乱の中で実行しました。バイデン大統領は、事件当時の機密文書の開示を指示をしましたので、今後、噂に上った事実なども含めて事件の解明が進むのかもしれません。

今日で20年目の911を迎えました。

2021年9月10日金曜日

ロボコップ3 (1993)

2匹いないドジョウなのに、3匹目がいるわけはなく、それを実践したような映画です。監督はフレッド・デッカーという人なんですが詳細は不明。ナンシー・アレンは再登場しますが、主役のでピーター・ウェラーに代わってロボコップを演じるのはロバート・ジョン・バークです。


デトロイト市を実質的に牛耳っているオムニ社は、日本のカネミツ社に買収されてしまいましたが、それでも相変わらずデルタシティを実現しようと、リハッブと呼ばれる情け容赦ない特殊部隊によって立ち退きを拒否する住民を強制排除していました。

そして、ロボコップをリハッブに入れるため、メンテナンスを担当しているマリー・ラザラス博士に人間らしい判断をしないように神経遮断回路を組み込むよう命じます。ラザラスは、ロボコップを人間として認めているので、回路は破棄しました。

ロボコップと相棒のアン・ルイスは、立ち退きを拒否する過激な市民グループのアジトである教会に向かいますが、そこへリハッブも到着し、隊長のマグダゲットは立ちはだかったルイスを射殺します。損傷したロボコップは、ルイスの殺害犯として追われる立場になり、市民グループに匿われます。

ラザラスを連れ出しオムニ社な抵抗しないというプログラムを消去して修復されたロボコップは、ルイスの仇を討つためにリハッブ隊を襲撃しますが、隊長には逃げられてしまいます。カネミツ社はオオトモと呼ばれるサイボーグを投入し、立ち退き推進とロボコップの処分させようとします。

マグダゲットは警察官に立ち退きに加わるように命令しますが、全員でバッジを捨てて市民の側につくのでした。ロボコップの活躍もあり、市民と警察官らはリハッブに勝利し、ロボコップはオムニ社の最上階で、マグダゲットと2体のオオトモと対決するのでした。

・・・って、もう、何だか支離滅裂な感じで、B級アクションとして見ても、かなり展開が雑。最後は、ロボコップがジェットエンジンを背負って空を飛び回るとなると、もう何でもありのようです。特撮も前作より粗くて、この時代としてはかなり貧弱。

さすがに、ここまで来ると、さらなる続編は作ろうと思わないでしょうね。




2021年9月9日木曜日

バスケットボール・ゴール


体育館の天井から吊り下げ方式のバスケのゴール。

多用途目的の体育館では、よく見られる光景です。 それにしても、これはけっこう大きい方じゃないかと思います。

何でかと言えば、天井が高いから。

体育館には窓際に作業用の細い通路が2階部分として設置されていることが普通ですが、この体育館は3階部分の通路もあります。

ここは・・・地区センター!!

都筑区の葛が谷地区にある、住民がいろいろな集会や行事を行うために利用できる公共施設です。体育館の大きさに驚くばかりで、都筑区ってお金があるんだなあと思ってしまいます。

自宅のある地域の地区センターは、体育館はありますが広さはバスケをするコートとしては1/4程度です。ゴールは壁に直接設置されています。

床可動式のゴールだと、価格が高いものは一千万円近いようですが、天井吊り下げは専用設計で安全面でもいろいろと対策が必要になるので・・・

2021年9月8日水曜日

ロボコップ2 (1990)

一作目が思いがけなくヒットすれば、二匹目のどじょうを狙うのは映画界の常套手段ですが、残念ながら前作を超えられる続編はめったに無いというのもありふれた話。

ロボコップも当然のように続編の制作に取り掛かるわけですが、もともとB級SFアクションですから、続編に期待されるハードルはそれほど高いわけではないのですが・・・

監督は「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」で一躍有名になったアーヴィン・カーシュナー。主要登場人物である、ピーター・ウェラー、ナンシー・アレン、ダン・オハーリーなどは前作に引き続き続投しています。

近未来のデトロイト市では、ケインの組織がヌークと呼ばれる麻薬を広めており深刻さを増していました。一方、デトロイト市はオムニ社に莫大な借金をしており、オムニ社会長オールドマンは契約通り金を返せないなら市全体を明け渡すよう市長に詰め寄ります。さらにオムニ社は、ロボコップよりもっと強力なロボコップ2の製作にとりかかり、会長にうまく取り入ったジュリエット・ファックス博士(ベリンダ・バウアー)に任せます。

ケインらに捕まったロボコップは、見せしめにバラバラにされてしまいます。オムニ社は修理はしたものの、ファックスが非攻撃的なプログラムに入れ替えてしまう。自己矛盾に気がついたロボコップは、自ら高圧電線に触れプログラムを消去しました。そして、ロボコップはケインを追い詰め逮捕しますが、ケインは重傷を負います。

ファックスは、ケインの凶暴性と生への執着がロボコップへの適性があると考え、ケインの生命維持装置を切り死亡させサイボーグ化させるのです。ケイン一味の残党は、自分たちの安全の引き換えに借金を肩代わりすると言って市長に接触しますが、借金が無くなっては困るオールドマンは、ロボコップ2を使って彼らを抹殺するのでした。

デトロイト市を再開発するデルタ・シティ構想の発表会の席上で、オールドマンはロボコップ2を披露しますが、もともと麻薬中毒のケインの中枢神経は薬切れで暴走してしまうのです。ロボコップは、何とかロボコップ2を倒しますが。オールドマンはファックスの独断専行ということにしてしまいます。「逃げる気よ」というルイスに、ロボコップは「我慢しろ、我々はしょせん人間だ」と言うのでした。

始まりでロボコップのかつての家族への思いを描いていますが、人間のマーフィーは死んでロボコップは別物であると気持ちを切り替えた後は、犯罪摘発マシーンとして活躍します。サイボーグとして復活したヒーローの心の葛藤というテーマは、さらりと流された感じ。

ロボコップのスーツは、かなり改良され一作目よりはだいぶ動きやすくなったらしい。また色調もより精錬された青味がっかった色に変更されています。ロボコップとロボコップ2の格闘シーンは、ストップ・モーション・アニメで描かれており、それなりに楽しめますが人形臭さがわかりやすい。

10代前半と思われる少年がケイン一味のNo.2で、かなり頭の切れる悪賢いこどもとして登場するんですが、それがこどもである必然は無いし、彼の背景についてはまったく触れられていません。また、少年野球チームが店の強盗を働いたりと、今の目で見ると当然倫理的に問題となるところが少なくありません。

前作もそうですが、悪者は見るからに悪党と、企業利益のためには何でもするオムニ社の二つの集団があり、描き方が半々になってしまうため、悪役の憎むべきポイントの描き方が中途半端な感じです。やっぱり、続編ですから・・・まぁ、いっか。

2021年9月7日火曜日

ロボコップ (1987)

リアルタイムには、「ターミネーター」と一部混同して、似たような格好のヒーローが出てくるB級SFアクションという印象を持っていたのがロボコップのシリーズ。しかも、当時子供向け「レンジャー・シリーズ」と抱き合わせで放送されていた、「宇宙刑事ギャバン」にも容姿がそっくりさん。

そんなこともあって、あまり重きを置かない映画の一つというのが自分の中での位置づけだったんですが・・・あらためて見ると、けっこう暴力的なハードなシーンが多く、ハリウッド映画としての娯楽映画としては、けっこう異色の作品だったのかなと思いました。

監督はオランダ出身で、一定の評価を受けているポール・バーホーベン。基本的にはB級であることにはかわりはないのですが、低予算ながらけっこうなヒットを飛ばしました。

近未来のデトロイトは、一企業であるオムニ社が牛耳る街になっていて、警察もオムニ社が経営する民間の会社になっていました。犯罪が多発し、警察官の殉職も後を絶ちません。アレックス・マーフィ巡査(ピーター・ウェラー)は、デトロイトに転勤してきて女性警察官アン・ルイス(ナンシー・アレン)と組むことになりますが、着任早々、ギャングのクラレンス・ボディッカー(カートウッド・スミス)の一味により無数の銃弾を浴びて死亡します。

オムニ社では、治安を改善するため重役ジョーンズが立ち上げた警察ロボットED209を披露しますが、会長オールドマン(ダン・オハーリー)の目の前で制御不能の失態を犯します。そこでED209に代わって、社員のモートンは、完全なロボットではなくサイボーグであるロボコップを推進するのです。

ロボコップには、死んだばかりのマーフィーの中枢神経系などの生体の一部が用いられ、署に配属されたロボコップは瞬く間に目覚ましい活躍で犯罪者を捕らえていくのでした。ルイスもちょっとした動きから、マーフィーではないかと疑います。

脳に残っていたマーフィとしての記憶が蘇ってきたロボコップは、クラレンス一味を追い始めます。実はクラレンスの黒幕はジョーンズで、自分をコケにしたモートンを殺害させ、強力な武器を渡しロボコップも抹殺させようとします。

ロボコップは黒幕ジョーンズの証拠をつかみオムニ社に乗り込みますが、オムニ社役員には手を出せないという制御プログラムのため、逆にED209に追い詰められます。ルイスの助けで何とか脱出してクラレンスを倒し、再度オムニ社役員会議に乗り込んだロボコップは、ジョーンズの犯罪証拠を開示。会長がジョーンズを罷免したことで、銃口を向けるのでした。

ロボコップはメタル調のヘルメットとスーツで、顔の口の周りだけが見えています。動くのはかなり大変だったようで、実際重量もかなりあったらしい。そのせいか、逆にぎこちない動きがロボットぽくて味があります。起動時には「commad.com」を読み込んだことが示されるので、何と昔懐かしい「MS-DOS」で制御されているらしいというが驚きです。

相棒の名前が「アン・ルイス」というのは、日本人的にはけっこううける。演じるナンシー・アレンは脇役が多かったのですが、当時は出演者の中で一番知られていたかもしれません。

一度死んだ人間が機械化され復活するという設定は、まさにサイバーパンクであり、この映画はその元祖と言えそうです。「攻殻機動隊」なら、まさに義体と呼ぶべきもの。ターミネーターは完全ロボットですから、ファジーな判断力を要求される場面ではロボコップが勝つかも?しれません。

まぁ、SFアクション映画としては、当時としては新しい発想による、大きな破綻もなく楽しめる作品といえそうです。




2021年9月6日月曜日

ストーカー (1979)

旧ソビエト連邦、ロシアが生んだ巨匠、アンドレイ・タルコフスキーが、ソビエトで制作した最後の作品が「ストーカー」です。

ソビエトの映画事業は、国営のモス・フィルムがほぼ独占し、作られる映画のほとんどがプロパガンダ的な内容でした。商業的な成功が不可欠ではなかったので、芸術的・哲学的な映画を育む土壌があったわけですが、その一方で個人の思想的表現は強力な検閲によって封印されました。タルコフスキーの映画は検閲との闘いに明け暮れ、祖国を愛するタルコフスキーをもってしても大きな忍耐を強いられるのが日常であったようです。

この映画は「惑星ソラリス」につぐタルコフスキーのSF作品であり、全時代、全世界のSF映画ランキングの上位の常連と位置付けられています。 しかし、「ソラリス」が宇宙を扱ったため少なからずSF的な美術を含んでいたのに対して、本作はほぼヒューマン・ドラマであり、いかにもSFと思わせるようなところは皆無と言えます。

じゃあ、何故SF映画として扱われるのかというと、すべてはその基本的なストーリーのベースにのみSF的発想があるからということになる。原作はロシアでは有名なSF作家である、アルカジーとボリスのストルガツキー兄弟。しかも脚本を彼らが担当していますが、タルコフスキーの独自の解釈が膨らんだ内容となったといわれています。

映画はタルコフスキー作品としては珍しく、説明的な字幕から始まります。内容は、ストーリーの前提となる唯一のSF的事象のかなり控えめな解説です。つまり、ゾーンと呼ばれる不可思議な地域があること。隕石の落下か宇宙人の来訪か、何が起ったのかはわからない。ただちに軍隊が派遣されたが誰も帰還せず、立入禁止区域として鉄条網が張られ厳重な警戒がされていたということ。これらは、特派員によるノーベル賞受賞者のウォレス教授へのインタヴューの引用という形をとっています。

続いて扉の隙間から、ゆっくりとカメラが室内に近づいて、ベッドで川の字で寝ている家族を上から映し出します。電車?の振動でサイドテーブルのコップが揺れて動き、男が妻とこどもを起こさないようにゆっくりと起き上がります。顔を洗っていると、妻が起きてきてどこへ行くのか、今度捕まったら10年は出てこれない、私たちはどうすればいいのと妻は詰問します。男は妻を突き放し出ていくのでした。

男(アレクサンドル・カイダノフスキー)は「ストーカー」と呼ばれ、密かにゾーンの案内し生計を立てているのです。ストーカーは、作家(アナトリー・ソロニーツィン)と教授(ニコライ・グリニコ)から依頼され、二人をソーンに案内します。ちなみにこの三人、皆、容姿が似ていてわかりにくい(特に禿具合)。

教授は学者としての好奇心と真理の探究が目的、そして作家は物書きとしてのスランプから脱出するヒントをつかむためにゾーンに行きたいと言います。三人は監視所を突破して、ゾーンの奥へ軌道車に乗って進んでいきました。三人のアップが続く、無言の4分近い長いシーンで、映画的な時間と距離の長さが伝わってきます。

ここまではセピア調のモノクロームの画面でしたが、ゾーンに入ったところからくすんだカラーに変わります。教授はストーカーの個人的なこともある程度知っていて ストーカーの娘は生まれつき足が悪いことや、ゾーンの奥に行けばその人の切実な願い事が叶う「部屋」があるという噂を作家に語ります。

目の前にある建物の中に部屋があるのに、安全のため遠回りをして行こうとするストーカーに作家は苛立ち、一人でまっすぐ行くと言って歩き出しますが、建物の直前で何者かの声が止まれと命じます。ストーカーは、ゾーンは私たちの精神を反映する罠のシステムで、幸運な人を時に死に追いやり、不幸な人を通すと話します。

ロケ地は紆余曲折してエストニアの発電所付近が使われたようですが、何とも言えない人工的な建造物の廃墟と自然とのコントラストが、不思議な空間を作り出し、特別な特殊撮影をしているわけではないのに、これが「ゾーン」なのかと思わせてくれます。

今度は教授がリュックを忘れたと言って勝手な行動をしますが、周囲は刻一刻と変化するためストーカーは待てないと先を急ぎます。しかし、何と食事をして休憩している教授が先にいるのでした。

そして、ついに部屋の入口にたどり着きます。しかし、作家は部屋に入りたがらない。教授は、大事にしていたリュックから爆弾を取り出し、この部屋があると利用しようとするよからぬ者が後を絶たないから破壊すると言い出します。

ストーカーは、ここに人を連れてくることが誰かの救いになり、それが自分の幸せと語り、私から希望を奪わないでほしいと懇願します。そして誰も部屋に入ることなくゾーンを後にしました。

家に帰り、ストーカーは妻に、結局案内しても信じようとしない連中ばかりで、もう案内することはやめると言います。妻は映画を見ている者に向かって、母親がストーカーとの結婚を反対したこと、これも運命であり後悔していないことと語ります。ストーカーの娘は、テーブルの上にあったガラスのコップをじっと見つめるとコップが動き出します。その後から列車の走る振動が響いてきました。


「ストーカー」は、現在使われているような意味とはまったく違い、「獲物を追い詰める者」という意味。ストーカーを演じるカイダノフスキーは、ソビエトでは有名な役者のようです。作家はタルコフスキー作品ではでお馴染みになったソロニーツィン。そして教授を演じるグニコは「アンドレイ・ルブリョフ」のダニール、「惑星ソラリス」の主人公の父親でタルコフスキー組の一員と言って良いでしょう。

この映画では、脚本未完成のうちに制作が始まり、撮影予定地のトラブルなどもあって、タルコフスキーとしては検閲以外のところでかなり神経をすり減らしたようです。気心の知れた俳優やスタッフだからこそ、完成にこぎつけたのかもしれません。

カラーと白黒の使い分け、カメラの長回しなどはタルコフスキーらしいところ。しばしば登場する水のモチーフはここでも見られますが、どちらかと言うと濁ったり汚れた水が多い。回想や夢によって時間の流れを自在に扱うタルコフスキーですが、ここでは時間は直線です。そして、タルコフスキーにしては台詞が多い感じがします。とは言っても、物語の説明的な台詞ではなく、哲学的な問答でありなかなかその意味を理解するのは難しい。

最終的にも、ゾーンとは、そして部屋とは何なのかの一定の答えは提示されません。ただ、部屋については、途中に何度か登場するストーカーの先輩であるヤマアラシの話からある程度想像することは可能です。

ヤマアラシは先輩ストーカーであり、彼の弟は部屋にたどり着く前に亡くなっています。ヤマアラシは弟の復活を願うために部屋に入りますが、ゾーンから戻ると大金持ちになり首を吊って自殺しました。作家の解釈では、ヤマアラシが自殺したのは、自分の本性が現実化して耐えられなくなったからです。つまり部屋は、人間の表立った望みを叶えるのではなく、その人の本能・本性をあからさまにする力があるということらしい。

他にもストーカーの娘・・・についてもよくわからない。何故歩けないのか、そしてラストシーンの意味も不明です。父親の業を背負って生まれ、父親がストーカーの引退をしたことで、あらたなストーカーとして超能力を開眼したということかもしれません。

いずれにしてもロシア的キリスト教の思想が大きく関与しているらしいことは間違いなく、ストーカーの家族対する贖罪の意識が根底にあるようです。妻は冒頭ではゾーンに行くストーカーをなじるのですが、最後ではそういう夫を認めています。本当の幸せは、ゾーンの中ではなく、生活の場である貧しい部屋にこそ見つけられるということなのかもしれません。

2021年9月5日日曜日

ゴミ置き場


ゴミの集積場所はいろいろなパターンがありますけど、うちの場合は近所16軒が1年ごとに持ち回りで家の前にゴミ置き場にしています。

ずっと同じ場所を指定できる、例えば公園の近くとかが羨ましい。それでも玄関とは別に道路に面した塀があるような家はまだいい。

うちと隣は、出入り口以外は駐車場になっていて、ゴミを置いておけるスペースがありません。前回は、隣と共同で出入り口の半分ずつを囲ってゴミ置き場にしました。

出入り口を塞ぐのは気の毒ということで、隣と合わせて1年間でよかったのですが、それでも実質当番が半年だとずいぶんと嫌味をいう家がありました・・・

今年から半分に分けて8軒になったのもあり、次回の当番は隣と合わせてというのは無い。ゴミが少なくなるとは言え、置き場所は変えようがないので、2年間家の前にゴミが集まって来るということになる。

・・・なんかなぁ・・・とは思いますが、文句を言うわけにもいきません。

カラス対策は蓋のあるゴミ箱で出すというルールになっていて、まぁ大丈夫とは思いますがどうなることやら。来年? いや再来年に次の当番ですかね。