夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2026年8月13日木曜日

レタス炒め


レタスというと、サラダで使う生で食べる野菜というイメージが強いと思います。

でも、火を通してもけっこう美味しい。

だって、炒飯とかに入っていたら旨いですよね。

そこで、簡単レタス炒めを作ります。

切って炒めるだけ。

油は使わず、代わりにマヨネーズをフライパンに適量落としましょう。

ちょっと溶けたら、今回は余り物のバラ肉を使いましたが、ソーセージでもハムでも、なんだったら何もなしでもOK。

肉に火が通ったら、ざく切りにしたレタスを入れてしんなりしたら、醤油をかけ回して完成です。

調理時間はわずか5分ほど。

温かいうちに召し上がれ。

2026年8月12日水曜日

Around DYLAN - The Beatles


ボブ・ディランとビートルズ。どちらも現代ポピュラー音楽界の巨星であり、打ち立ててきた金字塔はまったく揺るぎの無い物として、今後も受け継がれていくことは間違いありません。両者の間には、積極的なつながりは有るとも無いとも言えない、微妙な関係性が存在しています。

両者の初めての出会いは、1964年8月にビートルズの初めてのアメリカ公演の時に遡ります。フォーク一辺倒だったディランは、ビートルズの今までに聞いたことが無い斬新なバンド・サウンドを注目していました。ホテルを訪ねてビートルズの面々と対面したディランは、持参したマリファナをビートルズに紹介したというエピソードは有名です。ただ、ビートルズはハンブルグ時代からある程度は使ったことがあるらしく、ディランがドラッグ体験を初めて教えたというのは眉唾物だろうと思います。

1966年のディランのイギリス・ツアーの際には、ディランとジョン・レノンが同じ車内にいる映像が「Eat the Document」に残されています。泥酔(?)してハイになったディランの支離滅裂な言動に、ジョンがなだめすかしあきれる様子が見てとれます。ジョンはその後も少なからずディランの音楽を肯定し影響を受けていたことは間違いはありませんが、ゴスペル期には信じる神に仕えるよう強制するディラン(Gotta Serve Somebody)に対し、「自分に仕えろ」と自作曲(Serve Yourself)のなかで批判しました。この二人の天才は、友人というより曲作りのライバルとして緊張感が漂う関係だったと思います。

それに対して、ポール・マッカートニーはディランの作曲能力をしばしば絶賛しています。直接的な共演はありませんが(計画はあったらしい)、バックステージではしばしば交流しており、ポールはディランの人間性を褒める発言もしています。しかし、ディランが自作曲を原形がわからないほど作り変えてしまうことに対しては、エンターテインメントとしてファンを裏切る行為であると良くは思ってはいません。ここに、オリジナルを重視するポールと即興性を重んじるディランの対照的なライブ哲学の違いが見て取れます。

リンゴ・スターは、どうしてもビートルズの中で4番手に位置するわけで、味わい深い歌い方をしますがそれほど曲は多くないし、ドラマーとしても物凄い技巧派とも言えません。しかし、ディランはリンゴのドラム演奏は高く買っていて、1971年の「Concert for Bangladesh」以後、リンゴはディランのセッションに数回参加し、逆に未発表になっているリンゴのセッションにディランが参加したりもしています。

ディランが最も強い関係を築いたのはジョージ・ハリスンとでした。ジョンとポールばかりが目立ち発言力も強いグループ内で、ジョージ自身も優れた曲作りをしてきましたし、ミュージシャンとしての技術も二人以上のものを持っていました。しかし、しだいにジョンとポールの関係が険悪になり、グループ内の息苦しさが強くなり始め、「ホワイト・アルバム」完成後、ジョージは音楽に対する意欲を失いつつあったのです。

1968年にジョージはリフレッシュのためにアメリカに渡り、The Bandに招待されてウッドストックに向かいました。そこで隠遁生活を続けていたディランの自宅を訪問し、意気投合した二人は「I'd Have You Anytime」を共作し、ジョージは純粋に音楽を作ることの楽しさを思い出し、ディランとの間に強い友情が結ばれたのです。

「Concert for Bangladesh」の時、人前に出ることを怖れていた当時のディランを見事に復活させたのは、コンサートに来ないかもしれないディランをギリギリまで待ち続けたジョージとの友情の賜物です。もちろんお互いのセッションでの共演も度々実現していますが、最も成果が出ているのはスーパーグループ「Traveling Wilburys」の結成です。たまたま偶然が重なったこととはいえ、ジョージが始めたこのプロジェクトは、まだスランプを脱していなかったディランに再び自信を取り戻す大きなきっかけになりました。

1992年のディランのデヴュー30周年記念ライブ・イベントが開催された際も、ジョージはメイン・ゲストとして扱われ、二人にゆかりがある「If Not for You」などを熱唱しています。1980年にレノンが亡くなった時にディランは、「偉大で存在感がある人物だった」と追悼コメントを出していますが、2001年にジョージが亡くなった際には「彼は永遠に友人であり、彼がいない世界は寂しい」とかなり感傷的になっていました。

ディランとビートルズという両者の巨大な才能は、時に影響し合い、時に牽制し合うような複雑な関係性を生み出しました。それらはディラン史は言うに及ばずポピュラー音楽史における最もドラマチックなシナリオの一部をなしていて、ディラン、ビートルズ(ソロ活動も含めて)の生み出してきた音楽に少なからず関与してきたことは今もなお興味が尽きません。

2026年8月11日火曜日

Traveling Wilburys Vol.1 (1988)


1980年代に入って、ある意味「燃え尽き症候群」となり自分に対する自信を失いスランプに陥っていたボブ・ディランは、トム・ペティやグレイトフル・デッドとのステージを重ねるうちに、少しずつ回復のためのヒントを得ていました。それらのツアーがひと段落した、1988年春に、ディランは親友ジョージ・ハリスンからの連絡を受けます。

ハリスンは、1987年11月に5年ぶりにアルバム「Cloud Nine」をリリースし、久しぶりに大ヒットとなっていました。1988年4月にアルバムから3枚目のシングルを出すにあたって、B面用に新曲を作るように言われたハリスンは、アルバムのプロデュースをしたElectric Light Orchestraのリーダー、ジェフ・リンに相談します。急なことだったので、スタジオがおさえられなかったため、ハリスンはディランのホームスタジオを借りようと電話してきたのでした。

その時、リンはロイ・オービソンのアルバム制作に携わっていたので、ハリスン、リン、そしてオービソンがディランの家に集まりました。さらにハリスンはトム・ペティにギターを預けていたので、それを取りに行ってついでにペティも誘ったという、まさに偶然がここまで重なるものかという展開です。

早速、5人で曲を作り出来上がったのが「Handle with Care」でしたが、レコード会社はあまりに出来が良かったために、同じメンバーでアルバムを作ることを提案してきました。ハリスン、ペティ、リンはワーナー・ブラザース傘下のレコード会社だったので問題はなく、ディランのコロムビア、オービソンのヴァージン・レコードにはワーナーが話をつけたようです。

さて、すぐさま5月に再び集合した5人は、わずか10日間ほどの間に共同で次から次へと曲を作っていきます。バンド名は、ハリスンのレコーディング中に機材トラブルが起こったときに「We'll bury 'em in the mix (そんなのは消しちゃえ)」と言ったことに由来して「Traveling Wilburys」と決まりました。

ここからさらに大人の遊び心で、5人はウィルベリー家の異母兄弟という設定が生まれ、ネルソン(ハリスン)、オーティス(リン)、レフティ(オービソン)、ラッキー(ディラン)、チャーリー(ペティ)という偽名まで用意して覆面アーティストとしてデヴューという流れができました・・・なんですが、サングラスを使うくらいで、ほぼそのまま5人が写真に写ってメディアに露出するし、そもそもミュージック・ビデオまで作ってますから、すぐさま正体はバレバレです。

基本的に全員がボーカルとギターが専門ですが、リンがキーボード、ペティがベースを兼任し、メンバーと馴染みのあるジム・ケルトナーがドラムスを担当しました。ちなみにケルトナーは、バスター・サイドベリーという名前の親戚のおじさん(?)の設定です。10月にアルバムが発売されると大ヒットとなり、1990年のグラミー賞では最優秀ロック・パフォーマンス賞を受賞するほど評価されたのです。

しかしTraveling Wilburysの活動はこれからという時に、残念ながらオービソンが心筋梗塞により急逝(1988年12月6日)してしまったために、グループは活動を一時休止するしかなくなります。なお1990年2月に追悼コンサートが開かれ、ボニー・レイット、ジョン・フォガティ、エミルー・ハリスらと共にザ・バーズのオリジナル・メンバーであるロジャー・マッギン、クリス・ヒルマン、デヴィッド・クロスビーが登場し、またディランもサプライズで出演しました。

偶然から生まれたからこそ、ディランにとっては気心の知れた仲間と純粋に音楽を楽しむ時間となりました。このことが、スランプ脱出の大きな一因になったわけで、事前に計画されていたらむしろプレッシャーになっていたかもしれません。ハリスンが意識的にディランを救おうとしたわけではないとしても、結果として二人の、そしてメンバー全員の素晴らしい関係性が最高の結果を生み出したという事実には拍手を送りたいところです。


Handle with Care
Dirty World
Rattled
Last Night
Not Alone Any More
Congratulations
Heading for the Light
Margarita
Tweeter and the Monkey Man
End of the Line
Maxine (bonus track)
Like a Ship (bonus track)

Nelson Wilbury (George Harrison) (g, slide guitar, vo)
Otis Wilbury (Jeff Lynne) (g, b, key, ds, vo)
Charlie T. Wilbury Jr (Tom Petty) (g, vo)
Lefty Wilbury (Roy Orbison) (g, vo)
Lucky Wilbury (Bob Dylan) (g, harmonica, vo)

Buster Sidebury (Jim Keltner) (ds)
Jim Horn (sax), Ray Cooper (perc), Ian Wallace (tom-toms)

April, May 1988

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年8月10日月曜日

Dylan & the Dead (1987, release 1989)


自分の曲すらどのように歌えばいいのかわからなくなったボブ・ディランのスランプはかなり深刻で、後にこの時は本気で引退を考えたと自ら語るほどでした。そんな1986年の夏、トム・ペティとのツアーを続けていたディランの楽屋に、ジェリー・ガルシアらグレイトフル・デッドのメンバーが訪ねて来ました。

グレイトフル・デッドは、1967年のデヴュー以来、ルーツ志向のブルース、カントリー、フォーク、さらにはサイケデリックなどすべての要素を詰め込み、ライブでは即興性を重視した変幻自在のステージで人気を博していたバンドです。彼らは当初からディランを深く敬愛していて、ディランの曲もいくつもカバーしていました。楽屋で少しギターを鳴らして合わせてみると、ガルシアから一緒にツアーをしたいと申し出を受けます。

定型化したバンド・サウンドや決まりきったセットリストに限界を感じていたディランは、グレイトフル・デッドのその場の感覚で楽曲を自在に変化させる即興性の高さが、自分の楽曲を再生させることになるかもしれないと考え彼らの誘いに乗ることにしたのです。1987年の春にリハーサルが行われ、はじめは自信を失っていたディランも、驚くほど新旧の自分の楽曲を理解してサポートする彼らに支えられて少しずつ前向きになっていけたのです。

ツアーは7月4日フィラデルフィアからスタートし、アメリカ大陸を南西に横断して7月26日カリフォルニアで終了したもので、全6公演という短いものでしたが、ディランはこのツアーを通じて演奏の感覚を少し思い出したようです。特に彼らの自由で高い即興性のある演奏は大きな刺激になったことは間違いなく、一方のガルシアもディランとの演奏はスリルがあって手応えを感じたようです。

グレイトフル・デッドは自分たちのライブをすべてマルチトラックで録音していて、このツアーの音源も膨大なテープの中に埋もれていました。1988年になってコロムビア・レコードがこのジョイント・コンサートをアルバムとして残したいと申し出たことで、グレイトフル・デッド側が、ディランの意見を聞きながらベスト・テイクを選択する形で1年半後の1989年1月に発売されました。

アルバムには、「Highway 61 Revisited」から「Slow Train」までの新旧取り混ぜた比較的知られている7曲が、いろいろな場所での収録からピックアップされました。1曲目は「Slow Train」で、女性に代わってグレイトフル・デッドのコーラスによってゴスペル感は薄まりましたが、快調な滑り出しという感じがします。懐メロの域にある「I Want You」もけっして悪い演奏ではありません。

ただ、聞き進んでいくと、グレイトフル・デッドがディランのバックに徹しているせいなのか、この組み合わせで一番面白くなりそうな即興的な「荒れた演奏」がほとんどなく、とても聞きやすい演奏に終始するのです。ディランやグレイトフル・デッドのことも知らない人が、初めて聞くにはいいかもしれませんが、それぞれのファンからすると行儀が良過ぎて肩透かしを食らったような印象は避けられません。

これは、グレイトフル・デッド側が、自分たちのファン向けではなく、あくまでもディランのファン達を考えて聞きやすいものを中心にセレクトした結果ということなのかもしれません。発売後の評判は、メリハリがない退屈なアルバムという意見があり、全般的に低評価になっています。結局、この組み合わせの真価を知るには、またもや海賊盤の世話にならないといけないという残念な結果になってしまいました。

グレイトフル・デッドとのツアーが終わると、9月から再びトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとの中東・ヨーロッパツアーが行われました。約6週間で30公演を行ったのですが、特に10月5日のスイス・ロカルノでの公演で注目のエピソードが起こりました。ディランの言葉を借りると、「手足に電流が走り、ステージ上で新しい歌い方を会得した」というのです。何か新しい音楽へのアプローチの仕方を閃いたということだと思いますが、少なくともスランプ脱出の鍵を見つけたことは間違いないようです。


Slow Train
I Want You
Gotta Serve Somebody
Queen Jane Approximately
Joey
All Along the Watchtower
Knockin' on Heaven's Door

Bob Dylan (vo, g)
Jerry Garcia (g, vo), Mickey Hart (ds), Bill Kreutzmann (ds)
Phil Lesh (b), Brent Mydland (key), Bob Weir (g, vo)

July 4 ~ 26, 1987, Anaheim, Oakland, Sullivan, Autzen

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年8月9日日曜日

東京タワー

 

そもそも、テレビ放送のための電波塔として計画されたのが東京タワーの始まり。


どうせなら、パリのエッフェル塔の312mを超えるものを建てようということで、昭和32年6月に着工しました。完成したのは昭和33年12月23日というから、まさに突貫工事です。

関東平野全体に電波が届くことが目標だったので、そこから何やかんやと計算して333mになったとか。

日本の戦後復興・高度経済成長のシンボルとして、今なお芝公園に毅然とした姿を見ることができます。

昭和の人間からすれば、ある種の日本人としての誇りを感じ部分で、どこぞにもっと高い塔を建てようが、そんなものはただ作っただけで、存在意義からして比較対象にもならない。

こどもの時に連れてかれて、中間の展望台に行きました。

ところどころに床にガラス張りの小さな窓があって、下が筒抜けで見えるのが、超怖かった思い出があります。今はもっと大きなガラス張りの床があるらしいけど・・・

2013年5月31日をもって、放送塔としての役割はどこぞの塔に引き継がれましたが、今でもFM東京などで使われています。

2026年8月8日土曜日

Down in the Groove (1988)


「Knocked out Loaded」に続くスランプ期のスタジオ・アルバムがこれ。それにしても、この時期のアルバム・タイトルの付け方には、ボブ・ディランの苦悩を色濃く反映したものが続くのは、何とも気持ちが重たくなります。

そもそも「Empire Burlesque」は意味の取りようによっては「(今まで王者だった)自身のパロディ」になりますし、「Knocked out Loaded」は「ベロベロに酔ってまともに歩けない」という意味のスラングです。さらに今回の「Down in the Groove」は、「絶好調」という意味でも使いますが、ここでは「マンネリ状態に落ちる」と考えた方がよさそうです。

ジャケット・デザインも前作の「女性に壺で殴られそうな男」だったり、今回も「暗い場所で一人でギターを抱えるディラン(しかもピンボケ)」という具合で、寂しさはひとしおです。80年代後半の40代のディランは、絶対的な人気者が中年期になって「何を演じてもキムタク」と批判される状況に一脈通じるものがありそうです。

また、1987年1月にディランは何らかの事故にあって右腕を傷めたらしい。本人が明かしているので間違いはなさそうですが、ギターを弾けるかわからないほどのケガだったようですが、詳しくは語っていません。それも、先行きの大きな不安材料になっていたのかもしれません。

このアルバムは、1987年春を中心に収録されていますが、かなりバラバラのセッションから寄せ集められたもので、「Death Is Not the End」は「Infidels」セッションの残り物で、「Had a Dream about You, Baby」は映画「Hearts of Fire」のサウンド・トラック用セッションから流用で、この2曲だけがディラン単独のオリジナル曲です。前作ほどではないにしても、曲ごとにバックのメンバーも変わるため、やはり統一感ではやや弱い。

「Ugliest Girl in the World」と「Silvio」の2曲は、ディランとグレイトフル・デッド専属の作詞家であるロバート・ハンターとの共作。残りの6曲は他人の曲のカバーとトラディショナルとなっていて、ディランが歌うとディランらしくなるのですが、やはり創作意欲が枯渇している状況が続いていることは明らかです。

「Death Is Not the End」はタイトルからして暗い雰囲気をたたえていますが、「どんなことがあったとしても、死は終わりではなく、その先に希望がある」という内容ですが、何しろメロディのメリハリが無く、お経みたいに聞こえる不思議な曲。一度お蔵入りになったのも頷けるのですが、女性コーラスなどを追加して多少華やかにしての復活となりました。

「Silvio」はディランらしいアップテンポのナンバーで、試練を乗り越えてタフに生きるシルヴィオが主人公の歌です。ディランは、昨年のトム・ペティとのツアー中にグレイトフル・デッドと知り合い、この年の7月に一緒にツアーを行うことになっていました。この打ち合わせやリハーサルの中で、ハンターと共作することで、創作意欲を呼び戻そうとしていたようです。

他の曲も一つ一つは悪いとは思いませんが、ディランのアルバムとしてのオリジナリティや必然性が少なく、まとまりに欠けるという批判は間違ってはいないような印象を受けます。それでも、「Empire Burlesque」からのスランプ三部作の中にも、少しずつスランプを脱するためのヒントが散見されました。ディランを深く理解していたトム・ペティやグレイトフル・デッドとのライブの中で、ヒントから正解を導き出し始めたことを思うと、ディランはライブあってのミュージシャンだと確信します。


Let's Stick Together
When Did You Leave Heaven?
Sally Sue Brown
Death Is Not the End
Had a Dream About You, Baby
Ugliest Girl in the World
Silvio
Ninety Miles an Hour (Down a Dead End Street)
Shenandoah
Rank Strangers to Me

Bob Dylan (vo, g, harmonica, key)
Mike Baird, Sly Dunbar, Myron Grombacher,
Steve Jordan, Stephen Shelton, Henry Spinetti (ds)
Eric Clapton, Steve Jones, Danny Kortchmar,
Mark Knopfler, Mick Taylor (g)
Alan Clark, Mitchell Froom, Beau Hill, Kevin Savigar (key)
Nathan East, Randy Jackson, Larry Klein, Robbie Shakespeare,
Kip Winger, Paul Simonon, Ronnie Wood (b)
Peggi Blu, Alexandra Brown, Carolyn Dennis, 
Clydie King, Full Force, Willie Green, Jr., Bobby King,
Madelyn Quebec, Pamela Quinlan (back.vo)
Jerry Garcia, Bob Weir, Brent Mydland (add.vo)

April 1983,  August 1986,  April ~ May 1987

☆☆☆☆☆・・・・・

2026年8月7日金曜日

Knocked Out Loaded (1986)


周囲の思惑など気にせず、自分がこうと思ったらどんなことでやってきたボブ・ディランですから、交通事故も離婚騒動も、そして改宗すらも創作のエネルギーに変えて20数年を突っ走ってきたといえます。しかし、ユダヤ教からキリスト教、キリスト教からユダヤ教への復帰を経て、80年代半ばからしだいに自分に対する自信が揺らいできたのかもしれません。

ディラン自身も語っていることですが、過去の自分を超えられないという気持ちがしだいに強く感じられるようになったようです。また、あえて現代風の曲調を取り入れたりしても、売り上げが思ったほど伸びず、評論家からもケチを付けられる始末です。いわゆる燃え尽き症候群と言って良い状態に陥ったディランは、実質的に全盛期を過ぎたと自覚し、まさに音楽的にスランプに陥っていました。

とは言え、悪いことばかりではなく、プライベートでは1986年1月に女の子が生まれています。母親は、ずっとバックコーラスを担当していたキャロリン・デニス。娘の健全な成長を願って、6月に二人は正式に結婚していますが(1992年に離婚)、家族のプライバシーを守るために、これらのことは公にされていませんでした。ただし、2001年になってジャーナリストのハワード・サウンズが、ディランの半生をまとめるために公的文書の精査をしていて発覚してしまいました。

1986年のほぼ半分は、トム・ペティと彼のバンドであるハートブレイカーズと共に世界ツアーを行いました。両者は前年の「Farm Aid」で急遽共演したのですが、ディランの音楽ルーツを理解していたペティとの相性が良かったことでディラン側からオファーされたものでした。2月のオーストラリア、ニュージーランド、3月には日本、6~8月は北米をまわり、約60公演をこなしています。

マイク・キャンベル(g)やベノン・テンチ(key)らハートブレイカーズの演奏力が高く、すでに人気者だったトム・ペティのディランに対する確かなリスペクトもあって、概してこのツアーは好評でした。ただし、過去のアリーナ・ツアーを踏襲するようなステージは、少なくとも新しさはありません。この時のライブは「Hard to Handle」というタイトルでシドニー公演のビデオが発売され、その後DVD化もされています。

日本公演が終わって帰国したディランは、4月にニューアルバムの制作に取り掛かりました。トム・ペティとの共演を盛り込めば良かったのかもしれませんが、新しいインスピレーションが湧いてこないディランは、他人のカバーを3曲、他人とのコラボレーションを3曲をニューアルバムに収録し、自身によるオリジナル曲は2曲だけにとどまっています。

オリジナル曲の一つ「Drifting Too Far from Shore」は「Empire Burlesque」のセッションの残り物で、正確にはわかりにくいのですが、他にも過去のセッションで部分的に録音されていたソースにオーバーダビングをして作り上げているようです。そのせいで、一般には一貫性が感じられないと低い評価ばかりが目立つアルバムと言われています。個人的には、前作の取って付けたようなモダンな味わいが減っているので、まぁ、普通に聞けるという印象です。

7月にアルバムがリリースされると、そんな中で、サム・シェパードとの共作とクレジットされている「Brownsville Girl」だけは、高く評価されました。11分を超える大作ですが、実はこれも「Empire Burlesque」のセッションの残り物で、もともとは「New Danville Girl」というタイトルでした。ウディ・ガスリーが「ダンビルの娘に夢中になった」と歌ったことがヒントになっていて、昔の恋人に現在の恋人のことを、グレゴリー・ペックの西部劇のことを絡めて語り掛けるというもの。

8月に北米ツアーが終了すると、ディランは映画「Hearts of Fire」の音楽制作を始めるのですが、8月末に行われたセッションにはエリック・クラプトン(g)とロン・ウッド(b)も参加し、サウンド・トラックにはカバー1曲とオリジナル2曲が含まれました。この映画は、「STAR WARS / ジェダイの帰還」のリチャード・マーカンドが監督し、ロックスターになることを夢見る女の子にフィオナ・フラナガンが扮し、それを助けるロック・スターが・・・何とボブ・ディランという配役で、はっきり言って興行的には爆死です。


You Wanna Ramble
They Killed Him
Driftin' Too Far from Shore
Precious Memories
Maybe Someday
Brownsville Girl
Got My Mind Made Up
Under Your Spell

Bob Dylan (vo, g, key)
Clem Burke, Anton Fig, Mike Berment, Milton Gabriel, Don Heffington,
Bryan Parris, Stan Lynch, Raymond Lee Pounds (ds)
T Bone Burnett, Tom Petty, Ira Ingber, Mike Campbell,
Jack Sherman, David A. Stewart, Ronnie Wood (g)
Steve Douglas (sax), Steve Madaio (tp)
Howie Epstein, James Jamerson, Jr., John McKenzie,
Vito Sanfilippo, Carl Sealove (Brownsville Girl), Jon Paris (b)
Phil Jones (congas), Al Kooper, Vince Melamed,
Patrick Seymour, Benmont Tench (key)
Al Perkins (steel guitar)
Carolyn Dennis, Peggi Blu, Lara Firestone, Keysha Gwin, Muffy Hendrix,
April Hendrix-Haberlan, Dewey B. Jones II, Larry Mayhand,
Queen Esther Marrow, Angel Newell, Larry Meyers, Herbert Newell,
Crystal Pounds, Madelyn Quebec, Pamela Quinlan, Daina Smith,
Maia Smith, Medena Smith, Annette May Thomas, Damien Turnbough,
Majason Bracey, Chyna Wright, Elesecia Wright, Tiffany Wright (Back.vo)

☆☆☆☆☆・・・・・

2026年8月6日木曜日

豆腐ハンバーグ


いやいや、そんなにカロリー気にしてどうすんの・・・

という声は、しっかり受け止めつつも、右から左へ聞き流して、今回は豆腐のハンバーグです。

とは言っても、豆腐だけではとても形にならないので、肉も使います。

用意したのは、よくスーパーで売っている小さな3個まとめ売りの木綿豆腐。3個で400gくらいになると思いますが、これに牛豚合い挽き肉150g、鶏むね挽き肉150gくらいを使いました。

ポイントは豆腐は水をたくさん含んでいるので、1時間以上皿に放置して、しみ出てきた水を取り除くこと。場合によっては上に別の皿を乗せても良いかと思います。

全部をよく混ぜて、みじん切りにしたたまねぎ1/2個分、生卵1個をつなぎに使います。塩・胡椒、ナツメグ少々で味付け。いつもと同じです。

つなぎにパン粉を追加することもありますが、当然カロリー・オフ!!

あとは普通に焼きます。そして食べる。普通に旨い。

全部合挽とかで作るより、確実にカロリーは少な目ですから、罪悪感も少な目で満足です。

2026年8月5日水曜日

Biograph (1985)


1985年は、ボブ・ディランにとってチャリティ活動が際立った一年でした。1月にはUSA for Africaのチャリティ曲「We Are the World」に参加、7月にはアフリカ難民救済のための世界規模の「Live Aid」に出演しました。ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドが共演しましたが、かなりトラブル続出の混乱したステージでした。

「Live Aid」でディランが「経営が苦しい農家がある」と発言したことがきっかけで、9月には「Farm Aid」が開催され、ディランは翌年一緒にツアーを行うトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと初共演しました。そして、10月には南アフリカのアパルトヘイトに抗議する「Sun City」にも参加しています。

ツアーこそ行わなかった年ですが、6月には新作「Empire Burlesque」を発表し、さらに11月には、ディランの1962年から1981年までの20年間を総括するコンピレーションが発売されました。タイトルは「Biograph (伝記)」です。アメリカ本国では、ディランのコンピレーション・アルバムが発売されるのは、1967年の「Greatest Hits Vol.1」、1971年の「Greatest Hits Vol.2」以来、14年ぶりのことです。

発売形態はLPレコード5枚組およびCD3枚組(カセットテープ3本組も発売されています)で、レコード大のボックスに収納されていました。全53曲という大ボリュームでしたが、比較的売れ行きは好調で、その後も多少の形態を変えてリマスター版が数回再登場しています。

ディランの場合、まったく珍しくないのは、53曲中3曲はアルバム未収録のシングル盤のみで発表されたもので、さらに何とこれまでに未発表だったものが18曲含まれていました。ディランは後に「もっと早くリリースしたかった」と語ったため、自ら発売したがっていたという説もありますが、実際はコロムビア・レコード側がクリスマス商戦に向けて売れるものを作りたかったというところではないでしょうか。

現在では「The Bootleg Series」や他のコンピレーションにも収録されたりしているので、「previously unreleased」という有難味はほとんど無くなっていますが、当時は驚きを持って迎えられ、ディランは正規のアルバムからもれた隠れた名曲が大変多いことを知らしめるに十分な効果がありました。

このアルバムの商業的成功は、後に「The Bootleg Series」を展開することになるきっかけになったわけで、この手のボックスセットの先駆的名盤という評価をすることができます。

Lay Lady Lay ~ Nashville Skyline
Baby, Let Me Follow You Down ~ Bob Dylan
If Not for You ~ New Morning
I'll Be Your Baby Tonight ~ John Wesley Harding
I'll Keep It with Mine* ~ Bringing It All Back Home outtake
The Times They Are a-Changin' ~ The Times They Are A-Changin'
Blowin' in the Wind ~ The Freewheelin'
Masters of War ~ The Freewheelin'
The Lonesome Death of Hattie Carroll ~ The Times They Are A-Changin'
Percy's Song* ~ The Times They Are A-Changin' outtake
Mixed-Up Confusion ~ A-side single
Tombstone Blues ~ Highway 61 Revisited
The Groom's Still Waiting at the Altar ~ Shot of Love
Most Likely You Go Your Way ~ Before the Flood
Like a Rolling Stone ~ Highway 61 Revisited
Lay Down Your Weary Tune* ~ The Times They Are A-Changin' outtake
Subterranean Homesick Blues ~ Bringing It All Back Home
I Don't Believe You ~ Live at the ABC Theatre Belfast, 1966

Visions of Johanna* ~ Live at The Royal Albert Hall, 1966
Every Grain of Sand ~ Shot of Love
Quinn the Eskimo (The Mighty Quinn)* ~ The Basement Tapes track, 1967
Mr. Tambourine Man ~ Bringing It All Back Home
Dear Landlord ~ John Wesley Harding
It Ain't Me, Babe ~ Another Side of Bob Dylan
You Angel You ~ Planet Waves
Million Dollar Bash ~ The Basement Tapes
To Ramona ~ Another Side of Bob Dylan
You're a Big Girl Now* ~ Blood on the Tracks outtake
Abandoned Love* ~ Desire outtake
Tangled Up in Blue ~ Blood on the Tracks
It's All Over Now, Baby Blue* ~ Live at the Free Trade Hall Manchester, 1966
Can You Please Crawl Out Your Window? ~ A-side single
Positively 4th Street ~ A-side single
Isis* ~ Live at the Montreal Forum, 1975
Jet Pilot* ~ Blonde on Blonde outtake

Caribbean Wind* ~Shot of Love outtake
Up to Me* ~ Blood on the Tracks outtake
Baby, I'm in the Mood for You* ~The Freewheelin' outtake
I Wanna Be Your Lover* ~Blonde on Blonde outtake
I Want You ~Blonde on Blonde
Heart of Mine* ~Live in New Orleans, 1981
On a Night Like This ~ Planet Waves
Just Like a Woman ~ Blonde on Blonde
Romance in Durango* ~ Live at the Montreal Forum, 1975
Senor (Tales of Yankee Power) ~ Street-Legal
Gotta Serve Somebody ~ Slow Train Coming
I Believe in You ~ Slow Train Coming
Time Passes Slowly ~ New Morning
I Shall Be Released ~ Greatest Hits Vol.2
Knockin' on Heaven's Door ~ Pat Garrett & Billy the Kid
All Along the Watchtower ~ Before the Flood
Solid Rock ~ Saved
Forever Young* ~ recording demo

*previously unreleased

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年8月4日火曜日

Empire Burlesque (1985)


1980年代半ばは、MTVを中心に洗練されたスマートなシティ・ポップ全盛の頃です。マドンナがデヴューし、a-haやWham!のようなボーカル・グループが人気を博し、ロック・バンドも壮大な雰囲気を持つメロディアスな曲でヒットを飛ばしました。コンピュータ音楽の統一規格であるMIDIが整備されたことで、演奏にもシンセサイザーが多用され、メリハリのあるダンサブルなリズムが目立ち、今で言う「打ち込み」の原点がスタートしていたと言えます。

ボブ・ディランですら、これらの潮流を軽視することはできず、レコードを売るために時代の流れに迎合することを良しと考えたことは、古くからのディラン・ファンには意外なことだったはずです。どちらかと言うと骨太な音楽を作り続けてきたディランにとって、アルバム「エンパイア・バーレスク」は確実に問題作でした。

曲自体は1984年のツアー中から作り始め、ツアー中にも時々試しに披露し、一部のレコーディング・セッションも行われました。最終的には、1985年の2~3月のセッションでとりまとめられましたが、基本的なプロデュースはディラン自身が行い、ミキシングはアーサー・ベイカーに任されました。DJの仕事も兼ねるアーサー・ベイカーは、多くの有名アーティストのリミックスを手掛けたヒット曲請負人の人気プロデューサーです。

いつものように録音されたディランの曲は、ベイカーの手によって多くの装飾が加えられ、まさに当時人気のダンス・ナンバーのように仕上げられていきました。ディランのすでに20年を越えるキャリアの中で、間違いなく異彩を放つ、異色な、らしくない、最も現代的な・・・いくらでも言葉を並べられそうな作品になっています。

当然のことのように、6月にアルバムが発売されると皮肉を込めた否定的な評判ばかりとなり、流行に乗ったディランを残念に思う人が続出しました。ディラン自身も、レコードを売り物として最終的に仕上げることに関しては無関心だったようですが、後年時代に流されたことを認める発言をしています。

現在は、ディランのコレクションの貴重な珍しい作品としての価値が認められたり、曲自体は良い物が揃っているという肯定的な評価もされています。それというのも(以前から海賊盤は出回っていましたが)、2021年に「The Bootleg Series Vol.16 Springtime in New York」が発売され、このアルバムのベイカーの手が入る前のラフ・ミックスが公開されたことが大きいと言えます。

もしも、ベイカー抜きで作られていたら・・・たらればの話をしてもあまり意味はありませんが、少なくとも「Infidels」の延長上にあるいつものディラン作品として、マンネリという評価もありますが素直に受け入れられたかもしれません。いずれにせよ、両ミックスを聞くことが必要ということには変わりありません。

そんなことを念頭に置いて、アルバムの中身を見てみます。タイトルは「帝国の茶番劇」という辛辣なもので、おそらく当時のアメリカの社会全般や音楽界に対するディランの気持ちが根底にありそうです。もっとも、「自分自身のパロディ」という自虐的な意味合いも含まれている、という見方もできたりします。バックを固めるメンバーは、曲ごとにかなり変わっています。

1曲目の「Tight Connection」は、前作のアウトテイクの改作で、シングルにもなりました。MVは何と日本で撮影され、倍賞美津子が出演しています。軽いレゲエ調のキャッチーな曲ですが、打ち込みのドラムと繰り返されるギターの単音が強調され、よりポップな仕上がりになりました。

2曲目も元はギターのリフが強調されたストレートなロックだったのが、ギターの代わりにホーンが取って代わりソウルフルなダンス・ナンバーに改変されています。3曲目は屈指の名バラードでディランの弾くピアノから次第にバンドが加わりますが、さすがにこれはあまり変更されていません。

次はホンキートンク調のロックンロールですが、ボーカルとコーラスが強調され、ギターにロン・ウッドが加わったバンドが遠のいてしまいました。7曲目はオルガンメインからピアノメインに変更。8曲目はダンサブルなナンバーですが、もとはハード・ロックです。ラストはディラン真骨頂の弾き語りで、すこぶる評判の良い曲ですが、淡々と繰り返される同じメロディに難解な歌詞がのせられています。


Tight Connection to My Heart (Has Anybody Seen My Love)
Seeing the Real You at Last
I'll Remember You
Clean Cut Kid
Never Gonna Be the Same Again
Trust Yourself
Emotionally Yours
When the Night Comes Falling from the Sky
Something's Burning, Baby
Dark Eyes

Bob Dylan (vo, g, ke, pf, harmonica)
Ted Perlman (g), Mick Taylor (g), Mike Campbell (g)
Ronnie Wood (g), Sid McGinnis (g), Ira Ingber (g)
Chops (horns), Alan Clark (key), Vince Melamed (key)
Sly Dunbar (ds), Don Heffington (ds), Jim Keltner (ds)
Anton Fig (ds), Robbie Shakespeare (b), Bob Glaub (b)
Howie Epstein (b), Jon Paris (b)
Bashiri Johnson (perc), Stuart Kimball (g), Al Kooper (g)
Richard Scher (key), Benmont Tench (key), Urban Blight (horns)
David Watson (sax), Madelyn Quebec (vo)
Carolyn Dennis, Peggi Blu, Debra Byrd, Queen Esther Marrow (back.vo)

July 26, 1984, December 1984 ~ March 1985, NYC

☆☆☆☆・・・・・・

2026年8月3日月曜日

みょうがサラダ (砂肝)


みょうがは、今が旬です。

とは言え、みょうがは植え付ける時期をずらして、6~8月に収穫する夏みょうがと9~10月に収穫する秋みょうがに分けられます。

秋の方が肉厚で香りや旨味が強いといわれていますが、夏みょうがはすっきりした味わいなので、生のまま食べるのには向いています。

みょうがは癖が強い野菜ですから、苦手な人が多い。自分もその一人でした。

でも、今、食べられるようになっておかないと、またずっと苦手意識を引きずることになってしまいます。

今回は、みょうがの量を増やして、一緒に合わせたのはきゅうりだけ。

きゅうり1本に対してみょうがは4個使いました。

みょうがはうすくスライスしたら、水にさらしてあく抜きをします。

一緒に食べるメインは砂肝です。こちらも一塊を3~4つの薄めに切ったら、塩茹でします。

水で洗って、粗熱がとれたら皿に盛って、みょうがときゅうりをのせたら出来上がり。

味はポン酢だけ。さっとかけ回したらOK。

シャキシャキ、コリコリ、シャキシャキ、コリコリ・・・

食感も楽しく美味しく食べました。

2026年8月2日日曜日

Real Live (1984)


今では当たり前になったアーティストのプロモーション・ビデオ。歴史的な第1作となったのは、ボブ・ディランの1965年の「Subterranean Homesick Blues」だと言われていますが、特定の人だけが鑑賞する劇場用ドキュメンタリー映画の一部でした。

70年代半ばには家庭用ビデオ再生機器が普及しはじめ、1975年のQueenの「Bohemian Rhapsody」のビデオの成功で、急速に業界に広まり始めます。1981年に開局したアメリカのケーブル・テレビ局のMTVは、アーティストの動画を24時間流すことで音楽を視覚的に伝える重要性を定着させました。マイケル・ジャクソンは、ただ演奏し歌うだけでなく、映画並みのストーリー性を盛り込むことに成功したと言えます。

ディランも「Infidels」からシングル・カットされた「Sweetheart Like You」で、ついにMTVを意識したミュージック・ビデオ制作を行いました。ちなみにミック・テイラーは都合がつかず、ビデオでギター演奏を披露したのはバンド・デヴューを控えたカーラ・オルソンです。デヴュー・アルバムには、ディランから自身は未発表の楽曲が贈られました。

キリスト教福音派から次第に距離を取るようになったボブ・ディランは、再び宗教から離れた曲作りに戻り、ごく普通のファンからすれば「おかえり、ボブ」と歓迎したことは間違いありません。1984年はパンク・バンドのThe Plugzをバックに従えてセッションを繰り返し、3月には同メンバーでテレビ・ショーに出演し、荒々しくアグレッシブな演奏を披露しました。

5月になると久しぶりのヨーロッパ・アリーナ・ツアーに向けてリハーサルを開始しますが、バックバンドはがらりと入れ替えて、ギターにミック・テイラー、キーボードにイアン・マクレガン、ベースにグレッグ・サットン、そしてドラムにはコリン・アレンという手堅い布陣を編成します。

このツアーはカルロス・サンタナとのジョイント・ツアーで、5月末のイタリアから始まり、西ドイツ、オランダ、ベルギー、スウェーデン、デンマーク、フランス、スペイン、イギリス、そして7月8日のアイルランドまで全27公演という大規模なものになりました。ツアー中は、しばしばサンタナがディランのステージにも登場しています。また、日によってはジョーン・バエズ、ヴァン・モリソン、エリック・クラプトン、ボノらがゲスト出演する豪華なステージは大好評でした。

1984年11月に発売された武道館公演以来のライブ・アルバムは、ツアーの終盤、イギリスとアイルランドのステージからセレクトされ、「Infidels」からの新曲と過去のヒット曲を重厚なハード・ロック・バンド演奏とディランの弾き語りのパートで構成されています。ただし、サンタナの演奏はほんの少しで、その他のゲストの演奏は含まれていません。

この時期のディランの激しさがしっかりと記録され、「It Ain't Me, Babe」での観客との一体感は素晴らしい。また、アコースティックで演奏される名曲「Tangled up in Blue」は、内容が大きく改変されました。原曲では、基本的に男性視点で、男女の出会いから失われていく愛を思い出していく内容でしたが、ライブ版では男女両者の視点を交互に入れ替えて、冷めたリアルな孤独を歌い上げ高く評価されています。

しばしば自作曲のメロディや歌詞を大きく変えてしまうことは、ディランにとって珍しくはありませんが、この曲の場合はその中でも優れたものと言われています。ただし、全10曲でこじんまりとまとまっているため、ライブとしての熱気が伝わりにくくアルバムとして発売する意味合いが弱いところが残念です。

ゲストが参加していない公演でもいいので、ライブの最初から最後までの一連の流れがわかるようなものが発売されれば、アルバムとしての評価は上がると思います。ただし、すでに海賊盤があったりするので、結局公式のもたつきが海賊盤をのさばせる最大の原因といわざるをえないということです。


Highway 61 Revisited
Maggie's Farm
I and I
License to Kill
It Ain't Me, Babe
Tangled Up in Blue
Masters of War
Ballad of a Thin Man
Girl from the North Country
Tombstone Blues*

Bob Dylan (vo, g, harmonica, key)
Colin Allen (ds), Ian McLagan (key), Gregg Sutton (b)
Mick Taylor (g), *Carlos Santana (g)

July 7, 1984 Wembley Stadium
July 5, 1984 St James' Park, Newcastle
July 8, 1984 Slane Castle, Ireland

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年8月1日土曜日

Infidels (1983)


ボブ・ディランがユダヤ教から改宗したキリスト教は福音派と呼ばれるプロテスタントの一派ですが、自分たちの信仰を唯一絶対の真理とし強力な布教活動を行うようです。1978年の終わりから福音派教会に通い始めたディランは、まさにその教えに従ってライブでも過激な説教を行うようになりました。

しかし、ユダヤ人家庭に生まれ育った自分のルーツ、信仰を前面に出した活動が社会的に受け入れられない現実、そして排他的な福音派の考え方にも疑問を抱くようになっていきます。

そんな中で1982年は、ディランにとっては静かな充電期間として、目立った活動はほとんどありませんでした。唯一、公の場に登場したのは6月の「Peace Sunday Rally」という反核イベントで、ジョーン・バエズのステージにゲストとしてサプライズ登場し、3曲をデュエットしています。

再始動するのは1983年になってからで、4月からニュー・アルバムに向けてリハーサル、およびレコーディングを行いました。即興性を重視する傾向が強かったディランとしては異例なことに、今回は最初から1か月間の予定を立てて、緻密に作り込むことを考えていました。

「Slow Train Coming」で共演したマーク・ノップラーを再び呼び寄せ、ギター演奏だけでなくプロデュースも依頼しました。さらに元ローリング・ストーンズのギタリスト、ミック・テイラー、ジャマイカの人気レゲエ・ユニットであるスライ&ロビー(スライ・ダンバー、ロビー・シェイクスピア)も参加し、キーボードにはダイアー・ストレイツのアラン・クラークが加わっています。

冒頭の「Jokerman」で、いきなり権力者たちを道化師に例えて風刺したのは、まさにディランの面目躍如というところ。スライ&ロビーが加わったマイルドなレゲエ調が新鮮で、内容の雰囲気を伝えやすくしています。2曲目はシングル・カットもされたラブ・ソング。3曲目は一転して、かわいらしいタイトル(近所のいじめっ子)ですが、イスラエルを支持する内容でユダヤ教に戻ったことが明らかになります。

スパイ映画のような「殺しのライセンス」は、人類が自ら破滅に向かうことへの警告。その後も、一部キリスト教からヒントを得た部分もありながら、社会の構図、人間関係などを昔ながらの難解な歌詞の中に詰め込み、ラストで再び「今夜は自分を見捨てないでくれ」とラブソングで締めくくっています。

全体的に都会的センスの光るギターと、鋭く切れ込んでくるテイラーのギターのバランスが絶妙で、アルバム全体のハード・ロック感を牽引しています。ボーカルはややエコーがかかりすぎのような印象ですが、少なくとも以前のようなディランの元気な歌声は嬉しくなります。

9月になって、ディランは長男を連れてイスラエルを訪問しています。これは13歳になった長男の成人式(バー・ミツヴァ)を行うためで、自身も嘆きの壁で祈りを捧げていました。完全にキリスト教から脱却し、ユダヤ教に戻ったことが公に示された形になりました。

アルバムは11月に、ディランにとって初めてレコード盤とCDの両方が発売されました。技術的な革新や、世相の変遷は好むと好まざるに関わらずディランのような人物でも少なからず変化を余儀なくされるのでした。

「The Bootleg Series Vol.16 Springtime in New York」には、今回のアルバムのレコーディング・セッションのアウトテイクがCD2枚分含まれていて、なんでアルバムから外れたのか不思議なくらい良い演奏が含まれています。これはディランにはよくあることで、聞く人泣かせな部分です。ところが、海賊盤でもこのアルバムのセッションが出回っていて、こちらは何とCD6枚で、セッションの全貌がわかるから驚きです。もちろん、同じ曲のテイク違いはたくさんありますが、「The Bootleg Series」からもれたものもあり、やはり公式の力不足は否定できません。


Jokerman
Sweetheart Like You
Neighborhood Bully
License to Kill
Man of Peace
Union Sundown*
I and I
Don't Fall Apart on Me Tonight

Bob Dylan (vo, g, harmonica, key)
Alan Clark (key), Sly Dunbar (ds), Robbie Shakespeare (b)
Mark Knopfler (g), Mick Taylor (g), Benmont Tench (key)
*Clydie King (vo)

April ~ May, 1983, NYC

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年7月31日金曜日

みょうがとゴーヤ


少しみょうがに慣れて来たら、もっと積極的にみょうがの味を楽しみたい。

そんなレシピです。

しかも苦手な人が多い、みょうがとゴーヤの合わせ技です。

この組合わせだと、腰が引けてしまうかもしれませんが、ダブル腰引きで逆に強く押し出しとなるから不思議です。

下ごしらえは大事。みょうがは細切りにしたら水にしっかりさらします。

ゴーヤは苦いのは中央のワタの部分。ここをスプーンなどで、しっかりとこそぎ落とすのが大事。それさえすれば、塩もみとか下茹でとかは不要で、そのまま問題なく食べられます。

まずゴーヤに味をつけます。

醤油1、酢1、砂糖小さじ1/2で1時間ほど漬け込んでおきます(ビニール袋の中に入れると少量の汁でOK)。

食べる時にみょうがと混ぜるだけで完成。味をみて足りなければ、ゴーヤを漬けた汁を追加します。

これもまた癖になる味です。