ボブ・ディランを聴きこんでいく上で、公式盤だけ聞いていればいいはず・・・だったんですが、ディランのタレントがわすが両面で40分程度レコード盤で収まるわけがないことを痛感するばかりです。ディランの音楽が一個人の音楽史にとどまらず、ある意味アメリカ近代文化史を書き換えてきたという事実の重みを理解するためには、「The Bootleg Series」のようなアーカイブ音源を揃えても不十分で、非公式の海賊盤も時には必要とします。
特に1975年の「Rolling Thunder Revue」ツアーは、ロックのみならず大衆音楽史の中で。伝説中の伝説と呼ばれるものです。21世紀になって発売された公式盤はその片鱗を捕えていることは確かなのですが、それはディランのライブの一つという枠を超えるものではありません。ステージの全貌を理解するためには、すべての出演者を含めた全体の流れを知る必要があります。
ツアーの最終日、1975年12月8日。ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われた、ルービン・カーター救済コンサートは、ゲストも多く、何と250分という長丁場のコンサートになりました。もっとも他の会場でもだいたい3時間越えですから、観客もさぞかし大変だったかもしれません。幸い、サウンドボードからの大変音質の良い海賊盤が普及しているので、順番に聞いていきます。
まず登場するのはボブ・ニューワースです。ヒット曲があるわけではありませんが、フォークやロック音楽を陰で支えた功労者で、ディランにとっても本音で語れる数少ない友人の一人で、ツアーのメンバー集めにもかなり動いたようです。
次はTボーン・バーネット。今でこそグラミー賞を何度も受賞したプロデューサーとして有名人ですが、この時は駆け出しのギタリストで、ニューワースに見いだされて参加しました。そして、「Desire」でベースを担当し混乱したセッションをまとめあげるのに貢献したロブ・ストーナーが続きます。
ディランにキリスト教をすすめ、しばらくバンドに残ったスティーヴン・ソールズに続いて登場したのが、何とミック・ロンソン。デヴィッド・ボウイの初期を支えたハード・ロッカーで、フォーク系のメンバーが多い中では異色の存在ですが、全体の音を厚くする仕事をしています。そして、「Hurricane」の再録音で急遽呼ばれてそのままツアーに参加したロニー・ベイカリーがピアノの弾き語りを披露します。
ここまでは今回のバンド・メンバーの顔見世という感じ。ディランはこのバンドをGuamと呼んでいました。「Desire」の立役者、ジプシー・バイオリンを弾くスカーレット・リベラも、Guamの一員として大活躍です。さて、続いてツアーにずっと帯同してきた一人目のゲスト、ジョニ・ミッチェルが登場し4曲を歌います。
ここまででおおよそ1時間というところ。ここで、慈善コンサートの目的であるルービン・カーター救済のために各界の有名人(モハメッド・アリ、ビル・フランクリンなど)がステージに上がり約17分間のスピーチタイムとなります。獄中のカーターも電話で出演するというおまけつき。
そして、このライブだけの最初のスペシャル・ゲストが登場します。若き日のディランのフォークのアイドルの一人と、ディラン自ら紹介されたのはランブリン・ジャック・エリオットで、ウディ・ガスリーと行動を共にしてガスリーのスタイルを継承した人物です。エリオットは4曲歌って喝采を浴びてステージを後にし、いよいよ真打ディランの番です。ハードなロック版ディランが7曲続きますが、この中の1曲でThe Bandのロビー・ロバートソンが飛び入りで参加しています。
ディランがフォークギターに持ち替えると、ジョーン・バエズが登場し、弾き語りデュエットで6曲を歌います。以前は、好き勝手に歌うディランに天才的に寄り添うハーモニーをつけたバエズですが、ここではディランに負けない勢いで差し込んでいく感じです。ここでディランは一度引っ込んで、バエズのソロが6曲。ヒット曲の「Diamonds and Rust」はかつての恋人ディランを歌った曲なので、この場で歌われるというのは感慨深いものがあります。
バエズに紹介されて登場した今夜限りの二人目のゲストはロバータ・フラック。美しい透き通る声に癒されます。そして、ツアーの功労者の一人、元バーズのロジャー・マッギンがソロを取りますが、バーズのヒット曲「Eight Miles High」には観客は大喜びだったでしょう。
そしてディラン再登場で、「Hurricane」を含む8曲を熱唱し、全員でガスリーの「This Land is Your Land」を歌い上げて長いコンサートが終了しました。いやぁ、お疲れさまでした。お付き合いくださりありがとうございます・・・という感じですが、スピーチの部分はともかく、音楽についてはなかなかうまく配置された構成でけっこう飽きずに聴くことができます。
ディラン21曲に対してバエズは12曲に登場ですから、バエズがこのツアーの成立におおきく関わる大看板であったことがわかります。ツアー参加し同行した人の中には、名優として有名なサム・シェパードがいました。彼は、「Renaldo & Clara」の脚本家として誘われたのですが、ほとんど書いた脚本は無視されて、ひたすらディランら一行を観察する羽目になり、後に手記を出版しています。またディランの古い友人であるビート・ジェネレーションの詩人、アレン・ギンズバーグも帯同しステージで詩の朗読などをしていました。
ディランをはじめ、メンバー全員が、音楽は楽しむものだということを実践したツアーで、個々の満足感はかなりあったようです。全員が気迫を持ってステージに挑み、芸術としては大成功であったと言えますが、どう考えても大人数で小さな会場ばかりでライブをすれば、おのずと赤字になることは陽を見るより明らかで、全31公演の興行収入は200万ドルほどだったのに対して経費は想像を絶する額だったようです。
1975年のツアー終了直後、すぐさま翌年の第2期ツアーの計画が立てられました。しかし、北東部中心に回った第1期が莫大な赤字を出したことにより、今度は南部の大きな会場で告知も余裕をもって集客に努める方針に変更されたため、そこにはディランが求めた「即興的な旅芸人一座」というコンセプトは失われていくことになります。
Decenber 8, 1975, Madison Square Garden, NYC
☆☆☆☆☆☆☆・・・













