2026年6月17日水曜日

Blone on Blonde (1966)


1965年8月に「Highway 61 Revisited」をリリースしたボブ・ディランは、ツアーのため固定のバンドを結成しようと考えます。しかし、アルバムやニューポート・フォーク・フェスティバルで活躍したギタリストのマイク・ブルームフィールドは、本来のポール・バターフィールド・ブルース・バンドに戻ってしまいます。

そこで、新たに新人のレヴォン・ヘルム(ds)、ロビー・ロバートソン(g)、リック・ダンコ(b)、リチャード・マニュエル(p)、ガース・ハドソン(org)からなるHawks、後のThe Bandに白羽の矢を立てます。9月3日のハリウッド・ボウルでの公演から、ロバートソン、ヘルムが加わりました。

10月からは全面的にHawksの全員がバックを務めます。しかし、新しいロックを演奏するディランに対する従来のファンの否定的な反応が激しく、落胆したレヴォン・ヘルムすぐに脱退してしまい、ドラム奏者は流動的になります。

それでも、ディランはHawksを伴って、10月には次のアルバムのためのセッションをニューヨークで開始しました。しかし、なかなか思ったような結果が出せずに、数回のセッションで採用されたのはたったの1曲だけだったのです。ディランは11月22日にサラ・ローンズと結婚し、12月から翌年1月なかばまで結婚休暇を取ります。そして、1月下旬に再びニューヨークでセッションを再開しますが、どうしても結果が出せません。

そこで、プロデューサーの助言もあり、ディランはカントリー・ミュージックの聖地、テネシー州ナッシュビルのスタジオにアル・クーパーとロバートソンを連れて移動しました。他のミュージシャンはナッシュビルで評判の実力者を招集します。スタジオ内では各自の間の衝立を取り払い、主としてクーパーが曲想をメンバーに伝えておき、後はディランのその時の勢いにまかせるようなライブ感のある収録になりました。

すると録音は順調に進み、3月初めまでにすべての曲が完成していますが、その内容はポヒュラー音楽史上初となるLPレコード2枚組(現在のCDだと何とか1枚に収まる量)という画期的なものになりました。特に2枚目のB面は11分半の長尺1曲だけという、かなり思い切ったものになっています。

当時もヒットし売れたレコードでしたが、現在ではすべてのロックのアルバムの中でも最重要と位置付ける人が多く、ディランのアルバムの中でも一二を争う人気作となりました。内容は最初の1曲から驚かされます。管楽器も入って、まるで狂ったお祭り騒ぎのような「Everybody Must Get Stoned」という謎めいた歌詞を繰り返し、いきなり旧態然としたフォーク・ファンに石を投げつけたかのようです。

ニューヨークで何度やってもダメだったのが「Visions of Johanna」で、ナッシュビルの最初のセッションですぐに完成形になります。この曲は関係が終わったジョーン・バエズが脳裏から離れない苦悩を歌ったものと考えられています。代表曲の一つ「Just Like a Woman」は日本語だと「女々しくて、女々してく、辛いよ」というどこかで聞いたことがあるような内容で、別れた恋人に対する未練がにじんでいます。

「Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine」では、「君は君の道へ、僕は僕の道を行く」というタイトルですが、浮気をされて彼女に裏切られた恨みつらみを歌っています。一方で、長尺の「Sad Eyed Lady of the Lowlands」は妻のサラを歌ったものとされていて、「いろいろ苦難があるかもしれないが、あなたは乗り越える力を持っている」と讃えるような内容。

アルバムの6月20日の発売を待たずに、ディランはHawksを引き連れてワールド・ツアーに出発します。4月13日のオーストラリア、シドニーとメルボルンを皮切りに、5月になってコペンハーゲン、ダブリン、ベルファスト、そしてイギリスに渡ってブリストル、カーディフ、バーミンガム、リパプール、レスター、シェフィールドと怒涛のライブが繰り広げられます。そして、5月17日のマンチェスター公演では、また新たなボブ・ディラン伝説が生まれます。

このツアーは前半はディラン一人のアコースティック・ステージ、後半がバンドを加えたエレクトリック・ステージという構成でしたが、最後の「Like A Rolling Stone」を始めようとしたときに客の一人が「ユダ!! (裏切り者)」と叫びました。ディランは「お前を信じない。嘘つきめ・・・さあ、大音量でいくぞ」と言って曲を始めたのです(このライブは最初の海賊盤で誤ってロイヤル・アルバート・ホールとされていました)。

ツアーは、その後もグラスゴウ、エディンバラ、ニューキャッスル、フランス・パリと続き、5月26日、27日のロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールまで続きます。このツアーの全体は、今では何とCD36枚組という巨大ボックスにて、マンチェスターの出来事も含めてすべてが聴くことが可能になっています(The 1966 Live Recodings、2016年発売)。

それほど変わり映えしないセットリストで、一部はテスト録音で聞き苦しい音質、時には途中切れの不完全なものも含まれていますが、しだいにバンドとしてまとまっていく様子と、長丁場のツアーで次第に疲れがたまってきているのかと思えるようなドキュメントとしても面白さも捨てがたい魅力になっています。

この後、ニュー・アルバムが発売され、着実に新しい音楽を支持する波か広がっていきます。しかし、秋のツアーも予定されていたディランに、新たな伝説が生まれます。7月29日、自ら運転していたバイクで事故を起こしてしまったのです。


Rainy Day Women #12 & 35
Pledging My Time
Visions of Johanna
One of Us Must Know (Sooner or Later)
I Want You
Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again
Leopard-Skin Pill-Box Hat
Just Like a Woman
Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine
Temporary Like Achilles
Absolutely Sweet Marie
4th Time Around
Obviously 5 Believers
Sad Eyed Lady of the Lowlands

Bob Dylan (vo, g, p)
Robbie Robertson (g, vo), Al Kooper (org, g), Bill Aikins (key)
Wayne Butler (tb), Kenneth Buttrey (ds), Jerry Kennedy (g)
Charlie McCoy (b, g, tp, harmonica), Wayne Moss (g, vo)
Hargus "Pig" Robbins (p, key) Henry Strzelecki )b)
Joe South (b, g)
NYC only : Rick Danko (b), Bobby Gregg (ds), Paul Griffin (p)

October 5, 1965 ~ January 27, 1966, NYC
February 14 ~ March 10, 1966, Nashville

☆☆☆☆☆

2026年6月16日火曜日

日本 VS オランダ


昨日の日本時間の早朝、FIFAワールドカップ2026北米大会のグループ・リーグ、日本の初戦が行われました。

結果はすでに皆さんご存知のことと思います。

格上のオランダと2-2で引き分けて、貴重な勝ち点1を獲得しました。

今回の日本はグループFで、FIFAランキングでは、日本は18位です。同じグループの対戦相手は、オランダ 8位、スウェーデン 20位、チュニジア 44位です。

オランダは優勝候補の一角ですし、国際A級マッチでの日本の対オランダ戦の成績は、0勝2敗1分です。

もちろん勝つに越したことは無いのですが、とにかくこの初戦を負けないことが絶対的な目標だったと思いますので、まずますの船出としたいところです。

特に、前半は0-0でしたが、後半にリードを許す展開を追いついて引き分けに持って行ったところは、高く評価してよいポイントでしょう。

日本はエース三苫を欠き、また直前にキャプテンの遠藤航のケガによる離脱という大きな不安要素を抱えたままで大会が始まったので、この結果を導き出した選手の皆さんには拍手を送りたいと思います。

次の日本の試合は、6月21日 (日) 13:00 (現地20日 22:00)にキックオフ。相手はチュニジアです。気を抜かずにガンバレ、SAMURAI JAPAN !!

2026年6月15日月曜日

コバンソウ


またまた不思議な植物を見つけちゃいました。

蝉の抜け殻みたいなものが、たくさん鈴なりになっている感じ。

最初は、何かの虫がたくさんひっついているのかと・・・ちょっと気持ち悪いとか思ったんですが、例によってGoogle画像検索を利用したみたところ・・・

コバンソウ(小判草)、という名前らしい。

確かに小判に見えなくもない。

イネ科の一年草で、もう少し早い時期だと緑色っぽいらしいのですが、しだいに黄金色というか茶色くなってきて小判みたいな感じになってくるようです。

垂れさがっているのは小穂(しょうすい)と呼ばれて、花びらが退化して鱗みたいに重なり合った苞が変化した物。

基本的には雑草として扱われるようなんですが、そんなに頻繁に見かけた覚えはありません。

やはり、何かあるかなと注意して見ていないと、気がつかづにいるもんです。

2026年6月14日日曜日

FIFA World Cup 2026


サッカーの、というか今や全スポーツの中でも最も注目されると言っても過言ではない国別対抗戦、FIFA World Cup 2026が6月11日に開幕しました。

日本は着実に実力をつけてきていて、アジアの中ではトップクラスであることは間違いありませんが、日本の過去の実績はというと・・・

1954年 初参加 予選敗退
1962年、1970~1994年 予選敗退

1998年 フランス大会
グループリーグ アルゼンチンvs日本 1-0、クロアチアvs日本 1-0、ジャマイカvs日本 2-1

2002年 日本韓国共同大会 ベスト16 (予選免除)
グループリーグ 日本vsベルギー 2-2、日本vsロシア 1-0、チュニジアvs日本 0-2
決勝トーナメント  トルコvs日本 0-1

2006年 ドイツ大会
グループリーグ オーストラリアvs日本 3-1、日本vsクロアチア 0-0、ブラジルvs日本 1-4

2010年 南アフリカ大会 ベスト16
グループリーグ 日本vsカメルーン 1-0、オランダvs日本 1-0、日本vsデンマーク 3-1
決勝トーナメント  パラグアイvs日本 0-0、 PK 5-3

2014年 ブラジル大会
グループリーグ コートジポワールvs日本 2-1、日本vsギリシャ 0-0、コロンビアvs日本 1-4

2018年 ロシア大会 ベスト16
グループリーグ コロンビアvs日本 1-2、日本vsセネガル 2-2、ポーランドvs日本 1-0
決勝トーナメント  ベルギーvs日本 3-2

2022年 カタール大会 ベスト16
グループリーグ 日本vsドイツ 2-1、コスタリカvs日本 0-1、日本vsスペイン 2-1
決勝トーナメント  クロアチアvs日本 1-1、PK 3-1

当然、出場するからには優勝を目指すというのはあるんですが、日本にとって「越えられないベスト8の壁」というのが最重要課題です。

「三苫の1mm」で記憶に新しい前回大会では、ドイツ、スペインというヨーロッパの強豪を撃破したことが話題になりました。日本人選手の多くが海外組となった昨今でも、その出先はヨーロッパ中心です。

サッカーが盛んな南米に対しては、ワールドカップでも実績を残せていませんが、詳しいことはわからないのですが、何か根本的な部分がヨーロッパとは違うのかもしれません。

さて、今大会はアメリカ・カナダ・メキシコによる共同開催で、試合地がかなり離れているので、組み合わせによっては移動が大変で気候もだいぶ異なることになりそうです。

グループFに入った日本の試合スケジュールを整理します。

6月15日 (月) 5:00 (現地14日 15:00) オランダ 場所ダラス(アメリカ)
6月21日 (日) 13:00 (現地20日 22:00) チュニジア 場所モンテレイ(メキシコ)
6月26日 (金) 8:00 (現地25日 18:00) スウェーデン 場所ダラス(アメリカ)

最初のキックオフは明日、早朝です!!
ほぼ半日の時差があるので、しばらくは眠い日々が続きます。

2026年6月13日土曜日

Highway 61 Revisited (1965)


ボブ・ディランの活動をあえて時期にわけると、デヴュー作から4作目の「Another Side」をフォーク期として、その後はロック期とすることが多いようですが、実際のところ「Bringing It All Back Home」は半フォーク・半ロックみたいなアルバムですし、5月に行われたイギリス・ツアーも従来のギターとハーモニカだけのフォーク・スタイルで通しています。

1965年6月、イギリスからアメリカ戻ったディランは、早くも次のアルバムの録音を開始しました。フォーク・ロックと呼ぶより、ブルース・ロックと呼びたくなるような全編高らかにロック歌手宣言をするようなアルバムとなりました。

今作はバンドを単なる伴奏ではなく、音楽の一部として機能するように組み込む意図が感じられます。おそらく、一般貢献したのがポール・バターフィールド・ブルース・バンドから参加したマイク・ブルームフィールドです。ブルース・ギター奏者としてエレクトリック・ギターの普及に影響を与えた人物です。また、後に、ブラッド・スウェット&ティアーズを結成するアル・クーパーが参加しています。

特に6月16日のセッションでは、代表曲の一つ、アルバム冒頭曲となる「Like a Rolling Stone」だけが繰り返し試行錯誤されました。この模様は「The Bootleg Series Vol.12 Cutting Edge」でその全貌を知ることができます。故・中山康樹が「この曲は最初から4拍子だった」と推論した説は見事に裏切られ、驚きの3拍子でのリハーサルが始まりますが、何とものんびりした雰囲気が続きます。数テイクの後、4拍子に変更されオルガンがたまたま居合わせた本来キーボード奏者ではないアル・クーパーに交代し、気の利いたリフが入って完成形になっていくところはなかなかスリリングで興味深い。

ディランがこだわり抜いた歌詞は、「昔は偉そうにしていたけど今は落ちぶれた気分はどうだい? すべて失って転がる石みたいだ」という内容。「A rolling stone gathers no moss (転石苔むさず)」という英語圏のことわざがあって、イギリスでは伝統的に「転々とする人は成功しない」という否定的な解釈がされますが、アメリカでは「活発な人は時代に取り残されない」という近代的な肯定的解釈がされています。変化を求める自分と、古い体質のフォーク・ソング信奉者を対比させていることは間違いなさそうです。

「Like a Rolling Stone」の録音が一段落したディランは一度収録を中断して、7月22日から26日にかけて行われたニューポート・フォーク・フェスティバルに3年連続で参加します。ここで、ボブ・ディラン伝説の一つとして有名な「事件」が起こりました。24日はアコースティックなステージを披露しましたが、25日夜の部ではマイク・ブルームフィールド(g)、ジェローム・アーノルド(b)、アル・クーバー(org)、サム・レイ(ds)を従えてエレクトリック・ギターを持って登場したのです。

彼らは「Maggie's Farm」、「Like a Rolling Stone」、「悲しみは果てしなく」を演奏し引っ込んでしまいます。観客からはブーイングの嵐を浴び、司会者も事態を収拾するためディランをステージに呼び戻します。フォーク・ギターを持って一人で再登場したディランは、「Mr.Tambourine Man」と「It's All Over Now, Baby Blue」の2曲を歌うのですが、明らかに古い伝統に固執する観客に対する決別宣言となったと考えられています。

スタジオに戻ったディランは、追加の数日で数曲を完成し、8月末にはアルバムが発売されました。その後もライブなどでは重要なレパートリーになる曲が多く含まれますが、特に注目したいのは「Disolation Row (廃墟の街)」です。

ポップス系アルバムとしては異例の11分に及ぶ長い曲で、現代社会の欺瞞や幻想などを一見脈絡のない言葉の羅列で歌い続け、最終的には「絶望のどん底」に逃げ込むしかないとしています。それはゴミ溜めのようなニューヨークのどこかかもしれないし、あるいはアメリカの田舎の本当に廃墟となった町かもしれません。チャーリー・マッコイのギターがボーカルに絡みつき、長くて英語歌詞がよくわからなくてもずっと聞いていられる感じがします。


Like a Rolling Stone
Tombstone Blues
It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry
From a Buick 6
Ballad of a Thin Man
Queen Jane Approximately
Highway 61 Revisited
Just Like Tom Thumb's Blues
Desolation Row

Bob Dylan (vo, guitar, harmonica, piano, Acme siren)
Mike Bloomfield (g), Charlie McCoy (g), Al Kooper (org, p)
Paul Griffin (p, org), Frank Owens (p), Harvey Brooks (b)
Russ Savakus (b), Joe Macho Jr. (b), Bobby Gregg (ds)
Sam Lay (ds), Bruce Langhorne (tambourine)

June 16 ~ August 4, 1965, NYC

☆☆☆☆

2026年6月12日金曜日

Bringing It All Back Home (1965)


1965年年明けから、ボブ・ディランは5作目のアルバムの準備にとりかかります。自身初のバンドを従えた演奏を披露しますが、一般的には初の「フォーク・ロック」アルバムと評されています。

1月の3日間で十数曲が録音され、11曲が採用され数曲がアルバム収録を見送られました。主としてバンド伴奏がレコードのA面、従来の自信のギターとハーモニカ演奏によるものがB面に配置されました。

当時のディランのファンたちは、多くはフォーク・ギターのアコースティックな響きを期待してレコードに針を落としたはずです。ところがいきなり出てくるエレキギターの音にたまげたことでしょう。

ただし、ここでは取り合えず集めたセッション・ミュージシャンがバックを務めましたが、特に積極的なアレンジがされているわけではなく、あくまでもディランの演奏に合わせたという感じですし、B面がアコースティックなので、従来のファンにも受け入れやすかっただろうと思います。

それこそが1964年の1年間を通して、ディランが周到に準備してきた新しい表現手段が実行され記録された結果でした。この1曲目の「地下のホームシック・ブルース」では、歌詞は意味のある一定の節度を保つことより、脈絡が感じられない若者の文化に出てきそうな単語・文節でたたみかけることを意識しているようです。そして、それが「ロック」であると主張しているかのようです。

「ジョニーは地下室で薬を調合 / 俺は舗道で政府を考える / トレンチコートの男がバッジを見せて首になった言う / 咳こんでいて治すための金を欲しがる」という感じで、何が何だかよくわからない。この曲をバックにディランが文節の一部の単語だけが書かれたフリッブを紙芝居のように、次から次へとめくっていく動画が作られました。

これが、世界で初めて作られた今でいうミュージック・ビデオと言われています。これはアルバム発売後に行われた5月のイギリス・ツアーのドキュメンタリーである「DONT LOOK BACK」に収録されています。意図的に「DON'T」ではなく「DONT」としてあり、またこのタイトルはアルバム2曲目の「She Belongs to Me」の歌詞の中に登場します。

「DONT LOOK BACK」では、当初イギリス・ツアーに帯同していたジョーン・バエズが、ステージに登場することは無く、対外的にもプライベートでも二人の方向性が合わなくなってきたことがわかります。メロディと一体になって意味を成す「歌詞」から、相変わらず詞についてだけの観念的な質問をしてくるメディアに対しても、ディランは苛立って攻撃的になる様子も克明にとらえています。

アルバムは3曲目以降も「Maggie's Farm」、「Love Minus Zero / No Limit」、「Gate of Eden」、「It's Alright, Ma」、「It's All Over Now, Baby Blue」などの後年までライブのレパートリーに登場する有名曲がる目白押しです。

特にB面のアコースティック・サイドのトップを飾るのが名曲「Mr. Tambourine Man」です。架空のタンバリン奏者に、「疲れたけど眠くない俺に1曲聞かせてくれ。そしたら束縛から解放されて、新しい世界に行ける」というような内容で、ディラン本人も含めて当時の様々な人々の心に刺さる内容でした(現代人にも通用しそうです)。


Subterranean Homesick Blues
She Belongs to Me
Maggie's Farm
Love Minus Zero/No Limit
Outlaw Blues
On the Road Again
Bob Dylan's 115th Dream
Mr. Tambourine Man
Gates of Eden
It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)
It's All Over Now, Baby Blue

January 13 ~ 15, NYC

Steve Boone (b), Al Gorgoni (g), Bobby Gregg (ds),
Paul Griffin (p, keyboards), John P. Hammond (g),
Bruce Langhorne (g), Bill Lee (b), Joseph Macho Jr. (b),
Frank Owens (p), Kenny Rankin (g), John Sebastian (b)

☆☆☆☆

2026年6月11日木曜日

石油原料節約パッケージ


出た!!  出た、出た、出た。

クリニックのスタッフが偶然見つけて、買ってきたそうです。

石油原料節約パッケージのスナック菓子です。

誰もが知っている、食べたことがあるだろう有名ブランドですが、記憶にある赤いパッケージと比べると、ものすごい違和感です。

もっとも、従来の入れ物は、中身とは無関係。作り手からすれば、アピール度合いを強めたいという理由だろうし、買い手の側は見つけやすいってとこ。

十分に知名度が広まった商品は、これで十分でしょうから、他の商品もこの際過剰包装を廃して値段をおさえてもらいたいものです。

2026年6月10日水曜日

ビワ


たいてい実がなるのは秋というイメージがありますが、今の時期に結実するものの一つが「びわ、枇杷」です。

普通に庭とかに植えている家がけっこうある。注意して見ながら歩いていると、オレンジ色にぷっくらとした実が簡単に見つけられます。

昔はよく食べた覚えがありますが、最近はスーパーでもあまり見かけない。

人気が低迷している理由は何でしょうか。

九州では多いらしいのですが、寒さに強くはないので、本州では安定した収穫が難しいらしい。

もしかしたら、種子が大きくて食べれる部分が少ないとか、味が薄いとか・・・

よくわかりませんけど、まぁ、今でも季節を感じるものの一つではあります。

2026年6月9日火曜日

Another Side of Bob Dylan (1964)


1963年11月22日・・・全米に激震が走りました。

テキサス州ダラス・・・「ダラスの熱い日」・・・現職大統領、ジョン・F・ケネディが市内パレードの車中で銃撃され死亡しました。

当時、一気にフォーク界の寵児に上り詰めたボブ・ディランは、社会の不平等を感じる多くの事件をすぐさま歌にして発表していました。しかし、リアルタイムのテレビを見ていたディランは強い衝撃を受け、この事件については沈黙したのです。

時間は一気に飛んで、2020年、ボブ・ディランは新しいアルバム「Rough and Rowdy」を発表し、CD2枚組の2枚目に17分間の大作を持ってきました。タイトルは「最も卑劣な殺人 (Murder Most Foul)」で、ケネディ大統領暗殺事件の惨劇から始まる半世紀の世界の変化を歌い上げるというものでした。57年たって、ディランはやっとこの不条理を歌に乗せることができたのです。

この事件の衝撃は、少なからずディランに変化をもたらしたことは想像似難くありません。いずれにせよ、3作目となるアルバム「 The Times They Are a-Changin」の録音作業を終えたディランは、すぐさま次のアルバムとせかすレコード会社を尻目に1964年2月に気心知れた仲間とロサンゼルスまでの3週間ほどの車の旅に出てしまいます。

この間にもう一つの「事件」がありました。ビートルズの訪米です。新たなポップ・カルチャーの到来に、ディランも衝撃を受けたようです。ビートルズの歌は他愛のない恋だの愛だの数分間の短いものばかりで、ライブも30分間のパッケージショーでしたが、当時の若者を開放するエネルギーが詰まっていたのです。

ディランは旅の中で、社会的な出来事よりももっと内省的な思考に耽るようになりました。そして背伸びしていた自分に気がつき、本当の自分は今の環境とは違うところにあると思うようになるのです。そして、それらの思いを書き溜めた新曲を用意して、1964年6月9日にスタジオ入りをすると、4作目のアルバム「Another Side of Bob Dylan」のための曲をすべて1日で録りおえてしまいました。

ディラン自身が語っているように、このアルバムには「誰かを非難する」曲はありません。一部の曲に社会性を残すものの、ほとんどが自らの心情をいつものギターとハーモニカだけで歌うスタイルに徹しています。なお、このセッションでアルバム収録から却下された数曲の中にディランの代表曲になる「Mr. Tambourine Man」、「Mama, You Been on My Mind」が含まれていました。

一曲目の「All Really Want to Do」は、時事問題のかけらもない恋愛ソングで、ひたすら「僕が本当にしたいのはも君と友達になること」と繰り返します。一番の注目曲は7分を超える「自由の鐘」で、鳴り響く雷が虐げられている人々にとって自由を呼び起こす鐘の音だと歌うのですが、暗殺されたケネディ大統領の鎮魂の祈りをこめていると考える評論家が多数います。

「マイ・バック・ページス」は、実はジャズ・ピアニストのキース・ジャレットの演奏で初めて聞いた曲で、その時はジャズっぽくないかわった曲だなと思いました。タイトルは「私の過ぎ去った日々」という意味で、(体制批判を歌っていた)自分は大人ぶって背伸びをしていたけど、今の自分の方がずっと若いと歌うことで、「反体制の旗頭」とか「フォークの貴公子」という呼ばれ方と決別しようとしているようです。


All I Really Want to Do
Black Crow Blues
Spanish Harlem Incident
Chimes of Freedom
I Shall Be Free No. 10
To Ramona
Motorpsycho Nitemare
My Back Pages
I Don't Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
Ballad in Plain D
It Ain't Me Babe

June 9,1964, NYC

☆☆☆

2026年6月8日月曜日

梅雨入り


昨日、関東・東海地方が梅雨入りした(とみられる)・・・

と、気象庁が発表しました。

毎年、この時期に必ず登場するタイトルなんで、もう今更追加でコメントすることもありません。

あくまでも記録ということで・・・

去年は6月10日。今年はほんの気持ちだけ早めか、くらいの感じです。

すでに風呂場にナメクジが現れました。ジメジメは嫌ですが、暑すぎるのも困る。

去年の梅雨明けは、結果としては6月末で大変早かった。でも7月半ばになっても、はっきりとした梅雨明け宣言はされませんでした。

とりあえず見上げると、低く重苦しい雲が空全体を覆っていました。そりゃ、梅雨入りだろう、という感じです。

2026年6月7日日曜日

The Times They Are a-Changin' (1964)


1963年という年は、間違いなくボブ・ディランにとって飛躍の年だったはずです。

5月27日に2作目となるアルバム「The Freewheelin'」が発売されると大きな反響があり、6月にすでに人気があったピーター・ポール&マリー(PP&M)が「風に吹かれて」をカバーしたシングルが大ヒット(全米2位)しました。

1954年に始まったロードアイランド州ニューポートで行われるジャズ・フェスティバルが着実に人気を得ていたことに対抗して、フォーク・フェスティバルが1959年、1960年に開催されていました。第1回では、当時18歳だったジョーン・バエズがデヴューしています。

1963年は4年ぶりの開催となり、7月26日~27日のいくつかのセットで、ディランは代表曲の数々を歌いました。そして、その大舞台でPP&M、ピート・シガーやバエズらを後ろに従えてディランが「風に吹かれて」でトリを飾ったのです。また、初顔合わせとなったバエズは、いきなりディランの独特の節回しにハーモニーを付けていて歌唱力の凄さを再確認できます。この時の映像は2007年に「The Other Side of the Mirror」として残されていて(DVD、Blurayあり)、1963年から1965年までのニューポートでのディランを堪能できます。

8月23日は、アメリカにとって歴史的な出来事がありました。それは、キング牧師を筆頭に「ワシントン大行進」と呼ばれるようになる大規模な公民権運動のデモです。有名なキング牧師による「I have a dream・・・」から始まる演説が行われた同じマイクに向かって、このデモに参加したボブ・ディランは「風に吹かれて」と「しがない歩兵」の2曲を歌ったのです。

知り合ったばかりの政治的活動に積極的なジョーン・バエズらの影響を強く受けたディランは、急激に運動家としての行動が目立つようになり、「しがない歩兵」は、その年の6月に起こった黒人公民権運動指導者M・エバースが暗殺された事件をテーマにして作られたばかりの曲でした。

ディランは、バエズのツアーのゲストとして招かれる一方で、8月の初めから10月末にかけて次のアルバムの録音を行ないました。ここではついに全体が人種差別や不平等、貧困と言った社会性の強いテーマを持つ自作曲で構成され、翌年2月に「The Times They Are a-Changin'」というタイトルでリリースされました。伴奏は自らのギターとハーモニカだけです。何度かのセッションでは、アルバムに採用されなかったたくさんの曲が録音されていて、そのほとんどが後に公式に聴くことが可能になっています。

タイトル曲となる「時代は変わる」では、古い価値観を持つ人々に危機感を持つように訴え、「ホリス・ブラウンのバラード」は貧困から実際に起こった一家五人の無理心中を歌い、「ハッティ・キャロルの寂しい死」でも気分でハッティを殺した殺人者が法に守られたことを批判します。さらに「神が味方」についているからいくつもの戦いに勝利し、「神が味方」だから核兵器だって使えると皮肉を込めて歌います。

そうかと思うと、「いつもの朝に」は朝が来るたびに離れていく恋人のことを歌うのです。
そして興味深いのは「スペイン革のブーツ」という曲の歌詞。これも私小説的な感傷的な歌になっています。バエズと急接近したディランは、前作のジャケット写真で仲の良さをアピールしていた恋人と次第に疎遠になっていきます。そこで、スペインに旅立ってしまった恋人と恋の終わりを自覚する自分とが互いに心情を歌う形式になっています、

ディランは「異国の空気に飲まれないでほしい」と歌い、彼女は「あなたへの贈り物をさがしている」と答えます。「ほしいものはないけど、どうしてもというならスペイン革のブーツにしてくれ・・・」という内容で、これを男女の関係を逆転させると・・・そうです、松本隆作詞の大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」になります。松本がディランの歌からヒントを得たというのは有名な話です。他にも多くの日本のフォーク歌手が、このアルバムからいろいろな影響を受けたのでした。


The Times They Are A-Changin'
Ballad Of Hollis Brown
With God On Our Side
One Too Many Mornings
North Country Blues
Only A Pawn In Their Game
Boots Of Spanish Leather
When The Ship Comes In
The Lonesome Death Of Hattie Carroll
Restless Farewell

April ~ October, 1963, NYC

☆☆☆☆

2026年6月6日土曜日

In Concert (1963, unreleased)


1963年のボブ・ディランは知名度がいっきに上がったことで、大きなホールでも集客が期待できるアーティストになりました。

4月21日には今では国定歴史建造物として指定を受けている由緒あるタウンホールでコンサートが開かれました。収容人員数は1,500人です。7月にニューポート・フォーク・フェスティバルに初登場し、さらに10月26日には、こちらもクラシック音楽を中心とした権威のある音楽の殿堂であるカーネギー・ホールにたった一人で立ちました。ここの収容人員数は2,804人です。

スタジオ・アルバムにしても、小さな場所でのライブにしても、そして大きな会場でのコンサートも、そのほとんどがギター1本、ハーモニカ1個による弾き語りのスタイルでしたから、ボブ・ディランはどこへでも気軽に登場することが可能でした。誰かと演奏を打合せする必要もありませんし、しいて言うなら夏以降共演機会が増えたジョーン・バエズは、圧倒的な歌唱力でどんな状況でもディランに合わせてくれるので助かったことでしょう。

まだテープ・レコーダーが一般に普及する前ですから、テープ・レコーダーがある家では何でもチャンスがあれば録音をしていたのだと思います。ディランがあちこちの家庭を訪問した際に、歌を催促されテープに残されたものが驚くほど残っています。ですが、どんな状況でもディランの歌唱そのものは、一聴しただけではあまり変わり映えしない。

これらの音源は多くの海賊版として世の中に登場していますが、そのほとんどを網羅した公式音源として「The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window」がCD8枚組のセットで2025年にリリースされました。今では、可能な限りリマスターされた聞きやすい音になって簡単に聞くことができるのはありがたいことです。

コロンビア・レコードは、当初タウンホールとカーネギーホールでのライブを合わせて、「In Concert」としてディラン初のライブ盤を発売する予定でした(写真左)。しかし、発売直前でディランから「ライブももう過去のものだから新しいものに注力したい」との意見により発売は中止になっています。

2005年に、ディラン作品の購入特典としてカーネギーホールでの音源から6曲を収録したCDが配布されました(写真右)。また同年にM・スコセッシ監督によるドキュメンタリー映画「No Direction Home」にはカーネギーホールでの別の2曲が使われました。そして、2025年に「The Bootleg Series Vol.18」で、ついにカーネギーホール・コンサートのすべてが公開されています。

スタジオで録音されたレコードしか無い時期ですから、後から出てきた公式盤、あるいは海賊盤であっても無視することは悪くはないのですが、リアルタイムのファン達はおそらくレコードよりも実演に接して口コミでディランの人気を盛り上げた部分がかなり大きいだろうと想像します。

ですから、ディランのようなフォーク歌手にとっては客を前にしたパフォーマンスは、レコードよりもよりその真価を発揮する機会として重要だと思います。「The Bootleg Series」は海賊盤対策として新たに著作権を主張する根拠として立ち上がった企画だとは思いますが、埋もれていた音源を可能な限り聞きやすく集大成するという意味では大きな意義があります。

カーネギーホールのコンサートは録音が終わったばかりの次のアルバムのタイトル曲「The Times They Are a-Changin'」からスタート。4枚目のアルバムに収録されることになる曲なども含めて客の反応が良いのは、すでにライブではお馴染みなのかもしれません。

アルバム「The Freewheekin'」で録音されながら政治的過ぎる理由でボツになっていた「Talking John Birch Paranoid Blues」は、反共産主義の極右結社であるジョン・バーチ協会を揶揄した曲で、聴衆が歌詞に反応して度々笑いが起こります。また「風に吹かれて」を歌う前にはタイトルにまつわる笑い話を語り全体的に饒舌です。

このようなディランの雰囲気はスタジオ・アルバムだけしか知らないと意外な印象を持ちますが、全体的にプロテスト・ソングが多いセットリストの中で、ディランが実に余裕をもってユーモアを持ち合わせていたことが伝わってきます。


The Times They Are A-Changin'
Ballad of Hollis Brown
Who Killed Davey Moore?
Boots of Spanish Leather
Talkin' John Birch Paranoid Blues
Lay Down Your Weary Tune
Blowin' in the Wind
Percy's Song
Seven Curses
Walls of Red Wing
North Country Blues
A Hard Rain's A-Gonna Fall
Talkin' World War III Blues
Don't Think Twice, It's All Right
Story: Hootenanny Hoot
With God on Our Side
Only a Pawn in Their Game
Masters of War
The Lonesome Death of Hattie Carroll
When the Ship Comes In

October 26, 1963 Carnegie Hall, NYC
from "The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window"

☆☆☆

2026年6月5日金曜日

ビヨウヤナギ


美容柳と書きます。

真正バラ類キントラノオ目オトギリソウ科オトギリソウ属のHypericum monogynumです・・・って、難しいなぁ。そもそも柳の仲間じゃないし。

大きくなっても人の身長ほどで、今が花期で、けっこうあちこちに植えてあることに気がつきました。

葉を煎じると消炎鎮痛効果があるらしい。と言っても、下手に使うのは危ないこともあるかもしれない。

たくさんの長い雄蕊(おしべ)が特徴ですから、一度覚えると忘れなさそうですね。

2026年6月4日木曜日

The Freewheelin' (1963)


フォーク・ソングというのは、そもそもはその土地に伝承されてきた民族音楽のことですが、それらを手軽に楽しむための道具としてギターやハーモニカといったものが普及しました。それらをうまく使って、人々に寄り添ってその気持ちを代弁することで人気を集めたのがウディ・ガスリー(1912-1967)でした。

次第にフォークは反体制的な色合いを強め、ジョーン・バエズのようなスター歌手の登場とともに60年代になってベトナム戦争に対する反戦運動が盛んになるとプロテスト・ソングの傾向はさらに濃くなっていきます。

1941年生まれのロバート・ジマーマン少年は、小さい時から家にあったピアノとギターに慣れ親しみ、50年代の普通の少年と同じでロカビリーに夢中になっていました。1959年には大学へは登校せず、ガスリーに感化されミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始めます。この時、ロバートの愛称と詩人のディラン・トーマスからとった「ボブ・ディラン」を名乗り始めるのでした。

1960年12月にニューヨークに出てきたボブ・ディランは、カウンター・カルチャーの聖地、グリニッジ・ヴィレッジを根城にして歌える場所ならどこにでも顔を出すようになります。1961年2月、すでに歌手としては引退しているガスリーと彼が長期療養のため入院している病院で面会しています。

少しずつ小銭稼ぎ的な仕事をしているうちに、コロンビア・レコードで力を持っていたプロデューサーであるジョン・ハモンドがディランの存在を知ることになるのでした。ロバート・ジマーマンが「ボブ・ディラン」に変貌していく過程は「The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window」に多くのプライベート録音が収録されていて、大変興味深いものがあります。

デヴュー・アルバムがあまり話題にならなかったディランは、あちこちのクラブなどでの「対外試合」を加速させ、知名度を広げ技能的にも向上させることに集中したかのようです。また自作曲を増やし、出版社に売り込むためのでもデモ音源を作成していて、これは後に「Witmark Demos」として「The Bootleg Series」からも公式にリリースされました。

1962年4月からは、再びコロンビア・レコードのスタジオで断続的に1年ほどかけてレコーディングが開始され、1963年5月にいよいよ発売されたのが初期の傑作とされる「The Freewheelin'」です。フリーホイール(freewheel)は、ほぼすべての自転車に備わっているペダルを回し続けなくても惰性で進める駆動輪のことで、アルバムのタイトルとしては意味深です。

特に傑作とされる理由は、ディランの初期の代表作となる「風に吹かれて (Blowin' in the Wind)」、「はげしい雨が降る (A Hard Rain's a-Gonna Fall) 」、「戦争の親玉 (Masters of War)」、「くよくよするなよ (Don't Think Twice, It's All Right)」、「北国の少女 (Girl from the North Country)」など、後々まで歌い続けられる曲が目白押しであるところが大きい。

1作目では2曲だけが自作曲でしたが、この2作目では全13曲中2曲だけがカバー曲です。基本的には前作と同様にディラン自身のギターとハーモニカ、あるいはピアノによる伴奏だけですが、カバー曲の「コリーナ・コリーナ (Corrina, Corrina)」だけにバンドが加わっていて浮いた印象を持ちます。

冒頭の「風に吹かれて」は、ピーター・ポール&マリーがカバーして大ヒットし、ジョーン・バエズもアルバムで取り上げました。「どれだけ歩けば男は一人前と認められるのか。どれほどの砲弾が飛び交えば武器がなくなるのか・・・答えは風に吹かれている」という抽象的な内容が、ディランの意図とは関係なく当時吹き荒れていた公民権運動のテーマソングのように扱われたのです。その結果、ディランは反体制の旗頭であり、彼の歌うフォークはプロテスト・ソングであるという固定観念が浸透してしまうのでした。

もっとも「戦争の親玉」では積極的に武器を作る人・使う人を糾弾しています。「第3次世界大戦を語るブルース」では、キューバ危機により核戦争が現実味を帯びていた時期に、夢の中での不思議な体験を語るのですから、プロテスト・ソングを歌う歌手として祭り上げられてしまうのはしょうがない。

もっとも「北国の少女」は寒さの厳しい北国のかつての恋人に思いをはせる歌ですし、「くよくよするなよ」は恋人同士のすれ違いの歌です。そもそもアルバム・ジャケットが当時の恋人と一緒に写っている写真が使われているのですから、真っ向から社会を敵に回そうとする意志はあまり感じられません。


Blowin' In The Wind
Girl From The North Country
Masters Of War
Down The Highway
Bob Dylan's Blues
A Hard Rain's A-Gonna Fall
Don't Think Twice, It's All Right
Bob Dylan's Dream
Oxford Town
Talking World War III Blues
Corrina, Corrina
Honey, Just Allow Me One More Chance
I Shall Be Free

"Corrina, Corrina" Leonard Gaskin (b), Herb Lovelle (ds), Bruce Langhorne (g), Howie Collins (g), Dick Wellstood (p)
April, 1962 ~ April, 1963, NYC

☆☆☆☆☆