臨時休診のお知らせ
2023年6月3日土曜日
おみやげ
ディズニーランドは相変わらずの人気。
もちろん、ミッキー・マウスやドナルド・ダックといったキャラクターの魅力が大きいわけですし、またほかの遊園地にないようなアトラクションが楽しいことも大事なポイント。
でも、人気の原因で忘れてはならないのが「おみやげ」です。
もう、ディズニーランドへ最後に行ってからずいぶん経つ自分としては(少なくとも最後はシーができる前)、ひたすらおみやげをいただく身になっています。
きゃー、かわわいい!! という声が聞こえてきそうな独自の入れ物に入っていることが多いのですが、実は食べ終わってから捨てるに捨てられず困ったりすることがありませんか?
妙に変わった形の缶だったりするのでけっこう場所を取るし、実用的には使いまわしがきかないことが多い。数年とっておいたけど、結局捨てることになるんですよね。
この小さなあられが入った缶は、全体が和風の柄の布で覆われていて、おお~という感じがします。さすがディズニーランド。なかなか凝ったことをする。
さてさて、この缶の運命はどうなるのでしょうか。
2023年6月2日金曜日
大怪獣のあとしまつ (2022)
残った物は・・・怪獣の死体。中には全長100mなんてのもあるわけで、言われてみればその死体はどうなったのか。考えると、後片付けしないといけないよね・・・・
大変だろうなぁ・・・どうすんだよって、いいところに眼を付けた映画がこれ。放送作家から映画監督になった三木聡が監督と脚本。でもって、さぞかしい面白いかと思ったら、う~ん、ちょっともやもやが残りました。
日本を恐怖のどん底に陥れた大怪獣。謎の光によって死んでしまいます。遺された死体を片付ける任務を任されたのは特務隊という、自衛隊や警察とは別の組織。
その特務隊のエースが帯刀アラタ(山田涼介)で、かつて仲間だった雨音正彦(濱田岳)は総理大臣の秘書官、正彦の妻で新のかつての恋人だったユキノ(土屋太鳳)は環境大臣秘書。3年前に不思議な光を追いかけていた三人でしたが、光に包まれたアラタは行方不明、正彦は片脚を失っていました。2年後に姿を現したアラタは、行方不明だった2年間については語りません。
総理大臣(西田敏行)と内閣は、一癖も二癖もある人々で、責任を押し付け合うかと思えば、功を争うばかりでまともな作戦は思いつかない。ついに正彦が主導してミサイルを撃ち込む作戦が開始されますが、それがかえって人身への悪影響を及ぼすことを危惧するアラタは独自の行動を起こすのでした。
まず、風変わりな脇役がこれでもかと登場します。六角精児、眞島秀和、MEGUMI、菊地凛子、染谷翔太、二階堂ふみ、松重豊、オダギリジョーなどなど・・・どのように出てくるか興味がある方は是非本編をご覧ください。
さて、なんでもやもやなのか。基本的にはコメディなんですが、徹底して全員がシリアスな演技をしている。低レベルのおふざけを大真面目でされるので、何か笑うに笑えない。そして、最終的な解決なんですが・・・ネタバレになるので秘密ですが、結局それかという・・・
ただでさえ、あまりに笑えないギャグが矢継ぎ早に出てくるのに、最後を笑いで終わらないと、それまでの1時間45分がただの中身のないドタバタになってしまう。なるほど、そうやって後始末を何とかしたんですねという面白さが消し飛んでしまいました。
まあ、邦画としてはまあまぁなCGとか、一人だけギャグを言わない山田クンの頑張りとかはありますので、ファンの方は見てもいいかもしれません。
2023年6月1日木曜日
無限の住人 (2017)
監督は三池崇。暴力描写では日本で一、二を争う監督ですから、もう冒頭から木村拓哉が無数ともいえるチンピラを叩き斬る、斬る、斬る・・・
原作は沙村広明の漫画で、主人公の万次は不死の体を持つという設定。元々の原作がかなり長く、登場人物も多くてそのサイド・ストーリーも豊富な展開らしいので、映画では、はしょりまくって原作ファンからはかなり不評を買うのは当たり前の2時間20分です。
元々は武士でお尋ね者になった万次(木村拓哉)は、妹の花(杉咲花)との道中、やくざの集団に絡まれ花を死なせてしまいます、万次は集団を壊滅させますが、自身も瀕死の状態になってしまう。そこへ登場する謎の老婆、八百比丘尼(山本陽子)により不死の体になる虫を体内に仕込まれる。
それから50年後、江戸中のすべての剣術流派を統一しようと目論む逸刀流の天津影久(福士蒼汰)によって父を殺された浅野凛(杉咲花、二役)は、親の仇である影久を倒すために、万次を用心棒として雇うのです。万次は花とそっくりな凛に驚きます。
逸刀流の黒衣鯖人(北村一輝)、凶戴斗(満島真之介)らを倒していく万次でしたが、受けた傷は虫の力ですぐに回復していました。しかし、閑馬永空(市川海老蔵、現團十郎)との対決では、虫の力を弱らせる薬を仕込まれ苦戦します。
実は閑馬永空も八百比丘尼から虫を仕込まれ不死の体だったのです。彼は死ねないことの苦しみを万次と共有しつつ、毒を自らに向け死んでいきます。また乙橘槇絵(戸田恵梨香)にも追い詰められますが、凛の万次を守ろうとする必死さに引き下がります。
凛と万次以外に、密かに逸刀流を倒すために暗躍してる集団がいました。尸良(市原隼人)、百琳(栗山千明)らで、万次らは目的は一緒でも彼らが金のために動いていることを知ると決別します。
尸良らを雇っていたのは公儀の手の物で、逸刀流を油断させ幕府に危険人物とされた影久を排除しようとしていたのでした。ついに影久を討伐するための幕府の大群が取り囲み、また影久を追う万次と花、影久を慕う乙橘槇絵らによる三つ巴の決戦が開始されるのでした。
さて、天下の木村拓哉の主演映画としては、困ったことに評判は必ずしもよくはない。いろいろな要因がありそうですが、ちょっと考えてみた。
監督の問題としては、バイオレンスが特徴の監督とは言え、やはりやり過ぎたといえます。キムタクの映画ですから、圧倒的に女性の観客が多いことでしょうから、そこに大量の血しぶきと切断された手足が飛ぶ演出はさすがにどうかと・・・
最初は白黒にして和らげたのかもしれませんが、これはちょっと見ていてきつい。ほとんどスプラッター映画状態です。大人数との立ち回りは「るろうに剣心」の映画にも度々出てきますが、剣心の剣は人を斬れない逆刃刀です。
そもそも三池監督を起用したプロデューサーがだめだめということなんですが、そういう映画にしたいなら、逆にキムタクをキャスティングしたこともプロデューサーの失策かもしれません。
それと、大変特徴的なキャラクターが登場するにも関わらず、彼らのシーンはそれぞれ数分間程度で、ほとんど人物像もわかない。これは長大なストーリーを省略しまくった監督と脚本家の問題でしょうか。
もともと無理があることはわかっていたはずなので、もっと登場人物を絞り込めなかったのかという感じ。あまりにバタバタと話が進むので、戦闘シーン以外はあらすじだけで走り抜けた感じになってしまいました。
そして主演、木村拓哉の問題にも触れざるをえない。思い出すのは2016年のSMAPの解散騒動です。この映画は、まさにその騒動の真っただ中で撮影が行われ、プロモーションはSMAP解散後の一人となった木村の初仕事みたいな感じでした。このあたりが、木村本人にも、ファンにもいろいろなストレスをかけていたことは容易に想像できます。
よく言われることに「キムタクは何をやってもキムタク」というのがありますが、これは批判というよりファンがそれを望んでいるという側面もある。この映画のキムタクは、実はキムタクらしさをかなり封印していると思います。役柄上当然かもしれませんが、そこも受け入れにくさの原因になっているのかもしれません。
さらに、どうしても気になるのは、キムタク演じる主人公が弱いことで、名のある敵との対決では必ず一度は「死んでいる」のです。不死という特殊能力はチートみたいなもので、主人公の背景が描き切れていないことも合わさって共感しにくい。
中華を頬張っていた杉咲花が、ブレイクしてここでもそれなりに注目できる演技を見せているところは、数少ない見どころに挙げておきたいと思います。
2023年5月31日水曜日
ゴールデン・スランバー (2010)
クライム・サスペンスという位置づけになるかと思いますが、何か大きな権力の周到に仕組んだ罠に陥り、首相暗殺犯とされた青年が人との信頼だけを武器に逃げまくる話。
仙台に住む青柳雅春(堺雅人)は、以前、宅配業者の仕事をしていて、偶然に人気アイドル(貫地谷しほり)が襲われたのを助けました。ニュースによって顔が一般にも比較的知られる存在。学生時代の友人森田(吉岡秀隆)に久しぶりに呼び出され、首相の地元への凱旋パレードが行われる道路の脇道に停めた車の中で薬で眠らされてしまいます。
目を覚ますと、パレード中の首相がラジコンヘリによって爆殺されるのです。森田は「お前はオズワルドにされる。とにかく逃げろ」というのです。すぐさま近づいてきた警官がいきなり発砲し、青柳が車から転がり出た途端に車は爆発しました。
大学時代の仲間の一人、小野(劇団ひとり)のところに行くと、そこへの警察がやって来て、小野は暴行されます。青柳を連れ出した警視庁の佐々木(香川照之)はいくらでも証拠はあるから自首のチャンスをやると言いますが、ちょうどそのころ市内を賑わせていた通り魔のキルオ(濱田岳)に助けられます。
もう一人の大学時代の仲間で、一時は恋人同士だった樋口晴子(竹内結子)はニュースで事件を知りますが、訪ねてきた警察の様子も腑に落ちない。キルオは整形して青柳に似せた人物が、いろいろな防犯カメラにわざと映るようにしていたことから、その人物を突き止めますが相討ちになり絶命してしまいます。
たまたま知り合った入院患者の保土ヶ谷(柄本明)と晴子のお膳立てで、テレビ生中継をしている場所で投降することにしますが、中継は警察によって妨害され、たくさんの狙撃手が一斉に青柳に照準を合わせるのでした。
オズワルドは、ケネディ大統領暗殺犯のこと。周到な計画によって犯人に仕立て上げられた可能性は今でも議論になっています。青柳も、犯人として権力者の罠にはめられたのです。
はっきりしているのは、この陰謀を仕掛けた犯人を探し出すことがこの映画の目的ではありません。ある意味、青柳の敗北で映画は終了しますが、これは少しのコメディ・タッチの交えて、青春時代の思い出をたどりつつ、人を信頼することを大切さを描くことが主眼にある逃亡劇ということ。
また映画の中で繰り返し出てくるワードに「イメージ」というのがあります。青柳という人物はアイドルを助けた人物のイメージとして市民に定着している。警察が犯人だと発表すると、すべてのメディアは悪者のイメージのもとに報道をする。一見、唐突に登場する通り魔のキルオも、実物とだいぶ違う悪そうなイメージの人相書きが出回っていたりします。
一度作られたイメージからは、人はなかなか抜け出せないものなので、悪用されればどんどん深みにはまりますが、以前からその人となりを知る者とはしっかりとした信頼関係で結ばれる・・・いや、結ばれていたものですよね。
2023年5月30日火曜日
戦国自衛隊1549 (2005)
太陽のフレアの影響を避けるための人口磁場シールド実験中に、シールド内にいた的場(鹿賀丈史)が率いる中隊が忽然と消えてしまいました。そして、72時間後に同じ場所に一人の戦国武者、七兵衛(北村一輝)が出現します。
実験の責任者だった神崎(鈴木京香)は、中隊が時空の歪みによってタイムスリップし、その揺れ戻しが起こったものと推察。その後各地に「虚数空間」と呼ぶ様々なものを吸い込んでしまうホールが出現、次第に大きくなることで現代が消滅する危機が迫って来ます。
これは的場らが積極的に歴史の改変を行っていることが原因と考えられたため、再び太陽フレア活動が活発化した2年後、森(生瀬勝久)が指揮するロメオ隊が、的場らの救出とホールの拡大を食い止めるために1549年にタイム・スリップするのでした。ロメオ隊には神崎の他に、かつて的場の部下で彼をよく知る鹿島(江口洋介)も参加していました。彼らはミッションを完了して、到着した場所に72時間以内に戻らなければなりません。
的場は戦国時代では織田信長を名乗り、美濃の蝮こと斎藤道三(伊武雅刀)を味方につけ、富士山の南西、天母山に築城し天導衆という武装集団を率いていました。この時代の人間を殺傷することを禁じられているロメオ隊は、なすすべなく天導衆に捕らえられてしまいます。
的場は、富士山ごと壊滅できる強力な爆弾を準備し、一から国を作り替えようとしていたのです。しかし、ロメオ隊と一緒に戻った七兵衛、ロメオ隊が助けた少年、藤介(中尾明慶)らが、実は狂いだした時間軸を自然と元に戻そうとする鍵となる人物でした。
最も異なるのは、今回は自衛隊が全面協力した点です。場所も東富士演習場が使われ、登場する車両などは本物です。ただし使用できる期限が限られていたため、悪天候でも撮影が強行され、それはそれで映画の要素としてうまく機能しているように思います。
さらに前作と違い、今回はタイム・スリップする原理らしきものは一応設定されています。また、タイム・パラドックスも考慮され、先にスリップした的場ら以外には実弾を使用しないなど、ある程度科学的な拠り所を用意しています。また、CGを取り入れ全体的に派手な画面となりました。
しかし、理論的な正当性を出そうとすると、逆に細かいところが気になってしまいます。所詮、リアリティは度外視した話なので、もう少しエンターテイメントに徹しても良かったように思いました。
ちなみに、斎藤道三の娘で信長に嫁ぐ濃姫を演じるのは、まだ初々しい綾瀬はるかで、近作「レジェンド&バタフライ」の濃姫役は18年ぶりでした。
2023年5月29日月曜日
戦国自衛隊 (1979)
とりわけ、軍隊が丸ごと過去に戻ってしまうという大かがりな話題作も忘れられません。アメリカでは原子力空母が真珠湾攻撃の前日にタイム・スリップするカーク・ダグラス主演の「ファイナル・カウントダウン(1980)」が有名でしょう。
日本では、さらにもっと昔、戦国時代に自衛隊がタイム・スリップしてしまうというのが、半村良原作のこの映画。5本目の角川映画で、監督は、70~80年代の多くの人気テレビ・ドラマに携わった斎藤光正、脚本は鎌田敏夫、主演した千葉真一がアクション全体を統括して、当時としては俳優自ら危険なスタントをたくさんこなしたことでも有名です。
自衛隊の協力は取り付けられなかったため、すべての車両、武器、ユニフォームなどはレプリカであったり、アメリカ軍のものを流用したりしていますが、もともとフィクションですから、そこらをあまりとやかく言うのは野暮というものかもしれません。
演習中の自衛隊の1個中隊が、突然タイム・スリップしてしまいます。到着した途端に戦国武士の軍勢に攻撃され、彼らは否応なしに自分たちが戦国時代にいることを知るのです。トップの伊庭(千葉真一)は、やって来た長尾景虎、後の上杉謙信(夏木勲)に味方になるように勧められます。
自衛官の中には、精神的に病んでいく者、村で知り合った娘と逃げ出す者、さらには山賊化して村々を襲う者などが出てくるのです。景虎から「戦国の世で生きろ」と言われた伊庭は、共に天下を取る気持ちに傾き、京都に向かい川中島で武田信玄と対峙します。
近代兵器があっても、人海戦術と機転に勝る武田軍に苦しめられ、何とか信玄を倒すものの多くの犠牲を払い、やっとのことで京都の荒れ寺までたどり着きます。しかし、先に京に入った景虎は、御所に呼び出され大きな決断を迫られていたのでした。
一般にタイムスリップ物で過去に飛んでしまった場合、過去のいかなることにも介入してしまうことは未来を変えてしまうと考えられていて、人々と関わることなどご法度とされています。このあたりは「タイムパラドックス」というキーワードでいくらでも興味深い話が見つかります。
この映画では、伊庭が積極的にその時代に入り込んでしまうので、タイムパラドックスの問題は、ほぼ考えないで見るしかありませんが、単なるアクション映画、あるいは戦争映画として見るには相当頭の中で意識を改変していかないとついていけなくなりそうです。
2023年5月28日日曜日
真夏のオリオン (2009)
監督は「月とキャベツ」、「地下鉄に乗って」などの話題作の篠原哲雄。脚本は福井晴敏です。平成ガメラ・シリーズに携わった松本肇が特撮監督をしていて、4年前の「ローレライ」よりもはるかにリアルなCGを駆使しています。
イ-77潜水艦で出撃した倉本(玉木宏)は、航海長の中津(吹越満)、水雷長の田村(益岡徹)、機関長の桑田(吉田栄作)ら、信頼できる部下や、新任の軍医長の坪田(平岡祐太)、人間魚雷回天の搭乗員と共にアメリカ軍輸送船を効果的に打撃を与えていました。回天搭乗員は度々出撃を進言するのですが、倉本はその都度「もったいない」と言うだけで取り合いません。
しかし、しかし防衛線を作っていた僚艦3隻からの音信が途絶え、その中には倉本の親友、有沢(堂珍嘉邦)が艦長を務めるイ-81もいました。倉本は日本軍潜水艦を仕留めたアメリカの駆逐艦パーシバルとの戦いに挑むことになります。
パーシバルのスチュワート艦長は、弟が回天の攻撃で戦死したため、誇り高いはずの日本海軍が特攻兵器を使うことに感情的に許すことができず、イ-77を仕留める強い決意を持っていました。
パーシバルの爆雷攻撃で、深海で身動きができないイ-77でしたが、酸素が尽きようとしても、回天に搭載されていた圧縮酸素を転用して潜航を続けます。一進一退の攻防の末、ついにタンクを破損したイ-77は、耐圧深度を超える海底に着床してしまいます。
残る魚雷は1本のみ。一度浮上したら、二度と潜航できない状況の中、イ-77はついに最後の勝負に挑むのでした。
映画では、倉本艦長の孫、倉本いずみが戦いの最中にスチュワート艦長が拾い上げた祖母、有沢志津子が書いた楽譜の由来を知るために、イ-77の生還した乗組員(鈴木穂積)を訪ねる現代のプロローグから始まり、鈴木の回想として本編が始まる形になっています。
志津子の書いた「オリオン」という曲の楽譜には、「真夏のオリオンが目標となって無事に帰還して欲しい」という願いが込められた詩が添えられていて、倉本にお守りとして渡されていたもので、映画のタイトルの由来になっています。
いずみ役は名が知られるようになったばかりの北川景子で、祖母の倉本志津子(戦死した有沢の妹)と二役を演じます。かなり薄めのメイクで、すっぴんに近い北川景子が見れるというのもちょっと嬉しいかもしれません。
潜水艦対駆逐艦という構図は、すでに駆逐艦側が主役の「眼下の敵(1957)」という名作映画がありますので、多少二番煎じ的な所はありますが、潜水艦側に視点を持ってきたことで新鮮味があり、なかなか緊迫したリアルな映像表現が出来ているように思いました。
ただ、敵同士、正々堂々と戦うみたいな武士道というか騎士道みたいなところが、ちょっと甘い。現実の戦いの中で、簡単に相手を信じるみたいな成り行きには、かなり意図的なドラマ性を感じてしまいます。さぁ泣け、と言わんばかりのいずみが登場するプロローグとエピローグについては賛否両論があるかもしれません。
とは言え、今風の玉木宏の髪型を除けば、戦争フィクションの映画としては、なかなか良く出来たものだと思います。
2023年5月27日土曜日
ローレライ (2005)
こちらは時代設定以外は完全なフィクション。監督は平成「ガメラ」の特撮をはじめとして、「シン・ゴジラ」、「シン・ウルトラマン」、「進撃の巨人」などの監督をした人。制作は亀山千広、庵野秀明、押井守、他現代のアニメ映画で活躍する多くの人材が協力しました(富野由悠季は出演までしてます)。
広島に原爆が投下され、敗戦が濃厚になった時、海軍大佐、朝倉(堤真一)は、絹見少佐(役所広司)を呼び出し、ドイツから譲られた潜水艦「伊五〇七」で第二の原爆投下を阻止するために独断で出航させます。
副長は信頼する木崎(柳葉敏郎)でしたが、急場で不足する乗員の中、絹見の知らないところで特攻兵器である回天の操縦士、折笠(妻夫木聡)、清水(佐藤隆太)らも乗船していました。艦には驚異的な索敵能力を持った新兵器ローレライが搭載され、その秘密を知る朝倉直属の軍属技師、高須(石黒その賢)も乗船していました。
回天操縦士が乗り込んでいたのは本線から離れてローレライの目の役割をするためでした。アメリカ軍駆逐艦に遭遇した伊五〇七は、ローレライを起動し正確な攻撃で敵に大打撃を与えることに成功します。折笠は、そこでローレライの中枢がドイツ軍の生体実験により感覚増幅能力を持った少女、パウラ(香椎由宇)であることに驚きます。ローレライの使用はパウラに、多大な精神的負荷をかけるものでした。
しかし、長崎への第二の原爆投下が行われたところで、高須らが謀反を起こします。朝倉はローレライをアメリカに引き渡し、日本軍の高官たちを排除することが目的でした。しかし、折笠が活躍で何とか制圧します。
さらなる第三の原爆が東京に落とされることを知った絹見は、搭載機の出発する島の飛行場の破壊を目指してさらに前進するのです。
この映画の評価は、ほぼアニメと言って良い荒唐無稽な戦争アクションを是とするか、あくまでもリアリティにこだわって非とするかで分かれます。潜水艦との戦い、駆逐艦と戦い、飛行機を対空砲で仕留めたりとやりたい放題ですが、邦画としては初期のCGが大活躍で、それなりに迫力があって見所になっています。
潜水艦を舞台にしたリアリティ重視の映画なら「Uボート(1981)」という名作があり、それから四半世紀立っている今作でも到底越えられるものではありません。基本的に史実の時系列だけは参考にしても、内容はまったくのフィクションですから、どのちみリアリティを求める方が無粋というものかと思います。そもそも秘密兵器が少女の超能力ですからね。
そういう意味でも、第二次世界大戦末期の雰囲気だけ使ったアニメ風SF架空戦記アクションと思えば、なかなか良く出来ている。それも、結局のところはさすがの名優たちの演技によるものが大きいようです。本当に役所広司は何をやっても様になるのは素晴らしいし、柳葉、石黒、國村隼、小野武彦、鶴見慎吾、伊武雅刀らの脇役がしっかりしている。
ちなみに、無線で絹見に反乱を断られた朝倉がいう「残念だよ」は、後の「SP野望編」の最期の台詞と同じ感じなので、ちょっと愉快になってしまいました。
2023年5月26日金曜日
亡国のイージス (2005)
イージス・システムはアメリカが開発した防空戦闘システムのことで、これを搭載した戦艦はイージス艦と呼ばれます。レーダーからミサイル発射までをコンピュータ制御して、目標の識別・判断・攻撃の流れが格段と迅速に行われるらしい。
原作は長大で、文庫でも500ページ以上ありますから、当然映画化に当たっては相当はしょれるところをはしょり、テーマを絞り込まないと収まるわけがない。
訓練航海に出発したイージス艦、いそかぜ。しかし、出航してすぐさま艦内に不穏な動きがあり、艦を熟知する先任伍長、仙谷(真田広之)は、副長の宮部(寺尾聡)から新人の如月(勝地涼)が亡国の工作員ヨンファ(中井貴一)の協力者で艦を爆破しようとしていると教えられます。
如月が機関室に籠って爆弾を仕掛けてたところに、仙谷は如月の知らないハッチから侵入し格闘になりますが、如月は防衛庁情報局(DAIS)の指令によって、ヨンファが持ち込んだ強力な化学兵器GUSOHを使わせないために動いていると話します。
仙谷が如月を確保した途端に、海上訓練指導隊として乗り込んでいたメンバーがなだれ込み二人とも拘束され、仙谷は如月の言うことが正しいことを確信したのです。
副長以下、幹部士官(吉田栄作、豊原功補、谷原章介など)は全員、危機意識のあまりにない日本国に幻滅し、ヨンファに協力しいそかぜを東京湾に進めて東京都各所に化学兵器を搭載したミサイルの照準を合わせ、政府が隠蔽してきた様々な危機を公表することを目的としていました。
政府は内閣総理大臣、梶本(原田芳雄)以下閣僚、防衛庁幹部が招集され、DAISの本部長、渥美(佐藤浩市)らが必死に情報収集にあたります。宮部の命令により、仙谷を含めた一般自衛官は退艦させられますが、仙谷は一人ひそかに艦に戻り孤独な闘いが始まりました。
・・・と、まあ、そんな感じのストーリーなんですが、自衛隊が全面協力して、本物のイージス艦で撮影が行われたそうで、なかなかリアリティがあるはずなんですが、実際のところせっかくのイージス艦なのに、全体が写るようなアングルはなく、ほとんどセットでいいんじゃないかという感じが寂しい。
艦内での仙谷・如月対亡国工作員という肉弾戦のアクションが中心なのでしょうがないと言えばそれまでですが、僚艦を先制攻撃で撃沈させてしまうような本来派手な場面も、レーダー上でシグナルが消えるだけという見せ方なので、何ともお粗末な印象です。
原作ではヨンファの義理の妹で強い絆で結ばれたジェンヒが、映画にも登場するのですが、あまりに唐突な登場で何故いるのか意味不明というところ。原作をかなり省略しているようなので、いなくてもいいように思いました。
宮部と下士官たちも、これだけのことをするならそれなりの覚悟があるだろうに、妙に自衛隊員の死者が出ることにびびっているのも情けない。誰も死なずに国を変えられるとか、本気で考えていたのでしょうか。
まぁ、そんなもやもやはありますが、冷徹な中井貴一、人間愛に溢れる真田広之、仙谷の人柄にしだいに引き込まれる勝地涼らの演技がなかなか素晴らしいので、何とか最後まで見続けることができます。
監督は阪本順治で、代表作は「大鹿村騒動記」、「北のカナリア」などがあります。国家として存在意義を失いつつある日本は、守る価値があるのだろうかというかなり硬派なテーマが根底にあるのですが、国に絶望した人たちの起こしたアクション映画以上にはなっていないようです。
2023年5月25日木曜日
2023年5月24日水曜日
アジアンビストロDai @ あざみ野
あざみ野駅から数分のところにあるお店で、実に2009年にクリニックの飲み会をやって以来、ランチをしに入りました。
南国風料理の店で、どっちかと言うと南太平洋よりのイメージだったのですが、まったくいつからかはわかりませんけど、東南アジア料理の店になっていました。この界隈ではMonsoon Cafeというのがありましたが、コロナ渦で(?)閉店してしまったので、もしかしたらDaiは、タイ料理を食べれる数少ない店かもしれません。
ランチ・コースは基本¥1,900ですが、なかなかボリュームたっぷりで食べ応えがありました。
食前ドリンク & サラダに続いて出てきた最初のプレートが前菜5種盛り合わせというもの。生春巻き、四川風よだれ鶏、トムヤンクン、海老トースト、揚げ春巻きが並んでいますが、どれも美味しい。ソースはナンプラー、チリソース、トリュフを基にしたものが付きます。
もうこれだけでも、けっこうお腹が満たされます。
続いてメイン・プレートは、いろいろ選べるのですが、今回はガパオ炒めご飯 & グリーンカレーです。さらにデザートと食後ドリンクに出てくるので、いやいやかなりの量でした。
味付けは・・・全体に甘い。おそらく若い女性などをターゲットにしているのか、かなり食べやすい味付け。もう少しピリっとした味を想像していると、ややガッカリするかもしれませんが、まぁ雰囲気はしっかり出ていますのでこれはこれでありというところ。
海老トーストはけっこういけます。単品で注文できるので、飲み会ならマストかもしれません。昔あったサワー・クリーム添えのフライド・ポテトが無くなって、ただの普通のポテトになっていたのはがっかりでした。
2023年5月23日火曜日
いちど死んでみた (2020)
監督は浜崎慎治という人。CM中心に仕事をした来た人で、auの「三太郎シリーズ」などを担当していて、映画はこれが最初。
化学者であり製薬会社社長の父親、野畑計(堤真一)は、研究に没頭するあまり妻の死に目に会えず、娘の七瀬(広瀬すず)はそんな父親にし反発し、仲間とヘヴィメタル・バンドを結成し「父親なんて死ね死ね」を叫びまくる毎日。
計の会社では若返りの「ロミオ」と呼ぶ薬と、2日間だけ死ねる「ジュリエット」を開発していました。「ロミオ」を狙うライバル会社からスパイとして送り込まれた渡部(小澤征悦)は、計を丸め込み「ジュリエット」を飲ませてしまいます。
渡部は、生き帰る前にさっさと火葬にしてしまおうとやっきになる。日頃から「死ね」と叫んでいた七瀬もさすがにびっくりしますが、計と渡部のやり取りを知った存在感の薄い計の秘書、松岡(吉沢亮)から事情を教えられます。
七瀬と松岡は、火葬の時間を遅らせ、渡部の悪事を何とか留まらせようと四苦八苦するのでした。計は無事に生き返ることができるでしょうか。
亡くなった計の妻は木村多江、三途の川の案内人がリリー・フランキー、「ジュリエット」を開発した研究員は松田翔太。特に松田翔太は藤井という役名で、計から「じいさん」と呼ばれてしまうのが、最後の最期で効いてくる仕掛けになっているのはうける。
他にもチョイ役ででんでん、原日出子、城田優、加藤諒、佐藤健、池田エライザ、古田新太、大友康平、竹中直人、妻夫木聡、西野七瀬、志尊淳、さらには野口聡一さんまで登場するので、なかなか画面から目を離せません。
もう、どうのこうの言ってもしょうがない映画。ひたすら、くだらないシチュエーションに疑問を挟まず楽しむ映画。監督もCMという短い時間で盛り上げることを得意とする人ですから、1時間半の間ほとんどだれる感じはありません。出演者たちも、おそらく出番を楽しんだことでしょう。
2023年5月22日月曜日
イン・ザ・ヒーロー (2014)
主役の本城渉を演じるのは、自らキャリアの初期にスーツ・アクターをしていた唐沢寿明です。ブルース・リーに憧れて16歳で東映アクションクラブに入り、「仮面ライダー」シリーズの敵役などをしていたのは有名な話。しかし、このままでは俳優として成長できないと口にしたことで辞めさせられました。
同じような立場で、当初アクション・スタントをバカにし、撮影スタッフに対しても敬意をもたない若手イケメン俳優、一ノ瀬リョウを福士蒼汰が演じています。唐沢もおそらく昔の自分を思い出すようなところもあったでしょうから、相当この映画に対しては思い入れがありそうです。
戦隊物のスーツ・アクターをしている本城は、下落合ヒーローアクションクラブのリーダーで、いつかは顔を出して自分の名前がクレジットされる映画に出ることが夢でした。ハリウッド映画に出れるかもという話は、売り出し中の一ノ瀬に決まってしまいます。
アクションを覚えなければならない一ノ瀬は本城のもとを訪れますが、初めはクラブのメンバーと対立し、無理をしてケガまでさせてしまいます。本城は「アクションは斬るだけでなく斬られる側がいて成り立つ。映画も多くの裏方がいてできるもの」と説きます。
ハリウッド映画の主役俳優が、クライマックスの立ち回りがあまりに危険すぎるという理由で降板してしまい、困ったプロデューサーはついに本城に出演をオファー。本城はいろいろな想いを背負って引き受けるのでした。
おそらく40代くらいまでの人は戦隊物を、それ以上の人はウルトラ・シリーズの怪獣とかでスーツ・アクターに馴染んできました。ウルトラマンを演じた人が、ウルトラセブンではウルトラ警備隊で顔出したという話は当時から有名でした。
顔が画面に出ず、名前もクレジットされない影の俳優さんはたくさんいて、時代劇での斬られ役の人たちも同じようなもの。彼らがうまく斬られてくれないと主役が引き立たないわけですから、このような存在が物凄く大事というものです。
クラブのメンバーは、黒谷友香、寺島進など。本城の元妻は和久井映見、娘は杉下花。特別出演の松方弘樹が、最後に本城の一世一代のアクションに斬られ役の中にいて、「今度は俺が斬られるよ」というのは泣かせる話です。
映画好きの方、戦隊物が好きな方、夢を追いかけるロマン好きな方・・・など、気負わず楽しめる良作となっています。
2023年5月21日日曜日
家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 (2018)
監督は李闘士男(り としお)という人で、基本的にはバラエティやドラマ中心のテレビ業界の方で、脚本の坪田文もテレビ・ドラマやアニメの仕事が中心のようです。
そもそも、この一風変わったタイトルは、2010年に「Yahoo!知恵袋」に投稿されたkkajunskyさんから質問そのもの。あまりに奇抜な質問なので、ネット上で知る人ぞ知る有名なネタになりました。特に「ほぼ日P」さんがこの話を楽曲に仕上げニコニコ動画にアップしたことで知名度がさらにアップし、コミックまで登場。そして今回の映画化というアゲアゲの展開をしました。
話の基本はタイトルそのままですが、映画ですから、膨らませて起承転結をつけて不思議な妻の行動に一定の回答を提供しています。
×イチの加賀美じゅん(安田顕)は、ちえ(榮倉奈々)と結婚して3年目を迎えます。結婚する時に、3年経ったら結婚生活を継続するか一度話し合うという約束をしていました。で、じゅんが「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」状態に突入するわけです。
最初は口からケチャップを垂れ流し「死んでいる妻」を見てあわてふためくじゅんでしたが、ちえはネタばらしの後普通に夕食を用意するのでした。翌日は大きなワニの模型の口に頭を挟まれて死んでいる。頭に矢が刺さっていたり、射殺された兵士だったりと、ちえの死んだふりはどんどんエスカレートするのです。
じゅんは仕事仲間の佐野壮馬(大谷亮平)に相談してみますが、もちろんまともな答えはわからないまま。佐野の妻、由美子(野々すみ花)はちえとも仲良くなりますが、「結婚生活の壁」みたいなものを感じていました。
中盤以降は、この二組の夫婦の絡みに、ちえのバイト先のクリーニング店の妻に先立たれた老店主(品川徹)、そしてちえを男手ひとつで育てた父親(螢雪次朗)の話が加わってきます。
基本的には、そこそこ笑えるほのぼのとしたエピソードの積み重ねの中に「夫婦って何だろう」という根源的なテーマを探っているような感じに仕上がっていますが、本当の正解はわからないし、それぞれの夫婦で答えは違うものだろうと思います。
映画でも、妻の奇行のそもそものきっかけみたいなところは説明されますが、死んだふりをする本当のところ理由はよくわからないままです。まあ、それでいいのかもしれません。
ちょっと気になったのは、最初はテンポよくコメディ調だったのが、後半でテーマが重くなってコメディ部分が減って間延びした印象があるところ。どうせ正解がはっきりしないのですから、夫のリアクションもいろいろエスカレートさせ、テンポを上げてドタバタさせても良かったかも。
まぁ、可愛らしい榮倉奈々の様々なコスプレを楽しめばいいだけなのかもしれませんけどね。