2026年6月26日金曜日
茅ケ崎杉山神社 @ 都筑区茅ヶ崎中央
センター南の都筑中央公園の東端の敷地に鎮座する、というよりは神社の周辺の丘と森を公園にしたという方が正しいのかもしれません。
自分もクリニックの最寄りの神社として何度か参拝に訪れている場所です。区役所通りからは、急な階段を上っていくことになりますが、公園側には緩やかな坂道があります。
とにかく杉山神社については不明なことが多すぎて、ここの御祭神についても混乱があります。
神社本庁のホームページだと天照大神(あまてらすおおみかみ)だけが御祭神として紹介されています。
でも、神社にある案内によると、主祭神は五十猛命(いそたけるのみこと)であり、神明社の天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、天王社の素戔嗚命(すさのうのみこと)、稲荷社の稲倉魂命(いなくらみたまのみこと)を合祀しているとされています。
杉山神社が初めて歴史に登場するのは、平安時代の「続日本書紀」で「武蔵国都築郡の枌山神社」の記載があります。そして、10世紀はじめに作られた全国の神社リスト、「延喜式」に現横浜市内としては唯一記載されたのが「武蔵国都筑郡 杉山神社」で、いわゆる式内社として有力な神社であったことは間違いありません。
しかし、式内社となったのが数多くある杉山神社の中のどれなのかは確定した資料がありません。また各杉山神社で御祭神も一定していないのですが、基本的な御祭神はいずれも五十猛命か日本武尊((やまとたけるのみこと)であり、それ以外は後に合祀されたものと考えられます。
現存する44社の杉山神社のうち、横浜市内では港北区に5社、都筑区に6社、緑区に6社、青葉区に4社あり、旧都筑郡だけで半数近くをしめています。
横浜市の海側にあと14社が散在し、あとは川崎市に3社、町田市・稲城市で6社です。多摩川を超えて東京側にはありません。そのため、鶴見川を中心に海側から山側へ開拓が進んだ中で増えていったと考えられています。
文化文政期に編纂された新編武蔵風土記稿には73社の杉山神社が記載されていて、その中で茅ケ崎村のものが式内社として記載されたものではないかと推測されていますが、中川、新吉田、末長が本社だという説もあり確定はしていません。
不思議なことが多い神社ですが、横浜市北部を生活圏にしていると必ず目にするので、ちょっとでも気にしておいて悪いことはありません。
都筑区内ではもう一つ大熊町にあるんですが、まだ行けていないので、Google Mapのストリート・ビューでチラ見せしておきます。
2026年6月25日木曜日
中川杉山神社 @ 都筑区中川
港北ニュータウンの大塚の交差点で、minamoのはす向かい、少し奥に入った場所にある神社です。比較的大きい神社で、独自のホームページも展開しているので、管理がしっかりしている感じがします。とは言え、常駐する神職はいません。
御祭神は、五十猛命(いたけるのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)の2柱ですが、配神(サブみたいな立ち位置て祀る神)として、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉弸尊(いざなみのみこと)を祀っています。
また、神明社から 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、吾妻神社から橘姫尊(たちばなひめのみこと)、八幡社から応神天皇(おうじんてんのう)を合祀していて、「いけいけどんどん」という感じもあったりします。
もともとここにあったわけではなく、明治、大正期に引っ越し、さらに平成になって港北ニュータウン開発事業の一環で今の場所に移ってきました。もともとあった大棚の地名を含めて大棚中川杉山神社とも呼ばれます。
都筑区だけでなく、横浜市北部の旧都筑郡には杉山神社と呼ばれる神社は大変多い。しかし、その発祥のおおもとはわかっていません。大棚杉山神社はその候補の一つと考えられています。
2026年6月24日水曜日
The Original Mono Recordings (2010)
若い方は、音楽は2チャンネルのステレオ、左右のスピーカーから音が立体的に聞こえてくるのが当たり前だと思うでしょうし、サラウンド・システムで360゚全方向から聞こえるのもまったく不思議なことではないと思います。
そもそも音を記録するというのは、1857年、フランス人のマルタンヴィルによって発明された「フォノトグラフ」が最初。実用化したのは1877年、かの有名なトーマス・エジソンによってで、19世紀終わりにはいろいろな記録媒体として普及し始めます。演奏会場に出かけてその場限りの楽しみであった音楽も、家庭で繰り返し楽しめるようになるわけです。
音の振動を細い溝に刻んだレコード盤が開発されたことで、音楽はより身近に物になっていくわけですが、日本でレコードが普及するのは戦後の事。1960年代には、たいてい家庭に一台はレコード・プレイヤーがあったものですが、自分が知っている大きさは厚さ10cm、20~30cm四方の箱型のもので、直径30cmのLPレコードは枠からはみ出します。
ポリ塩化ビニール製の円盤は直径17cmのEP盤と30cmのLP盤がありましたが、EP(Extended Play)は回転数は1分間に45回で最大で片面に8分、主としてシングル盤用で中央にある穴が大きかったのでドーナッツ盤とも言われていました。LP(Long Play)は回転数は1分間に33.3回で最大で片面に30分程度が収録できますが、最善の音質を考慮して片面20分、両面で40分くらいが標準となっていました。
2chのステレオは、1881年に実験的に始まっていましたが、実用化されたのは1930年代のこと。1940年のディズニーの「ファンタジア」は、映画館で初めて一般向けにステレオ音響が提供された映画として有名です。
最初のステレオ・レコードは左右のチャンネルを別々の溝で再生するため、振動を拾うためのピックアップは2個、アンプも2個、そして当然スピーカーも2個必要としました。1950年代になって、各社がさまざまな実験と開発を行い、実用的なステレオ・レコードが市場に出始めたのは1958年のことだと思います。
60年代には過去のモノラル音源を高音と低音などに分割した疑似ステレオ・レコードが盛んに作られたりしました。さらに70年代になると、音像の位相を変えることで、さらに立体的に聞こえる4chステレオが登場しましたが、これは今のサラウンドほどの効果はなくあまり普及はしませんでした。
レコード・プレイヤーの内臓のスピーカーは当然1つですから、聞こえる音はモノラルが当たり前。家庭にステレオ再生装置(当初はHi-Fi装置と呼ばれてとても高価でした)が普及してきた70年代のことで、60年代のレコード会社はしばしばモノラル用のレコードとステレオ用のレコードを別々に作って販売していたのです。
例えば、右から左にドラム、ベース、ギター、ピアノと並んでいる場合、ステレオではそれぞれの楽器の音をとらえやすいのですが、そのまま単純にモノラルで聞くと音が混ざって解像度が下がってしまいます。従って、モノラル・レコードでは、ステレオの場合とは別のマスタリングが必要になります。
この時期、自分も含めて大多数の人々はモノラルで音楽を聴いていたわけで、21世紀になってそういった年代の人々をターゲットとしたモノラル盤の再発売が行われるようになりました。2009年のビートルズの「mono box」はこれらの先駆けとして有名ですが、すぐさまSony Music Entertainmentも、旧コロンビア・レコード(CBS)からボブ・ディランの初期音源のモノラル・ミックスのCDボックスを発売していたのです(やっとここから本題)。
実際のところ、当時のプロデューサーとディランは、一般のニーズが高いモノラルでのマスタリングに多くの時間を費やしていて、ステレオでのマスタリングはついでのオマケのように考えて作業をしていたそうです。つまり、本当に聞いてほしかった音はモノラル盤にあるということ。いやいや、そんなに違わないだろうと思うかもしれませんが、各楽器の音の聞こえ方が違うと、同じ録音でも随分と違った印象を持つものです。
2010年に数量限定で発売されたのは、モノラル盤が発売されていた「John Wesley Harding」までの最初の8つのアルバムをまとめたボックスで、CDの他にもアナログのLPレコード盤、選りすぐりのモノラルベストCDも用意されました。こだわる方の究極の選択はアナログですが、通常はCDがおすすめ。
CD化再発売に際して、基本的にはオリジナルの第一世代マスターテープが用いられましたが、マスターテープを失った「The Times They Are A-Changin'」と「Highway 61 Revisited」については新たなマスタリングが行われました。また、形態も発売時の紙ジャケットを採用しただけでなく、日本盤は当時の帯なども復刻するという念の入りようでした。
デヴュー・アルバムの「Bob Dylan」は、ディランの唄とギター、ハーモニカ演奏のみというシンプルなものですが、さすがにほとんどが短時間の一発録りでステレオ盤でもそれほど凝ったミキシングは行われいません。しかし、次の「The Freewheelin'」からは、同じディラン一人の演奏ですが、ステレオ盤ではギターの残響を左右に振り分けて立体感を出していました。
3作目「Times They Are A-Changin'」と4作目「Another Side of Bob Dylan」までがフォーク期ということで、モノラルとステレオで大きな差は感じにくいのですが、最大のポイントは、ステレオ盤が少し離れて聴いているのに対してモノラル盤はすぐ目の前でディランが歌っているように感じるところです。また全体的に低温が強めで、音の塊感が強めの印象です。
4作目以降はバンドが入り、演奏者・楽器が増えるので、もっとわかりやすい。ステレオは左右に分かれたれぞれの楽器の解像度は良好ですが、しばしばディランがその中に埋もれてしまう感じ。モノラルの方がディランのボーカルがメインに立つので、にぎやかな曲ほど聴き取りやすくなります。
これらの差異は些細なことだと言ってしまえばそれまでですが、時には曲の印象も左右する場合があり、マニア向けの音源ではありますが、ステレオ・ミックスがついでの後付けだったこの時代の音楽では捨てがたい魅力があるということです。ディランについは、CD1枚のベスト盤だけでも聴くことを強くお勧めします。
Data : Refer to each album.
☆☆☆☆☆☆☆☆・・
そもそも音を記録するというのは、1857年、フランス人のマルタンヴィルによって発明された「フォノトグラフ」が最初。実用化したのは1877年、かの有名なトーマス・エジソンによってで、19世紀終わりにはいろいろな記録媒体として普及し始めます。演奏会場に出かけてその場限りの楽しみであった音楽も、家庭で繰り返し楽しめるようになるわけです。
音の振動を細い溝に刻んだレコード盤が開発されたことで、音楽はより身近に物になっていくわけですが、日本でレコードが普及するのは戦後の事。1960年代には、たいてい家庭に一台はレコード・プレイヤーがあったものですが、自分が知っている大きさは厚さ10cm、20~30cm四方の箱型のもので、直径30cmのLPレコードは枠からはみ出します。
ポリ塩化ビニール製の円盤は直径17cmのEP盤と30cmのLP盤がありましたが、EP(Extended Play)は回転数は1分間に45回で最大で片面に8分、主としてシングル盤用で中央にある穴が大きかったのでドーナッツ盤とも言われていました。LP(Long Play)は回転数は1分間に33.3回で最大で片面に30分程度が収録できますが、最善の音質を考慮して片面20分、両面で40分くらいが標準となっていました。
2chのステレオは、1881年に実験的に始まっていましたが、実用化されたのは1930年代のこと。1940年のディズニーの「ファンタジア」は、映画館で初めて一般向けにステレオ音響が提供された映画として有名です。
最初のステレオ・レコードは左右のチャンネルを別々の溝で再生するため、振動を拾うためのピックアップは2個、アンプも2個、そして当然スピーカーも2個必要としました。1950年代になって、各社がさまざまな実験と開発を行い、実用的なステレオ・レコードが市場に出始めたのは1958年のことだと思います。
60年代には過去のモノラル音源を高音と低音などに分割した疑似ステレオ・レコードが盛んに作られたりしました。さらに70年代になると、音像の位相を変えることで、さらに立体的に聞こえる4chステレオが登場しましたが、これは今のサラウンドほどの効果はなくあまり普及はしませんでした。
レコード・プレイヤーの内臓のスピーカーは当然1つですから、聞こえる音はモノラルが当たり前。家庭にステレオ再生装置(当初はHi-Fi装置と呼ばれてとても高価でした)が普及してきた70年代のことで、60年代のレコード会社はしばしばモノラル用のレコードとステレオ用のレコードを別々に作って販売していたのです。
例えば、右から左にドラム、ベース、ギター、ピアノと並んでいる場合、ステレオではそれぞれの楽器の音をとらえやすいのですが、そのまま単純にモノラルで聞くと音が混ざって解像度が下がってしまいます。従って、モノラル・レコードでは、ステレオの場合とは別のマスタリングが必要になります。
この時期、自分も含めて大多数の人々はモノラルで音楽を聴いていたわけで、21世紀になってそういった年代の人々をターゲットとしたモノラル盤の再発売が行われるようになりました。2009年のビートルズの「mono box」はこれらの先駆けとして有名ですが、すぐさまSony Music Entertainmentも、旧コロンビア・レコード(CBS)からボブ・ディランの初期音源のモノラル・ミックスのCDボックスを発売していたのです(やっとここから本題)。
実際のところ、当時のプロデューサーとディランは、一般のニーズが高いモノラルでのマスタリングに多くの時間を費やしていて、ステレオでのマスタリングはついでのオマケのように考えて作業をしていたそうです。つまり、本当に聞いてほしかった音はモノラル盤にあるということ。いやいや、そんなに違わないだろうと思うかもしれませんが、各楽器の音の聞こえ方が違うと、同じ録音でも随分と違った印象を持つものです。
2010年に数量限定で発売されたのは、モノラル盤が発売されていた「John Wesley Harding」までの最初の8つのアルバムをまとめたボックスで、CDの他にもアナログのLPレコード盤、選りすぐりのモノラルベストCDも用意されました。こだわる方の究極の選択はアナログですが、通常はCDがおすすめ。
CD化再発売に際して、基本的にはオリジナルの第一世代マスターテープが用いられましたが、マスターテープを失った「The Times They Are A-Changin'」と「Highway 61 Revisited」については新たなマスタリングが行われました。また、形態も発売時の紙ジャケットを採用しただけでなく、日本盤は当時の帯なども復刻するという念の入りようでした。
デヴュー・アルバムの「Bob Dylan」は、ディランの唄とギター、ハーモニカ演奏のみというシンプルなものですが、さすがにほとんどが短時間の一発録りでステレオ盤でもそれほど凝ったミキシングは行われいません。しかし、次の「The Freewheelin'」からは、同じディラン一人の演奏ですが、ステレオ盤ではギターの残響を左右に振り分けて立体感を出していました。
3作目「Times They Are A-Changin'」と4作目「Another Side of Bob Dylan」までがフォーク期ということで、モノラルとステレオで大きな差は感じにくいのですが、最大のポイントは、ステレオ盤が少し離れて聴いているのに対してモノラル盤はすぐ目の前でディランが歌っているように感じるところです。また全体的に低温が強めで、音の塊感が強めの印象です。
4作目以降はバンドが入り、演奏者・楽器が増えるので、もっとわかりやすい。ステレオは左右に分かれたれぞれの楽器の解像度は良好ですが、しばしばディランがその中に埋もれてしまう感じ。モノラルの方がディランのボーカルがメインに立つので、にぎやかな曲ほど聴き取りやすくなります。
これらの差異は些細なことだと言ってしまえばそれまでですが、時には曲の印象も左右する場合があり、マニア向けの音源ではありますが、ステレオ・ミックスがついでの後付けだったこの時代の音楽では捨てがたい魅力があるということです。ディランについは、CD1枚のベスト盤だけでも聴くことを強くお勧めします。
Data : Refer to each album.
☆☆☆☆☆☆☆☆・・
2026年6月23日火曜日
John Wesley Harding (1967)
デヴューして5年で、ボブ・ディランは従来のフォーク・ソングから脱皮して、ロック・ミュージックの開祖となりましたが、その根底にあったのはブルースが中心です。またその過程で、従来のフォーク・ファンからのバッシング、難解な歌詞から来るメディアからの質問に辟易し、ディランは謎の多い非常に気難しい男というイメージがつきまといました。
人気が高まるほど、人々は同じことを続ける期待と新しいことに挑戦する変革を求めるようになります。ディラン本人からすれば、その時々に一番やりたいことをやった結果というだけのことなのかもしれませんが、ここまでファンの思惑のはるか上を強行突破して進撃を続けてきたのがボブ・ディランという男だと思います。
1966年7月のバイク事故は、そんなディランに立ち止まって見る余裕を与えたという点で重要です。ファンやメディアの目が届かない田舎に籠って、気心の知れた仲間と気楽に音楽を楽しむ生活を続けたことで、こどもの時に夢中になった音楽などを思い出したのかもしれません。
1967年秋になると、新しいアルバム制作のために重い腰を上げるのですが、春からビッグ・ピンクで密かに行われていたHawksとの「地下室テープ」セッションで生まれた多くの新曲は著作権登録をしただけで封印し、別の新たに新曲を用意しました。
当時のポピュラー音楽界は、ドアーズ、ジェファーソン・エアプレインなどが台頭してきていてヒッピー文化から生まれた幻想的な音作りを看板としたサイケデリック・ロックの人気が高まっていました。
世間に漂うそんな雰囲気とはまったく関係なく我が道を行くのがディランらしいところで、10月17日の最初のスタジオ・セッションに集められたのは、ドラムのケネス・A・バトリー、ペダルスチールギターのピート・ドレイク、そして3作続けて登場するチャーリー・マッコイの3人だけ。しかも、マッコイは本職のギターではなくベースを担当しました。
驚いたことに演奏された新曲は、何とロックではなく、フォークとも言えない、いわゆるカントリー・ミュージックに寄せた内省的なものばかりでした。カントリー・ミュージックはアメリカ南部で始まった白人音楽の原点的なトラディショナルなもので、そこから派生したのがフォークというのが大雑把な理解として間違ってはいないと思います。ディラン自身も十代の頃にははまっていた時期があることを公言しています。
しばらくディランの動向が伝わっていなかったファンにとっては、12月27日に発売された久しぶりのアルバムということで期待したことだと思いますが、大いに肩透かしを食らった格好でした。しかし、シンブルな伴奏だけにボーカルが表に立ち、メロディの良さが際立つ曲が多いので、大変聞きやすいアルバムと言えると思います。
アルバムのトップはアルバムタイトルにもなった「John Wesley Harding」で、19世紀後半の実在した西部のならず者(正しくは「Hardin」)の名前で、貧しい者の味方で、女性を守り、なかなか捕まらなかったと持ち上げています。「All Along the Watchtower」は後々までライブの定番になりましたが、ジミ・ヘンドリックスがカバーしたことで有名になりました。内容は旧約聖書の一説を借りて、堕落した世界で道化師と盗人の二人が自分たちだけはまともに生きていこうと語り合うというもの。
ディランはアルバムの宣伝を極力しないように要請し、アルバムからシングルを出すことも拒否しました。翌年1月に10月3日に亡くなったウディ・ガスリーの追悼コンサートに久しぶりに姿を見せた以外は、公衆に身を晒すことのない生活を続けるのでした。
John Wesley Harding
As I Went Out One Morning
I Dreamed I Saw St. Augustine
All Along the Watchtower
5The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest
Drifter's Escape
Dear Landlord
I Am a Lonesome Hobo
I Pity the Poor Immigrant
The Wicked Messenger
Down Along the Cove
I'll Be Your Baby Tonight
Bob Dylan ( aco.g, harmonica, p, vo)
Kenneth A. Buttrey (ds), Pete Drake (pedal steel guitar), Charlie McCoy (b)
October 17, November 6, November 29, 1967 Nashville☆☆☆☆☆☆☆・・・
2026年6月22日月曜日
日本 VS チュニジア
日本のワールド・カップ史上最多得点!!
昨日は日曜日、しかも試合開始が日本時間午後1時。もう、ゆったり、ゆっくりTVで観戦するしかない、これ以上の好条件はないと言う感じ。
始まって早々に、あれよあれよと1点先取。さらに前半に、上田選手の完璧なシュートで2点目。
後半、しばらく我慢の時間かと思ったら、伊藤選手が抜け出して落ち着いたシュートで3点目。
さらに上田選手のふんわりヘディングで締めのゴール。
終わってみれば4-0という完勝でした。
グループ・リーグ突破の可能性が高まりましたが、次のスウェーデン戦で引き分け以上が条件になります。
決勝トーナメントの枠を見ると、2位通過の場合はいきなり強豪と激突しそうなので、出来れば1位通過して次のステップに上ってほしいものです。
最終戦はオランダはチュニジアとの対戦なので、勝つ可能性が高い。日本は再び大量得点で勝てば1位通過するかもしれません。
それにしても、驚くほど多くのサポータが試合会場に集合しました。なかでも、度々テレビに映った二人組の女性(?)のインパクトが絶大でした。
グループ・リーグ突破の可能性が高まりましたが、次のスウェーデン戦で引き分け以上が条件になります。
決勝トーナメントの枠を見ると、2位通過の場合はいきなり強豪と激突しそうなので、出来れば1位通過して次のステップに上ってほしいものです。
最終戦はオランダはチュニジアとの対戦なので、勝つ可能性が高い。日本は再び大量得点で勝てば1位通過するかもしれません。
それにしても、驚くほど多くのサポータが試合会場に集合しました。なかでも、度々テレビに映った二人組の女性(?)のインパクトが絶大でした。
運命の次の試合は、6月26日 (金) 8:00 (現地25日 18:00)です。場所は第1戦と同じダラスに戻ります。気合を入れてガンバレ、SAMURAI JAPAN !!
2026年6月21日日曜日
勝田杉山神社 @ 都筑区勝田町
中原街道から一本入ったところにあり、最乗寺の近くですが、場所はちょっとわかりにくいかもしれません。
入口の鳥居には「杉山宮」と書かれています。
そもそも神宮という呼び方があるくらいですから、主に天皇や皇族などが祀られている格式の高さを「宮」という言葉が示しています。
由緒不明ですが、15世紀初頭の鰐口(神社の入口に吊られた金属製の平たい鈴)に銘がはいっていたらしい。また、天保9年(1838年)には改築の記録があります。
御祭神は5柱。
日本武尊(やまとたけるのみこと)
五十猛命(いたけるのみこと)
応神天皇(おうじんてんのう)
大己貴命(おおなむちのみこと)
大日貴命(おおひるめむちのみこと)
大己貴命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)のことで、一般的には「大黒様」です。大日孁貴命は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名。
明治44年に近辺の大山咋神(おおやまくいのかみ)の日枝神社と天照大神の神明社を合祀しているのですが、大山咋神が御祭神から抜けている理由はわかりません。
大日貴命(おおひるめむちのみこと)
大己貴命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)のことで、一般的には「大黒様」です。大日孁貴命は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名。
明治44年に近辺の大山咋神(おおやまくいのかみ)の日枝神社と天照大神の神明社を合祀しているのですが、大山咋神が御祭神から抜けている理由はわかりません。
2026年6月20日土曜日
池辺杉山神社 @ 都筑区池辺町
都田小学校の南側です。ちょっとわかりにくかったです。
由緒不明ですが、明治時代に力持ち自慢の七五郎に関連した「地雷石」という石塚があったりします。
いずれにしても池辺町の鎮守として、賑わってきたようです。
御祭神は五十猛命(いたけるのみこと)。
境内神社として、八坂神社、鹿島社、稲荷社もあります。
2026年6月19日金曜日
佐江戸杉山神社 @ 都筑区佐江戸町
都筑区南端の佐江戸町にある神社。もう少しで鶴見川、近くにはららぽーとがあります。
風車がたくさん飾ってある無量寺のすぐ横、階段をあがると社殿が見えます。
すぐ横には、少し小さい稲荷社も祀られています。
由緒は不明で、昔はこの辺りには城があったらしい。
御祭神は五十猛命(いたけるのみこと)。
五十猛命はスサノオの子で、林業の神として信仰されています。
2026年6月18日木曜日
The Basement Tapes (1967, release 1975)
1966年7月29日、ボブ・ディランは自ら運転していたトライアンフのバイクの後輪がロックしたことで転倒しました。ディランが交通事故というニュースは、あっという間に世間に知れ渡りますが、中には死亡説まで飛び出すのです。実際は脊椎のヒビ程度のケガで命には別条はなかったのですが、秋のツアーをキャンセルして雲隠れしてしまうという伝説が生まれます。
実際には、ニューヨーク郊外のウッドストックの自宅で、ここまで休みらしい休みを取っていないディランは隠遁生活を送ることにしたのです。それまで何かととんがってきたディランは、妻子との田舎暮らしによって精神的な充足感を味わったことは間違いありません。
とは言え、音楽家としての仕事をまったく無視するわけにもいきません。マネージャーから曲作りを催促され、またそれらの著作権を取るためのテープ・レコーダーを渡されたディランは、翌年2月にHawksのメンバーを自宅に召集します。ディランの事故で仕事が無かった彼らはウッドストックに移り住んできて、早速ディランの自宅でセッションが開始されました。
ただ自宅では手狭だったので、近くに地下室のある家を借り、セッションの場は移動します。この家が外壁がピンク色だったため、通称「ビッグ・ピンク」と呼ばれるようになります。Hawksは、その後「The Band」と改名して人気を博すのですが、彼らのデヴュー・アルバムのタイトルは「Music from Big Pink」でした。
外界からシャットアウトされたプライーベートな空間で、彼らは半分自分たちの楽しみのために、自作曲だけでなくお気に入りの曲などをビッグ・ピンクの地下室で演奏し続けました。南部を放浪していたレヴォン・ヘルムも戻ってきて、これらのセッションは10月まで続きます。
マネージャーは膨大なツアーのキャンセル費用などのために、ここで録音された新曲のデモ音源をまとめて、他のアーティストに使用権を売り込むことにします。こうして作られたごく少数のレコードが業界外に流出し、1969年に「Great White Wonder」というタイトルで非公式に発売されてしまいます。これが、世界初の海賊盤レコードと言われているもので、真っ白のジャケットにスタンプで押したタイトルだけが表記されているだけで、アーティスト名はどこにも記載されていませんでした。
こうなると、公式も黙ってこれらの音源を放置していくわけにはいきません。本来レコードとして正式に売り出すつもりのないプライベート録音ですから、音質もバラバラ、楽器間のバランスも一定ではなく、演奏者たちの会話なども入っていたりというしろものです。コロンビア・レコードは、その場に居合わせた当事者であるロビー・ロバートソンを呼び寄せ、商品に出来るだけの編集を加えます。この過程で、実は多くのオーバー・ダビングが追加されていました。
全24曲のうち、8曲はTHE BANDだけの演奏が含まれましたが、1975年7月に2枚組レコードが「地下室」というタイトルで発売されると、ディランの謎の空白期間を埋める音源であり、さらに気負わず楽しく演奏する良質な内容が高く評価されました。
初めて聞くと、これが本当にプライベート録音かと思うほどですが、実は幾多の未編集の海賊盤が出回っていて、それらは当然だろうという音質です。逆に大企業のリマスター力に関心すると同時に、よそ行きに作り替えられた本当の姿とは違うところに疑問も生まれてきます。
そのような声は当然コロンビア・レコードにも届いているわけで、2014年についに「The Bootleg Series Vol.11」として生の(raw)音源を集大成したボックスが登場しました。ロバートソンが行ったオーバーダビングを排除して、ビッグ・ピンクの地下室で生まれた音だけを集めたものですが、残念ながらTHE BAND単独の演奏は除かれています。
とは言っても、本当の「生音源」は海賊盤で知れ渡っているように聞き苦しい物も含まれているので、公式盤として最低限のリマスターは施され、音質はかなり改善しています(それが生ではないという批判もあります)。CD6枚に時系列に138曲が収録されたうち、117曲が未発表曲というのにも驚きますが、しだいにお遊びから仕事モードにスイッチしていく感じがわかるのは貴重です。
ただし、基本的に注意しないといけないのは、これらは本来は公開されるつもりのなかった音楽であるという点です。ミュージシャンにとっては、正式に自分の音を主張する場ではない、その場での掛け捨て、あるいは将来発表するためのプロトタイプの音楽の集大成という意味合いがあることは忘れてはいけません。
Odds and Ends
Orange Juice Blues (Blues for Breakfast)*
Million Dollar Bash
Yazoo Street Scandal*
Goin' to Acapulco
Katie's Been Gone*
Lo and Behold!
Bessie Smith*
Clothesline Saga
Clothesline Saga
Apple Suckling Tree
Please, Mrs. Henry
Tears of Rage
Too Much of Nothing
Yea! Heavy and a Bottle of Bread
Ain't No More Cane*
Crash on the Levee (Down in the Flood)
Ruben Remus*
Tiny Montgomery
You Ain't Goin' Nowhere
Don't Ya Tell Henry*
Nothing Was Delivered
Open the Door, Homer
Long Distance Operator*
This Wheel's on Fire
Bob Dylan (aco.g, p, vo), Rick Danko (b, mandolin, back.vo)
Levon Helm (ds, mandolin, b, vo), Garth Hudson (org, clavinet, accordion, ts, p)
Richard Manuel (p, ds, harmonica, vo), Robbie Robertson (g, ds, back.vo)
* THE BAND only
April ~ October, 1967, "Big Pink" Woodstock
☆☆☆☆☆☆・・・・
* THE BAND only
April ~ October, 1967, "Big Pink" Woodstock
☆☆☆☆☆☆・・・・
2026年6月17日水曜日
Blone on Blonde (1966)
1965年8月に「Highway 61 Revisited」をリリースしたボブ・ディランは、ツアーのため固定のバンドを結成しようと考えます。しかし、アルバムやニューポート・フォーク・フェスティバルで活躍したギタリストのマイク・ブルームフィールドは、本来のポール・バターフィールド・ブルース・バンドに戻ってしまいます。
そこで、新たに新人のレヴォン・ヘルム(ds)、ロビー・ロバートソン(g)、リック・ダンコ(b)、リチャード・マニュエル(p)、ガース・ハドソン(org)からなるHawks、後のThe Bandに白羽の矢を立てます。9月3日のハリウッド・ボウルでの公演から、ロバートソン、ヘルムが加わりました。
10月からは全面的にHawksの全員がバックを務めます。しかし、新しいロックを演奏するディランに対する従来のファンの否定的な反応が激しく、落胆したレヴォン・ヘルムすぐに脱退してしまい、ドラム奏者は流動的になります。
それでも、ディランはHawksを伴って、10月には次のアルバムのためのセッションをニューヨークで開始しました。しかし、なかなか思ったような結果が出せずに、数回のセッションで採用されたのはたったの1曲だけだったのです。ディランは11月22日にサラ・ローンズと結婚し、12月から翌年1月なかばまで結婚休暇を取ります。そして、1月下旬に再びニューヨークでセッションを再開しますが、どうしても結果が出せません。
そこで、プロデューサーの助言もあり、ディランはカントリー・ミュージックの聖地、テネシー州ナッシュビルのスタジオにアル・クーパーとロバートソンを連れて移動しました。他のミュージシャンはナッシュビルで評判の実力者を招集します。スタジオ内では各自の間の衝立を取り払い、主としてクーパーが曲想をメンバーに伝えておき、後はディランのその時の勢いにまかせるようなライブ感のある収録になりました。
すると録音は順調に進み、3月初めまでにすべての曲が完成していますが、その内容はポヒュラー音楽史上初となるLPレコード2枚組(現在のCDだと何とか1枚に収まる量)という画期的なものになりました。特に2枚目のB面は11分半の長尺1曲だけという、かなり思い切ったものになっています。
当時もヒットし売れたレコードでしたが、現在ではすべてのロックのアルバムの中でも最重要と位置付ける人が多く、ディランのアルバムの中でも一二を争う人気作となりました。内容は最初の1曲から驚かされます。管楽器も入って、まるで狂ったお祭り騒ぎのような「Everybody Must Get Stoned」という謎めいた歌詞を繰り返し、いきなり旧態然としたフォーク・ファンに石を投げつけたかのようです。
ニューヨークで何度やってもダメだったのが「Visions of Johanna」で、ナッシュビルの最初のセッションですぐに完成形になります。この曲は関係が終わったジョーン・バエズが脳裏から離れない苦悩を歌ったものと考えられています。代表曲の一つ「Just Like a Woman」は日本語だと「女々しくて、女々してく、辛いよ」というどこかで聞いたことがあるような内容で、別れた恋人に対する未練がにじんでいます。
「Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine」では、「君は君の道へ、僕は僕の道を行く」というタイトルですが、浮気をされて彼女に裏切られた恨みつらみを歌っています。一方で、長尺の「Sad Eyed Lady of the Lowlands」は妻のサラを歌ったものとされていて、「いろいろ苦難があるかもしれないが、あなたは乗り越える力を持っている」と讃えるような内容。
アルバムの6月20日の発売を待たずに、ディランはHawksを引き連れてワールド・ツアーに出発します。4月13日のオーストラリア、シドニーとメルボルンを皮切りに、5月になってコペンハーゲン、ダブリン、ベルファスト、そしてイギリスに渡ってブリストル、カーディフ、バーミンガム、リパプール、レスター、シェフィールドと怒涛のライブが繰り広げられます。そして、5月17日のマンチェスター公演では、また新たなボブ・ディラン伝説が生まれます。
このツアーは前半はディラン一人のアコースティック・ステージ、後半がバンドを加えたエレクトリック・ステージという構成でしたが、最後の「Like A Rolling Stone」を始めようとしたときに客の一人が「ユダ!! (裏切り者)」と叫びました。ディランは「お前を信じない。嘘つきめ・・・さあ、大音量でいくぞ」と言って曲を始めたのです(このライブは最初の海賊盤で誤ってロイヤル・アルバート・ホールとされていました)。
ツアーは、その後もグラスゴウ、エディンバラ、ニューキャッスル、フランス・パリと続き、5月26日、27日のロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールまで続きます。このツアーの全体は、今では何とCD36枚組という巨大ボックスにて、マンチェスターの出来事も含めてすべてが聴くことが可能になっています(The 1966 Live Recodings、2016年発売)。
それほど変わり映えしないセットリストで、一部はテスト録音で聞き苦しい音質、時には途中切れの不完全なものも含まれていますが、しだいにバンドとしてまとまっていく様子と、長丁場のツアーで次第に疲れがたまってきているのかと思えるようなドキュメントとしても面白さも捨てがたい魅力になっています。
この後、ニュー・アルバムが発売され、着実に新しい音楽を支持する波か広がっていきます。しかし、秋のツアーも予定されていたディランに、新たな伝説が生まれます。7月29日、自ら運転していたバイクで事故を起こしてしまったのです。
October 5, 1965 ~ January 27, 1966, NYC
February 14 ~ March 10, 1966, Nashville
☆☆☆☆☆☆☆☆☆・
アルバムの6月20日の発売を待たずに、ディランはHawksを引き連れてワールド・ツアーに出発します。4月13日のオーストラリア、シドニーとメルボルンを皮切りに、5月になってコペンハーゲン、ダブリン、ベルファスト、そしてイギリスに渡ってブリストル、カーディフ、バーミンガム、リパプール、レスター、シェフィールドと怒涛のライブが繰り広げられます。そして、5月17日のマンチェスター公演では、また新たなボブ・ディラン伝説が生まれます。
このツアーは前半はディラン一人のアコースティック・ステージ、後半がバンドを加えたエレクトリック・ステージという構成でしたが、最後の「Like A Rolling Stone」を始めようとしたときに客の一人が「ユダ!! (裏切り者)」と叫びました。ディランは「お前を信じない。嘘つきめ・・・さあ、大音量でいくぞ」と言って曲を始めたのです(このライブは最初の海賊盤で誤ってロイヤル・アルバート・ホールとされていました)。
ツアーは、その後もグラスゴウ、エディンバラ、ニューキャッスル、フランス・パリと続き、5月26日、27日のロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールまで続きます。このツアーの全体は、今では何とCD36枚組という巨大ボックスにて、マンチェスターの出来事も含めてすべてが聴くことが可能になっています(The 1966 Live Recodings、2016年発売)。
それほど変わり映えしないセットリストで、一部はテスト録音で聞き苦しい音質、時には途中切れの不完全なものも含まれていますが、しだいにバンドとしてまとまっていく様子と、長丁場のツアーで次第に疲れがたまってきているのかと思えるようなドキュメントとしても面白さも捨てがたい魅力になっています。
この後、ニュー・アルバムが発売され、着実に新しい音楽を支持する波か広がっていきます。しかし、秋のツアーも予定されていたディランに、新たな伝説が生まれます。7月29日、自ら運転していたバイクで事故を起こしてしまったのです。
Rainy Day Women #12 & 35
Pledging My Time
Visions of Johanna
One of Us Must Know (Sooner or Later)
I Want You
Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again
Leopard-Skin Pill-Box Hat
Just Like a Woman
Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine
Temporary Like Achilles
Absolutely Sweet Marie
4th Time Around
Obviously 5 Believers
Sad Eyed Lady of the Lowlands
Bob Dylan (vo, g, p)
Robbie Robertson (g, vo), Al Kooper (org, g), Bill Aikins (key)
Wayne Butler (tb), Kenneth Buttrey (ds), Jerry Kennedy (g)
Charlie McCoy (b, g, tp, harmonica), Wayne Moss (g, vo)
Hargus "Pig" Robbins (p, key) Henry Strzelecki )b)
Joe South (b, g)
NYC only : Rick Danko (b), Bobby Gregg (ds), Paul Griffin (p)
NYC only : Rick Danko (b), Bobby Gregg (ds), Paul Griffin (p)
October 5, 1965 ~ January 27, 1966, NYC
February 14 ~ March 10, 1966, Nashville
☆☆☆☆☆☆☆☆☆・
2026年6月16日火曜日
日本 VS オランダ
昨日の日本時間の早朝、FIFAワールドカップ2026北米大会のグループ・リーグ、日本の初戦が行われました。
結果はすでに皆さんご存知のことと思います。
格上のオランダと2-2で引き分けて、貴重な勝ち点1を獲得しました。
今回の日本はグループFで、FIFAランキングでは、日本は18位です。同じグループの対戦相手は、オランダ 8位、スウェーデン 20位、チュニジア 44位です。
オランダは優勝候補の一角ですし、国際A級マッチでの日本の対オランダ戦の成績は、0勝2敗1分です。
もちろん勝つに越したことは無いのですが、とにかくこの初戦を負けないことが絶対的な目標だったと思いますので、まずますの船出としたいところです。
特に、前半は0-0でしたが、後半にリードを許す展開を追いついて引き分けに持って行ったところは、高く評価してよいポイントでしょう。
日本はエース三苫を欠き、また直前にキャプテンの遠藤航のケガによる離脱という大きな不安要素を抱えたままで大会が始まったので、この結果を導き出した選手の皆さんには拍手を送りたいと思います。
次の日本の試合は、6月21日 (日) 13:00 (現地20日 22:00)にキックオフ。相手はチュニジアです。気を抜かずにガンバレ、SAMURAI JAPAN !!
2026年6月15日月曜日
コバンソウ
またまた不思議な植物を見つけちゃいました。
蝉の抜け殻みたいなものが、たくさん鈴なりになっている感じ。
最初は、何かの虫がたくさんひっついているのかと・・・ちょっと気持ち悪いとか思ったんですが、例によってGoogle画像検索を利用したみたところ・・・
コバンソウ(小判草)、という名前らしい。
確かに小判に見えなくもない。
イネ科の一年草で、もう少し早い時期だと緑色っぽいらしいのですが、しだいに黄金色というか茶色くなってきて小判みたいな感じになってくるようです。
垂れさがっているのは小穂(しょうすい)と呼ばれて、花びらが退化して鱗みたいに重なり合った苞が変化した物。
基本的には雑草として扱われるようなんですが、そんなに頻繁に見かけた覚えはありません。
やはり、何かあるかなと注意して見ていないと、気がつかづにいるもんです。
2026年6月14日日曜日
FIFA World Cup 2026
サッカーの、というか今や全スポーツの中でも最も注目されると言っても過言ではない国別対抗戦、FIFA World Cup 2026が6月11日に開幕しました。
日本は着実に実力をつけてきていて、アジアの中ではトップクラスであることは間違いありませんが、日本の過去の実績はというと・・・
1954年 初参加 予選敗退
1962年、1970~1994年 予選敗退
1998年 フランス大会
グループリーグ アルゼンチンvs日本 1-0、クロアチアvs日本 1-0、ジャマイカvs日本 2-1
2002年 日本韓国共同大会 ベスト16 (予選免除)
グループリーグ 日本vsベルギー 2-2、日本vsロシア 1-0、チュニジアvs日本 0-2
決勝トーナメント トルコvs日本 0-1
2006年 ドイツ大会
グループリーグ オーストラリアvs日本 3-1、日本vsクロアチア 0-0、ブラジルvs日本 1-4
2010年 南アフリカ大会 ベスト16
グループリーグ 日本vsカメルーン 1-0、オランダvs日本 1-0、日本vsデンマーク 3-1
2006年 ドイツ大会
グループリーグ オーストラリアvs日本 3-1、日本vsクロアチア 0-0、ブラジルvs日本 1-4
2010年 南アフリカ大会 ベスト16
グループリーグ 日本vsカメルーン 1-0、オランダvs日本 1-0、日本vsデンマーク 3-1
決勝トーナメント パラグアイvs日本 0-0、 PK 5-3
2014年 ブラジル大会
グループリーグ コートジポワールvs日本 2-1、日本vsギリシャ 0-0、コロンビアvs日本 1-4
2014年 ブラジル大会
グループリーグ コートジポワールvs日本 2-1、日本vsギリシャ 0-0、コロンビアvs日本 1-4
2018年 ロシア大会 ベスト16
グループリーグ コロンビアvs日本 1-2、日本vsセネガル 2-2、ポーランドvs日本 1-0
決勝トーナメント ベルギーvs日本 3-2
2022年 カタール大会 ベスト16
グループリーグ 日本vsドイツ 2-1、コスタリカvs日本 0-1、日本vsスペイン 2-1
決勝トーナメント クロアチアvs日本 1-1、PK 3-1
当然、出場するからには優勝を目指すというのはあるんですが、日本にとって「越えられないベスト8の壁」というのが最重要課題です。
「三苫の1mm」で記憶に新しい前回大会では、ドイツ、スペインというヨーロッパの強豪を撃破したことが話題になりました。日本人選手の多くが海外組となった昨今でも、その出先はヨーロッパ中心です。
サッカーが盛んな南米に対しては、ワールドカップでも実績を残せていませんが、詳しいことはわからないのですが、何か根本的な部分がヨーロッパとは違うのかもしれません。
さて、今大会はアメリカ・カナダ・メキシコによる共同開催で、試合地がかなり離れているので、組み合わせによっては移動が大変で気候もだいぶ異なることになりそうです。
グループFに入った日本の試合スケジュールを整理します。
6月15日 (月) 5:00 (現地14日 15:00) オランダ 場所ダラス(アメリカ)
6月21日 (日) 13:00 (現地20日 22:00) チュニジア 場所モンテレイ(メキシコ)
6月26日 (金) 8:00 (現地25日 18:00) スウェーデン 場所ダラス(アメリカ)
最初のキックオフは明日、早朝です!!
当然、出場するからには優勝を目指すというのはあるんですが、日本にとって「越えられないベスト8の壁」というのが最重要課題です。
「三苫の1mm」で記憶に新しい前回大会では、ドイツ、スペインというヨーロッパの強豪を撃破したことが話題になりました。日本人選手の多くが海外組となった昨今でも、その出先はヨーロッパ中心です。
サッカーが盛んな南米に対しては、ワールドカップでも実績を残せていませんが、詳しいことはわからないのですが、何か根本的な部分がヨーロッパとは違うのかもしれません。
さて、今大会はアメリカ・カナダ・メキシコによる共同開催で、試合地がかなり離れているので、組み合わせによっては移動が大変で気候もだいぶ異なることになりそうです。
グループFに入った日本の試合スケジュールを整理します。
6月15日 (月) 5:00 (現地14日 15:00) オランダ 場所ダラス(アメリカ)
6月21日 (日) 13:00 (現地20日 22:00) チュニジア 場所モンテレイ(メキシコ)
6月26日 (金) 8:00 (現地25日 18:00) スウェーデン 場所ダラス(アメリカ)
最初のキックオフは明日、早朝です!!
ほぼ半日の時差があるので、しばらくは眠い日々が続きます。
2026年6月13日土曜日
Highway 61 Revisited (1965)
ボブ・ディランの活動をあえて時期にわけると、デヴュー作から4作目の「Another Side」をフォーク期として、その後はロック期とすることが多いようですが、実際のところ「Bringing It All Back Home」は半フォーク・半ロックみたいなアルバムですし、5月に行われたイギリス・ツアーも従来のギターとハーモニカだけのフォーク・スタイルで通しています。
1965年6月、イギリスからアメリカ戻ったディランは、早くも次のアルバムの録音を開始しました。フォーク・ロックと呼ぶより、ブルース・ロックと呼びたくなるような全編高らかにロック歌手宣言をするようなアルバムとなりました。
今作はバンドを単なる伴奏ではなく、音楽の一部として機能するように組み込む意図が感じられます。おそらく、一般貢献したのがポール・バターフィールド・ブルース・バンドから参加したマイク・ブルームフィールドです。ブルース・ギター奏者としてエレクトリック・ギターの普及に影響を与えた人物です。また、後に、ブラッド・スウェット&ティアーズを結成するアル・クーパーが参加しています。
特に6月16日のセッションでは、代表曲の一つ、アルバム冒頭曲となる「Like a Rolling Stone」だけが繰り返し試行錯誤されました。この模様は「The Bootleg Series Vol.12 Cutting Edge」でその全貌を知ることができます。故・中山康樹が「この曲は最初から4拍子だった」と推論した説は見事に裏切られ、驚きの3拍子でのリハーサルが始まりますが、何とものんびりした雰囲気が続きます。数テイクの後、4拍子に変更されオルガンがたまたま居合わせた本来キーボード奏者ではないアル・クーパーに交代し、気の利いたリフが入って完成形になっていくところはなかなかスリリングで興味深い。
ディランがこだわり抜いた歌詞は、「昔は偉そうにしていたけど今は落ちぶれた気分はどうだい? すべて失って転がる石みたいだ」という内容。「A rolling stone gathers no moss (転石苔むさず)」という英語圏のことわざがあって、イギリスでは伝統的に「転々とする人は成功しない」という否定的な解釈がされますが、アメリカでは「活発な人は時代に取り残されない」という近代的な肯定的解釈がされています。変化を求める自分と、古い体質のフォーク・ソング信奉者を対比させていることは間違いなさそうです。
「Like a Rolling Stone」の録音が一段落したディランは一度収録を中断して、7月22日から26日にかけて行われたニューポート・フォーク・フェスティバルに3年連続で参加します。ここで、ボブ・ディラン伝説の一つとして有名な「事件」が起こりました。24日はアコースティックなステージを披露しましたが、25日夜の部ではマイク・ブルームフィールド(g)、ジェローム・アーノルド(b)、アル・クーバー(org)、サム・レイ(ds)を従えてエレクトリック・ギターを持って登場したのです。
彼らは「Maggie's Farm」、「Like a Rolling Stone」、「悲しみは果てしなく」を演奏し引っ込んでしまいます。観客からはブーイングの嵐を浴び、司会者も事態を収拾するためディランをステージに呼び戻します。フォーク・ギターを持って一人で再登場したディランは、「Mr.Tambourine Man」と「It's All Over Now, Baby Blue」の2曲を歌うのですが、明らかに古い伝統に固執する観客に対する決別宣言となったと考えられています。
スタジオに戻ったディランは、追加の数日で数曲を完成し、8月末にはアルバムが発売されました。その後もライブなどでは重要なレパートリーになる曲が多く含まれますが、特に注目したいのは「Disolation Row (廃墟の街)」です。
ポップス系アルバムとしては異例の11分に及ぶ長い曲で、現代社会の欺瞞や幻想などを一見脈絡のない言葉の羅列で歌い続け、最終的には「絶望のどん底」に逃げ込むしかないとしています。それはゴミ溜めのようなニューヨークのどこかかもしれないし、あるいはアメリカの田舎の本当に廃墟となった町かもしれません。チャーリー・マッコイのギターがボーカルに絡みつき、長くて英語歌詞がよくわからなくてもずっと聞いていられる感じがします。
Like a Rolling Stone
Tombstone Blues
It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry
From a Buick 6
Ballad of a Thin Man
Queen Jane Approximately
Highway 61 Revisited
Just Like Tom Thumb's Blues
Desolation Row
Bob Dylan (vo, guitar, harmonica, piano, Acme siren)
Mike Bloomfield (g), Charlie McCoy (g), Al Kooper (org, p)
Paul Griffin (p, org), Frank Owens (p), Harvey Brooks (b)
Russ Savakus (b), Joe Macho Jr. (b), Bobby Gregg (ds)
Sam Lay (ds), Bruce Langhorne (tambourine)
June 16 ~ August 4, 1965, NYC
☆☆☆☆☆☆☆☆・・
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