夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2026年7月30日木曜日

Shot of Love (1981)


1980年のボブ・ディランのツアーは、過去のヒット曲、つまり世俗的な歌が封印され、すべてキリストへの愛と信仰を歌うものとなり、観客からは不評を買います。しかも、曲間で宗教的な説教をするものですから、本気度は間違いないのですが、ブーイングを浴び観客数も伸びません。しかも、前アルバム「Saved」の売れ行きも悪いと来ては、さすがのディランも考えざるをえません。

ツアーの終盤、11月からは、かなりゴスペル調に改変されたとはいえ以前のレパートリーが解禁・復活されます。時には、カルロス・サンタナ、ロジャー・マッギン、マイク・ブルームフィールド、ジェリー・ガルシアらがゲストに登場し、エンターテインメント性を押し出してライブを盛り上げました。

ディランはゴリゴリの信仰一辺倒から、人と人との関係から生まれる世俗的なものにも目を向けることを思い出したと言えます。と同時に、自分のRundown Studioで、新作のためのリハーサルも開始しました。アルバムのために用意された新曲にも変化が現れ、信仰心の現れから来る喜びなどと同時に、以前のような一般的な詩情をたたえるような曲作りが戻ってきています。

1981年8月に発売されたこのアルバムでは、1曲目からかなり激しいロックで「私は愛が必要なんだ」と歌います。とりあえず、説教ではなく、あくまで自分の気持ちのことなのでちょっと一安心。2曲目はローリング・ストーンズのロン・ウッド(ギター)とリンゴ・スター(ドラム)がセッションに参加したもので、「暴走しがちな自分の心を鎮めよう」という歌。

ところが3曲目には再び「信仰を笑いものにしたければすればよい。信仰を持つ者はキリストの手の内で守られている」と信仰の正当性を強調してみせます。かと思うと、伝説のコメディアン、レニー・ブルースの歌では、純粋が故に弾圧されたとピアノ中心のバラードにしています。

レゲエを大胆に取り入れ、信仰心が無く魂が死んでいる人間のことを歌ったかと思えば、過ぎた夏の日を思い出す。そして再びハードなロックナンバーでこの世界のトラブルをひたすら指摘していくのですが、ラスト・ナンバー「Every Grain of Sand (砂のそれぞれの一粒)」は、数あるディラン自作曲の中で最高傑作と言われることもある名作バラードです。

ゴスペル期を総決算するような内容の曲で、以前ような「信じない者は裁かれる」という攻撃的な面が消え、「自己の弱さを受け入れ、あらゆる微細な一粒の砂や一枚の葉の中に神の意志を見出す」という祈りに昇華しています。宗教色を理由に批判していた多くの評論家も、この曲だけは名曲と認めざるを得ませんでした。

なお、レコードA面最後の「The Groom's Still Waiting at the Altar」は発売時には収録されていません。シングル・レコードとして発売された「Heart of Mine」のB面からCD化の際に追加されたもので、当初、ディランは出来に不満を感じていたようです。しかし、ラジオ局から絶賛され、正式のアルバムの曲として採用されたという珍しい経緯があります。

一般にゴスペル期と呼ばれているのは、「Slow Train Coming」、「Saved」、そしてこの「Shot of Love」の三作品を指して使われているのですが、見事に色分けされていることに気がつきます。「Slow Train Coming」はゴスペルをロックに取り入れた音楽的に成功した新人のキリスト教徒、「Saved」は狂信的で説教的な面が強く押し出されたエゴイスティックなキリスト教徒、そして「Shot of Love」では人との関わりを思い出し普遍的な祈りを捧げるキリスト教徒です。

これらが、ディランの音楽性の幅を広げたことは間違いなく、無駄ではなかったことは誰もが認めるところですが、やはり一般の音楽ファンからは受け入れにくい部分が多々あったことは本人も認識しているはずです。一度自分自身を徹底的に破壊したことで、それが現実的なアルバムの売れ行き、ライブの観客数などに反映され、少しずつ現実にも目を向ける精神的なゆとりを取り戻すために必要な期間だったのかもしれません。

2017年にリリースされた「The Bootleg Series Vol.13 Trouble No More」では、8枚のCDと1枚のDVDでこのゴスペル期のアウトテイクとライブを集大成しています。ゴスペルだからと敬遠されがちな時期ですが、特にライブの熱量は凄まじい。バックを務めるミュージシャンも素晴らしいのですが、1978年の日本公演ではとってつけたようなところもあった女性コーラスも見事に一体化していて完成度の高い演奏を繰り広げています。

過去曲も解禁した1981年6月のライブでは、ゴスペル期の曲の間に「Like a Rolling Stone」、「Maggie's Farm」、「Mr. Tambourine Man」などなどの往年のヒット曲が多数入ってくるのですが、そのいずれもがライブ演奏としてはベストと言っても良いくらいの出来なのに驚きます。三枚のスタジオ・アルバムは聞かなくても、このボックスだけは聞いておくべきかもしれません。


Shot of Love
Heart of Mine*
Property of Jesus
Lenny Bruce
Watered-Down Love
The Groom's Still Waiting at the Altar
Dead Man, Dead Man
In the Summertime
Trouble
Every Grain of Sand

Bob Dylan (Vo, g, harmonica, perc, pf)
Steve Douglas (sax), Tim Drummond (b), Donald Dunn (b)
Jim Keltner (ds), Danny Kortchmar (ele.g), Carl Pickhardt (pf)
Steve Ripley (g), Fred Tackett (g), William Smith (org)
Benmont Tench (key)
Carolyn Dennis, Clydie King, Regina McCrory, 
Madelyn Quebec, Monalisa Young (back.vo)
*Ringo Starr (ds), Ronnie Wood (g)

March ~ May, 1981, Los Angels

☆☆☆☆☆☆・・・

2026年7月29日水曜日

Saved (1980)


ここから80年代に入ります。世間を見渡してみると、アメリカの音楽界には大きな潮流が押し寄せていました。その一つが、AOR(Album Oriented Rock)の流行です。日本では曲解されてAdult Oriented Rockと呼ばれ、大人のための洗練されたロック音楽で、ジャズやR&B(リズム・アンド・ブルース)などの要素を取り入れた、都会的なオシャレなサウンドが特徴とされます。

ブルース・ロックから転向したボズ・スキャッグスの1976年の「シルク・ディグリース」は、その先駆けとして名高いアルバムです。ボビー・コールドウェルは、1978年のデヴュー曲「風のシルエット」のヒットで「Mr.AOR」と呼ばれるようになりました。そして、クリストファー・クロスは1979年に「南から来た男」でデヴュ―し、瞬く間にAOR界の人気者になります。

人気が低迷していたブラス・ロックの老舗バンド、シカゴはデビッド・フォスターをプロデューサーに迎えてAORバンドとして再生しました。サザン・ロックの雄、イーグルスの中心メンバーだったグレン・フライもAORに転向して成功します。同じくサザン・ロックの名門、ドゥービー・ブラザースも、1975年に加入したマイケル・マクドナルドの影響でAOR化していきました。

ボブ・ディランのイメージは「周囲に迎合しない無骨なフォーク、ロックの詩人」で、当然AORとの対極にいそうなアーティストだと思いますが、あらためて聞いていると1978年の「Street Legal」は、ブラスや女声コーラスを導入して、都会的なウエスト・コースト・サウンドに寄せたAOR的なアルバムであることに気がつきます。

また、「Slow Train Coming」はアルバム全体でキリストを褒めたたえるというのはまさにアルバム志向(Album Oriented)ですし、電子ピアノの導入も大人っぽいオシャレを感じます。また、参加したマーク・ノップラーのギターは泥臭さが無い都会的なサウンドでした。つまり、ゴスペル期のディランは、AORの主流とは方向性は違うものの、いろいろな葛藤を乗り越え人間として大人になったサウンドに変化していたということができるのかもしれません。

とは言え、ゴスペル期真っ只中のディランは、ライブでも心から説教をしたりするようになり、集まった聴衆からは評判が悪い。それでもめげないのがキリスト信仰に目覚めたディランの強さなのか、1980年2月になると新作アルバム「Saved」の制作に取り掛かります。

前作は隠喩的な表現でしたが、今回はまさに直接的な宗教色を出した「(自分が)救済(された)」というタイトルです。さらにアルバム・ジャケットには「神の手」のイラストが描かれるという念の入りようです。

前作では「ゴスペルっぽい」音楽でしたが、確かにこれはゴスペル。黒人教会で普通に歌われていても違和感がないかもしれない。歌詞の中身も、積極的に自分が信仰によって救われたことを知らしめるものばかりになりました。

オープニングはゴスペル名曲のカバーで、これから始まるのは神のための音楽である宣言になっています。自分が救われた歓喜を歌い、導いてくれた人々に感謝し、神のために自分は何をできるかを問います。世間から何を言われても岩のように信仰心は変わらず、さらなる高みを目指して進み、神の慈悲に感謝を捧げるのです。そして、ラストで「最後の審判を迎える準備はできているか」と周囲に問いかけ、周囲に悔い改め信仰を促すのです。

自分のような非英語圏の非キリスト教徒の人間にとっては、内容の理解には難がありますが、例えばサザン・オールスターズのライブで、桑田佳祐が全曲仏教を勧める歌を歌って、最後に般若心経を唱えているようなもの・・・だとすれば、リアルタイムで聞いたアメリカの人々の反応は、困惑と批判に満ちたものになったことはしょうがない。

一方的なメッセージであり、かつ詩的要素がほとんどない創造性が欠如しているという批判は一理あります。とは言え、圧倒的な熱量で歌いまくるディランは凄い。音楽としては、けっこう魅力的な仕上がりなのが不思議です。


A Satisfied Mind
Saved
Covenant Woman
What Can I Do for You?
Solid Rock
Pressing On
In the Garden
Saving Grace
Are You Ready

Bob Dylan (gvo, g, harmonica, key)
Tim Drummond (b), Jim Keltner (ds), Spooner Oldham (key)
Fred Tackett (g), Terry Young (key, back.vo)
Monalisa Young, Carolyn Dennis, Regina Havis, Clydie King (back.vo)

February 11 ~ 15, 1980, Muscle Shoals Studio, Sheffield, Alabama

☆☆☆☆☆・・・・・

2026年7月28日火曜日

Slow Train Coming (1979)


人生の大きな問題に遭遇し、なおかつ辛い結末を迎えた時、人は何かにすがり何とか立ち直るための機会をうかがいたくなるというのは、ボブ・ディランほどの人物とて同じでした。ひたすら我が道を行くタイプと思われていたディランも、結婚生活の破綻・家庭の崩壊、そして財産のほとんどを失う失敗を経て、何か別の力を必要とする気持ちになっていたのです。

ディランの出自はユダヤ教です。ユダヤ教は旧約聖書を聖典として、まだ姿を見せない救世主(メシア)のもとで、神との契約を忠実に守ることが求められます。おそらく、ジョーン・バエズと親交があった頃に、バエズの信仰するクエーカー教を通じてキリスト教を知る最初のきっかけがあったかもしれません。どん底の精神状態の中で、メシアはイエス・キリストのことだったと考えたディランは1978年の世界ツアーが終了するとキリスト教へ改宗したのでした。

アルバム「Street Legal」のジャケット裏に感謝を捧げる人々のリストがあり、その中に「Queen Bee」というのが含まれています。実はこれは、ツアーの黒人女性コーラスなどを手配したメアリー・アリス・アーテスという黒人女性で、敬虔なキリスト教信者でした(後に結婚直前までの深い仲になっています)。

ツアーの終盤に、ステージに投げ入れられた銀の十字架と、その直後に「キリストに触れた」体験をしたディランは、ツアー終了後すぐにメアリーの通うキリスト教福音派教会を訪ねます。1979年の1月から3月までの間は、ディランは音楽活動はまったくせず、ほぼ毎日聖書学校に通い、ついに信仰により生まれ変わるという意味の「Born Again」に達しました。

ここからディランは、自らも認めるゴスペル期に突入します。フォークの衣を脱ぎ捨てロック、そしてカントリーになったかと思うと再びロックに戻り、今度はゴスペル。ディランの音楽史は自己破壊と創造の繰り返しです。

アメリカの音楽史は、奴隷として大陸に連れてこられた黒人が大きな役割を果たしていることは既知の事実ですが、スタートは黒人霊歌(スピリチュアル)です。20世紀はじめに讃美歌を取り込んで始まったのが希望を表すゴスペルで、悲哀を表すのはブルースとなり、不満の爆発はロックン・ロールとなって広まっていきます。

ゴスペルの特徴は、手拍子や足拍子でリズムを刻みながら、リード・シンガーに絡むように聴衆(あるいはコーラス隊)が応答するコール& レスポンスによって、体全体で神への感謝の感情を強く表現するというもの。黒人教会で歌われているような本格的なゴスペルのイメージとは、ディランの物は多少違いますが、世界ツアーから参加するようになった黒人コーラスがより強化されて宗教色を強化していることは間違いない。

ディランは過去の楽曲と決別をするため、ただちに新曲を書き始めますが、それは完全にキリスト教信者となりキリストの教えを伝えるためのものになっていました。3月末に久しぶりに気になっていた他人のコンサートを聴きに出かけます。それはまたデヴューして間もないロック・バンド、ダイアー・ストレイツのライブで、ギターのマーク・ノップラーにすぐさま新作への参加を依頼しました。

新作は4月末から2週間ほどかけて録音されていますが、ノップラーの他にはダイアー・ストレイツからはドラムのピック・ウィザースが参加し、後は腕利きのスタジオ・ミュージシャンが集められました。「ゆっくりと列車がやって来る」というタイトルの意味は、「列車」は「世界の終末・神の審判」を象徴しているらしい。もともとは「Slow Train」は、黒人音楽の中では「天国への旅路・神のもとへの帰還」を意味しています。

オープニングの「Gotta Serve Somebody」では、「誰もが神か悪魔に仕えていて、一人で生きているわけではない」と歌い、ディラン初のグラミー賞受賞となるヒット作となりました。ここでは、おそらくディラン史上初のエレクトリック・ピアノが用いられていて、キーボードを担当したバリー・ベケットのセンスが光ります。また、全体を通してノップラーの切れの良いギターが素晴らしい。

「Precious Angel」では自分に救いの道を開いてくれたメアリーを讃え、続けて「私はあなた(神)を信じる」と歌います。そして社会の腐敗を「スロー・トレイン」として告発し、「考え方を変えるべきだ」と警告します。その後もキリストの教えや聖書のエピソードを歌に乗せ、最後はピアノの伴奏だけでキリストの復活を前にして人々は膝まずくのです。

8月にアルバムが発売されると、古いファンの反発と同時に新しいファンを獲得し、商業的には大成功と言う結果になりました。評論家の評判も悪くなく、アルバムとして高く評価されています。


Gotta Serve Somebody
Precious Angel
I Believe in You
Slow Train
Gonna Change My Way of Thinking
Do Right to Me Baby (Do Unto Others)
When You Gonna Wake Up
Man Gave Names to All the Animals
When He Returns

Bob Dylan (g, vo), Barry Beckett (key)
Mickey Buckins (perc), Tim Drummond (b), Mark Knopfler (lead g)
Pick Withers (ds), Muscle Shoals Sound Studio (horns)
Carolyn Dennis, Regina Havis, Helena Springs (back.vo)

April 30 ~ May 11, 1979, Muscle Shoals Sound Studio, Alabama

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年7月27日月曜日

みょうがサラダ(冷や奴)


みょうがは、どちらかと言うと大人になってから食べられるようになる人が多い・・・まぁ、自分もそうですけど。

しゃきしゃきした食感はOKなんですが、独特の香りが苦手だったりします。

でも、みょうがは今が旬ですから・・・旬なものを食べると言うのは、季節を感じるということで、食生活を豊かにしてくれます。

とにかく、しっかりと水にさらしてあく抜きをすれば、あまり気にならずに食べれるので、今回は豆腐に乗せてみました。

一緒にしたのは、千切りにした大葉と長ネギです。

香味野菜の代表そろい踏みというところで、この組み合わせがお互いを補完して抜群に美味しい。

今回の味付けは醤油とごま油だけです。

実に旨い。簡単に食事で涼を取れる感じで、実に暑い時期に向いています。

2026年7月26日日曜日

Street Legal (1978)

 


日本・ニュージーランド・オーストラリアでの公演から帰国したボブ・ディランでしたが、「Rolling Thunder Revue」以来、バンドのまとめ役だったベースのロブ・ストーナーがバンドから抜けてしまいました。新しいディランのラスベガス風のスタイルに納得できなかったことと、年末まで長いツアー予定に不安を感じていたことが原因と考えられています。

代わりに加わったのはThe Doorsを経てエルビス・プレスリーの最後のバックを務めたジェリー・シェフで、メンバーはすぐさまランダウン・スタジオに入り新作の録音を開始しました。今回も、4月末からわずか1週間で録音を完了しているのはさすがとしか言いようがない。

ニュー・アルバム『ストリート・リーガル』は、それまでのボブ・ディランのフォークやアコースティックなイメージを覆す、ホーン・セクションや女性コーラスを大々的に導入した、ソウルフルかつゴージャスな「ビッグ・バンド・サウンド」が最大の特徴です。ただし、本来リハーサル用のディランのプライベート・スタジオでライブ感覚で収録されたので、楽器間の分離が悪く発売されたレコードは音質的にはかなり難がありました。しかし、1999年にリミックスされ、奇跡的な音質改善が図られたことでより評価が高まりました。

ディランは離婚騒動、映画「Renaldo & Clara」の失敗や「Rolling Thunder Revue」による経済的な打撃など、精神的にも肉体的にも多くの問題を抱えている中で、自らをリセットする気持ちが世界ツアーやアルバムに刻まれ、ツアー後の改宗を予感させるようなものが漂う内容となりました。とはいえ、表面的には今までになくポップな感じで、歌い方もディランとしては丁寧なので聞きやすいアルバムになっています。

1曲目は「衛兵の交代」というタイトルで、タロットカードや中世の騎士が登場し、自分が登場してから世界は崩壊に向かい、新しい支配者へ移行しているという難しい内容で、ディランのボーカルに女性コーラスがコール&レスポンスで被さるところは、ゴスペル風の仕上がりになっています。次は「新しい仔馬(女性の比喩)」を飼っているのですが、その名はルシファー(堕天使)という不穏な名前で可愛らしいタイトルなのに泥臭いブルースです。

「泣かないで、僕がそばにいる、すべてうまくいく」と女性を慰めたかと思えば、「君の愛は本物なのか?」と疑ったりします。「セニョール」は、謎の人物に「我々はどこへ向かっているのか?」と世界に絶望して問いかける。傷つけ合った恋人たちは、お互いを許し忘れるしかないので、「もう話し合って終わりにしよう」と別れを告げるという具合に、サラとの別れを感じないわけにはいかない曲が続きます。そしてラストで、暗闇を通り抜けて長い旅が終わり「僕にはまだ息がある」で締めくくられ、何とか生き抜く決意を新たにして終わります。

6月には世界ツアーの第2レグの開始と同時にこのニュー・アルバム「Street Legal」が発売され、順調に売り上げを伸ばし前2作に匹敵するヒットになります。ツアーはロンドンの6公演から始まり、オランダ、ベルギー、西ドイツで4公演、7月にはパリで4公演、さらにスウェーデン、西ドイツで4公演の後、イギリスに戻って7月15日まで続きました。

メンバーは2か月間の休養の後、9月15日からカナダを含む全米を回る過酷な65公演を12月16日まで行い、全114公演という世界ツアーは終了しました。しかし、さすがに11月以降、ディランの喉の調子が悪くなり、ただでさえしゃがれた声がさらにかすれてしまいます。疲労のピークになった11月17日、サンディエゴでの公演で、またもや伝説が生まれました。

 ライブの終盤、ステージの苦し気なディランに向かって、観客席から小さな銀の十字架(シルバー・クロス)が投げ込まれたのです。 普段のディランであれば、ステージに投げ込まれた物は無視するところですが、この日はなぜか足元の十字架を拾い上げポケットにしまったのです。

翌日、アリゾナ州へ移動したホテルで、ディランはさらに体調が悪化し、思わず銀の十字架を身につけたのです。すると「イエス・キリストが部屋に現れ、自らの体に直接手を置くのを感じた」と本人が後に語っています。この「個人的なキリストとの出会い」という決定的な体験によって、ディランは生まれながらのユダヤ教からキリスト教へと改宗することになるのです。


Changing of the Guards
New Pony
No Time to Think
Baby, Stop Crying
Is Your Love in Vain?*
Senor (Tales of Yankee Power)
True Love Tends to Forget
We Better Talk This Over
Where Are You Tonight? (Journey Through Dark Heat)

Bob Dylan (vo, g)
Steve Douglas (ts, ss), David Mansfield (vn, mandolin)
Alan Pasqua (key), Billy Cross (g), Jerry Scheff (b)
Steven Soles (g, back.vo), Ian Wallace (ds), Bobbye Hall (perc)
Carolyn Dennis, JoAnn Harris, Helena Springs (back.vo)
*Steve Madaio (tp)

April 25 ~ May 1, 1978, Santa Monica, California

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年7月25日土曜日

The Complete Budokan 1978 (1978, release 2023)


1972年11月に映画のためにボブ・ディランは、家族を連れてメキシコに一時移住しました。おそらく、このあたりから交通事故後は家庭人として優等生だったディランと妻のサラの関係にひびが入り始めたのではないかと、勝手に想像します。ですから「Planet Waves」では「Wedding Song」で変わらない愛を歌いましたが、1974年の年明けからThe Bandとのツアーが始まり音楽中心の生活になったことが、より一層の不満をサラに抱かせたことは間違いない。

そのために「Blood on the Tracks」は、二人の関係を修復したい気持ちとあきらめから不安が入り混じった複雑な歌ばかりが並ぶことになりますが、やはり常人とはちょっと違うのがディランという人です。「Rolling Thunder Revue」は、昔の恋人だったジョーン・バエズを招き仲良くデュエットをしてしまうのですから、当然サラの不満・怒りは頂点に達し、第1期ツアーが終了した時点で完全に修復不能なほどに関係が崩壊しました。

第2期ツアー後は、ディランは撮影した映画「Renaldo & Clara」の編集作業に没頭します。目立った音楽的な活動は1976年11月のThe Bandの解散コンサート出演くらいでした。1977年3月にサラは裁判所に離婚を申請。こどもたちの親権や財産分与についてすったもんだの末に、6月末に離婚が成立します。

足掛け5年近い私生活のもたつきは、音楽を楽しむうえで不要と考えがちですが、こうしてディランの生み出してきた音楽を続けて聞いていくと、プライベートとは言えこれらの経緯が音楽そのものに大きな影響を及ぼしていたことがわかります。また、物議をかもしたこの後の初来日公演の意味も理解しやすくなります。

不評で終わった第2期「Rolling Thunder Revue」の経済的な損失と離婚による莫大な和解金は、さすがのディランであっても大きな打撃となりました。それが、翌年の日本を含む世界ツアーを行う呼び水になったわけで、初めてディランを迎える日本からすれば喜ばしいことだったわけです。

秋から少しずつツアーの準備を始めるのですが、ここで日本のプロモーターから「過去のヒット曲」をリクエストされたディランは、以前なら無視するところですが、何しろ今は金が必要です。ところが困ったことに中には長いこと歌っていない曲もあるので、歌詞どころかメロディもいまいちわからないというわけで、自分の曲の楽譜集を購入したという笑うに笑えない逸話があったりします。

12月になるとカリフォルニア州サンタモニカにある、ディラン自身のスタジオ「ランダウン・スタジオ(Rundown Studios)」でツアーのリハーサルが始まります。このツアーは、今までの「ボブ・ディラン」を壊して、新たに再生するという目的があり、フォーク・ロック路線を捨ててホーンと女性コーラスを加えたビッグバンドへの転向という目的でメンバーが集められました。この年の8月にエルビス・プレスリーが亡くなっていて、この変化はプレスリーのショーのイメージが関係しているといわれています。

新しいバンドのまとめ役は、前年のツアーから参加しているロブ・ストーナー(b)で、スティーヴン・ソールズ(g)とデヴィッド・マンスフィールド(vn)も続投されました。新たなメンバーは、ビリー・クロス(g)、アラン・パスクァ(key)、イアン・ウォレス(ds)、ボビー・ホール(perc)、スティーヴ・ダグラス(sax)らで、女性バックコーラス(ヘレナ・スプリングス、ジョー・アン・ハリス、デビー・ダイ)が加わり華やかさとゴスペル感が強まりました。

私設スタジオでのリハーサルは、かなり熱の入ったもので、ディランは次々にレパートリーを追加していき、積極的に古い曲は今までのイメージを崩すようにしたため、メンバーは大変だったようです。実はこれらのリハーサル音源は、後に「Rundown Rehearsal Tapes」と呼ばれる海賊盤として出回り、密度の高い集中したセッションは高く評価されています。

年が明けて、いよいよ世界ツアーが開始されますが、まずスタートは2月20日から3月4日の日本での11公演で、大阪3公演以外はすべて日本武道館でした。このうち、2月28日と3月1日に、日本からの強い要請でライブ録音が行われました。両日からチョイスされた全22曲が収録された2枚組レコードとして8月に日本だけで発売されましたが、ディランも録音の良さを認め翌年4月に全世界でも発売されました。

本来なら、この「Bob Dylan at Budokan」を聞けば良いのですが、実は実際のステージでのセットリストは無視した順番で曲が並んでいるため、当時の雰囲気が伝わりにくいのです。ところが、2007年にソニーの静岡工場でおよそ30年ぶりにこの時のマスターテープが発見され、日本サイドが粘り強く交渉を重ねた結果、ついに2日間のコンサートの様子を丸ごと収録した完全版が2023年に発売されました。コンサートの様子をそのまま感じ取るには、あえてこちらの完全版を強くお勧めします。

初来日ということで、いろいろと大騒ぎで注目されたわけですが、デニムに身を包んだフォーク・ギターを抱えたディランの登場を期待していたかどうかわかりませんが、ステージに現れたディランは何と白いスーツ姿。しかも1曲目はみんなが大好きな「激しい雨」・・・なんですが、驚いたことに何とディランが歌わない。インストゥルメンタルです。これには集まった聴衆は度肝を抜かれたに違いありません。まさに今回のライブはこんな感じで行くと目次を見せられたような感じです。

確かにセットリストには有名曲がふんだんに盛り込まれているのですが、今までにないアレンジが施され、曲によっては原形をとどめていないものすらあります。このことと、ディランがラスベガスのスター然とした衣装やバンド編成であったため、日本国内でも本国アメリカでも批判的な論評が多く出されています。

実際のところ、過去の演奏を知らずに初めて聞くなら、うん、そうか、ですむんですが、さすがに思っていたものと違うというのは、聞く側からするとちょっと辛い。その都度、スタイルをガラリと変えてきたのがディランだと思うようにしても、期待との落差は埋められない溝を感じます。

もっともとても聞きやすいディランというのも妙ですが、即興性が目立つディランにアレンジ力が意外とあるという発見もあり、今まで作り上げてきた偶像を破壊するという目的は十分に達成したステージだと言えるかもしれません。ディラン一行は日本公演が終わるとすぐさま移動し、ニュージーランド、オーストラリアで11公演を4月1日まで行い、世界ツアーの第1レグを終了しています。


A Hard Rain's a-Gonna Fall
Repossession Blues
Mr. Tambourine Man
I Threw It All Away
Shelter from the Storm
Love Minus Zero / No Limit
Girl from the North Country
Ballad of a Thin Man
Maggie's Farm
To Ramona
Like a Rolling Stone
I Shall Be Released
Is Your Love in Vain?
Going, Going, Gone
One of Us Must Know (Sooner or Later)
Blowin' in the Wind
Just Like a Woman
Oh, Sister
Simple Twist of Fate
You're a Big Girl Now
All Along the Watchtower
I Want You
All I Really Want to Do
Tomorrow Is a Long Time
Don't Think Twice, It's All Right
It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)
Forever Young
The Times They Are A-Changin'

February 28, 1978, Budokan, Tokyo


A Hard Rain's A-Gonna Fall
Love Her with a Feeling
Mr. Tambourine Man
I Threw It All Away
Love Minus Zero / No Limit
Shelter from the Storm
Girl from the North Country
Ballad of a Thin Man
Maggie's Farm
One More Cup of Coffee (Valley Below)
Like a Rolling Stone
I Shall Be Released
Is Your Love in Vain?
Going, Going, Gone
One of Us Must Know (Sooner or Later)
Blowin' in the Wind
Just Like a Woman
Oh, Sister
I Don't Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
You're a Big Girl Now
All Along the Watchtower
I Want You
All I Really Want to Do
Knockin' On Heaven's Door
The Man In Me
It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)
Forever Young
The Times They Are A-Changin'

March 1, 1978, Budokan, Tokyo


Bob Dylan (vo, g, harmonica), Steve Douglas (sax, fl, recorder)
Steven Soles (aco.g, backing vo), Billy Cross (g), Alan Pasqua (key)
David Mansfield (pedal steel g, vn, mandolin, dobro)
Rob Stoner (b, backing vo), Ian Wallace (ds), Bobbye Hall (perc)
Debi Dye, Jo Ann Harris, Helena Springs (backing vo)

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年7月24日金曜日

みょうがサラダ(豚肉の冷しゃぶ)


梅雨が明け、めっちゃ暑い。覚悟していたとは言え、やはり現実に37゚は辛い。

・・・と泣き言を言いたくなるところで、せっかくですから少しでも涼し気な食事にしたいと思い、こんなことをしてみました。

たいしたことをやったわけではありません。

薄切りの豚肉をさっと茹でて、一緒に旬のみょうがメインのサラダを食べようというわけです。

使った野菜は、みょうが、きゅうり、ニンジン、ゴボウです。

ポイントは、できるだけ細く切るところ。みょうが、ゴボウはあくが多い野菜ですから、しっかり水にさらして使います。

味は何でもいいんです。面倒ならポン酢だけでもOK。

今回は、ちょっとエスニック風に、ナンプラーににんにく、砂糖少々と言う組み合わせのドレッシングを作ってかけました。

涼し気で、すっきりした味わいで、この時期ぴったりです。

2026年7月23日木曜日

Around DYLAN - The Band


ボブ・ディランの人物史は、The Band抜きで語ることはできません。メンバーはディランから多大な影響を受けたと同時に、ディランも彼らとの共演はホームのような居心地の良さを感じていたのではないでしょうか。

50年代末にアメリカの歌手のロニー・ホーキンスは自分のバンド、The Hawks (ホークス)を率いてカナダに渡りましたが、ドラムのレヴォン・ヘルム以外が脱退してしまったため、現地でギターのロビー・ロバートソン、ベースのリック・ダンコ、ピアノのリチャード・マニュエル、オルガンのガース・ハドソンを採用しました。

1964年からレヴォン&ザ・ホークスとして単独で活動を始めますが、1965年の夏、ロバートソンは偶然にディランが「Like a Rolling Stone」のレコーディング中だったスタジオを見学します。これがきっかけで、秋のライブでロバートソンとヘルムがディランのバックにつくことになりました。しかし、電気楽器を取り入れてロック化したディランの演奏は、純粋なフォーク音楽信奉者から不評を買いました。ライブではブーイングの嵐だったので、耐えきれなかったヘルムは故郷に帰ってしまい、メキシコ湾の石油採掘のしごとに就いたりして放浪するのでした。

残ったロバートソンは他のホークスのメンバーと供にディランのレコーディングに参加した後、1966年春のディランのヨーロッパ・ツアーに同行しました。アメリカに戻った後、ディランの「Blonde on Blonde」のレコーディングに参加したもの、アルバム発売直後にディランが交通事故により休養を余儀なくされます。

怪我がおちついたディランは、静養先のウッドストックにメンバーを誘いました。1967年は毎日のようにビッグ・ピンクと呼んだ家で、戻って来たヘルムも含めて私的な「地下室」セッションを続けました。ここから多くのことを学んだメンバーは、1968年に「The Band」と改名し「Music from Big Pink」でメジャー・デヴューを飾ります。

アメリカのルーツ音楽の一つであるカントリー音楽をベースにした、いわゆるルーツ・ロックの先駆けとして彼らのアルバムは絶大な支持を得ました。ヒッピー文化から派生し勢いをつけていたサイケデリック音楽に対抗し、より影響力のあるロック・バンドとして成長していくことになります。

1973年には、再びディランと組んで「Planet Waves」で共演し、そのままの勢いで1974年1月~2月のディランのアメリカツアーを対等な立場で回りました。1966年のツアーとは違い、今回は激しい非難を受けることなく、各地で大歓声で迎えられたのですが、グループ内ではロバートソンの発言力が強まり、リーダーのヘルムとの間の関係がしだいに悪化していたのです。

それでも、彼らはマリブに自分たち専用スタジオ「シャングリラ」を完成させますが、ツアーに疲れたロバートソンとライブをメインに考えるヘルムの確執は広がるばかりで、ついに1976年11月25日のコンサートをもって、バンドを解散することになってしまいます。

この時のライブが「Last Waltz」で、マーティン・スコセッシ監督により映画としても映像が公開されています。ライブにはエリック・クラプトン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、マディ・ウォーターズなどの豪華なゲストが登場しましたが、ここでもゲストに誰を呼ぶかでメンバー内では大きな揉め事になっています。

それでも、最後に登場したボブ・ディランとの共演は、全員が一丸となった見事な演奏を聞かせてくれました。このライブは、当初2枚組レコードとして発売されましたが、その後完全版として4枚組CDも登場しています。

その後、ロバートソン抜きで再結成され活動を再開しますが、往年の人気は戻ることはありませんでした。1986年にマニュエルが自殺、1999年にダンコが病死し、事実上活動を停止しました。ヘルムは2012年、ロバートソンは2023年、そしてハドソンも2025年にそれぞれ亡くなっていて、生存するメンバーはいなくなっています。

2026年7月22日水曜日

Around DYLAN - The Byrds


The Byrds(ザ・バーズ)は、1964年にロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビー、クリス・ヒルマン、マイケル・クラークによって結成された五人組のフォーク・ロック・バンドです。

彼らは、マイナー契約で1枚のシングルを出しましたがまったく売れませんでした。そんな時に、マネージャーとなったジム・ディクソンがディランの熱心なファンだったことから、ディクソンはディランのマネージャーであったアルバート・グロスマンから、まだ未発表だった「Mr. Tambauline Man」のデモ音源を入手しました。

さらにディラン本人が彼らの前で直接演奏をして聞かせたことで、メンバーも受け入れて当初はディランのようにアコースティックな演奏をしました。しかし、ビートルズの影響を受けてロック・ビートを導入するように変更し、さらに彼らの武器である美しいハーモニーを重ねることにしました。

そして、ここで登場するのがジャズの帝王マイルス・ディビス。デモを聞いたマイルスは、今の若者が求めているのはこれだと、コロンビア・レコードに直談判したことで、バーズはディランと同じコロンビア・レコードとシングル1枚だけの契約にこぎつけます。そして、1965年4月に「Mr. Tambauline Man」を発売したのです。

事実上のデヴュー作は、なんと爆発的にヒットし全米1位を獲得したことで、バーズはコロンビアと長期契約を結ぶことができました。ちなみに、後年、バーズはマイルスの「Milestones」を、マイルスはバーズの「Guinnevere」をお互いにカバーしています。

その後もディランの多くの楽曲をカバーしていて、1979年にはディランの曲だけでコンピレーションが発売されていますが、2002年の再発売の際にはライブも含めて何と20曲を収録しています。ディラン本人の歌唱は癖があって、中には曲構成がわかりにくいものもあったりしますが、バーズ版で聞くととても音楽的に整っているところが面白い。

デヴュー1年で、フォーク・ロックの概念を作り上げたバーズは、人気も急上昇して海外公演も成功させます。しかし、プロデューサーのテリー・メルチャーは、楽器の演奏は未熟だとしてスタジオ・ミュージシャンを登用する措置を取ったため、主導権を握りたいディクソンと対立し、しだいに間に入ったメンバーも疲弊してしまいます。

1966年には、時代の流れを敏感に感じたバーズは、早くもサイケデリック調を取り入れます。ヒットした不協和音から始まる「Eight Miles High」は、先駆的なサイケデリック・ロックと言われ、これらを含むアルバムは逆にビートルズに影響を及ぼしました。しかしそれぞれの理由でしだいにメンバーが脱退し、マッギンの力が強くなり、ついにはクロスビーとも決裂してしまいました。

1968年には新しいメンバーを導入し、サイケから一転してカントリー・ロックへと方向性を転換します。しかし、メンバー間の軋轢などが相次ぎ迷走したバーズは1973年2月に解散しました。その後も各自がバラバラに活動し、離合集散を繰り返しながらさまざまな揉め事を度々起こすことになってしまいます。

1990年にマイケル・クラークを除いた4人が、50年代後半~60年代前半に人気があったロイ・オービソン追悼公演に揃って出演し、ステージにはディランもゲスト参加して共演を実現しています。

2026年7月21日火曜日

梅雨明け


出たー、昨日、梅雨明け宣言。

去年はなかなか宣言が出なくて、やっと7月18日(頃)でした。

今年は、ほぼ平年並みで、そりゃ、もういいよねという天気です。

昨日は37゜・・・まぁ、このくらいではもう驚きません。横浜気象台の観測データによると、最高気温は34.8゚となっていますが、公式記録はいつも低めですね。

これからが本格的な灼熱列島。くれぐれもしっかりと水分をとって、体調管理をしてください。

一昨日は、バレーボールのネーションズ・リーグで男子が予選全勝の12連勝という快挙に湧きました。決勝トーナメントは女子は22日から、男子は29日から。

そして、昨日は、FIFAワールドカップの決勝で、ランク一位のアルゼンチンと二位のスペインが激突。

スペインの圧倒的な攻めに、アルゼンチンは防戦一方。これはPK戦かと思われた、最後の最後でスペインの劇的な決勝弾が生まれました。

暑い暑いと思っていても、色々楽しみはあるのが夏ですから、少しでも気楽に過ごせるといいんですけどね。

2026年7月20日月曜日

Around DYLAN - Joan Baez


ジョーン・バエズ・・・と呼ぶのが日本では定着していますが、ネイティブには「バイェズ」と発音する方が正しいらしい。ニューヨーク出身ですが。顔立ちからも想像できるようにメキシコ系の生まれで、アメリカの女声フォーク・シンガーとしては第一人者という評価は間違っていません。

生まれたのは1941年で、ボブ・ディランと同い年、誕生日は4か月ほど早い。バエズがいなければ、ディランは誕生しなかったとまでは言えないにしても、世間に知られるのは相当遅れたことだけは確実です。

バエズは13歳の時にピート・シーガ―のコンサートを体験したことで、フォーク・ソングに強い興味を持ち、ボストン大学に進学したものの音楽活動に没頭するようになりました。大学を中退して、クラブで歌うようになり、1959年の第1回ニューポート・フォーク・フェスティバルで飛び入りでステージに立ち、その圧倒的な歌唱力と美声でいっきに有名になります。

多くのレコード会社から誘いを受けたバエズでしたが、小さなヴァンガードという会社と契約。1960年10月に、デヴュー・アルバムが発売されます。これはニューヨークのダンスホールで、ボーカル用とギター用の2本のマイクだけで、一発録りというシンプルな方法でしたが、よりリアルな雰囲気を伝えることに成功していると評価されました。

バエズの生まれた家は、キリスト教の一種であるクエーカー教を信仰していました。クエーカー教は、神父などの仲介者を介さなくても神の精神は個々の中に直接存在すると教えられます。つまり、すべての人は平等であるということが基本であり、絶対的な平和主義のもと暴力を否定します。

従って、その音楽活動もごく自然に平等を訴え、暴力を否定する方向に向かい、公民権運動や反ベトナム戦争というような反体制的な方向が顕著になります。そのため。当時のアメリカ政府機関からは危険人物として監視されていたと言います。

1961年、すでにフォークの女王と呼ばれるようになっていたバエズは、グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・クラブで、ミネソタから出てきたばかりの無名の若者だったボブ・ディランと知り合います。外見や声はともかく、ディランの曲には非凡なものを感じ、自信のコンサートにゲスト出演させ世間にディランの存在を広める手助けをしました。

1963年のニューポート・フォーク・フェスティバルでは、ディランと同じステージに登場しデュエットをしたこともあって、ディランの人気は確実なものになったと言えます。この頃から、明らかに二人の関係は恋人であったことは間違いなく、お互いのコンサートに帯同するようになります。

しかし、1965年のニューポートで、ディランはロック化宣言をして反体制的なフォークから距離を置くようになります。1966年のイギリス・ツアーでは、バエズも同行しましたが、以前のようにステージに呼ばれて一緒に歌うことはありませんでした。なんとかフォークの世界にとどまるようにとバエズは説得しますが、ディランは次第にバエズに対して冷淡になり二人の関係はツアーの後で決裂したと言われています。

その後バエズの反戦活動はより活発になり、徴兵反対運動では2回逮捕されています。1968年に反戦活動家のデヴィッド・ハリスと結婚しますが、ハリスは徴兵拒否ですぐさま逮捕・収監されています。1972年のクリスマスには北ベトナムのハノイを訪問し、折しもアメリカ軍の大規模な爆撃(いわゆるクリスマス爆撃)に遭遇し、防空壕の中で歌い続けるという体験もしています。

1975年には、ディランの「Rolling Thunder Revue」ツアーに誘われて、10年ぶりに二人はデュエットを行いましたが、夫婦仲が不安定なディランの私生活の乱れなどから、しだいにツアーは荒れてしまい、バエズも多くの不満を抱えることになってしまいます。

その後もバエズはアムネスティ(国際人権NGO)活動への協力や、南米の軍事政権批判などの活動を続け、一貫して自由・平等の心情を突き進んでいましたが、音楽活動は2018年に引退を表明しています。

2023年にバエズの活動を振り返るドキュメンタリー映画「I Am A Noise」が公開されました。楽しいだけではない苦しいことも多かったバエズの音楽人生が、主観的かつ客観的にまとめられていて、大きな話題とになりました。また、デヴューから1966年までのディランを追いかける伝記映画「名のなき者 / A Complete Unkown」がティモシー・シャラメ主演で公開され、バエズ(演じたのはモニカ・バルバロ)との関係も詳しく描かれています。

2026年7月19日日曜日

Hard Rain (1976)


1976年1月年明け早々、ボブ・ディランのニューアルバム「Desire」が発売され大ヒットしました。ディランは前年の「Rolling Thunder Revue」ツアーの最終日を、冤罪の殺人罪で投獄された黒人ボクサー、ルービン・"ハリケーン"・カーターの救済支援のため慈善コンサートにしましたが、その熱気をそのまま引き継ぎ1月25日にテキサス州のヒューストン・アストロドームで2回目の慈善コンサートを開催します。

ジョーン・バエズとお馴染みとなったツアー専用バンドであるGuamのメンバーに加えて、スティーヴィー・ワンダー、リンゴ・スター、カルロス・サンタナ、スティーヴン・スティルス、アイザック・ヘイズ、ドクター・ジョンなど前年以上に豪華なゲストが集結した賑やかなものとなりました。ただし、実は様々な出費がかさみ、カーターへの寄付はほとんど残せなかったようです。

そもそも前年のツアーが、大勢のギャラと小さい会場での売り上げ減少により巨額の赤字を生んでいました。プロモーター側からの要請で、少しでも挽回する必要に迫られたディランは、4月から5月にかけて「Rolling Thunder Revue」第2期ツアーを行うことになりました。気の置けない仲間たちと楽しく旅芸人一座のように各地を回り、即興性を重視した観客との距離が近いステージ・・・というディランの元々の理念は、ここで完全に崩壊してしまいます。

つまり、興行収入を増やすために、スタジアムやアリーナといった、音楽が商業主義化したとディランが嫌悪した大規模会場ばかりでツアーが組まれたのです。フロリダ州レイクランドで4月18日に始まったツアーは、フロリダ州、ジョージア州、テネシー州、アラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州、テキサス州、オクラホマ州、カンザス州、コロラド州、ユタ州という具合に南部を中心に5月25日までの5週間に27公演という過密スケジュールで強行されました。

しかも、大規模会場に関わらず事前のプロモーションが不十分で満員にできない会場が続出します。最終日のユタ州ソルトレイクでは、急遽組まれたことにあって客席は半分しか埋まらないという惨状でした。少しでも資金を回収せざるをえなくなったディランはテレビ放送を受け入れ、5月23日のコロラド州フォート・コリンズのライブが撮影されました。

アメリカで9月に放送された際には、怒りにまかせたようなディランの絶叫ばかりが悪目立ちして、高評価だった前年のツアーと比べて酷評が並びました。実際、第2期ツアーは経済的な問題だけでなく、多くの問題が噴出し崩壊寸前だったと言われています。なお、公式のDVDなどは発売されていませんが、テレビ放送された分については1977年に日本でも放送されたので、今でもネットなどで視聴が可能です。

特に大きな問題となったのは、下世話な話で恐縮ですが、第1期の始めからツアーの現場に離婚危機にあったディランの妻サラが同行していたことにあります。これは同時に撮影されていた映画「Renaldo & Clara」のクララ役という理由だったのですが、ディランとバエズの関係改善の様子がサラの怒りを買い荒れる原因になりました。

第2期ではサラは同行していなかったのですが、ディランは経済的なことも含めて精神的にかなり追いこまれていて、バエズに対してもかなり厳しい態度を取るようになったらしい。バエズはバエズで、映画で「元恋人」役をやらされたことに強い不満がありました。また、キャストと同じ扱いを受けるはずだったスタッフが、第2期では格差をつけられたことも、自由・平等を信条とするバエズには納得できないことでした。

ジョニ・ミッチェルやロジャー・マッギン、ロニー・ブレイクリーらの看板ミュージシャンは参加せず、他のメンバーもあくまでも雇われたからという感覚になり、バエズさえも自分の出番が終わると会場を後にしてしまうようになります。また、ディランの荒れた心を反映してか、彼らの間にマリファナやコカインが蔓延し、より人間関係を悪化させたといわれています。

コロンビア・レコードは公式に公演のレコーディングをしていましたが、テレビ局との連動企画として、5月23日のライブを中心としたアルバムを制作し、テレビ放送に合わせてディランの2番目のライブ盤として発売しました。過激すぎるディランが不評だったのは、テレビ特番と同じですが、今の耳で聞くとフォーク・ロックの延長にある第1期と対照的なハードなディランもなかなか興味深い。

さんざん関係修復を願って歌い続けたのに、おそらくツアーの中でサラとの関係はついに崩れ去り、ディラン自身も修復不能であることを認めざるをえない状況になったのだと思います。その精神の葛藤は、この第2期ツアーで大暴走・大爆発し、共演者を置き去りにして収拾がつかないほど過激な演奏となり、一音一音、一言一言が怒りと恨みに満ちたようなライブになった・・・くらいの説明ができそうなくらい強大なエネルギーが放出されています。

音楽としてのフォーマットはなし崩しになり、ある意味すさまじさを感じます。反骨精神のもとに演奏技術よりも生々しい叫びやメッセージ性を重視する「パンク」という音楽の呼び名は、まだ一般にはあまり浸透はしていなかった頃ですが、もしかしたらここから始まったのかと思えたりもするのが愉快です。

個人的には、このディランもディランの多面性の一つとして問題なく許容できます。むしろ、もっと聞きたい欲求もありますが、第2期ツアーの全貌がわかるようなCDボックスが発売されれば、次第に破綻していく過程も明らかになり興味は尽きません。ただし、内容が内容だけに公式にこれ以上の音源が登場することは難しいかもしれません。


Maggie's Farm
One Too Many Mornings
Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again*
Oh, Sister*
Lay Lady Lay*
Shelter from the Storm
You're a Big Girl Now
I Threw It All Away*
Idiot Wind

Bob Dylan (vo, g)
T-Bone Burnett (g, pf), David Mansfield (g, pedal steel guitar)
Bob Neuwirth (g, back vo), Scarlet Rivera (vn), Mick Ronson (g)
Steven Soles (g, back vo), Rob Stoner (b, back vo), Joan Baez (g, back vo)
Howard Wyeth (ds, pf), Gary Burke (ds)

May 16, 1976, Fort Worth, Texas*
May 23, 1976, Fort Collins, Colorado

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2026年7月18日土曜日

IHクッキングヒーター


もう、ずいぶん前にもともの据え置きのガスコンロが壊れて、IHクッキングヒーター2台を利用していました。

最初のうちは火力が弱いとか、フライパンを持ち上げて振れないとか、不便を感じたものですが、慣れと言うのは恐ろしいもので、いつの間にか何の違和感も無くなっていました。

で、、、2つのうち1つが壊れた。温度感知のセンサーがいかれてしまいました。

急遽カセットガスコンロの出動となり、とりあえずしのいでいたんですが、あることに気がつきました。

火は熱い!!

当たり前ですが、IHに慣れると調理器具に手が近づいても熱くないんです。炎が無いと言うことが当たり前になると、同じような操作をしているとガスコンロは火傷しそうになる。

夏場になると、台所の暑さもパワーアップしていそうで、こりゃ、かなわん、ということになりました。

そこで、Amazon Prime dayセールで、ネットのおすすめ第1位の山善の製品が安くなっていたので、まとめて2台購入しました。

いやいや、1台でいいんじゃない・・・と思うかもしれませんが、実はもう1台も温度センサーが怪しくて、高温で停止というのが頻繁に起こっていて使いにくくなっていたんです。

IHクッキングヒーターの火力は、どこのメーカーでも最大1400Wみたいです。それでもちょっと足りないとおもうことがあるので、それ以下は間違いなく却下。

どうせ2台なら、最初から二口コンロのものがあるんですが、1400Wとなっていても二口ともではなくて、片方は低出力の仕様になっているものがほとんど。だったら、二口1台より一口2台の方が使い勝手は良くて、しかも値段も安くなると言うことになりました。

カセットガスコンロは、いいんですけどボンベが連続で1時間で空になるので、これをメインに使うと、大量のボンベを消費することになります。やはり特別な料理の場合とか、災害時用としてキープしておくのが正解だと思います。

2026年7月17日金曜日

Night of Hurricane (1975, unofficial)


ボブ・ディランを聴きこんでいく上で、公式盤だけ聞いていればいいはず・・・だったんですが、ディランのタレントがわすが両面で40分程度レコード盤で収まるわけがないことを痛感するばかりです。ディランの音楽が一個人の音楽史にとどまらず、ある意味アメリカ近代文化史を書き換えてきたという事実の重みを理解するためには、「The Bootleg Series」のようなアーカイブ音源を揃えても不十分で、非公式の海賊盤も時には必要とします。

特に1975年の「Rolling Thunder Revue」ツアーは、ロックのみならず大衆音楽史の中で。伝説中の伝説と呼ばれるものです。21世紀になって発売された公式盤はその片鱗を捕えていることは確かなのですが、それはディランのライブの一つという枠を超えるものではありません。ステージの全貌を理解するためには、すべての出演者を含めた全体の流れを知る必要があります。

ツアーの最終日、1975年12月8日。ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われた、ルービン・カーター救済コンサートは、ゲストも多く、何と250分という長丁場のコンサートになりました。もっとも他の会場でもだいたい3時間越えですから、観客もさぞかし大変だったかもしれません。幸い、サウンドボードからの大変音質の良い海賊盤が普及しているので、順番に聞いていきます。

まず登場するのはボブ・ニューワースです。ヒット曲があるわけではありませんが、フォークやロック音楽を陰で支えた功労者で、ディランにとっても本音で語れる数少ない友人の一人で、ツアーのメンバー集めにもかなり動いたようです。

次はTボーン・バーネット。今でこそグラミー賞を何度も受賞したプロデューサーとして有名人ですが、この時は駆け出しのギタリストで、ニューワースに見いだされて参加しました。そして、「Desire」でベースを担当し混乱したセッションをまとめあげるのに貢献したロブ・ストーナーが続きます。

ディランにキリスト教をすすめ、しばらくバンドに残ったスティーヴン・ソールズに続いて登場したのが、何とミック・ロンソン。デヴィッド・ボウイの初期を支えたハード・ロッカーで、フォーク系のメンバーが多い中では異色の存在ですが、全体の音を厚くする仕事をしています。そして、「Hurricane」の再録音で急遽呼ばれてそのままツアーに参加したロニー・ベイカリーがピアノの弾き語りを披露します。

ここまでは今回のバンド・メンバーの顔見世という感じ。ディランはこのバンドをGuamと呼んでいました。「Desire」の立役者、ジプシー・バイオリンを弾くスカーレット・リベラも、Guamの一員として大活躍です。さて、続いてツアーにずっと帯同してきた一人目のゲスト、ジョニ・ミッチェルが登場し4曲を歌います。

ここまででおおよそ1時間というところ。ここで、慈善コンサートの目的であるルービン・カーター救済のために各界の有名人(モハメッド・アリ、ビル・フランクリンなど)がステージに上がり約17分間のスピーチタイムとなります。獄中のカーターも電話で出演するというおまけつき。

そして、このライブだけの最初のスペシャル・ゲストが登場します。若き日のディランのフォークのアイドルの一人と、ディラン自ら紹介されたのはランブリン・ジャック・エリオットで、ウディ・ガスリーと行動を共にしてガスリーのスタイルを継承した人物です。エリオットは4曲歌って喝采を浴びてステージを後にし、いよいよ真打ディランの番です。ハードなロック版ディランが7曲続きますが、この中の1曲でThe Bandのロビー・ロバートソンが飛び入りで参加しています。

ディランがフォークギターに持ち替えると、ジョーン・バエズが登場し、弾き語りデュエットで6曲を歌います。以前は、好き勝手に歌うディランに天才的に寄り添うハーモニーをつけたバエズですが、ここではディランに負けない勢いで差し込んでいく感じです。ここでディランは一度引っ込んで、バエズのソロが6曲。ヒット曲の「Diamonds and Rust」はかつての恋人ディランを歌った曲なので、この場で歌われるというのは感慨深いものがあります。

バエズに紹介されて登場した今夜限りの二人目のゲストはロバータ・フラック。美しい透き通る声に癒されます。そして、ツアーの功労者の一人、元バーズのロジャー・マッギンがソロを取りますが、バーズのヒット曲「Eight Miles High」には観客は大喜びだったでしょう。

そしてディラン再登場で、「Hurricane」を含む8曲を熱唱し、全員でガスリーの「This Land is Your Land」を歌い上げて長いコンサートが終了しました。いやぁ、お疲れさまでした。お付き合いくださりありがとうございます・・・という感じですが、スピーチの部分はともかく、音楽についてはなかなかうまく配置された構成でけっこう飽きずに聴くことができます。

ディラン21曲に対してバエズは12曲に登場ですから、バエズがこのツアーの成立におおきく関わる大看板であったことがわかります。ツアー参加し同行した人の中には、名優として有名なサム・シェパードがいました。彼は、「Renaldo & Clara」の脚本家として誘われたのですが、ほとんど書いた脚本は無視されて、ひたすらディランら一行を観察する羽目になり、後に手記を出版しています。またディランの古い友人であるビート・ジェネレーションの詩人、アレン・ギンズバーグも帯同しステージで詩の朗読などをしていました。

ディランをはじめ、メンバー全員が、音楽は楽しむものだということを実践したツアーで、個々の満足感はかなりあったようです。全員が気迫を持ってステージに挑み、芸術としては大成功であったと言えますが、どう考えても大人数で小さな会場ばかりでライブをすれば、おのずと赤字になることは陽を見るより明らかで、全31公演の興行収入は200万ドルほどだったのに対して経費は想像を絶する額だったようです。

1975年のツアー終了直後、すぐさま翌年の第2期ツアーの計画が立てられました。しかし、北東部中心に回った第1期が莫大な赤字を出したことにより、今度は南部の大きな会場で告知も余裕をもって集客に努める方針に変更されたため、そこにはディランが求めた「即興的な旅芸人一座」というコンセプトは失われていくことになります。


Good Love Is Hard To Find (Bob Neuwith)
Introduction (Announcement)
Sleazy (Bob Neuwith)
Hula Hoop (T-Bone Burnett)
Too Good To Be Wasted (Rob Stoner)
Laissez Faire (Steven Soles)
Life On Mars (Mick Ronson)
Band Introduction (Announcement)
Alabama Dark (Aka Hank Williams) (Bob Neuwith)
Need A New Sun Rising (Ronee Brakely)
Cindy (When I Get Home) (Bob Neuwith)
Mercedes Benz (Bob Neuwith)
Shadows And Light (Joni Mitchell)
Coyote (Joni Mitchell)
Edith And The Kingpin (Joni Mitchell)
Don't Interrupt The Sorrow (Joni Mitchell)
Speech (Bill Franklin, Muhammad Ali & Others)
Ramblin' Jack (Announcement)
Muleskinner Blues (Ramblin' Jack Elliot)
Pretty Boy Floyd (Ramblin' Jack Elliot)
Salt Pork, West Virginia (Ramblin' Jack Elliot)
I'm A Rich And Ramblin' Boy (Ramblin' Jack Elliot)
When I Paint My Masterpiece (Bob Dylan)
It Ain't Me, Babe (Bob Dylan)
The Lonesome Death Of Hattie Carroll (Bob Dylan)
Tonight I'll Be Staying Here With You (Bob Dylan)
It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry (Bob Dylan w/Robbie Robertson)
Romance In Durango (Bob Dylan)
Isis (Bob Dylan)
The Times They Are A-Changin' (Bob Dylan & Joan Baez)
Dark As A Dungeon (Bob Dylan & Joan Baez)
Mama, You Been On My Mind (Bob Dylan & Joan Baez)
Never Let Me Go (Bob Dylan & Joan Baez)
I Dreamed I Saw St. Augustine (Bob Dylan & Joan Baez)
I Shall Be Released (Bob Dylan & Joan Baez)
Diamonds And Rust (Joan Baez)
Swing Low, Sweet Chariot (Joan Baez)
Prison Trilogy (Joan Baez)
Joe Hill (Joan Baez)
Long Black Veil (Joan Baez)
Please Come To Boston (Joan Baez)
Introduction (Announcement)
25th Of Last December (Roberta Flack)
Why Don't You Move In With Me? (Roberta Flack)
Eight Miles High (Roger McGuinn)
Chestnut Mare (Roger McGuinn)
The Night They Drove Old Dixie Down (Roger McGuinn)
Love Minus Zero/No Limit (Bob Dylan)
Simple Twist O'Fate (Bob Dylan)
Oh, Sister (Bob Dylan)
Hurricane (Bob Dylan)
One More Cup Of Coffee (Bob Dylan)
Sara (Bob Dylan)
Just Like A Woman (Bob Dylan)
Knockin' On Heaven's Door (Bob Dylan)
This Land Is Your Land (All Members)

Decenber 8, 1975, Madison Square Garden, NYC

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