2021年5月31日月曜日

コンスタンティン (2005)

キアヌ・リーブスは、「ディアボロス」で悪魔の子、「マトリックス」では未来世界の「神」でしたが、今回は悪魔祓いをする探偵という役柄。

もともとの原作はアメリカン・コミックのDCのキャラクターの一つ。ジャスティス・リーグに登場する怪人・魔人に比べると、ややマイナーな「ヘルブレイザー」の主役。

ジョン・コンスタイティン(キアヌ・リーブス)は、本職はしがない探偵。ずっと吸い続けてきた煙草のせいで肺がんを患っていて、実は余命いくばくない。彼は、幼い時から持っている人間に見えない存在が見える能力を使ってエクソシストとして活動しています。今回も、助手のチャズ・クレイマー(シャイア・ラブーフ)を引き連れて、ロサンジェルスの下町で少女に憑いた悪魔を取り払いました。

天国と地獄の間に人間界があり、両端の世界から人間に干渉するためのハーフ・ブリードという存在がいました。本来は人間を操れても人間界に入り込めない悪魔が登場したことに気が付いたコンスタンティンは、調査を始めます。

天国からのハーフ・ブリードであるガブリエル(ティルダ・スウィントン)は、コンスタンティンに、いくら悪魔を退治しても過去に自殺を試みるという大罪を犯したコンスタンティンは死んでも天国には行けないと言うのでした。

アンジェラ・ドッドソン(レイチェル・ワイズ)は、優秀な女性刑事ですが、犯人を銃で撃つ時、そのタイミングがわかってしまう不思議な力がある。同じような能力を持つ双子の妹、イザベルが入院していた病院で投身自殺をします。

アンジェラは、コンスタンティンの存在に気づき接触しますが、悪魔の群れに襲われます。そしてコンスタンティンの協力者たちも、地獄からのハーフ・ブリード、バルサザールによって葬られます。

悪魔ルシファーの息子マモンが、ルシファーに反逆して人間界を支配しようとして、霊感のあるイザベルを利用しようとしていたこと、そのためイザベルは自ら命を絶ったことが判明しました。イザベルの代わりにアンジェラを拉致した一味のもとにコンスタンティンは乗り込みますが、登場した黒幕は何とガブリエルでした。

ガブリエルは、人間が簡単に天国に行けるのは不公平で、マモンを人間界に送り込み、本当に悪魔の手から生き延びたものだけが天国に行けるようにするという計画だったのです。ガブリエルの前に歯が立たないコンスタンティンは、最後の手段として手首を切って自殺します。

それにこたえて悪魔ルシファーが現れ、掟を破ったマモンとガブリエルを倒し、コンスタンティンを地獄に連れて行こうとしますが、コンスタンティンは「自己犠牲」により天に引き寄せられる。天国に取られるくらいならと、ルシファーはコンスタンティンを生き返らせるのでした。

やはり、キリスト教的な感覚が無いと理解しずらい内容です。天国に行ける条件と地獄に堕ちる条件、大天使ガブリエルと地獄に落ちて悪魔となった堕天使ルシファー。彼らの縄張り争いのような世界観は、ある程度聖書の知識を必要とします。

キーアイテムとして聖槍(Spear of Destiny)が登場しますが、これも人間界から悪魔界を開くために必須のものとされています。聖槍はキリストが十字架に架けられたとき腹を刺された槍のことで、キリストの血が付着しているとされるもの。

監督はこれが監督デヴューとなったフランシス・ローレンスで、もともとはそうそうたるミュージシャンのPVを作っていた人。最近では「ハンガー・ゲーム」シリーズや「レット・スパロー」も監督してジェニファー・ローレンスと縁がある。

珍しいことに、長いエンド・クレジットの後に、ちょっと嬉しいエピローグが付いているので最後の最後まで見ることを忘れてはいけません。

2021年5月30日日曜日

ディアボロス / 悪魔の扉 (1997)

キアヌ・リーブスは、「スピード」で人気に火がついたものの、続編を断って出演したのがこの作品。オカルトがかったスリラーですが、キアヌはアクションだけではない演技派としても認知されることになります。監督は「愛と青春の旅立ち(1982)」がデヴューだったテイラー・ハックフォード。

映画の原題は「The Devil's Advocate」で「悪魔の弁護人」というカトリック用語。悪魔の弁護人には、例えば、ある人物を聖人と認めることが既定路線だとしても、あえて反証を述べてしっかり討議された結果という体裁を作る役目があります。

キリスト教徒が少ない日本では、「悪魔の弁護人」よりも、ディアボロス(ギリシャ語で悪魔の意味)のほうが神秘的でイメージが膨らみやすい。

時には真実に反しても、フロリダ連勝記録を伸ばす弁護士ケヴィン・ロマックス(キアヌ・リーヴス)は、ニューヨークの巨大弁護士事務所に引き抜かれます。事務所の代表はジョン・ミルトン(アル・パシーノ)で、ちなみに「失楽園」の著者と同じ名前。

ケヴィンの妻メアリー・アン(シャーリーズ・セロン)は、都会暮らしを最初は喜びミルトンの主要するマンションに移った二人でしたが、しだいに仕事にのめり込んでいく夫に不安を感じ、夫の同僚の妻が魔物に見えたりして精神的に不安定になっていきます。

ケヴィンが担当したのはミルトンの重要な顧客の一人、不動産王アレキサンダー・カレンの事件でした。カレンは秘書との不倫がばれて妻と妻の連れ子、メイドの3人を射殺した嫌疑がかけられていました。ミルトンはメアリー・アンの病気を優先して事件から降りろと言いますが、ケヴィンは降りたことで妻を恨むことになることを恐れ拒否します。

しかし、調査していくうちにケヴィンはカレンの有罪を確信しますが、勝利のために無罪を勝ち取る。上司のバズーンはミルトンの裏での不正を証言しようとしていましたが、ホームレスに惨殺されます。ケヴィンにバズーンの件を話しに来た男も、ケヴィンの目の前で車に轢かれて死んでしまいます。

 メアリー・アンはミルトンに犯されたといい、精神病院に入院させます。急遽。かけつけたケヴィンの母親は、ミルトンこそがケヴィンの父親だと告白し、メアリー・アンは一瞬の隙に自殺してしまうのです。

全ての元凶がミルトンであることを悟ったケヴィンは彼のもとに行き、銃を向けます。しかし、何発撃っても倒れない。実は悪魔であるミルトンは、すべてはお前の虚栄心のせいだと話し、自分の後を継ぐように求めます。しかし、ケヴィンは自分の意志だとし自ら自分の頭を打ち抜き、野望が崩れたミルトンは炎に包まれます。そして、歴史は繰り返す・・・

神に救いは無く、むしろ人をもてあそんでいるだけ。悪魔こそ、人の望みを叶える存在。それらは、世紀末に作られたこの映画で、まるで来るべき21世紀を予言しているような内容です。キリスト教的な世界観を生まれた時から理解している欧米人には、かなり突き刺さる考え方が示されている感じです。

一方、裏を返せば、原題の司法の場で、本当の罪人が無罪を勝ち取っているという現実もあるのかもしれません。ミルトン法律事務所は、まさに「黒を白」に塗り替える「悪魔の弁護士」です。映画の最後にローリング・ストーンズのヒット曲「Paint it Black」にメッセージが込められているようです。

映画の見どころは、しだいに虚栄心に溺れていくキアヌ・リーブスと、どんどん精神が崩壊していくシャーリーズ・セロン、そしていかにも愉快に悪魔を演じるアル・パシーノの演技でしょう。一部に特殊効果による悪魔的な変貌が顔を出しますが、彼ら俳優の生の演技そのものが、映画をしっかりとしたスリラーとして成立させていることは間違いありません。





 



2021年5月29日土曜日

とろろそば @ 近く


という風に、店名を出さないときは、ガッカリした時。

近くにとろろそば専門店らしき店ができたのは、1か月ほど前。正直、チェーン店で本格的な蕎麦店ではなさそうなので、あまり期待はしなかったのですが、そば好きとして一度は味を確認しておこうと・・・

作っているところを見ていたら、これ、まったくの立ち食いソバと一緒。茹でてある麺をお湯に通して皿に移す。つゆをかけて、つくりおきのとろろを乗せて出来上がり。

何が一番ダメかというと、とろろが山芋じゃなくて長芋なんです。摺り下ろすと水っぽくなるので、細かい千切りにしてごまかしてある。う~ん、ぱっと見て即ガッカリです。

つゆは醤油がきつめで、だしの香りはあまりしない。これも残念。そばは、家で乾麺を茹でたのと変わりない。

これで、立ち食い店並みのワンコインならしょうがないと思えるところなんですが、普通の蕎麦店よりは少し安いかなくらいの値段なんで、う~ん、う~ん、う~ん。



2021年5月28日金曜日

スピード (1994)

キアヌ・リーブスの名を世に知らしめた映画がこれ。

監督はオランダ出身のヤン・デ・ポンで、これが初監督作品。監督としてよりも、撮影監督として比較的有名な作品に名を連ねた人。何しろタイトル通り、次から次へとスビート感があるアクションの連続で大ヒットしました。

キアヌが演じるのはロス市警のSWATの隊員、ジャック。最初はビルのエレベータに仕掛けた爆弾で、中に乗っていた人を人質に金を要求する事件が発生。ジャックと相棒のハリー(ジェフ・ダニエルス)は、危険を顧みず人質救出に成功し、犯人を追い詰めますがあと一歩で逃げられる。


犯人は、続いて高速バスに爆弾を仕掛けます。爆弾は、時速50マイル/時(80km/h)を超えると起爆装置のスイッチが入り、速度が50マイル/時以下になると爆発するというもの。犯人は、前回邪魔されたジャックを指名して脅迫内容を伝えてきます。

ジャックは必死にバスを追いかけ、何とかバスに乗り移ることに成功しますが、たまたま乗客に犯罪者がいて発砲したため運転手が重傷を負います。乗り合わせたアニー(サンドラ・ブロック)が代わってハンドルを握り、必死に運転を続けるのです。

犯人は元警官のハワード(デニス・ホッパー)であることがわかり、ハリーらは自宅に急行しますが、仕掛けられていた爆弾により命を落とす。ジャックは、バスの中にビデオカメラが仕掛けられていて、それによってハワードが状況を把握していることに気が付きます。

バスからのビデオ信号を録画した画像とすり替えることで、何とか乗客を全員バスから降ろすことに成功し、ジャックとアニーも間一髪脱出に成功しました。これで終わりかと思いきや、ハワードは救急車のそばで待機していたアニーを連れ去り、体に爆弾を巻き付け身代金と共に地下鉄内に逃亡します。

何とか乗り込んだジャックと格闘の末、ジャックはハワードを倒しますが、地下鉄は暴走。アニーの手錠を外せないジャックは、アニーをしっかり抱いたまま地下鉄は終点に向かっていき、ついに脱線、横転、そして地上に飛びだして止まりました。ジャックは「異常な状況で結ばれた男女は長続きしない」と言いながら、アニーとキスをするのでした。

・・・と、まぁ、ストーリーは突っ込みどころ満載ではありますが、そんな固いことは言わずに、手に汗握るアクション映画として楽しめばいい。まさに、そんな映画。

豪華フェリーを舞台にした続編が1997年に作られていますが、アニー役のサンドラ・ブロックは続投しましたが、キアヌは「異常な状況で結ばれた男女は長続きしない」ため分かれたことになっていて出演しませんでした。



2021年5月27日木曜日

よけいなお世話


・・・なんですけど、いくらなんでももう少しきれいにしたらと思ったという話。

ある日、たまたまコンビニで駐車したら、隣の車の助手席あたりのあまりの汚さに驚いた。思わず手にしていたスマホで写真を撮っちゃったといもの。

他人が、車をどうしようと本人の勝手ですけど、何か車が可哀そうなくらいゴミだらけ。

消臭スプレーを用意するなら、その前に匂うものを片付けた方がいいんじゃないかと。もしかしたら、車の中で生活しているのかと勘ぐってしまいました。

自分も車は長年運転していますが、ある程度閉鎖された空間で、ゴミの捨て場に困ることはありますが、やはり放置すれば後で自分が不快な気分になるので、ゴミ袋にまとめたり、少なければ降りるときに持ち帰ります。

少なくとも、この車に他人が乗ることはないんでしょうね。


2021年5月26日水曜日

住み心地ランキング


大東建託の「いい部屋ネット 街の住みここち&住みたい街ランキング2021<神奈川県版>」で、「街の住みここち(自治体)ランキング」の1位が横浜市都筑区、2位が横浜市西区、そして3位が横浜市青葉区となったそうです。


都筑区がトップというのは3年連続だそうで、同じ調査の「街の住みここち(駅)ランキング」では、1位がみなとみらい、2位が元町・中華街、そして3位に都筑区のセンター北が入りました。以下、中川、ふれあいの丘、北山田と都筑区が続き、桜木町を挟んでセンター南がランキングされています。

ふぅ~ん、ということですけど、クリニックがあるのはセンター南、自分が20年以上住んでいるのは青葉区なので、小躍りするほどではないですが、ちょっと嬉しい感じ。

港北ニュータウン構想がうまくいっているかは別として、ある程度計画的な街を作ったという点では、都筑区は確かに住みやすさを重視したところは評価されるべきポイントだと思います。車道とは分離した区を一周するような「緑道」と呼ばれる散歩道などはその典型的な例にあげられます。

とは言え、必ずしも理想通りとはいかないのが世の常。ファンの方には申し訳ありませんが、センター南の「駅ビル」ともいえる建物がパチンコ屋さん中心というのは、いまだに納得できなかったりします。

開業当時は、住民の平均年齢は40歳以下という極めて珍しい街でしたが、その後老人施設がどんどんできて、「呼び寄せ老人」による高齢化が進んでいるように思います。

それでもランキングのトップに来るんですから、なんだかんだで住みやすいというのは間違いないのでしょう。


2021年5月25日火曜日

ザ・パシフィック (2010) 2

第5~7話 ペリリュー

レッキーが隊に戻り、同時に新兵も補充されてきました。その中に、ガダルカナル以来の仲間、シドニーと入れ違いのように地元の友人、ユージーン・スレッジも含まれていました。そして彼らは、次なる目的地、ペリリュー(現パラオ)への上陸作戦を開始します。


これまで違って、上陸時の日本軍の海岸からの攻撃は熾烈を極めました。ペリリューにも日本軍の飛行場があり、これを潰すことが目的でしたが、今まで以上に強力な抵抗にあい仲間が次から次へと倒れていきます。

日本軍の拠点を攻撃するためには、丸見えになる飛行場を突っ切らないといけない。スレッジは、仲間と決死の覚悟で走ります。レッキーは最初からの仲間のランナーが負傷したため、衛生兵を探しに戻るところで砲撃にあいます。レッキーはランナーと共に病院船に収容され、帰国することになります。

スレッジらの戦いはさらに続き、新兵だった彼もいつのまにか煙草を吸い、恐怖を感じながら兵士として成長するのですが、中隊長が狙撃され亡くなった時は流す涙が残っていました。

ペリリューの戦闘では、日本軍約1万の兵力は壊滅し、アメリカ軍も数倍の人員をつぎ込みましたが、死亡者・負傷者で1万人という激しい戦いで終わりました。

第8話 硫黄島

バジロンは、帰国してから1年以上戦時国債キャンペーンを続けていましたか、作られた英雄像を演じることに疲れていました。彼は新兵の訓練教官を希望し許可されました。バジロンは、新兵たちが死なないために気迫のこもった訓練を行います。

一方でキャンプのリーナと知り合い、お互いにひかれあいます。除隊まであと数か月だったバジロンは、再入隊して訓練した新兵と共に再び太平洋に出征することを決意します。リーナは受け入れ、二人は結婚式を挙げるのでした。

そして、バジロンが出征した任務地は硫黄島でした。ここでも、彼は先陣を切って勇猛果敢に全身を続けますが、ついに銃撃され倒れてしまいます。

第9話 沖縄

スレッジはさらに沖縄にいました。今までと大きく違う彼らの戦いは民間人がいること。しかし、その民間人でさえ盾にして日本軍は攻撃をしかけてきます。体に爆薬を巻き付けた女性が近づいてきて自爆さえする。

家屋の探索で赤ん坊の泣き声を聞いたスレッジは、瀕死の女性を発見します。女性は、スレッジのライフルの銃口を額に合わせて引き金を引くように願いますが、スレッジはそのまま死ぬまで抱きしめてあげるのです。

そして原子爆弾が投下されたことが伝わり、彼らの戦争は終了しました。

最終話 帰還

レッキーは病院で日本の降伏を知ります。そして、それぞれがついに帰国の途に就きます。リーナは、バジロンの実家を訪ね、父親に彼の名誉勲章を渡し、母親としっかり抱き合うのでした。

レッキーも帰国し、元の新聞社の記者に戻ります。そしてあらためて、一度も着ていなかった海兵隊の青い礼服を着てヴェラに交際を申し込みました。

故郷に着いたスレッジを迎えたのはシドニーでした。家まで送ってもらったスレッジは、静かに家に入り気が付いた両親と抱き合います。しかし、彼は夜は悪夢にさいなまれ、戦勝パーティでも、人気の軍服は着ないで一人でいるのでした。父親と狩猟に出かけますが、スレッジは撃てないと泣き崩れるのでした。

見終わって、最初に感じるのは「バンド・オブ・ブラサース」に比べて、より兵士の心の懐に深く入る内容だということ。新米兵士がいっぱしの兵隊となって戦うようになる時、本当は人間としての理性から大きな葛藤があることを浮き彫りにしています。

こればかりは、実際に経験した者でないと真に理解することは困難。このドラマを作ったスタッフですら難しいことだと思いますが、それでも少しでも真実の戦場の様子を描き出そうとする努力によって、その一部だけかもしれませんが伝わるものがあります。

そして、帰還してからも戦場の恐怖や、戦争とは言え人を殺してきたことの罪の意識などが、兵士たち一人一人に重くのしかかり続けたこともこのドラマの重要なテーマです。

太平洋戦争の話となると、日本人としてはこのドラマを見ることに躊躇を感じました。アメリカ側が描くストーリーですから、当然日本人は悪役です。実際、「万歳突撃」なども映像として出てきますし、民間人を利用するアメリカからすれば卑劣な手段も厭わない。ただ、あくまでの海兵隊に密着したドラマですから、アメリカ側の嫌なところも取り混ぜて、そのあたりの扱い方は比較的公平だと思いました。

スピルバーグとハンクスは、現在、第二次世界大戦をテーマにしたドラマの第3弾を制作中です。タイトルは「Whirlwind(仮)」となっていて、アメリカとイギリスの爆撃機乗りたちの物語です。おそらく来年に完成するものと思われますが、引き続き大きな期待をしたいと思います。


2021年5月24日月曜日

ザ・パシフィック (2010) 1

スティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスの二人は、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の戦いを陸軍第101空挺師団の戦いの軌跡を追いかけながらもテレビのミニシリーズとして「バンド・オブ・ブラサース(2001)」を制作し高い評価を受けました。

この作品では、二人が再びタッグを組んで、太平洋戦争をテーマに作り上げました。「バンド・オブ・ブラサース」もテレビ・ドラマとしては破格の1億2千万ドルが使われましたが、本作はさらに上回る2億7千万ドルの制作費を費やしたと言われています。

二人の代表作である「プライベート・ライアン(1998)」が7千万ドルであったことからも、どれだけ金がかかっているかわかるというもの。金をかければ良いというものではありませんが、どちらも戦場の兵士たちのリアルを見事に描いた力作になっています。

原作は、実際に海兵隊員として従軍したユージーン・スレッジ、ロバート・レッキー、ジョン・バジロンの回想録などで、形の上ではこの3人が主人公ですが、「バンド・オブ・ブラサース」と同じく、兵士たち全員が主役として描かれます。

太平洋戦争では、アメリカ軍は主として海兵隊が戦いの主役です。一般に軍隊は陸軍・海軍・空軍から成り立ちますが、海兵隊は海軍の管轄とはなっていますが、実際には独立した第4の軍隊と位置付けられ独自の艦艇や航空機を擁し、その任務地は海外に特化され、国外での戦闘の水陸両用の先兵としての役割を担っています。

1941年12月7日、日本によるハワイの真珠湾奇襲攻撃を受けたアメリカは、ついに第二次世界大戦の中に引きづりこまれます。ハワイは本土から遠く離れていますが、歴史上初めてアメリカ国土を攻撃されたことは、アメリカ人にとって衝撃でした。

日本軍は、以後2か月足らずの間に一気に南下し、フィリピン、グアム、サイパン、パラオ、ニューギニア、ラバウル、そしてソロモン諸島のガダルカナルまで進軍し、オーストラリアも目と鼻の先という状況でした。

日本軍は、アメリカと同盟を結ぶオーストラリアを分断し、太平洋地域の支配権を強固にするため、ガダルカナル島に飛行場を建設していました。1942年8月に始まったガダルカナル島での戦闘は、消耗戦となり日米ともに大きな被害をだしながらも、南太平洋地域での戦果の転換点になった激戦でした。

補給がほとんど無い中で、アメリカ海兵隊にとっては、日本兵の死を恐れない突撃の恐怖だけでなく、悪天候、食糧不足による飢えやマラリアによる発熱・下痢などとも戦わなければなりませんでした。

第1・2話 ガダルカナル

真珠湾奇襲を受けてアメリカでは海兵隊士官が招集され、日本軍撃破の活が入れられます。ロバート・レッキーは近所のヴェラに恋心を抱きながら、海兵隊に志願します。ガダルカナル島に上陸したレッキーらの第1海兵師団は、飛行場を確保したものの、日本海軍の猛攻により沖合に停泊していたアメリカの艦船が撤退したのを目撃します。

補給が無くなり、島に孤立した兵士たちは惨殺された味方兵士の遺体や、自爆する日本兵の現実を突きつけられるのです。一人生き残った日本兵を、少しずつからかうように銃撃する仲間を見て、レッキーは一発で射殺するのです。レッキーはヴェラに「これほど人が残虐になれるのか。自分を許すことができるのか」と苦悩の手紙を綴るのです。

クリスマスが近づくころ、弾薬不足と飢えも加わり、師団の肉体的・精神的な疲労はピークになっていました。執拗な日本軍の爆撃も続きますが、ジョン・バジロン軍曹らの勇敢な行動もあって何とか防衛線を死守しました。消耗の激しい第1海兵師団は、やっと第2海兵師団と陸軍に役目を受け継ぎ、一度後方に退くことになります。

第3話 メルボルン

オーストラリアのメルボルンに到着した第1海兵師団は、オーストラリアを日本軍から守った英雄として市民から大歓迎されます。到着した彼らの宿営地はクリケットのスタジアムでした。観客席に多数の寝具が用意され、彼らは半分野外で寝泊まりすることになります。兵士の休息の目的もありますが、軍の補強・再編成に数か月以上を要しました。

隊員たちは、すぐに町に繰り出して楽しい時間を過ごします。しかし、中には我が物顔のアメリカ兵にいちゃもんをつける者もいました。レッキーは見かけたステラに一目ぼれして、彼女の家で歓迎されます。

バジロンはガダルカナルでの戦いでの功により名誉勲章を授かることになり、英雄として帰国して戦時国債をかき集める仕事をすることになります。レッキーは家族を悲しませられないとステラから別れを告げられ、酔った勢いで上官に暴言を吐き営倉に入れられます。そして、それぞれが次の任務に向かうのです。

第4話 グロスター岬

1943年12月、第1海兵師団は再び上陸作戦を敢行します。今回は、パプアニューギニア島のすぐ東、ニューブリテン島でした。島の東端はラバウルで、日本軍の基地があります。海兵隊は西端のグロスター岬に上陸し、ラバウルを孤立させる作戦でした。

ここでは、毎日降り続く雨が最大の敵。地面はぬかるみ、服も乾く暇がありません。絶望的な毎日が続き、兵士たちは、心をどんどん蝕み、中には拳銃で自殺するものも出ます。レッキーも心の平静を失いつつあり夜尿症を発症します。軍医の計らいで、後方に設置された病院に送られました。

そこには、大勢の心的外傷を発症した兵士たちが収容されています。その中に、レッキーはガダルカナルで一緒に戦ったかつての仲間も見つけるのでした。体調を取り戻したレッキーは、けっきょく仲間のいる戦場に戻っていくのでした。心の回復のためには、戦場に戻ることが必要という兵士たちの現実が見えてきます。




2021年5月23日日曜日

経済センサス



経済センサス・・・と書かれた書類が配布されてきました。

経済センサスとは、「事業所及び企業の経済活動の状態を明らかにし、我が国における包括的な産業構造を明らかにするとともに、事業所・企業を対象とする各種統計調査の実施のための母集団情報を整備することを目的とした調査」ですと書いてあります。

経済センサスにより作成される経済構造統計は、国勢統計(国勢調査)、国民経済計算に準ずる重要な統計として、「統計法」(平成19年法律第53号)という法律に基づいた基幹統計に位置付けられています・・・なんだそうです。

平成24年に始まったもので、センサスはまさに「国勢調査」という意味。実は法律によって義務化されていて、拒んだりいいかげんに報告すると50万円以下の罰金だそうです。

前回は2012年で、うっすらと報告をだした覚えがありますが、ほぼ記憶の外。従業員の数は簡単ですが、その他はほぼ収入・支出の金額を書き込まないといけない。しかも、けっこう細かい細目に分かれて聞いてくるので、ふだん会計事務所に任せっきりの院長としては、どこに何を書けばいいのかよくわからんという感じ。

これがどのように役立っているのかはよくわかりませんが、義務ですし会計士さんに確認しながら記入していくしかない。ちゃんと活用されることを、切に切に願っていますがどうなんでしょうね。

2021年5月22日土曜日

関東の梅雨入りは?



沖縄は5月5日に平年より1週間ほど早い梅雨入りとなっていました。そして、先週日曜日、5月16日に近畿・東海で梅雨入りと発表されました。これは何と平年より3週間も早い。

首都圏は、去年の梅雨入りは6月11日。普通は、東海とは数日以内の遅れですから、今年は今週梅雨入り宣言かと・・・思ってましたが、天気が悪いのになかなか宣言が出ません。

そもそも、梅雨って何?

春と夏の季節の間で、雨がたくさん降る期間。アジアの特徴的な気象現象で、一般には「雨季」と呼ばれるものの一つ。

この時期に、西の揚子江気団と南の熱帯モンスーン気団が近づいて湿度の差によって日本列島に沿って停滞前線ができます。また、北のオホーツク海気団と東の小笠原気団なよっても停滞前線が発生して両者が合わさって梅雨前線となって長雨の帯を作るらしい。

でもって、梅雨入りは、今までの天候とその先一週間の予報をもとに、雨や曇りの日が多くなり始める頃を気象庁が「梅雨入り」と決めている。けっこうアナログな話。

相手が天気ですから、そんなにきっちり決まるわけじゃない。確かに今週は雨が多いのですが、また天気は回復に向かうみたいですので、今年はまだ「関東は梅雨入り」とは言いにくいのかも。

この時期、雨に映える花の代表はアジサイですが、まだ準備中。あと1週間待って、と言っているようです。

2021年5月21日金曜日

第二次世界大戦の資料


第二次世界大戦をテーマにした映画を見ていく上で、「勉強」のための資料が必要です。ネットにあふれている情報は簡便で有益、特にWinkpediaはいつでも重宝するのですが、それだけで正しさの担保が十分とは言えません。


そこで、一冊は刊行された書籍を用意しました。ちょうど、出版されて間もないこの「地図とタイムラインで読む第二次世界大戦全史」は、地図をたくさん用いてヴィジュアルに時系列を丁寧に追いかけて解説するもので、大変便利に役立ちました。

ただし、大型本で重たいことは難点で、ちょっと持ち歩くには不向き。広げるには机にけっこう面積を必要とします。値段もけっこうするので、財布には優しくありません。

とは言え、文章ばかりの本はいくらでもありますが、もともと戦争に精通している人以外には、それだとなかなか地理的な位置関係が分かりにくく、なかなか短期間に理解するのは難しい。

その点、この本は文章による必要最小限の説明と、視覚化された資料によって立体的に戦争の進捗がわかりやすい。説明が足りないところは、ネットで補充するとちょうど良い感じです。実際、ちょっと気になる細かい話は省略されているところがあります。

まぁ、一冊くらいこの手の本があっても良いかなということで紹介しておきます。

2021年5月20日木曜日

新型コロナウィルスワクチン



当院は、一般向けワクチン接種を行う診療所ではありません。

一部の公的機関や情報提供サイトのホームページで、接種可能場所のリストに当院の名称が掲載されていますが、これは誤記載であり、その旨は神奈川県に申し出てありますが、依然として修正されていないようです。

電話で予約などについては多くの問い合わせをいただいていますが、残念ながらお受けすることはできません。

大変、申し訳ありませんが、御留意いただきますようお願いします。

2021年5月19日水曜日

バンド・オブ・ブラザース (2001) 3

ノルマンディ上陸作戦、マーケット・ガーデン作戦、バルジの戦いとアメリカ軍の主だった戦闘の最前線を戦い抜いた第101空挺師団は、それでもなお戦闘のエリート集団として、なかなか休息の日々を送ることができずにいました。

第8話 捕虜を捉えろ

ノルマンディ上陸時の隊員は半分以下となっていたE中隊は、ライン川の目と鼻の先、ハーゲナウの町に進軍していました。4か月ぶりにケガから復帰したウェブスターは、変わり果てた仲間に溶け込めず補充兵のようでした。そこへ士官学校出たてのジョーンズ少尉もやってきます。川の反対側のドイツ軍の現状を確認するため、夜のうちにボートで川を渡り捕虜を捉える任務が言い渡されます。何とか二人の捕虜を捉えたものの、一名の戦死者を出し、隊員たちの疲労は極限達していました。前夜の成功に気をよくした大隊長は、連日にわたり捕虜を捉えて来いと命令しますが、ウィンタースは隊員には朝まで寝てろと指示し、捕虜は捕えられなかった報告を上げるように言うのでした。ウェブスターは、一つの戦闘を経て仲間に戻れました。そして、ウィンタースは少佐に昇進します。

第9話 なぜ戦うのか

ノルマンディ以来、ウィンタースと共に戦ってきたニクソン大尉は、大きな精神的ストレスで酒量が増える一方でした。しかも、そこへ妻から離婚の手紙が届き、何のために自分が戦場にいるかも見失いかけています。各地のドイツ軍はどんどん撤退したり降伏していましたが、ドイツ国内に入った大隊は、ローズベルト大統領死去の知らせが届きますが、彼らはさらに東のランツベルグへ転進します。そこで、ドイツ軍が急遽撤退した後のユダヤ人の強制収容所を発見し、そのあまりに凄惨な状況に、数々の死を目撃してきたウィンタースらですら言葉を失います。強制収容所については、大戦末期のこの時点で次々とは発見され、世界を震撼させました。そして、ヒトラー自殺の報を聞きつつも、最後の作戦地へ向かうのでした。


最終話 戦いの後で

E中隊の最後の目的地オーストリア。そこからヒトラーの南の別荘、通称「イーグルネスト」を確保することでした。しかし、すでにドイツ軍はいない。彼らは、風光明媚な土地で、次の出撃に備えて待機するのです。しかしその中でも事故や事件で亡くなる仲間もいました。ウィンタースは、いまだ続く太平洋戦争への転身を志願しますが、上官に「仲間が離さないし、E中隊が太平洋に行くときは君が率いていけ」と言われます。降伏したドイツ士官が、部下に最後の演説をする内容は「強い絆で結ばれた君らと戦えて誇りだ。今後は平和な人生を送っほしい」というものでした。ウィンタースはそれぞれの戦後を心配し、いろいろな手配をしているうちに日本が降伏した知らせが届き本当の終戦を迎えました。生き残り帰れることになった隊員たちのそれぞれの人生を紹介してドラマは終了します。


全体的にド派手な戦闘シーンが満載ではありませんが、実際の小隊規の戦闘はそんなものなのかと思いました。いつでも大勢の敵味方で撃ちまくっていたら、弾薬はいくらあっても足りません。「プライベート・ライアン」のノルマンディの描写は、あくまでもめったにない大規模作戦だからということ。

このドラマが目指しているのは、そういう戦場の日常を一つの部隊を中心に、追いかけていくことです。戦闘そのもののリアルよりも、戦争に身を投じた兵士たちのリアルが描かれています。冒頭に、このドラマ制作時に存命していた、第101空挺師団E中隊の隊員のインタヴューが挿入されていることもリアル感を高めています。

そこには、現実に兵士一人一人の出来不出来もあります。それが上官の場合は、兵士たちは悲惨です。ダミアン・ルイス演じるウィンタースは、ドラマの中で中隊副官の少尉から、大隊副司令官の少佐に昇進していきますが、戦闘の指揮についても的確で、部下の事を大事にする優秀な指揮官です。ある意味理想の上司と呼んでもいいかもしれません。

それがAからIまで9つある第101空挺師団の中でもE中隊が、傑出した功績をあげたポイントだったのかもしれません。とは言っても、笛吹いて踊らずでは意味がない。サポートする軍曹なども優秀で、互いに仲間を大事にする一般兵士がいてこそのものだったことも忘れてはいけない。

確かにこれを2~3時間の映画にしていたら、とても描き切れていません。ウィンタースを中心はしていますが、E中隊の全員が主人公であり、各回で注目される兵士が変わっていく作りは、連続ドラマだからこそ可能だったと思います。

歴史的な経過を知ったうえで観たので、彼らの任務の目的などはよく理解できましたが、それでもなお実際の戦闘がどういうものだったのか、切実に伝わってくる内容には驚きの連続です。戦勝国のアメリカの作ったドラマではありますが、彼らもまた戦時には非情な現実に関わっていたことも目をつぶることなく描いています。それでも敵味方関係なく、一つの目的のために命をかけて戦った仲間たちの絆(Band Brothers)が、本当に特別なものであることがよくかる名作でした。

2021年5月18日火曜日

バンド・オブ・ブラザース (2001) 2

引き続き、ノルマンディ上陸の一連の作戦後の、アメリカ陸軍第101空挺師団の戦いを見ていきます。

第4話 補充兵
ノルマンディ上陸の一連の作戦が終了し、第101空挺師団は一時イギリスに戻り束の間の休息をしていました。そこへ新たに新人の補充兵が振り分けられてきます。そして、マーケット・ガーデン作戦に投入されることになりました。E中隊は、作戦の最南部アイントホーフェンに降下、ほとんど抵抗なく町に入り市民から歓迎されますが、同時にナチ協力的だった人々がリンチされるのも目撃します。しかし、先に進んだヌエネンで予想以上のドイツ軍の抵抗にあい撤退を余儀なくされますが、最初からの仲間ブルが行方不明になる。仲間は、危険を冒して探しに戻るのです。

第5話 岐路
大隊の副官が戦死したため、大尉になっていたウィンタースはE中隊長から大隊に移動になりました。待っていたのは書類書き。生々しい戦闘の記録を丁寧にタイプするウィンタース。その頃E中隊を引き継いだハイリガーは、マーケット・ガーデン作戦で取り残された英兵の救出のためのペガサス作戦に参加します。ウィンタースは特別休暇で2日間のパリ旅行で、久しぶりに文明に触れますが、戦闘の記憶が蘇るだけでした。クリスマス間近、ドイツ軍がアルデンヌの森を抜けて大反攻を開始します。第101空挺師団は要所であるバストーニュの防衛を命じられ、不足する装備のままウィンタースも前線に向かいました。

第6話 衛生兵
バストーニュの森で膠着状態に陥ったE中隊は、医薬品もほとんど底をついていました。衛生兵ユージーンは、余っている包帯やモルヒネを探して回ります。負傷兵を搬送して町に戻ったユージーンは、救護所で必死に働く看護師ルネと心を通わせますが、助けられない仲間を見ているとしだいに無力さに打ちひしがれていくのです。再び町に戻ると救護所は爆撃で破壊されており、ユージーンはルネが頭に巻いていたスカーフを見つけ拾い上げます。ユージーンは、自分のなすべきことを思い出し、また前線に戻るのでした。

第7話 雪原の死闘
バストーニュを守り抜いた第101空挺師団は、北上しフォアの町の奪還に向かいます。ハイリガーに変わって中隊長になったダイクが問題でした。ダイクは出世のための経験の目的で配属され、指揮官として無能でした。フォイの手前で何度も熾烈な砲撃を受け、さらに仲間を失い全体の士気にも影響が出そうでしたが、何とか全員の気持ちをつなぎとめていたのはリプトン軍曹です。いよいよフォイの町に攻め込むことになり、ダイクは敵の反撃の前に完全に無能をさらけ出します。ウィンタースは変わって飛びだそうとしますが、大隊長に「立場を考えろ」といわれスピアーズ少尉を送ります。スピアーズの的確な判断により作戦は成功し、リプトンも少尉に昇進しました。

2021年5月17日月曜日

バンド・オブ・ブラザース (2001) 1

実は急に戦争映画を見始めたのは、ミリタリー・マニアだからでも、戦争肯定派になったからでもありません。昨年、スティーブン・スピルバーグの映画を全部見てやろうと思いたち、フィルモグラフィをチェックしていて、二つのテレビ用ショート・シリーズを見つけました。

スピルバーグは監督ではなく製作総指揮という立場で関わっていて、同じく製作総指揮にトム・ハンクスが参加しています。スピルバーグとハンクスと言えば、真っ先に思い浮かぶのは「プライベート・ライアン」でしょう。二人は、まだまだ第二次世界大戦について、描き足りない気持ちがあったとみえ、別の視点からヨーロッパの戦いを描く「バンド・オブ・ブラザース(兄弟たちのきずな)」を作り上げたのです。

硫黄島プロジェクトだけでは満足しないスピルバーグは、さらにハンクスと組んで太平洋戦争についても掘り下げる「ザ・パシフィック」も制作しました。これらはテレビ・ドラマの枠をはるかに超えた予算を使い、映画すら凌駕する大作です。いずれも、戦争の始まりから終わりまでを描く内容ですから、まったくの歴史的な予備知識なしに見るのはもったいないというもの。そこで、まずはこれまでの名作をたどりながら、歴史を学び直していたということなんです。

だいたい一通り第二次世界大戦の経過を知ることができたところで、やっと「バンド・オブ・ブラザース」にたどり着くことができました。テレビ用ということで、どうしても知名度は高くはありませんが、第二次世界大戦のドラマとしては知る人ぞ知るという作品で、たいへん高い評価を受けています。


このドラマの主役は第101空挺師団E中隊。空挺師団は、第二次世界大戦から陸軍に実戦配備されるようになったパラシュートで降下して戦う兵士たちのことです。一気に敵地の中に進入が可能ですが、その分危険性も高い。降りたとたんに周りは敵だらけということもありうる。また、一人一人が必要なものをすべて自分で持って降下しなければなりませんので、出撃の際の荷物は50kg近い。

彼らの制服にはスクリーミングイーグルス(叫ぶ鷲)がマスコットとしてあしらわれ、現在に至るも精鋭部隊として認知されています。「プライベート・ライアン」では、連れ帰る目標だったライアン二等兵は、第101空挺師団の兵士という設定でした。

原作はアイゼンハワーの伝記作家でもあったスティーブン・アンブローズで、「プライベート・ライアン」でも軍事アドバイザーとして参画しています。監督は、新鋭が入れ替わりで担当しています。

第1話 翼のために

1942年、第101空挺師団はジョージア州トコア・キャンプで、新人兵士たちの訓練を行っていました。E中隊の指揮をとるのは高圧的なソベル中尉で、副官は温厚なウィンタース少尉でした。ソベルの嫌がらせ的な指導に辟易していた隊員は、いざ実践演習となるとまったくセンスのないソベルに不信感を募らせます。ソベルは自分の失敗からウィンタースを軍法会議にかけると言い出したため、隊員たちはそろってソベルに造反。ソベルは非戦闘員の訓練施設に配置替えとなり去っていきました。

第2話 ノルマンディ降下作戦

1944年6月、ノルマンディ上陸作戦が決行されることになり、ミーハン中尉の指揮でE中隊はユタ・ビーチに上陸する部隊の後方支援のため、前日夜にサント・マリー・デュモンに降下します。ウィンタースは、散り散りになった隊員をかき集めながら集合場所に向かいます。しかし、ミーハンは降下直後から行方不明で、ウィンタースがかわって指揮をとることになります。彼らは、早速上陸の障害になる高射砲陣地を叩くよう命令され成功します。この作戦遂行状況は、固定目標攻撃の手本とされ現在も演習にシミュレーションされています。


第3話 カランタン攻略

Dデイの数日後、E中隊は南に10kmほど下ったカランタンの町を制圧する命令を受けます。ここで、原隊からはぐれて一人なっていたアルバート・ブライス二等兵が加わりました。彼は着地後恐怖のため動けなくなっていたのですが、町での戦闘後もヒステリー症状で一時的に視力を失ったりします。町をおさえた後は、反撃してくるドイツ軍を迎撃するため近くの高台で守りを固めますが、激戦となりブライスもやっと兵士としての自覚を取り戻すのです。


2021年5月16日日曜日

日本のいちばん長い日 (1967)

ヨーロッパでは、イタリアの独裁をふるったベニート・ムッソリーニが1945年4月28日にパルチザンにより処刑され、ミラノの市中で遺体が吊るされ晒されました。そして4月30日には、アドルフ・ヒトラーがソビエト軍に包囲されたベルリンの総統官邸地下壕内で自殺し、5月7日にドイツは無条件降伏します。

枢軸国として残る日本は、沖縄をほぼアメリカ軍により制圧されますが、その熾烈な抵抗はアメリカ軍に九州、本州上陸作戦を躊躇させました。7月17日から2週間にわたって米英露の三首脳がベルリン郊外のポツダムに集まり、戦後処理が協議されます。ここで米英と中華民国を加えた3ヵ国の名により宣言が行われ、日本に対して最終的な降伏要求がなされました(ポツダム宣言)。

アメリカのトールマン大統領は、宣言受諾を急がせるためついに人類史上初めての核兵器の使用に踏み切ります。8月6日、広島に投下された原子爆弾により一瞬にして10万人もの市民の命が消えました。日本は、それでもソビエトの仲介による和平交渉に期待していましたが、ソビエトは8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄し、ポツダム宣言に加わり日本に宣戦布告し進攻を開始します。

もはや、頼みの綱をすべて失なった日本は、8月9日の長崎への2回目の原子爆弾投下により、急遽天皇を交えた御前会議を開き、天皇の意見により宣言を受諾することを決定し諸外国に通知を始めます。それでも、陸軍を中心に徹底抗戦を主張するものが続き、8月14日再度御前会議が開催され、あらためて天皇は降伏を主張し、いわゆる「玉音放送」の録音を行います。

戦争継続の急先鋒だった阿南惟幾陸相は、若手将校らに「天皇の決断だ。どうしても認めないなら、自分を殺してから進め」と説得しますが、8月15日未明に彼らは決起するものの数時間後には鎮圧され(宮城事件)、正午に玉音のラジオ放送が行われ国内にも降伏を表明しました。阿南陸相は、玉音放送の流れる前に割腹自殺します。

8月17日、鈴木貫太郎内閣総辞職。初めて皇族として東久邇宮稔彦王が首相に就任し、速やかな武装解除、降伏文書調印、各地に残る日本人の引き上げ、占領軍の受け入れなどを粛々と行います。8月30日、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーが到着し、9月2日降伏文書への調印が行われ、正式に第二次世界大戦が終了しました。

この作品は、1965年に大宅壮一編として出版された「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」を原作として、東宝が岡本喜八監督、橋本忍脚本で映画化したものです。原作の実際の著者は半藤一利で、1995年に改稿し「決定版」が出版されました。決定版をもとにした、原田正人監督による2015年の映画があります。

内容は8月14日の御前会議から、若手将校によるクーデター未遂である宮城事件、そして玉音放送が流されるまでの1日を、できるたけフィクションをはさまぬように緊迫したやり取りが描かれました。中心人物となる阿南陸相は、1967年版では三船敏郎、2015年版では役所広司が演じています。天皇は、1967年版では顔出しはなく、また演じた松本幸四郎(8代目)はクレジットされていませんでしたが、2015年版では本木雅弘により皇后(池坊由紀)と共に演じられました。

日本の終戦にまつわるたった24時間の出来事についてのストーリーですが、大日本帝国の栄華必衰を凝縮した内容は、日本人としては一度は見るべきものでしょう。どちらの版を見るかは、人それぞれの好みですが、まだ戦争の余韻を知る人が多い1967年版の方が、戦争の狂気の表現については勝るようです。一方、2015年版は、ヒューマン・ドラマの要素が強く前面に出されており、各人の葛藤の表現に注力しています。

世界大戦は終結しましたが、その影響は大きく世界中に残り、ソビエトを中心とする共産主義社会とアメリカを中心とする資本主義社会の縄張り争いに拍車がかかり、いわゆる冷戦構造が形成されました。

ドイツは共産主義の東ドイツと資本主義の西ドイツに分割され、日本が進駐していた朝鮮半島やマレー半島のベトナムでは国が南北に分断します。マレー半島ではヨーロッパの植民地主義が復活し、さらに複雑な状況でした。ソビエト対アメリカの直接対決ではない、いわゆる「代理戦争」が続発することにつながっていきます。

2021年5月15日土曜日

窓清掃のお仕事



うちのクリニックは、ビルのテナントの一つ。

建物は専有部分と共有部分に分かれていて、専有スペースの維持管理は借主に任されますが、共有スペースは大家さんの担当です。

各テナント・スペースの窓については、建物本体のものだからということだと思うんですが、大家さんが発注した清掃業者の方が定期的に清掃に入ります。

うちみたいにたくさん窓があるのに、手際よく二人で作業して、あっという間にきれいにしていきます。

必要な小道具は、ほとんど腰回りのベルトにぶら下げていますので、ずいぶんと重そう。ずっと動き続けているので、昨日のように天気が良いとかなりの暑さなんでしょう。

冷却ファン付ベスト着用で、ファンの音をワンワンさせて働いていました。ご苦労様です。

2021年5月14日金曜日

ヒトラー ~最後の12日間~ (2004)

第二次世界大戦におけるヨーロッパの情勢を振り返ってみると、結局、アドルフ・ヒトラーという人物に集約されます。たった一人によって、ドイツという国が異常な方向に向かってしまったことは疑いようがない。ヒトラーを狂人として扱うことは簡単ですが、彼を前面に押し出して、さらに独断専行を許した多くの国民の総意があったことも間違いはありません。

ヒトラー自身は言うに及ばず、ドイツの国としての破滅がすべてを物語っているわけで、それがあまりにも大きな過ちだったことは歴史が証明しています。しかし、ヒトラーといえども一人の人間ですから、何故彼をここまで狂気に走らせたのかは総括されるべきものだと思います。

当然、それらを論ずる本はこれまでにたくさんあるわけで、ここで自分があえて述べるまでもありません。ただ、その生い立ちについて簡単に整理してみます。

アドルフ・ヒトラーは、オーストリアのブラウナウ・アム・インにて1889年4月20日に生まれました。ブラウナウ・アム・インは、リンツの西80km、ザルツブルクの北60km、ドイツとの国境沿いの町です。

ハプスブルク君主国を絶対視する強権的な父親のもと、1899年に日本でいう小学校を卒業しますが、すでに父親との対立や学校での問題行動があり「手を焼く」こどもであったようです。1903年に父親が脳溢血で急逝しますが、無理やり入れられた「中学校」も留年を繰り返し退学。正式な最終学歴は小学校止まりです。

父親への対抗心から、この頃にヒトラーは各君主国やオーストリアを含めて全体を統一する「大ドイツ主義」への傾倒が始まったようです。1907年、画家になることを目指してウィーンに出て美術アカデミーを受験しますが失敗。12月に、理解者とは言えないにしても唯一の味方だった母が乳癌で亡くなり、ヒトラー自身その時以来泣いたことがないと語っています。

父母の遺産などで食いつないでいたヒトラーは、この後数年は画家として暮らしたようですが、ますます民族主義的な思想を強めていった時期になりました。しかし1913年、徴兵されることを避けるため、隣国ドイツのミュンヘンに移住します。しかし、1918年1月に逮捕され送還されますが、結局適性検査で不合格になり兵役免除になっています。

にもかかわらず、8月に第一次世界大戦がはじまると、バイエルン王国の義勇兵として主として伝令任務にあたり多くの勲功を上げていますが、階級は「伍長(ゲフライター)」止まりで、部下を持つそれ以上の階級は無理と判断されていた節があります。

1919年大戦終結後、ヒトラーは政界に転身するとドイツ労働者党に入党、あっという間に力をつけ、1920年2月24日、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)に改名し実権を握りました。1923年11月8日、ナチ党を含むドイツ闘争連盟を率いて、ベルリン進軍を意図した「ミュンヘン一揆」事件を引き起こしますが失敗し逮捕されています。

裁判を経て5年間の禁固刑になるものの、ヒトラーの裁判を通した演説は「失われたドイツ国民の自信を回復させるもの」として各方面から支持が広がり8カ月で釈放、1925年2月にはナチ党を再建しています。1928年5月、初めて国会議員選挙に臨みますが、この時は12人の当選させるにとどまりました。

しかし、1929年、世界中に広がった世界大恐慌が事態を一変させます。ドイツ国内の不安をうまく利用してのし上がったヒトラーは、1932年大統領選挙に立候補します。現職ヒンデンブルグに次ぐ票を獲得し、政界内での無視できない勢力となったナチ党は同年の国会議員選挙では230議席で第一党に躍進するのです。

1933年1月、ヒトラーは首相に就任。2月に共産主義者による国会議事堂放火事件が発生し、ヒトラーは強権を得て共産党などをおさえこみます。8月にヒンデンブルク大統領死去により、ほぼすべての権限を手中にしたヒトラーは、その年の末までに独裁体制を完成させます。

こうやって、ヒトラーの生い立ちを追いかけてみると、父親により抑圧されたこども時代が父親への対抗心を越えて、自分を認めない社会全体への不信感みたいなものを培ったことがわかります。基本的に他人を信じることができず、保身のためにはいくらでも嘘をつくことをためらいません。歪んだ自分の正義がすべてで、おそらく主観的な見方しかできない人物です。

そして、ちょうどカリスマ的な指導者を求める時代の潮流が一致してしまったことは、ドイツ国民のみならず世界中の不幸だったのかもしれません。多少胡散臭い話でも、強力に物事を遂行すると思わせる演説のうまさも、ヒトラーの大きな力になりました。

しかし、歴史が証明したように独裁政治、しかも周囲諸国に侵略を広げる手法が長続きするはずがありません。特に、ナチス・ドイツは占領地を治めるのではなく、抑えつけることしかしなかったために、それぞれの場所に対抗分子を生み出すだけでした。あくまで最優秀たる自民族の生存のためだけの目的であり、あえて言えばそれはヒトラーの個人的な野望でしかなかった。

この映画は、ソビエト軍がベルリンに迫り、敗北は誰の目にも確定的となった1945年4月半ばからのヒトラーの動静を秘書の回顧録から描くドイツ製作の映画です。映画の原題は「Der Untergang (失脚)」で、冒頭と最後ににヒトラーの個人秘書官だったトラウドゥル・ユンゲ本人の後悔の証言が挿入されています。

ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)は迫りくるソビエト軍の攻撃で、退避を要請する部下たちに耳をかさずにいました。また、ほとんどの部隊が壊滅状態にも関わらず、ベルリンが最前線であり、「戦時に市民など存在しない」と言い放ち、残存兵力を集めるように指示します。

4月20日総統官邸では、ヒトラーの誕生日を祝う宴会が催されました。ヒトラーの長年の愛人エヴァ・ブラウンを筆頭に大騒ぎをする中、容赦ない砲撃が襲います。ベルリン北方を守護するシュタイナー隊が、市街に戻ることに一縷の望みをかけていたヒトラーは、シュタイナー隊も壊滅状態と聞き怒りを爆発させますが、「戦争は負けだ。皆好きにしろ」と言うのでした。

ミュンヘン一機以来、ヒトラーに従っていたゲーリングは、4月23日、総指揮権の移譲を求める電報をヒトラーに送ります。官房長のボルマンは、これはクーデターだとヒトラーをたきつけたため、ゲーリングの全権を剥奪しました。軍需相シュペーアは、ヒトラーから命令されたベルリンの市街インフラの破壊をできなかったことを告白し、去っていきました。

さらに忠実な配下の一人だったヒムラーが、西側と降伏の交渉を行っているという知らせが入り激怒します。ヒットラーはヒムラーの副官、フェーゲラインの逮捕を命じます。フェーゲラインはエヴァの妹の夫で、エヴァは助命を嘆願しますが裏切りはゆるされず処刑されます。

4月29日、ヒトラーはユンゲに遺書を口述筆記させ、ゲッペルスも遺書のタイプを依頼してきます。ユンゲがタイプしている外では、1929年以来愛人であったエヴァと正式に結婚するのでした。

4月30日、亡骸を完全に消去することを命じて、ヒトラーは拳銃、エヴァは服毒自殺します。遺体は官邸の中庭でただちに、大量のガソリンがかけられ焼却されます。ゲッペルスは後継首相に指名されますが、翌日、地下壕に退避していた妻と6人のこどもと共に自害しました。

まず、映画として最も注目されたのはドイツ製であること、そして初めてドイツ語を話す俳優によりヒトラーが演じられた点にあります。これまで見てきた映画に登場するヒトラーは、たいていエキセントリックで高圧的なステレオタイプとして描かれてきたのに対して、この作品では「総統」としてのまさにそういう面と、女性・こどもに対して優し気な人間的な面の両方を見せています。

人間的な面を描くことは、ヒトラー擁護につながりかねないのですが、ここではひたすら弱さを強調していることで批判を受けることを回避しているのかもしれません。総統官邸地下壕に立てこもる人々は、誰もが現実を知らず、知ろうともせず、総統がいれば何とかなると考えている人ばかり。ところが、頼りのヒトラーは、自分が頼りにしていた者が、次々と去って行ったり裏切ったりすることで、完全に思考が停止している。

また、映画の中でヒトラーが最終的に目指していた第三帝国の首都模型が登場するのも興味深い。都市としての機能のさることながら、ヒトラーはこれを芸術と文化の拠点とすべく夢見ていたらしい・・・結局、見果てぬ夢に終わるわけですが。

第二次世界大戦を始めた、一人の独裁者の末路を知るための映画としては、一見の価値がある仕上がりです。ただ、20世紀を代表する人物の一人であるアドルフ・ヒトラーは、簡単に底を見せてはくれません。映画というわかりやすいメディアは、その一部だけでも伝える力があるように思いました。

似たようなものとしては「アドルフ・ヒトラー 最後の10日間(1973)」がありますが、こちらは4月20日に着任し遺書の写しを託された青年士官ゲルハルト・ボルトによる回想録がもとになっており、ヒトラーは名優アレック・ギネスが演じました。

2021年5月13日木曜日

飛行場のお仕事



飛行機関連の仕事というと、パイロットやキャビン・アテンダントが目立ちますが、いろいろなドラマや映画を見て、裏方さん的な方を注意するようになりました。

例えば、この人。着陸した飛行機の前で停止する場所に誘導する係。

真横に広げた両腕を、少しずつ上に上げていき、飛行機はピタッと止まります。

飛行機は、車ほど自由に位置を変えられませんから、こういう人がしっかりと停止位置をパイロットに伝えているから、ちゃんと乗客も降りれるというものです。

なんか、プロフェッショナルって感じです。


2021年5月12日水曜日

ハクソーリッジ (2016)

1945年2月から3月にかけて、死傷者の数では太平洋戦争最大の激戦となった硫黄島を制圧したアメリカ軍は、いよいよ直接日本本土への爆撃も容易になり、休む間もなく沖縄を目指します。

沖縄を防衛する日本軍は、兵員11万人と言われていますが、その多くは急いで臨時招集した沖縄の市民たちでした。実質的に兵士として訓練を受けた兵員はわずかに数千名で、中にはひめゆり学徒隊のような女学生の集団もいたのです。

それでも、3月26日に慶良間諸島上陸から始まった戦いで、4月1日には中央西の渡具知海岸から本島に進軍します。まずは、島北部は4月20日までに制圧されますが、南部は巧妙な防衛作戦と陣地の構築により、アメリカ軍を苦しめ簡単には攻略させませんでした。4月7日には、海上特攻作戦として沖縄に向けて出陣した戦艦大和が、鹿児島県坊ノ岬沖で撃沈されます。

アメリカの圧倒的な物量の前には、日本軍は各所で防衛線を破られ、4月9日、首里城が陥落し、5月12日にアメリカ軍は那覇に到達します。しかし、残存日本兵による散発的な抵抗が続き、最終的に沖縄戦が終結するのは6月半ばのことでした。実は、その後も日本降伏後も小規模な抵抗が続き、完全に戦闘が無くなったのは9月に入ってからだったのです。

この映画は、単なる戦争映画ではありません。一人の信念を貫いた男のヒューマン・ドラマであり、戦争はあくまでもバックボーンにすぎない。監督はメル・ギブソン。主人公の英雄的な行動を、嫌味なくしっかりと描き出したところはさすがです。そこには、フィクションではない、本物の説得力のある実話があるからできたのだろうと思います。

前半は、主人公デスモンド‣ドス(アンドリュー・ガーフィールド)が、「良心的兵役拒否者」として衛生兵になるまで。後半は、沖縄戦の中でも熾烈な戦いとなった「前田高地」、アメリカ軍の通称ハクソーリッジでのドスの奮闘を描きます。

デスモンドと弟のハルは、敬虔なクリスチャンで、第一次世界大戦に従軍して人が変わってしまった父親(ヒューゴ・ウィーヴィング・・・あのマトリックスの!)が、酔った勢いで母親に銃を向けたのを止める際に、父親に銃口を向けてしまいました。以来、絶対に銃を手にしないと心に決めるのです。

しかし、第二次世界大戦で弟も出征し、自分も何かしなければならないと感じ、恋人ドロシー(テリーサ・パーマー)との結婚が控えているにも関わらず軍に志願します。しかし、他の訓練では優秀なのに銃だけは絶対に触れることがない。デスモンドは「自分は殺すのではなく、仲間を助けたい」と訴えます。仲間からも変人扱いされ、銃を持てという上官の命令に背いたことから軍法会議にかけられる。

ドロシーに銃を持たないのはプライドのせいと指摘されますが、そのプライドを簡単に変えるような男じゃないからこそドロシーは結婚を承諾したのです。父親の尽力もあり、良心的兵役拒否者も、また銃をもたない権利も認められ、晴れて衛生兵として出陣するのです。

そこは日本兵が必死に守りを固める沖縄でした。何度も攻撃をかけても、なかなか落とせない難攻不落の要塞がありました。デスモンドの隊も、崖を上ってみると地下壕を使ってどこからともなく表れる日本兵にてこずります。仲間がどんどん倒れていく中で、一時退却せざるを得ない状況でした。

しかし、デスモンドは一人崖の上に残って、負傷した兵を次々と崖から降ろすのです。「あと一人、あと一人助けさせてください」と言いながら、何人もの負傷者を救助し、日本兵に追い詰められて何とか飛び降りるように戻ることができました。グローヴァー大尉は、デスモンドに率直に誤解していたことを謝罪し、君無しではもう一度崖を上ることができないと言います。

再び、地獄のような戦闘か行われ、投降したと見せかけた日本兵の自爆攻撃によってデスモンドは重傷を負いますが、アメリカ軍はついにハクソーリッジを落とすことに成功します。帰還したデスモンドは、良心的兵役拒否者としては異例の名誉勲章が授与されました。そして、映画はデスモンド本人、弟のハル、グローヴァー大尉らの実際のインタヴューが流れて終了します。

戦闘シーンの撮影は、主としてオーストラリアで行われ、「プライベート・ライアン」を上まりそうなリアルさがあります。正直、目を覆いたくなるようなシーンの連続ですが(特に日本人にとっては)、戦場の恐怖や残忍さが際立つだけにデスモンドの献身的な救援行動の素晴らしさが自然と伝わってくるのです。

人を殺すことが当たり前に許される戦場において、人を助けるために出陣するという矛盾した行為は、大多数の中のたった一人だから成立するのですが、そのたった一人が大多数に与えた勇気は人一人を殺すことよりはるかに大きかったということ。それを認めることができたアメリカ軍の前では、日本軍は勝てるわけがないのかもしれません。

2021年5月11日火曜日

ヨーロッパの解放 IV & V (1971)

1944年夏、ポーランドに迫ったソビエト軍は、ワルシャワ蜂起を援助せず静観。その後、むしろ南に転進し、ブルガリア、ユーゴスラヴィア、ハンガリーからドイツ軍を一掃します。そして、年が明け1945年1月12日、ついにポーランドから西、ベルリンを目指して動きました。

その速さはかなりのもので、数日後にはポーランドとドイツの国境をなすオーデル川に達します。ベルリンまであと70km弱、過去150年にわたって敵の侵入を許してこなかったドイツは、ついに喉元に剣を突き付けられたも同然でした。

1月27日に、ポーランド南部、オシフィエンチム市においてソビエト軍はアウシュヴィッツ強制収容所を開放しました。ドイツの行っていた、主としてユダヤ人に対する大量虐殺が白日のものとに晒され、多くの人々が戦慄したのです。

そして、4月になって、オーデル川付近に250万人の兵員を手中させたソビエト軍は、ついにドイツ国内に進攻し最終決戦を挑みます。追い詰められたドイツ軍に残されたのは100万の兵士ですが、敗戦を覚悟して士気は低下し、また負傷者も数多く混ざっていました。

4月25日、ソ連軍はベルリンを包囲、市内中心部を制圧します。ヒットラーは総統官邸地下壕に退避し、4月30日、ついに自殺します。5月2日、ドイツは降伏。正式には5月7日にヨーロッパは終戦を迎えました。アメリカのローズヴェルト大統領は、惜しくも勝利を目前にして4月12日に病没しています。

ソビエト連邦、現ロシアが自らの勝利を描く国策映画「ヨーロッパの解放」は第4部が「オーデル川大突破作戦」、そして第5部が「ベルリン大攻防戦」として、この最終局面を映画化しました。

ソビエトの1月の進攻から映画はスタートします。数週間でオーデル川に達したソビエト軍は、やはり同じ悩みがありました。兵士の疲労と長すぎる補給路です。2月のヤルタ会談の模様は、これまたそっくりさん俳優が集まって、なかなか興味深い。

ポーランド兵と燃料を探しに駅に向かったソビエト戦車兵は、偶然列車内に閉じ込められていた人々を救います。なんか、おまけみたいなどう見てもフィクション部分ですが、けっこう長い。4月20日のヒットラー誕生日の様子も織り交ぜ、その翌日に戦車隊がベルリン市街に突入。ここでも、市民と交歓したり、動物園でライオンにドキドキする意味不明のシーンが続いて第4部は終了します。

ベルリン包囲網はどんどん絞られていき、ソビエト軍は総統官邸につながる地下鉄構内に進入します。ヒットラーは水門を開き、避難している市民をも巻き添えにして構内を水攻めにしろと命じ、「スラブ民族に負けるようならドイツの人民は生きる権利はないのだ」と言い切るのでした。


4月28日、議事堂にソビエト軍が迫る中、ヒットラーのもとにムッソリーニがパルチザンに殺された知らせが届き、長年の愛人だったエヴァ・ブラウンと結婚式を行うことにします。そして議事堂が占拠される中、ヒットラーとエヴァは自殺。ここでは、ヒットラーは拳銃で死ぬ勇気がなく、毒をあおるような展開になっています。5月2日、ドイツはついに降伏。長かった戦いは終結し、ソビエト兵士たちの喜びが爆発します。そして、ヨーロッパ各国の死者数がゆっくりと映し出され映画は終了します。

映画では、当然まったく触れませんが、実際には多くのベルリン市民の女性が性的暴行を受け、多くの略奪行為も行われました。あくまでも、「英雄的戦士」たちに捧げる映画ですから、そこに触れないのはもっともなことでしょうがありません。

映画としては、全5部で8時間はやはり長すぎ。特にこの最後の第4部と第5部は漫然と戦闘シーンが続いたり、唐突に関連が不明な挿話が登場したり、映画としての尺を埋めるのに苦労している感じがします。ただ、他にベルリン陥落を映像化したものはほとんどありませんので、貴重と言えば貴重。



2021年5月10日月曜日

レマゲン鉄橋 (1969)

全長1230kmのライン川は、スイスアルプスに始まり、ボーデン湖となりドイツとスイスの国境となります。湖から流れ出ると、バーゼル(スイス)から北上して200km弱はドイツとフランスとの国境になります。

その後は約700kmにわたりドイツ国内のマンハイム、マインツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルクを通過します。デュイスブルクでは東からルール川が合流し、この一帯はルール地方と呼ばれ、この豊富な水量が、産業革命の大きな原動力になりました。

その先でオランダ国内に入り、アーネム(アルンヘム)で北側のレック川とネイメーヘンで南側のワール川に分岐し西進、多くの支流となり、オランダの細かい水路を形成してロッテルダムで北海に注ぎます。

第二次世界大戦における連合国軍の最大の失敗と呼ばれるマーケット・ガーデン作戦は、ルール地方への道をこじ開け、ドイツの兵器産業の重要拠点を叩くことが最終目標でした。しかし、バルジの戦いでドイツ軍を撃破したことで、連合国軍はドイツ国内のライン川西側全域に進軍が可能となったのです。しかし、ライン川は川幅が所によっては数百mもあり、ドイツにとっては西部戦線の最後の防衛線です。

戦前にはドイツ国内の130カ所以上に橋が架かっていましたが、ドイツ軍はほとんどの橋を爆破し、連合国軍の進攻を阻止しようとしていました。1945年3月に入って、連合国軍はライン川の西岸をおさえ、3月末までに、イギリスのモンゴメリー元帥配下の部隊は、下流のレース、ヴェゼルで渡河に成功します。アメリカ軍主導の部隊は、ボンの南レマゲンで思ってもいなかった未破壊の橋を確保、パットン将軍はさらにずっと上流のオッペンハイムから渡河して進攻し、あからさまにモンゴメリーの戦功を減じています。

この映画では、唯一残ったレマゲンの鉄道橋を巡るアメリカ軍とドイツ軍の攻防を描いたもので、監督は「タワーリング・インフェルノ(1974)」のジョン・ギラーミン。音楽は「荒野の七人(1960)」、「大脱走(1963)」のエルマー・バーンスタイン。ストーリーはほぼ史実にのっとっていますが、登場人物の名前は実際と異なり、メインのキャラクターはフィクションです。

ライン川西側には、いまだ7万5千人のドイツ兵がおり、彼らの撤退のためのルートとして橋を破壊することに反対の立場をとるフォン・ブロック将軍は、クリューガー少佐を撤退まで橋の防衛と爆破をために送り込みます。クリューガーを演じるのは「ナポレオン・ソロ」でおなじみのロバート・ボーン。レマゲンに向かう途中、親衛隊によって逃亡しようとした将兵が銃殺される現場を目撃します。

橋の守備隊長のシュミット大尉は、1600名の兵力があると思って着任したクリューガーに、残った兵力は数百人で、武器もあまり無いことを伝えます。しかも、爆破のための爆薬も予想より火力の少ないものしかないのです。兵士たちは、来る来るといってまったく来ない援軍に戦意を喪失しつつありました。シュミットを演じるのは、ハンス・クリスチャン・ブレヒで「バルジ大作戦」では、ヘスラー大佐に忠誠を尽くす、けっこう重要な役どころであるコンラート軍曹役でした。

一方のアメリカ軍のバーンズ少佐(ブラッドフォード・ディルマン)は、功を求めて困難な任務ばかりを部下のハートマン中尉(ジョージ・シーガル)らにおしつける。疲労がたまっている彼らはレマゲンの町を先行して制圧。無傷の橋を発見します。バーンズは、上から橋を奪取せよと命令され、ハートマンに突撃を指示します。

しかし、橋を爆破されれば助からないので、部下たちの反発は強くバーンズに殴りかかる者までいました。ハートマンは、命令ならやるしかないと橋に向かいます。クリューガーらは必死に抵抗しますが、これ以上は無理と悟りついに橋の爆破に踏み切ります。しかし、爆薬不足で、橋は崩落するまでに至らずアメリカ軍の渡河を許してしまいました。

ほとんどの仲間を失ったハートマンは、「よくやった」と言うバーンズの言葉を背中で聞くしかありません。クリューガーは司令部に戻り、作戦の失敗のため銃殺されます。最後の言葉は「誰が敵なんだ・・・」でした。

正しい橋の名前はルーデンドルフ橋といい、実際にこの戦闘があったのは1945年3月7日のことです。アメリカ軍の重火器などがラインを越えた後、3月17日に自然に崩落し、現在は両岸の印象的な形をした橋頭堡だけが史跡として残されています。

従って、映画の撮影はチェコスロバキアのヴルタヴァ川、プラハから南に10kmほどのダヴレの町にあるダヴレスキー橋で行われています。地形的にも西に市街があり、東がすぐ丘陵になっているところがレマゲンと似ています。

基本的には橋を巡る攻防を描く映画ですが、敗色濃厚になってきていたドイツ軍の規律の乱れ、現実を知らない上層部と現場の確執、進軍につぐ進軍で休むことができないアメリカ軍、そして彼らも兵隊を駒としか考えない上への不満などが、しっかりとストーリーの根底にありも単なるアクション映画を枠を超えた名作と言えそうです。

2月の三巨頭が集まったヤルタ会談では、ベルリンを落とすのはソビエト軍に任すことに決められていたので、ライン川を越えた連合国軍は4月中にベルリンの南100kmまで怒涛の如く進軍して停止。エルベ川近傍のトルガウで、ついにソビエト軍と出会ったエピソードは「エルベ川の誓い」として有名です。西側諸国の連合国軍は他の地域で残存部隊をことごとく潰して、彼らのヨーロッパ戦線は終了しました。

2021年5月9日日曜日

二酸化炭素の測定



コロナ渦では、蜜を避け換気を十分に行うことが強く求められています。 そこで、最近よく見かけるようになったのが二酸化炭素の測定器。

 空気の成分は、78%は窒素で、21%が酸素。残りの1%にいろいろなものがありますが、二酸化炭素(CO2)は、0.04%。汚染物質の濃度の単位でよくみかけるppm(0.0001%)で言うと、二酸化炭素は400ppmです。

 人が呼吸の時に、酸素を吸って二酸化炭素を吐くことで空気中に増えてしまいます。吐く息(呼気)は、酸素は16%で二酸化炭素は4%と言われています。

建物内の二酸化炭素濃度は、建築基準法で1000ppm以下になるように定められています。二酸化炭素が増えるということは、空気の停滞を意味し、ウイルスの感染リスクを高めることにつながります。

1500ppm以上では、かなり頻回に換気を行う必要が生じます。2500ppm以上だと、常時窓を開けておくか、基本的には部屋に入らない方が良いということ。

診察室は、対面でお互い話をして呼気が多めの場所。今は扉を開けて解放していますが、必ずしも空気の通りがいいとは言えません。中に入らずしばらくすると、測定器が示す数字は400ppmになります。

診察室に自分だけがいると500ppm前後、患者さんがいても600ppm以上にはならなさそうです。入り口が閉まっている時の受付は、スタッフ二人がいて600ppm以下です。

リハビリ室は、広くて風通しはいいのですが、窓を閉めて10人近い人がいると800ppm近くに上がります。窓を開けて換気をすると、速やかに500ppm以下に下がるかんじです。

通常のクリニックと比べると、うちは窓が多く空気の通りはいい方だと思います。換気状態については、大きな心配はありませんが、こういう道具で安心の目安を視覚化することは悪くはないですね。

2021年5月8日土曜日

カントリーマウム チョコまみれ


カントリーマウムは、不二家のお菓子。

ソフトクッキーで、しっとり系好みの人には好評な、定番のお菓子の一つだつ思います。自分も嫌いじゃない。

だいたいスタンダードはバニラ味とか、チョコレート味。たまにコンビニなどに、変わった物が登場します。

今回、新たに登場して、かなり驚いたのがこれ。名前は「チョコまみれ」で、通常よりは一回り小さめサイズ。

開けてびっくり、食べてびっくり。

まさに、チョコにまみれていて、ほぼチョコレートと言っても過言ではない。

ちょっとずつ食べようなんて思って手で持っていると、チョコが溶けて手がデロデロになりそうなくらいまみれています。

何しろ一枚で51kcalですから、食べすぎ注意!!


 

2021年5月7日金曜日

硫黄島からの手紙 (2006)

クリント・イーストウッドとスティーブン・スピルバーグという両巨頭がタッグを組んだ「硫黄島プロジェクト」は、アメリカ側と日本側の両方の視点から、太平洋戦争の中でもとりわけ激戦だった戦いの中に埋もれた人のドラマを見つめ直すものです。

前編となる「父親たちの星条旗」は、硫黄島での戦闘を回想して、その戦闘でその後の人生が変わった人々のドラマでした。一方、後編となる本作は、逆に硫黄島の戦いの中で、かつての生活を回想することで、それぞれの正義を貫く困難を描いています。

1944年春、陸軍の栗林忠道中将(渡辺謙)が守備隊の司令官として赴任。前任者は、アメリカ軍の上陸作戦を想定し、海岸線に塹壕を構築し玉砕することばかりを考えていました。しかし、栗林はそれでは数日しかもたず、無駄死にするよりも一日でも戦い続けることが、少しでも本土防衛につながると言って、地下道を張り巡らし持久戦に持ち込むことに改めます。

栗林はこれまでも転地先から家族に手紙を書き溜めていましたが、アメリカにもいたことがありアメリカの真の実力を承知していました。日本よりも圧倒的な物量を保持することを、手紙にもしたためていました。

一兵卒のパン屋だった西城(二宮和也)は、妻と出征後に生まれたこどもが内地にいて、絶対に生きて帰りたいと考えながら、毎日を過ごしていました。彼もまた、届くともわからない妻宛ての手紙を書き続けます。

他にも、憲兵隊所属だったにもかかわらず、優しさが表にでてしまい最前線に転任させられた清水(加瀬亮)、1932年オリンピックで馬術の金メダリストである西中佐(伊原剛志)、栗林に批判的ないわゆる典型的な帝国軍人である伊藤大尉(中村獅童)などが駐屯していました。

1945年2月19日、ついにアメリカ軍の上陸作戦が開始され、防衛拠点の摺鉢山は最初の攻撃目標とされ、数日で壊滅状態に陥ります。隊長自ら自決し、仲間も次々と手榴弾で自爆する中、栗林の北部の隊と合流せよとの指令を守り西郷と清水は地下道を北進します。

途中で伊藤大尉の隊と出会い、摺鉢山から逃亡してきたと責められ切り捨てられそうになった時、栗林に兵を無駄に減らすなと止められます。しかし伊藤の隊も、じきに壊滅状態となり、次に西大佐の部隊に入りますが、ここも制圧されるのは時間の問題でした。清水は隊を抜け出しアメリカ軍に投降しますが、翌日移動の時に西郷は射殺された清水の遺体を発見します。

残存するわずかな兵を集めて、栗林は暗いうちに最後の攻撃を敢行しますが、出発に際して、西郷には司令部に残りすべての書類を焼き払うように命令します。西郷は、皆が書き溜めた手紙は穴を掘って埋め、それから明るくなった外に出ていき、瀕死の栗林を発見します。

栗林は「ここはまだ日本か」と尋ね、西郷が「日本です」と答えると、栗林は「誰にも見つからないように埋めてくれ」と言って拳銃で自決しました。西郷はアメリカ軍に捕らえられます。敵の戦車を巻き添えにして自決しようとしていた伊藤も、敵を見つけられず眠ってしまい、翌朝捕虜にされるのです。

それから60年後、硫黄島の調査団は、西郷が埋めた手紙の束を発見するのでした。

イーストウッド監督は、本来はアメリカの視点を持っているはずですが、これほどまでに日本に対して敬意が払われたハリウッド映画は他には無いのではないかと思えるくらい、実に丁寧な映画を作り上げました。基本的に全編日本語というのも、かなり珍しいことですし、下手な邦画よりよほど時代考証もしっかりしている。

少なくとも、自分の場合、義務教育課程で戦争のことについて学んだことはありませんでした。当然、硫黄島での戦いも知る由もない。イーストウッドが指摘しているように、戦後生まれの多くの日本人はそうだったと思います。高校になって日本史の教師が、南方からの復員兵だったせいで、授業はほとんど島での戦争の大変さの話ばかりだったのが、いろいろな意味で驚きでした。

戦後の日本は、軍国主義思想に結びつかないように、あえて戦争の話は避けて通ってきたように感じますが、結局それが今の日本の「平和ボケ」と言われる要因の一つなのかどうかはわかりません。そういう意味でも、日本人としては大変感慨深い作品として、イーストウッドのファンとかを越えて必ず一度は見るべき映画になっているように思います。

当時の日本が誤った道に進んでいたことは、歴史からも証明されている事実です。そして、当然戦争を肯定するようなことは思いもよりません。しかし、これもイーストウッドが指摘していますが、この硫黄島での戦い死んでいった日本人がいることが、今の平和な日本があることの一端であることは間違いなく、彼らに対して一定の理解と感謝の念を持つことを忘れてはいけないのだと感じました。

この「硫黄島プロジェクト」の2作品は、合わせ鏡のような作りになっています。アメリカからすれば、硫黄島の英雄は戦費を捻出するために作られたものだし、戦闘シーンでも必ずしも「いい子」ぶっているわけではない。味方の誤爆で死ぬものもいたりするし、捕虜をいとも簡単に殺したりします。一方、日本側も内部の意見がそろわず一枚岩にはほど遠い組織だし、部下を脅迫する上官がいたりします。

アメリカの兵隊はほとんどが二十歳前後で、到着前には陽気で無邪気。無事に帰ることが最大の目標です。一方、日本兵も若者が多いのですが、彼らは絶望的な状況の中で、いかに国のために死んでいくかを考えているという対比が強く浮き出てきます。

双方とも、戦闘の本来の英雄的な行動を映画の中で見せることは無く、おそらく戦争映画の「やった!! 勝利だ!!」みたいな解放感、あるいはカタルシスを味わうことはありません。イーストウッドは意図的にヒロイズムを封印している。結局、敵も味方も無く、そこには運命に翻弄される人々だけが存在し、そこから何を感じ取るかは見る人それぞれの感性に委ねられているのです。

2021年5月6日木曜日

父親たちの星条旗 (2006)

ヨーロッパではドイツの敗色がしだいに濃くなっていく中で、太平洋戦争もまた日本は追い詰められていました。中国、東南アジア、そして太平洋の島々はことごとく奪還され、1944年秋以降は、もはや戦う武器もひっ迫する状況でした。

国内では、本土決戦を想定して一般市民も動員し竹槍を持たせた訓練が行われ、戦地では自爆攻撃 - いわゆる神風特攻が始まっていました。降伏せず死ぬことを恐れない日本兵に対して、アメリカ軍は恐怖を感じたものの、冷静に考えてそれで形勢を逆転できるはずがない。

1945年3月9日から10日にかけて東京大空襲が実施され、軍だけでなく民間人にも甚大な被害が出ても、日本の指導者は敗北を認める気配を示しませんでした。

硫黄島は、現在、東京都小笠原村に属し、東京から1200km南方にある離島です。周囲20km程度で、南西端には標高170mの摺鉢山と呼ばれる高台があります。戦前までは民間人の居住がありましたが、戦後は自衛隊関係者のみが生活しています。

1944年10月のフィリピン、レイテ沖海戦で、海軍はほぼ壊滅した日本軍にとって、硫黄島は沖縄より遠い最後の防衛拠点の一つで、マリアナ諸島から本土爆撃に飛来するアメリカ軍爆撃機の情報などを収集していました。

硫黄島守備隊は、栗林忠道陸軍中将を筆頭に約2万1千人の兵士が駐屯していました。栗林中将は、海岸線での守備を主張する海軍に反発し、ゲリラ活動による持久戦のための島の要所を結ぶ地下坑道を作り、徹底抗戦に備えました。周囲の島々の残総兵力・兵器を集結したものの、戦闘になれば本土からの補給・増援はまったく期待できません。

2月19日、アメリカ軍はデタッチメント作戦と呼ばれる3万人の兵による硫黄島上陸を敢行しました。23日に摺鉢山頂上へ到達し、星条旗を掲げるところをAP通信の写真家・ジョー・ローゼンタールが撮影した写真が、ピューリッツァー賞を受賞する有名なものです。その後も必死の抵抗は続き、3月26日に栗林以下最後の将兵400名が突撃し「玉砕」したのです。

アメリカ軍との間の激戦により生存した日本兵は、わずかに数百名でした。アメリカ軍の戦死者は約7千人ですが、負傷者を加えると上陸したほぼ全員が無事に作戦を終えることができませんでした。

さて、この映画はクリント・イーストウッドとスティーブン・スピルバーグというハリウッドを代表する二人の巨匠がタッグを組んだ、「硫黄島プロジェクト」の一つ。

問題となるのは、あの有名な星条旗を掲げる写真についてです。この写真は、リアルタイムにアメリカ国内であっという間に(なんと撮影から18時間後)全国に配信され、「勝利の星条旗掲揚」として写っている6名の兵士は英雄に祭り上げられていくのです。

摺鉢山頂上で掲げられた星条旗は、初めに鉄パイプに約71×137cmの者が使われましたが、すぐにもっと大きな約152×244cmの物にかけ替えられました有名な写真となったのは、あとから使用された旗であり、掲げている6名は顔が写っていないのです。

当事者と考えられた6名のうち、3名は戦死し、残りの3名がアメリカに呼び戻され、戦費捻出のための国債を購入してもらうための宣伝活動を余儀なくされます。英雄は仲間全員であり、旗を立てだけの彼らは、それぞれが心に重荷を背負った人生を歩むのでした。

映画では、掲揚した一人衛生兵の「ドク」の人生を息子が調べていく形をとっています。実際に、その後の検証で人違いなどもはっきりしていて、彼らを戦争の被害者の一人として映画では責めることはしません。でも、それが現実だということもしっかりと描いているのだと思います。

戦闘シーンがメインの映画ではありませんが、「プライベート・ライアン」であれほどリアルな激しいシーンを作り上げたスピルバーグが絡んでいますから、硫黄島の回想シーンは生半可なものではありません。ノルマンディと正反対に、上陸はいとも簡単に行われたかのように見えますが、そこからの日本軍の怒涛の攻撃は凄まじい。

イーストウッドは、いつもの流儀でほぼワンテイクでこれらのシーンを収めたとのことですが、戦争もやり直しができるものではありませんから、全体は彩度を抑え爆発だけが赤く色づく撮影は見事としか言いようがない。

このプロジェクトは、同時進行した日本側からの視点による「硫黄島からの手紙」に続きます。

2021年5月5日水曜日

T-34 (2019)

ものはついで、と言ったら怒られますが、第二次世界大戦を題材とした最新の戦車映画がこれ。しかも、ロシア製、熱血戦争エンターテイメント作品という趣です。同様なアメリカのエンタメ作品としては、ブラッド・ピット主演の「フューリー(2014)」というのもあります。

どうも、実録物ばかり見ていると、どうも気が重くなってくるところは否定できません。その点、これは実話が基になっているとはいえ、ほぼフィクションの戦車アクションを単純に楽しむものということで気楽です。

当初、日本劇場公開版は113分で、ロシアお得意のボイスオーバーという形式のもの。ボイスオーバーは、同時通訳みたいなもので、はっきり言って聞き苦しい。その後139分のダイナミック完全版というのがあって、さらに191分の最強ディレクターズ・カット版が登場しました。ディレクターズ・カット版のBDは、ボイスオーバーは収録されていないし、長いのですがほぼだれることなく楽しめます。

監督はアレクセイ・シドロフ・・・って言っても聞いたことはない。主役のニコライ・イヴシュキンを演じるのはアレクサンドル・ペトロフ・・・ってこれも知りません。ヒロインのアーニャを演じるイリーナ・スタルシェンバウムも知らないけれど、なかなか清楚な感じの美人です。

T-34は第二次世界大戦で活躍したソビエト連邦の最強と言われた戦車。戦争初期には、ドイツの戦車の砲弾を弾くくらい装甲がしっかりしていて、数々の戦場で大活躍してきました。この戦車をテーマにした映画は他にもあって、特に「鬼戦車T-34(1965)」は、同じエピソードを使っていて内容は酷似しているらしい。

1941年、ドイツがソビエトに侵攻を開始し、ソビエト軍は撤退を余儀なくされます。部隊が駐屯していた村にイェーガー率いる6台の戦車隊が進撃。イヴシュキンは、たった1台のT-34戦車で、撤退する時間を稼ぐため立ち向かい撃破。しかし、負傷して捕虜となり収容所送りとなるのでした。

時は流れ、1944年、イェーガーは新たな戦車隊将校育成のため、回収したT-34を捕虜に運転させ演習の相手にすることにします。そこで目を付けたのが、かつて苦汁をなめさせられたイヴシュキンでした。条件は弾薬は無し、逃げ延びても死ぬまで何度も演習を繰り返すというもの。

承知しないイヴシュキンに、イェーガーは通訳をさせられていたアーニャに拳銃を向け返事をしなければ殺すと脅かします。アーニャに運命的なものを感じたイヴシュキンは、練習台になることを承知し、かつての仲間ステパン、ヴォルチョク、セラフィムをチームに選抜します。そして、あてがわれたT-34には、何と乗員の遺体とともに数発の弾薬が残されていたので、遺体と共に持ち出して遺体の埋葬と共に隠しました。

演習当日、いきなり実弾でドイツ軍戦車を破壊したイヴシュキンらは、あわてふためくドイツ軍を尻目に、イェーガーの部屋から地図を盗み出したアーニャを拾ってチェコスロパキアに向けて逃亡するのでした。しかし、イェーガーは行き先を読んで、4台の戦車隊と共に待ち構えついに対決の時が来るのです。

と、まぁ、よくできたストーリー。少しだけイヴシュキンとアーニャのロマンスもあって、良いアクセントになっています。全編にわたって、砲弾が飛び交うシーンはストップ・モーションのようなCGが多用され、そこまでしなくてもというところはありますが、かなり工夫のある画面構成で、映画としての質もなかなかのものでした。

ちなみに、最強ディレクターズ・カット版のBDは、自分にとってはどうでもいいオマケのせいで、DVDのトールケース仕様なのが残念なところでした。

2021年5月4日火曜日

バルジ大作戦 (1965)

1944年秋以降、連合軍は「マーケット・ガーデン作戦」の失敗により、前線に近いオランダからの補給路を確保できず、ベルギーからフランス北東部に広く停滞せざるをえませんでした。東部戦線でも、バグラチオン作戦後、戦力立て直しためソビエトもポーランド東部で動きが停止します。

劣勢のままの膠着状態を打破するため、ヒットラーは普通なら動きにくい冬の厳しい時期に、大反攻作戦を指示しました。ドイツ側からは「ラインの守り作戦」と名付けられたのは、アルデンヌから連合国軍の補給基地があるベルギーの港湾都市アントワープを数日間で目指す電撃戦でした。

アルデンヌはベルギー、フランス。ルクセンブルグにまたがる森林が多い高地の丘陵地帯で、開戦当初にはドイツ軍の意表を突いた突破により、英仏軍は「ダンケルクの撤退」に追い込まれています。

この作戦は、ある意味ドイツ版「マーケット・ガーデン作戦」みたいなもので、さらに長い180km、しかも厳冬期に進撃するという無謀なものでした。当初、この地域の戦闘は想定していなかった連合国軍は、一気に攻め込まれ総崩れ状態を呈します。このドイツ軍が入り込んだ突出部(バルジ)にちなんで「バルジの戦い」と呼ばれています。

現実には、12月17日に開始された急激な進軍に対する十分な補給ができなかったため、1週間たっても最大80kmで停止。クリスマスを境に連合国軍は体制を立て直し、天候の回復により空軍の攻撃も加わったことで、年明けには突出部を南北で挟み撃ちにする(南は驚異的な速さで到着したパットン将軍)形で形勢逆転し、1月23日にヒットラーは退却を指示しました。

双方に多大な犠牲を出す結果となった戦闘で、連合国軍はドイツ本土への進撃計画に遅れが生じます。しかし、ドイツにとっては最後のまとまった兵力・装備を喪失する結果となり、敗戦を決定づける戦いになったことは間違いありません。

映画は主だった出来事は史実にのっとっていますが、登場人物はモデルはいるもののほぼ架空のもので、細部のストーリーはフィクションです。スペイン陸軍が全面協力し、多数の戦車が縦横無尽に走り回るのは迫力のある映像で、監督はケン・アナキンが務めました。ただし、戦車同士の戦闘シーンではどうみても模型というところもありそうです。

しばしば指摘されてのは、戦車は現実のアメリカ軍、ドイツ軍のものとは大きく違い、スペインのロケ地もとても真冬の景色とは言えない。アイゼンハワーは引退後に、到底受け入れられないストーリーとし非難を表明しています。

最初に見せてくれるのは、連合軍の気の緩み。偵察と捕虜の尋問を主として行っているカイリー中佐(ヘンリー・フォンダ)は、アルデンヌ付近のドイツ軍の不穏な動きを察知して報告しますが情報部は信じません。最前線にいるのは、戦争が終わって戦利品を売って商売することぱかり考えているガフィー軍曹(テリー・サバラス)や、寒さが強まって待機所の中でクリスマスの準備をするウォレンスキー少佐(チャールス・ブロンソン)です。そして補充されてた兵員は、まだ戦ったことが無い者も多い。

一方、ドイツ軍は、開戦以来の歴戦の勇士であるヘスラー大佐(ロバート・ショー)が、戦車隊司令官として赴任してきます。将軍は、天候の悪化による空軍が出撃できない隙を突いて、アルデンヌから新型戦車を先頭に、50時間以内にアントワープを陥落させる奇襲を説明します。

しかし、ドイツ軍も兵員不足であり、戦車隊のメンバーは戦闘経験の無い者ばかり。それでも、戦う意思は強固で、パンツァー・リート(戦車の歌)を高らかに歌い団結を示します。さらに、英語を話せる兵士をアメリカ軍の服装で連合国軍陣地内に降下させ、通信網を切断するなどの後方攪乱を同時に行います。

一気に進軍したヘスラー率いるドイツ軍戦車部隊は、怒涛の進撃で連合国軍司令部のあるアンブレーヴを占領します。ヘスラーは、別動隊が捕えた捕虜を親衛隊が虐殺したことで、かえって敵の士気が上がると憤り、戦争が続く限り自分にとっての勝利であり、戦場が我が家だと言い放ちのです。

連合国軍司令官のグレイ少将(ロバート・ライアン)は、戦車の燃料が無くなってきていることに目をつけ、マース川で総攻撃をかけることにします。ヘスラーは燃料が不足しているため連合国軍の燃料集積所を狙いますが、必死の抵抗にあい全滅。生き残ったドイツ軍は、武器を捨て徒歩でドイツ目指して帰還していくのでした。

一番の見所は、(本物とは違いますが)大規模な戦車が走り回るところで、ソビエトはこの映画に対抗して「ヨーロッパの解放」を作ったと言われています。しかし、実は人間ドラマとしての側面が映画を成立させているところが大きく、フィクションが多いことで成立できたポイントです。

戦争屋であるヘスラーの身の回りの世話をしてきたコンラッド軍曹が、ついに人間としての信頼を失い、「あなたは人殺しだ」と詰め寄るところ。ヘスラーは、戦争の中にしか自分の価値を見出せない。見方によっては、この映画の主役と言ってもよい存在です。

グレイ少将は、戦いのために多大な犠牲が出ることを承知で出撃させることにためらいを見せます。刑事出身のカイリー中佐は、長年培った「勘」から「捜査」のために危険を顧みない。

捕虜となったウォレンスキーは部下の命のために果然とした態度で臨み、商売っ気たっぷりだったガフィーも戦う意義を見出していきます。新米で逃げることばかりを考えていた中尉も、何故自分がここにいるのかを発見して成長していきます。戦車が主体の戦争映画としては、よくできた作品で、名作と言われているのも納得できる。

1945年、いよいよ戦局は終盤となり、2月にヤルタ会談が行われ、勢ぞろいしたローズベルト、チャーチル、スターリンの三巨頭は、戦後を見据えたドイツの扱い方を協議するのです。




2021年5月3日月曜日

羽田空港


GWが始まっていますが、コロナの影響で、今年も何かとくすぶっているところだと思います。

昨日は、どうしても外せない用事のため、羽田空港に行ってきました。

昨年の同じ期間の数倍の飛行機の予約状況と言われていますが、例年よりはかなり少ない人出だろうと思います。

出発ロビーの様子ですが、何しろ、椅子はたくさん空いていて、立っている人が全員座れそうなくらいです。

先週、PCR検査をして陰性確認した上ですが、それでも後ろめたさがある。単なる旅行の方も、きっと心から楽しむ気持ちの人はいないのでしょうから、重苦しいGWかもしれません。

本当なら、一泊でも二泊でもするところなんですが、自分も滞在は数時間で、用事だけ済ませてトンボ返り。年を取ってくると、けっこうきついところでした。

2021年5月2日日曜日

遠すぎた橋 (1977)

第二次世界大戦のヨーロッパの戦いは、パリが解放されていよいよ大詰めですが、北上した連合軍はベルギー、オランダにおけるドイツの抵抗に手間取り、1944年のうちに終結することができません。

連合国軍総司令官アイゼンハワーを悩ませたのが、二つのポイント。まず、ドイツ軍の撤退が思ったより早くて、連合国軍の補給路が数か月で600km以上に延びてしまったこと。当然、補給がなければ進めない。各地の連合国軍はベルギー領内で停滞せざるを得ない状況になりました。

そして、もうひとつの問題が、イギリスのバーナード・モンゴメリーとアメリカのジョージ・パットンという二人の将軍でした。モンゴメリーは堅実な作戦をとり着実に成果を上げるものの、面子を重んじて指揮系統の支配権を率直に上申してきます。かたや、パットンは出世欲はありませんが、攻撃あるのみでしばしば全体の戦略を乱すのです。

シチリア島上陸作戦では、南から上陸した両者は、当初はイタリアへの足がかかりになるメッシーナ制圧はモンゴメリーに栄誉を譲ることになっていましたが、パットンは快進撃でモンゴメリーよりも早くにメッシーナに到達し、ライバル心を露にしています。

パリ解放は、モンゴメリーは作戦を拒否。ドイツに迫る作戦についても、アメリカが主張する広く包囲する作戦に対して、モンゴメリーは一点集中で一気呵成になだれ込む方法を主張して対立します。

連合国軍の足並みの乱れを危惧したアイゼンハワーは、やむを得ずモンゴメリー案を採用し、1944年9月、連合軍はドイツ国内への進軍に必要なオランダ内の河川を支配するため「マーケット・ガーデン作戦」を行いました。これは、敵陣内に大規模なパラシュートで降下した兵が、ライン川の渡河までのポイントを確保するというもの。

モンゴメリー将軍が立案したのは、まずマーケット作戦として、アメリカ軍第101空挺師団がアイントホーフェンに、そして第82空挺師団がその北のナイメーヘンに、そしてイギリス軍第1空挺師団とポーランド第1独立落下傘旅団はさらに北のライン川をまたいだアーネム(アルンヘム)に降下し、それぞれが橋を占拠したところへ、ガーデン作戦として陸路イギリス軍第30軍団が約100kmを進撃し、オランダを一気に通り抜けてドイツ本国への玄関口をこじ開けようというものでした。

当初からかなりの困難が予想されていましたが、オランダ領内からイギリスめがけてV2ロケット攻撃が始まったため、作戦の正当性が増していました。先に言うと、それまで快進撃をしていた連合国軍としては、ノルマンディ上陸以後最大の死者を出し撤退し作戦としては失敗。モンゴメリーにとっては汚点ともいえる結果に終わっています。

映画が作られた1977年は、「スター・ウォーズ」の年でもあり、まだSF大作でさえアナログな特殊撮影で作られ、CGなどは無い時代です。おそらく戦争映画で、リアルな車両、戦闘機などが登場し、物凄い数のパラシュート部隊が降下する様などは、これがおそらく最後かもしれません。

また、この作品も戦争映画にありがちな、大スター乱れうち状態の作品で、まぁ、次から次へとよくそこれだけ有名人を揃えたものだと感心します。監督はリチャード・アッテンボローで、ある意味これを映画として完成させるのはかなりの力量と評価できる。

さて、映画は最初から不穏な空気を漂わせています。モンゴメリーの薫陶を得たイギリス軍のブラウニング中将(ダーク・ボガート)は、部下の危険性の報告を聞かず、モンゴメリーが大した敵はいないという言葉を信じ、計画を楽観視している。実際には、偵察飛行によって予想をはるかに上回る兵力が確認できても信じません。

アーカート少将(ショーン・コネリー)率いるイギリス軍第1空挺師団は、目標より遠く離れた場所に降下させられ、大事な装備を乗せたグライダーを撃墜されます。無線機は不調で使い物にならない。アーネムでは先に町に入ったジョン・フロスト中佐(アンソニー・ホプキンス)は、橋のそばで、アーカートもその手前で敵に包囲され孤立してしまいます。

ギャビン准将(ライアン・オニール)が率いる第82空挺師団は、ナイメーヘンの手前で強力な敵勢がいて進軍をはばみます。第101空挺師団は、橋を爆破され迂回を余儀なくされますが何とかパンドール中佐(マイケル・ケイン)の第30軍団のルートを確保しました。

第82空挺師団は、ボートで川を渡り両側からドイツ軍を挟み撃ちにすることになり、この危険な任務をクック少佐に任せます。ここで登場するのが、この映画が作られた当時最大の人気俳優であったロバート・レットフォード。さすがにかっこいい。失敗に終わったこの作戦の中で、唯一勇気ある成功した部分という、とっても美味しい部分をかっさらっていきました。

しかし、天候の悪化のため遅れてアーネムの手前に降下したソサボフスキー准将(ジーン・ハックマン)のポーランド第1独立落下傘旅団も、先行したイギリス軍に近寄ることもできません。ついにフロスト中佐は弾薬も尽き降伏します。アーカートにも徹底命令が下りました。

何とかブラウニング中将の本営に戻ったアーカートは、「8000名の部下を失ってゆっくりできるわけがない」と伝え、中将は「モンゴメリー元帥は90%成功し満足している。あの橋は遠すぎた」と言うのでした。

残された結果は、投入されたイギリス軍第1空挺師団1万人のうち、撤退できたのは2000名、戦死者1000名、残りは捕虜となったのです。イギリス軍はアメリカの協力が足りなかったという言い方をしたようですが、現実に強引な作戦により多くの兵力を無駄にしただけの結果がすべてを物語っています。この後、モンゴメリーは重要な作戦からは遠ざけられ、連合軍は広正面でドイツ軍をじわじわと追い詰めていくことになります。

スター俳優が多い割には、それぞれの立場が最初から最後まで描かれ、単なるゲスト的になっていない。特に007を卒業したショーン・コネリーと「ハンニバル博士」のアンソニー・ホプキンスは、最も活躍していると言えそうです。

大戦末期の進撃する連合軍内の問題点、敗走するドイツ軍の混乱、巻き込まれる民間人、そして何よりも戦争の中で駒として簡単に敵地に送り込まれる兵士たちの存在を浮き立たせています。第二次世界大戦を題材にした物語としては、映画としてもよくできています。

やはり、人は成功より失敗から学ぶことが多い。失敗した作戦だからこそ、戦争の理不尽さみたいなところが映画の中からにじんでくるのでしょうか。アーネムの橋は、現在は再建され、最も悲惨な戦いを強いられたフロスト中佐に敬意を表してジョン・フロスト橋と命名されています。

2021年5月1日土曜日

パリは燃えているか (1966)

1940年5月、英仏軍のダンケルクの撤退により、ドイツ軍は一気に南下。フランス政府は、パリを無防備都市宣下し、6月14日にドイツ軍は無血でパリを占領しました。

フランスの北半分はドイツの支配下におかれ、南半分はヴィシーにドイツの傀儡政権が名ばかりの自治を行うことになりました。これに対して、ジャルル・ド・ゴール将軍は、イギリスにて亡命政府「自由フランス」を樹立し、フランス国内の国民に対して徹底抗戦を呼びかけました。

1944年6月、フランスのノルマンディに上陸したイギリス・アメリカを主とする連合国軍は、敗走するドイツ軍を追うように北東に向かって進軍していきました。上陸作戦直前に、ド・ゴールは自由フランスを元にフランス共和国臨時政府を北アフリカのアルジェに樹立し、フランス解放軍を組織しました。臨時政府は、国内の市民らのレジスタンスをまとめる全国抵抗評議会と内地フランス軍と連携をとります。

レジスタンスはいろいろな組織の集合体で、実際はパリ解放後の実権を巡って主導権争いが活発でした。連合国軍の反攻開始は、彼らの4年間のくすぶっていた気持ちも盛り上げて、すぐにでも蜂起する勢いになっていきます。ド・ゴールも影響力を最大限に発揮するため、連合軍の総司令官アイゼンハワーに、パリの解放を急ぐように強いリクエストを寄せました。

連合国軍からすると、パリは軍事的な要衝ではなく、またベルリンに向かうには遠回りを余儀なくされる場所であるなどの理由で、本来は後回しにしたかったようです。しかし、フランス人にとっては、パリは母国の象徴であり、何よりもドイツからの自由を回復することが精神的な勝利につながるものでした。

ド・ゴールは、連合国軍からの離脱さえちらつかせ、なかば強引にアメリカ軍をパリに向かわせることに成功します。これに対し、ヒットラーはディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍を新たなパリ占領軍司令官に任命し、何があってもパリを明け渡してはならないと強く命令しました。

さらにヒットラーは、敵に渡すくらいなら灰にしろと命じます。実際、同じ頃にポーランドのワルシャワは、ドイツ軍撤退時に完全に破壊され廃墟と化す状況に陥っています。このヒットラーのパリに対するこだわりの理由ははっきりしないのですが、おそらく若いころに画家を目指していたヒットラーにとって、芸術の宝庫としてパリには大きな価値を見出していたのかもしれません。

この映画は、国内レジスタンスが蜂起し。連合国軍がパリ市外に入り解放されるまでを、名匠ルネ・クレマン監督が史実にのっとって映画化したものです。脚本は、フランシス・フォード・コッポラ。実際の記録映像も交えて、セミ・ドキュメンタリーのような白黒の構成です。

最新のブルーレイ版は、冒頭のヒットラー登場シーンはドイツ語ですが、他は基本的にフランスの俳優の台詞は英語に吹き替えられています。全編フランス語版もあるようですが、やはり「史上最大の作戦」のようにそれぞれの国の人物が母国語で話す方が自然です。

映画では、ヒットラーが暗殺計画の直後、大本営「狼の巣」にコルティッツを呼び出しパリ占領軍司令官に任命するところから始まります。爆破された会議室や、ヒットラーも傷を負っている様子が描写されています。8月7日にパリに着任したコルティッは、緩んでいた軍を引き締め、パリを完全破壊する縦鼻を始めます。

8月15日、警察、地下鉄、郵便局などが一斉にストライキを開始。次々と建物にフランス国旗を掲げ始めます。8月19日に、内地フランス軍のロル大佐を中心に、ついにレジスタンスが武装蜂起しました。しかし、彼らの武器は連合国からの供与もありますが、大半はドイツ軍から奪ったものや手製の火炎瓶など。対するドイツ軍は戦車も出動して応戦します。

中立国スウェーデンのラウル・ノルドリンク領事の仲介で両者は休戦協定を結びますが、ロル大佐らの急進派は無視して画策。パリ郊外で包囲する形をとっていた連合国軍陣地へ、部下のガロア少佐を派遣し、連合国軍のバリ進攻を取り付けます。そして、フランス解放軍のルクレール将軍が独断先行する形で、8月23日ついに進軍を開始します。行く先々の町での歓迎ぶりがすごい。

パリのドイツ軍は、パリ市街地の要所に爆薬を設置。しかし、すでにヒットラーの狂気とドイツの敗北を確信しているコルティッツは、爆破することなく無条件で降伏し、ノートルダム寺院の鐘が高らかに鳴らされました。司令部の電話機の向こうから、ヒットラーの「バリは燃えているか? (Brennt Paris?)」の声が聞こえていました。

映画の最後、空撮によるパリ市街の映像が、ここだけカラーで流れてエンド・ロールになります。3時間近い作品ですが、やはり背景となる連合軍やフランス軍、レジスタンスなどの関係があらかじめわかっていないと、登場人物が多すぎて内容の理解がしづらいかもしれません。

基本的な主役は、ドイツ軍司令官であるコルティッツ将軍で、「史上最大の作戦(1962)」ではロバに乗ってコーヒーを届ける下っ端だったゲルト・フレーベです。「007/ゴールド・フィンガー(1964)」で存在感を示し、この映画で将軍に昇進して帰ってきたという感じ。また、ノルドリンク領事はオーソン・ウェルズで、この二人のやり取りだけをテーマにした「パリよ、永遠に(2014)」という映画も作られています。

その他の出演者は、大勢のフランスとアメリカのスター俳優で、オール・スター・キャストによる群像劇のスタイルです。いずれもストーリーに深く関わるわけではなく、ほとんど一瞬の顔見世興行みたいな感じ。大スターが起用されているだけに、かえって思わせぶりなだけ。

ジャン=ポール・ベルモンドとアラン・ドロンが一つの画面の中にいるのはちょっと感動。シャルル・ボワイエ、レスリー・キャロン、ジョージ・チャキリス、カーク・ダグラス、グレン・フォード、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンス、シモーヌ・シニョレ、ロバート・スタック他、知った名前のオン・パレードです。

第二次世界大戦の中では、戦略的な意味づけは乏しいかもしれませんが、パリ解放はドイツの敗北を強く印象付ける出来事としては象徴的であり、映画で知るにはこの映画一択という作品ですから、外すことはできません。