2014年10月31日金曜日

宗教改革記念日

宗教改革というと、世界史のヤマの一つで、16世紀はじめにドイツでマルチン・ルターが、教皇に偏りすぎたキリスト教を人民のものに戻すべくプロテスタントを立ち上げたもの。少し遅れてフランスのジャン・カルヴァンは、さらに急進的な指導を行ったことで有名。

・・・というくらいの知識があれば、まぁ普通でしょうか。理系の人間にとっては、ましてやキリスト教徒ではない自分としては、それ以上尋ねられても答えようもない、500年前の話。

高校を卒業して40年くらいたって、よもや宗教改革についてネットを懸命に検索しているなんて思ってもみなかったことです。ところが、バッハの教会カンタータを、教会暦に沿って聴いていこうと思うと、宗教改革記念日というのが出てきて、この日の意味を知らずに通り過ぎるわけにはいかなくなりました。

なんとなく改革というと、英語だと''revolution"という言葉を思い浮かべていたのですが、実際は"reformation"が使われています。

ずばり、10月31日はマルチン・ルターが、ローマ教会に抗議するためにヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の提題(公開質問状)」を張り出した日で、この日から宗教改革が始まったとされています。

もっとも、最近では日本でも10月31日はハローウィンとして定着してきた感があります。ハローウィンの名前の由来は、カトリックに関連があるらしいですが、キリスト教とは直接の関係はありません。

さて、話を戻して・・・キリスト教が成立して10数世紀がすぎ、ローマの総本山では教皇権が膨大し、内部の堕落が目立ってきていました。

例えば、「カノッサの屈辱」として歴史に残す逸話は、1077年、時の神聖ローマ皇帝が自ら司祭を任命して影響力を増大させようとしたところ、司祭の任命権は教皇側にあるとして対立。さらに皇帝は教皇の廃位を宣言しました。

教会側は皇帝を破門し、さらに周辺の権力者も教会側についてしまったため完全に孤立した皇帝は、 教皇の滞在するカノッサ城の前で3日間赦しを請うという「屈辱」を味わったというもの。

つまり教会からの破門というのは、当時の人からすれば皇帝たりともいえど、「地獄に墜ちる」という大きな恐怖を感じさせるものだったということでしょうか。

一方、莫大な教会税をバチカンに納めることに対して、16世紀になると各国はかなり抵抗感があったようで、しだいにローマに対しての不信感をつのらせていたました。

14世紀から始まったルネッサンス運動により、人文主義が広まり物事の本来の姿を求める機運が高まっていたところに登場したのが、ルターでした。

当時、ヴィッテンベルク城教会では罪を赦すお札を販売し莫大な収益を得ていました。ルターの元に来る信徒が、お札を買ったので神父から赦しを得る必要がないというのに大きな疑問をもちます。

そしてついに1517年、ルターはローマに対して、95の公開質問を投げかけ教会内部の改革を求めたのでした。しかし、当然ルターは破門され、1521年に新派を立ち上げる事になり、ローマに抵抗するという意味から「プロテスタント」と呼ばれるようになりました。

そこから、プロテスタントに対してローマは普遍的という意味の「カトリック」と呼ばれるようになり、プロテスタント運動は各国に飛び火して様々なカトリック対プロテスタントの宗教対立を生み出していきます。

そこには政治的マスゲームの要素を加わり、1618年から始まった「三十年戦争」まで一世紀以上にわたって多くの血を流す争いになりました。1648年にヴェストファーレン条約により戦争の終結し、「神聖ローマ帝国」が崩壊し、カトリックとプロテスタントの共存の道が開かれたのです。

薄っぺらい歴史の話ですが、だいたいこのくらいを整理しておくと、バッハの音楽を聴く上での時代背景の一部が理解できるのではないでしょうか。

つまり、両派のバランスがとれてきた、その頃(1685)に生まれたのがヨハン・セバスチャン・バッハでした。バリバリのプロテスタントの地に生まれたバッハは、当然幼い頃からルターが自ら作詞作曲した讃美歌 - コラールを子守唄代わりに聴かされていたことでしょう。

当然、音楽家を多く輩出したバッハ家ですから、バッハはかなり早い段階でこれらの教会での音楽を集大成したいという夢を抱いたのも不思議はありません。

さて、長くなりましたが、この宗教改革記念日のためにバッハが用意したカンタータは、2曲残っています。

BWV80 われらが神は堅き砦 (1724)
BWV79 主なる神は日なり、盾なり (1725)

ガーディナー先生の全集には、もう一曲使途不明のカンタータが収録されています。
 BWV192 いざやもろびと 神に感謝せよ
これは、1730年頃の秋の時期のものとして推定されているのですが、確定はしていません。

ルターの話に戻りますが、ルターが尊敬していた司祭の一人にデジデリウス・エラスムスがいます。基本的に終生カトリックを貫きましたが、カトリック内部でルターを擁護し、またルターにも自制をうながしました。

彼の著書として「痴愚神礼賛(1511)」は、今でも文庫などで読む事ができます。人間の愚かさをユーモアたっぷりに描き、カトリックの内部批判を交えながら、人としての生き方を教える名著として残っています。

エラスムスをテーマにして、その時代の音楽をスペインの古学演奏家サヴァールが集成しています。宗教改革の頃の音楽として、興味深い演奏がつまっていて、バッハに興味を持つ人は是非一度は聴いてもらいたいものです。

2014年10月30日木曜日

卵かけご飯

10月30日は、「たまごかけごはんの日」です。

なんで? 仲間由起恵の誕生日だから? いやぁ、よくわかりません。

お茶碗にご飯を盛り付けて、真ん中をくぼませます。ご飯の量は、普通の量よりちょっと大目がいいのですが、欲張るとあとで困ります。

生卵を割って、くぼみにそっと流し込みます。そしたら、端で黄身を割ってかき混ぜます。少しずつ、周りのご飯を崩しながら、卵を全体にからめましょう。

卵とご飯が全体になじんだら、醤油をぐるっと一周まわしかけて、あと数回かき混ぜると出来上がり・・・なんですが、こだわる人にはポイントがいくつかある。

米はこしひかり、ゆめぴりかとかのブランド米。卵も、最高級を目指すなら烏骨鶏卵。米はいいのですが、烏骨鶏卵はどこでも売っているわけではないし、そもそも値段が・・・

それと醤油。たごかけごはん用というものも、いくつか出ています。だいたいダシを加えて、甘味を強めにしたものが主流。

トッピングは、定番は海苔。細かくちぎって混ぜ込むと、抜群に相性がいい。もちろん好みで、梅干とか、いろいろな漬物とか、まぁ・・・好きにやってください。

2014年10月29日水曜日

リウマチの原因を特定?

関節リウマチは、自己免疫性疾患の一つです。

自己免疫とは、自分の体に対して免疫反応を起こし、自らの組織を障害してしまう病気のこと。免疫とは、本来外から進入した異物(抗原)に対して、特異的に反応する抗体が異物を除去する仕組み。

そこで、リウマチで何が抗原になっているのか判明して、抗原を除去する方法が確立できれば、リウマチの根本的な治療につながるわけです。

そこで、先週、注目されたニュースがありました。

京都大再生医科学研究所の伊藤能永(よしなが)助教らの研究チームは16日、関節が痛み、進行すると手指などが変形する「関節リウマチ」は、体の細胞内に ある特定のたんぱく質に反応することで引き起こされると発表した。論文は17日に米国科学誌サイエンスに掲載される。病気の原因となる物質を特定したこと で、新たな治療法の発見につながる可能性があるとしている。(10/17 毎日新聞より) 

これで 病気が治ると、色めきたった患者さんもたくさんいたことと思いますが、ちょっと待てよと。

新聞に書かれていることをよく読んでみると、「リウマチ患者374人の血液を調べると、約17% (64人)がRPL23Aと呼ばれるたんぱく質に対する免疫反応がみられた」とあります。

うん? 17%? それっぱかりか? というのが、最初の印象。確かに、原因の一つかもしれませんが、「病気の原因を特定した」という記事の表現からすれば、だいぶさみしい感じがするのは否めない。

残りの83%・・・大多数と言っていいかわかりませんが、かなりの患者さんでは検出されないものであれば、他に主要な原因となるものがあると思うのが普通です。

もちろん、この論文のオリジナルを読んでいるわけではないので、あまり辛口の評価をすることは慎まなければなりません。

京都大学の正式な発表内容が、HPに掲載されているので、これを見ると「RPL23Aが病気の原因となる自己抗原の一つとして働いている」という表現をしており、他の抗原の存在を認めています(当然でしょう)。

iPS細胞のこともあり、メディアの京都大学の注目度は高く、一般向けのニュースとして「いいとこだけ」切り出す報道になっていることは否めない。

ですが、だからと言って、この研究にけちをつける気は毛頭ありません。この研究の素晴らしいところは、自己免疫の仕組みを解明する手法を確立した事にあるのではないでしょうか。

つまり、リウマチ、またはその他の自己免疫性疾患でいろいろな抗原が関連している可能性があり、それを発見していければ、最終的に病気の原因治療につながるわけです。

そのスタートになる研究の一つとして、十分に評価に値するものだろうと思います。一般のニュースにならないような、似たような研究は世界中からいくつも発表されていて、21世紀になって着実にリウマチの包囲網は狭まっているということを実感します。

2014年10月28日火曜日

趣味は?

この前、医師会の会報から趣味についての原稿を依頼されました。

依頼された・・・と言っても、今回は自分で書かなくていいらしい。担当の人が来て、話を聞いて原稿をおこしてくれるんだとか。

なんでも、原稿を書いてくれるのを待っていると、いつになるかわからないので、業者にはいってもらっているのだそうです。

コーナーとしては、たかが原稿用紙2枚程度のものですから、そのくらい書くことはたいしたことではありません。ただ、面倒だなぁと思うのは間違いないので、自分で書くなら遠慮していたかもしれません。

「あなたの趣味は?」という質問をあらためてされると、うーん、どうしましょう。ベタな質問にベタな答えになってしまうのですが、「読書と音楽・映画鑑賞」と答えるのが無難なところ。

10年前ならキャンプ、釣り、アウトドアみたいな、もう少しアクティブな答えができました。もっと前ならテニスとかもありました。

パソコンというのもありますが、なんか「おたく」っぽくなりますし、いっそのこと、「仕事が趣味です」なんて開き直るのもいいかも。

自分の場合は、どちらかというと興味をもった対象に対しては、深く追求してしまう傾向がある。目下の所、今年一番興味の対象になっているのは「バッハを中心としたキリスト教音楽とその関連する歴史」ということになります。

とりあえず、現時点で熱っぽく語れるのはそのことしかないので、宗教曲の楽しさを担当の方相手に喋りまくりました。

趣味は広いほうが、人間形成上もいいと思いますが、狭く深くいくのか、広く浅くいくのか、はたまた欲張って広く深くいくのか、人それぞれです。

趣味と実益を兼ねるのもいいし、いっそまったく無関係なところでストレスを発散するのもいい。いろいろその時々で、趣味は変わってもいいし、一生涯貫くのも素晴らしい。

そう考えると、「生きている」こと以外、すべて趣味ですみたいなところもあるかもしれません。

2014年10月27日月曜日

足底装具

人間は、残念ながら年を取る・・・つまり老化していくわけで、肉体も物理的に劣化していくことは避けられないのです。

と、まぁ、いきなり悲観的な見方をするのもなんですが、こればかりはどうしようもない。とりあえず、足の話なんですが、いくつかの骨が組み合わさって形ができている。足が老化すると・・・たいていの人が扁平足になっていくわけです。

元々は、縦のアーチ、横のアーチと呼ばれている立体的な構造をしています。ところが、骨と骨の連結部分の靭帯が緩んだり、底で強く緊張して骨を引っ張っている足底腱膜が伸びてしまうことで、3次元的な構造が2次元に近づいてくる。

縦が潰れて来ると「扁平足」と呼んで、土踏まずの隙間が無くなって来ます。横が潰れると、「開張足」と呼び、横に広がっただんびろの幅広の足になります。

両者を合わせまとめて扁平足と呼んでいるわけですが、どちらの場合も一度なってくると元に戻す事は容易ではありません。

タオルギャザーという運動法がありまして、床に広げたタオルを指の力でたぐりよせる運動は、足の中の小さい筋肉を強くして、全体を立体的に引っ張る力になるのでお勧め・・・ですが、実際には地味な運動ですから、なかなか効果があがらない。

そこで、誰しも考えるのが中敷の調整をして縦横のアーチを修正する事。よく靴屋さんが、それなりに考えてくれるのですが、当然の事ですが靴屋さんは医療行為を行う事はできませんから、あくまでも予防のためという範囲。

足の裏の痛みが強くなってきたり、外反拇趾がひどくなると、それはもはや靴屋さんでは無理。そこで足底板という治療用の中敷をオーダーメイドしようということになります。

足底板を作るのは装具士という資格を持った人で、医師の依頼と指導のものとで行う医療行為です。今までにも、たくさんの装具士さんを見てきましたが、さすがに技術職ですからセンスが必要。

センスのない装具士さんにかかると、もう痛みは変わらないどころか、むしろ痛みが増して使い物にならないことも珍しくありません。装具士が専門職でも、やはり医者の方でも関わっていかないといいものが作れない事もあります。

うちのクリニックに来てもらっている装具士さんとは、もう20年くらいの付き合いです。お互いに、どんな物を要求しているのか「つーかー」なので、任せるところは任せて、問題なときははっきりと言い合いできる。こういうところも、自分の目に見えない財産の一つなのかもしれません。

2014年10月26日日曜日

三位一体節後第19主日

だいぶ寒くなってきて、風邪をひいてしまいました。ティッシュペーパーが手放せません。

300年前のドイツでも、しだいに寒さが増してきていたことでしょうから、バッハだって風邪の一つや二つはひいたかもしれません。その頃だと、ハンカチみたいなもので鼻をかんでいたのでしょうか。

毎週せっせと量産されていたバッハの教会カンタータですが、ところどころ抜けがあって、楽譜が消失したと考えられています。

しかし、もっと単純に体調不良、時にはスランプで作られなかったということもあっても不思議はありません。何しろ、バッハだって人間ですから。

さてと、三位一体節後第19主日ということで、今年は10月最後の日曜日。今週は宗教改革記念日というのもあるので、久しぶりにちよっと変化があります。

今日のためのカンタータは、3曲が残っています。

BWV48 われ悩める人、われをこの死の体より (1723)
BWV5 われはいずこにか逃がれゆくべき (1724)
BWV56 われは喜びて十字架を負わん(1726)

約200曲残されているバッハの教会カンタータは、人類の遺産という評判で、それを認めるからこそ、せっせと聴いているわけです。

ただし、続けて聴いていると、確かに似たような雰囲気ですから、歌詞の内容とか、その日の説教について知らないと、違いがわかりにくいところがあることは否めない。


三位一体節後第19主日では、イエスが病を直し、罪を赦すということがテーマらしいのですが、だいたい深い悲しみをイエスが解き放ち、喜びが訪れるという感じは、全体を通して同じ。教会に集う人々を、信仰心を高め気持ちよく送り出すことが大切です。

ガーディナー先生の全集では、同じCDにもう1曲、三位一体節後第25主日のための短いカンタータが収録されています。
BWV90 怖ろしき終わり汝らを引きさらう (1723)

2014年10月25日土曜日

ノートPCに水をかけると・・・

あっ! っと思ったときは、もう遅く、何とノートパソコンに水をかけてしまいました。

日頃から、こどもにはパソコンの周囲にカッブなどを置いてはいけないなどと言っていたのに、自分で失敗しては、もう情け無いしかありません。

さて、数日して、そろそろさすがに乾いただろうという頃に、恐る恐る電源ONにしてみると・・・いきなりBIOS画面。

ほとんどの方は、BIOS画面なんて見たことはないでしょぅが、起動時に特定のキーを押すと出てくる、パソコンの最も基本的な設定をするためのもの。

とりあえず、触ってみると、いくつかのキーが明らかに反応していない。BIOS画面を終了して、通常の起動ステップに進ませても、結局再起動してしまい、またもやBIOS画面。

無理やりBIOS画面をスキップしてみると、なんとかWindowsが立ち上がりました。マウスで操作する分には、特に問題は無く、ハードウェアのエラーもなさそうなことが確認できました。

でも、やっぱりキー入力はだめ。勝手に連続で文字が打たれてしまったり、まったく反応しなかったりで、今時のタブレットなら許されますが、パソコンとしては機能できません。

今まで、パソコンが不具合を出す事はあったら、たいていのことは自分でなんとかしてきたのですが、ノートパソコンのキーボードの接点を一つ一つ調べて直すというのは、さすがに無理。

そこで、初めて修理に出す事にしたんです。ノートパソコンはコンパクトで、自分でいじれる部分が極めて少ないのですが、そのかわり宅急便に出すのも簡単です。

そこで、まずメーカーに問い合わせ。こんな症状なんですが、キーボードのパーツだけ買えますか? と聞いてみた。部品だけは売ってくれないという返事。

じゃあ、直すといくらですか? と聞くと、検証料 5000円、修理代 5000円、キーボード部品 3000円で、税別、送料込みだとのこと。

そこで、思い出したのが、実はメモリーとHDDを性能アップの目的で、実は増設、SSD換装をしていたんです。こういうことをすると、メーカー保証外になりますので、修理を受け付けてくれないのが普通。

中身変えちゃってますが? 修理後の動作確認ができない場合がありますが、それでよければどうぞ。ということで、まぁ、なんて優しい対応なんでしょう。

というわけで、ASUSのノートパソコンは入院中。HPで確認すると、順調に治療が進んで、経過もいいようで、もうじき退院してくる予定です。

2014年10月24日金曜日

FIT3が連続リコール

FITは、HONDAが誇る、社のドル箱となっているコンパクトカー。

第一世代で、コンパクトなのにゆったり感が受け、第二世代で爆発的にヒット。この領域では、TOYOTAを圧倒した感がありました。

しかし、時勢のハイブリッド技術で出遅れ、2012年のTOYOTAのアクアの登場により形勢逆転。HONDAのハイブリッドは、「簡易式」でいろいろな車に載せやすく、車種も広げてはいるものの巷ではハイブリッドではなく「電動アシスト」エンジンと呼ばれていました。

しかし、満を持して昨年9月に新型FIT3が登場。まずはガソリン車で、アクアののぺっとしたつまらないデザインよりも、スマートでかっこいい風貌はなかなかのもの。

そして12月に、いよいよ新しい本格的なシステムを搭載したハイブリッド車が登場し、今年前半はアクアとFIT3は、熾烈な一位二位争いを毎月繰り広げていました。

アクアは上半期新車登録台数123,637台で、わずか2000台くらいの差でトップを死守しましたが、昨年同期はフィットはアクアの半分程度だったことを考えると、かなり巻き返されたといえます。

ところが、今年夏以降はじりじりとフィットが下行しはじめます。これは7月のリコールの影響でしょうが、なんとそのリコールも4回目でした。

CMがいつでも地味なTOYOTAに対して、HONDAはわかりやすいキャンペーンを強化して、何とか販売台数を少しでも増やそうと努力しているようでしたが、ここに来て最大のピンチが訪れました。

先日、なんと5度目のリコールが発表されました。車の根幹に関わるハイブリッド・エンジンのリコールで、発売してまだ1年たっていないのに2ヶ月弱に一度リコールが出続けるというのは異例のこと。

自分はFIT3は運転した事がないので、その走行感や、どんな不具合があるのかは、まったくわかりませんが、外見的、価格的、そして燃費面でもには大きな魅力を感じる車なので、購入を検討している人にとっては残念すぎる話だろうと思います。

 年末に向けて新車販売にも熱が入る時期ですから、売れ筋からの脱落は免れず、信頼回復にはHONDAの相当な努力が必要と思われます。

TOYOTAに一人勝ちをされると、ただでさえ親方日の丸的なTOYATAですから、さらに強気になってしまいそう。TOYOTAユーザーとしては、そういう意味でもHONDAにはがんばってもらわないと困るのです。

2014年10月23日木曜日

消えた患者さん

患者さんの中には、なかなか良くならないので、医者を変える方がいます。どんどん医者を変えてしまうのをドクター・ショッピングとか、ジプシー・ペイシェントと呼ぶ事があります。

この場合、患者さん側に問題がある場合と、医者側に問題がある場合がある。患者さんは、自分の病気をよく理解していなくて、とにかく早くに満足を得られないことを不満に感じている。医者側は、すぐによくならないことを納得してもらう努力が足りない。

また、医者の技量の問題もあります。すべての医学にパーフェクトではありえないので、当然、医師といえど得意不得意はあるものです。医師自ら、自分の知っている事、できる事の限界を認識している事は重要だと思います。

ですから、いつのまにか来なくなる患者さんがいると、いつでも自分に対して不満があったのか、自分の力が不足していたのか、あるいは単に引越しただけなのかとか考えたりするわけです。

特に関節リウマチという病気では、患者さんとは長い付き合いになるので、まずキャラクター的に合う合わないというのは重要なポイントかもしれません。

さすがに、医者も人ですから、仕事がら患者さんに合わせる努力はしますが、時にはこういう患者さんとはなかなか話ができないと思う事があります。

それは、たいてい初診のときにだいたいわかることですから、何度か再診してもらうと、あとはお互いにペースがわかってくる。

患者さんが医者を変えたいと思うとき、医者に黙って来なくなる場合は、もうこれはしょうがない。去る者は追わずですが、やはりできる事なら理由は知りたいものです。何が不満だったのかがわかれば、直せるところは修正したい。

はっきりと転医したいと申し出て来る場合もよくあるんですが、その場合は次の医者へちゃんとつながるように紹介状を用意する事は医者としてできる最後の仕事。

転医希望の理由をはっきり言ってくれると、例えそれがこちらへの不満であっても助かります。セカンド・オピニオン目的の場合は、積極的に紹介します。他の医者の意見も聞いてみることは、いろいろな意味で大切な事です。


まぁ、いずれにしても、自分がスタンダードからはずれていない自信を持てるように日頃から努力している前提で、スタンダード以上を求められれば患者さんが去っていくのは止めようがない。

とにかく、患者さんが来なくなった事がわかったときには、自分の再点検のいい機会だと思うようにしたいと思います。

2014年10月22日水曜日

社会保険懇話会 2014

去年は11月になってから開催された社会保険懇話会が、今年は昨日ありまして、診療終了後に医師会の会議室で、区内の開業医が集まりました。

どういう会かは、去年書いていますから、あらためて説明しません。講演した先生には申し訳ありませんが、正直言ってあまり内容的には意味は無い。

出席をしないと、診療報酬の支払いをしている支払い基金から目を付けられるという、あまり面白くない理由で義務化している会合ですからしかたがない。

医療にかかるお金は、高齢化によって年々増大して、政府は必死で抑えるためにあの手この手を考えているわけですが、そもそも医療と介護を分離したのも現場での実務を無視した見かけ上の「医療費」削減でした。

医療保険もアップアップですが、介護保険もどんどん膨張して、被保険者の負担は増える一方で、出来るサービスは厳しくなるばかり。

そもそも65歳以上が4人に一人という、今の状況を考えれば、抑制しようにも無理がある。支出を減らす事ばかりが目立っていますが、いかに予算を増やすか、あるいはいかに医療・介護サービスを拡大するかが重要なはず。

まぁ、自分がどうのこうの言ってもしょうがないところですが、そんなことを考えて黙って講演を聞いていました。何しろ、明日の高齢者は自分ですから、どんどん痩せ細って行く医療・介護の実態を目の当たりにすると、なんだかなぁという気持ちになる一方です。

2014年10月21日火曜日

バッハとコラール

ヨハン・セバスチャン・バッハは、言ってみれば生え抜きのプロテスタントのキリスト教徒でした。幼いころから、教会に通い、音楽の道に進んでからも、そのほとんどの人生を教会での仕事に捧げていました。

自分より一世紀半も前、マルチン・ルターが後の歴史でいう宗教改革によって、教会に音楽を積極的に取り入れ、会衆とともに神への敬虔な信仰を歌うことは、バッハにとっては大変身近なものであったわけです。

バッハは、彼のライフワークであった「整備された教会音楽」を構築していくうえで、これらのコラールと呼ばれる歌を大変重視し、教会カンタータの大多数に取り込んだのです。

特にライプチィヒ着任2年目になると、すべてのカンタータでコラールを意識的に組み込むようになります。 現存する約200曲の教会カンタータと受難曲の中には、ルター自ら作曲したものも多数含めて、163曲のコラールが含まれていると言われています。

バッハの息子のC.P.エマニュエルと弟子だったキルンベルガーは、バッハの残したコラールを収集・編纂し1780年代に370曲のコラール集として出版しました。しかし、これには歌詞は無く、譜面は鍵盤楽器演奏用の体裁をとっていました。

もう一人弟子だったディーテルが、バッハ存命中に手書きで残した4声のパートに分けれた譜面が149曲分存在していて、これが重要な手がかりになって、現在独立した作品として185曲の「4声のコラール」にBWV番号が振られています。

いくつかはチェンバロやオルガンの簡素な伴奏がありますが、多くは無伴奏で歌われ、時間も1~2分程度の短いものばかり。わずかに、独唱もありますが、基本的にはソプラノ、アルト、テノール、バスの4声で歌われる合唱曲です。

教会曲にやたらと凝ったことをすると当局から目をつけられていたバッハですが、さすがにコラールに対しては奇をてらう編曲はほとんどしていません。複雑な対位法などは影を潜め、おそらく原曲を尊重して、音楽として成立させたのでしょう。

ほとんど楽器の伴奏が無いので、非常に地味な存在です。当然、収録したCDは大変少なく、基本的にはバッハ全集くらいでしか聴くことはできません。

これらの独立したコラールが、多数作曲された理由は不明です。しかし、これらは失われたカンタータなどに含まれていた可能性が高く、バッハ研究者にとっては重要な研究材料であり、一般の愛好家にとっても、バッハの信仰のエッセンスを見るような魅力があるのです。

2014年10月20日月曜日

ブログは時代遅れか

このブログも書き始めてずいぶんたちましたが、当初はクリニックの宣伝という意識が強かったものの、今では完全に公開日記兼自分の興味の覚書。

他人が見ることなんて、ほとんど意識していない。ほとんど、統計的なデータも気にしていませんでした。でも、ひまにまかせて、なんとなく久しぶりに調べてみました。

2010年1月1日以降のタイトルについてだけですが、昨日までにこのブログを訪れた人数は、1タイトルについての平均は98.03人。


ただし、2013年1月1日以降のタイトルだけなら48.7人。さらに今年だけだと32.1人で、単純に一日についてやってきた人とはいえませんが、簡単に言えば年々読者は減っていると考えてもよさそうです。

もちろん、古いものほど後から見に来る人が出てくるので、新しいタイトルほど少ないのは当たり前。それと、平均を上げているのは、圧倒的に車のネタなんです。

上のグラフを見てもわかりますが、2011年秋から2012年冬にかけて、突如として棒が長い。

 最も閲覧者が多いのはトヨタのアクアが発売される前の㊙情報みたいな話で、最高は7374で、このブログ全体でも圧倒的な一位なんです。1000を超えたタイトルは、27タイトルあるんですが、そのうち19がアクアかプリウスαの話でした。

車の話を除くと、「骨肉腫(2010/10/9)」、「印象派~絵画史の中の役割(2010/10/3)」、「 東急嶮山再開発(2013/2/10)」、「東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター(2010/10/14)」、「レントゲン写真(2010/7/8)」、「Miles Davis / AGHARTA(2011/2/5)」、「リウマチ新薬で異例の対応(2013/4/15)」、「横浜新緑総合病院20周年(2011/2/16)」の8つのタイトルが1000超えでした。

カテゴリーで見ると、今日の映画で一番多かったのが「黒部の太陽(2012/1/6)」、今日の音楽ではトップが「小林愛美/Debut(2013/5/19)」で、それに続くのが「佐村河内守/交響曲第1番"HIROSHIMA"(2013/6/2)」で、これらは1000には届かなかったものの、それに近い数字でした。

最近はまっていて、せっせと書いている教会音楽については「バッハ・カンタータ全集(2014/5/19)」だけが265でダントツに多いのですが、あとはほとんど50以下。まぁ、そんなもんでしょう。

少ないほうでは、何と!! ゼロというのがひとつあります。それは「3月3日(2010/3/3)」で、1というのも5つある。さらに2が6つ、 3が12。全部で1769エントリー中、閲覧者が一桁以下のものは、80ありました。

やはり、その内訳はどうでもいいような話がほとんどで、少なくとも関節リウマチに関連するものが含まれていなくてよかった。

時代にマッチしたネタは多くなるし、個人の本当に日記みたいものは伸びません。当たり前のことを確認しただけですが、まぁ長くなってくると、なかなか皆さんが喜びそうなネタが書けなくなったのかも。

この数年でFacebook、Twitter、Lineというような、さまざまなネット利用が登場して定着しました。ブログのような、比較的一方的な情報発信をするネットワーク・ツールは時代遅れであることは間違いないようです。

ひたすら毎日書くことにこだわる必然性は、本当に無くなったのかもしれません。年末までには3000エントリーに達する見込みなんですが、今後どうするかちよっと悩み始めています。

2014年10月19日日曜日

三位一体節後第18主日

三位一体節後第18主日です。繰り返しになりますけど、本当に三位一体節後というのは長い。1年の半分近くを占めているのですから、キリスト教では半年あれば、ほとんどすべてのイベントが終わってしまいます。

まぁ、バッハにとっては、一番忙しくなる時期が終わってから、ライプチィヒに着任したわけで、この期間に毎週の仕事をこなしながら、来年の春の準備をあれこれしていたんでしょう。

今日のカンタータは2曲が残されています。

BWV96 主キリスト、神の独り子(1724)
BWV169  神にのみ わが心を捧げん (1726)

BWV96は、あまり特徴はない、よくあるパターンで、時間も20分程度の標準的なもの。

それに対してBWV169は、なかなか面白い。まず冒頭のシンフォニアが、けっこう長い。これだけ聴くと、オルガン協奏曲と呼んでもいい感じ。

ここは、楽器演奏者のアンサンブルを、しっかりと聴かせたかったという意思が表れています。このシンフォニアは、1738年にチェンバロ協奏曲の第1楽章へ転用されることになります。

歌唱については、この曲はアルトの独唱になっていて終曲のコラールを除いて、5曲の独唱曲が続きます。よほど優れたアルト歌手が、ライプツィヒに滞在していたのでしょうか。

 オルガン主体の伴奏で、アルトの独唱というのは、ちょっと新鮮。最後のコラールは、1分程度ですが、初めての合唱ですから、けっこう目立って終わります。

ガーディナー先生のCDでは、三位一体節後第25主日用の
BWV116 汝平和の君、主イエス・キリスト(1724)
そして、ワイマール時代に作られた
BWV668 コラール 「汝の御座の前に、われ進み出で」
の2曲が併録されています。

2014年10月18日土曜日

ねずみ、というとたぶん最初に出会ったのは、幼稚園くらいのときだと。衝撃的な出会いは、実に家の風呂場。当時は、風呂桶は小判型で木でできていて、端に湯沸しがついているようなもの。

コンクリートの床にスノコがひいてあって洗い場になっていたのですが、その下を突然走っていったのがねずみでした。何しろ、昭和の真ん中頃の話ですから、そんなのは当たり前といえば当たり前の話なんですが。

もちろん、モルモットのように飼ってかわいいというようなものではありません、いわゆる「どぶねずみ」だと思います。白ければラットと呼ばれて、実験用の家畜としてよく目にします。

整形外科医になると、「関節の中に鼠がいる」という話をすることがあります。関節内の軟骨などがはがれて、あちこちに動くようなものをそう呼びます。

関節鏡という中を覗く道具で見てみると、見つけても、ちょっと目を離すと消えてしまったりして、なかなかやっかいなところはまさに「ねずみ」みたいな感じ。

そて、パソコンにむかうと、いまやネズミ・・・いや、マウスは無くてはならないもの。これは、その形からついた名称ですが、完全に一般化しました。

マックやウィンドウズが登場した90年代の初め頃から使い出した、いわゆるポインティング・デバイスと呼ばれるカーソルを動かす道具ですが、いろいろなタイプがあります。

でも、カーソルの移動とクリック動作を連続的にできるマウスは、自分にとっては圧倒的な優位性があって手放せません。ノートパソコンにはタッチパッドが必ずついていますが、例え外出先でもマウスを使用して、タッチパッドはほぼ使ったことはありません。

小さいものは手が疲れるし、大きいものは邪魔になる。ちょうど手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさが、最も使い勝手がいい。

あえてブランドを絞ると、MicrosoftかLogicoolが性能が安定して、デザイン的にも好みですから、今までに数十個使ってきたものの中では、圧倒的に信頼度が高い。

完全にフリーハンドで、ポイントする仕組みも近い将来に出てくるのでしょうが、それまではマウスは無くてはならない身近な存在であり続けると思います。

2014年10月17日金曜日

Pomodoro alla griglia

特製カーリックソースをかけた、軟骨入り地鶏ミンチ詰め完熟トマトのグリル、マッシュルームと色とりどりのピーマンを添えて・・・

まぁ、簡単に言えば、つくね詰めトマト焼ということですが。

最近、なんかやたらと長ったらしい料理名をよく耳にする・・・ぐるナイの影響ですかね。

一見、かっこいいですが、実は食べる人に料理の知識がなく、料理名から広がる食欲を覚えるイマジネーションが欠除しているということかも。

つまり、普通に食卓にあがらないような、かわったメニューが増えたということ。飽食の時代の現れの一つなんでしょうね。

というわけで、こんなん作ってみた、というわけですが・・・まぁ、ほぼ成功でした。

スーパーで普通に売っているトマトの中を有る程度くり抜いて、鍋用に買って余っていた鶏つみれを詰め込んでオーブンで焼いてみました。

トマトが崩れるかもと思ったので、玉ねぎを土台にしておきましたが、意外と大丈夫なもんですね。

ソースはオリーブオイルでにんにくを炒めて、細かくしたほうれん草とバジル、牛乳、コンソメを混ぜたもの。

年取ると、野菜中心のメニューを意識するんですが、肉料理に比べて難しい。なかなか思いつかないので、「素材の味を生かして」そのままサラダが多くなる。

まぁ、よかったら一度試して見てください。

2014年10月16日木曜日

VAIO --> ASUS

いままでに、何度か書いたと思うのですが、自分はSONY信者みたいなところがあって、どうせ買うならSONYと思っているわけです。

ですから、パソコンも自分用に買うときは、今まで圧倒的にVAIOシリーズが多い。実際、VAIOは、その時々で、最高のスペックを提供していたことが多く、デザイン性も相まって作り手にそれなりのこだわりが感じられました。

そのかわり、価格も高めで、なかなか購入するのに勇気がいる。製品構成をカスタマイズしてベストを選択すると、いくらSONY信者でも、さすがに無理と思うくらいの価格になってしまいます。

そのVAIOが、SONYの業績不振でブランドが売りに出されて、独立した別会社が作る事になりましたが、現在販売されているものはSONY時代から引き継いだものだけ。

おそらく2015年春に、VAIO株式会社として最初のオリジナル機種が登場するのでないかと思いますが、それによって今後のVAIOがどうなっていくのかわかりそうです。

そんなわけで、今年はあえてVAIOを選択する気持ちが萎えている。今年はノートパソコンを2台購入しているんですが、一台は大学生のこども用。そして、もう一台は、必要がでてきたので自分が関係しているリウマチの勉強会用。

どちらも、最高スペックを狙うわけではなく、実用第一。こどものために用意するのは、あくまで勉強用ですから、レポートが提出できて、ネットにつながることができればOKですが、もちろん音楽・動画再生の希望もあり。

リウマチ勉強会用は、講演会に出席した方の学会単位のとりまとめに必要で、カードリーダーが読み込めればいいというくらいのもの。

そこで、値段優先で、その中でスペックとデザインを考慮すると・・・選択したのはどちらもASUSというブランド。台湾の会社で、けっこう価格のわりにはVAIOのような独自のこだわりをもっている会社だと思います。

こどもには、いまどきのパソコンとしてはミドル・クラスのものを選びましたが、それでも8万円くらい。VAIOで、同程度のものにする場合の半分くらいの価格です。勉強会用は、ネットブック程度でいいので、さらに安くて3万5千円。

勉強会用は、搭載するCPUがCeleronで、さすがにCore-i7とかに慣れているともっさり感満載で、自分が中心で使うにはあまりに貧弱。さすがに1万円追加してHDDをSSDに換装したところ、まぁネットを使うだけなら許せる感じになりました。

価格とスペックの両方にこだわるとBTOパソコンという選択肢もあるのですが、やはりリスクが高くなることは否めない。今までに、デスクトップでもノートでもBTOパソコンの何度か購入したことがあるのですが、やはりデザインは落ちるし、安定性に不安が残る事がほとんど。

さて、次に買う事があったら、ASUSを選ぶのか、それとも新生VAIOに目が眩むのか、さぁどっちになることでしょう。

2014年10月15日水曜日

MOZU (2014)

これは今年の春に放送された、TBSとWOWOWの共同制作で放送されたテレビドラマ。

「MOZU」は鳥のもず(百舌)のことで、サブタイトルに「Season1〜百舌の叫ぶ夜〜」がついていました。つまり、当初からSeason2以後があることが決まっていて、かなり制作側にはぶれない強気の決意があったわけです。

実際、Season2は、1が終了してすぐに放送が始まり、全部で15話の構成。ところが、1はTBSでの放送でしたが、2がWOWOWのみでの放送だったため・・・見れない!!

年間通して考え ると、WOWOWに加入しても、まずテレビそのものを見る時間がそれほどあるわけではありません。従来の大手テレビ局の放送する分だけでも、手に余る。

わざわざ高い加入料を払うのは、さすがにためらわれます。ところが、いよいよ明日から2がTBSで放送されることになりました。

内容は、平和ボケの日本でも国家権力のもと、公安警察がいろいろな謀略を行っているかもしれないというハードボイルドな作品。フィクションじゃなかったら、超こわい話。

公安のエースと呼ばれる倉木の妻が、銀座の真ん中での爆弾テロで死亡するところから、話は始まります。倉木は、何故自分の妻が死ななければならなかったのか、真実を知るために独自に動き始めます。

そこに、通常の警察の大杉と、女性の公安の明星、殺人者の新谷が絡んできて、それぞれには濃厚なドラマが展開されています。この4人を軸に話が進んでいくのですが、もう謎が謎を呼び、少しでも気を抜いて見ていると、もうわけがわからなくなる。

前半は、銀座の爆弾事件の謎を解明することが中心で、おおよその事実が判明して行くわけですが、後半になるとそこからわかってきた国家レベルの犯罪に向かってアクセル全開になります。

全体に薄暗い色調で、冗談の一つも無く、かなり映画を意識した作り。よくこんな内容で、スポンサーがついたものだと思います。毎回の予告編も、まるで映画のような演出になっています。

テレビという枠を度外視してこだわりぬいて作られた感じは、ひしひしと伝わってきますが、監督は羽住英一郎という「海猿」のシリーズを手がけた人。

いずれにしても、1で判明しなかった重要な事実が残されており、しかも大胆な事に最終話の最後には不気味な次のステップが示されていました。これは見ないわけにはいかない。

ネットで調べてみると、2を見終わっても、いくつかの謎は残されているらしい・・・ということは3として、さらに続編が作られるのか、あるいは本当に映画として公開されるのか、まだまだ気になり続けるようです。


2014年10月14日火曜日

台風19号

2週続けての台風で、各地にいろいろと影響が出ています。

自分が住んでいる横浜の付近では、昨日は昼頃から弱い雨が降り始め、暗くなる頃からは本降り。夜9時ごろには、風も強くなり、いよいよ台風が近づいてきたなという感じでした。

夜中は、叩きつけるような雨が続き、そこへ強い風の音が加わって、何度か目を覚ましまし恐怖の一夜ならぬ、強風の一夜となりました。

気象庁の予想通り、午前3時ごろには関東を抜けたようで、朝の時点では小雨が少し残っている程度。出ていた警報も、朝の時点で注意報に格下げになりました。

どのタイミングで来られても台風は困りますが、列島縦断の大きな勢力を持った直撃の台風である事を考えると、先週の台風と違って、休み明けの生活には影響が無く助かりました。

雑誌じゃないから、毎週来られても・・・まぁ、季節的にこの時期はしょうがない。

この写真は、日曜日に通りかかった消防署の前の光景。はしご車を伸ばして、作業をしていたのですが、おそらく台風に備えての整備・点検、あるいは訓練ではないかと思いました。

 昔より台風が来てものんびりしていますけど、こういう警察・消防などのいろいろな準備があるからこそ、自分らはのん気に構えていられるんでしょうね。

市民生活のインフラを支える仕事をしている方々は、見えないところでいろいろと頑張っているわけで、もっと感謝をしないといけませんね。

2014年10月13日月曜日

介護職員初任者研修 2014年秋

昨年の春から、もともと介護ヘルパーの資格が、介護職員初任者研修という形になって、資格としてはグレードアップ。高齢化社会に向けて、必要な人材を確保するために、より正当性を強化しました。

その分、勉強する量と質は増加。受講する方々は大変です。丸々1日かかる講義が連日続いて、さぞかし疲れることでしょう。

昨日の日曜日は、この講習の医学に関する講習で、1日講師をしてきました。医学についての全般を、1日で説明するなんてことは、当然無理。まして、大多数の自分の専門外の話をするのは、かなり大変なことです。

それでも、それなりに自分も勉強して、少なくとも最低限の間違いのない知識をお伝えするようにしています。昨日の聴講者は・・・7人!!

春と秋にある研修会ですが、以前は30人程度はいつもいたものです。それが、去年の制度変更後、激減。今回はついに10人を割ってしまいました。

そりゃ、お前の講義が不人気なんだろう、とお叱りを受けるかもしれませんが、何も自分が関係している研修会だけのことではないらしい。

以前の制度では、半日単位が主で、家庭がある人も気楽に参加できました。丸々1日を連日にわたって拘束されるとなると、参加できる方は限られます。

資格の価値を上げることは必要ですが、ハードルが高くなって、逆に人材確保がむしろ難しくなってしまったようで、今後も需要が増える職種としては危機的な問題になりそうです。

実際、受講生が集まらないため、開催を中止するところも出ているとのことで、早くやり方そのものを考え直さないと、取り返しがつかないことになるのではないでしょうか。

講義をする側からすると、少ないことは悪くはありません。一人一人り反応がよくわかりますから、説明を補足したりしやすい。自分で言うのもなんですが、1日かけただけの価値は感じてもらえたのではないかと思います。

2014年10月12日日曜日

三位一体節後第17主日

三位一体節後第17主日です。この三位一体節後というのは、長いわぁ。キリスト教徒の方々は、この期間をどうやって過しているのか・・・って、まぁ、普通に社会生活をしているんでしょうね。

今日も、300年ほど前のドイツ、ライプツィヒの聖トーマス教会では、バッハがカンタータを演奏していました。

300年前と書くのは簡単ですが、世界史を眺めてみると、ドイツでは表面的にはカトリック対プロテスタントの三十年戦争が終わって半世紀が過ぎて社会が落ち着きを取り戻した頃。両者が共存し文化的にも円熟して行く時代だということです。

フランスではまだ革命前。16~17世紀に栄華を極めたスペインが、どんどん弱体化している頃。コロンブスがアメリカを発見するのが15世紀末。植民地と化し、独立戦争までまだ半世紀というところ。

ちなみに、コロンブスが新大陸に上陸して、サン・サルバドル島と名づけたのが1492年の・・・今日、10月12日のこと。うーん、520年前ですね。

そう考えると、こりゃそうとう昔の事ですよね。その頃の音楽をせっせと聴くというのも、ずいぶんとマニアックな話と言われるのも当たり前の事かもしれません。

さて、今日のためのカンタータは3曲。

BWV114 ああ、愛しきキリストの徒よ、雄々しかれ (1724)
BWV148 その御名にふさわしき栄光を (1725 or 1723)
BWV47 おのれを高うする者は卑うせられ (1726)

今日のカンタータは、比較的元気がいい曲調です。BWV114も出だしは協奏曲風。BWV148も、冒頭のトランペットが印象的。

そんなわけで、300年前のドイツの一都市の生活に思いを馳せてるわけです。

2014年10月11日土曜日

足場解体

センター南駅前のビルの工事が始まって1年。本体は完成し、内装が急ピッチで工事されています。

いよいよ周囲にぐるりと設置されていた、足場の撤去作業が始まっています。

上から順に解体していくわけですが、それを隣の人に渡し、またそれを隣へ。そして後は段ごとに立て一列に順繰りに降ろすという、意外なくらいアナログな作業。

ケガをしないように、大きな掛け声があたりに響き渡り、ちょっとうるさいくらい。足場はみるみる取り払われていきました。


2014年10月10日金曜日

5年連続の世界制覇

すごい事です、内村航平選手。

昨夜、中国で行われている世界体操で、個人総合で5連覇を達成しました。21歳の時から勝ち続けているわけで、体操競技としては前人未踏、快刀乱麻、質実剛健、金剛不壊。

ちょっと前に書いた、「今年のスポーツ」の中に記憶しておかないといけません。演技の安定感は抜群でした。

内村本人が日頃から目指している「美しい体操」を見事に具現化していたと思います。まだまだ、ピークを維持できていて、次のリオ・オリンピックまでは期待できそうです。

また、田中佑典が3位に食い込んだ事も、一緒に拍手喝采したいと思います。田中三兄弟の末っ子として、ついに結果を出してきました。

先日の団体が、もう金は決まりかと思っていたところに、最後の最後、中国の驚異的な鉄棒演技により逆転されました。いゃぁ、残念でした。

内村自身もよく言っているように、団体での優勝は彼らの悲願ですから、内村選手が現役のうちに、何とか達成しておきたいことでしょう。

そういう意味では、次世代の台頭が心配なところ。今回も、団体の床などに白井クンが登場しましたが、まだまだオールラウンダーとはいえません。そもそも、彼以外に次の選手があまり見えてこないことが心配ですが・・・

そういえば、昨日はもうひとつの五連覇のニュースがありました。村上春樹のノーベル文学賞が非選出5年連続・・・これは周りが騒ぐだけで、勝手に受賞の期待を寄せている話。本人はいい迷惑みたいなところかもです。

2014年10月9日木曜日

第12回田園都市リウマチフォーラム

昨日、第12回になる田園都市リウマチフォーラムでした。皆既月食が気になるところでしたが、横浜北部では雲が厚く、ときたまうっすらと垣間見える程度。月食はあっさり忘れて、勉強の方が大事。

何度も書いていますが、自分と近隣の開業医の先生で始めた関節リウマチの勉強会が発展してできたフォーラムですが、2010年からはじめて、これで丸4年になりました。

よく続いている会だと思いますが、これも参加してくれるほかの先生方のおかげ。来る人がいなければ、自然消滅してしまいます。リウマチ診療をしていく中で、自分たちが知りたいことをテーマに、話を聞きたい先生を選んできたことが要因ではないかと思います。

さて、今回は、この会の顧問をお願いしている聖マリアンナ医科大学の山田秀裕教授の出番です。たびたび講演をお願いして、そのたびに貴重な時間をさいていただき、ありがたいことです。

今回のテーマはリウマチ類縁疾患。そもそも、これがあれば絶対というものがないリウマチの診断ですので、似たような病態をしっかりと鑑別する事は大変重要なこと。

その多くが、古くから血清反応陰性関節症という呼ばれ方をして区別されてきました。血清反応とは、元々はリウマチ因子(抗変性IgG抗体)という検査項目のこと。

リウマチ因子(リウマトイド因子、リウマチ反応)という名称は、本当に誤解を招きやすく、これが出るだけでリウマチだと思ってしまう・・・患者さんはともかく、医者でもけっこういることは問題です。実際、リウマチ因子が出るリウマチ患者さんというのは2/3強で、出ない方もかなりいます。

今は、リウマチの診断では抗CCP抗体というものがより重要視されていて、リウマチ患者さんでの検出率は90%程度といわれています。ですから血清反応陰性例も、以前よりはだいぶ絞り込まれたと言えますが、それでも抗CCP抗体の出ない場合はまだまだ存在します。

特に、リウマチを心配というクリニックを初診する患者さんでは、かなりの方はリウマチではありません。自分の私感では、実際にリウマチなのは数十人に一人。逆に、9割以上は抗CCP抗体が検出されません。

 抗CCP抗体陰性の方は、大多数は加齢性だったり、腱鞘炎だったり、使いすぎだったりという、病的にはあまり心配ないものですが、稀にこの中に従来言われていた血清陰性関節症が含まれてくるわけで、開業医にとってはより注意を払わないといけないところ。

教科書では、リウマチではないということで、比較的あっさりとしか書かれていない項目で、意外と知識をアップデートしにくい部分なのですが、今回の山田先生の話で、実はかなり研究が進んでいて、具体的な治療についても最新の知見を解説していただき助かりました。

自分の体に対して、自らアレルギーを起こしている、自己免疫性疾患の一つという考え方は古くからありましたが、その実態がインターロイキンと呼ばれるサイトカインの一種を介して起こっていることが判明し、治療方法も抗サイトカイン療法に移行してきているとのこと。

抗サイトカイン療法は、リウマチではもう当たり前になった生物学的製剤を用いるもので、これは医学全体がマクロを対象とした治療からミクロをターゲットに、より原因治療に近づく流れにそくした物です。

従来行われていた、消炎鎮痛剤だけ、あるいは抗リウマチ薬を併用してみる方法よりも、積極的な改善が認められているので、正確な鑑別診断と治療介入の重要性は増していると言えます。

リウマチ医にとっては、リウマチに目がいきやすく、「リウマチ以外」を忘れがちになる傾向があります。開業医レベルでは、「リウマチではない」と判断できることは大変重要ですので、今回の話はとても役に立つ内容でした。

2014年10月8日水曜日

ノーベル賞

スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2014年のノーベル物理学賞を、青色発光ダイオード(LED)を開発した名城大学の赤崎勇教授(85)と名古屋大学の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授(60)の3人に贈ると発表した。
~讀賣新聞

日本人 としては、誇りに思えるニュースです。学問を実際に利用した「物作り」が評価された事は、素晴らしい事だと思います。

ダイオードという半導体は、自分が高校生の時に、いろいろな電子回路を半田ごてで作っていたときにはすでにあったもの。それから数十年間、特に社会的に話題になることもありませんでした。

実際、青色ダイオードが登場したことは、人の生活を質的にも量的にも大きく変えるものでした。発明されたのは1993年、でも、我々に存在を知らせたのは2001年のニュースでした。

それは、発明した中村氏が、その特許を所属していた会社ではなく、自分にあるとする裁判をおこしたということでした。その裁判は、いろいろな議論を巻き起こしますが、今は横に置いておきましょう。

今回の賞は、基礎的な純粋に物理学の研究として、理論を完成させた赤崎・天野両氏と、実用化させた中村氏の三人に贈られたもので、バランスのいい人選なのでしょう。

実質的な実用化から、わずかに10年ちょっとですが、さまざまなものが従来の光原にとってかわりつつあります。

例えは、今見ている、このパソコンの薄い液晶画面。長い間、テレビの別名にもなっていた「ブラウン管」は完全に消滅したといえます。街に出れば、信号機がいつのまにか、ものすごく薄くなっています。

発熱を抑え、省エネとしての効果は絶大で、「地球にやさしい」代表的な文化革新という評価は、誰もが疑うことがないところ。

青色発光ダイオードの重要な原材料にはガリウムが使われているのですが、現在は中央アジア地域に資源として依存しており、今後はこれらの安定供給と、ガリウムに取って代われる物質の開発が課題と言えそうです。

2014年10月7日火曜日

モンテヴェルディの名盤

モンテヴェルディ死後は、急速に忘れ去られ、再認識され盛んに演奏されるようになったのは、実に20世紀、それも1950~60年代に宗教音楽を専門にしていたミシェル・コルボの業績が大きい。

さらに、アーノンクールやレオンハルトらのピリオド奏法の楽団が登場してから、まだまだ黎明期だった古楽ブームの先駆けとして、かれらはこのイタリアの天才を再発掘したのです。最初に取り上げられたのが「聖母マリアの夕べの祈り」で、かれらはこぞって録音を行いました。

ガーディナーの率いるモンテヴェルディ合唱団は、そもそもガーディナーが学生の時の1964年に「聖母マリア~」のために結成したのが始まりであるというのは有名な話で、1974年と1989年の2度の録音があります。

特に1989年の録音は「聖母マリア~」の録音としては最高傑作と言われており、モンテヴェルディ合唱団に対して世界中で最も優秀な合唱団という評価を決定づける作品になりました。彼らは一部のマドリガーレ、「オルフェオ」、「ポッペア」も録音しています。

スペインのジョルディ・サヴァールは、「オルフェエ」は映像作品も残しています。ほとんどクラシックでは反則とも言えそうな、見事なサヴァールの登場シーンからひきつけられます。

宗教曲集はコルボの集大成したボックスが有名ですが、「倫理的・宗教的な森」は、コンチェルト・パラティーノ、あるいはバッハ・コレギアム・ジャパンの名演も忘れてはいけません。

最近では、イタリアの古楽アンサンブルのラ・ヴェネキシアーナが、系統的にモンテヴェルディの録音を行っています。本家本元のイタリアのグループだけあって、力が入っています。

これまでに、すべてのマドリガーレ、3つの歌劇、「倫理的・宗教的な森」、「音楽の諧謔」が発売されています。あとは残るのは「聖母マリア~」のみで、どういう演奏になるのか楽しみです。

2014年10月6日月曜日

モンテヴェルディの仕事

ヨハン・セバスチャン・バッハは、主として18世紀前半に活躍した大作曲家であり、宗教音楽の中では、受難曲などと膨大な教会カンタータを残したことは人類の偉業として忘れてはいけません。

しかし、音楽がバッハから始まったわけではなく、もっと古くから宗教、特にキリスト教と音楽とは密接に結びついていたわけです。ただし、時代を遡るほど資料が乏しくなり、話は混沌としてくるのはいたしかたがないところ。

クラウディオ・モンテヴェルディは、1567年生まれで、亡くなったのは1643年。バッハと、およそ一世紀ずれているイタリアの大作曲家として知られています。ちなみに、自分が敬愛するレオナルド・ダ・ヴィンチはさらに一世紀前になります。

時代分類では、ルネッサンス音楽とバロック音楽の両方にまたがり、サン・マルコ寺院の楽長として名を馳せました。

宗教音楽の中では「聖母マリアの夕べの祈り」が特に有名ですが、これは1610年の大規模な作品で、この成功がサン・マルコ寺院へつながります。

しかし、必ずしも宗教音楽を活躍の中心としたわけではなく、生涯にわたって作り続けた世俗歌曲であるマドリガーレの最初の曲集が発表されたのは1587年、二十歳の時でした。

マドリガーレは、自由詩に基づくルネッサンス期から続く多声(ポリフォニー)歌唱曲であり、独立した各声部が対等に扱われます。教会で歌われるポリフォニーはモテットと呼ばれました。

モンテヴェルディは、これらの伝統的なマドリガーレを、音楽演奏の「第一作法」と呼び、より歌詞が聴き取りやすい独唱、または重唱を中心としたモノディ形式を「第二作法」としました。

新しい第二作法では、必然的に楽器による伴奏が強化され、全体を通じて奏でられる低音域を中心とした伴奏である「通奏低音」が一般化されることになります。

使われる歌詞も、神への賛美が中心だったものから、より自由なものを取り入れ濃厚な感情表現を行い、いわゆる「ラブ・ソング」も登場することになります。

さらに、不協和音や半音階も大胆に取り入れることで、より音楽が劇的なものになりました。これらは、明らかにバロック音楽の基礎となるものでした。

マドリガーレ集は、モンテヴェルディのライフワークでしたが、生前に発表された8集までに、ルネッサンス音楽からバロック音楽への様式の変化がはっきりと示されています。

これらが集約された形となったのが、1607年に発表された謝肉祭のために作られた音楽劇「オルフェオ」で、今日のオペラの原点とも言える作品になります。

さらに「聖母マリア~」も、第二作法を駆使した、今までの宗教音楽とは一線を画すドラマチックな変化に富む音楽となり、今日までカトリック音楽史の最高傑作と称されるものでした。

そして、サン・マルコ寺院の楽長となった以降は、宗教音楽と世俗的な音楽劇の両方にわたって多くの作曲をして活躍し、1632年には司祭に就任しています。

残念ながら、その多くは譜面が失われてしまいました。「聖母マリア~」と「オルフェオ」以外には、現在では演奏可能なものとしては9集まであるマドリガーレ集、ミサ曲とモテットを集約した「倫理的・宗教的な森」(1641)、晩年の歌劇「ウリッセの帰還」(1641)と「ポッペアの戴冠」(1642)が主なものです。

2014年10月5日日曜日

三位一体節後第16主日


バッハの時代の宗教観からすれば、教会で演奏する曲というのは、音楽としては最も気高いものであったでしょう。バッハが生涯を通じてこだわった「整った教会音楽」を用意することは、強い宗教的信念があってできる、大変根気がいる苦労の多い作業だと思います。
 
ですから、バッハのパロディ技法を考えるときに、大原則となるのは世俗曲から宗教曲へのパロディは、曲の価値を高めることになるということです。逆に宗教曲を世俗曲に改編することは、曲の価値、さらには信仰を見下す行為であっただろうということです。
 
ただし、バッハは確かに敬虔なプロテスタントであったことは間違いないのですが、音楽家として自分の作品をしっかり残すことも、重要な課題としていた部分も否定できません。

つまり、整った教会音楽であれば再演の機会に恵まれ、せっかく作った音楽はずっと生き続けることになります。音楽を記録して、簡単に再生するような技術がなかった時代ですから、音楽家としての名声を確立するためには、再演されることは重要です。

世俗カンタータは、そのほとんどは一定の目的のために作られたもので、基本的には再演されることはなく、かけ捨てでおわってしまうものです。それらの音楽の中から、バッハが後に教会カンタータへパロディとして取り入れる行為は、曲の価値を継続させることにつながりました。

世俗から宗教へパロディとして取り入れることは、より高めることであり、宗教的にも音楽的にも合理的なものでしたが、実は逆の例外も見つかっています。

宗教から世俗という、特殊な例外は教会カンタータの中には数例指摘されていて、このことから宗教家としての葛藤はあったかもしれませんが、バッハは音楽家としての立場を優先することを決断することもあったということです。

世俗曲は通常依頼主がいて、その報酬はバッハの教会からの少ない給料を補うことに大変役に立っていました。ですから、バッハは世俗曲に対しても、依頼者の希望に沿ってオリジナルに力を入れたことは間違いありません。

世俗曲にパロディがほとんど無いというのは、そういう現実的な事情もあったと考えられています。時には、バッハをより人間的に考えることも重要なんだろうということでしょうか。

さて、三位一体節後第16主日です。4つのカンタータが残っています。

BWV161 来たれ、汝甘き死の時よ (1716)
BWV95 キリストこそ わが生命(1723)
BWV8 いと尊き御神よ、いつわれは死なん (1724)
BWV27 たれぞ知らん、わが終りの近づけるを (1726)

これらは、単独で収録されたCDはなさそうで、全集録音でのみ聴けるもの。比較的、地味な存在ということになります。

いずれも、瞬間的にはいいのですが、全体を通すとおとなしくて印象が薄い。タイトルは、「死」に関連したもので、派手さはない。
楽器の中では、リコーダーの活躍が目立ちますが、これが天上の世界の雰囲気を醸し出しています。

2014年10月4日土曜日

今年のスポーツ

気が早い話ついでに、今年の印象に残った日本のスポーツ選手・・・

まずは2月のソチ五輪でしょう。ジャンプの葛西紀明選手、最悪から最高の演技を見せたフィギアの浅田真央選手、そして文句なしの金メダルだった羽生結弦選手をあげたいと思います。

時間差が大きくて、リアルタイムでテレビ観戦するのは大変でしたし、この間に大雪もあったりして印象的な大会でした。

次は、6月のサッカー・ワールドカップ。残念ながら、決勝リーグに残れなかったので、日本の試合数としては多くはありません。一人だけ、印象に残ったのが長友佑都選手です。

最後の試合の後、力を出し切れなかったことが本当に悔しそうでした。本人の気持ちが、ストレートに伝わってきた感じがしました。

9月はスポーツの秋というくらいで、いろいろな種目の大会がありました。今年は父を突然亡くして心配された、レスリングの吉田沙保里選手が他を圧倒する力を出し続けたのがすごかった。

そして、記憶に新しいのがテニスの錦織圭選手。USオープン準優勝の快挙で、俄然注目の的。グランドスラム大会で、日本人が決勝戦に残るなんて、今まで想像もしたことがありませんでした。

そして、今日から1週間、世界体操があります。内村航平選手、白井健三選手は注目で、どれだけ印象に残る演技をみせてくれるか楽しみです。

そんなことを思い出していると、1年はあっというまだと、あらためて実感することしきりでした。

2014年10月3日金曜日

そろそろ年末は・・・

年末年始は・・・って、だいぶ気が早い話かもしれませんけど、そろそろ考え出す時期になりました。

官公庁の休みを基本にして、一般の店なども休みを決めることが多い。普通は12月28日に年内は終了して、1月3日まで休み、1月4日が仕事始めというパターンです。

今年は12月28日が日曜日ですから、12月27日は土曜日で官公庁は実質的に休み。1月4日も日曜日ですから、仕事始めは1月5日になるんでしょうか。

クリニックも、世間の流れとずれても困るものです。だからといって、同じに休んでいては休みすぎと怒られてしまいそうです。

年始は始まりは1月5日の月曜日しか選択肢はなさそうですから、ほぼこれで決まり。さて、問題は年末をいつまで診療するか。

開業して、最初の数年は、こっちも必死ですから12月31日まで診療していました。ところが、遠くから初診で来る人ばかり、応急処置におわれ、紹介状も書かないといけなくて、そりゃもう大変。

大きな病院には申し訳ありませんが、医者一人でやっているクリニックとしては、そういう患者さんは病院の救急外来に行ってもらいたい。最近はさすがに大晦日まで診療というのはやめて、12月30日までにしていました。

クリニックでは、少ないスタッフにも、しっかり休ませてあげないといけない事情もありますので、今年の場合は、12月29日の月曜日まで診療するのがいいかと思い始めています。

だんだん、年を取ってくると、ただがんばるだけというわけにはいかなくなってきたと実感します。休むときにしっかり休まないと、体がもたないので、このくらいで御勘弁をいただきたいかな・・・という感じです。

2014年10月2日木曜日

木にたくさんの実がなっていて、それがオレンジ色で、しかも秋ですから、当然、柿です。

いゃぁ、これだけ見事に鈴なりになっているのは見たことがありません。おそらく周りにもたくさん柿の木があるので、たまたまあるのではなく、ちゃんと柿園なんでしょう。

横浜のブランド果実として、浜なしは有名なんですが、それに続く浜柿とでも呼ぶんでしょうか。

なんとなく、そんな風に思っていたら、実際のところあるんですね。浜なしほど生産量は多くは無いらしいですが、浜かきも立派なブランドとして知る人ぞ知るものなんだそうです。

2014年10月1日水曜日

はざがけ

10月です。先週の秋分の日以来、秋らしさが深まった感じでしたが、この数日は日中は汗ばむ気温です。それでも、湿度が低いので、なんとかエアコンは使わずに過せます。

 自分のテリトリーの横浜市北部地域は田園地帯で・・・なにしろ走っている電車が田園都市線というくらいですから、田畑があちこちにあるし、農協もあったりして、それなりにのどかに雰囲気。

いつも通る場所の水田も、稲刈りの真っ最中。刈られた稲はまとめて逆さにに架けて行きます。この時期に、よく見かける風情です。

これを「はざがけ(稲架)」と呼ぶんですね。実は、最近テレビのバラエティ番組で知りました。

刈り取った後の自然乾燥と、葉や茎からの養分を米に行き渡らすのが目的。機械で刈り取って、機械で乾燥させる方が手間は少ないのですが、昔ながらのはざがけをしたほうが、米はおいしいらしい。

でも雨が降ると大変ですし、干しすぎると割れてしまったりと、いろいろ気を使うことが多いらしく、刈り取ったらおしまいという単純なものではないようです。

このあたりでも、農地はどんどん宅地にかわったりしていますから、こういう光景もやがて見れなくなってしまうかもしれません。

自然の対話しながらの生活・・・ヒトの生活としては本来の姿なんだろうと思います。ヒトは自然をねじまげて、地球という星の上で暴君としてふるまいすぎている。そのつけが、いろいろな形で目に見えるようになってきました。