宗教改革というと、世界史のヤマの一つで、16世紀はじめにドイツでマルチン・ルターが、教皇に偏りすぎたキリスト教を人民のものに戻すべくプロテスタントを立ち上げたもの。少し遅れてフランスのジャン・カルヴァンは、さらに急進的な指導を行ったことで有名。
・・・というくらいの知識があれば、まぁ普通でしょうか。理系の人間にとっては、ましてやキリスト教徒ではない自分としては、それ以上尋ねられても答えようもない、500年前の話。
高校を卒業して40年くらいたって、よもや宗教改革についてネットを懸命に検索しているなんて思ってもみなかったことです。ところが、バッハの教会カンタータを、教会暦に沿って聴いていこうと思うと、宗教改革記念日というのが出てきて、この日の意味を知らずに通り過ぎるわけにはいかなくなりました。
なんとなく改革というと、英語だと''revolution"という言葉を思い浮かべていたのですが、実際は"reformation"が使われています。
ずばり、10月31日はマルチン・ルターが、ローマ教会に抗議するためにヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の提題(公開質問状)」を張り出した日で、この日から宗教改革が始まったとされています。
もっとも、最近では日本でも10月31日はハローウィンとして定着してきた感があります。ハローウィンの名前の由来は、カトリックに関連があるらしいですが、キリスト教とは直接の関係はありません。
さて、話を戻して・・・キリスト教が成立して10数世紀がすぎ、ローマの総本山では教皇権が膨大し、内部の堕落が目立ってきていました。
例えば、「カノッサの屈辱」として歴史に残す逸話は、1077年、時の神聖ローマ皇帝が自ら司祭を任命して影響力を増大させようとしたところ、司祭の任命権は教皇側にあるとして対立。さらに皇帝は教皇の廃位を宣言しました。
教会側は皇帝を破門し、さらに周辺の権力者も教会側についてしまったため完全に孤立した皇帝は、 教皇の滞在するカノッサ城の前で3日間赦しを請うという「屈辱」を味わったというもの。
つまり教会からの破門というのは、当時の人からすれば皇帝たりともいえど、「地獄に墜ちる」という大きな恐怖を感じさせるものだったということでしょうか。
一方、莫大な教会税をバチカンに納めることに対して、16世紀になると各国はかなり抵抗感があったようで、しだいにローマに対しての不信感をつのらせていたました。
14世紀から始まったルネッサンス運動により、人文主義が広まり物事の本来の姿を求める機運が高まっていたところに登場したのが、ルターでした。
当時、ヴィッテンベルク城教会では罪を赦すお札を販売し莫大な収益を得ていました。ルターの元に来る信徒が、お札を買ったので神父から赦しを得る必要がないというのに大きな疑問をもちます。
そしてついに1517年、ルターはローマに対して、95の公開質問を投げかけ教会内部の改革を求めたのでした。しかし、当然ルターは破門され、1521年に新派を立ち上げる事になり、ローマに抵抗するという意味から「プロテスタント」と呼ばれるようになりました。
そこから、プロテスタントに対してローマは普遍的という意味の「カトリック」と呼ばれるようになり、プロテスタント運動は各国に飛び火して様々なカトリック対プロテスタントの宗教対立を生み出していきます。
そこには政治的マスゲームの要素を加わり、1618年から始まった「三十年戦争」まで一世紀以上にわたって多くの血を流す争いになりました。1648年にヴェストファーレン条約により戦争の終結し、「神聖ローマ帝国」が崩壊し、カトリックとプロテスタントの共存の道が開かれたのです。
薄っぺらい歴史の話ですが、だいたいこのくらいを整理しておくと、バッハの音楽を聴く上での時代背景の一部が理解できるのではないでしょうか。
つまり、両派のバランスがとれてきた、その頃(1685)に生まれたのがヨハン・セバスチャン・バッハでした。バリバリのプロテスタントの地に生まれたバッハは、当然幼い頃からルターが自ら作詞作曲した讃美歌 - コラールを子守唄代わりに聴かされていたことでしょう。
当然、音楽家を多く輩出したバッハ家ですから、バッハはかなり早い段階でこれらの教会での音楽を集大成したいという夢を抱いたのも不思議はありません。
さて、長くなりましたが、この宗教改革記念日のためにバッハが用意したカンタータは、2曲残っています。
BWV80 われらが神は堅き砦 (1724)
BWV79 主なる神は日なり、盾なり (1725)
ガーディナー先生の全集には、もう一曲使途不明のカンタータが収録されています。
BWV192 いざやもろびと 神に感謝せよ
これは、1730年頃の秋の時期のものとして推定されているのですが、確定はしていません。
ルターの話に戻りますが、ルターが尊敬していた司祭の一人にデジデリウス・エラスムスがいます。基本的に終生カトリックを貫きましたが、カトリック内部でルターを擁護し、またルターにも自制をうながしました。
彼の著書として「痴愚神礼賛(1511)」は、今でも文庫などで読む事ができます。人間の愚かさをユーモアたっぷりに描き、カトリックの内部批判を交えながら、人としての生き方を教える名著として残っています。
エラスムスをテーマにして、その時代の音楽をスペインの古学演奏家サヴァールが集成しています。宗教改革の頃の音楽として、興味深い演奏がつまっていて、バッハに興味を持つ人は是非一度は聴いてもらいたいものです。