夏季臨時休診のお知らせ

8月15日(金)~8月20日(水)は臨時休診となります ご迷惑をおかけしますが、お間違いないようにご注意ください

2025年7月12日土曜日

冬瓜


冬瓜(とうがん)今が旬の野菜の一つ・・・なのに名称に「冬」ってついているやん。

これは、そのまま冬まで保存が可能であることからついた名前で、英語でもWinter Melonと呼ばれたりするんだそうです。

大きく育てれば長さが80cmくらいまでになるのですが、そんなに大きいと重たくて運搬にも不便ですから、こちらのあたりで見かけるのはだいたい30cm未満のものが主流です。

はっきり言って、味はほとんど無い。ですから、どんな味付でも馴染むと言ってよいのですが、だいたい和風のつゆの味で煮物にするのがスタンダードでしょうか。

一緒にホタテの貝柱を入れても風味が増してGOODです。鶏そぼろの餡掛けでもいける。

この時期に一度は食べておきたい野菜です。

2025年7月11日金曜日

東京ワイン会ピープル (2019)

金田一少年の事件簿・・・というと、一頃ジャニーズ若手の売り出し企画ドラマみたいになっていたマンガですが、これを書いたのは天樹征丸という人で、実はいろいろな名前を使っていろいろなジャンルにも手を出すマルチな才能を持った方らしい。

亜樹直という名前で書いた「神の雫」はワインを題材に深く深く掘り下げたマンガとして大ヒットして、亀梨和也主演でドラマ化もされています。小説を書くときに使っていた名前の一つが樹林伸で、同じくワインをテーマにした作品が「東京ワイン会ピープル」です。

映画化では主演が乃木坂46の松村沙友里で、いわゆるアイドル映画みたいなところはあるんですが、とにかくワインにまつわるウンチクがたくさん詰まった映画になっていて、少しだけワインをたしなむ自分としてはなかなか楽しめる作品です。監督が変わっていて、東大卒で映画を作りたいから医者をやっているという和田秀樹です。

桜木柴野(松村沙友里)は、ワイン好きの会社の上司に誘われて、友人の雨宮千秋(大野いと)と一緒に合コン気分で初めてのワイン会に参加しました。次から次に出てくる高級ワインに驚く二人でしたが、千秋はイケメン歯科医と懇意になります。

柴野がワインの味を独特の言葉で表現をするので、IT業界で注目される織田一志(小野塚勇人)は自分のちいさなワイン会に誘います。しかし、その当日織田は会社の粉飾決済の疑いで逮捕されてしまうのです。柴野は織田の希望もありワイン会に参加すると、織田の仲間たちは柴野の的確にワインを表現する柴野の言葉に感心するのでした。

なんで準主役が逮捕されて消えてしまう? っていう何とも釈然としない展開なんですが、その後の柴野は独りでいろいろなワイン会に参加していろいろな人々と出会うことになります。千秋は歯科医にポイ捨てされて荒れてしまうのですが、そこは本物でも不味いワインもあれば、偽物でも最高なワインもあるというオチがついていて、ただただ高級ワインだけを紹介しているわけじゃない。

まぁ、中身的にはあまりどうのこうのと言う映画ではないので、ワインが好きな人、松村沙友里のファンの方が見ればいいのかなと思います。普段1000円クラスのワインばかりで満足して、5000円でびっくりしている立場としては、この映画の世界は現実離れしているとしか言いようがないのですが、本当にこんな会があちこちで開催されているなら招待してもらいたいものです。

2025年7月10日木曜日

ゴーヤのカレー


苦瓜・・・一般にはゴーヤの名称で知られる、今が旬の夏野菜の一つ。

名前の通り、苦みが強いので苦手の人が多いのですが、苦みの減らし方がいろいろと紹介されていいます。

ふだん自分が実践しているのは、とにかく綿の部分を徹底的に取る・・・だけなんですが、スプーンなどでしっかりとかき出せば、そのままおひたし風でもいけます。

ゴーヤはカレーにも合う。この場合は、確実に苦みを減らす良い方法があります。

まず、普通に綿を取り除いて、普通に食べやすくスライスします。

そこにカレーで使うターメリック(うこん)をパラパラ。塩をパラパラ。そしてレモン汁をさっとかけ回す。あとはよく混ぜて、30分ほどおいておく。使う前に水で洗い流せばOKです。

そうやって用意したゴーヤを、いつもの手順で入れれば最高に美味しいカレーが出来上がります。

いつもの手順というのは、カレールーを使う方なら煮込む最後の数分間で投入すればよい。早くに入れすぎるとゴーヤがへなへなになりすぎて美味しくありません。

スパイスカレー、スパイスのみで作る場合は基本のチキンカレーの作り方と同じ。

1個分の飴色タマネギを作ったら、ニンニク・ショウガを大さじ1程度追加。カットトマトを200gくらい入れて水分をしっかり飛ばすように炒めます。クミン・コリアンダー・ターメリックをそれぞれ大さじ1、チリパウダー大さじ1/2(お好みで)、少な目の塩を入れて全体を馴染ませます。カットした鶏肉をお好みで入れてかるく炒めたら、水250ml程度入れて数分間煮込んで塩味を調節したら出来上がりです。

ゴーヤを入れるのは、水を加えてちょっとしてから。煮込む時間は数分間程度です。

こんなに美味しくゴーヤを食べることができると驚くと思います。チャンプル以外にレシピを思いつかない方は、一度は試してみることをお勧めします。

2025年7月9日水曜日

Fukushima 50 (2020)

門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」が原作で、2011年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を、最後まで残って対応した50名の作業員たちを描く作品です。事故の最も危険な時期についての映画としては、すでに首相官邸を中心に描かれた「太陽の蓋」がありますが、事故の現場の状況についての描写はほとんどありませんでした。

吉田昌郎氏は事故当時の所長で、最も現場に近い場所で陣頭指揮を執った人物で、その後の収束作業にもあたっていましたが、2011年11月に食道がんを発症し闘病の末2013年7月8日に亡くなっています。その他の登場人物も、基本的にモデルとなる実在の人物がいて、吉田を演じた渡辺謙と共にW主演となった佐藤浩市が演じた伊崎利夫は、当直長の伊沢郁夫と曳田史郎が当てられています。

監督は「ホワイトアウト」、「沈まぬ太陽」の若松節朗、脚本は大河ドラマ「軍師官兵衛」の前川洋一です。「太陽の蓋」と違って大手の松竹/KADOKAWAの製作なので、いわゆる商業映画、つまりエンターテイメントの要素がかなり加味されおり、有名俳優がたくさん登場してなかなか見応えのある画面がたくさん出てきます。

その点が、評価を二分する原因になっているわけで、未曽有の災害・事故を扱っているためにエンタメ化している点に拒否反応を示す視聴者も少なからずいるようです。もちろん最悪東日本全体に壊滅的被害が及んだかもしれない原発事故に、命がけで立ち向かった所員の方々に対して敬意を払うのは当然だと思いますが、ヒーロー扱いするようなところは賛否が分かれることになります。

これは、多分に原作にも問題があるらしい。後に公開されたさまざまな資料や映像と比較して詳細に検討している方も多いのですが、原作では吉田所長の言動・行動はかなり改変が加えられているらしい。映画はそれらをそのまま転用しているため、自然とエンタメ志向が強まったようです。

現実に、1週間程度で完全にすべてが沈静化したわけでは無く、14年たった今でもその傷跡はしっかりと開いていて、多くの方々が普通の生活に戻れていません。これが架空のパニック映画であれば楽しめたかもしれませんが、多くの人がリアルタイムに体験した「事実」に基づいているからには、誇張された表現は慎むべきだったのではないでしょうか。

東京電力については「太陽の蓋」は東日電力、「Fukushima 50」では東都電力と名称が変更されています。しかし、「太陽の蓋」の方が、少なくとも官邸の人々については実名を使用していることで強いリアリティが生まれています。映画を作るのにも多くのスポンサーが必要ですから、おそらくこの辺りが大資本映画の限界のようなところかもしれません。

「Fukushima 50」では総理大臣の佐野史郎にかなりエキセントリックな演技をさせていて、官邸を悪者にしているようなところがあるのですが(実名を使っていないところにずるさを感じますが)、両者に共通なのは一番事態を混乱させたのは東京電力本社だというところ。官邸にはいい顔をして、現場には無理難題を押し通そうとして、会社としての体面を保とうとしていたらしいところが見て取れます。

いずれにしても両者は視点・切り口が異なるので、2つの映画を見た上で自分があの時経験したことの隠れていた部分を判断する必要がありそうです。なお、この同じ原作を利用したNetflixドラマが「THE DAYS」で、吉田所長に役所広司、当直長に竹野内豊を配して、映画にも負けないくらいの重厚感で描いています。しかし、全体の流れは同じで「Fukushima 50」と同じ問題点を露呈していると言わざるを得ません。

原子力発電の是非という大きな課題に対しても、生活に電力が必要だからというだけで肯定する、あるいはこのような破滅的な事故が起こるから否定するというような単純な結論ではなく、地球温暖化問題なども含めてしっかりとした議論がまだまだ必要だと感じました。少なくとも、これらの作品は、そういう意識のきっかけにはなるのかもしれません。

2025年7月8日火曜日

太陽の蓋 (2016)

2011年3月11日、午後2時46分。宮城県沖を震源とする東日本大震災と巨大津波は、2万人以上の死者を出した、戦後日本で起こった最も大規模な自然災害でした。しかも、直後に発生した津波による福島第1原子力発電所の破壊は、さらに大きな影響を人々の生活に強いることになります。

首都圏にいた自分たちは、大きな揺れに驚き、津波の甚大な被害に恐怖しましたが、地震そのものはある程度離れた場所のことと思っていたところがありました。しかし、原発事故の影響は周辺で非難した人は10万人を超え、首都圏でも放射線レベルの上昇と共に計画停電による落ち着かない日々を過ごすことになりました。

当時の自民党から政権を奪取した民主党は菅直人総理を筆頭に、この災害・事故への対処を巡って批判にさらされ続け、自民党・安倍政権が取って代わってからは、次々にその「無能」振りを暴露されたような印象です。そして、民主党政権によってすべての原子力発電所が稼働停止したものを、安倍政権は次から次へと再稼働に舵を切ったのです。

おそらくこれらの一連の出来事を最初に映画にしたのは、2013年の「朝日のあたる家」だと思いますが、これは離散した家族の苦悩を描く物でした。「太陽の蓋」はその次に作られたものだと思いますが、初めて原子力発電所事故を真っ向から取り上げ、多くの報告書などから綿密に可能な限り事実の基づいて最初の5日間を首相官邸サイドを中心に描いたものです。監督は佐藤太、脚本は長谷川隆です。

まず最初に驚かされるのは、当時の首相だった菅直人氏をはじめ主だった閣僚・官僚は実名で登場する点です。三田村邦彦の菅直人はややかっこ良過ぎですが、枝野官房長官の菅野大吉はそっくりです。このことによって、映画のノンフィクション感が一気に強くなり、当時ニュースなどでしか状況がわからなかった自分たちは、再び「あの時」を強く思い出すことになるのです。

基本的には官邸記者クラブの鍋島(北村有起哉)を中心にストーリーが展開するのですが、その時にリアルタイムに記者が知りえた話と、後に関係者に取材してまわって得た情報によって映画は組み立てられています。発電所を何とかしたい現場と、できるだ穏便に事を処理したい電力会社本社、そしてなかなか情報が上がって来ずに後手後手に回る官邸という構図が見て取れます。

後日、元官房副長官(神尾佑)は、鍋島の取材に「とにかく本社が情報をあげてくれなかった」と証言し、鍋島は「じゃあ、情報があればあの時何かできたんですか」と問い返します。確かに、誰にもこれだけの事故を簡単に納めることはできなかったと思いますし、民主党だから、菅直人が首相だったからという問題ではないように思います。

ただ、公表されている事実をかなり忠実に再現しているらしいのですが、映画では民主党政権にやや味方しすぎのような印象は拭えません。現在でも、派生した数々の問題が山積している状況は続いているわけですが、そもそも電力を使いたいと欲しているのは一人一人の国民ですから、まだまだ忘れてしまうのは早すぎると感じました。

2025年7月7日月曜日

ハイビスカス


 熱帯・亜熱帯原産の植物で、鮮やかな花が美しいのは?

そう、ハイビスカスです。

もはや日本でも、問題なく楽しめるわけで、このあたりでも日本は温帯地域ではなくなったと感じるところです。

大きな花弁が特徴ですが、実際のところ、赤色と対照的な黄色い花粉が差し色として効果を上げているように思います。

ハワイ州花となっているんですが、実は鹿児島県、沖縄県の多くの自治体でも地域の花となっていて、けっこう昔から日本でも馴染み深い花になっているようです。

今日は七夕。髪飾りにハイビスカスをつけて出かける・・・・なんてことはしないですかね。

2025年7月6日日曜日

にじいろカルテ (2021)


岡田恵和は、映画では「いま、会いにゆきます」、「おっぱいバレー」、「メタモルフォーゼの縁側」などがあり、ドラマでも「ちゅらさん」、「ひよっこ、」、「最後から二番目の恋」シリーズなど、原作物からオリジナルまで多くのヒット作を生み出した脚本家で、安定した高い評価を受けています。

本作はテレビ朝日の連続ドラマで、患者になった女医が田舎の村に赴任して、村全体が「家族」のように互いを支え合っていく中で、本当の自分の居場所を見つけていくというストーリー。恋愛物でも、医療物でもなく、「病とともに生きる」をテーマにしたヒューマン・コメディという表現が一番似合います。

紅野真空(高畑充希)は、東京の病院で有能な内科救命医として働いていましたが、多発性筋炎を発症したため、救急の激務をこなすことが困難になり、上司から「我々が必要なのは医者であって患者ではない」と言われてしまいます。

真空は仕事を続けたくて、偶然に知った虹ノ村診療所の内科医募集で採用され住み込みで働くことになりました。到着するなり村唯一の売店兼寄合所「にじいろ商店」で、多くの村民から大歓迎され驚きます。虹ノ村診療所のスタッフは、いつもハイテンションで口が悪い外科医の浅黄朔(井浦新)と短気で真面目過ぎる看護師の蒼山太陽(北村匠海)で、3人の遠慮のない共同生活が始まるのでした。

初めは採用取り消しを恐れて病気のことを隠していた真空でしたが、検診のため東京に月に一度行かなければならず、その理由を説明すると朔は「医者で患者は最強じゃん」、太陽は「仲間に嘘はつくな」とだけ言い許します。村の人々も、まったく問題ないとしてあらためて歓迎するのでした。

にじいろ商店は橙田雪乃(安達祐実)と橙田晴信(眞島秀和)の夫婦が営んでいましたが、雪乃はまだら認知症で、数か月ごとに自分の事がわからなくなってしまいます。そんな時は、村役場の霧ヶ谷桂(光石研)の妻である氷月(西田尚美)と村役場で働くシングル・マザーの緑川嵐(水野美紀)が、雪乃の生い立ちから順を追って説明をして元の生活に戻れるようにサポートするのでした。

教師をしていた桃井佐和子(水野久美)は、高齢の一人暮らしでたくさんの不安を隠して生活していましたが、真空がいつでも携帯電話をかけていいと言ってくれたことで元気をだします。

朔がこの村に来たのは妻の沙織(佐々木希)が野菜作りが大好きだったからですが、亡くなった時に助けることができなかった後悔をずっと引きづていたのです。太陽は、誰もが生きていくうえで何かしら抱えているものがあるのに、自分には何もなく「普通」すぎることに引け目を感じていました。

膠原病の一つで難病指定されている多発性筋炎は、自分の筋肉や皮膚に対してアレルギーを起こしてしまう病気で、倦怠感、筋力低下などにより日常生活に支障をきたすことがあります。ステロイド剤や免疫抑制剤による薬物治療が効果的ですが、肺などの合併症により生命予後を悪くする場合があります。

主人公の病状の描写は概ね間違っていないと感じました。さすがに救急医療を担うのは困難かと思いますが、通常の診療科であればスタッフの人数が多い大病院の方が働きやすいように思います。しかし、それはあくまで調子が悪ければ「代わりに仕事をしてあげる」というものであって、精神的な負担を増やすかもしれません。

肉体的には村の診療所の方が激務かもしれませんが、患者さんから精神的に支えられるというのはまさに「病とともに生きる」充実感と勇気をもらうことにつながっています。そういう意味では、病気の有無に関係なく地域医療の大切さも描いているドラマだと思います。

他人の干渉を嫌がる人が多いとは思いますし、自分もそのように考える一人なのかもしれません。しかし、このドラマでは過度の干渉のように見えて、お互いの事を理解した上での節度を保っているところが嫌味にはなっていないのがよく出来ている点だと感じました。

2025年7月5日土曜日

室町無頼 (2025)

コメディ系の印象が強い大泉洋にとって、大泉洋史上最高にかっこいい演技が見れる映画・・・という触れ込みは伊達ではありませんでした。よくある江戸時代よりも古く、さらに戦国時代に突入する前の室町時代中期の時代劇です。

第8代征夷大将軍である足利義政の悪政のもと、民衆は貧しさを極め、折からの大飢饉によって餓死するものが続出するなかで、寛正3年(1462年)、蓮田兵衛を首魁とする京の都を急襲する「寛正の土一揆」が発生しました。このエピソードを膨らませた垣根涼介による歴史小説を原作として、「あんのこと」の入江悠の脚本・監督により映画化された作品です。

民の飢えと貧困が極限に達しようかという時代、将軍、大名は富をむさぼりつづけていました。傭兵を率いて都の警備を請け負っていた骨川道賢(堤真一)は、悪徳金貸しの用心棒をしていた才蔵(長尾謙杜)を捕えたものの、若すぎて扱いづらいため、古い悪友である蓮田兵衛(大泉洋)に引き渡します。

浪人者の兵衛は、腕も立ちますが、あちこちで貧しく苦しむ農民たちを助けて回っていて、時が来れば一斉蜂起するべく準備をしていたのです。棒術が得意だった才蔵は兵衛についていくことを決意しますが、兵衛はまだまだ未熟な才蔵を自分の師匠、唐崎の老人(柄本明)に預けます。

1年間の辛く危険な修行の末、才蔵は立派な兵法者となり兵衛のもとに戻って来ます。兵衛はいよいよ立ち上がる時が来たと感じ、慕ってきた多くの浪人者、これまでひたすら我慢に我慢を重ねてきた農民らを率いて一揆を起こすことを決断します。これらの不穏な動きはスパイによって幕府にも知らされ、骨川道賢は兵衛のもとを訪れ事を起こせば容赦はしないと伝えるのでした。

兵衛は道賢に一揆の日時を教えますが、農民たちの借金の証文を焼くことが一番の目的であるから、自分たちと戦うのは少しだけ待ってほしいと頼みます。しかし、兵衛は予告した日時よりもさらに早くに立ち上がり、一揆の群衆は京の町になだれ込むのでした。

兵衛を慕う高級遊女に松本若菜、足利義政に中村蒼、民を人とも思わない悪大名に北村一輝らが登場しています。江戸時代がジョン・ウェインの正統派西部劇ならば、まだ形が定まらない混沌とした室町の世界は、まさにマカロニ・ウェスタンです。ひたすら搾取される民衆のために立ち上がる「荒野の用心棒」の姿が、まさに兵衛に他なりません。

とにかく大泉洋がかっこいい。それに尽きる。大勢のぐちゃぐちゃの中を駆け抜ける兵衛と才蔵の殺陣のすさまじいことといったら、他ではあまり見たことがありません。佐藤健の剣心は現代風のスタイリッシュな殺陣でしたが、ここでは泥臭いけど疾風のような殺陣は「木枯らし紋次郎」に近いかもしれません。

しかし、そのあとでしっかりと兵衛と道賢の一対一の勝負にも決着がつくところもなかなかグッとくる。本当に「こんな時代劇を見たかった」と手を打ちたくなる作品でした。

2025年7月4日金曜日

曲がれ! スプーン (2009)

もともとは劇団ヨーロッパ企画の上田誠による舞台劇「冬のユリゲラー」が原作で、上田誠自ら映画用脚本を担当し、「踊る大捜査線」の本広克行が監督をしました。舞台を演じた俳優と、これまでの本広作品に登場した俳優が、入り乱れてのシチュエーション・コメディで、舞台では脇役だったテレビ局の女性ADを中心に展開します。

テレビで超常現象バラエティ「あすなろサイキック」を担当しているADの桜井米(長澤まさみ)は、こどもの頃から超常現象に強い興味を持っていて、日頃から自らもスプーン曲げに挑戦しているのです。しかし、番組に登場するのはインチキ臭い者ばかりであったため、上司から局に寄せられた多くの投書を検証して本物のエスパーを探すようにいわれます。

今日はクリスマスイブで、喫茶店「カフェde念力」には本物のエスパーが集まってパーティをすることにしていました。マスター(志賀廣太郎)自身は超能力を持っていませんが、昔エスパーに助けられた恩義があるということで、彼らが気楽に集える場所にしていたのです。

マスターは、サイコキネシスの河岡(諏訪雅)、エレキネシスの井出(川島潤哉)、透視の筧(中川晴樹)、テレパシーの椎名(辻修)らに「今日は新入りが来る」と言ってお使いに出ます。そこへやってきたのは桜井と待ち合わせしていた神田(岩井秀人)ですが、彼はテレビに出たいだけのインチキエスパーなのです。

そんなことも知らずに4人は自分の能力を神田に見せてしまいますが、遅れて登場したのが今回が初参加のテレポートの小山(三宅弘城)でした。神田にエスパーである秘密をばらされると困るため、神田の処遇をどうするか困っているところに、桜井が店にやってきます。

神田は技を桜井に披露するのですが、超能力とはとても言えるものではないため桜井はがっかりして帰ろうとします。ところが、筧が透視で桜井の持ち物の中に毒蜘蛛が紛れ込んでいることを見てしまったため、自分たちの超能力で何とか毒蜘蛛を退治しようということになるのでした。

映画化に際して桜井米が町をあちこちエスパーを探して歩き回るシーンなどが追加されてはいるものの、基本が喫茶店の中だけで起こる舞台劇ですから、あまり背景に奥行きは感じられません。正直、作者ではない別の映画専門の脚本家に任せた方が面白かったのかもしれません。

また、監督の本広もそんな脚本を尊重してか、時間の経過やストーリーの転換点で暗転する舞台的な編集を多用していて、いちいちCMでも入るのかと言いたくなるようなぶつ切り感があるのも残念なところ。せっかく舞台と違って、エスパーを信じている長澤まさみをメインに仕立てたのですから、彼女の主観で進行する形はできなかったのかと思いました。

結局、長澤まさみであってもなくてもいいような流れの中に、上田・本広の作品を細かく知っているマニアがクスっと笑うような小ネタ満載の映画なのかもしれません。

2025年7月3日木曜日

もっちゅりん


謎のお菓子・・・もっちゅりん。

mister donutsの55周年を記念して6月に発売された新作なんですが、売れ切れ続出で、並んでもなかなか手に入れるのが難しいらしい。

しかも、すでに販売を終了した店舗も多いらしく、HPからは情報が削除されています。

国産のもち粉と米粉の配合にこだわった生地を揚げて、表面にオリジナルのコーティングしたもの。今までになかった「もちもち」を超えた「もっちゅり食感」を味わえるということらしくて、大好評だそうです。

センター南では、先週末まではまだ売っていましたよ。まだ未体験の方は急ぐべし!!

2025年7月2日水曜日

サグカレー


インド料理でよく目にするのものの一つに、青汁入れたんかい!っと突っ込みたくなる緑色のカレーがあります。

ほうれん草を用いたものが多いみたいで、サグカレーと呼ばれています。ただし、サグというのは青菜のことなので、必ずしもほうれん草でなくてもOK。

冷蔵庫に安い時に買った小松菜が余り気味だったので、今回はこれを使うことにしました。

やることは基本のチキンカレーとたいして変わらない。追加でひと手間増えるだけです。

飴色たまねぎを作り、トマトを入れて煮詰め、スパイスパウダー(クミン、ターメリック、コリアンダー)と塩を混ぜたら、チキンを入れてある程度火が通ったら水を入れる・・・

このタイミングで青菜を入れるだけ。ただし、あらかじめ軽く茹でてブレンダーでペースト状にしておくというのが、ちょっと面倒かもしれません。

彩を良くするために仕上げにヨーグルトをかけましたが、もちろん無くてもかまいません。小松菜の風味が立って、スパイス感をマイルドにしてくれます。

2025年7月1日火曜日

こんな夜更けにバナナかよ (2018)

鹿野靖明氏は北海道で1959年に生まれ、12歳の時に筋ジストロフィーと診断されました。筋ジストロフィーという病気は、四肢の筋肉の力が衰え、最後は呼吸するための筋肉にも影響し成人まで生きるのが難しいといわれています。鹿野氏は1982年に「自立」した生活を始めます。1987年には結婚しますが、残念ながら1992年に離婚。以後、多くのボランティアと共に生活を続けますが、1995年からは人工呼吸器が必須となり、2002年に亡くなっています。

北海道在住のノンフィクション作家、渡辺一史が2003年に鹿野氏とボランティアの方々の話をまとめた本を発表し、この映画はそれを原作とする実話をもとにした作品です。脚本は「ビリギャル」の橋本裕志、監督は「大名倒産」、「九十歳。何がめでたい」などの前田哲です。

筋ジストロフィーのため口と手しか動かすことができない鹿野靖明(大泉洋)は、医大生のボランティアである田中久(三浦春馬)の様子を見に来た久の彼女である安藤美咲(高畑充希)を気に入り、強引にボランティアの一人にしてしまいます。夜中に急に「バナナを食べたい」と言い出し、美咲は街中を走り回ることになったりして、そのわがままな態度に美咲ははじめは反発します。

しかし、そんな鹿野を田中をはじめ、リーダーの高村(萩原聖人)、前木(渡辺真起子)、塚田(宇野祥平)らは嫌な顔をせず面倒を見ているのでした。主治医の野原(原田美枝子)は、鹿野のわがままを許すわけでは無いものの、自立した生活を望む鹿野のことを認めていました。

久は病院長である父親との関係に悩んでいて、美咲ともちょっとした行き違いでギクシャクしてしまい、しだいに自分の進むべき道に自信を無くしてしまうのです。しかし、鹿野がついに人工呼吸器を装着しなければならない状態になり、それでも自分の夢を追いかけ意志を貫こうとする姿勢を見ているうちに何かが変わっていくのでした。

自分がかつて勤務した病院は、内科は神経・筋肉疾患、整形外科は脊髄損傷の患者さんばかりが入院していました。脊髄損傷の患者さんは若者が多く、リハビリテーションによってある程度の生活能力を獲得して退院していくのですが、内科の患者さんはほとんどが進行性の病気により確実に死が訪れる方々ばかりでした。

当直のときには、何度も内科病棟でのトラブルに呼び出されることが多くありましたが、未来が無い病棟の雰囲気はとても重々しいものだったことを覚えています。そこからは、これらの患者さんが自立して一般社会の中で暮らすということは現実的に想像すらできませんでした。

同じ時期に、鹿野氏が自立しようと努力していたことは驚くしかありません。当然、そこにはボランティアの方々の「献身的な支え」があるわけですが、鹿野氏の場合自立を支えていたのはそんな上から目線のようなきれいごとではなく、わがままを含めてすべてをさらけ出すことで、対等な人間関係を築いていたところがすごい。それはある意味、疑似的な「家族」を形成したと言うことができるのかもしれません。

映画としては、美咲が最初は視聴者の代弁者として鹿野のわがままぶりに反感を持つのですが、しだいに鹿野を愛おしく思うようになっていく過程がやや急ぎすぎのように思いました。そこの描き込みが足りないために、鹿野に共感していく部分に苦労します。最終的には鹿野は亡くなるわけですが、そこは積極的に描かず久と美咲が鹿野から「自立する」とはどういうことなのかを学び取ったところで止めたのはよかったと思います。