研究会の中で、浮いていた五人組はいつの間にかつるんで遊ぶようになります。そして、年長者の森崎が卒業するタイミングでTEAM NACSを正式に名乗り、かつその解散公演として1996年3月に森崎の脚本・演出による「LETTER ~変わり続けるベクトルの障壁」を上演しました。
そして安田・大泉が卒業となり、あらためて五人で芝居をしたいという話が持ち上がり1997年8月に復活公演と銘打って「RECOVER ~描き続けるもうひとつの結論」、さらに1998年3月に「FEVER ~眺め続けた展望の行方」、1998年4月「再演DOOR ~在り続けるためのプロセス」、1999年3月「ESCAPER ~探し続けていた場所」、2000年2月「FOUR ~求め続けた奴等の革命」、2001年2月「LOVER ~思い続けた君への贈り物」、2002年4月「WAR ~戦い続けた兵たちの誇り」、2003年2月「ミハル」という具合に立て続けに上演を行い、そのたびに入場者も着実に増えて北海道での人気を確かなものにしていきました。
基本的には森崎が脚本・演出を担当していましたが、「FOUR」は森崎以外の4人がそれぞれ担当したオムニバス形式で、「ミハル」は戸次の脚本・演出です。「WAR」の内容が認められ、北海道だけでなく東京に初めて進出したのが、2004年3月、5月の第10回公演となる「LOOSER ~失い続けてしまうアルバム」です。現在、彼らの演技を映像として見ることができるのはこの作品からです。
幕末の新選組と長州藩の確執をテーマにしているにもかかわらず、「チョンマゲもチャンバラもない芝居」というキャッチコピーがつけられました。TEAM NACSにとっては、アマチュア演劇の頂点であり最後という位置づけとしても良いのかもしれません。初めて北海道から東京に挑戦することで、北海道の内輪だけで喜ばれているだけではダメだということを自覚させたのだと思います。
売れない役者で、自分に自信が持てないでいる重幸(戸次)の前に、突然現れた怪しい男が時間を戻すことができる薬を渡します。重幸は思い切ってそれを口にすると、150年前、幕末にタイム・スリップするのです。気がつくとそこは新選組屯所の中で、彼はみんなから山南敬助と呼ばれるのでした。芹沢鴨(安田)の横暴に近藤勇(森崎)は困っていましたが、土方歳三(大泉)はついに沖田総司(音尾)らと新選組の名誉を守るため粛清するのです。山南になった重幸は、国を守るためという大義のもとに人を斬ることに次第に慣れて行ってしまうのです。
一方、討幕派は土佐の坂本龍馬(大泉)の助けを得て、長州の桂小五郎(音尾)を中心に幕府転覆を目指している。彼らは集まって作戦を練ることにするのですが、そこへ新選組がやってくる。長州に味方する宿の主人も古高俊太郎(安田)は捕らえられ、土方らの拷問によって池田屋に参集することがばれてしまいます。重幸は何とかこれ以上人が死なないようにしたくて、長州藩の元に乗り込むと、藩士からは吉田稔麿と呼ばれどこに行っていたと問い詰められるのです。そこへ薩摩の宮部鼎蔵(森崎)もやってきますが、桂は薩摩を信用していません。
そして池田屋事件が発生するのです。長州藩が謀議中に、近藤・沖田・永倉新八(安田)らが乱入し、お互い剣豪で知られた沖田と宮部は死闘の末、宮部は自害します。重幸は後に薩長同盟のために桂には生きていてもらわないといけないと新選組を説得しますが、土方の刃は重幸に振り下ろされるのでした。
現代からタイム・スリップした重幸を除いて、歴史上の実在の人物が登場します。各人の演技は粗削りで若さの勢いにまかせているようなところはありますし、台詞の回しも雑で聞き取りにくいところがたくさんあります。しかし、一幕の簡素な舞台セットで、たった五人で入れ替わり何役も担当するにもかかわらず、一つ一つの役柄がちゃんと見えてきて、チョンマゲが無くてもチョンマゲがあるように思えるし、チャンバラが無くても斬り合いをしているように見せるところは只者ではないなと思わせてくれます。
新選組と長州藩士の演じ分けは、暗転した時や再登場するときの羽織の色で表現されています。基本的に赤が新選組で、茶が長州藩です。ただし、山南と吉田は重幸という同一人格なので、舞台上で羽織を反転して着直すことで、今どっちなのかがわかる。ただし、もう一人、舞台上で羽織をひっくり返す者がいて、これはある時は新選組そしてあるときは討幕派という蝙蝠のように暗躍する人物というのが面白い設定です。
映画と違って、演劇の場合は会場でライブで観劇するのでは無ければ、ずっと同じ背景でシーンの切り返しなどもなく、録画された映像で見るのは少なからず苦痛を伴うものです。この作品でも、最初のうちは多少の我慢が必要なんですが、全体の設定が見えてくるとたった5人でこれだけの登場人物をこなしていることに驚嘆し、実に楽しく見ることができました。
現代人の重幸が、国を守る大義の元に人殺しをする新選組の誠と、国を変えるために人殺しを厭わない討幕派の正義の間で、見失っていた自分を見つけていくというストーリーの骨格はなかなか素晴らしいと思います。