2016年1月31日日曜日

Are you ready ?


もうすぐ・・・・

節分。

ですが、それはそれで大事なんですが、その後には今や日本の年中行事として定着している・・・そう、バレンタインデー!!

世の女子は、いろいろ考えていることでしょう。

送る人の選別、そしてその中でのランク付け。我々男子は、いろいろな知らないところで秤にかけられているんですよね。

もっとも、おじさんになると、はなから無視されていますから、まぁどうでもいいと言えばそれまでなんですが、まぁ貰えればそれなりに嬉しいものです。それが義理チョコだとしてもです・・・

個人的にはGODIVAのような高級(すぎる)チョコを、豪華な包みで1個貰うより、明治のアーモンドチョコレートを5箱とかの方が嬉しさは大きい。

だからと言って、女子の皆さんはそこらのお菓子コーナーにあるようなものではつまらないでしょうから、いろいろとあーだこーだと普段なら買ったりしないようなものを見て回るのも楽しみなんでしょうね。

とりあえず、見て楽しい、選んで満足、貰って嬉しいというチョコをひとつご紹介。

写真は、一見クレヨンか化粧品のセットのように見えるんですが、れっきとしたチョコレート。

Galler(ガレー)というブランドのもの。ベルギーで王室御用達になっている、それなりに有名なものです。ひとつひとつの味を、じっくり楽しむために一口サイズになっている。

さらに、この美しい包装は、本当に食べるのがもったいなくて、しばらく飾っておきたい感じ。

義理チョコにするにはもったいないかもしれませんが、相手を喜ばせたいなら候補の一つにしてみてはいかがでしょう。

2016年1月30日土曜日

外苑並木冬景色


冬です。いくら暖冬と言っても、冬は冬。

今年は新年早々から、各界の大きなスキャンダルが連発して、どうなるものかと思っているうちに1月はもう終わり。なんか、荒れた年になりそうな雰囲気が漂っています。

さて、カメラをいつでも携行することは忘れていないのですが、多少なりとも写真らしい写真を撮りたいと思うと、結局行動範囲の中で絵になる場所というとここくらいしかない。

神宮外苑です。絵画館前の青山通りから続く銀杏並木は、紅葉の時期には人だかりがすごくなる、都内の風物詩として有名な場所。

もうこの時期になると、銀杏の葉はすべて落ちてしまい、もう歩く人もまばらです。乾いた冷たい風がピューっとでも吹こうものなら、思わず襟を立てて肩をすぼめたくなる。

それはそれで、季節感があって悪くはありません。かえって、少ない陽だまりを見つけることができれば、かえってそのぬくもりがありがたかったり感じられるとものです。

こういう光景にぴったりの曲というと、クラシックファンならシューベルトの「冬の旅」かもしれません。ただ、失恋して死を求めてさすらう内容ですから、もっと厳しい寒さが表現された光景じゃないとしっくりこないかもしれない。

洋楽ファン、あるいは昭和人にとっては、サイモン&ガーファンクルの名曲、「冬の散歩道」というのがあります。とは言っても、これも歌詞の内容は楽しいげなものではありません。

まぁ、冬というのは、希望にあふれた春を際立たせるために、より厳しく冷たい方がいいのかもしれませんけどね。

2016年1月29日金曜日

フォルテピアノでシューベルト

一昨年の春から1年間、ひたすらバッハの教会音楽をむさぼり聴いたんですけど、そこで古楽器というものに一定の理解を深めることが出来ました。

以前は、いくら作曲者の耳に本当に聞こえていた音に近づくということは、それほど重要とは思っていませんでした。もちろん、今でもそこにこだわるつもりはありません。

わざわざ響きの少ない当時の楽器で演奏するよりも、現代的に完成された楽器の音色で十分に楽しいと思っていたわけですが、実際にバッハで体験したのは、モダン楽器を使って厚化粧をしたバッハよりも、古楽演奏のバッハの方が、聴いていて心地よいということでした。

確かに現代の楽器の方が音量があって響きもいいのですが、当然バッハはそういう楽器で演奏されることは想定していない。その時の楽器を最大限に生かすことを考えて、音符を書いていたはずです。

ですから、現代楽器による演奏と同じに、古楽器による演奏にも耳を傾けることはクラシック・マニアとしては避けては通れない道だということに気がつきました。

そこで、ピアノです。

今、普通にピアノというと一番有名なのはスタインウェイ社のもの。スタインウェイが創立したのは1853年です。同じ年にベヒシュタインも誕生しています。ベーゼンドルファーはもう少し早くて1828年。

ベートーヴェンが亡くなったのは1827年、シューベルトは1828年、シューマンは1856年。つまり、彼らはモダンピアノの微かな光は見えていたかもしれませんが、基本的にそれ以前の鍵盤楽器を使用して作曲をしたわけです。

モダンピアノの黎明期を支えたのがショパンとリストですが、リストは長命でしたが、ショパンは若死にしていて1949年には亡くなっている。

つまり、自分が一番好きな時代の作曲家たちは、いずれもモダンピアノ以前に活躍した人たちだということです。であれば、彼らが使用していた楽器は何か知りたくなる。

鍵盤楽器として最初に世間に広まったのは、バロック期のチェンバロ(クラブサン、ハープシコード)です。これは弦をひっかくことで音を出しますが、音量は小さいし、音に強弱をつけることができません。

さて、名だたる古典派の作曲が使ったのがフォルテピアノ。ここでは、弦を叩くことで音を出すので、モダンピアノのプロトタイプということがいえるかもしれません。

ベートーヴェンは、32曲あるソナタで、新しいフォルテピアノが登場するたびに、積極的に使用して音域を広げたり、演奏法を改良したりしていくことになります。

モダンピアノの弾き方を、そのままフォルテピアノでやろうとしても、まともな音はしないそうです。演奏の仕方は別物で、下手に弾くとコンコンと木琴でも叩いているかのような、響きのない耳につく音になってしまいます。

シューベルトのピアノ・ソナタにはまってしまうと、ベートーヴェンに比べて情報量がずいぶんと少なくなってしまうことが残念。散発的に弾かれることはあっても、何しろヴィルヘルム・ケンブによってまとまった録音を初めて行ったのが、60年代後半というのが驚きです。

そして、フォルテピアノによる全集を最初に完成させたのは、90年代前半のポール・バドゥラ・スコダで、それに続くのがマルコム・ビルソン。21世紀になってからは、ヤン・フェアミューレンです。

スコダは比較的最近ボックスセットで再発されたので、自分もこれで入手しました。ビルソンも、Amazonではまだまだ簡単に探せます。フェアミューレンも新しいので入手は容易で、最近ボックスも新たに発売されています。また彼は、室内楽や連弾曲にも幅を広げているので楽しみです。

問題はトゥルーデリーズ・レオンハルト。レオンハルトと聞くと、最初に思い出すのはグスタフ・レオンハルトで、世界中のチェンバロ奏者の師匠みたいな存在ですが、トゥルーデリーズ・レオンハルトは実妹さん。

80年代から、断続的に録音をしていて、この人の演奏はマニアには大変評価が高いようなのですが、いずれもかなりマイナーなレーベルからばかりCDが発売されていて、ほとんどが入手困難。

2000年以降にも、一部をあらたに再録音しているのですが、これもレコード会社がばらけていて、しかも体系的になっているようでなっていないので、どれを買えばいいのかよくわからない。困ったものですが、「幻の名盤」と言われると、何とか手に入れたくなるのがマニアというもの。

まぁ、地道に世界中のAmazonをチェックするしかありませんね。

2016年1月28日木曜日

梅林


田園都市・・・とか言っても都市風の田園ですし、横浜と言っても潮の香りはしんい奥地ですし、小さい山あり、田畑もそれなりに残っている地域を生活の場にしていると、人混みが年を取るにつけ苦手になっていくのがよく自覚できます。

だからと言って、仕事柄たくさんの知らない人と出会いますから、人見知りということはありません。逆に、少ない人数の中では自分のポジションを作るのは得意とまでは言いませんが、下手ではないつもり。

だから何? という話ですけど、まぁ、要するに自分のテリトリーは首都圏としては田舎・・・ということで、梅林があったりすると・・・強引に話をそっちに持っていくわけなんですが。

ほぼ毎日この前を通るので、紅白の梅が咲きほこり季節を実感する場所です。いつも車で通りすぎてしまうだけですが、ちょっと止まって観察してみました。

やはり蕾がだいぶできてきていて、春が確実に近づいて準備態勢に入っているのを実感できます。

2016年1月27日水曜日

フラジャイル


テレビの連続ドラマというのは、あまり見ない。

特に最近はマンガが原作であることが多くて、それだけでも何故か興味を失ってしまいます。しかも、医療系ドラマともなると、医者としてはドラマの「嘘」ばかりが目について、荒唐無稽の内容にうんざりしてしまうことばかり。

今季のドラマの一つ、フジテレビの「フラジャイル」も、マンガが原作の医療系ドラマ。さぞかし、自分的にはダメダメだろうと思いきや、いやいやこれがけっこう面白い。

まず、主人公が臨床医ではなく病理医というところがいい。臨床医だと、患者との関係がどうしても前面に出てしまい、よりドラマチックな展開のために嘘が多くなる。

その点、病理というセクションは、直接患者との接点がない。病理は、手術や生検で得られた病気の組織を顕微鏡で見て診断を下します。

例えば、臨床医は症状や画像検査、血液検査などからだいたいの診断を推定します。それが悪性腫瘍なら、手術をした方がいいのか、薬の治療をしたほうがいいのか、あるいはどこかに転移していないかなど、一部の組織を採取して病理の判断を待ったりします。

病理医は、臨床医からの情報をもとに組織をいろいろな方法で染色して、顕微鏡で見ることで細胞レベルの変化を確認するわけです。

推理小説でいうところの「安楽椅子探偵」みたいな役回りで、自分で実際に事件の関係者に会ったり、現場を調査したりはしないのと同じ。

そのかわり、ドラマでは臨床医は、思い込みが強く、患者から得られる情報の漏れが多いように描写されているのはやや行き過ぎのように思いますが、まぁ主役ではないので許しましょう。

ただし、突っ込みどころはあります。第一話で、階段で転落して頭を打った患者さんを神経内科が診ているというのはあり得ない。総合病院なんだから、脳神経外科でしょう。しかも、神経内科だったら、足のもつれを単純に腰の椎間板の問題にしたりはしないで、頭の異常を追及するはずです。

外科医が手術中に採取した組織をすぐに病理で確認するというのはありますが、この場合にわざわざ手を下して病理まで外科医が組織を持ってくるというのもあり得ない。だとしたら、小雪さんはよほど下っ端で、手術を見学していただけの人になってしまう。

まぁ、些細なことには目をつぶって、ドラマと割り切って見れば、まぁまぁTOKIOの長瀬くんが演じる主人公のキャラがなかなか興味深くて面白い。

・・・と、珍しく医療系ドラマを褒めようと思ったのですが、第2話で早くもダメダメなところが出てしまいました。安楽椅子探偵には、実際に情報を集めてくる「ワトソン君」が必要なんですが、どうもその役割をするのが武井咲の演じる新人病理医。

その新人病理医が、患者さんの積極的に関わるようになってしまいました。しかも、患者さんが不在の自宅に押しかけて、家の中を捜索するという、極めてあり得ない状況。荒唐無稽、言語道断の行為です。

これでは病理医が主人公である必然性が無くなってしまいます。今日は第3回の放送がありますが、このまま見続けるか、やっぱりこの手のドラマは駄目だとなるか・・・さぁ、どっちだ?!!

2016年1月26日火曜日

残念な横濱家 @ ???


横濱家は、豚骨醤油の家系ラーメン店としては、たくさんのチェーン店を持つメジャーなラーメン屋さんです。

自分も、ここに住むようになってからはよく行くようになりました。一番よく行くのは、東名高速道路の川崎インターを降りて、尻手黒川道路をちょっと行った処。

比較的ドライバーの人とかが多いせいか、横濱家のチェーンの中でもがっつり系です。お店によって、メインの客層を考慮した味の変化が多少あるのが面白い。

以前、市ヶ尾店に行ったときは、わりと和風のだしが強めの印象でした。そこは、比較的ファミリー客が多い場所。

今回は、また別の場所に行ってみました。さて、この横濱家はどんなだろうというのも楽しみの一つ・・・なんですが、ああ~、ここは駄目です。

まず、入って店員の声が小さい。威勢の悪いラーメン屋なんてものは、そうそう滅多にあるもんじゃない。昼時でそれなりにお客さんの出入りがあるのに、一人が声を出すだけで、他の店員はほとんど喋らない。

注文を厨房に言うのも声か小さいし、厨房の中でも注文を受けたという返事も無いか、あるいはほとんど聴き取れません。

ちょっと、暇になると作り手も混ざって世間話をしているなんていうのは、もう最低です。

まぁ、味は横濱家ですから、そりゃ大きな変わりは無く、それなりに美味しいんですけど、雰囲気から本来の味が相当落ちてしまいました。

はっきり言って、この場所には二度と行くことは無いと思います。ちょっと遠回りしても、車で行ける範囲にいくつも横濱家はありますからね。

2016年1月25日月曜日

シューベルトのピアノ全集or作品集

このブログは、Googleを利用していますが゛、Googleは多岐にわたってサービスを展開しており、それぞれのサービスが密接に関連します。

その中でGoole+にも、ブログの投稿が自動的に流れるようにしてあるんですが、先日書いたシューベルトのピアノ・ソナタについて投稿が、Google+に入らないです。

何故だかよくわかりませんが、何度が共有を試みていたら、「Googleのポリシー違反で全サービスを停止するぞ」みたいな脅かしのメッセージが表示されました。

そりゃないだろう、とちょっと憤慨。

いつもと同じように操作して、特別変わった内容にしたわけでもなく、そっちが勝手に投稿を流してくれないのがいけないのにね。

何度も同じ操作をしたことがスパムと認識されたのか、それとも投稿内容のどこかに問題があるのか、ポリシーというのを読んでもさっぱりわからない。

そこで、似たような話題ですけど、もう一度同じような構成の投稿をしてみようというわけで・・・

さて、シューベルトです。

シューベルトのピアノ・ソナタは21番まで番号がふってありますが、とにかく未完成品が多いことで話を複雑にしている。

ベートーヴェンなら32曲もソナタがありますが、いずれも楽曲として完成しているので、誰がどう弾いても曲の内容は一緒。

ところが、シューベルトの場合はソナタ全集と銘打っても、内容が微妙に違ってくる。

完成品だけを取り上げるという考え方。これは、間違いはありませんが、こうなると1/3は脱落してしまいます。

楽章の途中で終わっているものはしょうがないとしても、未完成の中には一部の楽章は完結している物もあるので、それを飛ばしてしまうのももったいない。

そこで、完成楽章だけは取り上げるという演奏者もでてきます。さらに未完成部分を補筆して、何とか完結した形にして聴かせるというのもある。中には、途中やめまで弾いて唐突に終了というすごいのもあります。

形式からどう考えても楽章が抜けていると考えられて未完成扱いというのもあって、抜けたまま演奏する人もいれば、同時期の小品を抜けた楽章の代わりに挿入して完成扱いする場合もあったりします。

歴史的に初めてシューベルトを網羅した演奏を録音したのは、ヴィルヘルム・ケンプで1960年代後半のこと。ケンプは、基本的には完成楽章は収録し、途中で断筆したものや抜けていると考えられる楽章は無視というスタンスです。

それでも、それなりの数になりますから、シューベルトを楽しむ上ではそうそう困ることはありません。十分に「全集」を名乗るだけの価値は認められるというものです。

アルフレッド・ブレンデルも、シューベルト弾きとして評価が高く、70年代と90年代にまとまった録音を2回残しています。ところが、未完成品が多い前半分についてはほとんど興味が無い。これはさすがに全集とは呼べず、どちらも「作品集」というところ。

完成していなかった物を作者のはっきりとした真意がわからないままに、いろいろいじくるというのは芸術の観点から否定するというのは一つの見識ですから、それはそれで正しいと言えます。

ただし、ファン心理としては、未完成なのもどんなのか聴いてみたいというところはある。また、たまたま楽譜が失われただけで、本当は完成していたのかもしれないわけですから、まったく無視というももったいない。

そこで、70年代になってギルベルト・シュヒター、グレゴール・ヴァイヒェルト、ポール・バドゥラスコダなどが足りない部分を補筆完成させたり、完成している小品をそれなりの学術的根拠のもとに楽章として挿入して演奏しました。

その後は、後期ソナタ中心に完成しているものだけ取り上げる「作品集」と、未完成品もできるだけ完成形に近づた「全集」とがいろいろと出てくることになります。

現状ではすでに廃盤で手に入らないものもたくさんあり、どうしても聴きたいならば中古を探し回るしかない。ネットで探すことができるので、昔よりはましですけど、そうは簡単にはいきません。

とりあえず、比較的手に入りやすいもので、最も曲数の多いのはミッシェル・ダルベルトの全集。ソナタ以外にも舞曲などの小品もある程度は網羅していて、シューベルトのピアノ独奏曲を把握するのには便利。

演奏も悪くはありません。ただし、多少局数をこなすのに無理しているかもというところも多少は無いわけではありません。

聴けば聴くほど深みにはまっていくシューベルトなんですが、とりあえず全体を見通せるダルベルトの全集はお勧めの逸品だと思います。

2016年1月24日日曜日

電線


都会の特徴と言ってしまえばそれまでですが、空を見上げた時にやたらと電線が目に入る。

そりゃまぁ、そのおかげで不自由の少ない生活ができているわけですから、文句を言っちゃいけない。

・・・と、頭では納得しようとしているんですが、それにしても多いよなぁ。せっかくのきれいな朝焼け空なのに、中途半端な蜘蛛の巣のように景観を損なっていることは残念でしょうがない。

電気を送るのが電線で、他にも電話線もあるし、このあたりはケーブルテレビが発達しているのでその線もあります。

地下に埋設する工事も、ずいぶんと前からあちこちで行われていると思うのですが、一向に空に絡みつく電線が減ってきた感じがしません。

港北ニュータウンでは、都市計画に基づいて街作りをしたので、けっこう電線が目立たない感じはしますけど、それでも皆無ではありません。

電線と、それを支える電信柱が無くなれば、かなりすっきりすることは間違いない。

せめて、雀が三羽とまっていれば・・・ネタになるんですけどね。

2016年1月23日土曜日

自然薯


・・・と書いて、じねんじょ。

ヤマノイモという山野草の根の部分で、一般に食用にしている栽培種が山芋。自然薯は、その名の通り野生のもので、栽培種に比べて粘性が強く味もしっかりしていると言われています。

擦ってみると、本当にびっくりするくらい粘りがあって、搗きたての餅くらいの固さがあります。

食べ方は・・・だし汁でのばして「とろろ」にするというのが一般的らしいのですが、せっかくの粘り気を薄めるのはもったいない。

そこで、お勧めは、小さじ一杯くらいを海苔で巻いて素揚げにするというもの。

美味!! ビールが進みます。

2016年1月22日金曜日

G.Schuchter / Schubert Piano Works

バッハのカンタータ・シリーズが一段落して、最近は音楽は何を聴いているのかというと・・・まぁ、あまり変わり映えしないんですけど、また元に戻ってピアノ独奏曲なんぞを聴いていることが多い。

ペートーヴェンのソナタから始まったみたいなところだったんですが、最終的にピタッと来たのがシューベルト。

天性のメロディ・メーカー、シューベルトですから、随所に親しみやすいメロディが入ってきて、とても馴染みやすい。ところが、ピアノ・ソナタについては、シューベルトさんも相当悩みに悩んだのか、構成についてはかなり難しい。

なんか、とにかく長くしようとして苦しんでいるみたいという評判もあったりしますが、聴き慣れるまでは、なんか同じことの繰り返しばかりで確かに飽きてしまいそう。

でも一度抜け出ると、もう豊饒な世界が目の前に広がり、もう病みつきになってしまいます。特に、随所に出てくる独特の間は、もう「来たぁ~」っていう感じなんですが、逆に自分の間の感覚と合わない演奏では、もう買って損した状態になったりもします。

とにかく、一番よく聞くのは、我が日本が世界に誇る内田光子さんの演奏。ただし、相当気持ちの入った重みのある演奏なので、気楽に聴くのは難しい。真剣に聴けば聴くほど疲れるんですが、それもまた心地良い疲労感みたいなところ。

まとまった演奏をCDに残しているものはたいがい持っていると思うのですが、1960年代半ばのケンプの全集が先駆けで、それに続く幻の演奏と呼ばれているのがシュヒターのCD12枚の全集です。

 amazonでずっと探していましたが、中古で数万円の値がついていて、ちょっと高くて手を出す気になれない。ところが、久しぶりに何気にamazon.co.ukを見ていたら・・・!! !! 何と何かの間違いかという値段で出ているじゃありませんか。

即、バスケットに入れてしまいました。送料込みで約1万円です。これはもう、ここで買わなければもう出会えない価格です。ついに手に入ったわけで、さっそく聴きだしました。

70年代半ばの録音らしいのですが、ライナー・ノートには、どこにも詳しいデータが書いていない。もちろん元々はアナログ録音ですが、音質はまったく問題ない。むしろ、温かみのあるピアノの音は抜群にいい。

そして、演奏は…とても、落ち着いた真面目な演奏という感じ。全体的にゆったりとしたスピードですが、一つ一つの音を丁寧に出しているところが、とても好感が持てます。

一番のお気に入りは最後のソナタ、D960なんですが、新しく聴くときはまずはこれを聴いて、自分に合うのかの秤にしています。

出だし、やや音は大きすぎる気がしないでもないのですが、この曲に関してはやや早めで、通常20分くらいの第一楽章がシュヒターは15分。でも、間の取り方がよくて、その速さがまったく自然です。

収録曲の多さでは後発のダルベルトの全集に負けてはいますが、特にあまり聴くことが少ない初期の曲などでの演奏水準はかなりものと思います。

これが長らく廃盤で、入手困難になっているというのは不思議です。シューベルトのファンなら、絶対に聴くだけの価値がある。本気で聴くのは内田さんというのは変わらないのですが、もう少し軽めにシューベルトの混乱したソナタを俯瞰するには最適なセットだと思います。

2016年1月21日木曜日

トタン屋根の猫


「熱いトタン屋根の猫」とくれば、良くも悪しくも、ハリウッド全盛の時代の1958年に作られたアメリカ映画。

監督はリチャード・ブルックス、主演はエリザベス・テイラー、ポール・ニューマン。テネシー・ウィリアムス原作の人間ドラマで、家族の間の濃厚な愛憎劇です。残念ながら大きな賞は逃したものの、名作の誉れの高いものと言って良いと思います。

ただし、こちらは熱くはない。

どう見ても、ほのぼのムードでじたばたしていない。寒い時期なのに、昼の太陽で温まったトタン屋根の上でうとうとしている感じ。

しばらく見ていたんですが、ときどき目をあけましたがなんかボーっとしていて、ほとんど動きませんでした。

見ようによっては、大きな苦悩に阻まれた自分の人生について思慮しているのかもしれませんが、いずれにしても、絵になる猫です。

2016年1月20日水曜日

prologue @ 美しが丘西


プロローグは、横浜市青葉区の美しが丘西にあるパン屋さん。

もう何度も紹介してますから、何となくブログのネタ切れ感もあるのですが、今回は早朝の開店直後に行ったという話。

パン屋さんの朝は早いんですよね。もう、びっくりするくらい。この店は平日でも朝6時からやっています。

いつもは日曜日の朝で、早くても7時過ぎくらいにしか行かないんですが、もうお客さんは一杯で、店内はパンを探して移動するのも一苦労だったりします。

この近辺だけでなく、けっこう遠くからもお客さんが集まる評判の高いパン屋さんが近くにあるというのは、ちょっと嬉しい。

今回は平日の朝、散歩がてら歩いて行ってみました。片道15分くらいなんですが、6時半くらいに家を出ると、まだ夜明け前ですから寒くて暗い。

つく頃には夜明けで、明るくなり始めましたが、残念なことに東の空は雲が多くて朝日を見ることはできませんてせした。

さすがに、この時間だとお客さんはまばら。

ただし、パンも焼きあがっている最中で、まだ店頭に並んでいるパンの種類は多くはありませんでした。だいたい人気のあるパンはありましたので、食べたいものをいくつか買えました。

お店を出て、また家に向かって歩いているとそろそろ7時が近くなってきて、通勤・通学の人もぼちぼちいました。車の通りも増え始めて、今日が始まったなという感じ。

毎日、こうやって早朝散歩をすると健康にもいいんでしょうけど・・・寒かったです。

2016年1月19日火曜日

初雪


昨日は夜半から降り出した雪が、未明にはピークとなり、横浜北部としては予報通り初雪でした。

通勤時間帯からは雨になりましたが、通勤・通学はさぞかし大変だったろうと思います。バス停も長蛇の列でしたし、駅に入れない人がたくさんいたのが見れました。

自分は・・・というと、スノータイヤですから。このくらいの積雪は何ともありませんので、ほぼ普通にクリニックへ。

ただし、いつもより、車間は長めに、ブレーキも早めに、歩行者が近いときはできるだけスピードを落として安全運転を心がけました。

せっかくですから、夜明け前に写真を撮ってみました。

まだ、あたりは真っ暗なのでISO 12800で、感度をかなり高くしています。さらに降っている雪が写るようにフラッシュもたいています。

けっこう降っている様子がわかります。

さらにフラッシュのタイミングも調節して、雪の動きもでれば最高なんですが、さすがに初心者にはそのテクニックはありません。また、次の機会があればチャレンジしてみたいですけどね。

2016年1月18日月曜日

他人の不幸が飯の種


あらたまって言うことでもありませんが、自分は医者です。

医者というのは、誰かが健康を害した時に、何が悪いのかを考え、そしてその原因を取り除き健康を取り戻せるようにすることが仕事。

当たり前と言えば当たり前の話ですが、健康になるようにお手伝いするという前向きな考え方もあれば、逆の考え方もあるんです。

つまり、医者というのは人の不幸(病気やケガ)を飯の種にしている人種・・・こう考えると、何かすごく後ろめたい感覚になってしまうというもの。

昨日の記事にクリニックの10年間の患者数を検討してみた内容を書きましたが、数字を見ていたら、それだけ健康に問題を抱えた人がいたことに気がつきました。

クリニックの患者数が増えたりしたと、喜んでいるのはいいことではないかなと思ったりしました。経営者である前に、医者であることを忘れてはいけないということ。

もしも、人類が皆な健康ならば、本来はいらない仕事なのかもしれません。必要悪とまでは言いませんが、医者が不必要な世界だったら、とても素晴らしいことかもしれません。

現実的に考えれば、病気やケガがまったく無いというのはありえない。ですから、医者という職業の存在意義は否定されるわけではありません。

そんなことを時々考えては、自分の存在価値みたいなものを自ら正当化していることに気がつく時があるんです。

例えば、患者さんから「どうせ、先生には私の痛みはわからない」なんて言われた時とか・・・

患者さんの気持ちに立って、なんて言うのは簡単ですが、現実に他人の心情を完全に理解するなんてことはできません。

患者さんがイメージしていることが、現代医学の常識的な治療とは食い違っていることは珍しいことではありません。その時に、患者さんの希望に沿って医療を行うことが最善とは言えなかったりするわけです。

だからと言って、医学というのは日進月歩ですから、正しいと考えられていたことが実は間違いだったということも無いわけではない。常識というのは不変なものではなく、時代とともに変化することもあるわけですから、スタンダードな医療と考えられているものが正しいとは限りません。

患者さんとの溝をできるだけ浅くする努力は、医者と患者の双方に必要なことです。ただし、より医者の方が多くの努力を必要とするものかもしれません。

何を言いたいのかわからなくなってきたので、何か、ちょっとぼやきたくなっただけなんで、このくらいにしておきます。

2016年1月17日日曜日

クリニックの評価

自分のクリニックは、昨年12月に開院して丸10年となりました。

10年というと、ひと昔と言われる期間だけに、どこかで実際のところどうだったのか一区切りの評価をする必要があるとは思っていたのですが、なかなか客観的に考える方法が難しい。

幸いにも開院以来、電子カルテを使用していたので、患者さんのデータは出しやすいので、まずこのあたりから整理してみることにしました。

これは、年ごとの来院患者数を示したグラフです。

全体の数としては、だいたい最初の5年くらいは伸びていますが、その後は頭打ちというところです。一定の診療圏の中で、極端に人口や診療所数、あるいはクリニックの評判や診療体制が変わらない限りは、どこかで一定のレベルに落ち着くのは当たり前でしょう。

年間の診療日数は、うちのクリニックは270日前後ですから、一日の来院患者数は100人まではいかないような状況です。これは整形外科診療所としては少ない方で、平均的には150人くらいと言われていることを考えると、経営的には厳しいところが無いわけではありません。

横浜市都筑区の立地としては、今から冷静に考えても本来はクリニック経営上の条件の良い土地とは言えません。

何故なら、人口の平均年齢が若い。開院当時は40歳を超えていませんでした。整形外科診療所としては、最大の患者層は高齢者であることは当然のことです。

そして、港北ニュータウンという場所の性格として、人の出入りが多い。首都圏に近い通勤しやすい場所として、転勤でやってきて数年でいなくなる人がかなりいる。

平成26年の統計では、都筑区は人口増加数は横浜市の行政区の中では5位で少なくはない。その内訳で見ると自然増加率、つまりこどもが生まれて増える割合が他区に比べて圧倒的に高いにもかかわらず、社会増加率はゼロに近いんです。

これは、港北ニュータウンの性格をよく現わしています。小児科、産婦人科、耳鼻科などの開業には向いている土地ということが言えるかもしれません。

ただし、地下鉄の新設などにより、人口増加が目立った時期がありましたが、今は人口の増加率ではだいぶ下がっていて、ほぼ落ち着いた感があります。

さて話をクリニックに戻すと、ここで注目したいのは初診の患者さん。初診だけのグラフを作ってみました。

再診だけどんどん増えるのでは、やたらと通院させるだけの「経営が主体」のクリニック、あるいはなかなか治せない「実力の無い」クリニックという評判になってしまいます。

純粋な初診、つまり初めてクリニックを訪れた方はクリニックの患者番号の増加でカウントできます。それ以外は再初診、つまり二度以上訪れた患者さんで、いわゆるリピーターと言えます。

注目すべきは、このリピータです。最初に受診して不満を残せば、その患者さんは次の時には別のクリニックを選びます。何しろ、クリニックがあるのは駅前の診療圏が重なるクリニックが複数ある地域です。

とりあえず、数だけで言えば初診の伸びは、全体の数と一緒でこの5年間はあまり変化はありません。しかし、再初診患者数は増加傾向は止まっておらず、リピーターが増えていることになります。

人口の入れ替えが激しい地域であることを考えると、リピーターの増加は、クリニックに対する評価としては十分に価値がある結果と考えていいのではないでしょうか。

もう一つ、グラフを作ってみました。

受療率という言葉あって、どのくらいの割合で病院を受診するかという数字。これが人口に対する患者発生数の目安になるので、経営上は収入の予想を立てる上で重視されるものです。

整形外科の場合は、取りまとめられている項目の複数に関わるので、正確な受療率というものはなかなか推定しにくいのですが、一般的には10%以下と言われていて、だいたい8%くらいというのが妥当ではないかと思います。

都筑区の人口の年次推移に合わせて、各年の推定患者発生数を算出して、うちのクリニックの初診患者さんがどのくらいの比率で含まれるかを出してみました。前のグラフと似ているので、意味が分かりにくいかもしれません。

都筑区には整形外科診療所が、おそらく11か所あります。他にも内科で併設しているところも数か所。単純にそれらで割ると、診療所一か所あたり10%程度の初診患者が割り振られることになる。ですから、純粋に新規の患者さんは10%ちょっとで推移していますから、これは当然の数字ということができるようです。

ただし、再初診の患者さんが漸増して上乗せされていて、推定発生患者さんの1/4くらいが受診したことになります。これは、正しいかどうかわからないのですが、自己満足と言ってしまえばそれまで。

積極的な患者満足度調査のようなものはしたことがありませんが、少なくともこれらのことが、それなりの評価と考えたいと思います。

ただし、一人医者の自分も年をとりましたし、開業当初のようなパワーはさすがに無いことは自覚しますし、そもそもマンパワーとして、現状はほぼ限界なんだろうと思います。

自分の診療スタイルを変えれば、患者数をもっとこなすことができるかもしれませんが、大袈裟に言うと時には医者としての信念を曲げることになりますし、そもそも体力的に無理が来るかもしれません。

また、最近流行りの在宅などに手を出して、経営を拡張するというような才覚にも恵まれていないので、野心のかけらも無いようですけど、現状維持というのが無難な戦略なのかなと思います。

2016年1月16日土曜日

京都北白川ラーメン 魁力屋 @ 市ヶ尾


もう何度も取り上げていますけど、そうそうラーメン探して放浪しているわけではないので、一度気に入ればそこばかりになってしまいます。

もちろん、圧倒的に回数が多いのは美しが丘西の初代の辛味噌、横浜家の豚骨醤油なんですが、それに次ぐのが魁力屋。

魁力屋は京都北白川というだけあって、元々は関西発祥だと思いますが、さっぱり系かと思いきや、意外なことに背綿脂たっぷり。

味のベースは濃厚な鶏ガラで、ラーメンとしては古典的な味に近いのですが、スープの深みはなかなかのもの。スープが絡みすぎない細麺との相性は抜群です。

ラーメンではないけど、ここの鯵フライも絶品なんですが、今回は基本の味で楽しみました。

昭和の人間としては、もともとラーメンというと鶏ガラ醤油味で、ほうれん草、なると、チャーシュー、メンマ、長ネギのトッピングという典型的な中華そばを基本形として体で覚えているんです。

ここの鶏ガラには、そういう懐かしさと今時の斬新さの両方が詰まっているんですよね。

2016年1月15日金曜日

奇跡の一枚


基本的にいい写真を撮ろうと思って撮れるくらいなら、プロの写真家になっているだろう・・・

それが出来ないから初心者であり、趣味ということで落ち着くわけです。フィルムを使用して写真を撮る時代なら、後で現像に出すこともあり、そうそう簡単にシャッターを切るわけにはいきません。

ところが、時代はデジタル。どんどんシャッターを切れるだけ切って、メモリーカードが許す限りの枚数を保存すればいいわけです。枚数をとれば、中には偶然奇跡の一枚と言えるような写真が含まれていることがあったりします。

名実ともに初心者の自分としては、その一枚さえあれば大満足で、もうそれ以上は望みませんが・・・


何と、奇跡の2枚目というものもあったりすると、驚きますよね。いやもう、少しは、腕を上げたかなと思ったりするわけですが・・・

 

さらに3枚目が続くとなると、もう完全に初心者のレベルを打ち破った実力か・・・

というのは、これは完全に勘違い。

まさにカメラのおかげというものなんです。飛んでいる鳥はとても早くて、これに焦点を合わせることはかなり難しい。ところが、使っているNikon D7200は、初心者用の一眼レフに比べ、オート・フォーカスの力が圧倒的に高いんです。

上級機種と同じフォーカスポイントが51点で、動いている物を追従する塚らがすごい。一度フォーカスをとらえると、相手の動きに合わせてカメラを動かしていても、ピントが合い続けるわけです。

もっとも、3月に発売予定の新機種ではフォーカスポイントが153点になって、もうほとんど無敵状態になるそうです。カメラの値段というのは、ここが一番ポイントになっていると言っても過言ではありません。

つまり、5万円程度で買える比較的安い一眼レフでも、じっとしているものを撮影する分には、レンズさえちゃんとしたものを使えば、上級機種と比べて遜色ない写真が撮影できるものです(素人レベルでは)。

しかし、オートフォーカスの力は値段に正直に反映するわけで、こどもの運動会などを撮影したいお父さんは、ある程度奮発しないと、コンパクトデジカメに負けてしまいますよ。

離れていくときはフォーカスが合わなかったのですが、遠くでターンしたときにピントが合って、こっちに戻ってくる間はピントが合い続け、ほぼ連続して撮影した奇跡の3枚。構図的にも、かなりいけていると思いますよ。

2016年1月14日木曜日

小さい春


今年は暖冬と言われて、実際に寒さはきつくなく、各地のスキー場でも雪不足は深刻のようです。それでも、冬は冬、それなりに寒い。

そんな中で、「あー、また春が巡ってくるんだなぁ」と思ったのがこれ。梅の花が咲いていました。

そんなに風流人でもありませんが、葉が落ちて寒々とした樹の枝の先端に一輪だけ花が咲いていると、嫌がおうにも目立ちますから、思わず見入ってしまいます。

見事に春爛漫を感じる満開の桜もいいですが、これから春になってくる期待感を持たせてくれる梅一輪も、ワクワクさせてくれていいもんです。

ちなみに、場所は早雲寺境内。

早雲寺は箱根湯本にある、小田原北条氏の菩提寺。小田原北条氏は、鎌倉幕府で権力を得た北条氏とは遠い親戚筋だそうですが、直接の血縁関係は無いので後北条氏とも呼ばれます。

1521年にその祖にあたる北条早雲の遺志により、以天宗清が開山したとされます。1590年に豊臣秀吉の小田原攻めの際に焼失し、1627年に再建され今に至るという歴史のあるお寺。

今時のいろいろと飾り立てたお寺と違って、広々として清楚な雰囲気が漂う場所でした。

2016年1月13日水曜日

シャッター速度をいじってみる


一眼レフカメラには、撮影モードがあって、全部カメラまかせにしてしまうモードもありますが、一般的には絞りを自分で決め、それにあった適正な露出になるようにシャッター速度を自動にする絞り優先モードが初心者には推奨されます。

これは、絞りを開いたり閉じたりすることで被写界深度を調整することで、ピントの合う範囲を被写体によって変えることだけは、一眼レフを使う上で最低限やりましょうという使い慣れている方からのアドバイスだと思います。

初心者としては、うまく背景にボケが生じるような写真をとることが、まずはレッスン1みたいなところ。ボケをうまく出せると、何か急に一人前のカメラマンになったような気になるものです。

一般にきれいなボケを出すためには、絞りをできるだけ開けることになりますので、カメラに入ってくる光の量は増えてしまいます。そこで、一定の露出量にするためには、カメラは自動でシャッター速度を短めにしてくれることになります。

とても明るいものを撮影しようと思ったり、あるいは目の前の広い範囲全体にピントが合った写真を撮りたいときは、絞りを絞っていく設定を使いたくなります。絞り優先モードを使用している場合には、この場合にはシャッター速度は自動で長めになる。

ここで、シャッター速度が長い場合に問題になるのが「ぶれ」というもの。手持ちでカメラを持っていれば、どうしても完全にカメラを静止するのは難しい。また、シャッターが開くときの振動というものもバカにできません。

仮に三脚を使用して、カメラはほぼ動かない状況だとしても、被写体が動く場合もあります。当然、絞りが長く開いていれば、いろいろな条件によってぶれた写真になりやすいというものです。

被写界深度をいじることを覚えた後は、今度はこのシャッター速度を意識することが大事なんじゃないかと思うようになりました。

つまり、ブレを意図的にコントロールできることで、写真に動きが出てくるわけです。 実際のところ絞り優先で撮影していても、シャッター速度が変わることで面白い変化が生じているものなんですよね。

この写真は、動いている車の中から朝日を撮影したもの。朝日の光が強いので絞りをかなり絞った(f.22)ので、シャッター速度が長め(1/13s)になりました。周りの風景が流れていますが、全体のスピード感が増して迫力があります。


今度は停車して撮影してもの。もっと絞った(f.32)ので、シャッター速度はさらに長め(1/3s)です。今度は周囲は静止しましたが、今度は動いている自動車がぶれています。

単なる風景写真ではピントはどんぴしゃでないと様になりませんが、被写体によっては静と動をうまく取り入れることができると、写真の幅がグーンと広がりますよね。

よく滝の写真などで、落ちてくる水が糸に様に見えるものがあって、普通の人の視覚とは違う幻想的な雰囲気を出しています。あれはシャッター速度を遅くして、水の動きをぶらして連続的に撮影したもの。

ちょっと挑戦してみたんですが、左のシャッター速度はは1/80s、右は1/20sです。シャッターが長く開いているので、右の方が明るい。落下する水を糸のように写すためには、シャッター速度はもっと遅い方がよさそうですが、まぁ雰囲気はでているかも。

ただし、遅いシャッター速度だとどうしても手振れが出てしまいます。手振れ補正という便利な機能がありますが、それとて万能ではありません。こういう写真では、三脚に固定することは必須ですね。


そこで、冒頭の写真ですが・・・実は、高度なテクニックとされる「流し撮り」に挑戦したもの。つまり、シャッター速度をわざと長くして、移動する被写体に合わせてカメラも動かしたもの。

動いている被写体にうまく合わせてカメラを動かすと、背景がうまく流れて動を静の中に表すことができる・・・ということなんですが、いや、ほんと、難しいです。

獅子舞のコスプレをしたブルドックなんですが、けっこう足が速い。何枚か撮って、これだけはまぁ何とか見れるんですが、この辺りを瞬時に判断してカメラを構えることができれば、初心者から一歩抜き出ることになるのかもしれません。

2016年1月12日火曜日

鷺と雁


日本国内で比較的わかりやすい鳥と言えば・・・街中だと、烏、雀、燕。海辺なら鴎。そして、内陸だと鷺と雁、または鴨あたりでしょうか。

鷺も雁も、川、湖、池などの淡水付近に生息して水鳥という種類でくくられます。うちの近所には、鷺沼、鴨志田、鴨井などの地名がありますが、もともと横浜あたりでもたくさんいたことがうかがえます。

雁と鴨の違いは素人的には難しいのですが、雁の方が大き目で、首が長い。ガチョウは雁が家畜化して羽が退化したもので、同じく飛ばない鴨がアヒル。

鷺も雁も、どちらも魚やカエルなどを餌にしているんですが、採り方はそれぞれです。たまたま二羽が一緒にいたので、じーっと観察することができました。

雁は飛ぶのも泳ぐのも得意で、獲物を見つけるとささっと水の中に一直線に飛び込んでいきます。それ対して、鷺はしだいに長い首を伸ばしていき、ここぞという時に、頭だけを水に突っ込むんですね。

当然、こういう光景は都会では見れませんから、長いこと見ていても飽きませんでした。

2016年1月11日月曜日

今年のアマリリス

今日は成人の日。

各地で新成人になられた方、おめでとうございます。

これからの社会を担っていく方々ですから、いろいろなことに目を向けて、楽しいこと、辛いこと、いろいろあるかとは思いますが、頑張ってもらいたいと思います。


さて、毎年患者さんからいただくアマリリスの球根。今年も11月末に、わざわざ持ってきていただきました。本当にありがたいことです。

12月初めに水やりを始めて、松飾を片付けたあとのに開花しました。今年のアマリリスは、伸びてきた茎は1本だけで、蕾は3つでした。

そのうち2つが開花しています。真っ白な大きな花が見ごたえがあります。数日中にもう一つの蕾も開花すると思いますので、ここ1週間が見頃だと思います。

2016年1月10日日曜日

竹垣



竹垣に 竹立てかけた・・・

早口言葉で有名な竹垣です。典型的な日本家屋の外周ですよね。

この家は、もう20年くらい前に建てられたものだったと思いますが、若者で賑わう街のちよっと裏に入ったところにあります。

竹垣は、隙間があったり、交差するように編み込んだものとかいろいろありますが、これは縦にまっすぐ並べたもので、垂直の立子垣一列使いというものでしょうか。

比較的よく見るタイプですが、経年による退色のせいでだいぶ風合いが増している感じ。門がアルミなのがちょっと残念ですが、屋根付きです。まぁ、防犯とか考えるとしょうがない。

何しろ、こちらのお宅は大変有名な小説家の住まい。表札にはしっかりその名前が書かれていて、隠していないところが堂々としています。

2016年1月9日土曜日

くぐり戸



潜り戸と書いて、くぐりどと読むのが一般的かと思いますが、何ともレトロな街の光景です。

時代劇なんかでは、大きな正面の門の横とかにあったりして、かがんで通る小さな出入り口で、隠密がそっとあたりを見回して、すっと入っていったりする。

このくぐり戸は、家の裏手、引き戸になっていて、高さは1mちよっとくらいでしょうか。勝手口として利用する、路地に直接出れるものだと思います。

左側は土蔵造りになっていて、さらに時代色を色濃くしています。戦前なら、普通にあちこちにあって当たり前の家なんだろうと思いますが、今時では文化財的な存在かもしれません。

テレビの散歩番組だったら、ここの前でしばらく尺が使えそうですよね。

2016年1月8日金曜日

手打ちそば おおつか @ センター南 その3


昨日は七草粥を食べて、松も取れまして、正月気分は一段落。

木曜日だったので、午後の仕事は無し。終了後一目散に、大塚さんちに行きました。大塚さんって、誰? と思うでしょうが、去年2度大塚さんのことを書いているんですが、まぁ、要するにお蕎麦屋さんです。

港北ニュータウン界隈では、知る人ぞ知る・・・っていうか、知らないと損をする「おおつか」というこだわりの手打ち蕎麦の店。

人気で、昼過ぎにはその日の打った蕎麦が終了して店じまいしてしまうので、普通の仕事終わりでは食べることができません。

本当は、年末に年越しそばのような意味で食べ納めをしたかったのですが、なかなかタイミングが合わなかったのでいけませんでした。そこで、やっと行けそうだったのが昨日というわけで、食べ初めになりました。

冬ですし、一応寒いとなると、暖かい蕎麦も食べたくなるというもの。この店は手打ちでせいろが基本ですが、暖かい蕎麦もあります。


この出汁は素晴らしい。知った風にいえば、醤油のとんがり感がなく、蕎麦の味をいかしています。


でも、蕎麦の美味しさをいっそう味わうなら、やはりせいろです。そして、この鴨。とにかく、無茶苦茶に美味しい。

半分は白髪葱をはさんだ鴨と一緒に、そして半分はつゆをできるだけつけずにそのまま食べたい感じ。


蕎麦としてはお値段は安くありませんが、それだけの価値がある。自分の味を維持するために、いろいろなところで妥協しない職人気質みたいなのがあるんですよね。

次に食べることができるのはいつになるかなぁ・・・

2016年1月7日木曜日

EXILE BEST HITS

エグザイルです。たくさんファンの方がいますし、現在の日本の音楽界をリードしていることは間違いない。

自分の場合は、さすがに「若い」音楽についていくのはしんどいと思う年ですから、まじめなファンではなくて、実はオカザイルつながりでの、なんちゃって組。

それでも、あらためてヒット曲を聴いてみると、確かに耳にしたことがある曲が多いのには驚きます。積極的なファンでなくても、それなりに多少の影響を受けていることは否定できない。

ただ、どうにもよくわからないというか、なんともすっきりしない。つまり、一番のポイントはエグザイルの「ジャニーズ化」とでも呼びたくなる状況です。

派生ユニットがいろいろあって、どれかどれだかわかりにくい。やっている内容は・・・大差ないように思うのは自分だけ? 確かに三代目J Soul Brothersなんて、かっこいいし、ヒット曲も耳にするし、いいんですが、じゃあ、本体のエグザイルでやっちゃいけないのか。

CDをどれか買ってみようと思っても、似たようなものばかりで、どれがオリジナル・アルバムなのか、あじさんにはわからない。やたらとベスト盤が多いように思うんですけど、違います?

よくリーダーのHIROの苦労話などがテレビで放映されて、気持ちの部分だけはいろいろと表に出てくるんですが、ネットのファンのレヴューなどを見ていると、商売に走りすぎて古いファンはうんざりしている感じが見て取れます。

とりあえず、自分のような中途半端なファンは、このベスト盤をひとつ持っていれば事足りそうです。バラード中心のナキザイルと元気なアゲザイルという表現がしてありますが、最低限これだけあればというセレクション。

それにしても、このジャケットのデザインは・・・??? ??? ??? 疑問符をいくつでもつけたくなる。あまりの力の抜きように、ため息が出る。これじゃ、確かに古いファンは離れていくし、新しいファンも手に取るのを躊躇しても不思議がない。

もともと、歌だけでなく音楽全体のパフォーマンスを統合することを売りにしてきただけに、パッケージについても彼らのパフォーマンスの記録ですから、もっと気合を入れてもらいたいと思ってしまいます。

明日は金スマで、また特集されるようですから見てみたいと思います。ただし、あまり言葉がかっこいいと、現実とのギャップが広がるかもしれないのが心配かもしれませんね。

2016年1月6日水曜日

裏原の街灯


裏原というのは・・・そもそも裏原って何? て説明することじたいが、田舎者丸出しみたいなところなんですが、いわゆるキャット・ストリートとも呼ばれる神宮前1丁目から宮下公園まで、明治通りに並走する道。

表参道、明治通りを中心にした原宿に対して、裏の原宿ということらしく、表の高級ブランド店に対して、手軽に買いやすいものが多く、若者に人気なんだそうです。

しかし・・・昔を知る者には・・・

遊歩道といった方がわかりやすいんだけどな。元々は渋谷川と呼ばれた、いわゆるどぶ川があったのですが、これを1964年の東京オリンピックを契機に蓋をしたもの。

今では、実際には水は流れていないらしいですが、当時は、本当に臭かった。上をふさいだことで、川はトンネル化して、遊び場として整備され、砂場、ブランコ、滑り台などの遊具が設置されたので遊歩道と呼ばれたわけです。

人工的なものですが、都会のこどもにとっては、数少ない遊び場として多いに活用できたわけですが、今はもう少し上の世代に占領され、遊具などはとっくの昔に撤去されています。

そこの街灯が、これまたおしゃれ。てっぺんが丸くなっていて、モダンなデザイン。

平成のはじめに経済企画庁長官を務めた堺屋太一さんが発起人となって、2012年に商店街が設置したものですが、停電時にも太陽光発電により数日間は点灯し続けることができるようになっている。


なかなかかっこいいんですが、原宿だからいいけど、これが普通の住宅街にあったら何か奇妙かもしれませんね。

それにしても、裏原を歩いている皆さん、たぶん知らないと思いますけど・・・

あなたの歩いている下は、どぶ川なんですよ~ !!