2014年6月30日月曜日

New! スマホ

スマホを機種変更して2年たちまして、電池もだいぶへたって来たし、いろいろ不都合もちらほら・・・そこで、思い切ってスマホを新調しました。

なにしろ、元からsony信者なものですから、そもそも最初が初代Xperia(SO-01B)で、2010年4月でしたか。まだまだスマホ黎明期みたいなもので、搭載されていたAndroidはVer.2.1、CPUクロックは1GHz。

アプリはどんどん出てきていたのですが、まだまだ決定盤といえるものが少なくて、入れたり出したりして、それでも持ち運べる「パソコン」としては、メールとウェッブ閲覧に絞って考えれば画期的でした。

次が一昨年のXperia GX (SO-04D)で、AndoroidはVer4.0、CPUクロックは1.5GHzでデュアルコア。この時は、Xperiaとしては初のワンセグ付きのガラケータイプも同時に発売されたのですが、スマホでせっせと動画をみる必要性がないのでスペック重視。

画面も大きくなって、ずいぶんと使いやすくなったと思いましたが、電池の消耗が早いのは同じ。BlutoothやGPSをONにしておくとひとたまりもありません。下手すると一日もたない。FOMAからXiになったけど、速さ的にはあまり変化なし。

自然と、いつでも充電できるコンセントを探している状態に変わりがない。いろいろな機能があっても、入れっぱなしにはできないので、自然とメールとネット検索中心の使い方をしてしまいます。

さて、今回は・・・やはりsonyです。Xperia Z2 (SO-03F)にしました。この間にかわったことは、タブレットがずいぶんと出てきた事でしょぅか。iPadの人気はすごくて、自分のように通話をすることはほとんどない(そもそも電話を持ち歩いている必要が少ない)人間としては、タブレットの方が向いていそう。

それとSNSが定着して、FacebookやLINEが日常的に便利に使われるようになったことが大きい。今では、うちでも家族中がLINEを使っており、家族のグループで連絡が簡単に取り合えるます。先月も義母が亡くなった時は、LINEが大活躍しました。

今回もタブレットではなく、スマホにしてのは、やはり簡単に持ち歩けるということを重視したから。実際、家とクリニックで人生の大部分の時間を過していることを考えると、そこにはパソコンも電話機もあるのでスマホもタブレットも必要ないわけです。

毎日1時間にも満たない車の中にいる時間と、ときどき遠出した時だけどうしようかと考えると、タブレットは自分には中途半端な大きさ。

そて、新しいXperia Z2はというと、AndroidはVer4.4で、CPUは2.3GHzのクアッドコア。なんか、著しい進歩を感じます。また電池の容量も2倍に増えて、これならいろいろONにしたままでも、1日は余裕でもちそうです。

実際、いじった感じも体感的にも早くなったことがわかります。歴代のスマホを並べてみると、だんだん大きくなってきているのがわかります。さすがに片手でいじるには、そろそろ限界かもしれません。

2014年6月29日日曜日

三位一体節後第2主日

確かに、このあとクリスマス前まで、ひたすら三位一体節後第×主日というのが続くと思うと、多少気が抜けそうになります。

この日のためのバッハの用意したカンタータは2つ残されています。
1723年 BWV76 もろもろの天は神の栄光を語り
1724年 BWV 2 ああ神よ、天より見そなわし

特にBWV76は、ライブツィヒのトーマスカントルとして、2週目のカンタータ。当然のことながら、まだまだ、バッハはやる気満々。

先週のライプツィヒ・デヴューのBWV75と似たような2部構成。30分以上かかる、カンタータとしては大作というところ。

一部はコラールから始まり、アリアとレチタティーボの繰り返しでコラールで〆。二部は器楽演奏のシンフォニアから始まり、やはりアリアとレチタティーボが交互に登場して、最後はやはりコラールです。

当然4声全員の見せどころが盛り込まれ、これが私の目指したい教会音楽だとバッハが気合を入れて、ライプチィヒ市民に主張しているかのようです。全体的に金管楽器も活躍して、けっこう華やかに感じがします。

それに比べると、翌年のBWV2はやや地味な感じで、15分くらいの普通の長さというところ。ガーディナー先生のCDでは、同じ巻にBWV10もはいっていねのですが、これは「マリアのエリザベト訪問の祝日 」のためのもので、今週の水曜日にあらためて。

そして、実はもう1曲収録されているのが「天は神の栄光を語り」という曲。これはバッハではなく、ドイツ・バロックの始祖の一人シュッツの曲(SWV386)。合唱曲ですが、さすがは世界一とも言われるモンテヴェルディ合唱団の面目躍如という素晴らしさです。

2014年6月28日土曜日

21.0

いや、もう、ほんとに・・・・

これが限界かも・・・・

21.0。夢のような数字です。

・・・燃費。

さすがに、そろそろエアコンを使いたくなる気候になってきましたので、これ以上は無理だと思います。

ガソリンも、そろそろ無くなりそうなので、次に給油したら、燃費チャレンジは終了です。

2014年6月27日金曜日

あすなろ淡水魚館 ~ Baby Fish

まず最初に・・・あいかわらず汚れたタンクですみません。しっかりと管理をしているアクアリストからすれば、何だこの汚さはと怒られてしまいそうです。

さて、1年くらい前から淡水のほうにはプラティという魚が泳いでいます。お尻の所に、黒い●が三つあって、ミッキーマウスのように見えるところから人気。

数ヶ月前から、一匹がやたらとお腹が大きくなってきた。こういう時は、病気か妊娠のどっちか。

最近、稚魚がいるのを発見しました。妊娠だったようですが、まじめにブリーディングしているわけではないので、自然の摂理で育つものなら育つ、他の魚に食べられるようなら、それも運命・・・

ところが、お尻のミッキーが見え始めたのが1匹、そして、まだまだ体長5mmくらいの薄っすらとオレンジ色程度のものが、最低でも6匹確認できました。何匹育つかなぁ。

2014年6月26日木曜日

リウマチの装具治療

装具って、いまいちマイナーな言葉で、あまり患者さんにも知られていないような・・・ですが、けっこう使いかってが良く、ちゃんと考えて使用すれば、かなりの効果が出るものです。

装具というとわかりにくいかもしれませんが、サポーター(サッカーじゃない)と言うとピンっと来ると思います。つまり、体の外から装着して、関節の動きを支えて、障害がある部位を保護するもの。

関節リウマチ患者さんは、関節の機能障害が日常生活で問題になります。もちろん、大きな変形がある場合には手術による機能回復を考慮しないといけないことがあるのですが、まだ手術をするほどでもないケースとか、患者さんが手術を望まないような場合には、装具の出番。

生物学的製剤という新しい薬の治療が中心になってきて、手術をしなければいけないほど変形を起こさない患者さんが増えてきたので、むしろ装具をうまく使えば、生活をずいぶんと楽に出来るということも少なくない。

手首や足首は、もともと大きな動きは必要としない動作が多い。こういう場所は、外からの固定をすれば、痛みを軽減して力も入りやすくなるので、簡単な着脱可能な装具はけっこう利用価値が高い。

肘と膝は、動いてなんぼの関節です。ですから、単純に固定してしまう装具をつけても、痛みは減っても生活上はむしろ不便になってしまいます。そこで、不安定で不必要な動きができないように、内外に支柱が入っているタイプのものがお勧め。屈伸という一方向の動きだけができるようにするわけです。

肩と股は、なかなか難しい。どうしても、体幹に支えることになってしまうので、かなりおおがかりで邪魔臭いものになってしまうのです。肩の場合は、単純に三角巾(あるいは、ちょっとおしゃれなスリング)を使用して、腕を吊っておくくらいがお勧め。

足の変形は、足の裏に装着する足底板(そくていばん)をきちんと用意すると効果的です。関節の緩みのために、偏平足や外反母趾を呈することが多く、通常は靴の中に入れて使う中敷(インソール)として用意します。

ただし、慣れていない装具業者が作ると、一般的な中敷を作ってしまい、リウマチの患者さんでは逆効果になることもあるので、注意が必要です。

手の指の変形には、あまりいいものはありません。使うと邪魔なだけで、実際に生活の中ではずさないといけないことが多い。そこで、お勧めするのが紙の絆創膏。普通に薬局に売っている、一番安い普通のものがいい。痛みのある関節や、変形している関節に二重になるくらいに巻きます。

そのまま濡れてもいいし、どうしても動かしたければ曲げることができます。ただし、きつく巻くと血行を悪くするので、あくまでたるんでもいいから、貼るような感覚でそっと巻くことが重要です。

リウマチ医は、どうしても薬物治療に重点を置き勝ちですが、こういう物理的な治療方法というのも、時と場合によっては大変効果的なので、忘れてはいけないものです。

2014年6月25日水曜日

奇跡を信じて・・・

2014年サッカー・ワールド・カップ・・・グループ・リーグも終盤、今朝は日本の最後の試合でした。

相手はすでにグループ・リーグ突破を決めているコロンビア。日本は、負け、引き分けときて、自力突破は消滅。もう崖っぷちで、しかも完全アウェイに近い、コロンビアの圧倒的なサポータに囲まれての試合でした。

結果はすでに、興味のある方はご存知のことですが・・・

前回のワールド・カップが終わって、4年間、選手たちは一つ一つ力を積み上げて、予選を突破。実力を出し切れば、決勝リーグは可能と言われていました。

個々の選手たちの実力は、日韓ワールドカップのあと、国際的にも評価されるようになりました。しかし、今のチームになって、最初からよく言われていたのが「決定力不足」ということ。

今大会で、残念だったのは、まさにその「決定力不足」を克服できていなかったということなのかもしれません。決定力不足というのは、言い換えると積極性と正確性ということでしょうか。

積極的と正確性は相反するものなのかもしれませんが、おそらく強いチームは両方を兼ね備えているはずです。サッカー素人の自分が言うのもなんでが・・・

少なくとも選手の口から「奇跡を信じる」という言葉が出た時点で終わった感があります。奇跡は基本的に起きないから奇跡なんであって、自ら勝利を掴み取るのとは違う。

前回の南アフリカ大会では、PK戦のなってひざまずいて祈るしかなかった日本、その前のドイツ大会では、ピッチに大の字になった中田。最後は、良くも悪くもとても印象的な幕切れでした。

そこには、出場してきた選手たちの4年間の思いが詰まっているということなんでしょう。やれることはやりきったからこそのシーン・・・さて、今回の選手たちはどうだったんでしょうか。

2014年6月24日火曜日

洗礼者ヨハネの祝日

三位一体後は無風状態と書いておいて、いきなりなんですが、今日は洗礼者ヨハネの誕生日で、キリスト教としては重要な記念日の一つになっています。

聖書の記述から、ヨハネさんはイエスより半年早く生まれたとされているので、毎年6月24日が記念日として固定されています。ヨハネさんは、イエスの遠い親戚にあたり、イエスに洗礼を与え、イエスはヨハネにならって布教活動をしたらしいです。ですから、イエスの先駆者として、重視されるというわけです。

しかし、ヨハネさんは領主の結婚に異を唱えたことから、首をはねられて処刑されるという気の毒な最後でした。このあたりの話を、題材にした有名な話がオスカー・ワイルドの「サロメ」で、R.シュトラウスがオペラ化しているので、クラシックの世界でも知られています。

自分が最も尊敬する歴史上の人物である、レオナルド・ダ・ヴィンチの最晩年の作品とされているのが、まさに洗礼者ヨハネを描いたもので、ルーブル美術館に所蔵されています。ダ・ヴィンチ自身が、最後まで手放さなかった作品の一つです。

この特別な祝日のために、バッハは毎週のものとは別に3曲のカンタータを残しています。
1723 BWV167 もろびとよ、神の愛を讃えまつれ
1724 BWV   7 われらの主キリスト、ヨルダンの川に来たり
1738 BWV 30  喜べ、贖われし群よ

バッハもさすがに忙しくて、めまいを感じていたんじゃないでしょぅか。毎週新曲を用意していた1723、1724年のものは構成も簡単で、伴奏も比較的簡素。後年、もっとしっかりとしたものを残さなきゃと思ったのか、1738年のものは30分以上かかる大作です。

BWV30は、カンタータとしては最も典型的な構成で、合唱からはじまり合唱で終わる。ど真ん中にコラール。その前後はレシタティーボとアリアが複数はさまるというもの。バッハはこういう、幾何的に整合性のある構造が好きだったらしい。

2014年6月23日月曜日

リウマチで手術が必要なのは

再三書いてきたことですが、例えばノーベル賞の山中教授のiPS細胞が、実臨床の中で治療に簡単に応用されるようになるのは、ジャンルによっては5年程度先の話でしょう。

軟骨の再生という点に限った場合は、内臓などの再生に比べれば早いでしょうが、それでも少なくとも10年以上は必要なのではないでしょうか。口から某健康食品を食べて、何とかなるならiPS細胞にノーベル賞の価値はありません。

リウマチという病気では、薬物治療が急速に進歩したおかげで、以前のような関節の変形を来たして、日常生活に重大な支障を伴う患者さんは激減しました。それでも、それ以前に発症した患者さんや、どうしても薬の効果が出にくい患者さんが存在することは忘れてはいけません。

そういう患者さんの関節内では、関節を包んでいる袋(関節包)の内側の表面を覆っている滑膜に対してアレルギーを起こしてしまい炎症が生じています。この滑膜炎から、骨を溶かしていく酵素などが出てくるために、骨が崩れて変形につながるわけです。

最初に痛むのは、関節内の骨の表面にある軟骨。加齢性の変化でも、軟骨は磨り減っていくわけですが、リウマチの患者さんでは、発症して数ヶ月程度で、レントゲンで骨と骨の隙間の幅が減って見えることがあります。これは、レントゲンには写らない軟骨が無くなってきた事を示しているのです。

これらの変化は、残念ながら今の治療学では回復させることはできません。できるだけ骨破壊の抑制効果が証明されている最新の薬物治療を行うか、ある程度の変形が出てしまうと手術の適応を考えることになります。

以前に比べて、手術が必要な患者さんは少なくなったものの、現在でもまったく無しというわけにはいきません。初期であれば、滑膜炎を除去する方法が有効で、痛みの軽減と変形の進行抑制が期待できます。

しかし、滑膜切除は大掃除のようなもので、リウマチそのものがおちつかなければ、また「ゴミ」は溜まってしまうのです。また滑膜炎組織が、クッションの働きをしている場合もあって、無くなると直接関節内で痛んだ骨同士が接触して痛みを出したり、腫れていた関節がしぼむ事で、関節がぐらぐらする不安定な状態になったりすることもあります。

いずれにしても、骨破壊が進んだ場合には、痛んだ関節を動かないようにする関節固定術か、あるいは人工関節置換術の適応を考慮することになります。

例えば膝の関節は動かないと、痛みが取れても生活での不便は大きいので、できるだけ動きを確保できる人工関節が勧められます。

足首の場合は、大きく動かす必要はあまり無いため、成績が安定していない人工関節よりも関節固定術の方が、確実な成果が得られやすい。

手術によって得られる除痛と機能回復の効果は、実は相反する場合が多いため、医師も患者さんが何を一番困っているのかをよく考えないといけません。ただし、手の指の場合は、さらに問題が大きくなります。

患者さんが手術によって求めるものとして、さらに外見的な変形の修正というものが加わってくるからです。いつも目に入りやすい部位ですから、社会生活をする上で変形は精神的にも重荷になってしまうことがあるのです。

見た目をよくするだけでいいのなら、すべての変形した関節を、一番普通の角度で固定してしまうのが簡単です。ところが、見た目はよくても、動かない指では、機能的には大問題になります。

そこで、指の機能を考える上で、大事なのはそれぞれの指の働きを理解しておくことになります。通常人差し指と中指は、親指と合わせて「つまむ」動作をします。この場合、指の関節が大きく動く必要は少ない。薬指と小指は、「握る」動作をするので、関節の可動域はたくさんないと困るのです。

ですから、人差し指と中指は関節固定をしても、比較的機能的な損失は少ないかもしれません。ところが、薬指や小指は指が細くなるので、人工関節を挿入しずらいという問題もあるのです。

親指は、どんな場合でも力が加わりやすく、しっかりと把持できる安定性と同時に他の指に合わせられる立体的な動きが必要です。いずれにしても、手術をするにあたって考えておかないことは大変多く、手術も個々の医師の技量が大きく関与することになります。

以前に比べて、これらの手術が必要な患者さんは減った・・・ということは、実はそういう手術を経験して医師が専門性を高める機会が減ったともいえるのです。

生物学的製剤というのは、以前の薬に比べると「魔法の薬」のように効果があるのですが、生物学製剤が当たり前の若いリウマチ医は、苦労していろいろな内服薬を使う経験をしていないかもしれません。

とにかく、患者さんも大変だと思いますが、医者も大変。外科系のリウマチ医としては、薬の治療の限界をきちんと判断して、もしも手術が必要な場合には、ちゃんとした専門医がいる病院を紹介することも大事な仕事です。

2014年6月22日日曜日

三位一体節後第1主日

さぁ、ここから11月までは、キリスト教の教会暦では、無風に近い半年間。ひたすら三位一体節後第×主日というのが続きます。今年は×は23まで続くはずで、バッハがライプチィヒに着任して、理想の教会音楽を作り出すのはこの時期から。バッハのカンタータ年巻のスタートです。

バッハの教会カンタータもこの間は、比較的地味なものが多くなるようです。以前の作曲のパロディだけでなく、後年この間のカンタータは、再利用されるケースが比較的多いので、このあたりを楽しめると上級者でしょうか。

新米カンタータ聴きとしては、もう一度ばたばたと聴いてきたものを聴きなおしたり、特に受難曲などの大作を再確認するのに都合がいい。また、バッハ以外の作曲家のものもよく聴いてみたいと思います。

さて、この日のためのカンタータとしては、3曲あります。
1723 BWV 75 乏しき者は食らいて
1724 BWV 20 おお 永遠、そは雷のことば
1726 BWV 39 飢えたる者に汝のパンを分ち与えよ

BWV75が、バッハがライプチィヒのトーマスカントルに就任して、最初の新作カンタータです。さすがに、プレイボール後の初級を一番バターがホームランを狙っているみたいなところで、30分ほどの長めの作品で、構成も凝っている。

前半7曲をコラールで〆て、後半7曲はシンフォニアから始まります。それぞれの間は、レシタティーボとアリアが交互に出てきて、アリアは4声すべて出てくるもまさにオールスターキャスト状態。

もともとバッハは、まだそれほど有名ではなかったらしく、新任カントールの腕前をさぐりにきたライプチィヒ市民は、きっと安心して、帰ってからも今度のカントールはなかなかやるわいと盛り上がったんでしょうね。

ガーディナー先生のカンタータ・シリーズでは、これがVOL.1です。最初、なんで教会暦に沿ってクリスマスからスタートした連続演奏会の記録なのに、こんなところからスタートするのかなと思っていたのですが、カンタータ年巻に沿ってリリースしたということに、今(!!)気がつきました。

2014年6月21日土曜日

ドロー

昨日はサッカー・ワールド・カップ、グループ・リーグで日本の第2戦。結果は、もう誰でもご存知のことと思いますが、0対0で引き分け。

前半に相手のギリシャの選手がイエローカード2枚目で退場、日本有利に見えた試合でしたが、この時点で勝利を捨てて防御に徹したギリシャは難攻不落という・・・日本にとっては、残念な結果。

前回に比べて、選手たちの足の動きもよかったように見えましたので、何とか25日の残るコロンビア戦に望みを託したいものです。コロンビアは一抜けしているので、この試合では、主力は休ませて、カードを貰わないように安全に・・・なんて、無理だろうな。

試合開始が日本時間で午前7時、つまり起床して仕事や学校に行く支度をする時間帯で、それぞれの目的地につく頃に終了という、何ともビミョーなところでした。

昔と違って、ワンセグ付きの携帯や、車のナビなどが普及して、通勤・通学途中でも、テレビを見ることが簡単にできるようになりましたが、それでもどこかで落着いて応援するのに比べて、だいぶ盛り上がりにくい。

それでも、クリニックから駅前を見てみると、いつもより明らかに人通りは少ない感じ。開業当時、日中でもクリニック周囲に人通りがあまり無かった頃を思い出しました。

ガンバレ、ニッポン。

2014年6月20日金曜日

アナと雪の女王 (2014)

言わずと知れたティズニー・アニメです。今年前半、映画だけでなく、メディア・ミックスでメガ・ヒットとなっり、もう関連の賞はおそらく独り占め間違いなし。

・・・なんですが、実は見ていない。見ていないのに話題にするというも、どうかと言われそうなんですが。もう、これだけテレビでも話題にするものですから、半分見た気になってしまいました。

もちろん、ストーリーもわからないわけで、アナがなんなのか、女王が誰なのか、聞かれても答えられません。ただし、それはこれだけに限った事ではありません。

ディズニー・アニメというと、そもそも現役で見たことがあるのは、「101匹わんちゃん」の頃。おそらくリバイバル上映で、古いものとしては「ファンタジア」、「バンビ」、「眠りの森の美女」くらいを見たようなきがします。

でも、こどもの頃はどちらかというとディズニーのファンタジーは女の子向きで、東映マンガ祭りとか、怪獣物の映画に行った方が多かった。

次にディズニー物を見るようになったのは、自分のこどもが小さかったとき。「リトル・マーメイド」、「美女と野獣」、「ライオン・キング」、「アラジン」の一連のヒットが続いた時期。

その後一時低迷していたように思いますが、21世紀になってCGも使ってヒットを連発するようになったことは知っていますが、一つも見ていない。

♪ Let it go !! のメロディは、嫌が応にも耳に入ってきますし、何しろ日本語版で歌っているのが、お気に入りの松たか子さんですからなおさらのこと。

とにかく、親子で安心して観る事ができる良質のアニメであることは、間違いないのでしょう。


2014年6月19日木曜日

20.8

Adios Espana
チリのサポータが掲げるプラカードがすべてを語っていました。王者スペインのグループリーグ敗退が、決定です。最初の大番狂わせですが、どうしたスペイン、まったくいいところがなかったぞ!!

さてさて、気温が低いと、アイドリングでエンジンが多めに動いてしまいますが、この季節はあまりそういう無駄がでにくいのが、車の燃費には好都合。

5月の頭に、早朝に思い切りゆっくり走って初めて20km/Lを越える燃費を出した、うちのプリウスα君なんですが、その後はジリ貧で、次の給油の時点では18km/Lで落着きました。

トヨタのハイブリッド・エンジンの場合は、まず加速して、早めに巡航速度に乗せたら、あとはアクセルを話してモーターを少しずつ回すように走るのがいいと思っていたのですが、どうも間違いのようです。なんだ、今さらそそんなことを言って、と笑われてしまいそうですが・・・

やはり発進時のローギアでのガソリン消費は、燃費を良くするためには最大の注意点であることはかわりがない・・・ということに気がついた。当たり前ジャン、とさらに失笑が聞こえてくる。

そこで、走り方を徹底的に変えてみました。まずスタートは、出来るだけモーターのみ、あるいはエンジンでも、コンソールの右のパワー・ゲージが半分以上に上がらないように極力おさえます。そうすると、速度は20~30km/h。

昔は、この位のゆっくり発進はひんしゅくものでしたが、震災以後、燃料の節約意識も高まって、この程度は普通になってきました。40km/Lくらいになるのに数十秒かかるのですが、これがかなり燃費には効果的。

下り坂は、アクセルは離して、徹底的に充電します。信号で止まりそうな場合も、早めにアクセルはオフ。ただし、スピードが足りないときは、周りに迷惑をかけてはいけないので、エンジンがゲージの半分くらいであれば、気にせずアクセルを踏む。

追加でつけているタコメーターを見ていると、ゲージの半分くらいだと、エンジン回転数は1500bps程度であることが多い。高速道路では、一番左を80km/hでクルーズ・コントロールをセット。この場合は、エンジンは少ないと1000bpsを切る事もしばしば。

そんな走り方をすると、制限速度の±10km/hの範囲で市街走行が可能で、他車にも迷惑をかけません。物陰に隠れているネズミ捕りに遭遇しても、まったく問題なしです(^o^:)

でもって、その結果がこれ。平均燃費は20.8km/Lの最高記録を更新。485km走っているので、使用したガソリンは23.3L。ガソリンのゲージは半分ですから、満タンで1000kmは無理としても、900km近くは確実という感じです。

今回の給油後、そんな走り方を徹底的にしてみたわけですが、じわじわと燃費記録が良くなってきたものの、さすがにそろそろ動きがとまってきた。気温も上がってきて、そろそろエアコンも使いたくなってますから、夢の21km/L台はさすがに厳しいかな。

2014年6月18日水曜日

骨粗鬆症勉強会

サッカー・ワールド・カップは、グループ・リーグが一巡。だいたいは順当な結果だと思いますが、スペイン、ポルトガルの大敗には驚きました。強さが目立ったのは、ブラジル、オランダ、ドイツあたりでしょうか。

初戦を落としたチームは、日本を含めて次は落とせませんから、とにかくせっかく毎日眠い思いをしてみている日本のファンとしてはがんばってもらいたいところ。

昨夜は、骨粗鬆症についての講演会に出席して勉強してきました。

日頃、関節リウマチくらい21世紀に飛躍的な診療の進歩を遂げた病気はなかなかないと言っています。実際のところ、いろいろな病気の治療は、21世紀の分子生物学的な手法の導入によりずいぶんと様変わりしているのです。

骨粗鬆症についても、診断学の分野では、いろいろな骨代謝のマーカーと呼ばれるものが測定できるようになり、より客観的な評価が可能になりました。そして、治療についても守りの治療から、攻めの治療に変化したと言えます。

漫然と、効くか効かないのかわからないような薬を飲んでもらっていた時代は終わったと言う事もできるかもしれません。積極的に骨形成を促進する薬が登場したことで、骨粗鬆症も新時代を迎えているのです。

日本は超高齢化社会に突入しており、骨の脆弱化により高齢者が骨折することは、直接的な「寝たきり」の原因になります。一度骨折を起こした人は、さらに別の骨折を起こす確立を高めていることも立証されているのです。

骨粗鬆症を予防して、様々な問題への進展をブロックすることは、どんどん増え続ける医療費の抑制という面でも必要な事で、整形外科の学会で行っている「ロコモティブ症候群」と呼んでいる状態のキャンペーンも、そういう意味からも大切です。

関節リウマチの患者さんでは、高齢者でなくても、関節の障害から運動量が少なく、骨の脆弱化を来たす場合があります。さらに、治療のためにステロイド剤を使用している場合は、なおさら骨粗鬆症のリスクを高めてしまいます。

昨夜の講演でも、ステロイド性骨粗鬆症に対しての新しい治療のガイドラインの解説があり、以前と比べて、新しい薬を積極的に導入して、体系的な骨粗鬆症の対策が紹介されました。

ただし、問題は治療にかかる費用かもしれません。生物学的製剤の導入により、リウマチそのものにかかる医療費が増えている中、骨形成を促進する新薬もかなりの高額です。

医療経済学という観点からは、それらの高額な医薬品を使わないほうが、長期的には結局医療費の増大や、労働できないことによる社会的な損失が大きくなり、マイナスであると考えられます。

ところが、高額療養費制度(一定額以上の個人負担をカットする)の適応条件はどんどん厳しくなり、高額な医療費は、それぞれの個人に負担してもらうという形がますます強まっています。

こういうところでも、日本の社会保障制度の矛盾の一端が垣間見えるわけで、医者の立場からはなかなか簡単にはいかない問題だったりするのです。70歳くらいで寿命と言われていた頃の方が、そういう点では気楽だったのかもしれませんね。

2014年6月17日火曜日

求人

日本人は切り替えが早いようで、日曜日のワールド・カップの敗戦がありましたが、直後から元気一杯で、次のギリシャ戦に向けて気持ちを盛り上げているようです。

さて、今日は求人の話。

クリニックをやっていると、税務と労務という、医学部では絶対に教えてくれない実務がついてきます。なにしろ院長は、その全責任があるわけですから、円滑に業務を遂行するために、最も不得意なこれらの仕事もこなさないといけない。

自分の父親は内科開業医でしたが、診療所スペースは10坪程度の小さなクリニックでした。月に一度、保険請求の書類を作るときだけ、知り合いの税理士さんがきて、手伝ってくれる程度。スタッフはいなくて、普段の診療は父一人でこなしていました。


しかし、いまどきの税務については、今の複雑すぎる会計処理は、もう素人が立ち入るものじゃありません。どこのクリニックでも、税理士さんにお願いしているのが普通。うちでも、開院以来、ずっと同じ事務所にお願いして、一切合財丸投げ状態です。

またうちのようなクリニックでは、自分ひとりでというのは、まったく不可能な話。スタッフをそれなりに雇い入れないと、とてもまわるものではありません。そうすると労務がついてくることになる。

労務については、丸投げというわけにはいかない。スタッフへの給与計算とか明細書作成などは、税務とからむところなので、税理士さんにやってもらえますが、一番問題なのが求人。

弱小クリニックですから、常勤スタッフで固めるというわけにはいかないところ。どうしても、パートのスタッフが多くなる。幸い、元気に働いてもらえるスタッフが増えましが、比較的1~2年に一度は、どうしても入れ替えの必要に迫られるので、求人をしなくてはいけなくなるのです。


求人のためのメディアはいろいろあるのですが、何が一番いいのかよくわかりません。何となく有名だろうと思うものを使うしかないのですが、最初の頃はTOWN WORKを利用しました。ところが、地域のクリニックとしては大手過ぎなのか、かなり遠くからの応募が多くて困ってしまいました。

そこで、最近はずっとAIDEMに募集をだすようにしています。基本は日曜日の新聞の折込、そしてネット上へのダブル掲載というスタイル。比較的地域を絞り込みやすいので、応募してくれる方も近くの方が多くなります。

そして、最大の問題が面接。これが、いまだに慣れない。人を選ぶというのは本当に難しい。面接して、その人がクリニックに合うか合わないかを見極めるなんて、とうてい神様でないとわからない。少なくとも、買い手市場ではありませんので、面接する側も嫌な印象を与えないように気を使います。

そんなわけで、小心者の院長としては、またぞろ面接のストレスを覚悟して求人広告を出す事になるのでした。

2014年6月16日月曜日

2分間

あ~、残念。

日本のサッカー、ワールド・カップ初戦は、1:2でコート・ジボワールに敗戦でした。

昨日も朝早くに起きて、早朝の好カード、イタリア対イングランドを見ました。やっぱり、イタリアは強かった。日本が決勝リーグに進めば、このグループと対戦するみとになりますが、まずはグループ・リーグを突破しないとね。

今回のブラジル大会で、日本の初戦は唯一の現地時間午後10時のキックオフ。これは、日本のスポンサーの力なんでしょうか。選手にしてみれば大変だとは思いますが、日本では観戦しやすい時間です。

前半、本田のゴールは見事でした。思わず、イェ~イという感じでした。しかし、全体を通して、試合は重くるしい感じ。気温はそれほどではなかったようですが、土砂降りの雨と湿度の高さが選手のスタミナに大きく影響したのかもしれません。

選手の足は重たそうで、動いていないのは明らか。しばしば、ボールを奪われてしまう。体格の差もあり、日本のほうがより足が動かず、攻撃の起点がなかなか掴めない感じでした。


後半、相手チームのエース、ドログバが登場して、2分後に右サイドからゴールを奪われ、さらにその2分後にほとんど同じパターンで逆転を許して敗戦しました。

悪夢のような2分間でした・・・

さて、終わった事は忘れてはいけませんが、次があるんですから、気持ちを切り替えて行きましょう。まだチャンスが無くなったわけではありません。次は20日のギリシャ戦。決勝に進んだ場合の宿を確保していないギリシャには、負けるわけにはいきません。

ニッポン、! !、ニッポン、! !、がんばれ!!

2014年6月15日日曜日

三位一体主日 ~ 父の日

三位一体・・・というと、なんか日本の政治で使われるようになったせいか、ずいぶんと俗っぽい言葉だなぁと。もちろん、日本の政治家が勝手に使っただけですから、キリスト教には責任はない。

三位一体は、キリスト教の宗派によらず、共通の考え方で、「父(もともとの神)」と「子(キリスト)」と「聖霊」が一体となって、唯一の神として存在しているというものらしい。

すべての人は聖霊を通してキリストと結ばれ、そしてキリストを通して「神」の救いを得られるということなんでしょうか。非キリスト教者の理解はそこまでです。

古代ギリシャとか、古代日本というのは多神教の考え方ですが、キリスト教はここで一神教であることを明言しているんでしょうかね。ただ、イスラム教のようにアラーの神以外は一切認めないというほど、きつくはない。

もちろん、神といえるのは他には存在しませんが、例えばマリア信仰のような、神に準じるような信仰の対象は認められているものがあったりして、この緩さが人気が高まった理由の一つであり、おそらくいろいろな問題を内包する要因にもなっているのかもしれません。

まぁ、難しい宗教論はよくわかりませんので横に置いておいて、キリスト教の教会暦では、春から始まった2ヶ月間にわたるキリストの受難、復活、昇天、聖霊降臨という大イベントが終了し、ここからいくつかの記念日はあるものの、キリスト生誕まで無風の半年間に入ります。

あらためて言うのもなんですが、音楽を聴くのに、こんなにいろいろなことを知っておきたいと思う事は今までありませんでした。そこが、バッハのカンタータの魅力であり、深入りすると大変なところなんでしょうね。

バッハがこの日のために用意したカンタータは4つあります。
BWV 165 おお 聖なる霊と水の洗礼よ
BWV 194 こよなく待ちこがれし喜びの祝い
BWV 176 傲りかつ臆するは
BWV 129 主を頌めまつれ
BWV165だけワイマール時代のもので、あとはライプツィヒでのカンタータ年巻に含まれますが、BWV129だけは、使用目的が確定はしていません。


BWV194、176、129などは、最初と最後に合唱、特に最後はのはコラールで、間にレチタティーボとアリアが挟まって比較的典型的な構成でしょうか。165だけはいわゆるソロカンタータ(独唱からはじまるもの)で、アリア→レチタティーボを繰り返し、〆はコラールの合唱。長くても20分で、いずれも短いものが多い。

ただし194はガーディナー先生は、2部構成の1部のみを収録しています。最初は教会のオルガン落成記念用で、もともとケーテン時代の世俗カンタータの使いまわし。あとで三位一体節でも演奏されるようになったそうで、たいていの録音では2部まで40分の演奏です。

曲調は明るめで、あまり重々しさはありません。伴奏も簡素で、それほど楽器が活躍する部分はありません。聖霊降臨祭までが忙しくて、さすがのバッハも手を抜いた(?)わけでもないでしょうが、お疲れがピークの時期かもしれませんね。

今の世でも、4月からがんばって来たお父さんたちに疲れが出始める頃・・・なんでしょうか。今日は父の日ということになっていて、ひたすらサッカー見ながら休養するのがよろしいようで。

2014年6月14日土曜日

TOMATO

今、何かと話題になっている・・・あまり名誉な話ではなさそうですが・・・東京女子医科大学の近くに、ちょい前に新しいスーパーができました。

もともとゴルフ練習場だったところなんですが、都内のマーケットとしては比較的安いんじゃないでしょうか。売り場も広いし、悪くないと思います。

前から気になっていたのが、トマト・バイキングというコーナー。まぁ、びっくりするくらい、色とりどりのミニトマトが並んでいて楽しそうです。

というわけで、買ってみました。何しろ種類がありすぎて、いちいち名前は覚えていられませんが、8種類くらいはあるんじゃないでしょうか。

見た目にも美しいのですが、大事なのは味のほう。これも悪くはないです。どれも口の中に甘味が残る。お皿に乗せて、どーんっとテーブルに出しておくだけで、立派な一品になりました。

・・・それにしても、早朝からスペイン対オランダ、前半は1:1の同点で折り返しましたが、後半のオランダの怒涛の攻撃はすごかった。無敵艦隊スペイン沈没して、終わってみれば5:1の大差。どうなる、スペイン!!

2014年6月13日金曜日

FIFA World Cup 2014

4年に一度、いまやオリンピックも凌ぐ勢いで世界的に人気が高まったサッカー・ワールドカップ2014が開幕しました。今回はブラジル。サッカー王国だけに、サッカー好きには気分は上げ上げです。

まだ、いろいろな設備が未完成とか、治安が悪いとか、そもそも開催に反対の国民が多くて暴動が起きそうとか、いろんな不安を煽るようなことが言われています。

でも、少なくとも始まってしまえば、サッカー大好きなラテンの国民性ですから、とにかく盛り上がるだろうと思いますよ。

ただ、日本としては困ったのが、ブラジルの場所。何しろ地球の反対側。こっちの朝はあっちの夜、あっちの朝はこっちの夜。

試合が行われるのは、基本的には日本の夜中の時間帯が多くなる。日本のグループリーグの日程は、日本時間で15日(日)午前10時から対コートジボワール、20日(金)午前7時から対ギリシャ、そして25日(水)午前5時から対コロンビアということになっています。

これでも、相当日本のスポンサーの力が働いている時間組みなんでしょぅね。こっちで午前10時、つまり現地で午後10時キッフオフなんてのは、この1試合だけです。ほとんどは現地時間で午後1時から午後7時までのスタートです。

開幕戦は開催国ブラジルとクロアチアの戦い。やっぱりネイマールは強い、ブラジルの攻撃力は凄かった。とにかく、眠くてしょうがない1ヶ月間の始まりです。

2014年6月12日木曜日

石榴

石榴は、どうも推理小説ばかり読んでいると、あまりいいイメージがない。

なんか、スプラッタなイメージがつきまとう「石榴をわったような」という表現がすぐに思い出されます。確かに、身が割れてぶつぶつした実が見えているところは、まさにそんな感じ。

こどもの時に、すぐ近所に石榴の木があって、しばしば道に実が落ちて、ぱっくり割れた光景をよく目にしていました。基本的な石榴のイメージは、その時に刷り込まれたんでしょうね。

今も近所に石榴の木が植えてあって、まぁ道に実が落ちたりはしないので安心。花は濃い目の鮮やかな橙色で、しっかりとした感じがする、けっこう存在感があります。

花だけ見ている分にはいいんですけどね・・・


2014年6月11日水曜日

バッハの音楽隊

実際のところ、300年近く前にライプチィヒの聖トーマス教会のカントルの職にあったヨハン・セバスチャン・バッハの手兵といえる、合唱隊と楽団はどんなものだったのか。実に興味深いですよね。タイムマシンがあったら、是非バッハが指揮をしてカンタータを演奏しているところを見てみたいものです。

1730年にバッハ自身が、自分の理想とする音楽を教会で奏でるための要望書をライプチィヒ市に提出しています。この中に、具体的な音楽隊の内容が記されているのが参考になります。

声楽パートは、ソプラノ、アルト、テノール、バスの4声。それぞれに独唱者と合唱者が必要で、独唱者は合唱者も兼ねるとしています。最低それぞれの声部の一人ずつの4人の独唱者でいいわけですが、時には最大で二人ずつ必要になることがあると書いています。

合唱者は各声部に二人ずつが必要で、独唱者と合わせると合唱隊は最低で12名、最大で16名になるわけです。このメンバーは、聖トーマス教会付属の学校の寄宿舎の生徒たちにより構成されました。約60人いる生徒をレギュラーチームAとB、そしてやや予備的なCチーム、あまり使い物にならないDチームの4つにグループ分けしていました。

リフキンという人が90年代に''One Voice Per Part(OVPP)''という考え方を提唱し、これは各声部一人ずつというもので、バッハの時代はこうだったと主張しました。アンドリュー・パロットなども賛同して、それを実践し、時には楽器奏者すらそれぞれの楽器について一人というものまで登場しました。

基本的にバッハの実際の合唱隊は、12~16人であったことがわかっているわけですから、OVPPの根拠というのがはっきりしないわけで、あまりこれを支持する古楽器アンサンブルは多くはありません。ただし、ものによっては人数が少ないことで、風通しの良い清涼感のある演奏になり、それはそれでよしとするみたいなところてしょうか。

楽団は、オルガンについては教会の常任奏者があたり、市の任命するプロ楽師は10名に満たない状況でした。バッハは、理想としては各楽器に2名程度で最低でも20人程度の楽団が必要としています。実際には不足していて、重要な祝日などでは、寄宿舎の生徒の一部が楽器の演奏にも回っていたようです。

ですから、バッハは音楽的素養のある生徒の数が足りないことを訴え、学校が音楽的感性の不足する学生を受け入れすぎているとまで言わせています。おそらく、寄宿舎の生徒よりも数の多い通学組の生徒たちの中からも、ある程度の人数は使っていた可能性はあります。

現実的にはプロの楽器奏者は10人足らずで、もちろん曲によっては他の楽器も演奏したことでしょう。楽器奏者が足りないからといって、有能な合唱メンバーをいつでも回すわけにも行かないというジレンマがカントルにはありました。

そこで、市中から楽器演奏ができる何人かを、必要なときには身銭を切って臨時に雇うということもあったはずです。それで最低でも15人程度の楽団は使えるようにしていたのでしょうから、合唱隊と楽団を合わせて30人程度がステージの上で毎週カンタータを演奏していたと考えるのが妥当のようです。

現代のトーマスカントルの職にあるのはクリストフ・ビラーで、彼は現代のトーマス学校の合唱隊を用いたカンタータの演奏を行い、CDも主要なイベント用のものを集めて10枚ほどだしています。ここでの演奏は、実際にバッハが演奏していた音に近いもの、特に合唱について聴くことができます。

何しろ、合唱隊は全員男性。ソプラノはボーイソプラノ、アルトもカンウターテナーにより歌われるというのは、まさに300年前と同じ状況。当然、女性のプロの歌い手に比べて、どうしても非力になるのはしょうがない。しかし、透き通るような、癖の無いボーイソプラノの響きや、合唱の軽やかさは、なかなか新鮮なものです。

アーノンクール&レオンハルトの全集では、アーノンクールが少年合唱団を起用しているそうですが、バッハの本家、聖トーマス教会の合唱団のアルバムは、それだけで格別の思いがあります。

毎週、日曜日の朝に教会に集う善男善女、老若男女、紳士淑女が、じっと聞き耳をたてて、そしてコラールが出てくると一緒に歌うものもいるという光景が、眼前に広がってくる気がします。

2014年6月10日火曜日

聖霊降臨節第三日

祝日も最終日のWhit Tuesdayとなりました。ただし、聖霊降臨節として次の日曜日までは、丸々お祭りが続くようです。

バッハが用意したこの日のためのカンタータは2曲。年巻の1724年と1725年の分として作られました。
BWV 184 待ちこがれし喜びの光
BWV 175 彼は己の羊の名を呼びて

BWV184は、珍しくアリアや二重唱が中心で、合唱は最後の方だけ。フルートの伴奏でデュエットがあったり、いつもと違った味わいがあります。元々はケーテン時代の失われた世俗カンタータからの流用らしい。

BWV175も、合唱は最後にしかない。前半はリコーダー中心の素朴な伴奏で、羊(自分)と羊飼い(キリスト)の関係を切々と歌い上げます。

バッハのカンタータの特徴は・・・って、なかなか素人には難しいのですが、基本は歌唱を始まりから終わりまでを対称に配置したところらしい。つまり合唱→アリア(ソロ)→合唱→アリア(ソロ)→合唱みたいな構成。

基本的にはソプラノ、アルト、テノール、バスの4声。歌詞が「私」のときはソロ、「我々」の場合は合唱。そしてコラールがたいてい含まれる。コラールはプロテスタントが皆で歌うことを目的にした賛美歌で、マルティン・ルター自身も積極的に曲を作っています。

バッハは過去の作品のパロディと皆が知っているコラールを、新たに作るカンタータの中に自由自在に配置して、礼拝に参加した人々も音楽に参加しやすくすることを第一に考えていたんでしょうね。

キリスト教、特にプロテスタントに詳しい人だったら、このコラールの取り込み方を研究するという、さらに高度なカンタータの楽しみ方があるわけです。自分のようななんちゃって仏教徒には、到底高嶺の花ですけどね。

いずれにしても、あくまでどういう内容を歌うかが問題になるカンタータでは、その歌詞が重要ということで、適切な歌詞が手に入らないことには、大バッハといえどそうそう曲作りにかかることはできません。

ライプツィヒより前は、カンタータ作曲のペースはゆっくりですから、あまり心配はなかったのですが、ライプツィヒで毎週作ろうと思い立つと、歌詞の入手にはかなりの困難がつきまとったというのは容易に想像できるところです。

最初の2年間くらいは、少なくとも、聖トーマス教会関係者、ライプツィヒ市関係者、ライプツィヒ在住詩人などが、聖書の内容に準拠しながら、作詞をしたであろうと考えられています。

さらに2年目からは、コラールが意識的に取り込まれる作品が集中してきますが、この間は一連の作品を続けて作詞した人物の存在が想像されています。そして1975年の2年目の年巻の最後、復活祭後から聖霊降臨祭までには続けて女流詩人ツィーグラーが登場します。

ツィーグラーは9つのカンタータで作詞をしていて、 BWV175も彼女の作詞によるもの。しかし、歌うために詩の一部を変更するバッハとの間で、いろいろ問題があった可能性が指摘されています。以後、バッハはピカンダーという詩人を多用します。

マタイ受難曲のような大曲でもピカンダーが登場し、バッハの詩人として後世に名を残すことになるわけですが、本名はC.F.ヘンリーツィで、基本的に他人の着想をうまく利用する「模倣の名人」という軽蔑的な評価を受けてきました。

その後も多くのカンタータのための詩を作っていて、バッハが実際に曲をつけたのかもしれないのですが、現存するものの中にはほとんど残っていません。

宗教曲は、基本は説教をメロディにのせるところから始まったわけですから、優れた歌詞を手に入れるということは作曲家にとっては、ある意味最も重要なところ。カンタータを書き続けるバッハにとって、詩の入手は最大の悩みだったのかもしれません。

2014年6月9日月曜日

聖霊降臨節第二日

聖霊降臨祭はペンテコステ(pentecost)、昨日の聖霊降臨節第一日はキリスト復活から50日目で、使徒らに聖霊が降臨したことを祝い、キリスト復活の「奇跡の逸話」の集大成をするという意味があります。

第一日は日曜日で、Whit Sunday。今日はWhit Monday、そして明日はWhit Tuesdayという言い方もあります。Whitはwhite(白)のことで、ペンテコステに洗礼を受けることが好まれ、受ける者が白衣をきていたことからきているようです。

それにしても、キリスト教の1年間の中では、最も大事なのはクリスマスなんでしょうけど、四旬節の謹慎が明けて、受難週から聖霊降臨祭に至る約2ヶ月のめまぐるしいイベント数々はすごいものがあります。

たまたま、この時期に突入する前に、軽い気持ちで教会暦に沿ってカンタータを聴いてみようと思い立ちました。1ヶ月くらいの知識の整理の準備期間があったので、なんとかついて行っていますが、スタートがあとちょっと遅かったら、わけがわからなくなるのは必至。

聖霊降臨祭が終わると、クリスマスまでは大きなイベントはほとんどない、波風の立たない半年間があります。ここから始めると、だいぶ余裕があったんですよね。

実は、バッハ自身がライプツィヒに着任して、聖トーマス教会のトーマスカントル(音楽面の責任者)に就任したのが5月のこと。カンタータを毎週作曲することが始まるのが、聖霊降臨祭の後からなんです。

つまり、カンタータ年巻の第一年は、1723年の三位一体後第一主日からスタートするんです。もしもバッハの着任が2ヶ月早かったら、目まぐるしくてとても新曲を用意する暇なんてないでしょう。このような形で、数々の名曲が残されることはなかったかもしれません。


聖霊降臨祭の3日間にそれぞれ3前後、全部で12曲あるので、カンタータだけ聴くにしてもかなり気合がいります。聖霊降臨節第二日のために、バッハが用意したカンタータは3曲あります。
BWV 173 高く挙げられし血肉よ
BWV 68  げに神はかくまで世を愛して
BWV 174 われ いと高き者を心を尽して愛しまつる 

第一日は華やかな曲調のものが多かったのですが、第二日は比較的落ち着いた感じ。明日もあるので、今日はちょっと気持ちを抑えておこうかというところでしょうか。

ただし、BWV174だけは、ちよっと趣が違う。冒頭器楽合奏のシンフォニアから始まりますが、おっと聴いたことがメロディがいきなり出てきました。ブランデンブルグ協奏曲第3番です。第一楽章が原曲で、元々はストリングスだけの演奏のところを金管を加えてパワーアップ。これはなかなか面白い。

なるほど、こういういわゆるパロディと呼ばれる、曲の行ったり来たりが、カンタータの魅力の一つであることがよくわかります。

2014年6月8日日曜日

聖霊降臨節第一日


時は1725年頃のドイツ南部、ライプツィヒの聖トーマス教会で、5月の日曜日の朝。教会の音楽関係をとりしきるトーマスカントルの職にあったJ.S.バッハは、朝から大忙し。

何しろ、今日は聖霊降臨祭の最初の祝日の日曜日で、教会のイベントとしてはクリスマス、イースターに次ぐ大きな記念日。昇天祭が終わるや、もう大慌てで今日のためのカンタータを作曲しまた。

今年のカンタータは「人もしわれを愛せば、わが言を守らん(BWV74)」で、実は去年も同じ「人もしわれを愛せば、わが言を守らん(BWV59)」だったんです。だからって、手を抜いたわけじゃありません。ちゃんと、パワーアップした新曲として作った自信作です。

昔にも、ワイマールで働いていたときに一つ作ったのが、「歌よ、響け(BWV172)」でしたが、まだまだ未熟でしたが、かなり派手目に元気一杯。

この曲は、今年の復活祭でオラトリオとして復活させちゃいました。けっこうバッハのお気に入り。なかなか捨てがたいところ。

実は、20年後にも久々の新曲として、この日のために「おお永遠の火、おお愛の源よ(BWV34)」を作ることになるのでした。

とにかく、家族総出で出来上がった新曲を写譜して演奏者に渡して、何度かリハーサルを行い・・・

昨日、何とか形になったところで今日の本番を迎えたわけです。まぁ、毎週のことですから、さすがにバッハも慣れたもので、むしろ日々の充実した忙しさが生活の糧になっている。

早朝から、それぞれの奏者が楽器を持って集まってきました。教会のいつものステージに上がって、それぞれが音を出して調律をしている。彼らは、ライブツィヒ市から任命された「プロ」ですから、毎週の新しい譜面を見ても慌てることはない。

ただし、今日はいつもよりも大きな礼拝が行われますから、集まった人々の数も多くて、音量的に10人程度では負けてしまいそうです。そこで、こういうときのために、ボランティアのセミプロの奏者が数人補強されて加わっているのです。

慣れていない彼らに的確な演奏をしてもらうのは、けっこう大変な心労で、バッハも朝から彼らの音を入念にチェックしないといけない。譜面の手書きのスラーの位置が微妙に違っていたりして、演奏するほうもどんだけ音を伸ばすのか聞いてくる。

妻のアンナ・マクダレーナの「ご飯ですよ」の声も耳に入らないくらい、教会と音楽学校宿舎と自宅の間をバッハは行ったり来たり。そろそろ、皆が集まってくる頃なので、最後まで気が抜けないわけです。

歌い手は、聖トーマス教会音楽学校の生徒たち。使える学生から、A軍、B軍、マイナーという具合に分けてある。ライプツィヒには聖トーマス教会だけでなく、もう一つ聖ニコライ教会という大きな教会があって、バッハはこの2つの教会で交互にカンタータを演奏しないといけない。

時には、同日に両方で演奏なんてこともあったので、生徒たちも慣れたものですが、それでも大きなイベントの時には緊張はいつもより大きい。夜明け前に起床して、声をおちつかせておかないといけないので、特に1軍の面々は大変です。

ソプラノ、アルト、テノール、バスという声域によって4つのグループに分けられていますが、教会の壇上に上ると、それぞれのパートで3~4人くらいが並べば一杯。大きなイベントではA軍とB軍総出になって、もう満員電車、いや満員馬車状態。

早朝からのリハーサルでしたが、さすがにこの時期寒さはだいぶ遠のいたので、皆の発声も悪くは無い。楽団の方も、あらかたバッハの流儀を飲み込めているので、特に心配はなさそうです。

後は本番を残すのみ。教会の門が開くまで、ちょっと時間があるので、好物のコーヒーを飲んで心を鎮めるトーマスカントルのヨハン・セバスチャン・バッハでありました。

2014年6月7日土曜日

大雨

いや、もう、昨日は大変な雨で、来院する方もずぶ濡れの方が多くて、本当にご苦労様でした。今日も、なかなか止みそうにありません。

豪雨というほどではないにしても、これだけしっかりと雨が降る状態が、長時間続くと言うのも珍しい。山沿いのあたりでは、土砂災害の危険が高まりそうで心配です。

先週からの梅雨入り前とは思えない猛暑からすれば、気温は下がったものの、湿度は急上昇で、じめじめして体力的には消耗を感じるので、すごしにくいのは変わりません。

黒澤明監督の代表作「羅生門」のオープニングで、豪雨の中のシーンから始まりますが、まさにそんな雨。黒澤監督は雨がフィルムに映りやすくするため、墨汁を混ぜたと言うのは有名な話。

テレビのドラマの中の雨というのも、やたらと大袈裟ですが、ホースで放水するとなかなか小雨にはならないので、映画やドラマの中では基本的には天気はいつも大雨。

こういう雨を「土砂降り」と言うんでしょう。土砂降りというと・・・・の雨の中で、私は泣いた、と歌ったのは和田アキ子。この歌、昔ながらの昭和歌謡曲の代表の一つですが、歌詞は失恋した女性の心情を歌っています。

別れを告げられ、土砂降りの雨の中で悲しみにくれて泣いている。続いて、その現実に受け入れられない否定する気持ちと、なんでなの、という怒りの気持ちから、女性が叫ぶ。そして最後に気持ちの整理がついて、前を向いて歩き出す。

なんてわかりやすい歌詞。ですが、端的に失恋を要約していて、よく出来ている。作詞したのは、大日方俊子という人。キンクストーズの代表作「グッド・ナイト・ベイビー」や、野口五郎の一連の作詞もしている人。

こういうストレートでわかりやすい歌というのは、最近は少ないですよね。あっ、また、昭和を懐かしむおじさん臭を振りまいてしまいましたかね。

2014年6月6日金曜日

お濃茶ラングドシャ

なんか、抹茶系のお菓子とかスイーツとか、ブームなんですか。やたらと、緑色のパッケージがお店に並んでいるような気がしてならないんですけど。

 ずいぶん前に、たまたま戴いたお菓子なんですが、京都北山のマールブランシュというお店が出している「茶の菓」というのが、大変美味しかったんです。

またその重箱のような箱に段重ねで包装するパッケージングも素晴らしい。これはなかなか贈答にもってこい、ということで、中元・歳暮に何かと使わせていただいていました。

ところが、お店は関西、中国、北陸にしかない。たまに、デパートの「お取り寄せフェア」みたいな催事があると、入っていることがあるのですが、 こっちではレアなので売り切れ必至。

濃厚なお茶の味でホワイトチョコを挟み込んだ、ラングドシャと呼ばれるお菓子なんですが、あげて嬉しい、貰って嬉しい一品です。

2014年6月5日木曜日

第11回田園都市リウマチフォーラム

というタイトルなんですが、いきなり違う話で恐縮ですけど、「STAP細胞はない」ということで結論が出ましたね。なんとも残念なことです。残念なのは、STAP細胞が無い事ではなく、こういた問題が起こったことであり、他の研究にもいろいろな影響がでるかもしれないということ。

さて、昨日はいつものリウマチの勉強会。自分たちのホームグラウンドの田園都市リウマチフォーラムでした。昨夜の勉強は「iPS細胞を用いた再生医療」について。

講演をしていだいたのは、肝臓のもとになる臓器再生の成果を出した谷口秀樹教授でした。再生医療は今後のリウマチ診療に必ず関わってくる技術として、われわれリウマチ医も大きな期待を寄せています。

世話人の中で是非話をきいてみたいとお願いしたものの、正直言って、内容のハードルが高く戦々恐々としていました・・・が、谷口先生の話は、大変分かりやすく、何となくわかったような気にさせてくれました。

生物は細胞分裂の過程で、いろいろな組織に分化して体を形成していくわけですが、そのスタート地点にある大元の細胞が幹細胞(Stem Cell)と呼ばれます。細胞自身が正確に自分を複製する力をもち、かつさまざまな分化により多機能性も持つという特徴があります。

iPS細胞は、人工的に誘導された分化多機能性と自己複製能力をあわせもつ幹細胞(Induced pulripotent stem cell)のこと。京都大学の山中教授が、すでに分化した体細胞の中から、遺伝子操作技術を用いて人工的に誘導して作成したもの。

もちろん、世界のいろいろな研究者による再現性もあり、日本では10年以上まえから、臨床応用に向けての国家プロジェクトとして基礎研究がスタートしています。谷口先生からも、この分野については日本が世界の中で何歩もリードしているという話がありました。

関節リウマチの根本的な解決は、おそらく遺伝子そのものの治療が必要でしょうが、出てきた病気による事象としては、滑膜炎による関節の変化が重要。骨は今でも骨移植などの技術があり、比較的再建しやすい。

ところが、軟骨の再生はほぼお手上げ状態。整形外科分野の基礎研究は、ほぼ軟骨と神経の再生に尽きるといえるくらい、数々の研究が行われてきましたが、何十年とたっていますが今だに不可能です。口から健康食品を摂取したくらいで、何とかなるはずもない。

谷口先生の研究では、iPS細胞を用いて軟骨の元となる細胞を作り、それを体内で育てて器管として使えるようにするというもの。もちろん動物実験の段階ですが、ある程度の成果を出していて、いろいろな軟骨の傷んだ状態への臨床応用の可能性が出てきています。

自分たちのような臨床家からすると、最も多い軟骨の問題は加齢による軟骨の磨耗・消失です。年を取って、膝の痛みや背骨の痛みに悩むのはほぼすべての人間に起こってくる問題。

これは、人間が二足歩行になった代償みたいなもので、人類史上必然と言えるかもしれません。膝の関節内の軟骨と背骨の間の椎間板軟骨が再生できれば、多くの人の老後がずいぶんと楽になる。

リウマチ患者さんでは、滑膜炎により、関節内の軟骨が消失し、骨も虫食いのようになっていきます。欠損した骨は骨移植して、表面の軟骨はiPS細胞を用いた技術で再生できれば、薬の治療で抑えられなかった部分について、機能的な障害を防ぐ有力な治療法になるかもしれません。

現実に治療法が確立され、普通に使われるようになるまでには、まだまだ10年くらいはかかるかもしれませんが、少なくとも実現不可能な夢ではなく、努力しだいで可能になる課題であることがわかりました。

そのためには、次の世代の研究者の方々にも大きな期待をしたいところ。功をあせらず、地道にしっかりとした研究を積み上げて行ってもらいたいものです。そうすれば、もしかしたら自分には間に合うかも・・・?

2014年6月4日水曜日

立派な弁当

いったい、これで、何カロリーあるのかしら・・・と、昔だったら思いもしないことを考えてしまいます。

塩は1日何グラムまでだっけ・・・とか、油は何を使っているのか・・・とか、合成着色料は、保存料は・・・いゃもう、健康のことを言い出したらきりがない。

美味しければええやん!! と割り切って食べてしまうのですが、後で何気に気にするのは情け無い。

左上の漬物とご飯半分で済ませていれば・・・それも目の前にして出来ない相談。

年を取るというのは、どうもつまらないことが気にかかるようです。

2014年6月3日火曜日

古楽器演奏家たち

そりゃ、カラヤンだってバッハはやるわけで、モダン楽器による演奏でバッハを聴くのもありですが、できることなら優れた古楽器によるピリオド奏法で聴きたいものだと・・・そこで、だいたいどんな名前を注意しておきたいかをまとめてみましょう。

古楽系のアーティストは、50年代から活動し始めた、元ウィーン・フィルのチェロ奏者ニコラス・アーノンクール、オランダの鍵盤楽器奏者のグスタフ・レオンハルトあたりが総元締めという感があります。アーノンクールは70年代に、古楽器による楽団コンツェントゥス・ムジクス・ヴィーン(CMW)を組織して手兵として今でも活躍しています。レオンハルトは、惜しくも2012年に亡くなりました。

二人の共同作業となった、J.S.バッハのカンタータ全集は、初めての古楽器によるものとして、現在に至る古楽ブームに決定的な影響を与えたのではないでしょうか。

70年代から活動を開始する第二世代に属するのが、我がジョン・エリオット・ガーディナー先生。イギリス人で、今年結成50周年を迎えたモンテヴェルディ合唱団を軸に、内容によってイングリッシュ・バロック・ソロイストとオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークを使い分けています。

トレバー・ピノックのイングリッシュ・コンサートもイギリスの古楽では有名です。バッハよりはヴィバルディ、そしてやや古典の方が得意な印象です。 逆に、中世~ルネッサンスが得意なのはサイモン・プレストン。

そのほかにイギリス人では、クリストファー・ホグウッドとロジャー・ノリトンが有名。ホグウッドは学者的なカラーが濃厚で、アカデミー・オブ・ア ンシエント・ミュージックと共にマニアックに活動中。ノリトンはロンドン・クラシカル・プレイヤーと共に古典~ロマン派中心に活動中です。 

ベルギーのヴィオラ奏者シギスヴァルト・クイケンはラ・プティット・バンドを結成し、器楽曲を中心に活躍していますが、兄のチェロ奏者ヴィーラント、弟のリコーダー奏者バルトルトらと共にクイケン三兄弟として有名。

フィリップ・ヘレヴェッヘもベルギー人で、この人ほど、手兵のオーケストラや合唱団をいろいろ持っていて、使い分けが細かい人はいないでしょう。中心はコレギウム・ヴォカーレ・ヘントだと思うのですが、バロックから現代音楽まで、実に多才な活動を繰り広げています。

元々カウンターテナーとして活躍したルネ・ヤーコプスはコンチェルト・ボカーレを組織して、特に21世紀になってからは指揮者として名をなしてきました。最近はベルリン古楽アカデミーとも密接な関係にあり、知られざる名曲の発掘でも気になるところです。

ベルギーにはもう一人、鍵盤楽器奏者のヨス・ファン・インマゼールが有名。アニマ・エテルナを組織して、活動していますが、どちらかというと古典が中心でしょうか。

元々リコーダー奏者として名を成したオランダのフランス・ブリュッヘンは、1981年に18世紀オーケストラを組織し指揮者に転進しました。名前が示すとおり、バロックよりも古典派のハイドン、モーツァルト、べートーヴェンあたりが主要レパートリーです。

オランダには忘れてはいけない人が、もう一人います。鍵盤楽器奏者のトン・コープマンで、レオンハルトの直弟子です。単一演奏者による始めての古楽器によるバッハ・カンタータ全集は金字塔でしょう。他にも、バッハのオルガン全集や、フクステフーデの全集などの業績も後世に残るものです。

ドイツではラインハルト・ゲーベルと彼の手兵ムジカ・アンティーク・ケルンが、最も有名です。ルネッサンス~バロックの、まさに古楽の中の古楽がレパートリーで、古いものを聴こうとすると避けては通れないアーテイストです。

スペインにはジョルディ・サバールというガンバ奏者がエスペリオンというグループを組織して活躍しています。中世~古典まで、比較的幅広く演奏し、宗教曲のレパートリーも少なくない。

バッハを頂点とする宗教曲のジャンルを中心に見ると、アーノンクール、ガーディナー、ヘレヴェッヘ、コープマンあたりが直接的なライバルとして、しのぎを削ってきたというのが第二世代というわけです。

実は、イギリスにはもう一人、アンドリュー・パロットという指揮者がいます。やはり、タヴァナー・コンソート&プレイヤースという組織を持っていて、結構CDも出ているのですか・・・いかんせん、あまりにガーディナー先生とレパートリーがかぶりすぎ。

お気の毒としか言いようが無いのですが、ちょっとそれでは目立たない。アメリカのリフキンが提唱し始めた、バッハの時代は演奏者は1パートにつき一人(One Voice Per Part)という怪しい説を実践しているくらいが特徴でしょうが、重々しくないバッハを聴くにはいいかもしれません。

80年代に入ると、古楽器の演奏の技術も格段に進歩して、ただ古楽器を使いましたというだけではなく、内容的にも充実してブームといえる状況になってきます。

イギリスでは、ポール・マクリーシュのガブリエル・コンソート&プレイヤース、 ロイ・グットマンとハノヴァー・バンド、ハリー・クリストファーとザ・シックスティーンなどが台頭してきます。フランスではマルク・ミンコフスキーが登場。

そして我が日本の鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)が頭角を現してきます。鈴木はクリスチャンで、コープマンの弟子。いまや、ガーディナーに続いてバッハ・カンタータ全集を完成し、世界的なレベルで評価されています。


90年代はまさに、モダンを追い落とす勢いで、古楽器によるピリオド奏法がクラシック界を席巻しました。第二世代の人たちの全盛期だったといえます。そして21世紀になると、第三世代の活躍が増えてきましたが、古楽器による演奏の必然性と、高度な内容が求められる時代であることは間違いないところでしょう。

アンサンブルとして、特定の指揮者を持たないようなグループが誕生してきて、実際の楽器の演奏者が主体の組織が目立つようになってきたような気がします。


最近の注目株としては、ヘンデルのイタリアン・カンタータを網羅したイタリアのファビオ・ ボニツォーニと彼の率いるラ・リゾナンツァ、バッハのミサ・ブレビスを集成したフランスのラファエル・ピションとピグマリオンなどは要注意です。

自分の主観だけですから、大事な人が抜けているかもしれませんが、宗教曲を中心に考えると、まぁだいたいこのくらいおさえておけば間違いないでしょう。

2014年6月2日月曜日

カンタータ年巻

J.S.バッハは若い頃から「系統立てられた教会音楽」の実現を目指していたわけで、それはまさに教会暦に 沿った音楽を作り出す事。ライブツィヒの聖トーマス教会のカントルに就任してからは、着々とその実現のため日々奮闘するわけです。

バッハがライプツィヒに着任したのがクリスマス前なら、まさに教会暦通りに実現したのでしょぅが、実際は春の終わり。ですから、スタートは三位一体の主日からで、ここから1年分のカンタータをまとめて「カンタータ年巻」と読んでいます。

現在残っている譜面は、最初の2年間分はほぼそろっています。3年目はだいぶ少なくなっていて、4年目、5年目になるとポツポツとしかない。

消失した譜面もかなりあるといわれていますが、さすがに毎週だけでも大変なのに、いろいろな記念日には追加の大作を用意したり、一般の結婚式など向けの世俗カンタータも作るわけですから、さすがに最大で5年でほぼストックができて安心というところでしょう。

ですから、3年目以降は、実際にも毎週作曲していたわけではなく、以前のものを使いまわすというのはごく自然の流れでしょう。確かに、バッハは最初の2年間分のものをしっかりと充実させることはやっていて、数年後にあらためて作り直したり、補充したりしています。

ライブツィヒ時代以前のものを、机の引き出しから出してきて、歌詞を変えたりしながらリニューアルさせることもしばしば。これをパロディと呼んでいるのですが、現代社会でいう、何かを笑いに変える「パロディ」とは意味が違います。

このパロディは、研究者によって詳細に分析されているので、にわかカンタータ者がここで語るのははばかられます。それでも、自分が多少聞いたことがある旋律が出てくると、何となく嬉しくなります。同じようなメロディがどこに出てくるのか思わず探してしまいますし、見つかるとどっちが先なのかなぁと調べたりするという楽しみが出てくるわけです。

教会暦に沿ってカンタータを聴くということは、年巻通りに聴いていくのが正攻法ということになりますが、作られた順番に聴いていくと最低でも5年間くらいかかってしまいます。

さすがに、そりゃ長すぎて途中で疲れてしまいます。ガーディナー先生のカンタータ巡礼は、1年間で全部演奏したもので、同じ目的のものをまとめて演奏したわけです。ですから、毎週最低2曲、場合によっては3曲程度になるわけですが、1曲が20~30分程度なので、CD1枚に収録するのにちょうどいい長さ。

それでも長すぎて、とても聴いていられないという方にお勧めなのが、鈴木雅明とBCJの全集のダイジェスト盤。教会暦に沿って、大事な記念日のためのカンタータを順番に聴いていこうというもの。

サンプラー的なものですから、価格も低めに抑えられていて、とりあえず1年間を駆け抜けるにはお手軽です。

2014年6月1日日曜日

昇天祭後主日 ~ 教会暦の基本

今日の日曜日は、キリスト教では昇天後主日。何にしても、J.S.バッハのカンタータを教会暦ら沿って聴いていこうと思ったら、キリスト教の暦を知らないと話にならない。

そこで、キリスト教の教会暦を、ちゃんと整理しておきたいと思います。くどいようですが、なんちゃって仏教徒の自分としては、いままでに触れる事のない世界で、どうもぴんとこないことばかり。

基本的にはキリスト教の1年は、待降節(アベント)から始まるんだそうで、これはキリストの誕生を待ち望む期間。クリスマスから4回前の日曜日から始まり、イブの日没まで。この間は、比較的おとなしくしてじっと待つのが基本。

クリスマス・イブの日没とともにミサが始まり、12月25日のクリスマスにキリストが生まれて、降誕節に入ります。最も大きなお祝い事として、ここんとこは派手にいきます。でも、キリストの誕生日が25日かどうかは、確証があるわけではなく、もっとも日が短くなる冬至のあたりで設定して、しだいに日が延びていくようにしたらしい。

一般のグレゴリオ暦で年が明けて、1月6日は公現祭。これもキリストが誕生したことをお祝いするので、クリスマスとの区別が分かりづらい。この日は、東方の三人の博士(あるいは王)がキリストのもとを訪れ捧げ物をしたとされています。

公現祭後は、そのまま日曜日ごとに数えていくか、復活祭から数えて9週前から日曜日からは×旬節と呼んでいます。とくに7週間前からは、はっきりと七旬節、六旬節、五旬節と数え、四旬節になるといよいよ受難に向けての謹慎期間。

復活祭から数えて40日+6日前が「灰の水曜日」と呼ばれる記念日で、この日から実際の謹慎が始まるのだそうで、四旬節になる前に、食べたいだけ食べて飲みたいだけ飲んで騒ごうと言うのが謝肉祭。

キリストの受難のあと復活するのがイースターですが、この日を春分の日の次の満月のすぐ後の日曜日とした(4世紀のニケア公会議)ことが話を複雑にしています。つまり、毎年同じ日ではなく、年によって最大で2ヶ月近いずれがでることになるのです。

復活祭の前の週が受難週とされ、聖×曜日と呼ぶのですが、棕櫚の日曜日にはじまり、特に聖金曜日は、キリストが磔刑になった日とされ、受難のクライマックス。 3日目に復活するキリストを祝って、復活祭の日曜日~火曜日の3日間が過ぎると、キリストは最後の奇跡に向かって教えを広めます。

復活祭から40日後についにキリストは、現世ですべきことをやり終えて、昇天して神となるのが昇天祭。そして復活祭から50日後には、残された使徒らに聖霊が降りてきるんですね(ペンテコステ)。使徒達は、いろいろな国の言葉を話せるようになって(羨ましい!!)、世界中に散らばって布教活動を始めるわけです。

ですから、「キリスト教」のまさに始まりとして重視されているので、聖霊降臨節として特に日曜日と月曜日は祝日になっている。クリスマス、イースター、そしてペンテコステはキリスト教三大記念日と呼ばれています。

翌週の日曜日からは三位一体節が始まりますが、これが長い。始まりの待降節まで続きますので、およそ半年続いてこの間は大きなイベントはあまりありません。

キリスト教からは怒られるかもしれないくらい簡単にすると、これがキリスト教の教会暦の1年間の基本。キリストの誕生日は固定されているのに、復活する「第二の誕生日」が年によって動く事が理解を難しくしていることがわかります。

バッハが昇天祭のために作ったカンタータは3つ。
BWV 37 信じてバプテスマを受くる者は
BWV 128 ただキリストの昇天にのみ
BWV 43  神は喜び叫ぶ声と共に昇り

いずれもライプツィヒ時代のものですが、キリストの昇天、つまり神になったことを祝うためのものですから、全体に華やかで聴き応えがある。

これに昇天祭オラトリオ(BWV 11)を合わせて聴けば、昇天祭はばっちり。

そして、昇天祭後の日曜日のためのカンタータというのもあります。
BWV 44  ひとびと汝らを除名すべし
BWV 183 人びと汝らを除名すべし

ガーディナー先生は、使途不明のカンタータをもう一つ収録しています。
BWV 150 主よ、われ汝を仰ぎ望む

おや? BWV44とBWV183のタイトルが一緒だぞ。確かにどちらも、''Sie werden euch in den Bann tun''なんです。ただし、最初の歌いだしの一節だけは一緒ですが、その後の歌詞は違う。このあたりは、何かありそうですね。

さらに、あれ? と思うことに気がついた。BWV 44の歌いだしがテノールとバスの二重唱なんです。何気なく聴いていましたが、出だしが合唱のことが多く、バッハはアリアと合唱を交互に配する形でまとめるのが普通。

この曲では、二重唱→合唱→アリア→コラール→レシタティボ→アリア→コラールという具合で、配列がばらばら。採用した歌詞の主語や内容によって、歌手の数を決めているようなので、やはりドイツ語の歌詞を理解できないと本当の聴き方はでません。

どうもいろいろな課題が見つかってしまい、ますますカンタータの深い森に迷い込みそうな日曜日です。