年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します

年内は12月28日(土)まで、年始は1月6日(月)から通常診療を行います

2011年1月31日月曜日

光陰矢のごとし

1月は今日でおしまい。何故なんでしょうかね、年を取ると時間がたつのが早いこと早いこと。年上の方にその話をしたら、「そのうちもっと早くなりますよ」と言われました。

誰の時間軸も、同じスピードで進んでいるはずなんです。時計の進み方は一緒ですよね。

若いときほど、毎日いろいろな刺激に満ちたイベントがあって、1日1日が同じ日はないから、なかなか時間が進まないのでしょうか。年を取ると、基本的に毎日同じことの繰り返しで、昨日と一昨日で何が違うかと聞かれても答えられない。

ついこの前、大晦日診療をあたふたしたと思ったら、もう1ヶ月たっちゃいました。時間をもっと大切にしないといけないと思うのですが、そのためには毎日をもっと刺激的に充実して過ごさないといけないのでしょうかね。

そういえば、2年前にも同じ様なことを書いたようなきがするなぁ・・・

2011年1月30日日曜日

ふとJ・J氏のことを思い出した

植草甚一氏は、自分にとってはカルチャー的知的欲求の大先生なのです。明治41年生まれで、今も元気なら100歳を超えているはずですが、残念ながら昭和54年に71歳で亡くなりました。

映画、ジャズ、文学をこよなく愛し、年を取るほどに若々しい感性を得て、J・J氏の愛称で、若者からも多大の支持を得ていた方でした。

高校生の時に、なにげなく書店で手に取ったスクラップブックというシリーズで、もう完全にやられてしまいました。ちょうど、マイルス・デイビスのジャズを知り始めて、ちょっと大人ぶっていた頃だったわけです。

「昨日、ちょっと用があって新宿ジャズ喫茶にいったら、ちょうどマイルスの新作が手に入ったとのこと。それじゃというわけで聴いてみたら、ちょっといい感じの音楽をやっている。ニューヨークの52番街の臭いが、ぷーんとしてきて、僕はうなってしまった。」

というような、文章なんですよね。まるで、ともだちのことを話すような書き出し。自分が行ったこともない外国の雰囲気伝わってきて、本当にタイムズスクウェアを知っているような気分にさせてくれるのです。

おかげで、J・J氏の本を読むといっぱしのジャズ通になったような錯覚におちいりました。そして、もうひとつが映画。映画についても、ものすごくよく知っていて、映画にまつわる文章もすごい量なのです。

もっとも東宝に入社、後にキネマ旬報にうった経緯を考えると本職はこっちなのかもしれません。しかし、しだい雑学全般にわたって執筆活動を行い、いわゆる「サブカルチャー」の元祖となるわけです。現在の宝島社はJ・J氏が母体を作ったと言っても過言ではありません。

映画についてはヒッチコックはことのほかお気に入りだったようで、ヒッチコックにまつわる著作は一番多いのでないかと思います。これが、自分にも多大なる影響を与えたことは間違いありません。

今のように簡単にビデオなんかが手に入る時代ではありませんから、たまにテレビの名画劇場でみるしかないヒッチコックの映画でしたが、J・J氏の本を読んでいると、見てもいないものでもまるで観賞したような気持ちになった物でした。

今は、若者に世界のいろいろなことを楽しく伝えて興味をもたせることのできる大人はいるのでしょうか。J・J氏はそういう世代の垣根を取り払って、確実に知の探求心を植え付けていく不思議なおじいさんだったのです。

2011年1月29日土曜日

Gerhard Oppitz / Schubert Piano Works

と、いうわけで、この冬はシューベルトのピアノ曲にはまってしまいました。それにしても、クラシックCDの価格の低さには驚かされます。セットだと、CD1枚について数百円で、数千円で全集が手に入る。

昔のLPレコードの時代だと、シューベルトの主だったピアノ・ソナタを揃えるとなると、だいたい10枚くらいは最低でも必要で、2万円から3万円くらいはかかっていただろうと思います。今時、3万円も出すセットはきわめて希で、そういう値段の物はCDが100枚くらいのボリュームがあったりします。

そう考えると、演奏者の方々には何とも申し訳ないような気分になりますが、とにかく低価格で至福の時を過ごすことのできる幸せというものはありがたいものです。

それで、シューベルトなんですが、とにかく初期から中期のソナタは内容が混乱しているので、いろいろなセットが存在します。

つまり、①全楽章が完成しているものだけを集大成したもの、②未完成のものも未完成な状態で含めて集大成したもの、③未完成部分を別の小品などで埋め合わせて完成した形にして集大成したもの、そして④未完成部分を補筆して完成した形にして集大成したものといった具合です。

もう、これはそれぞれの人の好みの問題みたいなところがありますので、どれがいいとも言えません。どんな形であっても、奏者の演奏の解釈にはいろいろあって、結局完成している部分の出来不出来が「名盤」と呼ばれるかどうかの分かれ目なんだと思います。

ゲルハルト・オピッツは1953年生まれのドイツのピアニストで、現役ピアニストの中では古典派からロマン派の曲については本道を進む一人と目されています。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の次に始まったのがシューベルトの全集で、昨年完成しついに今月ボックスセットが発売になりました。

新着の全集としては期待度大でしたが、残念ながら大変がっかりしたというのが正直な感想なんです。まず、発売元のレコード会社の特徴らしい残響の多い録音が、なんとも気持ちをそいでしまいます。

もちろん好き好きなんですけけど、やはりすぐそこで弾いているようなクリアな音の方が好きですね。残響が多いと、演奏が遠くなってしまいますし、音符がかたまって聞こえてしまいます。

そして、入れ物の安っぽさは相当びっくりしました。中身が問題とは言え、いくらなんでも白い箱にシールをはっただけというのは海賊盤なみです。聴く前から、なんとなくめいってしまうわけで、そう思うと全12枚セットのボックスで1万2千円という値段もずいぶんと高い感じになってしまいます。

それでも、演奏がよければと気を取り直して、聴き出してみるととにかく一本調子でどうもいけない。シューベルトの特徴である詩情豊かな曲想、反復と転調が多く、やや起承転結が不明瞭なところが、すべて悪い方に出ているような感じがします。

完成作品を選択して、未完成部分はあくまで小品として別扱いしている真面目さが裏目に出ているというのでしょうか。まっこうから取り組んでいる姿勢はわかるのですが、あまりに正面からぶつかって、面白味のない演奏になってしまいました。

いろいろな奏者の演奏を聴いてみると、クラシックは必ずしも楽譜をなぞって演奏するだけではないということがひしひしとわかります。奏者の取り組み方しだいによっては、ずいぶんと印象の違う物になってしまうわけで、必ずしも有名な人の演奏だからといって素晴らしいとは限らないということをあらためて教えてもらったわけです。

2011年1月28日金曜日

新知見

今日知った新しい知識。白金に住んでいるセレブのことをシロガネーゼ、あざみ野の住んでいるセレブはアザミネーゼという。

そして、そして、自分の最寄り駅はたまプラーザなんですが、たまプラ在住の場合は・・・たまプランヌだそうです。

うちにはたまプランヌが二人いるわけなんです。一応ワンコもメスなので、二人と一匹ということになります。まぁ、自分から言い出したら、だいぶ寂しいかもしれません。

これだけだと、話は終わってしまいます。しかも、おちもなんにもありません。

2011年1月27日木曜日

みかん VS リンゴ

なんってったって、果物といえばみかん? それとも、リンゴ?
世の中飽食の時代で、いろいろな変わった食べ物が出てきたのは、果物についても同じ。

でもね、時代が変わっても、一番スタンダードな果物と言えば、みかんとリンゴと相場は決まっている・・・でしょ。日本の真ん中から主として南ではみかん、北ではリンゴの栽培が盛んで、代表的な産地となると、愛媛のみかんと青森のリンゴと答えれば地理の勉強はおしまい。

こどもの頃は、たまにイチゴとか梨、あるいは桃とかびわなんてのも食べたように思います。でも、やはり大人になってから知った味というのは、どうも身に付かない。三つ子の魂というところでしょうか。

昔は正月と言えば、どこに行くこともなく、ひたすらコタツに入ってみかんの箱を抱えて恒例のテレビの正月特番を見るというのが定番でした。気がつくと一箱ほとんど食べつくし、舌は真っ黄色。トイレが近くて近くてしょうがない。

その点、リンゴも好きではありましたが、なにしろ皮をむくのに刃物がいりますからね。そんなに大量に食べれるものではありません。表面をよーく拭いて、皮のまま丸かじりというのも普通にしましたけど、やはりみかんより腹にたまるので、せいぜい3個がいいところ。

リンゴをかじると歯茎から血が出ませんか? というキャッチフレーズの歯磨き粉がありましたが、自分はかじっても血が出ないということで、妙に安心していたのでした。

2011年1月26日水曜日

ハンバーグ VS メンチ

ハンバーグはこどもの定番、大人もまず嫌いという人はいない料理です。なんでしょうかね、とにかく美味しいわけで、どんなパターンでもはずれはない。

スタンダードはデミグラスソース。それがないときは、ケチャップでもとんかつソースでもいいでしょう。和風のテリヤキソースもいいし、ポン酢おろしで食べるのも悪くない。トマトソースで煮込みにするのもグッド。

こどもの頃に、母親が作るメニューの中にハンバーグは当然あったのですが、これは衣の無いハンバーグと呼んでいました。ということは、衣のあるハンバーグというのもあるわけで、もうお察しの通り、それはメンチカツのことだったんです。

たぶん、厳密にはメンチカツとハンバーグは違うわけですが、でもメンチというのはひき肉の意味(mince)ですから、もうほとんど似たようなものです。

青山通りのスーパーの紀伊国屋の道を挟んだ反対側、ちょっと入ったところだったと思いますがコロッケ屋さんがあったんですね。もう、50年近く前の話ですから、ほとんど記憶はおぼろげで、間違っているかもしれません。

とにかく、ここにたまに行って、できたてのコロッケやメンチカツを食べたんです。いや、もう、美味しいのなんって。ですから、当時は衣の付いたハンバーグのほうが圧倒的に好きだったと思います。

最後に美味しいハンバーグの焼き方は、と言うと・・・絶対に炭火の網焼きです。これは、間違いない。キャンプに行ったときくらいし、なかなかできないことなんですけどね。最初に表面を焼いて、肉汁を閉じ込めてしまうので、美味しさが逃げません。是非、お試しを。

2011年1月25日火曜日

珈琲 VS 紅茶

昔はコーヒーも紅茶も、ミルクと砂糖を入れないと飲めませんでした。

大学に入学して最初のオリエンテーションで、当時の病院長が「君らも医学生になるのだから健康を考えてコーヒーに砂糖を入れるのはやめなさい」と話しました。もう亡くなられましたが、今で言う生活習慣病の権威の先生だったのです。

実はこの先生、病院の食堂でそばとかを食べるときには汁を飲み干すんですよね。塩分取りすぎでしょうが、まぁ医者なんてそんなもんでしょう。

とりあえず、まだまだ純粋だった(?)自分は、以来コーヒーや紅茶に砂糖とミルクを入れなくなりました。ちょっと大人になった気分もあったりして、まんざらではありません。

実際、入れない方が、しっかりと香りを楽しむということもできて美味しいと思います。特に紅茶は、茶葉本来の甘みがあることに初めて気がついたものです。

ふだん飲むのは、圧倒的にコーヒー。当然ブラック。以前は豆を買ってきてドリップでしたが、今はインスタント専門になってしまいました。何と言ってもお手軽なんです。ただし、いろいろなインスタントを飲み比べた結果、とにかく飲めるインスタントはマキシムという結論に達しました。

ネスカフェやブレンディは粉っほいのです。まぁ、結局好き好きなので、あまりこだわってもしょうがない程度の話ではありますが・・・

2011年1月24日月曜日

炒飯 VS ピラフ

ここでいうピラフとは、本格的な炊き込んだバターライスのことではなく、炒めたもの。

バターで炒めてタマネギベース、塩味でエビを入れればエビピラフ。チキンを入れてケチャップで味を調えればチキンライス。さらに卵焼きで包めばオムライス。ニンニクをいれたらガーリックライス。


けっこうバリエーションが豊かで、こどもの頃から嫌いじゃありません。

それに比べると、炒飯はシンプルなものですが、家庭ではなかなかお店の味がでないものです。まず強力な火力が必要で、家庭のコンロではやはり弱い。

ぱらぱらっぽくすることは、それほど難しくはないのですが、どうがんはっても何か足りない。作り方とか見ても、特別なものはいれていないようなのに。

とりあえず、うちの作り方を説明すると・・・

熱くしたフライパンにといた卵をいれ、全部が固まらないうちにご飯をいれます。手早くご飯に卵をからめて、長ネギと豚肉(できればチャーシュー)を投入。素早くフライパンを振りながら、味付けは少量のコショウと塩。仕上げにほんの少しの醤油。

これで、約3分間でパラパラ炒飯にはなるのですが・・・

2011年1月23日日曜日

そば VS うどん

これは、もう自分の中では議論するまでもないことで、適材適所でいくことにきまっているのです。

たぬき・・・そば。
きつね・・・うどん。

ざる、かけ、鴨南蛮、山菜、にしん、そして天ぷら・・・絶対にそば。
月見とカレーと肉、そして鍋焼きは・・・うどん。

たぬきうどんはこの世に存在しないし、きつねそばもありえない。お互い交わることの無い、永遠の平行線。

どっちか一つを選べとなると、これも答えは決まっています。

そばです。

麺そのものを味わうという観点から、ざるやかけのようにシンプルな食べ方ができるのはそば。そば粉の割合によって楽しみ方は変わります。蕎麦の香りという表現はありますが、うどんの香りというのはない。

うどんは小麦粉と食塩ですから、これは食感を楽しむもの。讃岐うどんのように、こしがあるかどうかが唯一のポイントではないかと。

ただし、鍋の〆となると、うどんしかありません。煮込みますから、蕎麦ではぐちゃぐちゃになっちゃいます。まあ、うどんが無いときは米を入れて雑炊でもいいので、うどんが絶対というわけではありませんけどね。

2011年1月22日土曜日

マック VS ケンタッキー

マックの新作。テキサスだそうです。

いろいろ考えてはいるようです。ちょっと大き目の、いかにもマックらしいバーガー、ベーコンとチリソース。

ただ、ちょっとお高め。セットで700円越え。

そこまで出すほどのものとは・・・

自分が高校生の頃に、日本に上陸した二つのアメリカン・テイスト。マクドナルドのハンバーガー店は超人気デートスポットでした。原宿の竹下通りにできたのが、日本の2号店だったと思います。

一方の雄がケンタ。

サンダースおじさんのチキンは、超美味しかった。鶏の皮がこんなに旨いものとは、初めて知った、みたいな感じでした。

どっちも、今となってはずいぶんと価値がさがったかもしれませんが、時々無性に食べたくなる味であることはちがいありません。

2011年1月21日金曜日

玉子焼 VS 目玉焼

卵料理の日本代表と言えば・・・でしょう。

こどもの弁当の定番と言えば玉子焼。地味な色に染まりやすい弁当で、黄色い色はなかなかアクセントとして映えるものです。青海苔がはいっていると、香りがひきたってますます美味しい。

ただ、こども向けはたいてい砂糖をいれて甘くなってます。こういうのって、焼くと焦げやすいので、味を落としやすいですよね。

お寿司屋さんで、その実力を知るためには「ぎょく」を食べろとよく言いますが、ぎょくき玉、つまり厚焼き玉子のこと。焦がさず、しっかりと火を通すのは確かに大変です。

そのまんまフライパンの上に割って、目玉焼きというのもよくありますよね。下から焼くだけ、ひっくり返して両面焼き、水を入れて蓋して蒸し焼きなど。いろいろなパターンがありますが、問題は味付け。

醤油をかけるのか、ソースをかけるのか、はたまたケチャップにするのか。悩みますよね。実は、どれもそれほど好きじゃないんです。火が通り過ぎて硬くなった黄身も嫌だし、かといって中途半端な半熟も、いまいち。

卵料理というのは、きっと奥が深いんでしょうね。う~ん。

2011年1月20日木曜日

ポップコーン VS ポテトチップ

戦後生まれの高度成長期にこども時代を経験すると、お菓子というとチョコレート、キャラメル、ガムといった外国製のものが花形でした。

日本製のお菓子は、あまり食べた経験がなかったですね。秋の近くの神社に縁日では、あんず飴とソースせんべいが大人気でしたけどね。

今で言うスナック菓子と呼べるものは、まだありませんでしたから、それに近いものというとポップコーンとポテトチップということになりましょうか。これはお菓子の中でも、特に高級品で、そこらのお菓子屋さんには売っていませんでした。

親がたまに外国品を扱うスーパーに行ったときに買ってくることがあって、このときはもう狂喜乱舞みたいな感じだったと思います。

姉はポテトチップが好きで、自分はポップコーンの方が好きだったので、ちょうどうまい具合に担当が分かれて都合がよかったわけです。

最近は、残念なことに一番単純な塩味のポップコーンって見ないですよね。なんかキャラメルとかがかかっているような、こういうのは邪道ですよね。ポテトチップねただ塩味とか、せいぜい海苔塩くらいが一番旨いと思うのですが、皆さんはいかがですか。

2011年1月19日水曜日

受験戦争

自分が東海大学医学部に「いっぱい」浪人して入学できたのは昭和55年のこと。この年の3月に山口百恵が引退、秋には三浦友和と結婚というのが、自分の知っているこの年、つまり1980年の最大のニュースだったのです。

今日はテレビを見ていて、早稲田大学商学部の入学試験漏洩事件の話を取り上げていましたが、実は今日テレビで見るまで、まったく知りませんでした。この事件が起きたのは、まさに昭和55年。自分の大学受験真っ只中の出来事だったんですね。

浪人して、もう後が無いと一杯一杯だった自分としては、周りのことにはとても気が回っていなかったんだろうと思いますが、同じ受験の時代にこういう事件があったことを知らなかったことが情けない。

確かに、当時は「裏口入学」という言葉がよく聞かれましたが、これは知り合いの職権を持った大学の職員にお金をこっそり渡して、合格を頼むというものでした。これは少なくともシステムとして行われるものではなく、両者の個人的な関係だけの話だと思います。

早稲田の事件は、何年間かに渡って大学職員が受験生の答案用紙を合格できるレベルのものと差し替える、そして最後には試験問題を盗み出して渡すという、営利を目的とした「合格請負システム」であるという点が驚きです。

公正であることが大前提にある入学試験の信用が、完全に地に堕ちるような事件です。しかし、今自分が受験生の親という立場を経験してみると、何とかこどもが希望する大学に入学してもらいたいという親の切実な気持ちと言うのが、根底にあるという事実は真似はできませんが理解できるところがあります。

でも、その時の早稲田に入学した学生たちは疑心暗鬼で、きっと同級生同士で「あいつは不正に入ったんじゃないか」というような気持ちを持ってキャンパスをすごしていたのではないでしょうか。

どんな大学でも、ちゃんと合格して胸を張って通学することが、最後には一番いいことなんだと言えるような社会であって欲しいと思います。現実には、こういう事件の反省が本当にいかされているのかどうか・・・

2011年1月18日火曜日

Bistro La Tache de Rouge @ たまプラーザ

今夜は卒業した大学関係の仲間の飲み会。卒業した年も、専門にする科も違う集まりですが、同じ大学を卒業して、同じ地域で開業しているというだけで連帯感が生まれるというわけです。

自分も開業してすぐのころに誘ってもらって、年に数回の食事会に参加してきましたが、数十年来の気心知れた先輩・後輩の集まりというのは、大変楽しいものです。

今回の場所はたまプラーザ。Bistro la tache de Rougeという店でしたが、グルメでない自分にはよくわからないのですが、基本はフランス料理なんでしょう。

メニューは、ゆりねのムースにうにをコンソメでゼリーをのせたもの。たらのすきみのソテー。鴨のローストなど、和風の食材をうまく生かしたものでした。特に鴨が美味しかった。

美味しい食事と、美味しいワイン、そして気楽に話せる仲間という、言うことのない会でした。開業してから、がんばり続ける原動力の一つであることはまちがいありません。

2011年1月17日月曜日

546

それほど意識していたわけではないのですが、偶然も重なって国道246号線は自分の人生にずーっと関わってきたのです。

246号線は永田町の皇居の外堀から始まって、赤坂、青山、渋谷とつながる青山通りとなります。渋谷を過ぎると玉川通りと名を変えて、瀬田まで続きます。

そこからはただの246となって、横浜市青葉区を通過して大和、海老名へ。このあたりからは厚木街道という名前で呼ばれ、ずーっと静岡県の三島までつながっているはずです。

もともと住んでいたのが、青山学院の向かい側、246から入って2軒目。青山通りは遊び場の一部でした。はじめて交通事故を目撃もしました。

大学に入ったら、通学するのが伊勢原で、246からちょっと入ったところに大学がある。はじめて一人暮らししたのも本厚木で、246のすぐそばでした。

横浜に引っ越してみると、一番近いメインの道路は246。今も自宅からクリニックに通うのに、毎日必ず246を横断しているわけです。

これだけ自分の半世紀の人生の中で関わりが深いものというと、他にはなかなか思いつきません。

それで、今朝目が覚めたのが5時46分だったという話なんです。ぜんぜん関係ない話で恐縮ですが、今日は16年前に阪神・淡路大震災が起こった日。自信の発生時間は午前5時46分だったんですね。

偶然というだけのことなんですが、546から246を連想したというだけの話。

それにしても、今まで生きてきて、記憶に残る重大ニュースというと、最初が連合赤軍の浅間山荘事件。次が日本航空ジャンボジェット墜落事故、そして三番目が阪神・淡路大震災ということになります。

ちなみに、その次が911WTCテロ事件ということになり、それ以後はまだそこまでインパクトのある出来事はありません。

いずれも、テレビで見て「これは現実なのか」という思いになったということが共通のことです。阪神・淡路大震災では、倒れた高速道路やビルの映像を見て、一体何事が起こったのだろうと思いましたね。

たまたま5時46分に起きて、あらためて震災というものがいつでもどこにでも起きるかもしれない、次は自分にも直接関係するかもしれないと思ったのでした。

2011年1月16日日曜日

小児病棟

整形外科だと、こどもは関係ないと思ったら大間違い。ケガはこどもに多いし、普通の整形外科をやっていても、こどもとは切っても切れないんです。

ですから、ほんちゃんの小児科ほどではないとしても、こどもの扱いというのには気を使うものです。ちょっとしたおもちゃなんかはいつでも用意しておいて、いざというときの武器として出せるようにしていたりします。

痛いところをいきなり触ってはダメなので、離れた場所をちょんちょんとつついたりしながら、だんだん診察したい場所に近づいていくわけです。時には、他人が見たら何してんのといわれそうな、あやしかたをしたりもするものです。

大学病院に勤務していた頃に、一時期腫瘍専門みたいになっていたことがあります。整形外科の腫瘍というと、代表的な病気は骨肉種という悪性腫瘍なんです。

これは圧倒的に10歳くらいから15歳くらいのこどもに発生し、死亡率はけして低いものではありません。20年前くらいの当時は、まず抗がん剤による化学療法を行って、少しでも腫瘍を小さくして、すでに起こっているだろう転移を押さえ込む。

それから、手術ですが、薬の効果がないと手足の切断をしないといけないわけで、こどもたちにとっては、とても楽な病気とはいえません。

こどもたちとのコンタクトをできるだけ頻繁に行って、つらい治療をなんとかわからせて続けないといけません。ですから、患者さんを一人でも持つと小児病棟に入り浸りみたいになるものです。

整形外科に限らず、いろいろな科の小児悪性腫瘍の患者さんがたくさん入院していて、そういう病棟は、本当ならとても明るい雰囲気を持てるものではありません。小さいこどもたちは、幼くして命を消さないように戦っているわけです。

それでも、少なくとも自分の知っているこどもたちはみんな明るかったです。病気のことは、すべてではないとしても、あらかたわかっているにもかかわらず、しっかりと前を向いてがんばっていました。

病棟には、学校のミニ学級があったり、いろいろな季節のイベントにからんで病棟のスタッフがいろいろな企画をして、病院からでれなくても精一杯楽しめるように工夫をしていました。

なんで、こんな話を書いているかというと、今日のテレビでそんなこどもたちの力になる犬の話をやっていたからなんです。アニマル・セラピーというんだそうですが、確かにかわいらしい犬が病棟にいて、こどもたちが笑顔を絶やさないようにできることは大きな意味があるんでしょう。

あの頃、そんなことができていれば、自分の仕事も少しはよりやりやすくなっていたのかもしれません。動物と一緒にいることには、無視できない力があるんですよね。

2011年1月15日土曜日

政治家の皆様へ

世間では相変わらず、しょぼい話が多くて、年が明けてもぱっとしない。

昨日船出した管改造内閣。報道は批判的な見方の方が多くて、メディアが率先してしょぼいしょぼいと宣伝している状態。巷では伊達直人が活躍しているというのに、こちらの直人さんは四面楚歌状態です。

もっとも、それもしょうがない。とにかく民主党は政権を取る前に掲げていたマニフェストを思い出せ、です。ほとんど、まともに実行していない。実行したのは、不要論の方が多勢をしめるこども手当だけでしょうか。

内閣を一新と言っても、ほとんどが留任。問責決議の出た二人を外した以外は・・・なんと、元自民党を入閣させるという離れ業。

自民党も自民党です。民主党内閣に入るなら、議員バッヂをはずして民間人になってからにしろ、と怒っていますが、そもそも「立ち上がれ日本」に移った段階で、言うべきことでしょう。いまさら、何言ってんだ状態です。

まぁ、もっとも、なんか釈然としない感は否めませんけど。つまり、民主党が人材不足を露呈したわけで、こうなったら今こそ大連立というのもありかもしれません。

お互いあら探しばかりで時間を無駄にしている暇があるなら、自民だ民主だと言っていないで、この際政治の世界でどんどん使える人材を登用して、しょぼしょぼの日本を立て直してくれませんかね。

2011年1月14日金曜日

課題図書

いゃ~、ずいぶんと昔の話ですけど、中学・高校の頃、夏休みとかに課題図書というのがありまして、読みたくも無いのにしかたがなく・・・いえいえ、楽しく読書をしたものです。

武者小路実篤 「友情」
夏目漱石 「こころ」
伊藤左千夫 「野菊の墓」
小林多喜二 「蟹工船」
井伏鱒二 「黒い雨」
芥川龍之介 「河童」
原民喜 「夏の花」

う~ん、他にもあったように思いますが、とりあえずこのくらいはすらすらと思い出せます。実際、当時自分がすすんで読んでいたのは、星新一のショートショート、北杜夫のドクトルまんぼうシリーズ、遠藤周作の弧裡庵先生もの。

そうでなければ、あとは推理小説。横溝正史、江戸川乱歩はおそらくほぼ完全制覇(一部少年物を除く)しました。

落語の本もずいぶんと読みましたよ。六代目三遊亭円生、五代目柳家小さん、五代目金原亭馬生などの全集を読んでいました。極め付きは明治・大正落語全集、全8巻をそろえたことかもしれません。

今みたいに、ネットもないし、カルチャーな話と言うのは本を読むか、ラジオの深夜放送を聞くかするしかなかったですからね。本を読むということは、勉強でしかたがなくという部分もありましたけど、必要だった部分もあるわけです。

それにしても、今でも夏目漱石の「こころ」を読ませて、現代国語の勉強をするというのはいかがな物なんでしょうか。夏目漱石くらい読まずして、語る無かれ的なところは認めますが、少なくとも現代国語とはいえないでしょう。

主人公の「先生」の年齢探しをしたり、まあそれはそれでいいんですけど、少なくとも高校生がこれをきっかけに本を読むことに興味を持つようにはならないでしょう。ただでさえ「活字ばなれ」と言われている時代ですから、例えば村上春樹の「ノルウェイの森」とか、思い切りキャッチャーな斉藤智の「KAGEROU」とか、考えてもいいんじゃないかと思います。

それにしてもこの夏目漱石の写真・・・う~ん、どこかで最近よく見ている気がしていたんですけど・・・わかりました!!

なんと、グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲のジャケット写真ですよ。グールドは夏目漱石の「草枕」を愛読していたのは有名な話で、なるほどきっとこの写真を撮るときには意識していたに違いない。うん、絶対そうです。

2011年1月13日木曜日

シーズン到来

正月が明けて、成人の日も終わり、さすがに巷からお屠蘇気分が抜けてくると、否が応にも受験シーズンとなってくる。

毎年毎年、変わらず見られる季節の一大イベントです。

自分が学校の受験をしていた頃、医師国家試験に向けて勉強していた頃、専門医試験の受験の頃、そして親となってこどもの受験が始まって、もう日本人としては避けては通れない季節のイベントになっています。

何も寒くて体調を崩しやすいこの季節にしなくてもいいじゃないか、と思うのは毎度のこと。

今年はインフルエンザが比較的おとなしいので、ちょっと気が楽ですが、それでも大学受験のセンター試験まであと数日。だんだん寒さも増してきて、やっぱり天気が心配になってきました。

すでに、発表されている天気予報では関東地方を除いて、ほぼ全国的に天気は芳しくなく、雪マークが所狭しと並んでいます。

寒さ対策、雪対策、勉強以外のことに気を使うのは大変ですが、受験生の皆さんは日頃の成果が出せるよう頑張ってもらいたいものです。

2011年1月12日水曜日

2011年花粉症情報

そろそろ、この話が出てきました。花粉症をお持ちの方には申し訳ありませんが、自分の場合はいまだに花粉症は無いようで、よく「都会人に成りきれていない」と言われています。

今年は・・・いゃ~、大変そうですよ。去年は夏に猛暑で杉の成長はダントツだったようで、今年は花粉がたくさん飛ぶようです。花粉の量は、昨年の10倍とも言われています。

今まで花粉症になっていない人も、たくさんの花粉の被爆によって発症する可能性が高まるとなっては、黙ってはいられません。とは言え、だから何ができるというものでもないので、男は黙って・・・自然の成り行きに任せるしかありません。

中には、発症前から服用することで、症状を少なくできるような薬もあります。しかし、一度発症すると、結局ステロイドに頼ってしまいがちです。ステロイドは副腎皮質ホルモンといって、副作用の百貨店ですから、専門家にしっかり相談して使いましょう。

もちろん、自分は専門家ではありませんので、うちに来て花粉症の相談をされても困るわけですけど。花粉症のある方は、そろそろ準備をしておいたほうがいいかもしれませんね。

2011年1月11日火曜日

タイガーマスク運動


たった一人の思いつきだったのでしょう。恵まれない子どもたちに、ちょっとしたクリスマス・プレゼントを贈る。でも、照れくさいから、タイガーマスク・・・いや、伊達直人を名乗る。

タイガーマスクは、おそらく40歳以上なら知らないものはいない。孤児院で育った伊達直人は、成人して虎の穴に入門。虎の穴は悪役プロレスラーを養成する組織で、裏切り者は許さない。虎の穴を脱出した伊達直人はタイガーマスクとして、送られてくる刺客と戦うことになった。プロレスで得た収入は、孤児院に寄付していくのだった。

年が明けて、伊達直人を名乗るさまざまなこどもへの寄付が続いて、今日で100件を軽く超えているとのことです。もはや、タイガーマスク運動と呼ばれ始め、善意の連鎖反応は数ヶ月は続くと言われているようです。

これを笑うことはできません。どんなことにせよ、何らかの行動で示すことができる人は素晴らしい。よけいなことは考えずに、素直に拍手したと思います。

2011年1月10日月曜日

Pludermacher / Schubert Piano Works

そんなわけで、去年の後半くらいからシューベルトにはまっているわけです。ベートーヴェンのピアノ・ソナタと比べて、よく言えば詩情豊か、悪く言えば起承転結がはっきりしないため、どうも入りにくい印象派はぬぐえません。

ところが去年はじめだったか、田部京子のセットを購入して、こりゃなかなかいいんじゃないかと再認識したわけです。

マイナーな作曲家のものを探すのも楽しいのですが、メジャーな作曲家の場合はいろいろな演奏者が、いくつものCDを出しています。演奏者による違いを楽しむというのは、これはこれでなかなか乙なもんです。

何と言っても、クラシックなんて楽譜通りに演奏するだけなんだから、一つ聴けば十分と思っていたわけですから、昔の自分だったらありえないでしょうね。

田部と来れば、世評の高い内田を聴かないわけにはいかない。世界の定番のケンプをあらためて聴き直してみる。現役ではシフが有名。ブレンデルのボックスが出た。と言う具合に、だんだんコレクションが増えてきました。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタでも、マニアをくすぐる隠れた名演といわれているのがプルーデルマッハーでしたが、実はシューベルトの全集も出している。こちらも、全てがライブ録音というのがすごい。

ライブは原則ミスは許されませんから、かなりの集中力を必要とするはずです。しかし、ピアニストとしてライブの緊張は、プルーデルマッハーにとっても必要不可欠なものなのかもしれません。

ただ、大変残念なことにメーカー廃盤で、HMVでは手に入らない。ずーっとAmazonで注意していたら、ついに外国のショップに入荷在りを見つけました。このチャンスを逃したら、次はいつ手に入るかわかったもんじゃありません。ほぼ衝動買い的にカートに入れて即購入。

シューベルトも素晴らしい演奏で、自分的にはBESTを争う位置にくるのですが、手に入れてしまうと簡単に手に入らないことがむしろ自慢みたいになってくるわけで、マニア的には大満足なのでした。

2011年1月9日日曜日

Schiff & Dalberto / Schubert Piano Works

シューベルトはモーツァルトなどとは違い、生前は比較的地味な作曲家で31年間の短い生涯の中で、おそらく食うや食わずの生活をしていた時期のほうが長かったのではないでしょうか。

ベートーヴェンは早くからシューベルとの天才を認めていたことは有名ですが、だからといって楽譜をどんどん出版して演奏会をやってというわけにはいかなかったようです。

そんなわけでか、とにかく書き出したけど途中でやめてしまった曲が多く、研究家はしばしば頭を悩ませることが多い。第21番まであるピアノソナタも混乱していて、どうも実態がよくわからない。

第1番 あるべき第4楽章がない。
第2番 やはり第4楽章がなく、Allegretto D346が第4楽章であるという説がある。
第3番 もともと2楽章、後年3楽章が追加されて、本来ソナタかどうか疑問。
第4番 全3楽章で、初めて完結した作品。
第5番 あるべき第4楽章がない可能性がある。
第6番 これも第4楽章がなく、Rondo D506が第4楽章と考えられている。
第7番 全4楽章で完結だが、D567を移調、一部改変・追加したもの。
第8番 第1楽章の途中まで。
第9番 全4楽章で完結。
第10番 2楽章までで未完。
第11番 あるべき第3楽章を欠く。Adagio D506があてはめられるという説がある。
第12番 第1楽章の途中まで。
第13番 全3楽章で完結。
第14番 全3楽章で完結。
第15番 第2楽章まで完成。第3、第4楽章は途中まで。
第16番以降は、すべて全4楽章で完結。

と、いう具合なので、完成したピアノ・ソナタは11ということになります。このへんが全集録音をしようとする演奏者を大変に悩ませるわけです。

大方の奏者は、作品として成熟し完結している第13番以降を中心に録音をしていくわけですが、中には完全制覇を目指すツワモノがいます。

アンドラーシュ・シフの全集は、現在シューベルト全集の定番の一つとして高い評価を得ていますが、収録したのは19曲。完成している楽章の演奏に専念して、不完全なものや憶測が入るものについては省略した形。

ある意味、楽譜に誠実ということかもしれません。未完になったのはシューベルと自身の選択であり、勝手に付け加えることは作者の意図に反するという考え方で、それはそれで正しい。

でも、完成した形を聴いてみたいというのは無いものねだり的な願望ですが、それも当然生まれてくるものです。学者的に一生懸命研究して、独立した小品として扱われているものを結合したり、あるいはそこまでの展開から想像して残りの部分を加筆・完成させるということもしばしばあるわけです。

そういう、代表的な全集がミシェル・ダルベルトの録音。これはさまざまな小品も含めて、ピアノ独奏曲全集としては最大規模のものです。ソナタは20曲を収録し、それぞれがとりあえず完結した形になっている。

シューベルトのピアノソナタ辞典みたいな様相をていしているわけですが、まぁ内容的にはそれほど悪い演奏とはいえないので、なんとか許容されているといえるかもしれません。

一般の音楽ファンにとっては、最後のソナタ3曲で十分でしょうから、+αのあるすでに紹介した内田盤、あるいは田部盤がお勧めできると思います。とにかく、何が何でもすべてを知りたいと思うマニアは今回のCDがきっと希望を叶えてくれます。

えっ? お前はどっちなんだって? そりゃ・・・適当なマニアなもんで、全部いいと思いますよ。

2011年1月8日土曜日

内田光子 & 田部京子 / Schubert Piano Works

シューベルトの音楽というと、普通は歌曲が有名でして、クラシックの歌物にはとんと興味が無い自分としては、無縁の存在・・・でした。が、しかし、天才メロディメーカーとしての才能は、当然歌物だけに止まるわけも無い。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタは、当然クラシック・ピアノを弾く人にとっても、聴くだけの人にとっても大きな山脈で、登っても登っても頂上に到達しないような偉大な存在です。しかし、あえて怒られるようなことを言うなら、それは器楽曲としての楽しさかもしれません。

シューベルトのピアノ・ソナタは・・・ちょっと違う。非常に曲想が柔軟で、ドガ~ンというインパクトは少ないのですが、実に少しずつ美しいメロディがしみこんでくるような感じなのです。

とにかく、曲を書き出しては途中で放棄してしまうことが多い作曲家ですから、ピアノ・ソナタも第21番まであるものの、実際に完成していると考えられているものはその半分くらい。4楽章構成の形なのに3楽章までしかないものや、楽章の途中でぱったり止まってしまっているものもあったりします。

ところが、その中途半端な楽譜に残された音符の並びが美しく、そのまま捨てるには忍びないものが多い。そこで、演奏者はそこに何とか音符を追加して曲として完成させて演奏することも少なくない。そこがまた、演奏者の感性が如実に現れてくるわけですから、聴いていて楽しさが膨らんでくるわけです。

内田光子は、世界的に活躍する日本人の一人。モーツァルトのソナタや協奏曲の全曲演奏で有名になったわけですが、1996年から2001年までかけてシューベルトのソナタ集を録音し、シューベルト弾きと言われるピアニストの地位を確立しました。

「死ぬ時にはシューベルトを弾いていたい」と言うほどの思いをもって、自分のピアノをシューベルト録音のために調整し、スタジオに運び入れるという力の入れようです。

そのかわり、と言ってはなんですが、かなり感情のこもった演奏で、ついでに聴くには向いていません。まさに内田がシューベルトを飲み込んで、ピアノとガチンコ勝負をしているような演奏で、続けて聴くとけっこうな疲労感を覚えます。

日本人女性ピアニストには、もう一人シューベルト弾きと呼べる方がいます。それが田部京子で、ロマン派を得意とし詩情あふれるピアノ演奏に定評があります。田部のシューベルトは1993年から2002年に録音されたもので、内田のものとほぼ同時期の録音。

田部のシューベルトは、ある意味女性らしさを感じる演奏です。シューベルトへの敬愛の気持ちを持って、包み込むような優しさを感じることができるものです。

シューベルトの演奏としては、対極に存在するような演奏を日本人の二人の女性ピアニストが実現しているというのが面白い。どちらも、それぞれが素晴らしいもので、ぜひとも両方を聞き比べてもらいたいと思うわけです。

2011年1月7日金曜日

超貴重品

おさむぅございますぅ~

年が変わって、ずいぶんと寒さが身にしみるようになりました。まぁ、屋内ばかりにいていつもぬくぬくしてばかりいる自分ですから、あまり関係ないといえなくもありませんが。

まぁ、正月と言えるのも松の内だけですから、今日で正月気分は終了。また、いつもの日常へと戻っていくわけです。学校もほとんどのところは、明日から新学期ですよね。

さて、閑話休題、去年巷で密かに話題になったもの。関東では、ほとんど売っていないために、意外と知られていないんですが・・・

じやじゃじゃ~ん、これです。カップヌードルごはん!!

カップヌードルの具材とスープで麺のかわりにご飯という、ありそうで無かった組み合わせ。これが、けっこうなヒットをしているというのです。

桃屋の食べるラー油か、これかというくらいの超貴重な一品です。

ネットで探してみると、2個で6000円とかのとんでもない値段で売っていたりします。いゃぁ、もったいなくて食べることができません。

実は、関西出身の患者さんに、正月の帰省みやげでいただいたんです。いただきものですから、ちゃんと食して味の感想をお伝えするのが筋というものですが、簡単にはお湯を注ぐわけにはいきません。

いゃぁ~、新年早々、どういうタイミングで食べるか、大きな悩みを抱えてしまいました。もう一個、もう一個あれば、そっちをとりあえず食べて、こっちの2個は飾っておけるんですが。

そんな小さいことで、うでうで言っているんじゃないと怒られそうです。

2011年1月6日木曜日

明日は七草

・・・って、まぁ当たり前の季節のイベント。

七草とは・・・って今更説明するまでも無く、知りたい方はWikiで調べていただければいいかと。

何にしても、こういうセットで形だけでも季節を感じればいいんじゃないでしょうか。

最近は、年賀状のやり取りというのもずいぶんと減って、(旧)郵便局もだいぶあせっているという話はよく聞きます。実際、うちのこどもはほとんど年賀状を出しませんし、だいいちもらわない。

親のほうは、相変わらずせっせと年賀状を出し、それも久しぶりに元旦に着くようにがんばったわけです。確かにメールとかのほうが便利ですし、わからないではないんですけど、年に一度くらいは郵便というものを利用して、旧知の友の消息を知るというのも乙なものです。

七草も食べたからどうだというものではないですけど、日本人たるもの(キリリ!!)、四季をしっかりととらえる感性は持ち続けたいものです。

2011年1月5日水曜日

診療初め

新年明けまして、今日からうちのクリニックも診療を始めました。年末は大晦日まで診療をしたので、4日から始めたクリニックが多い中、うちは1日だけゆっくりさせてもらいました。

年末に頑張るか、それとも年明けに頑張るか、悩みどころです。開業直前に先輩開業医の友人と飲み会をやったときに、「年末は診療をするもんじゃない」と言われました。年末は他の病院がやっていないので、大変な患者さんが来るし送る病院も無いからという理由でした。

先輩の助言を無駄にして、開業以来大晦日まで診療をしているわけですが、確かに助言は正しいところがあるのです。今年は、すぐに手術が必要という患者さんが来なかったので助かりました。

初診で、応急処置をして、転送する病院探しをするとかなりの時間がかかってしまうものです。他の患者さんの待ち時間のことを考えると、かなり精神的ストレスが高まっていくわけです。

年明けは・・・おそらく、そう遠いところから来る患者さんは、そう多くはないでしょう。ただし、しばらく休んだ後なので、どうしても混雑しやすいので、これも大変。

何にしても、何週間も休めるわけではないので、どこかで頑張るしかありません。今年も、患者さんの何人かに「大晦日にやっているところがあって助かりました」と言っていただいたので、それだけで自己満足の世界。

ただ、大晦日までというのは、体力的な部分でもちょっとしんどくなってきました。正月の準備というのも、特にするわけではありませんが、やはりギリギリまでだと元旦は力尽きてどんよりとしてしまいます。

いゃ~、早くも年末の話を考えてもしょうがないのですが、今年の大晦日はどうしようかなぁ。ほんと、悩みます。

2011年1月4日火曜日

近所のワンコ

うちにはミニチュア・シュナウザーがいますが、となりにはミニチュア・ダックスフンド、反対の隣にはヨークシャーテリア、向かいの家にはシェトランド・シープドッグ。

さらに、裏の家にはホワイトテリアがいるわけで、今日は家の中にいるところを目と目が合ってしまいました。こっちを見つめている姿がなかなか愛らしいので、思わずパチリ、写真におさめてみました。

それだけの話ではあるのですが・・・

2011年1月3日月曜日

アカデミー賞

年が変わって、映画の世界ではアカデミー賞の話題がちらほら出始めます。

自分なんかは単純ですから、1月に話題を集めた映画の話なんてもう忘れていて、年末の映画のことしか覚えていません。自分が審査員なら、11月から宣伝をはじめて12月のクリスマス公開とかすれば受賞間違いありません。

もっとも、アカデミー賞を受賞したから名画として太鼓判を押されたというわけではありません。特にアカデミー賞は映画を作る側が選考するわけですから、うちわで褒めあうような物。

映画界の中でいい仕事をした人たちを褒めてあげよう、そしてこれを糧にしてまたいい仕事をしよう、というのが本来の目的。しかも、あくまでもアメリカの国内だけの話で、かなりローカルなものであったはずです。

しかし、おそらく賞の本質は戦前から変化していたように思います。1930年代後半、トーキーから音声映画への進歩、カラー映画の登場という技術の激変によって、映画産業はお金がかかるようになりました。

その中で、アカデミー賞受賞というのは観客動員するための大きな広告手段になっていったはずです。「風と共に去りぬ」、「オズの魔法使い」などで一気に映画産業の頂点にたった飛ぶ鳥を落とす勢いのプロデューサーのセルズニックは、変革の中心人物だったのかもしれません。

セルズニックはアカデミー賞を取るために、イギリスから人気が定着してきたアルフレッド・ヒッチコック監督を引き抜いてアメリカに連れてきます。そして「レベッカ」というゴシック・ホラーとも言える作品を作って作品賞を獲得したのです。

これは、ヒッチコックとしても異色の作品で、あきらかにセルズニックの意向が強く反映したもので、商業的な成功を意図した方向性が反映されたものと言えます。映画の始まり、誇らしげなセルズニック・プロダクションの看板を映し出す部分は象徴的でした。

これはある意味、当然の変化と言えます。内輪だけの会だった物が、他人から注目され、他人の目を意識したものになるのは自然の流れでしょう。さらに進んで、他人を動かす方向性を出すようになるのは、商業的な世界であれば当たり前。

90年代に入って、インターネットの普及とともにマルチメディア戦略ということが言われるようになり、さらに賞の質は変わって行ったように思います。それがいいのか悪いのかは、まじめに新作映画をせっせと見ない自分には評価できません。

日本でも、1976年の「犬神家の一族」はマルチメディアの先駆的作品として記憶されるべきものです。制作者は当時角川書店の社長だった角川春樹で、映画制作第1回作品でした。

角川書店は、原作の横溝正史の文庫本を一気に書店に並べ、横溝ブームを作り出したのです。そして、映画制作とともに、インパクトの高い湖から両足が突き出た象徴的なシーンを中心にテレビCMをどんどん流しました。さらに音楽を担当した大野雄二によるサンウドトラックのレコードも鑑賞作品として売り出しました。

今では、まったく当たり前のことですが、当時はありとあらゆるところから「犬神家」のことが目や耳に飛び込んできた印象がありました。

まぁ、どういう映画が名画として残っていくかは、賞の有無ではありません。10年、20年と時がたって、多くの人々の心に残っているかが大切。何度でも見たくなる作品が、どんどん出てくれれば言うことはありません。

さてさて、今年のアカデミー賞はどうなることやら。売れるためのイベントだけになってないことを祈ります。

2011年1月2日日曜日

ショパン国際ピアノコンクール

年が変わったばかりで去年の話題というのもなんですが、昨年はピアノの巨匠、フレデリック・ショパンの生誕200年ということで、CDもいろいろと話題作が出されました。

そして、10月に行われたショパン国際ピアノコンクールがお祭りの頂点だったと思います。このコンクールは1927年以来5年ごと(途中中断あり)に行われ、昨年が第16回。

ショパンの曲だけですべての勝負をするというのが凄い。クラシックピアノ奏者としては、おそらく最も歴史と権威があり夢に見る賞であるわけです。

過去の入賞者はそうそうたる人がたくさんいるわけです。Krystian Zimerman, Garrick Ohlsson, Mitsuko Uchida, Martha Argerich, Maurizio Pollini, Adam Harasiewicz, Vladimir Ashkenazyといった現役で活躍する中ではトップクラスのピアニストがリストされます。

昨年はロシアの女性ピアニストアヴデーエワが優勝し、まだ25歳の若い新進気鋭のピアニストに将来を約束したわけです・・・が、実際はどうでしょうか。過去の優勝者のリストを眺めてみると、「う? この人誰?」みたいな名前も少なくありません。

それではこの30年間の5位以上の入賞者のリストを見てみましょう。

2005
1 Rafal Blechacz (Poland)
2 Not Awarded
3 Dong Hyek Lim (South Korea)
Dong Min Lim (South Korea)
4 Takashi Yamamoto (Japan)
Shohei Sekimoto (Japan)
5 Not Awarded

2000
1 Yundi Li (China)
2 Ingrid Fliter (Argentina)
3 Alexander Kobrin (Russia)
4 Sa Chen (China)
5 Alberto Nose (Italy)

1995
1 Not Awarded
2 Philippe Giusiano(France)
Alexei Sultanov (Russia)
3 Gabriela Montero (USA)
4 Rem Urasin (Russia)
5 Rika Miyatani (Japan)

1990
1 Not Awarded
2 Kevin Kenner (USA)
3 Yukio Yokoyama (Japan)
4 Corrado Rollero (Italy)
Margarita Shevchenko (Russia)
5 Anna Malikova (Russia)

1985
1 Stanislav Bunin (USSR)
2 Marc Laforot (France)
3 Krzysztof Jablonski (Poland)
4 Michie Koyama (Japan)
5 Jean-Marc Luisada (France)

1980
1 Dang Thai Son (Vietnam)
2 Tatyana Shebanova (USSR)
3 Arutyun Papazyan (USSR)
4 Not Awarded
5 Akiko Ebi (Japan)
Ewa Pob?ocka (Poland)

赤い文字にしたのが聴いたことがあるピアニストです。自分の場合は、あくまでもリスナーでピアノ奏者ではありません。しかも、ショパン自体はそれほど好きではないという天の邪鬼です。

ピアノ奏者の方から見ると、何で知らないのかと怒られてしまうかもしれません。でも、逆にクラシック一般の人気度みたいなところでは、当たらずとも遠からずということだと思います。

つまり、入賞しても特に世に出ることが無いピアニストが大勢いるということで、一人も有名人にならないような回もあるということに、ちょっと驚きます。

ブーニンのようにブームで終わって、ほとんど消えてしまった人もいますが、2000年のリーと2005年のブレハチは、最近売り出し中で注目株と言えます。

昨年の入賞者の方々も、今後の努力次第と言うことなんでしょう。とかく、コンクールで名が出ると、そのあとのいろいろな商業的な副賞のコンサートが嫌っと言うほどついてくるらしい。そこで疲弊して燃え尽きてしまう演奏者が多いという話があります。

とにかく今年の動向に注目して、長きにわたってわれわれリスナーを楽しませてくれることを期待します。

2011年1月1日土曜日

謹賀新年 2011

西暦2011年、平成23年、卯年の始まりです。

昨夜は、午後10時過ぎから近所の焼き鳥屋「大吉」に行って、知らないお客さんと盛り上がって、一緒にカウントダウン。店主が用意していたクラッカーをパンパン鳴らして新年を祝いました。

今朝は朝の5時に起きて、かみさんを駅まで送りました。仕事で行けない院長のかわりに初詣に大雄山最乗寺へ行くためですが、1年間お世話になったお札を新しい物にするという大切な役目なのです。

縁起をかつぐようなこととはだいぶ遠い所の仕事をしてはいますが、世の中何でも理屈だけで割り切れるわけではありません。神秘のパワーに頼りたくなることもあるわけで、実際この小田原の先の遠い寺に行くようになったのも開業してからのことです。

さて、明日は箱根駅伝の往路。東海大学出身なので、通り道を直接知っているので、親近感が湧く年に一度のイベントなのです。特に箱根湯本の近く病院に勤務していたこともあるのでなおさらです。

これ以外は正月の特番もほとんど見ることはありません。今夜は選手の皆さんは緊張していることでしょう。すべての選手がたすきをつなげるようにがんばってもらいたいものです。

クリニックの方は、新年は1月5日(水)からの診療になります。今年もどうかよろしくお願いいたします。