年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します

年内は12月28日(土)まで、年始は1月6日(月)から通常診療を行います

2017年10月31日火曜日

HALLOWEEN


ハロウィンは、まったく日本とは関係ない外国のお祭り。キリスト教とも無関係。年々、若者を中心に盛り上がりを見せています。

ただし、上っ面だけ利用して、ただ騒げるという風潮・・・と言ったら申し訳ないのですが、渋谷辺りで大騒ぎするというのは、眉をしかめると同時に、多少羨ましいようなところもある。

この前の土日は台風の接近で天気はよくなかったので、例年ほどはバカ騒ぎができなかったようですが、バカ騒ぎする方からすれば残念。しない方からすれば、喜ばしいことでした。

元々始めたケルト系の人々にとっては、年度末として今年の収穫に感謝し、季節としても秋の終了、冬の始まりという区切りの行事です。

そろそろ冬支度をする合図だと思えば、バカ騒ぎできない人(自分も含む)にも受け入れやすいかもしれません。


2017年10月30日月曜日

古事記(7) 意禮爲大國主神・・・始作國也

ここで、一度古事記の世界観を整理しておきます。

高天原(天つ神の世界)
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 天浮橋
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葦原中国(地上、国つ神の世界、主として高千穂、出雲、紀伊国) 
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 黄泉比良坂 --- 黄泉国(死者の世界)
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根の堅州国(スサノオが治める地底?世界)

基本的には世界は3層構造。ただし、地下の世界については黄泉比良坂が共通の出入り口で、黄泉国と根の堅州国の二つに分かれています。もしかしたら他にも出入り口は存在しているのかもしれません。

これを現実世界にあてはめて考えると、高天原は九州(高千穂)付近、葦原中国は九州、島根・鳥取、近畿(淡路島)、紀伊半島、そして黄泉国と根の堅州国は出雲という位置関係にある感じです。

さて八十神の殺意の追跡を振り切って、根の堅州国に到着したオオナムチは、速攻でスサノオの娘である須勢理毘売(すせりひめ)と、お互い一目ぼれのラブラブで一夜をともにしてしまう・・・

どうも古事記はこういう展開が多い。今どきの方がよほど節操があるというか、保守的というか・・・おおらかと言ってしまえばそれまでですが、本能で日々をすごしていたんでしょうかね。

スサノオに結婚する許しを得ることになるわけですが、ここで試練が与えられます。最初は蛇の部屋で一晩明かせということ。次の夜は蜂と百足(むかで)の部屋。いずれもスセリヒメからお守りアイテムをもらって問題なし。

翌日は、野原でスサノオが矢を放ち、これを取って来いと言われる。オオムナチが野原に入ると、スサノオは火をつけます。ところが鼠に助けられ、鼠の穴に入ってセーフ。しかも、穴の中にあった矢まで発見して持ち帰りました。

最後に、スサノオは自分の頭の虱(しらみ)を取れと言います。ところが頭にいたのは虱ではなく百足で、スセリヒメの助けでうまく誤魔化しました。スサノオが寝入ってしまったので、髪の毛を柱にしっかりと結び、御殿の入り口を大岩で塞いで、スセリヒメを背負い、スサノオの弓矢、太刀、詔琴を奪って逃げ出します。

気が付いたスサノオは逃げていくオオナムチに、「これからは大国主神(オオクニヌシノカミ)と名乗り、八十神を追い払い、高天原に届く宮殿にスセリヒメと一緒に住んで国を治めろ」と言いました。

オオナムチ改めオオクニヌシは、有言実行、八十神を返り討ちにして、初めて国を作ったわけです。

ここから、オオクニヌシはさわやかイケメンのイメージから脱却し、女好きの王様になっていくんですが、その手始めに八十神のアイドル、八上比売(やがみひめ)を呼び寄せちゃった。

スセリヒメとラブラブの新婚生活のはずなのに早くも側室登場では、そりゃスセリもイライラするってもんです。ヤガミヒメは、スセリに恐れをなして帰ってしまいます。

次に、高志国(こしのくに、今の北陸)の沼河比売(ぬなかわひめ)をものにします。さらに胸形(宗像)の奥津宮にいた多紀理毘瓜命(タキリヒメノカミ)にも手を付けます。続けて神屋楯比売命(カミヤタテヒメノカミ)・・・なんとかヒメ、かんとかヒメ・・・・ ・・・・はぁ、スセリの嫉妬が深くなっていくのもやむを得ない話。

さて、肝腎の国造りはというと・・・遅々として進んでいない。ここで登場して国造りを手伝う重要な役どころを荷うのが神産巣日神(カミムスビノカミ)の子である少名毘古那神(スクナビコナノカミ)。

スクナビコナはとにかく小さいらしい。一寸法師のモデルかと話題になる神様ですが、実務に長けた内閣官房長官という役所なんですが、なぜか短期間?で常世国(とこよのくに)に行ってしまいます。

常世国は、古事記の世界では葦原中国と同じレベルか、もしかしたらちょっと上くらいに位置する海を渡った理想郷、あるいは桃源郷と考えられている場所。

沖縄のことか、さらにそれを超えた朝鮮半島や中国本土のことなのか、明解な答えはありませんが、異世界の一つとして古代日本史にたびたび登場します。

スクナビコナに去られて途方に暮れるオオクニヌシのもとに、続けて登場するのは出所不明の大物主神(オオモノヌシノカミ)です。「大和の三輪山に自分を祀れば国造りはうまくいく」というので、オオクニヌシはその通りにして国造りは一気に進みました。

オオモノヌシは、オオクニヌシと名前が似ています。日本書紀では「オオクニヌシの魂の分身」という位置づけとされていますので、とにかく女たらしのオオクニヌシがスクナビコナから刺激を受けて、本気の政治家として覚醒した決意表明みたいなところなんでしょうかね。

いずれにしても、オオクニヌシの国作り、つまり「日本史」的なことについては記述があっさりし過ぎ。古事記を作った側からすると、制圧した相手、つまり敗者側の歴史ですから資料不足は否めません。

2017年10月29日日曜日

古事記(6) 此稻羽之素菟者也、於今者謂菟神也


ここから、天つ神が主役だったパートから、しばし地上での国つ神が主役。その中心となるのは、出雲大社に祀られて今でも超人気者の大国主神(オオクニヌシノカミ)。

オオクニヌシはスサノオとクシナダの六代目の子孫ということになっています。するとスサノオから100~150年くらいたった時代でしょうか。

ところが日本書紀では、スサノオのこどもということになっているし、呼び名もたくさんあって、何だかよくわからない。国つ神扱いされているんですけど、スサノオの直系ならば天つ神の仲間のはず。スサノオは高天原を追放されたので、国つ神扱いということか・・・

それはさておき、まず最初のお話は、「イナバの白ウサギ」です。古事記の世界には昔話のヒントになったと思われるエピソードが満載ですが、この話は、ほぼそのまんま。

因幡(稲羽)に八上比売(やがみひめ)という超美人がいて、全国津々浦々から男が押し寄せているらしい。そこで、その頃は大穴牟遅神(オオナムジノカミ)と呼ばれていた大国主神の大勢の兄たち・・・八十神(やそがみ)と呼びます。八百万神(やおよろずのかみ)よりは少ない・・・が、求婚しに行くことになりました。

氣多の崎まで来ると、八十神は皮を剥がされて痛々しい兎を見つけたので、「海の水で洗って乾かすといい」と教えます。兎がその通りにすると、傷が悪化してもっと痛みがひどくなりました。そこへ、大量の八十神の荷物を持たされて遅れてやって来たオオナムチは、兎に訳を聞きます。

隠岐の島に住んでいた兎は、鮫をだまして並ばせて橋の代わりに海を渡って来たのですが、最後の一匹を跳ぶときにだまされたことがわかった鮫に食いつかれて皮を剥されたということでした。

オオナムチは、真水で洗って蒲(がま)の花をつけると良いと教えると、兎の傷は治り素兎(しろうさぎ)に戻りました。感謝する兎は、八上比売が気に入るのは八十神ではなく、オオナムチだと予言して去っていきます。

実際、八上比売は八十神を袖にして、オオナムチがいいと言ったため、八十神は怒ってオオナムチを惨殺する・・・という、またもや親族殺人事件が発生しますが、神産巣日之神(カンムスビノカミ)の計らいで行き返ります。すると、またもや八十神はオオナムチを殺害し、そしてまた生き返る・・・ってゾンビのような話。

オオナムチは、このままじゃ何度殺されるかわかったものではないと、木国(きのくに)のイザナキ・イザナミから生まれた大屋毘古神(オオヤビコノカミ)のもとへ逃げますが、八十神が追ってきます。間一髪のところをしのいで、オオヤビコのアドバイスにより、スサノオが治めている根の堅洲国(ねのかたすくに)に向かいました。

このあたりの話はツッコミどころ満載ですが、ファンタジーだと思ってそっとしておくしかない。ただ、元になる史実は何かがあった・・・つまり、兄弟同士の権力闘争があったということと理解しておくのが無難でしょうか。

兎が住んでいたのは隠岐の島で、これは場所としてはわかりやすい。皮を剥されて泣いていたのが気多の崎というところですが、気多という名前がつくのは現代では多くない。能登半島の羽昨市に気多神社がありますが、壱岐の島からは、ちょっと鮫を並べるには遠すぎです。

八十神もオオナムチもスサノオの子孫ですから、出雲あたりに住んでいて、因幡(鳥取誌り少し出雲寄り)に行く途中で、隠岐の島の対岸というと・・・おあつらえ向きに、隠岐の島から南東方向の海岸に、ちょっとだけ出っ張った場所があって、そこが気多ノ前(けたのさき)と呼ぶようです。

しかも、その沖合50mくらいに淤岐島という小島があって、これが読みようによっては「おきのしま」となるじゃありませんか。実際に(実際のわけはないけど)、鮫を横並びにするなら、このくらいの距離が妥当かも。

さらに、この気多ノ前から東にひろがる海岸は白兎海岸であり、白兎神社があるというのは後付けなのかもしれませんが、何か楽しくなります。

オオナムチがとりあえず二度も殺されたのは、出雲での話だと思いますが、オオヤビコノカミを頼っていくのが木国、紀ノ國、つまり紀伊半島です。ちょっと遠くないかと思いますが、それはさておきさらに逃げるのがスサノオの居る根の国・・・ってまた出雲に戻るんかい。八十神に見つかるんじゃないのかと、心配ですよね。

2017年10月28日土曜日

古事記(5) 其八俣遠呂智、信如言來


高天原を追放されたスサノオは、お腹が減って食べ物の神である大気津比売神(オオゲツヒメノカミ)のもとに立ち寄ります。

オオゲツヒメは、自分の鼻、口、尻から食べ物を出して盛り付けるという離れ業。ところがスサノオは汚物を食わせる気かと怒って、オオゲツヒメを殺してしまいます。

死んだオオゲツヒメの頭から蚕、目から稲穂、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が生まれます。

別天つ神の一人、最初に登場し消えていた神産巣日神(カミムスビノカミ)が突然再登場し、これらを集めて作物の種としました。

因みに、日本書紀では、月読命が主役の話に変わります。アマテラスに保食神(ウケモチノカミ)の様子を見てくるように言われたツクヨノは、保食神が口から食べ物を出したことで怒って殺してしまう。

アマテラスはそれを聞いて、ツクヨノと兄弟の縁を切ってしまったため、昼と夜は別々にやってくることになったという・・・つ

一方死んだ保食神の頭から牛馬、額から粟、おでこに蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれましたとさ。

やはり、本来イザナキから生まれるのは対称的なアマテラスとツクヨノだけでよかったのかもしれません。そこに決定的な兄弟喧嘩が発生し、ツクヨノが敗者となり歴史から消えるのですが、全面的に悪者にするわけにいかないので、スサノオを表裏一体的な存在として登場させた・・・なんて、勝手な妄想なんですけどね。

さて、出雲国斐伊川にたどり着いたスサノオでしたが、国つ神の大山津見神(オオヤマツミノカミ)のこどもである足名椎(あしなづち)と妻の手名椎(てなづち)、そして娘の櫛名田比売(くしなだひめ)と出会います。

泣いている家族に、クシナダに一目ぼれしてしまったスサノオが理由を尋ねると、「毎年、8つの首、8つの尾を持つ八俣遠呂智(やまたのおろち)がやってきて娘を食べてしまうので、クシナダが最後の一人。今年ももうじきやって来る」という話。

そこで、クシナダとの結婚を条件にスサノオは遠呂智退治を引き受けます。スサノオは、8つの大きな器に強い酒をたっぷり満たし、クシナダを櫛に変えて自分の頭に差して待ちました。

そこへ八俣遠呂智がやってきた・・・というのが今日のタイトル。遠呂智は器にそれぞれの首を突っ込んで酒を飲むと酔って寝込んでしまいます。スサノオはすかさず、遠呂智を切り刻んで退治すると、尾の中から立派な草那芸(くさなぎ)の太刀が出てきました。

スサノオは結婚の報告をアマテラスするため、高天原にちょっとだけ戻ったときにこの太刀を献上しました。そのあと、出雲の地ですがすがしい場所を選んで須賀と呼び、宮殿を作り足名椎も呼び寄せて長く幸せに暮らしました。

高天原でのスサノオは荒くれ男で、スサノオの名前から「すさまじい」とか「すさぶ」といつた言葉が生まれるくらいです。ところが、天下った後は遠呂智退治で英雄となってしまいます。

最も、当然キングギドラばりの怪獣が本当にいたはずはなく、おそらく出雲の山中を支配する8つの部族、首領たちということだろうというのは想像しやすい。ただ斐伊川の氾濫による自然災害を指しているとの説もあるようです。

斐伊川は確かに氾濫が多かった河川で、同時に砂鉄の産地としても有名です。そこで、おそらく当時の普及していた銅剣よりも強固な鉄剣が出てきても不思議が無い。

スサノオがアマテラスに献上した後、草那芸の太刀は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれ、さらに日本武尊(やまとたけるのみこと)に手に渡り草薙剣となります。

天岩屋戸を開けるために使われた、鏡と勾玉、そしてこの剣によって天皇の印となる三種の神器が揃いました。

2017年10月27日金曜日

更科 (Renewal !!) @ すすき野

横浜市青葉区すすき野というのは、自宅近くの古い商店街があるところ。高齢化などもあってなのか、少しずつ寂びれていって、年々閉店する店も少なくありません。

その中の蕎麦屋が更科で、このブログでも度々登場しています。基本的なスタイルは、昔ながらの出前もやっている街のお蕎麦屋さんで、特にこだわりの手打ちとかではありません。

ただし、時分にとっては気楽に行ける蕎麦屋として「ホーム」の位置づけ。近いからというのもありますが、一番気に入っているのは汁の味。

鰹・昆布主体の正統派ですが、醤油が少な過ぎず多過ぎず、冷たくても温かい蕎麦でも本当に美味しい汁だと思います。

今回は、寒くなって来たので温かいたぬきとミニ・イカ天丼のセット。この汁をすするだけで、何か幸せぇ~って気分になれる。

・・・ってとこまでは、新しい話ではなく、また同じようなことを書いていると思われるかもしれませんが、ちよっと新しい話題があるんです。


実は、9月に店舗を改装したんです。これって、地味に凄いことだと思うんですよね。すごく明るくなって、広さは変わらないのにすごく広々とした雰囲気になりました。

何しろ、店が年々減っている商店街の店ですよ。しかも、どこの場所でも、普通の出前ありの蕎麦屋・・・増田屋とか大村庵とか、どんどん無くなっていますからね。市ヶ尾にあった更科も、今年閉店しました。

代替わりして、そのままの昔ながらの形で続けても、最近は難しいらしい。

共働きで、日曜日とかもなかなか家にいない。コンビニが増えて利用しやすい。逆に、グルメ志向の高まりで、蕎麦が好きだとこだわりの手打ちの店に行きがち。

そういうご時世で、改装するというのはなかなか勇気がいる。お店が順調なのか、逆に低迷しているために一発逆転を狙っているのか・・・

少なくとも自分が知る限り、客がいなくてガラガラというのはまだ見たことがありませんし、もともと街の蕎麦屋にしては珍しくお酒も飲めるメニューもあったりしますから、経営的には問題ないと思います。

店をさらに続けていくための、決意表明みたいなところなのかな。ってか、ずっと頑張って欲しいです。数か月に一度ですけど、必ず行きますから。

2017年10月26日木曜日

霜降


今週になって、二十四節気は霜降(そうこう)に入っています。

霜が降りるわけですから、いかにも寒さが増してきた感じがする。

実際のところ、先週から雨が続く関係もあって、太陽の光を随分と見ていませんから、気温も上がりようがない。

さすがに、まだ霜は無い・・・と思いますが、少なくとも夏色は完全にら払拭され、これ以降は冬へと向かう方が強くなります。

旬と言えば、今の時期は柿。もともとアジア特有のもので、今では世界中で栽培されているようですが、和の食材というイメージが強い。

基本は渋柿で、突然変異が甘柿。家の近くにある、王禅寺の庭にある柿が日本の元祖甘柿とされています。へぇ~、そうだったのか、と感心。

寒さも困りますが、毎週台風に寄って来られるのも、季節がらしょうがないけどうんざりします。

すかっとした秋晴れが恋しい・・・できれば、日曜日はそんな感じになって欲しいけど、次も無理そうですね。




2017年10月25日水曜日

古事記(4) 天照大御神見畏、開天石屋戸而


スサノオは、毎日毎日泣いてばかりで、何年たっても、海は荒れ続けるため、イザナキは様子を見に行きました。スサノオは、「母さんに会いたいよぉ~、黄泉の国にいきたいよぉ~」とわがままを言う。

イザナキは「それは無理」と何度も説明しますが、ついには説得に応じないスサノオを追放します。イザナキの出番はこれでおしまい。その後は淡海(近江)の多賀で静かに余生を送っているということです。

スサノオは、母を訪ねる前に高天原にいる姉、アマテラスに挨拶に向かいますが、アマテラスはてっきり高天原を乗っ取るつもりかと勘違い。武装してスサノオと対峙します。

スサノオは、そんな邪心はないことを誓約(うけい)によって証明しようとします。アマテラスはスサノオの剣、スサノオはアマテラスの髪飾りの勾玉を、それぞれ噛み砕いて吐き出しました。

スサノオの剣からは三柱の女神が、アマテラスの勾玉からは五柱の男神が生まれます。清らかな女神を生ませた自分に邪心は無いことが証明できたというスサノオに、アマテラスは言いくるめられてしまうわけです。

誓約というのは、本来はどうなったらこう、あーなったらそうと決めておくものですが、決めをしないで始めてしまったので、何にしてもスサノオの都合の良い結果になったということ。

調子に乗ったスサノオは、高天原でやりたい放題。畔を壊して田畑を荒らし、御殿にウンチをまき散らす。しかし、ついにアマテラスの堪忍袋の緒が切れるときがやってきます。

アマテラスの命により、神に奉る神聖な衣を織っていた服織女(はたおりめ)が、スサノオが投げ込んだ皮を剥いだ馬に驚いて横糸を通すための棒状の梭(ひ)で陰部を突いて死んでしまいました。

恐れおののいたアマテラスは、ついに天岩屋戸を開いて、その中に隠れてしまいました。これが、今日のタイトルの文章。

あそこを突いて服織女が死亡するというのも、如何なものかという話ですが、実はこれはスサノオによる姉殺しではないかという説もあったりします。つまり、棒で突くというのは、矢で射殺すということ。

アマテラスが隠れてしまったので、高天原どころか葦原中国も真っ暗になり、様々な災いが起こり大変なことになった。

これは、現実には皆既日食を表しているらしく、理科的な計算で247年に九州北部、248年に奈良で日食が起こっていることがわかっています。

さらに興味深いことに、もしかしたらいきなりですが、邪馬台国の卑弥呼が死んだことと日食が重なり、アマテラスとして再生する、つまり人が神格化したという説を考える学者もいるそうです。

それはさておき、話を戻すと、アマテラスを引っ張り出すための作戦会議がはじまりました。中心になったのは思金神(オモイカネノカミ)で、実はしょっぱなに登場し消えたはずの別天つ神の一人、高御産日神のこども。

タカミムスビは性別不詳だったはずで、いきなり再登場して子持ちだったというし、名前もこの後、高木神(タカギノカミ)に変わったりして釈然としませんが、ただオモイカネは高天原の知恵袋のような存在で、知恵の象徴みたいな神様です。

オモイカネの計画は実行に移されました。閉ざされた天岩屋戸の横に怪力自慢り天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)が隠れて待機し、前では天宇受売命(アメノウズメノミコト)が踊りだします。

神懸かり踊ったため、着ていた服はどんどん脱げてしまいました。まさに日本初のストリップ・ショーです。観衆になっていた八百万の神々は大喜びで、どんちゃん騒ぎになった。

私がいないというのに、何がそんなに楽しいのか不思議でしょうがないアマテラスは、ついつい戸を開けて外を覗おうとしました。そのすきをついて、天手力男神がアマテラスの手を掴んで天岩屋戸から引きづりだし、注連縄で戻れないように封印してしまいました。

スサノオを高天原から追放し、世界にあらためて陽が射し、災いは消え、誰もが平和に暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。

因みに・・・スサノオの剣から生まれた3人の女神は、多紀理毘売命(タキリビメノミコト)、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)、多岐都比売命(タキツヒメノミコト)。

福岡県の宗像大社の興津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られています。宗像市田島の辺津宮から、筑前大島にある中津宮までは船で11km、奥津宮は玄界灘の沖ノ島にありさらに直線的に49km離れています。

沖ノ島は女人禁制で、年に一度だけ選ばれた参拝者のみが上陸できるという厳しい古来からの仕来たりが守られています。海の正倉院と呼ばれ、10万点にも上る貴重な発掘物があり、そのうち8万点が国宝に指定されました。

アマテラスの勾玉から生まれたのは、天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)、天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)、天津日子根命(アマツヒコネノミコト)、活津日子根命(イクツヒコネノミコト)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)です。

アメノオシホミミとアメノホヒ以外は、ほとんど活躍の記録はありません。クマノクスビは名前からしても、熊野大社と関係がありそうなんですが、明解な答えはないようです。

この女神三柱と男神五柱が、平安時代に始まり今でも行われている雛飾りの三人官女と五人囃子の起源とされています。

引きこもったアマテラスを復活させるための作戦会議が行われたのは、天安河原(あめのやすのはら)という場所で、宮崎県西臼杵郡高千穂町にあり、近くの天岩戸神社の本殿の後ろに天岩屋戸があるとされる。

実際のところ、近畿、中国、四国などに多数のわれこそは本物という天岩屋戸がいくつもあり、本来高天原の出来事ですから、地上の葦原中国には存在するはずがないと言ってしまえばそれまで。

2017年10月24日火曜日

古事記(3) 欲相見其妹伊邪那美命、追往黃泉國


これは、「愛しいイザナミ逢いたくてしょうがないイザナキは黄泉国(よもつくに)へ追いかけて行きました」ということ。

よほど愛していたんでしょうね。とは言え、死んだ者は還らないはずなのに、死者の国に行けば再会できるというところがファンタジー。

黄泉の国で、閉ざされた入り口の向こうにイザナキが声をかけると、イザナミから「黄泉戸喫(よもつへぐい)を済ませた、つまりもうこっちの食事をしちゃったので無理」とつれない返答。「とりあえず、こっちの親分と相談してみるから、その間絶対に中を見ちゃだめ」ということで・・・

古今東西、「見てはいけない」という時は、結局見ちゃって話が展開するといのがお決まり。ギリシャ神話でもオルフェウスが同じ轍を踏んでいる。昔話でも「鶴の恩返し」とかもそう。

あまり待たせるので、ついにイザナキはしびれを切らして入り口を無理やり開けてしまうと、腐乱して蛆がたかるイザナミがいた!! 怖くなったイザナキは、一目散に逃げだした。

イザナミは逆切れして、「見るなと言ったのに見るなんて、なんてひどい人」と怒り心頭で追いかけてきます。イザナミは黄泉の国に入る場所である黄泉比良坂(よもつひらさか)まで戻ったときに、追いかけてきた軍勢に生っていた桃を投げつけると逃げ帰りました。

ちなみに、桃太郎は、欠史八代の中の孝霊天皇の皇太子である吉備津彦命、稚武彦命の兄弟による吉備国平定における活躍からできた話という説があり、イザナミの桃で黄泉の軍勢退治というのが根底にありそうな感じですね。

イザナキを取り逃がしたイザナミは「毎日あなたの民を1000人殺す」と言いましたが、イザナキは「だったら毎日1500人新たに生む」といって対抗します。これが、人に寿命がある理由であり、人類が発展する約束なんだって。

地上に戻ったイザナキは、穢れたので筑紫の日向、阿波岐原で禊(みそぎ)をしようと思い立ちます。脱ぎ捨てた服から次々と神が生まれたんですが、これらは穢れから来たものですから、病気の神だったりしてあまり嬉しくはない。

泳いだり、潜ったりしているうちにたくさんの神が生まれ、そして最後に・・・ここが重要。左目を洗うと天照大御神(アマテラスオオミカミ)が生まれ、右目を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)、そして鼻を洗うと建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)の三貴神がついに登場します。

イザナキは、アマテラスには高天原、ツクヨノには夜の世界を、そしてスサノオには海をそれぞれ治めるように命じたのでした。

そもそも、地底の奥深くらしい黄泉の国って、どこにあるんでしょう。普通の地上のことを葦原中国(あしわらなかつくに)と呼び、黄泉比良坂とで黄泉国と繋がっている。黄泉比良坂については、出雲国の伊賦夜坂(いぶやざか)という話があって、松江市の観光スポットの一つになっています

そこから宮崎県の海岸まで禊にいくというのは、またずいぶんと遠くにいったものです。 現在海岸の横に阿波岐原森林公園市民の森があり、中には「みそぎ池」というのがあり、近くにはイザナキを祀る江田神社があります。

ここで一番の謎と言えるのが、月読命だと思うんですよね。アマテラスはどう見ても女性、スサノオは男性。ツクヨノは性別不明で、この後の話にはまったく登場しない。

本来なら、左目から太陽の神、右目から月の神が生まれてバランスがいいので、鼻から生まれるスサノオはついでという感じがする。

ところが表舞台から消えてしまうツクヨノは、もしかしたらヤマト王権からすれば征服した敵の神を象徴しているのかもしれません。征服後に問題を起こさせないために、わざとあっちの神様を持ち上げたという説もあったりするわけです。

消えたと言っても、日本書紀だと、穀物の起源との関わりが少しだけ書かれていますし、伊勢神宮には、内宮の別宮として月読宮、外宮の別宮として月夜見宮がありますから、何かと気にかけてもらっていることは間違いなさそうです。

2017年10月23日月曜日

古事記(2) 以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而


これは、やばい!!

何がやばいって・・・これって、かなり直接的な表現。

う~ん。古事記って・・・日本初のエロ本かと・・・

つまり、淤能碁呂島に降り立ったすべての日本人の祖先にあたるイザナキ・イザナミの二人の神は高天原に届く天御柱(あめのみはしら)を立てて、その周囲を回って結婚の儀式をするんですね。

その前のやり取りが・・・

イザナミ曰く、「私には足りないところがある」
イザナキ曰く、「俺には余ったところがある。足りないところを余ったもので塞いで国を作りましょう」という話になったわけ。

二人は天御柱の周りを別々の方から回って、出会ったところでイザナミから声をかけます。

イザナキ曰く、「あら、イケメンだわ」
イザナキ曰く、「おお、いい女だ」

ということで、めでたく日本初の初夜を迎えたんですが、そこで生まれたこどもは二人続けて実態のない失敗作。船に乗せて海に流し去ります。これって、日本初の捨て子事件。

二人は高天原に相談に行くと、天つ神から「女から声をかけたのがだめ」と助言されたので、もう一度天御柱の周りをまわって結婚の儀のやり直し。

今度は、
イザナキ曰く、「やあ、いい女だね」
イザナキ曰く、「あら、イケメンね」と声をかける順番を変更。

すると、ここからは順調にたくさんの島を産んでいき、無事に日本の国土が神として誕生しました。さらにいろいろな自然現象に関係した神、実際の生活に必要な神を次々に産みました。

最後に火の神、ヒノヤギハヤオ(ヒノカグツチ)を産んだ時にイザナミは陰部熱傷となり、それが元で亡くなるという、何ともいたたまれない話。

しかも、亡くなる前に苦しむイザナミの糞、尿、吐物すらも神になるという・・・

さらに、妻を亡くして怒り狂ったイザナキは、わが子であるヒノカグツチを切り殺すという日本初の殺人事件、しかも子殺しという事態を招きます。ちなみに飛び散ったヒノカグツチの血液からもたくさんの神が生まれるのです。

とにかく、この一連の話からは「男尊女卑」の考え方が根底にあることは明らかで、今どきだったらどっちから声をかけても問題はなさそうですけどね。

それと、何気に気になるのが、捨てられ忘れ去れた最初のこども。長子である水蛭子(ひるこ)、第2子である淡島(あわしま)はどうなったんだろう。

何らかの奇形児だったのか、あるいは医学的には胞状奇胎というのがあるので、そんなところなのかもしれませんが、事実かどうかもわからない話ですから追及しようがない。

水蛭子は、間の蛭を除くと水子となりますよね。なんか関係あるのかなぁ。水を除くと蛭子で、これだけでも「ひるこ」と読めますが、「えびす」とも読める。

流された水蛭子が漂着したのが神戸とする話があって、和田神社では神として祀っています。さらに、西宮神社では、七福神の一人、恵比須様の起源としています。

和歌山をはじめ全国にある淡嶋(淡島、あるいは粟島)神社は、第2子の淡島との関連があるのかもしれません。

殺されちゃった火加具土も別府では温泉の神として火男火売神社に祀られ、全国の秋葉神社、愛宕神社、野々宮神社でも信仰されています。

2017年10月22日日曜日

古事記(1) 天地初発時


天地初めて発(あらわ)れし時・・・

というのが古き事を記した、古事記の始まり。日本漢文体というもので書かれ、読み方はいろいろ。ただし、現存しているのはたくさんある写本のみ。

まだ人どころか、大地すらなかった時から始まります。最初に登場するのは上と下、つまり天と地なのですが、そもそもどうして天地が出てきたのかは説明がありません。

もう、そこんとこは理屈じゃない。そういうもんだと信じないさい、ということ。最初から上下関係というものが理屈抜きに存在し、これは変更することができないということが大前提です。

最初に動きがあったのは天の方。しかも、通常の「天」よりもさらに「高い」ところである高天原(たかまのはら)と呼ぶのですから、かなり強気。

そこに登場するのが、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カンムスビノカミ)の三柱。なお、神様は「柱」でカウントする約束。

いずれも性別がなく、すぐに身を隠したという・・・何だかよくわからない。このよくわからないというところが大切なことで、神様ですからよくわかっちゃいけない。

続いて地の方に動きがあつて、漂うような混沌とした表面に宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)と天之常立神(アメノトコタチノカミ)が出現しますが、こちらも性別不詳ですぐに消えてしまいます。

ここまで登場する五柱の神様が、別格で「別天つ神(ことあまつかみ)」と呼ぶんですが、こうやって登場する神様の名前を出てくるたびに書いていくと、とてもしんどいことになる。

当然、このあたりはどう考えても創作でしょうから、7~8世紀頃の人々の考え方、生活の雰囲気、そして少しずつ入ってきた中国の思想に対する対抗心などが表れているということ。

このあと出てくるのが、神世七代(かみよななよ)と呼ばれます。
① 国之常立神(クニノトコタチノカミ)
② 豊雲野神(トヨクモノノカミ)

ここから男女のペアになる。
③ 宇比地邇神(♂、ウヒジニノカミ)、妹須比智邇神(♀、イモスヒジニノカミ)
④ 角杙神(♂、ツノグイノカミ)、妹活杙神(♀、イモイクグイノカミ)
⑤ 意富斗能地神(♂、オホトノジノカミ)、妹大斗乃弁神(♀、イモオオトノベノカミ)
⑥ 於母陀流神(♂、オモダルノカミ)、妹阿夜訶志古泥神(♀、イモアヤカシコネノカミ)
⑦ 伊邪那岐神(♂、イザナキノカミ)、妹伊邪那美神(♀、イモイザナミノカミ)

やっと、聞いたことがある名前が出てきました。

ちなみに、ここまで登場する最初の17柱の神々に因んで作られているのが、十七条憲法なんだそうです。十七条憲法はあの聖徳太子によるもので、古事記成立より前の話。焼失する前の古事記の原典がヒントになったことは間違いないようです。

最後に登場したイザナキ・イザナミのペアに、天つ神一同から「地を固めて国を作れ」という指令が下り、天沼矛(あめのぬぼこ)を授けます。

イザナキ・イザナミは、天地の間に架かる天浮橋(あめのうきはし)から下を覗いて、天沼矛を下ろし海面をかきまぜると、矛先から落ちた雫が島になったという・・・この島に淤能碁呂島(おのごろしま)と名付けて降り立ちました。

淤能碁呂島は、日本書紀では磤馭慮島と表し、別名を自凝島(自ら固まった島)とも呼びます。架空の島であるという説と、淡路島の周辺の島のどれかを指すという説があります。

この後、まだまだSFチックに話が続きますが、とりあえずやっとイメージがしやすい話になっていきます。

淤能碁呂島の関連する場所の地図はこちらから

2017年10月21日土曜日

日本古代史を学びなおす


昨年、建国記念日をあらためて考えてみたら、日本人として日本の国はそもそもどうやって成立してきたのか興味を持ちました。

「自分探し」というのは、しばしば話題になるテーマですが、当然すべての日本人の原点を突き詰めていけば、すべて同じ方向に向かっていくはずですから、日本の古代史は究極の自分探しであると言えます。

その流れがあって、昨年は伊勢神宮、今年は出雲大社に出かけてみた・・・と言うと大袈裟ですが、現代に残る歴史に埋もれた場所に実際行ってみると、その場所の空気感みたいなものがあって、その意味を知りたくなるというのは自然の成り行きです。

本来は、行く前にしっかりと勉強して行けば、より意味深い旅ができるのですが、行ってみて初めて何を知るべきなのかわかるところが多い。
ですから、もう一度勉強をし直してから、もう一度訪問した時は得るものも多くなると思います。

日本の古代史のスタートとして、基本的な文献として認知されているのは古事記・日本書紀です。この二つの書をまとめて記紀と呼ぶようですが、いずれも天武天皇(第40代、在位673年~686年)のアイデアで編纂が始まったことが知られています。

古事記は成立が712年、日本書紀は720年に成立していて、自分の印象としては古代史を語るにはわりと新しいと感じます。

もっとも、文字があって初めて歴史が記録されていくわけで、日本に文字が普及しはじめたのは5世紀頃といわれていますので、記紀の成立は遅れること数百年は長すぎないかということです。

あ~、ここで昔々高校で習った歴史を思い出すことになります。

622年、聖徳太子が無くなると蘇我氏は増長します。天皇さえ凌駕する勢いのため、645年に中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らによって蘇我入鹿が暗殺されるクーデターが乙巳(おっし)の変。

この時に、入鹿の父親の蘇我蝦夷は邸宅に火を放ち自害するのですが、それまでの朝廷の歴史書を保管する書庫も同時に焼け落ちてしまいました。

焼失した多く歴史を記載した書物を暗記していた稗田阿礼(ひえだあれ)の語りをもとに太安万侶(おおのやすまろ)が編集し、日本人向けに刊行されたのが古事記であり、一方対外的な国史書として作られたのが日本書紀です。

なるほど。だから、成立時期が新しいわけです。しかも、歴史は勝者の記録ですから、伝承の上に都合の良い創作も加わり、さらに一人の記憶に頼って再編集という作業の結果、たくさんの謎が生まれることになりました。

古事記全三巻の中で、特に面白いのが初めの神話部分。そのまま読めば、ほとんどファンタジーの世界で、しかもかなりエロっぽい話がてんこもり。

しかし、まったく無からの創作というのは、かえって難しく、それらのエピソードの元となる事実は何かしらあった可能性は否定できません。歴史的には旧石器時代~縄文時代~弥生時代前半あたりのことでしょうか。

また記紀を通して、ほぼ抜け落ちているのが欠史八代と呼ばれる初代の神武天皇後の第2~第9代天皇の時代。これらの8人の天皇については、名前の記載はあっても実質的な内容が無く、実在そのものについても諸説が混沌としています。

弥生時代後期を中心とした西暦で1~5世紀くらいにあたる時期だろうと思いますが、実はこの時期に外国の資料から実在したと考えられているのが3世紀ごろの卑弥呼で有名な邪馬台国。

おそらく各地方にあった強権勢力の一つですが、記紀にはまったく出てこないため、謎は謎を呼ぶ存在です。

古墳時代に群雄割拠した勢力の中から、4世紀以降にヤマト王権が飛びぬけて日本を統一していくのが飛鳥時代であり、日本という国名が使われ始めるのは701年の大宝律令以後でここから奈良時代。

というわけで、この辺りまでの歴史が知的好奇心を大いにくすぐるわけです。特にファンタジー色濃厚な神代の世界を学びなおすことは、事実を確認する資料がほぼ無いために、大いにロマンがあるところ。

そして、これらの摩訶不思議な世界と現代をつなぐことができるのが神社です。神話の中の八百万の神々を祀り、それぞれの由来を知ることは古代史に秘められたミステリーを紐解くきっかけになりそうです。

最近は御朱印集めという、ちよっとしたブームがあって、神社仏閣で参拝した記録となる「スタンプラリー」みたいなもので、パワースポット巡りという側面もあります。

いろいろな神社を訪れてみるモチベーションになりますから、合わせて楽しみながら御朱印をこつこつと集めてみるのは良い方法だと思います。

2017年10月20日金曜日

でごいち


世の中には鉄道ファンという方はたくさんいて、とにかく乗るのが趣味という人を「乗り鉄」と呼んだりするし、鉄道模型にはまる人もいます。

中には走っている列車の写真を撮るのが好き! という、「撮り鉄」と呼ばれる方々には、レトロな蒸気機関車、しかも実際に走っていれば憧れの被写体というところ。

申し訳ありませんが、自分の写真趣味にはあまり関係ないところで、そもそも子供の頃に蒸気機関車はすでに走っていなかった。

ですから、特に懐かしさはないわけで、どちらかというと新登場してきた「新幹線ひかり号」が鉄道ではスターの地位にある感じ。

それでも、「でごいち」という言葉としての懐かしさは多少なりとも感じるわけで、大多数の方には蒸気機関車の代名詞くらいになっているんじゃないでしょうか。

確かに、今どきの軽量合金かなんかでできている電車が走るよりも、重量感のある鉄の塊が煙を吐きながら疾走する姿の方が見応えはありそうに思います。

現代の価値観からは実用性は無い物の、文化史としての価値は十分に認めるところですから、何かしらの形で未来に遺していくのは悪いことではありません。

2017年10月19日木曜日

第21回田園都市リウマチフォーラム


田園都市リウマチフォーラムは、自分も世話人の一人になって、リウマチ診療を専門にしている開業医のための勉強会です。

元々、悩んでいる症例を相談する会として始めた会を発展させたものですが、知識を新しい情報にアップデートするために、自分たちが何を知っているべきかを確認できる大事な会です。

ですから、世話人会の中で、今一番ホットに話題は何か、もう一度注目する必要があることは何かなど、リウマチ医として必要なテーマを吟味してそれぞれに精通した講師を招くというスタイルを貫いてきました。

2010年の秋以来、年に3回、昨夜の会で第21回を数えました。ここまで続くと、けっこう横浜・川崎界隈では周知された会として認識されるようになったのではと思います。

さて、今回は基礎の勉強。講師は順天堂大学の三宅幸子教授で、リウマチ診療に関係した免疫学の基本的なことを講義してもらいました。

そもそもリウマチは「自己免疫性疾患」というくくりに入ってくるわけで、治療もその異常な免疫をおさえることを行っています。免疫学を抜きにしては、理解はできない・・・

・・・のですが、この免疫学というのは大変難題です。30年以上前に授業で教わったときは、生理学の中の一コマとしてさらっと聞いただけ。たぶん、現在では当時の何十倍もの情報量になっており、しかも日々のアップデートが半端ではありません。

昨日正しいと思っていたことが、翌日には書き換えられてしまうことは当たり前。教科書は出版されたときには、過去の話の集大成にすぎないというのも日常茶飯事です。

今回の講演では、もうほとんど聞いたことがない単語が山ほど出てきて、正直とても就いていけない内容でした。これで「基礎」なんですから、もうほとほと困るとしか言いようがない。

ただし三宅先生のお話は大変お上手で、テンポよく臨床との関連をうまく指摘しながら進めていくおかげで、最後まで興味深く拝聴できました。

リウマチで「実行犯」とも言えるサイトカインについて、少なくとも今後調べるためのとっかかりを作ってもらえた気がします。

さて、話は変わりますが、今、日本の医学界で製薬会社との関係はずいぶんと変化してきました。いろいろな問題から、製薬会社の医療側への利益供与を控える動きは加速しています。これは当然のことで、それを批判はできないとは思っています。

このような講演会を行うことにはお金がかかりますし、当日のマンパワーも必要です。自分たち開業医だけで行うことは難しく、製薬会社にスポンサーについてもらわないと成り立ちません。

しかし、昨今、そのための制約がおおきくなっており、基本的に自社製品に関連しないテーマの講演は難しくなっており、またその内容についても事前に「検閲」する傾向になっている。

病気を知ることは、一つ一つの症例の積み重ねが重要です。この会でもできるだけ各自が経験した症例を検討する機会も随時設けてきましたが、まだ事実として認定されていないことを話題にしてはいけないらしい。

実際に医療を行っている自分たちが、本当に知りたいことを中心に会を続けていくのがかなり難しい状況になってきているのです。スポンサーについてもらう以上、製薬会社の意向に全面的に逆らうわけにはいきません。

ただ、そうなると製薬会社の単独主催の講演会と同じになってしまい、はっきり言えば「薬の宣伝」のための、特定の薬品の話だけを聞く説明会と変わりがない。

今回のような、比較的「地味なテーマ」の話は本当に重要なのに、積極的にスポンサーの薬の話が含まれるわけではないので、今後は難しくなりそうな状況です。

せっかくここまで続けてきた会ですから、このスタイル(薬に限定されないテーマの講演+症例の検討)を崩すのだけは否だというのは世話人の共通意見です。

最悪、場所はクリニック、講師へのお礼は本当の薄謝、参加者は手弁当みたいな形式で、参加費を値上げして完全自前で行うしかないと覚悟しています。

次回から、まだ自分たちの主旨をある程度理解し協力してもらえる製薬会社へスポンサーが交代しますが、何とか田園都市リウマチフォーラムを「由緒ある会」として発展・継続できるように考えています。

2017年10月18日水曜日

元祖「パンダ」


もともとパンダといえばこれ。

いわゆる白黒のパンダが有名になってしまい、こちらはいつのまにか「小さい方」のパンダと呼ばれるようになってしまいました。

今は、上野でも人気のパンダはジャイアント・パンダ、こちらのはレッサー・パンダと呼びますが、単にパンダと言えばでかい方。

なんか、可哀そう。しかも、レッサーというのは、「小さい」といっても「劣っている」という意味合いもある。

ですから、できるだけ別名であるアカパンダ(レッドパンダ)と呼んであげましょう。

10年くらい前に後足で直立する風太くんというアカパンダが人気になりましたが、それが普通ではありません。普段はゆっくり、ごろごろしているのかも。

2017年10月17日火曜日

黄色のかぼちゃ


今年も巷ではハロウィンの時期になってきました。

本来は、完全に日本とは無関係のイベントですが、何でも無分別に吸収してしまうのは日本人の良い所(?)なのか・・・

ハロウィンと言えば黄色いかぼちゃ。普通、日本で食用にしているのは kabocha です。ハロウィンで出てくる黄色の南瓜が punmpkin です。

歩いていたら、ライトアップならぬ、パンプキン・アップしているお宅がありました。

だいぶかぼちゃ好きなのか、家自体にもたくさんハロウィンの飾り物をしていました。

どうでも良さそうなことですけど、やっている側は楽しいものですよね。

2017年10月16日月曜日

インフルエンザ予防接種


インフルエンザは毎年12月に入ると流行りだし、1月にピーク、3月ごろに収束というパターンです。

予防接種は高価が認められており、接種してから数週間後に効果が出始め数か月維持できることから、11月中の接種が理想的。

ところが、だいたいニュースで流行しはじめたという話を聞いて12月以降にバタバタと接種する方が多い。例年はそれでもダメなわけではないのですが、今年は事情が違います・・・

というのは、

ワクチンの製造量が極端に少ない!!

ということなんです。横浜市や医師会を通じて、再三ワクチンが少ないことの注意喚起が回ってきます。

毎年、年明け早々に次のシーズンで流行するインフルエンザのウイルスの型が予想され、それをもとにワクチン生産が開始されます。

その型が当たれば効果はしっかり出るし、外れると罹患する患者数が増えます。だいたい当たらずとも遠からずで、極端に外れることはあまりありません。

ところが、何故か、今年はそのウイルス型の決定がかなり遅れてしまったそうです。したがって、ワクチン接種が始まるこの時期になっても、まったく生産が必要量に追いついていないということです。

当然最終生産量はかなり減ってしまうと思われます。とは言っても、この何年かの使用最低実績分くらいにはなると言われてはいます。

各医療機関も、現状でワクチン確保が困難で、例年通りには入荷していない状況だと思いますし、発注しても次の入荷がいつになるのか不透明という事態になっています。

ワクチン接種ができないと、今シーズンは、流行の期間が長く続き、また患者数の増加が予想されます。

ですから、今シーズン当初は、高齢者、乳幼児、免疫不全の病気がある方、リウマチなど免疫に弱点を作る薬を使っている方、あるいは受験生などを優先的に接種することになるかもしれません。

それ以外の方は、ワクチン接種はできない場合もあるかもしれませんので、例年以上に感染予防には厳重に注意しましょう。

2017年10月15日日曜日

茶の木の花


ペットボトル飲料が普及して、わざわざ急須でいれなくても、手軽にお茶を飲む機会は増えたと思います。

お茶の原料は茶の木の葉っぱ。茶の木というと、植物学的には何の樹木かと思ったら、まさに「チャノキ」という植物。

チャノキはツバキ科の常緑樹で、10月~12月にかけてツバキに似た白い花が・・・咲きました!!

実用植物みたいなもので、あまり盆栽向きではない。ですから、どちらかというと普通の鉢植えという感じで、ほとんど陽が当たりにくい隅っこでほったらかし。

9月になって、花芽のような丸い目が出てきたので、様子を注目していたら、膨らんで蕾になって、そしてついに開花です。

ツバキに似た形ですが、小さめで白い花弁がけっこう愛らしい感じ。しばらく楽しめそうです。

2017年10月14日土曜日

土偶と埴輪 ~ 記紀探訪事始


土偶と埴輪、どちらも土の焼き物。何となく違うという雰囲気はあるものの、ほとんど昔々の文化物の一つという共通のくくりで一緒くたにしていました。

実際のところ、時代も違うし、目的も違う。

・・・知らなかったぁ。

土偶は縄文時代・・・というと紀元前4世紀くらいまでですから、だいたい2500年以上は昔のもの。

女性を表したものが多く、ボン・キュ・ボンを強調した形状をしていることが多い。発掘されたもののほとんどが、手足が折れていたりして、中には明らかに故意に壊したと見受けられるものがある。

つまり、病気やケガの場所を治すため、安全な出産を祈るため、あるいは何か悪しきものを取り払うための儀式的な用途と考えられています。

有名なのは、ちょっとグロテスクな感じで宇宙人ではないかと言われていたりします。

縄文時代の後は、邪馬台国で有名な卑弥呼が登場する弥生時代。

埴輪は、縄文・弥生時代が終わった古墳時代、つまり3世紀から7世紀の期間に登場します。

この時代は大陸との交流が活発化し、国土を統一するヤマト王権が成立したと考えられ、日本中に前方後円墳を代表とする墓制が広まっていきました。

古墳の周辺に並べられて、死者の権威を象徴したり、葬儀の模様を表したりするのが埴輪です。

元祖ゆるキャラと言いたくなるユーモラスな人の形状が代表ですが、たたの円筒形のもの、あるいは動物を象ったものもあります。「大魔神」もここから始まる。

この頃までは、ちゃんとした記録というものは無いわけで、謎が謎を呼ぶところ。ヤマト王権が拡大し朝廷と呼べる統一国家を形成するのが次の飛鳥時代。

その末期に作られたのが、歴史の伝聞(神話・伝説)の集大成である古事記で、日本の歴史はここから始まるわけですね。

ふーん、そうだったのか。中学生の頃に聞いたことだと思うのですが、何十年ぶりかで認識しました。

う~む。これは、ちよっと勉強しなおさないといけませんね。

2017年10月13日金曜日

炭火焼き鳥 むぅ @ あざみ野


あざみ野駅近の焼き鳥屋さんです。

焼き鳥屋さんなんですが、注目は写真の手前・・・葱です。

長葱だけ・・・というのは、普通「いかだ」と呼ばれています。軟白葱が使われている・・・はずです。

葱は熱が加わると、辛味が甘味に変わります。火を当てすぎると、簡単に焦げてしまうので、そのあたりの案配が焼き手の腕。

まぁ、合格点です。

もちろん焼き鳥も合格。値段は普通。まぁ、いいんじゃないでしょうか。

気楽にいく店としては、選択肢に入れていいんですけど、店はそれほど広くないので、すぐに一杯なので要注意です。

2017年10月12日木曜日

FAKE FOOD


世の中には「偽物」、あるいは「・・・もどき」と呼ばれる物がたくさんありますが、食べ物にも少なくありません。

レストランの入り口にあるロウで作られた「見本(食品サンプル)」は、日本独特の文化だそうですが、中には本当によくできていて驚くことがあります。ただし、これは実際に口にすることはできません。

食品で堂々と売られている偽物と、記憶にある最初に登場したものは「蟹かまぼこ」ですが、最初に口にしたときは確かに「蟹っぽい」味に感心したものです。

でも、よく考えてみると、例えば「ちくわぶ」だって、ちくわもどきの小麦粉のかたまり。マーガリンも、元々は「人造バター」と呼ばれていたバターの代用品としてスタートしています。

発泡酒や第三のビールなども、ビールの味に似せて、より価格の安いものとして登場しているわけですから、世の中にはすでに市民権を得た「もどき食品(コピー食品)」は山ほどあるわけです。

基本的に、本来の食品を手軽に楽しめれば済むことですが、高価で手を出しにくいもの、希少価値があって手に入りにくい物などで、庶民が雰囲気だけでも楽しみたいというところがスタート。

最近は、洒落の感覚も含めて、このようなコピーはいろいろと登場していますが、作る側も本当に頑張っていて、外見、味、食感のいずれも本物に近いものがよくあります。

今回、本当に感心したのが「鰻の蒲焼」のコピー食品。見た目は本物より多少滑らかな感じですが60点の合格ライン。ひっくり返すと、青黒い皮の感じまで再現されていて、一部皮が剥がれているところもかなり本物に近い感じ。

味はほぼ満点。蒲焼はたれの味が強くなるので、真似やすいのかと思います。原材料を見ると、魚肉、大豆たんぱく、うなぎエキスなどで、肴のすり身を使用した「魚肉ねり製品」と表示され、表にははっきりと「本品はうなぎではありません」と書いてあります。

食感も60点です。かまぼことは違って、練りすぎず、多少のぼそぼそ感がうまく残っているところが鰻っぽい感じ。本物から小骨を全て取り除けば、ちょうどこんな感じなのかもしれません。

総合的に、鰻もどきとしては合格点。鰻もなかなか手を出しにくくなりましたから、こういうのもありと思います。

2017年10月11日水曜日

帰ってきた謎肉祭


3分間カップ麺の元祖と言えば日清カップ・ヌードル。いろいろなバージョンが登場しては消えていきますが、とりあえず最近話題になったのがこれ。

「2種の謎肉ペッパーしょうゆ味」の「謎肉祭」です。しかも・・・頭に「帰ってきた」がついている。

なんで「帰ってきた」なのかというと、昨年普通の(?)謎肉祭が販売されたわけで、1年ぶりの再登場ということです。

まぁ、またかと思いつつも、コンビニに並んでいたのを見つけたので、ついつい買ってしまいました。どうせまた生産が間に合わず出荷停止で入手困難・・・ということになるんでしょうから。

・・・と思ったけど、意外にそうはなっていない様子。さすがに2度目で、去年ほどは面白がられていないのかもしれません。

今年は、豚肉ベースと鶏肉ベースの2種類が入っていて、謎肉の正体もWeb動画で明かされています

何にしても、一番スープ・具材・麺のバランスがいいのはオリジナル・カップヌードルであることには変わりなく、話題性ということだけの話ですけどね。

2017年10月10日火曜日

松の枝振り


ただの、そこら辺りに植わっている・・・

横に枝が大きく張り出した黒松。

・・・の写真なんですが、よーく見ていると何か変。

手前は駐車のための区画の白線が引いてあって、奧にはアルミ製っぽい壁と・・・

門があるんです。

松の枝に半分隠れていますけど、どう見ても門です。つまり出入り口。

形からしても、表の道に面していることからも、裏の勝手口とかではなく、ここが建物への正規の入り口。

なのに、松が半分隠している。

枝の高さは1mくらいで、普通に門を通るためには、隙間をすりにけるか、腰を相当かがめないといけません。

他所様の家のことですから、他人が心配してもしょうがないんですけど、どうしてこうなる前に何とかしなかったのか不思議です。

せっかくの枝ぶりを大切にしている・・・のかもしれませんけど、真上と横だけにそれぞれ伸びていて、お世辞にも美しい感じではない。

いつも前を通りながら、何で? と気になっているんですよね。

2017年10月9日月曜日

体育の日


体育の日は、1964年の東京オリンピックを記念して制定された祝日。

もともとは10月10日に固定されていましたが、今は10月の第2月曜日ということで連休にしている。

あちこちで運動会が行われたりして、秋晴れの下、体を動かすことはいいことなんですが・・・おじさんは無理ができない。

運動会では、最後にたいていチーム対抗リレーが行われて、観戦する家族も含めて大いに盛り上がりますが、走れるのは選ばれたこどもだけ。

一方、綱引きは最後から2番目くらいの競技であることが多いように思います。こちらは、全員参加型で、始まると本能的に否が応にも力が入ります。

ただ綱を引っ張るだけ・・・と言ってしまえばそれまでなんですが、チームの一人一人の小さな力を一瞬に集中させることができれば、爆発力は相当なもの。

勝利は一致団結の賜物ですから、学校教育の中でも重視する活動の一つなんでしょうね。

2017年10月8日日曜日

寒露


昨夜はやっと夜空が晴れて月がよく見えましたが、すでに満月を数日過ぎて、やはり端が欠けていて物足りません。でも、都会の空としては星は見えた方・・・と言っても、数えられるくらいですけどね。

今日から暦は寒露。夜が長くなり、朝の冷え込みも強まります。朝になると露がしっとりとするという頃。いよいよ秋も深まり、過ごしやすい季節です。

空の雲は、秋を象徴する鱗雲ですが、正式には巻積雲という。別名、鰯雲とか鯖雲とか、要するに魚の体表面の模様を想像するということでしょうか。

写真は仲秋の名月だった4日のもので、この日は夜から雲が増えて、5日は一日中曇り。6日は昼から7日の午前中まで雨でした。

実は、鱗雲は雨が降る前兆といわれています。少なくとも、今回はその通りということでした。

鱗雲が見えて、「秋らしい空だな」と思っていると、逆に澄み渡るような秋晴れは期待できないということらしいので、喜んでばかりはいられないということのようです。

2017年10月7日土曜日

手打そば・酒膳 半平 @ たまプラーザ


長年たまプラーザ界隈に住んでいるのに(と言っても、駅を利用することはめったにないけど)、知らなかった。

何気に蕎麦屋を探していたら、あらっ? こんなところに手打ちの店があるじゃん、ということでこれは行かないわけにはいかんでしょう。

駅前からたまプラーザ商店街の広くない道を入っていくと、あれれこの辺りのはずなんだけど・・・あった、あった。入り口が小さくて、実際の店は奥まった位置にあるので見逃しやすい。

休みも多く、営業時間も短めであまり親切ではありません。座席も多くなく、すぐに満席になってしまいます。どう見ても、こだわりの店主が自分がやりたいだけの仕事をしているという感じ。

夜の天ぷらがメインのような感じですが、蕎麦も石臼で挽く自家製粉を使用して、期待が持てます。

当然、そういう店ですから、天ざるを注文。天ぷらはいろいろな組み合わせから選びます。

さすがに、カウンター越しに揚げたての天ぷらですから、さくさくじわーっという感じでなかなかのもの。

そして、肝腎の蕎麦ですが・・・十割蕎麦となっているのに、出てきた蕎麦にびっくり。見た目に滑らかで、艶がある。好みの更科のような蕎麦です。言ってみれば、玄蕎麦の対極のような感じ。

口に入れてさらにびっくりするのは、見た目以上に滑らかな食感。つるつるそのもの。でも、程良い芯があり噛んだ感じも絶妙です。

十割蕎麦のイメージを変える一品ですが、たぶんこの秘密は石臼にありそうです。そうとうゆっくりと時間をかけて、限界まで粉挽きをしているのかなと思いました。

2017年10月6日金曜日

森の賢者


昨日は日中は晴れていましたが、夜は雲が広がり月は隠れてしまいました。今夜が満月ですが、天気予報は雨です・・・残念!!

10月に入って、さすがに夏の名残りはほぼなくなりました。日中も気温があまり上がらず、少しずつ寒くなってきています。つまり秋も深まって来たということ。

さて、以前にオランウータンは「森の人」の意味であるという話に触れました。「森の賢者」という言葉もよく聞くのですが、これは梟(フクロウ)のこと。

実際のフクロウは、森の奥深くに棲息し、なおかつ夜行性ですから、実際に目にすることはかなり難しい。

テレビとかでは、飼われているフクロウをたまに見ますけど、明るい場所では彼らも困惑しているんでしょうね。

くるくる首を回して、音もなく獲物に向かって飛びつくさまは「森の忍者」ばりにすごいらしいのですが、野生でその光景をみることはなかなかありません。

ミミズクは同じ仲間ですが、ミミのような羽角があるのが特徴ですが、英語だとどちらもowlで区別されません。

日本語だとフクロウのフクが福につながり、幸運と結びつけられるので何気に嬉しい。ただし飼おうと思うと、相当大変らしいので見ているだけがいいようです。

2017年10月5日木曜日

仲秋の名月


月の満ち欠けは29.5日。真っ暗になる新月が始まりで、真ん中の15日目に満月になります。つまり十五夜お月様ということ。

旧暦だと7月から9月が秋で、8月15日はその真ん中なので、その夜の満月が仲秋の月になる。

空気が澄んできて月が綺麗に見えることと、稲刈りが終わって今年の収穫に感謝することを込めて、仲秋の名月として空を見上げる習慣になった・・・らしいです。

ところが、今は新暦で世の中は動いているし、そもそも太陽暦ですから、いろいろとずれがあって新旧とりまぜての暦は複雑。

今年の仲秋の名月と呼ばれる十五夜は昨夜でした。空を見上げると、あいにく雲が多くて月が出たり隠れたり。合間にちょっと見えたときに、あわてて写真を撮ってみました。

ところが、よーく見ると満月じゃない。実は満月は明日の10月6日。ちよっと端が足りていません。

このくらいのずれはしょうがない。今回は「仲秋の満月」を、3日にわたって拝めるチャンスがあると思えばラッキーということで。

2017年10月4日水曜日

今なら勝てる解散


気がつくと10月。昼夜の気温差がだいぶ大きくなってきました。

そして巷では・・・何だかよくわからない衆議院解散で、選挙活動が熱を帯びてきています。

ついこの前まで、数々の新米議員の失態、そして自らのスキャンダルで内閣改造に追い込まれたアベ首相でしたが、その綻びが野党にも及んで「この機を逃すものか」といきなり解散です。

困難突破解散と自ら総理は言いましたが、あまりにこじつけがましくてまったく納得できない。本音で「今なら勝てる解散」と言った方が、よほどわかりやすい。

何だか政治の世界では、「総理の力は改造すると弱くなり、解散すると強くなる」と云われているそうで、良くも悪くも戦後自民党政治を具現化しているアベさんににとっては、金科玉条の一つなんでしょうかね。

確かに、今回の選挙の台風の目玉である小池さんの準備不足は否定できず、ボロボロの民主党は、小池新党に合流させてもらってついに事実上の解党。

中には合流を拒否される議員さんがいて、いろいろ小池さんに批判が出ていますが、今回は合併ではなく民主党が仲間に入れてとすり寄ったものですから、目指すものが違うなら拒否されて当然。

もともと民主党も、いろいろな政党の離散集合の産物で意見の食い違いは日常的にあって、そこが最終的に自民党の強さとの決定的な差だったと思います。

小池さんも、一時の力の集合のためなら当選が見込める人を全部吸収した方が有利なことは百も承知のはず。党としての意思の統一をはかるために数よりも実を優先することは、将来的に強固な組織として本気で総理を狙っていくということだろうと思います。

アメリカのような共和党・民主党の2大政党がバランスよく戦っていく構図は良いと思うのですが、日本ではなかなか実現してこなかった。

自民党が戦後日本のあまりに長きにわたって力をつけてしまったわけですが、そもそもアメリカのような支持基盤の根本的な違いが、日本の政党には見つけにくい。

最近の野党と呼ばれていたのは、自民党亜流的な議員の集まりで、与党との歴然とした差が見つけにくいというのが問題だと思います。

小池さんは東京・名古屋・大阪の地方自治体との連携を強化するという表明をしましたが、小池新党が定着できるなら大企業に支えられた自民党と、より国民に近い立場の希望の党との2大政党制の実現は可能かもしれません。

ただし、政治プロの自民党に対して素人が多い新党にどれだけ期待できるのか、あまりにも未知数というところが不安。かつて民主党が立ち上がったときの比ではありません。

さてさて、どうしましょうかね・・・国民はため息をつくしかありません。

2017年10月3日火曜日

山陰・山陽の旅(4) 出あったいきもの編


今回の旅では、いろいろな動物を見かけることが多かったので、一挙公開!!

まずは、倉敷美観地区にいた白鳥。白鳥は大型の鴨の仲間。たくさんいて、優雅に泳ぐ姿は街の景観と似合います。


尾道では「猫の細道」が散歩コースとして楽しいのですが、だからというわけではないけど、猫がたくさんいました。

首輪をしているものも、していないものもいました。こちらはしていない野良組で、ちょっと痩せた大人になりかけくらいの仔猫。


神の宿る宮島では、なんといってもフェリーをおりてすぐに迎えてくれたのが鹿。

おー、っと喜んで近寄ります。でも、行けば行くほど山ほど鹿がいて、しだいにカバンの中に勝手に首を突っ込んでくるのはまいりました。


同じく、宮島には鷺がたくさんいました。鷺はペリカンの仲間。鷺の中の細かい名前はわかりませんが、あまり大きくはない白鷺の一種。

ちょこちょこ歩いて、海辺にくちばしをちょんちょんと突っ込んでいる様子はユーモラスな面もありました。


こちらは広島市内のただの犬。いい目をしています。飼い主さんと一緒に食事をしていました。

秋ですから、とんぼも秋色のアキアカネ。いろいろな動物たちは、その時々で心を和ませてくれて、旅の一服の清涼剤になってくれました。


2017年10月2日月曜日

Cafe Ponte @ 広島


広島の平和記念公園のあたりで、「Hey,Siri 近くで美味しいランチの店」と言ってみた。

すると、Cafe Ponteというイタリアンの店を教えてくれました。広島はまったくわかりませんから、素直に信じて行ってみました。

公演からすぐ横で川沿いにあるオープン・カフェになっていて、見るからにオシャレな感じ。店の周囲にオレンジがたくさん置いてあって、搾りたてジュースが売りであることがわかります。

昼時ですから、ちょっと行列。テラス席に通されました。この時期は、天気もよかったので気持ちがいい。オレンジ・ジュースとパスタとピザを注文しました。


パスタはまさにアルデンテ。味もグッドです。ピザは周囲がやや厚みがありますが、基本的に薄めの生地で自分好み。チーズたっぷりで、こちらも大満足です。

オレンジ・ジュースは、まさに100%果汁の果実の甘味だけのフレッシュ!! そのもの。飲みたい時にいつでもあると嬉しい感じです。

レトロな雰囲気を味わう旅の途中でしたが、久しぶりにモダンなアクセントになりました。

2017年10月1日日曜日

山陰・山陽の旅(3) 宮島・広島編


今年の気ままな旅のもう一つの目的は、厳島神社です。もう、有名過ぎて今更何をか云わんやです。

廿日市から宮島へはフェリーで渡りますが、そのまま車で行けなくはないのですが、宮島の中はそれほど広くなくかえって大変。港には大きな駐車場がたくさんあるので、車は置いていきます。

15分程度の短い船旅ですが、前方に例の大鳥居がはっきり見えてくると、否が応にもテンションがあがります。

到着したのは午後で、この日は17時すぎが干潮のピーク。大鳥居まで簡単に歩いていける。鳥居の真下では、下から小銭を放り投げて横柱の上にのせるのがお作法のようです。

そのせいで、近づくとあちこちから小銭が飛んでくる。自分も数回やって成功しましたが、何となく嬉しい。


干潮だと、本殿の下も覗けたりします。以前テレビで紹介されていたのを見ましたが、塩水に晒されてももちこたえるための職人技で随所に工夫が凝らされているわけですが、素人目にはよくわかりませんでした。


翌日のお昼ごろが満潮で、潮が満ちてくると大鳥居は海の中。そもそも平清盛が神社を作ったのは850年前で、大鳥居は現在は8代目。さすがに100年に一度は作り直してきたようです。


当然本殿も潮が満ちてくると海に浮かぶように見えます。せり出している平舞台も、そして大鳥居も、実は砂の中に埋められた土台の上の石に乗っているだけ。

台風などで風雨に晒されても、自然に抵抗するのではなく、うまく受け流す構造が、この優美な姿を保ってきた秘密なのだそうです。


宮島というと、もみじ饅頭の発祥の地としても有名。表参道商店街だけでなく、島のあちこちで「元祖」とか「本家」のまんじゅう店がたくさんあります。

1個90円というのが普通なので、いろいろな店で1個ずつ買って食べ比べしてみました。餡がこしあん、つぶあん、変わり種、薄い色のもの、濃い色のもの、生地がしっとり系、さっぱり系・・・

いろいろありすぎてどれが一番かは大いに悩むところですが、間違いないのはどれも美味しいということ (^_^;)。


さて、ここまで来たら、戦争を知らない日本人としてここは必ず訪問しておきたかったのが、広島市内の平和記念公園です。

資料館で、あらためて戦争の悲惨さ、核爆弾の脅威を再認識しました。原爆ドームは戦争の象徴として、間近で眺めると70年前から時が止まっているかのような印象を持ちました。


そして、最後に広島城に寄りました。当然原爆の爆心地から遠くないこの城は、戦後に再建されたもの。そのわりには、けっこう古びた外観です。

駆け足で巡ってきましたが、今年の旅はこれでおしまい。城から始まり、城で終わりです。出雲大社、厳島神社という特大級のパワースポットを一度に訪れるという贅沢な旅でした。