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2021年7月31日土曜日

キューブ (1997)

アイデア一発の超低予算映画ですが、そのシンプルさをうまく利用した佳作。一応もSF映画のくくりに入っていますが、サイコホラーという言う方が合っているかもしれません。

カナダ人のヴィンチェンゾ・ナタリが監督・脚本ですが、この映画の直前に「Elevated」という短編を作っていて、こちらは狭いエレベータの箱の中に空間に閉じ込められた男女の恐怖を描いたものでした。ある意味、この映画はその発展形と呼べます。

一辺が4.2mの立方体の部屋、キューブの中に中られた6人。彼らが何の目的で、誰によってここに集められたかは一切説明はありません。警察官だったり、脱獄囚だったり、医者あるいは学生だったりで、お互いに面識があるわけでもない。

6つある各面にはハッチが設けてあり、そこを開けると隣のキューブに移動できる仕掛け。しかし、物凄い数のキューブがあり、中には人を殺す仕組みが組み込まれたものがあります。

体をバラバラにスライスされたり、強力な酸を浴びて溶けて死んだり・・・簡単に移動するわけにはいきません。それでも、隣同士のキューブの境に記された数字から、キューブの位置がわかることに気がつきます。

しかし、実はキューブ自体が動いていていつも同じ場所にあるとは限らないことがわかり、彼らの間には絶望感が漂うのです。そして、それぞれの人間性がしだいに顕わになってきて、得体のしれない恐怖を盛り上げていきます。

監督はこの後、テレビを中心に仕事をしているので、映画界的には無名のまま。基本的なセットは一つのキューブだけ。登場人物も6人だけで、特に有名な俳優はいません。製作費も日本円にして3000万円ちょっとくらい。

キューブの照明色を変えたり、殺人システム違ったものが用意されていて、横だけでなく上から下への縦の移動もあったりすることで、単純なセットでもいろいろいと考えて作っているのがわかります。

この施設の目的、誰が作ったか、中にいる人々が選ばれた理由など、ミステリーとして必須の条件はすべてそぎ落としています。脱出するための数字の解析も、高度な数学的知識が必要で一般人にとっては意味不明。つまり、登場人物に感情移入する暇すら与えずに、彼らが外に出れるかどうかだけに展開を絞ったことがこの映画の面白さのすべて。

実は、日本でリメイクされ今年の秋に公開が予定されていますが、出演は菅田将暉、杏、岡田将生、田代輝、斎藤工、吉田鋼太郎。皆、よく知られた有名な俳優さんばかりなので、オリジナルに比べて最初から気持ちが入ってしまう。

オリジナルでは無名な俳優だからこそ、良い人が悪者になったり、簡単に殺されたりしても映画として許せるわけで、アイデアそのものは変更しようがないのて、日本のリメイクがうまくいくかは不安です。実際、続編か2つ作られていますが、まったくと言っていいほど話題になりません。


2021年7月30日金曜日

TOKYO2020 ~ とりあえず好調ニッポン


オリンピックが始まり1週間。

オリンピック前から感染者が増えだしていた新型コロナ問題は、下火になるどころかますます燃え上がってきています。もちろん、オリンピックのせいとは言えませんが、少なくとも沈静化の役に立っていない。

もう何度目かもわからない緊急事態宣言が首都圏に拡大され、困難な状況下でのオリンピック開催は、政治的な面では今後に議論を呼ぶことは間違いなさそうです。

そんな中ですが、出場国が減ったりしていることもあるんでしょうけど、日本のアスリートの皆さんはけっこう頑張っている。もちろん期待通りの結果を出せなかった選手もいますが、無観客でホームの有利さが減ったことを考えれば上々の結果でしょう。

金メダルだけでも、水泳の大橋悠依の二冠、体操の高橋大輝の総合優勝、ソフトボールの12年越しの二連覇、卓球の水谷・伊藤の混合ダブルス、スケートボードの堀米・西矢、そしてお家芸の柔道は男女8人という結果。

メダルの数だけ多ければいいというものではありませんが、彼らが頑張った結果と考えれば素直に賞賛すべきことだと思います。

2021年7月29日木曜日

オール・ユー・ニード・イズ・キル (2014)

いろいろなミッションでお忙しい中、トム・クルーズ様にはよくもこの映画でも大活躍する時間があることかと感心しきりです。この前が「オブビリオン」という、どちらかと言えばハードSFでしたので、続けてのSF物。今回はアクション主体で、しかもタイム・ループという同じ時間が延々と繰り返されると言う面白いテーマに着眼しました。


しかも、さらに嬉しいことに、この原作は日本製。2004年の桜坂洋のライトノベルを映画化したもので、映画の原題は「Edge of Tomorrow : Live Die Repeat」なんですが、邦題は原作のタイトルをそのまま使用しています。

近未来の地球、宇宙から飛来したギタイと呼ぶ侵略者により、人類は絶滅の危機にありました。地球連合軍はパワード・アーマー・スーツを開発し、ヴェルダンの女神、戦場のビッチとも呼ばれるリタ・ヴラタスキ(エミリー・ブラント)の活躍もあって反撃の糸口を見出し、いよいよ明日総攻撃を行う計画になっていました。

広報担当のウィリアム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)は、将軍に呼ばれ明日の総攻撃の最前線に出向くように命令されますが、実戦経験がなく臆病なケイジは拒否して、二等兵に格下げになってしまいます。当然、戦闘スーツの使い方もろくすっぽわからない状態で出撃させられ、ものの数分で青いギタイに襲われ持っていた地雷で爆死します。

しかし、次の瞬間、ケイジは昨日の前線基地に到着した時に戻っている。昨日と同じ光景が繰り広げられ、驚く暇もなくまたもや戦死してしまいます。それが何度か繰り返されるうちに、しだいに敵が次にどこから来るか覚えていて戦えるようになっていく。まるで次に何が起こるかわかっている動きをするケイジを見たリタは、昨日の自分を探せと言って戦死。

再び昨日に戻ったケイジはリタに会い説明を求めます。青いギタイは通常のものと違い、時間をループさせる能力を持っていて、その体液を浴びたことでケイジにタイム・ループの能力が備わったと話します。リタもかつてその力を得たために活躍できましたが、重傷を負って輸血されたことで今はその力が無くなっていました。

タイム・ループを信じるカーター博士は、青いアルファ・ギタイを操るのはボスのオメガ・ギタイで、オメガが見せる幻覚によってその場所がわかると言いますケイジはドイツのダムの奥にオメガが潜んでいる幻覚を見ましたが、何度も途中で死亡を繰り返しついにその場所に着くと、タイム・ループ能力を得た人間をおびき寄せる罠でした。

そこでカーター博士が以前開発し、司令部に保管されているオメガを逆探知する機械を奪取し、パリのルーブル博物館の地下貯水槽に隠れていることが判明します。しかし、ケイジは警備兵との戦闘で逮捕され、ケガをしたため輸血が行われタイム・ループ能力を失いました。パリに向かったケイジとリタは、オメガとの最終決戦に挑むのです・・・

21世紀のSF作品ですが、あまたの名作をおさえ、わりと高評価を得ています。評価のポイントはやはり、タイム・ループという他ではあまり見かけないアイデアの面白さです。何度も繰り返される場面を、少しずつ変化を持たせて見ていて飽きさせない演出はうまくいっています。監督は「ボーン・アイデンティティー」のダグ・リーマン。

戦闘シーンはグリーンバックでCG合成されたものですから、まぁ今時の技術としてはそれなりに派手。俳優はワイヤー・アクションであちこちに飛び回ります。ただ、パワード・スーツは実際に装着しており、できるだけ軽量化しているとは言っても30kgくらいはあるらしく、これをつけての演技はかなり重労働だったようです。

人気俳優トム・クルーズが、日和見将校で冒頭すぐに死んでしまうというのは驚きですが、死んでリセットされてスタートからやり直すうちに戦闘スキルが上がり、だんだんいつものトム様状態になっていくのはある意味安心。この状況は、ビデオ・ゲームのFPSでストーリー・モードをこなしているのと同じで、何度もやればいつかクリアできるというもの。

最後は多少都合よすぎる感じがしますが、トム様はハッピー・エンドというのはお約束というところでしょうか。細かいことを考えると突っ込み所はあるんですが、そんな暇がないくらいスピーディな展開で、確かにハリウッド娯楽SFとしてなかなか楽しめる作品でした。

2021年7月28日水曜日

インセプション (2010)

監督のクリストファー・ノーランが、大学時代に映画製作を始めた初期から構想していたの映画で、「バットマン・ビギンズ」、「ダーク・ナイト」で一躍実力を轟かせたことで制作を実現させたと言えます。


一応、SF的なクライム・アクションと言える内容ですが、複雑な構成の映画で、他人の夢に入り込むことやその夢を舞台や登場人物を自由にデザインできるというアイデアは、コンピュータの仮想現実とは似て非なるものです。わざと観客を混乱させるためか、説明は最小限になっているので、基本的な世界観はあらかじめ知っておいた方が良いかもしれません。

ドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は海岸で目を覚まし、年老いたサイトー(渡辺謙)の邸宅に連れてこられますが、次の瞬間若いサイトーと仲間のアーサー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)と食事をしている。その夜、サイトーの金庫から機密書類を盗み出したドムでしたが、サイトーとドムの亡き妻モル(マリオン・コティヤール)に邪魔され、ドムはアーサーを射殺。

その結果、暴動の起きているアジアの町の建物の一室でアーサーは目が覚めます。ドムは浴槽に落とされ目を覚まし、同じく目を覚ましたサイトーに機密情報を話すよう迫りますが、サイトーはこれもまた夢だと見破ります。日本の新幹線の車内で再び目を覚ました彼らは、コボル社からの依頼の仕事に失敗したことを認めサイトーを置いて去ります。

手配した逃亡用のヘリコプターが到着しますが、乗っていたのはサイトーでした。機内でドムとアーサーは、サイトーから敵対企業の二代目、ロバート・フィッシャー(キリアン・マーフィー)にインセプションして、会社を破滅させる仕事を依頼します。ドムは他人の夢の中に入り込んで情報を抜き取る(エキストラクト)産業スパイですが、情報を植え付けてくること(インセプション)は難度が格段に上がる。

パリに渡ったドムは、モルの父であり、エキストラクトの師であるマイルス教授(マイケル・ケイン)から、優秀な設計士(デザイナー)であるアリアドネ(エリオット・ペイジ)を紹介されます。さらに偽装師のイームス(トム・ハーディ)、調合師のユスフを加え計画が練られます。

父親が死んだため飛行機に乗ったロバートを眠らせ、インセプションが開始されますが、第1階層であるユスフの夢の中でタクシーに乗ったロバートを拉致したところで、設計されていない銃撃によりサイトーが重傷を負います。ロバートは夢を守る訓練をしていて、潜在意識を武装化していたのです。普通なら夢で死んでも目が覚めるだけですが、三層までの深い設計の夢のため鎮静剤が通常より強力で、夢で死ぬと虚無に落ちるのです。

かつて、ドムとモルは夢の中の夢を追い求め虚無の深層に入り込み、現実に戻ってもモルはそれがまだ夢の世界だと疑い、ついに「現実」に戻るため自殺したのです。ドムは潜在意識の中にモルに対する罪の意識を隠し持っていて、それが夢の中にモルが登場しドムを邪魔することにつながっていたのです。

武装集団の襲撃からバンで逃げ出し、運転するユスフを残してその車の中でアーサーの夢の第2階層に入ります。ドムは夢を警備する者だとロバートに説明し、信頼する会社のNo.2を黒幕だと思わせます。そして真実を知るためロバートは率先して、アーサーを残してイームスの夢である第3階層に入るのでした。

そこはロバートの父親が入院している雪山の中の要塞。チームのサポートで、ロバートは金庫室にたどり着きますが、モルが現れロバートを撃ち殺します。ドムとアリアドネは危険を承知でさらなる深層、つまり虚無に落ちてロバートを救い出すしかありませんでした。そこには、再びモルがドムを待っているのです・・・

ディカプリオとペイジ以外は、ほとんどがノーラン作品に何度も登場している俳優さんばかり。この難しい状況を描き出そうという監督と気が合う方々ばかりなのでしょう。時間の進み方が現実と比べて夢の階層を下るたびに20倍になるという設定を利用して、第1階層でバンが橋から落下する数十秒が、第3階層では2時間ほどにもなってサスペンス度を高めています。

最後に冒頭のシーンに戻り、その意味が初めてわかりますが、最終的にモルが言ったように現実も実は夢なのではないかという、どこまで行っても無限のループが続く不思議な余韻を残す映画です。その映像化の実現のために、大掛かりなシーンではCGも当然使用されていますが、監督のこだわりとして俳優のアクション・シーンのほとんどが実際のセットでの実演というから驚きます。

パリの街頭で街並みが吹き飛ぶシーンも空気砲によるものが主ですし、鏡を使ったトリックも面白い。巨大な機関車が街中を疾走するのも、トレーラーを改造したものが本当に走っています。廊下やホテルの部屋のセットが、実際に360度回転する中でのアクションは見事です。渡辺謙もかなり重要な役どころであり、そのせいで日本でのロケも行われたのは日本人としてもうれしいところです。

映画の中で、これが夢なのか現実なのかを判断する小道具として、各自それぞれのトーテムと呼ばれるものが登場します。ドムが使うのが金属製の独楽で、回り続けるなら夢で、回転がとまって倒れれば現実。そしてラスト・シーンで、独楽は周り続けていますが、倒れるかもしれないというところで終わっている。

つまり、ドムは現実に戻れたのか否か、見る者の判断に委ねられる結末になっている。このシーンでは、夢の中では一度も顔を見せなかったドムのこどもたちが振り向いて顔が見えたり、夢には一度も登場しないマイルス教授が登場していることから現実と考えるのが妥当ですが、ノーラン監督はこの点について明言を避けています。

しかし、ドムは独楽がどうなるのかを確認することをせず、こどもたちの方に向かう。夢かどうかよりも大切なものが何かをはっきりと暗示しているということ。エドガ-・アラン・ポ-は、現実は単なる幻で夢の世界こそ生命の糧と言い、ウォルタ-・デ・ラ・メイヤも、リアリズムから逸脱した空想的経験こそ一層リアルだと述べ、これらの言葉に触発された江戸川乱歩は「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」と好んで書き記しました。

2021年7月27日火曜日

あやつり糸の世界 (1973)

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは、70年代を代表する西ドイツのニュー・ジャーマン・シネマの映画監督で、特に「マリア・ブラウンの結婚(1979)」はよく知られたタイトルです。映画作家と呼べる独自の世界観を持つ監督にしては多作で、46年間で44本の映画を撮っています。1982年に過剰な薬物接種により37歳の若さで亡くなっています。


1973年に作られたこの映画は、本来はテレビ用に制作されたもので、前編・後編に分かれ3時間半に及ぶ大作。アメリカのSF作家ダニエル・F・ガロイの「模造世界」を原作とし、ファスビンターは脚本にも参加しています。2010年に復元上映され、アッと言う間に「マトリックス」などに先んずる、ヴァーチャルリアリティをテーマにした先駆的なSF映画の名作として認知されました。

政府と緊密なジスキンス所長のサイバネティック未来予測研究所で、新世代のコンピューター、シミュラクロンを開発していました。しかし、研究主任のフォルマー教授は、突然謎の死を遂げます。フレッド・シュティラー博士は教授の後任に迎えられ、ジスキンス所長のパーティに参加。

所長秘書のグロリアに、シミュラクロンの世界は電気回路の中の電気信号にすぎないが、1万のアイデンティテイ・ユニット・・・つまり「人」が普通の生活を送っていると説明します。そこに保安主任のラウゼが現れ、シュティラーにフォルマーの奇妙な最期を話そうとしますが、一瞬目をそらした隙に忽然と姿を消しました。しかし、誰もがラウゼのことを知らないと言い、その後もシュティラーの周囲では不審な出来事が頻発するのです。

シミュラクロンの世界には、フォルマーが設定した唯一自分がバーチャルであることを認識しているアインシュタインと呼ばれるユニットがいます。彼の報告により内部の問題を知ることが可能で、システムを維持しやすくなっています。アインシュタインが自殺未遂者が出たことを報告してきたため、その者のデータを抹消しました。

しかし、シュティラーは不審に思い、再びシミュラクロンの世界に同期しアインシュタインに会います。自殺未遂したのは自分の正体に気が付いたためで、アインシュタインも上の世界に連れて行ってくれと言いだします。シュティラーはそれは無理と言い、一人で戻る直前にラウゼとそっくりなユニットを目撃するのでした。調べると、シミュラクロンの世界にラウゼというユニットが存在していました。

技師のフリッツが同期したことで入れ替わりにアインシュタインは上の世界やってきて、シュティラーにさらに上に行くと言います。アインシュタインは、この世界もコンピュータの中のシミュレーションに過ぎないと言うのでした。シュティラーはアインシュタインのような連絡係のユニットがいるはずと考えます。

しかし、このようなシュティラーの言動や行動は、密かに私企業と結託して富を築こうとしているジスキンス所長に疎まれ、ついに狂人として解任され警察からも追われることになる。そして、ついに連絡個体にたどり着きますが、その正体は・・・

確かにSF映画ですが、特撮といえるほどのものはほぼ皆無。多少当時としてはモダンな建物や小道具を用いているくらいで、近未来的なのはシミュラクロンの世界に同期するためのヘルメットくらいです。

しかし、反射する鏡や透過するガラスを利用した撮影、あるいは物越しに人物を配置したり遠近に極端に動くカメラ・ワークなどにより非現実世界的な雰囲気をうまく出すことに成功している。鏡に映ったものは虚像であり、ガラス越しに見えるものは修飾された像なのです。

現実世界で、コンピュータ上にバーチャルな空間を構築し、その中にそれとは知らずに生活している人々がいるのは、まさに「マトリックス」の世界。ここでは、さらにその世界の人々が、さらにシミュラクロンの世界を作ったことで、二重の仮想現実を実現したところがポイントです。

まだまだコンピュータが、一般にはほとんど知られていない時代にそこまで話を作り上げたことに驚かされます。アイデンティテイ・ユニットに一定の刺激を加えることで起こる事象を、現実世界の危機管理に利用するという考え方は大変興味深いところです。およそ50年前の映画でにもかかわらず、現代社会でも近未来的な面白さを予見したところはすごいと思います。

なお、1999年に同じ原作を用いた「13F」が監督ジョセフ・ラスナックで作られていますが、制作に回ったローランド・エメリッヒは、ファスビンダーを越えられなかったと語っているようです。


2021年7月26日月曜日

TOKYO2020 ~ モダン・スポーツ


何しろ昭和のおやじからすると、最近はオリンピックで新しい種目が取り入れられて、びっくりすることしかり。

スケートボード・・・って、街中で、ちょっとイケイケのこどもたちの「遊び」の一つだと、けっこう最近まで思っていました。

まさか、それが、オリンピックにねぇ・・・しかも日本人が金メダルだなんて・・・まさに平静を超えた令和の時代ということなんですかね。

サーフィンだったあるんですよね。Big Wednesday を待っていた、悪ガキたちが話題になったのはやっぱり昭和の話。ボルダリングだって・・・

コロナのことさえ無ければ、もっともっと盛り上がって話題に上ったんでしょうから、選手たちにはやはり気の毒としか言えません。

いくら観客のために競技をするわけじゃないとは言っても、耳に届く、目に見える応援あってのもの。特に新しい競技ほど必要じゃないかと。

それでも、日本の若者は早くも頑張っていますね。頼もしい限りです。

2021年7月25日日曜日

月に囚われた男 (2009)

宇宙物のSF作品の秀作。監督は長編第1作となるダンカン・ジョーンズ。実はこの人、あのデビッド・ボウイの息子というから只者じゃない。脚本にも参加して、なかなかの才能を見せてくれますが、以後はあまり目立った評判はとっていません。

月のエネルギー採掘基地に一人で働く男の話で、基地内のシーンがほとんどで、外での撮影は模型の月面探査車と採掘車の動きがほとんどです。

地球のエネルギー消費の70%が、月で採掘された鉱石で賄われている近未来。ルナー社は独占的に採掘作業を行っていますが、その基地で作業に当たっているのはたった一人。サム・ベル(サム・ロックウェル)は3年間の契約で、あと2週間で地球に帰れます。

基地内でのサムのサポートはガーティと呼ばれるAIで、見た目は機械ですが、人間のように相手をしてくれる。彼の楽しみは、故郷り町の木彫りの模型を作ることだったり、植物を育てること。そして、直接の地球との通信がずっと不調のため、送られてくる妻と3歳の娘からりビデオ・メッセージがよりどこになっています。

しかしサムはこのところ体調が思わしくなく、幻覚を見て右手に火傷をします。採掘機に向かい誤って探査機を衝突させてしまう。基地で目を覚ましたサムは、体が思うように動きません。ガーティは事故にあって治療中と説明しますが、外に出そうとしないガーティを不審に思い、何とか月面探査車で事故現場に向かうと、その中には自分そっくりの男がケガをして動けなくなっていました。

サムを連れて戻ったサム・・・便宜上、最初のサムを1、後から登場した方を2とします。サム2はお互いクローンだと考えます。クローンの寿命が3年で、ルナー社は地球に帰還させる振りをして新しいクローンと取り換えていたのです。

基地での異常に対処すべくルナー社は救援隊を派遣しますが、彼らが二人のサムが同時にいることを発見したら、おそらく二人とも殺されると考えたサム2は、サム1を鉱石輸送船で地球に戻そうとしますが・・・

まず、宇宙に独りぼっちという設定のSFは珍しくありません。「ゼロ・グラヴィティ」では宇宙船内に一人きりで地球への帰還を目指しましたし、「オデッセイ」では火星に一人暮らす話だったりします。「2001年」も最後は宇宙空間に独りぼっち。宇宙が広大な密室であり、一つ間違えば死が隣り合わせという空間ですから、サスペンス性は否が応にも盛り上がるというものです。

ただ、この映画の面白いところは、新しい人材を送り直すより、クローンを使って連続的に作業を継続するという発想。基本的には、古いクローンと新しいクローンは入れ替わりで登場するので、出会うことはないはず・・・だったのですが、事故によって両者が同時に存在してしまったことがスリルのスタート。

寿命が近い古いクローンはどんどん肉体的な劣化が現れ、新しい方はこの状況を解決する方策を考える。救助隊の到着というタイム・リミットを設定することで、変化を出しにくい状況をうまく動かしていきます。

出演者はビデオ・レターの妻子を除くと、ほぼサム・ロックウェル一人。しかも、独りぼっちから二人ぼっちになって、一人で二人の同じ人物を演じ分けるという難しい立場ですがなかなかの好演でした。

後はガーディの声はケヴィン・スペイシーが担当。最初のうちは「2001年」のHALのような怖さを感じますが、途中から仕事はあくまでもサムのサポートだと言って、なかなか協力的な行動をするところは嬉しくなってきます。

全体としてはクローン技術の怖さを描いているものの、クローンたち自身の悲劇も含まれており、企業の偽善的横暴にも言及するような内容です。ただし、あまり難しいことを考えるより、SFスリラーとして、いかにクローンが生き残るかハラハラしながら見るということで良いかなと思いました。

2021年7月24日土曜日

地球に落ちて来た男 (1976)

何しろデビッド・ボウイが初めて映画に俳優として登場した作品というだけでも、相当なプレミア物ですが、しかも演じるのが地球に落ちて来た・・・つまり宇宙人だというのですから、まるでボウイのために企画されたような話。

デビッド・ボウイは1967年のデヴューですが、日本も含めて世界中に名が知られるようになったのは1969年の2枚目のアルバム「スペース・オデッセイ」から。いわゆるグラム・ロックと呼ばれたジャンルで70年代初めに人気を不動のものにしました。

ポール・ニューマンのヒット作「ハスラー」の原作者でもあるウォルター・テヴィスの小説を、「アラビアのロレンス」や「華氏451」の撮影監督を務めたニコラス・ローグが監督し、かなり凝った演出を行っています。

ニューメキシコの湖に宇宙船が不時着し、赤毛で色白の人物(デビッド・ボウイ)が町に向かって歩き出します。彼は古物商に立ち寄り、トーマス・ジェローム・リチャードソンと名乗り、妻にもらったという指輪を20ドルで売ります。

特許に詳しいファンズワース弁護士(バック・ヘンリー)を雇い入れたトーマスは、宇宙人としての科学力の知識を使いワールド・エンタープライズ(WE)社をおこし大金持ちになります。教え子の女の子にしか興味がない大学教授のネイサン・ブライス(リップ・トーン)は、WE社の燃料部門研究に転職してきました。

しばらくして、ニューメキシコに戻りホテルに到着すると、トーマスはエレベータの不調で失神してしまいます。ホテルの従業員のメリー・ルー(キャンディ・クラーク)に介抱され、それをきっかけに同棲を始めます。水しか飲まなかったトーマスでしたが、酒好きのメリーの影響で酒も飲むようになっていました。

落下した湖を訪れたトーマスは、故郷の星に残してきた妻子を思い出し、ファンズワースに宇宙事業を始めるように伝えます。湖畔に住居を構えたトーマスは、ブライスに宇宙飛行の研究を任せます。一方、ファンズワースの元にはWE社を乗っ取ろうとする動きが出てきました。

ブライスはトーマスの挙動に不信を抱きX線装置を仕掛け、彼が人間ではないことに気が付きます。また、メリーと喧嘩になったトーマスは、怒りから自分の真の姿を見せてしまい、離れて暮らすことにしました。トーマスは、ブライスに荒れ果てた自分の星に水をもたらすためにやって来たことを説明します。

宇宙船が完成する頃には、トーマスの存在もマスコミに知れ渡り、彼の出自が取り沙汰されるようになりました。WE社乗っ取りを画策する連中は、いよいよ直接行動に出てファンズワースを殺害し、トーマスを誘拐・監禁し、医師らの研究対象にします。トーマスは酒に溺れ、何年も「人格」を無視した検査が続きました。

偶然脱出できたトーマスは街に消え、さらに時がたちメリーと夫婦になった年老いたブライスは、トーマスの作ったレコードをヒントに彼の所在を発見し会いに行きます。いまだ容姿が変わらない酒浸りのトーマスは、レコードのメッセージがラジオに流れれば、いつか故郷の星に残してきた妻子が聞くかもしれないと語るのでした。

驚くのは、まだ20代のデビッド・ボウイのヴィジュアル。当時は、派手な衣装と化粧でステージに立つ印象が残っていましたから、この素で時に弱々しい姿は意外でもありはまり役でもある不思議な感じ。「E.T.」のような動物的なものではない宇宙人なので、ボウイの持つ不思議な魅力とオーバーラップします。後年、「ラビリンス」などで見せた積極的にメイクをして魔王を演じたボウイの方が、イメージ通りかもしれませんが、こちらのボウイが本当の姿を捉えているのかもしれません。

また、この時代の映画としてはヌード・シーンが多い(ボウイも含めて)。トーマスとメリー・ルーの関係においてはある程度意味があるのは理解できますが、そにに裸の女性が必要なのかよくわからんというところも少なくない。

意図的に時間の経過は説明せず、宇宙人としてのシーンも積極的に理解しやすい演出ではありません。映画を見るものの感性に任せている部分が大きいようですが、全体的にはファンタジー的な面を強調したかったのだと思います。

SF映画としては、異星人が地球にやって来る話としては実に平和的。地球人に成りすまして、合法的に金を稼いで宇宙船を再建するというもの。むしろ怖いのは地球人で、金のあるところには悪者も集まってくる。人間的な接しているようで、トーマスをただの研究対象として扱う残虐性は本質をついているのかもしれません。

2021年7月23日金曜日

TOKYO2020 ~ 東京オリンピック2020開幕


本来ならば、1年前。多くの人に歓迎され、大喝采を持って始まっていたオリンピック。

新型コロナウイルスのパンデミックという事態が、喜ばしい雰囲気を吹き飛ばしてしまいました。昨年、1年間の延期が決まり、もしかしたら1年たてばコロナ渦はおちついているかもしれないという淡い期待を持ちましたが・・・

実際には、ワクチン接種が始まったとはいえ、「ウイルスに勝った証」と胸を張って言えるほどにはとてもなっていません。世界に目を向ければ、いまだに死者が増え続けている地域もあります。

オリンピック開催は世界に対する公約であり、それを簡単に無かったことにすることは、国の責任として難しいことは理解していますが、やはり全世界のアスリートにとって公平で安全な大会かと言えば疑問が残る。

かつてのオリンピックに抱いていた純粋な「スポーツの祭典」が、巨額の利権にまみれたイベントに変容してしまったことが、なおさら開催一択で突っ走ってきた日本政府に対するもやもやを大きくしているように感じます。

もちろん、アスリートの皆さんには関係ないことかもしれません。長年夢に見て練習を積んできた、晴れの舞台であることに変わりはありません。

始まったからには、応援する観客はいなくても、一人一人が力を出し切って頑張るしかない。こんな状況での大会でも、後で何とか開催出来て良かったと思えるかどうか、日本だけでなく集まった世界中のアスリートの方々の活躍次第です。

2021年7月22日木曜日

AKIRA (1988)

大友克洋原作のマンガを作者自ら監督・脚本し、当時としては画期的な技術をふんだんに用いて映画化したもの。世界中で高い評価を受け、いまだに大人のための近未来SF映画として上位にランキングする傑作とされています。音楽を担当したのは芸能山城組で、和楽器を駆使した現代的な独特の響きが絶賛しれました。

実はこの話の舞台は、1982年に第3次世界大戦勃発により世界が破壊された後、復興した新首都、ネオ東京での2019年ということになっています。しかも、2020年にオリンピックをひかえてスタジアムが急ピッチで建造されているという設定(しかも、それが壊滅!!)。

まるで、コロナ渦によってオリンピックの計画がぐちゃぐちゃになった昨年を予見したかのような、大友の時代感覚の先取り感には驚かされます。30年くらい前に初めて見た時は、本当に東京2020があるなんて誰も思ってもみなかったし、それがこんなに混乱するとは想像だにしませんでした。

ネオ東京は大戦後巨大な街として生まれ変わりましたが、反政府活動をするゲリラも横行し不安定。不良少年の金田は、仲間の鉄雄らとバイクで暴走に明け暮れていましたが、ある日ゲリラが誘拐し連れ出したタカシと衝突事故によって鉄雄は軍に連れ去られ、金田は警察に捕まります。

軍の敷島大佐は、鉄雄がアキラと同じ能力を秘めていることに気が付きます。金田は、ゲリラに参加する少女ケイに一目ぼれします。金田に対して大きなコンプレックスを持つ鉄雄は、能力の開花と共にコンプレックスが怒りに昇華し頭痛がひどくなっていきます。

実は、特殊能力を持つアキラ、タカシらのこどもたちを軍が秘密裏に研究していたのですが、1982年に特に能力が高いアキラの暴走が東京を壊滅させ、世界大戦の引き金となったのです。アキラは研究のためバラバラにされ、オリンピック・スタジアム建設現場の地下深くに隠蔽されていました。

アキラに匹敵する能力を持ち始めた鉄雄は、どんどん増長しアキラの封印を解きますが、自らの肉体もコントロールできなくなり、膨張・肥大化してついにアキラの精神世界に消えていくのです。

映画制作時、原作は連載中で最終的には原作の半分までが映画化されました。映画版では、大友自ら一定の話の帰結をさせていますが、登場人物たちの、特にアキラと鉄雄を中心とした謎は残る。

人類が獲得するかもしれない新しい能力とそれを利用したい体制側、利用されその運命に従う者、能力をもてあまし飲み込まれる者などが織りなす、いわゆるハードSFと呼ばれる内容で、映画だけではその全容を把握することは難しいかもしれません。

ハリウッドで実写映画化の計画は、だいぶ前からあるものの、あまりにも大きな世界観を描くことの困難から、計画はなかなか軌道に乗らないようです。

2021年7月21日水曜日

ガタカ (1997)

タイトルの「ガタカ」って何だろうと最初に感じます。実はこれ、医学的な話なので、自分の場合は納得しやすい。人間の遺伝子、つまりDNAは二重らせん構造と呼ばれる形態で、そのらせんを繋いでいるのが無数の塩基と呼ばれるもの。塩基にはアデニン、グアニン、チミン、シトシンの4種類があって、それぞれの頭文字がA、G、T、Cです。ガタカは「GATTACA」はこれを組み合わせたもの。

監督と脚本はもこの作品がメジャー・デヴューとなる、ニュージーランド出身のアンドリュー・ニコル。遺伝子を選別して優秀な子供を産むことができるようになった近未来に、遺伝子操作を受けずに生まれた「不適正者」ある主人公が、「適正者」に成りすまして憧れの宇宙飛行士を目指す話です。

ヴィンセント(イーサン・ホーク)は自然に受精し出産され、生まれた瞬間に遺伝子の検査から、いろいろな欠陥を持ち寿命は30年くらいとわかっています。弟のアントンは、受精卵の時点で遺伝子操作により優秀な素因を持って生まれ、成長と共にいろいろな面で兄を追い越していくのです。

ヴィンセントは家を出て、宇宙開発のガタカ社の清掃の仕事をしているうちに、幼い時からの宇宙飛行士の夢が膨らんでいきます。ヴィンセントはDNAブローカの紹介で、遺伝的優位性を持つ「適正者」であるジェローム(ジュード・ロウ)を紹介されます。ジェロームは優れた水泳選手でしたが、銀メダル以上を取れない重圧から自殺しようとして下半身不随の体になっていました。

ヴィンセントは徹底的な注意を払い、ジェロームの血液や尿などを利用してガタカ社に入社。ジェロームとして木星探査のパイロットに選ばれました。ジェロームも、必死に不適正者としての逆境を跳ねのけようとするヴィンセントに心から協力するようになっていました。

しかし、打ち上げが迫った頃に、この木星探査に反対する重役が社内で撲殺される事件が発生します。警察は落ちていたまつ毛のDND鑑定から、かつて清掃員をしていた不適正者のヴィンセントが容疑者として浮上しました。

同僚の適正者のアイリーン(ユア・サーマン)はヴィンセントに惹かれていきますが、ついに彼が偽物であることに気が付きます。捜査官もヴィンセントを怪しいと考え警察の捜査が迫りますが、ロケット発射を推進する局長が反対派の重役を殺した真犯人であることが判明します。

それでも捜査官はヴィンセントのもとに来て、自分が弟のアントンであることを話し、詐称を自白するように迫ります。しかし、強固な意志を持って夢を叶えようとするヴィンセントの前では引き下がるしかありませんでした。

出発の朝、本物のジェロームは一生使えるくらいのDNA材料をヴィンセントに見せ、自分は旅に出ると説明します。ヴィンセントは予想していなかった出発直前の最終尿検査に、検体を用意していなかったため自分の尿を差し出します。しかし、これまでずっと彼の検体を扱ってきた医師は、出てきた結果をジェロームに書き換えて送り出すのでした。ロケットの中で、間際にジェロームから手紙を開けると、そこには遺髪が入っていました。

近未来SFというと、情報統制が厳格で悲劇が起こるというパターンが多い。遺伝子情報は究極の個人情報であり、これを人為的に操作して人間を差別化していく社会がこの映画の根底にあります。しかし、この作品の特徴的なのは、積極的に遺伝子情報を逆利用して這い上がるというところ。

宇宙飛行士の物語とは言っても、ほぼ宇宙的なところは出てきません。他人に成り代わるというのは、むしろスパイ映画のようなサスペンスに近いものがあります。ただ、そこに夢を追いかけて必死になる人間の努力をたたえる面が人間ドラマとしての面白さを強くしています。

適正とラベリングされても、ジェロームにしても心臓が弱いアイリーンも必ずしも思い描いた人生を送れるわけではありません。遺伝子的に劣るとされても、がむしゃらに努力することが何かを生み出すことを、ここでは非合法的な方法ではありますが、しっかり描くことでいろいろな場面での勇気につながるような映画になっています。

2021年7月20日火曜日

未来世紀ブラジル (1985)

邦題には「未来世紀」がついていますが、オリジナルのタイトルは「Brazil」だけ。ブラジルで作られた映画ではありませんし、ブラジルが舞台になっているわけでもない。アメリカでも、イギリスでも、あるいはジャパンでも構わないのかもしれません。強いて言うなら、「Aquarela do Brasil (ブラジルの水彩画)」という、誰もが耳にしたことがある有名な音楽が、全体に使われているからということかと。

20世紀のどこかの国・・・という設定なので、基本的に現代劇のようですが、邦題についている通り、どちらかというと近未来をイメージした管理社会に対する痛烈な皮肉を込めたコメディ・タッチのSF映画の傑作という位置づけの作品。何しろ監督が「モンティ・パイソン」出身のテリー・ギリアムですから、ユーモアのテイストは一流です。

物凄く情報統制の行き届いた国、それに反対するようにテロ行為も長年にわたって活発です。ある日のこと情報局剥奪局は、ただの市民であるバトルさんを、特殊部隊の自宅への突撃で派手に逮捕。ところが、これが情報伝達局の入力間違いによる誤認逮捕でした。

この件の後始末を任された情報資料局のサム・ライリー(ジョナサン・プライス)は、出世には興味が無く、毎晩のように天使のような羽を付けて飛び回り美女を助ける夢を見ている呑気な男。金持で偉い人にたくさんコネを持っている母親が、出世をさせようと裏でいろいろ動いているのもうっとおしい。

さて、サムの家の暖房が壊れて、修理をしてやってきたのは非正規の修理屋、タトル(ロバート・デ・ニーロ)でした。後から来た正規の修理屋は、勝手に違法な修理をするタトルはテロリストだというのです。

タトルに間違えられたバトルさんは尋問で死亡し、サムは取りすぎた尋問手数料の返金のためバトルさんの自宅を訪ねます。そこで見かけた、上の階に住むトラック運転手のジル・レイトン(キム・グライスト)が、夢に出てくる美女とそっくり。ジルのことを職場で検索しても、機密扱いになっていてよくわかりません。

サムはジルのことを調べるため情報剥奪局に移動。ジルは誤認逮捕の目撃者で、そのことを吹聴して回っているとして手配されていることを知ります。ちょうどそこへ苦情を言いにジルが現れたため、サムはジルのトラックに強引に乗り込みますが、無理に検問を突破して警察に追われる事態になります。

サムは母親が留守の実家にジルを隠し、コネがきくヘルプマン次官のオフィースに忍び込んでジルは死んだことに情報操作します。実家に戻ると特殊部隊によってサムは逮捕されます。サムはヘルプマンからジルは逮捕に抵抗して死亡したと伝えられ、数々の罪状により尋問を受けることになりました。

ここからは、もう真実なのか妄想なのかよくわからないフィナーレに突入。ジルに助けられのどかな田舎で静かに暮らしましたとさ、めでたしめでたし・・・というハッピーエンド・バージョンは、実は制作会社が勝手に作った物で、監督が描いたものとは違います。

現在メディアで入手可能なバージョンは、監督の意図通りに編集されたもので、結局は尋問により精神崩壊したサムを映し出し映画は終了します。結局、「ブラジル」は、自由がない息苦しい生活から解放されたいという主人公、あるいはギリアム監督が南の開放的で陽気な世界を渇望したところなのかもしれません。

とりたてて、物凄い特殊効果がわんさかと出てくるわけではありません。むしろ主人公の周囲に存在する物はレトロな風合いで、一時代以上昔の小道具が逆に未来的な不思議な味わいを出しています。

サムの母親は整形でどんどん若返っていき、友人はどんどん整形の失敗を重ねていく。非合法のタトルの修理より、正規の修理屋の方が家をどんどん破壊していく。情報局の各部署は横の繋がりはなく、市民をたらいまわし。今の時代にもいくらでも通じる皮肉が随所に込められていて、適度な笑いの中に反面教師的なセンスが光ります。大スターのロバート・デ・ニーロは、この映画では完全な脇役。それを本気で演じたことで、映画の格を高めたと言えます。

2021年7月19日月曜日

猿の惑星 (1968)

ピエール・ブールの1963年の原作を、監督フランクリン・J・シャフナーで映画化したもので、そのヒットにより1973年までに続編が4作作られ、2001年にはティム・バートン監督によるリメイク、2011~2017年にはリブート・シリーズ3作が作られました。

しかし、特殊メイクを駆使した第1作での「人間のように」振る舞う猿人や、そして驚愕のラストのインパクトは圧倒的で、間違いなくシリーズを通しての最高傑作です。宇宙や科学的な道具が登場するわけではありませんが、SF映画の古典として忘れられない作品です。

6か月間の宇宙飛行の間に、相対性理論により地球ではすでに700年が経過していました。飛行士のテイラー(チャールトン・ヘストン)は、記録を済ませると仲間と同じく冬眠に入ります。さらに1300年が経過して、飛行艇はある惑星に不時着し、テイラー、ドッジ、ランドンの三人の飛行士は荒地が広がる土地に足を下ろします。

滝のある池にたどり着いた3人でしたが、水浴びをしている隙に衣服などを盗まれ、付近を探すと原始的な人間の集団を見つけるのです。彼らは何かに気が付き、一斉に逃げ出します。そこに現れたのは、馬に乗り銃を構える猿たちでした。猿たちの人間狩りにより、ドッジは殺され、ランドンは捕獲されます。テイラーも喉の付近を撃たれ捕まりました。

チンパンジーの動物心理学者のジーラ(キム・ハンター)は、青い目をしたテイラーに興味を持ちケガの治療を行います。ジーラは捕まえた「雌」のノバ(リンダ・ハリソン)を檻の中のテイラーに与え行動を観察するのです。テイラーは喉のケガで話せないが、文字を書けることを見せると、ジーラは驚ろき、猿が人類から進化したと考えている恋人のコーネリアス(ロディ・マクドウォール)に知らせます。

しかし、オラウータンのザイアスは、テイラーが危険な存在であると考え、テイラーを去勢しようします。テイラーは脱走しますが、再び捕まりついに「俺に触るな」と言葉を発し、猿たちを驚かせます。テイラーの存在を恐れるザイアスは裁判を開き、猿の社会不安を煽ったとして、ジーラとコーネリアスを有罪とします。

ジーラの甥、ルシアスの手引きで脱出したテイラーは、自分が不時着した猿たちの禁止地帯をノバも連れ目指します。追ってきたザイアスに、コーネリアスは以前発掘調査した場所を見せ過去に人類の文化があった証拠を見せます。しかし、ザイアスはかたくなに信じない。

実は、ザイアスは人類が猿類より前に文明を持っていたこと、人類がお互いに殺し合いをして滅亡していったという伝聞を知っていたのです。テイラーはノバと共に、海に沿ってさらに奥地へと去っていきました。そして、何とテイラーが目にしたものは、焼け焦げて瓦礫と化した自由の女神像でした。テイラーは「ここは故郷だった。ついにやってしまったんだ、バカ野郎」と慟哭するしかありませんでした。

今の我々人類が猿たちを見て思うことと正反対のことが、この猿社会で起こっています。地球の支配者たる人間の醜さを猿に例えて表現する発想は、当時としては画期的でした。また、それを可能にしたのは、今でも色褪せない猿の特殊メイクでした。

メイクを考案し施したのはジョン・チェンバースで、この功績によりアカデミー名誉賞を授与されています。俳優の顔と一体となった、確かに猿としか見えない、にもかかわらず俳優の表情の変化がしっかり表に出るメイクは素晴らしい。彼はまた、「スター・トレック」のスポックの耳も作っています。

猿類は、支配・指導者の階級はオラウータン、知識層や一般市民はチンパンジー、兵士や労働階級はゴリラという分け方をしています。猿に対する先入観の現れのようですが、現実に存在する人類の格差を皮肉っているのだろうと思います。裁判でテイラーの主張に対して、三匹のオラウータンが「見ざる言わざる聞かざる」のポーズをするところは笑える。

そして、どこか別の惑星での出来事と思ってみていた視聴者は、ラストの自由の女神像の登場によりテイラーと一緒に衝撃を受けます。この映画は東西冷戦の真っ只中という時代背景の中で作られたので、人類が過ちを犯した結果の可能性の一つとして、強烈なメッセージを提示しているのです。

2021年7月18日日曜日

華氏451 (1966)

フランソワ・トリュフォー監督の、唯一のSF作品です。トリュフォーは、フランスのヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人であり、理論家としても有名。ヒッチコックとの対談は、映画製作者のバイブルになっています。また、スピルバーグの「未知との遭遇」では(SF嫌いにもかかわらず)俳優として重要な役どころを演じました。

原作はレイ・ブラッドリーによる1953年の小説で、タイトルは本(紙)が燃え始める温度(451゚F、あるいは233゚c)を示しています。思想統制がしかれた近未来社会が舞台なのでSFとして扱われますが、基本的に科学的・未来的小道具か大嫌いなトリュフォーは、多少の未来的な雰囲気はあるものの、ほとんど現代劇と言って良いような絵作りをしました。

本は社会体制に邪魔になるよけいな思想を産む温床だとされ、所持していることが判明するとファイヤーマンが急行しただちに焼却処分し、持ち主は逮捕されるという時代。本の所持者の密告も奨励されています。

文字が無い時代で、開始早々のタイトルやキャスト・スタッフも表示されず、声でのみ紹介されるのです。この時代、新聞も文字は無くコミックのような絵だけ。

優秀なファイヤーマンであるガイ・モンターグ(オスカー・ウェルナー)は、ある日通勤のモノレールで、妻のリンダ(ジュリー・クリスティ)にそっくりな教師をしているクラリス(ジュリー・クリスティ二役)という女性と知り合います。

クラリスは、単刀直入に何故本を焼くのか、本を読むことの何がいけないのか質問してきます。それまで当たり前だと何も思わなかったモンターグは、焼き捨てるはずの本を密かに持ち帰るようになりました。ちなみに最初の本は、ディケンズの「デイヴィッド・コバフィールド」でした(文字が無い生活なのに字が読めるのはちょっと不思議・・・)。

クラリスは、学校を首になったことためその理由を聞くためモンターグに一緒に行ってほしいと頼み、クラリスはリンダを騙り嘘の電話でモンターグを休ませます。しかし、この行動が同僚や隊長を怪しませるのでした。

次にモンターグが出動したのはクラリスが出入りしていた老女の家で、隊長が「秘密図書館」と呼ぶほど大量の本が見つかります。隊長は小説は無駄な想像を膨らませる、哲学書は自分だけが正しいと主張するだけ、自伝は自己満足などと言い放ちます。老女は、自ら火を放ち本と共に燃えていくのでした。 

クラリスの家もファイアーマンの捜査を受け、クラリスは何とか逃亡します。次々に本を読み漁るモンターグに愛想が尽きたリンダは、モンターグを密告し家を出てます。モンターグは隊長に辞職を申し出ますが、最後の仕事だと連れていかれたのは自分の家でした。

火炎放射器を渡され自分で焼けと言われたモンターグは、家全体に火を放ち隊長をも焼き殺してしまいます。一番SF的なのは、空中を飛ぶ警察がモンターグを探しているところ。モンターグは森の奥深く逃げ、そこで一人一冊ずつ本を暗記し書名でお互いを呼び合う「本の人々」に出会います。先に到着していたクラリスは、すでに書名になっていました。モンターグは、唯一手元に残ったエドガー・アラン・ポーの「怪奇と幻想の物語」の暗記を始めるのでした。

トリュフォーにとっては、初めてのカラー作品。そして初めてで唯一の英語作品です。ヒッチコックとの交流を盛んにしていた後で、サスペンスの盛り上げ方などで随所にヒッチコック的な演出・撮影・編集が見て取れます。また本を焼くことは、ナチスの焚書を思い起こさせずにはいられません。

ちなみに「突然炎のごとく」でトリュフォー作品を経験済みだったオスカー・ウェルナーは、人気が出てトリュフォーを見下すようになり大きな確執が生じたことは有名な話。

全体主義的な思想統制の怖さを描くとともに、自分で考えなくなった人々の末路を示した映画です。作られた当時では、テレビの普及により直感的にわかりやすい視覚的な情報に頼りすぎるようになってきたことへの警鐘という意味があったかもしれません。

しかし、実は現在の状況の方が、より危機的なのかもしれない。全体主義というより、個人主義的な主張が多くなり、インターネットを介した安易な情報だけを鵜吞みにする時代です。本の売れ行きはどんどん下がり、書店はどんどんなくなっています。

人類の記憶・記録の宝庫である書物を軽んじて、自分なりに物事をしっかり考えるということが少なくなったことは否定できません。自らの思考を止めてしまえば、このストーリーのような未来が待っているかもしれないということなのかもしれません。

2021年7月17日土曜日

梅雨明け


昨日、関東地方は梅雨明け。

とたんに日中は32゚cという猛暑宣言のような気温。今年の夏も先が思いやられます。

すでに脱水で熱中症?という話はチラホラ聞くようになりました。

微熱が出ると、新型コロナも心配することになるので、くれぐれも体調管理には注意したいものです。

オリンピックまであと1週間。

横浜市長選挙まであと1か月。


2021年7月16日金曜日

ジョーカー (2019)

ジョーカー・・・トランプの「ババ」ではなく、アメコミの人気シリーズ「バットマン」に登場する悪役(ヴィラン)の中で、最もキャラクターの際立った存在。


バットマン映画でも、ティム・バートン監督シリーズでは名優ジャック・ニコルソンが演じ、そしてクリストファー・ノーラン監督シリーズではヒース・レジャーが強烈な印象を残しました。

しかし、どちらも、すでにジョーカーはジョーカーであり、悪役として完成した姿です。なんで、ジョーカーがジョーカーになったのか。それを描く「ジョーカー・ビギンズ」と呼べる作品がこれ。ある意味、シリーズとはまったく切り離された別の世界観の中で展開するスピンオフ・ストーリーであり、バットマンのようなアクションを期待してはいけません。

監督は「アリー/スター誕生」を手掛けたトッド・フィリップスで、脚本にも参加しています。原作を逸脱した自由な発想で、ジョーカーの誕生を作り上げました。興行的には成功し、主演のホアキン・フェニックスは、アカデミー主演男優賞に輝きました。

ゴッサム・シティのスラムに年老いた母と住むアーサー・フレックは、ピエロの扮装で街でいろいろな仕事をしつつ、人気コメディアンのマーレーに憧れていました。母親のペニーは、昔、街の名士トーマス・ウェインの屋敷に勤めていたことがあり、現在の窮状を訴える手紙をウェインに送り続けますが、返事はまったく来ません。

アレックスは緊張すると笑いが止まらなくなる持病があり、生活苦も含めて人生に疲れているのです。しかし、たまたま地下鉄でウェイン・グループの社員3人にからまれ、彼らを射殺してしまうのです。これを貧困層の人々が富裕層への報復と賞賛し、街は暴動に発展していく。

アーサーは、母親の手紙の内容から自分が母とトーマス・ウェインの間にできた子だと思い、何とかウェインに接触しますが、完全に否定され母親が精神病だと告げられる。母親が当時入院した病院で、強引に当時のカルテを奪うと、記録されていたのは母親の重度の妄想障害、自分が養子だったことなどでした。

新人コメディアンとしてマーレーのTVショーに呼ばれたアレックスは、髪を緑色に染め、緑色のシャツにオレンジのスーツに身を包み、顔はピエロのメイクで登場。自ら殺人犯であることを告白し、マーレーを射殺してしまうのでした。

暴動が激化する中で、逮捕されたアレックスを乗せたパトカーは襲われ、アレックスはパトカーの上で自分の血で唇を釣り上げて踊ってみせるのでした。

その生い立ちや境遇に不満を持つ底辺の人間が、たまたま犯した犯罪に高揚感を感じ、さらなる犯罪に手を染めていくという内容は、はっきり言って目新しいものではありません。それがジョーカーだったという点を除けば、暗い陰湿なドラマであり最初から最後まで救いはありません。

無理にバットマン・シリーズとの整合性を入れ込んだようなところもありますが、ほとんど別次元のドラマです。ヒース・レジャーのジョーカーとはかなり趣が異なる印象で、どこかで悲劇のアレックスをジョーカーとして肯定してしまっているようなところもあります。

ただ、暴動を起こしている人物がみんなピエロのマスクを付けていて、社会格差が広がれば誰もがジョーカーになるという怖さが、この映画のポイントにありそうです。少なくとも、今後作られるかもしれないバットマン・シリーズには引き継がれないであろう、特異なジョーカーとして記憶される映画です。


2021年7月15日木曜日

二酸化炭素の測定 その3


ゴールデンウィーク明けから、二酸化炭素の計測器を設置しています。目的は、新型コロナウイルス対策として、換気状態の目安にするため。

気温があまり上がっていなかった時は、たくさんある窓を開けっぱなしにしていたので、ほとんどこのような機器を置いておく意味がないくらい、数値は高くても700~800ppmまでしか上がりませんでした。

さすがに先週からは、湿度・気温共に高くなってエアコンを普通に使っています。そうすると意外なことに、うちのような開放的な空間でもかなり数値が良くないことにびっくりさせられています。

建物内の二酸化炭素濃度は、建築基準法で1000ppm以下になるように定められています。

健康への対策の目安として、
1500ppm以上 頻回に換気を行う
2500ppm以上 常時窓を開けておく、または部屋に入らない
ということが言われています。

エアコンを使用して窓を閉め切っていると、良い状態で600ppm前後、診察室で患者さんと話していると、時には1000ppmを超えることもある。リハビリ室は広いですが、人が4~5人いるだけで1000ppm近くまで上がります。

さすがに1500ppm超えることはなさそうですが、最大で1300ppmまで上がりました。そこで、1500ppm以上なら即座に換気開始することにしました。

また、換気を始めた時に、1000ppm近い場合5分間では不十分で、500ppm台くらいまで下がるのに10分程度は必要とします。定時の換気時間も、これに合わせて延長することにしました。このところ風がほとんど無い状態が続いていることも、換気状態改善の悪さに影響していると思います。

確かに居酒屋さんのような窓が少ない人が集まる場所、しかも火をたくさん使うところでは、二酸化炭素はどんだけ上がっているのかと思いました。もっとも、それだけがすぐ感染につながるというものではありませんけどね。

2021年7月14日水曜日

ダーク・ナイト・ライジング (2012)

クリストファー・ノーラン監督、「バットマン・トリロジー」の最終作。

邦題は「ライジング」ですが、原題は「Rises」で現在進行形じゃない。まぁ、どっちでいいのですが、「暗黒騎士起つ」というところでしょうか。

シリーズのメイン・キャストは同じ。クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン、モーガン・フリーマンは健在。ここにキャット・ウーマンでアン・ハサウェイが加わります。敵は「ビギンズ」でラーズ・アル・グールの影の軍団を破門になったベイン(トム・ハーディ)。

今回の話は、前作から8年経ったことになっています。バットマンは、前作で殺人者として警察に追われる存在になり、ブルース・ウェインは屋敷の奥にひっそりと隠れるように暮らしています。激しい戦いの数々により、体中がボロボロで歩くのに杖が必要な状態。ブルースは、クリーン・エネルギーに熱心なミランダ(マリオン・コティヤール)を役員に取り立てます。

盗賊キャット・ウーマンことセリーナは、ウェイン邸に潜入してブルースの指紋を採取していき、ウェイン産業の乗っ取りを画策するダゲットに渡します。ダゲットが雇った傭兵ベインは、証券取引所を襲い、ブルースの指紋を利用して認証しウェイン産業のほとんどの資産を横取りし、ウェイン家は破産する。

平和が続いていたゴッサム・シティに不穏な空気が再び流れ出し、ブルースの正体を疑っていた熱血警官のブレイクは、屋敷にブルースを訪ね、今こそバットマンが必要な時だと話します。ブルースは体を鍛え直し、手足の強化ブレースを装着して再びバットマンとして街に降臨するのでした。

ダゲットに雇われるふりをしてベインが本当に狙っていたのは、ウェイン産業の地下にある未来のエネルギー開発が目的で研究されていた核融合炉を奪うことでした。これを核爆弾に転用して、かつてラーズ・アル・グールが画策したゴッサム・シティを消滅する作戦を完結しよとしていたのです。地下水道のベインのアジトにたどり着いたバットマンはベインとの格闘の末、マスクを割られ意識を失います。

ベインは街中を占拠し、警官隊を地下水道に孤立させ、市民には一人でも脱出する者がいたら核爆弾を爆発させると宣言します。ブルースが目を覚ましたのは、遠く離れた奈落の底のような収容所でかつてベインも入っていた場所。ここから脱出できたのは、いまだかつてこども一人だというのです。ブルースは傷をいやし、体を鍛え、何度かのチャレンジでついに垂直の奈落の壁を上りきることに成功します。

不安定な状態になった核融合炉は、ベインがスイッチを入れなくても数時間後には爆発するという状況で、ついにゴッサムにバットマンが戻ってきます。地下に閉じ込められていた警官隊も脱出させ、傭兵軍団と激突します。バットマンとベインは再び対決しますが、今回はバットマンが勝利したと思ったのも束の間、何とバットマンはミランダにナイフで刺されるのです。

実は、バットマンは奈落から脱出したこどはベインだと思っていたのですが、ミランダこそが奈落で生まれたラーズ・アル・グールの娘で、まさそのこどもだったのです。ミランダは父の遺志を継いでゴッサムを破滅させるといい起爆装置のスイッチを押します。しかし、ゴードンがバットマンから渡された電波妨害装置を使い爆発は免れる。爆弾と共に逃亡したミランダを追いかけ何とか爆弾を奪取しますが、もう残り時間が無い。

バットマン用戦闘で爆弾を吊り下げたバットマンは、沖合に運び爆発させ、ゴッサム・シティは破滅を免れたのでした。自らを犠牲にした真のヒーローが誰だったのか、市民たちはしっかりと受け止め、平和が戻った街にバットマンの銅像が建てられました。

ただし、エピローグとして、戦闘機の自動操縦がブルースの手によってプログラムされていたこと、警察の屋上のバット・シグナルが直されていたこと、そして執事のアレックスがフィレンツェのカフェでブルースとセリーナが食事をしているのを嬉しそうに見つめていたりします。さらに、熱血警官のブレイクのファースト・ネームがロビンであり、ブルースから託された場所でバットマンの武器を発見するところで映画は終わっています。

事実上は、第1作の「ビギンズ」の続編的な位置づけ。ラーズ・アル・グールという、このトリロジー独自の敵との因縁の解決篇という感じ。第1作を知らないと、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、いきなりこれから見る人はいないだろうということ。

三作とも監督のノーランが脚本にも関わり、統一したカラーで魅了します。また、本作でもできるだけCGは使わない監督らしく、大勢の戦闘シーンも写っているだけの人数が用意されているというのもすごい。やはり、CGでは出せない本物の迫力は本来の映画ならではのもの。

人間であるバットマンが、誕生するところから肉体を疲弊させてヒーローとして「死ぬ」までを三部作で描き切った内容で、SF敵ヒーロー・アドベンチャーと言うよりは、人間ドラマとしての深みを追求し、成功したシリーズと言えそうです。

2021年7月13日火曜日

ダーク・ナイト (2008)

クリストファー・ノーラン監督の「バットマン」シリーズの第2弾にして、おそらく最高傑作。タイトルの「ダーク・ナイト」は「暗い夜」じゃなくて「暗黒の騎士(Dark Knight)」。

バットマンのクリスチャン・ベール、ゴードンのゲイリー・オールドマン、執事のマイケル・ケイン、フォックスのモーガン・フリーマンは続投。レイチェルはマギー・ジレンホールに交代しました。今回の悪者は、シリーズの最も有名人、ジョーカーです。演じたヒース・レジャーはその怪演を認められアカデミー助演男優賞に輝くも、その授賞式直前に薬物中毒により28歳の若さで死去しています。

バットマンの存在が知られると、逆にバットマンを真似る市民が現れて混乱したり、悪人たちもむしろバットマンに挑戦してくるようになり、一向にゴッサム・シティが平和になる気配がない。バットマンは正義のためといっても、法の下では違法な行動をしていることで、表立ってヒーローとは言えないことの苦悩し始めていました。

顔を白く塗り口の両端の傷が笑っているように見えるジョーカーと名乗る悪党は、仲間すら平気で殺してしまう犯罪そのものを楽しむ危険人物。バットマンに手を焼くギャングたちは、ジョーカーの誘いに乗ってバットマン殺害の取引をします。

街には新たに正義感の強いハービー・デント検事が赴任してきて、レイチェルとともに犯罪撲滅に乗り出していました。デントはレイチェルに深い愛情を抱いていました。ブルース・ウェインも、デントなら真のヒーローとして街の平和を取り戻してくれると考えます。

ジョーカーは悪事を働くことに何のためらいもなく、バットマンにマスクを脱いで正体を現さないと市民を次々に殺すと脅迫してきました。デントが記者会見を開き、ブルースが名乗り出る前に、自ら「自分がバットマンだ」と公表します。デントはその場で手錠をかけられ護送車に乗せられる。

そこをジョーカー一味が襲い、バットマンらの活躍で何とかジョーカーを逮捕します。しかし、その夜、ジョーカーは脱走し、デントとレイチェルを別々の場所に監禁し爆薬を仕掛けてあることをバットマンに伝えます。バットマンは教えられたレイチェルの監禁場所に行くとそこにいたのはデントで、助け出したものの顔の左半分に重度の火傷を負わせてしまいました。デントの居場所と教えられた場所にはゴードンが急行しますが、間に合わずレイチェルは爆死してしまうのでした。

デントは顔半分が焼けただれ、シリーズのヴィランの一人として知られているツー・フェイスになったのです。ジョーカは病院に潜入し、デントに善と悪は結局同じようなものと話し、病院を爆破。デントはレイチェルの復讐として、裏切り者の警察官などを問い詰め、コイン・トスで表が出ると殺していきます。そして、ついにゴードンの家族を拉致します。

ジョーカーは混乱した街から脱出する2隻のフェリーに爆弾を仕掛け、それぞれに相手の船の起爆装置を用意していました。先にスイッチを入れれば助かる、というおよそ人として考えもつかないゲームを始めるのでした。バットマンは彼らの潜伏場所を突き止め、ジョーカーを宙づりにして捕獲します。どちらのフェリーも自らスイッチを入れることは無く、人の良心が証明されました。

バットマンはただちにツー・フェイスのデントを追います。レイチェルを見殺しにしたとゴードンを責め、こどもを盾にするデントに、バットマンが飛び掛かり転落して死亡させます。バットマンは、デントをヒーローとして死なせなければならないと考え、ゴードンにデントの行った警察官を含む殺人犯は自分だとするように言い、闇の中に消えていくのでした。

バットマンは、最後にまさにダーク・ナイトになってしまうという結末は、なかなか衝撃的。真のヒーローとはどういうものなのか、人々の良心とはどんなものなのか、単なる特撮超人映画とは言えない深いテーマが見えてきます。

また、バットマンが人間だということもあらためて伝わってくる。強化スーツや、様々なハイテク機器を利用していますが、バットマン自身はブルース・ウェインというただの人間です。

ただ、最後まで人を殺さない、それがたとえ悪党のジョーカーだとしてもです。ダーク・ヒーローですが、人間だからこその最低限のモラルを守ることが、彼の秘密を知っているわれわれ視聴者の共感を呼ぶところなのです。

それに対して、ティム・バートン版のジャック・ニコルソンのジョーカーは、どこかにユーモアと独自のモラルを残していましたが、今回のヒース・レジャーはまったくモラルの欠片も持ち合わせていない。徹底的にただただ悪事を楽しむだけの非人間ぶりが際立っていました。善と悪の対比を明確にして、両者が似たような存在であることも映画からは伝わってきました。

2021年7月12日月曜日

バットマン・ビギンズ (2006)

アメリカのマンガ雑誌と言えば、DCコミックとマーベル・コミックが双璧をなしています。スタートはDCコミックが1934年、マーベル・コミックが1939年。DCコミックは1938年に「スーパーマン」、1939年に「バットマン」が登場し、圧倒的な人気を誇りました。これらは、TVドラマとしても日本で紹介されましたので、昭和おやじとしては、マーベル系よりも圧倒的に馴染み深い存在です。


映画としては、最近は圧倒的にマーベルが強い。DCコミックの主役級を集めたジャスティス・リーグよりも、マーベルのアヴェンジャースに人気の軍配は上がっていることは否定できません。

スーパー・ヒーロー物では、ワーナーブラザーズとDCコミックは「スーパーマン」が先陣を切りましたが、続編のシリーズ(全4作品)が一段落した後、1989年に「バットマン」のシリーズに着手します。監督のティム・バートンは、TVシリーズのコミカルな要素を排して、ダークなヒーロー像を構築して成功しました。

しかし、さらにダークにバットマンの内面を掘り下げたのが、クリストファー・ノーラン監督。2006年に開始された新シリーズの三部作は、いずれも大ヒットし高い評価を得ています。

タイトルからして「ビギンズ」は、何故、そしてどうやってブルース・ウェインがバットマンになったかを描く作品。バットマンはクリスチャン・ベール、忠実なウェイン家の執事アレックスはマイケル・ケイン、ここではまだ単なる刑事のゴードンはゲンイリー・オールドマンが演じます。そして、ブルースの幼馴染で悪と対峙するゴッサムの女検事レイチェルとしてケイティ・ホームズが登場します。

ゴッサム・シティの大富豪ウェイン家の一人息子ブルースは、遊んでいて古井戸に落ち、蝙蝠の大群に遭遇したことが恐怖としてトラウマになっています。そして、オペラの観劇中に蝙蝠の演技を怖がったため、両親はブルースを裏から連れ出したところを強盗に襲われ射殺される。

10数年だって収監されていた両親殺しの犯人が保釈されると聞き、ブルースは拳銃を隠し持って犯人が出頭する公聴会に向かいます。しかし、直前で街のギャングの手によって犯人は射殺されるのでした。人殺しをしなくてすみましたが、レイチェルに「復讐は単なる自己満足」だと非難されます。

悪の本質を知りたくて旅に出たブルースは、チベットの山奥で影の軍団を率いるラーズ・アル・グール(渡辺謙)に出会い、彼の部下デュカード(リーアム・ニーソン)のもとで様々な戦闘訓練を受けます。しかし、彼らの悪を滅ぼすためにはゴッサム・シティのすべてを破壊する、という目標には納得できず「俺はゴッサムを守る」と言ってグールを倒し脱出するのでした。

ゴッサムに戻ったブルースは父の残した会社の研究部門のフォックス(モーガン・フリーマン)の協力で、様々な特殊な装備を手にします。そして、自分が恐怖を感じた蝙蝠をシンボルとして、悪人にも恐怖を与えるため蝙蝠のコスチュームに身を包むのでした。

ギャングのボスを動かぬ証拠とともに警察に引き渡し、悪を潰したいレイチェル、悪にくみさないゴードンらを助けます。しかし、ギャングの裏には、さらに何かを企んでいる黒幕がいる。彼らはウェイン産業が開発した水分を蒸発させるマイクロ波機器を盗み、ゴッサムの水道にばらまいた幻覚剤を気化させ狂気と化した人々を自滅させる計画だったのです。

ブルースの邸宅に乗り込んできたのはデュカードでした。実は彼こそが真のラーズ・アル・グールで、邸宅に火を放ち全焼させます。そして、マイクロ波を起動しようしているところで、バットマンとの最終対決が始まるのでした。

渡辺謙は登場場面はあまり多くはありませんが、それなりの存在感を示しました。マイケル・ケインもおじいさんになって、飄々とブルースを支えるところはうまい。何よりも、「太陽の帝国」のこどもだったクリスチャン・ベールが、意外にバットマンにはまっていて過去のバットマン俳優の中でも一二を争う出来です。

ノーラン監督は、CGに頼りすぎずに俳優の生身のアクションを重視する演出が特徴で、俳優陣はかなり頑張らされたのだろうと想像します。少なくとも、新しいバットマンのリブートですが、今まで知られていなかったポイントをうまく整理した内容であっという間の140分です。

2021年7月11日日曜日

じめじめ → あつあつ



雨ばかりで・・・梅雨ですから当たり前ですけど、洗濯物も乾かないし、そこらかしこにカビが生えてきそうな1週間でした。

と、思ったら、昨日はカンカン照りで、急に真夏のような暑さ。エアコンを使うと、換気で窓を開けた時のなだれ込む熱気が、いっそう辛くなるというものです。

各地で梅雨末期に起こりやすい豪雨災害が発生していて、なかなか気が休まるどころではありません。熱海は何度か行ったことがある馴染みの場所ですから、心が傷みます。

早ければ来週中に梅雨明けという話もチラホラ出ていますが、平年並みなら再来週。いずれにしても、今年もまた猛暑が近づいてきている感じ・・・の中、やっばりオリンピックをやるんですね。

2021年7月10日土曜日

遊星からの物体X ファースト・コンタクト (2011)

名作SFホラーである1982年のジョン・カーペンター監督「遊星からの物体X」の続編。続編と言っても、実は前作の前日譚の内容。タイトルは「ファースト・コンタクト」という副題をつけたのは日本で、オリジナルはこちらも「THE THING」だけで同じです。

カーペンター版が、南極のノルウェイ基地から逃げた犬を殺そうとして、ノルウェイ隊員がヘリコプターで追いかけてくるところから始まり、この映画では何故そうなったかが解き明かされるというもの。

南極のノルウェイ基地では、不明の信号をキャッチし、宇宙船と氷漬けになった何らかの生物を発見します。

連絡を受けたハルヴァーソン博士は、助手のアダムと古生物学者のケイト(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)を伴って、急遽南極へ向かいます。基地に着くとすぐさま、地下の空洞にある巨大な宇宙船を確認。そして氷漬けになったエイリアンを切り出し回収します。

しかし氷が溶けだし、エイリアンが復活。隊員を襲い、自分の体内に同化してしまいました。何とか焼却して殺せたと思ったのも束の間、ケイトはエイリアンの細胞が生きていることを確認します。

エイリアンは生物を取り込む時に、無機質は複製できないこともわかりました。ケイトは全員の口の中を確認し、歯の詰め物の有無で人間か否かを確認します。しかし、すでに多くがエイリアン化しており、アダムも襲われ、エイリアン化したハルヴァーソン博士は宇宙船に逃げ込みます。

ケイトは何とかエイリアンを倒し地上に戻りますが、一人呆然とするしかありませんでした。そしてエンドロールの途中に、基地の異変に気が付いてヘリコプターで救援には来たパイロットは、唯一の生き残っていた隊員を発見。その時犬が飛び出して走り去っていく。そして、彼らは犬を追いかけて・・・

前作との大きな違いは、主役を女性にしたこと。ある種のムーブメントを反映しているところもあるかもしれませんが、秘密裏に大発見の手柄をつかみたい博士が、わざわざ外国人であるアメリカの女性を連れ出すというところは最初から無理があります。もっとも、ノルウェイ隊の話ですから、全編ノルウェイ語が飛び交うんじゃハリウッドとしても困る。何とか英語で話を進める上での苦肉の策なのかもしれません。

人間か否かを見分ける方法は、前作は血液に熱を近づけて血液そのものが逃げるかどうかでしたが、今回は金属などの異物が体に残っているかというところ。前作の方法だとエイリアンと確定できました。今回は、歯の詰め物の有無で確認という方法では、人間だと確定はできても、エイリアンの可能性は否定できないという弱い判定方法です。

何とか別のストーリーを構築しようとしている努力はわかるのですが、閉鎖空間で仲間でだんだん減っていく恐怖という意味では同じ。さすがにエイリアンの出来栄えは、今作に軍配が上がります。実は着ぐるみや人形を多用しており、意外にCGは少ない。

見る順番は、どちらからでもOKですが、カーペンター版を先に見てからの方が、こちらがいかに先人に敬意を表しているかがよくわかるかもしれません。監督はオランダ人のマティス・ヴァン・ヘイニンゲンJrで、これが監督デヴュー作。まぁ、前作を超えることは無理としても、手堅くまとめ上げていると言えそうです。

2021年7月9日金曜日

遊星からの物体X (1982)

約40年たって、もはやSFホラーの古典的名作と言える映画。初めて見た時は、あまりにもグロテスクなビジュアルに度肝を抜かれたものです。監督はジョン・カーペンター。そして、主演は監督との相性が良いカート・ラッセルです。

原題は「John Carpenter's THE THING」で、わざわざ監督の名前を冠したのは、1951年のハワード・ホークスが制作した「遊星からの物体X (THE THING)」のリメイクだから。原作はジョン・W・キャンベルによる1938年に発表された「影が行く (Who Goes There?)」で、カーペンター版の方が、より原作に忠実と言われています。

南極の大氷原をノルウェイ隊のヘリコプターが、犬を追いかけ狙撃を繰り返している。犬はアメリカ基地に逃げ込み、興奮したノルウェイ隊の隊員はなりふり構わずアメリカ隊にも発砲してきたため、やむをえず射殺します。

ヘリコプター操縦士のマクレディ(カート・ラッセル)らは、ノルウェイ隊の基地の調査に向かい、壊滅した基地に呆然とするのです。そして、異形の人間のような生物の死体と、調査を記録したビデオを持ち帰ります。

その夜、逃げてきた犬の外見が突然割れ、見たこともない生物に変化していくのを隊員は目撃し、何とか火炎放射器で焼き殺しました。ノルウェイ隊の記録から、彼らがはるか昔に地球にやってきた宇宙船を発見し、凍結していた宇宙生物が蘇り壊滅させられたらしいことがわかりました。

この生物は、血の一滴でも他の生物に付着すれば、相手の細胞を取り込み同化していくことが可能らしい。すでに生物に体を乗っ取られた隊員がいるかもしれないと、お互いが疑心暗鬼になっていきます。そして、実際に正体を現し、一人、また一人と隊員が減っていく。

マクレディはついに基地全体を爆破炎上させ、基地ごと謎の生物を焼き殺しました。燃え上がる基地の横で、マクレディは生き残ったもう一人の隊員に「あとはどうなるのか見ているしかない」と言うのです。

これで生物を退治できたのか、そもそも最後の二人が正真正銘人間かどうかはわからない。人間だとしても、南極の屋外では当然生存は不能です。この曖昧な結末が、見終わった後も怖さを持続させます。

ホラーと言っても、いわゆる「スプラッター」ではなく、不気味なクリーチャーの造形のおどろおどろしいところと、人間ではなくなった誰かが仲間の中にいるかもしれないという心理的な恐怖を、南極の閉鎖された空間の中で作り上げていきます。

CGによるド派手な演出に慣れてしまうと物足りなく感じるかもしれませんが、すべてがアナログの特撮は当時としては最先端を行く物でした。メイクアップの巨匠、リック・ベイカーの弟子で、いまだハリウッドで現役で活躍するロイ・ボッティンの特殊メイクが素晴らしい。モンスター造形には「ターミネーター」でも活躍するスタン・ウィンストンが参加しています。

2021年7月8日木曜日

トヨタのエコジャッジ


今乗っているトヨタの車はハイブリッド車で、停車してエンジンをオフにすると、エコジャッジという運転評価がパネルに表示されます。

似たような運転の良しあしを点数化する仕組みは、けっこう前からありますが、こういうのをこれ見よがしに表示されると気にしないわけにいかない。

交通安全という目的からすれば、なかなか良い作戦です。本能的に、もっと高い点数を取りたくなるのが普通。

発進、走行、減速の3つの項目について、どういう仕組みで点数化しているのかはよくわかりませんけど、少なくとも他の車の迷惑にならない範囲で精一杯の点数が89点でした。いまだに90点以上は見たことがない。

モーターだけで発進して、少なくとも10秒以上はエンジンが始動しないくらいの発進を心がける。走行中は、できるだけ一定のスピードを保つようにする。停止するときは、早めにゆっくり減速して、長めにブレーキを踏むようにする。

こんなところがポイントのような気がしますが、こういう点数に気が回りすぎて本末転倒な運転になることには注意しないとね。

2021年7月7日水曜日

ターミネーター ニュー・フェイト (2019)

ターミネーター・シリーズの最新作は、何といろいろと権利関係が紆余曲折してジェームズ・キャメロンの手に戻ってきました。とは言っても、キャメロンは製作にまわり、監督は「デッド・プール」でデヴューした新鋭ティム・ミラー。キャメロン自身がシリーズの中で、2作目からの正当な続編と胸を張って作ったもので、原題は「Dark Fate」、つまり「暗黒の運命」というところです。アーノルド・シュワルツェネッガーだけでなく、オリジナル・キャストのリンダ・ハミルトンもサラ役で再登場しました。

まず、驚かされるのは、1998年、サラ。コナーがビーチで息子のジョン・コナーと休息をとっているところに、いきなりシュワルツェネッガー姿のT-800が現れ、ジョンを撃ち殺して去っていくというシーン。未来の大事な鍵を握るジョンをいきなり死なせたら、今後の運命はどうなるのかまったく想像できません。

しかも、さらに驚くのは、ここに登場する3人は、まさに「ターミネーター2」の時の姿。まさか30年近く前に、今回の続編を考えて撮りだめしておいたなんて・・・さすがにそれはなくて、実はこの場面は、役者はすべてフルCGというからすごい。もうここまで来ると、何が本物で何が嘘なのか・・・

ともかく、「2」で消滅したスカイネットにかわり、新たにリージョンと呼ばれるAIネットワークが構築され、未来では同じように人類が絶滅の危機に瀕しているという設定。未来からタイムスリップしてくるのは、最初は女性兵士のグレース(マッケンジー・デイヴィス)。彼女は強化人間でスーパーパワーを持っているものの、力を使うと動けないくらい体調を悪くする。もう一人は新型のほぼオールマイティともいえるREV-9というターミネーター(ガブリエル・ルナ)。

REV-9は、メキシコの町工場で働くダニー(ナタリア・レイエス)を抹殺する目的で2020年にやってきました。グレースは逆にダニーを守ることが任務。REV-9は工場で父親の姿に変身して襲撃し、グレースが何とか助けますが、橋の上でREV-9とその分身に挟み撃ちにされ絶体絶命。

そこへ登場するのが、サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)で、グレネードやバズーカを持ち出して一時的に撃退するところは、まさに新しいターミネーター・ワールドという感じ。サラはこれまでのことを説明しますが、未来が変わったためグレースはスカイネットは知りません。

グレースは、何故、襲撃されている場所がわかったのかと尋ねると、サラはターミネーターが現れると誰かからメールが届くのだと答えます。グレースがサラの携帯を解析すると、テキサス州からであり、メールを送信していたのはグレースが困ったら尋ねろと言われていた協力者と同一人物らしいことがわかります。

REV-9の襲撃を逃れ、テキサスに着くと現れたのは何と老けたシュワルツェネッガーでした。彼はジョンを殺した後、人間として暮らしていたのです。指令を遂行して目的が無くなったシュワルツェネッガーは、少しずつ人間を理解し、生きる目的を失わないようにタイムスリップを感知するとサラにメールを送っていたのでした。

最初は敵意を感じたサラも、次第に本気で人間らしい感情を持つようになったターミネーターを信じるようになります。そしてシュワルツェネッガーの協力のもと、ついにREV-9との最終決戦に挑むのです。

ということで、基本的にはサラが破壊した新しい未来に、新たな運命を背負った人々がいるということ。ところが、キャメロン復帰で威勢が良かった割には、興行収入も評価もいまいちという意外な結果になっています。

全体のストーリーとしては、未来が変わったので続編としては当然ありだと思うのですが、ジョンを死なせてしまったのが残念かもしれません。ジョンが死ななくても、未来は変わったわけですから、リンダ・ハミルトンを復帰させるためだけのことになってしまったかもしれません。

とはいえ、新登場の強化人間グレースの魅力はなかなかいい。この女優さん、相当頑張ったなというのがよく伝わってきます。仮に続きがあるとしたら、グレースがカイル・リース的な役回りなので、そこにヒントがあるのかもしれません。

それにしても、これだけシリーズ化されたにも関わらずそれぞれの作品がバラバラというのは・・・一つ一つの作品は、近未来アクションSFとしては、平均点を上回っていると思いますが、「ターミネーター」と冠することで評価を落としているように思います。

この最新作も本家キャメロンが参加したけど、やはりモチーフを利用した別個の映画という印象。今後も続くとしても、肝腎のシュワルツェネッガーが70歳を超えていますので、あまり大きな期待はできないかもしれません。

2021年7月6日火曜日

ターミネーター 新起動-ジェニシス (2015)

これだけ人気があるシリーズにもかかわらず、作り手がどんどん変わって、そのたびに話がごちゃごちゃになる映画と言うのも珍しい。21世紀になって、ハリウッドで流行っているリブート(人気の作品をもう一度1から作り直す)が、ついにこのシリーズに手を伸ばしました。

まず、審判の日が第3作の1997年8月29日に戻されました。少年カイル・リースがジョン・コナー(ジェイソン・クラーク)に助けられ、初めて出会うのは地下水道。2029年、コナー率いる人類抵抗軍は最終決戦で勝利しますが、スカイネットがターミネーター101型をタイム・スリップさせることを防ぐことができませんでした。

そして、1984年。まさに第1作の冒頭とまったく同じシーン。ゴミ収集車にスパークが走り、若いシュワルツェネッガーのターミネーターが裸で登場するわけですが、カット割りも同じ。

2029年に戻って、タイム・スリップしたターミネーターの目的は、コナーの母親、サラ・コナーの抹殺にある。コナーは、サラを助けるために、多くの志願者の中からカイル(ジェイ。コートニー)を指名して1984年に送り込みました。しかし、カイルはタイム・スリップの直前、コナーが何者かに襲われるのを目撃し、こどもの時の自分が「ジェニシスがスカイネットだ。起動する前に殺せ」と言う記憶が蘇ってきます。

カイルが、1984年のロサンゼルスの路地裏にスパークと共に落ちてくるシーンも、第1作と同じ背景でカット割りも同じ。その次は、順序が戻って若いシュワルツェネッガーが不良から服を奪うシーン。これも同じかと思った瞬間、後ろからやってきたのは・・・おじさんのシュワルツェネッガー!!

おじさんは、「待ちくたびれた」といいながらいきなり若いシュワルツェネッガーにショットガンをお見舞いします。そして、何者かの銃撃により若いシュワルツェネッガーは機能を停止し、おじさんのシュワルツェネッガーが親指を突き立てます。

警察に見つかったカイルは、警官から銃を奪い「今日は何年だ?」と尋ねる・・・ところまでは同じなんですが、ここから話が違う。警察官(イ・ビョンホン)は、「お前が来る日だ」と言った直後に腕が刀に変わる。何と、液体金属でできたT-1000なのです。

窮地のカイルをトラックで突入して救ったのは、何とサラ(エミリア・クラーク)でした。サラはおじさんのシュワルツェネッガーと一緒で、「あなたが助けに来たサラはもういない。9歳の時にこのターミネーターに助けられて過去は変わった」と話します。

101型ターミネーターの皮膚は生体材料でできているから、外見は年を取る・・・なるほど、うまい説明だ。T-1000が襲ってくることもわかっていたので、仕掛けていた酸の雨を降らせ何とか撃退します。サラとおじさんは審判の日を止めるため、1997年にタイム・スリップできる装置を作っていましたが、未来のCPUが必要なためタイム・スリップしてくる若いシュワルツェネッガーを待ち受けていたのです。

しかし、カイルは転送中に見た記憶から審判の日は2017年だと言います。計画を変更して、カイルとサラは2017年のサンフランシスコにタイム・スリップしました。二人が裸で着いたのは、何と高速道路の真ん中。すぐさま警察に捕まりますが、そこに現れたのは何とジョン・コナーでした。しかし、間一髪、さらに老けたシュワルツェネッガーが現れ、細胞レベルで機械化したターミネーターT-3000と化したジョンを撃退します。

一方、サイバーダイン社では世界中の情報を管理できるジェニシスという基本ソフトを開発し、起動まであと1日と迫っていました、T-3000は、サイバーダイン社にも潜入して液体金属やタイムスリップのための電磁場装置の開発に協力していたのです。

サラたちは、ジェニシスの起動を阻止するためにサイバーダイン社に向かいますが、当然、ジョン・コナーの姿をしたターミネーターとの死闘になる。老けたシュワルツェネッガーは、電磁場発生装置の中に何とか抑え込んで彼を分解に追い込みますが、自らも分解し液体金属のプールに沈んでいきました。大爆発によってサイバーダイン社は壊滅し、生き延びたサラとカイルは、やっと自分で運命を決めることができると抱き合うのでした。

監督は「セックス&シティ」などのTVでの仕事を主にこなしているアラン・テイラー。今回はシュワルツェネッガーが最初から最後まで大暴れで、「ターミネーター」としてはかなり正規路線に戻った感じなんですが、ほぼ前4作品は無かったことにしているような筋立て。

さすがに若いシュワルツェネッガーは無理があるので、ここだけはフルCGで作られました。比較的新しい作品ですが、正直CGの出来に関しては一部でいまいちかなというところもあったりします。

そもそもこどものサラを助けるために101型ターミネーターを送ったのは誰? とか、結局ジョンはどうなっちゃったの? とか、根幹にかかわる部分が曖昧な感じ。エンドロールの途中で、破壊されたサイバーダイン社の地下にスカイネットが生き延びているような光景が出てくるので、明らかに続編で次第に明らかにされるはず・・・だったのですが、映画のあまりの不評のせいでその後の計画は自然消滅ということになってしまいました。




2021年7月5日月曜日

ターミネーター4 (2009)

さて困った。困ったというのは、映画「ターミネーター・シリーズ」の次なる作品。これまでの作品では、ジェームズ・キャメロンが直接、脚本・監督で携わった正編・続編で一定の完結が見られ、第3作ではそれらを下敷きに別の未来に向かうこともあるという内容。

そして第4作は、基本的な世界観は共有しているものの、またもや時間軸が好きに作られていて、そこにこれまでの設定も混ざってくるだけに、この映画の中での歴史はぐちゃぐちゃです。いきなりこの作品だけ見る分にはいいんですが、前3作を知っている大多数の観客は簡単には頭の中を整理できないというのが問題。

監督は映画版「チャーリーズ・エンジェル」で名を上げたマックGが担当。今作ではタイムスリップは無し。核戦争により人類のほとんどが死滅した後の世界で、独自の知能を持ったコンピュータ・ネットワークであるスカイネットに対抗する人類に焦点を当てたものになっています。

というわけで、心を無にして映画を見てみましょう。冒頭、2003年のとある刑務所。ここで、すでに第3作で示された延期された「審判の日」の1年前だということを知っていないといけないという早くも無にできないところ。死刑囚のマーカス・ライト(サム・ワシントン)が、死後にサイバーダイン社の研究用に遺体を提供することに同意するサインをします。サイバーダイン社は第1作と第2作を知らないとわからない。

タイトルの「Terminator Salvation (救済)」が提示され、そこから場面は2018年に飛びます。スカイネットは生き残った人類を抹殺したり、時に研究用に捕虜にしている。人類抵抗軍は多大な犠牲を払ってスカイネットの基地から軍事情報を奪取し、潜水艦の司令部に戻ったジョン・コナー(クリスチャン・ベール)は、将軍らから手に入れた情報は、スカイネットが機械化軍をコントロールするための超短波のシグナルだと説明されます。

コナーはシグナルが機能するかどうかのテストを買って出ますが、4日以内に総攻撃をすると伝えられます。急ぐ理由は、スカイネットの邪魔になる人物の抹殺がリストに沿って開始されるからであり、コナーはリストの2番目だというのです。そして1番目は抵抗軍にはの知られていない民間人、カイル・リースでした。

自分の基地に戻ったコナーを迎えたのは医療スタッフをしているコナーの子を身籠っているケイト(ブライス・ダラス・ハワード)でした。当然、第3作を知っている前提で話が進みます。一方、スカイネット基地に眠っていたマーカスは爆発で覚醒し、街にたどり着いたとたんにターミネーターT-600に襲われます。

その時、カイル・リースと名乗る少年が飛び出してきてマーカスを助けるのです。その夜、シグナルの効果を確認したコナーは、まだ希望があり、この放送を聞いている者は抵抗軍の一員だとラジオに流しました。偶然、この放送を傍受したカイルはコナーのもとに行く決心をします。しかし、スカイネットに発見されカイルは捕らわれ、マーカスは撃墜された抵抗軍の女性パイロット、ブレアとコナーのいる基地を目指します。

基地の周囲の磁気地雷がマーカスの足に付いて爆発したため、マーカスが心臓以外は半機械人間であることが判明しました。マーカスを拘束しましたが、ブレアが彼は人間だと主張し逃亡させます。コナーは、マーカスを発見しますがカイルが捕まっていることを教えられ、マーカスをスカイネット基地に向かわせます。

潜入したマーカスは、自分がサイバーダイン社が作ったターミネータの第1号試作機であることを知ります。スカイネットは、偽のシグナルを囮にしてコナーとカイルの居場所を突き止め抹殺するために、マーカスを覚醒させたのでした。

基地に潜入したコナーは、T-800襲われ、胸を貫かれます。このT-800はCG合成したアーノルド・シュワルツェネッガーの顔がマッピングされている!! マーカスはT-800を倒し、スカイネット基地を爆破しました。基地に戻ったマーカスは、「二度目のチャンスをくれ」といいコナーに自分の心臓を移植させるのでした。

シュワルツェネッガーは前作の後でカリフォルニア州知事になったんで、今作には登場しません。最後の数シーンで顔だけCGで登場というのは、ファン・サービスというところでしょうか。ただし、ターミネーター自体が活躍しない「ターミネーター」では、単なる近未来アクション映画になってしまう。

そう思ってみれは、それなりに楽しめる・・・と言いたいところなんですが、いかんせんシリーズの過去の作品を知らないとどうにもならない作りになっていて、ある意味かなりずるがしこい映画ということ。実際の、興行収入は伸びず、制作会社は倒産して続編の計画は無くなり、再び権利関係は移動するという結果になっています。

2021年7月4日日曜日

日産 テラノ


日産自動車が、おそらくトヨタのハイラックスサーフに対抗して作った4WDオフロード走行可能な、今でいうSUV車が「テラノ」でした。

・・・でした、というのも、登場したのが1986年で、1995年にモデル・チェンジ、2002年で生産終了。日本国内では、さすがに20年近くたって、もう目にすることは無い・・・と思っていたら、どうやらまだ現役で走っていそうなテラノを発見!!

あらためてよく見ると、どう見ても初代のテラノで、最後期のものだとしても25年以上たっているのは確実。普通に家の前に止まっているので、たぶん走るんでしょう。

当時は、海や山のレジャーが多様化し始めて、特にサーフィンとかウィンド・サーフィンが人気になってきました。ボードを積んで、この車で海に向かうなんていうのは、若者の憧れみたいな感じ。

ウィンド・サーフィン好きの先輩医師が、登場したての頃にこの車を買って狂喜していたのを覚えています。当時は、ハイラックスサーフよりもモダンな印象を持ったものですが、現代の感覚からするとずいぶんと角ばったデザインですね。

2021年7月3日土曜日

ターミネーター3 (2003)

映画「ターミネーター」のシリーズは、正編・続編で話としては完結しています。

ジェームズ・キャメロンが創造した未来から現代にタイムスリップしてくるターミネーターという殺人ロボット(サイボーグ?)が、未来の人類の希望であるジョン・コナーの生まれる前を襲い、そして少年時代を助け、機械(スカイネット)の反乱による核戦争を回避して、人類は平和な未来を迎えたはず・・・

なんですが、キャメロンが妻でありシリーズの制作に携わったゲイル・アン・ハードと離婚するときに、このシリーズの権利を慰謝料代わりに1ドルで譲ってしまったことから、この映画やキャラクターの権利がいろいろなところに移動して、訳が分からない状態になってしまいました。

どこをどう巡ったのかわからりませんが、あれから10年近くたって第3弾が制作されたわけですが、キャメロンは基本的にはノー・タッチ。前作で完結したはずの世界観も、なかったことにしてその続きを監督のジョナサン・モストウらのスタッフが新たに作ってしまいました。


前作から10年後の2004年の話。1997年8月29日の人類のほとんどが死滅する「審判の日」は回避できたはずなのに、ジョン・コナーは大人になっても絶えず不安な日々を過ごしていました。

例によって、スパークとともに2体のターミネーターが未来からやってくる。一つは女性の外見でT-Xという最新・最強のターミネーター(クリスタナ・ローケン)。T-1000の液体金属に加えて、機械を自由自在にリモート・コントロールできる能力を持っています。そして、もう一つはお馴染みのT-800の改良型のT-850(アーノルド・シュワルツェネッガー)です。

T-Xは、すぐさま未来のジョン・コナーの部下となる若者を抹殺し始める。そして、殺人リストにあるジョンの幼馴染みのケイト・ブリュースター(クレア・デインズ)のもとにやってくる。ちょうどジョンもケイトのもとにいて、間一髪のところをT-850に救出されます。

T-850は、未来のジョンの妻となるケイトが過去のジョンとケイトを生き延びさせるために送り込んだ、そして、審判の日は延期されただけで回避不能だと説明します。ケイトの父親は、軍のスカイネットの最高責任者であり、彼がスカイネットを起動することで3時間後には核戦争が勃発するらしい。

彼らはケイトの父親を止めるために軍の施設に向かいますが、すでにT-Xによって施設の制御は不能となっていました。ジョンとケイトは軍の核シェルターにスカイネットの中枢があると考え向かいますが、T-Xに追跡される。しかし、T-850がT-Xとの死闘で自らのエネルギー電池を爆発させT-Xを葬ります。

核シェルターでジョンとケイトは、スカイネットが世界中の端末に分散する存在であり、中枢が存在しない破壊できない物であることを悟ります。そして、ついに人間を不要な存在と認知したスカイネットは、世界中に核攻撃を開始するのでした。

ジェームズ・キャメロンのオリジナル・シリーズとは一線を画する作品で、批判的な批評も少なくない。それでも、シュワルツェネッガーの善玉側のターミネーターが出てくると、この新しい世界も受け入れやすくなります。対する悪玉ターミネーターが女性というところも、新鮮な魅力があって悪くはない。

そもそもタイムスリップしてきた未来の産物が、現代の人物に直接関与している時点で、おそらくいく通りもの未来が存在してしまう可能性が出てくるので、キャメロンが描いた結末以外のアナザー・ストーリーがあってもいいように思います。

最初の映画から20年近くたって、シュワルツェネッガーもだいぶおじさんになっているのですが、それでもボディビルダーとしての本領は消えていないし、それなりにアクションもこなしています。T-850のサングラスへのこだわりは、何度か笑いを誘うシーンになっているのはご愛敬。

キャメロンはシュワルツェネッガーに、この映画に出演することは出演料を稼ぐ以上に得る物は無いと言ったらしいのですが、ストーリーを新たに展開させるものとしては良く出来た映画ですし、どうあがいても運命を変えられなかったというこういう結末もありだと思いました。

ちなみにメディアとしては、この作品だけ日本ではブルーレイの再発がなく、現在プレミア価格になっています。なので、安い中古DVDで我慢しました。


2021年7月2日金曜日

a dog in the car


スーパーで車を止めたら、隣に停車していた車の中にワンコ発見。

なかなか可愛いのでパチリ・・・

というだけの話で、おちも何もない。

運転席でおとなしく飼い主が戻るのを待っているわけですが、吠えたりもせずなかなか賢い感じです。

きっと、おいしいドッグフードも買ってきてくれると期待しているのかしれません。

2021年7月1日木曜日

突然、消防車


何か、遠くからサイレンが聞こえると思っていたら、どんどん近づいてきました。えっ、すごく近いぞ。近いなんてもんじゃない。すぐそこじゃん。

そしたら「火事じゃありません。ご安心を」というアナウンスが聞こえました。びっくりして表を見ると、数軒離れたところに消防車が止まっている。

どうやら、御近所で119番に連絡して火事じゃなくて、救急車を呼んだらしい。

ここ何年か、救急車が走りやすいように消防車が露払いで先行するということが行われています。確かに救急車だけだと、どかない車が多いというのは悩みの種のようです。

この場合、普通は広報活動などで使われる軽消防車が使われるのですが、今回は小さめですがちゃんとした放水能力のある消防車がやってきました。

本当の火事が無いから出動したんでしょうけど、知らないとびっくりしますよね。