2020年1月31日金曜日
街中のワンコ
チワワです。
カットの仕方で、犬の外観はずいぶんと変わりますが、チワワはだいたいこんな感じが多い。
そもそも体は小さくて、目がくりくりと大きいから、似たような見た目になります。
平成14年から数年間、某消費者ローンのCMで、一躍人気者になりました。
CMが中止された理由は、実は消費者ローンの被害者が作る会からの「CMと実際の業務とのイメージが違う」という苦情がきっかけ。
チワワのせいじゃありませんけど、CMが消えるのと同時に、街中で見かける機会は減ったように思います。
チワワの名前は、メキシコのチワワが原産地とされるから。世界一小さい犬種とされていますが、大きさの割には大きな犬にもつっかかる無謀な性格もあって、元気一杯です。
2020年1月30日木曜日
日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある
という、けっこう衝撃的な文章をネットで見つけました。書いたのは、指揮者の大友直人氏。1958年東京生まれですから、自分と同世代。桐朋学園大学出身で、22歳でNHK響を指揮してデビュー。国内の主要オーケストラで活躍し、現在は大阪芸術大学教授も務める方。
今月発売されたばかりの自著「クラシックへの挑戦状(中央公論新社)」の内容を雑誌「PRESIDENT」で紹介するオンライン記事です。以下、その主張を一部引用します。
クラシック音楽界は、残念ながら衰退の道を辿っているといわざるをえません。1990年代以降クラシック音楽界は徐々に勢いを失っていったように思います。
いつからか、音楽専門誌で書かれている評論は、極端にオタク的なものとなっていきました。アマチュアのそれこそオタクのような人か、音楽家志望だった中途半端な人たちや自称音楽ジャーナリストやライターが、評論サイドの個人的嗜好を知らされるだけで本当に有益な情報を得られる場所がなくなってしまったのです。
こうした積み重ねがどんな状況を生んだか。日本のクラシック音楽の聴衆の間に、極端なオタク的感性を持つ人が増えてしまいました。自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものは認めない。排他的な感性を持つ人を増やしてしまったといえるでしょう。
もちろん私たち演奏の現場にいる人間の責任も大きい。しかし立ち止まることもできず、毎日ひたすら走り続けている演奏の現場を高い見識を持って社会と結びつけてくれるパイプの役割を果たすのが、評論やジャーナリズムのはずです。
評論家やジャーナリストに、自分もクラシック音楽界の一翼を担っているのだという大きな責任感や使命感を持ち、自分自身の実力と置かれている立場を理解している人が少なくなってしまったのではないかと思います。
以上、一部省略はしましたが、大意は変わっていないと思います。
まず、最初にはっきりしておきたいことは、この記事に対しては非常に違和感を覚え、ほぼ賛同できないということ。おそらく、そのくらいのことを明言できるくらい、自分はクラシック音楽を聴いていると思います。
それこそ、自分も大友氏の言う「クラシックおたく」であろうと認めますが、「クラシック音楽が衰退している」ことには強く同意します。ただし、その理由を評論家の責任に転嫁している点はいかがなものかと。
クラシック音楽に限らず、古典芸能は「古典」と言われ始めた時点で、伝統に縛られ変革を拒否する、あるいはできない芸術になってしまうと思います。歌舞伎しかり、落語しかり、場合によっては大相撲もそうだと思います。
特にクラシック音楽は、楽譜を忠実に演奏することが求められ、過去の大家の曲は有限資産です。ベートーヴェンがそのまま生き続けて、新曲を書き続けているわけではありません。
もともと、宗教色の強い現場から始まった音楽が、日常的な娯楽として定着し繰り返し演奏され、次第に形式が固まっていきました。作曲家が亡くなれば、その曲は基本的にロックされて、時代が変わると古典と呼ばれ身動きが取れないものになっていきました。
当然時代の変化に合わせられなくなり、衰退していくのは宿命的な部分があることは認めざるをえない。時代のニーズに合わせられないのであれば、いつまでも同じ場所を掘り下げていくしかないわけですから、当然演奏する側も聴いて楽しむ側も「オタク」化していくのは必然だと思います。
つまり、クラシック音楽のオタクは今に始まったわけでなく、オタクが増えたのではなく、インターネットの普及も手伝ってオタクが情報発信を容易にできる環境が増えたというのが正しいのではないでしょうか。
好き嫌いがはっきりしているのは、聴衆の側としては当然です。芸術全般に言えることだろうと思いますが、芸術は生きていく上で必須ではなく、あくまでも人生を豊かに装飾するものですから、そこに好き嫌いが入り込む余地はあるわけで、あえて好まない物を聴く必要はありません。
あえて嫌いなものも聴こうとしても、すべてを網羅することは仕事にしている評論家でも不可能だと思います。逆に、今の情報社会では、嫌いなものの情報も容易に得られるようになったので、選択しやすくなったということは言えるかもしれません。
実際に、時代に合わせてサイモン・ラトルは、ベルンフィルを改革することにある程度成功したと言えます。自主レーベルを立ち上げ、デジタル化を促進し、聴く側の環境に合わせて音楽メディアの形式を選択できるようにしました。
ソースを変えられないのであれば、外部の評論に頼っているだけでは消退していくことは避けられない。音楽を作る側から、時代に合わせた変化が求められているということじゃないかと思います。
もっとも、これはクラシック音楽だけに限らない、すべてのことに云えそうです。そのことが良いかどうかは、後年にならないと評価できないことだろうと思います。少なくとも、現時点では「オタク」のファンがクラシック音楽を支えているということも、音楽を作る側は忘れてはいけない事実だろうと思います。
今月発売されたばかりの自著「クラシックへの挑戦状(中央公論新社)」の内容を雑誌「PRESIDENT」で紹介するオンライン記事です。以下、その主張を一部引用します。
クラシック音楽界は、残念ながら衰退の道を辿っているといわざるをえません。1990年代以降クラシック音楽界は徐々に勢いを失っていったように思います。
いつからか、音楽専門誌で書かれている評論は、極端にオタク的なものとなっていきました。アマチュアのそれこそオタクのような人か、音楽家志望だった中途半端な人たちや自称音楽ジャーナリストやライターが、評論サイドの個人的嗜好を知らされるだけで本当に有益な情報を得られる場所がなくなってしまったのです。
こうした積み重ねがどんな状況を生んだか。日本のクラシック音楽の聴衆の間に、極端なオタク的感性を持つ人が増えてしまいました。自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものは認めない。排他的な感性を持つ人を増やしてしまったといえるでしょう。
もちろん私たち演奏の現場にいる人間の責任も大きい。しかし立ち止まることもできず、毎日ひたすら走り続けている演奏の現場を高い見識を持って社会と結びつけてくれるパイプの役割を果たすのが、評論やジャーナリズムのはずです。
評論家やジャーナリストに、自分もクラシック音楽界の一翼を担っているのだという大きな責任感や使命感を持ち、自分自身の実力と置かれている立場を理解している人が少なくなってしまったのではないかと思います。
以上、一部省略はしましたが、大意は変わっていないと思います。
まず、最初にはっきりしておきたいことは、この記事に対しては非常に違和感を覚え、ほぼ賛同できないということ。おそらく、そのくらいのことを明言できるくらい、自分はクラシック音楽を聴いていると思います。
それこそ、自分も大友氏の言う「クラシックおたく」であろうと認めますが、「クラシック音楽が衰退している」ことには強く同意します。ただし、その理由を評論家の責任に転嫁している点はいかがなものかと。
クラシック音楽に限らず、古典芸能は「古典」と言われ始めた時点で、伝統に縛られ変革を拒否する、あるいはできない芸術になってしまうと思います。歌舞伎しかり、落語しかり、場合によっては大相撲もそうだと思います。
特にクラシック音楽は、楽譜を忠実に演奏することが求められ、過去の大家の曲は有限資産です。ベートーヴェンがそのまま生き続けて、新曲を書き続けているわけではありません。
もともと、宗教色の強い現場から始まった音楽が、日常的な娯楽として定着し繰り返し演奏され、次第に形式が固まっていきました。作曲家が亡くなれば、その曲は基本的にロックされて、時代が変わると古典と呼ばれ身動きが取れないものになっていきました。
当然時代の変化に合わせられなくなり、衰退していくのは宿命的な部分があることは認めざるをえない。時代のニーズに合わせられないのであれば、いつまでも同じ場所を掘り下げていくしかないわけですから、当然演奏する側も聴いて楽しむ側も「オタク」化していくのは必然だと思います。
つまり、クラシック音楽のオタクは今に始まったわけでなく、オタクが増えたのではなく、インターネットの普及も手伝ってオタクが情報発信を容易にできる環境が増えたというのが正しいのではないでしょうか。
好き嫌いがはっきりしているのは、聴衆の側としては当然です。芸術全般に言えることだろうと思いますが、芸術は生きていく上で必須ではなく、あくまでも人生を豊かに装飾するものですから、そこに好き嫌いが入り込む余地はあるわけで、あえて好まない物を聴く必要はありません。
あえて嫌いなものも聴こうとしても、すべてを網羅することは仕事にしている評論家でも不可能だと思います。逆に、今の情報社会では、嫌いなものの情報も容易に得られるようになったので、選択しやすくなったということは言えるかもしれません。
実際に、時代に合わせてサイモン・ラトルは、ベルンフィルを改革することにある程度成功したと言えます。自主レーベルを立ち上げ、デジタル化を促進し、聴く側の環境に合わせて音楽メディアの形式を選択できるようにしました。
ソースを変えられないのであれば、外部の評論に頼っているだけでは消退していくことは避けられない。音楽を作る側から、時代に合わせた変化が求められているということじゃないかと思います。
もっとも、これはクラシック音楽だけに限らない、すべてのことに云えそうです。そのことが良いかどうかは、後年にならないと評価できないことだろうと思います。少なくとも、現時点では「オタク」のファンがクラシック音楽を支えているということも、音楽を作る側は忘れてはいけない事実だろうと思います。
2020年1月29日水曜日
2020年1月28日火曜日
2020年1月27日月曜日
Pierre Boulez / Mahler Complete Symphonies (1994-2010)
ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925-2016)はフランス人で、バーンスタインよりちょい下、アバドよりちょい上という世代。レパートリーとして圧倒的に有名なのがストラヴィンスキーの「春の祭典」だと思うんですが、自分が中学生ごろにカラフルで鮮烈なレコード・ジャケットが記憶にあります。
1967年にセルに変わってクリーブランド管弦楽団の音楽監督に就任してから世界的に注目されるようになり、1970年にフランス国立音響音楽研究所を創設、自らも作曲家として活動し、間違いなく理論家です。
ドビッシー、ラヴェルなどのフランス物が得意なのは当然の事、1976~1980年のバイロイト音楽祭でワーグナーの「指輪」全曲をモダンな新演出で演奏し、物議をかもしたことは記憶に新しい。
マーラーについては70年代にニューヨークフィルとの録音が数曲ありますが、本格的なチクルスを開始したのは1994年のDG録音からで、交響曲はだけでなく、オーケストラ伴奏歌曲、嘆きの歌、大地の歌、葬礼も含めて指揮者が関与するものは「花の章」以外は網羅しました。ただし、オーケストラはいろいろで、DGからすべてをまとめたボックスが発売されています。
交響曲第1番(1998) シカゴ響
交響曲第2番(2005) ウィーンフィル クリスチーネ・シェーファー、ミシェル・デヤング
交響曲第3番(2001) ウィーンフィル アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
交響曲第4番(1998) クリーブランド管 ジュリアナ・バンセ
交響曲第5番(1996) ウィーンフィル
交響曲第6番(1994) ウィーンフィル
交響曲第7番(1994) クリーブランド管
交響曲第8番(2007) ベルリン国立歌劇場管
大地の歌(1999) ウィーンフィル ヴィオレッタ・ウルマーナ、ミハエル・シァーデ
交響曲第9番(1995) シカゴ響
交響曲第10番(アダージョのみ、2010) クリーブランド管
葬礼(1996) シカゴ響
嘆きの歌(2部構成、2011) ウィーンフィル アンナ・ラーション、ヨハン・ボータ、ドロシア・レシュマン (ザルツブルク祭、ビデオあり)
少年の魔法の角笛(2010) クリーブランド管 マグダレーナ・コジェナー、クリスチャンゲルハーヘル (10番カップリングでビデオあり)
さすらう若人の歌(2003) ウィーンフィル トーマス・クバストホフ
リュッケルト歌曲集(2003) ウィーンフィル ヴィオレッタ・ウルマーナ
亡き子をしのぶ歌(20003) ウィーンフィル アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
個人的にはフォン・オッターが登場するのが嬉しいのですが、リュッケルト歌曲集がなんでウルマーナ(S)なのかという疑問は残ります。確かに美声で嫌いじゃないんですけど、男声でも女声でも可となっているということは、ソプラノの高い声はあまり相応しくないように思います。
ブーレーズのマーラーは、基本的に曲の構造を明確にして、感情に流されない「超客観的演奏」というような評価をされています。それは、ある時は成功しているようだし、ある時はつまらない演奏になっていることは否定できません。
音符の一つ一つをはっきりと音にするような感じで、バーンスタインが太かったり細かったり、時には曲がりくねる筆だとするなら、ブーレーズはひたすら点を打っていくような感じで、フランスの点描印象派の代表であるスーラの絵画みたいです。
交響曲の第3番と第8番だけはさすがに長いのでCD2枚にまたがりますが、驚くことに他はすべてCD1枚におさまっている。つまり、全体に速度が速いわけですが、それほど早い印象がありません。おそらくブーレーズが考える無駄な間を省いたり、やたらと音を長く引っ張ったりしないことが関係しているのかもしれません。
こういうマーラーは、らしいのからしくないのか意見は分かれるところですが、自分は嫌いではありません。くどくどしたのが好みじゃなく、すっきりしたマーラーを聴きたい向きにはお勧めです。
2020年1月26日日曜日
Klaus Tennstedt LPO / Mahler Complete Symphonies (1977-1986)
クラウス・テンシュテット(Kraus Tennstedt, 1926-1998)は、ドイツ人で元々はバイオリン奏者ですが、26才から指揮者に転向、、1971年に東から西へ亡命して以降知られるようになりました。
1977年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と毎年1曲、マーラーをスタジオ収録していました。1983年に同オケの音楽監督に就任して、いよいよこれからという1985年に喉頭ガンを発症しました。以後は治療を続け、体調を見ながらの制限された活動を行いましたが、1993年夏以降状態が悪化し事実上引退しています。
この全集は、EMIのドル箱の一つとなり、たびたび廉価版ボックスとして登場していますが、基本的な録音は、1977年 交響曲第1番、1978年 交響曲第5番、第10番(アダージョのみ)、1979年 交響曲第3番、第9番、1980年 交響曲第7番、1981年 交響曲第2番、1982年 交響曲第4番、1983年 交響曲第6番、ガン発症後の1986年 交響曲第8番となっています。
EMIがWernerに吸収された後の現行盤では、さらに1982年(と1984年)の大地の歌、ライプ録音された1988年 交響曲第5番、1991年 交響曲第6番、1993年 交響曲第7番が追加されています。1993年の第7番は、正規としてはテンシュテットの生涯最後の録音です。
これら以外にも、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団とのライブ集、ロンドフィルの自主製作ライブ集、シカゴ響との第1番ライブなどが登場しており、短い活動期間だったことを考えると、テンシュテットがマーラーに費やした時間はかなりの割合だったと思います。
スタジオでのセッション収録の全集は、いずれも主観と客観が同居するバランスの取れた名演なのですが、一般的にはEMIの録音がいまいちで、また残念ながらロンドフィルもオケとしては一流とは云い難いという感想が多いようです。
とは言っても、そこまで細かいことにこだわる必要があるのかという程度であって、純粋に音を楽しむということであれば、些細なことのように思います。
ただし、むしろライブ録音の方が、指揮者・オケ共に緊張感のある好演を残していると言われています。特にガン発症後は、一つ一つの集中力が高く、いずれも高く評価されているので、できれば合わせて聴きたいところです。
1977年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と毎年1曲、マーラーをスタジオ収録していました。1983年に同オケの音楽監督に就任して、いよいよこれからという1985年に喉頭ガンを発症しました。以後は治療を続け、体調を見ながらの制限された活動を行いましたが、1993年夏以降状態が悪化し事実上引退しています。
この全集は、EMIのドル箱の一つとなり、たびたび廉価版ボックスとして登場していますが、基本的な録音は、1977年 交響曲第1番、1978年 交響曲第5番、第10番(アダージョのみ)、1979年 交響曲第3番、第9番、1980年 交響曲第7番、1981年 交響曲第2番、1982年 交響曲第4番、1983年 交響曲第6番、ガン発症後の1986年 交響曲第8番となっています。
EMIがWernerに吸収された後の現行盤では、さらに1982年(と1984年)の大地の歌、ライプ録音された1988年 交響曲第5番、1991年 交響曲第6番、1993年 交響曲第7番が追加されています。1993年の第7番は、正規としてはテンシュテットの生涯最後の録音です。
これら以外にも、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団とのライブ集、ロンドフィルの自主製作ライブ集、シカゴ響との第1番ライブなどが登場しており、短い活動期間だったことを考えると、テンシュテットがマーラーに費やした時間はかなりの割合だったと思います。
スタジオでのセッション収録の全集は、いずれも主観と客観が同居するバランスの取れた名演なのですが、一般的にはEMIの録音がいまいちで、また残念ながらロンドフィルもオケとしては一流とは云い難いという感想が多いようです。
とは言っても、そこまで細かいことにこだわる必要があるのかという程度であって、純粋に音を楽しむということであれば、些細なことのように思います。
ただし、むしろライブ録音の方が、指揮者・オケ共に緊張感のある好演を残していると言われています。特にガン発症後は、一つ一つの集中力が高く、いずれも高く評価されているので、できれば合わせて聴きたいところです。
2020年1月25日土曜日
2つの硬貨
だから何?! と言われれば、ぐーの音も出ないような話ですが・・・
同じ年なのに、違うデザインの硬貨が作られていた、ということに何となく面白いなと思っただけ。
昭和64年と平成元年も、西暦で言えばどちらも1989年。ただし、昭和64年は1月7日まででしたから、年明け早々でおそらく作られた硬貨は無いのでは。
と思ったら、実は天皇陛下が亡くなって急に元号が変わった関係で、3月までは「昭和64年」の刻印のまま作っていたそうです。
今回の平成から令和への変更は、数年かけて周到に準備されたので、5月1日をもって令和になってすぐに硬貨の鋳造も切り替わっているんだと思います。
同じ年に、違う刻印。そりゃまぁ当然ですけど、何か珍しい物を見たような気になりました(実際にはまったく珍しくないんですけど)。
2020年1月24日金曜日
Georg Solti CSO / Mahler Complete Symphonies (1970-1983)
やはりシカゴ交響楽団と言えばショルティ、ショルティと言えばシカゴです。
ゲオルク・ショルティ (Georg Solti, 1912-1997)はハンガリー生まれのユダヤ系で、大戦後から指揮者として注目され、やはり一番の功績はシカゴ交響楽団の音楽監督を1969年から1991年まで続けたこと。1972年にイギリス国籍を得て、ナイトを叙勲されSirの称号で呼ばれます。
ショルティのマーラーは、現在全集としてボックスセット化されているものは、1970年の第5番と第6番から始まり、1971年の第7番と第8番(ミントン、ポップ、コロなど)、そして間があいて1980年の第2番(イソベル・ブキャナン、ミラ・サーカイ)、1982年の第3番(ヘルガ・デルネシュ)と第9番、1983年の第1番と第4番(キリ・テ・カナワ)という組み合わせになっています。
全集に含まれませんでしたが、シカゴ響とは、1970年にはさすらう若人の歌と少年の魔法の角笛の一部をイボンヌ・ミントン(Ms)の歌唱で、そして1972年には大地の歌をミントン、ルネ・コロ(T)の歌唱で録音しています。
さらに1990年には第5番の再録音もありますが、第10番の録音は残っていないようです。ショルティのマーラーはシカゴ以前に、RCOと1961年の第4番と大地の歌、ロンドン交響楽団と1964年の第1番、1966年の第2番、1967年の第9番、1968年の第3番を録音しており、曲によっては好みが別れるところ。
第7番のところでも書きましたが、ショルティのシカゴは金管楽器の響きが特徴とされ、ブラスが元気一杯になるところはまさに「健康優良児」なのですが、その金管を引き立てているのが打楽器。ティンパニーは響きを抑えて、比較的乾いた打音でびしびしとしている。これは、「ドーン」ではなく「ドン!」という感じで、元気印を増していると思います。
じゃあ、弦楽器は弱々しいのかというと、弦楽器が目立つ第9番を聴いていると、これもけっこうしっかりと音を出しています。個人的な感覚ですけど、最後ではバーンスタインは悲壮感を持って死を迎える感じですが、ショルティはやることをやって胸を張って死んでいく・・・というところ。
ショルティはシカゴと最初に録音したのが第5番であり、そして唯一再録音したのも第5番。さらにいうと1997年、亡くなる2か月前のチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団との最後のライブでの演奏曲目も第5番でした。
最後が第5番というのは偶然でしょうけど、ショルティの気持ちとして第5番に何らかの思い入れがあっただろうことは容易に想像できます。
第10番は、実は1996年に初めてコンサートで演奏したのようですが、その時のオケがトーンハレ管でした。残念ながらメディアは登場していないようです。
ゲオルク・ショルティ (Georg Solti, 1912-1997)はハンガリー生まれのユダヤ系で、大戦後から指揮者として注目され、やはり一番の功績はシカゴ交響楽団の音楽監督を1969年から1991年まで続けたこと。1972年にイギリス国籍を得て、ナイトを叙勲されSirの称号で呼ばれます。
ショルティのマーラーは、現在全集としてボックスセット化されているものは、1970年の第5番と第6番から始まり、1971年の第7番と第8番(ミントン、ポップ、コロなど)、そして間があいて1980年の第2番(イソベル・ブキャナン、ミラ・サーカイ)、1982年の第3番(ヘルガ・デルネシュ)と第9番、1983年の第1番と第4番(キリ・テ・カナワ)という組み合わせになっています。
全集に含まれませんでしたが、シカゴ響とは、1970年にはさすらう若人の歌と少年の魔法の角笛の一部をイボンヌ・ミントン(Ms)の歌唱で、そして1972年には大地の歌をミントン、ルネ・コロ(T)の歌唱で録音しています。
さらに1990年には第5番の再録音もありますが、第10番の録音は残っていないようです。ショルティのマーラーはシカゴ以前に、RCOと1961年の第4番と大地の歌、ロンドン交響楽団と1964年の第1番、1966年の第2番、1967年の第9番、1968年の第3番を録音しており、曲によっては好みが別れるところ。
第7番のところでも書きましたが、ショルティのシカゴは金管楽器の響きが特徴とされ、ブラスが元気一杯になるところはまさに「健康優良児」なのですが、その金管を引き立てているのが打楽器。ティンパニーは響きを抑えて、比較的乾いた打音でびしびしとしている。これは、「ドーン」ではなく「ドン!」という感じで、元気印を増していると思います。
じゃあ、弦楽器は弱々しいのかというと、弦楽器が目立つ第9番を聴いていると、これもけっこうしっかりと音を出しています。個人的な感覚ですけど、最後ではバーンスタインは悲壮感を持って死を迎える感じですが、ショルティはやることをやって胸を張って死んでいく・・・というところ。
ショルティはシカゴと最初に録音したのが第5番であり、そして唯一再録音したのも第5番。さらにいうと1997年、亡くなる2か月前のチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団との最後のライブでの演奏曲目も第5番でした。
最後が第5番というのは偶然でしょうけど、ショルティの気持ちとして第5番に何らかの思い入れがあっただろうことは容易に想像できます。
第10番は、実は1996年に初めてコンサートで演奏したのようですが、その時のオケがトーンハレ管でした。残念ながらメディアは登場していないようです。
2020年1月23日木曜日
Eliahu Inbal Frankfurt RSO / Mahler Complete Symphonies (1985,1986)
80年代に交響曲全集を完成し、非常に高く評価されている指揮者の一人にエリアフ・インバル(Eliahu Inbal, 1936-)をあげないわけにはいきません。
1974年から1990年までフランクフルト交響楽団の音楽監督を務め、オケの人気・実力を高めたました。ここで、オケとの強い信頼関係ガ築かれていたこともあってか、1985年と1986年の2年だけで(正味ほぼ1年間)第1~9番と第10番アダージョを録音してしまいました。
1985年
第1番、第4番
第2番 ヘレン・ドナート、ドリス・ゾッフェル
第3番 ドリス・ゾッフェル
第8番 フェイ・ロビンソン、テレサ・ケイヒル、ヒルデガルト・ハイヘレ、リヴィア・ブダイ、ジェーン・ヘンシェル、ケネス・リーゲル、ヘルマン・プライ、ハラルト・シュタム
1986年
第5番、第6番、第7番、第9番、第10番
1988年 大地の歌 ヤルド・ヴァン・ネス、ペーター・シュライアー
1992年 第10番(クック版)
これだけの短期間での収録は、マーラー録音史上最短ではないでしょうか (もっとも、1925年のMahler Feestでメンゲルベルクは一人で全曲指揮しましたけど)。現在入手しやすいボックスセットには、大地の歌(1988)、クック版第10番(1992)、少年の魔法の角笛・さすらう若人の歌(1996、ウィーン響)も含まれています。
ベルティーニと同じく、インバルもイスラエル出身。実はインバルも日本とのつながりが深い指揮者で、70年代の日本の三大オケであったN響、日本フィル、読売響にたびたび客演していました。
そして、ベルティーにと同じく1995年以降は東京都交響楽団との関係が強く、2度のマーラー交響曲全曲演奏会を行い、2014年からは桂冠指揮者となっています。
2度目の全曲演奏会は、それぞれが当時の最高品質の技術でライブ録音され発売されましたが、そのせいかCDが高価でボックス化もされていないため、逆にほとんど話題にならないのは残念なことです。
ベルティーニにしても、インバルにしても日本での知名度が高かったこともあって、当時の東芝EMI、DENNONが制作に深く関与していることもあり、その全集は日本向けの要素がたくさん含まれています。そのこともあって、日本のマーラー受容を一気に推進することに貢献したことは間違いありません。
どの指揮者の演奏が好みなのかは、最初に出会ったマーラーが誰の演奏だったかによるところが大きい。実際、自分も開眼したのはアバドのお陰ですから、ルツェルンのアバドのマーラーがスタンダードであって、それと比べてどうなんだろうと自然に思いながら聞いてしまいます。
インバルも、譜面の指示をきっちりと守るタイプの指揮者で、フランクフルトとの全集は全体的には透明感のあるものになっています。当然、激情型が好きな人は物足りない演奏と言う感想を持たれるかもとれません。
アバドは激情型ではありませんが、「円熟の味わい」というような「らしさ」があると思います。ベルティーニに比べると、インバルの方が「らしさ」を感じられるのですが、それを言葉で表すのが難しい。
最初に出会うとその人のスタンダードになりうるマーラーであることは間違いないのですが、フランクフルト響の演奏であることを考慮すると、21世紀になってパーヴォ・ヤルヴィによるビデオ全集の方が演奏能力は上がっているような印象もあります。
1974年から1990年までフランクフルト交響楽団の音楽監督を務め、オケの人気・実力を高めたました。ここで、オケとの強い信頼関係ガ築かれていたこともあってか、1985年と1986年の2年だけで(正味ほぼ1年間)第1~9番と第10番アダージョを録音してしまいました。
1985年
第1番、第4番
第2番 ヘレン・ドナート、ドリス・ゾッフェル
第3番 ドリス・ゾッフェル
第8番 フェイ・ロビンソン、テレサ・ケイヒル、ヒルデガルト・ハイヘレ、リヴィア・ブダイ、ジェーン・ヘンシェル、ケネス・リーゲル、ヘルマン・プライ、ハラルト・シュタム
1986年
第5番、第6番、第7番、第9番、第10番
1988年 大地の歌 ヤルド・ヴァン・ネス、ペーター・シュライアー
1992年 第10番(クック版)
これだけの短期間での収録は、マーラー録音史上最短ではないでしょうか (もっとも、1925年のMahler Feestでメンゲルベルクは一人で全曲指揮しましたけど)。現在入手しやすいボックスセットには、大地の歌(1988)、クック版第10番(1992)、少年の魔法の角笛・さすらう若人の歌(1996、ウィーン響)も含まれています。
ベルティーニと同じく、インバルもイスラエル出身。実はインバルも日本とのつながりが深い指揮者で、70年代の日本の三大オケであったN響、日本フィル、読売響にたびたび客演していました。
そして、ベルティーにと同じく1995年以降は東京都交響楽団との関係が強く、2度のマーラー交響曲全曲演奏会を行い、2014年からは桂冠指揮者となっています。
2度目の全曲演奏会は、それぞれが当時の最高品質の技術でライブ録音され発売されましたが、そのせいかCDが高価でボックス化もされていないため、逆にほとんど話題にならないのは残念なことです。
ベルティーニにしても、インバルにしても日本での知名度が高かったこともあって、当時の東芝EMI、DENNONが制作に深く関与していることもあり、その全集は日本向けの要素がたくさん含まれています。そのこともあって、日本のマーラー受容を一気に推進することに貢献したことは間違いありません。
どの指揮者の演奏が好みなのかは、最初に出会ったマーラーが誰の演奏だったかによるところが大きい。実際、自分も開眼したのはアバドのお陰ですから、ルツェルンのアバドのマーラーがスタンダードであって、それと比べてどうなんだろうと自然に思いながら聞いてしまいます。
インバルも、譜面の指示をきっちりと守るタイプの指揮者で、フランクフルトとの全集は全体的には透明感のあるものになっています。当然、激情型が好きな人は物足りない演奏と言う感想を持たれるかもとれません。
アバドは激情型ではありませんが、「円熟の味わい」というような「らしさ」があると思います。ベルティーニに比べると、インバルの方が「らしさ」を感じられるのですが、それを言葉で表すのが難しい。
最初に出会うとその人のスタンダードになりうるマーラーであることは間違いないのですが、フランクフルト響の演奏であることを考慮すると、21世紀になってパーヴォ・ヤルヴィによるビデオ全集の方が演奏能力は上がっているような印象もあります。
2020年1月22日水曜日
Gary Bertini Koln RSO / Mahler Complete Symphonies (1984-1991)
ちょっとその気になってネット検索をすれば、マーラーの名盤はどれとどれなんてことはすぐにわかります。ここでは、アバドから始まって、バーンスタインは避けて通れないというところなんですが、その他のものはあまり取り上げていません。
わざわざ、マーラー駆け出しの自分が書くまでもなく、たくさんの批評がいくらでもありますから、とりあえずあまり話題に上らない、隠れ名盤とか、珍品の話ばかりになっている。それはそれで貴重とも言えますが、やはり王道からはだいぶはずれてしまうことになります。
というわけで、一度軌道修正して、誰もが認める名演・名盤の話。交響曲全集を成しえた指揮者にスポットを当ててみます。
ガリー・ベルティーニ (Gary Bertini, 1927-2005) はイスラエルの指揮者で、1958年にバーンスタインと深いつながりがあるイスラエルフィルでデヴュー。イスラエル室内管、デトロイト、フランクフルトで活躍し、晩年は東京都交響楽団の音楽監督をしていたので日本ではまじめなクラシックファンにはお馴染み。
1983年から1991年は若杉弘の後任としてケルン放送交響楽団の首席として、世界に通用するオケに育て上げ、この間にマーラー全集(旧EMI)を完成させています。
特に第1番、第8番、第9番、大地の歌は日本のサントリーホールでライブ録音しています。第10番はアダージョのみです。
1984年 第6番
1985年 第3番 グヴェンドリン・キルレブルー
1987年 第4番 ルチア・ホップ
1990年 第5番、第7番
1991年
第1番、第9番、第10番(アダージョのみ)
第2番 クリスティーナ・ラーキ、クィヴァー
第8番 ユリア・ヴァラディ、マリー=アン・ヘッガンダー、マリア・ヴェヌーティ、アン・ハウェルズ、フローレンス・クイヴァー、パウル・フライ、アラン・タイタス、ジークフリート・フォーゲル
大地の歌 マリヤーナ・リポヴシェック、ベン・ヘプナー
2002年から2004年にかけて2回目の全集を目指して東京都響との録音がいくつか残されましたが、残念ながら未完に終わりました。
全集ともなると全体を通してすべてが名演とはいえないことはしばしばありますが、ベルティーニ盤はどれもが一定水準以上で、比較的短期間に出来上がったせいもあって全体のブレが少ない演奏。
演奏時間を見てもどれも標準的で、感情を込めすぎず(あるいは感情に流されず)にたんたんと演奏しているという印象ですが、きちんと押さえるところは押さえて透明感のようなものを感じます。
第4番の独唱はルチア・ポップ、大地の歌にはマリヤーナ・リポヴシェック、ベン・ヘプナーといったマーラー常連も登場します。
最初に出会うマーラーとしては、普通にお勧めできる全集だろうと思いました。
わざわざ、マーラー駆け出しの自分が書くまでもなく、たくさんの批評がいくらでもありますから、とりあえずあまり話題に上らない、隠れ名盤とか、珍品の話ばかりになっている。それはそれで貴重とも言えますが、やはり王道からはだいぶはずれてしまうことになります。
というわけで、一度軌道修正して、誰もが認める名演・名盤の話。交響曲全集を成しえた指揮者にスポットを当ててみます。
ガリー・ベルティーニ (Gary Bertini, 1927-2005) はイスラエルの指揮者で、1958年にバーンスタインと深いつながりがあるイスラエルフィルでデヴュー。イスラエル室内管、デトロイト、フランクフルトで活躍し、晩年は東京都交響楽団の音楽監督をしていたので日本ではまじめなクラシックファンにはお馴染み。
1983年から1991年は若杉弘の後任としてケルン放送交響楽団の首席として、世界に通用するオケに育て上げ、この間にマーラー全集(旧EMI)を完成させています。
特に第1番、第8番、第9番、大地の歌は日本のサントリーホールでライブ録音しています。第10番はアダージョのみです。
1984年 第6番
1985年 第3番 グヴェンドリン・キルレブルー
1987年 第4番 ルチア・ホップ
1990年 第5番、第7番
1991年
第1番、第9番、第10番(アダージョのみ)
第2番 クリスティーナ・ラーキ、クィヴァー
第8番 ユリア・ヴァラディ、マリー=アン・ヘッガンダー、マリア・ヴェヌーティ、アン・ハウェルズ、フローレンス・クイヴァー、パウル・フライ、アラン・タイタス、ジークフリート・フォーゲル
大地の歌 マリヤーナ・リポヴシェック、ベン・ヘプナー
2002年から2004年にかけて2回目の全集を目指して東京都響との録音がいくつか残されましたが、残念ながら未完に終わりました。
全集ともなると全体を通してすべてが名演とはいえないことはしばしばありますが、ベルティーニ盤はどれもが一定水準以上で、比較的短期間に出来上がったせいもあって全体のブレが少ない演奏。
演奏時間を見てもどれも標準的で、感情を込めすぎず(あるいは感情に流されず)にたんたんと演奏しているという印象ですが、きちんと押さえるところは押さえて透明感のようなものを感じます。
第4番の独唱はルチア・ポップ、大地の歌にはマリヤーナ・リポヴシェック、ベン・ヘプナーといったマーラー常連も登場します。
最初に出会うマーラーとしては、普通にお勧めできる全集だろうと思いました。
2020年1月21日火曜日
Hermann Scherchen / Mahler Symphony #7 (1953)
爆演王、三度降臨!! ・・・というわけで、ヘルマン・シェルヘンの話も3回目。
とは言っても、マーラー交響曲第6番、第9番のように狂気じみた速さで駆け抜けるわけではなく、今回は第7番で、どっちかと言うと、この曲の演奏としてはいいんじゃないかということで。
まだまだ修行が足りないと見えて、第7番はいまだに理解できないでいるんです。たぶんここで言う「理解する」というのは、基本的な構成が頭に入って、主旋律を続けて口ずさめるということじゃないかと思います。
この曲の場合、マーラーにしては珍しく「夜の音楽」と副題がついている第2、第4楽章に気持ちが行き過ぎるせいか、最終の第5楽章のどんちゃん騒ぎとのバランスが頭の中でいつまでたっても合わせられない感じがしています。
何度も聴いていると、特別につまらない曲だとは思わなくなってきているので、もう少し時間がかかりますが、馴染める予感はしています。
さて、一般に手に入るシェルヘンの第7番は3種類あるんですが、今回「いいんじゃないか」と思ったのは、タイトルにした1953年の物じゃなくて、1965年のトロント交響楽団との録音。残念ながら、年代の割には音質は良くない。全体にこもった音で、ダイナミックレンジもかなり狭めの印象です。
演奏時間は、18:40 - 12:57 - 8:23 - 13:04 - 16:40、全体で69:44です。
何だ、やっぱり爆速じゃん。まぁ、確かにそうなんですけど。クレンペラーの100分越えは別格として、通常は80分程度。
早めが多いネーメ・ヤルヴィだと
20:46 - 12:59 - 9:14 - 9:57 - 17:11、全体で70:07であまり変わらない。ただし、実際に聴くとかなり印象は違って、シェルヘンの方がかなり早い印象を受けるのは、はっきり言ってオケが下手でついていけてないということ。一番最後は鐘の音なんて、バラバラしすぎてせわしない。
ですから、とても名演として他人にお勧めするわけにはいかないんですが、あくまでもシェルヘンのマーラーとしては「いいんじゃないか」ということです。全体に速い事で、最後のどんちゃん騒ぎの違和感が少なくなりました。
ということは、その逆を考えているのがクレンペラーということなんでしょぅか。全体を遅くして最終楽章を浮き上がり過ぎないようにした・・・とは言っても、シェルヘンの後に聴くと、レコードの回転速度を間違えたのか(懐かしい表現!!)という感じ。
ちなみにタイトルにした1953年のシェルヘンはウィーン歌劇場管との演奏で、77:57という普通の時間。オケも落ち着いて実力を発揮していますが、逆に特にこれという特徴は無い普通に聴ける演奏になっている感じです。古い割に音質は良好。
もう一つはウィーン交響楽団との1950年の録音ですが、これはまだ聴く機会がありませんのでノーコメントです。
とは言っても、マーラー交響曲第6番、第9番のように狂気じみた速さで駆け抜けるわけではなく、今回は第7番で、どっちかと言うと、この曲の演奏としてはいいんじゃないかということで。
まだまだ修行が足りないと見えて、第7番はいまだに理解できないでいるんです。たぶんここで言う「理解する」というのは、基本的な構成が頭に入って、主旋律を続けて口ずさめるということじゃないかと思います。
この曲の場合、マーラーにしては珍しく「夜の音楽」と副題がついている第2、第4楽章に気持ちが行き過ぎるせいか、最終の第5楽章のどんちゃん騒ぎとのバランスが頭の中でいつまでたっても合わせられない感じがしています。
何度も聴いていると、特別につまらない曲だとは思わなくなってきているので、もう少し時間がかかりますが、馴染める予感はしています。
さて、一般に手に入るシェルヘンの第7番は3種類あるんですが、今回「いいんじゃないか」と思ったのは、タイトルにした1953年の物じゃなくて、1965年のトロント交響楽団との録音。残念ながら、年代の割には音質は良くない。全体にこもった音で、ダイナミックレンジもかなり狭めの印象です。
演奏時間は、18:40 - 12:57 - 8:23 - 13:04 - 16:40、全体で69:44です。
何だ、やっぱり爆速じゃん。まぁ、確かにそうなんですけど。クレンペラーの100分越えは別格として、通常は80分程度。
早めが多いネーメ・ヤルヴィだと
20:46 - 12:59 - 9:14 - 9:57 - 17:11、全体で70:07であまり変わらない。ただし、実際に聴くとかなり印象は違って、シェルヘンの方がかなり早い印象を受けるのは、はっきり言ってオケが下手でついていけてないということ。一番最後は鐘の音なんて、バラバラしすぎてせわしない。
ですから、とても名演として他人にお勧めするわけにはいかないんですが、あくまでもシェルヘンのマーラーとしては「いいんじゃないか」ということです。全体に速い事で、最後のどんちゃん騒ぎの違和感が少なくなりました。
ということは、その逆を考えているのがクレンペラーということなんでしょぅか。全体を遅くして最終楽章を浮き上がり過ぎないようにした・・・とは言っても、シェルヘンの後に聴くと、レコードの回転速度を間違えたのか(懐かしい表現!!)という感じ。
ちなみにタイトルにした1953年のシェルヘンはウィーン歌劇場管との演奏で、77:57という普通の時間。オケも落ち着いて実力を発揮していますが、逆に特にこれという特徴は無い普通に聴ける演奏になっている感じです。古い割に音質は良好。
もう一つはウィーン交響楽団との1950年の録音ですが、これはまだ聴く機会がありませんのでノーコメントです。
2020年1月20日月曜日
マーラー本
遅まきながらマーラーにはまってみると、予想通り巷には尊敬の念を込めて「マーラーおたく」と呼びたくなる人々が大勢いることが十二分にわかりました。
ネット社会になって、一般人でもいとも簡単に情報を発信できることが可能になり、採算が取れないと出版してもらえない書籍と違って、様々な情報が仮想現実空間の中を乱れ飛んでいます。
ただし、それが正しい情報かどうかは別の問題で、やはり一定の信憑性が担保された公的に出版された書籍は、より重要性が高まっているはずなんですが、現実にはネットの普及、電子書籍のシェア拡大などにより、出版物は減少し、本屋自体もどんどん縮小傾向にあります。
このままだと、何が正しくて何が誤っているかを正しく判断する力が人からどんどん無くなっていくのではないかという、大きなお世話みたいな勝手な危惧を感じてしまいます。
閑話休題。マーラーが亡くなったのは110年前。絵画でしか伝わらないベートーヴェンと違って、マーラーは写真が多数残されている時代の人物。にもかかわらず、マーラーの人と作品を知るための日本語で読むる資料は、人気の割には必ずしも多いとは言えません。
かつてマーラーは「(いつか)私の時代が来る」と言いましたが、一般に広く人気が出たのが1970年代から。このマーラー受容の遅れが影響しているのかもしれません。
前に紹介した東京書籍の「ブルックナー/マーラー事典」は、最も資料的価値の高いものだと思いますが、一般にマーラーを知るためによく用いられているのが妻アルマが後に回想した本ですが、アルマの主観による記述の信憑性についてはしばしば問題視されています。
アルマと結婚する以前については、20年間にわたり親交があったナターリエ・バウアー=レヒナーによる回想録が、マーラーの言葉をかなり正確に伝えていると言われています。これら二人の女性による「思い出」と伴に、マーラーの最も詳細な評伝を記述したのが、アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュです。
70年代に発表されてグランジュの著作は、なんと全3巻、3600ページにも及ぶ大作で、マーラー評伝の最高峰とされていますが、さすがに日本語訳は出ていないようですし、出ていてもそれを読み切ることはかなりの困難が予想されそうです。
そこで、グランジュのマーラー研究の評論集として編集された「グスタフ・マーラー 失われた無限を求めて(草思社、1993)」は、手頃な分量でそのエッセンスを知る手掛かりとして有効です。
テオドール・W. アドルノの「マーラー―音楽観相学 (法政大学出版局、1999)」は、やはりマーラー評論の名著らしいのですが、日本語の訳仕方のためかとにかく難解で、哲学書に近い感じがしてしまいます。この著書を引用している文章で、何となく匂いが漂えば満腹かもしれません。
日本人の著述としては、クラシック音楽の世界では大変有名人である故・吉田秀和氏の評論があります。これは現在では「決定版 マーラー(河出書房新社)」という手頃な文庫本として集められており、マーラー愛好者なら一度は目を通すべきものと言えるかもしれません。
また、前島良雄氏の「マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来(アルファベータ、2011)」と「マーラーを識る(アルファベータ、2014)」は、マーラーの作られた多くのイメージを排除し、前者は人物像、後者は作品論に焦点をあてて、その実像を浮かび上がらせた労作として高く評価されています。
マーラー自身は、「理性ではなく直感で聴いてもらいたい」と言って、細かく分析されることは嫌悪していたらしいので、こういう本の類が増えることは作曲者の意思に反することかもしれません。
確かに、音楽ですから音を楽しむことが重要で、これらの文章は理解を深めより楽しむための助けであって、絶対的に必要なものではありません。当然、自分もほとんど読んでいません。どうしても、どれか一つは欲しいと言うなら「事典」ですが、さらに知りたいという方は前島氏のものがお勧めです。
ネット社会になって、一般人でもいとも簡単に情報を発信できることが可能になり、採算が取れないと出版してもらえない書籍と違って、様々な情報が仮想現実空間の中を乱れ飛んでいます。
ただし、それが正しい情報かどうかは別の問題で、やはり一定の信憑性が担保された公的に出版された書籍は、より重要性が高まっているはずなんですが、現実にはネットの普及、電子書籍のシェア拡大などにより、出版物は減少し、本屋自体もどんどん縮小傾向にあります。
このままだと、何が正しくて何が誤っているかを正しく判断する力が人からどんどん無くなっていくのではないかという、大きなお世話みたいな勝手な危惧を感じてしまいます。
閑話休題。マーラーが亡くなったのは110年前。絵画でしか伝わらないベートーヴェンと違って、マーラーは写真が多数残されている時代の人物。にもかかわらず、マーラーの人と作品を知るための日本語で読むる資料は、人気の割には必ずしも多いとは言えません。
かつてマーラーは「(いつか)私の時代が来る」と言いましたが、一般に広く人気が出たのが1970年代から。このマーラー受容の遅れが影響しているのかもしれません。
前に紹介した東京書籍の「ブルックナー/マーラー事典」は、最も資料的価値の高いものだと思いますが、一般にマーラーを知るためによく用いられているのが妻アルマが後に回想した本ですが、アルマの主観による記述の信憑性についてはしばしば問題視されています。
アルマと結婚する以前については、20年間にわたり親交があったナターリエ・バウアー=レヒナーによる回想録が、マーラーの言葉をかなり正確に伝えていると言われています。これら二人の女性による「思い出」と伴に、マーラーの最も詳細な評伝を記述したのが、アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュです。
70年代に発表されてグランジュの著作は、なんと全3巻、3600ページにも及ぶ大作で、マーラー評伝の最高峰とされていますが、さすがに日本語訳は出ていないようですし、出ていてもそれを読み切ることはかなりの困難が予想されそうです。
そこで、グランジュのマーラー研究の評論集として編集された「グスタフ・マーラー 失われた無限を求めて(草思社、1993)」は、手頃な分量でそのエッセンスを知る手掛かりとして有効です。
テオドール・W. アドルノの「マーラー―音楽観相学 (法政大学出版局、1999)」は、やはりマーラー評論の名著らしいのですが、日本語の訳仕方のためかとにかく難解で、哲学書に近い感じがしてしまいます。この著書を引用している文章で、何となく匂いが漂えば満腹かもしれません。
日本人の著述としては、クラシック音楽の世界では大変有名人である故・吉田秀和氏の評論があります。これは現在では「決定版 マーラー(河出書房新社)」という手頃な文庫本として集められており、マーラー愛好者なら一度は目を通すべきものと言えるかもしれません。
また、前島良雄氏の「マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来(アルファベータ、2011)」と「マーラーを識る(アルファベータ、2014)」は、マーラーの作られた多くのイメージを排除し、前者は人物像、後者は作品論に焦点をあてて、その実像を浮かび上がらせた労作として高く評価されています。
マーラー自身は、「理性ではなく直感で聴いてもらいたい」と言って、細かく分析されることは嫌悪していたらしいので、こういう本の類が増えることは作曲者の意思に反することかもしれません。
確かに、音楽ですから音を楽しむことが重要で、これらの文章は理解を深めより楽しむための助けであって、絶対的に必要なものではありません。当然、自分もほとんど読んでいません。どうしても、どれか一つは欲しいと言うなら「事典」ですが、さらに知りたいという方は前島氏のものがお勧めです。
2020年1月19日日曜日
Barbara Hendricks / Mahler Lieder (2010)
マーラーに限らず、声楽曲については高すぎる、あるいは低すぎる声域の声で聴くのはあまり好きではありません。やはり、普段、人の声として聴きなれている周波数帯の方が自然に耳になじむ感じがします。
そういう意味で、女性の場合だと、メゾソプラノ~アルトくらいが聴きやすく、ソプラノだと高音部でキンキンするのがどうしても苦手。好きな歌手は、フォン・オッターなどに偏ることはお許しいただきたい。
マーラーの歌曲では、ソプラノが目立って活躍する場面はあまり多くなく、比較的メゾソプラノのレパートリーとなっていることが多いのは、大変助かるというものです。
ところが、バーバラ・ヘンドリックスだけはソプラノ歌手ですけど嫌いじゃない。珍しいアメリカの黒人歌手ですが、透明感の高いリリック・ソプラノとして70~90年代に人気を博しました。
21世紀になって、ゴスペルやジャズの分野でも精力的に活動し、自主レーベルを立ち上げてやりたいことを精力的に発信し続けています。シューベルトの「アベ・マリア」は自分にとってはベストですし、「冬の旅」は珍しいソプラノ歌唱として素晴らしい出来でした。
ヘンドリックスのソプラノは、年老いてやや声量の落ちは否めませんが、美しい澄んだ歌声はいまだ健在で、このマーラー作品集でも素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。
ここでは「さすらう若人の歌(全4曲)」、「リュッケルト歌曲集(全5曲)」、そして「大地の歌」の終楽章「告別」が収録されています。
「さすらう若人の歌」は声部指定はありませんが、一般的には低域向けとされていてソプラノは珍しい。「リュッケルト歌曲集」も声部指定はありませんが、こちらはときどきソプラノが歌っていることがあります。
ただし、「大地の歌」は二人の独唱者はテノール、アルトまたはバリトンとなっている。ピアノ伴奏譜では低域と高域という曖昧な指定ですが、ここで聴けるのはスウェーデン室内アンサンブルによる伴奏です。
自主レーベルの関係上、話題になりにくいのが残念ですが、知る人ぞ知るみたいな優秀な録音の一つに上がってもいい作品だと思います。
そういう意味で、女性の場合だと、メゾソプラノ~アルトくらいが聴きやすく、ソプラノだと高音部でキンキンするのがどうしても苦手。好きな歌手は、フォン・オッターなどに偏ることはお許しいただきたい。
マーラーの歌曲では、ソプラノが目立って活躍する場面はあまり多くなく、比較的メゾソプラノのレパートリーとなっていることが多いのは、大変助かるというものです。
ところが、バーバラ・ヘンドリックスだけはソプラノ歌手ですけど嫌いじゃない。珍しいアメリカの黒人歌手ですが、透明感の高いリリック・ソプラノとして70~90年代に人気を博しました。
21世紀になって、ゴスペルやジャズの分野でも精力的に活動し、自主レーベルを立ち上げてやりたいことを精力的に発信し続けています。シューベルトの「アベ・マリア」は自分にとってはベストですし、「冬の旅」は珍しいソプラノ歌唱として素晴らしい出来でした。
ヘンドリックスのソプラノは、年老いてやや声量の落ちは否めませんが、美しい澄んだ歌声はいまだ健在で、このマーラー作品集でも素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。
ここでは「さすらう若人の歌(全4曲)」、「リュッケルト歌曲集(全5曲)」、そして「大地の歌」の終楽章「告別」が収録されています。
「さすらう若人の歌」は声部指定はありませんが、一般的には低域向けとされていてソプラノは珍しい。「リュッケルト歌曲集」も声部指定はありませんが、こちらはときどきソプラノが歌っていることがあります。
ただし、「大地の歌」は二人の独唱者はテノール、アルトまたはバリトンとなっている。ピアノ伴奏譜では低域と高域という曖昧な指定ですが、ここで聴けるのはスウェーデン室内アンサンブルによる伴奏です。
自主レーベルの関係上、話題になりにくいのが残念ですが、知る人ぞ知るみたいな優秀な録音の一つに上がってもいい作品だと思います。
2020年1月18日土曜日
ノートパソコン爆発××秒前
クリニックで3年前から使用しているインネット接続用のノートパソコンが、秋ごろから不安定になっていました。
MicrosoftのハードでSurface Bookと呼ばれるもの。これは変わった機種で、ディスプレイとキーボードが切り離せて、タブレットとしても使用できるというもの。
ですから、キーボード側には追加のバッテリーとUSBハブの機能、そしてNVIDIAの外部GPUが組み込まれています。CPU本体と主バッテリーはディスプレイ側に入っています。
まずUSB機器の接続が認識されにくくなって、SDスロットも使えなくなってきました。特に絶対的に困るというわけではないので、経年劣化としてしょうがないと思っていました。
そのうち、なんか設置している状態の安定性が悪くなってきたのに気がついた。底面の接着剤で固定されていたパネルが浮き上がって来たんです。隙間から除いてみると、リチウムイオン電池らしきアルミパッケージが膨張している。
おっと、これは巷でよくある電池の老朽化による問題。場合によっては爆発すると火事の原因になることもありますから、そのままにしておけない。保証期間はとっくに過ぎていますし、そもそもこの手のトラブルは高額な有償交換の対象です。
キーボード側は予備のバッテリーですから、最悪無くてもPCは使えるはずなので、緊急手段として膨張しているパッケージを破いて緊張を減らすことにしました。パネルを大々的にはがして、膨らんだパッケージの角をカッターでちょんっと切り込んでみました。
パチっと火花がでて、とりあえずパッケージはしぼんだんですが、実はけっこう危ない行為だと思います。火花は静電気によるもので、これが発火の要因。普通は絶対にやっちゃいけない行為です。
昔のPCの取り外しできるバッテリーパックの場合は、たいてい充電用のニッケル水素電池かリチウムイオン電池がそのまま複数詰め込まれているのですが、最近のコンパクトな取り外し式ではない平たいパッケージは、全体が電池になっています。
注意深く、再度電源をつないでみましたが、特にPCの動作としては問題なさそう。発熱もなく、とりあえず応急処置としては成功したようでした。
ところが、実はディスプレイ側にも、変な色染みみたいなのが出てきていることに気がついた。昔のブラウン管ディスプレイで磁石で変色したみたいな感じ。何だろうと思っていたら、今度はディスプレイの液晶パネルが浮き上がってきたんです。
液晶パネルが裏面から圧迫されて色が変になっていたわけですが、年明けからついに接着剤がはがれてパネルが外れてきました・・・というのが上の写真。隙間から覗いてみると、またもやバッテリーのパッケージらしきアルミの袋が膨らんでいるのが見えました。
今度は簡単にはいきません。まずパネルを無理にはがすと、液晶を痛める可能性が高い。これは、完全に壊す覚悟が無いといじれません。というわけで、常時電源接続をやめて、代替器が用意できるまで何とかもつように神に祈るしかなさそうです。
MicrosoftのハードでSurface Bookと呼ばれるもの。これは変わった機種で、ディスプレイとキーボードが切り離せて、タブレットとしても使用できるというもの。
ですから、キーボード側には追加のバッテリーとUSBハブの機能、そしてNVIDIAの外部GPUが組み込まれています。CPU本体と主バッテリーはディスプレイ側に入っています。
まずUSB機器の接続が認識されにくくなって、SDスロットも使えなくなってきました。特に絶対的に困るというわけではないので、経年劣化としてしょうがないと思っていました。
そのうち、なんか設置している状態の安定性が悪くなってきたのに気がついた。底面の接着剤で固定されていたパネルが浮き上がって来たんです。隙間から除いてみると、リチウムイオン電池らしきアルミパッケージが膨張している。
おっと、これは巷でよくある電池の老朽化による問題。場合によっては爆発すると火事の原因になることもありますから、そのままにしておけない。保証期間はとっくに過ぎていますし、そもそもこの手のトラブルは高額な有償交換の対象です。
キーボード側は予備のバッテリーですから、最悪無くてもPCは使えるはずなので、緊急手段として膨張しているパッケージを破いて緊張を減らすことにしました。パネルを大々的にはがして、膨らんだパッケージの角をカッターでちょんっと切り込んでみました。
パチっと火花がでて、とりあえずパッケージはしぼんだんですが、実はけっこう危ない行為だと思います。火花は静電気によるもので、これが発火の要因。普通は絶対にやっちゃいけない行為です。
昔のPCの取り外しできるバッテリーパックの場合は、たいてい充電用のニッケル水素電池かリチウムイオン電池がそのまま複数詰め込まれているのですが、最近のコンパクトな取り外し式ではない平たいパッケージは、全体が電池になっています。
注意深く、再度電源をつないでみましたが、特にPCの動作としては問題なさそう。発熱もなく、とりあえず応急処置としては成功したようでした。
ところが、実はディスプレイ側にも、変な色染みみたいなのが出てきていることに気がついた。昔のブラウン管ディスプレイで磁石で変色したみたいな感じ。何だろうと思っていたら、今度はディスプレイの液晶パネルが浮き上がってきたんです。
液晶パネルが裏面から圧迫されて色が変になっていたわけですが、年明けからついに接着剤がはがれてパネルが外れてきました・・・というのが上の写真。隙間から覗いてみると、またもやバッテリーのパッケージらしきアルミの袋が膨らんでいるのが見えました。
今度は簡単にはいきません。まずパネルを無理にはがすと、液晶を痛める可能性が高い。これは、完全に壊す覚悟が無いといじれません。というわけで、常時電源接続をやめて、代替器が用意できるまで何とかもつように神に祈るしかなさそうです。
2020年1月17日金曜日
Monica Groop, Jorma Silvasti, Osmo Vanska / Mahler Das Lied von der Erde (1994)
ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作である、トーマン・マン原作の「ベニスに死す(1971)」の中で、グスタフ・フォン・アッシェンバッハと友人であり理解者でもあるアルフレッドは、芸術論を戦わせるのです。
原作ではアッシェンバッハは小説家であり、映画では心臓が悪い幼い娘を亡くした音楽家、そしてその音楽は聴衆に理解されず演奏会でもブーイングを浴び失意の中、休養のため運命のベニスを訪れる。
当然、アッシェンバッハはグスタフ・マーラーをモデルに改変されており、一部実際の出来事が物語の大きく関わってきています。そして、実はアルフレッドのモデルはアーノルド・・・つまり、アルノルト・シェーンベルクであると言われています。
シェーンベルクは、1874年生まれで、マーラーより14才年下。無調性音楽の開拓者であり、現代音楽を切り開いた偉人の一人に数えられます。マーラーはそういう観点からは、後期ロマン派の調性音楽を極限まで高め、古典的な様式を破壊した偉人と言えます。
シェーンベルグの新しい音楽は、当然初めは聴衆に理解されるはずもありませんでしたが、マーラーは早くからその才能を認めていました。シェーンベルクの初期の集大成と言われている壮大な「グレの歌」などは、マーラーからの影響はかなり強い作品です。
マーラーは、「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」と妻のアルマに語ったと言われています。シェーンベルクは、アルマの70才の誕生日には曲を送ったりして、その晩年までマーラーを敬愛していました。
マーラーの死後、第一次世界大戦が勃発し、戦争が終わった1920年以降、シェーンベルクは優秀な演奏者を失い、少人数での演奏会のために多くの楽曲を用意しました。その中に、既存曲を室内楽用に編曲し直すという作業も多数含まれることになり、交響曲第4番、さすらう若人の歌、そして大地の歌などに手を入れることになります。
そこで、「大地の歌」をシェーンベルク編曲の室内楽版で聴いてみようということなんですが、実は完成させたのリーンと言う人で1983年のこと。マーラーのオリジナルの管弦楽版の楽器編成をみてみます。
独唱 アルトまたはバリトン、テノール
ピッコロ 1
フルート 3
オーボエ 3
クラリネット 4
バスクラリネット 1
ファゴット 3
ホルン 4
トランペット 3
トロンボーン 3
テューバ 1
ティンパニ、バスドラム、タンブリン、シンバル、トライアングル、銅鑼、グロッケンシュピール
ハープ 2
マンドリン 1
チェレスタ 1
弦五部 合計88
と言う具合で、マーラーの「交響曲」としては普通、むしろ少なめの編成です。ところがシェーンベルクはというと・・・
管楽器はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各1名でおしまい。足りない部分をピアノ、ハルモニウムで補填しました。打楽器担当も一人だけ。弦は、弦五部各1名だけ。つまり、たったの13人のオーケストラです。
マーラー自身によるピアノ伴奏版は、オーケストラ版と比べるとさすがに伴奏はスカスカです。そのかわり、歌曲としての面が強調され、歌手の声量の自由度が増える分、歌いまわしの色彩が増す感じ。
ところが、室内楽版で、楽器が極端に減ったのでさぞかしやはり伴奏はスカスカかと思いきや、これがすごいんです。録音の仕方も関係あるかもしれませんが、ほとんどフルオーケストラと比べて遜色がなく、むしろすっきりした感じすらある。
歌手も伴奏が大音量でない分歌いやすそうで、自然な味のある歌唱を聴かせてくれます。もともとマーラーの曲は、全体の演奏と共に個別に各楽器がソロをとる部分が多いので、ポイントを抑えれば人数が減っても大きな違和感は出ないのかもしれません。足りない部分を多声楽器のピアノとハーモニウムが出しゃばり過ぎずにカバーしている感じです。
今回手に入れたのは、最近ミネソタ交響楽団とのマーラー・チクルスで評価が上がっているオスモ・ヴァンスカが指揮をとるもの。メゾソプラノのグループもテナーのシルヴァスティは嫌みの無い声質で好感が持てます。
原作ではアッシェンバッハは小説家であり、映画では心臓が悪い幼い娘を亡くした音楽家、そしてその音楽は聴衆に理解されず演奏会でもブーイングを浴び失意の中、休養のため運命のベニスを訪れる。
当然、アッシェンバッハはグスタフ・マーラーをモデルに改変されており、一部実際の出来事が物語の大きく関わってきています。そして、実はアルフレッドのモデルはアーノルド・・・つまり、アルノルト・シェーンベルクであると言われています。
シェーンベルクは、1874年生まれで、マーラーより14才年下。無調性音楽の開拓者であり、現代音楽を切り開いた偉人の一人に数えられます。マーラーはそういう観点からは、後期ロマン派の調性音楽を極限まで高め、古典的な様式を破壊した偉人と言えます。
シェーンベルグの新しい音楽は、当然初めは聴衆に理解されるはずもありませんでしたが、マーラーは早くからその才能を認めていました。シェーンベルクの初期の集大成と言われている壮大な「グレの歌」などは、マーラーからの影響はかなり強い作品です。
マーラーは、「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」と妻のアルマに語ったと言われています。シェーンベルクは、アルマの70才の誕生日には曲を送ったりして、その晩年までマーラーを敬愛していました。
マーラーの死後、第一次世界大戦が勃発し、戦争が終わった1920年以降、シェーンベルクは優秀な演奏者を失い、少人数での演奏会のために多くの楽曲を用意しました。その中に、既存曲を室内楽用に編曲し直すという作業も多数含まれることになり、交響曲第4番、さすらう若人の歌、そして大地の歌などに手を入れることになります。
そこで、「大地の歌」をシェーンベルク編曲の室内楽版で聴いてみようということなんですが、実は完成させたのリーンと言う人で1983年のこと。マーラーのオリジナルの管弦楽版の楽器編成をみてみます。
独唱 アルトまたはバリトン、テノール
ピッコロ 1
フルート 3
オーボエ 3
クラリネット 4
バスクラリネット 1
ファゴット 3
ホルン 4
トランペット 3
トロンボーン 3
テューバ 1
ティンパニ、バスドラム、タンブリン、シンバル、トライアングル、銅鑼、グロッケンシュピール
ハープ 2
マンドリン 1
チェレスタ 1
弦五部 合計88
と言う具合で、マーラーの「交響曲」としては普通、むしろ少なめの編成です。ところがシェーンベルクはというと・・・
管楽器はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各1名でおしまい。足りない部分をピアノ、ハルモニウムで補填しました。打楽器担当も一人だけ。弦は、弦五部各1名だけ。つまり、たったの13人のオーケストラです。
マーラー自身によるピアノ伴奏版は、オーケストラ版と比べるとさすがに伴奏はスカスカです。そのかわり、歌曲としての面が強調され、歌手の声量の自由度が増える分、歌いまわしの色彩が増す感じ。
ところが、室内楽版で、楽器が極端に減ったのでさぞかしやはり伴奏はスカスカかと思いきや、これがすごいんです。録音の仕方も関係あるかもしれませんが、ほとんどフルオーケストラと比べて遜色がなく、むしろすっきりした感じすらある。
歌手も伴奏が大音量でない分歌いやすそうで、自然な味のある歌唱を聴かせてくれます。もともとマーラーの曲は、全体の演奏と共に個別に各楽器がソロをとる部分が多いので、ポイントを抑えれば人数が減っても大きな違和感は出ないのかもしれません。足りない部分を多声楽器のピアノとハーモニウムが出しゃばり過ぎずにカバーしている感じです。
今回手に入れたのは、最近ミネソタ交響楽団とのマーラー・チクルスで評価が上がっているオスモ・ヴァンスカが指揮をとるもの。メゾソプラノのグループもテナーのシルヴァスティは嫌みの無い声質で好感が持てます。
2020年1月16日木曜日
2020年1月15日水曜日
The Gustav Mahler Celebration (2010)
これはDVDなんですが、おそらくテレビ放送用の企画物で、通常のコンサートの全曲演奏会とは違った、マーラーの音楽を少しずつ広く楽しもうというスタイル。
ですから、はっきり言って普通のクラシック愛好家にすれば、中途半端な演奏会という感じは否めません。ただし、マニア的には注目すべき部分が無いわけではありません。
まず指揮者がマンフレート・ホーネック。この人は元ウィーンフィルのヴィオラ奏者で、指揮者に転向してからはアバドの弟子になって、その後ピッツバーグ交響楽団といくつかのマーラー交響曲の録音が評価されています。
オーケストラはマーラー室内管弦楽団。アバドが組織したオケで、ユーゲント出身の優秀な演奏者が参加し、そのままルツェルン祝祭管の母体ともなっています。ですから、アバドのルツェルンのビデオでおなじみの顔がたくさん出てくるのが嬉しい。
ソロイストは、個人的に一番お気に入りのメゾソプラノのアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが登場するのがポイントが高い。そして、晩年のバーンスタイに登場し、その後マーラー専門みたいな存在になったバリトンのトーマス・ハンプソンも楽しめます。最後だけですがソプラノのマリタ・ソルベルグも出演しています。
そして、会場がユニーク。このコンサートは2010年のマーラー生誕150年を記念する企画のようですが、なんとマーラー生誕の地、カリシュト村にステージを用意して誕生日の7月7日に行われた野外コンサートです。風景が映像としてところどころにはまって、音楽を楽しむのには邪魔ですが、マーラー所縁の地の様子がわかります。
収録曲を順番に並べてみると、
1. 交響曲第2番 第1楽章
2. 少年の魔法の角笛 ~ ラインの伝説 (Ms)
3. さすらう若人の歌 ~ 朝の野を歩けば (Br)
4. 交響曲第2番 第4楽章 原光 (Ms)
5. リュッケルト歌曲集 ~ 私は仄かな香りを吸い込んだ (Br)
6. 少年の魔法の角笛 ~ 死せる鼓手 (Br)
7. 交響曲第3番 第5楽章 ~ 三人の天使が歌っていた (Ms)
8. リュッケルト歌曲集 ~ 私はこの世に捨てられて (Br)
9. 少年の魔法の角笛 ~ 不幸な時の慰め (Ms、Br)
10. 交響曲第2番 第5楽章終結部 (Ms、S)
というわけで、マーラーの交響曲第2番を中心に胆だけをうまく選曲した・・・と言いたいところですが、見終わっての欲求不満感がかなりある。
交響曲第2番をぶつ切りにしたのは、やはり失敗でしょう。気持ちの盛り上がりが分断してしまい、また突然最終合唱が始まっても「何かなぁ~」というところ。毎回、拍手が入るのもうるさいだけ。
まぁ、テレビ向けのショーと割り切ってしまえば、ソロイストを中心とした見所はたくさんあるので、まだマーラーを知らない超初心者の入門にはいいのかもしれません。
2020年1月14日火曜日
Ivan Paley, Robert Dean Smith, Stephan M.Lademann / Mahler Das Lied von der Erde (2005)
どうしても固定観念というものがあって、マーラーで「大地の歌」を交響曲と呼んでも、それを交響曲として聞くのには無理を感じてしまいます。全6楽章というより、全6曲からなる連作歌曲集・・・といって、その価値が下がるわけではありません。
実際のところ、マーラー自身が1907~1909年に作られたオーケストラ譜と同時進行で、ピアノ伴奏譜を作っていたという事実がある。こういうことは、他の交響曲ではありません。
ただしピアノ稿が出版されたのは、死後80年近く経った1989年の事。しかも、初演はヴォルフガング・ザバリッシュのピアノ伴奏でリポフシェク(Ms)、ヴィンベルイ(T)という豪華メンバーで日本で行われました。
ただし、この世界初演の録音は残っていないようです。初録音はファスベンダーらによるものがあります。今回紹介するのは、スミス(T)、パレイ(Br)、ラーデマン(p)という男性三人組による演奏。
ラッキーなことに、ヘンスラーの格安マーラー全集に丸ごと組み込まれている。この全集には、ダムラウ(S)、パレイ(T)の組み合わせで「少年の魔法の角笛」ピアノ伴奏版も含まれています。本音をいうと、「大地の歌」もパレイと女声の組み合わせだと・・・
そうはいっても、これがなかなか良い。二人の男性歌手はいずれも素晴らしい歌いっぷり。やはり、オーケストラ伴奏に比べて、声量を抑えられるので、細かニュアンスを出しやすいところがいいんじゃないでしょうか。
オーケストラ版を聴くと、どうしてもピアノだけの伴奏はやや物足りない感は否めませんが、曲の構成の細かい所はわかりやすいというメリットもあります。
実際のところ、マーラー自身が1907~1909年に作られたオーケストラ譜と同時進行で、ピアノ伴奏譜を作っていたという事実がある。こういうことは、他の交響曲ではありません。
ただしピアノ稿が出版されたのは、死後80年近く経った1989年の事。しかも、初演はヴォルフガング・ザバリッシュのピアノ伴奏でリポフシェク(Ms)、ヴィンベルイ(T)という豪華メンバーで日本で行われました。
ただし、この世界初演の録音は残っていないようです。初録音はファスベンダーらによるものがあります。今回紹介するのは、スミス(T)、パレイ(Br)、ラーデマン(p)という男性三人組による演奏。
ラッキーなことに、ヘンスラーの格安マーラー全集に丸ごと組み込まれている。この全集には、ダムラウ(S)、パレイ(T)の組み合わせで「少年の魔法の角笛」ピアノ伴奏版も含まれています。本音をいうと、「大地の歌」もパレイと女声の組み合わせだと・・・
そうはいっても、これがなかなか良い。二人の男性歌手はいずれも素晴らしい歌いっぷり。やはり、オーケストラ伴奏に比べて、声量を抑えられるので、細かニュアンスを出しやすいところがいいんじゃないでしょうか。
オーケストラ版を聴くと、どうしてもピアノだけの伴奏はやや物足りない感は否めませんが、曲の構成の細かい所はわかりやすいというメリットもあります。
2020年1月13日月曜日
変容する渋谷
自分がこどもの時に、親に連れられ、あるいは一人で、そして友人たちと一緒に出かけたのは渋谷です。
特に、大学浪人していた時は、予備校より渋谷のジャズ喫茶に毎日通う方が多かったりして、大袈裟に言ってみれば「我が青春の街」みたいな感じ。
駅そのものは東横デパート。後に東急に吸収されて、東急東横店。東横のれん街では有名なお菓子などが簡単に揃います。
駅の東側には東急文化会館。東宝系の映画館、本屋の三省堂、そしててっぺんにはプラネタリウム。
駅の西側には東急プラザ。本屋の紀伊国屋、レコードのコタニ、ケーキのフランセ。
すぐ北の明治通りの角は東映の映画館。その横に全線座という、少し古いものを安く見れる映画館。
井の頭通りを行くと、本だけ売っている大盛堂、向かいには西武デパート。その先には河合楽器。公園通りに入るとパルコ。裏にCISCOという輸入レコード店。その先がNHK。
道玄坂には月賦で買える緑屋、ヤマハ楽器。途中の百軒店には、ジャズ喫茶とストリップ劇場。
全部消えてしまいましたし、残っているものも当時の建物はすべて取り壊され、装いも新たに新築されました。
また、渋谷××がオープンしました!! って話題になってますけど、そのたびにどんどん知らない街になっていく一抹の寂しさを感じてしまうわけです。
2020年1月12日日曜日
Dietrich Fischer-Dieskau, James King, Leonardo Bernstein WPO / Mahler Das Lied von der Erde (1966)
マーラーの交響曲では、第8番を除いて独唱者は女声のみなので、男性歌手の活躍の場はおのずと歌曲が中心になります。男声というと、当然のようにディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウは、最も名実ともに揃った史上最強のマーラー歌手と言えます。
フィッシャーディスカウの「大地の歌」の初録音は、1959年。この曲では、アルトまたはバリトン、そしてテノールの二人が登場するので、バリトンのフィッシャーディスカウは、必ず男同士の組み合わせになります。正規盤は以下の3種類。
1959年 パウル・クレツキ指揮フィルハーモニア管 マレー・ディッキー(T)
1964年 ヨセフ・カイルベルト指揮バンベルガー響フィル フリッツ・ブンターリッヒ(T)
1964年 ヨセフ・クリップス指揮ウィーンフィル フリッツ・ブンターリッヒ(T)
1966年 レナード・バーンスタイン指揮ウィーンフィル ジェームス・キング(T)
1959年盤はクレツキ指揮て有名ですが、音質がいまいち。1964年盤はDGなのにモノラルでクリップスの指揮による伴奏が評判を下げています。
ちなみに指揮をしている途中で亡くなったのはシノーポリが有名ですが、実はもう一人いてカイルベルトも心臓発作で倒れています。
となると決定盤は1966年のバーンスタイン盤。本来はニューヨークでマーラーを録音していた時期の物なんですが、契約の関係でDecca録音となり別立てになりました。
また、フィッシャーディスカウはバーンスタイン自身によるピアノ伴奏で1968年に歌曲集も録音したので、これらのバーンスタインとの仕事でマーラー録音史上の栄冠を勝ち得た感があります。
実際、男声と女声が交互に出てくる方が、聴いていて楽しいしコントラストもはっきりするので、バリトン歌唱はフィッシャーディスカウ以外は「なんかなぁ・・・」という感想になりやすい。アルト歌唱を凌駕しているのは、フィッシャーディスカウだけと言っても過言ではありません。
フィッシャーディスカウの「大地の歌」の初録音は、1959年。この曲では、アルトまたはバリトン、そしてテノールの二人が登場するので、バリトンのフィッシャーディスカウは、必ず男同士の組み合わせになります。正規盤は以下の3種類。
1959年 パウル・クレツキ指揮フィルハーモニア管 マレー・ディッキー(T)
1964年 ヨセフ・カイルベルト指揮バンベルガー響フィル フリッツ・ブンターリッヒ(T)
1964年 ヨセフ・クリップス指揮ウィーンフィル フリッツ・ブンターリッヒ(T)
1966年 レナード・バーンスタイン指揮ウィーンフィル ジェームス・キング(T)
1959年盤はクレツキ指揮て有名ですが、音質がいまいち。1964年盤はDGなのにモノラルでクリップスの指揮による伴奏が評判を下げています。
ちなみに指揮をしている途中で亡くなったのはシノーポリが有名ですが、実はもう一人いてカイルベルトも心臓発作で倒れています。
となると決定盤は1966年のバーンスタイン盤。本来はニューヨークでマーラーを録音していた時期の物なんですが、契約の関係でDecca録音となり別立てになりました。
また、フィッシャーディスカウはバーンスタイン自身によるピアノ伴奏で1968年に歌曲集も録音したので、これらのバーンスタインとの仕事でマーラー録音史上の栄冠を勝ち得た感があります。
実際、男声と女声が交互に出てくる方が、聴いていて楽しいしコントラストもはっきりするので、バリトン歌唱はフィッシャーディスカウ以外は「なんかなぁ・・・」という感想になりやすい。アルト歌唱を凌駕しているのは、フィッシャーディスカウだけと言っても過言ではありません。
2020年1月11日土曜日
Christa Ludwig, Rene Kollo, Herbert von Karajan BPO / Mahler Des Lied von der Erde (1974)
1958 フリッツ・ライナー指揮 シカゴ響
1964 オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管
1967 カルロス・クライバー指揮 ウィーン響
1970 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1972 レナード・バーンスタイン指揮 イスラエル・フィル
1972 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1974 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1983 ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィル
これは、すべてマーラーの「大地の歌」の録音です。このうち1970年と1972年のカラヤンは非正規盤と思われますので、正規盤は6種類です。
マーラーの録音を網羅するデイコグラフィを掲載しているネットのサイトから抜き出してみました。で、何? ということなんですが、すべてクリスタ・ルードヴィヒが独唱者として参加しているものなんです。
クレンペラーのものは、「大地の歌」としては不滅の名盤と呼ばれるもの。クライバーは、クライバー唯一のマーラー録音。
クリスタ・ルードヴィヒは1928年生まれですから、ライナーとの初録音は30才、最後のノイマンの録音時は55才です。
1970 ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン響
1970 ジョージ・セル指揮 クリーブランド管
1975 ベルナルド・ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管
1975 ルドルフ・ケンペ指揮 BBC響
1977 レイモンド・ルパード指揮 BBC北響
一方、こちらはジャネット・ベイカーが独唱する「大地の歌」で、1933年生まれなので、37才から44才までの歌唱を聴くことができます。ベストはハイティンクの盤でしょうか。
二人は60~70年代を代表するライバルのアルト歌手ですが、こうやって並べてみると、歌手と指揮者の組み合わせは重ならないものです。指揮者の好みもあるでしょうけど、レコード会社との契約の関係もありそうです。
マーラー録音で、この二人のどちらも起用しているのがバーンスタインなんですが、さすがに同じ声域の歌手ですから共演しているものはありません。同じセット内で二人の名前がクレジットされていものは、DGのシューベルト歌曲集のボックスとジウリーニのベルディ/レクイエムくらいではないでしょうか。
さて、本題はカラヤンなんですが、実はカラヤンもマーラーの演奏については消極的。避けて通れそうにないので、しかたがなく何曲かは録音しましたという感じ。それでも、カラヤン信奉者からはさすがカラヤンと褒め讃えられる。
自分はアンチ・カラヤンなので、基本的なスタンスとしてはほぼ無視。それで困ることはありませんが、マーラーについては有名なバーンスタインとの「喧嘩」の話が出てきます。
1979年10月に、バーンスタインが唯一残したベルリンフィルとの演奏がマーラーの第9番。その直後の11月に、俺様カラヤンが同じ第9番を録音したことで、バーンスタインは「泥棒のところには二度と行かない」とへそを曲げたというもの。
もっとも、これらの話は尾ひれがついて膨らんでいくので、どこまで本当かは当人だけにしかわかりません。ただ、上のリストを見ていて気がついたことがあります。
バーンスタインの「大地の歌」、最初の1966年の録音は男性歌手二人。カラヤンはいつもアルトにはクリスタ・ルードヴィヒを起用していましたが、男性歌手は別々。1972年の二度目のバーンスタインはルードヴィヒとテノールにルネ・コロを持ってきた(DVD映像と同じ音源)。
すると1974年のカラヤン正規盤での独唱者も、実は同じルードヴィヒとコロを起用しているんですね。はっきり言って、さして上手とは言いにくいコロをカラヤンがここで使う意味が、バーンスタインに対するライバル心以外には想像しにくいと思うんですよね。
ことマーラーに関しては、このあたりに二人の確執の根源があるように思えて、実に興味深い。クラシック音楽の世界には、シンガー・ソング・ライターみたいな人はほとんどいないので、演奏者によるレパートリーのかぶりは必須ですから、こういう話は日常的に起こりうることなんでしょうね。
1964 オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管
1967 カルロス・クライバー指揮 ウィーン響
1970 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1972 レナード・バーンスタイン指揮 イスラエル・フィル
1972 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1974 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1983 ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィル
これは、すべてマーラーの「大地の歌」の録音です。このうち1970年と1972年のカラヤンは非正規盤と思われますので、正規盤は6種類です。
マーラーの録音を網羅するデイコグラフィを掲載しているネットのサイトから抜き出してみました。で、何? ということなんですが、すべてクリスタ・ルードヴィヒが独唱者として参加しているものなんです。
クレンペラーのものは、「大地の歌」としては不滅の名盤と呼ばれるもの。クライバーは、クライバー唯一のマーラー録音。
クリスタ・ルードヴィヒは1928年生まれですから、ライナーとの初録音は30才、最後のノイマンの録音時は55才です。
1970 ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン響
1970 ジョージ・セル指揮 クリーブランド管
1975 ベルナルド・ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管
1975 ルドルフ・ケンペ指揮 BBC響
1977 レイモンド・ルパード指揮 BBC北響
一方、こちらはジャネット・ベイカーが独唱する「大地の歌」で、1933年生まれなので、37才から44才までの歌唱を聴くことができます。ベストはハイティンクの盤でしょうか。
二人は60~70年代を代表するライバルのアルト歌手ですが、こうやって並べてみると、歌手と指揮者の組み合わせは重ならないものです。指揮者の好みもあるでしょうけど、レコード会社との契約の関係もありそうです。
マーラー録音で、この二人のどちらも起用しているのがバーンスタインなんですが、さすがに同じ声域の歌手ですから共演しているものはありません。同じセット内で二人の名前がクレジットされていものは、DGのシューベルト歌曲集のボックスとジウリーニのベルディ/レクイエムくらいではないでしょうか。
さて、本題はカラヤンなんですが、実はカラヤンもマーラーの演奏については消極的。避けて通れそうにないので、しかたがなく何曲かは録音しましたという感じ。それでも、カラヤン信奉者からはさすがカラヤンと褒め讃えられる。
自分はアンチ・カラヤンなので、基本的なスタンスとしてはほぼ無視。それで困ることはありませんが、マーラーについては有名なバーンスタインとの「喧嘩」の話が出てきます。
1979年10月に、バーンスタインが唯一残したベルリンフィルとの演奏がマーラーの第9番。その直後の11月に、俺様カラヤンが同じ第9番を録音したことで、バーンスタインは「泥棒のところには二度と行かない」とへそを曲げたというもの。
もっとも、これらの話は尾ひれがついて膨らんでいくので、どこまで本当かは当人だけにしかわかりません。ただ、上のリストを見ていて気がついたことがあります。
バーンスタインの「大地の歌」、最初の1966年の録音は男性歌手二人。カラヤンはいつもアルトにはクリスタ・ルードヴィヒを起用していましたが、男性歌手は別々。1972年の二度目のバーンスタインはルードヴィヒとテノールにルネ・コロを持ってきた(DVD映像と同じ音源)。
すると1974年のカラヤン正規盤での独唱者も、実は同じルードヴィヒとコロを起用しているんですね。はっきり言って、さして上手とは言いにくいコロをカラヤンがここで使う意味が、バーンスタインに対するライバル心以外には想像しにくいと思うんですよね。
ことマーラーに関しては、このあたりに二人の確執の根源があるように思えて、実に興味深い。クラシック音楽の世界には、シンガー・ソング・ライターみたいな人はほとんどいないので、演奏者によるレパートリーのかぶりは必須ですから、こういう話は日常的に起こりうることなんでしょうね。
2020年1月10日金曜日
Kathleen Ferrier, Julius Patzak, Bruno Walter WPO / Mahler Das Lied von der Erde (1952)
1911年のマーラーが亡くなって半年した11月に「大地の歌」の初演が、ブルーノ・ワルターの指揮によって行われました。そのワルターは、その後「大地の歌」を度々取り上げたので、正規盤としてはこの1952年盤以外にも、1936年盤(VPO)、1960年盤(NYP)があります。
おそらく、一番有名なのが1952年のDecca盤。モノラルですが、音質は上々で、ウィーンフィルの伴奏を超える演奏の出来が素晴らしいように思います。
名盤とされる理由のもう一つは、キャスリーン・フェリアの歌唱によるところもあります。フェリアはこの録音の翌年に乳がんのために41才で亡くなっています。ただし、癖のある声質、歌い方なので好みは分かれるところかもしれません。
このレコードにケチをつけるとするなら、惜しむらくはテノールのパツァークがいまいちということ。二人の独唱者のうちテノールは固定で、もう一人はアルトまたはバリトンです。テノールのほうが歌唱時間は少ないのですが、必ず登場するので、テノールがしまらないと残念感が漂ってしまいます。
「大地の歌」の歌詞の内容については、当然、あらかた語られた話ですから、ここで詳細にコピペしても仕方がないので、簡単にしまする。中国の漢詩(主として李白)の意味を「こんな感じかな」というくらいに英語に翻訳したハンス・ベートゲの「中国の笛」がベースで、それをマーラーが曲に合うように適当に省略したりくっつけたりして改変したもので、各楽章の副題だけあげておきます。
第1楽章 大地の哀愁に寄せる酒の歌
第2楽章 秋に寂しき者
第3楽章 青春について
第4楽章 美について
第5楽章 春に酔える者
第6楽章 告別
全体的に生と死、友との別れなどがテーマになっているわけですが、特に注目するのが最後の最後、「大地に春が来て、花が咲き樹々は緑になる、永遠に 永遠に……」というところ。この「永遠に」のフレーズが、そのまま交響曲第9番の冒頭のフレーズにつながっていくということは押さえておきたいポイントです。
2020年1月9日木曜日
Christa Ludwig, Fritz Wunderlich, Otto Klemperer / Mahler Das Lied von der Erde (1964)
グスタフ・マーラーは、都市伝説のような「第9の呪い」というジンクスを信じていたらしいことはよく言われている話。
ベートーヴェンは交響曲第9番までを完成させました。ドヴォルザークもそうですし、マーラーに近い所で、ブルックナーも同じ。つまり、交響曲は第9番まで作るとその作曲家は死んでしまうということ。
兄弟の死、娘の死、そして自分の心疾患など、マーラーの人生には死の影が付きまとっていたのは事実ですし、実際作られた曲は生と死、そして死からの復活などのテーマが見え隠れしていることは否定できません。
「大地の歌」は、実際のところ交響曲第9番となるはずだったことは、タイトルにマーラー自身が「Symphony for 2 voices and orchestra」としたことから明らかですが、現実的には交響曲と呼ぶのには、あまりに形式的な違いが際立っています。
ベートーヴェンが完成させた交響曲という枠を、マーラーはベートーヴェンを超えるために壊し続けたというところがあります。「大地の歌」も普通に交響曲として発表しても、「あー、またマーラーがやった」という話になったろうと思いますので、実際のところマーラー自身が交響曲と呼ぶには無理があると思ったんではないでしょうか。
普通に考えれば、これはオーケストラ伴奏による6つの連作歌曲と呼ぶ方が普通。最後の第6曲だけが、伴奏を超えてオーケストラによる器楽曲部分が大きく占めているために、単なる歌曲とは呼びにくくなっているという感じ。
マーラーの交響曲全集という場合、番号のふられた第1番から第9番は必須ですが、未完の第10番は完成しているアダージョのみ、あるいは後年他人が補筆完成させた版で加えることは珍しくありません。
しかし、「大地の歌」は第10番よりも含まれる頻度は少ないように思います。やはり、全編にわたって歌唱がはいるため、全集としては異質な感じがあるということでしょうか。聴く側としても、当然歌手に耳がいくので、オーケストラは伴奏という感覚から離れられません。
ですから、「大地の歌」の名盤を探す時は、どうしてもまず名唱のものから探してしまうことになり、指揮者、オーケストラは二の次になりやすい。それでも、両者のバランスの良さで一番の名盤はというと、一般的に選ばれるのがクリスタ・ルードヴィヒ、フリッツ・ヴンダーリッヒという二大スター歌手にオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団という鉄壁のキャスティングで有名な演奏。
1964年の録音で、マーラー受容がまだ進んでいなかった時期であるにもかかわらず、さすがにマーラーからの直接の薫陶をうけたクレンペラーの演奏は、その後の演奏の規範となるもので、音質も悪くなく広がりのある優れたものと言えそうです。
二人の歌手も30代後半で、歌手として一番油が乗り切って歌声も張りがあります。第1曲で、最初のテノールの第一声は、この曲を聴くうえでカギになる重要なポイント。ヴンダーリッヒの突き抜ける澄んだ声は、いきなり聴く者を鷲掴みにする魅力にあふれています。
1964年の録音で、マーラー受容がまだ進んでいなかった時期であるにもかかわらず、さすがにマーラーからの直接の薫陶をうけたクレンペラーの演奏は、その後の演奏の規範となるもので、音質も悪くなく広がりのある優れたものと言えそうです。
二人の歌手も30代後半で、歌手として一番油が乗り切って歌声も張りがあります。第1曲で、最初のテノールの第一声は、この曲を聴くうえでカギになる重要なポイント。ヴンダーリッヒの突き抜ける澄んだ声は、いきなり聴く者を鷲掴みにする魅力にあふれています。
2020年1月8日水曜日
Dietrich Fischer-Dieskau & Karl Bohm / Mahler Lieder (1963)
カール・ベームも、20世紀後半を代表する指揮者の一人ですし、自分のクラシック愛好歴の中でも、一番目か二番目に買ったレコードがベームの第九だったということで、大変親しみは持っています。
オーストリア生まれで、その風貌から、冗談はまったく言わない通じない頑固親父というイメージ。実際にもそうだったようで、長く務めたウィーンフィルではその厳しさが恐れられるとともに、絶大な信頼もしていたそうです。
70年代の勢力図は、ベルリンのカラヤン、ウィーンのベーム、アメリカのバーンスタインの3巨頭で大方占めていたといっても過言ではないように思いますが、自分がマーラーそのものであるかの如く邁進したバーンスタインに比べて、ドイツ語圏の二人はマーラーに対しては積極的な取り組みをしませんでした。
ベーム自身は、マーラーの「直弟子」であったブルーノ・ワルターを敬愛していましたが、その一方でマーラーのライバル的な存在であったリヒャルト・シュトラウスの本人後任の継承者という立場であったこと、そして何よりもナチス統率化のドイツ語圏でマーラーらユダヤ系作曲家の音楽が禁止されたことも強く影響しているのかもしれません。
フルトヴェングラーと同じで、歌手フィッシャーディスカウにより、マーラーを再確認したのは随分と遅くの話で、完全に出遅れた感があり、もはやマーラーの音楽は理解の外であり、短く完結する歌曲のみにわずかな録音を残すのみです。
正規盤としては、1963年のフィッシャーディスカウにベルリンフィルと共に伴奏したDG盤のみがあります。ここでは「リュッケルト歌曲集」、「亡き子をしのぶ歌」が演奏それています。
ザルツブルク音楽祭の自主製作盤として、1962年にフィッシャーディスカウと「亡き子をしのぶ歌」、1969年にクリスタ・ルードヴィヒと「さすらう若人の歌」、1972年にクリスタ・ルードヴィヒと「亡き子をしのぶ歌」があります。海賊版で1978年のザルツブルク音楽祭でのイボンヌ・ミントンとの「亡き子をしのぶ歌」もあるようです。
実は、いずれも入手していないので、内容についてどうのと書くことはできませんが、フィッシャーディスカウはさすがの歌唱であり、ベームも伴奏としてうまくまとめ上げているという評判です。
いずれにしても歌曲伴奏だけで、残念ながら交響曲の録音はありません。まぁ、中途半端に手を出すことを良しとしなかったということでしょうから、頑固親父らしいということで納得しておきましょう。
いずれにしても歌曲伴奏だけで、残念ながら交響曲の録音はありません。まぁ、中途半端に手を出すことを良しとしなかったということでしょうから、頑固親父らしいということで納得しておきましょう。
2020年1月7日火曜日
七草
2020年になっても、まぁ、時代が変わりましたけど・・・
日本の伝統文化は、それなりに守れるものは守りましょう。
・・・と、いうわけで、今日は1月7日。いわゆる「松の内」は今日まで。正月飾りは今日まで。
そして、七草粥を食べる日ということになっています。
いまさらですが、春の七草と呼んでいるのは、
せり・なずな・ごぎょう・はこべ・ほとけのざ・すずな・すずしろ。
葉っぱの5つは、せりは芹、なずなは薺でいわゆるぺんぺん草、ごぎょうは御形で別名母子草、はこべらは繁縷、ほとけのざは仏の座。
すずなは菘でカブ(蕪)のことで、すずしろは蘿蔔で大根です。
美味しいものを食べ過ぎた胃袋を休めるという意味もありますので、簡単に実践できる文化なので、このくらいは継承したいものです。
2020年1月6日月曜日
Roger Norrington / Mahler Symphony #5 (2006)
突然ですが、ヨハン・セバスティアン・バッハの話。
今から遡ること300年前。バッハは毎週のミサで演奏するカンタータを作るのに大忙しで、限られた予算に文句を言いつつぎきりぎりの人数での演奏をし続けていました。
しかし、時代が変わり教会に集まった老若善男善女から、ホールに音楽を聴くために集まる人々に聴衆が変化し、より大きな音量が必要になって楽器も変わりました。
現代になって音楽が多様化してきて、昔のオリジナルの楽器の仕様を復元し300年前の実際の音を再現しようとする流れが古楽とよばれ、そのための楽器がピリオド楽器、それらの独特の演奏方法がピリオド奏法と呼ばれます。
バッハが今のような巨大なコンサートホールでの演奏を想定した曲を作っていなかったのは自明の事で、カラヤンの重厚なマタイ受難曲は、大型化し鈍重な編曲版みたいなものというのはもっともな話です。
バロック期の音楽を今のオーケストラが、今風の豊かな響きで演奏することが悪いわけではありませんが、一度古楽系の音を聴いてしまうと、本来の音楽の姿が明白になってくる感じがして、もう現代オケの演奏の「嘘」が鼻についてしまうのです。
18世紀以後、古典期には急速に楽器が進歩する過渡期にあたり、ベートーヴェンのピアノソナタも新しい鍵盤楽器を意識してどんどん変化していきました。シューベルトを経て、シューマンの時代、つまり19世紀なかばには楽器はほぼ現在の形に完成していますので、その扱い方も大筋で決定づけられたと言えます。
ですから古楽系のアーティストがアプローチするのは、ぎりぎりシューマンくらいまで。頑張っても、19世紀後半の最後まで古典派の枠内から出れなかったブラームスが精一杯。無理してピリオド奏法で押し通しても、現実的音楽としての良さが半減してしまう感じは否めません。
そこでマーラーなんですが、19世紀末から20世紀初頭が主な活動期間であり、普通に考えれば現代のオーケストラが現代の楽器で演奏すればいいはず。
いいばすなのに、それをピリオド奏法にこだわって演奏しているのがロジャー・ノリトン。古楽界の草分けの一人ですが、同時期から活躍するガーディナーよりも10歳ほど年上。ベートーヴェンの早すぎる第九は有名です。
ノリトンは、すでに第1、4、5、9番を手兵であるSWRシュトゥットガルト放送交響楽団とCDとして録音しています。発売されるたびに、マーラーをピリオド奏法で演奏する是非についての物議をかもしているわけですが、当然一定の理解者はいる。
最初にばらすと、さすがにマーラーに関しては一部のノリトン・マニアの絶賛を除いて、否定的な意見の方が大多数という状況のようです。
実際、ノリトンが自らマーラーをピリオド奏法で演奏することの正当性を表明しているんですが、その中心は弦楽器がビブラートをかけるかかけないかに絞られる。
ピリオド弦楽器はガット弦を使用し音の減衰が早く響きが多くありません。演奏会場の巨大化に伴い、より大きな音を出すため、倍音効果が出せより音の通りがよくなるビブラートは現代弦楽器奏者はほぼ100%当たり前のように使用するテクニックです。
ノリトンは1930年代以降にビブラートがしだいに使われ始め、20世紀初頭のマーラーの音楽では不必要なテクニックと断言しているわけですが、残っている資料・録音・録画などの物理的な資料から、必ずしもそうとは言えないことが証明されているようで、自らを強引に正当化していると言わざるをえない。
バッハの音楽を現代風に演奏することは可能だし、それが現代人の耳で名演と感じることはあっても良い話なので、逆にマーラーの曲を古楽として演奏することもあっていいのですが、それが「正しい」とするのはやり過ぎの感があります。
試しに、弦楽器が思いっきり歌う交響曲第5番第4楽章、有名なアダージェットで聴いてみると、バイオリンの旋律が一音一音はっきりしている。これは、途切れ途切れだからであって、旋律の流れが分断している感じでいただけない。
つまり、緩徐楽章では良く言えばあっさりした味わい(言い方を変えると透明感がある)、悪く言えば味も素っ気もないサウンドです。管楽器がメインの場所、あるいはもともとテンポの速めの場所では、ノンビブラートであることの違いがはっきりせず必然性が無いということ。
単にマーラーも頑張ってピリオド奏法でやりましたくらいの話にしておけば、「変なマーラー」の一つくらいですんだかもしれません。とは言っても、「バッハは古楽で」と思っている自分としては、こういうマーラーも許容できなくはないんですけどね。
今から遡ること300年前。バッハは毎週のミサで演奏するカンタータを作るのに大忙しで、限られた予算に文句を言いつつぎきりぎりの人数での演奏をし続けていました。
しかし、時代が変わり教会に集まった老若善男善女から、ホールに音楽を聴くために集まる人々に聴衆が変化し、より大きな音量が必要になって楽器も変わりました。
現代になって音楽が多様化してきて、昔のオリジナルの楽器の仕様を復元し300年前の実際の音を再現しようとする流れが古楽とよばれ、そのための楽器がピリオド楽器、それらの独特の演奏方法がピリオド奏法と呼ばれます。
バッハが今のような巨大なコンサートホールでの演奏を想定した曲を作っていなかったのは自明の事で、カラヤンの重厚なマタイ受難曲は、大型化し鈍重な編曲版みたいなものというのはもっともな話です。
バロック期の音楽を今のオーケストラが、今風の豊かな響きで演奏することが悪いわけではありませんが、一度古楽系の音を聴いてしまうと、本来の音楽の姿が明白になってくる感じがして、もう現代オケの演奏の「嘘」が鼻についてしまうのです。
18世紀以後、古典期には急速に楽器が進歩する過渡期にあたり、ベートーヴェンのピアノソナタも新しい鍵盤楽器を意識してどんどん変化していきました。シューベルトを経て、シューマンの時代、つまり19世紀なかばには楽器はほぼ現在の形に完成していますので、その扱い方も大筋で決定づけられたと言えます。
ですから古楽系のアーティストがアプローチするのは、ぎりぎりシューマンくらいまで。頑張っても、19世紀後半の最後まで古典派の枠内から出れなかったブラームスが精一杯。無理してピリオド奏法で押し通しても、現実的音楽としての良さが半減してしまう感じは否めません。
そこでマーラーなんですが、19世紀末から20世紀初頭が主な活動期間であり、普通に考えれば現代のオーケストラが現代の楽器で演奏すればいいはず。
いいばすなのに、それをピリオド奏法にこだわって演奏しているのがロジャー・ノリトン。古楽界の草分けの一人ですが、同時期から活躍するガーディナーよりも10歳ほど年上。ベートーヴェンの早すぎる第九は有名です。
ノリトンは、すでに第1、4、5、9番を手兵であるSWRシュトゥットガルト放送交響楽団とCDとして録音しています。発売されるたびに、マーラーをピリオド奏法で演奏する是非についての物議をかもしているわけですが、当然一定の理解者はいる。
最初にばらすと、さすがにマーラーに関しては一部のノリトン・マニアの絶賛を除いて、否定的な意見の方が大多数という状況のようです。
実際、ノリトンが自らマーラーをピリオド奏法で演奏することの正当性を表明しているんですが、その中心は弦楽器がビブラートをかけるかかけないかに絞られる。
ピリオド弦楽器はガット弦を使用し音の減衰が早く響きが多くありません。演奏会場の巨大化に伴い、より大きな音を出すため、倍音効果が出せより音の通りがよくなるビブラートは現代弦楽器奏者はほぼ100%当たり前のように使用するテクニックです。
ノリトンは1930年代以降にビブラートがしだいに使われ始め、20世紀初頭のマーラーの音楽では不必要なテクニックと断言しているわけですが、残っている資料・録音・録画などの物理的な資料から、必ずしもそうとは言えないことが証明されているようで、自らを強引に正当化していると言わざるをえない。
バッハの音楽を現代風に演奏することは可能だし、それが現代人の耳で名演と感じることはあっても良い話なので、逆にマーラーの曲を古楽として演奏することもあっていいのですが、それが「正しい」とするのはやり過ぎの感があります。
試しに、弦楽器が思いっきり歌う交響曲第5番第4楽章、有名なアダージェットで聴いてみると、バイオリンの旋律が一音一音はっきりしている。これは、途切れ途切れだからであって、旋律の流れが分断している感じでいただけない。
つまり、緩徐楽章では良く言えばあっさりした味わい(言い方を変えると透明感がある)、悪く言えば味も素っ気もないサウンドです。管楽器がメインの場所、あるいはもともとテンポの速めの場所では、ノンビブラートであることの違いがはっきりせず必然性が無いということ。
単にマーラーも頑張ってピリオド奏法でやりましたくらいの話にしておけば、「変なマーラー」の一つくらいですんだかもしれません。とは言っても、「バッハは古楽で」と思っている自分としては、こういうマーラーも許容できなくはないんですけどね。
2020年1月5日日曜日
Georg Solti CSO / Mahler Symphony #7 (1971)
アバドやレヴァインが客演してシカゴ交響楽団を鳴らしてマーラー録音をしていた時期、オケのボスだったのはサー・ゲオルク・ショルティです。
ショルティはカラヤン、バーンスタインらと同世代で、1969年に音楽監督にシカゴ響の音楽監督に就任し、70年代から80年代に黄金期を築き、今日までのオケの名声と商業的成功の基盤を作った功労者です。
ショルティの音作りは「シカゴ・サウンド」と呼ばれる特徴的な物で、楽器、特に金管楽器をよく鳴らすメリハリのあるもの。しばしば「健康優良児のような」と形容されます。慣例的に変えられている部分も楽譜通りに演奏するため、正確であることを「ショルティのようだ」と言われることがありました。
そんなショルティですから、当然強く楽譜指示を求め金管楽器の活躍の場も多いマーラーとの相性が悪いはずがなく、音楽監督就任後すぐの1970年の第5、6番を皮切りに十数年かけて交響曲全集を完成させ、現代のマーラー振りのパイオニアの一人に数えられます。
第7番は曲想として必ずしもシカゴ向けとは云い難いところはありますが、第5楽章のにぎやかはまさにシカゴ向けで、オケを鳴らすことにかけては第一人者のショルティの面目躍如の演奏。
アバドの場合は、楽譜を尊重しつつも、その行間を読み、書かれていない作曲者の音符を具体化させることで優美な音楽作りをする感じ。ショルティの書かれている音符通りにびしっとまとめあげるショルティとは、同じオケでも違った印象の音楽が出来上がるというのは大変面白い所です。
第7番は曲想として必ずしもシカゴ向けとは云い難いところはありますが、第5楽章のにぎやかはまさにシカゴ向けで、オケを鳴らすことにかけては第一人者のショルティの面目躍如の演奏。
アバドの場合は、楽譜を尊重しつつも、その行間を読み、書かれていない作曲者の音符を具体化させることで優美な音楽作りをする感じ。ショルティの書かれている音符通りにびしっとまとめあげるショルティとは、同じオケでも違った印象の音楽が出来上がるというのは大変面白い所です。
2020年1月4日土曜日
James Levine CSO / Mahler Symphony #7 (1980)
ジェームス・レヴァインというと、メトロポリタン歌劇場との関係が長いので、オペラの専門家というイメージが強いのですが、実際は普通の器楽曲も当然ながらレパートリーにしています。
ユダヤ系アメリカ人のレヴァインは1943年生まれで、アバドらとラトル、シャイーらの間を埋める世代で、70年代以後は、最近になって過去の不名誉なセクハラ問題解任されるまで、メトロポリタン歌劇場を主たる活躍の場としていました。
アバドはマーラー演奏の初期に、1976年から1986年にかけて、シカゴ交響楽団と第1、2、5、6、7番、リュッケルト歌曲集を録音しています。レヴァインは同時期にフィラデルフィア管弦楽団、ロンドン交響楽団、そしてシカゴと集中的にマーラーの交響曲を録音しています。
その中でシカゴ響とは、第3番(1975)、第4番(1974)、第7番(1980)の録音があり、アバドのシカゴ響との録音の曲目選択に少なからず影響したのではないかと想像します。その中では第7番がアバドと重なっています。
アバド指揮の演奏時間は、
21:20 - 16:35 - 8:53 - 14:00 - 17:42 (78:30)
一方、レヴァインの演奏時間は、
21:35 - 15:54 - 10:20 - 14:46 - 17:46 (80:21)
レヴァインの方がちょっと長めですが、だいたい同じくらいで、例のクレンペラーの100分越えに比べればいたって普通。
アバドの方が、明晰な音という印象を持ちましたが、アバドはDG、レヴァインはRCAという録音技術の違いはあり、どちらかというとDGの方が管楽器の音をクリアに収録しているのかもしれません。
テンポの変化による演奏時間の差以外では、こういう長い曲では楽譜と見比べながら一音一音をチェックしないと、細かい違いはなかなかわかりません。当然、そんな力量は持ち合わせていない。
あくまでも雰囲気でしかありませんが、アバドの方がめりはりを付けた、レヴァインよりも若々しい感じの演奏になっているように思います。つまり、アバドは延ばすところは延ばす、切るところは切るというのがはっきりしている。
しばしばアバドは楽団に好きにさせ過ぎるという評をされるのですが、この演奏に限って言えばレヴァインの方がそれに当たる。もちろん悪い演奏ということではありませんが、これはアバドの後出しジャンケンみたいなところかもしれません。
ユダヤ系アメリカ人のレヴァインは1943年生まれで、アバドらとラトル、シャイーらの間を埋める世代で、70年代以後は、最近になって過去の不名誉なセクハラ問題解任されるまで、メトロポリタン歌劇場を主たる活躍の場としていました。
アバドはマーラー演奏の初期に、1976年から1986年にかけて、シカゴ交響楽団と第1、2、5、6、7番、リュッケルト歌曲集を録音しています。レヴァインは同時期にフィラデルフィア管弦楽団、ロンドン交響楽団、そしてシカゴと集中的にマーラーの交響曲を録音しています。
その中でシカゴ響とは、第3番(1975)、第4番(1974)、第7番(1980)の録音があり、アバドのシカゴ響との録音の曲目選択に少なからず影響したのではないかと想像します。その中では第7番がアバドと重なっています。
アバド指揮の演奏時間は、
21:20 - 16:35 - 8:53 - 14:00 - 17:42 (78:30)
一方、レヴァインの演奏時間は、
21:35 - 15:54 - 10:20 - 14:46 - 17:46 (80:21)
レヴァインの方がちょっと長めですが、だいたい同じくらいで、例のクレンペラーの100分越えに比べればいたって普通。
アバドの方が、明晰な音という印象を持ちましたが、アバドはDG、レヴァインはRCAという録音技術の違いはあり、どちらかというとDGの方が管楽器の音をクリアに収録しているのかもしれません。
テンポの変化による演奏時間の差以外では、こういう長い曲では楽譜と見比べながら一音一音をチェックしないと、細かい違いはなかなかわかりません。当然、そんな力量は持ち合わせていない。
あくまでも雰囲気でしかありませんが、アバドの方がめりはりを付けた、レヴァインよりも若々しい感じの演奏になっているように思います。つまり、アバドは延ばすところは延ばす、切るところは切るというのがはっきりしている。
しばしばアバドは楽団に好きにさせ過ぎるという評をされるのですが、この演奏に限って言えばレヴァインの方がそれに当たる。もちろん悪い演奏ということではありませんが、これはアバドの後出しジャンケンみたいなところかもしれません。
2020年1月3日金曜日
Claudio Abbado CSO / Mahler Symphony #7 (1984)
マーラーに挑戦してみて、あらためて数カ月前の記事を読み直してみると、それなりに考え方が変わってきたように思います。
例えば第9番。ドラマのBGMみたいという感想を持ちましたが、その後一番聞き返したのは第9番で、何度も聞くうちに断片的で頭に入ってこなかったメロディがしだいに少しづつつながってきた。
何がというのを言葉で表現する文才が無いので、説得力のある理由を説明できないのですが、「あー、これがマーラーなんだ」という納得がいくようになりました。
作曲家がこの音楽を通して聴く者に伝えたいことは何かということは、意識するしないにかかわらず、人の心を動かす「芸術」というジャンルの文化では必然的に付きまとう命題です。
歌詞がある音楽では、それが言葉として直接的に伝わるという点で簡単ですが、マーラーを例を取れば、ドイツ圏の文化、そしてドイツ語を理解していない日本人としては真の理解は困難。
ましてや、タイトルが交響曲第××番というだけでは、いったいどんな音楽なのかはいっそう理解しにくいところがあります。
実は、マーラーの交響曲でしばしば話題にあがるのが標題の件。「巨人」とか、「復活」とか呼んでますが、最終的にマーラー自身が残した交響曲の標題は無い。
古い物ほど、研究によってマーラー自身が言葉や手紙などによって、その曲が表すものの解説が可能なので、そういう知識のもとで聴いてしまいますが、特に第9番は生前に初演されていないし、まして第10番は未完成で、解説するための手掛かりがたいへん少ない。
マーラーが標題を付けなかった、あるいは除いてしまったのは、標題から来る特定の固定されたイメージを避けたかったということに他ならない。それは、何を感じるかは聴く側に委ねられるということになりますし、マーラーはそんなことは百も承知だったはず。
演奏方法を事細かに指定して、自分の音楽を勝手な解釈で変更されないようにしていたマーラーですから、本来は聴く側に伝えたかったこと、または音楽から聴きとるべきものははっきりしていたはずです。つまり、標題を付けないことで、それを感じ取る感性を聴衆に要求しているわけで、その点が聴く者を選ぶ音楽なのかもしれません。
さて、そこで交響曲第7番なんですが、これは一般的に「夜の歌」あるいは「夜の音楽」という標題が付くことが一般的ですが、当然これもマーラー自身が付けた標題ではありません。
あくまでも、第2楽章と第4楽章に、それぞれ「Nachtmusik 」という副題がついているために、交響曲全体を通して「夜の音楽」と呼ぶのは明らかに間違い。ましてや「夜の歌」はもっとダメ。
一般的にマーラーの交響曲の中で一番人気が無く、時には失敗作とまで言われている理由の多くは、夜に聴く音楽、あるいは夜を表した音楽と想像するところから、全体のバランスの悪さ、特に最終楽章のどんちゃん騒ぎが納得できないところによるものと思います。
全5楽章を昼-夜-昼-夜-昼、明-暗-明-暗-明、または陽-陰-陽-陰-陽、厳-優-厳-優-厳とか、何でもいいのですが強いコントラストの違いを際立たせる構成と考えると、あっさりと違和感が消えていく気がしました。
実際は、反意語を並べただけの単純な対比ではありませんが、偶数楽章の夜から来るイメージは固定され、奇数楽章はそれとは違うあらゆるものが表現されたということでしょうか。
少なくとも、最終楽章のまるで勝利を高らかに宣言しているかのような威勢の良いティンパニーから始まり、高らかに鳴り響く管楽器による出だしは、その後それをあざ笑うような旋律に取って代わられ、両者が入れ代わり立ち代わり登場しながらフィナーレに向かう感じ。
アバドの演奏では、最初のシカゴ響との演奏は若く威勢が良い面が目立つかもしれませんが、アバドらしいマーラーを尊重した堅実な演奏です。全体にベルリンフィルとの演奏より、後にもたくさんの名演を残しているシカゴ響との演奏は、新鮮な響きが感じられて好感が持てます。
当分は第7番をいろいろと掘り下げてみたい気がしています。
例えば第9番。ドラマのBGMみたいという感想を持ちましたが、その後一番聞き返したのは第9番で、何度も聞くうちに断片的で頭に入ってこなかったメロディがしだいに少しづつつながってきた。
何がというのを言葉で表現する文才が無いので、説得力のある理由を説明できないのですが、「あー、これがマーラーなんだ」という納得がいくようになりました。
作曲家がこの音楽を通して聴く者に伝えたいことは何かということは、意識するしないにかかわらず、人の心を動かす「芸術」というジャンルの文化では必然的に付きまとう命題です。
歌詞がある音楽では、それが言葉として直接的に伝わるという点で簡単ですが、マーラーを例を取れば、ドイツ圏の文化、そしてドイツ語を理解していない日本人としては真の理解は困難。
ましてや、タイトルが交響曲第××番というだけでは、いったいどんな音楽なのかはいっそう理解しにくいところがあります。
実は、マーラーの交響曲でしばしば話題にあがるのが標題の件。「巨人」とか、「復活」とか呼んでますが、最終的にマーラー自身が残した交響曲の標題は無い。
古い物ほど、研究によってマーラー自身が言葉や手紙などによって、その曲が表すものの解説が可能なので、そういう知識のもとで聴いてしまいますが、特に第9番は生前に初演されていないし、まして第10番は未完成で、解説するための手掛かりがたいへん少ない。
マーラーが標題を付けなかった、あるいは除いてしまったのは、標題から来る特定の固定されたイメージを避けたかったということに他ならない。それは、何を感じるかは聴く側に委ねられるということになりますし、マーラーはそんなことは百も承知だったはず。
演奏方法を事細かに指定して、自分の音楽を勝手な解釈で変更されないようにしていたマーラーですから、本来は聴く側に伝えたかったこと、または音楽から聴きとるべきものははっきりしていたはずです。つまり、標題を付けないことで、それを感じ取る感性を聴衆に要求しているわけで、その点が聴く者を選ぶ音楽なのかもしれません。
さて、そこで交響曲第7番なんですが、これは一般的に「夜の歌」あるいは「夜の音楽」という標題が付くことが一般的ですが、当然これもマーラー自身が付けた標題ではありません。
あくまでも、第2楽章と第4楽章に、それぞれ「Nachtmusik 」という副題がついているために、交響曲全体を通して「夜の音楽」と呼ぶのは明らかに間違い。ましてや「夜の歌」はもっとダメ。
一般的にマーラーの交響曲の中で一番人気が無く、時には失敗作とまで言われている理由の多くは、夜に聴く音楽、あるいは夜を表した音楽と想像するところから、全体のバランスの悪さ、特に最終楽章のどんちゃん騒ぎが納得できないところによるものと思います。
全5楽章を昼-夜-昼-夜-昼、明-暗-明-暗-明、または陽-陰-陽-陰-陽、厳-優-厳-優-厳とか、何でもいいのですが強いコントラストの違いを際立たせる構成と考えると、あっさりと違和感が消えていく気がしました。
実際は、反意語を並べただけの単純な対比ではありませんが、偶数楽章の夜から来るイメージは固定され、奇数楽章はそれとは違うあらゆるものが表現されたということでしょうか。
少なくとも、最終楽章のまるで勝利を高らかに宣言しているかのような威勢の良いティンパニーから始まり、高らかに鳴り響く管楽器による出だしは、その後それをあざ笑うような旋律に取って代わられ、両者が入れ代わり立ち代わり登場しながらフィナーレに向かう感じ。
アバドの演奏では、最初のシカゴ響との演奏は若く威勢が良い面が目立つかもしれませんが、アバドらしいマーラーを尊重した堅実な演奏です。全体にベルリンフィルとの演奏より、後にもたくさんの名演を残しているシカゴ響との演奏は、新鮮な響きが感じられて好感が持てます。
当分は第7番をいろいろと掘り下げてみたい気がしています。
2020年1月2日木曜日
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