2016年5月31日火曜日

立ち飲み酒場


最近、勤め帰りでチョイと一杯なんて時に人気なのが立ち飲み酒場らしい。

「俺の・・・」シリーズの店が、人気の先駆けだったのかもしれません。席がないので、入るのも出るのも気兼ねがいらないカジュアルなところが受けているようです。

自分のイメージだと、会社の最寄り駅のガード下にある、汚いのが風情みたいな飲み屋が、勤め帰りのそういう需要をこなしてきたと思います。それは、たいていホルモン焼きだったりして、ネクタイを緩めたおじさんたちが上司の悪口や、いろいろな愚痴をこぼす場所みたいな・・・

今どきの立ち飲み酒場は、ずいぶんと明るいしモダン。お客さんもあか抜けているし、そもそも女性客がけっこういたりするわけで、こんなところにも時代がずいぶんと変わったと思わせるところ。

残念ながら、自分の今の行動範囲の中には、こういう店はありませんし、あったとしても行く時間もない。だからといって、わざわざ出かけて行くところとも思えない。

面白そうだとは思うのですが、無縁の世界なのかもしれませんね。


2016年5月30日月曜日

桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿


盆栽を始めた・・・といっても、ほとんど枯れないように水やりをしているだけで、ほとんど並べて喜んでいるだけ。普通に鉢花を育てているのと、ほとんど差異はありません。

盆栽とは、「鉢の中に植物を使って自然の景観を描き出す」ものらしい。ただ植物を育てているのとは違って、一定の意図をもって、人工的にいじることで、鑑賞に堪えるだけの芸術的な創造物・・・ということになっているらしい。

ですが、駆け出しの初心者にそこまでのことは到底できないし、いろいろ調べてみればみるほど、さすがに奥深きものがあります。よく「波平の趣味」と呼ばれ、年寄りの楽しみみたいなイメージがありますが、 なかなかどうして侮れない。

とりあえず、枯らさないことが最低の目標でしょうから、来年の春にまた桜が咲いていればOKということで、当分は水と肥料、ときどき殺虫剤散布などの基本的な手入れだけ怠らないようにがんばりたいと思っているわけです。

でも、よくわかっていなにも関わらず、どうしてもやらないといけないのが剪定という作業。ちっぽけな鉢の中で育てているわけですし、一定の形を保つことが求められるわけですから、ただ大きくなるのにまかせて枝ぼーぼーで葉が生い茂るのに任せているわけにはいきません。

そこで、出てきたのが「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」 という故事。とりあえず、花物の盆栽の代表みたいな桜と梅の選定についての基本のお約束を言い表したものらしい。

桜はほとんど剪定する必要はないらしいのですが、梅は放っておくと無駄な枝が増えてしまうので、きちんと枝芽と花芽を見極めてきちんと選定をしろということだそうです。

うーん、何だか難しいことになさてきた・・・と素人は考えるわけですが、まぁこの辺りをちゃんと理解してやれるようになれば、本当に盆栽が楽しくなってくるのかもしれません。

何しろクリニックの待合室の窓辺に並べていますから、最近は、患者さんの中にも楽しみにしてくださる方も出てきています。あんまりみっともない鉢になると面目ないので、何とかうまく無手入れをしたいと・・・少なくとも気持ちだけは持っているのでした。

2016年5月29日日曜日

Oscar Peterson / My Favorite Instrument

オスカー・ピーターソンは、日本では比較的人気があったジャズ・ピアニストでした。来日も多かったのもあるのでしょうが、ジャズ好きでない人にも比較的聴きやすい企画ものが多かったせいもあるかもしれません。

そのかわり、と言うのもなんですが、ジャズの世界では評価が低かったことは間違いない。あれは、一般向けの人気を狙ったもの・・・とか、ジャズ初心者向け・・・とか、単なる速弾きの曲芸みたいだ・・・とか。ジャズの巨人と呼ばれる存在よりも、数段低く見られがちだち思います。

一つには、黒人ですがカナダ出身ということが関係があったかもしれません。ジャズの本場、アメリカからするとよそ者という見られ方は少なからずありそうです。

また、スイング末期から活動が始まり、メインストリームとなった対抗勢力だったニューヨークのバップ系のミュージシャンとの共演があまりない。その後も、比較的ヨーロッパでの活動が多かったというのもあるかもしれません。

しかし、スイング・ジャズで培った、強力なスイング感は他の追従をゆるさないものがあり、とにかく聴いていて楽しい。文句なしにのりのりになれるし、鍵盤をフルに使い切る音域の広さと強靭な打鍵は魅力的です。

音楽ですから、聴いて楽しいというのは基本中の基本。ピーターソンの楽しさは、ビル・エバンスには無く、同じジャズ・ピアニストというくくりの中でも異質のものです。日本などで人気だったのは、外国から見ると、ジャズはこうだ、というこだわり無しに単純化して聴くことができたからかもしれません。

名盤と呼ばれるアルバムは活動歴が長いのでたくさんありますが、自分の勝手な好き嫌いでチョイスすると、初期のVerveの中からは今でも人気の高い"We Get Requests"、そしてオリジナルで占められた"Canadian Suites"、文句なしに楽しさが頂点に達する"Blues Etude"といった60年代なかばのものが多くなります。

思い出深いどれか一枚を選ぶと、1968年にドイツに渡ってMPSで録音した一枚、"My Favorite Instrument Vol.4"になるんです。これは、ジャズを聴きだして間もない十代に買った、初めてのピアノ・ソロのアルバムでした。

とにかく、ソロとは思えないダイナミック感、強烈なビートとスイング感。何となく聞き覚えがあるスタンダードばかりだったのもあると思いますが、とにかくその楽しさはジャズの魅力を伝えて余りあるものだったと思います。

確かに初心者にまず聴かせるものとしては、これほどジャズの楽しさを知らせることができるものはなかなか無い。そして、ジャズを聴けば聴くほどにピーターソンの魅力もまた増していくと思います。ときどき、ここに戻ってきたくなる「家」みたいな所なのかもしれません。




2016年5月28日土曜日

趣味は何ですか


趣味は何ですか? という質問は、初めての方と、とりあえず会話を開始するのには無難なもの。

たいていは、音楽や映画鑑賞です、とか・・・読書です、というような文系の答えか、サッカーや野球ですのような体育会系の答えがかえってくるもの。あまり、理系の答えにぶつかることはないですよね。

自分の場合も、仕事は理系のはしくれですけど、趣味となると基本はインドア派で、音楽・映画・読書・写真みたいになってしまう。少しだけ理系がかぶるのが、パソコンいじりですが、昔と違って中身をいろいろいじることは、最近のパソコンではほとんどできなくなってきました。

そもそも、趣味っていうのは、おそらく純粋には生きていくには必要がないもの。自分が興味があって、それについてもっと知りたい、あるいはやってみたいと思うものですが、あればあったで何となく人生は豊かになる・・・ような気がします。

毎日、ひたすら生きていくためだけに仕事だけをしているのでは、あまりにもつまらない。遊びやゆとりがあって、そこで気分転換をしてこそ本業に精が出せるというものです。

もっとも、そんなことを考えるのは人間の特性。野生の動物たちは、生きていくのに必死で、そんな趣味みたいな余計なことをする暇があったら、次の行動に備えて体力を温存する方を選ぶんでしょう。

人間は、生きていくことには直接関係のないことに欲望を持つことで、より人間らしく・・・あるいは人間臭くなっていくのかもしれません。趣味が多彩ということは、人間としては面白みが増すことになるんでしょうね。

2016年5月27日金曜日


花が咲くと、蜜を集める蜂たちが活気づく頃ということになります。

この時期は、どこでもツツジが満開ですけど、一匹の蜂がせっせと蜜集めをしていました。

そもそも、蟻は蜂の仲間だって知ってました? いやぁ、そういわれれば羽が有るか無いかの大きな違いはありますが、確かに似ている。考えたこともなかったわぁ。

この蜂、丸っこい。こういうのが、クマンバチと呼んでいるやつか・・・と、思ったら、これも間違い。

クマンバチというのは、スズメバチの別名として使われることが多いようです。大型で丸っこいのはクマバチと呼ぶのが正しい。

でも、どうも、こいつはクマバチでもなさそう。クマバチは、体長2センチ以上。これは1センチくらい。クマバチは胸が黄色で、腹は黒。これは、胸が黒で、腹が黄色。

後足が黄色で特徴的のように思いますが、ネットで調べてもよくわかりません。この蜂の名称は何なんでしょうか。う~ん、気になる。

2016年5月26日木曜日

ハルかヒメか


いや、別に・・・ユーミンを責めるつもりは無いのですが・・・1978年のアルバムに「ハルジョオン・ヒメジョオン」という歌が入ってますよね。これって、違うだろうって、つい思ってしまうわけ。

ハルジオン、ヒメジオンじゃないのかと・・・で、実際のところあまり深く考えたことはなかったんですけどね。

ところが、どうもユーミンも自分も間違っているらしい。

ハルジオンとヒメジョオンが正しいようですね。いやはや、またまた無知をさらけ出してしまいましたが、普段そこらに何気なく雑草の仲間のような扱いをされる植物ですから、あまり意識したことがありませんでした。

漢字だと、春紫苑と姫女苑と書く。この二つの違いを解説してくれるサイトはいろいろあるので、細かい話はそちらにお任せするとして・・・この写真はどっちだろう?

実際には、交雑することもあるらしく、中間種もあるらしいので見分けは必ずしも簡単ではないようです。

つい最近見かけて写真を撮りましたけど、時期だけでいうならハルジオンということになりそう。でも、花びらの雰囲気はヒメジョオンです。葉の茎への付き方を見ても、ヒメジョオンっぽい。

どっちでも自分が生きていく上には関係なさそうなことがらですが、ちょっと気になると白黒をはっきりさせたい性分。茎の断面を確認すれば確定できるようですが、ちょっと近寄りにくい場所でしたので、そこまではやめておきます。

2016年5月25日水曜日

Enya / Dark Sky Island

癒し系歌姫の大本命といえば、全世界的にエンヤ・・・ただ、そんな安っぽい説明で片づけることができない、独自のenya world。

自分とほぼ同世代で、アイルランド出身です。1986年デヴューで、すでに30年のキャリアがあるにもかかわらず、大変手間のかかった作品作りをしているために、一作にかける時間はかなり必要なようで、今までに出されたアルバムは9枚。

昨年末の新譜が"Dark Sky Island"で、実に前作から7年ぶり。多重録音によるenya自身の重厚なコーラスと、アコースティック楽器を基調としてシンセサイザーをさりげなく多用するサウンド、さらに音楽空間の広がりを増すエコーを多用した音作り・・・独自のenyaらしさが目一杯詰まっていました。


別の面からみると、似たような音楽ばかりという感じ方もあるわけで、もしも毎年のようにアルバムが出ていたら飽きられてしまうかもしれません。数年ごとに、そろそろenyaを聴きたいなと思う頃に、新譜が出てくるこのペースは、聴く側の波長とも合っているかもしれません。

とにかく、どうのこうのと批評するような必要は無い、ただただ目を閉じてenyaの世界に入り込むだけで、気持ちが落ち着くわけです。何かとんがったことがあっても、enyaの音楽を聴くと、気持ちが落ち着いて優しい感覚に包まれる。

最先端のテクノロジーを多用しているのに、まったくそれを感じさせないナチュラルなイメージを作り上げている一番のポイントは、やはりenya自身の声質にあるんだと思います。女性としては低域で、わざとらしいビブラートは使わず、とても安心する安定感があります。

今回は、新作までの期間がさらに長かったので、こちらもenyaのペースに合わせて、少しずつ長く長く楽しみたいと思います。

2016年5月24日火曜日

政治家の品位

連日、これでもかって感じで、東京都知事の話題がテレビで取り上げられています。

他に伝えるべき大事なニュースはないのかという思いもあるんですが、それにしても次から次へと出てくる、あまりに低級な話にあきれ果ててしまいます。

せっせと、ほじくりだすメディアもメディア、それにも増してほじくられていじられるネタが満載の都知事も、いい加減にせいと言いたくなります。

政治家というのは、民主主義のはずの日本では、一定の地域を代表してそこに居住する一般市民が選んで彼らの声を代弁する人・・・のはず。

政治家もまた市民の一人ですから、当然一定の個人的な権利は有していることは当然ですが、選ばれて一般市民にはない特権も与えられているわけですから、そこに付加的な制約があるのはしょうがない。

今回のようなスキャンダルは、明らかに公私混同の極みのような話で、特権を私的に行使したものと言わざるを得ません。特権を利用することは、それをきちんと開示して説明する責任がある。

政治資金というのはあいまいで、公私の線引きをはっきりするのは難しいことはわかるような気がしますが、法的責任が無いからといって許されるわけではなく、道義的責任は逃れることはできません。

妻の妊娠中に不倫をして辞職した議員とか、国会を休んで不倫旅行していた厚化粧議員とか・・・とにかく、それに比べれば罪に問われましが、確かに田中角栄のような人物の方が政治家としてはましなんでしょう。

政治家の評価は政治力を用いて何をしたかで決まるんだと思いますが、するべき何かは一般市民に恩恵があることのはず。もちろん、それがすべての市民にというわけにはいかなくて、一部には不利益になることは多数決社会ではしょうがない。

最近の、これらの政治家のスキャンダルは、政治家として評価する以前、人としてどうなのというレベルのことばかりで、もはや政治家の品位も地に落ちたとしかいいようがない。

一般市民は、選挙で政治家を選ぶ権利と選ばない権利があるのですが、実際に政治活動であまりにも問題がある場合には、選んだ以上は途中でもやめさせる責任もあるはずです。

選挙権の年齢を引き下げるのもいいんですけど、そういうやめさせる権利も持っていてもいいんじゃないかと思ってしまいます。

2016年5月23日月曜日

臼井先生

医者になって30年・・・って、ずいぶんと長いことやっているようですが、大学に残って入れば教授・・になれるわけもなく、今はしがない開業医。

まぁ、うちの父も開業での内科医でした。そういう父を見て育ったせいか、一人一人の患者さんと向き合って、自分が取得してきた医術を実践したいということで、大学よりも開業医の方が向いているんだと思います。

最初は卒業した大学で研修医をスタートさせ、ここではあちこちの出向もあり、いろいろな勉強ができました。次は東京女子医科大学にうつり、ほぼ関節リウマチだけという環境で専門性の勉強。ひして開業して、10年を過ぎたわけですが、もちろん何人かの恩師と呼べる先輩がいるわけです。

最初は、卒業した大学で入局を許可して下さった、当時の教授だった今井望先生。初めての出向で、医療の実践をいろいろ教えてもらった寺田洋先生(若くして亡くなられて、本当に残念でした)。そして、女子医にひっぱってくれた戸松泰介先生。これらの先生のお陰で、今の自分があることは間違いありません。

そして、もう一人、忘れてはいけないのが、臼井宏先生です。

臼井先生は、卒業した大学で当時は講師をされていて、股関節が専門でした。自分が股関節を中心にしていなかったので、直接的なボスではなかったのですが、臼井先生は中間管理職みたいなもので、若手の教育に深く関係していました。当時のスタッフの中では、最も理論家で、技術的にも優れた先生なんです。

何しろ外傷が多い大学病院でしたので、ぐちゃぐちゃの症例が多くて、若手には経験不足でどうしていいかわからないような患者さんがたくさんいました。

そういう時に、真っ先に相談し、手術も手伝ってもらうのが臼井先生。おそらく、次から次へと相談されて、こんなこともできないのかと毎日憤りを感じることだったと思います。

臼井先生が助手に入ってくれることは、若手には大変心強いのですが、術中の「これ何」攻撃はすさまじかったものです。皮膚を切った後に次から次へと出てくる解剖学的構造を次から次へと何かと質問してくるので、事前の勉強は手を抜けません。中には、臼井先生が入ると緊張のあまり固まってしまう医者もいたほどです。

高齢者に多い股関節近くの骨折の手術では、通常ならレントゲンの透視を見ながら位置を決めて金属の固定具を挿入するのですが、ある時、臼井先生に透視を使うなと言われました。

透視を使うということは、患者さんの被爆量が増えると同時に、自分もたくさん被爆することになるのだから、レントゲンの使用量はできるだけ少なくするという理由からです。

これは、体の立体的な構造がイメージできて、骨折がどのような向きにずれているかなどを正確に把握しておくことができないと難しい話です。ポイントでだけ通常のレントゲン写真を撮影して確認するだけというのは、なかなか勇気がいることなんです。

何があってもリカバーできる自信があるから、若手の医者にそういう無理難題をやらせることができるわけで、臼井先生の実力たるやものすごいものがあるというものです。

その後、初めて自分が一人医長として出向した時は、臼井先生は大学を辞められていて、比較的近くの病院に勤務されていました。自分も一人だけで、自分のやっていることがいいのか悪いのか不安を感じることも多々あったので、臼井先生のいる病院に出かけて行って症例検討会をやらせてもらいました。

同じように臼井先生を信頼する数人が集まる会になって、ここでも知らないことがまだまだたくさんあることを指摘され、本当に勉強になったものです。

その後、臼井先生は東京医療センター副院長、村山医療センター院長を歴任され、 数年前に定年を迎えられたと思います。ネットをいろいろ探してみると、今は岩手県で、診療を続けているらしい。

手術の実際の手技、医者としての心構えなど、臼井先生から教わったことはたくさんあって、そのどれもが本当に大切なことばかりでした。おそらく、勤務した先々でたくさんの臼井信者が生まれていることだと思います。

開業して手術はしなくなりましたが、今後の臼井先生の教えは、しっかり守ってやっていきたいと思っています。

2016年5月22日日曜日

JAZZは死んだ

JAZZは死んだ・・・という評論家諸氏の発言は、70年代から始まったと思います。

特に昨年亡くなった相倉久人が1970年に評論したことは、特に有名。相倉は、それまで日本のジャズに対して様々な関わりを持っていました。

もともとアメリカ黒人のゴスペル、ブルースなどから発祥し、ディキシー、スイング、バップ、ハードバップなどの言葉であらわされるジャズの歴史があります。その中で、いかに自由にアドリブを行うかがメインの軸にありました。

70年代にジャズが大きく変わったのは、まず60年代なかばからのフリージャズの台頭がある。自由な演奏表現の行きつく先は、調性や拍子といったすべての制約を取り払うこと。これはジャズに限ったことではありません。

ばっきり言って、自分はこういう芸術表現はほぼ受け付けない。爆発的なエネルギーはあるんでしょうが、ほぼ音の公害に近い感覚でしか耳を傾けられません。

保守的な考え方なんでしょうけど、一定の枠があってこそ様々な人が共感できる感情が湧いてくる、つまり美しいと思えるような「常識」が生まれてきます。枠を取り払うと自由になれるのですが、それは常識の無くなった世界で、極論すれば自己満足だけしか残らない。

もう一つの大きな要素は、電気楽器の導入とロック化。電気楽器により、音作りのバリエーションが増え、そして大音量化が進みます。生の音が中心だと、演奏の場は比較的狭い空間に限られ、それはダンス・ホールであったり、クラブであったりしました。

大音量化により、コンサート・ホールへ進出すると、より多くの人々に聴いてもらえるわけですが、それは大衆化にもつながる。より受ける音楽が評価され、演奏者の個性が失われていくことにもつながる。

実は、それぞれの道を作った張本人の一人とされるのは、自分が大好きなマイルス・デイビスとジョン・コルトレーンであることは間違いない。

コルトレーンは、マイルスらから教わった自由なアドリブの極限を目指し、どんどん演奏時間は長くなり、音楽的な枠組もどんどん無くしていきました。 完全なめちゃくちゃの一歩手前まで到達していたと思いますが、音楽として成り立つ範囲を逸脱する前に短命で亡くなりました。

マイルスは、60年代なかばからのフリー・ジャズには乗り気になれなかった。彼は、電気楽器を導入し、ロック化していきます。確実に、当時のロック小僧にも受けたわけで、自分の場合も、たぶん73年ころだと思いますが、初めて聴いたマイルスは大人のロックだと思いました。

ジャズの巨人と呼ばれる二人は、ジャズを大きく変えていく原動力になったからこそ巨人なのですが、その変革がジャズそのものが「死んだ」かのように思えるほどにまで行きついたということなんだと思います。

これはあくまでも、60年代までの伝統的なフォームにのっとったジャズと呼ばれる音楽から比べての話。60年代までのマイルスは確かにジャズと呼ばれても違和感が無いのですが、"Bitches Brew"以降のマイルスは、「マイルス・デイビス」というジャンルで呼ばれるのが相応しい。

伝統的なかつてのジャズへの要望はその後も絶えず、その一つの現れはV.S.O.P Quintetでした。ハービー・ハンコックが、まだジャズだったころのマイルスを再現するバンドとして、70年代末から80年代前半にかけて活動し大きな人気を得たのです。

その後も伝統的なジャズを演奏する新人は登場していますが、残念ながら、もはやかつてのほとばしるようなエネルギーを感じることができるものには巡り合えていません。

社会が変わったからと言ってしまえばそれまでですが、もはやジャズは古典芸能のような扱いをされていますし、実際自分もそういう聴き方になっている。ジャズを楽しむということは、マイルスだけでも足りてしまいます。

そこへ、フリー化していく前のコルトレーン、頑なにスタイルを固定化させたビル・エバンスを加えれば、もうこれ以上望むべくもない。

やはり、自分にとっては「JAZZは死んだ」と思います・・・残念ですが。

2016年5月21日土曜日

音楽好きのルーツ


音楽は好きです。もっとも、あくまでも聴く方です。

ちょっとは、ピアノは弾けますが、黒鍵が入るとだめ。ギターも少し。高校生の頃は、バンドでドラムを叩いていました。でも、どれをとってもかじっただけで、とても人に聴かせるレベルではありませんでしたし、今となってはもう何年もまともに楽器を触っていません。

喉にはまったく自信はなく、音痴ではないと思いますけど、声がまったく出ない。それもあってか、カラオケは昔から大の苦手。極力静かにして、番が回ってこないことだけをひたすら祈っていました。

聴くだけなら、もう無節操といわれても否定できないくらい、何でもOKです。歌謡曲、演歌、ポップス、フォーク、ニュー・ミュージック、Jポップ、ロック、ジャズ、クラシック、ラテン、ソウル・・・

そもそも、そのあたりのルーツは、たぶん父親と上村くんの影響が大きい。

父親も音楽を聴くのは大好きな人だったので、50~60年代の歌謡曲の他に、越路吹雪のレコードもありました。一応、シャンソン歌手として分類されるのでしょうが、もともとフランスの歌に日本語の歌詞をつけて歌うことが多かったんだと思います。

上村くん・・・って、小学校の同級生でしが、彼の家にはものすごいステレオ装置があって、今だと普通の家では大きくても40インチ台のテレビなのに、いきなり60インチ以上のものが置いてある感じ。

カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、そしてビートルズも彼から教わった。さらに、上村くんは自分でクラリネットを吹いていたので、クラシック、例えばモーツァルトのクラリネット五重奏なんかも教えてもらったし、ジャズで北村英二も聴かせてくれました。

その上村くんが河合楽器に出入りしていた関係で、自分も河合楽器のレコード売り場で、顔パスで2割引きという恩恵を受けることになったので、なんかずいぶんとレコードをたくさん買うことができました。

天地真理、山口百恵のアイドル系だけでなく、石川つゆり、小林幸子の演歌、ポップス、ロック、クラシックなどなど取り混ぜて買うことができたので、現在の何でもありの下地ができたんでしょうかね。

2016年5月20日金曜日

幸楽苑 @ 荏田


今や「国民食」と呼ばれ、こだわり抜いたいろいろな進化した味が楽しめるラーメン・・・自分がこどもの頃は、ラーメンといえば醤油、鶏がらのあっさりしたものしかなかったわけで、どんなに変わったものを食べても、基本形として確固たる地位をキープしています。

そういう「懐かしい」味を思い出せるのが揚州商人なんですが、もうひとつ「昔ながら」の味にこだわる古くからのお店が幸楽苑です。もう、完全にチェーン店化していて、単なる安いラーメン店というイメージがつきまとうので、近くにあったのに今まで行ったことがありませんでした。

何を思い立ったか、ついに味を確かめることになったんですが、ラーメン屋と言えば、「ラーメン、チャーハン、ギョーザ」は三種の神器みたいなもの。これを食べずして語ることはできません。

チャーハンは合格。こういう味って、どうしても家では出せないんですよね。ギョーザは、まぁまぁ。焼き方はいいけど、中身が寂しいかも。

さて、問題はラーメン。定番のあっさり中華そばにしたんですが、結論からいうといまいち。うーん、これが昔ながらの味かというと、なんか違う。もっとも、あくまでも自分の舌が覚えている「昔ながら」と比べての話。

スープは、一口すすって、甘味がけっこうあるのに驚いた。確かにあっさり鶏がら醤油ですが、魚介系のだしの味もかなり混ざっています。昔はそんな凝ったことはしなかった。

麺は多加水熟成麺というのを売りにしているんですが、これはけっこう太麺なんです。あっさりスープには合わない。やはり、ここはちぢれ麺でなくちゃ。なんか、プラスチックの紐みたいな感じになってしまっているんですよね。

トッピングは、昔ながらは、チャーシュー、なると、海苔、メンマ、そしてほうれん草ですが、ここのはほうれん草ではなくてミツバでした。嫌いじゃないけど、ここにミツバはどうなんでしょう。葉っぱが味を主張してしまうので、あまり合っているとも思えません。

というわけで、安さだけを考えれば、シンプルなラーメンを食べたい方にはリーズナブル。自分の場合は、昔ながらの懐かしい味を求めると、けっこう不満が残る結果でした。

2016年5月19日木曜日

初心者マーク


若葉マークとも呼びますが、正式には初心運転者標識と言うんだそうで、1972年から導入されたもの。

何て呼んでも、これがついた車が前にいたりすると、何となくテンションが下がるのはしょうがない。少なくとも、教習車に遭遇するよりはまし、と考えることが多いと思います。

もっとも、自分だってかつてはその時期を経験しているわけで、運転している側からすれば付けたくて付けているわけじゃないというところ。

初めはおっかなびっくりでも、1か月もすれば運転に慣れて、早くマークをはずしたいと思い始めます。1年間は表示することは法律で決まっているので、1年たって大出をふってはずせるとけっこう嬉しい。

中には運転に自信が無くて、1年たってもはずさないという方もいるようですが、少なくとも数年以内にははずすべきでしょう。数年たっても自信が無いなら、むしろ運転は向いていないと思った方がいいかもしれません。

我が家にも自動車運転免許証を取得したものが一人増えたんですが、もう多少は・・・多少ですよ、車に傷がついたり、へこんだりはしょうがないとあきらめていますが、とにかく人身事故だけは起こさないでくれというとこだけ。

信号はできるだけ黄色で止まる、止まれの標識は見逃すな、四つ角は人が出てくると思え、あおられても法定速度を守れ、いつでもブレーキに足を乗せるつもりでいろ・・・などなど、口に出したくないけど、思わず小言のように言ってしまうわけです。

2016年5月18日水曜日

ジョルジュ・ムスタキ / 私の孤独

フランス語はよくわからない。そもそも英語すらまともにわからないのに、それ以外の外国語に通ずるはずがありません。

フランス語の歌は、当然歌詞の内容はわからないので、雰囲気だけで好き嫌いを判断するしかないので、あまり突っ込んで聴き込んだことはあまりないのです。

それでも、いくつかは心に残るものはあるわけで、ジョルジュ・ムスタキの「私の孤独(Ma Solitude)」もその一つ。

1974年だったようですが、テレビ・ドラマの主題歌に使われて知ることになりました。ドラマそのものについては、まったく記憶に残っていませんが、この曲だけはすごく好きになり、いまだに忘れていません。

ムスタキはもともと、エディット・ピアフの恋人で、彼女のために曲を作って名が知られるようになったギリシャ系のフランス人。30代なかばに、自分でもデヴューしたので、かなりの遅咲き。

日本では、やはりドラマに使われたことで有名になりました。声を張り上げるわけではなく、淡々と人生を歌う感じなのでしょうか。

訳を読むと、「孤独」というのは女性のことらしい。孤独からいろいろいな人生を学び、孤独がいつも一緒だから、独りぼっちではない、というような内容。う~ん、哲学的というか思索的というか、奥が深そうな歌詞です。



2016年5月17日火曜日

薔薇

バラという花・・・ロマンチックなイメージが強く、花言葉は「愛・美」というのは、比較的知られたこと。

とは言っても、品種改良でさまざまな形・色のものが登場していて、花言葉も微妙に違っているみたいです。

まぁ、最もスタンダードなものとなると、やはり赤いバラでしょう。情熱とか、熱烈な愛という、かなり積極的な雰囲気が漂い、「あなたを愛しています」という意味が込められているそうです。

ピンクのバラになると、「上品」「しとやか」「感銘」となって、ちょっと大人っぽい品格みたいなものが感じられます。
白いバラは、「純潔」「尊敬」ということで、さらに格調高い雰囲気がランクアップ。同じバラでも、ずいぶんと花言葉にも差があるようです。

バラという名称は「イバラ」からきているわけで、棘があって栽培するのも大変。「イバラの道」という言葉があるくらいですから、「困難」とか「克服」とかそういう意味の花言葉でもよさそうな感じがします。


2016年5月16日月曜日

渋滞疲れ

 
まぁ、どうしようもない・・・と、言ってしまえばそれまでのことなんですけどね・・・渋滞ってどうにかならないものかと。

自分も、渋滞を作る一因になっているので、しょうがないわけですが、それにしてもGWも終わったんですしね。

昨日は法事で出かけましたが、毎度のことながら中央高速の帰りは本当に辛いものがある。さっさと失礼して、できるだけ早くの午後2時には出発しているんですけど・・・結局、家に帰り着いたのは午後8時です。

電車で行けばいいじゃん・・・確かにその通り。何も反論できません。礼服一式や、お土産などを手で持っていけばいいだけの話なんです。

中央高速は、上りの小仏トンネルの手前で車線が減るんですよね。でもって、ちょっと車が増えだすと大月のあたりまで一気に渋滞が延びてしまう。

そこを過ぎても、一難去ってまた一難。府中のあたりから八王子まで、断続的に渋滞するのはなんででしょうか。相模湖から海老名に出て東名を使うという道もありますが、当然そこも渋滞してますからね。

都内の用をすませて、今度は首都高の渋滞・・・って、これは、最近はだいぶ改善されたんですが、昨日は東名用賀で事故で通行止め。下の国道も大渋滞になってしまいました。

そんなわけでの午後8時。もうお尻は痛いし、降りる時も足が伸ばせない。エコノミークラス症候群一歩手前状態かもしれません。

というわけで、休み疲れは半端なく、毎日仕事の方がいっそ楽かもと思ってしまうのでした。

2016年5月15日日曜日

飛行船


都内で飛行船を目撃。まぁ、それほど、珍しいわけではありません。ただし、普段のテリトリー、つまり横浜北部では、少なくとも見ることはありません。

スヌーピーJ号という名称のようです。スピードが無いし、大きさの割にはたくさん人が乗れない、熱気球のようなスポーツ性も無い・・・などなど、現実的な乗り物としては役に立ちません。

ただし、物珍しさが手伝って、でかくてゆっくり空をふわふわ飛んでいると、嫌が応にも目につきます。ですから、現実的な利用方法は宣伝媒体でしかありません。

よく、10トントラックの周囲にペインティングして、大きな音を出しながら走り回っている手法と同じ。まぁ、飛行船は排ガスの問題はないし、うるさくないのでましでしょうか。

ツェッペリン伯爵により、飛行船が実用化されたのは20世紀初頭のこと。しかし、1937年にヒンデンブルグ号の爆発炎上事故により、急速に役目を終えています。

昭和のロック好き少年にとっては、この事故の写真がとりわけ有名で、おそらく知らない物はいない。つまり、Led Zeppelinのデヴューアルバムのジャケットに使われていたからで、飛行船と言えばこれっ!! というくらい、馴染みがあったりします。

それにしても、この飛行船、デカデカと会社名が書かれていて・・・まぁ、それが目的ですからしょうがないのですが、頭のスヌーピーはあまり目立たなくて、あまり品のいいものとはいえない。

せっかくなんですから、もう少し、ロマンを感じる仕上げにしてくれたら・・・と思ってしまいます。

2016年5月14日土曜日

フランソワーズ・アルディ / もう森へなんか行かない

懐かしいものはいろいろありますが、音楽については特に多いかもしれません。

昔々てせすけど、親がテレビで「懐かしのメロディ」みたいのを見ていると、何か古臭くてつまらないと思っていましたが、最近の自分がそういう状態であることは否定できない。

懐かしいからという理由以外に、もう新しい音楽にあまり興味が無い、あるいはついていけないというところもあるんですよね。

仕事がら、いろいろな人と接するので、新しいものも少しは知識として知っていたいとは思うのですが、所詮付け焼刃ですから、すぐにボロがでてしまう。

となると、ついつい趣味の領域は「懐かしい」古いものばかりを聴いているだけで事足りるし、そもそも幸せな気分になってしまうということになります。

昭和40年代とかは、まだまだ日本語音楽のオリジナリティは開発途上で、外国からの輸入物がカルチャーを牽引していたことは間違いない。主としてアメリカですけど、フランス物もそれなりにありました。

英語は、何となくわかるかも・・・くらいでしたが、フランス語ともなると、まったくもってチンプンカンプン。プシューっと鼻に息が抜けるような不思議な言葉で、英語に比べるとやさしく聞こえる感じがしていました。

となると、ミッシェル・ポルナレフのようなポップスもいいんですが、暗く沈んだ感じも合うんですよね。そんなわけで、フランソワーズ・アルディもお気に入りでした。

もともとはシルヴィー・バルタンみたいな、ポップスで登場したんですが、アイドル路線よりも日本人的にはちょっとおちついた「さよならを教えて」とかが、テレビ・ドラマで使われたりして、一躍名が知られるようになったと思います。

自分的には、クラシック・ギターの伴奏で歌う「もう森へなんか行かない」が大好きでした。もちろん歌詞の内容はよくわからないのですが、アンニュイな雰囲気と邦題が見事にマッチして、なんかめちゃめちゃ暗そうな曲なんですけどいいんですよね。

2016年5月13日金曜日

老化で膝が痛い


整形外科の外来では、腰の痛みと膝の痛みに困って来院する方が最も多くて、東西の二代横綱みたいなものです。

膝関節は、年齢とともに上下の骨の合わさる関節面が擦り減ります。総理大臣だって、ホームレスのおじさんだって、これは同じこと。ヒトが二足歩行動物に進化した必然みたいなもので、こればかりは避けることはできない。

寿命が延びたから、その分老化も遅くなればいいのですが、そうは問屋が卸さない。関節の表面の軟骨がどんどん無くなって、レントゲン写真を撮ると「隙間が狭い」状態になっていきます。これは、軟骨がレントゲンには写らないから。

特に、内側に体重がたくさんかかっているので、外側よりも内側がより狭くなっていくことが普通です。そうなると、すねが内側に傾いてくるので、がに股傾向が強くなって、左右の膝の間が広がってきます。

深く曲げるのが痛いので、しゃがむのが辛くなってくる。正座ができなくなったり、和式トイレが使えなくなったりする。もっとも、正座は体の構造上は「悪座」なんです。本来、膝は目一杯曲げてできるのはあぐら座りの角度までで、正座ではお尻を乗せて無理やりつぶした座り方をしているんです。

隙間が狭くなる、つまり上下の骨が接近してしまうということは、関節の周囲で膝を支えている靭帯などが緩んでしまうので、微妙に前後左右、あるいは捻りの動きでずれが出やすくなってくる。これが痛みを強くしたり、さらに老化の変化を進ませることにつながります。

だから、筋トレしてください、と医者がいうわけです。太ももの前側にある大きな大腿四頭筋が、膝を支える原動力です。老化の変化は避けられなくても、この筋肉を弱くしないことが、痛みを出さないようにする最大の予防になります。

痛みがでてしまったあとも、やはり筋トレをすれば、痛みを減らすことが可能ですから、通常はスクワットと呼ばれる方法をお勧めすることになります。スクワットはやり方しだいで、スポーツマンでも高齢者でも役に立つ簡単で効果的な運動です。

よく「毎日××歩も歩いてます」と言う方がおいでですが、何万歩歩いても筋トレではありません。歩くことは大事ですが、それだけで何とかなるわけではありません。

高齢化社会です。 ますます、膝を痛くする方は増えると思いますから、毎日の簡単な運動を是非やって、少しでも体の衰えを防ぎましょう。

2016年5月12日木曜日

ベルグの4月 @ たまプラーザ


たまプラーザ界隈では、知られた洋菓子の店です。いつものことですが、スイーツ系の話題には、ほとんど興味が無い立場としては、本来ここで紹介するだけ知っているわけではありません。

美味しそうに見えない写真を出して、かえって客足を減らすことになっては申し訳ない・・・とは思いますが、とにかくこれまで口にしたケーキの苺で、これほど甘みの強いものは初めてではないかというくらいだったことだけは強調しておきたいと思います。

・・・と書いてしまうと、話が終わってしまうのですが、ケーキの王道といえば、やはりショートケーキという固定観念から離れられないオジサンとしては、慣れないケーキ屋さんではついつい苺がのっているものを選んでしまいます。

ですから、苺はは評価のポイントに大きく関わることになる。苺は甘酸っぱいわけですが、酸味が強いよりは甘みが大事かと・・・それと、大きければいいというものでもない。このケーキの苺は大きさはほど良く、とにかく甘さが格別でした。

それに対して、ケーキ本体の甘さはできればあっさりとしていて、できればバターなどの乳脂肪分は少ない方が好み・・・たせからといって、パサパサでも困りますから、それなりのしっとり感も欲しいもの。

そういうところが優れものということで、一般の評価が高く、有名店に数えられているんだと思いますが、数年前にたまプラーザの駅構内に出店したことで、より身近に買いやすくなりました。

2016年5月11日水曜日

ミッシェル・ポルナレフ / シェリーに口づけ

急に昔懐かしい歌を聴きたくなる・・・というのは、よくあることです。

この前、クラプトンの古い話を思い出していたら、その前に聴いていた音楽はなんだっけと考え始めました。例えば、ジミ・ヘンドリックスとか、ジャニス・ジョップリンのような怪しいものとか、あるいはモンキーズやボビー・シャーマンといったアイドル系のアメリカン。ポップス。

フランスはというと、シルヴィー・バルタンとかいますが、年代的には自分よりちょっと上になると思います。自分の場合は、一番ストライクなフレンチ・ポップスは最初が「シェリーに口づけ」でした。

日本ではその後も、数回CMに使用されて話題になったので、知らない人は少ないと思います。歌っているのは、フランスでは問題児的なスターのミッシェル・ポルナレフ。

1968年にCBSソニーという新しいレコード会社ができて、1971年に初めて別レーベルであるEPICが登場しました。その時に、EPICから発売される曲のサンプラーLPレコードが無料でもらえました。

その中に入っていたのがミッシェル・ポルナレフだったと思います。他にもソフト・マシーン、スライ&ファミリー・ストーンズなどのそうそうたるアーティストも含まれていました。

ポルナレフは、お尻を出したり、今だったらまさにヴィジュアル系。でっかいサングラスはトレード・マークでしたが、もともと目が悪くて後年手術をしたようです。

「愛の休日」とか、「忘れじのグローリア」、「渚の思い出」とか・・・まぁ、聴くと思い出す70年代前半ヒット曲はたくさんあるんですが、たぶん日本だけの独自に出たのが「火の玉ロック」でした。

まぁ、ロックンロールのスタンダードのカバーですが、普通ギターで始まるお馴染みのフレーズをピアノでやったのが新鮮で、当時ロックに目覚めていたかっこつけ少年としては、ずいぶんと喜んだものだったのです。

2016年5月10日火曜日

増えていた祝日


いくら休みをとれる人でも、ゴールデン・ウィークは終了です。昨日から仕事や学校で、久しぶりに道を走っている車が多いと思ったのは思い込みでしょうか。

自分で商売をしている人はそんなに休めることはなくて、休日もむしろお店を開けているところが圧倒的に多い。クリニックも自営業ですが、まだ休日は休みのところが多いので、店舗に比べればまし。

クリニックでは、3日以上のまとまった休みを取れるのは、正月とGWとお盆の頃と相場が決まっています。最近は、そういうところも診療をするという激なクリニックも登場していますが、やはり一人医者でやっていると、基本的に休みが無いと自分がもたない。

さて、GWが終了すると、お盆の休みの時期を決めないといけない。8月15日を真ん中にして、前後1週間というのが基本なんですが、日曜日がどこにあるかで人の動きを考慮して決めています。

クリニックのある横浜市都筑区は、どちらかというとお盆の頃は人が少なくなる。できるだけ地域の住民がお盆休みを取るてあろう期間を想像して、そこからはずれないように休診にしたいと思うわけです。

さてさて、今年の8月のカレンダーとどうなっているか・・・あれ?・・・あれれ?・・・

これは、いったい何? という人生初の不思議なことになっている。カレンダーの8月11日が赤くなっているじゃありませんか。「山の日」となっています。

・・・知らなかった・・・こんなの去年は無かったのに・・・新しい祝日が増えている。

一昨年決まっていたらしく、今年から始まったらしい。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という、休む理由としてはわかったようなわからないような。海の日があるなら、山の日も作れと誰かが言ったとか言わないとか。

でも、なんで8月なの。それもお盆のまえなの。

これじゃ、ここからお盆休みを取りなさいといわんばかりでしょう。ただでえ、移動するのには込み合う時期で、できるたけばらけて休みたいと思っているのに、全国一斉に休みに入るんじゃ大変ですよ。

こどもたちは、もともと夏休み中で、ここが休日になっても、何にも嬉しくない。祝日としての存在感は皆無に等しいのではないでしょうか。

祝日を増やすなら、祝日が無い唯一の月のなった6月でしょう・・・と思うのは自分だけですかね。祝日が増えて文句を言ってもしょうがないのですが、これはどうよ? という気持ちになりました。

2016年5月9日月曜日

Eric Clapton Slowhand at 70

高校生の時・・・バンド小僧だったんです。とは言っても、特にすごくうまく扱える楽器があったわけではないので、どちらかというとナンチャッテ状態だったことは確か。

それでも、当然洋楽、しかもロックは高校生の憧れで、誰もがギターをかき鳴らして、当時三大ギタリストと呼ばれたエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ヘイジになったつもりでかっこつけていたものです。

一番若いペイジは、レッド・ツェッペリンの解散とともに、ほぼ活動は終了状態。自分的には、当時一番好きだったのはベックでしたが、90年代以降はよく日本には来ますけど、マンネリ化は否定できず、新しいアルバムも興味が持てません。

一番年上だったクラプトンは、去年70歳。もう、完全に爺さんなんですが、いまだにコンスタントにアルバムを出しているし、いい感じに年を重ねて、爺さんなりの味がある。

昨年は、コンサート・ツアーは引退宣言をして、生クラプトンはもう見れない・・・というわけで、1年前のその最後のツアーのライブがCDとビデオの両方で発売になっています。とは言っても、先月また何度目かの日本公演をしましたけどね。

バンド・メンバーもみんな爺です。なんか、悪ガキが爺になるとこんななんだろうな、と思うようなステージ。でも、これはこれでいいんですよね。

2000年ごろの"One man One Rider"あたりから、もうやりたいようにやります状態のクラプトンですから、最近は原点のブルースが目立ちます。ヒット狙いのキャッチャーな曲はあまり出てこない。もう今どきの小僧たちなんかついてこれないでしょう。

もちろん往年の人気曲もやります。とは言っても、昔のままというのはほとんどない。今風のような、古臭いような絶妙なバランスで、このあたりりがクラプトンが第一線でステージに立てている理由なんでしょう。

クラプトンの初来日は1974年。もう40年以上前ですよね。武道館行きました。オープニングは、何とチャップリンのスマイルをアコースティックで歌ったんですよ。さぞかし、エレキでドバーっと始まると思っていたので度肝を抜かれたんです。

クラプトンといえば、その前長いことドラッグで身も心もボロボロで、再起不能みたいに伝えられていました。親友のジョージ・ハリスンの奥さんと浮気しているとか、もうスキャンダルだらけ。

しかし仲間のサポートで何とか泥沼から這い出して、ニュー・アルバムを引っ提げての初来日。スマイルという曲の中に、当時の心境が目一杯詰まっていたんでしょうね。

それから、 アメリカ南部ロックをしばらく続けましたが、ポップになって、ジャズ風になって、いろいろと変わってきましたか、いつでも根底にあるのはブルース。

70歳になったクラプトン。これまでもずっと聴き続けてきた御大の、やり尽した集大成のステージなのかなと思うと、このビデオは感無量と言わざるをえません。

2016年5月8日日曜日

おかげ犬


犬もいいけど猫もいい、とか・・・犬がいいけど猫もいい、など・・・and/or的な派閥に属する方がいらっしゃるご時世ですが、自分は完全犬派なのです(キッパリ!!)。

猫が嫌いとは言いませんけど、特に可愛いとは思わない。飼われているのに、勝手に外をうろうろして、他人の家とかにも入りこむし、時には知らない人から餌を平気で貰う節操のない奴というイメージが強い。猫好きの人には怒られれるかもしれませんけどね。

そこで、犬の置物として一押しなのがこれ。おかげ犬です。何を隠そう、伊勢神宮のお土産として人気の定番。見たことがある人も、持っている人もいるとは思いますが、なかなか愛くるしい表情で、いい味を出しています。

江戸時代は、一般庶民は天下の往来もままならなかったわけで、伊勢参りをしたくても簡単にはできません。そこで、代わりに犬が伊勢詣をしたという嘘か本当かわからない話から出てきたのがのがおかげ犬です。

ご主人に成り代わって、伊勢詣をしてくるというのですから、さすがに犬です。おかげ猫にはならない。猫だったら、伊勢を通り越して和歌山あたりの港で漁師の魚をくすねていそうです。

江戸の庶民は、伊勢神宮へ一生に一度は「お伊勢」様のお陰で生活できてます」とお礼に詣でたかった。とは言っても、往復で1か月、旅費だって馬鹿にならない。

そこで町内会みたいな単位で、お伊勢講という積み立てをして、毎年代表者を伊勢に送り込むようになりました。代表者はみんなに成り代わって参拝してくるわけで、その辺の習慣からお陰詣りをする犬という話ができあがったんでしょうかね。

2016年5月7日土曜日

招き猫


昨今は猫ブームだそうで、犬派としては寂しい感じもあるんですが…それはともかく、猫の置物として定番なのが「招き猫」でしょう。

猫好きではないことも関係しているのか、あまり興味がありませんでした。右手を挙げているのと、左手を挙げているのがあるなんて、けっこう最近まで知らなかった。

どっちだっていいじゃん・・・と言いたいところですが、右手でお金を招き、左手で人を招くんだそうですね。

まぁ、猫というとよく言えばミステリアスな雰囲気があったりするので、何か霊験あらたかなことを起こす力があるのかも知れずなんでしょうか。

忙しい時には、「猫の手も借りたい」と言いますが、左手を借りるとお客さんが招かれてもっと忙しくなるのかもしれません。

ちなみに、左右の手をそれぞれ挙げている置物を並べるときは、挙げた手が外側になるとように置いてはいけません・・・とテレビで言っていました。万歳みたいになって「お手上げ」になるからだそうです。お後がよろしいようで・・・

2016年5月6日金曜日

今日は平日


先週金曜日から始まったゴールデン・ウィークは昨日で終了。今日は、普通に平日。

今回のGWでやったこと・・・

昭和の日は、東京の実家に行って、ちょっと早い母の日の花を渡してきました。

日曜日は、いまだにやっている当直バイト。

憲法記念日は、午前中はクリニックで「院長室」と呼んでいる、事務作業スペースの片づけ。実は、ここに主に通販で買いためたCDやDVDや、その他もろもろの興味がある人にしか価値がわからないものがある。

だんだん増えて、ぐちゃぐちゃになって、もう家内からはゴミ屋敷呼ばわりをされていたので、一大決心をして整理しました。

CDなどは手前と奥の2列で、だいたい2000枚はありそうです・・・これを、再度聴くのかと聞かれると、たぶん開けることはないものがほとんどですが、全部パソコンに取り込んでいるので、1/3くらいはちょこちよこ聴きなおしています。

まぁ、それがコレクションというものですから、並べて所有欲を満たすということは重要。場所をとりますけど、デジタルだけで所有するのでは、単なる音楽の使い捨てみたいな感じがするのでどうもダメなんですよね。

大学の頃から持っている洋書の医学書なんかは、並べておくには見栄えもしていいのですが、さすがに10年以上昔の医学書は、今やほとんど役に立たない。漬物石のかわりにできるくらい重たくて、かさばっているだけで、内容の半分は「医学史」みたいなもの。

これらは、並べるのはやめて、大多数はこの棚の上に平積みにしてしまいました。それ以外の捨てるか捨てないのか考えるのが面倒なものは、段ボールにまとめて、これもとりあえず棚の上。

午後からは自分ちのお墓の手入れ。石を入れ替えたんですけど、、重たくて・・・腰を痛めそうになってやばかった。

みどりの日は、またもやクリニック。レセプトです。診療報酬請求をするために、4月分のカルテをチェックするわけで、これで1日費やしました。

そして、GW最後の休日である昨日のこどもの日は・・・完全休養。絶好の好天でしたが、もうボケーっとして過ごしているうちに、連休は終了です。

世の中の、家族のために遠出をして、帰りの混雑もものともしなかったお父さんたち・・・いゃあ~
ご苦労様です。中には、金・土も休んでしまうという豪傑もいるかもしれませんが、基本的に本日は平日。頑張って仕事しましょう。

2016年5月5日木曜日

端午の節句


端午の午は、干支でいう午、つまり馬のこと。

時刻では午前11時から午後1時までの間が午なので、午前12時、あるいは午後0時がちょうど真ん中で「正午」と言うし、午前、午後というのもそれより前か後ろということ。

旧暦では、十二支と十干からなる干支という、60で一巡する組み合わせが年や日にあてられていました。ですから、一日ごとにも十二支の呼び名がふられています。

月では、旧暦の5月が午だそうで、午の月の端っこということで端午。ですから、本来は5月の最初の午の日にこどもの健やかな成長を願う行事を行うということになる。

午と五で語呂がいいということで、毎年の午の月の5日を端午の節句とすることが定着したらしい・・・というわけで、こどもの日と呼ぶようになったのは、1948年に祝日に決められてから。

祝日が続いて嬉しいだけでなく、何で休めるのか、そもそも何を祝う日なのか、多少は知っておくことは無駄なことではありませんね。








2016年5月4日水曜日

本来は平日


・・・でした。

昭和天皇が崩御、つまり亡くなったことにより4月29日の天皇誕生日の祝日が消滅するはずだったわけですが、長らくゴールデン・ウィークとして飛び石連休になっていたので、4月29日を「みどりの日」として祝日として存続させることになったわけです。

それと同時に、飛び石連休だったのを、5月4日も休みにしちゃった。祝日の名前は無くて、単に「国民の祝日」という、何だかよくわからないもの。

2007年からは、4月29日は「昭和の日」と呼ぶようになって、みどりの日は5月4日の呼び方に移動して、現行の状態で落ち着きました。

みどりの日は、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ためのものだそうで、まぁ、年間通していつになっても問題はありませんけど、農家の方なら一年中がみどりの日みたいなもの。

都会にいて消費する側にいると、自然に親しむためには混雑の中を気合を入れて出かけないといけません。中には途中の平日を全部休みにして、最大10連休という強者もいるようですが、アンケートではそれは数%くらいだそうです。

3月、4月と春が芽吹いて、色とりどりの花が咲きほこりました。花が散って、葉が勢いを増してくるのが5月。白・赤・黄などから、青・緑が中心になって、5月の花は青いものが多い気がします。

風情のある藤棚も見頃になっていました。周りを見渡すと、あやめも咲いています。

いずれ菖蒲か杜若・・・という言葉ありますが、確かに素人目にはどっちかよくわからない。ショウブやカキツバタは湿地に生えるらしいので、そこらの畑の隅にあるのはアヤメなんでしょうが、そもそも菖蒲と書いて「アヤメ」とも「ショウブ」とも読みますからね。

このあとは、青の主役は紫陽花が代われるように準備中というところでしょうか。

2016年5月3日火曜日

憲法を思い出す日

憲法は、一国のすべての法律、つまり国民がどのように行動すべきかを規定する決め事の中で、最も基本となる約束を概念的にまとめたもの・・・ですよね。

現行の日本国憲法は、終戦後にアメリカ占領軍の監督下に制定されたもので、特に戦争行為の放棄は大きく評価されているもの・・・ですよね。

前文で「国民主権」を宣言し、第一章では天皇について「国民の象徴」であり、「国政に関する機能を有しない」・・・と定めていますよね。

第二章では、大事な第九条が登場し、「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久に放棄する。陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権は認めない」・・・と定めていますよね。

さらに「信教の自由」、「学問の自由」、「表現」の自由」、「最低限の生活を営む権利」などがあり、そのためには「勤労の権利」とともに「勤労の義務」や「納税の義務」がある・・・と定めていますよね。

そして、国会、内閣、司法の三権分立を規定して、おおよそ百条ある憲法の最後の方に憲法を改正する場合がでてきますが、それは「両院で三分の二以上の議員の賛成の元に、国民投票で過半数の賛成を必要とする」・・・としていますよね。

昨年の改定安保法案の時には、改憲議論も多少盛り上がりました。最近は、ちょっと静かになりましたが、確かに公布されて70年ですから、現状の世界情勢の中ではいろいろと問題があることは否めません。

武力行使放棄と国際的な活動の中での一定の武力の必要性の矛盾が、一番問題にされているポイントだと思いますが、そもそも武力の主役たる自衛隊の存在そのものについても「陸海空軍その他の戦力」のその他に入ることは明らかで、これをどう解決するかも重要です。

日本国憲法は1946年11月3日に公布され、翌1947年5月3日から施行されています。

ですから、5月3日は憲法記念日というわけですが、本来はのんびりと休日にして遊んでいる場合ではない。ですが・・・まぁ、連休ですからね。ちょっとは、頭の片隅にでも思い出すくらいでも可としましょう。

2016年5月2日月曜日

オデッセイ (2015)

ホンダの車のようなタイトルですが、これはあくまでも邦題。原題は"The Martian"で、「火星の人」とでも訳すんでしょうか。

昔は、英語に不慣れな日本人が多かったので、原題とは離れて絶妙な邦題をつけることは珍しくありませんでした。しかし、いまどき、原題から離れたタイトルは珍しい。"odyssey"は長い放浪・冒険という意味。

2015年、アメリカ映画。日本では今年の公開で、監督はリドリー・スコット。今年のアカデミー賞でも、他部門にノミネートされ、大きな話題になりましたが、結局受賞は一つもありませんでした。

2013年の「ゼロ・グラヴィティ」は、宇宙空間での事故で帰還できなくなった宇宙飛行士が、使われていない施設を利用してなんとか地上に戻る比較的短期間のサスペンス。

本作も、似たような話ですが、舞台は遠くなって火星。しかも、長期間の火星でのサバイバル生活を強いられるというところが、発想としては面白い。

火星での調査活動中に、強大な砂嵐ののため、主人公は吹き飛ばされ行方不明。着陸船が危険なため、残りの隊員はやむを得ず彼を残して離陸。ところが、主人公はなんとか生存していたというところから始まります。

火星の調査用の簡易住居の中で、残された食料だけでは、次に火星探検の宇宙船が来る4年後までもたないと判断して、施設内で食料を作り始める・・・というのは、完全に無人島生活の状況。

科学的には、ものすごい砂嵐は火星で起こりうるらしいのですが、重力の関係で宇宙船にダメージを与えることはないらしい。そもそも、映画の中では地球との重力の差を表現していないのは、宇宙空間での無重力表現があるだけに多少の違和感はあります。

ただ、サバイバルをする上での、いろいろな科学技術などは十分な根拠があって、実際に実現可能なことらしい。2年くらいの生活の中で、生き残るためにありとあらゆるものを利用していくところは、すごいなぁと感心します。

前半がサバイバル生活、後半が何とか地球の連絡手段を取り戻して脱出のための地球とのやり取りが軸に話は進行します。火星まで行くというのは、相当な時間がかかることなので、2時間20分の映画の中では、時間軸は加速度的に省略されていくので、多少話が進むにつれバタバタ感が出てくるのはいたしかたがないところでしょうか。

「ゼロ・グラヴィティ」では、最後は中国の宇宙船を利用して帰還しましたが、この映画でも中国が重要な援助を申し出ます。いまや、宇宙開発はアメリカ、ロシアだけでなく、中国が大きく関与していることが無視できないレベルであるということでしょうね。

映画的には・・・「ゼロ・グラヴィティ」のように、短期間の中で次々に起こるサスペンスと違い、映画の緊張感が甘い感じがします。

絶望的な状況においては、人間は驚愕・否定・悲嘆という過程を経て立ち向かう気力を取り戻していくのですが、本作の中では最初から立ち向かうところがポジティブと言ってしまえばそれまでですが、長期の話としては人間描写としては物足りないかもしれません。

監督のリドリー・スコットは、「エイリアン(1979)」で一躍有名になり、「ブレード・ランナー(1982)」で地位を不動のものにしました。日本では松田優作最後の作品になった「ブラック・レイン(1989)」でも知られています。

「エイリアン」も一種の宇宙サバイバルみたいなもので、仲間が一人一人消えていき一人きりになった主人公がエイリアンと壮絶な戦いを繰り広げるもの。映画のキャッチコピーは「宇宙ではあたなの悲鳴は誰にも聞こえない」でした。

本作は、リドリー・スコットが、エイリアンのコピーに再度挑戦した映画ということもできるかもしれません。ただし、今回は何とか聞こえるようにするというのが違いますけど。

宇宙サバイバルは時間との闘いというのが必ずあって、「ゼロ・グラヴィティ」にしても「アポロ13」にしても、切迫する時間がサスペンスを産み出すことが定石として使われていました。

本作は、火星での生活がおそらく中心になる話なんだと思いますが、そちらばかりでは助けられないし、救出部分に時間を割くと火星でどうやって生き延びたかがわからなくなる。やや、テーマがぼやけてしまった感は否めません。

☆☆☆

2016年5月1日日曜日

白バイ


交通指導取締用自動二輪車・・・と正確には呼ぶんだそうですが、白塗りのオートバイ、略して白バイ。

街中ではよく見かけるので、まったく珍しくないのですが、どうもこちらは小市民なので、白バイやパトカーと並んでしまうとドキドキします。

別にシートベルトもしているし、走りながら携帯をいじっているわけでもない。ましてや、飲酒運転もしていないし、免許証も携行しているのに・・・

テレビでしばしばやっている「警察24時」みたいな特番がありますが、白バイの取締の様子などもでてきます。ベテランの白バイ隊員は、ちょっと運転手を見ただけで、ピーンと来るらしい。

なるべく普通を装うようにしようと思ってしまうのか、逆にそれが怪しまれたりしないか、じろじろ見るわけにもいかないし、でもかっこいいので思わず見てしまったり・・・

つまり、彼らは走っているだけで、それなりの抑止力として機能しているということです。赤色灯をつけられないように、まじめに交通ルールを守って走りましょう。