2019年9月30日月曜日
絶滅危惧種
今回紹介する、地球上から消滅してしまうかもしれない危険に晒されているものは・・・本屋さんです。
かなりやばい。ウルトラマンなら胸のカラータイマーが、青から完全に赤い点滅に変わっている状況。
新聞・雑誌類を含めて本は活字文化を支える代表的なメディアであり、まさに知識の源であり、いろいろな意見の発信元です。
90年代にパソコンとインターネットが急速に普及し始めた時に、今日のような状況は想像だにしませんでした。おそらく、ネット社会となり情報の伝達手段から紙の存在が不要になったことが、最大の原因であろうと思います。
現実に、自分も毎日のニュースのチェックなどはネットですませてしまうようになりました。しかし、昔から本を読むことは大好きですから、ちょっとマニアックな本はいつでも手に入れたい・・・けど、街の本屋さんでは入手することはほぼできない。
そこで、昔なら神田の古本屋街を捜し歩くんでしょうけど、今は当然アマゾンを代表とするネットの古本で手に入れることになります。これが大変便利で、ほぼ探せないことはないし、時間をかければ価格的にも納得のものが手に入ります。
本屋さんは最新刊の売れそうなものしか置いていません。ですから、本屋さんには行かなくなる。ますます本屋さんは縮小していく・・・
当然と言えば当然ですが、本の必要性が減っているわけではないのに、売っている場所はどんどん無くなっていく悪循環に入っています。
知識を増やすことにお金をかける意識を持たないことは、人が人たる所以である知性の低下にもつながりかねない・・・というと大袈裟化もしれませんけど、けっこうな危機感を持たざるをえない。さてさて、どうなることか・・・
2019年9月29日日曜日
Claudio Abbado LFO / Mahler Symphony #2 (2003)
目下のところマイブームはグスタフ・マーラー。本当にクラシック好きからすれば、何を今更という話。
繰り返しですけど、そもそも小学生の時に最初に演奏者と曲が一致して認識したのは、カール・ベームのベートーヴェン第九、そしてレナード・バーンスタインのラプソディ・イン・ブルーだと思います。
当時は、オーケストラと言えば帝王カラヤンのベルリンフィルという時代ですが、ベーム、バーンスタインと比べて仰々しいまさに王様然としたカラヤンは好きになれなかった。
よくカラヤンにはクラシック音楽界にとって功罪があると言われますが、自分には罪の方が大きく作用したようで、それからしばらくクラシックから遠ざかる要因の一つになっていたように思います。
カラヤンが亡くなって、ベルリンはアバドが率いることになった頃は研修医で音楽どころではありません。でも、カラヤンに比べて若くてイケメンで、颯爽とした印象のアバドは当時から嫌いではなかったように思います。
ただし、マーラーは誰しも最初に感じるところだと思いますが、長い、重い、何だかよくわからない。モーツァルトの予想通りに進行するハッピー感あふれる、悪く言えば単純な音楽とはかなりかけ離れています。
今のマーラーの人気に一番貢献したのは、たぶんバーンスタインです。実は、マーラーの難解なイメージは、過去に挑んだバーンスタインのマーラー全集によって見事に撃沈したせい。
そして、バーンスタインに並ぶくらいに繰り返しマーラーに挑んでいたのがアバド。サイモン・ラトルのベルリンフィル退任で、ラトルを改めて評価していたら、その前任のアバドについてもちゃんと聴きたくなってきた。
個人の見解として、いろいろな評価は当然ありますが、ルツェルン音楽祭の映像のシリーズを選んで自分にとっては大正解でした。
まず音だけと違い、映像があることは音楽への集中力をより高めることができる。そして、それぞれの楽器がどういう働きをしているかがわかりやすい。
何よりも、指揮をするアバドが本当に楽しそう。オケのメンバーも、心からアバドにリスペクトして演奏していることが素直に伝わってくる。こういう雰囲気はなかなかあるもんじゃありません。
これは、病気によりベルリンを辞したアバドが、療養復活後に心からやりたかった「気心の知れた仲間とやりたい音楽を好きなだけ取り組む」という、夢のようなプロジェクトがルツェルン祝祭管弦楽団(LFO)に結実したからということ。
アバドは1986年にグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団(GMJO)を組織しました。ここで、26歳までの若者たちを選出して育成していました。さらに1997年に、ユーゲントのOBらとマーラー室内楽管弦楽団(MCO)を結成しました。
マーラー室内楽管弦楽団のメンバーを中心に、世界中からアバドのもとで演奏したいとい希望するそうそうたる面々が集まって再編成されたのがアバドのルツェルン祝祭管弦楽団でした。
2003年にデヴューしたアバドのルツェルン祝祭管弦楽団の最初のレパートリーが、マーラーの交響曲第2番「復活」でした。これはCDでも発売され、世評も高い。ベルリンフィルによるマーラー全集の唯一の穴を埋めることになりました。
アバドの指揮は、オケを自由にさせすぎるということがよく言われますが、ここではメンバーが本当にアバドの指揮棒を注視して、絶えず凄まじい緊張感と集中力を持ってアバドのマーラーを奏でている。
他の指揮者のマーラーを知らないので、比較しての話はできませんが、過度にめりはりをつけるようなことはなく、それでいて音楽の深さみたいな物は明確に浮き彫りになってくるような演奏だと感じました。2回目の視聴で曲の流れがわかって来て、3回目で楽しむ余裕が出てきました。
マーラーとしても、「復活」は、多くの作曲家に長く続いたベートーヴェンの第九の呪縛に挑んだ作品であり、そして乗り越えたと自負できる曲。すべてが大河ドラマのようなマーラーの作品群の中でも、とりわけ喜怒哀楽が浮き彫りになった難曲といわれています。
アバド自身にとっても、そしてルツェルン祝祭管弦楽団にとっても、高らかに復活の狼煙を上げた名演なんだろうと思います。しかし、アバドに残されている時間はあと10年でした。
繰り返しですけど、そもそも小学生の時に最初に演奏者と曲が一致して認識したのは、カール・ベームのベートーヴェン第九、そしてレナード・バーンスタインのラプソディ・イン・ブルーだと思います。
当時は、オーケストラと言えば帝王カラヤンのベルリンフィルという時代ですが、ベーム、バーンスタインと比べて仰々しいまさに王様然としたカラヤンは好きになれなかった。
よくカラヤンにはクラシック音楽界にとって功罪があると言われますが、自分には罪の方が大きく作用したようで、それからしばらくクラシックから遠ざかる要因の一つになっていたように思います。
カラヤンが亡くなって、ベルリンはアバドが率いることになった頃は研修医で音楽どころではありません。でも、カラヤンに比べて若くてイケメンで、颯爽とした印象のアバドは当時から嫌いではなかったように思います。
ただし、マーラーは誰しも最初に感じるところだと思いますが、長い、重い、何だかよくわからない。モーツァルトの予想通りに進行するハッピー感あふれる、悪く言えば単純な音楽とはかなりかけ離れています。
今のマーラーの人気に一番貢献したのは、たぶんバーンスタインです。実は、マーラーの難解なイメージは、過去に挑んだバーンスタインのマーラー全集によって見事に撃沈したせい。
そして、バーンスタインに並ぶくらいに繰り返しマーラーに挑んでいたのがアバド。サイモン・ラトルのベルリンフィル退任で、ラトルを改めて評価していたら、その前任のアバドについてもちゃんと聴きたくなってきた。
個人の見解として、いろいろな評価は当然ありますが、ルツェルン音楽祭の映像のシリーズを選んで自分にとっては大正解でした。
まず音だけと違い、映像があることは音楽への集中力をより高めることができる。そして、それぞれの楽器がどういう働きをしているかがわかりやすい。
何よりも、指揮をするアバドが本当に楽しそう。オケのメンバーも、心からアバドにリスペクトして演奏していることが素直に伝わってくる。こういう雰囲気はなかなかあるもんじゃありません。
これは、病気によりベルリンを辞したアバドが、療養復活後に心からやりたかった「気心の知れた仲間とやりたい音楽を好きなだけ取り組む」という、夢のようなプロジェクトがルツェルン祝祭管弦楽団(LFO)に結実したからということ。
アバドは1986年にグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団(GMJO)を組織しました。ここで、26歳までの若者たちを選出して育成していました。さらに1997年に、ユーゲントのOBらとマーラー室内楽管弦楽団(MCO)を結成しました。
マーラー室内楽管弦楽団のメンバーを中心に、世界中からアバドのもとで演奏したいとい希望するそうそうたる面々が集まって再編成されたのがアバドのルツェルン祝祭管弦楽団でした。
2003年にデヴューしたアバドのルツェルン祝祭管弦楽団の最初のレパートリーが、マーラーの交響曲第2番「復活」でした。これはCDでも発売され、世評も高い。ベルリンフィルによるマーラー全集の唯一の穴を埋めることになりました。
アバドの指揮は、オケを自由にさせすぎるということがよく言われますが、ここではメンバーが本当にアバドの指揮棒を注視して、絶えず凄まじい緊張感と集中力を持ってアバドのマーラーを奏でている。
他の指揮者のマーラーを知らないので、比較しての話はできませんが、過度にめりはりをつけるようなことはなく、それでいて音楽の深さみたいな物は明確に浮き彫りになってくるような演奏だと感じました。2回目の視聴で曲の流れがわかって来て、3回目で楽しむ余裕が出てきました。
マーラーとしても、「復活」は、多くの作曲家に長く続いたベートーヴェンの第九の呪縛に挑んだ作品であり、そして乗り越えたと自負できる曲。すべてが大河ドラマのようなマーラーの作品群の中でも、とりわけ喜怒哀楽が浮き彫りになった難曲といわれています。
アバド自身にとっても、そしてルツェルン祝祭管弦楽団にとっても、高らかに復活の狼煙を上げた名演なんだろうと思います。しかし、アバドに残されている時間はあと10年でした。
2019年9月28日土曜日
熊本黒マー油とんこつラーメン
インスタントのラーメンとしては、根強い人気を持っているのが「棒ラーメン」シリーズのマルタイです。
大手のブランドに比べてマイナーなイメージがあるものの、真っすぐの細麺には割とコシがあって、自分も嫌いじゃない。
もともと福岡の会社だけあって、九州系の味には強く、この熊本ラーメンもなかなかの出来栄え。
熊本ラーメンに特徴的な焦がしニンニクによる黒マー油を入れて、食欲をそそる香りがぷんぷんしてきます。
元祖のマルタイラーメン以外には、神奈川では手に入りにくいのですが、九州各県のご当地味シリーズもたくさんあって、是非ためしてみたいとおもいます。
2019年9月27日金曜日
トルティーヤを作ってみた
メキシコなどの中央アメリカ代表するパン・・・に近いのがトルティーヤ。
もともとはトウモロコシをすり潰して薄く焼いたもの。タコスを巻いて食べるのが定番ですが、普通は生地を挟んで潰して焼ける道具を使うようです。
とりあえず、トウモロコシパウダーと強力粉を半々で作ってみました。水とオリーブオイルを加えてこねて、団子状にしたら、薄く延ばして焼くだけ。
書くと簡単ですが、薄く延ばすというところが超難しい。本当に薄くしないとダメなので、麺棒にくっつくし、そもそもこね台からきれいにはがせない。
いろいろ考えて、ラップの間にはさんで延ばしました。それを電子レンジで軽くチンして「蒸し」を入れた状態にしました。
それをフライパンで両面を数分ずつ焼いて出来上がり。形は悪いけど、野菜やベーコンなどを挟んで食べました。
2019年9月26日木曜日
消費税率アップ目前
10月から、現行8%の消費税率が10%に上がります。だいぶ先の事のように思っていたら、もう数日後の話になってしまいました。
日本では平成元年に3%で始まり、平成9年に5%、平成26年に8%に引き上げられました。
基本的には直接税として、使ったら使った分だけ消費者が払うというのが基本だと思うのですが、保険医療については最終的に消費者 - つまり患者さんに消費税分を転嫁できない仕組みになっていて、医療を行うために仕入れた物についてかかっていた消費税は、医療機関が支払うという仕組みになっています。
そういう意味では、クリニックの経営のいう視点では、増税は直接的な支出が増えるだけて歓迎できるものではありません。まぁ、いまさら文句を言ってもしょうがないですけど。
それはさておき、テレビのワイドショーでは連日、「ここが変わる」みたいなテーマの特集をやっていますが、今回の増税では軽減税率とポイント還元という二つの仕組みが付帯していることが、話をやたらとややこしくしています。
食品などの生活に必要なものを購入する場合は、当面消費税率は8%が適用されるというのが軽減税率。一番問題なのは、持って帰るのか(テイクアウト)、店内で消費するのか(イートイン)の違い。
お店もどうするのか、いまだに決まっていないところもあるようで、対応もさまざま。最も影響がありそうなのが、両方を提供しているコンビニエンスストアのようです。自分は、コンビニの店内でコーヒーを飲もうとは思いませんけど、イートインスペースは利用している人がけっこういますね。
ポイント還元はキャッシュレス決済促進の目的だそうですが、自分の場合はクレジット主体ですから、これは関係ありそうです。
今年になって何とかペイがやたらと増えましたが、セブンのように失敗例もあって、イマイチ信用しきれない。スマホ決済もデジタルデータの安全性については、本当に大丈夫だと信じる根拠が脆弱のような気がしてあまり使う気になれません。
アマゾンは、基本的にクレジットカード払いなので、ポイント還元が適用されるので安心。何にしても、高額商品を買う予定はないので、駆け込む必要はなく、粛々と増加分も含めて払うだけですね。
日本では平成元年に3%で始まり、平成9年に5%、平成26年に8%に引き上げられました。
基本的には直接税として、使ったら使った分だけ消費者が払うというのが基本だと思うのですが、保険医療については最終的に消費者 - つまり患者さんに消費税分を転嫁できない仕組みになっていて、医療を行うために仕入れた物についてかかっていた消費税は、医療機関が支払うという仕組みになっています。
そういう意味では、クリニックの経営のいう視点では、増税は直接的な支出が増えるだけて歓迎できるものではありません。まぁ、いまさら文句を言ってもしょうがないですけど。
それはさておき、テレビのワイドショーでは連日、「ここが変わる」みたいなテーマの特集をやっていますが、今回の増税では軽減税率とポイント還元という二つの仕組みが付帯していることが、話をやたらとややこしくしています。
食品などの生活に必要なものを購入する場合は、当面消費税率は8%が適用されるというのが軽減税率。一番問題なのは、持って帰るのか(テイクアウト)、店内で消費するのか(イートイン)の違い。
お店もどうするのか、いまだに決まっていないところもあるようで、対応もさまざま。最も影響がありそうなのが、両方を提供しているコンビニエンスストアのようです。自分は、コンビニの店内でコーヒーを飲もうとは思いませんけど、イートインスペースは利用している人がけっこういますね。
ポイント還元はキャッシュレス決済促進の目的だそうですが、自分の場合はクレジット主体ですから、これは関係ありそうです。
今年になって何とかペイがやたらと増えましたが、セブンのように失敗例もあって、イマイチ信用しきれない。スマホ決済もデジタルデータの安全性については、本当に大丈夫だと信じる根拠が脆弱のような気がしてあまり使う気になれません。
アマゾンは、基本的にクレジットカード払いなので、ポイント還元が適用されるので安心。何にしても、高額商品を買う予定はないので、駆け込む必要はなく、粛々と増加分も含めて払うだけですね。
2019年9月25日水曜日
ポンデケイジョを作ってみた
南米のスタンダードなパン。ポンがパン、ケイジョがチーズのこと(Pão de queijo)。つまりチーズパンです。国によって呼び方が違ったり、いろいろバリエーションもあったりするようです。
名前から想像するのは、ミスドで販売している人気商品、ポンデリングですが、これの元祖がポンデケイジョであることは間違いありません。
材料もいろいろですが、日本でてに入りにくい粉も登場します。今回はも通販大手の富澤商店で紹介しているレシピに準じて作ってみました。
タピオカパウダー 55g
準強力粉 60g
粉チーズ 30g
シュレッドチーズ 30g
塩 3g
オリーブオイル 15g
卵 30g
水 50g
これで直径2~3cm大のものが10個前後です。
作り方はというと・・・超簡単です。よ~く混ぜて焼くだけ(250度で20分くらい)。発酵とかはありません。
タピオカパウダーが無ければ、上新粉とか片栗粉で代用という方法もあるみたいです。
外はカリカリ、中はモチモチ。チーズの香りがプンプン。これはいい。お菓子感覚でパクパクいけちゃいそうです・・・・ので、カロリー注意かもしれません。
2019年9月24日火曜日
来来亭 @ 菅生
菅生・・・ってどこ? と思う方が多いかもしませんが、住所としては川崎市宮前区。付近には聖マリアンナ医科大学もあって、最寄駅からは徒歩圏内とは言えない地域です。
来来亭は、もともとは10年くらい前に滋賀県野洲市から始まったラーメン店のようですが、あっという間に全国規模に拡大されたチェーン店。神奈川でもちょこちょこと見かける気がします。
どこかにいまだ食べたことが無い、ぐっとくるラーメンは無いかとネット検索していて見つけました。
毎日数量限定(何杯なのかはわからないけど)の旨辛麺というもの。写真で見ても、いかにも辛そう。オーダーする時、辛さを選べます。
辛さ1は、青唐辛子無し、背綿油有り。辛さ2は青唐辛子無し、背綿油無し。辛さ3は青唐辛子有り、背綿油有り。そして、辛さ4が青唐辛子有り、背綿油無しです。あとはお好みでMAXもありらしい。
今回の注文は辛さ2です。これでも、自分史上最大級の辛さでしたが、ぎりぎり美味しさも味わえる感じ。基本的には鶏ガラ・ベースの辛味噌だと思うんですが、辛さが先に立って細かい味はよくわかりません。
麺は太麺ストレートで、この辛さでは当然の選択かと。トッピングにワンタンをつけたんですが、正解でした。少し辛さを和らげることができたようです。
たいてい辛い系では、食べ終わるとスープには赤い唐辛子と油はあまり残っていない物ですが、これは食べ終わっても残ったスープは最初と同じ色でした。
まぁ、話としては面白いし、実際旨いので問題はありませんが、普通に美味しさを追求するなら「赤味噌」があるので、そっちでよさそうです。
2019年9月23日月曜日
2019年9月22日日曜日
2019年9月21日土曜日
H.V.Karajan BPO / Beethocen Symphonies (1968-72)
バロックの時代に声楽曲の合間に箸休め的に"simfonia"と呼ばれる器楽曲があって、それを膨らませて「交響曲」と呼ぶような多楽章形式にしたのがハイドンであり、モーツァルト。
ハイドンやモーツァルトの音楽が、ヴィバルディの一連の協奏曲と違うかというと、どこを切っても金太郎飴状態はさほど違いが無い(だからと言ってダメということではありませんが)。
それを音楽芸術として完成させたのはベートーヴェンである、という理解はだいたい間違っていないと思います。交響曲に限らず、独奏曲や室内楽曲などの様々なジャンルでクラシック音楽の基礎を作り上げたベートーヴェンは、音楽史上、最も偉大な作曲家なのだろうと思います。
ベートーヴェンは演奏家にとって必ず挑まなければならない巨大な山、登山家にとってのエヴェレストみたいなもの。おそらく、発売された全集で最も多いのがベートーヴェンの交響曲じゃないでしょうか。
Amazonて余裕で100セット以上見つかりますから、ベートーヴェン交響曲全集を集め出したらもうきりがない。100曲以上あるハイドンの交響曲全集は2つ、3つしかありませんし、モーツァルトでさえ数セットです。
ですから、積極的にオーケストラ物を聴いてこなかった自分のような偏ったクラシック愛好家でさえも、気がつくと手元にいくつの全集があったりする。
バーンスタインの70年代のセット、ガーディナーの古楽によるセット、ラトルの最新のセット、アバドの21世紀のセット、バントのセッションなどです。ただし、カラヤン・アレルギーがあるので、王道のカラヤン+ベルリンフィルは持っていません。
ところが、良い時代になったというか、ある意味いい加減な時代ともいえるのが、インターネットの発達でネットで簡単にいろいろなものを見たり聞いたりできるんですよね。カラヤンの全集は年代別に多数ありますけど、映像作品でも70年代と80年代の二つがあって、どちらも見れちゃいます。
特に1968年~1972年にかけて収録されたDGの作品は、一部ライブ収録もありますが、基本的にスタジオでの作り込んだ映像が興味深い。リヒターのバッハ物のビデオと共通するところですが、映像的には地味になりやすいクラシック音楽を、今でいうミュージック・ビデオとしていかに見せるかという工夫が随所にみられます。
ベルリンフィルをデジタル時代にシフトさせた功労者がラトルなら、カラヤンはテレビ時代を取り込んだ先駆者なのかもしれません。
カラヤンの指揮ぶりは、大変優雅で激しく動く時も動作が滑らかに連続していく印象です。面白いのは、というか映像的につまらないのは、カラヤンはほぼ100%目を閉じたままという点。オーケストラを信じて、自分の楽器として意のままに操っているというところなのかもしれませんが、「するどい眼力」みたいなものもあってもいいかと。
それと、楽器が並んだシーンとかたくさんあってカメラアングルが凝っているのはいいんですが、個々のメンバーがちゃんと映っているシーンがほぼ無い。
この当たりも、楽団はカラヤンの楽器であり、個々の個性は封印されているような印象をもちます。アバドのマーラーのビデオのように、メンバーが指揮者を本当に信頼して、心から楽しそうに一緒に音楽を作り上げている雰囲気はありません。
まぁ、音楽家は音勝負ですから、演奏内容が一番重要なのかもしれませんけど、その肝心の演奏については、もともと「重量級戦車の行進」という印象をカラヤン&ベルリンフィルに持っていたのがアレルギーの大元ですが、意外とあっさりしている感じがしました。テンポがいいと言うか、緩急の使い方のバランスがしっくりきます。
完璧にカラヤンにコントロールされるベルリンフィルを開放して、楽器奏者に音楽の楽しさ・喜び・自由を再び取り戻させたのがアバドであり、その空気の現代化させるがラトルということなのかもしれません。
ハイドンやモーツァルトの音楽が、ヴィバルディの一連の協奏曲と違うかというと、どこを切っても金太郎飴状態はさほど違いが無い(だからと言ってダメということではありませんが)。
それを音楽芸術として完成させたのはベートーヴェンである、という理解はだいたい間違っていないと思います。交響曲に限らず、独奏曲や室内楽曲などの様々なジャンルでクラシック音楽の基礎を作り上げたベートーヴェンは、音楽史上、最も偉大な作曲家なのだろうと思います。
ベートーヴェンは演奏家にとって必ず挑まなければならない巨大な山、登山家にとってのエヴェレストみたいなもの。おそらく、発売された全集で最も多いのがベートーヴェンの交響曲じゃないでしょうか。
Amazonて余裕で100セット以上見つかりますから、ベートーヴェン交響曲全集を集め出したらもうきりがない。100曲以上あるハイドンの交響曲全集は2つ、3つしかありませんし、モーツァルトでさえ数セットです。
ですから、積極的にオーケストラ物を聴いてこなかった自分のような偏ったクラシック愛好家でさえも、気がつくと手元にいくつの全集があったりする。
バーンスタインの70年代のセット、ガーディナーの古楽によるセット、ラトルの最新のセット、アバドの21世紀のセット、バントのセッションなどです。ただし、カラヤン・アレルギーがあるので、王道のカラヤン+ベルリンフィルは持っていません。
ところが、良い時代になったというか、ある意味いい加減な時代ともいえるのが、インターネットの発達でネットで簡単にいろいろなものを見たり聞いたりできるんですよね。カラヤンの全集は年代別に多数ありますけど、映像作品でも70年代と80年代の二つがあって、どちらも見れちゃいます。
特に1968年~1972年にかけて収録されたDGの作品は、一部ライブ収録もありますが、基本的にスタジオでの作り込んだ映像が興味深い。リヒターのバッハ物のビデオと共通するところですが、映像的には地味になりやすいクラシック音楽を、今でいうミュージック・ビデオとしていかに見せるかという工夫が随所にみられます。
ベルリンフィルをデジタル時代にシフトさせた功労者がラトルなら、カラヤンはテレビ時代を取り込んだ先駆者なのかもしれません。
カラヤンの指揮ぶりは、大変優雅で激しく動く時も動作が滑らかに連続していく印象です。面白いのは、というか映像的につまらないのは、カラヤンはほぼ100%目を閉じたままという点。オーケストラを信じて、自分の楽器として意のままに操っているというところなのかもしれませんが、「するどい眼力」みたいなものもあってもいいかと。
それと、楽器が並んだシーンとかたくさんあってカメラアングルが凝っているのはいいんですが、個々のメンバーがちゃんと映っているシーンがほぼ無い。
この当たりも、楽団はカラヤンの楽器であり、個々の個性は封印されているような印象をもちます。アバドのマーラーのビデオのように、メンバーが指揮者を本当に信頼して、心から楽しそうに一緒に音楽を作り上げている雰囲気はありません。
まぁ、音楽家は音勝負ですから、演奏内容が一番重要なのかもしれませんけど、その肝心の演奏については、もともと「重量級戦車の行進」という印象をカラヤン&ベルリンフィルに持っていたのがアレルギーの大元ですが、意外とあっさりしている感じがしました。テンポがいいと言うか、緩急の使い方のバランスがしっくりきます。
完璧にカラヤンにコントロールされるベルリンフィルを開放して、楽器奏者に音楽の楽しさ・喜び・自由を再び取り戻させたのがアバドであり、その空気の現代化させるがラトルということなのかもしれません。
2019年9月20日金曜日
ノートPC爆発まであと?
ふだん使いのノートPDとして、今のところ3年半前から使っているのがMicrosoft Surface Book。
今は二代目がでていますが、主要しているのは初代のもの。とは言っても、性能的にはまったく今でも遜色ありません。なにしろ、仕事場でネット検索とかメールのチェックが主たる作業ですから。
もともと底面はフラットで、おいた時の安定感があるわけですが、なんか数カ月前からぐらぐらする感じがしてきました。
おいている場所が机の上ではないので、しょうがないのかなぁと思っていたのですが、ふっと見たらそこが盛り上がってきているのにきがついた。
このPCはネジが表面には見えているところがなく、底のパネルも接着剤でしっかりとくっついているタイプ。それが浮き上がって、本体との間に隙間ができている。
とっくに保証期間は過ぎていますし、PCの寿命は基本的に数年と割り切って、底のパネルをはがしてみました。
パネルが盛り上がってきた原因は、なんとバッテリー。この機種は液晶側がタブレット形式になっていて、重要な部分は全部液晶側に入っています。キーボードは、中身のほとんどを占めているのは補助のバッテリー。
薄い5×10cmくらいのリチウムイオン電池が3枚入っていたのですが、それらを包んでいるアルミ?被膜がすべて膨張していました。
こりゃ、そのままにしていると破裂することは間違いない。爆発して火事にでもなったら大事です。液晶側にもバッテリーはあるし、いざとなったらタブレットとして使えばいいと思って、膨らんだ被膜に慎重に穴をあけてみました。
うーん、どうなんでしょう。とりあえず、動作にはまったく支障なく、ふたたびフラットに戻りました。このまま使い続けていいものか悩み深い。以前は持ち出すこともありましたが、今はその必要はまったくありませんし、安いのでも買いなおした方がいいのは間違いなさそうです。
今は二代目がでていますが、主要しているのは初代のもの。とは言っても、性能的にはまったく今でも遜色ありません。なにしろ、仕事場でネット検索とかメールのチェックが主たる作業ですから。
もともと底面はフラットで、おいた時の安定感があるわけですが、なんか数カ月前からぐらぐらする感じがしてきました。
おいている場所が机の上ではないので、しょうがないのかなぁと思っていたのですが、ふっと見たらそこが盛り上がってきているのにきがついた。
このPCはネジが表面には見えているところがなく、底のパネルも接着剤でしっかりとくっついているタイプ。それが浮き上がって、本体との間に隙間ができている。
とっくに保証期間は過ぎていますし、PCの寿命は基本的に数年と割り切って、底のパネルをはがしてみました。
パネルが盛り上がってきた原因は、なんとバッテリー。この機種は液晶側がタブレット形式になっていて、重要な部分は全部液晶側に入っています。キーボードは、中身のほとんどを占めているのは補助のバッテリー。
薄い5×10cmくらいのリチウムイオン電池が3枚入っていたのですが、それらを包んでいるアルミ?被膜がすべて膨張していました。
こりゃ、そのままにしていると破裂することは間違いない。爆発して火事にでもなったら大事です。液晶側にもバッテリーはあるし、いざとなったらタブレットとして使えばいいと思って、膨らんだ被膜に慎重に穴をあけてみました。
うーん、どうなんでしょう。とりあえず、動作にはまったく支障なく、ふたたびフラットに戻りました。このまま使い続けていいものか悩み深い。以前は持ち出すこともありましたが、今はその必要はまったくありませんし、安いのでも買いなおした方がいいのは間違いなさそうです。
2019年9月19日木曜日
Miles Davis / Rubberband (1986?)
なんと、マイルス・デイビスの幻のアルバムが発売されました。
マイルスが亡くなったのは1991年。2000年以降、ライブ音源は中心にどんどん発掘され、ついにはオフィシャルな「海賊盤」まで登場する始末。それにでも、だいたい出尽くした感があり、最近は注目度も下がってきていました。
ところが、マイルス信者の自分でも、これには驚愕。「ラバーバンド」は、1986年にマイルスが長年所属していたColumbiaからWarnerへ移籍した年。「TUTU」は新たなマイルスのスタートとして大ヒットしました。
実は、その直前に別のアルバム制作が始まっていましたが、ボツになってお蔵入りしていたという話はけっこうよく知られた話。
2001年に、幻の「ラバーバンド」音源を含むWarner集大成の4枚組CDが発売されることになり、ファンを狂喜させたのですが、発売直前で中止。でも、デモ用CDが流出し海賊盤として出回りました。
その後、縮小した形で正規盤も発売されていて、いずれにしてもだいたいその内容はすでに知られていました。ところが、今回の発売された新譜では、それらにも含まれない曲があったりして、アルバムの全貌がついに明らかになる!! とくれば、当然買わないという選択はありえない。
・・・なんですが。
予想されていた結果ともいえますが・・・
う~ん。どうしましょうか。このアルバムの扱いには困惑を隠せない。
はっきり言って、マイルスの遺した音源を甥っ子のウィルバーンが遊び倒したとでもいうか、マイルスの遺産管理人を気取って、好き勝手な編集を加えた中途半端なCDという感じです。
確かに30年以上前のマイルスの音楽は、今となっては「古臭い」かもしれませんが、ファンが求めているのはマイルスが現代に生き返ることではない。あの時マイルスがやっていた音楽そのものを、そのままの形で聴きたいというのが望みです。
とにかくこれをマイルスの作品とよぶにはあまり抵抗がある。マイルスの音を利用した、トリヴュートというにも程遠い。なんでそのままの音源で発売しないのか。いじるなら、せいぜいリマスターだけにしとけ、と言いたいところです。
マイルスが亡くなったのは1991年。2000年以降、ライブ音源は中心にどんどん発掘され、ついにはオフィシャルな「海賊盤」まで登場する始末。それにでも、だいたい出尽くした感があり、最近は注目度も下がってきていました。
ところが、マイルス信者の自分でも、これには驚愕。「ラバーバンド」は、1986年にマイルスが長年所属していたColumbiaからWarnerへ移籍した年。「TUTU」は新たなマイルスのスタートとして大ヒットしました。
実は、その直前に別のアルバム制作が始まっていましたが、ボツになってお蔵入りしていたという話はけっこうよく知られた話。
2001年に、幻の「ラバーバンド」音源を含むWarner集大成の4枚組CDが発売されることになり、ファンを狂喜させたのですが、発売直前で中止。でも、デモ用CDが流出し海賊盤として出回りました。
その後、縮小した形で正規盤も発売されていて、いずれにしてもだいたいその内容はすでに知られていました。ところが、今回の発売された新譜では、それらにも含まれない曲があったりして、アルバムの全貌がついに明らかになる!! とくれば、当然買わないという選択はありえない。
・・・なんですが。
予想されていた結果ともいえますが・・・
う~ん。どうしましょうか。このアルバムの扱いには困惑を隠せない。
はっきり言って、マイルスの遺した音源を甥っ子のウィルバーンが遊び倒したとでもいうか、マイルスの遺産管理人を気取って、好き勝手な編集を加えた中途半端なCDという感じです。
確かに30年以上前のマイルスの音楽は、今となっては「古臭い」かもしれませんが、ファンが求めているのはマイルスが現代に生き返ることではない。あの時マイルスがやっていた音楽そのものを、そのままの形で聴きたいというのが望みです。
とにかくこれをマイルスの作品とよぶにはあまり抵抗がある。マイルスの音を利用した、トリヴュートというにも程遠い。なんでそのままの音源で発売しないのか。いじるなら、せいぜいリマスターだけにしとけ、と言いたいところです。
2019年9月18日水曜日
新横浜ラーメン博物館
ラーメン博物館とは、HPによると、「世界初のフードアミューズメントパーク「新横浜ラーメン博物館、略してラー博.全国各地のラーメンを、飛行機に乗らずに食べに行けるをコンセプトに更に幅広いラーメンを皆様にご紹介していきます」とのこと。
ラーメンは、もはや国民食といえるくらい日本独自の食文化として定着しましたから、こういう企画が歓迎されないはずがなく、うまいところに目を付けましたよね。
それだけでも、十分な集客力が期待できるはずなんですが、「博物館」として長期間存在するために、当然ラーメンにまつわる展示もあります。ただし、そこは学校の文化祭レベルで、それほどすごいことはありません。
一番の見所は、出展(出店?)しているフロアの作り。
かなり作り込んで、こだわりが半端ではない昭和20~30年代の街並みの再現がすごい。70代以上の方には、そうとう響くものがあるのではないでしょうか。
自分はというと・・・この時代に生まれていたはずなんですが、実は小さくて、一人で繁華街に出かけるはずもないので、記憶にあるのはもう少し新しい。
なんとなく、こんな風景もあったかもという感じなんですが、それでも細かい所で「確かにこんなだった」みたいなところがたくさん発見できてうれしかったです。
路地裏の民家の表札に「永野重雄」という名前がありましたが、当然新日鉄のトップだった永野重雄さんが、こんなところに住んでいたはずはありません。
映画「地下鉄にのって」、「ALWAYS・三丁目の夕日」シリーズなどの昭和レトロ感満載の世界に迷い込んだような錯覚をします。
実は、今回初めて訪れたんですが、近ければたくさんあるラーメン店を食べ歩きたくなりましたし、この街並み楽しかったので何度か行ってみたい気持ちになりました。
2019年9月17日火曜日
こむらさき @ 新横浜ラーメン博物館
1994年開業というから、もう四半世紀以上になるのに、やっと初めて新横浜ラーメン博物館に出かけてみました。
休日で雨ですから、屋内アミューズメントは・・・やっはりたくさんの人出があり、大いに賑わっていました。
小さめの丼にして複数の店で味わうのか、しっかりと普通に一杯を楽しむのか悩みどころですが、どの店も30~60分待ちなので、そんなに何度も並ぶ元気はありません。
今回は、たくつも入っている店の中から、開業当時から営業を続けている、博物館としては「老舗」の「こむらさき」の一択にしました。
ここのラーメンは「熊本ラーメン」ということで、桂花のような油こってりのマー油の香りが立ち上がる豚骨を想像していたら、だいぶ違う感じ。
豚骨の白いスープは、あっさりとしていてくどくありません。細かくしたロースト・ガーリックがばらばらとふりかけてあり、食欲をそそります。
トッピングのメンマ、もやし、きくらげはいずれも細いのも特徴的かもしれません。麺も比較的細麺で、あっさり系のスープが絡みやすい感じです。マルタイの棒ラーメンのとんこつ味のイメージというとわかりやすいかも。
大変美味しくいただきました。
2019年9月16日月曜日
Riccardo Chailly, Lucerne / Mahler Symphony No.8 (2016)
マーラー初心者としては、例によってネット上のいろいろな方の批評・感想を参考にするしかないわけですが、総じてアバドのルツェルン音楽祭の一連のシリーズは評判は悪くない。
最初に選んだセットとしては、このブルーレイは正解であったように思いますが、惜しむらくは第8番、「大地の歌」と未完の第10番が抜けている。
でも、安心してください。第10番は2013年に演奏していて、ネットで動画を視聴できます。実質的に交響曲の位置づけにある「大地の歌」は、第10番と合わせて、2011年にベルリンフィルで演奏していて、独唱はヨナス・カウフマンと、大好きなアンナ・ソフィー・フォン・オッターで、これもネットで視聴できる。
そして、残った第8番。これだけは、アバドの指揮で聴けるのは1994年のベルリンフィルとのライブしかありません。何しろ演奏するのにありえないくらい大人数が必要ですから、おいそれとできるものではありません。せめて動画が残っていれば嬉しいけど、無い物ねだりをしてもしょうがない。
2014年にアバドが亡くなって、ルツェルン祝祭管弦楽団の音楽監督の引き継いだのは、アバドの弟子ともいえるリッカルド・シャイー。2016年の就任記念コンサートは、なんとマーラー第8番。最初ですから、思い切り大きな企画で勝負です。ブルーレイも登場しています。
ルツェルンのアバドに対するリスペクトが感じられる企画ですし、これでオケとしてもマーラー・チクルスが完成する意義は大きい。それにしても、いつもなら観客が入る場所のかなりのスペースが合唱団にによって占められています。入場料はどうなっていたのか気になる・・・
最初に選んだセットとしては、このブルーレイは正解であったように思いますが、惜しむらくは第8番、「大地の歌」と未完の第10番が抜けている。
でも、安心してください。第10番は2013年に演奏していて、ネットで動画を視聴できます。実質的に交響曲の位置づけにある「大地の歌」は、第10番と合わせて、2011年にベルリンフィルで演奏していて、独唱はヨナス・カウフマンと、大好きなアンナ・ソフィー・フォン・オッターで、これもネットで視聴できる。
そして、残った第8番。これだけは、アバドの指揮で聴けるのは1994年のベルリンフィルとのライブしかありません。何しろ演奏するのにありえないくらい大人数が必要ですから、おいそれとできるものではありません。せめて動画が残っていれば嬉しいけど、無い物ねだりをしてもしょうがない。
2014年にアバドが亡くなって、ルツェルン祝祭管弦楽団の音楽監督の引き継いだのは、アバドの弟子ともいえるリッカルド・シャイー。2016年の就任記念コンサートは、なんとマーラー第8番。最初ですから、思い切り大きな企画で勝負です。ブルーレイも登場しています。
ルツェルンのアバドに対するリスペクトが感じられる企画ですし、これでオケとしてもマーラー・チクルスが完成する意義は大きい。それにしても、いつもなら観客が入る場所のかなりのスペースが合唱団にによって占められています。入場料はどうなっていたのか気になる・・・
2019年9月15日日曜日
ナンを作ってみた (2回目)
前回、ナンを作った時の反省は、生地を厚くし過ぎたことと、大きく作り過ぎたこと。
結果、断面は普通のパンみたいになってしまいました。それと、フォークで穴をたくさん開けとけというので、ぶすぶすと刺しすぎてあまり外見がよろしくなかった。
今回は、そこを改善してみました。
まず、生地を延ばす時に、手でできるだけ薄くなるようにしてみました。いかにもナンという形にはこだわらず、とにかく薄く薄くを心がけた。
それと、大きさもこぶりです。全部で200gの中力粉を使用していますが、これを6等分したので、一枚分は30数g程度です。いちまい食べてもお腹に占める量はたいしたことはありません。
プロはタンドール窯の壁にへばりつかすようにして焼くのですが、温度は300~500度といいますから、数分で焼きあがる。
家庭のオーブンは、ここでも温度の限界がネック。それでも、何とか300度を保って15分くらいで、こんな感じに出来上がりました。
2019年9月14日土曜日
中秋の名月 2019
もともとは旧暦での話。
旧暦では7月から9月が秋。ですから8月は真ん中で中秋。月の満ち欠けでは真ん中が満月で、それが15日と考えられ「十五夜」と呼ばれていました。
ですから、8月15日が満月で、気候も良いということで、平安時代から月見をする習慣が定着して「中秋の名月」と呼ぶようになったらしい。
今の暦では1か月ずれるし、そもそも月の満ち欠けの周期は30日ではないので、今年の9月の満月は昨夜ということでした。
宵のうちは雲が多くて、月は雲の合間に少し見え隠れする程度でしたが、真夜中になると一時雲が晴れてしっかりと満月が顔を出していました。
すすきも、団子も用意していませんでしたが、しっかりとお月見ができました。
実際には
2019年9月13日金曜日
Leonard Berstein / Marhler Complete Symphonies (DG)
もう今から50年も前に、初めてクラシック音楽を聴き始め、ロックからジャズに嗜好は写っても、細々とつづけてきましたが、本気で聴いているのはこの10数年の事。
もともと大人数のオーケストラは得意ではなく、器楽曲や室内楽が中心でした。それなのに、ついにマーラーに手を出してしまたったわけですが・・・
しつこいくらいに交響曲は不得意と言ってきたんだから、せいぜいモーツァルトやベートーヴェンの古典で止めておけばよかったんですが、だいたい交響曲好きな人が語りたがるのはブルックナーかマーラーらしい。
だったら、映画でおなじみだったマーラーの方が入りやすいかなと思ったのが運の尽き。
今までのマーラーのイメージはというと、長くて、難解で聴き疲れる音楽というところ。実際に、少し本気を出して聴いてみると・・・やっぱり、長い。終わりそうになってもなかなか終わらない。たくさんの歌心のあるメロディが出てくるんですが、それらの繋がりがよくわからない。
結果として、疲れる音楽だなぁという印象。
こんな風に書くと、マーラー党からは「この素人め」と、一斉攻撃を受けそうですが、マーラー初心者はだいたい同じ感想を抱くようです。ですから、音しかないCDだと、たぶん1曲90分もとても聴き続けていられない。
その点、ビデオはいい。指揮者の表情、手ぶり、そしてそれに反応するオケの面々が次から次へと映って、なんとか飽きずに見ていられます。見たのはアバドのルツェルン音楽祭のシリーズですが、本当に楽しそうに指揮をしているアバドが嬉しい。
そこで、今でこそ全集を録音した方はたくさんいますが、初期のマーラー人気の火付け役になったのがレナード・バーンスタインだろうと思います。
1986年から1990年にかけてコンセルトヘボウ、ニューヨークフィル、ウィーンフィルなどとバラバラにデジタルによるライブ収録を中心に、アナログ時代のものも集めて網羅されたバーンスタインにとって2回目の全集ボックスは、今では古典的名盤と言えそうです。
たぶん小学生の時に最初に買ったレコードはベームの第九、おそらくその次がバーンスタインのラプソディ・イン・ブルーだったんじゃないかと。バーンスタインはとても、馴染みがあるので、けっこうマーラーに慣れてきたら我慢して聴けそうな気がします。
もともと大人数のオーケストラは得意ではなく、器楽曲や室内楽が中心でした。それなのに、ついにマーラーに手を出してしまたったわけですが・・・
しつこいくらいに交響曲は不得意と言ってきたんだから、せいぜいモーツァルトやベートーヴェンの古典で止めておけばよかったんですが、だいたい交響曲好きな人が語りたがるのはブルックナーかマーラーらしい。
だったら、映画でおなじみだったマーラーの方が入りやすいかなと思ったのが運の尽き。
今までのマーラーのイメージはというと、長くて、難解で聴き疲れる音楽というところ。実際に、少し本気を出して聴いてみると・・・やっぱり、長い。終わりそうになってもなかなか終わらない。たくさんの歌心のあるメロディが出てくるんですが、それらの繋がりがよくわからない。
結果として、疲れる音楽だなぁという印象。
こんな風に書くと、マーラー党からは「この素人め」と、一斉攻撃を受けそうですが、マーラー初心者はだいたい同じ感想を抱くようです。ですから、音しかないCDだと、たぶん1曲90分もとても聴き続けていられない。
その点、ビデオはいい。指揮者の表情、手ぶり、そしてそれに反応するオケの面々が次から次へと映って、なんとか飽きずに見ていられます。見たのはアバドのルツェルン音楽祭のシリーズですが、本当に楽しそうに指揮をしているアバドが嬉しい。
そこで、今でこそ全集を録音した方はたくさんいますが、初期のマーラー人気の火付け役になったのがレナード・バーンスタインだろうと思います。
1986年から1990年にかけてコンセルトヘボウ、ニューヨークフィル、ウィーンフィルなどとバラバラにデジタルによるライブ収録を中心に、アナログ時代のものも集めて網羅されたバーンスタインにとって2回目の全集ボックスは、今では古典的名盤と言えそうです。
たぶん小学生の時に最初に買ったレコードはベームの第九、おそらくその次がバーンスタインのラプソディ・イン・ブルーだったんじゃないかと。バーンスタインはとても、馴染みがあるので、けっこうマーラーに慣れてきたら我慢して聴けそうな気がします。
2019年9月12日木曜日
Martha Argerich / Rendezvous with Argerich (2019)
近年のアルゲリッチの活躍は、主として若手育成に力を注いでいて、各地の音楽祭を中心に若手とのアンサンブルを中心とした演奏がほとんど。それでも、78才になってもさすがに現代ピアニストの最高峰としての聴かせる力は衰えるところがありません。
そのような活動の中心となっていたルガーノ音楽祭では、大スポンサーが降りたことで「アルゲリッチ・プロジェクト」は2016年で終了となり、大変残念な思いをしたファンはたくさんいます。
でも、拾う神ありみたいな話ですが、さすがにアルゲリッチはまだまだほっておかれたりはしません。昨年は5月に別府で「アルゲリッチ音楽祭」を主宰したあと、6月はハンブルグ音楽祭に登場し1週間にわたって、ルガーノを彷彿とさせるベテランから若手を多数集めたライブを繰り広げていました。
ルガーノの記録はEMI、そしてWarnerから毎年CD3枚組でアルゲリッチの演奏を中心にライブが発売され楽しみましたが、今回のハンブルグはなんと7枚組で登場です。
今回はお馴染みのバイオリンのルノー・カプソンは参加していませんが、その代わりで活躍しているのが諏訪内晶子というところが大注目です。マイスキー、コヴァセビッチ、アンゲリッチらの大御所も大活躍。娘のアニーがナレーションを務める「動物の謝肉祭」も楽しそう。
今週発売されたばかりのほやほやのセットですが、実はまだ手元に届いていません。こういう企画は、聴く側も楽しいですが、きっと演奏する側はもっと楽しんでいると思います。なんとか継続してもらいたいと思います。
今回はお馴染みのバイオリンのルノー・カプソンは参加していませんが、その代わりで活躍しているのが諏訪内晶子というところが大注目です。マイスキー、コヴァセビッチ、アンゲリッチらの大御所も大活躍。娘のアニーがナレーションを務める「動物の謝肉祭」も楽しそう。
今週発売されたばかりのほやほやのセットですが、実はまだ手元に届いていません。こういう企画は、聴く側も楽しいですが、きっと演奏する側はもっと楽しんでいると思います。なんとか継続してもらいたいと思います。
2019年9月11日水曜日
Hiro Kurosaki / Beethoven Complete Violin Sonats
バロック音楽なら、もう古楽器を用いた演奏の方が主流であり、バッハをモダン楽器で演奏しようという方が今では少数派。
古典の時代でも、例えばモーツァルトの古楽器演奏はかなり充実してきています。古典期の最後に位置するシューベルトの器楽曲や室内楽曲も、古楽器による演奏がちょこちょこと見つかるようになりました。
作曲家の作った音楽の本来の姿を楽しむという意味で、クラシック音楽を楽しむ上で、古楽器演奏を避けては通れなくなっています。
じゃあ、ベートーヴェンは? というと、CD一枚単位でならいくつかありますが、それなりに古楽器演奏でまとめあげたものが意外と見つけられない。
交響曲とピアノ協奏曲はまぁまぁある。やはり、ガーディナーの交響曲全集のヒットの影響が大きいのかもしれません。いずれも、きびきびした演奏で、モダン楽器のオーケストラも、古楽器奏法を取り入れる傾向にあります。
ピアノ独奏は、昨日紹介したブラウティハムとバドゥラ=スコダくらいしかありません。チェロ・ソナタは、もう古くなったビルスマの一択。ピアノ三重奏や弦楽四重奏については、全集化したものはたぶんないんじゃないでしょうか。
バイオリン・ソナタは数種類ありそうですが、先駆けとしてはヤープ・シュレーダーのものがあります。シュレーダーはアカデミー・オブ・アンシエント・ミュージックで活躍し、自分も好きな古楽三重奏のアトランティス・トリオを主宰しています。
ただし、演奏・録音ともに評価できる全集というとヒロ・クロサキくらいだろうと思います。ヒロ・クロサキはウイーン生まれの日本人。ヴィーラント・クイケンに師事し、ヴィーラント・クイケン、ウィリアム・クリスティなどのもとで活躍し、古楽奏法のバイオリン奏者として有名。モーツァルトのソナタもまとまってCD化されていて高い評価を受けています。
モダン楽器による「迫力」と比べると、聴き劣りする部分は否定できませんが、それだけモダン楽器による演奏が、作曲家が意図していた本来の音楽から修飾を施されたものということ。それを否定することはありませんが、それとは別の次元で古楽器演奏の意味と価値を見極めの事も大切です。
古典の時代でも、例えばモーツァルトの古楽器演奏はかなり充実してきています。古典期の最後に位置するシューベルトの器楽曲や室内楽曲も、古楽器による演奏がちょこちょこと見つかるようになりました。
作曲家の作った音楽の本来の姿を楽しむという意味で、クラシック音楽を楽しむ上で、古楽器演奏を避けては通れなくなっています。
じゃあ、ベートーヴェンは? というと、CD一枚単位でならいくつかありますが、それなりに古楽器演奏でまとめあげたものが意外と見つけられない。
交響曲とピアノ協奏曲はまぁまぁある。やはり、ガーディナーの交響曲全集のヒットの影響が大きいのかもしれません。いずれも、きびきびした演奏で、モダン楽器のオーケストラも、古楽器奏法を取り入れる傾向にあります。
ピアノ独奏は、昨日紹介したブラウティハムとバドゥラ=スコダくらいしかありません。チェロ・ソナタは、もう古くなったビルスマの一択。ピアノ三重奏や弦楽四重奏については、全集化したものはたぶんないんじゃないでしょうか。
バイオリン・ソナタは数種類ありそうですが、先駆けとしてはヤープ・シュレーダーのものがあります。シュレーダーはアカデミー・オブ・アンシエント・ミュージックで活躍し、自分も好きな古楽三重奏のアトランティス・トリオを主宰しています。
ただし、演奏・録音ともに評価できる全集というとヒロ・クロサキくらいだろうと思います。ヒロ・クロサキはウイーン生まれの日本人。ヴィーラント・クイケンに師事し、ヴィーラント・クイケン、ウィリアム・クリスティなどのもとで活躍し、古楽奏法のバイオリン奏者として有名。モーツァルトのソナタもまとまってCD化されていて高い評価を受けています。
モダン楽器による「迫力」と比べると、聴き劣りする部分は否定できませんが、それだけモダン楽器による演奏が、作曲家が意図していた本来の音楽から修飾を施されたものということ。それを否定することはありませんが、それとは別の次元で古楽器演奏の意味と価値を見極めの事も大切です。
2019年9月10日火曜日
Ronald Brautigam / Beethoven Complete Sonatas
最近はオーケストラを集中的に聴いていましたが、その反動か、久しぶりにベートーヴェンのピアノソナタも聴きたくなりました。
そもそもベートーヴェンの時代には、今のようなスタインウェイのようなモダンピアノは存在していなかったのは当たり前の話。いわゆるフォルテピアノの時代であり、その進化の過程で鍵盤の数がどんどん増えていった。
ベートーヴェンも、登場てくる新しい楽器に合わせて、32曲あるソナタはどんどん複雑に進化させていきました。
それらをすべてカバーできるモダンピアノの演奏は、現代の私たちの耳には馴染みやすく、実際の演奏としても多くの名盤を残してきました。一方で、本来のベートーヴェンが前提としていたフォルテピアノによるソナタの全曲録音は意外と少ない。
一枚のアルバム単位では、いくつか出てきますが、全集規模では草分けのバドゥラ=スコダかロナルド・ブラウティハムくらいしかありません。しかも、ブラウティハムは、ソナタ以外の独奏曲をほぼすべて網羅し、協奏曲も古楽界のパロットと全集を完成しています。
しかも数種類のフォルテピアノを用いて、作曲された時代に合わせて弾き分けるという念のいりようで、緻密な研究をふまえた記録としての価値も高めています。
だからと言って、すべてを網羅するだけが目的で「事典」を作ることが目的というような批評を受けるような演奏ではありません。ハイドン、モーツァルトのソナタ全集をすでに作ってきたブラウティハムですから、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて成熟していく音楽をしっかりとしたテクニックのもとで弾きこんできました。
モダンピアノと比べて、フォルテピアノでは音の残響が少なく、一つ一つの打鍵による音のかぶりは少なくなります。この点が、フォルテピアノで曲を聴く時の大きな違いになってくるわけで、おそらくそのことをモダンピアノで実現しようとしたのがグレン・グールトかもしれません。
聴く人によっては、ブラウティハムの演奏は非常に淡白で、音圧が低いダイナミックさが感じられないと思うかもしれません。そのあたりは好みの問題ですから、現代で聴く音楽としてはどちらか正解というものではありません。
ただ、そういう風に感じる方にブラウティハムの言葉を贈りたい。それは「モダン・ピアノで全てを演奏する人は、1本のクラブでゴルフをするようなものです」というもの。当然局面によっていろいろなクラブを使い分けるわけですから、まさに目から鱗が落ちるような説明だと思います。
そもそもベートーヴェンの時代には、今のようなスタインウェイのようなモダンピアノは存在していなかったのは当たり前の話。いわゆるフォルテピアノの時代であり、その進化の過程で鍵盤の数がどんどん増えていった。
ベートーヴェンも、登場てくる新しい楽器に合わせて、32曲あるソナタはどんどん複雑に進化させていきました。
それらをすべてカバーできるモダンピアノの演奏は、現代の私たちの耳には馴染みやすく、実際の演奏としても多くの名盤を残してきました。一方で、本来のベートーヴェンが前提としていたフォルテピアノによるソナタの全曲録音は意外と少ない。
一枚のアルバム単位では、いくつか出てきますが、全集規模では草分けのバドゥラ=スコダかロナルド・ブラウティハムくらいしかありません。しかも、ブラウティハムは、ソナタ以外の独奏曲をほぼすべて網羅し、協奏曲も古楽界のパロットと全集を完成しています。
しかも数種類のフォルテピアノを用いて、作曲された時代に合わせて弾き分けるという念のいりようで、緻密な研究をふまえた記録としての価値も高めています。
だからと言って、すべてを網羅するだけが目的で「事典」を作ることが目的というような批評を受けるような演奏ではありません。ハイドン、モーツァルトのソナタ全集をすでに作ってきたブラウティハムですから、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて成熟していく音楽をしっかりとしたテクニックのもとで弾きこんできました。
モダンピアノと比べて、フォルテピアノでは音の残響が少なく、一つ一つの打鍵による音のかぶりは少なくなります。この点が、フォルテピアノで曲を聴く時の大きな違いになってくるわけで、おそらくそのことをモダンピアノで実現しようとしたのがグレン・グールトかもしれません。
聴く人によっては、ブラウティハムの演奏は非常に淡白で、音圧が低いダイナミックさが感じられないと思うかもしれません。そのあたりは好みの問題ですから、現代で聴く音楽としてはどちらか正解というものではありません。
ただ、そういう風に感じる方にブラウティハムの言葉を贈りたい。それは「モダン・ピアノで全てを演奏する人は、1本のクラブでゴルフをするようなものです」というもの。当然局面によっていろいろなクラブを使い分けるわけですから、まさに目から鱗が落ちるような説明だと思います。
2019年9月9日月曜日
台風直撃
本日未明に、台風15号が三浦半島付近に上陸し、首都圏を直撃しました。
これだけ真っ向から挑まれたのは、あまり記憶にありません。
しかも、気圧がすごい。大島付近にいた時は955hPa、おそらく上陸時でも960hPaということです。
日本に近づいた時はそのくらいのことはよくありますが、関東付近ではだいぶ弱まっていることがほとんど。
昨夜のうちに、土砂災害の警戒情報、一分地域の避難勧告、停電に対する警告などがだされています。
去年の10月の21号も似たような剛腕台風で、うちでは盆栽の棚が崩壊しましたので、今回は昨夜のうちに鉢を棚から降ろしておきました。
午前中には天気は回復しますが、朝の通勤への影響は必至です。傘をさせる風雨ではありませんので、くれぐれも注意しましましょう。
2019年9月8日日曜日
Claudio Abbado / Mahler Symphonies (Lucerne Festival)
もともと大編成オーケストラが苦手・・・というのも、音楽を聴きだした70年代は帝王カラヤンが君臨し、その威圧感みたいなものが好きではなかったのだろうと思います。
ですから、クラシック音楽は、比較的コンスタントに聴き続けていたにもかかわらず、指揮者という存在はあまり注目してきませんでした。
そんな中で、レナード・バーンスタインは70年代は若手の旗頭で、いかにもアメリカ人らしい自由が感じられたのか嫌いではなかった。しかし、80年代以降はヨーロッパを主な舞台としてからは、巨匠然として魅力を感じなくなりました。
クラウディオ・アバドは、カラヤン亡き後のベルリンフィルを引き継ぎ、おそらく色濃く残る帝王のイメージの継承を余儀なくされつつも、独自のカラーを出さねばならないという難しい状況にあったと思います。
そういう環境にある姿が嫌いではなく、何かを変えている期待感があったのか、アバドは昔から嫌いじゃない。どっちを取るかという時、アバドがあればアバドを選んでいたように思います。
ですから、いろいろな音楽家が亡くなって聴けなくなるのは残念ですが、2014年にアバドが亡くなった時はことさら感慨深いものがありました。
クラシック音楽は基本的に限られた芸術遺産ですから、器楽曲、室内楽曲を中心に聴き漁って、古楽・声楽曲にたどり着きだいたい聴いてしまうと、あとは残っているのは管弦楽曲です。
そうなると、あらためて指揮者、特にアバドに注目せざるをえないということになってくる。王道のベルリンフィルについては、病気のため2002年に音楽監督を辞任しましたが、療養復活後の活躍がむしろ足かせが取れて、本当に好きなことをやっているという充実感があることに気がつきました。
ベルリンフィルについてはラトルに任せて、アバドの最後の12年間に注目してみると、自ら組織したモーツァルト管弦楽団、そしてマーラー室内管弦楽団を再編したルツェルン音楽祭祝祭管弦楽団との活動が見えてきました。
特にルツェルンでのアバドは、外見は病気をして急に老け込んだ感が強いのですが、むしろこれが全盛期といわんばかりの活躍です。若い頃から多くのマーラー作品を何度取り上げてきたアバドは、ここで最後のチクルスに挑みます。
実は三回のチクルスの録音が残されたにもかかわらず、アバドの本当の意味でのマーラー交響曲全集(全9曲、未完を含むと10曲)は存在しません。
最初が76年から92年までのシカゴ交響楽団とウィーンフィルを取り混ぜたセッション録音。ここでは一番大掛かりな8番が抜けています。そのまま時期が一部重なって89年からはベルリンフィルとライブ録音を2005年まで行いますが、今度は2番と10番が抜けています。
そして、2003年からはルツェルンでのライブが始まり、2009年までに8番以外が収録されました。亡くなるまでに5年間があったので、本気で全集としたかったらできないことはなかったと思いますが、あえて演奏しないという何らかの意図が感じられます。なお未完の10番は2013年に演奏されましたが、メディアとして発売されていません。
マーラーは、とにかく長いという印象があって、5番のアダージオ以外はほとんど聴いてきませんでした。5番は、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」のクライマックスに延々と流れていて、これが実に良かった・・・んですが、こういうときこそ映像があるというのが随分と助けなる。
当分はルツェルンのアバドの、充実の晩年とマーラーを楽しむことにしたいと思います。
ですから、クラシック音楽は、比較的コンスタントに聴き続けていたにもかかわらず、指揮者という存在はあまり注目してきませんでした。
そんな中で、レナード・バーンスタインは70年代は若手の旗頭で、いかにもアメリカ人らしい自由が感じられたのか嫌いではなかった。しかし、80年代以降はヨーロッパを主な舞台としてからは、巨匠然として魅力を感じなくなりました。
クラウディオ・アバドは、カラヤン亡き後のベルリンフィルを引き継ぎ、おそらく色濃く残る帝王のイメージの継承を余儀なくされつつも、独自のカラーを出さねばならないという難しい状況にあったと思います。
そういう環境にある姿が嫌いではなく、何かを変えている期待感があったのか、アバドは昔から嫌いじゃない。どっちを取るかという時、アバドがあればアバドを選んでいたように思います。
ですから、いろいろな音楽家が亡くなって聴けなくなるのは残念ですが、2014年にアバドが亡くなった時はことさら感慨深いものがありました。
クラシック音楽は基本的に限られた芸術遺産ですから、器楽曲、室内楽曲を中心に聴き漁って、古楽・声楽曲にたどり着きだいたい聴いてしまうと、あとは残っているのは管弦楽曲です。
そうなると、あらためて指揮者、特にアバドに注目せざるをえないということになってくる。王道のベルリンフィルについては、病気のため2002年に音楽監督を辞任しましたが、療養復活後の活躍がむしろ足かせが取れて、本当に好きなことをやっているという充実感があることに気がつきました。
ベルリンフィルについてはラトルに任せて、アバドの最後の12年間に注目してみると、自ら組織したモーツァルト管弦楽団、そしてマーラー室内管弦楽団を再編したルツェルン音楽祭祝祭管弦楽団との活動が見えてきました。
特にルツェルンでのアバドは、外見は病気をして急に老け込んだ感が強いのですが、むしろこれが全盛期といわんばかりの活躍です。若い頃から多くのマーラー作品を何度取り上げてきたアバドは、ここで最後のチクルスに挑みます。
実は三回のチクルスの録音が残されたにもかかわらず、アバドの本当の意味でのマーラー交響曲全集(全9曲、未完を含むと10曲)は存在しません。
最初が76年から92年までのシカゴ交響楽団とウィーンフィルを取り混ぜたセッション録音。ここでは一番大掛かりな8番が抜けています。そのまま時期が一部重なって89年からはベルリンフィルとライブ録音を2005年まで行いますが、今度は2番と10番が抜けています。
そして、2003年からはルツェルンでのライブが始まり、2009年までに8番以外が収録されました。亡くなるまでに5年間があったので、本気で全集としたかったらできないことはなかったと思いますが、あえて演奏しないという何らかの意図が感じられます。なお未完の10番は2013年に演奏されましたが、メディアとして発売されていません。
マーラーは、とにかく長いという印象があって、5番のアダージオ以外はほとんど聴いてきませんでした。5番は、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」のクライマックスに延々と流れていて、これが実に良かった・・・んですが、こういうときこそ映像があるというのが随分と助けなる。
当分はルツェルンのアバドの、充実の晩年とマーラーを楽しむことにしたいと思います。
2019年9月7日土曜日
カップヌードル 味噌
カップヌードルという、食文化を激変させた大発明が登場して、もうじき50年です。今までに、元祖以外にいろいろな味のバリエーションが登場しています。
ありそうでなかったのが、何と「味噌」でした。
日本人にとっては馴染み深い味なんですが、何故か味噌味はなかった。それが、ついに今年?発売になりました。登場と同時に品薄になり、一時販売停止。最近、販売を再開し手に入れることができました。
手に入りにくいということが、期待を膨らませすぎたのか、実食してみると意外とつまらない味という印象。オリジナルと比べて多少の風味の違いと濃さはあるとは思いますが、たいして変わらない感じです。
もちろん不味いわけではないけど・・・結局、オリジナルとシーフードがあればいいという、毎度同じ結論に行きつくことになりました。
2019年9月6日金曜日
ヘッドホン
そう言えば・・・・小学生の時、ヘッドホンを付けたくて放送部に入ったような・・・
ということで、昔からヘッドホンは嫌いじゃない。でも、ウォークマンが流行って、世の中はイアホンの時代。確かに小さくて、持ち運びが便利。直接耳の中に音が飛び込んでくるのが気持ちいい。
ハイレゾ音源を聴きたくて、「ポタアン」デヴューほ決めたのはいいのですが、その音を最後に出すスピーカーをどうするかという問題も伴って来ました。
もうずいぶんと前から、自宅の音響環境はテレビのホームシアターか、パソコンのスピーカーしかない。さすがに、音楽を本気で聴こうというものからは程遠いことは自覚しています。
そこで、あらためてハイレゾ用のアンプとかすびかーとか・・・まぁ、そこまでお金をかけるほど音楽に集中することはあまりありませんから、やっぱりイアホンかヘッドホンが現実的。
じゃあ、イアホンかというと、外で使うならそれもありなんですが、歩きながら使うということはほぼ無い。それと決定的なのは、コードが擦れたり、自分の体が発生する音も聞こえたりして、聴きたい音以外を拾い過ぎるのが最大の難点。
それじゃ、やっぱりヘッドホンでしょう。というわけなんですが、ハイレゾ対応の今どきのヘッドホンは高いです。数万円するのが当たり前。
USB-DACをSONYで選んだので、相性を考えてSONYのヘッドホンを探して見ると、一世代前の密閉型のMDR-1がスタンダードのようですが、それとほぼ同等の廉価版という位置づけのMDR-10というシリーズがある。
そこでAmazonの中古で「中古品-非常に良い」か「中古品-良い」で探して見たら、なんと5000円を切る値段で見つけることができました。マーケットプレイスの店の評価も97%で心配なさそうなんでポチっとしちゃいました。
気になるのはイアパッドの劣化ですが、いざとなったら交換パーツがあるので安心。これでいよいよハイレゾ・デヴューできるというものです。
気になるのはイアパッドの劣化ですが、いざとなったら交換パーツがあるので安心。これでいよいよハイレゾ・デヴューできるというものです。
2019年9月5日木曜日
ハイレゾ音源
ベルリンフィルの独自レーベルをいくつか買ったのですが、これにはハイレゾ音源の無料ダウンロードがおまけでついています。
ハイレゾはHigh-Resolution、つまり高解像度という意味で、マスター音源「並み」の高音質で音楽を楽しめるというもの。詳しい解説は、あちこちに山ほど出ています。
そもそも80年代に、レコードからCDに音楽メディアが変わっていく前後に、音源の扱いがアナログからデジタルになりました。
アナログは、低温から高温までのさまざまな周波数を無段階に収録します。一方、デジタルは周波数帯を細かく分けて、それぞれをゼロか1で表すというもの。ですから、デジタル音源ではどうしても欠落する情報が含まれることは避けられません。
確かに、デジタル録音最初期のレコードでは、こもったような狭い音域という印象がありました。
まして、通常CDでは、収録するデータ量の関係で、もともとのデータをさらに絞り込んでいることはよく知られていることです。CD登場当時は、技術的にもそれ以上のハードがありませんでしたので、特に大きな不満はありませんでした。
しかし、時代は進歩して、大きなデータも誰もが扱いやすくなりました。周波数の分割をよりきめ細かくし、時間単位の情報量を増やすことが可能になって、ハイレゾ音源が次第に一般化してきています。
自分の場合、最初のハイレゾ音源との出会いはSACDです。5年くらい前に、SACDを再生するためにSACD対応のBlurayプレイヤーを購入しました。とは言っても、専用プレイヤーではないせいか、あるいは最終出力するスピーカーがせこいせいか、あまりその差を感じる事はできませんでした。
ところが、ハイレゾ音源対応音楽再生ソフトを使って、ダウンロードしたハイレゾ音源をパソコンで再生してみると、確かに多少の違いがある感じ。ただし、パソコンのデフォルトのサウンドボードは、ハイレゾを再生する能力はありません。
そこで、できるだけ少ない出費でハイレゾをハイレゾとして再生したくなるという・・・どうも、この手のことは嫌いじゃないので、いろいろ調べてみました。
そこで選んだのはパソコンでも使える「ポタアン(ポータブル・アンプ)」と呼ばれるUSB-DACなるもの。デジタル信号をイヤホンで聞くためのアナログ信号に変換する道具です。
中国製?とみられる1万円を切るもっと安いものもありますが、ここは信頼のSONYにしたいところ。細かい機能を省いて、基本性能だけはしっかりとおさえた入門機という扱いのPHA-1Aを選んでみました。
これで、とりあえずどっか~んとベルリンフィルを聴いてみたいと思います。気に入ったら、ハイレゾ専用ヘッドホンとか、より上級のUSB-DACの購入を検討するかもしれません。
ハイレゾはHigh-Resolution、つまり高解像度という意味で、マスター音源「並み」の高音質で音楽を楽しめるというもの。詳しい解説は、あちこちに山ほど出ています。
そもそも80年代に、レコードからCDに音楽メディアが変わっていく前後に、音源の扱いがアナログからデジタルになりました。
アナログは、低温から高温までのさまざまな周波数を無段階に収録します。一方、デジタルは周波数帯を細かく分けて、それぞれをゼロか1で表すというもの。ですから、デジタル音源ではどうしても欠落する情報が含まれることは避けられません。
確かに、デジタル録音最初期のレコードでは、こもったような狭い音域という印象がありました。
まして、通常CDでは、収録するデータ量の関係で、もともとのデータをさらに絞り込んでいることはよく知られていることです。CD登場当時は、技術的にもそれ以上のハードがありませんでしたので、特に大きな不満はありませんでした。
しかし、時代は進歩して、大きなデータも誰もが扱いやすくなりました。周波数の分割をよりきめ細かくし、時間単位の情報量を増やすことが可能になって、ハイレゾ音源が次第に一般化してきています。
自分の場合、最初のハイレゾ音源との出会いはSACDです。5年くらい前に、SACDを再生するためにSACD対応のBlurayプレイヤーを購入しました。とは言っても、専用プレイヤーではないせいか、あるいは最終出力するスピーカーがせこいせいか、あまりその差を感じる事はできませんでした。
ところが、ハイレゾ音源対応音楽再生ソフトを使って、ダウンロードしたハイレゾ音源をパソコンで再生してみると、確かに多少の違いがある感じ。ただし、パソコンのデフォルトのサウンドボードは、ハイレゾを再生する能力はありません。
そこで、できるだけ少ない出費でハイレゾをハイレゾとして再生したくなるという・・・どうも、この手のことは嫌いじゃないので、いろいろ調べてみました。
そこで選んだのはパソコンでも使える「ポタアン(ポータブル・アンプ)」と呼ばれるUSB-DACなるもの。デジタル信号をイヤホンで聞くためのアナログ信号に変換する道具です。
中国製?とみられる1万円を切るもっと安いものもありますが、ここは信頼のSONYにしたいところ。細かい機能を省いて、基本性能だけはしっかりとおさえた入門機という扱いのPHA-1Aを選んでみました。
これで、とりあえずどっか~んとベルリンフィルを聴いてみたいと思います。気に入ったら、ハイレゾ専用ヘッドホンとか、より上級のUSB-DACの購入を検討するかもしれません。
2019年9月4日水曜日
キャッシュレス
今年は、キャッシュレス決済が大流行りで、次から次へといろいろなものが出てきて、あっちでもこっちでも「ぺいぺい、ぺいぺい」とうるさいくらい。
年を取ると新しいものに手をだしにくく、ついつい保守的になりがちですが、どうもお金については「現物」以外の目に見えない形になってしまうと不安でしょうがない。
クレジットカードは、もう長らく使用していて、基本的に銀行から現金は動かないので、使ったら使った分だけ減っていくのがわかりやすい。
ところが最近の電子マネーは、一度ネット上の「仮想空間」にお金を移動させるイメージ。それを誰がどうやって管理しているのか・・・
実際、セブンイレブンのような事態が起こったことを考えると、素直に信用する根拠が薄弱です。
消費税アップに伴って、国を挙げてキャッシュレス・サービスを推奨しているみたいなところもあり、まるで現金を持ち歩くのは「旧人類」かのような扱われ方をされている。
クレジットカードだけで、十分に機能していると思うんですけどね。
2019年9月3日火曜日
Sir Simon Rattle BPO / Bach Matthaus-passion (2010)
クラシック音楽のDVDは、どう頑張っても地味。そもそも燕尾服を着た白黒の楽団員が多くて、動きも少ない。派手派手なレーザービームが飛び交うことはありません。
アルゲリッチのビデオなんかだと、白髪の多さと画質の良し悪しで年代が違うなとは思いますが、基本的にどれをとっても大きな差はありません。
もちろん、オペラともなれば、オケよりもいろいろな衣装を着て演技する歌手がたくさん映っています。
とは言っても、劇団☆新感線の舞台DVDのように多数のカメラワークを駆使しているわけではないので、ずっと観客席から平面的に観ているようなものが多くて、ちょっと退屈です。
その中でも、ベルリンフィルの最近のコンサート映像作品は、いろいろと工夫が感じられます。このあたりは、前任者のサイモン・ラトルの功績が大きいようです。
特に完全に固定観念を崩されたのが、バッハの「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」のビデオ。
宗教曲ですから、場所は普通は教会かコンサートホール。きちんと整列して、ひたすらイエスの悲劇の生涯を謳いあげていくわけで、音楽としては大好きですが、見ていてそんなに面白いはずがない。
ところが、ラトル&ベルリンフィルは、なんと歌手たちにオペラのように演技をさせました。もともと劇的な生涯の話ですから、オペラ的な処理は可能な題材であることは間違いない。
これはアメリカ人で、ユニークなオペラ演出で評価が高いピーター・セラーズ(英の俳優とは別人)の仕掛けなんですが、歌手陣の動きが大きく見ていて飽きません。
特筆すべきはエバンゲリスト。エバンゲリストは宗教曲では、ト書きを音楽にのせて説明する役割で、ドラマで言えばナレーター。
ところがここでは、主人公のイエスは離れた場所で歌うだけで、他の歌手たちはエバンゲリストをイエスに見立てて演技をしてくるのです。一番出番の多いエバンゲリストが、実質的に舞台の主役としていきいきとしてくる。
エバンゲリストを演じるのは、この役どころではお馴染みのマーク・パドモアですから、歌唱については何の不安もありません。マグダレーナ・コジェナーがマグダラのマリアで、宗教曲としては実に妖艶にアリアを歌い上げます。
演奏人も、それぞれの歌手と一対一に絡むようなところが面白い。ベルリンフィルですが、人数を絞って古楽的な編成も好感が持てます。
特に注目なのが、ガンバのソロでゲスト出演したヒレ・パール。パールは独特の雰囲気を持っていて、マタイの中にはまり切った感じが素晴らしい。
さらに有り難いことに、日本語字幕がついているので、全体の話の流れもわかりやすく、すでにいろいろなマタイを聴きまくった人にも、初めてマタイに接する人にもお勧めしたい一品です。
アルゲリッチのビデオなんかだと、白髪の多さと画質の良し悪しで年代が違うなとは思いますが、基本的にどれをとっても大きな差はありません。
もちろん、オペラともなれば、オケよりもいろいろな衣装を着て演技する歌手がたくさん映っています。
とは言っても、劇団☆新感線の舞台DVDのように多数のカメラワークを駆使しているわけではないので、ずっと観客席から平面的に観ているようなものが多くて、ちょっと退屈です。
その中でも、ベルリンフィルの最近のコンサート映像作品は、いろいろと工夫が感じられます。このあたりは、前任者のサイモン・ラトルの功績が大きいようです。
特に完全に固定観念を崩されたのが、バッハの「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」のビデオ。
宗教曲ですから、場所は普通は教会かコンサートホール。きちんと整列して、ひたすらイエスの悲劇の生涯を謳いあげていくわけで、音楽としては大好きですが、見ていてそんなに面白いはずがない。
ところが、ラトル&ベルリンフィルは、なんと歌手たちにオペラのように演技をさせました。もともと劇的な生涯の話ですから、オペラ的な処理は可能な題材であることは間違いない。
これはアメリカ人で、ユニークなオペラ演出で評価が高いピーター・セラーズ(英の俳優とは別人)の仕掛けなんですが、歌手陣の動きが大きく見ていて飽きません。
特筆すべきはエバンゲリスト。エバンゲリストは宗教曲では、ト書きを音楽にのせて説明する役割で、ドラマで言えばナレーター。
ところがここでは、主人公のイエスは離れた場所で歌うだけで、他の歌手たちはエバンゲリストをイエスに見立てて演技をしてくるのです。一番出番の多いエバンゲリストが、実質的に舞台の主役としていきいきとしてくる。
エバンゲリストを演じるのは、この役どころではお馴染みのマーク・パドモアですから、歌唱については何の不安もありません。マグダレーナ・コジェナーがマグダラのマリアで、宗教曲としては実に妖艶にアリアを歌い上げます。
演奏人も、それぞれの歌手と一対一に絡むようなところが面白い。ベルリンフィルですが、人数を絞って古楽的な編成も好感が持てます。
特に注目なのが、ガンバのソロでゲスト出演したヒレ・パール。パールは独特の雰囲気を持っていて、マタイの中にはまり切った感じが素晴らしい。
さらに有り難いことに、日本語字幕がついているので、全体の話の流れもわかりやすく、すでにいろいろなマタイを聴きまくった人にも、初めてマタイに接する人にもお勧めしたい一品です。
2019年9月2日月曜日
フォカッチャを作ってみた
フォカッチャは、イタリアの代表的なパン。
イタリアですから、バターじゃなくてオリーブオイルを練り込みます。平たく焼いて、窪みがあるのが特徴的。これから発展してピザができたと言われています。
強力粉と中力粉を7:3くらいで混ぜました。水は70%、塩は2%、インスタントドライイーストは0.4%です。砂糖は邪道らしいので入れません。
生地と一緒にオリーブオイルを4%、バジルを中心としたイタリアン・スパイスを適量練り込みますが、最初はオイルが混ざりにくい。
でも、ベンチタイムを長めにとると馴染んできます。独自のアレンジとして、ドライトマトを細かくして一緒に入れています。
一次発酵後分割して平たく丸めて二次発酵。250度で予熱開始し、オーブンに投入する前に、割りばしで押して窪みを作り、そこへ溜まるくらいオリーブオイルを塗ります。表面に岩塩とローズマリーをふって、20分間焼成して出来上がり。
分割せずに平たく広げたままで焼いてもよく、食べたいだけ、切って取るのが一般的なようです。
表面はパリっとして、中はモチモチ。ハーブの香りがして、そのまま食べてもいいし、何か料理のソースと一緒でもいい感じです。
2019年9月1日日曜日
K.Kondrashin / Scheherazade (1980)
普段の自分の嗜好のレパートリーとはだいぶかけ離れたタイトル。
とは言っても、実は「ロシア五人組」と呼ばれている、19世紀後半に注目された民族色を前面に出した作風で知られる作曲家の一人で、けっこう嫌いじゃない。近い所では、チャイコフスキーやドボルザークなどもいますしね。
ただし、五人組の一人リムスキー=コルサコフは、この「シェエラザード」が代表作とされ、これ以外は「熊蜂の飛行」を除いてあまり聴く機会が無い。たまたま、知人の奥さんがピアニストで、この曲の練習に駆り出されているという話を聞いて、そういえばうちにもあったなぁと思いだした。
しかも、そんなこととは知らなかったのですが、キリル・コンドラシン指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるCDで、この曲の演奏としては名盤中の名盤とされているもの。
リムスキー=コルサコフは交響曲を3曲作っていますが、実は第4番という位置づけで作ったのが「シェエラザード」です。シンドバットやアラジンで有名な「千夜一夜物語」を題材にしたもので、各楽章にそれらしい副題がついている。
第1楽章 海とシンドバッドの船
第2楽章 カランダール王子の物語
第3楽章 若い王子と王女
第4楽章 バグダッドの祭り、海、船は青銅の騎士のある岩で難破
カラフルなオーケスレーションと、ところどころに散りばめられる楽器の独奏を、エキゾチックな雰囲気の中で楽しめる曲です。
それにしても、オケの代わりにピアノで伴奏つけるというのは・・・大変だろうなとも思いますし、それができるというのはピアニストとしてかなり実力があるということですね。
とは言っても、実は「ロシア五人組」と呼ばれている、19世紀後半に注目された民族色を前面に出した作風で知られる作曲家の一人で、けっこう嫌いじゃない。近い所では、チャイコフスキーやドボルザークなどもいますしね。
ただし、五人組の一人リムスキー=コルサコフは、この「シェエラザード」が代表作とされ、これ以外は「熊蜂の飛行」を除いてあまり聴く機会が無い。たまたま、知人の奥さんがピアニストで、この曲の練習に駆り出されているという話を聞いて、そういえばうちにもあったなぁと思いだした。
しかも、そんなこととは知らなかったのですが、キリル・コンドラシン指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるCDで、この曲の演奏としては名盤中の名盤とされているもの。
リムスキー=コルサコフは交響曲を3曲作っていますが、実は第4番という位置づけで作ったのが「シェエラザード」です。シンドバットやアラジンで有名な「千夜一夜物語」を題材にしたもので、各楽章にそれらしい副題がついている。
第1楽章 海とシンドバッドの船
第2楽章 カランダール王子の物語
第3楽章 若い王子と王女
第4楽章 バグダッドの祭り、海、船は青銅の騎士のある岩で難破
カラフルなオーケスレーションと、ところどころに散りばめられる楽器の独奏を、エキゾチックな雰囲気の中で楽しめる曲です。
それにしても、オケの代わりにピアノで伴奏つけるというのは・・・大変だろうなとも思いますし、それができるというのはピアニストとしてかなり実力があるということですね。
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