2010年7月31日土曜日
熟れすぎ ~ あすなろ菜園
今年は日照も十分で、比較的野菜の生育もいいようです。7月に入ってから、ゴーヤの方も収穫ができるようらなりました。すでに何本か自分でも食べていますし、スタッフにあげたりしています。
さすがにスーパーで売っている物に比べて、ちょっと大きさとしては物足りない。そこで、もう少しほっとけば大きくなるのかと思ったら、これが大間違いでした。
大きさはそれほど変わらないようになって、しだいに色が黄色くなってきました。そしたら、患者さんの一人から、黄色くなると種ができるようになって食べれなくなると教えられました。
そこで、黄色になってきた実を割ってみたところ、確かに種が大きくなって色も赤々としているではありませんか。これは確かに見るからに美味しそうではありません。
こういうことは実際に作って見て、初めて知ることができる話です。おそらく種を作るとなると、養分の多くを持っていってしまうのでしょうから、他の実の生育にも影響が出るのでしょう。
とにかく、長ければいいというものではありませんでした。熟れすぎたゴーヤは食べれない。小さめでも、いかにも美味しそうになったときが食べ時であるということです。
2010年7月30日金曜日
梵@センター南
午前中は、まあそれほ途切れることも無く患者さんが来るペースでしたが、午後は暑さのせいか超まったりモード。4時台は3人というローペースで、それじゃ少しでも早めのレセプト点検でもするとかってんで、仮のレセプトを作成していざ点検作業・・・
と、思ったとたんに5時からは怒涛の患者さん来院で、終了したときはどっと疲れてしまいました。終わりよければすべてよしという感じで、ものすごく働いた気分になりました。
さて、そのあとはセンター南の「梵」で食事会。この店は、個室が多く、気兼ねなく話ができるので、よく利用する店です。ただし、自分から「また行きたい」と思うわけではありません。
もちろん、店のレベルが低いということではなくて、単に好みの問題ですが。料理は一定の水準だと思いますし、昨夜飲んだ日本酒で有名な八海山のビールというのも、なかなかいけています。
今までもいろいろなシチュエーションで楽しんだのですが、今回は初めての組み合わせで、日頃意外と会わない同じ都筑区の開業の先生と一緒でした。それが、かえって新鮮でいろいろな話で盛り上がります。
院長をしていると必ずついてくるいろいろな苦労話などは、自分にとっても大変に参考になったりしますし、とにかく開業医といえども周りとの関係を良くしておく事は大変重要です。
話かどんどん続いて、気がついたら12時近くになってしまいました。おっと、明日も仕事ですから、さすがにお開き。そんなわけで、きっとまたこの店を利用することがあるでしょうね。
2010年7月29日木曜日
脊椎疾患の勉強会@横浜ホテルニューグランド
今日は横浜山下町、ホテルニューグランドで講演会です。あいかわらず、横浜の繁華街については、とんと地理音痴なので自分の運転でいくきがおきません。
着いて初めて氷川丸が目の前にあることに気がつきました。このホテルも、ずいぶん前に後輩の結婚式で来て以来です。
さて、勉強の内容はというと、脊柱管狭窄症がテーマ。もともと背骨は専門ではありませんが、外来で遭遇することが多い病気ですから、知りませんではすまされません。
みのもんたが手術をしてから、やたらと有名になりました。もちろん、開業医は手術をするわけではありませんが、新しいこと知らなかったことを整理して明日からまた役に立てないといけません。
ですが...実は、講演をしたのが仲良しの後輩でした。後輩とは言っても、学年も近く専門領域については教わることもすくなくありません。なんと言っても、開業医の先輩です。
いや〜、みんな立派になっていきますね。負けてはいられません。
2010年7月28日水曜日
横濱家のチャーハン
熱々のこってりした醤油豚骨は、大変新鮮な味で家族にも大好評。これまでに近辺のチェーン店も含めて、何度も足を運んでいます。
当然、基本はラーメンであることは間違いありませんが、もうひとつ、チャーハンの味もすばらしい。卵と長ネギとチャーシューだけという、大変シンプルなものですが、基本を押さえた出来栄えはすばらしい。
シンプルなだけに、ごまかしはきかないわけで、強火で一気に炒めあげて2分間で勝負が決するチャーハン。米の塊を残さないでぱらぱらに仕上げるのは、中華の基本技術。
ときどき無性に横濱家のチャーハンを食べたくなるのでした。
2010年7月27日火曜日
蕎麦匠 源 @たまプラーザ 3回目
東海大学出身者の会は、ちょうど自分の開業した5年前から始まったようで、自分も開業以来ずっと参加しています。このブログでも書いたことがありますが、開業してからなかなか軌道に乗らず苦しんだ時期とかに、本音で相談できる唯一の会合だったので、本当に助かりました。
学生時代からの付き合いと考えれば、もう30年以上、家族よりも古くから自分を知っている人たちですから、何にもかっこつける必要がありません。言いたいことを言って、飲んでこれるというのはすばらしいことです。
専門もいろいろで、いろいろな立場からの話が聞けるのも楽しい。医療のこと以外でも、なるほどと思うような話が次から次へと飛び出して、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
それにしても、いつもながらこの店の料理は美味しくてすばらしい。蕎麦懐石を楽しめる店は意外と少なく、センター南の駅界隈を除けば3回も言っている店は他にはありません。今夜は、当然客が来てから打ち始める蕎麦はもちろんのことですが、この牡蠣が絶品でした。
機会があれば、また行きたい店ランキングの第1位を今夜も死守したようです。ごちそうさまでした!!
2010年7月26日月曜日
地デジか・・・
いよいよ、アナログ放送終了まであと1年となりました。別にアナログ放送でなんか不自由がありましたか? 自分は・・・まったく、ありません。
テレビのチャンネルが増えたって、物理的に見れる番組は限られます。録画したって、テレビを見ることができる時間が増えるわけじゃありません。
選択の自由が増えていいというけど、でも結局メジャーなチャンネルだけで事足りるでしょう。ニュースで世の中の動きを大体押さえておけば十分で、その他の必要なことはインターネットを使えばOKです。
ただし、テレビにしてもインターネットにしても動画は目と耳の両方を占領されてしまうというのが困る。自分の場合、高校生から浪人生の頃は典型的な「ながら族」でした。耳は音楽やラジオにとられていても、目は勉強に使うということです。
たまに目と耳を両方使うのであれば、映画が一番。およそ2時間という時間の中に凝縮していて、「つづく」ということが原則ありませんから、来週も必ず見ないといけないということがありません。
アナログ放送の終了とともにテレビ放送そのものがなくなったとしても、まったく困らないという自信がありますが、まぁあまり堅苦しいことを言ってもしょうがない。確かにくだらないと言いつつ、バラエティを見て楽しんでいるときがあることは否定できません。
それにしても、自分の場合はインターネットの発達によって、雑誌を買わなくなり、テレビを必要としなくなったことを考えると、メディア関連業種は大変だろうなと想像します。
マクドナルドの原田社長(元アップルコンピュータ)は、みんなができないと思うところにビッグチャンスがあると言うそうです。なるほど、メディアも困難な状況の中から、何に目を付けて生き残っていくのか見ものですね。
それは、どの業界でも一緒の話で、我々医療業界も一緒なんでしょうけど・・・
とりあえず、言われたとおりにとっくに地デジ対策をしてしまうような自分には、なかなかそこまでの野心はもてませんけどね。
2010年7月25日日曜日
田園都市の頼れるドクター2010-2011年版
しかし、名前を時には思い出してもらうことや、新たに転入してきた方などへのアナウンスとして、厳選した広告媒体として利用しているのが、この「田園都市の頼れるドクター」です。
はじめて刊行されたのは2008-2009年版、そして昨年の2009-2010年版に続いて、今年で3年目になります。作っているのは、医療だけでなく街のいろいろな情報を集めているインターネット・ポータルサイトの田園都市ドットコム。
実は発売されなかった、第0号と言えるプロトタイプにもうちは載っているので、4年連続オールスター出場みたいな気分です・・・って、そんなに大げさな話ではありません。
今年は・・・クリニックのページは昨年と大きな変化は少ないのですが、なんと田園都市ドットコムから取材をしてもらって、巻頭特集のひとつ「素朴な悩みや疑問に、ドクターが本音で答えます!」という記事に、Dr.MとDr.Flickerと一緒に登場しています。
これは、5月におこなわれたのですが、実は場所がうちのクリニック。それにしても、Dr.MもDr.Flickerもちゃんとした服装でびしっとしているのに、自分はよれよれのジャケットでなんともさまにならない。さらに何も考えていなかったので、ズボンはジーパン。
今度、こういう機会があったら(?)、もうちょっとちゃんとしたかっこうをするようにしたいと思います。とりあえず、いろいろ写真を含めて脱線しまくった座談会を、手際よくまとめてもらったことには感謝です。
一家に一冊。是非書店で手に入れて、ゆっくりとご覧になってください。自分も含めて、いろいろなドクターの素顔の片鱗が見えてくるので、読み物としても大変面白いと思いますよ。
2010年7月24日土曜日
たまには夢庵
以前はいろいろありましたけど、盛者必衰。最近では、ずいぶんと整理され、飛ぶ鳥の勢いだったスカイラーク・グループですら、だいぶ店舗が減りました。
スカイラークは言うに及ばず、ちょっと安いガスト、中華のバーミアン、そして和食の夢庵。東名川崎ICにつながる尻手黒川通りにある夢庵は、ずいぶん前からかわらず同じ場所。
久しぶりに・・・数年ぶりに、行ってみました。でも、だいぶメニューが変わっていました。以前に比べると、ご飯としてのセットばかりになったように思います。
たぶん車の飲酒運転に対する社会的な制裁が厳しくなって、酒の肴的なメニューの需要が減ったんでしょうか。
でも、リーズナブルな値段だし、これはこれでいいのでしょうね。
2010年7月23日金曜日
茶そばサラダ
でも、これだけ暑いと、患者さんの来る時間というのも朝と夕方に集中するわけです。当然の行動原理というわけで、お昼の前後はぽつんぽつんとなって比較的暇。
のはずが、今日は薬屋さんとの面談に続いて、治験薬関係の打ち合わせ、税理士さんの打ち合わせ、そして区役所の方々との打ち合わせと続いて、昼休みといえどまったく休みになりません。
いっそのこと診療時間を午前6時から10時までと午後5時から9時までとかずらしてしまうというのも・・・無理ですね。自分はいいとしても、そんなはんぱな時間に働いてくれる奇特なスタッフはいないでしょう。
まぁ、とにかく、暑いときはさっぱりしたものが食べたくなりますよね。そんなわけで、こんなのはいかがでしょうか。題して「茶そばサラダ」です。見ての通りです。説明の必要はないでしょう。
抹茶を練りこんだ風味豊かな茶そば。まわりを野菜でかためて、ヘルシーな一品にしあげました。
って、そんなたいそうなものではありません。とりあえず、健康には・・・悪いほうではないと思います。
毎日、こういう食事なら、体重も・・・
2010年7月22日木曜日
めざせ医療法人社団
医療法人社団にすると、一番大きい違いは自分も給料をもらうということです。そして、個人では一つ以上のクリニックを経営することはできませんが、法人では別のクリニックなどの複数の事業所を運営できるのです。
とは言っても、あすなろ整形外科 Part 2 をいきなり作りたいという話ではありません。今後のいろいろな展開によっては、そういうこともできる糊しろを作っておくということです。現実には、とてもとてもそんな余裕はありません。
いろいろ説明されて、「で、法人にしていいんですね?」という最終質問がきました。まぁ、税理士さんにいろいろめんどうな書類を山ほど作ってもらい、ずいぶんといろいろやってもらてますからね。いまさら、やめたなんて言うためにでかけてきたわけじゃありません。
5月に仮申請をだして、7月に意思確認。8月の始めに正式な申請をします。そして、10月の終わりか11月の初めくらいに許可がおりるということらしいです。クリニックもちょうど丸5年になる時期です。
6年目からは医療法人社団として、再出発することになります。正直言って、まだまだ1人前として胸を張る自信がありません。いつでもひよっ子のような気分で、絶えず何かに追いまくられているような気分が抜けません。
でも、法人になるということは一つの区切りであり、実質的にクリニックが成長した証明のひとつなんだと考えるようにしたいと思います。
それにしても、地下鉄ででかけていったのですが、いゃぁ~暑かったですねぇ。もう、そっちでぐったりです。ホームで地下鉄を待っているだけで、じっとり汗が出てきます。地下鉄は冷房はあまり入っていないんですね。暑いこと、暑いこと。
これだけ暑いと、体調を保つのが大変ですよね。屋内にいても冷房の効きが悪く、なかなか快適な空間がありません。とにかくこまめに水分摂取を忘れないようにしましょうね。
2010年7月21日水曜日
ホームもんじゃ
2010年7月20日火曜日
酷暑
本日は、連休にからめてクリニックは1日だけ休みにさせていただいています。だからといって、何をするわけでもないんですけどね。今朝まではしっかり働いていたので、今日だけは骨休めのつもりです。
今日の話題は、たった一つ。それも、だから何というようなもの。
これです。湾岸君レンボーソーダラムネ。
いわゆる、フジテレビのメディアミックス戦略の一つ・・・とでも言うのでしょうか。
当然、「踊る大捜査線3」の公開にあわせての商品なんでしょう。味のほうは・・・親父が勝手に食べてみるわけにはいかないので、何ともいえません。
でも、だいたい想像はつきますよね。たぶん、誰もが思うとおりの味だと思います。
それより、冷凍庫に入っていたスーパーカップ超バニラ、やったラッキーと思ったら誰かが食べかけの途中だったことがショックでした。
2010年7月19日月曜日
クラウドコンピューティング
もっとも、その影には方向性を見誤って失敗し、社会から墜ちていく人々もいるわけですから、諸刃の刃みたいなものかもしれません。
そんな中で、自分が最近利用しだしたのがクラウドコンピューティング。クラウドというのは雲という意味ですが、インターネットを介してあちこちにサービスを提供するシステムが雲のようにぷかぷか浮かんでいる、というところから来たネーミングのようです。
これじゃ、何をするサービスなのかよくわからない。具体的にいうと、インターネット上のサービス・サーバーに自分の使用したいデータを置いて、そこで必要な処理をしてしまうということ。
もともと、80年代のコンピュータはひとつひとつが独立して存在していました。それぞれのパソコンにソフトウェアとデータが存在していて、その箱の中だけで処理をしていたわけです。パソコン間のデータの移動はカセットテープ。その後フロッピーディスクによって、だいぶ楽には成りましたけどね。
次に90年代に入ってパソコン通信という方法で、データのみのやりとりが可能になりましたが、これは個々のパソコンを一対一で連結するためのものでした。
90年代なかばにインターネットが一般化され、コンピュータのネットワークは自由に構築できるようになったわけです。それでも、基本的にはデータの交換だけを行っているわけで、データ処理は個々のパソコンの仕事であることに変わりありません。
2006年にgoogleがクラウドコンピューティングという言葉を使い始めました。これは、googleのホームページからアカウントを取得して、ユーザーは自分のデータをgoogle側のサーバーに転送して利用するというものでした。
例えば無料のGoogle mail (Gmail)というのも、メールのデータを自分のパソコンではなくGoogle側に置くことにより、パソコンとネットワークに接続できる環境さえあれば、どこからでも、どのパソコンからでも利用できるわけです。
さらにこのサービスは拡大し、今では画像をはじめ、一般ドキュメントも転送して利用できるわけです。セキュリティという面を考えると、もちろん何でもというわけにはいきませんが、まぁ普通に使うデータの大部分は、特に問題はないと言えるでしょう。
例えば写真を撮ってブログで利用したいとすると、今まではどうしたでしょうか。まず、デジカメで撮影して、メモリーカードを取り出してパソコンに挿入したり、あるいはUSBケーブルを使ってパソコンに転送していました。
今では携帯電話のカメラが大変高機能になっていて、自分の使っているXperiaは800万画素もあり、さらに簡単な加工もXperiaの中でできてしまいます。撮影したら、ほとんど自動的にクラウド側に転送してしまいますので、いつでも簡単に利用ができるわけです。
翻訳サービスも、翻訳しているのはサーバー側の仕事で、自分のパソコンの仕事はWebの表示だけですむ。また表計算も、わざわざ高いソフトをアップデートしなくても、基本的な作業は全部サーバー側でやってくれるというのも凄いことです。
また、USBメモリーなどにデータを入れて持ち歩かなくても、クラウドを利用すればどこでも簡単に仕事ができる。USBメモリーとか、けっこう無くしやすい。個人情報の問題もあって、けっこう持ち歩くのは危険だったりしますよね。
さらに、そうやって作業をしていると、いつの間にか同じファイルがあちこちにできていて、どれが一番新しいものか探すのがけっこう面倒になってきたりします。
使用できる容量が少なめだったり、あるいは宣伝が表示されたりということがありますが、たいていのクラウドサービスでは無料アカウントが用意されています。しかし、自分位にはまったく問題はありません。
そもそもコンピュータの性能にあまり依存しないので、ハード的にもハードルが低くても十分に利用できるのも嬉しいことです。当面は、無くてはならないパソコンの利用方法となりそうです。
2010年7月18日日曜日
星の王子さま
でもって、本当の「星の王子さま」というと、普通はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説のタイトルのこと。1943年に出版されたというから、もう67年も前のことになるわけです。
フランス語の原題はLe Petit Princeですから、本来はそのまま翻訳すると「小さい王子」となるわけですが、1953年に初めて岩波書店から翻訳本が出版された際に、翻訳者の内藤濯氏がつけたタイトルがあまりに有名となり、今でも使われているそうです。
中学生になって英語を学び始めると、小生意気なことに英語の本に挑戦したくなるもので、自分の場合も、教科書にさわりが出ていたルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」とこの「星の王子さま」は英語本を買ったことがあります。
当然、まともに読み切れるわけもなく、ただ本棚に並べてかっこつけていただけでした。ましてや、その内容もちゃっと理解することもなく、こどもの心を無くした大人に向けての寓話という認識しかありませんでした。
2005年に岩波書店の独占的翻訳権が消失したということで、この数年いろいろな出版社からあらためて新訳などが登場することが多くなりました。
王子は他の天体からきた宇宙人。いろいろな惑星で、ヒトの愚かさを象徴するものをいろいろ見たあとに地球にやってきたわけで、「大切な物は目に見えない」ということを主人公に伝えるわけです。
あらためて読んでみると、大変生きていく上で大切なことがいくつも説かれている。こどものうちにこれをしっかりと読んで理解していれば、いろいろな局面で多いに役に立ったかもしれません。
挿絵の可愛さだけではなく、内容をしっかりと理解してこどもたちにぜひ読むように薦めることのできる本の一つであることは間違いありません。夏休みですから、感想文の宿題に選んでみてはいかがでしょうか。
2010年7月17日土曜日
西洋音楽
そんでもって、何故かこの前まではブラームスを研究していたわけです。なんかクラシックを聞いている親父なら少しはためになることを知っていると思ったのか、自分に聞いてくるわけですが、ところがとっこいブラームスはあまり好きじゃないのでよくわからない。
とりあえず、本とCDを渡して自分でなんとかしろ、ということにしときました。ところが、今度は「西洋音楽が現代社会に与える影響」とか何とかいうテーマを調べることになったらしい。
こりゃまた難しいことをやっている。音楽大学の講義じゃあるまいし、そうそう簡単に説明できたら医者なんてやってないでしょう。現代を語るためには、そもそも過去を知らないと始まらない。西洋史全体を理解して、その中から音楽が果たしてきた役割を抽出することからやるしかありません。
とは言え、そんなことを考え出したらきりがないように思います。まぁ、何事も勉強ですし、どこからどのように役に立つかわかりませんから、とにかく自分で道を切り開いてもらいたい物だと思うわけです。
親父は親父で、無責任な勝手気ままなことを考えてみましょう。
難しいことはわかりませんが、自分の理解では、そもそも音楽は宗教的な信仰心の中から生まれてきた物ですよね。となると、西洋の中では圧倒的な存在はキリスト教ということになります。ヨーロッパの大部分の歴史はキリスト教の歴史と言っても過言ではありません。
実際には教会の中で音楽は発展してきたわけで、当然教会のパトロンは貴族ですから、主として貴族たちだけが関与してくる。J.S.バッハやヘンデルに代表されるバロックの時代です。そのうち、彼らは家に帰ってからも音楽をやってみようということになり、楽しむためのものに変容していきます。これがF.J.ハイドン、モーツァルトらの古典の時代。
そして、ベートーヴェンの登場により、音楽の様式が一応の完成をみるわけですが、それは同時に古典の終わりにもつながるわけです。特にピアノという楽器の完成もあり、一般庶民に音楽は普及するようになり、様式を壊すことがはじまりました。
ここからがショパン、リスト、シューベルト、シューマンらのロマン派の時代になるわけです。そして、音楽地図はどんどん拡大し、各地の民族意識に根付いた独自の音楽を模索する時代へと変遷していきます。
そして20世紀になって、形式を捨てた自由奔放な音楽や、逆にロマン派に回帰するような音楽が登場し、クラシック音楽はカオス状態となりました。さらに主としてアメリカでは黒人音楽との融合からジャズが派生。ここからスイング、ロックンロールなどのポップスと呼ばれる大衆娯楽に特化した音楽が生まれ、今日に至るわけでしょう。
実際、西洋社会の中では今でもキリスト教との関わりは大変大きな部分であり、最も古典的な聖歌・賛美歌はキリストの教えを広めるための音楽であり、ある意味ではキリスト教の宣伝・布教に多いに役立っています。
そして、キリストの生涯をシュミレートして、疑似体験によってキリストの教えを学ぶのがミサ曲でしょうか。古典派までの作曲家でミサ曲を作っていない人を探す方が大変なくらい、数多くのミサ曲が作られています。
そのほかの文化・芸能もキリスト教的倫理観のベースを持ちつつ、より娯楽的な側面を強めた形で発展してきたはずで、音楽の中ではその一つの成果がオペラやバレー音楽となるのではないでしょうか。
まぁ、なんかよくわからない文章ですが、当然何も考証せずに思いつくままに書いていますので、明らかな誤りもあるのかもしれませんが、とにかくキリスト教の現代社会における役割がわかれば、おのずとクラシック音楽もその中の一部として浮かび上がってくるのかなぁと思うわけです。
2010年7月16日金曜日
センター北の駅前にビアガーデン
2010年7月15日木曜日
喫茶店
それで、今日は午後から渋谷で用事。別に悪い話ではないのですが、自分にとっては大変重要な用事でした。実際のところは、用事自体はわりとあっけなく終了。一安心です。
その用事までちょっと時間があって、「喫茶店」に入りました。
喫茶店というのは、どうでしょう、今の時代ほとんど死語に近い、ほぼ絶滅危惧種状態ではないかと思っていました。自分のふだんの行動範囲には、喫茶店と呼べるものは皆無といっていいわけで、昔東京に住んでいて喫茶店を多いに利用したものとしては寂しい感じもします。
最後に喫茶店に入ったのは1年前。やはり渋谷でした。そうすると、渋谷にはけっこう喫茶店がのこっているわけでしょうか。今日入った店の周囲には、見渡しだけでも3軒くらいはありました。
今日入った店は珈琲専門店。一応、わかっている振りでキリマンジャロを注文しました。においはやや酸味があるように思いましたが、本当のところはよくわかりません。最近は家でもクリニックでもインスタントばかりなので、それに比べれば大変美味しいことだけは間違いありません。
カップもこっていて、珈琲によって変えているようです。何となくお茶代わりに飲んでいる珈琲ですが、時間が有るときにゆっくりと楽しむのは悪いことではありませんね。週に1回くらい、こういう時間の使い方があってもいいかなぁと思いました。
2010年7月14日水曜日
選挙・・・
去年の衆議院議員選挙でせっかく政権交代をして、さぁこれからの日本はと期待した国民が馬鹿だったのか。結局、今の与党は口先だけで、実際に政権を進めるための力はなかったのか。
今回の選挙で、あらためて国民が現与党に対してどう審判を下すのか。たいへん大きな選択だったはず。ところが、実際には選択肢がほとんどない・・・と自分は思ってしまいました。
元の与党だった正統派、もう完全に抜け殻状態。党首には日本を預けてもいいかと思えるようなカリスマ性は無い・・・でしょう? それ以外の政党は、まったくの団子状態。
少なくとも去年の選挙で、自分は現与党に投票したわけで、選択した責任があるわけです。ですから、しばらくは我慢しないといけない。もう少し、彼らにチャンスを残さないといけない。
でもね、やっぱりお灸をすえないとね。ここまでのことは、どう見てもだめでしょう。もう一度、期待をこめて投票ははずさせてもらいました。ここからが本当の勝負でしょう。どうか、次回の選挙では、是非進んで気持ちよく一票を投じさせていただきたいと思います。
2010年7月13日火曜日
ブログの上にも3年
最近は有名人などでブログを持っていない人はいないわけで、それぞれの最新ニュースなどの情報もブログから発信されているのが当たり前という状況です。芸能レポーターも、ブログをチェックしていればいいわけで、ある意味楽になったのではないかと。
自分もまわりの影響でブログを書き始め、一般に公開してからだいたい丸3年になります。これは驚異的なことなのです。今まで、日記といえるものはつけたことがない。夏休みの宿題の絵日記でさえ、最後の数日間でまとめて書いていたわけです。
さすがに、今年になってからは1日に複数のエントリーをして投稿数を稼ぐというのは辛くなり、1日にひとつだけという形を守っています。このエントリーは1379投稿ということになりますが、1日ひとつでもネタを搾り出すのにけっこう苦労する。
最初はタダでできるクリニックの宣伝という意識が強かったので、とにかく一杯書いて少しでも検索にひっかかるようにしたいと思っていたわけです。
最近は、自分の日記としての役目のほうが大きいように思います。もちろん宣伝としての役割はいまだに大きいわけですが、3年も続けているとそれなりにブログの限界というのも見えてきている感じはします。
当面は、やめる気は毛頭無いのですが、どっちにしても実名ブログという形態である以上、書けることは多くの制約を受けるわけで・・・もっとも、匿名だったら何でも書いてよいというものではありませんが・・・誰でも楽しませる文章を次から次へと書くというわけにはいきません。
もっとも、そんなに書けるようなら、第二の渡辺淳一を目指して、文壇デヴューしているはず。実際はそんなに世間は甘くない。まぁ、気楽にできるだけ続けてみたいと思うのでした。
2010年7月12日月曜日
リスタート ~ あすなろ海水魚館
う~ん、どうやったら落ち着くのか・・・もぉ~、よくわからない!!
半分やけくそ・・・と、いうわけでもないのですが、とにかく一匹ずつ入れていると、絶えず縄張り争いがあるようで、一度に入れた方が縄張りが作れないのではないか、という安易な考えのもと、何事もチャレンジです。
今日から壮絶なサバイバルレースになるのではないかと戦々恐々です。うちの水槽で生き残っていける強い個体だけが生き残るのでしょうか。
今回タンクメイトとなったのは・・・
カクレクマノミ
フレームエンジェル
ハタテハゼ
ホンソメワケベラ
3匹のマンジュウイシモチ
ホワイトソックス
ユビワサンゴヤドカリ
普通に考えると、ちょっと入れすぎだろうと。そうなんです。入れすぎです。でも、多いと互いに縄張りを作れないので、後は魚の個性によるかなぁと思うんです。
強い魚、弱い魚、攻撃的な魚、いろいろ言われていますが、実際には魚の一匹一匹によってずいぶんと違うということです。もちろん個体の大きさによっても強さの関係が変わってきます。
ある程度のセレクトをした後は、最終的には、ぶっちゃけ「入れてみないとわからない」というのが本当のところではないかと思います。でも、一度うちの住人になった魚は、どれも可愛いので、何とか生き延びてもらいたい。
さらに、条件をよくするために、大きめのライブロックの導入と酸素不足にならないように空気付加の道具を追加しました。もう、あとは祈るだけです。ヨロシク!!
2010年7月11日日曜日
クリニック納涼会 べったこ亭@センター南
だいたい数ヶ月に一度くらいのペースでクリニックの宴会をやっていますが、いろいろな店を楽しみたいので場所はさまざま。ところがこのべったこ亭は昨年に続いて、2回目の利用になります。
クリニックからあまり遠い場所は行くのが大変。近い場所は騒いでひんしゅくを買うかもしれません。その点この店は、すぐに歩いていけて、うちのクリニックの人数にはちょうどよい広さの個室が使えるので気兼ねがありません。
もちろん料理も大満足で、それなりにこだわりのある居酒屋メニューで、言うこと無しです。
今回は欠席者が無く、全員参加で大いに盛り上がりました。けっこう酒豪がいるのか、あっという間に焼酎のビンが空になっていたり、どんどんいろいろな色の飲み物が机に運ばれてきて、飲むわ飲むわ。
3時間以上大騒ぎして、あとは締めのスイーツ食べたさにサーティワンのアイスクリームの店へ突撃。冷たい甘味でちょっと冷静さを取り戻してから解散となりました。
スタッフの皆さん、来週からもがんばってね。ヨロシク!!
2010年7月10日土曜日
横山幸雄 / Beethoven Complete Sonatas
クラシックのレコード盤はだいたい1枚2000円から2500円、廉価版で1000円からという値段でした。すると、全32曲、およそ8時間分くらいになる全曲の入ったセットは最低でも12枚組みということになります。
普通に考えると、3万円以上するようなセットをおいそれと買うわけにはいきません。ところが今はCDで多くても10枚以内、しかも3000円程度から6000円くらいで手に入る。新譜であっても1万円程度ですから、まぁ大人買いができないくない程度。
おかげで、ずいぶんとそろってきましたよ。ケンブの60年代、アラウは60年代と80年代の2種類、このあたりが自分にとってはスタートであり基本となる音源。バックハウスは新盤ですが、一般には最も評価が高いが、どうも自分はあまり好きではありません。
歴史的にはシュナーベルですが、30年代ですが意外と音がいいけどやはり「歴史」でしょうか。アシュケナージ、バレンボイム、グルダ、ブレンデル、グールド、ギレリスという20世紀を代表する方々。女流ではアニー・フツシャー、マリア・グリンベル、タチアナ・ニコラーエワ。
今はベテランというところでは、グード、リル、コバセヴィッチ、プルーデルマッハー。ハイドシェイクはただいま注文中。現役若手どころではポール・ルイス、イリーナ・メジューエワ。
そして、すでに廃盤となり手に入らなくなって、ますます聞きたくなっていたのがこの横山幸雄だったのです。最近盲目の辻井君の師匠として注目されましたが、最近はショパンの全曲目を1日でいっきに聞かせるというギネス記録も樹立するなど、日本の現役ピアニストの中ではなかなか精力的な活動をする中堅どころとして貴重な存在。
1999年に連続演奏会を行いライブレコーディングされたものですが、当初からソニーの限定発売であっというまに廃盤になっていました。同レーベルのベートーヴェン全集の中に半分くらいの音源がはいっていますが、なんで全部いれてくれないのと嘆くことしかりであったのです。
今回は久しぶりにYahooのオークションのお世話になりました。もともと国内版で定価は2万円くらいだったものですが、中古で15000円。それでも安くはありません。しかし、なにしろ大変に評価が高い。
ひさしぶりに勇気をもってポチっとしてしまったというわけです・・・が、期待をうらぎりません。とにかく感覚が若い。勢いがある。力任せ的な弾き方という人もいるかもしれませんが、作曲者の年齢を考えると、初期のソナタは若いベートーヴェンの感性を代弁しているかのようです。
後期のソナタは、やたらと難しくとらえる演奏もありますが、横山は勢いを落とすことはなく、そこに円熟の味わいを追加してきたという感じでしょうか。なかなか聞き応えのある演奏です。さすがに世評が高いだけのことはある。
さらにすごいのは、このセットでは作品番号付きの曲も網羅しているというところ。WoO番号の「エリーゼ」はありませんが、ひととおりベートーヴェンのピアノ曲を楽しめるというのもポイントが高い。
いゃ~、さすがに奥が深い領域なので、こういう名演奏を探しているときりがありませんな。
2010年7月9日金曜日
レントゲン写真 Part2
これはいわゆる唯物論とは違うのでして、とにかくレントゲン写真には嘘が無いということなんですが、う~ん、うまく説明できません。
学生のときに唯一読了した英語の本がありました。それはDr.FelsonのChest Roentgenographyという有名な胸部レントゲン写真の基本的な解説書でした。これはレントゲンの基本的な理屈を説いた初心者向けのテキストでした。
とにかく、そんなわけで卒業前には本気で放射線科に入局しようかと思っていたこともありました。まあ、縁があって整形外科の門を叩いてしまったのですが、それからも画像診断については是非勉強がしたくて、研修医のときに特にお願いして放射線科をローテーションさせてもらったのです。
整形外科から研修医がくるのは初めてのことだったらしく、たぶんその後も自分の知る限りはいませんでした。さて、自分が放射線科に回ったのは、一番研修医が少なくなる3月から5月だったと思います。普通なら多くの研修医がいて楽勝の放射線科のローテーションですが、この時期だけは大変。
おかげで、多くのことをやらせてもらえて、自分としてはとても楽しかったわけです。まず午前中は胃の造影検査をします。今では古典的とも言える二重造影という方法で、慣れると5分くらいで一通りを撮影できるようになりました。これを10人くらいこなして、余った時間は大腸の造影検査。
午後からは血管造影検査があるとその手伝い。無いとひたすらいろいろな画像のレポート作成をします。時々リンパ管造影というようなマニアックな検査をやったり、とにかく暇な時間はほとんどありませんでした。
当時の放射線科の講師の先生が、お前は整形外科なので骨の単純写真のレポートも書けといわれ、大量の写真が自分のところに回ってきました。さらにMRI検査が導入される直前のことで、いきなり英語の解説書を渡され、他の研修医との勉強会用に訳して来いといわれて四苦八苦。
夜は消化器外科や内科のカンファレンスに放射線科として参加して、偉い先生方のやり取りをひたすら黙って聞いているわけです。やっと開放されて、整形外科の医局に遊びに行くと、「お前の書いたレポートがついていたが、間違いだらけだ」と先輩に怒られる。
でも、そういうことすべてが今の自分の肥やしになっているわけで、もう一度研修医からやり直すなんてことは勘弁してもらいたいと思いますが、放射線科だけならもう一回やってみたいと思ったりもします。
2010年7月8日木曜日
レントゲン写真
最近、レントゲン写真のデータの転送トラブルで、診察室で写真を確認するのに四苦八苦したおかげで、あらためてその重要性を再確認したというわけです。いろいろと試行錯誤した結果、何とか追加の出費をせずに回復することができました。
日本は世界で唯一の被爆国であるためか「放射線」という言葉には、時に過剰な反応を示すことがあります。レントゲン写真も、レントゲン線という放射線を使用しているわけですから、いろいろな誤解をもたれることが少なくない。
医療関係者でも撮影となるとはるか地の果てまで逃げていくような人がいますが、直接自分に向いていなければ1mも離れていれば被爆はほぼゼロ。だいたい、そんなに逃げ出さなければいけないようなものを患者さんに向けれるわけがないでしょう。患者さんに失礼というものです。
患者さんの中にも、レントゲンは怖いという方が時々いますが、晴れた日に外を歩いて自然と浴びている放射線の量に比べたら微々たる物です。さすがにCT検査ともなると使用するレントゲン線の量が多量ですから、毎日のように検査するとなると問題。
通常の数枚の単純撮影なら、年間何回という程度はまったく健康被害を考える必要はありません。それが危険だったら、自分を含めて大半の医者はとっくに滅亡しているというものです。
例えば骨折の手術では、手術中にレントゲンの透視をしばしば使いますが、たいてい骨折部分と一緒に支えている自分たち整形外科医の手も写っているものです。昔、医者の被爆を減らすために鉛を混ぜたゴムでできた手術用手袋の試供品を使ったことがあります。
おー、これなら安心だぁ、と呑気に手術を始めたのですが、いざ透視を見ようとしたら、画面の大半が真っ黒で何がなんだかわからない。つまり、鉛入りの手袋が画面の大部分に入り込んでいるため、肝腎のところがよく見えないということなのです。結局、普通の手袋に替えることにして、鉛入りはゴミ箱行き。
そうは言っても、できるだけ被爆は少ないにこしたことはない。無駄にレントゲンを使ってはいけないということは、大変重要なことです。
いろいろ教わった先輩医師が手術の助手に入ってくれたときに、今日は透視は使用禁止と言い出しました。どうしてもというときに、単純撮影をするだけでやれと言う。透視でワイヤーの位置などを確認しながら骨折のずれを直したりするので、透視を使えないということはほとんど勘だけでやるということです。
先輩曰く、しっかりと解剖学の三次元的な構造が頭に入っていて、術前のレントゲン写真を正しく理解していれば、透視に頼らなくてもちゃんとできるはずだ。とは言え、やはり大変でした。しかし、先輩が言いたかったことは、無駄にレントゲン線を出してはいけないということだったのです。
このことは、大変教訓になりました。本当に必要だと思うときは遠慮せずにレントゲンを使いますが、そうじゃないときはできるだけがまんする。それが患者さんのためになるということだったのです。
そんないろいろなことを思い出して、レントゲン検査のありがたさを再認識したわけです。
2010年7月7日水曜日
人工関節勉強会 @ 横浜ベイシェラトン
横浜ベイシェラトンホテルと言うと、なんか海の近くにありそうなネーミングです。
実際は横浜駅の真ん前にあるわけですあら、だまされたみたいな感じがします。でも、それはそれで悪くはありません。港北ニュータウンからは行きやすい。
さて、今夜は整形外科の講演会。人工関節のはなしでした。勤務医をしていたときは、せっせとやった手術でした。
特に股関節がすきで、あえて難しそうな器械を使ったりしたものです。
開業してからは、当然このての手術はまったくやらなくなります。そういう意味では、聞いても面白くはありません。しかし、患者さんに紹介するかもしれないわけですあら、それなりに知識のアップデートが必要です。
時代の変遷とともに、人工関節のコンセプトもいろいろ変わってました。自分の知っていたことから、そうはずれてはいませんでしたが、なるほどっというようなこともたくさん勉強できました。
それにしても、夕食なしで9時過ぎまではつらかった・・・
2010年7月6日火曜日
地域に密着するクリニック
もぉ~、いやんになってしまいます。って、毎日同じことをぼやいてもしょうがない。
それにしても、話はどーんと変わりますが、地域に溶け込むクリニックという話。
開業してクリニックを始めると、「地域に密着」とか「地域に貢献」という言葉は嫌が応にも避けては通れない呪文のような感じです。
最初から、地域に密着した医療をしようと思っても、実際にどうすればいいか具体的なイメージを持つことができる医者はそうは多くないでしょう。
自分も実際にどういうことが地域に密着なのか、よくわかっていなかったというのが正直なところです。
医師会の仕事を通して、区役所や地域の中核病院との話し合いをいろいろやっている。市のケアプラザに定期的に顔を出すこと。
そういうことが増えてきたことも地域に根付いてきたことのひとつであることは間違いありません。しかし、患者さんとのコミニュケーションに勝るものはないかもしれません。
よくきていた患者さんが来なくなると心配。病院に来ないのがいいことなんですが、それはそれで心配なわけです。以前よく通院していた患者さんで、たまたま近くホームセンターで見かけると、あー元気だったんだと嬉しいものです。
初診はたまたま来たという患者さんが多いわけですが、再初診は違います。これはうちを選んできてくれるわけです。再初診の患者さんが多いと、それはうちの評価として素直に受け止めることができます。
まぁ、もうじき5年たちますので、やっと地域に密着するということが実体験として理解できるようになってきた気がします。もしかしたら、開業医としてやっとスタートラインについたのかもしれません。
2010年7月5日月曜日
リカバリーショット
うちのクリニックでは開院当初から、デジタルプレートにレントゲン写真を撮影すると、ただちに読み取って、レントゲン用のサーバーに送ります。それを診察室から読み出すというわけで、1枚の写真なら1分程度、4枚なら数分で見ることができます。
自分の父親は撮影すると暗室で現像・定着作業をしてしばらく乾燥させてから見ていたことを考えると、夢のようなシステムです。
自分が医者になったころは、レントゲン撮影をして、結果は来週なんていうのが普通でした。それから自動現像機が普及して、だいたい数分以内に乾いたフィルムが出てくるようになって、画像診断は飛躍的に進歩したわけです。
フィルムと違ってデジタルデータとして画像を見れるようになって、画質をいろいろといじれるため、フィルムでは見れなかった部分まで参照することができるようになりました。拡大も思いのままで、診断には大いに役に立つようになったのです。
レントゲンの画像の専用フォーマットをDICOM(ダイコム)といいます。専用のサーバーはDICOM Server、診察室の画像を見るためのクライアントを含めたシステム一式をPACS(パックス)と呼んでいます。
実は数日前から、デジタルプレートの読み取り機からDICOM Serverへのネットワーク転送がエラーになりやすくなっていました。どうも原因がよくわからない。
今日は朝から、転送に時間がずいぶんとかかっていたのです。そこで、昼にServer PCの入れ替えをおこないました。もともとLinux baseの小型PCを使用していたのですが、このメーカーから別機を無償提供されていたのです。
とりあえずレントゲン用のネットワークに接続して、サーバー設定をして何度か再起動の後に稼動状態をチェック。まぁ、大丈夫そうだなというわけで午後の診療をむかえたのですが、いざ始まると・・・なんでこんなに時間がかかるんでしょうか。
結局、使用していたクライアント用のViewerも捨てて、使い勝手の悪いServerに搭載されているWeb baseのソフトを使用することにしました。でも、それでも一向に具合はよくなりません。
明日は、もう一度設定などを調整してみまますが、それでもだめならいよいよメーカーにヘルプするしかありません。大変便利になったシステムですが、いざとなるとこっちが使っているというより、使われているな気がしてきました。
便利と不便は表裏一体ということでしょうかね。特にこういう仕事で使っていると、いつでも不調時の代替方法も考えておかないといけないのが大変です。有効なリカバリーショットを放てないと、場合によっては診療がストップしてしまうかもしれませんからね。
2010年7月4日日曜日
Captain EO
当時はまだ学生でしたが、浦安といえば東京に近い千葉の漁業の町というイメージでしたか、とにかく生涯近づくことはないと思えるような場所でした。
さてさて、キャプテンEOは言わずと知れたマイケル・ジャクソン主演の立体映画のアトラクション。1987年にスタートしたもので、その前までやっていたあまり記憶に残らない富士フイルム提供の・・・う~ん、思い出せないくらいつまらなかった・・・に代わって始まりました。
とにかくいきなり小惑星がせまってくるリアル感には度肝を抜かれました。さらに臨場感を高める振動と360度の重低音、そして照明効果などで、もう興奮しないわけにはいきませんでした。
もちろんスリラーで飛ぶ鳥を落とす勢いになったマイケルも凄かったが、とにかく当時としてはこの中編映画を作ったのが、スター・ウォーズで一躍人気映画作家になったジョージ・ルーカスと地獄の黙示録やゴッドファーザーで有名なフランシス・コッポラというのが驚愕でした。
当時のアメリカのショービジネスで最も成功していた3人がディズニーのためにタッグを組んだのですから、その話題だけでもしばらく飽きません。また、赤と青ににじんだそれまでの立体映像とは違い、リアルな色彩のもとに超立体感を出した映像技術も驚嘆に値しました。
こどもが小さかった関係で、その頃は東京ディズニーランドへは何度か行ったので、行くたびに必ず見た覚えがあります。自分としては、一番のお気に入りのアトラクションだったかもしれませんね。
マイケル・ジャクソンが1年前に亡くなって、この7月からキャプテンEOが復活したということで、期間限定らしいですから、もう一度体験しておきたいような気もします・・・が、さすがに、もうこの年になるとディズニーランドはつらいです、ハイ。
2010年7月3日土曜日
TARKUS Classic meets Rock
TARKUS (タルカス)とといえば、Emerson Lake & Palmer のプログレッシブ・ロックの名盤中の名盤。それをなんと、フルオーケストラに編曲してぶちかまそうという企画。
その昔、LPレコードの片面全部を使って20分以上にわたるロックシンフォニーに狂喜乱舞したものです。たった3人だけで演奏しているとは、とうてい思えない重圧感のある練り込まれた音楽には、心底まいったと思っていました。
72年の来日公演では、後楽園球場(?)での模様をテレビで見ましたが、レコードだらかできた演奏と思っていたら、ちゃんとライブでもやりきっていたのに感動しました。
EL&Pの演奏をパロったのがギタリストの成毛滋で、ドラムスにつのだひろ、ベースに高中正義を従えたフライド・エッグで"オケカス"という演奏を披露。タルカスのエッセンスをうまく拾い上げた演奏はなかなかのものでした。
今回のクラシック版を編曲したのは奇才吉松隆。否が応にも期待は高まります。まだ発売まで3週間余りあり、当然まだ耳にすることはできないのですが、面白くないわけがない。
いつものHMVで即予約を入れてしまいました。今年はEL&Pが来日公演をするそうで、タイムリーな企画でもあります。もともと、楽典知識がしっかりとしたEL&P(ロック・ミュージシャンには珍しい!?)の音楽ですから、むしろオーケストラに向いているような気がします。
2010年7月2日金曜日
あすなろ菜園 ~ 赤ちゃん
「ゴーヤだからさっ!」
と、いうわけでもないのですが、今年のあすなろ菜園は今のところ・・・まぁ順調です。
ミニトマトはかなり大きく育っていて、そろそろ花がいっぱい着き始めようとしています。じつは、これは患者さんに株をいただいたものなのです。こういう場合は、失敗は許されません。けっこう緊張して毎朝水遣りをすることになります。
今日始めて収穫をしました。鈴なりに生るミニトマトはなかなかきれいなものです。
ところが、期待していた枝豆なんですが・・・失敗です。今月半ばには駄目になってしまいました。プランターの深さが足りなかったのでしょうか。あ~、こいつでビールを・・・というのは夢となってしまいました。
そして、もうひとつ。ゴーヤは、順調です。どんどんベランダの手すりを広がっていて、存在感が強まっています。いくつか花も咲き始めました。今日、その中に赤ちゃんゴーヤを発見しました。
ゴーヤって、小さいうちからゴーヤなんだ(←当たり前だろっ!!)。ちいさいと味はどうなんでしょうか。もしかしたら、苦味が少なくて、食べやすいかも・・・なんてことを考えてしまいました。いくつか収穫できたら、若いゴーヤも是非食べてみたいきがします。
海水魚館に比べれば、ひたすら水を忘れなければなんとかなる菜園です。なんとか、患者さんにも配れるほど収穫ができるといいんですけどね。
2010年7月1日木曜日
海水魚館リセット
今日から7月です。2010年、上半期、いいことありましたか。それとも、これからの下半期に期待していますか。
自分の場合は・・・とにかく、毎日毎日をしっかり診療して・・・上も下もありません。毎日の積み重ねが、1ヶ月、1年となっていくだけです。
でも、それにしても、年を取ると月日がたつのはやたらと早いものです。あっという間に半年が過ぎ・・・
今日、最後のカクレクマノミが☆になりました。先週、水槽ほぼ崩壊状態となって大改造を行いました。全換水を行い、外部フィルターを交換し、クーラーを設置したのです。
これは当然かなりのリスクを伴うことは承知しています。つまり、フィルター内の濾材の中には、水槽内にたまってくる窒素化合物(主として排泄物)を分解するバクテリアが増えているはずです。
フィルターを換えるということは、この生物的濾過をゼロに戻すということです。しかし、いろいろな病原微生物が蓄積されている可能性も否定できない。藻の原因になる物質もだいぶたまっているはず。
水槽内に入れていたのはデッドロック(dead rock)でしたが、半年以上かけて「養殖物の」ライブロック(live rock)になっていることを期待していたのです。つまり岩の細かい隙間に必要な微生物がつまっていると考えました。
それと、水槽の広さからすれば限りなく少ない生体の数ですから、しばらくは大丈夫とたかをくくっていたのもあります。それにしても、イソギンチャクはなんとか保たれているようなのは、一体なんなんでしょうか。
一般的には、イソギンチャクの飼育は魚より大変と言われています。長期飼育できるというのは、挑戦者の限りない夢みたいなところがあるんです。そういう意味ではうちの水槽にいるシライトイソギンチャクは半年以内に半分以上が☆になっていることからすれば、けっこうがばっている。
それにしても、泳ぐもののいない水槽は寂しいです。イソギンチャク以外は藻の食べるということで最近投入したエメラルドグリーンクラブと、ついにうちのなかで最古参となったヤドカリが住人。
少し水が落ち着くまで待って、また一から出直しです。ここまで来たら、そうそう簡単には撤退できませんからね。