今こうやって整形外科をやっていると、レントゲン写真をよく使う。実際、レントゲン撮影ができなかったらお手上げ、商売上がったりになってしまうと思います。
最近、レントゲン写真のデータの転送トラブルで、診察室で写真を確認するのに四苦八苦したおかげで、あらためてその重要性を再確認したというわけです。いろいろと試行錯誤した結果、何とか追加の出費をせずに回復することができました。
日本は世界で唯一の被爆国であるためか「放射線」という言葉には、時に過剰な反応を示すことがあります。レントゲン写真も、レントゲン線という放射線を使用しているわけですから、いろいろな誤解をもたれることが少なくない。
医療関係者でも撮影となるとはるか地の果てまで逃げていくような人がいますが、直接自分に向いていなければ1mも離れていれば被爆はほぼゼロ。だいたい、そんなに逃げ出さなければいけないようなものを患者さんに向けれるわけがないでしょう。患者さんに失礼というものです。
患者さんの中にも、レントゲンは怖いという方が時々いますが、晴れた日に外を歩いて自然と浴びている放射線の量に比べたら微々たる物です。さすがにCT検査ともなると使用するレントゲン線の量が多量ですから、毎日のように検査するとなると問題。
通常の数枚の単純撮影なら、年間何回という程度はまったく健康被害を考える必要はありません。それが危険だったら、自分を含めて大半の医者はとっくに滅亡しているというものです。
例えば骨折の手術では、手術中にレントゲンの透視をしばしば使いますが、たいてい骨折部分と一緒に支えている自分たち整形外科医の手も写っているものです。昔、医者の被爆を減らすために鉛を混ぜたゴムでできた手術用手袋の試供品を使ったことがあります。
おー、これなら安心だぁ、と呑気に手術を始めたのですが、いざ透視を見ようとしたら、画面の大半が真っ黒で何がなんだかわからない。つまり、鉛入りの手袋が画面の大部分に入り込んでいるため、肝腎のところがよく見えないということなのです。結局、普通の手袋に替えることにして、鉛入りはゴミ箱行き。
そうは言っても、できるだけ被爆は少ないにこしたことはない。無駄にレントゲンを使ってはいけないということは、大変重要なことです。
いろいろ教わった先輩医師が手術の助手に入ってくれたときに、今日は透視は使用禁止と言い出しました。どうしてもというときに、単純撮影をするだけでやれと言う。透視でワイヤーの位置などを確認しながら骨折のずれを直したりするので、透視を使えないということはほとんど勘だけでやるということです。
先輩曰く、しっかりと解剖学の三次元的な構造が頭に入っていて、術前のレントゲン写真を正しく理解していれば、透視に頼らなくてもちゃんとできるはずだ。とは言え、やはり大変でした。しかし、先輩が言いたかったことは、無駄にレントゲン線を出してはいけないということだったのです。
このことは、大変教訓になりました。本当に必要だと思うときは遠慮せずにレントゲンを使いますが、そうじゃないときはできるだけがまんする。それが患者さんのためになるということだったのです。
そんないろいろなことを思い出して、レントゲン検査のありがたさを再認識したわけです。