2008年7月31日木曜日

7月最後の日は講演会

今日で7月も終わり。毎日毎日、暑い日が続きいやになっちゃういますね。暑さとともに患者さんは減少してきました。

実際、この暑さでは下手に出歩いていると熱中症になってしまいますから、しょうがありません。しかし、まだまだ経営的にはゆとりの無い、うちのようなクリニックでは死活問題です。

だからというわけではありませんが、今日は近くのデイサービス施設で、利用者の方向けの講演会を午後から行ってきました。

今年になってここまでに、介護職員向けの講習会、これからヘルパーになる方向けの講習会、老人会での講演会、そして都筑公会堂での関節リウマチの講演とやってきましたので、今日ので5回目ですか。

今回は聞いていただく方は高齢者中心ですから、腰痛と膝痛の中心に一般的な説明をさせていただきました。内容は、いつも外来で話していることですから、特に準備の必要も無く気楽にできます。

なるべく笑いを取りたいとは思うのですが、実はここが一番難しいんですよね。聞いている人を寝かしては、しゃべる側は失格ですから、なんとか話しに集中してもらうためにはいろいろと工夫が必要です。

ただ近くで一般向けにしゃべるのは、気を使います。というのも、近くの整形外科クリニックの先生と違うことを言ってはまずいわけで、なるべく総論を教科書的にしゃべるようにしています。

まあ、しゃべるのは嫌いではありませんので、頼まれればどこでも行きます。ちなみに今日の謝礼は、納涼祭りで余ったのどごし生350mlを18本です。これでしばらく買わずにすみます。

2008年7月30日水曜日

あすなろ菜園 ミニトマトその後


こちらもだいぶ、らしくなってきました。日照がどうしても悪いのでいまいちできが遅い感じがします。きゅうりはだいたい終わりかもしれません。

尾形光琳の絵皿

フランス料理マクシミリアンの楽しみの一つは、きっとその食器にもあると思うんですよね。

Wedgewoodの大皿をさりげなく使ったり、クリストフルの銀のスプーンが出てきたり、きっと食器好きの方にはたまらない高価なものがふんだんに使われているようです。

その中で、一番目をひいたのがグレープフルーツのシャーベットが乗ったクリスタルと皿のセット。江戸時代の有名な画家、尾形光琳の絵柄が組でプリントされており、大変に見事なものです。

おいしい料理をますますおいしくするのに、大きな力を発揮しています。

2008年7月29日火曜日

念願叶ってマクシミリアン

あざみ野棒屋先生もよく利用されている、都筑区で知る人ぞ知るフランス料理のお店、マクシミリアンにいってまいりました。

クリニックの納涼会です。今日は夜から雷雨でしたが、室内は客が自分たちだけなので、気楽にくつろぐことができました。主なメニューはこちら。

アボガドとコンソメジュレの冷製スープ、ヨーグルト風味でした。

フォアグラのソテー・ソースボルト、これがフォアグラかと思うくらいしつこくありませんでした。まわりに茄子の付けあわせがことのほか美味でした。

ヒラメとホタテのフィユテ、つまりパイ包みですね。これも上品な味。

そして、和牛ロティ・ソースレフォール、外側はしっかり焼けていますが、中身のレアな肉は柔らかくて最高です。

けして量は多くありませんが、ゆったりと時間をすごすとお腹は十分。自家製の松の実入りのライ麦パンが、大変に美味しくて、なおさら量に不満はありません。ぜひリピートしたいと思うわけでした。

2008年7月28日月曜日

サザエとイカ

もう、今日はこれだけ。こんなに贅沢に食べられるなんて・・・

幸せすぎて怖い。サザエ。50個くらいあったんではないでしょうか。いつもなら焼くばかりであまり食べることができない自分でさえ、10個くらい食べることができました。

両隣のお宅にも6個ずつお裾分け。もちろん頂き物です。本当にありがとうございました。

一応、肉とかソーセージとかも用意していたのですが、肉にはいっさい手が出ませんでした。一緒に食べてなくなったのはイカです。

さて、ここからですよ。イカを焼いて食べるときの最高のソースを教えちゃいます。イカの茶色の臓物を取り出します。これをお酒と醤油とだしの素と一緒に煮立てます。簡単でしょう?これが最高にうまいんです。

実はこれ、夢庵で覚えました。とはいっても、バイトしていたわけじゃありませんよ。今は無いみたいですけど、テーブルでミニコンロでイカを焼いて食べるメニュー。これについてくるんです。一緒にコンロで煮立てて食べる。

これが最高にうまい。ぜひお試しを。

2008年7月27日日曜日

光陰矢の如し

去年の7月24日にブログを公開したんでから、いつの間にか1年間が過ぎていたわけです。過ぎてみると、あっという間でした。

まぁ、書くことが無ければ休めばいいや、思いながら始めたブログですが、なんだかんだ言って1年間、1日も欠かさず続けることができました。

それというのも、いろいろコメントを書いてくださる皆様や、同じ地域で毎日ブログを更新しているブログともだちのおかげです。

なにしろ、今までまともに日記を続けたことがない自分ですから、これは驚異的なことだと思います。夏休みの宿題の絵日記だって、最後にまとめて何日分も書いていましたからね。

でも、さすがゴハンのネタだけは底をついてきました。そうそういろいろレパートリーがあるわけではありませんし、さすがに最近は仕事がらみのいろいろな会への出席が診療後に増えてきまして、食事当番の仕事はかなり減ってきています。

なにしろ行動半径が狭いですから、今月はちょっとネタに困っているところもあるんですよね。でも、なんでも思いついたことを短くても書くようにして、何とか続けていきますので、これからもよろしくお願いいたします。

夏の風物

いゃ~、暑いですね。去年にも増して今年の夏は暑いように思うのは、自分だけでしょうか。地球温暖化どころか高熱化といってもいいかもしれません。

昔は・・・って、年寄り臭い表現かもしれませんが、自分のこどもの頃は暑いと言っても30度そこそこで、今みたいに35度くらい当たり前とは明らかに違いました。

当然、エアコン、あるいは昔風に言うとクーラーなんて言うものは、お店でさえ無くて当たり前。唯一、大きなデパートくらいでしょうか。ですから、渋谷の東急東横デパートや西武デパートに行くのが嬉しくてしかたがありませんでした。

自分のこどもの頃の原宿というのは、山手線の内側としては下町に近い雰囲気がある町でして、それも明治神宮の「門前町」みたいなものだったからだと思いますが、表参道だって正月以外は、そんなに人が歩いていることもありませんでした。これは青山通りの方から原宿駅のほうを写した写真ですね。オリンピック直前で、原宿駅では一回の電車で数人しか乗り降りしなかった頃だと思います。

一本路地を入ると普通の住宅地で、夏になるとまさに「三丁目の夕日」か「おとな帝国」の世界だったのです。

小学生の自分は、縁側でタオルを首に巻いてスイカをがぶがぶ食べました。種は庭先に、ぷっぷっぷっ・・・

そこへ「金魚ーや、きんぎょっ、めぇだかぁ~、金魚」といいながら、リアカーに水槽をいろいろ乗せた金魚屋さんがやってきます。通った後には、水槽からたっぷんたっぷんとなった水が転々とついています。

金魚をみたいのですが、それよりもうじき来る屑屋さんの方が大切です。「くずぃっ、おはらいっ」と声が聞こえると、すぐに家の中から新聞紙の束を持って行くのです。屑屋のおじさんは、鯨秤ではかって、たいてい50円をくれるのです。これは大きな臨時収入でした。

そろそろ夕方、西の空が何となく赤くなってくると、坂の上から自転車に乗った豆腐屋さんがラッパを吹きながらやってきます。近所のおかあさんが、ちょっと金色っぽいアルミの両手鍋を持って出てきて、夕食の味噌汁に入れる豆腐を買い込みます。

豆腐屋さんのラッパの音楽は、もともと歌詞があったんですよね。「とぉーふぅ~、なまあげぇー、がんもどぉーきっ」というのが本当らしい。最初の部分だけがラッパで吹かれるようになったみたいですね。

そうこうするうちに夕立がざーっと来て、雷がピカっ、ゴロゴロゴロ。すぐに停電になるので、蝋燭は欠かせません。ちょっと蒸し暑さが一段落して、母親が台所でトントントントン、夕飯の支度を始めるのでした。あぶら蝉の声が、よけいに暑さを増すのです。

今日はたまたまインターネットで、昭和40年ごろの表参道の写真を見つけたので、そんなとを思い出したのでした。

2008年7月26日土曜日

デジタル一眼レフ

実は、先日ちょっとショックだったことがある。先週、姪の結婚式に出席したのですが、そこでもう一人の姪が自分のカメラを持ってきていて、自分はいろいろ係があってなかなか撮れないということで、撮影を任されたわけです。

それがデジタル一眼レフなのです。社会人になって、まだ間もない姪が、たぶんフルセット20万近いコニカのカメラを持っているというのが、かなり驚いたわけです。

さて、使ってみると・・・自分が持って行ったSonyの500万画素のコンデジなど消し飛んでしまいました。一眼レフは10数年前まで使っていたことがあるのですが、重いしかさばるし、そのころはパソコンで画像を扱いたくて、たかが30万画素の白黒デジカメではしゃいでいました。

そして2000年にSonyのサイバーショットで200万画素・Zeissレンズという強力なカメラを購入(当時10万円以上しました)、もう完全に一眼レフは終わったと思っていたんですよね。

しかし、プロの写真家でなければコンデジで十分と信じて疑わなかった自分が馬鹿でした。やはり一眼レフの力はすごい。

同じ光景がまったく別の絵のように生き生きしてくるんですね。写真に撮る、ということが楽しいと思ったのは久しぶりです。単なる記録から、絵を作るに変わるんですね。

姪にカメラを返す時に、「一眼レフはやはり違うね。これはすごいね」というと、「おじさんなら、わかると思ったわ」と返され、脳天にくさびを打ち込まれてしまいました。

しかも、つい先日、未だに現役で使っていたサイバーショットを落として壊してしまいました。200万画素ですが、なかなか使い勝手は良かったですよね。

さぁて、それからのネットサーフは価格.comでデジタル一眼レフをいろいろ見て回り、メーカーサイトでいろいろ研究の毎日です。知らない間にずいぶんとアマチュア向けの(と、いってもかなり高機能な)安価な製品が増えているんですね。

最高10万円までで絞っても、候補が山ほど出てきます。自分の用途を考えると、一般的なスナップとしては望遠が欲しい。でも、手術の時などにも使うことを考えるとマクロ的な撮影もしたい。

となると、両方のレンズが最初からついているキャノンオリンパスのキットが有望です。あとから、いろいろ買い足すことはたぶん無いので、最初にだいたいのものがそろったほうが良さそうです。

画素数は多いにこしたことはありません。でも重たいレンズを2本持ち歩くというのはけっこう大変です。オリンパスは値段ではもっとも安くていいのですが、どうも昔からオリンパスの操作は好きではないんです。

するとSonyのα350高倍率ズームというのが捨てがたい。一本で2本分の力があるレンズです。望遠では手ぶれ補正はあったほうがいいし、コンデジの流れから液晶でのライブビュー機能も是非欲しい。

そんなこんなで、今にも買い物かごをクリックしてしまいそうな状態であります。

2008年7月25日金曜日

開業医には出口はない

開業医には出口は無いんだという話になりました。

どういうことかと言うと、勤務医はいざとなれば開業することを目標にがんばるとか、大学とかで偉くなることを目標にするなど、次のステップに向けて、現状からの出口にむかってがんばるわけです。

開業医は、やっぱりやめたとはいえません。開業したからには、一生開業医というのが普通なのであって、そういう意味で出口がないわけです。もっとも、そういう覚悟がないと開業しないわけですし、大多数の開業では、たいてい多額の開業資金を借金することになり、ぐちを言っている暇などありません。

今日は自分の母校の昔からの気心の知れた開業医の集まりがありまして、そんな話をしてきました。

最近開業した後輩が、開業1年でやっと自分の給料として月に30万円を取っていいと会計士にいわれたと喜んでいました。うらやましい話です。

うちは2年半になりましたが、赤字こそ出ないようになりましたが、まだ自分の給料らしい取り分は無く、年間60日ペースの当直バイトも続けなければなりません。科の違いや、場所の違いなどもあり、他人を妬んでもしょうがありません。

最近思うのは、都筑区は若い、患者さんも若い。患者さんをなるべく早く治していくことが、5年後、10年後、20年後につながるということです。

いまさらそんなことに気がついたのか、と怒られてしまいそうですが、けっしていきなり患者さんが増えるものではないということは、十分に思い知らされましたので、今の自分に提供できる医術を来る日も来る日も誠実に繰り返していくしかありません。

出口はありません。

でも、続いている道はどんどん広がっていると信じて行きましょう、という結論でした。

2008年7月24日木曜日

ビーフペッパーランチもどきのもどき

この前から、こんなところや、そんなところで目にする、もとをただせばあんなところで何やらうまそうなごはん。これは、やらねばねばねば・・・と、思っていたのですが、なかなかチャンスがありませんでた。しかし、ついに、ついに本日作らせていただけました。
で、もって、追加アイテムは、竹の子、ピーマン、水菜など冷蔵庫の余りものいろいろ。一味と粗挽き黒こしょうをパラパラ。味は焼肉のたれ・・・だけだと甘くなってしまうので、醤油を追加しました。もちろん我が家はにんにくはたっぷりです。というわけで、どちらかというと石焼ビビンバに近いものになってしまいました。しかし、じっくりこがしてパリっとなったところが絶妙な味でしたよ。当然こどもには大好評なわけで、まさかと思った完食となったしだいであります。
original presentation by Jumbo Okan
arrangement by Satochin

2008年7月23日水曜日

センター南医療ヴィレッジ運営会議

と、というか、飲み会ですな。とりたてて、大きな議題があるわけではなく、とにかく懇親会オンリーであることは否定できません。

今日は、港北東急の中にある某レストランを利用したのですが、とにかく暑い。いくらなんでも、こりゃないだろう、という暑さです。店員さんの説明では、東急の問題であるとのことですが、この気候でこの暑さじゃビアガーデンのほうがよっぽどいいんじゃないかと思います。

と、あまり文句を言ってはいけません。料理はそれなりに美味しかったし、楽しく話ができたのでOK。

今日の話題で、一番盛り上がったのは、薬の情報を提供してくれる製薬会社の営業のかたがたと接し方。必ずアポイントを必要とする先生。暇ならいつでも会う先生。

自分はアポイント制で、金曜日の昼のみとしています。ちょっとしたことなら適時会いますが、原則として患者さんを待たせることはしたくないし、誰かが待っていて診察をしているという状況が好きではありません。

そのかわり、金曜日は必要な時間だけお会いするようにしています。特にリウマチ薬は副作用情報が大切なので、十分に聞きたいと思いますし、逆に営業活動をしてくれない製薬会社の薬はなるべく使いたくありません。

開業医はそれぞれの院長の考え方が表に出ます。それを好ましいと思う方もいるでしょうし、逆に眉をひそめる方もいるでしょう。なるべく、自分の考え方がわかった上で受診してくれることが、良好な医師=患者の関係を作ることにおおいに役立つと思いますので、そういう意味でこのようなブログも役に立っていることでしょう。

2008年7月22日火曜日

こちそぉ~さまぁ~


今夜の夕食は、久しぶりにまじめに作りましたよ。って、当たり前だろぉ~。でも、その当たり前が、一番難しいんだよね。

まずは左奥。ぬめぬめシリーズです。長芋をすって、その中にメバチマグロ、おくら、めかぶなどを入れてそばつゆと卵と味の素を入れて味を作りました。

次、奥の右、鶏肉ごぼう炒めです。鶏肉のもも肉とごぼう、こんにゃく、竹の子をごま油で炒めて、醤油と砂糖で味付けします。

手前の左は最近我が家でブームの豆腐サラダ。今夜はまわりにサラダ菜と水菜をちりばめて、しゃぶしゃぶ用のごまだれをかけてたべました。

そして、最後に手前右がマーボー春雨です。

えっ、写っていない?皆さん心眼で見てください。見えてきたでしょう。だって写真に撮ろうと思ったのですけど、わずか10分でこの通り。とーちゃんが350mlの発泡酒を飲んでいる間の出来事でした。

2008年7月21日月曜日

Martha Argerich / The Collection 1


現代クラシックピアノの巨匠として君臨するアルゲリッチのドイツ・グラマフォンに録音してきたソロ・ピアノ録音をボックスにおさめたもの

全8枚で、それぞれがオリジナルのジャケット通りの紙ジャケット・スリーブに入っていて、1961~1984年までの仕事が網羅されているのがうれしい。

アルゲリッチのこのようなボックスは意外とありそでなさそ。これだけのキャリアと知名度があって、なかなか廉価に全体を聞くことができなかったのはこの人が最後ではないかしら。

当初8月発売の予定だったのが、7月に発売となり、早くも手に入れました。いつものHMVのインターネット・ショップで6529円。1枚800円程度でそろうというのは、大変嬉しいことです。

さて中身は、発売当時から話題になった演奏ばかりですから、いまさら新米のクラシック・マニアがどうのこうの言う必要もありません。主要レパートリーであるショパンを筆頭に、リスト、シューマン、ラベル、バッハ、ブラームスの有名どころが燦然と並び、新米の耳にも、自分の音を持ったピアニストであることがわかります。

ある意味、攻撃的な演奏でBGMで聞き流すにはきついかもしれません。聞く側にも、真剣に対峙することを要求してくるような演奏です。最近は魔法使いのおばあさんみたいな感じもしますが、若い頃の怖いもの無しの怒濤の演奏は、さすがに心地よい聞き疲れを感じました。

あとはクレーメルと競演しているベートーヴェンのバイオリンソナタを続けて聞けば、もう後はいりません。

2008年7月20日日曜日

Wedding in 軽井沢

昨日も暑かったですね。こどもたちは夏休みに突入、一気に梅雨明けとなり、いよいよ夏本番です。こんな日に軽井沢に行ってきました。

上信越道ができてからは、普通なら3時間くらいでつくくらい身近になりました。昔、テニス部の合宿などで行ったときは5~6時間かけていたように思います。

目的は姪の結婚式です。午後2時からの式に親族として出なければいけませんので、10時くらいでいいかと思っていましたが、渋滞を考え朝7時半に出発。渋谷で母を拾い、目白通りを進んで関越道。

混んでた、混んでた。1時間でいける藤岡まで2時間半くらい。上信越道は普通で、やっと横川SAで休憩です。懐かしいおぎのやの峠の釜飯で腹ごしらえ。

食べようとしたら、なんかめまいがして、暑さと疲れのせいかと思いました。外気温は35度でした。そしたら、地震だったんですね。たぶん震度は3以下だったと思います。あとは、そのまま碓井軽井沢からまっすぐ進んで、到着は1時前。ちょうどいい時間でした。さてさて、場所はこちらのヴィラ・デ・マリアージュです。チャペルが付属した結婚式場で、ガラスをふんだんに使って透明感のあるモダンなインテリアとヨーロッパ風の古風な外観が調和した、なかなかいい感じのところです。

ただ、まだスタッフの動きが悪すぎる。各自がばらばらの印象はぬぐえません。まぁ、全体的には会を作る気持ちは伝わってきました。

キリスト教式の結婚式もテレビドラマ見ているみたいで楽しかったです。飲み物や料理も大変すばらしかったので、母は飲み過ぎてしまったようです。花嫁の父は、披露宴の途中まで強気の発言をしていましたが、最後に娘から感謝の手紙を読まれた爆沈しました。姪は、自分の両親にとっては初めての孫で、亡くなった父は生まれたときに大変に喜んでいたました。友人関係の結婚式シリーズはとっくに終了し、これからは自分のこどもたちのも含めて親族関係が続くのでしょうかね。

うちのこどもたちの従姉妹はすべて女の子なんです。8人中6人です。こんなところにも自分が年を取ったんだなぁ、と実感するわけです。

帰りは7時前に出発、母を送って、家に帰ったのは10時。1日で400km走ったのは久しぶりで、へとへとになりました。

2008年7月19日土曜日

結婚式なんです

姪の。

軽井沢だよ〜

暑いよ〜
30度あるよ

ここはどこでしょう

やっと休憩

2008年7月18日金曜日

Let's 医師会 7月 with 田園都市.com

今日は医師会の理事会でして、自分は最近ちょっと仕事らしいことをしています。区役所と共同開催の講演会を10月5日に行うのですが、昨年の防災訓練で盛り上がった機運を消さないように、危機管理をテーマに企画中です。

今回の主テーマは新型インフルエンザ。皆さんの理解を深めてもらうために講演を用意しています。消防署からも話をしてもらうことにしました。

そして、今までは医師会のある医療センターでおこなっていた救急救命講習会を抱き合わせで、行うことにしました。この方が広くいろいろな方に興味を持ってもらえるのではないかと思います。

さらに、区役所がいろいろ声をかけて防災関連の展示も行う予定にしています。もう、ここまでくると「文化祭」ののりですね。10月5日は都筑区公会堂にみんな集合!! 防災意識を高めましょう!! という感じです。

先日、いろいろなハザードマップを眺めていたんですが、都筑区の中には活断層は特にないんですね。横浜市の中では、比較的地震の時に揺れない地域という予想がされています。港北区の南側当たりはけっこう揺れそうですね。

中核病院の一つの横浜労災病院が大震災では機能しなくなる可能性があるようです。横浜市役所も危ないらしく、都筑区区役所は大震災の時には市役所の機能を肩代わりするようになっているらしいですよ。

医師会では、医者に対するいろいろな情報提供の他にも、地域の健康を維持するためのいろいろな仕事に協力しているんです。最近は勤務医の疲弊ということがよく言われていますが、見えないところでより地域に密接な仕事をしているのは医師会なんです。もっとも、見えないところですから、見えすぎても変ですけどね。

そしてDr.Mに速報で先に書かれてしまいましたが田園都市ドットコムのDoctor's Fileが本になりました。自分も掲載されていますが、今までよく見かけた医療機関紹介のパンフレットとはひと味違うできあがりです。

田園都市生活を意識したモダンな作りで、値段も1000円以内におさえられているところも良心的。是非書店で手に取ってみて下さい。

2008年7月17日木曜日

夏向けの創作おかずサラダ


と、いうタイトルは大げさですね。そんなにたいしたものではありません。

写真では見えていませんが、豆腐を一丁、賽の目に切ったものを下において、その上にオニオンスライス。回りは水菜でトップに鰹節。ポン酢をたっぷりとかけて食べてみました。

当然、想像とおりの味です。一気にヒートアップした今日のような天気には、涼しげでちょうどいい。

さてもう一品。こちらは、もやしとしめじをさっとゆがきました。ここにちりめん山椒をぱらぱら。そばつゆをかけて食べてみました。こちらも山椒がアクセントになって、けっこういけました。

なんといっても、油を使っていませんから、後片付けが楽チン。水で流すだけでOKです。

さすがにこどもたちにはあっさりしすぎと思い、春巻きが付け合せです。

2008年7月16日水曜日

自動車事故懺悔

車の運転がらみの話を昨日書いたので、続けてもう少し事故のことを書いておきます。

さすがに、ほぼ毎日のように運転をしていると、まったく無事故というわけにはいかないようで、過去に数回の事故の経験があります。自分が悪いのは2回。いずれも追突ですが、幸い人身事故にはなりませんでした。

最初が交差点。信号が青になって前のタクシーが発進して、続いて自分が発進したところタクシーが急停車していきなり右折のウィンカー。止まれませんよ、そりゃ。タクシー運転手いわく、お客さんが急に右に曲がれというもんだから。

タクシー運転手はその場では謝っていましたが、いざ保険会社の相談になったら100%こっちが悪いことになってしまいました。100%は普通無いでしょう。結局、前方不注意ということでした。なんか、納得できん。

もう一度は、完全に自分の不注意でゴッツン。後ろのバンパーがへこんだだけでしたので、その場で謝罪して全面的に修理代を出しました。

逆にもらい事故では、一番びっくりしたのは、交差点の右折車線で停車していたら、右から左へ直進していく紫色のローバーミニが交差点の半分を過ぎてから急に自分の方へ曲がってきました。ですから、右から左へ進んでいたのに自分の左からぶつかって来たのには唖然。

さらにカードレールに激突して、そのまま逃げていったらにはもっとびっくり。自分はしょうがないので歩道に寄せて警察に電話。1時間もしないうちに、逃げた運転手は発見され捕まりました。自分の車にぶつけたあと、さらに数台に激突して運転不能になったとのこと。

運転していたのは少年で、父親の説明ではアメリカに留学して麻薬に溺れ、精神が荒廃したため帰国したところだというのです。なんじゃそりゃ。じゃぁ、なんで運転させるんだよ。修理代などすべて責任を負うとのことだったので、そんなの相手にしてもしょうがないと思い、警察への告発はしませんでした。

一番最近は都筑区でのことです。歴史博物館の前で、いきなり出てきたダンプカーが運転席側に激突してきました。一番怖かったですよ。最初4:6とかふざけた話になりそうになったので、正面衝突でもなく、こちらは回避不能の状態ですから、強気に受けて立ちました。代車の請求だけしないということで0:10で決着。

とにかく整形外科という立場では、何にしても怪我人をだすわけにはいきませんし、自分が怪我人になるわけにもいきません。そういう事故だけは経験していないのは幸いです。ですから、スピード違反と一時停止不履行以外では減点されたことはありません(キッパリ!!)。

ただ一度だけ運転を始めた頃に、犬を轢いてしまったことがあるんです。自分が走っているところに、飼い主が反対の歩道にいた犬を呼んだため、犬が飛び出してしまったんですね。これほど嫌な感触はありません。車の運転は臆病でちょうどいいのかもしれませんね。

2008年7月15日火曜日

初罰金

あざみ野棒屋先生は、この前東名の横浜青葉ICの出たところ、246の立体交差で警察のスピード違反取り締まりに捕まったそうです

それは驚かないのですが、「初罰金」というのにびっくり。医者になって20数年、自分は電車通勤はわずかに2年くらいでしょうか。あとは全部、車通勤。最長で毎日片道50kmということもありました。

そんなこんなで、免許証の更新時には、警察署ですんなりという経験はほんどなく(威張って言うことじゃない)、横浜市民になってからは毎回二俣川で半日講習を受けるのが当たり前となってしまいました。

記念すべき初罰金はというと・・・そうそう、思い出しましたよ。医者になって初めての夏休み。そうです、あれは夏休みの山中湖に向かって降りていく峠道。後輩たちが山中湖で合宿中で、医者になってちょっと先輩面を見せたくなったのがいけなかった。

すぐ前に大きなトラックがいて、山道ですから時速は2okmくらいのノロノロ運転。こっちはイライラ運転。やっと湖畔の周回道路に出て、トラックは左、自分は右。

やっとイライラから解放されて、思わずアクセルをぶ~ん。とたんに警官が出てきて旗をふっている。

はい、こっちに来て停車しなさ~い。免許証出して。スピード出してたねぇ。この道の制限速度知ってる? こんなに出しちゃ言い訳できないね。はい、ここにサイン。拇印押して。そうそう、しゃぁ、気をつけて。はい、さよなら。

って、免停じゃん!! 気分は一気に犯罪人。しおしおのぱぁ~(これ知っている人はいい年ですよ)。その時は六角橋に出向いて一日講習を受けて、確か半分の30日くらいの免許停止となったような記憶があります。

以来、ねずみ取りとはおともだち。でも、誓って言いますが、見晴らしが良くまわりに人がいないときにしか捕まってませんよ。ということは、そういうところにばかりねずみ取りを設置するということですよね。警察の方、ご苦労様です。

最近は思いっきりエコ運転。極力アクセルは踏みません。何しろ、都筑区で事故でも起こしたら患者さんに顔見せできません。

2008年7月14日月曜日

新型インフルエンザは人ごとではありません

新型インフルエンザは、近い将来に大流行することが予想され、ある意味では「メタボ」などより多くの問題を含んでいます。その一つが、Pandemicです。

パンデミックとは広域に感染症が大流行することを意味しており、新型インフルエンザのパンデミックでは厚生労働省の試算では、国内で10万人の死者がでるとされています。

横浜市は港があり、国外からウイルスが持ち込まれる可能性があります。また成田・羽田との直通バスが運行されている関係で、いきなり流行が始まる可能性はゼロではありません。

もしも、このような事態が発生したとき、どのように対処すべきかは、まだまだ机上の議論の段階で、実質的な対策はやっと始まったばかりといってもよいのです。

新型インフルエンザの発生は6段階に分けて考えられています。Phase 1 ~ Phase 2はいわゆる鳥インフルエンザ。人への感染の可能性のあるウィルスが検出される段階です。

Phase 3 になると鳥インフルエンザが人への感染が確認された段階。

Phase 4 になると人から人への感染を起こす新型インフルエンザと呼び、規模は限定されているものの感染が広がります。学校・通所施設の閉鎖、集会の自粛などが要請されます。

Phase 5 は感染は拡大するものの、依然限定的な広がり。

そしてPhase 6 ではパンデミックとなり非常事態宣言が発令されます。実際のところPhaseに沿ってゆっくりと進行するものではないと考えられていますから、いきなりPhase 6になることも十分にあり得る話です。

原則として横浜市では市民病院がその治療に当たることが原則になっていますが、パンデミックのときに、市民病院までのんびりいけるはずもなく、そこらじゅうでパニックが発生することは容易に想像できます。

インフルエンザの「特効薬」であるタミフルは唯一の治療薬として備蓄されていますが、国全体で2500万人分。そのうち神奈川県は71万人分。さらに、そのうち横浜市の分は29万人分。

ということは都筑区は人口比率で約1万5千人分のタミフルしかありません。これは行政が責任を持っている分です。それ以外に医療機関などがどこまで考えているか。一般開業医が個別に扱うことは不可能ですが、医師会という組織となれば違います。

地域の拠点病院である昭和大学横浜市北部病院と協力して、それぞれの役割を明確にしいかに対応していくか早急に実効的な対策を考えています。地震などの災害時の対策とともに行政の中心である区役所とも密に連携して協議を重ねています。

2008年7月13日日曜日

都筑区整形外科医会講演会

今日は都筑区公会堂で「早期リウマチ発見のポイント」という講演をさせていただきました。主催は都筑区整形外科医会。つまり都筑区の医師会に入会している整形外科医の集まりでして、自分もそこの会員ということになります。

現在での関節リウマチの早期発見のための指標としては、現実的には日本リウマチ学会による早期基準と抗CCP抗体検査の組み合わせがもっともお勧めできる判断方法であるという話をさせていただきました。あとはリウマチ手の変形と手術の話を時間までしました。

かなり日中は気温が上がって暑かったのですが、200人程度の方が集まっていただけたようで、ありがとうございました。

続いての昭和大学横浜市北部病院の川崎先生による手の骨折の話。川崎先生は日本手の外科学会の専門医の資格を持っているそうです。自分もとろうかと思いましたが、開業医としてはあまり意味が無いのでやめてしまいました。持っている先生が近くにいるのがわかると、取っておいてもよかったかなとちょっと後悔。

なかなかイケメンの川崎先生には親衛隊がいるようで、けっこう盛り上がっていました。

そして最後に東海大学の持田教授による高齢者の腰痛の話。腰痛は外来でもっとも多い症状ですから、一般向けの話といっても開業医にも大変役に立つお話をしていただけました。

そのあとは、最近新しくたまプラから犬蔵に抜ける道がきれいにできたところに開店した、会津牛の焼肉店べこ亭で会食。ちょっと写真は撮れませんでしたが、なかなかこだわりのシェフによるひと味違った焼肉店でした。

持田教授とは自分が医者になってからの付き合いになりますので、もう四半世紀ということになります。久しぶりにお話ができて、大変に楽しいひとときを過ごすことができました。

2008年7月12日土曜日

コードブルー

ドクターヘリ緊急救命だそうで、自分が救急で血だらけの患者さんと格闘していた頃に、初めてヘリコプターが導入され、さすがに自分が乗るようなことは経験しませんでしたが、今ではこういうのが花形なんでしょうかね。

たまたま、一回目と二回目と両方見てしまいました。

柳葉怖すぎ。山下生意気すぎ。新垣若過ぎ。

医者が医者のドラマを見るもんじゃないという、またもやそんな話になりそうです。こういう臨機応変が必要で、救急をてきぱきこなすのは医者になって3年以上たってから、元気がある10年目くらいまででしょうか。

年齢でいうと30歳代ということになります。まさにSMAPのメンバーくらいを使うほうが現実的。まぁ、救急を盛り上げるための意図もあるということなら、がまんしましょう。

うだるような暑さ

・・・になるでしょう。というのが今朝の天気予報。こうなると、暑くない午前中のうちに、やることはやってと思うのが当たり前。

今日の午前中は、先週にも増して患者さんが多く、Dr.M風に言えば、もう少しで「50人の大台」に乗るかというくらいの「激混み」で、途中からはどうせ12時は終われないとあきらめて居直りました。さらに急患も追加されましが、受付は嫌な顔をせずがんばってくれました。

昼休みは、冷やしておいた頂き物のメロンを食べて元気百倍。でも午後は、雷雨もあり予想通り患者さんはポツンポツン。まぁ、おかげでそれほど疲れを残さずに診療を終われました。

それにしても、ずーっと低空飛行を続けてなんとかここまでやってきましたが、さすがに最近はなんとか患者さんを「待たすこと」があるクリニックになってきて、経営的には少し楽にはなってきました。それでも、まだまだ当直のバイトを減らすことはできません。

レントゲン室で使っていた中古購入のパソコンがだめになり、また大学生になった長女が課題をこなすのにさすがに家でこどもたちに使わせていたパソコン(Win2000,Celeron 800MHz)ではどうにもならないと言われたりで、結局パソコンを新規に購入。

安さだけの理由で、本当はデザイン的にもあまり好きではない元IBM、現LenovoのPCを3台新規購入。それなりのスペックのものを3台買っても、開業時に中古で購入したノートPCより安い。

またさすがに、かーちゃん一人で切り盛りするにも限界がありますので、スタッフを増員。さらにリハビリ室の物理療法機器も検討しないと、ベッドが空いているのに患者さんを待たせるということも出てきています。

「増える開業、減る患者」ですが、患者さんが増えると出費が増えるのです。それでも、横浜市の整形外科クリニックの平均患者数には遠く及びません。とにかく早くバイトしなくてもいいようになりたい、と切実に思うもうじき50歳の大台を目前にした院長なのでした。

2008年7月11日金曜日

Metal Gear Solid 4

めんこ、酒蓋、べーごま、すごろく。モダンな遊びといえば人形。女の子はバービー、男の子はGIジョー。昭和30年代のこども遊び道具。

特に酒蓋は収集が大変でした。酒蓋のはじで相手の蓋を引っかけて、ひっくり返せば自分のもの。特に剣菱が強かった。実は、今だから時効だと思いますが、酒屋さんの倉庫においてある酒瓶から蓋だけを・・・

おおらかな時代だったのかもしれませんね。いつの間にかこどもの遊びはテレビゲームが中心。インベーダーが大流行したのは自分が大学時代のこと。一頃は喫茶店の机はすべてインベーターで塗りつぶされていましたっけ。

ファミコン、スーパーファミコン、そしてプレイステーションでゲームはディスクの時代になって、DVDやブルーレイと進化して、もう映画と見間違えるほどの超美麗リアルアクションへと進化してきました。

スクエアのFinal FantasyシリーズとエニックスのDragon Questシリーズは、特に大きな影響を与えたことは否定できません。一方、パソコンの進歩の中では、オフィースの仕事が優先され、ゲームとしては麻雀やカードゲームくらいしかありませんでした。

しかし、そこへ大きなターニングポイントを迎えるきっかけとなったのがDOOMシリーズ。いわゆる3Dアクションもの。前後左右上下の敵をバリバリ倒す。この流れは大きな潮流となり、今もRPG系と双璧をなすジャンルとなりました。

Metal Gear シリーズは、Final Fantasyのストーリー性とDOOMの3Dアクションが融合した、プレイステーションのソフトとしてヒットを飛ばしてきましたが、先日発売されたMetal Gear Solid 4は確かに、現時点では最高峰のグラフィックを使用して、リアルな映画の中の主人公を自分でコントロールしていような臨場感があります。

何度でもやりなおせるので、クリアすることはさほど大変では無いようで、うちの次男君でもバリバリ進んでいき、あっという間にエンディングを迎えました。結局、ストーリーを楽しむためのものという位置づけなんでしょうね。

ますますヴァーチャル空間が現実に近づいてきた気がしますが、これをきちんとゲームとして楽しませることは大人の仕事でしょう。実際に人殺しなんてことはゲームとは違うことを、きちんと教えることが大切ですよね。それより、期末試験できたのかいな。夏休みはあるんですかね。

2008年7月10日木曜日

今夜は充電中

最近、ちょっと疲れ気味。どうもブログも盛り上げられません。

先週は、経営上もっとも大切なレセプト作成がありました。一般の方にはわかりにくいのですが、つまり保険医療では皆さんが窓口で支払っているのは3割だけであり、のこりの7割は保険組合が払うわけです。その7割分の請求書のことをレセプトと呼びます。

レセプトを正しく出さないと、自分たちのような医療機関は診療報酬を受け取ることができません。と、いうわけで、毎月これはもっとも大事な作業と言えます。

ゆっくりやっている暇がないことがわかっていたので、先週火曜日はクリニックに泊まって作業をしました。事務長さんなんていう人はいないので、自分で全部点検をします。あとは事務のスタッフがまとめてくれますが、まとめてもらえる形にするのにけっこう時間がかかります。

水曜日は終わってから往診。金曜日に医師会の総会。土日は、例によって当直。今度の講演会のスライドを作っていて、かなりせっぱ詰まってきました。

そして月曜日は昭和大学横浜市北部病院との連携協議会。火曜日は・・・誘われて飲み会。

去年は診療時間中に暇で、いろいろな雑用をやっていましたが、さすがに患者さんが増えてきまして(ありがとうございます)、昼間はあまり集中して雑用をこなすことができなくなってきました。

今日は大学の外来でした。実は女子医科大学リウマチセンターの現所長が退職されるので、最終センター内の講演があったのです。本当は聞きたかったのですが、さすがにもうだめ。夜家で自分の時間がないと、さすがに電池切れ状態。

とにかく今週の日曜日、一般の方向けの講演は意地でもちゃんと準備をしないといけません。これは、中途半端にしては他の都筑区の整形外科の先生方にも申し訳がたちません。さらにわざわざ来てくれる東海大学の持田教授にも会わす顔がないというものです。

内容は関節リウマチの早期発見のポイント。しゃべることは嫌いではありませんし、内容もあまり考えずに話せますが、問題はスライド。一般向けというのは、極力専門用語を省くか、または説明しなければならないので、スライド作りには気を遣います。

さらに専門の手の外科手術の話をさせていただくのですが、医者向けなら、手術中の写真をふんだんに使用すれば、簡単にスライドを作っていけますが、一般向けではホラーになってしまうので使えません。意外と手持ちの写真などの大半が使えないため、材料に四苦八苦しています。

それでも、だいたいそれなりに見栄えのするものができてきました。日曜日はけっして無駄にはさせませんので、期待してください。

2008年7月9日水曜日

毎日反省の日々

自分は正しい、と信じている人は多いと思います。

正しいと判断することは自分の価値観の中のことであり、他人の価値観では、必ずしも正しいとは言えないかもしれません。それがジコチューというものに発展していくのです。

自分は性善説というのを信じています。

それも、何が善なのかはその時々の価値観によるので普遍的なものではありません。

しかし、生まれながらに善人であるからこそ、間違いに気づき直そうと考えるわけです。

ですから、自分はいつも間違ったことをしてはいないかと考えてしまい、他人に対して発言するような立派な人間ではないのではないかという強迫観念を抱き続けているのかもしれません。

飲酒ブログは、話が小難しくていけません。

2008年7月8日火曜日

今度の日曜は公会堂でお勉強

都筑区医師会の整形外科医の集まりを、都筑区整形外科医会といいます。さて、今までに数回都筑区公会堂で一般向けの講演会をやってきました。

今度の日曜日はその第4回。メインの講師は東海大学病院整形外科教授の持田譲治先生です。持田先生は・・・いや、あえてモッチは、と言わせてもらいます。もう20数年前、自分が医者になって東海大学病院の研修医になった年に慶応義塾大学病院から赴任してきました。

そのころから日本の脊椎外科の急先鋒で、椎間板ヘルニアを針を皮膚から刺して小さな傷で手術する経皮的手術のパイオニアの一人でした。大学の中でもそのアカデミニズムが群を抜いていて、椎間板の軟骨の試験管内再生の実験などはまさに世界をリードするものだったと思います。

自分は関節外科を選んだので、直接指導を受けることはあまりありませんでしたが、今や日本の脊椎外科の中では屈指の名医として、モッチと呼べることは誇りに思うわけです。

さて、そのモッチがわざわざ都筑区のために来てくれるというのは、大変すばらしいことです。本当に忙しい先生ですから、なかなか一般向けの講演会などに時間を割いていただけるということは希有のことなのです。時間のある方は、是非ご来場ください。

さてもう一人の講師は昭和大学横浜市北部病院の川崎恵吉先生。川崎先生は、自分と同じ手の外科を専門にしていて、対応は早くて的確。なかなか頼りになる先生です。川崎先生の演題は小児と高齢者の手の周辺の骨折。高齢者の方も、小さなお子さんをお持ちのお母さんも、是非お聞きいただきたい内容です。

一応、前座で自分もリウマチの話をさせていただきますが、無料の会なので是非お集まりいただきたいと思います。

2008年7月7日月曜日

シューマン / ピアノ協奏曲 イ短調

ロベルト・シューマン(1810-1856)は、いくつかの交響曲や管弦楽曲を書いていますが、やはりなんといってもピアノ曲。特に有名なのは「ごどもの情景」と「クライスレリアーナ」でしょうか。大ロマンチック大会のショパンよりも、むしろ器楽曲としての芸術性は高いように思うのですが。

そのあたりは結局好みということになりますかね。あまり多くない管弦楽曲の中で、実は小学生の時から大きなインパクトがあった曲が、唯一のピアノ協奏曲。何曲もあってもよさそうなのに、これ1曲。なんでインパクトがあったかというと・・・

そうなんです、ウルトラセブン。

最終回。史上最大の侵略の後編。

けがをして頭に包帯を巻いたダンは、再びウルトラセブンとして出撃しようとしている。それを止めるアンヌ。画面は一転して、きらきら輝くガラス越しに二人のシルエット。「アンヌ、僕は実は人間じゃないんだよ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだよ。西の空に明けの明星が輝くとき、空に飛んでいく一つの光がある、それが僕なんだよ」
「行かないで、ダン!!」
「行かなくちゃいけないんだよ。アマギ隊員がピンチなんだよ」

アンヌを振り切って、ウルトラアイを装着するダン。そこへアマギ隊員にせまる地中ミサイルのカットバック。ウルトラセブンはぼろぼろになりながらゴース星人の怪獣パンドンと戦う。アンヌが他の隊員のところに駆けつけ叫ぶ。

「ウルトラセブンの正体は、あたし達のダンだったのよ!M78星雲から地球を守る為に遣わされた平和の使者で、自分を犠牲にしてまでこの地球の為に戦ってるんだわ!」

思わず気合いが入って、ここまで一気に書いてしまいました。そらで書いてる自分が恐ろしい感じがしなくもないのですが、まあ、とにかくこの後ろで流れていたのがシューマンのピアノ協奏曲なんですよ。

もう、この選曲のセンスには脱帽です。はまり過ぎです。前のシリーズだったウルトラマンに比べると、スタッフに余裕が出て、ウルトラセブンのシリーズはかなりマニアックな作りが目立ちますが、そこがいまだにうけている理由ですよね。

昨日は久々にこの曲を聴いて、あの場面を思いっきり思い出してしまいました。

2008年7月6日日曜日

医者は頭が固い

病院やクリニックを患者として受診する時は、体調が悪くてつらい場合なのですから、患者としては医者に自分のことを的確にわかってもらいたいと思っていることでしょう。

でも、医者という人種の偏屈なものが多くて、それぞれが自分のスタイルを持っていますからなかなか患者に合わせてはくれません。だからといって、患者の方から医者に合わせるというのも変なことです。理想的には、患者と医者の両者が歩み寄ってお互いを尊重して問題を解決していくことが望まれます。

それでは、まず話を聞くという時に医者がどんなことを考えて、どのような答えを望んでいるかを考えて見ましょう。そのあたりが自然と一致して、すーっと話が進む場合がお互いにとっていい状況でしょう。いわゆる、「気が合う」ということです。

でも、医者の思考経路を知っていると、少しの努力で話がより伝わりやすくなります。いろいろな意味で、双方の無駄を省くことにつながり、有益なことだと思います。

患者さんの今の体の不調の話を聞き取ることを「問診(もんしん、現病歴、present history、アナムネーゼ、略してアナムネ)」といいます。すべての診断学のスタートであり、大変重要なところです。多くの病気は的確な問診によって、診断がついてしまうとは珍しくはありません。

これらの聞き取り方法は順番がだいたい決まっていますから、頭が固い医者は順番に沿って質問をして、順番が狂うことは大変に嫌います。ですから、質問されたことに主語・述語をはっきりさせながら答えれば最低限はOKということになりますが、ほとんどの場合、自分のつらいところをわかってもらうには不十分と感じることでしょう。

しかし、よけいにしゃべりすぎると、嫌な顔をする医者もいるかもしれません。そこで、医者が知りたがっている情報をうまく伝えることも患者としてのテクニックなのです。では、医者が知りたがっていることはどんなことなのでしょうか。

まず主訴(しゅそ)。読んで字の如しで、主な訴えです。最初に一番の問題が何かがわからないと、話を聞いていてもどこにポイントをおくか決まらず困ってしまうのです。主訴は原則として一つですが、時には複数あることがあります。

医者は一度にいくつもの病気が同時に起こるとは思いませんので、複数の主訴があっても一つの病気が原因と考える癖がついています。ですから、できるだけ主訴は一番つらいこと一つに絞ったほうがかしこい作戦といえます。残りは後で話してもかまいません。

そもそもことの始まりは、という感じで話を始めると何が問題かがわかりづらいので、とにかく最初は一番の来院の目的をはっきりさせるようにした方が、医者は話を進めやすくなります。

さて、続いてその症状についての細かい質問に移ります。これは英語でよく言われる疑問詞の5W1Hみたいなものです。いつから、どこに、どんな、よくなる状況、悪くなる状況かなどです。これを現病歴(present history)と呼んでいます。

その症状はいつからですか、連続的にでているのか、出たり消えたりしているのか、何かすると良くなったり悪くなったりするのかなどを知りたがっています。もちろん、ここが聞き取りの一番の中心です。

一通り、聞き終わると関連情報の収集に移るわけで、それが既往歴、つまり今までにかかったことがある病気や服薬の話です。そしてもう一つが家族歴、家系の中にどんな病気のとがいるかということを医者は知りたがります。また、病気の種類によっては、喫煙・飲酒などの嗜好についての質問も追加されます。

これらの話を聞きながら、視診(ししん)といって顔色や局所の具合などを目で見る診察は始まっています。だいたいの話が終われば、後は触診(しょくしん)、聴診(ちょうしん)、打診(だしん)といった直接患者さんに触れていく診察、理学所見をとっていくことになります。

たぶん日本の医学教育の基本は、だいたいこのような流れで診察を始めるように教え込んでいますから、患者さんもこのような順番を知っていると、話しやすい、あるいは聞いてもらいやすくなります。もしチャンスがあったら、試してみてください。

2008年7月5日土曜日

あすなろ菜園 ミニトマト

きゅうりが華々しく育つので、ついつい地味~なミニトマトを忘れがち。でも、ゆっくり育っていて、ついに実がなり始めましたよ(ピントずれ写真ですみません)。

けっこう患者さんは楽しみにしているようです。昨日や今日は、大変暑くて水やりをけっこうやっても葉っぱは元気がでません。ちょっとこの先心配。

それにしても今日も暑かったですね。今年になって初めて朝からエアコンを使ってしまいました。うちのクリニックは4階で風通しはいいので、湿度さえなければ、けっこうエアコン無しでもいけるんですが・・・

しかも今日は午後から診察の方ばかりが立て続けに来院され、最近の土曜日の午後としては異常事態ともいれる混み具合でした。

4月から土曜日の午後は基本的な診察料が500円上がったんです(つまり3割負担の方で150円増しということになります)。それまで午後にいらしていた患者さんも午前中に来るようになり、午前の方が込むようになりました。

なのにどうしたことでしょう。初診の方が数人つづくだけで、その後の患者さんは1時間近く待たせてしまうことになります。こうなると、自分の方は居直り気分になってしまいます。あわてて説明不足になってもしょうがないので、どっしり構えてしまうのです。

そのかわり雑談タイムがほとんど取れないのがつまらない。馴染みの患者さんのところまでかんばって、ちょっと雑談タイムにしようと思っていたら、その患者さんの時には、またもや何人も待っているという状態で、残念!!

まだまだ待合室に患者さん一杯いる状態に慣れていない新米クリニックなのでした。

2008年7月4日金曜日

中国産鰻蒲焼旨味十分?

前にあなごの蒲焼の弁当が受けたので、また食べていただきましょうか・・・と思って手に取りました。1尾分で380円。おっ、安い。

それで・・・後はどうしようか、と思って眺めていると、中国産の鰻蒲焼。何かと食の安全が言われているご時世ですが・・・

今日のニュースでも、発がん性のある抗菌剤が検出されたというニュース。いろいろ出てきます。でも、うーん。安さにはかないませんでした。

だって、198円ですよ、198円。

二串分をひとつの弁当に押し込んでも396円ですもん。

というわけで、とりあえず味は問題なしだったようです。現代社会で都会にすんでいてパーフェクトな食の安全を確保というのは、まず無理ですよね。値段への要求と安全への要求は反比例するんですよね。どうしましょう・・・

2008年7月3日木曜日

あすなろ菜園 きゅうり収穫


やはり肥料は大切ですよね。最初の実はなんとなくしぼんでしまい、こいつ、やる気あんのかってな感じでしたが、肥料をコーナンで買ってきてみました。

さらに肥立ちの悪さを心配した患者さんが、スーパー肥料を分けてくれました。そしたら、1週間くらいでみるみるきゅうりらしくなりました。

もう、今日収穫しようと思います。あと20本くらいはできるかなぁ。でも朝日があたらず、日当たりがいいとは言えないのでどうでしょうか。

それにしても、こうやって育ててみると、スーパーで4本198円とかで売っているきゅうり。ここまでにするのは大変なんだとしみじみ実感しますね。

2008年7月2日水曜日

夏が来れば思い出す その2

大学では何を思ったか・・・硬式テニス部に在籍していました。以前に剣道をやっていて、あの汗臭さはもうごめんと思った・・・
これからはピチピチギャルとテニスでエンジョイと思った・・・

とにかくあまりまともな理由では無いわけで、入学してクラブのオリエンテーションをしているところで、入部希望に躊躇無く署名。ところが浪人していたので、なんか年寄り扱い。まぁ、いいか。ところが、いわゆるテニスサークルを思い浮かべ、楽しい日々を想像していたのは大間違い。

本気で体育会系の乗りで朝練、午後練とくる。終わった後は、新入生はクレーコートを暗くなる夕闇の中ローラー引き。時々、本学のほんちゃんの体育会と合同練習ってな具合です。さすがに、先輩に廊下で会ったときには、壁にくっついて「うっす!!」なんてことはしませんでしたが、それはそれは汗は青春のガソリンだぁ~みたいな感じでした。

ですから、もちろん入部したのは正式には「硬式庭球部」なのであってテニス部ではありません。

夏が来れば思い出すのは、合宿。かんかんの日照りの中、九十九里の白子や山中湖にいったもんです。テニスをしようというわけですから、周囲に日陰なんてあるわけないです。そんなところで、先輩の愛の振り回し。

あっちこっちに球出ししますが、基本的には取れないところに出すわけで、取れないとわかっていても食らいついていく根性叩き上げ練習です。ぽとんネット際に落とされた後のロブは泣けます。大量の汗をかきますから、大量の水を飲みました。

この頃ですよ、はじめてポカリスエットなるまか不思議な飲料が登場したのは。最初飲んだときは、甘いような塩辛いようなねとっとしたような、人間の飲み物とは思えませんでした。同じ頃に発売されたゲータレードのレモン風味は、まだましでした。

でも、そんな練習をした後に宿に帰って、みんなで風呂に入れば元気が復活。また翌日の練習に向かって気合いが入るわけで、本当に若かったんですよね。

2008年7月1日火曜日

夏が来れば思い出す

7月になり、今日は昼からは一気に真夏のような日差しが痛いくらいでした。夏が来れば思い出す・・・やっぱり学生時代のことでしょう。社会人になってからは、さぁ、夏休みという感慨はあまりなく、休めば休むほど仕事がたまって自分の首を絞めてしまうのです。

とりあえず、一番最後の「夏休み」というと医学部の6年生の時。6年生の夏休みというのは、もちろん遊べるわけもなく、医師国家試験に向けていよいよ最後のラストスパート半年となるわけです。直前の試験では、平気で40点とか50点とか取っていましたが、9月からはそんなことはやっていられません。

当時の自分の大学では、9月から各教科を2週間程度で連続総復習していくカリキュラムでした。同時にやっている科目は3~4科目。2週間ごとに試験があります。たとえば血液内科と整形外科と皮膚科と形成外科みたいな感じです。

そういう連チャン試験地獄に突入する前の1ヶ月間の夏休みは、自分で必死に調整するための期間として大変重要でした。ところが、ところがです。忘れもしません。御巣鷹山です。夏休みも前半が終了し、いよいよエンジンもフルスロット全開にしなければならない時期でした。

日航機墜落事故。自分の人生の中で、テレビにしがみついてみまくった事件というのは、それほど多くはありません。小学校の時の浅間山荘の連合赤軍事件。これは1日だけでしたが、家に帰るなり、父親が「テレビで本当の戦争を生中継している」と興奮して教えてくれたのを覚えています。でも、その次がこれ。そして、最近の911同時多発テロ。このくらいでしょうか。

ダッチロール、圧力隔壁などの普通なら一般人が耳にしないような言葉が連日テレビで繰り返されて、もうひたすらテレビを見続けてしまいました。勉強なんて、まったく手に付きません。夏休み明けに国家試験的な全科混合試験があり惨敗。

おかげで目が覚めました。そのあとの地獄の連チャン試験は平均90点で猛進し、卒業試験、国家試験と一気に駆け抜けることができました。

不謹慎かもしれませんが、あの日航機墜落事故がなかったら、だらだらと夏休みを過ごし、なんとなくそのあとの半年を使っていたかもしれません。そういう意味で、自分にも大変インパクトの強く残っている夏の出来事なんです。