2014年4月30日水曜日

牡丹華

二十四節気では穀雨、その末候となるのが牡丹華、ぼたんはなさくと読みます。

天気は下り坂・・・どころか、天気予報は大荒れということで、GWのレジャーにも影響がありそうです。

街で牡丹の花がどこかで咲いていないかと、ちらちらと見ていたのですが、さすがに見つけられませんでした。

牡丹というと、何となく東映の任侠物の映画を思い出すのは、緋牡丹お竜さんのせいでしょぅか。藤純子(現在は富司純子)の当たり訳で、シリーズでずいぶんと映画が作られ、実際映画を見たことが無い自分も知っているくらいです。

結局、入墨の絵柄として牡丹がよく使われたと言う事なんでしょうかね。なにしろ、もう一つ思い出せと言われると、次に来るのが高倉健の唐獅子牡丹ですから。

2014年4月29日火曜日

閑か忙か

GW期間中は、患者さんの数はどうなんだろうというのは気になるところ。なんとなく街の歩いている人の数は少なめの印象。

前半の土曜日~今日のみどりの日まで、どこかに遊びに行っている人が多いのかなぁと思ったりするわけです。

実際は昨日は、けっこう混み混み。休みが重なるので、昨日に患者さんが集中したということでしょうが、閑かもと思っていたので、そのギャップでけっこうしんどいことになりました。

体力は年々減っていくなぁ、と思わず溜息をつきたくなるところですが、まだまだ弱音を吐いてばかりはいられません。

今日はゆっくり体を休めて、また明日からのエネルギーを蓄積したいと思います。


2014年4月28日月曜日

ゴールデンウィーク

昔は・・・もう、ほとんど年寄り自認状態ですが、4月29日が天皇誕生日で休み。5月3日が憲法記念日、5月5日がこどもの日で休み。4月30日から5月2日の間に日曜日が入れば、飛び石連休と言っていたゴールデンウィーク。

今は、5月4日はみどりの日とかいって休みになっちゃいまして、今年は振り替え休日のため5月6日も休み。そんなに休んでばかりでどーすんだ状態。

中には、間も有給休暇を取って、10日以上休むという人もいるらしい。働くから遊べるんだぞ、なんて堅いことを言うつもりはありませんが、なにしろ医療の仕事をしていると、そんなに休むことなんてとうてい無理です。

飛び石連休なんて、まったく嬉しくなく、無いほうがよっぽど楽だったりしたものです。近くのクリニックでは、間の平日も全部休みにしちゃったところが数軒あるのにびっくり。
 
前にも書いてるかもしれませんが、いや、絶対書いていると思うのですが、こういう休みが重なって話題になる頃になると、どうしても羨ましい気持ちがふつふつと出てきて、思わずぼやきたくなってしまうのです。

一応社会人になって30年、いまだに週休二日とか、まったく無縁の生活。大学生活では、まだ多少の融通はつきましたが、とにかく休めば休むほど、仕事がたまるだけでその後が大変になるだけ。

大学病院が4週六休といって、第2と第4土曜日は休診になったことがありましたが、大学職員の立場では、あくまでは病院外来が休診になっているだけで、出勤しないといけないとかいわれて休めませんでした。

こういう日は、さすがに出勤してもやることは少なくて、半日ぼーっとしているしかない。・・・GWでした、話がずれたかも。でも、GWも同じで、今でも中途半端に休みが点在するのも、まとまって大量に休みがあっても、有効活用はしにくいのは同じ。

まぁ、とにかく、休める人はどうぞたくさん休んで、明日の日本のためにそのあと頑張ってくれればいいということで。まとめて仕事ができない立場としては、ひたすら毎年ぼやいているのかもしれません。

2014年4月27日日曜日

復活祭後第一主日

確かに寄り道をしている場合ではなく、受難曲が重過ぎてまだ聴き切れていないところに、復活祭が始まり、もうカンタータを次から次へと出てくるので、完全に消化不良状態。

その上、今日は復活祭後第1主日(日曜日)ということで、またもや新たにカンタータが登場します。

BWV67 イエス・キリストを憶えよ
BWV42  されど同じ安息日の夕べに

幸いなことに、これらは比較的明るくてめりはりのある曲調だったので、比較的聴きやすい。5月29日の昇天祭までは、毎週日曜日ごとに2つから3つのカンタータが加わっていくので、ちょっと一息つけそうです。

とりあえず、復活祭関連で最初にまとまったオラトリオの形で曲を残したのはシュッツといわれているようですが、ガーディナー先生もちょこちょこと取り上げる作曲家。

ハインリッヒ・シュッツは、なにしろJ.S.バッハよりも100年前の方ですから、1585年生まれで、三十年戦争と呼ばれるカトリック対プロテスタントのヨーロッパ中を巻き込む国際戦争の時代に活躍した作曲家。

バッハに続くドイツ・バロック音楽を確立した人という評価のようです。ちょうど代表的な作品を集めたボックスがあったので、これを購入しました。

マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ルカ受難曲、十字架上のキリストの最後の7つの言葉といった馴染みのあるタイトルの曲が並びますが、その中に復活の物語という復活祭用の曲が入っています。

合唱に重点が置かれたもので、このあたりがもともとの教会音楽の形を想像させます。もともと説教を節にのせたところからメロディが生まれ、皆で歌うようになり、伴奏のための楽器が登場してくるという音楽史の基本ということでしょうか。

ポール・ヒリヤーが監督するアルス・ノヴァ・コペンハーゲンという合唱団によるアルバムは、もちろん大半が無伴奏合唱で、まさに天国に通じる光がさすような美しい歌声に魅了されます。

復活の物語ではコンチェルト・コペンハーゲンという楽団が共演して伴奏を担当していますが、本当に脇役に徹していて、歌声を邪魔することはなく、エンターテイメントとしてのバッハとは一味違った美しさがあります。

2014年4月26日土曜日

我らがイエスの四肢

1年間の教会暦にしたがって、J.S.バッハの作曲した教会カンタータを順番に聴いて行こうという試みは、ネット上を検索してみると、けっこうやっている人がいて珍しいものではありません。

たいていは、合唱団に参加している方、キリスト教徒の方など、直接的な関係がある場合が多く、知識ゼロという方は少ないようです。

自分のように、宗教音楽にはまったくのド素人 - というより声楽に苦手意識がある上に、ほぼ無信仰というのにこんなことを始めるのは、無茶が過ぎるという感は否めない。

バッハの教会カンタータはおよそ200曲あって、ぼけーっと聴いていると、どれも同じに聞えてしまいます。そもそも、毎週教会で演奏されるために新曲を何年にもわたって書き続けるわけですから、いくらバッハでも、そうそう毎回万全の準備はできなかったはず。

そこで、他の曲からの流用や使いまわしというところも多々あるらしいのですが、そういうのを「パロディ」という表現で呼び、熟知しているベテランになるとカンタータの重要な楽しみ方の一つらしい。

自分は、当然のようにわからない。これはロ短調ミサのあれと一緒とか言われても、そもそもロ短調ミサを聴き込んでいないわけですから。

とにかく、とんでもない目標を立ててしまったものだと思っても、ガーディナー先生のカンタータ全集を買ってしまったので、56枚もあるCDをただ聴いて行くのではつまらない。

他にところに寄り道している暇は無いのですが、カンタータだけでは飽きてしまいそうなの出、この際教会で使われる音楽全般も少しは勉強しておこうと、さらに欲張っています。

J.S.バッハより遡る事半世紀前のドイツの作曲家、ブクステフーデという人がいます。もともとバッハより古い作曲家なんてほとんど知らなかった自分としては、最近知ったばかり。

オルガン作品がけっこう有名ですが、声楽曲、いわゆるカンタータに近い継代の音楽も多数残されている。その中で、おそらく録音も多いのが7つの連作カンタータで、タイトルは「我らがイエスの四肢」

これは十字架に磔刑とされたイエスの体について、「足について」「膝について」「手について」「わき腹について」「胸について」「心について」「顔について」という具合にキリストの体を愛おしく謳いあげて行くもの。

バッハほど、盛り上がるわけではなく、淡々と歌い進められていく感じは、より宗教的といってもいいかもしれません。当然、我らがカーディナー先生の録音もあって、主役のモンテヴェルディ合唱団の美しい歌声を堪能できます。

ただし、残念ながらとっくに廃盤なので、amazonとかの中古でないと手に入りません。現在、比較的手に入れやすいのは、鈴木雅明の率いるBach Collegium Japanによる演奏。

当然、鈴木雅明は日本人で、日本人が主体の演奏団体で、最近完成したバッハの教会カンタータ全集は、世界的にも絶賛されたもの。同じ日本人なのに、ここまで入り込めることに感心するしかありません。

曲によって、ガーディナー盤より早いものもあれば、遅いものもありますが、合唱人数は鈴木のほうが少なめな感じですが、より歌がはっきりしているかもしれません。

キリストの受難については、大人数では聴くにはバッハ、でも家で一人で耳を傾けるにはブスクテフーデのほうが向いているかもしれません。いずれにしても、そこのところをしっかりとおさえておくことで、その後の復活の感動も大きくなると言うものです。

2014年4月25日金曜日

年間成績

医者は、大学でひたすら膨大な医学の勉強はしますが、文系の勉強はほとんどしている閑がありません。そのせいか、しばしば一般常識に欠けると思われますし、実際知らない事だらけ。

特にクリニックを開業してみると、医者として自分の理想の医療を提供しているだけではすまないことだらけ。経営者としての力量を要求されるわけで、今までやったこともない世界が広がっていました。

人に雇われる立場と、人を雇う立場では雲泥の差があって、とにかく医学部の勉強には経済学・経営学などもあるべきだと思ったりするわけですが、実際のところ今の間に合いません 。

そこで、大半のクリニックでは、税理事務所にお願いして、それらのよくわからない仕事の大半を請け負ってもらっていると思います。当然、うちの場合も、開業以来同じ事務所にお世話になっている。

給与計算、法人と個人の税金計算、お役所的なわけのわからないもろもろの書類の処理などを、一切合財お願いしていて、その上で毎月収支の報告と、いろいろな経営上のアドバイスをしてくれます。

昨日は、年に一度、いつもの担当者だけではなく、税理事務所の親分もやってきて、1年間の総合評価の説明を受けました。

ボスの言葉は、毎年厳しいことが多いので、今年もさぞかしダメだしを食らうと思うと、けっこう緊張して、年度末に成績表をもらう生徒みたいな心境になります。

開業して最初の5年くらいは、患者数、患者単価(一人当たりの診療報酬)ともに順調に伸びて、まだ伸びしろがあるからひたすらがんばれと言われていました。

さすがに医者一人でできることには限界がありますから、5年くらいするとある程度プラトー。去年くらいから、前年比割れの月もかなり増え始め、今回は明らかに収益は減少に転じている。

さすがに、こっちも順調に年を取っていますから、どうしてもパワー不足は否めない。肉体的・精神的に、開業当初よりはがんばれきれないところはあるものです。

当然、ボスからはそのあたりをやんわりと指摘され、体を鍛えればというお言葉。もっと頑張れということでしょうか。もっとも、ボスの仕事としても、がんばるなと言う事はないでしょうから、ごもっともな励ましの言葉を頂いたわけです。

というわけで、そんないろいろなことを糧にして、また毎日をがんばるしかないと思うわけです。基本的には、医者なんて単純なのかもしれません。

2014年4月24日木曜日

霜止出苗

霜止出苗は、しもやみてなえいづると読んで・・・これは本当の七十二候のひとつ。

 二十四節気の穀雨の真っ只中、次候ですが、さすがに霜は4月になって見ていません。農業の経験はないのですが、日本人にとって古来最も重要な稲作では暦は重要でしょう。

4月になって稲の種まきをして、そろそろ苗が出てくる頃ということでしょうか。育った苗は5月に田植えされる事になるんだと思います。

霜が止まって、完全に冬とは決別という感じですが、それでも、まだまだ昼と夜の寒暖差がありますので、体調管理には注意が必要です。

2014年4月23日水曜日

蛞蝓始見

蛞蝓始見は・・・なめくじはじめてあらわる、と読みたいところですが、さっき思いついたもので七十二候にはありません。

二十四節気で穀雨となったからというわけではないのでしょうが、この数日まさに雨模様で、じめっとした感じ。

そしたら、とたんにチョロチョロと出てきた。これから梅雨の終わる頃まで、しばしば登場するのがナメクジ。

ゴキブリとともに、家屋の周囲で頻繁に見られる嫌われ者です。これは主に外見的なイメージからくるのでしょぅが、実際、田畑では葉を食い荒らすので害虫扱いです。

そこで、 古典的な方法としては塩をかけたりしたことがありませんか。塩をかけると滲透圧の関係で、体内が脱水になり死んじゃうわけです。

ナメクジが見られるようになると、さわやかな春はそろそろ終わりという感じですかね。


2014年4月22日火曜日

エコバッグ

最近はスーパーなどで、いわゆるレジ袋と呼ばれる買ったものを入れるためのビニール袋を有料化するところが多くなりました。

ゴミの削減というのが、その目的と理解していますが、確かに小さいものはあまり後から使いみちが無くて、そのままゴミになることも多い。

うちでは、小さいものは生ゴミをまとめるのに使いますし、大きいものはそれらをまとめるのに利用していて、大変役に立っています。

横浜市は、燃えるゴミと燃えないゴミとビン・カンの大きく3つに分別回収をしています。ただ、この分別がたいへんわかりにくい。途中投げ出しの無責任市長がかつて導入したもの。

ただ、専用ゴミ袋を販売する自治体も多い中、袋は半透明ならどれでもいいという点だけは助かる。あとは、出すときのカラス対策だけローカルルールで守ればいいわけです。

とは言っても、有料でわざわざ買うのも何だかなぁ、という部分もあるので、普段から持ち歩くバッグの中には、一応女性誌の付録についてきたエコバックが入れてはあります。

もう一つ、スーパーの景品の薄い帆布製のものもあるんですが、さすがにこちらはかさばるので、あまり使いみちがない。

とりあえず、ゴミの削減と資源の有効利用という両方が大事なんだろうなと思っています。



2014年4月21日月曜日

増税慣れ

どうです、4月が始まって3週間。いろいろと新しいことが始まって、うきうきしている方もいれば、あたふたしている方もいたりするでしょう。中には、別に何にも変わらないさとクールにきめている方もいるかもしれません。

全日本人に関係するのは、消費税増税ですが、実際それほど大きな値上がり感は少ないような気がします。確かに、プラス3%ですから、日用品のような数百円以内のものでは、最大でも数十円の上乗せ。

4月は消費抑制があることが予想されていたましたから、売るほうも買い物客離れ対策はいろいろしているようで、相当実質的な価格を抑えて努力している部分がかなりありそうです。


ただ、例えば家を買おうとかいう話になると、家中のカーテンを買うくらいの額が余計に出て行くわけですから馬鹿になりません。とはいっても、こればかりは増税前に駆け込みで買って、後で後悔してもね。

とにかく、始まったことですから、慣れるしかありません。いずれにしても、数年後にはさらに2%上がって、消費税は10%になることが決まっているわけですが、いきなりプラス5%にしなかったのは、政府の思惑としては大成功とほくそ笑んでいることでしょう。

アベさんは、やたらの給料が上がったと経済の復調を口にしていますが、あくまでも大企業に限った話で、自信過剰にならないようにしてもらいたいものです。

クリニックは・・・というと、初診料や再診料が実質消費税分の値上がりがありますが、これは収入の上乗せにはなりません。むしろ、受診抑制につながっているのか、実際のところ患者さんは少なめという印象です。

在宅医療関連は、大きく引き下げられたり、条件が厳格化して、今後ますます高齢化していく日本社会なのに大丈夫かと心配ですが、これは高齢になっても自分で自分のことは何とかしろという政府の居直りのスタートなのかもしれません。

まぁ、なんにしても、3週間たつとスタートのバタバタは落ち着いてきますので、生活のペースをしっかりと安定させていきたいものです。

2014年4月20日日曜日

復活祭

イースターと言ったほうが、日本では何となく通りがいい。とりあえず、何かの西洋の祭りで、卵にいろいろ色を塗って遊べる。ディズニーランドでも、特別企画があって楽しいらしい。

ところが、キリスト教としては大変重要な祭りであり、十字架に磔刑になって3日目にイエス・キリストが復活した日を記念するものなのです。今年は今日が第一日、明日、明後日までのお祭りになるわけです。

実際にキリストが復活したのはいつなのか・・・もっとも、医学的に考えればあり得ない話になってしまいますが。とりあえず、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りの始まりあたりということになっている。

過ぎ越しの祭りは、ユダヤ人がモーゼとともにエジプトから脱出する際、生贄の子羊の血を塗ったユダヤ人の家を過ぎ越して、塗っていないエジプト人の家に神が災いをもたらしたという話からきているそうです。

キリスト教では4世紀に会議の中で、キリスト復活は、春分の日の後の、最初の満月が過ぎた、最初の日曜日と決めました。このため、3月下旬から4月下旬までの期間で復活祭は変動することになりましたが、必ず日曜日になるという。そこから逆算して、磔になった聖金曜日などの教会暦が決定していくことになります。

とにかく復活したキリストは、今日から40日間の間、神がかった更なる布教活動をした後、昇天して神となるわけです。キリストの誕生とともに、第二の誕生日とも言えるイースターは、キリスト教の中では重要な祝日だということで、音楽としては、当然J.S.バッハのカンタータはいくつかあるわけです。

第一日の日曜日のためのものは、
BWV4 キリストは死の絆につきたまえり
BWV31 天は笑い、地は歓喜す
BWV249 復活祭オラトリオ

第二日の月曜日のためのものは、
BWV6 わがもとにとどまれ、はや夕べとなれば
BWV66 よろこべ、汝らの心

そして、第三日の火曜日のためのものは、
BWV134 イエスによりて生くるを悟りし心は
BWV145 立てわが心よ!主の日なり
BWV158 平和汝とともにあれ

BWV249はオラトリオと分類されていますが、40分程度でオラトリオとして短めで、長めのカンタータという感じですが、バッハの復活祭の音楽としては、中心をなすものとと考えてよいでしょう。

キリストの悲劇を歌い上げる受難曲と打って変わって、復活を祝うわけですから、出だしからしてまったく違う。金管のファンファーレのような明るいきびきびした音から始まり、いかにもうきうきわくわくする曲調です。

ガーディナー先生は、実は昨年やっとCDを録音しており、今のところ最新作が復活祭オラトリアの演奏です。昨年の実演は、YouTubeでも見ることができるので、視覚的に入っていきやすい。

バッハ以外の復活祭関連の音楽としては、古くはシュッツのものが有名ですが、実はバッハよりも世界中で知られているのはヘンデルの「メサイア」ではないでしょうか。

メサイアは救世主の意味で、もちろんキリストのこと。キリストの生誕、受難、復活というポイントをおさえた長大なオラトリアで、少なくとも「ハレルヤ」だけはやたらと有名で、これを知らない人は日本人でもいないでしょう。

ヘンデルはイギリスに帰化した人で、宗教関連曲としては珍しく、この曲の歌詞は英語で書かれている。後にモーツァルトがドイツ語版を作ったりしていますが。

ハレルヤ合唱に感動したイギリス国王が立ち上がったため、以後スタンディング・オベーションが生まれたとか、この曲に感動したハイドンは、「天地創造」を書き上げたというような逸話もあったりします。

とにかく、聴いておくべき曲が多すぎて、先週から忙しくしょうがない。だいいち、受難曲も一度聴いただけみたいなところで、まだよくわかっていない。期末試験で次から次へと科目があるので、勉強が間に合わず、どんどん積み残しが増えている学生のような状況です。

2014年4月19日土曜日

葭始生

いや、ここまできて・・・というのも、もうじき1年になるということですが、明日から・・・今日からじゃなく明日からの話。1日早く話題にするのは心苦しいのですが、いろいろ事情があって・・・

と、いうわけで、明日は二十四節気で穀雨。そして七十二候では、葭始生、あしはじめてしょうず、となります。

葭というのは植物ですが、悪(あし)に語感が似ているためヨシと呼ぶこともあったりします。すだれを作るのに使われるので、比較的馴染みがある稲に似た多年草です。

葦と書いたり、芦と書いたりもします。ヨシがたくさん群生してたことから、昔の遊郭で有名な吉原はアシハラから呼ばれたという話を聞いたことがあります。


穀雨は田畑の準備ができて、それらを芽吹かせる恵みの雨という扱い。穀雨が終わると、早くも立夏ですね。

2014年4月18日金曜日

十字架上のキリストの最後の7つの言葉

今日は聖金曜日で、イエス・キリストが十字架に磔刑された日ということになっています。実質的なキリストの命日とでもいうのでしょうか。おそらく、世界各地で盛大なミサや受難曲のコンサートなどが行われているんでしょうね。

キリストは十字架に架けられて、絶命するまでに7つの言葉を言ったということが福音書に記されています。キリストの遺言とでもいうべきこれらの言葉は、聖金曜日のミサのなかでもしばしば朗読されたようです。

これらの言葉は、
「父よ、彼らを赦して下さい。なぜなら、彼らは何をしているのかわからないからです。」
「アーメン、あなたに言います。あなたは今日私と共にパラダイスにいます」
「ギュナイ、そこにあなたの子がいます。そこに、あなたの母が」
「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか」
「私は渇いている」
「終わった」
「父よ、私の霊をあなたの手にまかせます」
の7つということになっています。

これらをモチーフにした音楽も、何人かの作曲家によって作られていますが、やはり最も有名なのがハイドンによるものでしょう。

1786年、スペインのカディス大聖堂からの依頼によって、ハイドンは司祭がこれらの言葉を朗読したあとの暝想の時間に演奏する曲を作る事になります。当初、管弦楽版がつくられたのですが、ハイドンは自ら相当気に入ったらしい。

1787年には、自ら弦楽四重奏版を発表しました。さらに1796年には、歌詞をつけてオライトリア版が作られ、ついにはピアノ独奏版の監修までしてしまうところまでいきます。

ピアノ版は、フォルテピアノで演奏されたブラウティハムがお勧め。ただ、他の版を聴くと、さすがにちょっと音が少なく寂しいかもしれません。

弦楽四重奏になると、だいぶ音の厚みが出てきて聴きごたえがある。エマーソン四重奏団の演奏は、きびきびした中に厳粛な空気がうまくミックスされていてさすがです。

オラトリア版はアーノンクール。後から歌詞を載せた分、全体的に多少の無理感はあるような感じですが、さすがにノリノリで押し切るアーノンクールですから、聴かせきるところがすごい。

やはり、オリジナル形の管弦楽版は、もっとも聴いていて安らぎを覚えます。お勧めは、サヴァールの新録。教会での収録で、やや反響は大目ですが、実に素晴らしい。

面白いのは、ラテン語による7つの言葉の朗読が、それぞれの曲の前に収録されています。ちょうど、実際の式典での進行をイメージできる形。朗読はそれほど長くないので、演奏の流れが途切れるほどではありません。

十字架に磔になった神の子が、いろいろな不合理に不満をもちつつも、死後を託し、最後には自分の存在に満足し、神のもとに委ねるまで気持ちを、しっかりと詰めきった音楽として、受難曲とともにしっかりと聴いておきたいものです。

2014年4月17日木曜日

最後の晩餐

イエス・キリストが磔刑になる前に、12人の弟子とともに最後の夕食をとったという新約聖書の記述は有名です。

この時に、キリストはユダが裏切ること、ペテロは自分を守るためにイエスを知らないと3度言うだろうことなどを予言します。そして、使徒たちの足をイエスが洗い、パンは私の体、ブドウ酒は私の血として振舞いました。

これらは、芸術の分野では様々なイマジネーションを引き起こし、これらの出来事をモチーフにした多くの作品が生み出されてきました。

現代に残る、最も偉大な作品は、やはりレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された壁画ではないでしょぅか。この作品を、何らかのメディアで見たことがないという方は世界中にほとんどいないかもしれません。

もともと修道院の食堂の壁に描かれ1498年に完成したものですが、中央下が通りやすいようにくりぬかれるという破壊が行われました。またその後厩として使われるようになったり、洪水にあったりと、ずいぶんと大変な目にあっています。

また、湿気の多い悪環境のもとに、どんどん表面の剥離や汚れの付着が進み、20世紀後半にはかなりぼけたくすんだものになっていました。そこで、1977年から1999年にかけて、大規模な修復作業が行われ、本来の姿に近いかなりはっきりとしたものに生まれ変わっています。


この過程は、直接修復にかかわった方々の記録として大型本として発売されていて、 かなり精細なアップの写真も多数掲載されています。この本は大変興味深く、是非一読をおすすめしたいのですが、残念ながら大きくてやたらと重いので、簡単に手に取れません。

よくポスターなどになって、人物部分だけを横長に切り取ったようなレプリカを目にしますが、これは絶対にだめ。むだと思っても背景が可能な限りすべて含まれているもので鑑賞したい。

なぜなら、ダ・ヴィンチの数学的な遠近法を用いた徹底した空間デッサンがあるからで、そのなかで自然と中央のキリストに目が行くように構図が作られています。

よく、いろいろな暗号が隠されている、映画「ダヴィンチ・コード」はその最たる物ですが、 それは考えすぎかとは思いますが、それでも不思議なところは多々あります。

キリストの左隣のヨハネとされている人物の描写は確かに女性的で、キリストの服装との鏡対称になったところは、確かにひそかにマグダラのマリアを描きこんだという説もうなずけなくは無い。いくつもの手が描かれているものの、誰の手かよくわからない不思議な位置にあるものがあったりします。

いずれにしても、それぞれの使徒の混乱と猜疑、キリストに対する尊敬などさまざまな思惑が生き生きと描かれ、それぞれがいろいろと話しているかのような見事な絵画で、人類の遺産として確実に後世にまで残すべき価値があるものとして誰も文句は言わないでしょう。

もう一度、ゆっくりとこの絵を眺めながら、今日の聖木曜日に受難曲を聴くと言うのは、けっこう贅沢な時間の使い方なのかもしれません。

2014年4月16日水曜日

受難週

4月13日の日曜日は、キリスト教では棕櫚の主日、または枝の主日、受難の主日と呼ばれる日曜日でした。

イエス・キリストが、エルサレムの街に入城した際に、群集がナツメヤシ(棕櫚)の枝を道に敷き詰めて迎えたという成書の話に由来します。

そしてこの日が、受難週、あるいは聖週間と始まりであり、キリスト教徒にとってはキリストの生誕を祝うクリスマスの時期とともに、最も重要な期間となります。つまり、キリストがエルサレムに入った後、十字架に磔刑となるまでの1週間です。

日曜日に死を覚悟してエルサレムに入ったキリストは、月曜日に神聖な場所から聖人強盗を追い出し、火曜日に民衆に自分が神の子であることを告げます。

木曜日から土曜日は聖なる三日間とされ、聖木曜日に最後の晩餐を行い、弟子たちの足を洗いました。聖金曜日は受難日であり、磔形が行われたわけです。聖土曜日には、マグダラのマリアらの嘆きとともに、天使から復活を告げられます。

そこで、これらの聖書の記述を基にした音楽が受難曲と呼ばれ、今週は盛んに演奏されてはきたわけです。J.S.バッハは、もともとマタイ、ヨハネ、ルカ、マルコという4つの福音書による受難曲がありました。

マルコ受難曲は、テキストは残っているものの楽譜は喪失しており、研究者により復活させたバージョンがあるものの、真の姿はわかりません。

ルカ受難曲は、かつてブラームスが「バッハが赤ん坊の時の作品」と指摘していたのは有名ですが、真作ではない事が判明したのは20世紀になってから。他人の曲を、バッハが書き写したことが判明しました。

従って、現代ではマタイ受難曲 BWV244 とヨハネ受難曲 BWV245 の二つが正式なバッハの作品として認知されています。

マタイ受難曲は「人類最大の音楽遺産」とも呼ばれ、劇的要素が多く大規模で演奏時間も長い。それに比べるとヨハネ受難曲の方が、やや低く見られがちですが、その分コンパクトで宗教曲初心者の自分には聴きやすい。

 両者の違いを簡単に理解することは簡単ではなく、聖書をそうとう深く読みこなさないといけないらしい。このあたりについてはいろいろなホームページで書かれているので、ネットをしっかり検索すると少しずつはわかってきます。

とにかく、教会暦に従ってバッハを聴いていくということになると、今週はとってもヘヴィな1週間だということは間違いありません。



2014年4月15日火曜日

虹始見

虹始見は七十二候のひとつで、にじはじめてあらわる、と読みます。

二十四節気の清明の末候になり、四季の春の真っ只中。実生活でも、春爛漫というかんじですが、注意したいのはこの季節は昼と夜の寒暖差がけっこうある。

意外と冷えるのに、厚着はしなくなるので、体調を崩しやすいかもしれませんので、注意が必要です。

虹始見は読んで字の如しで、虹を見ることがあるということですが、空気が乾燥している冬の間は基本的に発生しにくい。

雨上がりに虹が見えると、なんか得した感じがします。虹のたもとはどうなっているのか、いまだに思ったりするんですよね。

2014年4月14日月曜日

リウマチじゃない?

関節リウマチの診断の難しさは、これがあったらは絶対というポイントがほとんどないというところ。

早いほど特徴が少ないのは他の病気も変わりありませんが、早期発見・早期治療という話が広まったことで、ほんの数日前からの手指の痛みで心配して来院される方が多くなりました。

発症して数日とかでは、痛み以外は、外見的には何も特徴的なものは無いし、必ずどの関節から始まると決まっているわけでもない。後から振り返ってみると、あれもリウマチだった、これもリウマチだったみたいなことがよくあるものです。

血液検査をしても、リウマチ因子と呼ばれる検査項目があるものの、ゼロでもリウマチの方は珍しくない。より診断的に意義のある抗CCP抗体でも、検出されないから大丈夫とはいいきれないのです。

一方、リウマチと言われてずっと治療をしていたが、あまり痛みも変わらず、心配になって他の病院を受診したくなったという方もしばしばいます。

痛みが出て、あるいは治療を開始して数ヶ月くらいという場合は、まだ判断は難しい。リウマチではありませんとも言えませんし、リウマチだとしても治療効果の判定をするには微妙なところ。

半年以上たっていれば、リウマチではない可能性はかなり高くなりそうですし、少なくとも今の治療を漫然と続けていることはお勧めできません。

さすがに1年たつとなると、症状も変わらず、外見的な変形などが無いのであればリウマチという診断は誤りだろうと考えたくなります。

リウマチを発症したのであれば、最初の数ヶ月は悪化傾向にあるのはしょうがない。未治療の場合は、そのあたりから少しずつ特徴的な外見が見え始め、1年から2年くらいの間でもっとも変形が進む事がわかっています。

リウマチだけど、治療法が不十分ですと説明するのはそれほど難しくはありません。しかし、リウマチと言われていた方に、リウマチではないと話すのはかなり神経を使う。

病気があるほうが困るのは当たり前ですが、痛みなどの症状の原因がわからない方が不安が大きかったりするものです。リウマチではないとするならば、痛みの原因もあわせて合理的に説明できないといけません。

実際、50歳代以上になってくると、関節の加齢性変化がまったく無いということはなく、何らかの痛みを感じる機会は増えてくるものです。大多数の痛みはそういうものであるので、レントゲン検査などでの変化を慎重に検討する必要があります。

リウマチを専門にしている医師の仕事は、やはり一番重要なのは診断。まず、リウマチなのか、違うのか、そして違うならば何故痛むのか。ここをしっかり判断できる力を勉強と経験から培う事を忘れてはいけません。

これからリウマチ医を目指そうとする若い医師に、是非お願いしたい事は、最新の治療のことばかりに注目せず、基本となる診断学を身に付けていただきたいということです。もうじき日本リウマチ学会もありますので、少しでも気に留めてもらえればと考えています。

2014年4月13日日曜日

名言

急にこんな事を言い出すのも何ですが、半世紀以上も生きていると、一つくらい名言と言えるような気の利いた事を言ってみたいものです。

他人が思わなくても、せめて自分で勝手に名言と自画自賛できるくらいの・・・それも寂しいところでずが。

ところが、思い出そうとしても、そんな立派なことを口にした記憶がない。それが、凡人が凡人たる所以なわけですが。

せめて、座右の銘となるような他人の名言をかっこよく色紙にでも書いて飾っておくくらいのことはしてみたいもの。

ところが、これもすぐに思い出せるものはあまりない。とりあえず、五代目立川談志の落語の枕で、すごいと思ったのが・・・

平等とは、互いの違いを認めることだ。同じに扱うことが平等じゃない。

これは、すごいことです。初めて聞いた聞いた時、まさに目から鱗が落ちる感じでした。今の時代、同じに扱おうとして、お互いの差を忘れすぎではないでしょうか。

淀川長治の名言といえば、「さよなら、さよなら、さよなら」ですが、自分が英語の苦手意識を少なくできたのは淀川さんのおかげ。

わからない単語は抜けばいい。あとは前後のつながりから、想像すれば何とかなる。

実用的な名言でしょう。浪人生活を脱出した力の一つになったことは間違いない。

若い方も、あまり難しいことを考えず、身近なところで、名言を探してみると生活がすこしだけでも豊かになるかもしれませんよ。

2014年4月12日土曜日

桃の里

山梨県、甲府といえば、桃の産地で有名です。

中央道を走っていると、甲府のあたりでは山裾がピンク色に染まっています。首都圏よりも遅く、桜は満開くらいでしょうか。でも桜は薄いピンクで白に近い。

これだけしっかり桃色なのは、当然桃の果樹園がたくさんあるから。これから太陽をたくさん浴びて、夏には甘くて美味しい実をつけるわけです。

2014年4月11日金曜日

紫の春

春になると、色鮮やかな花が目を楽しませてくれるのですが、華やかな赤とか黄色の花が多く、ガーデニングを楽しむ方もどれを合わせるかいろいろと悩むところ。

自分としては、けっこう紫の花が気に入っている。と、いうわけで、昨年秋に小さい庭の一角に30個くらいのムスカリの球根を植えてみました。

2月中に咲いてしまいそうなくらい葉が出ていたのですが、2度の大雪で押しつぶされてぺっちゃんこ。おかげでというか、今満開で、30センチ四方くらいですけどなかなか見ごたえがあるんです。

近くにも小さい紫の花がたくさん咲いているところを見つけたのですが、よく見るとこれはローズマリー。スパイスとして葉っぱを使うハーブですから、緑の葉っぱのイメージが強いのですが、花もけっこうかわいらしい。

たくさん歩き回る生活はしていないのですが、ちょっとこういうところを見つけると嬉しくなるものです。

2014年4月10日木曜日

鴻雁北

桜はほぼ終わりましたが、今週は暖かで、めっきり春めいてきました。

燕がやってくるのと反対に、雁は逆に北へ帰っていく頃・・・らしい。というわけで、七十二候は今日から鴻雁北、こうがんかえる。

燕はともかく、雁となると、普通に見ることはないですよね。ただ鴨(かも)と思っている鳥が、実は雁だったということはありそうです。なにしろ雁は鴨よりも大きめで、雁が家畜かしたものがガチョウ。

七十二候では、対になった表現がしばしば出てくるのですが、秋に鴻鴈来というのがありました。来るものはいつか去って行くし、去っていたものはまたやって来る。

昔の人は、本当に自然をよく観察していたんだろうなと思います。当然それは日々の営みに必要だったからです。

現代人は、科学の力で自然をねじふせてきたみたいなところがあって、ずいぶんと思い上がった地球上の害虫となりつつあるのかもしれません。

2014年4月9日水曜日

Vittorio Negri / Vivaldi Scared Music

ヴィバルディといえば誰でも思いつくのは「四季」ということになっていますが、ヴィバルディもJ.S.バッハと同時代のイタリアの人気作曲家。「四季」以外にも協奏曲は山ほどあるわけですが、偉大なる「金太郎飴」状態。

宗教曲もたくさんありますが、こちらもどれもいかにもヴィバルディらしい乗りの曲が揃っています。宗教曲を聴くようになって、ヴィバルディのものも探していたら、ちょうどCD7枚組みのセットが見つかりました。

おお、セットとしてはちょうどいい感じのものなので、これを買っちゃおうかなぁ・・・と思って、よく見て行くと、演奏者はヴィットリオ・ネグリとなっている。

んっ? ネグリ? おや、どこかで聞いた事がある名前。そういえば、以前購入した''Vivaldi Masterworks"というCD40枚のボックスがあったっけ。ごそごそと奥から出してみると、やっぱりセットの半分近くをしめる声楽曲が全部ネグリでした。

このセットは、イ・ムジチの演奏を目当てに購入したもので、以前のブログに書いていました。当然声楽苦手の立場としては、イ・ムジチの全集に「声楽はおまけ」でついてくる扱いをしていて、実際今までまったく聴かずに放置していたわけです。

ちなみに、驚いた事にこの巨大ボックスは当時は中古で4000円程度で手に入れたのですが、今は中古で\13,900~、新品となると\59,800~。こつこつ集めている、この手のCDですが、意外とけっこうなお宝になっているのかも。

さて、確認してみたら、今普通に売っているこのセットの中身はすべて、さらに含まれていないものも"Masterworks"のほうに入っていました。というわけで、無駄遣いをしないですんで、よけいにお得感が増したと言うわけです。

ヴィバルディの宗教曲というと、一番人気は"Gloria RV589"で、映画などにも使われ「どこかで聴いたことがるクラシック」の一つ。他には"Stabat Martel"や"Magnificat"も作曲している。

教会に所属して、せっせと生真面目にミサのための作曲をしたバッハに比べると、やはりヴィバルディは陽気なイタリア人という風情は隠しきれないものがあります。ヴィバルディは少女孤児院の合奏長という立場にあったので、バッハよりはだいぶ気楽なんでしょうか。

いずれにしても楽しげな宗教曲があってもいいわけで、このセットではモダン楽器によるより明るい音が気持ちいい。繰り返しになりますが、「すでに持っていた」というわけで、何かすごく得した感じです。

2014年4月8日火曜日

Windows XP 終了

Microsoftの基幹OSソフトウェアであるWindowsXPのサポートが完全に終了し、今後は問題があって修正ファイルの提供などはありません。2001年に登場したので、確かに13年もたてば、コンピュータの世界では化石に近い存在かもしれません。

もともとMS-DOSというOSが80年代に登場して、このOSの上で一太郎、L0TUS1-2-3、dBASEといったキャラクターベースのソフトを使いこなすのがパソコン黎明期の話。

そのうち一対一のパソコン通信が行われるようになり、ファイルもどんどん大きくなっていくに従って、MS-DOSで扱える限界が見えてきました。特にランチャーソフトであったWindows 1.0の登場、そしてMS-DOSを隠して実用的になったWindows 95で、もはやMS-DOSの上で何とかするのは無理ということになります。

一般用はWindows 98やWindows meなどをはさみましたが、すでに企業用にMS-DOSを排除したWindows NT、そしてその改良版のWindows 2000の優秀性が証明され、ついに一般用と企業用の区別を廃して、完全にMS-DOSと決別したのがWindows XPでした。

MicrosoftのOSの轢死の中でも、XPは傑作と呼ばれるに相応しいものだと思います。20世紀までは一部のマニアや専門家のためにあったインターネットの急速な普及は、XPが大きく貢献した事は間違いありません。

あまり意識していませんが、いろいろな電化製品では特定の仕事だけをこなすXPのミニ・バージョンが大量に使われています。たとえば車に積んでいるカーナビなどは、その代表かもしれません。

実際のところ、XPを搭載したパソコンはまだまだ山ほどある。Windows7が現状では安定稼動していますが、XP搭載パソコンもつい数年前まで売られていて、購入時にOSの選択が可能でした。

パソコン本体は、使い方にもよりますが、5年くらいするといろいろとハードのほころびが始まり、さすがに10年たてばそのままで使用するというのはかなり厳しい。

Microsoftが、さすがに古典的となったXPを切り捨てるのは当然で、理解はできるものの、現実にはうちのクリニックでも電子カルテやレントゲンで使用しているパソコンはXPベース。

もちろんインターネットに接続しない、クローズな環境でのネットワークですから、さしあたってサポート終了でも困る事はないのですが、むしろ心配なのはハードの方。

最低業務に使用する7台のパソコンのすべてがXPで、新しいものでも5年経過したことを考えると、一台だけ変えてもしょうがない。どうせすべてWindows7ベースに変えるとなると、いろいろ含めて200万円近くかかるのではないでしょうか。

う~ん、簡単には踏み切れない値段です。メモリやハードディスクの交換など、姑息的な対応をしながらしばらくは今の環境を継続するしかないかもしれません。



2014年4月7日月曜日

新たな気持ちで

この季節は、主役は桜と新入生。

週末は天気がいまひとつで、花散らしの雨で花冷えときて、せっかくの満開の桜の花を気持ちよく楽しむチャンスはほとんどありませんでした。

ちょうど晴れ間が出ていたちょっとのタイミングで、たまたま通りかかった見事な桜を瞬撮できました。今回は空は本物。

今週からは、学校が再開。新学年になって、新たな気持ちで学校に行く生徒・学生の皆さん、がんばってください。

そして、3月に前の学校を卒業して、新しい環境で勉強や仕事をする新入生や新社会人の皆さん、おめでとうございます。

新しいことをはじめると、最初のうちはいろいろと慣れないことだらけで大変ですが、それも後から振り返ってみると楽しい思い出になることが多い。精一杯やっていれば、苦労を苦労と思う暇も無く過ぎ去っていくものです。

こっちは、相変わらず毎日一つ一つをこなすのに必死のおっさんですが、多少は春の息吹にあやかって今週もがんばろうと思います。

2014年4月6日日曜日

宗教曲の知識

宗教音楽初心者としては、そうは簡単に底は見えてこないわけで、どんどん深みにはまって行く自分が・・・

そんなわけで、どうしても理解を深める必要があることの一つが教会暦。そして、もう一つ歌詞の内容なんですが、バッハのプロテスタントの場合はドイツ語が主で、カトリックでは歌詞は原則としてラテン語。

日本の医学では、昔はドイツ語が主流でしたが、戦後はどんどん衰退して、いまや英語オンリー。自分も、ドイツ語は基礎科目としては必修でしたが、めっぽう成績は悪かった。

実は解剖学で用いる正式な単語はラテン語なので、たしか解剖学の講義が始まったときに数時間ラテン語の授業があったんですが、 当然のことながらまったく頭には残っていない。

つまり、宗教曲を聴いていくためには、これらの異国の言語、しかも古典の世界を理解できる語学力が必要となるわけで、こればかりはそう簡単にはいきそうにない。有名曲で例外的なのは、唯一ヘンデルの「メサイア」の英語くらいではないでしょうか。

とは言っても、もちろん縦横無尽に会話ができる必要はない。使われる単語は、比較的限られていますし、そもそも聖書からのテキストを利用するので、歌詞も似たようなものが多い。合唱団に入って自分が歌うわけではありませんから、そのあたりは割り切って、最低限の単語だけはおさえておこうという安易な考えなのです。

ネットというのは便利なもので、いろいろ探していたら東大の分生物学の先生が「ラテン語宗教曲、単語の意味と日本語訳」というすごいものをPDFで提供していました。 通常ミサ曲、レクイエムに出てくる言葉の解説としては、必要十分な労作です。しかも、おまけでバッハの「マタイ受難曲」の和訳までついている。

これを流し読みしておけば、大雑把な事柄はつかめるので、大変たすかる。CDを日本盤のみで揃えれば、それぞれに解説や対訳が日本語でついているんでしょうが、何しろ安い輸入盤をamazonやHMVで購入しているので、CDだけではなかなか理解できるもんじゃありません。

そこで、やはりある程度の日本語の資料というものは必要なわけですが、曲を聴きながら歌われている内容も理解しようとするには、さすがに無料のPDFだけでは物足りない。

そこで、いろいろと探してみたわけで、その中から2冊の本をあわせて購入しました。最初に買ったのが、「対訳J.S.バッハ声楽全集」というもの。

これは、一般的なバッハの声楽曲すべての対訳と簡単な解説になっています。補遺として追加もあるのですが、そちらに収載されているものはほぼ聴く事がないものばかりなので、本編一冊で十分でしょう。

カンタータが教会のものも世俗のものも、すべて載っているところがうれしい。なにしろ、ガーディナー先生のカンタータ全集(もちろん輸入盤)を中心に聴いていこうとしているので、 大変助かります。

ただ、B5サイズで600ページ近いので、持ち歩くにはしんどい。当直のときなどに、持って行きたいので、さすがにこの大きさは厳しいところ。

それと、バッハ作品に特化しているので、他の宗教曲を聴くときには、ほとんど役に立ちません。そこで、どうしてももう一つ探していて、見つけたのが「宗教音楽対訳集成」というもの。

こちらは、ラテン語のカトリックのミサ曲、レクイエムのほか、代表的なタイトルを網羅している。さらにバッハのマタイ、ヨハネ、クリスマス・オラトリア、ヘンデルのメサイア、ブラームスのドイツ・レクイエムまで対訳を載せています。

こちらはA5サイズで350ページで、まぁ持ち歩ける大きさ。これだけでも、なかなかのボリュームですが、宗教曲初心者がちょっと知りたいことが、たいてい見つかるすぐれものです。

四旬節で教会音楽が休みなのも、あと1週間。その後は怒涛の聖週間が始まり、いきなり大曲の受難曲をがしがし聴いていかないといけないので、とにかくより深く楽しむための勉強をしておかないといけない。

金太郎飴のような世界から脱皮できるかどうかは、このあたりの知識の整理にかかっていそうです。

2014年4月5日土曜日

玄鳥至

二十四節気の春分が終わり、きょうから清明。そしてその初候となるのは、七十二候では玄鳥至、つばめきたるです。

ところが寒冷前線の影響で、天気はいまいち。気温も下がって「花冷え」で、お花見をしようと思っている方には、なかなかぱっとしないところです。

玄鳥は、漢字一文字で燕と書きます。礼服には燕尾服という言葉もあり、ツバメは比較的馴染みのある鳥。俳句の世界では、季語としてツバクラメという言い方もある。

軒先に巣を作って、幼鳥が餌を欲しがってピーピー鳴いているような様子というのは、昔は何度か見たことがある光景です。

南の台湾やフィリピンあたりで越冬して、今頃に日本に戻ってきて産卵するのだそうで、ツバメが見られると春を実感できる風物詩の一つ。

でも、都会ではどんどんこういう光景は見つけにくくなって、そのうち中華高級食材の名前でしか聞かない言葉になっているかもしれません。

2014年4月4日金曜日

花散らしの雨

いまや桜の花は、毎年たくさん咲いてきれいな場所では、ほぼ満開で目を楽しませてくれます。

ところが、昨日は天気は下り坂。午後からは風と雨が強まってきました。桜の木の下には、落ちた花びらが見られるようになりました。

今週末に花見を楽しみにしている方も多いと思いますが、あと数日なんとか残ってくれと思わずにはいられませんでした。

ところで、近くに小高い丘の斜面に桜が見事な場所があるのですが、昨日の朝行って見たら、もちろん満開でとてもきれい・・・・なのはいいとして、ちょっと不思議で美しい木がありました。

どうも知識が足りないので、何の花かよくわからない。普通の桜ではなさそうで、何とか桜というようなものかもしれません。

何が不思議って、どう見ても一本の幹から、白とピンクと紅色の3種類の花が開花しているんです。1本の木で見事なグラデュエーションが完成していて、立ち止まらずにはいられませんでした。

せっかくなので写真をとりましたが、曇り空では寂しいので、空は青空に加工してみましたけどね。

2014年4月3日木曜日

理系女子のピンチ

STAP細胞というものが、そもそもどういうものかきちんと理解していない立場で、どうのこうの言うのは如何なものかというところがあるのですが・・・

論文に対して疑問があると報道された時点で、一度ある程度擁護する意見を書きました。しかし、その後いろいろと報道された追加情報をそのまま受け止めるならば、これは少なくとも論文としては否定されてもしょうがないと、率直に考えます。

論文に一度使用した図版などは、発表誌に帰属するもので、たとえ著者であっても許可無く他の場所で使用することはできないと思います。

よい結果が出た部分の写真だけを切り貼りしてしまうのもNG。こっちはよくて、あっちはだめという結果は、もともと結果としてはだめなわで、研究者はこっちもあっちもちゃんとした結果が出るまで、実験を続けることが求められるはず。

理化学研究所の調査の結論(捏造)に対して、著者は「悪意の無い間違い」と反論しましたが、それ自体すでに研究としての価値を自ら落とした事になりますし、そういうことをしてしまうことが自らの未熟さを露呈しているということです。

大学病院という組織での、研究に多少なりとも関わった経験からは、何か学会発表をしようとか、論文を投稿しようとかいうときは、上にお目付け役の先生が必ずいました。

途中経過も含めて、ちょこちょこ見せる事を要求され、たくさんのダメだしをされて、完成すると医局全体で発表をする。そこで、直接関係のない先生からもいろいろと質問される。たくさんのチェック体制が、自然と出来上がっていたように思います。

思うに、理化学研究所というところは、それぞれの研究の専門家が集められ、独立したユニットとして活動しているのではないかと。専門性が高くなればなるほど、他の研究者は口出しができなくなる。

いずれにしても、今回の問題によって、理化学研究所という組織の研究のあり方に大きな問題があることがわかりました。そして、おそらくその中の一部の方々の「権威」をおとしめてしまった・・・んでしょうね。

2014年4月2日水曜日

クリニックでも・・・

消費税が上がるっていうわけで、3月末にいろいろと買いだめする人がずいぶんといたらしい・・・というのは、ニュースでさんざんやっていた話。

昨日は帰りにいつものスーパーによってみたら、ガッラガラ。いくら夜遅めとはいえ、こんなに空いている事は珍しい。レジで空いてますね、と聞いたら、1日中こんな感じだったとのこと。

周辺のほかの店も同じ状況だったようで、とくにドラックストアなんかはもっと閑だったようです。まぁ、そこまではいいとして・・・・

実は、うちも閑でした。えーっ、ほんまでっか、まじですか。そういえば、街の人の数も少ない感じ。保険医療では消費税関係ないやん・・・と言いたいところですが、実際はそうでもない。

初診料と再診料は、増税にあわせて値上げになりました。皆さん、窓口で支払う額が10~30円くらい多くなりました。

薬の値段は、毎年少しずつ下がるのが普通ですが、今回は消費税増税分だけ上がったものが多い。あまり報道はされていませんが、庶民の財布には、いろいろと影響するものの一つです。

医療は買いだめしておくことはできないのですが、うちのような整形外科の範囲では、ちょっと痛いけど様子をみていたという方が多い。中には、数年前からの症状を相談される方もいますので、そういう方が3月中に受診したのかもしれません。

他の病院にも寄ったという患者さんが、あっちも患者さんが少なかったですよ、と教えてくれました。うちだけじゃないんだ、と妙に安心したりするわけです。

まぁ、何にしても笛太鼓で旗を振って患者さんを呼び込むわけにはいきませんので、4月からのいろいろな変更点に伴う、いろいろな調整をゆっくりできるのでよしとしましょう。

2014年4月1日火曜日

4月になれば・・・

4月、卯月、そしてApril・・・come she will とはじまるのが、Simon & Garfunkel の曲。

もう40年以上前の曲ですから、若い人は聴いた事もないかもしれません。サイモン&ガーファンクルは70年代前半に活躍したアメリカのフォーク・デュオ。

一番のヒット曲は「明日に架ける橋」で、ガーファンクルの熱唱が印象的ですが、「4月になれば彼女は(April Come She Will)」はシングルにもなっていませんし、アルバムも「サウンド・オブ・サイレンス」が大ヒットして、やや埋もれた感があります。

でも、淡々と歌うガーファンクルの声とサイモンのギターのアルペジオが素晴らしく、もう小学生のときに最初に聴いてから、彼らの曲の中で、一番好きな歌の一つになっています。

4月に彼女と出会い、5月は一緒に過し、6月になると彼女の態度が変わってくる。そして7月に彼女は去り、8月に彼女が死んだ事を知る。9月は思い出にひたるだけ。

最初に聴いた頃は、もちろん英語の歌詞は理解していませんでしたが、その後内容がわかるようになってくると、けっこう物悲しい歌であることがわかりました。

短い歌詞の中で、新しいものが生まれてくる春の喜びと、物思いに耽る秋を書き込んだところはさすがだと思います。

今でも"April"というと、そのあとに"・・・com she will"と連鎖的に思ってしまうわけです。