2025年2月12日水曜日

尾道


もう、何年か前に中国地方に旅行に出かけました。一番の目的は、島根県の出雲大社と広島県の厳島神社だったのですが、レンタカーでの移動だったので途中であえて尾道に寄り道をしました。

何で尾道? ・・・これは、まさに大林宜彦監督の映画の影響か圧倒的に大きかった。「尾道三部作」と呼ばれた最初の「転校生」はテレビで視聴し、2作目「時をかける少女」は先にあったNHKのテレビドラマの影響もあってビデオテープを購入しました。3作目の「さびしんぼう」は、当時から知っていましたが視聴したのはだいぶ後の事です。

登場人物が細い道を走りまわって、当時からしてレトロな風情のある街並みに、故郷でもないのに妙に興味が湧いたものです。まるで川のような静かな瀬戸内海に面する漁師町と、山側の横濱のような雰囲気のアンバランスも興味深い。


市としては映画が観光スポットに注目してくれることを願っていたようですが、映画ではむしろ普通に人々が暮らす街並みしか映し出されなかったことが不満だったようです。しかし、この街の情景こそが貴重な観光資源であることは、実際に行ってみるとよくわかります。

今どきの「聖地巡礼」というようなことはしませんでしたが、坂の多い細い路地を歩いてみると、そこはまさに大林映画の世界のようで、前から知っていた所に来たような懐かしさみたいなものも感じることができました。


ふいに目の前に登場する古い家は、映画の中に出てきそうな佇まいだったりします。立派に飾り立てられた観光名所よりも、「あー、何か来てよかった」と思えて気持ちが落ち着いたことを覚えています。

とは言っても、「尾道三部作」からもう40年ほど時が過ぎ、あらためてこれらの映画を見て尾道に行ってみたいと思う人は多くはないと思います。大林監督が、2020年に亡くなったのでなおさらのこと。時代が変われば、人によって尾道に代わる新たな場所はいくらでも出てきているはずです。

それでも、尾道の魅力はずっと続いてもらいたいものですし、新しい世代の人によって今の尾道が紹介され続けられるといいなと思います。

2025年2月11日火曜日

インスタントで元祖ニュータンタンメン


インスタント・ラーメンの袋麺で一番知られたブランドは「サッポロ一番」だと思うのですが、それを作っているのがサンヨー食品。そこから出ている、変わり種系の一つに「元祖ニュータンタンメン」があります。

元祖ニュータンタンメンは、「川崎のウルフード」とサブタイトルがついていることからもわかる通り、川崎と横浜北部中心に展開するチェーン店ですが、クリニック開業当時センター南にも店がありました。

2007年に店の借地の権利関係(?)で撤退してしまい、とても残念だったのですが、もう一度味わいたくて遠くまでわざわざ出かけて食べたりしました

カップ麺で登場したこともありますが、「あれ? こんなだっけ?」という感じで、その時はあまり感激しなかった。

タンタンメンと言っても担々麵ではない。元祖タンタンメンの最大のポイントは鶏ガラ醤油ベースのスープに赤唐辛子が入って、溶き卵が加わっていること。担々麵のように胡麻は使われていません。

さてさて、袋麺はどうかというと・・・味はほぼ完璧に再現されていると思います。これはなかなか感激します。ただし、溶き卵は自分で後入れです。今回は挽肉は無かったので入れませんでしたが、それでも確かにこの味だと思いました。

ただし、残念なのは麺。いかにもインスタントラーメンですと言わんばかりの揚げ麺なので、ここだけ「サッポロ一番」です。まぁ、味がOKなら許すしかありませんけどね。

2025年2月10日月曜日

時をかける少女 (1983)

原作は筒井康隆のジュヴナイル小説で、1972年にNHKで「タイムトラベラー」というタイトルでドラマ化されました。これはリアルタイムで見て、とても印象に残りました。これを1983年に映画化したのが大林宜彦監督で、脚本は剣持亘が担当しました。製作は当時勢いに乗っていた角川映画で、主演した原田知世と共に大人気となりました。

広島県尾道に住む高校2年生の芳山和子(原田知世)は、理科室の掃除のため準備室に入ると不思議な白い煙を吸い込んで気を失います。クラスメートの堀川吾郎(尾身としのり)と深町一夫(高柳良一)が倒れている和子を発見し保健室に運びます。

ある日、学校でわからない問題が出て、部活の弓道では的に矢が当たる映像が先に見えてきます。夜には大きな地震があり、外に出ると吾郎の家の付近に火事が発生しました。駆けつけると、パジャマ姿の一夫も来ていて、火事は吾郎の家ではありませんでした。翌朝、登校の途中で、吾郎の頭の上から瓦が崩れ落ちて来たため、咄嗟に和子が吾郎を助けます。

帰りに祖父母と3人暮らしの一夫の家に寄ると、庭に大きな温室があり、たくさんのラベンダーを育てられていました。この前準備室で嗅いだ煙の臭いが、まさにそれだと気がついた和子は、めまいを感じるのでした。

翌日、学校に行くと昨日と同じ問題で出ますが、復習していたので今回はスラスラと解けてしまいます。夜になると地震が発生し、やはり吾郎の家の近くで火事が発生するのです。翌日、登校の時、やはり吾郎のそばに瓦が崩れ落ちてくるのでした。

一夫が火事の夜に見たパジャマと違うものを着ていることに気がついた和子は、一夫の親指に傷が無いことに目を止めます。幼い頃に、2人で手に怪我をした記憶があり、和子の手には傷跡が残っているのです。そして、吾郎の親指に傷跡を発見した和子は、植物採取すると言っていた一夫を追いかけるのでした。

ストーリーはもう十分に知られていると思いますが、タイムリープというSF的な要素はあまり前面には出ていません。しかし、ホロ酸っぱい青春の思い出を描くための道具として、利用されているのはうまいところ。

原田知世は、角川のオーディションでまずはドラマでデヴューしましたが、あまり話題にならず、大林監督は原田知世の最後の作品としてキャスティングしました。成功の鍵の一つは、松任谷由実が作ったの主題歌のヒットも大きく関係していたと思います。

大林監督にとっては、「転校生」に続く尾道作品で、続く「さびしんぼう」と合わせて「尾道三部作」と呼ばれるようになり、尾道の観光資源として大いに市に貢献することになります。

2025年2月9日日曜日

転校生 (1982)

山中亘の小学生向け雑誌に連載された小説「おれがあいつであいつがおれで(1979)」は、日本でおそらく初めての男女の性が入れ替わってしまう傑作で、身体や習慣の違いをユーモラスに著しました。これを原作にして映画化したのが大林宜彦監督で、脚本は剣持亘です。映画では、主人公を中学生にしたことでより性の違いが強調され、性転換の物語としてのちの作品にも大きな影響を与えました。

広島県尾道に住む斎藤一夫(尾身としのり)は、明るく仲間と悪さばかりする普通の男子中学3年生。ある日クラスに転校生として、幼馴染の斉藤一美(小林聡美)がやってきます。昔の恥ずかしい話を平気でしてくる一美に対して、一夫はいたずらを仕掛けたことで、一緒に石段を転げ落ちてしまいます。

気がつくと、二人の人格が入れ替わってしまっていて、急になよなよする一夫とがつがつする一美に周りはびっくりしますが、二人は状況を理解するにつれ、何とかお互いを演じようとじたばたすることになるのです。

一夫のともだちは、女々しくなった一夫に「お前あれついてんのか」と言ってズボンとパンツを脱がせてしまい、一夫の姿の一美はショックで学校を休んでしまいます。そのことを知った一美の姿をした一夫は、いたずらしたともだちのパンツを下ろして蹴りを入れるのでした。

そんな中、一夫の父の横浜への栄転が決まります。一美は一夫のまま再び転校しないといけなくなってしまうのです。

当初スポンサーだったサンリオが、内容を問題視して降りてしまったため製作が頓挫しそうになりますが、大森一樹監督が仲介して非商業路線のATG(アート・シアター・ギルド)が協力することになります。しかし、予算はまったく足りないため、尾道の市民の協力によりほとんど自主制作みたいな状況で完成しました。

大林監督が自分の出身地である尾道を舞台にしたことで、後に、今でいう「聖地巡礼」現象が起き、広く尾道の観光地以外の魅力を世間に知らしめることになりました。さらに続けて尾道を舞台に作られた「さびしんぼう」、「時をかける少女」は「尾道三部作」と呼ばれています。

撮影当時、小林聡美も尾身としのりも15歳。性転換の混乱を表現するために、小林聡美は上半身裸というシーンが4回あり、相当な覚悟を必要としただろうと思います。もっとも、今なら撮影不可となることは確実です。しかし、男の子が急に女性になってしまう戸惑いは、これらのシーンによって端的に表現されることになりました。

姓が入れ替わった後のそれぞれの仕草なども、わざとらしさがあるものの慣れてくると違和感がなくなり、姿に関係なく受け入れやすくなります。演技の指導もあるでしょうが、若い二人の感性が先に立っているように感じます。一夫の両親が佐藤允と樹木希林、一美の両親が入江若葉と宍戸錠、学校の担任が志穂美悦子といった面々が、周りで二人を支えています。

最後のシーンは引っ越していく一夫の車を追いかける一美、それを一夫が8mmカメラにおさめた白黒動画が用いられています。だいぶ引き離されたところで、一美はぴたっと止まり、すぐさま反対を向いてスキップをしていく。ものすごく印象的なシーンだと思います。

2025年2月8日土曜日

さびしんぼう (1985)

大林宜彦監督は、広島県尾道出身で、多くの作品で舞台を尾道にしています。この作品は、「転校生(1982)」、「時をかける少女(1983)」に続く、「尾道三部作」と呼ばれ、山中亘原作の「なんだかへんてこ子」をもとに自叙伝的要素が強い最高傑作といわれています。主演の富田靖子にとっても、名実ともに最高傑作かもしれません。

寺の長男である高校生の井上ヒロキ(尾身としのり)は、カメラが趣味ですがフィルムを買うお金が無いので、望遠レンズで近くの女子高ばかりを覗いています。そして、放課後になるとピアノを弾くある一人の女学生(富田靖子)をファインダー越しに追いかけ、彼女のことを勝手に「さびしんぼう」と呼んでいました。

ヒロキには、彼女が弾いているのは、音は聞こえなくてもショパンの「別れの曲」であることがわかるのです。何故なら、母親のタツ子(藤田弓子)はうるさく「勉強しろ」しか言わないのですが、どうしたわけかピアノも練習もさせられ、しかも「別れの曲」を弾けるようになれといつも言うのでした。

ヒロキは友人たちとにぎやかに、時にはテキトーに楽しくすごしていました。彼らには寺の大掃除も毎回手伝ってもらっていましたが、掃除中にタツ子の古い写真をばらまいてしまうのです。その夜、ヒロキの部屋に急に女の子(富田靖子)が現れます。ピエロのように顔を白塗りにして、だぶついた服を着ていて、そして急に消えてしまいます。それ以来、ちょくちょく現れるようになった女の子は、「さびしんぼう」と名乗ります。

ある日、偶然ピアノの女の子がヒロキの家の前で、自転車が故障して困っていました。ヒロキは、橘百合子と名乗った彼女を送っていきます。でも百合子は、その日以来ヒロキを見かけても無視するようになりました。現れたさびしんぼうは、ヒロキを慰めます。

この映画は、いかにも大林流のめちゃファンタジーです。高校生くらいの男の子にいかにもありそうな現実の女性への憧れ、そして女の子の男性への憧れみたいなものをヒロキと母親との場合を対比させていきます。携帯はおろかパソコンも普及していない時代ですから、今の目からは違和感を感じるかもしれませんが、だからこそアナログの関係にはノスタルジーと温かさを思い出します。

二役を演じる富田靖子は、片や実態のよくわからない不思議な女の子で、片や手が届きそうもない憧れの清純派乙女を見事に演じ分けています。どちらも「さびしんぼう」ですが、早々にわかるように実は白塗りの「さびしんぼう」は、せつない思いを持った16歳の母親の姿で、当時好きだった相手が「別れの曲」を上手に弾く男の子だったのです。

一方、現実のヒロキは「別れの曲」を弾く「さびしんぼう」に密かに恋をしていて、彼女にとって「別れの曲」をうまく弾ける男の子になろうとしているのですが、そこはなかなか簡単にはいかない。大林は、自身が生まれ育った尾道で、おそらく自身の初恋を投影しているのかもしれません。

写真から飛び出てきた16歳の「さびしんぼう」は、17歳になると消えてしまいます。雨に打たれながら、メイクの白塗りや黒いマスカラが流れる涙となり消えていくところは名シーンです。大林作品が好きならば、ベストに上げたくなる作品になっていることは間違いなさそうです。

2025年2月7日金曜日

アイコ十六歳 (1982)

堀田あけみが、高校1年生で発表した「1980アイコ十六歳」は、当時の高校生のいろいろな悩みなど的確に著わされていて、多くの共感をよび賞も取りました。それを大林宜彦監督が製作総指揮となって、デヴューとなる今関あきよしに監督をさせました。

名古屋市内の高校1年生、三田アイコ(富田靖子)は、さばさばとした明るく振る舞いでともだちも多く、楽しく学校生活を送っていました。しかし、いわゆる「ぶりっ子」の紅子だけは苦手。

所属する弓道部の夏の合宿に参加したものの、初めて矢を射るアイコはなかなか的に当てられません。中学の時に付き合っていたアイツが、最近バイクに乗り出したらしいと聞いたことも気になっています。

弓道部の顧問に新任の島崎愛子先生(紺野美沙子)が着任しますが、早速紅子が取り入る様子にイライラします。ある日、アイコは思いつめた様子の島崎先生が男性と帰っていくのを見てしまいます。翌日、島崎先生が自殺しようとして入院したという話に、生徒たちは誰もがショックを受ける。

騒然とするクラスで、アイコは生きること訴え、初めて紅子とも気持ちが通じたのです。親友のゴンベと帰る途中、アイコは暴走族が通りを好き勝手に走り回っているところに出くわします。その一団の中にアイツがいて、彼は運転をしくじりアイコの目の前で死んでしまうのでした。

呆然として帰宅したアイコは、母親の胸にすがりついて泣くしかありませんでした。翌日からまた日常が戻り、ともだちたちがアイコにてを振ってきます。アイコも手を振り返すのでした。

主演の富田靖子は当時中学3年生で、オーディションで選ばれてこれがデヴュー作となりました。ともだちの一人は、同じくこれがデヴューの松下由樹が出演しています。アイコの母親は藤田弓子、父親は犬塚弘です。

当時、すごい女優が登場したと富田靖子が大評判になったのを覚えています。初監督の今関あきよしとしてはなかなか映画的にうまく作り上げた感じはわかります。例えば、島崎先生の抱えている「生き辛さ」を、上からの傘の動きだけで表現したのは秀逸です。ただし、内容的には、結局何だったのかよくわかりませんでした。

生きることの大切さを表現したいのでしょうが、明るいキャラの主人公の周りに、やたらといろいろな「死」がつきまとう・・・という映画全体の雰囲気との不自然なギャップみたいなものを感じてしまいます。

原因の一つは、ほとんどの生徒役がド新人なので、台詞がいまいち頭に入ってこないというのがあります。もっとも、名優ばかりではリアリティが乏しくなってしまうかもしれませんけど。

もう一つは、一つ一つのエピソードのつながり感がよくわからない。感性がないと言われてしまえばそれまでなんですけど、「騒然とするクラスで、アイコは生きること訴え・・・」というところも、結局何を言いたかったのかよくわかりませんでした。

そんなわけで、新人の紹介映画としてはそれなりなんで、富田靖子が初めて世に出たというだけと感じてしまいました。御免なさい。

2025年2月6日木曜日

侵入者たちの晩餐 (2024)


タイトルだけ聞くと、何かクライム・サスペンスかスリラーか、はたまたホラーかといろいろ思いめぐらせてしまいますが、なんと実態はシチュエーション・コメディです。日本テレビの2時間枠で放送されたスペシャル・ドラマで、脚本は注目のバカリズム。バカリズムは、一度はまると抜け出せない魅力がたくさんあります。

家事代行会社スレーヌの清掃スタッフの田中亜希子(菊地凛子)、調理スタッフの小川恵(平岩紙)は、会社に対するいろいろな不満がたまり意気投合します。アイドルから転身して成功者となった社長の藤崎奈津美(白石麻衣)が、脱税して何億ものタンス預金を隠しているらしいという噂に飛びつきます。知り合いの江藤香奈恵(吉田羊)を、推理小説好きという理由で仲間に引き入れ、3人で合鍵をひそかに作り、奈津美の自宅マンションへ侵入することにしました。

無事に部屋に入って物色してみたものの、どこにもタンス預金など見当たらない。しかたがないので帰ることにしますが、帰り道で亜希子が「このまま帰るとただの不法侵入者になってしまう。せっかくだから掃除をしたい」と言い出します。恵も「冷蔵庫の余りものが気になったので料理を作っておきたい」と同調し、3人は再びマンションへ。

すると、クローゼットの奥に「本物の泥棒」重松(池松壮亮)発見します。重松は3人が一度引き上げた後で泥棒に入ったものの、3人が再び現れたため隠れていたのです。しかも、そこへハワイに出かけたはずの奈津美が帰ってきてしまいます。

どうにも誤魔化しきれなくなった亜希子と恵は、しかたがなく正直に白状します。すると奈津美は、部屋をきれいにしてくれたし、料理も作ってくれた、そして泥棒もまだ何も盗んでいないからと警察には言わないでおくということになり、2人と重松は心の広い奈津美に感謝して部屋を出るのでした。

マンションのエントランスまで降りたところで、香奈恵がいないことに気がつく3人。再び奈津美の部屋に戻ります。すると、何と香奈恵が奈津美にナイフを向けて殺そうとしているのです。香奈恵は離婚した夫と奈津美が楽しそうにしている写真を発見し、奈津美が夫の不倫相手であったことが判明して逆上していたのです。しかも、どこから登場したのか、マンションのコンシェルジェである毛利(角田晃広)が突然現れ、香奈恵を取り押さえたのでした。

もう、平凡な日常のあるあるみたいなクスっと笑うようなところから、どんどんエスカレートして次から次へと偶然に偶然が重なる奇跡のような展開の見事なところは素晴らしすぎます。まさに「バカリズムイズム」とでも言うような斬新なバカバカしさが炸裂しています。

ほとんどがマンションの一室で起こる出来事なので、舞台向けのようなストーリーですが、部屋を出たり入ったりの動きの多さがマンネリを防いでいて、絶妙なアクセントになっています。また、これ以上繰り返すと、さすがにどうかと思うところで、一気にカタルシスを迎えるのも、引き際がよくわかっていると感じるところ。

とはいえ、この後にさらなるどんでん返しが用意されていて、天才バカリズムの面目躍如というところ。バカリズム常連の出演者も、バカリズムを本当に良く理解しているのだろうと思います。

2025年2月5日水曜日

洋菓子店コアンドル (2011)

悪い映画ではないですけど、ほとんど話題にならなかったような・・・それもそのはず。何とも気の毒だったのは、公開が2011年2月。すぐに東日本大震災が発生し、日本中が映画どころじゃなくなりました。監督の深川栄洋にとっても、主演した蒼井優にとっても残念な結果に終わったのではないでしょうか。

鹿児島弁なまりのまま上京してきた臼場なつめ(蒼井優)は、依子ウィルソン(戸田恵子)がオーナーバティシエを務める評判の洋菓子店「パティスリー・コアンドル」を訪ねます。店は、連絡を取り合ってきた彼氏の勤め先だったのですが、彼氏は早々に退職してしまい行方は誰も知らないらしい。多少はケーキ作りの心得があったなつめは、困り果てて依子に頼み込んで店においてもらうことになります。

きちっとした仕事をする先輩の佐藤マリコ(江口のり子)と張り合うものの、実力差は歴然としていて怒られてばかり。それでも、真面目に勉強するなつめは、少しずつ依子からも信頼されるようになっていきます。

しかし、味にうるさい店のお得意様の芳川夫人(加賀まりこ)に、依子から自分のケーキを作って出すように言われますが、芳川さんは怪訝な顔になるだけ。なんとか探し当てた彼氏の所に行くと、すでに別の女とくっついていちゃいちゃしているのです。かつては有名なパティシエで今は引退して評論家になっている十村遼太郎(江口洋介)にも、自作をけちょんけちょんに言われてしまいます。

そんな時、依子は外交の晩餐会の仕事を依頼されますが、直前に病に倒れてしまうのです。晩餐会に穴をあけるわけにいかず、そもそも店を休業するのも大変なことになってしまいます。なつめは、十村を説得して協力してもらい何とか晩餐会を乗り切ろうと奔走するのでした。

まぁ、お仕事ムービーとしてはあるあるの展開ではありますが、登場人物のキャラが立っていて、それぞれの心情も理解しやすい作りなので、共感しやすく素直に応援したくなる出来です。不器用だけど一生懸命まっすぐというこの手の役柄は、蒼井優は得意なのかもしれません。

最終的に十村が活躍するのですが、引退した理由などがわかるのは後半なので、もう少し頭から絡ませせてもよかったのではないかとも思います。なつめと対照的なマリコを演じる江口のり子も、さすがという存在感で、嫌みな役どころなのに憎めません。

傑作とは言えませんが、押さえるところをしっかりとわきまえた良作として、機会があれば見ても損しない映画の一つだと思います。

2025年2月4日火曜日

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2008)

警察側の視点だけで描かれた「突入せよ! あさま山荘事件」に不満を抱いた若松孝二が、私費を投じて完成させた犯人側の視点による、「あさま山荘事件」に至るまでの過程を克明に再現した作品。学生運動が盛んな頃に、若松は反体制的な映画を作っていたので、学生たちから支持されていました。主な出演者は井浦新、坂井真紀、並木愛枝、佐野史郎、奥貫薫、そしてナレーションは原田芳雄です。

190分という長尺の映画の中で、日本の学生運動のおおまかな流れを冒頭30分ほどを使って解説しています。とは言え、現実にその中にいた者でないと簡単には理解できそうもないくらい複雑な流れなんですが、最終的に武装闘争も辞さない共産主義化を目指す赤軍派と革命左派が結びついて連合赤軍が誕生したということらしい。

最初は学生たちは、学費値上げ反対とか、大学幹部職員の不正追及といった身近な問題に対する抗議活動をしていたわけですが、次第に搾取階級を打倒し資本主義に対抗して共産主義社会を実現するための「革命」へと目的が変貌していくさまがある程度わかります。

このあたりを真に理解するためにはアメリカのベトナム戦争に対する反戦運動をはじめとした、当時世界中で巻き起こった反体制運動の流れをすべて知る必要がありますが、さすがにそこは社会学者や歴史学者に委ねるしかありません。

映画では、基本的に連合赤軍メンバーについては実名での登場になります。過激化するいろいろな運動により逮捕者が続出し、いろいろな過激派グループは人材不足があからさまになっていました。1971年、森恒夫、坂東國男、遠山恵美子らの赤軍派と永田洋子、坂口弘、吉野雅邦らの革命左派は共闘を決定し、連合赤軍として体制打破のための武装闘争の準備に入ります。

2月に栃木県の真岡銃砲店を襲撃し、大量の銃器と銃弾を手に入れます。そしてM作戦と呼ばれる金融機関強盗を繰り返し活動資金を調達していくのでした。そして集めたメンバーを引き連れ、群馬県の榛名山の「山岳ベース」において軍事訓練を開始します。

リーダー格の森と永田は、しだいに独裁色を強め、少しでも問題があるメンバーに対して、「自己批判」して猛省を促し、自分の活動を「総括」することを求めるようになります。それはどんどんエスカレートして、自分で総括てきないものには暴力によってわからせるというようになるのです。

他のメンバーにも暴力を振るうことを強制し、集団リンチは当然死者をだすことになる。そのうち総括してもダメと判断された者に対しては「死刑」を宣告し、積極的に殺すようになってしまうのでした。後に山岳ベースで見つかったメンバーの遺体は12人にも上りました。彼らはこれらの死を「敗北死」と呼んでいました。

当然、このような恐怖体制により脱走者も続出し、1972年2月に森と永田は新たなベース地となる妙義山に移動します。しかし、2月17日に森と永田は警察に発見され逮捕されてしまうのでした。残りの者は、山岳ベースを放棄して、坂東・坂口・吉野・加藤兄弟の5人が妙義山に向かいますが、別ルートでいくはずの残りの者は警察に包囲され逮捕されました。

警察の追跡を逃れた坂東らは、2月19日、ついに軽井沢レイクニュータウン内のあさま山荘に侵入し、管理人の妻を人質に籠城することになるのでした。

映画では、これらの様子をドキュメンタリー調に、理想の実現と言う高尚な目的を持っていたはずの彼らが、どんどん狂気に飲み込まれていく様が克明に描かれています。籠城したもののまったく未来が見えない状況に、あさま山荘事件の犯人の中で最年少の加藤弟が、最後に「みんな勇気がなかっただけだ」と叫ぶところはフィクションかもしれませんが、一連の事件の真理をついた言葉なんだろうと思います。

主として、山岳ベースでのエスカレートする狂気を中心としているので、正直、重苦しさが続き、映画としても楽しさはほとんどありません。しかし、登場人物の供述や回顧録などを用いて、可能な限り実際に起こったことを再現したことで、「あさま山荘事件」以後急速に消退した学生運動の流れを最低限知ることができます。しかし、それは今の時代に生きる日本人には、とうてい受け入れることができない理解を超えた非現実でしかありませんでした。

2025年2月3日月曜日

突入せよ! あさま山荘事件 (2002)

もう50年以上前の出来事・・・例えば平成生まれの人なら「東日本大震災」は、一生記憶に残る衝撃的な出来事だろうと思いますが、自分にとって「あさま山荘事件」が人生最初のそれにあたります。

学校から帰ってくると父が「テレビで本当の戦争を中継している」と興奮していたのを覚えています。テレビ各局は、朝から夕方暗くなるまてで、犯人逮捕の一部始終を生放送していました。犯人が引き立てられていく様子は、ずっと映像として頭に焼き付いています。

今の若い人には信じてもらえないかもしれませんが、1960年の日米安全保障条約締結阻止のために全国の多くの大学で学生運動が活発になり、その活動はどんどん勢いを増していました。1970年の日米安保更新で、いわゆる過激派と呼ばれた暴力を意に介さないグループがさらに勢いを増していた時代です。

その勢いは一部の高校にまで広がり、自分が通っていた学校でも校門に「革命文字」と呼ばれた独特の字体で書かれた立て看板がたくさん掲げられていました。もちろん、彼らが何故そんなことをしているのか理解することはできませんでしたから、とにかく物騒なことをしているくらいしか思いませんでした。

いろいろな共産主義思想をベースにしたグルーブが離合聚散し、ニュースでは「内ゲバ」と呼ばれる内部抗争や、××派の何某が逮捕されたというような話は日常のこと。その頂点にあるのが1972年2月に起こった「あさま山荘事件」であり、その直前に仲間内の「総括」と称する多くのリンチ殺人が発覚したことは驚きを超えて恐怖でしかありませんでした。

自分が生きてきた時を理解するための忘れ物として、あの事件、あの時代とは何だったのか、と考える一つの資料としてこの事件を題材にした映画を見ることは何かしら意味があるように思います。

この映画は、当時警察側の実質的な指揮を執った佐々淳行による回顧録をベースに、警察側から事件を整理した内容です。監督・脚本は多くの有名作を手掛けた原田眞人です。出演は役所広司、藤田まこと、篠井英介、宇崎竜童、豊原功補、田中哲司、伊武雅刀、螢雪次朗、椎名桔平、天海祐希、篠原涼子などのそうそうたるメンバーです。

大筋は現実の事件に沿ったものなので省きますが、基本的には過激派対策を知らない長野県警と警視庁から急遽派遣された警備局・機動隊らの対立を軸に、人質の安全確保、英雄にしないため犯人を殺傷しない、そのために銃の発砲は原則禁止などの困難な状況下での作戦遂行の様子を淡々と描いていきます。

ただ、本物そっくりな山荘を、鉄球で破壊していくところなどの再現性は高く、あの時のテレビ画面を再び見ているような緊張感は伝わってきました。

結末は広く知られている事件ですから、はっきり言って映画としての面白さはありません。警察を主役にしたので、犯人についてはまったく描かれおらず、ある意味多くの犠牲者も出た警察を称えるような内容です。もっとも、原作が指揮官によるものですから、これはしょうがない。

これを見て、映画監督の若松孝二は「権力側の視点だけで描かれている」ことに不満を表明し、犯人側の視点による映画を作成しています。

2025年2月2日日曜日

今日も嫌がらせ弁当 (2019)

2012年に始まった、生意気な娘に毎日キャラ弁を作って対抗する母親が綴る「kaori(ttkk)の嫌がらせのためだけのお弁当ブログ」というのがありまして、大好評となってエッセイとして出版されました。これを原作として映画化したのは、監督・脚本の塚本連平。

八丈島に住む持丸かおり(篠原涼子)は、若葉(松井玲奈)と双葉(芳根京子)の二人の娘がいて、夫はこどもが小さいうちに亡くしていました。昼も夜も掛け持ちの仕事をして家計を支えていましたが、次女の双葉が高校生になるころから反抗期で口も利かなくなり、たまに言うのも「うざい」の一言だけ。

かおりは、それならと毎日の弁当を「うざい」キャラ弁にしてやると決意するのです。双葉の弁当はクラスでも話題になりますが、双葉はいっこうに態度を改める気配が無い。気がつくと、双葉は高校3年生となり、卒業後の進路を決めなければならないのですが、何をやりたいのか思いつかない。

幼馴染のちょっと気がある男子がコンクールに出るため本土に行くというので、双葉はついにかおりにキャラ弁の作り方を教わり、「頑張れ」のメッセージを伝えようとしますが、相手にはすでに彼女がいました。また最初の就職試験の結果も不合格となり、かおりが「無駄な事なんて何もない」と書いた弁当を捨ててしまうのです。

やっと都内の食品会社への就職が決まり、卒業までわずかとなったある日、かおりは全力で最後までキャラ弁作りに力をこめるのでしたが、過労がたたって倒れてしまうのでした。

ゆったりと時間が流れるような間を持った映画ですが、実は3年間の話。そんなにせかせかした雰囲気が無いのは、舞台の八丈島というのも関係あるかもしれませんが、一番は母娘の静かな戦いのせい。

ただし、少しずつただの戦いがキャラ弁を通した会話に代わっていくところは、しっかりと盛り込まれているところが作り方が上手なところでしょう。冷凍食品詰めまくり弁当のお母さんだって、毎日弁当を作ることは大変なことで、多くのお母さんにはしっかりと突き刺さる話だと思います。

話のアクセントとして対照的なシングル・ファーザー役の佐藤隆太が登場しますが、キャラ弁の作り方やそこに込める気持ちをかおりが伝えることで、本来口に出さないところが自然と解説されるようになっています。

これで物語は終わり・・・と見せかけてスタッフロールが登場すると、かおりが「まだ終わらない」といって続くのはユーモアとしてはあまりうまい方法ではないし、それも2回出てくるのは感心しません。とは言っても、そんなのは些細な事で、最後の巨大弁当は泣けること請け合いです。

2025年2月1日土曜日

ホットスポット (2025)


最近、コンスタントに独特の世界観を展開する脚本で注目されるのが、お笑い芸人のバカリズム。もともと1995年に結成されたお笑いコンビの名称がバカリズムでしたが、2005年に解散後もピン芸人として名称を継承しています。2011年ごろから脚本の仕事を始めており、おそらくその才能が広く知られたのは、2014年の「素敵な選TAXI」からではないでしょうか。

「架空OL日記(2017)」、「ブラッシュアップライフ(2023)」などのテレビドラマの脚本は高く評価されていて、独特のシュールなユーモアとシリアスな人の本音は一度はまったら簡単に抜け出せない魅力があります。

今期のテレビドラマでは、日本テレビの本作がバカリズムのオリジナル脚本で、今のところ第3話までが放送されました。「未知との遭遇」ならぬ「未知との日常」、「SF史上かつてない小スペクタクルで贈る、地元系エイリアン・ヒューマン・コメディ」という宣伝文句からして、興味をそそられましたが、いざ始まってみると抜群の面白さです。

舞台は富士吉田市。河口湖畔のホテル、レークサイド浅ノ湖のフロント係、シングル・マザーの遠藤清美(市川実日子)は、平凡な毎日の業務をそつなくこなす毎日を送っていました。ホテルの支配人は奥田(田中直樹)、同僚は磯村由美(夏帆)、沢田えり(坂井真紀)らで、全員特に不満があるわけでもなく、決められた通りに普通に働き、時々ちょっとさぼるのでした。

ある日、清美は交通事故に遭いそうになったところを、もう一人の目立たない従業員である高橋孝介(角田晃広)の高速かつ怪力により命を救われます。高橋は今の事は誰にも言わないようにと言って去っていくのですが、当然清美は気になってしかたがない。翌日、勤務中に清美は高橋を質問責めにしたため、高橋は仕方がなく「実はオレ、宇宙人なんだ」と言うのでした。

当然、清美は冗談と思うわけですが、昨日のことは人間業とは思えないし、消えた客室のテレビを透視によって発見したりするので信じるしかなくなります。絶対に人に言わないでと念押しされるのですが、そうなると喋りたくなるのは人の常。清美は仲良しの日比野美波(平岩紙)と中村葉月(鈴木杏)に話すと、二人から是非会ってみたいと言われランチ会に高橋を連れて行くのでした。

高橋は仕方がなく3人に話したことは・・・父親が宇宙から来た。自分は地球人とのハーフで、生まれてからずっと地球人として暮らしてきた。しかし、地球人を上回るいろいろな能力を持っているが、父親から絶対に人に知られてはいけないと言われてきた。この能力を使うと、後で熱が出たり体が痛くなって体調を崩す。仕事場のホテルの温泉は、これを治す効果があるので、ときどきこっそり入っている・・・というものでした。

ここから、物好きな「おばちゃん」たちのいろいろな「あれやって、これやって」というしょーもないリクエストによって、高橋は様々などうでもいいことに首を突っ込んでいくようになるというストーリーが展開します。

まさな未知との日常であり、小スペクタクルです。よくもまぁ、こんな設定を思いついたものだと思いますが、考えて見れば自分の日常に異質な人がいるかもしれないという状況はあり得る話。そういう状況を拡大解釈すれば、この設定はなかなかうまい。

普通の事を普通にだけ見ないバカリズムの発想転換は、お笑い芸人という枠を超えたもので、ドラマ・映画に新しい勢いを与えるものの一つとして注目に値します。あからさまにバカなことを映像化して笑いを取る監督もいますが、そのような作品は一度見ればたくさんという場合がほとんどです。バカリズムは笑いのメカニズムをおそらく知っていて、自発的に笑いを起こすことを目標にしているのかもしれません。

2025年1月31日金曜日

まどか26歳、研修医やってます (2025)


何度か書きましたが、医療系のドラマは、やたらと誇張された医者が出てくるのが嘘っぽくて嫌い。例えば「白い××」のような権力闘争・・・実際はあるかもしれませんが、実際そんなことに巻き込まれたことはない。例えば「ドクター××」のような何でもできちゃうスーパー・ドクター・・・医者だって出来ることと出来ないことがある。

何もできない研修医から力をつけていく過程が比較的納得できるのは「コード・ブルー」ですが、ドラマとしてかなり脚色された部分は否定できません。昨年放送された「マウンテン・ドクター」は、まぁまぁ面白かったのですが、やはり設定にリアリティが乏しかったかもしれません。

さて、現在放送中の医療系ドラマはTBSの「まどか26歳、研修医やってます」なんですが、水谷緑のコミックエッセイが原作。著者は主として研修医の現実をテーマにしていますが、医療関係の仕事をしていたわけではないのに、実に医者として納得できる内容がヤバイんです。

清桜総合病院に新たに採用された研修医,若月まどか(芳根京子)、五十嵐翔(大西流星)、尾崎千冬(高橋ひかる)、桃木健斗(吉村界人)、横川萌(小西桜子)の5人が、指導医である菅野尊(鈴木伸之)、手塚冴子(木村多江)、城崎智也(佐藤隆太)、西山正樹(赤堀雅秋)らの下で、さまざまな経験を積んでいくストーリーで、これまで3話が放送されました。

自分は昭和の研修医ですから、帰りたくても帰れない生活を送り、ほとんどを病院で過ごすような生活をしていました。時間外手当なんてものは当然なく、そもそもタイムカードが存在しません。それでも、その時に経験したことは6年間医学部で学んだことよりも遥かに多くの知識となったことは間違いありません。

ドラマを見ていると、令和の研修医は「働き方改革」もあって、ずいぶんとゆるい生活をしているように見えてしまいますが、それは今と言う時代の中ではまっとうなことですし、今も昔も成り立ての医者が悩んだり苦しんだり、あるいは喜んだりすることには変わりはないんだなぁと思いました。昭和の研修医が見ても、まさに「研修医あるある」が大袈裟ではなく描かれれているところが実に楽しい。

国家試験に合格して医師免許をもらっても、人に針を刺したことは無いような右も左もわからないところでいきなり病棟に出るのですから、患者さんも大変です。自分の場合、まだ指導医という制度は無かったので、1学年上の先輩の先生がいろいろな実技を教えてくれます。点滴当番の時は、白衣のポケットに点滴用の留置針を20本くらい入れていました。先輩から、一人の患者さんで10回失敗したら呼べと言われていたものです。

当然患者さんの死と向き合う経験もするわけですが、中にはずっと忘れることは無い場合があるものです。最初の患者さんの死は、医者になってまだ数か月のころで、乳がんの骨転移で骨折した女性でした。すでに命が長くないことを悟っていた女性は、病室の天井のちょっとした模様を見て、「この天井には笑顔が無い」と寂しげにつぶやいていたんです。

背骨の腫瘍で入退院を繰り返していた、自分より年下の女性の最後の入院の主治医が自分でした。危険な状態になっていたのですが、毎日病室に詰めていたお姉さんにも疲労の色が濃くなっていました。お姉さんに「ちょっと家に帰って、風呂に入ってきていいですか」と聞かれ、今日は大丈夫ですと返事したものの、お姉さんがいない間に心停止を起こしました。お姉さんを帰してしまったことは、今でも後悔しています。

患者さんの立場から見ても、研修医は半人前以下だとは思いますが、「猫の手」になるべくそれぞれがそれなりに考えて努力していることが伝わると思います。どんな医者も、こういう時期を経験していることを知ってもらうのに、丁度良いドラマだと思うので、このまま完走してもらいたと思います。

2025年1月30日木曜日

ハラスメント


ハラスメント(harassment)は、日本語では本来は「嫌がらせ」という意味ですが、これには意図的に他者が嫌がることをするという意味があります。しかし、現代社会で使われるときは、ハラスメントをする側の故意、過失に関わらず受けた側が不快になり精神的・肉体的な苦痛を感じる事柄全般にわたって用いられています。

一般的には、ハラスメントはむしろ意図しない行為による場合に対して用いる事が多く、故意に行われるものは「いじめ」あるいは「いたずら」という呼ばれ方をしています。つまり、ハラスメントはコンプライアンスが守られない結果として生じるものであり、「加害者」側にハラスメントをしたという意識が希薄なところに一番の難しさがあります。

これを防止するためには、絶えず自分の一挙手一投足に対して周囲の人々がどう思うのかを考えている必要があるわけですが、聖人でもない限りなかなか思考が及ばないものです。ここでも問題になるのは時代によって、そして世代によっていくらでも変わってしまう倫理観という基準です。

よく言われるのが「パワー・ハラスメント」で、頭ごなしに命令をしたり相手を無能呼ばわりする事例が出てきますが、確かに高度成長期の日本社会では、当たり前のように行われていた行為です。当時は、そのくらいの勢いでがむしゃらに生きて行かないと取り残されてしまうみたいな風潮もあったのでしょうし、それが当たり前の倫理観でした。

そういう環境で育った人々は、自分が上に立った時同じことを下の者にしてしまうというのは当然起こりうる話です。しかし、同世代で同じ環境で育ってきたわけでなければ、相手は「無理強いをされた」とか「人格を否定された」という思いを持つことも当然のこと。とにかく相手の立場を理解することを怠れば、簡単にハラスメントを起こすことになってしまいます。

また「セクシャル・ハラスメント」も問題になりやすい。女性の社会的進出が進めば進むほど、男対男の関係で行われていた様々な行為は、男対女の構図の中では通用しなくなっている。しばしば男性がやりやすいのは、女性に対して容姿に関して褒めたつもりが相手を傷つけるというもの。この場合、日頃の人間関係によってもハラスメントになるかどうかが変化してくるのでやっかいです。

自分の場合、職場の長かつ雇用主という立場にあり、ほとんどの部下は女性ですから、パワハラもセクハラもいつでもやってしまう可能性のある環境にいます。普段の接し方から、ここまでは冗談として通じる、ここからは口にしたり態度に出してはいけないというラインは自然と持っているつもりですが、相手がどのように感じるかをすべて理解している自信はありません。

少なくとも、寅さんのように「それを言っちゃおしめぇよ」を守るしかない。そのためには、自分に対して客観的になる必要があり、平たく言えば相手の身になって考えることが大切なんだろうと思います。「近頃の若い物は・・・」というのも、年長者の倫理観の押し付けにつながり、ハラスメントに起こす可能性を秘めた言葉として注意が必要です。

とは言え、昨今の何でも「××ハラ」と称することには違和感を覚えます。自分が気に入らなければ、すべてハラスメントをされたと考える人か増えたような状況には危機感を感じる部分もあります。人が許容できる範囲が狭くなって人間関係の構築が困難になると、社会の余裕がなくなってしまいます。一人一人が異なる倫理観を持っているのですから、「お互い様」を忘れた寛容の欠如は誰のためにもならないかもしれません。

2025年1月29日水曜日

コンプライアンス


英語のコンプライアンス(compliance)、略してコンプラと言ったりすることもありますが、日本で盛んに耳にするようになったのは21世紀になってからではないでしょうか。

医学の世界ではだいぶ前から使っていて、例えば「あの患者さんは薬のコンプライアンスがよくない」のような表現をしていました。この場合、患者さんがきちんと薬を内服していない状況のことになります。

本来はコンプライアンスは「変形のしやすさ」などを表す物理学用語だと思うのですが、そこから「遵守(要求や命令に従うこと)」という意味で使われるようになり、昨今は厳しく「法令遵守」となり、さらに社会的規範となるようなその時代の倫理観をも含んだ使い方がされています。

90年代までは、製薬会社から医者への接待は日常的に行われていました。学会で発表する時に使用するスライドやポスターも原稿を製薬会社の営業に渡すと、数万円から数十万円かかる立派な資材として無料で完成させてくれました。パソコンが普及したことで、スライドなどは製薬会社に頼む必要は無くなっていきましたが、あいかわらずレストランなどでの食事会などは薬の説明会と称して行われていたものです。

しかし、製薬会社による学会発表データの改竄などが発覚して、医師と特定の製薬会社の利害関係が急速に排除されたのは2010年頃だと思います。つまりこれらの「癒着」あるいは、ある意味「贈収賄」はコンプライアンスの観点から好ましくないということが急速に広まりました。

実は自分もクリニックを開業した当時は、製薬会社から各種の文具などのノベルティ・グッズをいただき、製薬会社による接待を何度も受けていました。しかし、その頃からこれらは急速に消えていきます。これは本当に本音で思うことですが、接待されなくなって特定の薬に対して恩義を感じることが無くなったことは、ある意味医療が自由になったところがあり、良い事だと感じています。純粋に薬の良し悪しだけで選択できることは、患者さんにとっても有益です。

医師の側は単に「受け取らない」とすれば良いので簡単ですが、製薬会社は更なる問題を抱えてこのコンプライアンスを複雑化していきます。学会のスポンサーになった場合には、特定の薬の宣伝になっていないかなどのチェックに製薬会社が割り込んでくるようになりました。自社の薬の評価では、商品名は使用せず、また同系統の他社の薬との比較すら禁止されるようになります。

医者が薬を選択する場合、似たような薬があればそれぞれを比較して最も適切なものを選択したいわけですが、そのようなデータはほとんど医学界から消えてしまいました。つまり、まったくスポンサーのいない学会・研究会は無いので(そこにも問題があるのですが)、比較研究しても発表できないということになったのです。

それに伴い「メタ解析」と呼ばれる、複数の別々に行われた研究結果を統計的に統合して、特定の要因と疾患の関係や治療法の比較などを解析する手法が盛んになりました。しかし、ここにも実は問題があって、統計学とは「有意な差」を導き出す数学ですから、ある意味元となるデータの集め方によって有意な差を作ることが出来てしまうわけですから、実臨床の中で、しかも一人一人の個体差がある医学ではしばしば期待通りにはならないかもしれないのです。

つまり、行き過ぎたコンプライアンスは、その適用される分野での萎縮を招く恐れがあるわけです。法令は明文化された基準がはっきりしているのでわかりやすい基準ですが、倫理観はおそらく個人によって多少のズレが生じるものなので、適正なコンプライアンスに完璧な正解を求めることは非常に難しいように感じます。しかし、やっかいなことに、コンプライアンスの基準として倫理観の方が重視されているように思います。

今、日本国内で最も関心が持たれているメディアの問題についても、個人あるいは企業の倫理観のズレが根本的な要因としてあるのかもしれません。細かい点は一般人の自分にはまったくわからないことですから、踏み込んだ話などはできる立場ではありませんが、関係者全員のコンプライアンスの意識の差をはっきりさせないと、問題の解決には至らないだろうと思いました。異なる倫理観のもとでは、何時間かけても不毛な議論にしかならないようです。

2025年1月28日火曜日

TOKYO TULIP ROSE


まさに、こういうのが「ばえる」というもの。

謳い文句は「とろけゆくおいしさ、つき詰めたカタチ、そして ささやかな企み。

パリで修行した金井理仁さんというパティシエが、2017年に帰国して始めたそうで、いろいろな想いが詰まったチューリップの中にバラが咲くイメージの焼き菓子になっています。

外側はクッキー生地で、いわゆるラングドシャ。何となく想像した感じよりも、固い印象でした。真ん中にあるのは、クリームでストロベリーの味がしました。

食べてしまえば、まぁそんなものかと・・・しっかりとした味覚があれば、「企み」について理解できるのかもしれませんが、菓子系にこだわりがない自分としてはよくわかりませんでした。

でも、貰って嬉しくなるのは間違いないので、お中元・お歳暮のレパートリー入りは確定です。


2025年1月27日月曜日

セブンのおにぎり 61


最近、セブンイレブンが力を入れている(?)のが、「具だくさん」シリーズ。

今回は「炭火焼鶏とつくね」・・・というわけで、ほぼそのまんま。例によってご飯で挟んだ、おおきな具材の半分がモモ肉の焼き鳥で半分が軟骨入りつくねというもの。

スーパーのお総菜売り場に並んでいる、ビミョーな味の焼き鳥が挟まっていると思えば間違いない。

つまり、焼き鳥としては美味しい方ではありませんが、もともとそんなもんだろうと思えば普通に食べることができます。

普通のサイズで似たようなものはありましが、さすがに具材がしっかりしたサイズ感は味わえるというもの。

ただし、具の違いで食感は変わるのですが、基本的な味はあまり違わないわけで、食べていく地ちょっと飽きるかもしれません。

2025年1月26日日曜日

更科 @ すすき野


一番よく行く青葉区すすき野の蕎麦屋が更科。

こちらは、いかにも更科という白くて細い麺が美味しいだけでなく、つゆが絶品です。

今回は蕎麦とご飯もののセット。

冷たいたぬきそばとかつ丼。

かつ丼のかつは、通常サイズの半分くらい。蕎麦はほぼ普通の一人前はあります。

十分すぎるほど満たされます。

町の普通のお蕎麦屋さんというイメージの店ですが、いつも感心する味なので、何度も足を運んでしまうというものです。



2025年1月25日土曜日

海老民 @ 菅生(生田)


あ~、なんでピンボケ!!

こーゆーところがiPhoneを信用できないところなんですよ。とても高性能とは思えず、ふだんからコンデジも持ち歩く理由なんですが、まぁ、その場で確認しろよ! っていうことなんですが・・・

紹介しないのはもったいないので、雰囲気だけでも伝われば・・・

場所は尻手黒川道の清水台の交差点から小田急線生田駅に向かう途中、聖マリアンナ医科大学病院の手前で、地名としては川崎市宮前区菅生というところです。

けっこう昔からある店で、ずいぶん前から知っていたんですが、ずっと「和食ファミレス」みたいな店だと思っていて入ったことがありませんでした。

最近、行ったことが無い蕎麦屋を探していたら、たまたま実は蕎麦屋だったのを知って、それならというわけで行ってみました。

昼時だったせいもあってか、満員で賑わっていました。少し待ちましたが許容範囲。さてメニューを見ると、一押しは「白魚のかき揚げ」らしいので、それとせいろのセットを頼みました。

かき揚げはパリパリ・さくさくでなかなかのもの。蕎麦も更科系の細くてするっと食べられる感じで、実にのど越しの良い美味しい物でした。つゆも醤油と出汁のバランスが丁度良い。

いやいや、もっと早くに知っていればよかったと思いました。今まで何度も通り過ぎて御免なさい。ちゃんと写真が撮れなくて御免なさい。

2025年1月24日金曜日

セブンのおにぎり 60


セブンイレブンも、手を変え品を変え、いろいろなおにぎりを繰り出してきます。

今回は、ドデカ・シリーズというか、具材たっぷり系の新作。

「韓国メニュー」となってますが、正式名称は「具だくさんおむすび 韓国式チキンアソート」となっていて、そこだけだと何だかよくわからない。

左上に小さく書いてあるのが具の中身。ヤンニョムチキンとカンジャンチキンとなっています。

ヤンニョムチキンは、簡単に言えば韓国の甘辛ソースをからめた鶏唐揚げ。

カンジャンチキンも甘辛だれチキンで、両者の違いがわかりにくい。コチュジャンをベースにしたものがヤンニョムケジャン、醤油ベースのものがカンジャンケジャンと言うらしい。

まぁ、理屈より食べ物ですから食べてどうなのというのが大事・・・なんですが、ご飯でサンドイッチにして半分がヤンニョムチキン、半分がカンジャンチキンということらしいのですが、ぶっちゃけよく違いが判りませんでした。

量的には通常のおにぎりの1.5個分くらいありますから、食べた気にはなります。

もちろん美味しいとは思います。でも、また食べたいかと聞かれると・・・・まぁ、いいかなという感じです。

2025年1月23日木曜日

明治のチョコレート


明治製菓・・・今は単に「明治」という社名になったようですが、こどもの時に一番お世話になりました。

何しろ、お菓子と言えば「チョコレート、キャラメルとガム」しか無いようなの時代で、スナック菓子も輸入物の「ポテトチップとポップコーン」しか記憶にありません。

その中でチョコレートは、マーブルチョコレートが最も馴染み深い。手塚治虫の「鉄腕アトム」りシールがおまけについていて、これ目当てに手に入れていました。

今回、でっかいバージョンで棚に並んでいた、明治の粒チョコシリーズが「頼むから、買ってくれ」と頼んでくる(ような気がする)ので、一つ440円を全部まとめて大人買い(!!)してしまいました。

マーブルチョコレートは、エアコンなんてめったにお目にかからない時代でしたから、夏はチョコは溶けて売り上げが下がるということを、薬みたいに糖衣製法にすることで乗り切った革命的な商品です。

1968年にアポロ11号によって、人類史上初めて人間が月面に降り立ったのは世界中を熱狂させました。その時、帰ってきた司令船の三角円錐状の先端部がパラシュートで地球に戻ってきた・・・というのをヒントに作られたのがアポロチョコレート。こちらはイチゴ味だったので、男の子にはうけなかったのか、自分はあまり食べた記憶が無い。

そしてコーヒービートは、口の中にコーヒーの風味が広がる小粒チョコ。たぶん、少し大人をターゲットにしたのかもしれません。

2025年1月22日水曜日

ラヂオの時間 (1997)

脚本家として名が知られるようになった三谷幸喜が、映画監督に進出した記念すべき第1作。もともと三谷自身が手掛けたテレビドラマの脚本を、テレビ局側に意図せぬ改変をされたことをきっかけに、自身が主催する劇団のために作られたもの。

ラジオ局が公募したラジオ・ドラマの脚本に、鈴木みや子(鈴木京香)は初めて書き上げた「運命の女」が採用され、生放送されるドラマのリハーサルが行われました。プロデューサーの牛島(西村雅彦)は乗り気ですが、ディレクターの工藤(唐沢寿明)は、みや子に「こういう仕事はもうしない方がいい」と言うのでした。

リハーサルはほぼ順調に終わったかに思えましたが、落ち目でわがままな主演女優の千本ノッコ(戸田恵子)が、主人公の律子という名前が嫌だと言い始め、メアリー・ジェーンに変更されてしまいます。しかも、もともとパチンコ店の娘だったのが、ニューヨークの敏腕女弁護士と設定も変わりました。

そうなると全員の日本人名がおかしいと、広瀬(井上順)と野田(小野武彦)の役名も外国人名になる。しかし、ノッコの相手役の浜村(細川俊之)は与えられたマイケル・ピーターは嫌だと言い、ドナルド・マクドナルドに勝手に変え、しかも職業も漁師からパイロットにすると言いだすのです。

本番まで1時間も無く焦った牛島は、どんな無理難題もどうにかする放送作家のバッキー(モロ師岡)に脚本の手直しを頼みます。舞台は日本からアメリカのシカゴ、しかもギャングの抗争があり、メアリー・ジェーンの法廷シーンまで追加してどたばたのうちに放送時間を迎えます。

しかし、いざ始まると、メアリー・ジェーンが「高波にさらわれずぶ濡れ」になるところで、シカゴには海が無いことに気がつきます。しかたがなく、ダムが決壊したことにして、もと効果音係、今は警備員をしている伊織(藤村俊二)に泣きついて必要な音を出す方法を教えてもらうのです。

ドナルド・マクドナルドが行方不明になる部分は、パイロットなのでハワイ上空で行方不明と変更したものの、スポンサーの航空会社から即座にクレームが入り、飛行機事故ではなく乗っていた宇宙船の事故にしてしまいます。ここまで、我慢に我慢を重ねてきたみや子は、ついに爆発します。さすがに宇宙の事故ではドナルド・マクドナルドは死んでしまう、最後に二人が再開することだけは譲れないと叫ぶのです。

冒頭、長回しのカメラを動かして映ってくる人物が次々にセリフを言うという、いかにも舞台出身の三谷らしい演出が見られます。確かに舞台を見る観客の視点をなぞっているのはわかりますが、映画では舞台よりも近くに人物がいるため目まぐるしい感じで成功しているとは思えない。普通にカット割りした方が見やすいと感じます。

みや子の意図したものからどんどん脚本の内容がずれていく過程については、無駄な部分がなくスピーディな展開は緊張感を持続させています。ただし、自分の名前をいれないでと言い出したみや子に牛島が「どんなことになっても、たとえそれがひどい物でも、あなたの作品だ。責任の一端はあなたにもある。私だっていつかはみんなが喜べるものを放送したいんだ」と、まるで正義の押し売りで説得する一番かっこいいカタルシスを起こすシーンなのですが、あまりに身勝手な言い分でまったく共感できませんでした。

当時は多くの賞を受賞してはいるのですが、あらためて映画として見た時、傑作と呼んでいいのか悩む作品だと思います。これはやはり舞台劇であって、映画として見るにはまだまだなのかもしれません。もっとも初監督としては上出来なのは言うまでもありません。

2025年1月21日火曜日

横濱家 @ 犬蔵


久しぶりの横濱家。久しぶりの一番普通の「ラーメン」を注文しました。

スープに浮いている脂が多いので、いつも油少な目と注文しますが、今回は最も普通の状態で食べようと思い、油そのまま・・・

来たものを見て、あれ? 脂少な目と言わなかったはずと思いました。

表面が油で満たされているので、スープが冷めにくいという印象でしたが、何か少ない感じがします。

味は、覚えているものより、いわゆるコクが少ないような・・・御免なさい。

トッピングは大きな海苔とチャーシューとほうれん草・・・だけ。

あれ、あれ、以前はメンマのってたよね。あれ、あれ、あれ、1/2煮卵も乗ってませんでした?

物価高の影響で、商品価格を抑えるためのいろいろな作戦が展開されているのでしょうか。

ラーメン店の倒産が増えているというニュースをよく耳にするようになりましたが、物価高に対して価格を上げるのか、質を落とすのか、または量を減らすのか・・・お店はいいろ苦労しているんだと思います。

2025年1月20日月曜日

きのこ(だらけ)のクリームパスタ


ちょっときのこが多すぎて、むしろ見た目が悪くなってしまいましたが、家で作るとえてしてこういうことは起こりやすい。まぁ、栄養面では悪くはないのでよしとします。

最初の下ごしらえは・・・これが最も大事なところ。

きのこの乾煎りです。今回使ったのは、ぶなしめじ、舞茸、エリンギです。これらを食べたい量だけフライパンで焦がさないようにじっくりと火を入れて、水分を飛ばしていきます。油は使ってはいけません。

きのこの味が凝縮して、香りも強くなる。全体の体積が半分くらいになったらOK。

パスタを茹で始めます。お湯に対して10%の量の塩を入れるのを忘れずに。この塩だけで味が決まります。

フライパンにオリーブオイル、ニンニクを焦がさずに炒めます。お好みで唐辛子を少々入れても可。ニンニクから泡が出なくなったら、タマネギのみじん切りをよく炒め、乾煎りしたきのこを投入します。そして、生クリームを1人前100ml程度をいれて馴染ませます。

決められた茹で時間の1~2分前にパスタを取り出して、フライパンに移します。しばらくソースの中で煮込むことで、味が浸み込み、パスタからは小麦粉が出てとろみがつく。今回は彩を良くするため、ブロッコリーも入れました。

アルデンテの硬さを確認したら出来上がり。お~、旨い。自画自賛したくなるのを我慢する必要はありません!!

2025年1月19日日曜日

セブンのおにぎり 59


新発売のセブンイレブンのおにぎりを見て。「あ~、受験シーズンになったんだ」と実感しました。

何しろ、考えてみたら自分が受験生だったのは半世紀近く前の話なんで、年々記憶から遠のき単なる毎年のイベントとしても気にかけなくなってしまいました。

思い出すのも、浪人生のくせに予備校に行ったふりして渋谷のジャズ喫茶にこもっていたみたいなふざけた話くらい。たぶん今の受験生の方が、よほど真面目に取り組んでいるかもしれません。

受験と言えば願掛けはつきもので、いろいろな縁起物の商品が登場するのは商魂のたくましさの表れで、おにぎりとて同じこと。

新発売になったのは、「勝つ丼」と「とり点」の2つ。受験に勝つとか、点を取るというダジャレは受験シーズンの定番ネタ。

さらにすでに両目が入った達磨の顔でラッピングし、ご丁寧なことに「受験応援」とまで書いてある。とてもわかりやすい企画物です。

当然、とんかつの卵とじと鶏の天ぷらというわけで、味はそのものずばりで、おにぎりに乗せるならこの程度の大きさという、それ以上でも以下でもないものです。

まぁ、これで気持ちが落ち着くなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか。

2025年1月18日土曜日

海鮮丼


安くて美味しそうな刺身があったので、海鮮丼にしてみました・・・

っていうだけの話なんですが、買ったのは2パック。

一つには、サーモン、鯛、イカ、マグロ(たぶんメバチ)が2切れずつで580円。

もう一つには、ブリ6切れ、ホタテ貝柱6個、赤海老2尾、マグロ(たぶん本マグロ)2切で780円。

半分ずつ丼に並べました。1食分で680円なら、まぁまぁリーズナブルという感じ。

御飯はすし飯。タマノイの「すしのこ」を使いました。これは粉末なので、ご飯が水っぽくならないので使い勝手が良く、かつ安い、そして保存もしやすい。

まぁ、何か贅沢した気分で美味しくいただきました。

2025年1月17日金曜日

中華製ブルーレイ買ってみた話


丁度、Tverで「監察医 朝顔」を一気に見れたので都合が良かったのですが、そうなるとSeason 2も見たいじゃないですか。

ところが、ところがです。Season 2はDVD等が販売されたことがないらしい。どう探してもSeason 1しか見つけられません。TverもSeason 2はやってくれない・・・

何故? どうして?

そんなわけで、唯一見つかったのが・・・これ。中国製らしい、怪しいセット。この手の物はしばしばAmazonで見かけますが、不思議なことにレヴューがまったく無い。

基本的には「海賊版」的な雰囲気が漂うので、品質的にも手を出したいものではありません。販売者は中国の四川省の住所です。

他に無いし、せっかくだから見れるものなら見たいと思うほどSeason 1の出来が良かったので、もう人柱になる覚悟でポチっとしてみました。

商品説明は「【監察医 朝顔】blu-ray シーズン1~2+ TV全話 +(2019 特别篇 +2021 特别篇+2022 特别篇)完全版 【未開封】 [並行輸入品]」となってますが・・・

注文詳細で確認したら、すぐに発送済みになり、佐川急便のトラッキング番号が表示されました・・・・で、もって、予定期間内に商品が到着しましたが、なぜかヤマトのメール便でした。あれれ・・どういうこと?

3 discの2セットなんですが、そもそも日本の正規品だとしたらBluray だと10数枚くらいになりそうな量ですから、半分以下に詰め込まれているってこと。しかも、開けてびっくり。どちらも1枚はビニール袋に入って突っ込まれているだけでした。

まぁ、傷ついていなければ良いということで我慢です。問題は中身。

一つは、3枚に3つのスペシャルが一つずつ。まぁ、これは順当。

もう一つの3枚組にSeason 1と2の全部が入っているってこと? いやいや、そりゃ、いくらなんでも無理だろう・・・って、やっぱり無理だったぁ!!

3枚にはSeason 2が6話+6話+7話の全19話が入っていましたが、Season 1はまったく影も形もありません。おやおや、こりゃこりゃ、まぁ、Season 1はすでに見れたからいいんですけど・・・

中身の画質は、通常のテレビで見るFHD画質でした。これも、まぁ、良しとします。

一番びっくりしたのは、「この番組の提供は・・・」のアナウンスと画面も入っていたこと。これって、テレビの録画そのままってことか・・・

いやいや、最低限の目的は達成したので・・・良しとしますか。

ちなみにAmazonのページはすでに存在しません。さっと出して売りたいだけ売って、さっと引き上げる。だから、ユーザー・レヴューが書かれて表示される前に消えてしまうということのようです。

さて、あなたなら・・・買いますか??

2025年1月16日木曜日

監察医 朝顔 (2019)

自分は医療系ドラマは基本的に見ない。何故かと言えば「嘘っぽさ」がイライラさせるから。このドラマは法医学をテーマにしていて、医療系ドラマの一つではありますが、法医学がもともと人が死亡した後を扱うこともあり、もっともフィクションが介入しやすい「命を助ける」部分が無いことと、むしろ東日本大震災を経験(原作では阪神・淡路大震災)し母を失った主人公とその父親を主軸にした人間ドラマが中心となっていることもあって、見応えのある名作ドラマとして異論はありません。

作・香川まさひと、画・木村直己によるマンガが原作。マンガから引き続き杏林大学名誉教授の佐藤喜宣が監修に当たって、医学的な問題をできるだけリアルな物にしています。「ハコヅメ」、「正直不動産」の根本ノンジが脚本、製作したフジテレビ所属の澤田鎌作、平野眞らが演出をしています。

万木朝顔(上野樹里)は、8年前に母の実家を訪れた際に東人大震災に遭遇し、母の里子(石田ひかり)が津波で行方不明になりました。駆けつけた父親で刑事の平(時任三郎)と、必死に母を探し回りますが見つけることはできませんでした。その時、遺体検案のためにきていた興雲大学法医学教室の夏目茶子(山口智子)と出会い、朝顔も法医学者になり茶子の下で勤務するようになりました。

教室には夫婦の法医学者・藤堂雅史(板尾創路)と藤堂絵美(平岩紙)、検査技師の高橋涼介(中尾明慶)も所属しており、日々の仕事をこなしていました。学生バイトだった安岡光子(志田未来)は、卒業後法医学教室に入局して、ともに働く仲間になります。

興雲大学に解剖依頼をすることが多い野毛山署には、山倉係長(戸次重幸)の指揮のもと朝顔と付き合っている桑原直也(風間俊介)が平と組んでいました。平は、今でも妻・里子の行方を捜しに、休みのたびに被災地を捜索することを続けていました。朝顔は里子の父・浩之(柄本明)に震災後初めて会いに行くことにしますが、PTSDのため駅を降りたところで動けなくなってしまいます。

朝顔の事情をすべて承知してくれた真也と結婚した朝顔は、万木家に同居を続け、やがて長女・つぐみ(永瀬ゆずな)が産まれました。家族の絆はさらに強いものになっていくのですが、ある日震災の当日に里子が持っていた手袋が発見されます。また朝顔は親しい友人の遺体を前にしてメスを持てなくなってしまいます。

しかし、山梨で起こった大規模土砂崩れで多くの死傷者が発生し、朝顔は再び多くの遺体が並ぶ現場に引き戻されるのです。人として、法医として、亡くなった方に真摯に向き合うことを思い出した朝顔は、前に進みだすことができるようになりました。朝顔は、真也とつぐみを浩之に合わせるため、平とともに再び駅に降り立つのでした。

ここまでがおおまかなストーリーですが、毎回登場する遺体は事故であったり、殺人事件だったり、あるいは病気だったり死因はさまざま。捜査と法医解剖により、時には犯人が捕まるのですが、サスペンス色は薄く、あくまでも朝顔が母の死の責任との葛藤の中で法医として成長するためのエピソードにすぎません。

全11話終了後に、全体を回顧し一部新撮を加え、特に震災時の様子を中心にした総集編がスペシャルドラマとして放送されました。さらに翌年、第2シーズンが放送されますが、異例の2期連続の全19話で編成されました。その後、2021年、2022年にスペシャルが放送され、2025年1月3日におそらく完結かる(?)ことになる最後のスペシャルが放送されました。

上野樹里にとっては、「のだめシリーズ」と共に代表作と呼ばれることになることは間違いない。多くのテレビ・ドラマの中でも、上位にランクする名作と呼んでも差し支えありません。あえて原作から改変して、東日本大震災が人々に与えた影響を整理して、どうやってそれを乗り越えていくのかを描いた作品となったことも特筆すべき点だと思います。

2025年1月15日水曜日

隣人X 疑惑の彼女 (2023)

パリュスあや子のデヴュー小説が原作で、監督・脚本は熊澤尚人。設定はSFですが、中身は偏見・差別を扱ったヒューマンドラマです。

ある惑星からの難民、通称X。Xは最初に触れた人間に擬態して、まったく見分けがつきません。しかし、人間に対しては本能的に攻撃できないため、アメリカが受け入れを開始し、日本もアメリカに追従する形で受け入れを表明したのです。しかし、人々は漠然とした不安と恐怖を感じていたのでした。

笹憲太郎(林遣都)はゴシップ週刊誌記者をしていますが、たいした記事を書けないためクビ寸前の状況でした。唯一の身寄りである認知症の祖母は施設に入っていて、入所料を滞納し続けたため退去を求められていました。

編集会議でXについての特集を組むことになり、編集長(嶋田久作)は全員にどんなことをしてもいいから世間に紛れ込んでいるXを探し出せと厳命します。さまざまな情報から何人かのX候補が絞り込まれ、笹は柏木良子(上野樹里)と林怡蓮(黃姵嘉)の二人を担当することになります。

良子は36歳、コンビニと宝くじ売り場のバイトで静かに生活していました。笹は強引に近づき、デートに誘います。林は台湾から日本で勉強したくて来日し、日本語の勉強中ですが、バイトで忙しくなかなか勉強が進みません。良子と林は同じコンビニで働いていました。

笹は思い切ってXについてどう思うか良子に尋ねますが、良子は「心で物を見ることが大切なのでは」と答えるだけでした。決定的な証拠がつかめず、上司からも強く叱責されるものの、笹はしだいに良子を好きになっていくのです。林は、言葉の壁に疎外感を強くしていましたが、居酒屋のバイト仲間の仁村拓真(野村周平)に助けられ次第に仲良くなっていきます。

さまざまな疑心暗鬼から精神的にも追い詰められていく笹は、Xに襲われる夢を何度も見るのでしたが、その時に一瞬見えるXの顔が良子の父親であることに気がつきます。Xかどうかの決定的証拠としてDNA鑑定をするため、笹は良子に父親と合わせて欲しいと頼みました。乗り気ではない良子を連れて、彼女の実家を訪れた笹は父親の毛髪を手に入れることに成功します。

笹の書いた記事は、検証もされないまま掲載され、週刊誌は売り切れとなるほど評判となります。大勢のマスコミが良子のアパートや実家に押し掛け、大騒ぎになる事態になってしまうのでした。

何かずっとモヤモヤする違和感のようなものが感じられる作品で、その原因は何だろうと考えると、そもそも非現実的な世界観の中で現実的な社会問題がテーマになっているためなのかと思いました。つまり、アイデンティティが不明瞭な良子と、言葉が理解できない外国人の林という、「普通」ではない人々に対する無意識の差別を問題提起したいという意図だと思うのですが、そもそも宇宙人との関係性が想像できません。

さらに言うと、笹の視点で物語が進行するため、次第に狂気すら感じるようになる笹の行動に感情移入は到底できないということも問題です。ヒロインである良子の視点で進むなら、もっと気持ちが入り込めるのかもしれません。また、林について仁村との関係に重点が置かれ、笹のアプローチがあまりに少ないことから、物語から浮いてしまっているような印象もあります。

最後には誰がXで誰がXではないみたいなどんでん返し的なところがあるのですが、実際それを見破れるところはほとんど無いので、あまり意味は無いかもしれません。現代社会の人間関係の難しさは伝わりますが、例えばXの視点から描くようなスタイルとかだともう少し面白いのかなと思います。

2025年1月14日火曜日

お父さんと伊藤さん (2016)

中澤日菜子の小説が原作です。「マイ・ブロークン・マリコ」のタナダユキが監督し、脚本は黒沢久子で、いまどきの家族の形がテーマの作品。

34歳の山本彩(上野樹里)の同棲相手は、20歳も年上の54歳の伊藤さん(リリー・フランキー)。以前のバイト先で、何となく知り合い、何となく一緒に暮らすようになってしまいました。兄の潔(長谷川朝晴)から呼び出された彩は、同居している74歳のお父さん(藤竜也)をしばらく引き取ってくれと頼まれます。しかし、同居している人がいるので無理だと断りますが、家に帰るとすでにお父さんは上がりこんでいました。

お父さんは小学校教員を40年間勤め、細かいことにうるさく、人の話を聞くような人ではありませんでした。荷物の中に手で持てる程度の大きさの段ボール箱があり、彩にも伊藤さんにも触らせようとはしません。

しばらく、不思議な3人の生活が続きますが、ある日、叔母さん(渡辺えり)がやってきて、実はお父さんには万引き癖があり、どうでもいいような安物を度々万引きしては周囲を困らせていたという話をします。そして、お父さんは急にいなくなってしまい行方不明になります。

伊藤さんは、お父さんを探した方がいいと言いますが、彩は「急にいい人ぶるなんてずるい」と言い返すのです。伊藤さんは、昔の友人のつてを頼って、お父さんの携帯の電波の位置を確認してきました。それはお父さんの田舎の実家がある付近でした。

彩と伊藤さんは潔も誘って車で出かけます。すでに誰も住んでいない電気も水道も無い家で、伊藤さんは「三人でよく話ましょう。明日迎えに来ます」と言って帰ってしまいます。ところが、話をしてみてもお父さんは「一人でここに住む」と言い張り寝てしまいます。

翌日は嵐で、昼過ぎに伊藤さんが来た頃は土砂降り。結論が出ないと聞いた伊藤さんは、「今は住めないから、ここに住むにしても一度戻って準備をしましょう」と説得します。その時、庭の柿の木に落雷があり、燃えだした木が倒れて家も全焼してしまうのでした。

お父さんと伊藤さんが何となく分かり合える・・・というのは、むしろ他人だからなのでしょうか。血のつながった家族の方が、むしろわがままが表に出てしまいお互いに引くに引けない状況を作ったりします。

お父さんが大事にしている段ボール箱の中身は、火事になった際に明らかになるのですが、何でそれが大事なのかはよくわからない。行き場を失った老人を家族としてどうすればいいのか、ということも積極的な回答は出ていません。そもそも伊藤さんは何者なのか? というのもはっきりしない。

映画はすべてに答えを用意する必要はありませんし、観客に想像力をかきたたせることは重要な要素です。ただし、どれもが明快な答えが無いので、ややぼんやりとして日常の描出の連続だけになっているような映画です。ですから、この雰囲気が好きか嫌いかは、かなり分かれるところかもしれません。少なくとも、特に苦痛なく最後まで見ることができたので、悪い作品ではないと思います。

2025年1月13日月曜日

グーグーだって猫である (2008)

大島弓子のエッセイ風マンガが原作。13年間一緒に暮らした愛猫サバが死に、新たな猫グーグーを飼い始めたことを中心に、日常を描いています。これを「ジョゼと虎と魚たち」の犬童一心が脚本・監督して、原作とは異なるオリジナル・ストーリーとして実写化しました。

吉祥寺に住む漫画家の小島麻子(小泉今日子)は、愛猫サバが死んでしまい仕事への意欲を無くしてしまいます。アシスタントをしているナオミ(上野樹里)、加奈子(大島美幸)、咲江(村上知子)、美智子(黒沢かずこ)は、落ち込んだままの麻子が心配でなりません。

ある日、ナオミは麻子がペットショップに入っていくのを目撃します。麻子は偶然目が合ったアメリカンショートヘアの子猫を気に入り、家に連れて帰りグーグーと名付けました。ナオミは、麻子に彼氏がいないことも心配し、たまたま知り合った沢村清自(加瀬亮)を引き合わせます。

グーグーを街に出してみると行方不明になり皆で探したりしているうちに、麻子も新作を書く元気が出てきました。しかし、そんな時、麻子は倒れてしまい病院で卵巣がんの診断を受けるのでした。しかも、担当した医師は沢村でした。ナオミがグーグーを預かり、治療に専念する麻子でしたが・・・

主役は麻子を演じる小泉今日子ですが、実質的な狂言回しはナレーションもつけている上野樹里のナオミです。小泉はセリフらしいセリフは最小限になっていて、むしろ表情や動作によってすべてを表現する難しい役処と言うことができます。

元がエッセイですから、映画用のストーリーが組み立てられているものの、吉祥寺の街並みや人々の生活を拾い上げていく部分がゆったりとした心地よい映像と音楽によってつづられていきます。人気のある土地ですが、より吉祥寺に住みたくなる雰囲気はうまく表現されているように思います。

ただし、ストーリー性を出したことで、「猫の映画」という部分はだいぶ薄くなってしまいました。これは原作のファンからするとかなり期待外れだったのではないかと想像できます。だからかどうかはわかりませんが、犬童一心は2014年、2016年にWOWWOWで、宮沢りえを麻子に起用した映画とは別のドラマ(全9話)を作成しました。

どちらが良いというより、小泉には小泉の麻子、宮沢には宮沢の麻子が登場している感じで、麻子中心に見るなら映画、グーグー中心に見るならドラマがおすすめという感じでしょうか。いずれにしても、ほんわかした癒し系の味わいが楽しめます。

2025年1月12日日曜日

セブンのおにぎり 58


今年もセブンイレブンのおにぎりを追いかけます。

コンビニも定番だけでなく、手を変え品を変え新作を投入してくるんで、考えている人はさぞかし大変なんだろうと思います。

今回の新発売は「しらす御飯」ですが、似たようなのは絶対過去にありました。

ただし、たぶん今まで食べた類似品と比べると、しらすの味がしっかり感じることができると思います。それは中央表面にかたまっているしらすによるところが大きい。

混ぜご飯になると、しらすよりも炊き込み飯の味ばかりになってしまいます。これは、ご飯が薄めの醤油飯で、しらすがまとまって口の中に入るところが関係していそうです。

もう一つ紹介するのは「鮭といくら」で、「親子物」の定番の組み合わせ。前にも同じものはあったはずで、今回は期間限定と書いてあるので一時的に復刻したものらしい。

こちらもいくらが中央表面にまとまっているので、しっかり味わえるのが嬉しいところ。

両者ともコスパは適正と思いますので、リピ買いありの品です。

2025年1月11日土曜日

キラー・ヴァージンロード (2009)

俳優でもある岸谷五朗は、まだ十代の上野樹里を自分の所属事務所アミューズに強く推薦し、アミューズは事務所ごと吸収して上野を獲得しました。その岸谷が川崎いずみと共同脚本し、自ら監督をした映画がこれ。何事にもドジな孫娘と、暖かく見守る祖父との関係をブラック(気味な)ユーモア満載で描いています。

沼尻ひろ子(上野樹里)は、やさしく素直ですが、こども時から何をやってもビリでドン臭いため「どん尻ビリ子」とあだ名されてきました。それでもセレブでイケメン男子と結婚が決まり、いよいよ明日は挙式。これまで、ずっと暖かく見守ってきた祖父(北村総一朗)も花嫁姿を楽しみにしていました。

ところが、何とひろ子のストーカーをしていたアパートの大家(寺脇康文)が乱入してきて、偶然落ちて来たハサミが背中に刺さり、形の上ではひろ子によって殺されてしまうのです。祖父のために明日の式までは何とか事件を隠したいひろ子は、スーツケースに死体を入れて町に出ます。

たまたま自動車を手に入れ、富士の樹海を目指しますが、そこで自殺志願者の小林福子(木村佳乃)と知り合います。小林は死体の処理を手伝う代わりに自分を殺してほしいと言い出すのですが、女子二人ではそう簡単に死体を隠すことができません。

こうなったら私を殺せと言い出す小林。私を殺せば、あんたは不幸になる。不幸になったあんたを見て私は幸せになれる、幸せは他人の不幸の上に成り立つのだというのです。でも、ひろ子は、死んだら私が不幸になったのを見れないじゃないと言い返すのです。

いろいろと何だかんだとあった後、途中で死体をゴリラスーツの中に隠し直していたところ、偶然に二人組の外国人の殺し屋(?)がゴリラスーツごと車を盗んでいってしまいました。結果オーライということで、二人は教会に急ぐのでした。

という、かなり支離滅裂な強引なストーリー展開ですが、かつて祖父がひろ子に「失敗しても大丈夫。ひろ子のおかげで周りは幸せになれる」と言った通りで、ひろ子の関わった人々が幸せを掴むということが軸になっています。

ひろ子に車を盗まれた青年(小出恵介)は、憧れのアイドルと対面出来ました。ひろ子と小林を追いかけまわす警官(田中圭)は、殺し屋逮捕により表彰されます。ひろ子と小林を泊めてあげたペンションオーナー(北村一輝)は、探し求めていた幻の蝶を発見し家族と再会しました。小林もやっと運命の相手・・・暴走族リーダー(中尾明慶)とめぐり合い自殺をやめることにします。小林を演じた木村佳乃は、表彰もののキレキレの演技でさすがというところ。

自分の不幸の上に他人が幸せになるということは、結局最後までひろ子には幸せが訪れないのが寂しいところ。何らかの他人の不幸によって、ひろ子にも幸せが訪れる結末でもよかったかもしれません。力み過ぎでかなりのドタバタ調のところはしょうがないと思うのですが、意味不明のロック・ミュージカル風の出だしさえ乗り切れるなら、それなりに楽しめます。

2025年1月10日金曜日

亀は意外と速く泳ぐ (2005)

テレビドラマのゆるいコメディ「時効警察」シリーズの三木聡の監督・脚本による、上野樹里主演のこれまたゆる~い不思議な世界観を持った脱力系コメディ。好きな人は必ずはまる作品です。

片倉スズメ(上野樹里)は生まれてから、ごくごく平凡に生きてきました。同じ日に同じ病院で生まれた扇谷クジャク(蒼井優)とはずっとともだちでしたが、クジャクは正反対で物事にはっきりしていて、派手に生きています。

ある時スズメは、いつも通る通称、百段階段で5ミリ四方の小さな求人募集のポスターを見つけます。そこには「スパイ募集」とあり、興味をそそられ事務所になっている住宅を訪ねてみます。現れたのはクギタニシズオ(岩松了)とエツコ(ふせえり)夫婦で、「君のような平凡で目立たない小市民こそスパイにふさわしい」と、支度金500万円を渡してくるのです。

いかに平凡に暮らすかいろいろとテストされながら、今まで何気なく接していたラーメン屋のオヤジ(松重豊)、豆腐屋の主人(村松利史)らも実は潜伏中のスパイだと知らされます。スズメは、より平凡な暮らしを目指すものの、そこには秘密を守るという緊張感が生まれ、生活に張り合いが出てくるのでした。

彼らのところにちょくちょく登場する水道屋(緋田康人)は、公安警察(伊武雅刀、嶋田久作)の仲間で、スパイの正体を嗅ぎまわっていました。スズメはできるだけ目立ちたくなかったのですが、たまたま川で溺れている少年を助けてしまい注目される存在になってしまいます。そこへ十数年ぶりにスパイとして働く指令が出たことが知らされ、全員が集合することになりますが、公安も彼らの動きを察知していたのです。

・・・と、まぁ、だいぶゆるゆるの設定のストーリーなんですが、平凡はつまらないと思っていても、いざ、平凡にすることは難しいというのがテーマでしょうか。また、ちょっとの非日常が加わると、平凡さの中にもモチベーションを高める可能性を見出せるというのもポイントです。

松重豊のラーメン屋。普段は目立たないように地味な「そこそこのラーメン」を作り続けてきたんですが、スズメはこのそこそこのラーメンのファンでした。集合がかかって、もう元の生活に戻ることは無いと覚悟して、本当は行列のできるラーメン屋になれるほどの真の実力をふるった一杯を作るところは、くだらないけど感動します。

クジャクはスズメの正反対の存在なんですが、ある意味表裏一体の存在で、クジャクの派手なエピソードも形を変えてスズメも体験していくあたりも、なかなか構成の妙があります。この頃の上野樹里のほんわかとした雰囲気とマッチした、力を抜いて笑えるコメディだと思いました。

2025年1月9日木曜日

陽だまりの彼女 (2013)

越谷おさむの恋愛ファンタジー小説を原作として、三木孝浩が監督、菅野友恵と向井康介が共同脚本を担当しました。

広告代理店に勤めている奥田浩介(松本潤)は、クライアントの下着メーカーを訪れ、中学校の同級生だった渡来真緒(上野樹里)と10年ぶりに再会します。真緒は勉強ができず、外見もまったく気にしない女の子で、バカにされいじめられていたところを浩介が助けたことで仲良くなりました。しかし、そのために浩介も孤立してしまう苦い過去があったのです。

浩介はクライアントの希望を叶えるために奔走し、真緒も協力していくうちに二人は次第に距離を縮めていきます。真緒は浩介を両親に引き合わせ結婚したいと言いますが、父親が反対したため、二人は駆け落ち同然で婚姻届けを出し新居のアパートに引っ越します。

その頃から、次第に真緒の体調が少しずつ悪くなっていきました。真緒が仕事中に動けなくなったために、先輩の新藤(玉山鉄二)が送っていく途中、もう大丈夫という真緒がタクシーを降りたのは江の島でした。江の島の奥の古びた一軒家に向かう真緒は、猫に囲まれた老婆(夏木マリ)と話し込むのです。老婆は「もう時間は無い。年を越すのは無理だろう」と言います。

真緒は浩介に今すぐ旅行に行きたいと言いますが、浩介は年内は休めないと返事します。ある日、隣の部屋から助けを呼ぶ声が聞こえてきました。隣のこどもが4階のベランダから落ち、母親が必死で手を掴んでいたのです。浩介は助けようと手を差し出しますが、こどもは母親の手から滑り落ちてしまいました。

その時、真緒がベランダから飛び出しこどもを抱きかかえて一緒に落下しますが、地上に降り立った二人は無傷でした。そして、そのまま真緒は姿を消してしまいます。浩介は真緒の行方を捜しますが、誰もが真緒を知らないと言うのです。

序盤から真緒の正体は少しずつ小出しになっているので、誰でも気がつくと思います。中学時代の浩介と真緒を演じるのは北村拓海と葵わかなで、感情を共有するため中学時代のシーンの撮影でも松本と上野は参加していたそうです。浩介の弟で菅田将暉が顔を出しています。

恋愛ドラマとしては、お互いに口に出すことは無く少しずつ想いが伝わっていく感じが好ましいのですが、ファンタジードラマとしては、どうしてもちょっとひっかかるところが悩みの種です。原作がそうだからしょうがないのですけど、そのまま普通の「男女」の物語であれば最後で泣ける気がしました。

2025年1月8日水曜日

奈緒子 (2008)

上野樹里が最初に知られるようになったのは「スイング・ガール(2004)」で、人気が定着したのが「のだめカンタービレ(2006~2010)」だろうと思います。これらがコメディだったのと、特に「のだめ」はマンガ感満載だったので、コメディエンヌとしてのイメージが強くなったかもしれません。

しかし、実はかなり演技に真面目に取り組むようで、共演者との役柄に対する議論などはすごいというエピソードはたくさんあるようです。2011年の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」で主演してからはコメディはほぼ無くなり、以後はマイペースで納得できる役に絞っている感じがします。特に「監察医 朝顔」のシリーズは、おそらく代表作として記憶に残るヒューマン・ドラマとなりました。

演技派として開眼するきっかけになったのは・・・ドラマ「ラスト・フレンズ(2008)」あたりからかもしれないのですが、映画としてはこの作品をあげておきたい。原作は、坂田信弘原作・中原裕作画による漫画で、監督は古厩智之、脚本は林民夫、古厩智之、長尾洋平が共同で書いています。

篠宮奈緒子(上野樹里)は、小学4年生の時に両親と波切島を訪れた際に、誤って船から海に転落し、助けに飛び込んだ壱岐健介に助けられますが、健介は亡くなってしまいました。高校生になった奈緒子は、陸上競技大会の手伝いをしていて偶然に健介の息子、壱岐雄介(三浦春馬)と再会します。雄介は「日本海の疾風」と評判の短距離選手に成長していましたが、これからは駅伝を走りたいと思っていました。

西浦天宣先生(笑福亭鶴瓶)が指導する波切高校の駅伝部は、県大会に出場しアンカーの雄介が追い上げます。自分でも説明しきれない思いに駆られ、雄介を応援しようとやってきた奈緒子は、給水ポイントを手伝うことになります。走ってきた雄介にボトルを手渡そうとしますが、雄介は父の死の原因となった奈緒子であることに気がつき手を出しませんでした。そのため、脱水で倒れてしまうのでした。

西浦は雄介も奈緒子も、ずっと時間が止まったままだと考え、奈緒子に駅伝部の夏合宿を手伝ってくれないかと手紙を渡します。合宿にやってきた奈緒子は、雄介の実力があり過ぎて、他の部員との関係がうまくいっていないことを知ります。しかし、西浦の厳しい指導のもと、それぞれが走ることへの情熱を高めていくのでした。

この原作は珍しく、連載時に最初の方だけ読んだ事があります。もう30年くらい前の事ですから、ほとんど覚えていませんが、おそらく映画ではかなりエピソードを絞っていると思われます。原作をよく知っている方からは、不満が出るかもしれません。

物語の核となる奈緒子の負い目と父親を失った雄介の喪失感に特化した構成にしたことは、映画としては悪くないと思います。しかし、最後に駅伝大会の様子を持ってきたことで、本来描くべき二人の関係性修復とあらためて前に進みだすいうヒューマン・ドラマよりもスポ根ドラマの部分が強く出過ぎてしまった感じがするのが残念です。

上野樹里と三浦春馬の演技は微妙な心情をよく表現しているし、厳しくも思いやりのある笑福亭鶴瓶もなかなか頑張っているところは見所になっていますので、もっとキャストを信じた作りでも良かったように思いました。

2025年1月7日火曜日

笑う大天使 (2006)

ここで「大天使」はガブリエル、ラファエルではなく、ミカエルのこと。川原泉のコメディ・マンガが原作。監督は小田一生、脚本は小田と吉村元希が共同で担当。いきなりですが、この映画は・・・かなりひどい。今となっては豪華なキャストだけが見物と言っても過言ではありません。

母(手塚理美)が亡くなり独りぼっちになった史緒(上野樹里)は、実は大富豪の司城家の娘でした。兄の一臣(伊勢谷友介)が迎えに来て、普通の高校から超お嬢様学校である聖ミカエル学園に転入することになりました。

あまりの窮屈さに史緒は、校庭のはずれでこっそりとお湯を沸かしてチキンラーメンを食べていたところを、探しに来た斉木和音(関めぐみ)と更科柚(平愛理)子に見つかってしまいます。二人ともお嬢さんをするのが面倒だったので、三人は意気投合。ところがお湯を沸かすための焚火が燃え上がってしまい、消火のためにたまたまそこにあった「何か」をかけたところ煙が立ち込め、三人は人並外れたパワーを身につけてしまいます。

その頃、各地でお嬢様が誘拐される事件が頻発していましたが、三人の同級生たちも急に行方不明になってしまいました。船に乗せられ外国に売られてしまうことがわかった三人は、超人パワーで同級生を救い出すことにするのです。

随所にCGが用いられていますが、かなりショボい。ストーリーも原作を知らない者としては、あまりにも話が飛躍してしまい、何だかわかったようなわからないような・・・

最後に誘拐犯たちと戦うのですが、上野樹里もまぁそれなりにアクションをこなしたところは新鮮な驚きでした。しかし、最後に戦隊物みたいに巨大化してしまうのは笑うに笑えない。巨大化上野樹里はCGのようですが、ちょっと不気味。上野樹里の関西弁は流暢だなと思ったら、兵庫県出身なのでネイティブということですね。

とにかく映画としては、かなりひどいもので、褒めれるところがほぼ無い作品です。

2025年1月6日月曜日

仕事始め


今年は5日が日曜日だったので・・・

すみません。本日、6日が仕事始めになります。

元旦は、自宅近くの神社とクリニック近くの杉山神社(都筑中央公園)にお詣りしました。

朝早くから、杉山神社には多くの老若男女が集まっていました。自分も健康一番をお願いしました。

たっぷりと休ませていただきましたが、ほとんど毎日掃除をしていて終わってしまいました。45Lゴミ袋が4つ作ってしまい、一度には出せません。

さてさて、また1年の始まりです。

2025年1月5日日曜日

夏への扉 -キミのいる未来へ (2021)

タイム・トラベルを扱った古典的SF小説と言えば、最初に思い出すのはH.G.ウェルズの「タイム・マシン(1895)」が、そのものズバリのタイトルで有名です。その後、いろいろなSF小説が発表されましたが、1956年にロバート.A.ハインラインが発表した「夏への扉 (The Door into Summer」も、タイム・トラベルを扱った古典的傑作という評価をされています。

何しろ時間の壁を破るために、タイム・マシンと冷凍睡眠という二つの方法を駆使するというアイデアが秀逸です。タイトルは飼い猫が探しているものの象徴で、希望や夢をあきらめずに扉を探し続ければ、その向こうに必ず幸福があるというような意味を持っています。

この原作を舞台を日本に移して翻案したのがこの映画で、監督は三木孝浩、脚本は「浅田家」の菅野友恵が担当しています。作品中にMr.Childrenの「CROSS ROAD」が効果的に使われています。

両親を失った高倉宗一郎(山崎賢人)は、捨て猫を拾いピートと名付けました。父親の親友だった松下博士に引き取られ、松下の娘の璃子(清原果耶)と伴に平穏に育てられました。博士の指導で、宗一郎はみるみるロボット工学の知識を身につけていきますが、飛行機事故で松下夫妻が突然亡くなるのです。

璃子は叔父の和人(眞島秀和)に引き取られ、宗一郎は再びピートと暮らすことになります。宗一郎が研究中のヒューマノイド・ロボットは、秀人と設立したFWE社で商品化する計画でしたが、和人の愛人である白石鈴(夏菜)が巧妙に宗一郎の持株を貰い受け、和人と結託して宗一郎を会社から追放してしまうのです。


何度も大事なものを失い、打ちひしがれた宗一郎は冷凍睡眠を提供している保険会社を訪れますが、現実逃避の冷凍睡眠を好ましく思わない担当医(野間口徹)に、もう一日よく考えて見ろとアドバイスされます。

鈴と会った宗一郎は、法的には勝てないが、マスコミにすべてを話して会社の信頼を失墜させてみせると言いますが、逆に鈴によって薬を打たれ昏睡に陥ってしまうのでした。カバンから飛び出したピートが鈴の手をひっかいて逃げ出し、鈴は追いかけて外を見ると、宗一郎が運転して来た車が走り去っていくのでした。その頃璃子は和人と鈴の計画を知り、宗一郎に知らせるため自宅に向かっていましたが、その璃子に向かって一台の車が急接近してきたのです。

・・・と、まぁ、ここまでは直接的なタイム・トラベルは無いんですが、これ以上はネタバレになるのでやめときますが、おおざっぱに書いておくと、冷凍睡眠で30年後に目覚める宗一郎は、タイムマシンで30年前に戻ってくるために話がややこしくなるということです。

主な事件が発生するのは1995年という設定で、30年後という2025年、今年です。映画公開は2021年ですから、さすがに突拍子もない未来像は描けなかったと見えて、現実的なモダンな建物だったり部屋だったり、または時代に取り残された昭和感のある場所が出てきたりします。

過去に戻って、いろいろ行動を起こすわけですから、未来が変わってしまうというタイム・パラドックスが生じるわけですが、そういう意味ではタイム・トラベルというよりはタイム・ループという表現の方が近いかもしれません。宗一郎に恋する高校生の璃子が、時間を操ることでその想いを叶えるというのも、まぁ。ハッピーなら許せるということですかね。

それまでヴィジュアルから「やさしい男子」という役柄が多かった山崎賢人は、「キングダム(2019)」で新しい魅力を身につけました。ここではやさしいけど「逆境に抗う男子」になった感じがします。藤木直人が、感情が無いヒューマノイドを演じます。夏菜の30年後はかなりショッキングなので、ファンの方は要注意です。

2025年1月4日土曜日

サマータイムマシン・ブルース (2005)

タイムマシンが登場する邦画としては、傑作と評される作品ですが、これをSFと呼ぶのはちょっと気が引ける。どちらかというと、ある夏休みに7人の男女の大学生が織りなす青春コメディ・ドラマという方が相応しい。劇団ヨーロッパ企画主宰の上田誠が書いた舞台劇が原作で、これを「踊る大捜査線」の本広克行が監督し、上田誠自身が脚本を担当しています。

SFが何の略かも知らない部員ばかりが集まったSF研。メンバーは甲本拓馬(瑛太)、新見優(与座嘉秋)、小泉俊介(川岡大次郎)、石松大吾(ムロツヨシ)、曽我淳(永野宗典)の5人で、部室の奥はカメラクラブ部が共用していて暗室になっています。カメラクラブ部の部員は柴田春華(上野樹里)、伊藤唯(真木よう子)の女性二人だけ。

伊藤の被写体になるリクエストで、SF研はろくにできない野球をして汗をかくと、町の銭湯に向かいます。ところが新見が自分専用で持参したシャンプーが忽然と消えてしまいます。部室に戻ると、遅れて甲本が現れますが、皆に囃し立てられますが何かわけがわかっていない様子。大騒ぎをしていると、コーラがこぼれてエアコンのリモコンが壊れてしまいます。

部室が蒸し風呂のようになり、彼らはリモコンを何とかしようと考えます。そして、新見と小泉と石松が部室に戻ると、大きな機械が出現していました。操作パネルの様子から、これはタイムマシンではないかと考えた彼らは、壊れる前のリモコンを手に入れるため昨日に設定してスイッチを入れてしまいます。

そして、本当に昨日に戻った3人はリモコンを手に入れますが、ちょうどそこへ野球を終えた昨日の自分たちが戻ってきます。新見は銭湯に行く彼らをつけていきます。そしてシャンプーが無くなるならと、自分で回収してしまいます。その頃、残りの者はSF研の顧問、穂積(佐々木蔵之介)から過去を変えることのリスクについて説明されていました。

小泉と石松は、マシンだけを皆も来いとメモをつけて今日に戻してきました。リモコンを未来に持ってきてはいけないと焦った甲本と曽我は昨日に向かうのです。

何しろ、確実に自分たちが存在している昨日と今日と間を頻繁に行き来するのだから、目まぐるしいことこの上ない。しっかり、気を抜かずに見ていないと訳がわからなくなことは間違いありません。そこさえクリアできれば、この考え込まれた複雑なプロットが実に面白い。

まだまだ新進気鋭の瑛太、上野樹里、真木よう子、ムロツヨシなど若手俳優も魅力的です。彼らをまとめ上げる本広監督もさすがにこの頃は勢いがありました。ロケは香川県善通寺市の四国学院大学のキャンパスを中心に行われ、タイムトリップの名作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」へのオマージュも随所に見られます。

2025年1月3日金曜日

バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 (2007)

世にいう「バブル景気」とは、1986年~1991年の日本での経済拡大期間のこと。土地価格や株価などの資産が急速に高騰し、人々は好景気に浮かれたわけですが、政府が1990年に土地関連融資を金融機関の貸し出し比率の伸び率を下回るように規制(総量規制)したことにより、急激な景気後退を招きバブルが崩壊する引き金になりました。

実は、自分はバブルをまったくと言っていいほど実感していません。何故なら、この期間はまさに研修医として、ほとんど家と病院を往復するだけで精一杯の生活をしていたから。この間に有名になった尾崎豊などは、「それは誰?」という感じで、亡くなっても何で世間が騒ぐのか理解できなかったものです。

そんなわけで、このバブル期を象徴的に描いた映画については、ほとんど別世界の話みたいなもので、ほとんど懐かしさなどは感じないわけで、単なるタイム・トリップ物以上でも以下でもないというところ。

話を作ったのは、ホイチョイ・プロダクションズ。馬場康夫を中心としたクリエーター集団で、その人気の原点はマンガ連載された「気まぐれコンセプト(1984)」で、さすがにこれは知っていました。その後は、まさにバブルに基づくミーハー文化を絵に書いたような映画を立て続けに製作していました。本作も馬場康夫が監督し、脚本は「踊る大捜査線シリーズ」の君塚良一が担当しています。

1990年、大蔵省の芹沢金融局長(伊武雅刀)は、バブルにより地価が高騰し人々が家が持てなくなったことへの対策として総量規制を発表したため、その後日本経済は急速に停滞し、2007年の時点では借金が膨らみ数年後には国が崩壊する危険が迫っていました。

財務省の下川路功(阿部寛)は、昔の恋人で電機メーカーの開発を担当する田中真理子(薬師丸ひろ子)が、偶然にドラム式洗濯機がタイムマシンとして機能することを発見したことを知り、1990年に戻って総量規制を阻止しようと計画します。しかし、トリップした真理子は定期的に昔の新聞に写真を乗せることで無事を知らせていましたが、突然消息不明になってしまいます。

母が急にいなくなって死んだものと思っていた娘の真弓(広末涼子)は、下川路から真理子の救出とバブル崩壊阻止の使命を託されます。1990年にトリップした真弓は、あまりの浮かれる人々に驚き、大蔵省官僚だった頃の下川路に助けを求めます。しかし、当時の下川路は、女と見れば誰にでも声をかける軽薄な男で、当然、真弓の話など全く信用しようとしません。

2人がティラミスを食べていると、そこへ1990年の真理子が飛び込んできます。真理子は自分を見張る連中がいるのはあなたの差し金なのかと、下川路を問い詰めます。そして、黙っていたけどあなたとの子を育てているんだから放っておいてと言うのでした。

やっと真弓が真理子の子であり、そして自分が父親だということがわかった下川路は、真弓と真理子を守るため立ち上がるのでした。

そもそも過去に起こったことを積極的に変えようというのですから、タイム・トリップの原則はほとんど無視しているストーリーで、ホイチョイが昔を懐かしんでバブルを描くためにとってつけたようなもの。ですから、あまり細かいことは気にしていたらダメダメな映画です。

バブルを享受した方は昔を懐かしめばいいし、現代の若者や自分のようなバブルを実体験しなかった者はそんな時代があったのかという思いで見るしかありません。バブルを象徴するようなタレントもカメオ出演していて、見ればそれなりに大変楽しい映画です。

2025年1月2日木曜日

オリジナルで勝負する脚本家たち

昨年もたくさん映画を見て、その覚書をここに書き綴ってきましたが、去年の収穫は監督だけではなく脚本家の仕事の重要性を再認識したこと。

ほとんどの映画では原作があったりするものですが、昨今はそのほとんどがマンガになってしまっていることはちょっと心配です。何故なら、マンガを否定するつもりは毛頭ありませんが、マンガはすでに視覚的イメージができているため、実写化された場合の評価が難しくなってしまうからです。

もちろん、小説だとしても、読者には一定の映像が浮かんできているかもしれませんが、マンガはその比ではありません。大袈裟な言い方をすれば、文字文化の衰退、さらに云えば本を読まなくなってきた日本人は、次第にイマジネーションが衰退していくのではないかと心配になります。

まぁ、そんな偉そうなことを言える立場ではないことは重々承知なんですが、商業文化である映画産業がヒットした作品を映画化するのは当然ということでしょう。膨大な製作費をかき集め、それを上回る興行収入を得るためには、すでに高い評価を得ている素材を使った方が失敗が少ないと考えるのは間違ってはいません。

そういう意味でオリジナルの脚本を書き上げる方々というのは本当に、すごい人たちだなと思います。過去には山田太一、向田邦子といったピッグネームも存在していました。まだまだ把握しきれていませんが、現代ではそのごく一部の作品しか知らないのですが、昨年「ラストマイル」で注目された野木亜紀子を筆頭に、オリジナル作品を中心に執筆されている脚本家は注目に値することを知りました。

野木作品は、映画では「ラストマイル」が初めてですが、テレビドラマでは2018年の「アンナチュラル」から始まり、「獣になれない私たち」、「フェイクニュース」、「コタキ兄弟と四苦八苦」、「MIU404」、「フェンス」、「海に眠るダイアモンド」、そして本日放送の「スロウトレイン」とすべてがオリジナル作品です。

岡田惠和も、主として恋愛物を中心にコンスタントにオリジナル作品を執筆しています。特に注目度が高くなっているのが宮藤官九郎。昨年は「不適切にもほどがある」、「新宿野戦病院」の2つオリジナルのテレビドラマで注目されました。

古沢良太はドラマでは「リーガル・ハイ」や「コンフィデンスマンJP」といったヒット作を生み出し、映画でも「ミックス。」、「レジェンド・バタフライ」といったヒット作も書き、一作一作が注目される活躍をしています。

作品にムラがあるように思いますが、三谷幸喜も監督兼任でまさに自分の脚本を映像化しています。テレビでは、「新選組」、「真田丸」、そして「鎌倉殿の十三人」と3本の大河ドラマを書いており、映画では独特のギャグをふんだんに織り込んでいて、その力量は認めざるをえません。

文字文化だけを評価する芥川賞や直木賞は、ある意味、現代ではじり貧になるかもしれません。映像こみで届けられる映画やドラマが、文芸の中心的な担い手になるチャンスがある時代に、オリジナル脚本で勝負できる人材が増えることはとても重要な事のように思います。

2025年1月1日水曜日

謹賀新年 2025


あけまして おめでとうございます
  今年もよろしく お願いいたします

            平成7年元旦


2025年・・・いつも思い出すのは、スタンリー・キューブリック監督が描いた「2001年宇宙の旅」という映画。

1968年に公開されたあの映画は、33年後の世界を想像させるものでしたが、2001年からは四半世紀、映画公開からは半世紀以上が経っても、現実ははるかに遅れています。

自分が生きている間には、とても実現しそうもない、おそらくさらに半世紀くらい先の未来予想図なのかもしれません。

もっとも、20世紀末から急速に普及したコンピュータとネットワーク環境は、よくも悪くも我々の暮らしを大きく変化させたことは間違いありません。

これらの技術は、人々がまだまだ使いきれていないところもありそうで、人類の未来にどのような影響があるのか未知数の部分が大きい・・・

なんちゃって、まぁ、人類は賢い生き物だと信じて、今年は良い年になることを切に切に願いたいと思います。