2025年5月24日土曜日

旅猫リポート (2018)

「図書館戦争」の有川浩の小説が原作で、猫好きの青年が自分の生い立ちを猫と一緒に振り返り、もう涙なくしては見れない泣きの映画です。脚本は、原作者の有川浩と山田洋二監督作品の脚本を数多く手掛ける平松由美子が担当し、「弱虫ペダル」の三木康一郎が監督をしています。

宮脇悟(福士蒼汰)は、飼い猫のナナ(声・高畑充希)と共に車で旅に出ます。ナナはもともと野良猫でしたが、悟はしょっちゅう食べ物を分けてくれていました。ある時、交通事故にあったナナを悟が病院に連れて行き、それ以来ナナは悟の飼い猫になったのです。

ある事情でナナを飼うことができなくなった悟は、最初にナナを預かっても良いという小学校の時の友人だった澤田幸介(山本涼介)のもとに向かいます。幸介の父親は、幸介が拾った猫を飼うことを許さないため、ハチと名付けたその猫は悟の家で飼うことになり、家族の一員として大事に育てられました。

しかし、悟が修学旅行に出かけているとき、悟の両親が交通事故で二人とも亡くなってしまいます。親類が悟の処遇をなすり合いしている中で、母親の妹、法子(竹内結子)が毅然と引き取りを宣言するのでした。しかし、裁判官の仕事をしている法子は転勤が頻繁で猫を飼うことができないため、ハチは高松の遠縁に預けることになりました。

いまだに父親との関係がよくない幸介は、そのため妻も実家に帰っていたのです。ナナがいれば妻も考え直してくれるかもしれないと話すのですが、悟はそれならハチとの一件を引きづらないように、まったく新しい真っ新な猫を奥さんと探した方が良いと言ってナナを連れ帰ります。

預かりを申し出てくれた中学の友人は、たまたま飼い猫が増えてしまったので数か月待ってほしいと言ってきました。高校の友人だった、今では夫婦で動物ペンションを営む杉修介(大野拓朗)と千佳子(広瀬アリス)を訪ねます。

夏休みに高松にハチに会いに行くための資金を集めたい悟は、修介と一緒に千佳子の家の茶畑の手伝いをしたことがありました。その時に、ハチが事故で死んだことを知らされ、高松にはいく必要がなくなったという悟に、千佳子はちゃんとお別れをしに高松に行かなくては駄目だと言うのでした。

二人はナナを歓迎してくれましたが、修介が飼っている犬とナナがどうしても合いそうになく、無理と判断した悟は再びをナナを連れて法子の家に向かうのでした。法子は悟とナナのために、転勤のない弁護士に転職していたのです。しかし、悟に残されている時間はあまり無かったのです。

劇中で悟は大変な十字架を背負っていたことが明かされ、それでも両親や法子、たくさんの友人たち、そしてハチとナナに巡り合えたことで幸せに暮らしてきたことがわかります。猫は「家につく」と言いますが、ここに登場するハチとナナはいずれも悟にしっかりつくことで、お互いに信頼と愛情を持つ存在になっています。

まぁ、話としては作り過ぎというところはありますし、想定通りの結末に向かって話が進行していくところは、ひねりも何もありません。大事にしている猫を何で手放すのかという謎が少しずつ伝わって来て、わかっていても不覚にも心を動かされてしまいます。

ちょっとだけ残念なのは、猫の演技があと少し頑張れていればよかったかなと(作り手の忍耐が足りないということ)・・・相手は動物ですから、あまり贅沢なことは望んではいけませんね。それと福士くんが、ちょっと元気すぎるかなとも思いました。

2025年5月23日金曜日

豆腐の蒲焼


これはYouTubeレシピです。さらに元ネタがあるのかもしれません。

使ったのは木綿豆腐。

まず含まれている水分を減らすため、まな板とまな板の間に挟んで1時間ほどかけて、水を抜きます。

もともとの厚みが3cmほどあったものが、半分くらいになれば良しとします。あとは1cmくらいの短冊に切ったら片栗粉をかけて準備OKです。

フライパンに油をひいて、あとはじっくり焼くだけ。両面がきつね色になったら取り出します。

醤油、みりん、酒、砂糖を同量に煮詰めて、ショウガをほんの少し加えて竹を作ります。豆腐を戻してタレを絡めたら出来上がり。

外はかりかり・パリパリで、中はじわーっとして、楽しい食感です。味は、まぁ想像通りですけど、おつまみにもご飯のおかずにもなりますので、リバートリーに採用します。


2025年5月22日木曜日

中島みゆき / 歌会 Vol.1 (2025)

中島みゆきは、札幌の出身で1953年生まれですから、もう今年73歳。初めて知ったのは、1975年のヤマハのポプコン(Popular Song Contest)ですから、もうデヴュー以来の50年の付き合いということになります。

荒井由実に代表されるニューミュージックや吉田拓郎らのフォークソング全盛の時期に、ニューミュージックのような甘い感じがしない、でも普通のフォークとも何かが違うという、まさに中島みゆきワールドが最初期からありました。大半の歌がかっこつけた色恋沙汰がテーマになりますが、中島みゆきが作る歌はラブ・ソングでも人間の業のような深みが感じられるところが「かっこいい」感じがしたものです。

ですから、中島みゆきの歌では歌詞がすごく大事。一つ一つの言葉を噛み締めるような聴き方をしないともったいないので、そういう意味ではややハードルが高いかもしれません。今のようなサブスク中心で歌が使い捨てのように扱われている時代だからこそ、中島みゆきの存在感はより際立ってきているように思います。

本作はコンサートのライブ映像としては、「歌旅(2007)」、「縁会(2012-13」、「一会(2015-16」に続く4作目です。2020年にラスト・ツアーとして初めた「結果オーライ」がコロナ渦により開始してすぐに中止となり、2024年1月~5月に、東京・東京国際フォーラムと大阪・フェスティバルホールで行われた4年ぶりのコンサートを収録しています。

ステージの袖から颯爽と登場する、凛としたみゆき姐さんのかっこよさは健在。「結果オーライ」ツアーのセットリストの最後だった「はじめまして」からスタートして全19曲が歌われてます。歌声や動きはまったく変わりなく、今回も期待を裏切りません。

ただし、さすがに70代となって、良くも悪くもやや年を取ったなという印象はあります。一番の変化はずっと眼鏡を使用していること。ライブだけのことなら眼鏡はいらないと思うので、おそらく歌詞などを表示するモニターを見るためでしょうか。近眼鏡なのか老眼鏡なのかはわかりませんが、これだけで年齢を感じさせてしまうのはもったいなかったと思います。

中島みゆきの映像作品の嬉しいのは、必ず字幕付きで歌詞を確認できること。何て歌っているのかわからない歌手はたくさんいますが、中島みゆきは比較的よく歌詞を聴きとることができます。それでも、文字として表示できるとその内容のより深い理解が可能になりますし、何よりも本人が歌詞を大事にしていることが伝わってきます。

もう一点、毎回ビデオを購入する上で嬉しいのは、収録曲の重複が少ないということ。誰もが知っている一部のヒット曲は何回か登場しますが、ほとんどの曲は過去の映像作品と被りません。ライブと言うと、やたらとベスト盤的な選曲になりがちですが、中島みゆきの場合は、ライブと言えども一つのコンセプト・アルバム的な選曲がなされているのだろうと思います。

小田和正は声が出なくなっているのは明らかだし、吉田拓郎は引退してしまったし、松任谷由実も新作のペースはかなり落ちました。自分の青春時代に色を付けてくれたアーティストたちも、さすがに年老いてしまったのは当然と言えば当然ですが、中島みゆき姐さんはまだまだいけそうな気がするし、いくことを期待します。今回もあえて「Vol.1」としているからには、Vol.2、Vol.3・・・とやって欲しいですね。

2025年5月21日水曜日

ささささんじゅうどぉ~


昨日は、昼過ぎに気温は・・なんと30度にたっしました。
ひぇ~・・・体感温度は34゚cと出ていますが、恐ろしや恐ろしや。

昨年は、5月の最高気温は26.9゚cで、5月中に30゚なんてことはなかった。30゚を初めて超えたのは、6月14日のことです(それでも!!ですが)。

でも、実は2023年は5月に1日だけ30゚越えの日があったんです。とにかく、やばいことに変わりはない。

沖縄より早く九州は梅雨入りしたというし、もう季節はどうなることやら。米が不作なのは、もう従来の栽培方法が通用しないということなんでしょうか。

2025年5月20日火曜日

犬と私の10の約束 (2008)

「犬の十戒」は、世界中で知られるペットの犬と飼い主の約束のようなもので、この映画での主要なテーマとして用いられています。映画に出てきたのは以下の通り。

1 私の話をがまん強く聞いてくださいね
2 私を信じて 私はいつもあなたの味方です
3 私とたくさん遊んで
4 私にも心があることを忘れないで
5 ケンカはやめようね 本気になったら私が勝っちゃうよ
6 言うことを聞かないときは理由があります
7 あなたには学校もあるし友達もいるよね でも私にはあなたしかいません
8 私が年をとっても仲良くしてください
9 私は十年くらいしか生きられません だから一緒にいる時間を大切にしようね
10 あなたとすごした時間を忘れません 私が死ぬ時 おねがいします そばにいてね

川口晴・澤本嘉光が原作と脚本、「釣りバカ日誌」や「超高速! 参勤交代」の本木克英が監督をしています。

函館に住む斎藤あかり(福田麻由子)は、大学病院勤務医の父、斎藤佑市(豊川悦司)と母芙美子(高島礼子)と三人暮らし。ある日、芙美子が病に倒れますが、ちょうど家に舞い込んできたゴールデンリトリバーの子犬をこっそり病院に連れて行きます。

芙美子は、「犬の十戒」を守ってくれたら飼ってもいいと言ってくれたので、ソックスと名付けました。しかし、芙美子はそれから間もなく亡くなってしまいます。あかりはずっと悲しくて寝込んでいたので、首が動かなくなってしまうのですが、ソックスとの遊びの中で回復するのでした。

しばらくして、佑市が札幌の病院に転勤することになり、当面の間は寮に暮らすためソックスを、幼馴染の星進(佐藤祥太)に預けることになりました。しかし、クラシックギターを学んでいた進はパリに留学することになってしまいます。出発の日に佑市は飛行場にあかりを連れて行きます。しかし、途中で病院からの緊急呼び出しのため、あかりだけがタクシーで向かいましたが、間に合いませんでした。

ソックスは進の家を飛び出し函館に帰ろうとしますが、市電に紛れ込んだところを保護されます。あかりと佑市は連絡を受けてソックスを迎えに行くのです。佑市は大事な家族を傷つけたことを深く後悔し、病院を辞めて函館に戻りクリニックを開業することにしました。

獣医学部の大学生になったあかり(田中麗奈)は、進(加瀬亮)が帰国していて函館でリサイタルを開くことを知り、久しぶりに再会するのでした。卒業後、あかりは旭山動物園に就職し、ソックスとは離れ離れの生活になり、忙しさから次第に家に帰る頻度は減ってしまいました。

そんな時に、あかりは進が交通事故にあい、指が上手く動かせなくなっていることを知ります。あかりは、かつて自分もソックスに助けてもらったことを思い出し、進のところにソックスを連れて行き預けるのでした。しかし、ソックスには残された時間はあまりありませんでした。

犬の十戒は、一度でも犬を飼ったことがある人ならば、身につまされる思いになるものだと思います。自分の場合は、最後の戒だけは守れたのですが、他は十分だったと胸をはる自信がありません。

最後にソックスがどうなるのかは、当然想像できるわけですが、それでも犬の演技はかなり泣かせる上等なものです。映画やドラマに登場する動物たちは、本当によく訓練されていると感心します。

ほぼ真ん中あたりで、あかりと進の配役が変わるのですが、どちらも似た雰囲気なのであまり違和感はありません。ちょい悪な役が多い豊川悦司が、むしろとても「お父さん」らしいところが微笑ましい感じがします。

こういう映画を見て素直に感動できる気持ちは忘れないようにしたいと思いました。

2025年5月19日月曜日

旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ (2009)

今でこそ旭山動物園の名前は知らない人はいないくらい有名になりましたが、以前は廃園寸前までになり、スタッフらの努力により復活したというのは、幾多のメディアでも取り上げられました。ここでは、一部オリジナルの部分も加味しつつ、実話に基づいた再生ストーリーが展開されます。脚本は與水泰弘、監督はマキノ雅彦。マキノ雅彦は俳優・津川雅彦の別名で、マキノ雅弘は叔父にあたります。

慢性的な財政難を抱える地方都市、北海道の旭川市では、市営の旭山動物園はお荷物になっていました。極寒の地ですから、冬季は休園となり、市長(平泉成)は園長の滝沢(西田敏行)に毎度嫌味を言うのです。

スタッフは、韮崎(長門裕之)、三谷(六平直政)、柳原(岸部一徳)、臼井(柄本明)らのベテランに、新たに新人として吉田(中村靖日)が加わりました。市長の姪、小川真琴(前田愛)は動物保護運動をしていて、仲間と一緒に旭山動物園に乗り込んできて、「檻に閉じ込めている動物を開放しろ」と叫ぶのです。

滝沢は、強い信念を持って動物園の意義を説き、檻に入れるのは動物たちを守るためであると話します。獣医学部の学生である真琴は、滝沢に共感し卒業すると動物園に就職するのでした。

ゴリラのカップルにこどもができないのは自分のせいと悩んだ柳原は担当から外れますが、間もなくしてメスのゴリラが病死してしまいます。チンパンジーがこどもを産んだことを喜んで、ゾウに報告に行った韮崎は近づきすぎて一撃され亡くなってしまいました。

敷地に侵入したキタキツネが持ち込んだエヒノコックスによって、残ったオスのゴリラが感染症になり死んでしまいます。市はこれ幸いと動物園の廃園を検討し始めます。スタッフは、冬には冬の見せ方があると冬季休園をやめ、夜行性動物を見せるため夜間の開園も行いました。各飼育員それぞれが、得意な動物の話を来園者の前で行うサービスをしたりして、何とか集客を増やそうとします。

町に出て動物園の存続を訴えるビラ配り、学校などを回って動物についての講演を行ったりしましたが、丁度市長が交代になったのを機に、滝沢は大勝負に出ることにするのでした。

こういうちょっと不器用ですが、熱い男を演じさせたら西田敏行はぴか一です。動物たちにも、スタッフにも分け隔てなく接して、信念を貫く園長にはぴったりの配役です。新人飼育員の吉田を演じた中村靖日も、一癖ある役柄ですが、うまくはまっています。

さすがに俳優たちが直接動物に触れるわけにはいきませんから、一部は人形や着ぐるみを使用しているようですが、あまり違和感はなく良く出来ています。動物が出てくる話は、かなり忍耐が必要なことが多いと思いますが、初監督作となったマキノ雅彦は、俳優としての多くの経験からか見事にこなして見せました。

2025年5月18日日曜日

クイール (2004)

2001年に発売された「盲導犬クイールの一生」は、1986年に生まれたラブラドールレトリバーのクイールが、「生みの親」、「育ての親」、「しつけの親」を経て盲導犬に成長し、1998年に亡くなるまでを、写真(秋元良平)と文章(石黒謙吾)で綴り、ベストセラーになりました。

2003年にNHKでドラマ化され、翌年映画版も公開されました。監督は松田優作のボディガードをしていた崔洋一、脚本は松田優作の盟友だった丸山昇一と当時崔の助監督だった中村義洋です。

5匹のラブラドールの子犬が産まれ、飼い主(名取裕子)は是非盲導犬にしたいと盲導犬協会に願い出ます。おなかに鳥が羽(クイール)を広げたようなブチがある一匹が、パピー・ウォーカーである仁井夫妻(香川照之、寺島しのぶ)に託され、人間との信頼関係を作るため「絶対に怒らない」環境で育てられます。

1歳の誕生日に、クイールは仁井夫妻のもとから訓練センターに連れて行かれます。訓練士の多和田(椎名桔平)は、マイペースなクイールに手こずりながらも、クイールの盲導犬としての資質を理解していくのです。

クイールをパートナーにすることになった渡辺満(小林薫)は、糖尿病で失明した頑固者で、はじめは犬に引っ張られるのは御免だと拒否しますが、次第に「クーちゃん」と呼び信頼するようになります。しかし、渡辺の家族にとってはクイールはペットであり、接し方を巡って小さなトラブルが頻発します。

3年目に、渡辺の糖尿病が悪化し透析が始まり、渡辺はクイールと街を歩くことができなくなりました。クイールは訓練センターに戻され、盲導犬のデモンストレーションをする役目をこなしていましたが、渡辺が亡くなったため盲導犬を引退することになります。

クイールは10歳の老犬となり、余生を過ごすため再び仁井夫妻のもとに帰り、大事にされて12歳の生涯を閉じるのでした。

日本の盲導犬の育成をする施設は多くはありません。その中でも、最も大きな施設が横浜市港北区新吉田町にある日本盲導犬協会の神奈川訓練センターです。地理的に近いため、港北ニュータウンでも実地訓練が行われていることが多く、その様子を見かけることがときどきあったりします。

視覚障害者のためのサポートとして、点字ブロックの埋設や音による注意喚起などは、珍しくはありませんが十分とは言えず、盲導犬を必要としている障害者の方は大勢いるそうです。しかし、犬の適性の問題から、実際に活躍できる盲導犬の供給はまったく足りていないのが実情です。

この映画は、クイールをモデルとして盲導犬がたどる一生をわかりやすく描いて見せてくれています。物語としての起伏や感動は必ずしも大きなものではありませんが、盲導犬を育てることの大変さの一端を理解する助けとなることは間違いありません。

健康が当たり前と考えがちですが、障害者の方が少しでも「普通」に生活できるためのパートナーとしての盲導犬の重要性を知るきっかけとして、原作の書籍やこの映画などを色褪せさせないことが大切だと思いました。

2025年5月17日土曜日

犬部! (2021)

片野ゆかの「北里大学獣医学部 犬部」が原作で、青森県十和田市で獣医を目指しつつ犬や猫のために活動するサークルについてのノンフィクションですが、すぐに漫画化されたり、テレビでも取り上げられ注目されました。犬にまつわる活動をして、犬に関連した作品が多い山田あかねが脚本、「真夏のオリオン」の篠原哲雄が監督です。

獣医学部5年生の花井颯太(林遣都)は、動物たちの命を救うことを強く願っていて、たとえ実習といえども犬を実験台にして死なすことはできないのです。教授に頼み込んで実習の代わりに、動物病院で徹底的に見学をしたレポートを提出するのです。

動物愛護センターを訪れ、多くの保護犬が殺処分されていることにも憤りを感じていて、同級生の柴崎涼介(中川大志)と共に子犬を連れて帰りました。花井と柴崎は、猫好きの同級生佐備川よしみ(大原櫻子)、4年生の秋田智彦(浅香航大)らと共に「犬部」を結成し、犬や猫を保護して新たな飼い主に譲渡する活動を始めます。

卒業した花井は東京で小さな動物病院を開業し、動物たちが少しでも元気になるなら、お金にならないこともなんでも引き受けていました。そこへ川瀬美香(田辺桃子)という女性が訪れ、犬たちを助けてほしいというのです。久米(螢雪次朗)が経営しているペットショップでは、久米が犬たちの世話をしなくなりひどい状態になっていたのです。

花井は久米からどうにもできなくなった犬たちを引き取りますが、久米はすぐに警察に窃盗として訴えたため逮捕されてしまうのです。とりあえず釈放された花井は、久米のもとを再度訪れ、話を聞くように言いますが、久米は聞く耳を持ちません。

よしみは大学の研究室に残って、治療薬の開発をしていました。秋田は父の動物病院を手だっていましたが、父親は動物保護については全く理解がありませんでした。花井は二人にも協力してくれるように頼みます。しかし、柴崎は卒業後動物愛護センターに就職し、少しでも殺処分される動物を減らそうと努力していましたが、無力さから次第に精神的に追い詰められ退職していました。

保護犬がどのような運命をたどっているのかという現実はしっかり描かれていて、確かに問題点として重みを感じることができます。多頭飼育による、動物たちの生存環境の崩壊も怖いと思いました。

殺処分される動物には何の罪もなく、そこには人間のエゴもかなりの割合で関与していることは、動物を飼っていない人もしっかりと知っておくべきなのかもしれません。

展開としては、学生時代と社会人になってからが頻繁に交錯するのがわかりづらい。やっていることから今なのか昔なのかわかることはわかるんですが、フラッシュバックの多用はそれほど効果的ではないように感じました。

主人公の動物愛護精神がやや極端なところがやや感情移入しずらいところなんですが、そもそもそんなに無料奉仕ばかりして経済的にはどうなっているのか気になってしまいます。ただし、川瀬美香の正体が判明した時は、けっこう感動的です。

コロナ禍り間に公開された映画はあまり話題になりませんでしたが、良作がたくさん埋もれてしまっているのはもったいないことです。この映画もそんな一本だと思います。

2025年5月16日金曜日

ねことじいちゃん (2019)

原作はねこまきによるコミックエッセイで、「家に帰ると妻が死んだふりをしています」の坪田文が脚本、動物写真家の岩谷光昭が初めて監督を務めています。舞台は愛知県の名古屋のすぐ沖合にある佐久島です。

島で教師を引退し妻(田中裕子)に先立たたれて一人で暮らす春山大吉(立川志の輔)は、飼い猫のタマと悠々自適の生活をしていました。友人は巌さん(小林薫)、高齢のおしゃべり仲間にはサチさん(銀粉蝶)、トメさん(小林トシ江)、そしてトメさんといつも喧嘩ばかりしているたみこさん(田根楽子)などがいました。

ある日、町から引っ越してきた猫好きの美智子(柴咲コウ)が、島でカフェを開きました。カフェはしだいに年寄りの寄り合い場所になり、皆の楽しみが増えました。診療所の若先生(柄本祐)、郵便局ではたらく聡(葉山奨之)ら若者も美智子目当てに出入りしていました。

大吉は、妻の残した書きかけのレシピノートを見つけると、空白のページを埋めるために、美智子や仲間の手を借りて料理に挑戦するのでした。息子の剛(山中崇)は、猫も連れてきていいから一緒に東京で暮らそうと何度も何度も連絡してきます。

聡はみんなが楽しめるイベントをやりたいと美智子に相談し、学校の体育館を借りてダンスパーティを開くことになりました。サチさんは、昔の巌との秘めた思い出があり、心からパーティを楽しみました。引きこもりのたみこをトメさんは強引に誘い出しますが、二人は互いに文句を言いながらも楽しいひと時を過ごすのでした。しかし、それから間もなくサチさんが亡くなってしまうのです。

とにかく、タマをはじめたくさん登場する猫たちの演技達者ぶりには脱帽です。さすが、動物写真のプロを監督に起用しただけのことはある。言ってみれば人間も動物ですから、岩谷監督は初めてにしては美しい風景を織り交ぜながら、人々のさりげない交流の機微をうまく映像化していると思いました。

大々的にすごいことを描いているわけではありませんが、ちょっとした人情、猫情がほのぼのとした雰囲気の中でストーリーに埋め込まれていて、猫好きではなくてもたいへん楽しめる作品になっていると思います。

2025年5月15日木曜日

Leslie Howard / Franz Liszt Complete Piano Music (2011)


クラシック音楽のCDを集めていると、ボックスセットが多くなる。何故つて、とにかく安いからです。昔のレコードの時代も、ポップス・歌謡曲が1枚2000~2500円だったのに対して、クラシックは1000~2000円の者が多かった。CDの時代になっても、ちょっと古い録音で、同じ作曲家や演奏家のものをまとめた全集がたくさん登場しましたが、1枚につき100~200円くらいという価格破壊で、いくらでもボチっとしてしまえそうな感じです。

とはいっても、何年もかかって一枚ずつ作った全集が完成した直後に発売される場合は、そんなにバーゲン価格というわけにはいきません。所有しているボックスセットの中で、一番高価だったのは、国際的に評価が高い鈴木雅明によるバッハのカンタータ全集で55枚組で10万円。一枚1800円くらいなので単売を買うよりは安いとはいえ、これはさすがに悩みまくりました。

じゃあ、一番枚数が多いのはというと、レスリー・ハワードというイギリスの音楽学者兼ピアニストが作り上げた、フランツ・リストの前人未到の記録的なピアノ独奏曲全集で99枚組です。リストと言えば、ショパンと並ぶピアノ・クラシックり巨匠ですが、普通の全集というとCDで15枚ほどです。


それが何で8倍くらいの量になっているかと言うと、異稿、改定稿、他人の曲のピアノ演奏用編曲などを集めまくったから。特に多いのはシューベルトの歌曲や、オペラの有名曲のビアノ独奏版です。一般によく知られている超高難易度の「練習曲集」などは数種類含まれていたりします。

つまり、超超超超超超・・・マニアックな全集なのです。録音としては、ここでしか聞くことができない曲が大量に含まれていて、大百科事典と言っても過言ではありません。

実際どうなのか・・・自分の耳には、どこが違うのかよくわからない同名異曲や、編曲版はあまり面白くはありません。素人の耳にも、とにかく弾いてみた的なやっつけ仕事のような演奏もあったりするので、研究者でもない限りまったく聴く必要はなさそうな感じがします。

購入してから10年以上経ちましたが、正直に言うといまだに有名曲を中心に1/3程度しか聞けていませんし、残りを聴く気力も湧いてきません。こうなると所有欲を満たすだけになってしまっていることは否定できません。

さぞかしプレミア価格になっているかと思うと、Amazonでも現在は中古ですら売られていないのでよくわかりませんが、あまりニーズはなさそうなので期待はできないかもしれません。

2025年5月14日水曜日

電車の広告


GWに東京に出る用事があったので、久しぶりに田園都市線に乗ったんですが、電車内の様子の変化に驚きました。

壁面の挟みまれた広告がほとんど無い。

新型の車両だったのか、広告があった場所には液晶パネルが、ずら~っと並んでいます。順繰りに映し出されているのは短いニュース数篇、天気予報、そして広告です。

ただ、一周3分程度なので、30分ほど乗っている間に同じものが何度も繰り返されるので、いい加減飽きてしまいました。

紙の広告もごくわずかにはありますが、存在感はかなりありません。それにも増して少ないのが中吊り広告、扉と扉の間に1か所しかありません。

コロナ禍の時期に交通機関利用者が激減して、いっきに広告が減ったことはありましたが、おそらくこれをきっかけの一つにして、紙媒体のメディアは激減したのではないでしょうか。

時代の流れ、と言ってしまえばそれまでですが、デジタル好きの昭和人ですけどアナログが無くなっていくのは寂しさを感じます。

2025年5月13日火曜日

茶の味 (2004)

石井克人は、多くのCMディレクターとして活躍していますが、1999年に「鮫肌男と桃尻女」の監督・脚本で注目されました。この映画でも、原作・脚本・監督・編集とほぼすべての役柄をこなして、4年間かけて作り上げています。

里山の町(ロケは栃木県芳賀郡茂木町)を舞台に、春野一家の日常をのんびりと描いています。起承転結は何となく有るような無いような、時々意味不明のシュールなシーンとユーモアを交えながら進行する作品です。

高校1年生の春野一(佐藤貴広)が全力疾走するシーンからスタート。一は片思いの女の子が引っ越してしまい、彼女が乗っている3両編成の電車を追いかけているのですが、間に合うわけもなく、頭の中から電車が飛び出して消えていくのです。

この冒頭からして、何だこれは?!的な状況で、妹の小学生の幸子(坂野真弥)は縁側に座っていて、右を見ると窓からのぞいていた離れのおじいちゃん(我修院達也)が窓を閉める。幸子が見るのをやめるとまた窓が開く、ということを延々と繰り返しています。それとともに、幸子の前には巨大な幸子が出たり引っ込んだりしているのです。

父親のノブオ(三浦友和)は催眠療法士で、母親の美子(手塚理美)は家でアニメーターの仕事をしています。おじいさんは急に独特な歌を歌ったり、美子の作画のポーズのアイデアを実演したりする、それなりに変わり者。

美子の弟で東京で録音技師をしているアヤノ(浅野忠信)が、しはらく同居していて、こどもたちに呪いの森の話をします。それはアヤノが小学生の時、森で土に半分だけ埋まっている卵を発見して、その上に野糞をしたら、血だらけの刺青をした男がいつも自分の周りに現れるようになったというもの。しばらくしてまったく姿を見せなくなったのですが、実はそれは人の頭蓋骨で、発見され上に乗っていた糞が取り除かれたため成仏できたらしい。

幸子は逆上がりが出来るようになりたくて、林の奥の今は立ち入り禁止になっている公園で練習をしています。もしかしたら、アヤノの話のように逆上がりが出来れば、巨大化した自分は現れなくなるかもという淡い期待を持っていました。

ノブオの弟の一騎(轟木一騎)も東京で漫画家になっていましたが、自分の誕生日祝い用だっと言って、アヤノの手伝ってもらい、おじいちゃんも巻き込んで「山よ、山よ・・・」と叫ぶ変な歌を作り上げました。

学校に鈴石アオイ(土屋アンナ)が転校してきて、一は一目惚れしてしまいます。アオイが囲碁部に入部したことを知ると、日頃からノブオやアヤノと碁を打っていたので、かぜんやる気を出した一も入部します。やっと、一はアオイと対局することができて嬉しくてしょうがない。帰り道は、雨が降っていて相合傘。バス停で別れるとき、一はアオイに傘を渡して、雨の中を嬉しそうに走り出すのでした。


・・・というシーンがこれなんですが、まぁ、実に楽しそうだこと。

美子の仕事は大成功で喜んだのも束の間、おじいちゃんが亡くなりました。おじいちゃんは家族の一人一人の様子を大きなパラパラまんがにして残していました。幸子のは、逆上がりができて笑っているものでした。幸子は再び公園に行って練習をしていると、やっとコツがわかって逆上がりに成功します。

すると巨大な幸子は消え、代わりに巨大なヒマワリが登場して、どんどん大きくなって幸子を飲み込み、日本を飲み込み、そして地球も飲み込んでいくのでした。宇宙でヒマワリは飛散すると、あとには美しい夕焼けが広がっていて、それぞれの場所でみんなが心静かに眺めるのでした。

まず、最近よく言われる「伏線回収」とかにこだわる人には絶対無理な映画です。ちょっと幸せな気分になれる何かほのぼのとした時間を過ごしたい方には、超おススメの映画です。美しい風景をたっぷりと見れて、ゆったりとした無駄とも言えるたくさんの間合いは、好きな人にはかなりはまると思います。143分という長めの作品ですが、自分はまったく飽きることなく見ることができました。

俳優さんたちの演技は、実に自然で気負いがなく、もしかしたら脚本にはセリフは書かれていなくて、全部アドリブじゃないかと思えるくらい普通の会話です。当然、説明っぽいセリフも皆無で、映像や前後の展開で見る者が想像することが期待されています。

だからと言って、この映画が描きたいことは何だとか、あまりつきつめて考えない方が良さそうな作品です。それぞれの年齢や立場によって、漠然と抱えている不安みたいなものをパッチワークのようにつなげていったものかもしれません。

2025年5月12日月曜日

チーム・バチスタFINAL ケルベロスの肖像 (2014)

海堂尊原作の医療サスペンス「田口・白鳥シリーズ」の映画化、第3弾です。ただし、前2作と違って、これはテレビドラマ・シリーズの完結編として、テレビからの出演者が登場します。

2008年のseason 1が「チーム・バチスタの栄光」、2009年にスペシャルとして「ナイチンゲールの沈黙」、2010年にSeason 2で「ジェネラル・ルージュの凱旋」、2011年にSeason 3で「アリアドネの弾丸」、2014年にSeason 4で「螺旋迷宮」と続き、そしてFINALとしてこの映画が作られています。

映画は「螺旋迷宮」の流れを引き継いでの解決編と、「ケロべロスの肖像」の事件が同時に進行する形なので、ドラマを見ていないとややついていけないところがあります。テレビでは後藤法子が一貫して脚本を手掛け居て、 今井和久、星野和成らが演出をしていますが、映画でも同じスタッフが担当しています。

東城大学病院では厚生労働省と協力して、世界最高の性能を誇るリヴァイアサンと呼ばれるMRI機器を導入し、アメリカから東堂(生瀬勝久)を招聘してAi(オートプシー・イメージング、屍体の画像診断により解剖で解明できない死因を特定する技術)を積極的に推進する国際Aiセンターの発足が間近に迫っていました。

その頃、厚生労働省からAi推進担当として奔走していた白鳥(仲村トオル)の上司で理解者の船橋が、大学教授、製薬会社役員らと共に全部で9人が密室で謎の死を遂げます。意識不明で1人生き残った榊医師(二階堂智)は東城大学救命センターに運ばれ、速水(西島秀俊)や滝沢(松坂桃李)らの治療を受けることになります。

法医解剖で死因が特定できないため、東堂の進言により始動したばかりのリヴァイアサンでAiを行うと、重水による中毒死であることが判明し、Aiの有効性がはからずも証明されるのです。しかし、不定愁訴外来担当の田口(伊藤淳史)のもとに「センター開設式で、ケロべロスの塔を破壊する」という脅迫状が届くのでした。

田口に接近してきた雑誌記者の別宮(桐谷美玲)は、不審死を遂げた人々が過去の薬害事件の関係者であるといい、わかったことがあれば情報を提供してほしいといいます。白鳥は別宮の態度に不審なものを感じ、彼女もまた母親がその薬害の被害者の一人であったことをつきとめるのです。

阿部寛・竹内結子ペアの映画版に比べると、警察が(形だけですが)絡んでくるのは納得です。伊藤淳史の田口は、竹内結子に比べてかなり活発に行動していて、中村トオルの白鳥は阿部寛に比べてやや横柄さが少ない。テレビ向けに中庸な設定になったのかもしれません。その分、キャラの面白さは阿部・竹内に軍配が上がるように思います。

ただドラマを見ていない立場としては、やはり「螺旋迷宮」の流れが不自然で、一つの映画の中で別々の事件が同時進行しているような印象になるので、どちらかに集中したほうが中身が良くなったのではないかと感じてしまいました。

Aiは原作者がシリーズを通して命題にしているものなんですが、法医解剖よりも優れているのかと言えば、必ずしもそうではないと思います。両者には一長一短があり、相互に補完できるものだと思うので、ちょっと肩入れし過ぎのような気がしました。

2025年5月11日日曜日

肉汁ジュワ~・・・とならないハンバーグ


グルメ番組でハンバーグが紹介されると、もう決まり文句として登場するのが「中からあふれる肉汁」という誉め言葉。

でも、あれって、ふだん肉を煮たりすると出てくる、いわゆる「あく」として捨てまくっているやつです。それをありがたがるなんて・・・とは思いますが、ハンバーグでは実際見た目の美味しさがアップすることは間違いない。

ところが、家で作るとこれがなかなかうまくいかない・・・という経験は、料理する人ならみんな経験するところだと思います。

そもそも、肉は60゚c弱から変性が始まり、温度が上がるにつれて収縮していきます。この時に、肉から染み出る水分、血液、そして融けた油などが混ざり合ったものが肉汁です。

つまり、温度を60~70゚cに保てばいいわけですが、何しろ相手は挽肉です。しっかり中まで火を通すことは衛生管理上必須の事。また、高温で焦げるメイラード反応は、香ばしさをアップして肉料理の美味しさのポイントの一つです。

・・・と、理屈ではわかっているんですが、これが本当羅難しい。

今回はフライパンは使わず、丸めた生のハンバーグの表面を、まずバーナーで表面をあぶりました。これは香ばしさを出すことと、まず表面を収縮させて、中の肉汁が外に出にくくする目的です。

そして、加熱はオーブンを使いました。これがよくわからない。ググると200゚cで15分という目安があったんですが、厚みとかでいくらでも違ってくる。そこで予熱有の200゚cで20分という設定にしてみました。生焼けが怖いので、どうしても長めの時間をしてしまいます。

その結果・・・見事に肉汁は外に出きってしまいました。しっかり中まで火が通りまくった、美味しいハンバーグをいただくことになりました。

2025年5月10日土曜日

ジェネラル・ルージュの凱旋 (2009)

海堂尊のミステリー小説の「田口・白鳥シリーズ」を原作としているのが、映画やテレビドラマとなった「チーム・バチスタ」関連作品です。本作は、シリーズ3作目を原作として、テレビでも2nd seasonとして制作されています。監督は前作に引き続き中村義洋、脚本は斉藤ひろしと中村義洋が担当しました。舞台が同じ東城大学病院なので、1作目のキャストが引き続き登場します。

不定愁訴外来担当の田口公子(竹内結子)は、チーム・バチスタ事件解決の功績からか、不本意ながら病院長(國村隼)から院内倫理委員会委員長に指名されてしまいます。ある日、田口のもとに院内メールとして手書きの告発文が贈られてきました。

告発文には「救命センターの速水晃一(堺雅人)は業者と癒着している。婦長の花房(羽田美智子)も共犯だ」と書かれていました。速水はどんな救急依頼も断らず、ベッドが足りなければ強引に各科に患者を押し付けていくため、センター内からも他の診療科からも嫌われていたのです。

しかたがなく、関係者の聞き取りを始める田口でしたが、たまたま業者の磯部(正名僕蔵)が何かの包みを速水にこっそりと渡しているところを目撃してしまいます。そこへ救急車で運ばれてきたのは、交通事故に遭った厚生労働省技官の白鳥圭輔(阿部寛)でした。白鳥は下肢の骨折でギプスを巻かれて入院となりますが、田口に「俺とところに告発文が来た」というのです。

見ると、その告発文はワープロで作成されていて、ほとんど田口の受け取ったものと一緒の内容でしたが、ただ花房婦長の件は書かれていませんでした。白鳥は田口に、何が起こっているのか、あんたを助けてやると言い出して、車椅子で病院内をうろうろして、例によって関係者に高圧的・威嚇的・攻撃的に質問を浴びせかけるので、田口はひやひやし通しでした。

磯部はソフトボールの試合で田口と対戦した時の写真を、CDROMに入れて田口に渡します。しかし、そのすぐ後に磯部は屋上のヘリポートから転落死するのでした。事故も自殺も考えにくく、殺人の可能性が濃厚になったため、白鳥は経営効率ばかりを口にする三船事務長(尾身としのり)、精神疾患センター設立を画策する沼田(高嶋政伸)らの動向にも注目するのでした。

タイトルは、速水が救命のために「将軍(general)」のように振る舞い指揮をとることからきていますが、「ルージュ」の意味はは本編を見てのお楽しみです(ミステリーには直接関係はありません)。

救急医療は1次(軽傷)、2次(待機できる要入院)、3次(命に関わる、または高度医療が必要)に救急は別れていて、今は病院の能力に応じて救急車を断るということは「合法化」されています。しかし社会的な要請もあって、3次の現場では時には過酷な労働環境を強いられます。反面、患者さんが亡くなってしまうと診療費は回収できない場合も珍しくなく、病院の不採算部門と言われる場合もあります。

また、多くの予定で縛られている各科では、救急が割り込んでくると通常業務を圧迫する要因になることも当然あり、全体のコンセンサスがしっかりとまとまっていない病院では、この作品のベースになるような対立が起こり得るのです。それに対して精神科は、一般には机と椅子と電子カルテがあれば診療が成り立ち、コスパのよい代表的な診療科と言えるので、原作者の取材力の力は評価できるところです。

とは言え、殺人事件が疑われる段階で警察がほぼ登場しないというのは無理があります。白鳥・田口だけで速水の癒着の件の真相を究明するのはいいとして、エンタメ性を濃くするために原作には無い殺人事件を盛り込んだからには警察力は絶対に必要だと思います。

傲慢な白鳥が今回は比較的早くから登場し、お上の意向と関係なく救急に従事するスタッフから軽くあしらわれておちょくられるところは、阿部寛のコミカルな部分がほどよく描かれて楽しい場面になっています。

圧巻は、最後の大規模災害が発生して、病院が一丸となって受け入れるかなり長い時間を使った場面。直接ミステリーとは無関係ですが、救急医療とはどんなものかを端的に描いていて、ストーリー全体の真実味を底上げすることに成功していると思います。

2025年5月9日金曜日

チーム・バチスタの栄光 (2008)

2008年2月に映画が公開され、同じ年の秋ドラマとしてテレビでも放送されました。さらに、矢継ぎ早に映画もテレビを続編を製作したので、ずいぶんとこのタイトルは耳にしました。映画は、斉藤ひろしと蒔田光治が脚本、そして近年のヒット・メーカー、中村義洋が監督しました。

東城大学病院の心臓外科は、バチスタ手術の第一人者である桐生恭一(吉川晃司)を引き抜き、驚異の手術成功率でこの分野で一躍トップに躍り出ました。桐生をトップに、桐生の義弟である病理医の鳴海(池内博之)、バイパス手術の第一人者である垣谷(佐野史郎)、桐生を崇拝する助手の酒井(玉山鉄二)、麻酔科医の氷室(田中直樹)、人工心肺を操る臨床工学士の羽場(田口浩正)、手術室看護師の大友(井川遥)の7人でチーム・バチスタと呼ばれています。

心臓移植の代替として、バチスタ手術は肥大した心臓の壁を部分切除するのですが、成功率は一般に60%と言われていました。チームは成功率100%を誇っていましたが、術中死が3例続けて発生したため、桐生は病院長に調査を願い出ます。不定愁訴外来を担当して、いろいろな患者の愚痴を聞く役目をしていた田口公子(竹内結子)は調査を命じられ、しぶしぶ関係者をまわって話を聞くことにします。

鳴海は元々は優秀な外科医だったのですが、何故か桐生のサポートに徹しているのが不思議。垣谷は桐生が登場したことで、次期教授候補から外れて面白く思っていない。酒井は垣谷を軽視しているし、氷室は他の手術の麻酔もあり疲弊しています。羽場も急に怒り出す性格だし、大友は優秀な前任者と比較されて、感情の起伏が激しい・・・という具合に、全員が何かしら問題があるものの、明らかな原因はわからないままでした。

そこへ突然割り込んできたのが厚生労働省技官の白鳥圭輔(阿部寛)でした。白鳥は田口に、ただ聞いてるだけでは何もわからない、こちらからいろいろ仕掛けて、積極的に態度に出る部分が必要だと言い、再び彼らのもとを回り、かなり高圧的で意地の悪い質問ばかりをするのでした。そして、また次も死人が出るから、それまでに桐生と鳴海の以前の職場を調査すると言っていなくなります。

しかし、次の患者が前日に容態が悪くなったために、緊急にバチスタ手術が行われることになりました。田口も状況を監視する中で、白鳥の予想通り、患者は心拍を再開することなく死亡してしまうのです。

心臓手術は、術中に意図的に心停止を起こさせ、人工心肺によって患者の生命を保ちます。呼吸と心拍が停止している限られた時間内に心臓に対して手術操作を行い、終了したら人工心肺を停止して心拍の再開を待ちます。場合によっては電気ショックを用いるわけですが、この再開するかどうか見守る時間の緊張感はものすごい物だろうと思います。

映画ではこのスリル感はうまく描けているように思いましたが、そもそも何で白鳥がしゃしゃり出て来たのか、そしてそれを殺人だと考える理由などがはっきりしません。また警察ではありませんから、物的証拠は少なく状況証拠の積み重ねで推理していくという状況は、多少もやもやするところがある。

それでも、だれるところはなく、最後まで緊張感を持続させているのは監督の力量というところでしょうか。阿部寛と竹内結子はホームズとワトソンという役回りですが、原作では本来田口は男性です。ただし竹内結子の柔軟な演技力が幸いして、バランスの良いコンビになっているので、テレビの仲村トオルと伊藤淳史とは違った魅力がありました。

2025年5月8日木曜日

メゾン・ド・ヒミコ (2005)

監督は犬童一心、脚本は渡辺あやと言えば、「ジョゼと虎と魚たち」という名作を生みだした二人で、この作品でもゲイのための老人ホームという誰も思いつかない舞台で進行するヒューマン・ドラマを作り上げました。

かつで銀座で人気になったゲイバー「卑弥呼」のママ、吉田照男(田中泯) - 通称ヒミコは、急に店を閉じ、海岸沿いの古いホテルを買い取り、ゲイ専用の老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を始めました。

町の細川塗装で働く吉田沙織(柴咲コウ)のもとに、しつこく電話をしてくる岸本春彦(オダギリジョー)が姿を現し、メゾン・ド・ヒミコで日曜日だけ雑用をするバイトをしてくれないかと頼んできます。実は沙織はヒミコの娘で、母と自分を捨てた父を許せないでいたのです。しかし、ヒミコが末期のガンで死期が近いことから、ヒミコのパートナーである春彦は、何とか父娘の関係を修復したかったのです。

メゾン・ド・ヒミコに通い出した沙織は、住んでいるゲイの老人たちと噛み合わず、時には嫌悪するようなことがありました。しかし、それぞれの老人には、それぞれのこれまでの人生があり、彼らがひたむきに生きてきたことを少しずつ知るのです。

近くの男子中学生たちは、そんな老人たちをバカにしてからかうことがしばしばあり、ついに道に面した壁に悪態を落書きします。沙織は細川専務(西島秀俊)に落書き消しの仕事を依頼します。やって来た細川に春彦は自分がゲイであることを告げ誘いをかけますが、細川は笑って受け流します。

入居者の一人である山崎は、女装をしたいが自信が持てないでいました。沙織は女性でもできない女装があるといい、好きな服や着たい服を着ればいいと話し、女装した山崎を町のクラブに連れ出します。しかし、かつての山崎の部下に見つかり、さんざんバカにされた山崎は倒れこんでしまうのです。沙織は激昂して「謝れ」と迫るのですが、春彦に止められます。そして春彦は沙織にキスをするのでした。

沙織は、ヒミコの持ち物の中から母親の写真を見つけます。それは離婚する前ではなく、比較的新しい写真であることに気がつき驚きます。沙織はヒミコに「母と私を捨ててすまないと思ったことはないのか」と尋ねます。ヒミコは「あなたのことが好きよ」と告白するのでした。

まず、ものすごく静かに時間が進む印象の映画です。音楽を担当したのは細野晴臣ですが、本当に珍しいくらい途中で音楽が流れません。音楽で盛り上げて登場人物の心情を表現してやろうなんていう、多くの映画に登場する姑息な手段を潔いくらい使いません。人物の一言一言、一挙手一投足に多くの意味があり、その合間の無の時間にもいろいろな意味を持たせているようです。

ゲイ専用老人ホームという特殊な環境の下でのストーリーですが、実際は長年のわだかまりを持つ父娘の話であり、弱者となった人々の互いを思いやる心の大切さについての話です。

それにしても、本来舞踏家だった田中泯の演技には脱帽するしかない。俳優としての仕事は2002年の「たそがれ清兵衛」が初めてで、まだまだ「新人俳優」の時期のこの作品で、ヒミコという他のゲイとは一線を画するカリスマ性を見事に演じていると思います。舞踏家として、言葉抜きの全身を使った表現者の面目躍如というところでしょうか。

2025年5月7日水曜日

病院へ行こう (1990)

監督は「おくりびと」の滝田洋二郎、脚本は「私をスキーに連れてって」の一色伸幸です。病院を舞台にしたバブル期の「あほくさい」ややブラックなコメディ・ドラマ。医療の中で起こる様々なことを皮肉っぽく描いています。

広告代理店で働く新谷公平(真田広之)は、仕事を理由に妻の春子(斉藤慶子)のことはほったらかし、愛人を作って好き放題の生活をしていました。ある夜、新谷は帰宅すると春子が見知らぬ男と下着姿で野球拳に興じているところに出くわし、揉み合いとなって階段を転げ落ちて大学病院に搬送されます。その日は春子の誕生日だったのです。

救急の当直だったのは吉川みどり(薬師丸ひろ子)で、点滴すらまともにできない超新米の研修医でした。大腿骨骨折で入院となった新谷の隣のベッドには、なんと如月(大地康雄)という一緒に転落した男が入院していました。そこへ春子が訪れ、新谷には無言で離婚届、如月には「ご迷惑をおかけしました」とお菓子を置いて去っていきます。

手術は無事に終わったものの、仕事のストレス、春子との関係、隣に寝ている如月などのストレスが積もり積もって、新谷は胃潰瘍を発症。自分はガンなのではないかと、さらに疑心暗鬼になっていくのです。

一方、如月は手術せずに快方に向かっていましたが、胸部のレントゲン写真で、怪しい影が見つかるのです。みどりはそのことをまともに伝えられずもじもじした態度をしていたことから、如月はみどりが自分に気があると勘違いしてしまうのでした。

みどりの彼氏役は尾身としのり、同じ病室の個性的な面々には螢雪次朗、ベンガル、荒井注らがにぎやかに登場します。

薬師丸ひろ子は、ブームが落ち着き演技者として成長していく過渡期の作品だと思います。真田広之はアクション俳優として人気が出ましたが、薬師丸より早くに転換期を迎えていて、ここでも新たな一面を見せて楽しませてくれます。

例によって、ちょうどこの映画の次期に研修医をやっていた医療関係者の立場からすると、ずいぶんとあり得ないストーリーを作ったものだと思います。まぁ、ドラマだからと割り切ればいいんですが、どうしてもあらが見えてしまいます。また、この頃の映画の独特のテンポみたいなものがどうしてもピンと来ない。

まぁ、昭和から平成に時代が移り変わる頃の世相を眺める程度にはいいんですが、出演者のファンでなければ見なくても困らない映画の一つというところでしょうか。でも、それなりにうけたということか、小泉今日子主演でPart 2も作られています。

2025年5月6日火曜日

やます家 @ センター南


センター南周辺では、名店「おおつか」が閉店して1年。近場で美味しい蕎麦を食べれないとがっかりしていたんですが、意外と近くに古い店を発見しました。何で今まで見つけられなかったんだろう? と、不思議なんですが、やはりネット検索の穴みたいなものがあるんでしょうね。

と、とうわけで、センター南駅の南東方向、直線距離で500mくらい、茅ケ崎南3丁目の住宅街にある「やます家」さんに出かけました。セブンイレブンの対面の道を入ってすぐなんで、場所はみつけやすい。

外見は古くからありそうな一軒家で、いかにも蕎麦屋と言う感じ。椅子席と座敷の両方があって全部で30席弱くらいでしょうか。初めて行く店では、必ず天ぷらとざるをたべることにしています。なので、今回も注文したのは天ざるで1300円。

蕎麦は白い更科風ですが、太さはあります。やや蕎麦の香りが少ないように思いましたが、すべすべした感じで喉越しの食感は悪くありません。かえしは醤油と出汁のバランスが程よくミックスされ、誰にもうけそうな味です。

天ぷらは、サツマイモ、にんじん、ピーマン、茄子、海老の5品で、しっかり油ぎれしたさくっとした揚げ方はいい感じだと思います。天つゆが別についてきて、これは蕎麦のかえしより甘めになっていました。できれば塩をつけて欲しかった。

昔ながらの街の蕎麦屋としては、十分に及第点の店だと思います。今回は注文しなかった桜海老のかき揚げを食べたくなります。

なお、店主の趣味なのか相撲関連の飾り物がたくさんあって、中には千代の富士(現・九重親方)のサイン色紙、最新の番付表などが目に付きました。おかげで待っている間もいろいろ楽しめました。

もともとは夜も営業していたようですが、「人手不足のため昼間だけ」という張り紙がしてありました。家族営業なのか、継ぐ人がいなければ次第に消えてしまう店なのかな、と思うとちょっと寂しい感じがします。

2025年5月5日月曜日

ラストマイル (2024)

昨年夏の話題作で、脚本・野木亜紀子、監督・塚原あゆ子の鉄壁コンビによる作品で、特に話題になったのはこのコンビによる大ヒット・ドラマ、「アンナチュラル」と「MIU404」と世界観を共有して、それぞれのキャストも登場しました。

巨大通販サイトを運営するDAILY FASTの西武蔵野ロジスティックセンターに、最大の特売期間であるBLACK FRIDAY前日に新しいセンター長として舟渡エレナ(満島ひかり)が赴任してきます。しかし、着任早々、DAILY FASTからの荷物を開封したとたんに次々と爆発する事件が発生し、死亡する人も出てしまいます。

エレナは、チームマネージャーの梨本孔(岡田将生)に、次から次へ指示を出し、絶対に配送作業を止めないと宣言するのです。エレナの上司、統括部長の五十嵐(ディーン・フジオカ)は、事件により作業効率が落ちていることを問題視して、エレナに圧力をかけてきます。

警察の捜査によって、恨みを持つ者として5年前にチームマネージャーをしていた山崎佑(中村倫也)を容疑者とし、機動捜査隊の志摩(星野源)と伊吹(綾野剛)がアパートに踏み込みますが山崎はいませんでした。そして、何と5年前から植物状態で入院し続けている山崎を発見します。山崎は、5年前のBLACK FRIDAY前日にロジスティク内で飛び降り自殺をしたのでした。

エレナが発見したDAYLY FASTの偽サイトの線から、警察は爆弾製造したものを見つけ逮捕することができました。犯人は、頼まれて全部で12個の爆弾を製造したと証言します。すべての商品を検品するしかなくなったエレナは、遅れてでも出荷することに執念を燃やします。

梨本は出荷に執着するエレナに疑問を感じ従業員名簿を調べると、山崎佑のデータがエレナによって消去されていること、そして新センター長は本来別の者が来るはずだったことを知ります。梨本は直接エレナに「あなたは誰なんです」と詰め寄るのでした。

「アンナチュラル」のUDIラボは、爆発で亡くなった方の解剖を担当することで登場します。三澄ミコト(石原さとみ)、中堂系(井浦新)羅お馴染みのメンバーが登場し、事件の真相解明に大いに役立ちます。


野木・塚原チームの仕事としては、物流問題、過重労働問題などを盛り込んでいるところはさすがですが、本来、2時間8分の映画で描くには扱っているテーマは深いし、出てくる謎も多いので、せわしない印象はぬぐえません。1時間ドラマで4-~5回くらいはかけてもいい感じなので、ネット配信とかの方が向いている感じです。

せっかく「アンナチュラル」チームと「MIU404」チームが参加していますが、これも話題性優先で、別に彼らである必然が感じられませんでした。もっとも両ドラマのファンにとっては、出てくるだけで嬉しくなってしまうのは、術策にはまってしまったというところ。

逆に言えば、テンポが良く中だるみしないノン・ストップ・サスペンスという褒め方もできます。通販大好きな身としては、自分が買いまくった裏側で起こっていることの一端を垣間見た感じがしました。

2025年5月4日日曜日

390円のカレーライス


昨今は物価高で、何でもかんでもどんどん値段が高くなって、スーパーに行くたびに驚くことも少なくありません。

この前、家で作るカレーも高級料理になったというような話題をテレビでやってました。カレーライスのような、普通に家で作っ食べるようなものが、1食1000円近くかかるようじゃ確かにおちおちと食べていられない。

もしも外食だとしたら、カレーライスは、いいとこ1000円。家で食べるなら数百円というところじゃないと、なかなかお財布が厳しいことになります。

いつも使っているのはフレーク状になったカレールーなんですが、最新の値段は6皿分で約400円でした(実質、4皿分という感じ)。この前まで300円ちょっとだったような気がするんですけど・・・

ジャガイモ、1個90円。玉ねぎ、1個80円でした。ニンジンは大きめが1本180円ですが、使うのは1/2程度。ジャガイモとニンジンは手頃な大きさに乱切り、タマネギはみじん切りにします。今回はポークカレーにしたいと思いますので、100g200円の肩ロース、300gを一口大に切ります。ここまでで4皿分で860円。

まず、タマネギをしっかり炒めて、いわゆる「飴色タマネギ」にします。この後、ルーをけちるので、ここは手を抜いてはいけません。豚肉を煮てあくを取ったら、炒めたタマネギを投入し、ここでニンニクとショウガを大さじ1くらい加えます。これは絶対に必要。

なお、ジャガイモは普通に煮ると煮崩れて量が減ってしまい寂しい感じになるので、煮る前にフライパンで表面がちょっと焦げる程度に炒めておきます。面倒ですけど、こういう手間も安く美味しく食べるための一工夫です。

肉が柔らかくなったら、ジャガイモとニンジンを追加してさらに煮込みます。頃合いを見て、火を止めたらルーを入れるんですが、いつも1袋全部使うところを、けちって2/3程度にします。その代わりと言っては何ですが、普通のS&Bの赤い缶のカレー粉と普通の小麦粉を少々追加します。ルーを減らした分コクが減るので、飴色になったタマネギのコクとニンニク・ショウガが生きてきます。少し弱火で煮込んだら完成。

ニンニク、ショウガはチューブを使いましたが、それぞれ10円として、ルーは250円です。カレー粉は20円、小麦粉は10円くらいというところ。全部足すと1,160円、1皿分は290円でした。御飯は1人前100円とすると、1皿390円になり、まぁこれなら許容範囲と言えそうですね。

2025年5月3日土曜日

憲法記念日


自分が産まれてこのかた、5月3日はずっと憲法記念日です。

昭和の頃に「明治は遠くなりにけり」とよく言われていたのが、そのまま令和の世では「昭和は遠くなりにけり」になりました。

今年は「昭和百年」とか呼ばれているわけで、そりゃ遠くなるわけだと思います。

現行の日本国憲法が公布されたのが1946年11月3日、施行されたのは1947年5月3日で、今年は施行から78周年。現在のほんどの日本人は旧帝国憲法は知らないし、そもそも「戦争を知らないこどもたち」です。

日本国憲法の原文では、最初のページに現天皇の祖父にあたる裕仁天皇の署名があり
、旧帝国時代を明確に否定する一文が掲げられています。

しかし、現行憲法は時代の変化に伴い、現実にそぐわない部分も出てきていることは否定できません。

日本人に染み付いた日本国憲法の精神は否定されるものではないことはもちろんですが、より国民が生活しやすい改良はあってもよいことだと感じます。

2025年5月2日金曜日

500円のかつ丼


蕎麦屋で食べる丼物の代表は? と聞かれたら、まぁ、かつ丼と答える人が一番多いんじゃないでしょうか。

このところの物価高の影響はひしひしと感じるところですが、外食でかつ丼を食べるとなると、最低でも1000円は覚悟しないといけません。でも、食べたい。じゃあ、作りましょうというわけで考えた。

さすがにとんかつを作る手間は面倒なので、これはお総菜を利用することにします。スーパーで売っている、一枚240円の三元豚かつを買ってきました。

もしもとんかつを自分で作るとなると、大変ですし、片付けの手間も考えると意外と割高だろうと思います。

小さめのフライパンにタマネギ1/2個(40円)と水を入れてひにかけます。味付けは、これも時短でよくある濃縮つゆの素を利用します(10円くらい)。

タマネギが煮えてきたら、とんかつをのせて溶いた卵2個(80円)を上からかけて蓋をして数分間待てば完成です。あー、簡単、簡単。

お米の価格は本当に高騰しました。1合分の米で170円ですが、麦を入れて量増しして炊いたので、丼一人前でだいたい100円くらいになるんでしょうか。

というわけで、だいたい500円弱というところで、美味しくいただきました。満足です。


2025年5月1日木曜日

180円の味噌ラーメン


自分で作ればいいんです。

・・・と、簡単に言いましたけど、実際、そんなに難しいことじゃない。

スーパーに行くと、ラーメンの麺 だけがだいたい4玉280円くらいで売っています。隣には各種のスープが1食100~200円でおいてあるので、これを使えば300円れ以下です。

ただし、300円出すなら2食で400円くらいの麺とスープがセットになっているものの方が安い。

そこで、スープを作ります。

味噌大さじ2杯くらいで30円くらい。鶏ガラスープの素を大さじ1杯で10円。鶏ガラは食塩無しのタイプを使います。よく売っているものは、食塩入りが多いので注意してください。

そして、ニンニクとショウガ少々。チューブタイプを使って、これも10円程度。

あとは全部混ぜて、塩で味を調えます。辛味噌が好きなので、豆板醤とラー油を追加しましたが、それも10円程度のものです。

全部でなんと130円くらいです。コクは足りませんが、十分耐えられる味になります。

トッピングで、もやし、豚ひき肉、長ネギを使いましたが、それもせいぜい50円くらいのものなので、目標の200円以下は十分に達成できました。満足、満足。

2025年4月30日水曜日

鹿男あおによし (2008)

もう、17年も前になるドラマですね。この頃までは某テレビ局も勢いがあって、確かに面白い力の入ったドラマを作っていました。これは「プリンセス・トヨトミ」のようなファンタジー系小説を書く万城目学の小説が原作で、相沢友子が脚本、演出は鈴木雅之が中心になって作られました。

小川孝信(玉木宏)は、生まれてこのかた不運続きで、何事に対しても後ろ向きに考える陰性キャラ。大学の研究室で、何かとトラブルの責任を押し付けられ、教授から君は神経衰弱だと言われ、奈良女学館高校の理科の臨時教員としてていよく追い出されてしまい、付き合っていた彼女にもふられてしまうのです。

飲み屋もしている下宿先には、高校の同僚となる歴史教師の藤原道子(綾瀬はるか)や美術教師の福原重久(佐々木蔵之介)らも住んでいました。担当したクラスには堀田イト(多部未華子)という不思議な生徒がいました。小川の初日に遅刻してきた堀田に理由を聞くと、いきなり「先生は嫌いです」と言われてしまいます。

小川が奈良公園でボーっとしていると、一頭の鹿が近づいてきました。驚いたことに、鹿は小川に話しかけてきたのです。「あんたは運び番に選ばれた。60年に一度の鎮めの儀式をしなければならないので、あんたは狐の使い番から人間がサンカクと呼んでいる目を受け取らなければならない」と言い、最近始まった群発地震は大鯰が暴れているためで、儀式をしないと大鯰の封印が解けて日本は壊滅すると説明しました。

神経がまいっていると自分を納得させる小川ですが、次から次へと起こることで鹿の言うことを信じるしかならなくなります。奈良女学館は、京都女学館、大阪女学館という姉妹校があり、奈良は鹿、京都は狐、そして大阪では鼠が大鯰の尾をおさえる役目を担っていました。

話す鹿は、三校恒例の対抗体育祭で狐の使い番から目を受け取れと言いますが、狐の使い番と思われた京都のマドンナ先生と呼ばれている長岡先生(柴本幸)から小川が受け取ったのは菓子の八つ橋の包みでした。体育祭の優勝盾が三角形であったため、小川はその盾がサンカクだと考えます。自分が顧問になった剣道が優勝の鍵となることから、小川は剣道上級者の堀田を何とか協力させるのです。

様子がおかしい小川を問い詰めた藤原は、小川の説明を信じることにして、サンカク探しに協力するのです。藤原も歴史好きが高じて周りの空気が読めずに、たくさんの失敗をしてきた過去があります。小川への好意が勘違いかもしれないという思いを抱きながらも、二人は消えたサンカクの謎に迫っていくのでした。

素晴らしいのは話す鹿です。これは少しだけ動く全身のものと、話すときのアップ用の首から上だけのアニマトロニクスが製作されています。動き回っているところはCGで作られているという映画ばりの手の込みようです。これが実にリアルで、本当に生きている鹿が演技しているようです。ちなみに、鹿の声を担当しているのは山寺宏一です。

音楽もかっこいい。担当したのは、「仮面ライダー」シリーズや「戦隊もの」で活躍する佐橋俊彦で、ここでもめいはりのきいたびしっとした音楽が実に心憎い。映像は全体に黄色がかった色調に統一されていて、ファンタジー調を強めているのも興味深いところです。

「のだめ」で人気急上昇の玉木宏もさることながら、綾瀬はるかもこの年は映画も多くのりにのっている時期です。他にも話題性のある多部未華子というキャスティングもはまっています。脇を固めているのは、教頭の児玉清、学年主任の篠井英介、校長の田山涼成なとのベテラン勢です。

とにかくドラマとしての出来はかなり高評価できます。邪馬台国や卑弥呼の謎もからまった内容は、単なるミステリー・ファンだけでなくを超えて古代史ファンにも十分に楽しめる内容になっていると思います。ちなみに「あおによし」は、奈良にかかる枕詞で、古都・奈良の美しさを褒めたたえる言葉として使われます。

2025年4月29日火曜日

湯道 (2023)

銭湯を舞台にしたヒューマン・コメディで、湯を極める「湯道」提唱者である放送作家の小山薫堂が企画・脚本を担当し、数々の大ヒットドラマ、そして「マスカレード・ホテル」などの映画に携わった鈴木雅之が監督しました。

東京で個人で建築事務所を営む三浦史朗(生田斗真)は、仕事がうまくいかず実家の銭湯「まるきん温泉」を廃業してマンションにしようと考え戻ってきます。父は2か月前に亡くなり、史朗は葬儀も顔を出さなかったため、今は銭湯を仕切っている弟の悟朗(濱田岳)は冷たくあしらいます。

住み込みの唯一の従業員である秋山いずみ(橋本環奈)は働き者で、まるきん温泉の看板娘になっていました。また父の代から「風呂仙人」と呼んでいる不思議ないで立ちの老人(柄本明)が、無償で薪にする廃材を集めてくれていました。

常連には、朝一に訪れて大声で美声を響かせる小林良子(天童よしみ)、近くの食堂の夫婦(寺島進、戸田恵子)、銭湯に来るのが楽しみな老夫婦(笹野高史、吉行和子)などがいて、さらに風呂にこだわる山岡(浅野和之)、その娘の婚約者アドリアン(厚切りジェイソン)などもいます。

もうじき定年を迎える郵便配達の横山(小日向文世)は、二之湯薫明(角野卓造)が主宰する湯道に参加していて、定年を機に自宅の風呂を檜にしようと計画していましたが、妻と娘たちにはその気持ちを理解してもらえないでいました。湯道は茶道や華道のように風呂を極めることを目的としており、薫明を家元とし、弟子の梶斎秋(窪田正孝)が補佐して、いかにして湯につかることで心の安静を得るかを説くのです。

史朗が銭湯の廃業の話を切り出したことで悟朗と大喧嘩になり、窯場でボヤ騒ぎを起こしてしまい、悟朗は入院してしまいます。しかたがなく史朗は風呂仙人に手ほどきを受けながら、湯を作ることを覚えるようになります。退院した悟朗は、冷静になると確かに銭湯を続けるのは無理だと考えるようになり、父親も廃業するように遺言を遺していたのです。

まるきん温泉がなくるとにショックを受けたいずみは姿を消してしまい、兄弟は横山からいずみが薫明の体験した生涯最高の風呂の話を詳しく聞き出していたことを耳にして、その風呂がある山の中のすでに廃業した茶屋に向かうのでした。

風呂好きにはよく知られた権威のある評論家の太田与一(吉田鋼太郎)は、源泉かけ流し主義を第一とし、温泉でも循環式は否定します。ましてや銭湯が「温泉」と名乗ることなどもってのほかで、昭和の遺物と切り捨てまったく認めようとはしません。太田は、その遺物が今も存在するミステリーを解明するため、まるきん温泉にやって来るのでした。

湯道というのは、当然実在はしないわけですが、昔家を買う時に不動産屋が言っていた、「男性客は風呂、女性客は台所を気に入れば商談成立」という言葉を思い出しました。今は時代も変わって、そんな単純なことではすまないと思いますが、誰でも大なり小なり風呂にはこだわりがあるものです。

ここでは高級料亭のような湯道と居酒屋のような銭湯を対比させて、どちらにも入浴することの幸せがあることを描いています。湯道に偏ると陳腐さがめだってしまいそうなところを、両者の間を横山という一人の人物だけでつなげて、銭湯の良さを中心に展開させたところが上手いと思ました。

ここではいつもコメディ担当の濱田岳が実にかっこよく、むしろかっこいいはずの生田斗真のほうが情けない感じなのも面白い。何をやっても橋本環奈なのはその通りですが、ここでは脇役でちょうど良いくらいの出方になっているので、監督の役者の使い方がさすがというところだと思います。

2025年4月28日月曜日

巫女っちゃけん。 (2018)

韓国人で主としてCMディレクターとして日本で活躍しているグー・スーヨンが監督・脚本を担当した映画で、福岡県福津市の宮地嶽神社の全面的な協力の元作られた作品。

宮地嶽神社の宮司(リリー・フランキー)は離婚して、巫女として神社を手伝う娘のしわす(広瀬アリス)と二人暮らし。しわすは自分が母親に捨てられたトラウマを抱えていて、早く就職して巫女をやめたくてしょうがないので、神に仕える身としてはかなりいい加減な振る舞いが多い。

ある時、参道で放火とみられるボヤ騒ぎがあり、賽銭が度々ぬすまれるようになりました。夜回りをしていたしわすは、その犯人である少年を捕えますが、少年は一言も口をききません。しわすが世話をして神社でしばらく預かることになりましたが、質の悪いいたずらを辞めようとしませんでした。

児童相談所がやっと母親(MEGUMI)を見つけてきて、少年は5歳の健太という名前であることがわかり、母親に引き取られて帰りますが、母親は恋人の前ではいい顔をしますが、健太には強く当たりしばしば暴力を振るっていたのです。

そのことに気がついたしわすは、健太を連れ出しますが、相談所の担当者の前で健太は殴られた顔のあざの犯人としてしわすを指さすのでした。自分ではないと言っても、だれもしわすの言うことには耳を貸そうとしません。しわすは自分を捨てた母親を訪ねることにするのですが、健太も後をついてくるのでした。

まず感心するのは宮地嶽神社というそれなりに全国に名が知れた大きな神社が、よくもまぁこんなに協力したものだということ。神社の俗物的な内情の一端も描かれているので、まずくないのかなぁと心配してしまいます。

それはそれとして、そのような部分をコメディにしつつ、しわすと健太と言う育児放棄された二人と児童虐待と言う社会性の強い問題をさらりと描いた作品ということが言えそうですが、実際にはそれほど堅苦しさはありません。

しわすより巫女らしい巫女、現代風の冷めきった巫女なども出てくるのですが、描き込は少ない。結局のところ、広瀬アリスの豪快でファイト一発的なキャラに頼り切った未熟な人物の成長物語という感じで、期待を裏切らない普通の進行をしています。

広瀬アリスのファンは必見だとは思いますが、映画としては普通で、それ以上でもそれ以下でもないというところでしょうか。

2025年4月27日日曜日

自宅居酒屋 #92 中華サラダ


スーパーのお総菜売り場の定番の一つです。

だいたい、春雨とキュウリが主役で、あとはもやしとかワカメとかが入っていることが多い。ちょっと高級になると、ハムとか錦糸卵、さらにはクラゲなどが登場します。

今回は、少しだけ残っていたキクラゲを入れてますが、基本の春雨・キュウリ・もやしだけです。

甘酸っぱい味付けで、まぁ、嫌いで食べられないという人はあまり見かけません。

フライパンに水を入れて、春雨を煮ます。このままだと長いので、柔らかくなったら料理ばさみで真ん中へんできって2分割しておきます。ついでにもやしとキクラゲも入れて、火が通ったらざるにあげて水で冷やします。

この間に、キュウリを細切りにしておき、味付けの準備をします。

当然誰もが思うのは、醤油・酢・砂糖・ごま油なんですが、これだけだと何か物足りない。醤油や酢が前面に出てとんがった味になってしまう。

そこで、あと一つ。騙されたと思って是非使ってほしいのが、鶏ガラスープの素。できれば塩抜きのものがベスト。これを控えめに混ぜることで、全体がまろやかにまとまり、よりスーパーの味に近づきます。

春雨ともやしは少し絞って水気を減らしてから、全部を混ぜ合わせて、ちょっとゴマをふれば出来上がり。材料さえあれば、10分かからないのでお手軽です。

2025年4月26日土曜日

野菜アヒージョ


アヒージョ(ajillo)は、伝統的なスペイン料理の一つで、食材とニンニクをオリーブオイルで煮込んだもの。

食材の種類は多岐にわたりますが、日本ではシーフードを使用したものが一般的です。エビ、イカ、タコ、貝類などを入れると、食材からの水分と塩気に加えて最高のダシが出て、ほとんど何も加えなくてもメチャメチャ旨い。

今回は野菜メインのアヒージョをやってみました。

ただし、野菜だけだとダシが物足りないので、あくまで味だし用のシーフードとして、少量のヤリイカ、ムキエビ、ホンビノス貝を使っています。

入れた野菜は、ブロッコリー、オクラ、アスパラガス、トマト、ジャガイモ、ピーマン、エリンギ、マッシュルームなどです。煮崩れしない野菜なら何でもOKだと思いますが、特にトマトは天然の「味の素」ですから必須です。

入れたニンニクは3片ほどで、鷹の爪を少量使いました。さすがに味が弱いので、少量の塩を加えました。オリーブオイルは、全体がつかるほど入れるとすごい量になってしまうので、下1/3ほどが漬かるほどにしています。

食材の食感を残るくらいが美味しいので、5~10分ほどで火にかければ出来上がり。薄切りにしたバゲットを用意して、ワインと一緒に食べれば最高のひと時です。

2025年4月25日金曜日

Glenn Gould


伝統と格式を重んじていた20世紀までのクラシック音楽界の中で、グレン・グールドほど異彩を放つ存在は皆無と言ってもよいかもしれません。

それはヨーロッパではなくカナダ出身というところも大いに関係していることだろうと思いますし、隣国のアメリカとの往来が容易であったことで自由な空気に触れることが多かったことも影響したことでしょう。

1932年にトロントに生まれたグールドは、音楽に理解のある両親のもとで幼いうちからピアノに親しみ、わずか13歳でプロ・デヴューを飾り、15歳でリサイタルを開催しました。世界中に名が知れ渡ったのは、1955年に発売されたデヴュー・レコードのJ.S.バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」でした。

この曲は、バッハの時代にならって基本的にはチェンバロで演奏し、最初と最後のメイン・テーマのアリアに挟まれた30の変奏曲からなる曲で、通常1時間以上かかるのが「普通」と思われていたのですが、グールドは何とピアノで快速に飛ばして、わずか38分で弾き切ったのです。しかもペダルを使わないため、その弾むような音色は独特の魅力を放っていました。

さらに同じ演奏技法を駆使して、ベートーヴェン、ハイドン、モーツァルトなどを矢継ぎ早に発表して世界中を驚かせます。そんな中で、自分がバッハのチェンバロ曲を聴きたくて中学1年生の時に買ったレコードが「2声と3声のインベンションとシンフォニア」でした。当然グールドがどんな人か知らないわけで、何でピアノで弾いているの? という違和感で、ほとんど聴きもせず放置してしまいました。

それから時は流れて、2006年、クリニックを開業したすぐ後、グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」の新録音に接する機会があり本当に驚いた。クラシック音楽は楽譜通りに演奏するのだから、誰が演奏しても同じと思って、アドリブ主体のジャズの方に興味が移っていたのですが、この演奏は誰も真似できないグールドのゴールドベルグだと思ったのです。

他の演奏家や他の楽器で奏でられる「ゴールドベルグ」を集めてみると、クラシックと言っても演奏する人が違うとこんなにも違いのかといまさらのように気がつかせてくれたのです。グールド本人の演奏ですら、旧録音(1955年)と新録音(1981年)ではまったくの別の演奏です。

グールドの演奏は奇抜であるとしばしば言われます。モーツァルトのトルコ行進曲は、普通よりかなり遅いのですが、これは行進曲として足を運ぶリズムを合わせたから。ブラームスの協奏曲では、あまりに遅いテンポ設定に、指揮者のバーンスタインがわざわざ「これは私の考えではない」と始まる前にアナウンスするという前代未聞の出来事が記録されています。極めつけは、演奏会を否定して1964年に「コンサート・ドロップアウト」して、以後はスタジオにこもってレコード録音とラジオ・テレビ出演だけで活動したことです。

確かに「普通」ではないかもしれませんが、今のように多様性を認める時代であれば、グールドはもっと楽に生きれたのかもしれません。確かに多くのクラシック演奏家とは違う解釈や弾き方なんですが、一度ファンになると、グールドの音楽は「グールド」という特別なジャンルとして認めざるをえないくらい楽しいのです。

そのほとんどの業績は、CBSレコード(現Sony)に80枚くらいのレコードとして残されています。レコード会社は手を変え品を変えいろいろなフォーマットでグールドの作品を再発売してきましたが、2015年にリマスターされ大きなボックスで「The Complete Columbia Album Collection」で今のところは打ち止めになっています。

自分もゴールドベルグの新録音だけでも4回くらい買わされていますが、さすがにもうこれ以上は必要ありません。その後にゴールドベルグの別テイク集も出ていますが、未完成の部品を聴く意味は感じませんので手を出していません。

グールドは1982年に急逝しましたが、その人生は2つのゴールドベルグの録音に挟まれた、数々の変奏曲のようなものだったのかもしれません。自分の中では、クラシック音楽趣味を復古させた原動力になったグレン・グールドは、今でも時々原点回帰のように聴きたくなる大きな存在と言えます。

2025年4月24日木曜日

自宅居酒屋 #91 ブロッコリーのバター醤油炒め


タイトルがすべてというレシピ。

久しぶりの伝統ある「自宅居酒屋」シリーズに加えていいものか、ちょっと悩みましたが、安い・早い・簡単・旨いという居酒屋メニューとしては、まさにすべての条件を満たしているのでよしとします。

安い。今はブロッコリーが安い。高い時は一株300円近かったのですが、今は200円以下で、スーパーによっては150円くらいのこともあり、この時期、実にお財布に優しい食材です。

早い。10分程度で、ほとんど手間もかかりません。

簡単。ブロッコリーは、生のまま多少こまかく切ります。茎も食べれますから、捨てないでください。バターとにんにく、そしてブロッコリーをフライパンに入れて炒めるだけ。ただし、最初の5分くらいは蓋をして蒸し焼きにしましょう。最後に醤油をかけて味付すればできあがりです。

旨い。食べればわかります。ブロッコリーの食べ方としては、この手があったかとうなること請け合いです。

2025年4月23日水曜日

八重桜


4月の始め前後にいっせいに咲いて、誰もが嬉しくなるサクラはほとんどがソメイヨシノ。ソメイヨシノが散った後に、いよいよ自分たちの出番とばかりに咲き誇るのが八重桜です。

ソメイヨシノと違って、幾重にも花びらが重なってボリューム感があり、色も濃い目です。

八重桜にもいろいろ種類があるようですが、自分が通勤途中に毎年楽しむ街路樹として植えてあるのは、枝が比較的真っすぐ伸びて、ソメイヨシノより小ぶりな大きさのカンザンと呼ばれる品種だと思います。

開花期間も比較的長めなので、楽しめる期間が長いところが嬉しいポイント。

突然ですが、綾瀬はるかが主演した大河ドラマ「八重の桜」なんかを思い出して楽しむのもありかもしれません。

2025年4月22日火曜日

ARC (2021)

原作はケン・リュウ(中国系アメリカ人)の短編小説で、「愚行録」、「ある男」の石川慶が脚本・監督をした近未来SF的な作品です。昨今の日本の映画の中ではいろいろと議論したくなる、ある意味「難解」な映画です。やたらと説明を欲する人や、伏線回収にこだわる人には不評を買うこと請け合いです。コロナ禍での公開だったので、あまり話題にならなかったのが残念。

17歳のリナ(芳根京子)は、男の子を産み落としますが、名前も決まらないうちに両親に預けて姿を消してしまいました。

19歳のリナは、自由奔放。ある時、ボディワークス社を経営するエマ(寺島しのぶ)に拾われ、彼女の下で「プラスティネーション」という技術を習得していきます。プラスティネーションは、死んだ肉体に血液の代わりに特殊なプラスティック樹脂を注入し、遺体をそのまま永久保存するというものでした。

エマの弟であるアマネ(岡田将生)は、プラスティネーションを応用・発展させ、細胞分裂を止めない特殊な培養液を注入することで、永遠に老化しなくなる技術を開発します。エマは引退し、リナからの不老処置の勧めも断ります。

30歳のリナは、アマネと結婚し揃って不老処置を行い、世界初の不老女性となります。エマは自らプラスティネーションを行い、「永遠の命だけが幸せではない」という言葉を残して亡くなります。不老処置は急速に世間に浸透していきますが、処置を受ける人と受けない人に人々を分断していくことになります。信念を理由にする場合もありますが、経済的な理由も大きな要素になっていました。

アマネは瀬戸内海の小島に、不老処置を受けない、受けられない人々が平穏に人生を全うするための施設を開設し、無償で高齢になった人々を受け入れることにします。リナも施設で入居者を世話する生活を続けることになりました。

50歳のリナは、姿は30歳のままでした。しかしアマネに異変が生じます。遺伝子異常により、不老処置の効果が急速に減退し、凍結精子を残して亡くなってしまいます。

85歳のリナは、姿は相変わらず。そして、娘のハルを産みます。しばらくして、施設にリヒト(小林薫)とフミ(風吹ジュン)という高齢夫婦が訪れます。入所したフミは末期がんでしたが、リヒトは自らの意思で不老処置は受けておらず、浜辺の小屋を借りて住むと言い入所しませんでした。

90歳のリナは、何気なくリヒトがハルのスケッチブックに描いた絵を見て、リヒトが自分が17歳の時に産んだ子であることに気がつくのでした。

この映画はカラー映像で、リナが不老処置を受けるまでの前半を時系列に追いかけていきます。しかし、不老処置を受けてからは後半は映像は白黒になり、時折フラッシュバックする過去のシーンだけがカラーになるという作りになっています。

前半では、よくぞ日本にこんな無機質な近未来を想像させる建物があったと思わせるシーンが続きます。これらは香川県庁舎や瀬戸内海歴史民俗資料館などがロケで使われています。後半は、ほとんどが小豆島でのロケですが、白黒であることで未来的ではない島の風景の「今感」を最小限にする効果があるように思います。

カラー映像の中に白黒が混ざるのは、過去の回想とか夢で見たことなどの場合が多いのですが、もしかしたら不老になること自体が「夢」のようなものだというとらえ方をしているのかもしれません。

この映画の究極のテーマは「生と死」であることは間違いなく、「死があるから人は生を大事にする。死ななくするのは生への冒涜ではないか」と言うセリフがあり、それに対してリナに「それは死ぬことが前提の考え方であり、不死になれば意味をなさない」と答えさせています。

しかし、映画の中で不死となった人が増えたことで、出生数は激減し自殺者が増加しているというニュースで語られるように、社会的にも個人的にも必ずしも幸福とは言い切れない状況は現実的に出現しそうな気配です。

プラスティネーションと不老処置という似て非なるものは、死を永遠とするのか生を永遠とするのかという違いがありそうです。ある意味アナログとデジタルの対比にも似ています。というのは、磁気テープにしてもレコードにしても、そしてCDでさえも媒体の経年劣化は避けることができません。

デジタルとして保存すれば、媒体を変え続ければ(まるでクローンのように)永遠保存も可能となります。しかし、音楽については今でもアナログの需要は絶えないし、サブスク中心となったデジタルは使い捨てのような扱いを受けていることは否定できません。

複雑で難解なシチュエーションが続きますが、登場する俳優陣の達者な演技に支えられて、最後まで集中して見続けることができました。特に芳根京子の硬派な演技には驚きました。見た目は30歳なのに中身は90歳、風吹ジュンよりも年上という設定のギャップを抱え、まったく動じない様子は素晴らしいものです。

2025年4月21日月曜日

異動辞令は音楽隊! (2022)

原案、脚本、そして監督を全部手掛けたのは、「ミッドナイトスワン」の内田英治で、タイトルからしてコメディかと思ってしまいますが、内容はヒューマン・ドラマで、予想通りで裏切らない筋書きにもかかわらず、拍手したくなる良作となっています。

捜査一課の刑事、成瀬(阿部寛)は昔ながらのゴリゴリの人物で、犯人逮捕のためなら違法な事でも平気でやってしまうような、今どきのコンプライアンスのかけらもありません。バディの坂本(磯村勇斗)も、とてもついていけないと困惑するばかりの毎日です。家族は、あきれた妻には別れられ、娘の法子(見上愛)にも愛想をつかされ、認知症の母(倍賞美津子)と二人暮らし。

投書によって傍若無人の振る舞いが上の知るところとなり、成瀬には警察音楽隊への移動の辞令が下りてしまいます。音楽隊が専門職なのは隊長の沢田(酒向芳)とドラムを担当することになった成瀬だけで、他の隊員は交通課や機動隊、あるいは事務職との兼務で、音楽だけをやっていられるような呑気な者はいません。

刑事にこだわる成瀬に、トランペットの来島春子(清野菜名)は全員が上も下も無く音楽はチームプレイだと力説します。自分が捜査していたアポ電強盗事件が再び発生し、成瀬は思わず捜査会議に乱入しますが追い出され、自分の立場に向き合う決心がつくのでした。

しかし警察本部長は音楽隊は不要と考えていて、次の定期演奏会が終わったら解散させるつもりでした。新たに強盗事件が発生し、今回は初めて被害者が死亡します。亡くなったのは、いつも音楽隊の演奏を楽しみにしていたお年寄りでした。坂本の情報から、音楽隊は主犯が現れる場所でピエロに扮装して待ち受けることにするのです。

一番の見所は、阿部寛史上、最もいかつい強面から最も優しいおじさんにまで変貌していく演技の幅の広さです。最初は、昭和でもこんなに怖い刑事はいなかったんじゃないかと思わせる悪童ぶりです。人との関わり方を学ぶにつれて、ドラムが上手くなるところがなかなか良い。

警察音楽隊が必要なのか不要なのかという問題もある作品なんですが、考えて見れば自衛隊にも、消防隊にもあるわけで、いろいろなキャンペーン活動などを通して社会と組織をつなぐということも大事な仕事だということが描かれています。兼務している隊員たちの、ふだんのより警察っぽい仕事ぶりも織り込まれて、「税金の無駄使い」には当たらないことを盛り込んでいました。

順当なストーリー展開で、安心して見れる作品ですが、多少の嘘には目をつぶる必要はあります。ただし、楽器演奏は役者さんが本当に頑張って練習して実演しているらしいので、そこも見どころになっています。

2025年4月20日日曜日

Claudio Abbado


クラウディオ・アバドは、1933年生まれで2014年に80歳で亡くなった、個人的にはクラシック音楽指揮者として最後の「巨匠」です。フルトヴェングラーやカラヤンに代表されるクラシック界の巨匠と呼ばれる指揮者を聴いて育った世代(つまり昭和の有名な評論家諸氏)からすると、カリスマ性が薄れた中庸な存在と批評されることが多い。

クラシック音楽、特にオーケストラ全体で奏でる交響曲というジャンルでは、アバドの果たした役割は指揮者と楽団員の間に過去の巨匠が作った垣根を取り払ったことではないかと思っています。世界で最も有名なオーケストラの一つであるベルリン・フィルハーモニーで長年にわたって「帝王」として君臨したカラヤンは、オーケストラを自分の意図した音を出すための楽器として扱っていたと思います。しかし、次第に楽団員との軋轢が生じ、晩年は関係が悪化していたのは有名な話。

カラヤンと同時期に活躍したバーンスタインは、自由闊達ななアメリカ人として楽団員と友好的な関係を作った指揮者ですが、後半生は常任はせず客演指揮者に徹しました。アバドはイタリア・ミラノ出身ですが、カラヤンの後を継いで1990年にベルリンフィルの常任指揮者に就任し、カラヤンの負の遺産からスタートしましたが、少しづつ指揮者と楽団員との関係を良好な方向へ修正したことは間違いありません。

ただし、2000年に胃がんを発症したため、ベルリンフィルの芸術監督を辞任せざるをえなくなったことで、評論家からは仕事として未完成で終わったという評価になってしまったのが残念なところです。しかし、病から立ち直って2014年に亡くなるまでは、主として自分が組織したオーケストラで充実した功績を残したことは特筆に値します。

その象徴とも言えるルツェルン祝祭管弦楽団は、もともとスイスの音楽祭のための臨時編成的な色が濃いオーケストラですが、多くの有名オーケストラ員や独奏者が、アバドとの共演を希望して集結たスーパー・オーケストラとして病気から快復したアバドを支えました。また、モーツァルト管弦楽団、マーラー室内管弦楽団を創設し、若手の演奏家たちの育成にも力を入れ、彼らが晩年のアバドの手兵となっていたのです。

アバドもまたマーラーに取りつかれた指揮者の一人で、マーラーの交響曲全集を複数のオーケストラで完成させています。全集としてはシカゴ交響楽団とベルリンフィルで完成した音源が有名ですが、ルツェルンでのチクルスは映像として残されたことで、自分がオーケストラを楽しめる大きなきっかけになったという意味で、絶対的なスタンダードとなりました。

また、ピアノ奏者として自分もほとんどの音源を網羅しているマルタ・アルゲリッチなどを中心に、多くの独奏者との協奏曲録音も多いのがアバドの特徴にあげられます。さらに言うと、自分は不得意分野ではありますが、イタリア出身というだけあってオペラ作品も、かなり力を入れていました。

アバドの残された音源を制覇するのは、亡くなってから多くのボックスが発売されたので可能ですが、自分の場合はすでにマーラー物や協奏曲などは単独で所有しているものが多いので、「Symphony Edition (DG)」だけ新たに購入しました(マーラーだけ丸被り)。そして、病気復活後の映像作品を中心に、その業績を楽しむことができるのは本当に幸せなことだと思います。

2025年4月19日土曜日

正体 (2024)


2024年の各映画賞を総なめにした作品で、原作は染井為人の小説です。2022年に先にWOWWOWのオリジナル・ドラマとして、中田秀夫監督、亀梨和也主演で放映され好評でした。劇場版の監督は「新聞記者(2019)」で注目された藤井直人、脚本は藤井直人と小寺和久が共同であたっています。

民家で夫婦と娘の三人が惨殺される事件が発生し、現場にいた近くの高校生、18歳の鏑木慶一(横浜流星)がその場で逮捕されました。鏑木は一貫して否認しますが、裁判で死刑判決が下ります。そして3年後、鏑木は拘置所から脱走します。鏑木を逮捕・送検した又貫刑事(山田孝之)は全力で捜索しますが、なかなか行方をつかむことができません。

日雇い現場で静かに暮らしていた鏑木は、仕事の同僚の野々村がけがしたことで、上司に掛け合い治療費を出させるのです。野々村はともだちになろうぜと言って、二人は酒を酌み交わします。しかし、野々村はニュースになっていた鏑木であることに気がついてしまい、あせって警察に電話をしてしまいます。それに気がついた鏑木はその場から逃走します。

それから数か月して、出版社に「ナス」と名乗りフリーのライターとして出入りするようになった鏑木は、編集部の安藤沙耶香(吉岡里穂)から文章の上手さを褒められ信頼されるのです。ネットカフェに寝泊まりしていることを安藤に見つかり、安藤は自分のマンションにいてもいいと言うのでした。

その頃、安藤の父(田中哲司)は、痴漢を疑われ裁判でも冤罪を晴らすことができませんでした。安藤の父の事件を追っていたフリー・ジャーナリストは、偶然に安藤のマンションに出入りする男が鏑木に似ていることに気がつき警察に通報します。

又貫はマンションに踏み込みますが、安藤が邪魔したため鏑木は逃走してしまうのです。安藤は、鏑木の人柄を見て人殺しをするような人ではないと確信して、野々村に連絡を取りお互いの鏑木に対する印象を共有するのです。

さらに数か月して、諏訪の老人施設で介護士として働く桜井と名乗る青年が鏑木でした。同僚の坂井舞(山田杏奈)が、たまたまネットにあげた桜井の様子から、桜井が鏑木であることが判明してしまい、又貫らは施設に急行し包囲するのでした。

鏑木慶一は養護施設育ちで、彼を育てた養護教員は絶対に彼が犯人ではないと信じています。野々村も、あらためて思い返すと彼は親切で純粋な人間であると思う。安藤も、そして坂井も、彼と関わった人間は皆、外見はいろいろでも鏑木を信じるようになるのです。又貫は、どこかで鏑木は犯人ではないのかもという疑念を持ちつつも、一度進みだした流れに逆らうことができない自分を自覚しているのです。

映画では約2時間という制約で、鏑木に関わる人は少なくなっていて、ややあわただしい感じは否めませんが、文字や言葉ではなく映像に中で足りない部分を補完しているので物足りなさは感じません。制作者は、鏑木を信じられるかどうか見ている者を試しているのかもしれません。

横浜流星はさすがに注目度No.1の若手と言いたくなる熱演を見せてくれるのですが、ちょっとカッコ良すぎる。つまり、どう見ても悪い人ではないだろうという先入観が働いてしまうので、信じるしかないところに誘導されてしまうのがちょっと不満です。

基本的に冤罪という社会性の高い問題と、人をどう見るかという個人の印象がテーマとしてある作品だと思います。しかし、結末はその不満点に流され過ぎているようで、現実の世界は善人だけではないところを描くことも必要ではないかと思いました。

2025年4月18日金曜日

勝手にふるえてろ (2017)

綿谷りさの小説が原作。監督・脚本は大九明子。大九は学生劇団経験後、いろいろと職を変えピン芸人になった異色の経歴の持ち主。主演の松岡茉優は、この映画で多数の賞を獲得し飛躍する作品となりました。

26歳、独身、会社の経理で働く江藤良香(松岡茉優)は、中学の同級生の一之宮(北村匠海)、通称一(いち)にずっと片思いで、恋愛経験は無し。絶滅生物が大好きで、アンモナイトの化石を手に入れて喜んでいます。

埠頭で釣りをするおじさんやバスで一緒になるおばさん、駅員さん、コンビニ店員、整体師など、単なる顔なじみに本能に流されない自分の気持ちを話しては満足しているのです。

しかし、良香は思いがけず営業課の霧島(渡辺大知)、通称二(に)に付き合ってほしいと告られます。とりあえず喜んでしまいますが、特に好きでもないことに躊躇するのです。ある日、部屋でボヤ騒ぎを起こしてしまった良香は、人間いつ死ぬかわからないので、一を脳内召喚しているだけじゃなく、中学の同窓会を企画して直接一に会うことを決意します。

良香は同級生の名を騙って同窓会を開き、一と再会することに成功し、さらに少人数での新年会をするとになりました。そこで一から言われたことは・・・・

まぁ、こじらせ系女子のラブコメなんで、得意分野ではありませんからあまり感想とかも無いんですが、屈折した主役を演じた松岡茉優は確かに評価に値する存在と感じました。

松岡ファンであれば、絶対に外せない作品だと思いますが、この監督の面白いのは一番のイケメン・キャストに北村匠海を持ってきたところ。このイケメンは、片思いで妄想膨らむ相手なのですが、現実的な相手となる渡辺大知との対比が際立っています。

はじめは妄想の中で一番なのは一で、現実の二はウザ男なんですが、良香が暴走し始めると一と二の立場が逆転していく描写が絶妙です。

タイトルの意味は・・・最後まで見ればわかります。

2025年4月17日木曜日

安物スニーカー


実は、もう何年も運動靴というものを持っていなかった。

ふだんはく靴はひとつだけなんですが、ずいぶんと傷んできたので新調することにしたのをきっかけに、そこらに買い物行くのに使えるスニーカーを買ってみたんです。

と言っても、いつものAmazonで実物は見ない・・・というのは、いち末の不安は感じるのですが、タイムセールでめちゃ安の1,999円ひとつにしました。

レヴューを参考にしてサイズは26cmでいいだろうと判断。

翌日には届いて、履いてみるとぴったし・・・というか本当にぴったしです。まぁ、いいかと外にでてみたら、30分もたつと足の圧迫が強くなってきました。

足がすこし浮腫んできてきつきつになったようです。これは無理と思ったのですが、もう外で履いちゃったので、返品というわけにもいかないのでしかたがない。

そこでもう一度商品ページを開いてみると、タイムセールは終わっていましたが、20%OFFクーポンがついていて2,079円となっている。

なんだ、80円しか違わない。タイムセールってなんなん? と文句を言いたくなるのはグっとおさえて、27cmを追加購入。

今度はさすがにOKでした。

無駄物買いをしてしまいました。やはり靴は靴屋で買いましょうという教訓ですが、安い割には履き心地は悪くないので良しとします。

2025年4月16日水曜日

ガパオライス


もはや、日常的なレパートリーになりました。

ガパオは良く知られたタイ料理の一つですが、比較的簡単に本格的な味を楽しめます。

必要な物は、鶏ひき肉、(生)バジル、ニンニク、鷹の爪、オイスターソース、ナンプラー、以上です。

うちの場合は、これらは調味料は常備されているので、肉とバジルさえ買えばいつでも作れるやんと言ったら、そんなもん、普通家には無いと怒られてしまいました。

でも一度買えば冷蔵庫で長期保存可能ですから、是非、そろえてほしいものです。

ポイントはバジル。これは扱っていないスーパーも珍しくないし、傷みやすいので保存がきかないので、見つけたら即買い、即ガパオといきたいところです。

ひき肉は一人前150g程度で、あとのものは好きな分量を入れればいいのですが、バシルは多いほうが美味しい。ひき肉はあまり細かく炒めず、塊感を残した方がよさそうです。

付け合わせの温泉卵は、絶対ではありませんが、あればより雰囲気が出て美味しくなります。冷蔵庫から出したばかりの生卵を沸騰したお湯に、火を止めて7分間つけておくだけです。

正味15分もあれば完成しますから、忙しい時でも比較的作りやすいと思います。

2025年4月15日火曜日

セブンのおにぎり 64


セブンのおにぎり・シリーズ、早くも、復活!!

いつも寄るセブンの店舗が閉店してしまい、このシリーズは強制終了かと思われましたが、何とかここならという新たな店がほぼ決まりました。

ただし、通勤経路はやや遠回りになります。しょうがないのですが、数分の違いなので許容範囲ということで・・・

そんなわけで、今回は中国風と韓国風の紹介です。

「世界ごはん万博」となっているのが「具だくさんおにぎり かに玉」です。

おにぎりに玉子焼きがのっているだけ・・・なんですが、それ以上でもそれ以下でもない。材料にはかにほぐし身となっていますが、かにの味はわかりませんでした。

具だくさんシリーズで値段も高いのですが、はっきり言って「???」という評価をするしかない。たけのこ入り中華あんとも書いてありますが、おにぎりにあんをたくさん入れられるはずもない。

興味を持った方は自分で食べて評価してみてください。

もう一つは、「玉子をのせたキムチ炒飯」です。ということなんですが・・・普通です。

復活を記念して景気の良いものにしたかったのですが、やはりセブンの変わり種シリーズは当たりはずれがけっこうあるということを再認識する結果です。

2025年4月14日月曜日

SAKURA 2025 @ 小学校


今年の桜は、週末の雨でほぼ終了。

じっくり花見をした方、通りすがりで満足した方、そして興味のない方など、いろいろだと思いますが、四季を感じる風物詩として欠かすことができないのは誰も同じだと思います。

今年は、まとまって見れる桜より、ちょっとだけでもより季節を感じられるものを探してみました。

あらためて思ったのは、学校と桜とは相性がよいなということ。

特に小学校は、今年はちょうど入学式のタイミングと開花が重なりましたので、新生活へのお祝いに「花を添える」形になりました。校舎と桜は実によく合うと思います。

卒業式で桜も悪くは無いのですが、やはり何かが始まるワクワク感と桜の方がグっとくる感じがします。

ただ、勝手に学校の中に入るわけにもいかないので、外から見ると魅力が半減するのは残念ですが・・・


2025年4月13日日曜日

100本のスプーン @ あざみ野


あざみ野ガーデンズ開業当初からあるファミリーレストランが「100本のスプーン」です。


もちろん存在は知っていましたが、あざみ野ガーデンズへは買い物以外で出かけたことは無く、ましてやこの店はファミリーレストランという概念からすれば「高級」という噂を聞いていたので、まったく興味はありませんでした。

今回、息子夫婦の希望で、初めて出かけてみました。

まず入って最初の印象は、「明るい、広い、おしゃれ」という感じで、若い夫婦、特に小さい子連れが楽しめるように特化した店だと知りました。店の中に遊べるスペースが作ってあり、メニューにもそのことがうかがえます。

次に思ったのは・・・た、た、高い(++;)・・・こりゃ、いわゆるファミレスと思ったら大間違いで、何段も格上のなかなか手ごわいレストランです。


とは言え、メニューはなかなか美味しそうなものが並んでいて、どれも食べて見たくなる。そこで、手っ取り早く、いろいろなものが少しずつ盛られた「ビッグプレート」にしてみました。

個々の感想はともかく、どれもがクオリティの高くとても美味しいく頂きました。

結論としては、食事だけなら高いとは思いますが、家族で楽しむための全体的なサービス込みと考えれば、リーズナブルなレストランだと思いました。

2025年4月12日土曜日

Leonard Bernstein


クラシック音楽史上、偉大な指揮者はマエストロと呼ばれ崇拝されています。自分がクラシックを聞き始めた頃は、フルトヴェングラー、クレンペラー、トスカニーニ、ワルターが四大巨頭でしたが、すでに過去の人でした。現役で活躍していたのは、何と言ってもヘルヴェルト・フォン・カラヤンとレナード・バーンスタイン、そしてカール・ベームで、やや遅れて登場したのがクラウディオ・アバドとゲオルク・ショルティだったと記憶しています。

彼らが残した録音遺産は膨大で、カラヤンなら、DGと旧EMIでほぼすべての正規録音レコードが揃いますが、その数はCDで約430枚。バーンスタインは旧CBSとDGでほぼすべてで、CDだと約CD約320枚。たぶんアバドはCD300枚で、ベームは200枚。ショルティはCD150枚くらいかと思います。

活動年数が長いカラヤンが一番多いのは当然かもしれませんが、バーンスタインもリリース頻度を考えるまったく負けていません。'60~'80は、ほぼこの二人が世界のクラシック音楽界を牽引していたと言っても過言ではありません。

もちろんもっと聞き込んでいれば、他にも多くの有名な指揮者はいたわけですが、何しろその頃は「クラシックは譜面通りに演奏するから、一人の演奏を聞けば十分」と思っていたので、基本的に有名な人だけで足りてしまっていました。

カラヤンは主としてベルン・フィルを手兵として、音楽に重厚感のある極限的な美しさを求めたと言われていますが、実はこれが自分が大オーケストラ作品を聞かなくなった一番の原因でした。悪く言えば、重たくもったいぶった演奏からは「どうだ、聞かせてやる」的な奢った印象しか持てずに、とても音楽を楽しむ雰囲気が感じられませんでした。

なので、自分にとってクラシックの最初のアイドル的な存在だったのはレナード・バーンスタインということになります。これは、レコードを買い始めた頃にソニーがCBSと契約して日本でレコード業界に進出しバーゲン価格のセットを大量に発売したので、バーンスタインを聞くハードルが低かったというのもあります。

アントルモンのピアノによる「ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番」、バーンスタイン自らのピアノが聞ける「ガーシュイン/ラプソディ・イン・ブルー、パリのアメリカ人」は、ストレートに音楽の楽しさを十二分に伝えてくれたのです。またバーンスタインのナレーション(もちろん英語でわからなかったけど)が入っている「ピーターと狼、動物の謝肉祭」はこども心にも響く音楽でした。当然、それらのオーケストラはニューヨーク・フィルですから、ベルリンよりニューヨークが上と感じていたのは自然の成り行きと言えます。

レニーの愛称で親しまれたレナード・バーンスタインのイメージは、ユダヤ系アメリカ人。ブルースやジャズのようなアメリカ独自の音楽文化のバックグラウンドを持ちつつ、クラシック音楽においても「音楽は楽しむものだ」ということを終生実践し続けた人だと思います。

残されたビデオからも指揮ぶりは、まるでダンスをしているかのようで、本人が本当に楽しんでいる様子がひしひしと伝わります。ちなみに、典型的なカラヤンの指揮姿は、閉眼して口をへの字に閉じて、指揮棒だけをチョイチョイと動かす感じで、バーンスタインとはまるっきり違います。

バーンスタインの偉大なポイントは、ヨーロッパ至上主義が根強いクラシック音楽において、初めて天下を取った生粋のアメリカ人であり、カラヤンと人気を二分したということです。カラヤンとの違いは、さらに自らも作曲活動を行ったこと、そして積極的な教育・啓蒙活動を続けた点も忘れてはなりません。

そして、重要な業績として必ず指摘されるのが、作曲家グスタフ・マーラーの復興です。ユダヤ系のマーラーの作品は、戦争と共にほぼ忘れられた存在になっていたのですが、バーンスタインは「まるで自分が作曲したかのようだ」と述べて、60年代からマーラーの楽曲を掘り起こし、現在のマーラー人気に火をつけるきっかけを作りました。

1918年生まれのバーンスタインは、1943年にワルターの代演を成功させて一躍脚光を浴び、1969年まではニューヨーク・フィルハーモニーの常任指揮者として若さ溢れる演奏で活躍しました。その後は、常任にはつかずに最も人気のある客演指揮者として、ニューヨークだけでなく主としてウィーン・フィル、イスラエル・フィルなどと円熟の演奏で魅了しました。

人物としてはかなり俗物感がある人で、十代からのヘヴィースモーカーであることや、妻子がいても男色も好んだという話は有名です。最近「マエストロ」という映画にもなっているので、興味がある方はご覧になると面白いかもしれません。若いころから肺気腫と言われ、結局、肺がんのために1990年に72才でその生涯を閉じました。

さすがにクラシックのCDも相当な量のものを所有しているので、バーンスタインもかなりあるだろうと思ったら大間違いで、実は数枚しか持ってないんです。その後オーケストラ物に興味を持たせてくれたのが古楽系のJ.E.ガーディナーであり、アバド、そしてその続きのサイモン・ラトルだったので、ある程度それらで満足してしまったというところでしょうか。

そこで、あらためてバーンスタインの偉業を再確認してみたくなってきました。幸いなことに、簡単に全部が揃う巨大ボックスの中古市場もだいぶこなれてきたので、そろそろ大人買いするチャンス到来かと思います。逆にこれ以上待っていると、むしろプレミア価格になってしまうかもしれません。

2025年4月11日金曜日

僕たちの戦争 (2006)

 もとはTBSのテレビドラマで、現代の若者が戦時下にタイムスリップする・・・だけなら凡庸ですが、この話のポイントはタイムスリップした上に人物の入れ替わりも起こるというところが面白い。

原作は「愛しの座敷わらし」の萩原浩の小説で、テレビで活躍した山元清多が脚本、「逃げるは恥だが役に立つ」の金子文紀が演出を担当、主題歌にTHE BLUE HEARTSを起用したりと、テレビとしてはけっこう力が入った作りになっています。

平成17年(2005年)の世界で、茨城の海で尾島健太(森山未來)はサーフィンをしている最中に巨大な波に飲み込まれ溺れてしまいます。昭和19年(1945年)の世界では、霞ケ浦予科練で飛行訓練をしていた練習生の石庭吾一(森山未來)は、突然の悪天候に巻き込まれ海に墜落します。

1944年の浜に打ち上げられた健太は、町の様子が一変していることに気がつきます。空腹でふらふらしていいる健太を、孫の文子(内山理名)と二人暮らしの)沢村キヨ(樹木希林)は家に招き入れ休ませるのでした。その夜、空襲警報がなり、健太は少しずつ事態を理解し始めます。

同じく、2005年の浜に打ち上げられた吾一は病院に収容されますが、周囲の様子の変化に戸惑いパニックにり逃げ出します。街には敵国の文字が溢れ、道行く人々もとても日本人には見えない。病院に連れ戻された吾一は、やってきた人々が皆、自分のことを健太と呼ぶことに戸惑います。そして健太の恋人のミナミ(上野樹里)が、記憶が戻るように親身になってくれるのでした。

班長の山口(桐谷健太)に見つかった健太は予科練に連れ戻され、吾一として練習機を墜落させたことを強く責められます。戦況はどんどん悪くなり、予科練の隊員は特攻隊として出撃するように言われ、健太もその一員に選抜されてしまいます。

吾一は歴史書を読み漁り、次第に自分の状況を理解していき、優しくしてくれるとミナミとの生活に慣れていきます。そして石庭家の墓に詣でると、墓石には自分の名前があり沖縄で死んだことになっていたのです。おそらく自分と入れ替わりに過去に行ってしまった健太が身代わりになったと考えた吾一は、ミナミを連れて沖縄に向かうのでした。

健太は人間魚雷「回天」の乗組員として沖縄に向かうことになり、その船で鴨志田祐司(玉山鉄二)と知り合いますが、偶然に鴨志田が沢村文子と結婚し、孫にあたるのがミナミであることに気がつきます。鴨志田が死んでしまったら、ミナミは存在しなくなってしまうと考えた健太は、何が何でも鴨志田だけは死なせてはならないと決意するのでした。

現在から過去へ、そして過去から現在へのタイムスリップが同時に起こり、さらにタイムスリップした人間が入れ替わってしまうというなかなか凝ったプロットで興味深いのですが、その二人は家族でさえ気がつかないほど瓜二つということで成立するストーリーです。

さすがにそれは作り過ぎという感じがしますが、そこさえ我慢できれば、現在と過去を交互に描きながら、しだいに両者が沖縄の海に向かって時空を超えて収束していく流れはなかなかよく出来ています。

太平洋戦争の時代から80年たち、直接的に戦争を知る方々の多くが亡くなり、今や外国の戦争を他人事のように感じているのが現代の日本人です。現代人を戦争中にタイムスリップさせるというのは、現代と戦時中のあまりに大きな違いを際立たせる手法として効果的であることは間違いありません。

ただし、この手のドラマにしても映画にしても、そこからあと一つ、じゃあどうすればいいのかみたいなポジティブな部分が見えてこないのが惜しまれます。もちろん過去を変えたら未来が変わるという大原則がある以上、結局何もしないというのが正解なのかもしれませんが、どの作品もちょっと物足りなさを感じてしまうのが残念なところでしょうか。

2025年4月10日木曜日

SAKURA 2025 @ 茅ケ崎中央


茅ケ崎中央というのは、センター南の中心部ということ。

海が無いのに茅ケ崎・・・って20年間、不思議と思っているんですが、積極的に郷土史を調べていないので由来はよくわかりません。

毎年、この時期に桜のきれいな場所を見て回りますが、どうしても同じ場所ばかりになってしまって、あまり変わり映えのしないネタになっている。

そこで、初登場の桜を紹介。

ごく普通の民家の庭先に植えてある・・・これは珍しい。しだれ桜です。

まぁ、桜と言えば、ほとんどがソメイヨシノですが、シダレザクラはなかなかお目にかかれない。これはやや赤味の強い花がついているので、もしかしたらベニシダレかもしれません。

人とは違ったところで、ちょっと住んでいる方の個性みたいなものがありそうで、思わず見入ってしまいます。

今年の桜もいよいよラストスパート。そろそろ、花散らしの雨が来そうですから、週末まではもたないかもしれませんね。

2025年4月9日水曜日

SAKURA 2025 @ 寿福寺


公園とかでまとまった花を見るのも楽しいかもしれませんが、街中のスポットを探してみると、なかなか見事な桜を見つけた時はけっこう嬉しいものです。

センター南の駅周囲では茅ヶ崎城址公園が一番たくさん桜の木がある場所だと思いますが、そのすぐ下のあたりにある寿福寺観音堂は、道路からでも2本の立派な桜に囲まれていて見応えがあります。

よく見ると観音堂は改築されていて、入り口がサッシになっているのが無粋に感じるところですが、まぁ、いろいろ事情があるんでしょうからしかたがない。まぁ、全体の佇まいは保たれているので、雰囲気はばっちりです。

それにしても、一番残念なのは「電線」です。新しいはずの街なのに、電線を埋設するとかなんでしないのかと思います。日本の空から電線が消えたら、どんだけ景色が生まれ変わることかと・・・でも、電気は大切ですからね。