2026年6月13日土曜日

Highway 61 Revisited (1965)


ボブ・ディランの活動をあえて時期にわけると、デヴュー作から4作目の「Another Side」をフォーク期として、その後はロック期とすることが多いようですが、実際のところ「Bringing It All Back Home」は半フォーク・半ロックみたいなアルバムですし、5月に行われたイギリス・ツアーも従来のギターとハーモニカだけのフォーク・スタイルで通しています。

1965年6月、イギリスからアメリカ戻ったディランは、早くも次のアルバムの録音を開始しました。フォーク・ロックと呼ぶより、ブルース・ロックと呼びたくなるような全編高らかにロック歌手宣言をするようなアルバムとなりました。

今作はバンドを単なる伴奏ではなく、音楽の一部として機能するように組み込む意図が感じられます。おそらく、一般貢献したのがポール・バターフィールド・ブルース・バンドから参加したマイク・ブルームフィールドです。ブルース・ギター奏者としてエレクトリック・ギターの普及に影響を与えた人物です。また、後に、ブラッド・スウェット&ティアーズを結成するアル・クーパーが参加しています。

特に6月16日のセッションでは、代表曲の一つ、アルバム冒頭曲となる「Like a Rolling Stone」だけが繰り返し試行錯誤されました。この模様は「The Bootleg Series Vol.12 Cutting Edge」でその全貌を知ることができます。故・中山康樹が「この曲は最初から4拍子だった」と推論した説は見事に裏切られ、驚きの3拍子でのリハーサルが始まりますが、何とものんびりした雰囲気が続きます。数テイクの後、4拍子に変更されオルガンがたまたま居合わせた本来キーボード奏者ではないアル・クーパーに交代し、気の利いたリフが入って完成形になっていくところはなかなかスリリングで興味深い。

ディランがこだわり抜いた歌詞は、「昔は偉そうにしていたけど今は落ちぶれた気分はどうだい? すべて失って転がる石みたいだ」という内容。「A rolling stone gathers no moss (転石苔むさず)」という英語圏のことわざがあって、イギリスでは伝統的に「転々とする人は成功しない」という否定的な解釈がされますが、アメリカでは「活発な人は時代に取り残されない」という近代的な肯定的解釈がされています。変化を求める自分と、古い体質のフォーク・ソング信奉者を対比させていることは間違いなさそうです。

「Like a Rolling Stone」の録音が一段落したディランは一度収録を中断して、7月22日から26日にかけて行われたニューポート・フォーク・フェスティバルに3年連続で参加します。ここで、ボブ・ディラン伝説の一つとして有名な「事件」が起こりました。24日はアコースティックなステージを披露しましたが、25日夜の部ではマイク・ブルームフィールド(g)、ジェローム・アーノルド(b)、アル・クーバー(org)、サム・レイ(ds)を従えてエレクトリック・ギターを持って登場したのです。

彼らは「Maggie's Farm」、「Like a Rolling Stone」、「悲しみは果てしなく」を演奏し引っ込んでしまいます。観客からはブーイングの嵐を浴び、司会者も事態を収拾するためディランをステージに呼び戻します。フォーク・ギターを持って一人で再登場したディランは、「Mr.Tambourine Man」と「It's All Over Now, Baby Blue」の2曲を歌うのですが、明らかに古い伝統に固執する観客に対する決別宣言となったと考えられています。

スタジオに戻ったディランは、追加の数日で数曲を完成し、8月末にはアルバムが発売されました。その後もライブなどでは重要なレパートリーになる曲が多く含まれますが、特に注目したいのは「Disolation Row (廃墟の街)」です。

ポップス系アルバムとしては異例の11分に及ぶ長い曲で、現代社会の欺瞞や幻想などを一見脈絡のない言葉の羅列で歌い続け、最終的には「絶望のどん底」に逃げ込むしかないとしています。それはゴミ溜めのようなニューヨークのどこかかもしれないし、あるいはアメリカの田舎の本当に廃墟となった町かもしれません。チャーリー・マッコイのギターがボーカルに絡みつき、長くて英語歌詞がよくわからなくてもずっと聞いていられる感じがします。


Like a Rolling Stone
Tombstone Blues
It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry
From a Buick 6
Ballad of a Thin Man
Queen Jane Approximately
Highway 61 Revisited
Just Like Tom Thumb's Blues
Desolation Row

Bob Dylan (vo, guitar, harmonica, piano, Acme siren)
Mike Bloomfield (g), Charlie McCoy (g), Al Kooper (org, p)
Paul Griffin (p, org), Frank Owens (p), Harvey Brooks (b)
Russ Savakus (b), Joe Macho Jr. (b), Bobby Gregg (ds)
Sam Lay (ds), Bruce Langhorne (tambourine)

June 16 ~ August 4, 1965, NYC

☆☆☆☆

2026年6月12日金曜日

Bringing It All Back Home (1965)


1965年年明けから、ボブ・ディランは5作目のアルバムの準備にとりかかります。自身初のバンドを従えた演奏を披露しますが、一般的には初の「フォーク・ロック」アルバムと評されています。

1月の3日間で十数曲が録音され、11曲が採用され数曲がアルバム収録を見送られました。主としてバンド伴奏がレコードのA面、従来の自信のギターとハーモニカ演奏によるものがB面に配置されました。

当時のディランのファンたちは、多くはフォーク・ギターのアコースティックな響きを期待してレコードに針を落としたはずです。ところがいきなり出てくるエレキギターの音にたまげたことでしょう。

ただし、ここでは取り合えず集めたセッション・ミュージシャンがバックを務めましたが、特に積極的なアレンジがされているわけではなく、あくまでもディランの演奏に合わせたという感じですし、B面がアコースティックなので、従来のファンにも受け入れやすかっただろうと思います。

それこそが1964年の1年間を通して、ディランが周到に準備してきた新しい表現手段が実行され記録された結果でした。この1曲目の「地下のホームシック・ブルース」では、歌詞は意味のある一定の節度を保つことより、脈絡が感じられない若者の文化に出てきそうな単語・文節でたたみかけることを意識しているようです。そして、それが「ロック」であると主張しているかのようです。

「ジョニーは地下室で薬を調合 / 俺は舗道で政府を考える / トレンチコートの男がバッジを見せて首になった言う / 咳こんでいて治すための金を欲しがる」という感じで、何が何だかよくわからない。この曲をバックにディランが文節の一部の単語だけが書かれたフリッブを紙芝居のように、次から次へとめくっていく動画が作られました。

これが、世界で初めて作られた今でいうミュージック・ビデオと言われています。これはアルバム発売後に行われた5月のイギリス・ツアーのドキュメンタリーである「DONT LOOK BACK」に収録されています。意図的に「DON'T」ではなく「DONT」としてあり、またこのタイトルはアルバム2曲目の「She Belongs to Me」の歌詞の中に登場します。

「DONT LOOK BACK」では、当初イギリス・ツアーに帯同していたジョーン・バエズが、ステージに登場することは無く、対外的にもプライベートでも二人の方向性が合わなくなってきたことがわかります。メロディと一体になって意味を成す「歌詞」から、相変わらず詞についてだけの観念的な質問をしてくるメディアに対しても、ディランは苛立って攻撃的になる様子も克明にとらえています。

アルバムは3曲目以降も「Maggie's Farm」、「Love Minus Zero / No Limit」、「Gate of Eden」、「It's Alright, Ma」、「It's All Over Now, Baby Blue」などの後年までライブのレパートリーに登場する有名曲がる目白押しです。

特にB面のアコースティック・サイドのトップを飾るのが名曲「Mr. Tambourine Man」です。架空のタンバリン奏者に、「疲れたけど眠くない俺に1曲聞かせてくれ。そしたら束縛から解放されて、新しい世界に行ける」というような内容で、ディラン本人も含めて当時の様々な人々の心に刺さる内容でした(現代人にも通用しそうです)。


Subterranean Homesick Blues
She Belongs to Me
Maggie's Farm
Love Minus Zero/No Limit
Outlaw Blues
On the Road Again
Bob Dylan's 115th Dream
Mr. Tambourine Man
Gates of Eden
It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)
It's All Over Now, Baby Blue

January 13 ~ 15, NYC

Steve Boone (b), Al Gorgoni (g), Bobby Gregg (ds),
Paul Griffin (p, keyboards), John P. Hammond (g),
Bruce Langhorne (g), Bill Lee (b), Joseph Macho Jr. (b),
Frank Owens (p), Kenny Rankin (g), John Sebastian (b)

☆☆☆☆

2026年6月11日木曜日

石油原料節約パッケージ


出た!!  出た、出た、出た。

クリニックのスタッフが偶然見つけて、買ってきたそうです。

石油原料節約パッケージのスナック菓子です。

誰もが知っている、食べたことがあるだろう有名ブランドですが、記憶にある赤いパッケージと比べると、ものすごい違和感です。

もっとも、従来の入れ物は、中身とは無関係。作り手からすれば、アピール度合いを強めたいという理由だろうし、買い手の側は見つけやすいってとこ。

十分に知名度が広まった商品は、これで十分でしょうから、他の商品もこの際過剰包装を廃して値段をおさえてもらいたいものです。

2026年6月10日水曜日

ビワ


たいてい実がなるのは秋というイメージがありますが、今の時期に結実するものの一つが「びわ、枇杷」です。

普通に庭とかに植えている家がけっこうある。注意して見ながら歩いていると、オレンジ色にぷっくらとした実が簡単に見つけられます。

昔はよく食べた覚えがありますが、最近はスーパーでもあまり見かけない。

人気が低迷している理由は何でしょうか。

九州では多いらしいのですが、寒さに強くはないので、本州では安定した収穫が難しいらしい。

もしかしたら、種子が大きくて食べれる部分が少ないとか、味が薄いとか・・・

よくわかりませんけど、まぁ、今でも季節を感じるものの一つではあります。

2026年6月9日火曜日

Another Side of Bob Dylan (1964)


1963年11月22日・・・全米に激震が走りました。

テキサス州ダラス・・・「ダラスの熱い日」・・・現職大統領、ジョン・F・ケネディが市内パレードの車中で銃撃され死亡しました。

当時、一気にフォーク界の寵児に上り詰めたボブ・ディランは、社会の不平等を感じる多くの事件をすぐさま歌にして発表していました。しかし、リアルタイムのテレビを見ていたディランは強い衝撃を受け、この事件については沈黙したのです。

時間は一気に飛んで、2020年、ボブ・ディランは新しいアルバム「Rough and Rowdy」を発表し、CD2枚組の2枚目に17分間の大作を持ってきました。タイトルは「最も卑劣な殺人 (Murder Most Foul)」で、ケネディ大統領暗殺事件の惨劇から始まる半世紀の世界の変化を歌い上げるというものでした。57年たって、ディランはやっとこの不条理を歌に乗せることができたのです。

この事件の衝撃は、少なからずディランに変化をもたらしたことは想像似難くありません。いずれにせよ、3作目となるアルバム「 The Times They Are a-Changin」の録音作業を終えたディランは、すぐさま次のアルバムとせかすレコード会社を尻目に1964年2月に気心知れた仲間とロサンゼルスまでの3週間ほどの車の旅に出てしまいます。

この間にもう一つの「事件」がありました。ビートルズの訪米です。新たなポップ・カルチャーの到来に、ディランも衝撃を受けたようです。ビートルズの歌は他愛のない恋だの愛だの数分間の短いものばかりで、ライブも30分間のパッケージショーでしたが、当時の若者を開放するエネルギーが詰まっていたのです。

ディランは旅の中で、社会的な出来事よりももっと内省的な思考に耽るようになりました。そして背伸びしていた自分に気がつき、本当の自分は今の環境とは違うところにあると思うようになるのです。そして、それらの思いを書き溜めた新曲を用意して、1964年6月9日にスタジオ入りをすると、4作目のアルバム「Another Side of Bob Dylan」のための曲をすべて1日で録りおえてしまいました。

ディラン自身が語っているように、このアルバムには「誰かを非難する」曲はありません。一部の曲に社会性を残すものの、ほとんどが自らの心情をいつものギターとハーモニカだけで歌うスタイルに徹しています。なお、このセッションでアルバム収録から却下された数曲の中にディランの代表曲になる「Mr. Tambourine Man」、「Mama, You Been on My Mind」が含まれていました。

一曲目の「All Really Want to Do」は、時事問題のかけらもない恋愛ソングで、ひたすら「僕が本当にしたいのはも君と友達になること」と繰り返します。一番の注目曲は7分を超える「自由の鐘」で、鳴り響く雷が虐げられている人々にとって自由を呼び起こす鐘の音だと歌うのですが、暗殺されたケネディ大統領の鎮魂の祈りをこめていると考える評論家が多数います。

「マイ・バック・ページス」は、実はジャズ・ピアニストのキース・ジャレットの演奏で初めて聞いた曲で、その時はジャズっぽくないかわった曲だなと思いました。タイトルは「私の過ぎ去った日々」という意味で、(体制批判を歌っていた)自分は大人ぶって背伸びをしていたけど、今の自分の方がずっと若いと歌うことで、「反体制の旗頭」とか「フォークの貴公子」という呼ばれ方と決別しようとしているようです。


All I Really Want to Do
Black Crow Blues
Spanish Harlem Incident
Chimes of Freedom
I Shall Be Free No. 10
To Ramona
Motorpsycho Nitemare
My Back Pages
I Don't Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
Ballad in Plain D
It Ain't Me Babe

June 9,1964, NYC

☆☆☆

2026年6月8日月曜日

梅雨入り


昨日、関東・東海地方が梅雨入りした(とみられる)・・・

と、気象庁が発表しました。

毎年、この時期に必ず登場するタイトルなんで、もう今更追加でコメントすることもありません。

あくまでも記録ということで・・・

去年は6月10日。今年はほんの気持ちだけ早めか、くらいの感じです。

すでに風呂場にナメクジが現れました。ジメジメは嫌ですが、暑すぎるのも困る。

去年の梅雨明けは、結果としては6月末で大変早かった。でも7月半ばになっても、はっきりとした梅雨明け宣言はされませんでした。

とりあえず見上げると、低く重苦しい雲が空全体を覆っていました。そりゃ、梅雨入りだろう、という感じです。

2026年6月7日日曜日

The Times They Are a-Changin' (1964)


1963年という年は、間違いなくボブ・ディランにとって飛躍の年だったはずです。

5月27日に2作目となるアルバム「The Freewheelin'」が発売されると大きな反響があり、6月にすでに人気があったピーター・ポール&マリー(PP&M)が「風に吹かれて」をカバーしたシングルが大ヒット(全米2位)しました。

1954年に始まったロードアイランド州ニューポートで行われるジャズ・フェスティバルが着実に人気を得ていたことに対抗して、フォーク・フェスティバルが1959年、1960年に開催されていました。第1回では、当時18歳だったジョーン・バエズがデヴューしています。

1963年は4年ぶりの開催となり、7月26日~27日のいくつかのセットで、ディランは代表曲の数々を歌いました。そして、その大舞台でPP&M、ピート・シガーやバエズらを後ろに従えてディランが「風に吹かれて」でトリを飾ったのです。また、初顔合わせとなったバエズは、いきなりディランの独特の節回しにハーモニーを付けていて歌唱力の凄さを再確認できます。この時の映像は2007年に「The Other Side of the Mirror」として残されていて(DVD、Blurayあり)、1963年から1965年までのニューポートでのディランを堪能できます。

8月23日は、アメリカにとって歴史的な出来事がありました。それは、キング牧師を筆頭に「ワシントン大行進」と呼ばれるようになる大規模な公民権運動のデモです。有名なキング牧師による「I have a dream・・・」から始まる演説が行われた同じマイクに向かって、このデモに参加したボブ・ディランは「風に吹かれて」と「しがない歩兵」の2曲を歌ったのです。

知り合ったばかりの政治的活動に積極的なジョーン・バエズらの影響を強く受けたディランは、急激に運動家としての行動が目立つようになり、「しがない歩兵」は、その年の6月に起こった黒人公民権運動指導者M・エバースが暗殺された事件をテーマにして作られたばかりの曲でした。

ディランは、バエズのツアーのゲストとして招かれる一方で、8月の初めから10月末にかけて次のアルバムの録音を行ないました。ここではついに全体が人種差別や不平等、貧困と言った社会性の強いテーマを持つ自作曲で構成され、翌年2月に「The Times They Are a-Changin'」というタイトルでリリースされました。伴奏は自らのギターとハーモニカだけです。何度かのセッションでは、アルバムに採用されなかったたくさんの曲が録音されていて、そのほとんどが後に公式に聴くことが可能になっています。

タイトル曲となる「時代は変わる」では、古い価値観を持つ人々に危機感を持つように訴え、「ホリス・ブラウンのバラード」は貧困から実際に起こった一家五人の無理心中を歌い、「ハッティ・キャロルの寂しい死」でも気分でハッティを殺した殺人者が法に守られたことを批判します。さらに「神が味方」についているからいくつもの戦いに勝利し、「神が味方」だから核兵器だって使えると皮肉を込めて歌います。

そうかと思うと、「いつもの朝に」は朝が来るたびに離れていく恋人のことを歌うのです。
そして興味深いのは「スペイン革のブーツ」という曲の歌詞。これも私小説的な感傷的な歌になっています。バエズと急接近したディランは、前作のジャケット写真で仲の良さをアピールしていた恋人と次第に疎遠になっていきます。そこで、スペインに旅立ってしまった恋人と恋の終わりを自覚する自分とが互いに心情を歌う形式になっています、

ディランは「異国の空気に飲まれないでほしい」と歌い、彼女は「あなたへの贈り物をさがしている」と答えます。「ほしいものはないけど、どうしてもというならスペイン革のブーツにしてくれ・・・」という内容で、これを男女の関係を逆転させると・・・そうです、松本隆作詞の大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」になります。松本がディランの歌からヒントを得たというのは有名な話です。他にも多くの日本のフォーク歌手が、このアルバムからいろいろな影響を受けたのでした。


The Times They Are A-Changin'
Ballad Of Hollis Brown
With God On Our Side
One Too Many Mornings
North Country Blues
Only A Pawn In Their Game
Boots Of Spanish Leather
When The Ship Comes In
The Lonesome Death Of Hattie Carroll
Restless Farewell

April ~ October, 1963, NYC

☆☆☆☆

2026年6月6日土曜日

In Concert (1963, unreleased)


1963年のボブ・ディランは知名度がいっきに上がったことで、大きなホールでも集客が期待できるアーティストになりました。

4月21日には今では国定歴史建造物として指定を受けている由緒あるタウンホールでコンサートが開かれました。収容人員数は1,500人です。7月にニューポート・フォーク・フェスティバルに初登場し、さらに10月26日には、こちらもクラシック音楽を中心とした権威のある音楽の殿堂であるカーネギー・ホールにたった一人で立ちました。ここの収容人員数は2,804人です。

スタジオ・アルバムにしても、小さな場所でのライブにしても、そして大きな会場でのコンサートも、そのほとんどがギター1本、ハーモニカ1個による弾き語りのスタイルでしたから、ボブ・ディランはどこへでも気軽に登場することが可能でした。誰かと演奏を打合せする必要もありませんし、しいて言うなら夏以降共演機会が増えたジョーン・バエズは、圧倒的な歌唱力でどんな状況でもディランに合わせてくれるので助かったことでしょう。

まだテープ・レコーダーが一般に普及する前ですから、テープ・レコーダーがある家では何でもチャンスがあれば録音をしていたのだと思います。ディランがあちこちの家庭を訪問した際に、歌を催促されテープに残されたものが驚くほど残っています。ですが、どんな状況でもディランの歌唱そのものは、一聴しただけではあまり変わり映えしない。

これらの音源は多くの海賊版として世の中に登場していますが、そのほとんどを網羅した公式音源として「The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window」がCD8枚組のセットで2025年にリリースされました。今では、可能な限りリマスターされた聞きやすい音になって簡単に聞くことができるのはありがたいことです。

コロンビア・レコードは、当初タウンホールとカーネギーホールでのライブを合わせて、「In Concert」としてディラン初のライブ盤を発売する予定でした(写真左)。しかし、発売直前でディランから「ライブももう過去のものだから新しいものに注力したい」との意見により発売は中止になっています。

2005年に、ディラン作品の購入特典としてカーネギーホールでの音源から6曲を収録したCDが配布されました(写真右)。また同年にM・スコセッシ監督によるドキュメンタリー映画「No Direction Home」にはカーネギーホールでの別の2曲が使われました。そして、2025年に「The Bootleg Series Vol.18」で、ついにカーネギーホール・コンサートのすべてが公開されています。

スタジオで録音されたレコードしか無い時期ですから、後から出てきた公式盤、あるいは海賊盤であっても無視することは悪くはないのですが、リアルタイムのファン達はおそらくレコードよりも実演に接して口コミでディランの人気を盛り上げた部分がかなり大きいだろうと想像します。

ですから、ディランのようなフォーク歌手にとっては客を前にしたパフォーマンスは、レコードよりもよりその真価を発揮する機会として重要だと思います。「The Bootleg Series」は海賊盤対策として新たに著作権を主張する根拠として立ち上がった企画だとは思いますが、埋もれていた音源を可能な限り聞きやすく集大成するという意味では大きな意義があります。

カーネギーホールのコンサートは録音が終わったばかりの次のアルバムのタイトル曲「The Times They Are a-Changin'」からスタート。4枚目のアルバムに収録されることになる曲なども含めて客の反応が良いのは、すでにライブではお馴染みなのかもしれません。

アルバム「The Freewheekin'」で録音されながら政治的過ぎる理由でボツになっていた「Talking John Birch Paranoid Blues」は、反共産主義の極右結社であるジョン・バーチ協会を揶揄した曲で、聴衆が歌詞に反応して度々笑いが起こります。また「風に吹かれて」を歌う前にはタイトルにまつわる笑い話を語り全体的に饒舌です。

このようなディランの雰囲気はスタジオ・アルバムだけしか知らないと意外な印象を持ちますが、全体的にプロテスト・ソングが多いセットリストの中で、ディランが実に余裕をもってユーモアを持ち合わせていたことが伝わってきます。


The Times They Are A-Changin'
Ballad of Hollis Brown
Who Killed Davey Moore?
Boots of Spanish Leather
Talkin' John Birch Paranoid Blues
Lay Down Your Weary Tune
Blowin' in the Wind
Percy's Song
Seven Curses
Walls of Red Wing
North Country Blues
A Hard Rain's A-Gonna Fall
Talkin' World War III Blues
Don't Think Twice, It's All Right
Story: Hootenanny Hoot
With God on Our Side
Only a Pawn in Their Game
Masters of War
The Lonesome Death of Hattie Carroll
When the Ship Comes In

October 26, 1963 Carnegie Hall, NYC
from "The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window"

☆☆☆

2026年6月5日金曜日

ビヨウヤナギ


美容柳と書きます。

真正バラ類キントラノオ目オトギリソウ科オトギリソウ属のHypericum monogynumです・・・って、難しいなぁ。そもそも柳の仲間じゃないし。

大きくなっても人の身長ほどで、今が花期で、けっこうあちこちに植えてあることに気がつきました。

葉を煎じると消炎鎮痛効果があるらしい。と言っても、下手に使うのは危ないこともあるかもしれない。

たくさんの長い雄蕊(おしべ)が特徴ですから、一度覚えると忘れなさそうですね。

2026年6月4日木曜日

The Freewheelin' (1963)


フォーク・ソングというのは、そもそもはその土地に伝承されてきた民族音楽のことですが、それらを手軽に楽しむための道具としてギターやハーモニカといったものが普及しました。それらをうまく使って、人々に寄り添ってその気持ちを代弁することで人気を集めたのがウディ・ガスリー(1912-1967)でした。

次第にフォークは反体制的な色合いを強め、ジョーン・バエズのようなスター歌手の登場とともに60年代になってベトナム戦争に対する反戦運動が盛んになるとプロテスト・ソングの傾向はさらに濃くなっていきます。

1941年生まれのロバート・ジマーマン少年は、小さい時から家にあったピアノとギターに慣れ親しみ、50年代の普通の少年と同じでロカビリーに夢中になっていました。1959年には大学へは登校せず、ガスリーに感化されミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始めます。この時、ロバートの愛称と詩人のディラン・トーマスからとった「ボブ・ディラン」を名乗り始めるのでした。

1960年12月にニューヨークに出てきたボブ・ディランは、カウンター・カルチャーの聖地、グリニッジ・ヴィレッジを根城にして歌える場所ならどこにでも顔を出すようになります。1961年2月、すでに歌手としては引退しているガスリーと彼が長期療養のため入院している病院で面会しています。

少しずつ小銭稼ぎ的な仕事をしているうちに、コロンビア・レコードで力を持っていたプロデューサーであるジョン・ハモンドがディランの存在を知ることになるのでした。ロバート・ジマーマンが「ボブ・ディラン」に変貌していく過程は「The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window」に多くのプライベート録音が収録されていて、大変興味深いものがあります。

デヴュー・アルバムがあまり話題にならなかったディランは、あちこちのクラブなどでの「対外試合」を加速させ、知名度を広げ技能的にも向上させることに集中したかのようです。また自作曲を増やし、出版社に売り込むためのでもデモ音源を作成していて、これは後に「Witmark Demos」として「The Bootleg Series」からも公式にリリースされました。

1962年4月からは、再びコロンビア・レコードのスタジオで断続的に1年ほどかけてレコーディングが開始され、1963年5月にいよいよ発売されたのが初期の傑作とされる「The Freewheelin'」です。フリーホイール(freewheel)は、ほぼすべての自転車に備わっているペダルを回し続けなくても惰性で進める駆動輪のことで、アルバムのタイトルとしては意味深です。

特に傑作とされる理由は、ディランの初期の代表作となる「風に吹かれて (Blowin' in the Wind)」、「はげしい雨が降る (A Hard Rain's a-Gonna Fall) 」、「戦争の親玉 (Masters of War)」、「くよくよするなよ (Don't Think Twice, It's All Right)」、「北国の少女 (Girl from the North Country)」など、後々まで歌い続けられる曲が目白押しであるところが大きい。

1作目では2曲だけが自作曲でしたが、この2作目では全13曲中2曲だけがカバー曲です。基本的には前作と同様にディラン自身のギターとハーモニカ、あるいはピアノによる伴奏だけですが、カバー曲の「コリーナ・コリーナ (Corrina, Corrina)」だけにバンドが加わっていて浮いた印象を持ちます。

冒頭の「風に吹かれて」は、ピーター・ポール&マリーがカバーして大ヒットし、ジョーン・バエズもアルバムで取り上げました。「どれだけ歩けば男は一人前と認められるのか。どれほどの砲弾が飛び交えば武器がなくなるのか・・・答えは風に吹かれている」という抽象的な内容が、ディランの意図とは関係なく当時吹き荒れていた公民権運動のテーマソングのように扱われたのです。その結果、ディランは反体制の旗頭であり、彼の歌うフォークはプロテスト・ソングであるという固定観念が浸透してしまうのでした。

もっとも「戦争の親玉」では積極的に武器を作る人・使う人を糾弾しています。「第3次世界大戦を語るブルース」では、キューバ危機により核戦争が現実味を帯びていた時期に、夢の中での不思議な体験を語るのですから、プロテスト・ソングを歌う歌手として祭り上げられてしまうのはしょうがない。

もっとも「北国の少女」は寒さの厳しい北国のかつての恋人に思いをはせる歌ですし、「くよくよするなよ」は恋人同士のすれ違いの歌です。そもそもアルバム・ジャケットが当時の恋人と一緒に写っている写真が使われているのですから、真っ向から社会を敵に回そうとする意志はあまり感じられません。


Blowin' In The Wind
Girl From The North Country
Masters Of War
Down The Highway
Bob Dylan's Blues
A Hard Rain's A-Gonna Fall
Don't Think Twice, It's All Right
Bob Dylan's Dream
Oxford Town
Talking World War III Blues
Corrina, Corrina
Honey, Just Allow Me One More Chance
I Shall Be Free

"Corrina, Corrina" Leonard Gaskin (b), Herb Lovelle (ds), Bruce Langhorne (g), Howie Collins (g), Dick Wellstood (p)
April, 1962 ~ April, 1963, NYC

☆☆☆☆☆

2026年6月3日水曜日

Bob Dylan (1962)


ある特定のアーテイストの音楽を聴こうという場合、正規の公式アルバム単位で、できれば古い物から順番に聴くというのが基本です。ですから、ネットで「おすすめ」とか「ランキング」で検索すると、アルバムごとの評価が並ぶことになる。

ボブ・ディランの場合も基本的にはそれでいいんですが、通常は一定のコンセプトでまとめられたはずのアルバムのはずが、意外とあまり考えられていない場合があったりします。ただやりたいからやったみたいな、かなり雰囲気だけで決めている節がないわけではないので、ボブ・ディランを聴き込む場合は、一つ一つの曲により注目することも忘れてはいけません。

また、ネットの情報はやはり個人の主観、そしてすでに定まった評価に基づいていることが多く(当然、ここでの話もそうなんですが)、必ずしも良し悪しを判断する最適な方法とはならないことがしばしばあります。とにかく、他人の意見に左右されずに自分の耳で聞くことが大事ということを忘れてはいけません。

さて、記念すべきボブ・ディランのデヴュー・アルバムは1962年3月にリリースされた、ずはりタイトルは「BOB DYLAN」です。全13曲収録で、自作曲は「ウディに捧げる歌」、「ニューヨークを語る」の2曲だけであとはカヴァー曲という構成。録音は前年の11月20日と22日の二日間だけで行われました。

自作曲が少ないという理由で、たいへん評価が低いのですが、それは作詞家・作曲家というの一面についてのみ注目しているからです。才能が有ると認められたから大手のコロンビア・レコードと契約できたものの、まだ海の物とも山の物ともわからない二十歳になったばかりの若者を売り出すためには、誰もが知っている曲を利用するというのはレコード会社の常套手段です。

ですから、ここでは歌手としてのボブ・ディランに注目すべきところ。そう思って聞くと、ディランの意識的に曲によって声色を変える特徴はすでにここでも聞くことが出来ます。また、曲によってはフォークというよりは、明らかにロック歌手のような歌い方もしていて、自分で演奏するフォーク・ギターとハーモニカだけのシンプルな世界なのに、独自の雰囲気をしっかりと出している作品で悪くはないと思います。

とは言え、他人の曲ばかりでは本人も多少不本意な部分はあったのかもしれません。後にリリースされた「The Bootleg Seriese Vol.1」に数曲のアウトテイクが収録されていますが、何度も歌うことには乗り気でなかったようです。いずれにせよ「ボブ・ディラン」はここから始まったことは否定しようのない事実です。


You're No Good
Talkin' New York
In My Time Of Dyin'
Man Of Constant Sorrow
Fixin' To Die
Pretty Peggy-O
Highway 51
Gospel Plow
Baby, Let Me Follow You Down
House Of The Risin' Sun
Freight Train Blues
Song To Woody
See That My Grave Is Kept Clean

November 20 & 22, 1961, NYC

☆☆☆

2026年6月2日火曜日

山田神社 @ 都筑区南山田町


初詣はここに行くという方がけっこういるんじゃないかと思いますが、サレジオ学院の近くにあって、中原街道からの長い参道を持つしっかりした神社です。

敷地内に「皇太子殿下御成婚記念碑」というのがあって、平成5年のものなので、今の天皇陛下の結婚の際に建てられたもので、ここに神社の由緒が刻まれています。

山田の地は太古の昔から豊かな土地だったらしく、ずいぶんと栄えたらしい。貞観2年(860年)にはすでに諏訪神社があったと記されています。

そこから時代はいっきに進んで、明治43年11月、村社神明神社、無格社諏訪神社、同八幡神社2社、同熱田神社、同稲荷神社七社、同菅神社、同熊野神社、同子聖神社を妙見社へ合祀すると同時に山田神社と改称したとなっています。

従って、それぞれの神社の御祭神がまとめて祀られているため、その数は全部で9柱と多くなっています。神明社代表は大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと、天照大神の別名)、諏訪神社代表は建御名方神(たけみなかたのかみ)、八幡神社代表は応神天皇(八幡神)、稲荷代表は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、熊野神社代表は伊弉冊尊(いざなみのみこと)、子聖神社代表は大己貴尊(おおなむちのみこと)です。

あと日本武尊(やまとたけるのみこと)と菅丞相霊(かんしょうじょうのれい、菅原道真のこと)が残ったのですが、熱田神社は天照大神以外に日本武尊も祀っています。菅神社は名前からして菅原道真関連のように思います。

そして、それらの神が集められた妙見社というのは北極星・北斗七星を神格化した天地開闢の最も真っ先に登場する天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を御祭神としているので、全部で9柱の勢ぞろいということになります。

神奈川県神社本庁HPには天之御中主神のかわりに高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が入っていますが、高皇産霊神は天之御中主神の次に登場するので間違いではないかと思います。

写真を見て、あれ? と思った方いますか。本殿の左側にあるもの・・・鐘楼です。一般的に鐘は寺で見かけるものなので、神社にあるのは違和感を感じますよね。

平安時代に仏教の勢いが増してくると、しだいに古来から土着の信仰であった神道との境界がが曖昧になり「神仏習合」と言われるようになります。その結果、神社に鐘楼があったり、寺に鳥居ができたりしたのです。

ところが、明治維新により「神仏分離」が行われ、今では基本的には別のものと考えられるようになりました。ですから、その名残りとして鐘楼が残されたということで、神社が古い歴史を持っていることを示すものと考えられます。

2026年6月1日月曜日

ボブ・ディラン


さて、いきなりですが問題です。

ロック史上で世界で最初にいわゆる「海賊盤 (bootleg)」と呼ばれる、非公式発売のレコードが登場したミュージシャンは誰でしょうか。


ヒント・・・登場したのは1969年夏。タイトルは「Great White Wonder」で、誰の演奏なのかは表記されないタイトルだけの白いジャケットでした。

では、今では必須と言えるミュージック・ビデオですが、これを世界で初めて作ったアーティストは誰でしょうか。

ヒント・・・ビートルズだとか、いやいやマイケル・ジャクソンだとか言われていますが、1965年に公開されたもので、手書きの歌詞の断片を書いたたくさんの紙を、本人が歌に合わせてめくっていくというものでした。

それでは、最後の問題。2016年に世界で初めて、ミュージャンで歌詞が評価されノーベル文学賞を受賞したのは誰でしょう。

これはかなり話題になった有名な話なので、本人に興味が無い人でも、このニュースには驚いたことと思います。

そうです。いずれも答えはボブ・ディランです。

ボブ・ディランBob Dylan、本名はRobert Allen Zimmerman。1941年5月24日、アメリカのミネソタ州ダルースで生まれ。御年85歳になっても、多くのステージをこなして、フォーク、ロック界で絶対的な生きる伝説として君臨する存在です。

1962年にコロンビア・レコード(現Sony Music Entertainment)からデヴューし、すでにそのキャリアは60年を超えています。公式に発売されたスタジオ録音のアルバムは40作品、ライブ・アルバムは22作品、ベスト盤などのコンピレーションの類は世界中で数えきれないくらい発売されています。

流出したセッション・テープやライブ録音からなる海賊盤の数はほとんど無限にあって、さすがに頭を痛めたコロンビア・レコードは、著作権延長のための未発表曲集を作ったり、海賊盤音源さえもリマスターして取り込んでしまう「The Bootleg Series」を制作しています。

普通なら海賊盤の音源は「隠し録り」された劣悪な音質のもので聞くに堪えないはずだったんですが、サウンドボードという音響機器から直接出力された公式音源に負けないものが多数あるから困ったものです。

さらに。ボブ・ディランはアルバムに採用しなかった未発表曲が膨大な数になることが知られていて、それらの中に何でアルバムに採用しなかったのか不思議なくらい素晴らしいものが相当数あるので厄介です。つまり、時間的にも量的にも最大深度まで深入りしてみる価値があるということ。

自分の初めてのボブ・ディランとの出会いは、だいぶ古くて1972年にさかのぼります。

自分が初めて世界地図で知った東パキスタンと呼ばれていた土地が、西パキスタン(今のパキスタン)からの独立を求めて紛争が勃発し、後にバングラ・デシュとなる東パキスタンの国民は極度の飢餓にさらされたのです。これに対して、ジョージ・ハリスンとインドの国際的なシタール奏者、ラビ・シャンカールが中心となって1971年にチャリティ・コンサートが開催されました。

この時のライブが翌年にLPレコード3枚組で発売されました。骨と皮だけのこどもの写真をメインにしつらえたジャケットも強いインパクトがあり、豪華な出演者につられて自分も購入したわけです。ただ、1枚目SIDE-Aのシャンカールの長いシタール演奏は、ほぼ最後まで聞いたことが無い。


リンゴ・スターの歌もあんまり真剣になれず、ジョージ・ハリスンとレオン・ラッセル中心に聞いて、いよいよ3枚目のSIDE-Aにボブ・ディランが登場します。初めてのディランは、ハリスンらのごく軽いバッキングはありますが、ほとんど自ら演奏するフォーク・ギター伴奏による歌唱で、今から考えるとその時までの代表曲のオン・パレードでした。

独特の声と歌い方に面くらいながらも、何度か聞いていくうちに癖になってくるから不思議です。その後も新しいアルバムが出ると注目はしましたが、実は他に聞きたい音楽がたくさんあったのでディランまでは懐が回ってきませんでした。

さすがに大人買いもできる年齢になったので、積極的にディランのこれまでの軌跡を埋めていきたいと思うようになりました。知れば知るほど、音楽的にも人間的にも実に興味深く、音楽好きならはまること請け合いです。

2026年5月31日日曜日

天照皇大神 牛久保神社 @ 都筑区牛久保西


実はここも最近まで知らなかった神社。なんと、センター北にある何度も訪れたことがある都筑区医師会館のすぐ近くで、なんで気がつかなかったんだろう・・・

今では住宅街となった区域の中で、大きくはありませんが小さいと言うほどでもない規模。鳥居から本殿までに階段はなく、平坦な土地に建っています。ということは、別の場所から移設された可能性が高そうです。

実際、港北ニュータウン計画の一環として、今の場所に平成10年に近くの請地から移設されたらしい。少なくとも、昔から牛久保地域で総鎮守として信仰の対象とされてきたようです。

由来などの説明がわかるような碑や掲示物はまったくないのですが、名称からして天照大神を祀る典型的な神明社(伊勢神宮を総本社とする神社群の総称)のひとつと考えられます。

神奈川県神社庁のHPによれば、御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)の一柱だけとなっていますが、やはりそのほかの説明はありません。「牛久保神社」というのは正式名称ではないようで、本来は「天照皇大神(てんしょうこうたいじん)」だけ。

19世紀のはじめに編まれた新編武蔵風土記稿によると、牛久保村には10の社があることが記載されていますが、その中の「伊勢宮」か「神明宮」のいずれかが該当するのかもしれません。

天気の良い早朝は東から陽が射してきて、まさに天照大神に見守られているかのような不思議に感覚が湧いてきました。

2026年5月30日土曜日

よしだたくろう オン・ステージ ともだち (1971)


吉田拓郎です。当時は平仮名表記でした。

中学生になると、何か誰もがフォーク・ギターを持ちたがり、ストロークだけでは恥ずかしいので3フィンガー・ピッキングなどを必死に練習したものです。そんな連中に音楽を提供していたのがELECというマイナーなレコード会社で、古井戸、泉谷しげるもそして一番のスターがよしだたくろうでした。

若かりし頃の吉田拓郎が最も影響を受けたとされるのがボブ・ディラン。ギター1本、ハーモニカ1個で自己表現をするやり方に強く感化された吉田拓郎は、後から思えばこの時期ディランを強く意識した演奏スタイル、歌唱方法を真似ていたことは間違いがない。

すでに「青春の詩」や「人間なんて」というアルバムもありましたが、最初に買ったのがこのライブ盤でした。これが最高に楽しい!! 特に間に入る拓郎のMCが絶妙です。当時の彼の喋り方で「・・・なのです」とか「・・・であります」というのは、けっこう真似していました。

これは、意図的にMCを多めに入れてライブの楽しさを伝えようとしたものらしい。またこの前の2枚のアルバムに収録されていない曲も多く、他人の曲、自分の曲の替え歌などバラエティに富んだ構成も楽しめました。

ディランに影響を受けているといっても、政治的意図はほとんどなく(日本にもその手のシンガーはたくさんいましたが)、すでにフォークをエンターテイメントとして客を楽しませる姿勢に好感が持てました。

この後、メジャーのCBSソニーに移籍して、よりポップ色を強くしロック化もしていくことになるんですが、それはそれで吉田拓郎の魅力の一つとして素直に受け入れることはやぶさかではありません。ただ、ELEC時代の純フォーク時代の3枚のアルバムは、「よしだたくろう」の原点として別の意味で素晴らしい。

少なくとも「よしだたくろう」を聞かずして「吉田拓郎」が好きだとは言ってもらいたくない・・・とは大げさかもしれませんけどね。

2026年5月29日金曜日

Joan Baez / Come from the Shadow (1972)


ジヨーン・バエズ・・・と、言って日本でどれだけの人が覚えているのか、ちょっと不安になるのは、1980年以後はあまりその活躍は日本には伝わっていなかったような気がするから。

でも、アメリカのフォーク・シンガーの元祖の一人として50年代後半から人気を博し、しかも当時の世相を反映して公民権運動・反戦活動に身を投じて、反体制派の女神のように扱われていました。

実は2018年に77歳で音楽活動から引退しているので、もう新しい曲を聴くことはできないのですが、2023年にはドキュメンタリー映画「I am a Noise」公開され、バエズのキャリアの総括が見れたことはファンとしてはとても嬉しいことでした。

中学生になった自分は、イギリスのビートルズも聴きましたが、大量に日本に流入してくるアメリカのポップスに触れる機会が多かったと思います。日本で言えば、吉田拓郎。泉谷しげる、古井戸らに代表されるフォーク・ソングは、自然とギターを練習するのにも役に立ちました。

アメリカでは、ピーター・ポール&マリーは、やや自分より上の世代の人に人気で、自分たちはサイモン&ガーファンクルでした。なんでジョーン・バエズに興味を持ったのかは記憶に定かではないのですが、少なくとも前年にジョージ・ハリソンが中心になって行われた「バングラ・デシュのためのチャリティ・コンサート」から連想した部分があったかもしれない。

後から知ったことですが、70年代に入って活動の矛先を失った反戦歌手たちは、何を目標にすればいいのかわからない袋小路に入り込んでいたらしい。

バエズもその一人で、飢餓に苦しむバングラ・デシュの人々をはじめとして、このアルバムの中でいろいろな物に拳を振り上げているのですが、バエズの良いところは美しい歌声によって、怒りの怖さみたいなものが表面化しないところだと思います。

シンブルなタイトルと白黒の写真のジャケット、しかも写っているのは政治的な匂いのする反戦デモに参加して逮捕連行される高齢者夫婦というのも、レコード屋さんで見かけた時のインパクトは絶大でした。

2026年5月28日木曜日

裏船頭御嶽社 @ 青葉区元石川町


すすき野御嶽神社から、北東のたまプラーザ方面に1.5kmほど行ったところにも御嶽神社があります。近くには元石川高校がある。

こちらも御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)で、すすき野の同じような経緯があるかもしれません。創建時期は不明ですが、寛文11年(1671年)の記録に記載があるそうです。

本来は御嶽社という名称ですが、通称で裏船頭が頭についています。船頭と言えば船の水先案内人ですが、どう見ても海も湖もありませんし、早渕川は近いけど船を浮かべるほど深くない。

実は、神社の裏山を越えた向こう側が船頭と呼ばれる地域で、今も交差点の名称として信号機に表記されています。これは、北の石川村と南の荏田村の間で水争いが起こり、石川村が水浸しになったため船で移動したという言い伝えからついた名称です。

船頭地区の裏にあるから裏船頭ということで、村落の鎮守として小さくても大切に守られてきた神社です。

2026年5月27日水曜日

御嶽神社 @ 青葉区すすき野


剣山小学校の近くにあり、大きな神社ではありませんが、祭りなどではけっこう賑わいます。

創建年代は不明とされていて、慶応4年(1868年)に再建された記録があります。昔は、この近辺は黒須田村という集落があり、村の鎮守として人々の信仰を担ってきたようです。

御嶽神社という名称の神社も全国にありますが、基本的には木曽御嶽山の修験者によって広まった各地の霊山に対する山岳信仰が基本です。この付近には霊山と呼べるような山は見当たらないので、有力な御嶽社から分祀されたのかもしれません。

御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)で、熊襲征伐、東国遠征などで古代史きっての有名人であり、かつ悲劇のヒーローです。東征の際に霧深い山中で道に迷った際に、白い狼に助けられたという伝説が関係していて、火難除けや盗難除けの御利益があると考えられています。

さらに倉稲魂命(宇迦之御魂神、うかのみたまのみこと)も祀っています。宇迦之御魂神は稲荷信仰の主祭神ですから、以前は農村が広がり五穀豊穣、商売繁盛、産業興隆の御利を期待されていたのだと思います。

2026年5月26日火曜日

宮﨑辛麺


おみやげにいただいたインスタント食品です。

宮﨑辛麺は、宮崎県延岡市発祥の「ソウルフード」ですが、チャルメラ・シリーズなどにも登場して、そこそこ全国区に知名度があります。

今回は空港限定と書いてある「生麺」タイプというもので、茹でる前は一見すると盛岡冷麺みたいに見えました。

宮﨑辛麺は、小麦粉だけでなくそば粉を混ぜてこしの強い麺が特徴とされていますが、思ったよりは硬さはありませんでした。

味は鶏ガラベースで、ニラや溶き卵を入れると「さらに美味しい」ということなので、素直に従ってみました。味そのものは、川崎のソウルフード「元祖ニュータンタンメン」と似た感じです。

パッケージでは真っ赤っかなのですが、出来上がりはそれほどではなく、辛くしたい人は唐辛子を追加することをお勧めしますが、これだけでも美味しく食べれる十分な辛さはあると思います。

2026年5月25日月曜日

グレン・グールド/ J.S.バッハ インベンションとシンフォニア (1964)


クラシック音楽は、最初に飼ったレコードはCBSソニーレコードの2枚組廉価版シリーズです。ソニーがアメリカのコロンビア・レコードと契約してメディア路線に進出した最初の取り組みで、かなり格安のレコードを販売したのです。

バーンスタインの「ガーシュイン / ラプソディ・イン・ブルー」とか、アントルモンの「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」などを聞いたのですが、最初にそれなりの定価で買ったのは、カール・ベームの「ベートーヴェン/ 交響曲第9番」、そしてルージィッチコヴァの「J.S.バッハ / ハープシコード協奏曲」と続きます。

で、ハープシコードという鍵盤楽器の音がたいそう気に入ったわけです。ピアノと違って、鋼線を叩くのではなくひっかくことで音を出すバロック期の楽器です。音の強弱はつけられませんが、その繊細な音色が耳障りがよかったんでしょうね。

で、ハープシコードと聞きたければバッハしかないと中学生の良い子は思い込んでしまう。レコード屋さんに行く、迷わずバッハの棚を探す、鍵盤のソロのアルバムを見つける、そしてこれだ!! とろくすっぼ内容は確認せずにお金を払って家に持ち帰るのです。

レコード・プレイヤーに乗せて針を落とすと、聞こえてきたのはピアノの音。ハープシコードじゃありません。そうなんです、今ならそんなの当たり前じゃんと言うところなんですが、グレン・グールドは基本的にバッハを現代ピアノで弾いてしまう達人です。

グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」によって、クラシック音楽でも楽譜の解釈の違いから演奏家によってずいぶんと違う音楽として楽しめると開眼したのは、大人になってから、それもほんの20年くらい前の事です。

その時はもグールドがどれだけ凄い人なのかまったく知らないわけで、バッハなのにピアノで演奏するとは何といい加減な音楽だと思ってしまいました。ですから、ある意味、最も精神的・金銭的に衝撃を受けたレコードだったということになります。

もちろん、今はとても楽しく聞くことができる。まぁ、こどもにはわからんだろうな・・・

2026年5月24日日曜日

琴平神社 @ 麻生区王禅寺


最寄駅は小田急線の柿生駅ですが、徒歩は大変でバスに乗って、王禅寺ふるさと公園の横に位置しています。

下の道から、ここもまた急な階段を上らないといけません。神社が高い所にあるのは、山や森を神聖視した「自然崇拝」し俗世と神を隔てる意味があると考えられているのでしょうがない。

緩やかな坂を昇る「女坂」もありますが、大混雑する正月の初詣の時は行きは階段、帰りは坂に限定されてしまいます。

創建は18世紀はじめと言われていますが、確実なのは1826年(文政9年)に神明社と琴平社が合祀され再建されたとされています。つまり、今年がちょうど200年という、神社としては比較的新しい(HPでは450年としています)。

琴平社の御祭神は地上の最高神である大物主神(おおものぬしのかみ、大国主尊の別名)ですが、天上の最高神である天照大神(あまてらすおおみかみ)を御祭神とする神明社が合わさっているので、両者を祀っています。

大物主神を祀る有名な神社としては、香川県の金毘羅宮があり、海上を中心とした交通安全の御利益があると言われていますが、そこを総本山として「こんぴら信仰」は全国に広まり、この琴平神社も「柿生のこんぴら様」と呼ばれることもあります。

平成19年に本殿は放火により焼失しましたが、平成23年に再建されています。御神体は無事でしたが、天井の有名だった花鳥山水を描いた板絵は失われてしまいました。

武州柿生の地では大変賑わっている神社で、道を挟んだ向かい側に大々的な社務所や祈祷殿、末社として稲荷社・弁財天などがあり、本殿よりも目立っています。

ちなみに元祖仮面ライダー(1971年)の第27話「ムカデラス怪人教室」では、焼失前の本殿前でロケが行われています。

2026年5月23日土曜日

咳の神 @ 都筑区茅ケ崎中央


な、な、何だ、これは!! 咳の神って何なんだ。

もう20年も前から、ほとんど毎日のようにこの前を通っていたのに、つい最近まで気がつかなかった。

場所は都筑中央公園の際を区役所通りから曲がってすぐ。住所は都筑区茅ケ崎中央ですが、車で通る道からほんのちょっとだけは行ったところで、通りかかっただけだとほぼ見えません。

以前に、横浜市の名木古木保存事業に指定された立派な欅を紹介したことがあるんですが、実は「咳の神」同じ敷地にあるんです。

正確には社宮司社(しゃぐじしゃ)と呼び、俗称「おしゃもじ様」という、ごくごくちいさな社があるだけなんですが、検索してみると話題にしている方はけっこういました。

隣家の方が管理しているらしく、とてもきれいにしてあります。手前に手書きの説明が掲示してあります。それによると、

「風邪・喘息・百日咳などで咳に悩む人がこの社に上げてあるおしゃもじを持って帰り、喉を撫でると効き目があると言われる。快復すると今度は二本にしてお礼する。社宮司は音が杓子と似ているので「しゃもじ」に転じた。信濃国の諏訪大社の信仰圏内である武蔵国・相模・尾張・伊勢・飛騨の地域に多数分布している(一部省略)」ということのようです。

御祭神は杓子大神(しゃくしのおおかみ)で、御社宮司または御射宮司(みしゃぐじ)の他様々な呼び方があるようですが、長野県諏訪地方の古来からの民間信仰を担っていた土着の神とされています。

社の中にはいくつのしゃもじが置かれていましたが、一番目立つのは三段に重ねた石です。もしかしたら、呼吸器疾患を治すご利益というのは、疫病・悪霊退散のための民間信仰である道祖神と何らかの関連があったりするのかもしれません。

2026年5月22日金曜日

ユーライア・ヒープ / 対自核 (1971)


ユーライア・ヒープ (Uriah Heep)というロック・バンドは、かなりはまった。ある意味ツェッペリンやディープ・パープルよりもです。

イギリス発の5人組のヘヴィ・ロック・バンドであるユーライア・ヒープが日本で認知されたのは、彼らにとって3枚目となるアルバム「対自核 (Look at Yourself)」からで、自分もそこから取りつかれた一人。

メンバーの入れ替えが激しいグルーブでしたが、この三枚目でメンバーが固定し黄金期を迎えます。中心となるのはリード・ギターのミック・ボックスとキーボードのケン・ヘンズレーで、ミック・ボックスのおかけでストラトかレスポール一辺倒だったエレキ・ギターに、SGというタイプが人気を上げました。

またハモンド・オルガンの名手ケン・ヘンズレーは、ボトルネックを使ったスライド・ギターもかなりの腕前で、多くの曲で活躍しました。高音が伸びるボーカルはデヴィッド・バイロン、ドラムはリー・カースレイク、そしてベーシストは悲劇のゲイリー・セインです。セインは演奏中に感電死しました。

LPレコードの30cm四方のアルバム・ジャケットは、真ん中にアルミ箔が貼ってあって鏡のような作りになっていました。これはまさに「自分を見つめてみろ (Look at  Yourself)」ということで、こういう仕掛けはとても珍しかったので、これだけでも注目に値しました。

個人的な好みでは、この次のアルバムである「悪魔と魔法使い」の方が好きだったんですけども、このアルバムも名曲ぞろいでした。

そんな日本でも人気が高まった1973年3月16日、日本武道館で初来日ライブが行われました。ちなみに同年5月には、ジェフ・ベックの初来日の予定もあって、とにかく悩んだ。当時、武道館の2階席で5000円くらいだったと思いますが、中学生には大金で、両方行くなんてことは不可能。ユーライア・ヒープのコンサートで、直近のベックのコンサート・フィルムが併映されるということがわかって、ぐっとこらえてユーライア・ヒープのライブに行きました。

それにしても、このメンバーで続いた期間は4年くらいで、その後はまた人の出入りが激しくそれと共に忘れられた存在になっていったのは寂しい限りです。それぞれ我の強い人たちの集まりだったのかもしれませんね。

ちなみに・・・何と、アルバム・タイトル曲の「ルック・アット・ユアセルフ」をカバーした歌手が日本にいます。ザ・ピーナッツです。大人気があった双子の姉妹のデュエットで、若い方は映画「モスラ」の歌でしか知らないかもしれませんが、アメリカのポップス中心に洋楽もたくさん歌っていました・・・にしても、なんでこれを歌ったのか不思議です。

2026年5月21日木曜日

五社稲荷 @ 都筑区中川


横浜市営地下鉄の中川駅からは南に向かって徒歩10分ほど、住宅街の奥に鎮座しているお稲荷さんが五社稲荷です。

下の道からは25段ほどの階段を上ると鳥居があって、すぐ2m四方ほどの小さな拝殿があります。両側にはしっかりと御狐様が参拝者をにらんでいます。

神奈川県神社庁にも登録されていない小さな神社ですから、詳細はよくわかりません。周囲は月極駐車場に挟まれています。

ただし、拝殿にしても御狐様にしても、見た感じでは比較的新しいものなので、創建されたのはそんなに昔ではないか、あるいはよほどしっかりと管理されているのかと思います。

一般的に、稲荷神社は稲荷神を祀り、京都市伏見の伏見稲荷大社が総本宮です。稲荷は稲の荷と書くことからもわかるよう、穀物・農業の神として、一般庶民の篤い信仰を受けていました。

古事記に登場する須佐之男命の娘である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は、稲荷神と同一と考えられていて、伏見稲荷をはじめ多くの稲荷社で主祭神とされています。

伏見稲荷を含めて、特に有力な稲荷社をまとめて稲荷二十二社と呼ぶので、この五社稲荷という名称は、それらの中の五社が関係しているのかもしれません。

ただ、伏見稲荷は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)の他に佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)の農業に関係した五柱を祭神としています。

また、愛知県豊川市にはかなり立派な五社稲荷がありますが、ここも宇賀之御魂神(うかのみたまのかみ)以外に、宇迦之売神(うかのめのかみ)、稚産霊神(わくむすびのかみ)、大宮能売神(おおみやのめのかみ)、屋船神(やふねのかみ)という五柱を祭神としていることから五社と呼ばれています。

中川五社稲荷も、宇迦之御魂大神とあと四柱が祀られているのだろうと思いますが、今のように市街地に開発されるまでは、農業が盛んな土地で稲荷信仰が盛んであったことは想像に難くありません。

2026年5月20日水曜日

スモーク・ツリー


街の中にはいろいろと変わった植物が見つかるものです。歩いていたら、なんかモヤモヤっとした低木を見つけました。

例によってGoogleの画像検索にかけてみると、簡単に答えが出ました。

名称、「スモーク・ツリー」で、そのままんなネーミングです。和名だと「煙の木」で、さらにそのまま。

こうなる前に、5枚の花弁を持った小さな花が咲いている時期があるらしいのですが、花が終わると花托が細く伸びて写真のような状態になるんだそうです。

中国~ヒマラヤを原産とするウルシ科の植物で、育てるのは楽なんですが、放置すると10m弱くらいまで大きくなってしまうのて注意が必要。

さらに注意したいのは、ウルシの仲間なので皮膚に触れるとかぶれる場合があるので気を付けましょう。

2026年5月19日火曜日

ドリトル先生不思議な旅 (1967)


もしかしたら、初めて買ったかもしれないLPレコードがこれ。

映画のサントラ盤なんですが、たぶん親に連れられて映画館に行ったのかもしれません。レックス・ハリソン主演の有名な児童文学の実写版です。手堅い映画作りをするリチャード・フライシャーが監督。

その頃は、映画館では吹き替え版の上映なんてものはありませんから、当然右端に出る日本語字幕を頼りに見るしかありません。映画を理解するのは、小学生にはかなり難しかったのではないかと想像します。

ただ、このレコードは・・・というか、出てくる音楽は気に入ったんだと思います。

というのは、小学生高学年になるとクラブ活動が始まるのですが、自分は放送部に所属しました。

放送部は何をするかと言うと、昼休みにマイクに向かって「ピン、ポン、パン、ポ~ン」と小さな専用の鉄琴を鳴らすとか、夕方になるとドヴォルザークの「新世界」から「家路」のメロディと共に下校の時間ですと案内する。

今では大きなヘッドホンを付けて歩いている人は普通にいたりするのですが、放送部では当時珍しかったヘッドホンを装着して作業をするのがかっこよかったんです。

でもって、ある時、放送部の顧問の先生に許可を取った上で、このサントラ盤を昼休みに流したら、ことのほか好評で、特に音楽の先生には随分と褒められた記憶があります。

嫌いな音楽だったらそんなことはしないと思いますが、今から考えると給食を食べながら聞く音楽としてはあまり適切ではなかったかもしれませんね。

2026年5月18日月曜日

イタチハギ


道路沿いの土手に、ちょっと異様な植物を見つけました。

それぞれの枝の先に毛虫がたくさん付いているような、松の葉を根こそぎ食べてしまうマツノキハバチの巨大版みたいで、ちょっと近づきたくない感じ。

ところが、この黒いのが花なんです(正確には濃紫色)。

イタチハギ(鼬萩、別名 クロパナエンジュ)という植物で、本来は北米原産の外来種です。

繁殖力が強く他の植物の生育にも影響が出るため、「日本の侵略的外来種ワースト100」の中に含まれています。

この場所でも数十メートルに渡って広がっていて、花だとわかっても気持ちの良いものではありません。

ただし、もともとはマメ科の植物で、窒素を土中に作りやすく肥料としての効果が高いため、あえて植えられていることが多いようです。

また、花の部分からとれる蜜が、蜂蜜よりも濃厚な甘味があるので食用に利用されるみたいです。

2026年5月17日日曜日

驚神社 @ 青葉区あざみ野


驚神社と書いて、読み方はそのまま「おどろきじんじゃ」です。あざみ野駅から少し東側に行った早淵川のすぐ際にあります。住所で言うと、青葉区新石川町1丁目。えっ、こんなところに、こんな大きめの神社があるんだと驚くというのが名前の由来・・・な訳が無い。

創建年は不明ですが、奈良時代にもあったらしく、かなり古い歴史を持っていることは間違いない。昔々、この地域は石川牧と呼ばれていました。

その範囲は広くて、石川、荏田、大棚、茅ケ崎、黒須田、大場、鉄、麻生、鴨志田、王禅寺、菅生、土橋、有馬、馬絹、野川、梶ヶ谷などを含む地域されていました。この広範囲の地域には牧場があって、馬がたくさんいたらしい。

そこで飼育されていた馬は、時の政権へ奉納されていたようです。近くには鎌倉街道があったので、鎌倉時代には源頼朝の家臣の一人、畠山重忠(「鎌倉殿の13人」に登場します)の名馬とされる三日月はこの地で生まれ、自信はは何度もこの神社を参詣したと言われています。

つまり馬の敬う・・・と書いて「驚」となるわけです。驚神社はの石川牧の鎮守として、たいへん賑わい信仰を集めたようです。

御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の一柱で、古代史の中では天照大神の弟の暴れん坊で有名ですが、八岐大蛇を退治した英雄ですから、厄除け、疫病退散、水難・火難除けの神と崇められています。

今では街の中に埋もれてしまった感はあますが、七五三の時には賑わいを取り戻しています。

2026年5月16日土曜日

小林幸子 / おもいで酒 (1979)


自分の音楽の嗜好は無国籍状態なんですが、そのルーツの一つとも言えるのがこれ。

小林幸子の昭和54年の「おもいで酒」を含めたLPレコードです。今ではラスボスと呼ばれる幸子さん、26歳の時の最初の大ヒット曲で、その歴史はここから始まったと言っても過言ではありません。

なんで買ったのかなぁ? 不思議と言えば不思議。実は、このちょっと前に石川さゆりの「津軽海峡冬景色」のLPも買ってるんですよね。

石川さゆりは、まぁ、同世代というのもあるかもしれないけど、サチコ姐さんはそこそこ年上ですしね。歌謡曲が大好きだった父親の影響とかもあるのかもしれません。

それにこのアルバムは、「おもいで酒」以外は、全部他人のカバー曲。ヒットしたんで、あわてて出したのがみえみえです。

この頃は、歌謡曲なら普通に山口百恵に入れ込んでいた時期ですし、洋楽ももうハード・ロックからジャズに移っていましたので、かなり異色のレコードです。

あえていうなら、(今もお美しいですが)きれいなお姉さんのジャケット買いというところだたのかもしれません。

2026年5月15日金曜日

八雲神社 @ 青葉区美しが丘西


青葉区北部には行列が絶えない有名な「prologue」というパン屋さんがありますが、そのすぐ横の道を入っていくと公園に隣接して小さな神社があります。階段に面した道をさらに行くと太い道に出て、右に行くとあざみ野、左に行くとこれまた有名なラーメン屋の「初代」があります。

この神社は、けっこう怖い急こう配の階段を上ると、6~7m四方くらいの狭い敷地に一間ほどの堂が建てられているだけのかなり質素な作りです。

神社の由来などを記した看板などもなく、詳しいことはまったくわからない。鎌倉の八雲神社は有名ですが、神奈川県神社庁の登録も、市ヶ尾の八雲神社はありますが、こちらは探せません。

一般的に「八雲神社」と呼ばれる神社は疫病退散、厄除け、開運、縁結び、五穀豊穣の神とされる素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀っています。京都の八坂神社が発祥らしい。

「八雲」は何重にも重なった雲を表す言葉ですが、古事記の中で最初に出てくる歌が、出雲に降った須佐之男命(すさのおのみこと)が櫛名田比売(くしなだひめ)を娶った時のもの。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

これが31文字の短歌の原型となったと言われています。そんなわけで、素戔嗚尊を祀った神社は八雲神社と呼ばれるようになったわけです。

2026年5月14日木曜日

神鳥前川神社 @ 青葉区しらとり台


国道246号線を大和方面に行って、左にドンキホーテが見えたら、少し先を左曲がったところにあるのが神鳥前川神社です。最寄り駅は田園都市線の田奈です。

この神社は何と言っても強力な縁結びの御利益がある。

と言うのも、御祭神が日本古代史でたぶん初めて××して子供を授かった元祖夫婦みたいな伊邪那岐命(イザナギ)、伊邪那美命(イザナミ)・・・だけととどまらず、古代史の超有名人である倭建命(ヤマトタケル)とその妻である弟橘姫命(オトタチバナヒメ)です。

もう最強のラブラブ・ペアを祀っているという、これ以上何を望むべきかというところ。当然、今更自分には関係ないわけですが、恋人同士で訪れるならここしかありません。

創建されたのは1187年、文治3年ということなので、千年弱男女の縁を取り持ってきたということになります。境内には末社として伏見稲荷、八坂神社もあるという、なかなか一度で三度美味しい神社です。

2026年5月13日水曜日

カーペンターズ/ 動物と子供たちの詩 (1972)


これはサウンド・トラック盤で、本来は「動物と子供たちの詩 (Bless the Beasts and Children)」という映画のための音楽が入ったレコードでした。

映画は「真昼の決闘」や「ケイン号の叛乱」などで有名なスタンリー・クレイマーが監督した、こどもたちのひと夏の冒険を描いたものですが、まったく見たことは無いし、ビデオとして発売もされていないようです。

60~70年代前半というと、アメリカから大挙して入って来たポップスが、日本の音楽界を席巻していた時期で、その中でもダントツに人気と実力を誇ったのがカーペンターズでした。カレンとリチャードの兄妹によるデュオで、カレン・カーペンターの本当に美しい声、見事な歌唱力は、一度聞くと誰もが夢中になったものです。

残念ながらカレンが1983年に32歳の若さで突然亡くなったため、その後は忘れ去られたような存在になりました。ただ最も人気があった時期が自分がいろいろと音楽を聞くようになった時と一致していたので、とても音楽の嗜好に影響したと思っています。

で、買ったカーペンターズのレコードが「動物と子供たちの詩」というわけ。

映画は知らないけど、カーペンターズのアルバムだから、という理由なんですが、当然サウンドトラック盤なら普通の事ですが、カーペンターズの歌は主題歌1曲のみで、後はバリー・デ・ヴォーソンという人が作曲したBGMばかり。

主題歌「動物と子供たちの詩」自体はとても良い曲で、単独でヒットもしましたし、数あるベスト盤でも外されることは無い曲です。

定価2000円のレコードを1曲だけのために買うか? 買いません。単なる勘違いです。これというのも当時レコードを安く買うことができたからですが(理由は以前に書きました)、それでもかなりがっかりしたのは後の祭り。

そのショックのせいか、カーペンターズはとても好きだったのにもかかわらず、後にも先にも一枚もレコードを買うことなく終わってしまいました。

その後は大人になってからベスト盤のCDを買って、カーペンターズは今でも時々聞き続けているので、この一枚は自部の音楽史の中では「事件」の一つだったように思います。

2026年5月12日火曜日

更科 @ すすき野


久しぶりに近くの蕎麦店に行きました。

すすき野の更科は横浜市青葉区と川崎市麻生区の境界ぎりぎりにある、普通のお蕎麦屋さんです。あちこち美味しい店を探した時期もありましたが、結論として、現時点では一番美味しいお店であると思っています。

まず、店名通り、細くて白い更科の麺が、実に喉越しが良い。自家製麵ではないと思うのですが、「石挽き」とか「手打ち」を売りにしている蕎麦に劣ることはまったくない、

そして、つゆの美味しさが格別です。辛すぎず甘すぎず、醤油が付く過ぎない、出汁がよく効いたつゆは、冷たくても温かくてもまったく完璧に蕎麦と絡みます。

今回食べたのは「舞茸天のざる蕎麦」です。

大きめの舞茸の塊が4つあります。よくスーパーで売っている舞茸のパックだと2パック分くらいはありそうな量で、これだけでも大満足です。

今の場所に住むようになった時にすでにあった店なので、もう30年以上通っていますが、さすがに作り手は代替わりしていますが、しっかりと味を継承していて素晴らしいことだと思います。


2026年5月11日月曜日

十社宮 @ 青葉区美しが丘西


今年も初詣に行きましたので、前にも十社宮の話題は出したことがある。今回は。ちょっと深堀してみたいと思います。

十社宮(じっしゃぐう)は、青葉区美しが丘西2丁目にある小さな神社で、年始と例祭の時は自治会が中心になって世話人が出動していますが、常駐する宮司さんがいない無人の社です。

いつからあるのかはわかっていませんが、「新編武蔵風土記稿」には名が出てくるので、少なくとも江戸時代の初期と考えられています。江戸時代には石川村と呼ばれていたこの地域の氏神として十社権現社と呼ばれていました。

薬師堂と共に別当満願院(現・満願寺、あざみ野4丁目)が管理していたのですが、明治になって神仏分離令によって十社権現社は現在の場所に移転したものとされています。境内には末社として八雲神社が併設されています。

十社宮の御祭神は大勢います。列挙してみます。

国常立尊(くにのとこたちのみこと)

国狭槌尊(くにのさずちのみこと)

豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

泥土煮尊(ういじにのみこと)

沙土煮尊(すいじにのみこと)

大戸道尊(おおとのじのみこと)

大戸辺尊(おおとのべのみこと)

本多和気尊(ほむだわけのみこと)

天児屋根尊(あめのこやねのみこと)

大日孁尊(おおひるめのみこと)

つまり十柱の神を祀っていることが呼称の由来となっています。ここで、ちょっとあれ? っと思った方はけっこう神社のことをよく知っている方です。

一番末席にいる大日孁尊(おおひるめのみこと)は、日本神話の最高神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)の別名・尊称です。すべての神社の頂点に君臨する伊勢神宮は天照大御神を崇めていて、基本的に神社は何は無くても天照大御神は外せない。

実はトップに位置する国常立尊は、天地開闢の最初に現れた神様の中の神様なんです。その次に現れたのが国狭槌尊と豊斟渟尊です。ちなみに国狭槌尊は日本書紀には登場しますが、古事記には見当たらないという不思議な存在。

続いて泥土煮尊と沙土煮尊の夫婦神が現れ、一代飛ばして大戸道尊と大戸辺尊となり、さらに一代飛ばすと 伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)が登場します。伊邪那岐と伊邪那美から天照、月読、須佐之男が生まれていよいよ古代史は盛り上がっていきます。

天児屋根尊が抜けたんですが、天児屋根尊(または天児屋命)は、天岩戸神話の際に、岩戸に閉じこもった天照に出てくるように祝詞を奏上した神様で、天照の孫の瓊瓊杵尊(ニニギ)の天孫降臨に際にお供をしました。

いずれも天照より格上、または年上ということで、天照が末席に甘んじるという興味深い順列になっているというわけです。

小さな氏神様ですが、天照大御神のさらに上をいく強力な神様たちが集まっているので、頼もしさはそんじょそこらの神社には負けるはずがありません。

2026年5月10日日曜日

山王社 @ 麻生区王禅寺


神社のランク付けというのは「社格」と呼ばれ、古来、様々な分類が作られてきていて、今では昔ながらの呼び方も混在していてたいへんわかりにくい。

まぁ、「鰯の頭も信心」というくらいですから、信仰の対象としては箱の大小は関係ないと言ってしまえばそれまで。ただ、大きい方がご利益がありそうな感じがしてしまうものです。

明治時代になって定められた社格では、一番頂点にあるのが神宮(いわゆる伊勢神宮の正規の呼び名)で、その下に官弊・国弊の大社・中社・小社が続き、これらは「神様」を祀るもの。さらにその下に武将などを祀った別格官弊社というのがあります。

戦後にGHQの意向により社格は廃止されたため、いろいろと混乱することになるのですが、今では宗教法人である神社本庁が包括する神社の中で、(伊勢)神宮とそれ以外の別表神社に大きく分けられています。しかし、もともとある程度の規模の大きな神社しか含まれていない上に、神社本庁に属さない、あるいは離脱する神社も少なくないので、さらに事を複雑化しています。

だいたい共通の認識としては、伊勢神宮だけが別格扱いなのは間違いなく、その下に天上の神々や天皇を祀る「××神宮」、地上の神々を祀る「××大社」、皇族や功績をあげた人を祀る「××宮」があり、後はその他大勢の「××神社」となります。そして、さらのその下に「××社」という氏神様としてごく限られた地域信仰の対象になっているごく小さな神社が位置します。


ここから本題。横浜市青葉区からほんの少しだけ外れた、川崎市麻生区に山王社という常駐する宮司などがいない小さな社があります。すぐ近くの王禅寺の鬼門(邪気が出入りする方角で、北東をさします)からの災いを封じるために建立されたと言われています。王禅寺は10世紀頃のものなので、山王社が出来たのはそれ以降、少なくとも1830年の「新編武蔵風土記稿」には記載があります。日枝神社と呼ばれていたこともあるらしい。

現在の姿では、細いわりには交通量の多い道路から急な勾配の階段があって、注意していないと気がつかずに通り過ぎてしまいます。階段はちゃんと数えなかったのですが、百段近くありそうで、けっこうきつい。前のめりに上らないとかなり危険な階段です(よく探すと緩やかな坂道が併設されています)。

境内は10m四方ほどしかなく、社も3m四方のちいさなものが立っているだけ。祭神は大山咋神(比叡山の地主神)です。小さいですが地域の氏神として、人々が集まって無病息災・五穀豊穣を祈る場所としては十分に信仰を集めていたのかもしれないと思うと感慨深いです。

2026年5月9日土曜日

カブ煮


ずんぐりとした大根みたいな見た目ですが、どちらもアブラナ科で親戚関係にあるカブは、鈴奈(すずな)と呼ばれて春の七草にも入っているので、比較的メジャーな野菜の一つです。

一番家庭で作られているカブの料理というと、やっぱり煮物だと思います。

大根と違って、火の通りが速いので、短時間で美味しく食べることができます。

今回は大きめのカブだったので、皮をむいて一口大になる8等分に切りました。

まずはお湯だけで、強火で数分間。少しカブに透明な感じが出始めたら、出汁の素と醤油で味付け。カブの味をしっかり感じられるように、薄めの味付けがおすすめです。

一緒に煮るのは油揚げが人気。必ずついてくる葉の部分も美味しいので捨てたらもったいない。

全部をさらに数分間煮たら、葉は取り出して火を止めてしばらく置いておきます。カブは火にかけすぎると、簡単に煮崩れてしまうので注意しましょう。

あとはは皿に盛って、葉を乗せれば出来上がりです。

2026年5月8日金曜日


さて、ここで問題です。

写真は、3つのウリ科の野菜を育てるための苗です。

それぞれ何でしょうか?

だいたいウリ科というと、蔓性で巻きひげで絡み合っていくものですが、ふだん食用にしているものがたくさんあります。

胡瓜 キュウリ
南瓜 カボチャ
西瓜 スイカ
苦瓜 ゴーヤ
糸瓜 ヘチマ
甜瓜 メロン
瓢箪 ヒョウタン
冬瓜 トウガン

夕顔 ユウガオ
西葫芦 ズッキーニ
瓢箪 ヒョウタン

・・・などなど。もちろん他にもたくさんありますが、聞いたことがあるのはこのくらいでしょぅか。

それでは正解発表です。

左の葉が細かくギザギザしているのはキュウリ。真ん中のやや白っぽい葉に葉脈がくっくり見えるのはヘチマ。そして、右側の葉が5つに切れ込んで別れているのがゴーヤです。

今からでも間に合いますので、ベランダとかで育てみてはいかがでしょうか。

2026年5月7日木曜日

007 / ダイ・アナザー・デイ (2002)

ついにイーオン・プロダクションの映画「007シリーズ」は、本作で40周年を迎え、20作品目となります。前作でほぼ完成形と言えるピアース・ブロナンスのジェームス・ボンドは4本目ですが、プロナンスは本作を最後に役を降りることなりました。もともとの契約は5本だったようですが、製作サイドがキャストの若返りを狙ったということらしい。

監督は大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」で助監督を務めたリー・タマホリで、主題歌はマドンナが歌い、作品中にも少し出演しています。イギリスとアメリカが協力し、北朝鮮を敵国とするのは久々の国家間の争いの設定です。ただし、表立っては悪者には出来ないのか、あくまでも北朝鮮軍部の中に壮大な野望を持った独立した存在がいることになっています。イアン・フレミングの原作ではなく、オリジナル脚本となっています。

北朝鮮の非武装地帯の基地を根城にして、武器の密輸を行っていたムーン大佐を抹殺するためにジェームス・ボンドが送り込まれました。しかし、側近のザオが顔写真を照会し、何者かの情報によって身元が露見してしまいます。それでも、ムーン大佐を滝壺に落下させますが、父親のムーン将軍に捕らえられ、14か月に渡って尋問・拷問を受けることになってしまいました。しかし中国と韓国の外交交渉の場にテロを仕掛けたザオが捕らえられると、捕虜交換によってやっと解放されるのです。

しかし、ザオを追っていたCIA工作員がボンドが捕らえられていた収容所からの発信によって殺されたため、情報を漏洩した疑いをかけられたボンドは00ナンバーを失い、香港沖に停泊するイギリス工作船に軟禁されるのです。ボンドは疑いを晴らすべく船から逃亡し、旧知の中国公安の助けを借りて、ザオがキューバの孤島に潜伏していることを知るとただちに出発します。

島には人を別人に生まれ変わらせられるDND変換術を行っている病院があり、武装した警備員が配置されていました。病院に侵入したボンドは、アメリカ国家安全保障局(NSA)の女スパイ、ジンクスに遭遇し、まだ別人になりきれていないザオを発見するものの逃げられてしまいます。ザオとの格闘で掴んだ彼の弾丸のネックレスを調べると、中にはアイスランドのダイアモンド王、グスタフ・グレーブスの刻印の入ったダイヤが入っていましたが、その品質は南アフリカ産とまったく同じでした。

秘密裏に連絡を受けたボンドは、旧地下鉄構内にあるMI6分室でMと再会します。両者が情報を交換すると、アイスランドでダイアモンド鉱山を発見し短期間で巨万の富を築いたというグレーブスの履歴が怪しいことがわかってきます。Mはボンドが再び007を名乗ることを黙認するのです。

ボンドはグレーブスの計画を暴くため、アイスランドで行われる彼の世紀の発明、イカロスの発表会に潜り込みます。イカロスは宇宙空間で太陽光を集めて地上に照射することができる装置でした。いつでも必要なだけ光と熱を供給できるので食糧危機のない繁栄を期待できるという触れ込みでしたが、実は強力な熱線をピンポイントで放射することで強力な武器として使えるものでした。

ボンドはグレーブスの立ち居振る舞いから、グレーブスがDND変換された死んだ思っていたムーン大佐であることを見抜き、銃を突きつけます。そこへMの指令によってグレーブス社に潜入して秘書を務めていたミランダが現れ、逆にボンドに銃口を向けるのでした。一方、別行動をしていたジンクスも捕らえられ監禁されてしまうのでした。

ボンドガールは、ジンクス役には初めての黒人女性としてハル・ベリー、敵側の二重スパイだったミランダにはロサムンド・パイクが選ばれました。こう言っては怒られそうですが、ボンドガールで出演後も活躍した人は意外に少ないのですが、この二人はその後も大活躍で多くの映画に出演しています。ジュディ・デンチのM、サマンサ・ボンドのマネーペニーは続投。Q役は、前作で後釜として紹介された新たなQが登場しますが、初めてなのであまり印象は残りません。

40周年記念企画として、過去の作品の印象的なシーンが次から次へとオマージュされて登場するのも大きな楽しみ。ジンクス登場シーンは、まさに第1作「ドクター・ノオ」のウルスラ・アンドレスの初登場シーンそのまま。第2作「ロシアより愛をこめて」からは、葉巻の合言葉や毒針付きの靴。第3作「ゴールド・フィンガー」からは迫りくるレーザー光線など。Mと再会する地下鉄は「007は二度死ぬ」だし、パラシュートのユニオン・ジャック、ホバークラフトによる追いかけっこなどなど、あれ、これどこかで見たというシーンが次から次へと出てきます。

また、ロジャー・ムーア版ボンドまでは、冒頭のシークエンスはボンドの流儀を知るための短い活劇で、本編とは直接関係しなかったのですが、ティモシー・ダルトンからは、本編へのイントロダクションとしての役割が持たせられていました。しかも、この作品では冒頭シークエンスに続く、テーマ曲パートでなまめかしい動きの女性だけでなく、拷問され続けるボンドのシーンも何度も挟まり長い時間が経過していることを示すのも初めての試みだろうと思います。

まぁ、いろいろ試行錯誤されて出来上がったジェームス・ボンド像でしたが、ある意味それもここまでで、次回作ではシリーズがリブートされハードボイルド化したボンドが登場することになります。

2026年5月6日水曜日

007 / ワールド・イズ・ノット・イナフ (1999)

イギリスの諜報局MI6の007が活躍するシリーズ第19作目。ジェームス・ボンド役は、これで3作目となるピアース・ブロナンス。今回は内容はシリアスなのに、やや往年のボンド・カラーが強めで、ジョークと女性に弱いところが目立ちます。監督はマイケル・アプテッド。主題歌を歌うのはガービッジというロックバンドですが、自分は不勉強で聞いたことが無い。

Mとは学生時代から親交があるキング卿は、石油産業で莫大な権益を得ていて、さらにアゼルバイジャンで新たな石油のパイプラインを建設中です。しかし、娘のエレクトラが元KGBのテロリスト、レナードに誘拐され、キング卿はMに救出を依頼してきます。Mはレナードを捕獲するチャンスだとして、キング卿に身代金要求を断るように進言しますが、エレクトラは、何とか自力で脱出したのでした。

しばらくして、MI6の機密文書が奪われ、キング卿が巨額の資金を提供しますが、ボンドの活躍によって機密文書も資金も回収されました。MI6本部で、キング卿に資金が返還されましたが、実は特殊爆弾で、キング卿は爆死してしまいます。エレクトラを一度見捨てたことを引け目に感じているMは、ボンドにレナードからエレクトラを警護するように命じるのです。

父の仕事を引き継いでパイプライン建設を目指しているエレクトラは、最初はMI6に対して不信感を抱いていましたが、武装集団に襲われたところをボンドに助けられ信用するようになります。エレクトラは元KGB、今はカジノ経営などで一儲けしているズコフスキーの元を訪れ、簡単に賭けで負けて大金を失いますが、「人生にはスリルが必要」とうそぶく様子にボンドは疑いを向けます。

エレクトラの警備主任が怪しい行動をしていたので、ボンドは彼を倒してなりすまし、迎えに来た飛行機に搭乗します。行き先は、旧ソビエト連邦の核弾頭の廃棄作業が行われているカザフスタンで、旧ミサイル基地内ではレナードとその一味が核弾頭を奪取しようとしていました。ボンドはレナードに銃を突きつけたものの、形勢逆転で「人生にはスリルが必要」と言い残して逃げられてしまいます。ボンドは、核弾頭解体の専門家、女性科学者のクリスマスと伴に何とか爆発する基地から脱出しました。

エレクトラはM自身に守ってもらいたいと懇願したため、Mは石油備蓄基地に向かいます。ボンドはエレクトラが一味に加担していると推測しますが、Mは信じません。その時、石油備蓄基地に向かってくるパイプラインの中のメンテナンス用のピグが暴走し、そこには核弾頭が仕掛けてあることがわかります。ボンドとクリスマスは核弾頭解除のため、別のピグに乗って先行するピグを追いかけるのでした。

しかし、弾頭内のプルトニウムは少量で、時限爆弾によってパイプラインが損傷するだけの破壊力だったのです。爆発によりボンドは死んだと思ったエレクトラは本性を現し、Mを拘束するとレナードが待つイスタンブールに向かうのでした。彼らは黒海からエーゲ海に抜けるためのイスタンブールを縦断するボスポラス海峡を核汚染によって通行不能にして、石油の多くがエレクトラのパイプラインを使うしかならなくなるという計画だったのです。そして、それが自分を見捨てたキング卿やMI6に対する復讐でもあったのでした。

ボンドガールはエレクトラにソフィー・マルソー、クリスマスにデニス・リチャーズです。ソフィー・マルソーは「ラ・ブーム」で日本でも人気者になりましたが、その後はあまりぱっとしません。ボンド・ガールが悪者というのは今までにもありましたが、その最後はおそらく初めてのケースになっています。エンディングのラブ・シーンを務めたのはデニス・リチャーズですが、それまでは男勝りの強気な科学者という役柄でお色気は封印しています。

Mの心情が深く関わってくるという設定も初めてで、出番がかなり多め。ズコフスキーは「ゴールデン・アイ」にも登場した、ちょっと憎めないキャラの悪党で、同じ俳優が演じています。今回のキャスティングで一番話題になったのは、これまでシリーズすべてでQを演じてきたデスモンド・リュウェリンの引退でしょう。作品中で、代わりの人物を紹介していますが、この映画が公開された直後に、交通事故で85歳で亡くなりました。

父親に対する復讐、人質を捨て石にした自責の念、今まで以上に非情になり切らなければならないスパイといった、シリーズの中にこれまでなかった心的な要素が複雑に絡み合うことで、ストーリーは深みが増しています。いつも余裕しゃくしゃくのボンドが、焦りの色を見せると言うのは珍しい。

冷戦時代のような国と国の駆け引きではありませんが、諜報部員が出ていって活躍する土台は、十分に納得できる内容になりました。もちろん恒例のアクション・シーンも秀逸で、特に水上のモーターボートによるカーチェイス(ボートチェイス?)は圧巻ですし、スピード感のあるスキーのシーンも見応えがあります。さらには潜水艦まで登場するというサービス振りもあって、最後まで楽しく見れる内容になっています。

2026年5月5日火曜日

こどもの日


世の中はゴールデン・ウィークということで、それも終盤になってきました。

さらに追加で休んじゃって週末までのんぴりという豪傑もいるかもしれませんが、自分の場合は休みはカレンダー通りで、赤いところは休み、それ以外は仕事です。

別に文句は無いんですけど、どこかに出かけるにしても混雑しているでしょうから、うちで大人しくしているのが一番。

それでも今日は「こどもの日」で、国民の祝日です。

子供の日ではありません。「こども」の日です。子供と漢字で書くのは、時代劇で耳にする「者ども、出あえ!!」の「ども」と同じ意味で、子の複数形ということなので、「こども達」ということ。

戦後すぐにできた「国民の祝日に関する法律」では、5月5日を「こどもの日」と定めてあり、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ものとしています。

こどもの健やかな成長を祈念するだけでなく、母親にも感謝する日というのは知らなかった。

ここんとこは父親にも感謝してもらいたいものじゃないですか。今どきはイクメンもたくさんいるんですから、考えてもらいたいかもしれません。

2026年5月4日月曜日

トゥモロー・ネバー・ダイ (1997)

公開されると大きな話題になる「007シリーズ」の第18作目。前作に続きジェームス・ボンド役は五代目のピアース・ブロスナンが努めます。監督はロジャー・スポティスウッド、主題歌を歌うのはシェリル・クロウ。

ロシア国境で開かれていた武器商人たちによる大かがりな取引を調査していたジェームス・ボンドは、現場の映像を本部に送っていました。映像を確認した海軍提督の決断により、巡行ミサイルが発射されますが、ボンドは間一髪で核魚雷を搭載した攻撃機で脱出に成功しました。しかし、テロリストのグプタはアメリカ製のGPS暗号解析器を持って逃亡します。

それからしばらくして、南シナ海の公海上を航行していたイギリス海軍フリゲート艦が、中国軍機から領海侵犯の警告を受けます。そこへ密かに近づいたステルス艦が特殊魚雷を発射し、フリゲート艦を沈没させ、搭載していた核ミサイルが盗まれました。海上に投げ出された生存者は、ステルス艦からの中国製機関樹により射殺されました。実はグプタがGPS信号を操作してフリゲート艦に誤った位置情報を送り、中国から攻撃されたように偽装していたのです。

グプタを操っていたのは、世界的なメディア王であるエリオット・カーヴァーでした。カーヴァーはニュースを配信するだけでなく、世界中が目を見張るような情報を作り出そうともしていたのです。カーヴァーが発行している新聞に発表前にもかかわらず事件が報道されため、公海上の艦船が攻撃されたと信じるイギリス国防省は、中国に対して艦隊の派遣を容認します。しかし、事件の直前に謎のGPS信号が発せられていたことを察知したMI6のMは、48時間の猶予をえてボンドに調査を命じるのです。

カーヴァーのパーティに潜入したボンドは、過去に関係を持ったことがあるカーヴァーの妻、パリスに近づきますが、二人の会話を怪しむカーヴァーの命令で捕らえられます。ボンドはパーティ会場を停電にしてカーヴァーの自慢の演説を台無しにして脱出します。研究所に忍び込んだボンドはGPS暗号解析器を奪還し、中国の公安から派遣されたウェイ・リンと鉢合わせするもののカーヴァーの野望の証拠をつかみます。

カーヴァーはイギリス艦隊を出動させたところで、盗んだミサイルで北京を破壊、世界的な戦争を勃発させ独占的にメディアを操作することで巨万の富をえようとしていたのでした。ボンドは、ステルス艦の基地はベトナムと考え、CIAの協力のもとベトナムのカーヴァーの拠点となるビルに向かい、ウェイ・リンと合流するのでした。

前作よりも高評価であったことから、ブロスナンのジェームス・ボンドが受け入れられたということ。もともとボンドのキャラクターは、一仕事の後で、あるいは最中でもちょっとした洒落たセリフを言う「キザ」なところが面白いわけで、ロジャー・ムーアは露骨に遊び過ぎてジャグになってましたし、ティモトー・ダルトンは余裕が無さ過ぎたかもしれません。

ソビエト連邦が崩壊し、東西冷戦の構図が無くなってしまうと、国のために働くスパイの存在意義が薄くなってしまいます。そこで、この作品でもイギリスとロシアは仲良しで、新たに中国が仮想敵国になりそうな雰囲気を出していますが、実際の敵は大物犯罪者です。中国が絡むことをスパイ活動の根拠としていますが、ややメディア王が情報を作り出して世界の覇権を得ようとするという動機はやや弱いと言わざるを得ない。

ボンド・ガールは中国公安のミシェル・ヨーと、ボンドと過去に関係があったことがばれて殺されてしまうパリスのテリー・ハッチャーの二人。パリスは多少お色気シーンがありますが、メインのウェイ・リンは、役柄からしてもボンド顔負けのお得意のアクションを見せて、なかなかかっこいい見せ場を提供してくれます。

お馴染みのM、Q、マネーペニー、CIAのウェイドらは前作から引き続き同じ俳優が登場。ジュディ・デンチのMは前作では数字市場主義みたいな感じでしたが、今作ではあまり毒気は感じられませんでした。悪役陣はカーヴァーにジョナサン・プライス、グプタにリッキー・ジェイ、一番の用心棒スタンパーにゲッツ・オットーとなっています。

2026年5月3日日曜日

007 / ゴールデンアイ (1995)

007シリーズとしては、第17作目。この作品で、今までのシリーズの印象を大きく変えました。まず、制作陣からアルバート・R・プロッコリが高齢のため濡れました。ブロッコリは、ハリー・ザルツマンとイーオン・プロダクションを立ち上げ、シリーズ第1作から制作に携わっていましたが、1975年にザルツマンと決裂しています。

キャストも大幅に変更されています。主役のジェームス・ボンドには、ティモシー・ダルトンに代わって5代目としてピアース・ブロスナンが抜擢されました。ずっとMを演じたロバート・ブラウンも退き、この作品から女性のジュディ・デンチが、古臭い勘などは信じない情報分析によって導き出される数字を信じる上司として登場します。

秘書のマネーペニーも前2作と変わっていますし、とりあえずレギュラーで変わらないのはQのデスモンド・リュウェリン翁だけです。また、長らくお馴染みだったオープニングでのガンバレル・シークエンス(銃口の先にボンドが入り込んでくるやつです)がなくなりました。監督は、5作連続で担当したジョン・グレンからマーティン・キャンベルに代わりました。オープニング・テーマは007らしい曲で、ティナ・ターナーが歌っています。内容はイアン・フレミングの原作はネタ切れで、映画オリジナルのストーリーです。

ジェームス・ボンドは、モナコでゼニア・オナトップと名乗る美女に目をつけていました。彼女は、元ソ連戦闘機パイロットで犯罪組織ヤヌスのメンバーであることが判明し追跡するものの、オナトップとロシア軍のウルモフ将軍によって、NATOの最新鋭の対電磁波戦闘ヘリコプターを奪われてしまうのです。

ソビエト連邦が崩壊し、廃棄されたはずの北極海近くの軍事基地ではロシアが「ゴルデンアイ」と呼ばれる宇宙から強力な電磁波を放出して都市を壊滅させることができる兵器の研究が進んでいました。奪ったヘリコプターで研究所に現れたウルモフとオナトップは、所員を皆殺しにしてゴールデンアイの基盤を奪取し、2基あるうちの1基を研究所に向けて発射し一帯のすべてを破壊しますが、コンピュータ技師のナターリア・シミョノヴァだけが生き残ります。

これらの様子を衛星などの映像で見ていたボンドは、Mからヤヌスのアジトがあると考えられたサンクトペテルブルクで事態の収束にあたるよう命じられました。何とか再びオナトップと接触し、ヤヌスのアジトに到着したボンドは、登場したヤヌスのボスを見て驚きます。9年前に一緒にソ連の兵器工場爆破作戦を実行した際、まだ所長にすぎなかったウルモフに射殺されたはずの006、アレックだったのです。

捕らえられたボンドは、先に捕まっていたナターリアと用済みになったヘリコプターと伴に爆破されそうになりますが、間一髪脱出。しかし、今度はロシア側に捕まり、防衛大臣の尋問を受けます。そこへウルモフが現れ、大臣らをボンドの銃で射殺しナターリアを連れ去ります。ボンドは戦車で追跡し、ヤヌスが拠点にしている軍用列車を発見。戦車を衝突させ、列車を止めるとボンドは乗り込んでいくのでした。

悪役アレックを演じるのはショーン・ビーン。ボンドガールはナターリアに「バーティカル・リミット」のイザベラ・スコルプコ、お色気ムンムンですがサイコな殺戮者オナトップには「X-メン」シリーズでおなじみのファムケ・ヤンセンが起用されています。ナターリアも単なるカワイ子ちゃんではなく、ボンドに負けずに行動力ある女性として描かれています。

話のきっかけはまだ冷戦時代末期ですが、本編は冷戦が終結しソビエト連邦が崩壊した後という時代の空気を強く反映し設定です。ロシアも一部で絡んでくるものの、メインの敵は金銭目的の犯罪組織。ただ、そこにかつての信頼していた同僚が絡んでくることで、ストーリーに厚みが出ていると言えそうです。

また「合言葉なんて古臭い」というセリフがあるわけで、ここでは世間一般に浸透し始めたパソコン関連の用語が頻出し、インターネット、ハッキング、パスコードといった単語が登場するハシリの映画かもしれません。

ティモシー・ダルトンのボンドが、真面目一辺倒で義理人情に厚い人物だったのに比べると、ブロスナンは外見もかっこいいのですが、数字至上主義の新Mに対抗して、臨機応変にユーモアを少しだけ交えて現代風のボンド像を見せてくれます。

2026年5月2日土曜日

Pink Floyd / Aom Heart Mother (1970)


昭和40年代というのは、自分にとってはいろいろな知識を吸収して、ある意味人格を形成するのに最も大きな役割を果たした時期だと思います。

日本は、敗戦から立ち直り高度経済成長のピークを迎えていて、アメリカを中心として世界中からたくさんのカルチャーが流入してきていました。

例えば、ピーナッツ。食べる方じゃなくて、スヌーピーのピーナッツです。新書サイズの50ページほどの本で、左側にチャーリー・ブラウンとスヌーピーの仲間たちの4コマ漫画があり、セリフは英語です。そして右側にその日本語訳と、英会話のポイントがちょっとのっています。

英語を学び始めた時期だったので、これは役に立つと思ったのですが、実際はくだけた生きた英語ですから、学校で習うガチガチの英語とはまったく違うので勉強にはなりませんでした。

テレビをつけると、外国映画の2時間枠が、民放チャンネルのどれかでほぼ毎晩9時から用意されていたので、これもずいぶんと映画好きになる基盤になったようです。

またアメリカのテレビドラマもいくつも放送されいました。ただし、すべて日本語吹き替えだったので、これも映画の勉強にはなりませんでした。

そて、音楽は・・・前にもどこかで書いたんですが、最も自分に影響を与えたのは、小学校の同級生のCK君。かれはクラリネットを習っていて音楽に詳しく、家に遊びに行くと大きなステレオ装置がありました。自分の家には30cm四方くらいのモノラルのレコード・プレイヤーしか無くて、当然いつも圧倒されていました。

そして、教えてもらったのは、当然クラシック音楽だけでなく、たくさんのポップスがありました。ビートルズ、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクルなどなど・・・これらは、今でもよく聞く音楽として、最近は大人買いで全部を揃えたりしたりしました。

その中で、当時としては異色だったのは・・・何と、ピンク・フロイド。今でも伝説のプログレッシブ・ロック・バンドとして、高い評価を受けています。CK君は、発売されたばかりのアルバムを絶賛して、自分にも強く勧めてくれたんですが、それが「原子心母」です。

そもそも「Atom Heart Mother」という原題を「原子心母」としたのは名和訳だと思います。日本語として意味が不可解なんですが、何か混沌とした凄いものが渦巻いているような印象を与えました。

すでにピンク・フロイドを知っている多くの人には、今更何をかいわんやくらい有名なアルバムです。ロックのサウンドにブラス、ストリングスのオーケストラと合唱団が加わるという、まさにサイケデリックとクラシック音楽が融合した、現代音楽風の前衛的なサウンドが23分間に渡って圧倒的に迫ってきます。

ピンク・フロイドにとっても、最初に商業的成功をもたらしたアルバムですが、自分にとっても衝撃的でした。そもそもアルバム・ジャケットで「何じゃこりゃ?」となる。草原に乳牛の写真があるだけ。わけがわからないけど、ものすごく強い印象を与えました。

そして、レコードに針を落とすと、冒頭すぐにバイクがエンジンをかける爆音が響き、なんと右から左に走り抜けていくんです。今では、誰も驚かないと思いますが、ふだんモノラルでしか音楽を聞けない環境だった自分には、CK君宅のステレオ装置でまさに立体音響の体験は驚天動地でした。

最近でもYouTubeでは、大勢の演奏者によって完全再現する動画がいくつか見ることができます。今でも、多くの音楽家や愛好者に影響を与え続けている音楽であることの証明だろうと思います。

2026年5月1日金曜日

ハイドランジア


ハイドランジア(hydrangea)と言うと、何のことやらとなってしまうのですが、アジサイの英語名です。

アジサイは5月を代表する花の一つだと思いますが、これが咲き出すと梅雨が近いなと思います。ジトジトした時期の一服の清涼剤というところでしょうか。

日本では古来からガクアジサイという品種があり、「味狭藍」、「安治佐為」、「阿豆佐為」、「集真藍」、「狭藍」などの当て字が使われてきました。

現在は一般的に漢字だと「紫陽花」と書きますが、もともとはライラックにつけられた名称が誤って広まったと考えられているらしい。

アジサイの花の色は、土の酸性度によることがわかっています。酸性の土だと青、アルカリ性の土だと赤になる。このあたりは、リトマス試験紙の色と逆なのが面白い。

これは土が酸性だと土中のアルミニウムイオンが吸収されやすく、アジサイが持っているアントシアニンと結合して青色を発色するんだそうで、このあたりをうまくコントロールすると、色違いに咲かせることができるわけです。

一般に花と呼んでいる大きく開いたところは、実は装飾花と呼ばれ花弁ではありません。本当の花は、中央の点みたいな小さいところ。まわりを目立たせて、虫などをおびき寄せようと言う作戦だそうです。

2026年4月30日木曜日

サラバンド


検索サイトのGoogleの画像検索は、本当に便利。

トップページで、右上の「画像」をクリックして、後は写っている物が何かを知りたい画像をドラック&ドロップするだけです。

すると、見た目で一致する画像を探して表示してくれます。最近はAIによる解説までついている。

で、間違いなく、この花はサラバンド(sarabande)です。

サラバンドというと、バロック音楽の組曲でよく耳にする3拍子の舞曲で、J.S.バッハを聞いているとしょっちゅう出てくるので、単語としてはけっこう耳馴染みがあります。

バラ科バラ属なので、ほとんどバラと言ってもいいのですが、70年近く前にフランスで作られた園芸品種です。

ココリコ(cocorico)とムーランルージュ( moulin rouge)の交配からできたものだそうですが、バラ栽培に興味がないと、あまりピンときません。

樹高が1m程度におさまるので、垣根などに利用するため育てやすいと言われて、よく見ていると住宅街ではよく見かけます。

しかも、春から秋までと開花期が長いので、鮮紅色の花をずっと楽しめるのも嬉しいポイントです。

2026年4月29日水曜日

アグロステンマ


近所の公園に、見たことが有るような無いような、ちょっと「春の北海道」あたりを連想するような花が咲いていました。

細い茎がまっすぐ伸びて、その先で花弁が5つに割れたピンクの花が咲いています。

一本だとひょろ長くてあまり面白くないかもしれませんが、たくさん群生させるとけっこう見応えがあります。

「これ、何?」と思った時に、便利なのがネット検索。

検索したい写真をドラッグ&ドロップするだけで、似たような写真の中から一番近いものを見つけてくれます。

その答えは・・・アグロステンマ、だそうです。あとはWikipediaで調べます。

ナデシコ科の植物で、和名はムギセンノウ(麦撫子、麦仙翁)という1年草。もともとはヨーロッパの雑草で、種子に毒があり麦畑では混入してしまうと有害植物として忌み嫌われているようです。

日本では北海道を中心に、園芸種として広まったので全国各地で見つけることができるらしい。「春の北海道」というのもあながち間違っていないようです。

1年草ですから、もともと誰かが種を撒かないと生えてこない。ここは麦畑ではないので、「わ~、綺麗」だけですみますが、花が枯れて種ができると毒があるので注意は必要。

まぁ、わざわざ食べてみようという人はいないとは思いますが・・・

2026年4月28日火曜日

007 / 消されたライセンス (1989)

四代目ジェームス・ボンド役のティモシー・ダルトンが活躍する「007シリーズ」第16作目。内容的には大変面白く、脚本もうまくできていると思いますが、ここではスパイという肩書はまったく関係なく、ボンド対犯罪組織のクライム・アクション映画になっています。

今まで度々登場していますが、いろいろな俳優が演じてきたジェームス・ボンドの盟友であるCIAのフェリックス・ライターが話の起点になっています。監督は引き続きジュン・グレンで、テーマ曲はグラディス・ナイトが歌う、往年のテーマ曲を思い出すような仕上がりです。

ジェームス・ボンドとフェリックス・ライターは、ライターの結婚式に向かう途中で、中南米の巨大麻薬組織のボスであるサンチェスがアメリカ国内に現れたと麻薬取締局から一報が入ります。長年追いかけてきましたが、多くの政治家、警察を買収していてなかなか捕まえられなかったので、ライターとボンドはすぐにヘリコプターに乗り換え、ボンドの活躍で何とかサンチェス逮捕に成功します。

しかし、ここでも買収された捜査官の裏切りでサンチェスは逃亡に成功し、復讐のためライターに瀕死の重傷を負わせ、新婦は殺されてしまうのです。ボンドはライターの無念をはらす決意をし、サンチェスの組織のNo.2であるクレストの研究所に忍び込んでアヘンを発見し、裏切った捜査官を殺すのです。

権限を逸脱した行為にMは、本来の任務に戻るように強く叱責しますが、ボンドはライターへの義理を果たすべく、「殺しのライセンス」を返上してその場から消えるのでした。ボンドはクレストの船に潜入し、水上飛行機との間で麻薬と金銭の交換を阻止します。ライターの残したサンチェスに関するデータから、元サンチェスの飛行機のパイロットで麻薬取締局への協力者であるパメラに会いに行きますが、そこへサンチェスの部下が現れ格闘になります。パメラは元陸軍所属で、こういう場面でも物おじしないので、二人は何とか逃げることができました。

パメラの飛行機で、サンチェスの母国に飛んだボンドは、サンチェスの経営する銀行に大金を預け口座を開設し、カジノで大勝負をして見せました。その様子を監視カメラで見ていたサンチェスはボンドを事務所には招き入れますが、ボンドは仕事を探していると自分を売り込むのです。ホテルに戻ると、ボンドを心配したマネーペニーの頼みでQがいろいろな仕掛けのある小道具を揃えて待っていました。

サンチェスは複数の中国系組織を招いて販路を拡大する相談をしていましたが、ボンドが狙撃しようとすると、忍者姿の二人組に襲われ彼らの隠れ家に連れていかれます。中国系組織の一つが、実は長い時間をかけて潜入していた香港の麻薬取締官でボンドの行動が邪魔だったのです。しかし、サンチェスの息がかかった軍隊の攻撃を受け、ボンド以外は全滅してしまいます。

束縛された状態のボンドを見たサンチェスは、かえってボンドを信用し自分の邸宅に招きます。ボンドは組織内に裏切り者がいて、サンチェスを殺そうとしていると吹き込み、クレストに疑いが向くように仕掛けます。中国系組織を信用させるため、郊外の麻薬精製工場に案内することになり、ボンドも同行することになるのでした。

前作に続き義理人情に厚いジェームス・ボンド像が描かれ、今回は英国諜報部員としてではなく、個人的な恨みをはらすために私腹を肥やす犯罪組織を追い詰めるという内容。Qが今まで以上に活躍するのも面白い所です。Mとマネーペニーは、ワン・シーンだけの登場です。

ボンドガールはパメラ役にキャリー・ローウェル、サンチェスの愛人でしだいにボンドに惹かれていくルぺにタリサ・ソトの二人が登場します。ダルトンの007では、ボンドカールには従来のお色気調は求められていなようで、まぁ普通と言えば普通の女性たちです。ただ、パメラに関しては、ボンドのバディとしてかなり危険なことも実動部隊として関わってくるのは珍しい。

全体的に残酷なシーンが多めで、スパイ物とは呼べない内容だったので、「007シリーズ」の中ではあまり人気がありません。ダルトンは3作目にも意欲をみせていたようですが、製作サイドはもっと多くの数をこなしてほしかったらしく、ボンドカラーに染まり過ぎるのを嫌って、前作と本作の2作だけでボンド役から降板します。

・・・にしても、香港からで忍者はないよなぁ。

2026年4月27日月曜日

007 / リビング・デイライツ (1987)

数年前に集中的に「007 ジェームス・ボンド」シリーズの映画を見ましたが、その時、自分にとってはショーン・コネリーとロジャー・ムーアだけで十分とか言った覚えがあります。もっとも、ムーアは最後の方ではロートルぶりが顕著になり、ギャグが多すぎてちょっとあきれていました。

1985年にムーアがボンドを引退し、製作陣は新たなボンド役者を探し始めるのですが、そこで白羽の矢がたったのがディモシー・ダルトンでした。この25周年記念の第15作目で4代目に就任するわけですが、映画が作られたときに40歳くらいなので、だいぶ若返って溌溂とした感じがします。内容的にも、おふざけ部分がだいぶ少なくなって、ボンドにかっこよさが戻り、もっとも原作に近いキャラクターと評価されました。

イアン・フレミングの原作は主だった長編はほとんど使っていたので、短編の「ベルリン脱出」をもとに脚本が練られました。監督は、4作品続けて起用されたジョン・グレン。テーマ曲は、当時人気だったa-haが担当したことも話題になりました。ボンド・カールにはイングランド出身のマリアム・ダボが選ばれましたが、この作品以外ではとくに目立った活躍はしていません。

ジェームス・ボンドの今度の仕事は、チェコスロバキアでソビエト連邦の要人、コスコフの西側への亡命に際して、暗殺者からコスコフを守ることでした。コンサート会場から脱出したコスコフを狙う狙撃手を発見したボンドは、スコープで相手を見て驚きます。なんと、先ほどまでオーケストラでチェロを弾いていた女性、カーラ・ミロヴィだったのです。ボンドはカーラがスナイパーとしては素人と感じ、とっさにカーラが手にしていたライフルの銃身を撃って狙撃を失敗させます。

無事にオーストリアに脱出したコスコフがもたらした情報は、KGBのゴーゴル将軍に代わって実権を握ったプーシキン将軍が、西側のスパイを全員暗殺して復讐の連鎖から世界大戦を引き起こそうとしているというものでした。コスコフは、プーシキンを倒さないと大変なことになると言うのです。ボンドはプーシキン暗殺を命令されますが、何か裏があると感じるのです。しかし、何者かによってコスコフは連れ去られてしまうのでした。

ボンドはカーラに接近して、カーラがコスコフの恋人で、狙われている芝居のために空砲を詰めたライフルで狙撃者のふりをしていたことをつかみます。同時にKGBもコスコフを追いかけているようで、カーラはKGBにマークされていました。ボンドはコスコフの友人としてカーラを迎えに来たと説明して、KGBをまいてウィーンに向かいます。

仲間からの情報で、コスコフは世界的に武器商人のウィテカーと手を組んでいることを知らされます。プーシキンはウィテカーから武器を購入することになっていましたが、話を怪しみ購入を中止しようとしていました。ボンドはプーシキンが滞在するホテルに侵入し、コスコフは公金横領でモスクワから逃亡していることを教えられます。ボンドは人目の付く所でプーシキンを射殺する芝居を打つことにして、コスコフを安心させ、ウィテカーの本当の目的を明らかにすることにします。

しかし、コスコフとの電話が通じてたカーラが協力したことで、ボンドは捕らえられアフガニスタンのソビエトの空軍基地に移されてしまうのでした。

確かにボンド像が、今までになく人情味があって、ほとんどギャグは口にしない。スパイの実像にやや近づいているのかもしれません。ただ、007と言えばスタイル抜群のボンドガールも、ストーリーに花を添える大事な要素。今回のカーラは、ただただコスコフの捨て駒であり、線の細い一般人女性なので、だいぶ物足りなさを感じてしまいます。そのくせ、最後には急に行動的になったりして違和感もある。

お馴染みのM(ロバート・ブラウン)、グレイ国防長官(ジョフリー・キーン)、Q(デスモンド・リュウェリン)は、今作でもちょっとだけ顔をだしています。マネーペニーは今までのロイス・マクスウェルからすごく若返ってキャロライン・ブリスが演じています。

コメディ系だったり、アクション系だったり、あるいは現実的だったり、いろいろなスパイ映画がありますが、「007シリーズ」はそれらの要素をすべて盛り込んだ元祖的なシリーズですから、今作はそこそこ楽しめます。悪役が小者過ぎるのも、現実的な設定なのかもしれません。