2014年9月30日火曜日

編隊飛行

うちのある場所では、上空をときどき飛行機がとんでいます。旅客機のような大型のものであることもありますし、あきらかに自衛隊機かアメリカ軍機とか、報道関係かと思うヘリコプターだったり。

もう、だいぶ昔のことですがアメリカ軍機が住宅地に墜落して被害が出たのは、それほど遠い場所ではありません。

時には、すごい音がしてびっくりすることもありますけど、今回はいつもと違う。すごい音なんですか、あきらかに複数の音が混ざった感じ。

さすがに見上げてみたら、ヘリコプターが3機編隊を組んで飛んできました。西から東の方向へ、三角形に並んで飛んでいるので、おそらく民間機ではないんでしょうかね。

もしかしたら御嶽山噴火に関連した動きなのかも、と思ったりもしましたが、いずれにしても何となく物騒な感じがします。

日本は「平和ボケ」とよく言われますが、一般人が知らないところでは、いろいろなことが起こっているのかもしれませんよね。

2014年9月29日月曜日

大天使ミカエルの祝日

大天使ミカエルは、キリスト教は言うに及ばずユダヤ教、イスラム教でも偉大な天使として崇められています。呼び方は、ミカエル、ミハイルですが、ここから英語のマイケル、イタリア語のミゲーレ、フランス語のミシェルなどの名前が派生しているのは周知の事。

キリスト教ではガブリエル、ラファエルと並んで三大天使と呼ばれています。ミカエルは、何かと守りの達人とされていて、神ではありませんが、かなり崇拝されているようです。

フランスの有名な世界遺産であるモン・サン・ミシェルは、大天使ミカエルの山という意味。ジャンヌ・ダルクには神の啓示を伝え、欧米では今日の祝日が学校の始まりとされました。

そういう特別な固定祝日ですから、バッハもこの日のためのカンタータをしっかり用意していました。それも4曲残っています。
BWV50 いまや、われらの神の救いと力と (1723)
BWV130 主なる神よ、われらこぞりて汝を頌め (1724)
BWV19 かくて戦おこれり (1726)
BWV149 喜びと勝利の歌声は(1729)

BWV50は、なかなか堂々とした合唱曲で、なんと1曲のみ、時間にしてわずか3分半ていど。実際は、続く部分があったはずですが、失われたものと考えられています。神に遣わされたミカエルが、悪者の竜をやっつけたことを喜ぶ内容。

他のいずれも、弦楽器・管楽器が協奏曲的のような響きで活躍する祝典色の強い曲です。これも竜をやっつけるという、けっこう勇ましい話をもとにしているらしい。

BWV149の冒頭合唱は、有名な世俗カンタータであるBWV208、通称「狩のカンタータ」の最後の曲の転用。やはり、こちらの方が賑やかな感じがします。

2014年9月28日日曜日

三位一体節後第15主日

キリスト教とユダヤ教は親戚みたいなもので、実はイスラム教も根っこは同じ。神様と言えば、3つの宗教とも、同じ概念のもとにただひとつ。それまでの宗教は、多神教であることが多かった。

ユダヤ教では、いつか人々に大きな災いが起こり、それを救ってくれる救世主 (メシア) が登場すると待望されていて、ナザレのイエスは救世主として持ち上げられてしまったわけです。

イエスを神格化したキリスト教では、唯一のはずの神様が増えてしまったわけで、イエスも様々な聖霊も唯一の神と一体のものとして合理化したのが、三位一体という考え方です。


今日は、三位一体節後第15主日ですが、教会暦順カンタータ巡礼では久しぶりにちょいと忙しい。明日が大天使ミカエルの祝日となっていて、聴くべきカンタータがたくさんあります。

今日のカンタータは、3曲が残されています。いずれも比較的短い。

BWV138 汝なにゆえにうなだるるや、わが心よ (1723)
BWV99 神なしたもう御業こそ いと善けれ (1724)
BWV51 全地よ、神にむかいて歓呼せよ (1730)

BWV51はかなり有名曲。ガーディナー先生も、以前のマグニフィカトに併録していました。ソプラノ独唱のためのカンタータで、管楽器が大活躍する、大変華やかなカンタータです。

ガーディナー先生は、この日のものにあと1曲加えています。
BWV100 神なしたもう御業こそ いと善けれ (1734)
この曲は、用途がはっきりしていないのですが、何とBWV99とタイトルが一緒。第1曲は、そのまま転用です。

実は、11月に出てくる、三位一体節後第21主日用のBWV98も同じタイトルで第1曲は、多少雰囲気を変えているものの転用しているんです。

さらに最後のコラールも、10年前に作られた三位一体節後第1主日用のBWV75の最後のコラールの転用となっています。出だしの1行は同じ歌詞です。

まぁ、「神様のすることはすべてOK、まかせておけば大丈夫」みたいな内容ですから、比較的気楽にあちこちに使いまわしたのかしれませんね。

2014年9月27日土曜日

青木カレン

毎日毎日、宗教音楽ばかりを聴いている・・・みたいなところは、確かにあるんですが、さすがに世界中に音楽はあふれていて、これを聴かずにいるのはもったいないの極み。

まぁ、そんなに大袈裟な話でもないのですが、 話はガラっと変わって、テレビのドラマは今週最終回が多くて、例えば「HERO」は予想通りの大人気でした。

特に女性の方々が、毎週ドキドキして見ていたのが「昼顔」じゃないでしょうか。不倫モノで、それなりにドロドロなんですが、主演が上戸彩ですから、だいぶ雰囲気を軽くしている。

内容はともかく、主題歌は一青窈が歌う・・・「他人の関係」でした。金井克子の昭和の名曲のカバーで、平成風ななかなかいい感じ。ですが、もう一つ挿入歌として注目されたのが、「Never Again」という曲。

これを歌っているのは、青木カレンという、あえてカテゴリーをあてはめるならジャズ・シンガー。年齢不詳、帰国子女で、慶應大卒ということになっています。

昨年の「ガリレオ」の映画の中でも使われていましたが、けっこう最近注目度の高いアーティストなんです。おしゃれで、大人の音楽とはこけだ、みたいなアレンジが、ちょっとけだるい感のある声をひきたてている。

古いスタンダードから、新しいポップスまで、幅広いレパートリーがあって、アコースティクなものから今時風のものまで、飽きがきません。

昔ね、オシャレなジャズボーカルとして人気があった阿川泰子を思い出しました。実際、阿川泰子のデヴュー・アルバムに入っていた''Skindo-Le-Le''をカバーしていたりして、本人も意識しているんだろうと思います。

おこちゃまには、わからんだろうなぁ~



2014年9月26日金曜日

しゃぶしゃぶ食べ放題

全国展開するファミリーしゃぶしゃぶの店は、よくありますよね。まぁ、それなりに美味しく、それなりに安くすませるにはちょうどいい。

特に中高生の男の子がいる家なんかだと、こういう店は重宝するものです。でも、この手の店はたいてい時間制です。

牛肉のコースを頼んでも、「豚も食べますか」と聞いてきて、「はい」とでも答えようなものなら、「残さないように」という決めの一言とともに豚肉をどっさりと運んでくる。

テーブルのコンロは、火をあまり強くしない。なかなか沸騰してこないので、その間によけいなサイドメニューを取ってきて、これだけでもけっこうお腹が膨らみます。

追加の肉を注文しても、忙しいため(?)なのか、なかなか持ってこない。ここでも、またサイドメニューに手をでしてしまいます。

その間も、時計の針はどんどん進んでいます。サッカーのようにアディショナル・タイム制度ならいいのに。

ドリンク飲み放題をつけると、ついつい何杯も飲んでしまうので、これも注意が必要。

それでも、男子は負けていません。この手の店の一番の脅威は、大学生でしょうか。彼らは、きっと口からあふれるまで、肉を食べつくすはずです。次から次へと、肉の皿が空になって行くたびに、店主は冷や汗をかいていることでしょう。

2014年9月25日木曜日

新東名

正式には第2東海自動車道横浜名古屋線というらしいですが、通称は新東名。2012年4月に、御殿場―三ヶ日の区間が開業して、すでに2年6ヶ月です。

実際は2020年の予定で、海老名から名古屋まで開通することになっていますが、予定はあくまで予定。どうなることか、まったくわかりません。

自分のテリトリーでいうと、東名高速の上りは、休日ともなると大和市の短い大和トンネルを先頭に数十キロの渋滞は年中行事です。

厚木で県央道との連絡がつくようになっても、渋滞が緩和された様子はありません。新東名は海老名が起点とるようですが、少なくとも大和トンネル渋滞の解消に寄与するとは考えにくい。

自動車会社はせっせと車を作っては売り、日本の経済の根本から支えているらしいのですが、これ以上車を増やすなら、走れる場所も増やさないとしょうがない。

実は、今まで一度も走った事がなかった。というわけで、行ってみました。とは言え、走った時間は夜中。当然、渋滞は無くスイスイ。トラックが多くて、多少走りにくいですが、まだまだ道も痛んでないので快適です。

周りは・・・真っ暗なので、景観の良し悪しはまったくわからない。後からできた道路ですから、やたらとトンネルが多いという印象だけでしょうか。

駿河湾沼津SAでトイレ休憩にしましたが、やはり真っ暗でなんだかよくわからない。おそらく沼津市の夜景だと思うのですが、光が横に広がっています。

その光のベルトの向こう側は真っ黒ですから、おそらく駿河湾で海が広がっているはずなんですが・・・

とりあえず、本丸が開通しないと、新東名の存在意義についてはわからない。利用者からすると、車線が増えて欲しいのはそこじゃない、というのが正直な感想です。


2014年9月24日水曜日

浜松の風力発電

静岡県というところは、東西にやたらと長い。真ん中に静岡市、西には浜松市、そして東に伊豆半島。

静岡市民と浜松市民は、それぞれが県の中心と自負していて、いずれも伊豆は神奈川県だと思っているみたいなところがあります。

これは、自分が勝手に言っていることではなくて、それぞれ知人の静岡市民と浜松市民が、口をそろえて語っていた事。

浜松は、遠州灘の真ん中あたりに位置していて、比較的凹凸のない平べったい土地。遠州灘から吹いてくる風は、けっこうすごい。

1年間、近くに出向していたことがあるので、実際に体験したわけですが、とくに冬ともなると、もうそれは、お年寄りの自転車を吹倒すほどです。

大凧あげの祭りなどに活気があるのは、つまりは風がすごいからで、せっかくの無料の自然のエネルギーを使わない手はないだろう・・・

ということだと思いますが、丘の上に風力発電の大きな羽が並んでいました。ゆっくりと廻っていましたが、ばっと見で10基程度でしょうか。

うーん、このあたりは無知なのでよくわかりませんけど、どの程度の電力を発生させているのか。もしも浜岡原発のかわりにするなら、相当な土地が必要でしょうし、これは実験レベルなのかもしれません。


2014年9月23日火曜日

ワイマール時代のバッハ

1708年に、バッハはワイマールに転出します。宮廷オルガン奏者になったバッハは、まずはオルガン曲をせっせと作曲し、地固めを行いました。

と、同時にイタリア音楽を研究し、自身の作曲にも反映し始めます。そして、1713年になると、カンタータの創作がはじまります。時期が確実にわかっている初期のものとしては、通称「狩のカンタータ」として有名なBWV208 「わが楽しみは元気な狩だけ」があります。

そしてこの頃に、バッハはハレの教会オルガン奏者に応募しています。本気で就活していたのかはわかりませんが、その結果バッハをよそにとられたくないワイマール公によって、楽師長への昇進と待遇の改善かはかられました。

そして、バッハには、毎月新しいカンタータを作曲して演奏するという機会が与えられることになります。1716年の末までに演奏された新曲のカンタータとしては、20曲程度が残されています。

この時期、イタリア音楽の影響で、最も顕著なことはレチタティーボの導入です。レチタティーボは、もともとオペラの中で、主として状況説明をたんたんとするための独唱です。

教会音楽にレチタティーボを導入することは、聖書が言わんとする教えを、よりわかりやすく伝えるという効果が期待できるということでしょうか。

合唱の様式も、複雑化し様々なパターンが使われるようになり、後の円熟した作曲技巧がワイマール時代に完成していったことは間違いないところです。

ところがワイマール公とその甥っ子の確執があり、甥と仲が良かったバッハは微妙な立場に立たされることになります。さらに上役の楽長が亡くなり、自分が昇進することを期待していたのでしょうが、よそから新しい楽長が赴任することでバッハはだいぶやる気をなくしたようです。

そこで、バッハのファンだったケーテン公レオポルトの招聘により、1718年はじめにケーテンの地に宮廷楽長として移ることになりました。

ただ残念なことに、バッハはルター派のプロテスタントだったのに対して、レオポルト侯はカルヴァン改革派であり、バッハは積極的な教会カンタータの作曲を行っていません。

その代わりといっては何ですが、ブランデンブルグ協奏曲や主要クラーヴィア曲の作曲がこの時期に行われました。

2014年9月22日月曜日

ミュールハウゼン時代のバッハ

ちょっと考えてみれば当たり前のことなんですが、イエスはユダヤ教徒だったんですよね。

ナザレのイエスが、ユダヤ教に矛盾を感じて、独自の考え方を示したところ、民衆から支持された。ところが、時の支配者は、イエスの思想に危険を感じて処刑しました。

十字架の磔刑になって、3日後にイエスは復活して、教えを説いたのち神となって昇天します。そののち、弟子たちに精霊が降りてきて、各地に散ってイエスの教えを伝え始めたところからキリスト教が始まるわけです。

ここから、ローマ帝国の中でキリスト教徒は迫害を受け続けるのですが、次第にヨーロッパに拡散・浸透して、ついに313年にミラノ勅令によってローマ帝国から公認され、380年には国教となります。

ここからは、国王との権力争い、内部の勢力争いが活発になりました。その最たるものは十字軍による東方遠征でしょうか。

いずれにしても、イエスが歴史に登場してから、最初の3世紀くらいの間が、おそらく宗教としての最も進展を遂げた時期なんだろうと思います。

16世紀になって、マルチン・ルターらが行った宗教改革は、キリスト教をより民衆のために戻そうという行動でした。その結果、ローマ・カトリックとプロテスタントという2大勢力が誕生します。

バッハは根っからのプロテスタントで、幼少期からルターの自作した讃美歌(コラール)に慣れ親しんでいました。ですから、音楽家を志すにあたって、「整った教会音楽」を作っていきたいという願望は、かなり早くから頭にあったわけです。

バッハの教会カンタータが最初に作曲された時期は、1707年、22歳からの1年間のミュールハウゼンの教会オルガン奏者を務めていたときです。

翌年、ワイマールの宮廷オルガン奏者に転出するにあたっての ミュールハウゼン市への辞表に、すでに「整った教会音楽」に携わるためと記されているのです。

現在残っている、この時期のカンタータとしては、6つのものが推定されています。
BWV4 キリストは死の縄目につながれたり
BWV131 深き淵より われ汝に呼ばわる、主よ
BWV106 神の時こそ いと良き時
BWV71 神はいにしえよりわが王なり
BWV196 主はわれらを御心に留めたまえり
BWV150 主よ、われ汝を仰ぎ望む

ライプチィヒ時代のように、教会歴に沿ってきちっとした記録がないため、音楽学者と呼ばれる方々が、作曲技法などから推定したものですが、後年の確立した様式がないために、一つ一つに個性があり、ある意味未熟な面があるにしても、大変聴いていて面白い。

特に後年多用される、オペラの技法から取り入れられたレチタティーボは、まだ用いられていません。合唱とアリアがどんどん出てきて、若いバッハのスピード感みたいなものが感じられます。

BWV4は、すべてが一つのコラールからできていて、「コラール変奏曲」という呼ばれ方をするもの。最初の弦だけの短いのですが大変深いイントロのあと、見事な合唱や独唱が次々に登場します。

BWV106は通称「哀悼行事(Actus Tragicus)」と呼ばれ、バッハの教会カンタータの中ではかなり人気の高いもの。 若きバッハは、すでに当時の死生観について悟りを開いていたのか、死への恐怖と神の救い、そして死の克服の内容で書き上げています。



2014年9月21日日曜日

三位一体節後第14主日

夜は涼しくて、秋らしさが深まってきました。キリスト教の教会歴は、三位一体節後が続いていて、第14主日まできました。

バッハがこの日のために用意したカンタータは、やはり3つ残っています。

BWV25 汝の怒りによりてわが肉体には全きところなく(1723)
BWV78 イエスよ、汝はわが魂を(1724)
BWV17  感謝の供えものを献ぐる者は、われを讃う (1726)

いずれもライプチッヒ時代のもので、いずれも合唱から入って、レチタティーボとアリアが交互に登場してコラールで締める、典型的なタイプ。

実は、ここまであまり歌詞については言及してこなかったのですが、それというのもドイツ語がわからないというところから始まります。

そして、最も重要なことはキリスト教信者ではないものにとっては、その内容を理解するためには、世界史、特にヨーロッパ史を2000年分勉強しないといけないという難題があるからです。

その中でも、ユダヤ教の教義と旧約聖書、イエスの生涯、その教えがつまった新約聖書を理解するということは、並大抵のことではありません。

客観的に考えて、あらすじくらいは知っておきたいとは思いますが、そこに時間を費やすより、音楽的な部分に集中するほうがはるかに簡単です。

BWV25は、ヒトの罪を病気にたとえて切々と説いていく内容らしいのですが、おそらく日本語訳で歌ってもらっても、なかなか理解できるものではないでしょう。

BWV78の2曲目はアルトとソプラノのデュエットなんですが、これが軽快なリズムにのって、実に楽しげに絡み合います。イエスの顔を見ていると、とっても楽しいというような内容通りに、見事なデュエットです。

BWV17も、タイトルからして意味がよくわからない。そもそも最初の合唱は、歌詞は18単語しかないのですが、これをいろいろなバッハのテクニックで、ヒトの声を「楽器」として様々なパターンで処理していくのが楽しい。

一巡した後は、歌詞についても吟味しながら聴きたいと思いますが、今はこのくらいで許してもらいたいものです。

2014年9月20日土曜日

デイバッグ

ふだん使いのバッグは、基本的にパソコンが入って、本の一冊くらいも一緒に持ち運べるくらいのもの。

さすがに、休日にちょっと出かけるときに使うには大きすぎです。そこで、何て呼ぶのかわからないのですが、ナイキの袋をよく使っています。

リュックみたいに背負う事もできますが、単なる布のペラペラのものですから、おそらくジョギンクとかするときに、ちょっと何かを入れて使うようなもの。

さすがに、あまりかっこいいもんじゃない。色もオレンジで、おっさんが普通の格好で持ち歩くには派手すぎ。

昔は、いわゆるポシェットと呼ばれる、財布と煙草と鍵だけ入れるようなバッグを小脇に抱えているオジサンがたくさんいました。オジサンは、ベルトを手に通して持つのが定番。

さすがに、今時これはないわ。何か、金貸しのオッサンのイメージとでも言うんでしょうか、ダサイ感じ全開になってしまいます。

そこで、デイバッグとか言うんでしょうか、小さめのショルダーを購入しました。

知る人ぞ知る Manhattan Passage のバッグです。このブランドは、基本的にはビジネスバッグを中心に展開していて、機能性は抜群にいい。デザインも、嫌味が無い程度に凝っていて、安っぽくありません。

患者さんの持っているバッグを見ていると、若者からオジサンまで、わりとよく見かけます。

これから休日は、このバッグでブラブラしたいと思います。

2014年9月19日金曜日

毎日のブログ

今さら、あらためて書くのも何ですが・・・このブログの目的は・・・??

2007年に書き始めて、最初は何をどうするかもわからず、回りの人が書いていることを真似て始めたというのが正直なところ。7月から本気で利用するようになって、丸7年が過ぎました。

わずかに7年前のことですが、その頃はブログというとネットの利用法としては、最新のトレンドみたいなところでしたが、その後FacebookやTwitter、Lineと、どんどん新しいコミュニケーション手段が登場して、今となってはブログにはあまり新鮮味はありません。

最初は、クリニックの無料でできる宣伝として、情報発信することを意識していました。クリニックは、まだまだ順風満帆とはとうてい言えない状況で、何とか赤字にならないくらいの状況でしたから、広告にお金をかけるわけにもいかない。

何とか、毎日せっせと書いていれば、ネットでの検索にも引っかかりやすくなって、患者さんの増加に役に立つだろうと思ったわけですが、実際のところ、どれだけ効果が出ているのかはよくわからない。

最初のころは、せっせとアクセス数とか、検索されるキーワードとかを確認したりもしていましたが、数年もするとまったく無頓着になってしまいました。

その頃からは、もう完全に自分のプライベートな日記としての意味が大きくなって、もう完全にいつどんなイベントがあったとか、あるいは自分の興味の対象についての覚書という内容です。

毎日書くことが意味があると思っていたのが、今では書かないと気持ちが落ち着かないみたいなところもあって、義務感というより、日常のひとつになってしまいました。

ですから、クリニック関連で、病気の話、特に専門にしている関節リウマチの話は、最低月に一度は書くようにしていますが、以前ほどエントリー数は多くありません。

実際、リウマチの話を書いて、誰が読んでいるのかということなんですが、確かに読者の一部は患者さんかもしれません。でも、少なからず製薬会社の営業の人も含まれていることも間違いない。

最近はまっている宗教音楽については、まぁより一層読者はいないでしょうし、もう完全に自分の世界に没頭しているようなもの。誰が読むかなんて、まったく気にしていない状態です。

今年中にエントリーは3000を超えそうなんですが、これだけの量の文章を全部集めると何文字になるかしらとか、bloggerのサーバーの中で、どれだけの容量を消費しているかしらとか、何となく考えることがあります。

一度、バックアップした中から、海水魚・熱帯魚関係のあすなろ水族館シリーズだけを、ワープロで整理してみましたが、ちょっとした小冊子になるくらいの量でした。

今のところ、容量一杯で書きこめなくなるということは起きていませんが、いつか限界ですと表示されるのかもしれません。そのときは、別のアカウントで続けるか、潔く止めてしまうか、まだ何にも考えず、ただひたすら日常を続けるのみです。

2014年9月18日木曜日

珈琲が無い!!

朝起きるでしょう、最初に何します?

朝、シャワーを浴びる男子は10%以下というアンケート結果があるそうです。自分は、朝シャン派なんですよね。もう、ずーーーーっと前からです。

整髪剤とかまったく使わないので、寝ぐせが嫌なんですよね。

その後は、コーヒーです。コーヒーは無くてはならない。

毎朝欠かさず飲むようになったのは、大学に入ってから。

入学式の後、医学部長が「君らも医学生になったんだから、体の健康を考えてコーヒーや紅茶に砂糖とか入れるのはやめなさい」みたいな話がありました。

それじゃ、ってんで、試しに飲んだブラックが美味しいかった。以来、ほぼ毎朝2~3杯は飲むようになって、朝食はとらなくなりました。

う~ん、もしかしたら、より不健康な生活になったのかも・・・と思うことはありますが、もう30年もそんな生活していますからね。いまさら・・・

コーヒーは、挽き豆でもインスタントでもいいんですけど、昨日の朝はしくじった。

インスタントは、一昨日飲み切っていたのはわかっていたんですが、豆がまだあるとたかをくくっていました。

ところが、豆も無くなっていたんです。こりゃ、まいった。飲めないとなると、よけいにあせるもの。

なんか、ぼーっとした感じが抜けないまま仕事にでかけましたが、体が重い。

医学的には、単なる脱水状態なんでしょうけど、やっぱりカフェイン中毒入っているのかと思ったわけです。

2014年9月17日水曜日

金魚見てきました

金魚みてきました。

たかが、金魚ですが・・・アートになっています。

いろいろな形の水槽、色とりどりのLED照明、さらに鏡なども使って、何とも幻想的な雰囲気をかもし出しています。

いろいろな種類の金魚が丸い水槽の中で展示されていました。確かに、まぁたくさんの種類があるものだと、感心します。

ここは日本橋、COREDO室町というところ。アート・アクアリウム2014という催し物。7月からやっていて、あと1週間、秋分の日まで続きます。

夜に行くと、中で飲食ができて、ショーなどもやっているそうですが、日中に行くと・・・ただ見てまわるだけで、相当ゆっくりしても1時間。

正直、きれいなんですが、基本は飾ってあるだけのものですから、そんなに面白いものではない。死んでる金魚もそのまま放置されてましたしね(朝一にもかかわらず)。

唯一、一番最後にある金魚の屏風は見ごたえありました。縦に細長い水槽を屏風見立てに並べて、流行のプロジェクション・マッピングで四季折々の風物を映し出しています。

ただ・・・面白いのは流れて行く春夏秋冬の景色であって、本物の金魚がその中を泳いでいる必然性はありません。

う~ん、こういうのを素直にいいと思える素直な気持ちになりたいとは思うのですが、すんません。デパートの入り口とかに、でーんと一つ大きくディスプレイされているくらいが、涼しげで気持ちいいかもと思ってしまいました。

2014年9月16日火曜日

芸能人を見た!!

もともと信じられないかもしれませんが、渋谷の、それも原宿育ちでして・・・まぁ、表参道あたりには、芸能人とかよく歩いていたりして、何が何でもすれ違っても振り向いたりはしない。もちろん、サインを求めたりもしない。

それは、地元民としてのプライドのようなもので・・・今から考えると、ずいぶんと生意気な感じ。女子医大に勤務していたときは、芸能人も何人か診察しましたが、今では芸能人とはとんと無縁な生活。

昨日の敬老の日は、二子玉川の高島屋なんていう、ちょっとモダンな場所に出かけてみました。いきなり、都筑区のお世話になっている内科の先生と鉢合わせしてびっくり。

さらに、1階のフロアで何やら歌声が聞こえてくるじゃありませんか。言ってみると、ああ懐かしい長江建次さん。欽ドンの良い子・悪い子・普通の子の普通の子で一躍有名になりました。けっこう、歌がうまい。下手な今時のアイドルよりも、まぁまぁ楽しめる。

歌が終わって登場したのが、道端アンジェリカさん。いやぁ~、現役バリバリのタレントさんですから、やっぱり華があります。伸長も高くて、かっこいいわ。

この方、世田谷育ちで、近くの中高を出て、二子玉川の居酒屋でバイトしていたそうな。

なんか、久しぶりに芸能人を見て、ずいぶんと得した気分です。あとは夕飯の惣菜を買って帰ってきました。

2014年9月15日月曜日

エアポート

飛行機のパイロットになりたいな、とかいう思いを一度はしたことがあるという方は挙手を・・・そう、大多数が手を上げましたね。

そうなんです。飛行機に乗りたい、飛行機を操縦したい、大空を自由に飛んでみたい、などという夢は、けっこう地面から離れられない人間の本能的な欲望の一つかもしれません。

まぁ、そんな大袈裟にしなくてもいいんですが、昨日はせっかくの休みで、天気もいいので羽田空港に遊びにいってみました。

飛行機ものとか空港もののドラマとか映画は好きですから、最近のものとしてはTOKYOコントロール、TOKYOエアポート、ミスパイロットなどは嬉々として見ていました。

この管制塔の仕事のすごさは、あくまでもドラマからの知識だけですが、いゃぁ~感激モノです。昨日は天気良好、風もあまり強くなかったので、比較的楽だったかもしれませんが、次から次へと離発着を整然と指示して行くのはプロフェッショナルとして尊敬します。

ターミナルの中はたくさんの人で、賑やか。旅行で訪れる人、自分のように遊びに来ただけの人であふれています。たくさんある店でぶらぶらと見て廻るのもいいんでしょうけど、空港に来たらやはり飛行機を見ないといけません。

展望デッキに上がって、ただ何となく眺めているだけでも十分に楽しいのですが、こういう時にあると便利なのがリアルタイムの飛行機の運行状況を確認できるアプリ。

まぁ、それほど普段役に立つ事はないのですが、地図の中で飛行機が動いている様子を見ているだけでも、けっこう楽しめるものなんです。

自分が使っているのはFlighrader24というもの。HPでも運行状況は見る事ができるので、ときどきこれと決めた飛行機が、飛んで行く様や操縦席から視点の動画をぼーっと見ていることがよくあります。

昨日はスマホでこのアプリを起動して、どんどん飛んでくるのがどこから来たのかとか、これから飛び立つのがどこへ向かうのかとか、いやぁ~全くいつまで見ていても飽きません。

ちょっと管制官になったような気分を・・・まぁ、ほんの少しですけど、味わうことができました。家でぼーっとしているのもいいのですが、たまにはこういうぼーっと仕方も悪くありませんね。

2014年9月14日日曜日

三位一体節後第13主日

三位一体節後第13主日です。

この日のために作られたカンタータは、3曲残っています。いずれも、比較的マイナーで、全集以外に録音を残している人は少ない。

BWV77 汝の主なる神を愛すべし (1723)
BWV33 ただ汝にのみ、主イエス・キリストよ (1724)
BWV164 汝ら、キリストの者と名のる徒 (1725)

BWV77と翌年のBWV33は初めと終わりがコラール、間にアリアとレチタティーボを交互にはさむ典型的な構成。BWV77では、全体のポイントはトランペットの活躍でしょう。

バッハのトランペットの使い方は、いくつかあるオラトリオの冒頭が典型的で、ファンファーレのように華やかさを加えるために派手に鳴るものが多い。ところが、ここでは実にしっとりとした響きが印象的で、このような使い方は大変珍しい。

BWV33では冒頭のコラールとアンサンブルが見事ですが、3曲目のアルトのアリアが目玉。なんと10分以上のアルトの独り舞台です。ぽつん、ぽつんと弦をはじくゆったりとした伴奏も他にはあまり聴かないもの。

BWV164は、テノール、バス、アルト、テノールとソロでアリアとレチタティーボをこなしていき、ソプラノとバスのデュエット、最後に短いコラールの合唱という構成。ソプラノが登場したところが、急に華やかさが加わって耳に残ります。


バッハの宗教曲の録音史では、一般的にカール・リヒター(1926-1981)が神格化されていて、早死にしただけにカンタータが全集として完結しなかった事が残念でならないという意見が多い。

リヒターが70年代を中心として活躍したとすると、60年代にバッハを精力的に演奏したのがフリッツ・ヴェルナー(1898-1977)です。

ERATOレーベルら、多数のアルバムを出していましたが、今ではやや忘れられた存在。しかし、バッハの宗教曲、特にカンタータを精力的に録音した先駆者として記憶にとどめておく必要があります。

ヴェルナーは当然モダン楽器による演奏で、リヒターに比べれるとあっさりとした感じの演奏です。逆に、リヒターの「もったいをつけた」ような思いいれたっぷりの演奏が苦手という人には、むしろヴェルナーのほうがいいかもしれません。

演奏には、フランスの多くの後に著名なソロイストになる人たちがたくさん加わっているのも聴き所です。大多数がステレオ録音で、今はリマスターされ、全部でCD30枚にまとめられたボックスが発売されています。






2014年9月13日土曜日

バッハとラテン語

学生のときに、解剖学の講義の最初にラテン語の授業がありました。解剖学で使われる人体の各部の名称はラテン語、最低限の知識を学べということだったんですが、とりあえず「発音はローマ字読みすれば、当たらずとも遠からず」ということだけ頭に残っています。

キリスト教カトリックの典礼で用いられる言葉はラテン語です。キリスト教関連の音楽の歌詞も当然ラテン語で、Kyrie eleison とか、Gloria in excelsis Deo とか、作曲者は違っても、やたらと出てくる。

ところが、バッハのカンタータを聴いてみると、これがなんとドイツ語。あれ? キリスト教なのに、ドイツ語じゃ、やたらと俗っぽくなっていると、はじめは感じました。

ところが、ちょいと勉強すると、そこがカトリックとプロテスタントの違いとわかってきた。マルチン・ルターは、キリスト教をより民衆の身近にするために、人々が最も理解しやすい母国語を使ったわけです。

バリバリのプロテスタントであったバッハは、当然のことながら、自らのライフワークであった「整備された教会音楽」、つまりぼうだいなカンタータをドイツ語を用いて実現させていったわけです。

昔の日本の医学はドイツ式でしたから、今でも医学用語にはドイツ語から来るものが使われているとはいえ、自分たちの世代の頃には、アメリカに習えに完全に変わっていましたから、ドイツ語の授業もありましたが、知識としてはラテン語とたいして差が無い。

歴史的な時間差はあっても、遠い異国の言葉であることにはかわりなく、ドイツ語のカンタータを聴いても、特に違和感は感じません。

ところが、ドイツ語カンタータに慣れてくると、実はバッハの作曲した曲にラテン語歌詞のものが含まれていることに気がついて、逆にバッハがラテン語? ということが気になりだします。

ラテン語作品は、バッハの最後の作品とされる、いわゆるロ短調ミサ曲 BWV232、そしてマニフィカトBWV243が有名ですが、それ以外に小ミサ曲と呼ばれるものが4つあります(BWV233~236)。

そして意外なことにカンタータに含まれるBWV191が、なんとタイトルがGloria excelsis Deoそのもの。唯一のラテン語カンタータであり、一連の教会カンタータとは別に分類する考え方もあります。それ以外には、細かいSanctusのみが数編ありますが、偽作もありそうで、あまりはっきりしない。

ルターも、ローマのやり方を一切合財否定したわけではなく、カトリックの作法を一部踏襲しているので、プロテスタントでもラテン語を使用する事は特に異なことではなかったようです。特に音楽に取り込まれる言葉は、キリスト教の中でも基本になるものが多いので、そのままラテン語が用いられても不思議ではない。

バッハのミサ曲は、バッハのパロディ手法が顕著にいかされているところで、多くのドイツ語カンタータからの転用が指摘されています。このあたりは、マニアックに突き詰めるとかなり楽しめる部分になっているわけです。

2014年9月12日金曜日

報道の自由

朝日新聞の社長が、自ら頭を下げて記事の誤りについて謝罪をしました。

記憶にある限り、こんなことは初めてではないかと思います。誤報をした場合、謝罪記事を載せるのが一般的で、細かいものについてはほとんど放置されているのが現状かと。

朝日は、最近だけでも「慰安婦問題」、そしてそれを巡る池上氏コラムの「掲載拒否」、「吉田調書」と立て続けに、読者が不信に思う記事を連発しています。

メディアは「報道の自由」を御旗にして、自分たちの正義を振りかざしますが、しばしば「ペンの暴力」となっていることを忘れがちです。

誤報は、ある程度仕方が無いものと思いますが、新聞の場合は毎日出されているものですから、記事を載せるのも訂正するものスピード感が大事。

今回も社長が謝罪したことは、一定の評価はされるべきとは思いますが、遅すぎるということが問題。当然、その間に社や個々の保身をしていたと思われてもしかたがない。

新聞社としての体質に疑問が投げかけられる結果となったことは、大変残念なことでしょう。さらに、朝日だけに留まらず、他の新聞、あるいはメディアに対しても疑惑の目が投げかけられたということです。

他のメディアは、朝日だけの問題として、他人事のような反応をしているのが気になります。テレビでのインタヴュー取材や、記者会見の様子などて、最初から色眼鏡をかけた質問や、記者が相手を批判するような質問が目立ちます。

メディア全体が、この期に自らを正す機会ととらえることが大切だと思います。もう少し、「報道の不自由」というものも考えてもいいのかもしれません。

2014年9月11日木曜日

iPhone6

今年の4~6月期の世界のスマートホンのシェアは、Androidが84.7%で圧倒的で、2位がiOSで11.7%、3位はWindows Phoneで2.5%だそうです。

パソコンと一緒で、アップルはまだまだたいしたことはない。昨日、iOSを搭載する新しいiPhone6が発表されました。またもや、こんなこともできる、あんなことだってできると新機能を大々的に宣伝したわけです。

が、・・・、実際のところ、アップルがテレビなどでも懸命にスタイリッシュな宣伝をする内容は、他のスマホではほとんどすでに実現できている内容。

実際のところ、デザイン以外であまりびっくりする革新ではありません。それでも、こういう発表会では、いかにもすごいことになったと思わせる手順はさすが。

つまり、アップルの宣伝の仕方が圧倒的に上手ということでしょうか。例えば、一頃やっていたXperiaのCMは、イメージ戦略的なもので、具体的なメッセージが伝わりにくいということは否めない。

具体性に走りすぎると、味気の無い広告になってしまうのですが、アップルは具体性とスタイリッシュなイメージを融合させることについては、パソコンの登場以来本当にうまい。

それにはまったのが日本人。日本でのシェアは70%というから、世界の中で特異な状況になっています。アメリカで40%、イギリスでは30%、スペインでは6%しかない。

もともとアップルが嫌いな自分としては、まぁどっちでもいいことなんですが、Android勢にもう少し広告を何とかしてもらいたいものだと思ってしまいます。

2014年9月10日水曜日

錦織圭、準優勝

世界の中で日本人は7人に一人。でも、テニスの世界では、名を馳せたブレイヤーは数えるほどしかいません。

最初に知られるようになったのが、神和住純。この人は自分より一世代上。自分が大学でテニスをしていた頃の、唯一世界に多少は通用する有名人でした。

当時、伸びてきていたのが福井烈で、ほぼ同世代。そのあとは、男子だと松岡修三くらい。

グランドスラム大会では、1回勝っただけで「お~、すごい」と言っていたわけで、それを考えると、今回の錦織圭のU.S.オープン準優勝は、もの凄い飛躍と言えます。

ただし、準決勝までの粘りの戦いからすると、決勝戦でのあっけない敗戦をどう考えるかで評価がだいぶ変わってくる。

以前、錦織についてはブログでも取り上げた事があって、 当然注目株であったわけですが、今回評論家が一番褒めていたのが、「ボールのコース予想の向上」でした。

強烈なストロークやボレーは大事ですが、結局それを正確に打ち込むためには、いかにボールに早くに追いついて、体勢を整えられるかにかかっている。

パワーテニスの時代になって、強引に打ち込むほうが勝ってしまったような感じがしますが、やはり基本となることは変わってはいません。

ボールがどこに来るかを予想して、すばやく足を動かして、ベストな打点に達する事は、優勢に試合を運ぶことにつながります。

いずれにしても、錦織クンは、他の選手からも、そして我々一般人からマークが厳しくなります。次の大会で、どれだけのものを残すかが問われることになります。

「勝てない相手はいない」という発言に期待しましょう。

2014年9月9日火曜日

デング熱騒ぎ

医者の立場で言うのも何ですが、世の中にはまだ見た事が無い病気というのは山ほどあるもので、最近何かと話題になるデング熱という病気も、経験したことはありません。

原因は蚊を媒介とするウイルス感染症ですから、いろいろ蚊の棲息地域を消毒したり封鎖したりと関係者はさぞかし大変だろうと思いますが、完全にシャットアウトすることは難しい。

実際、わかっている発症数は近年増加傾向にあるそうで、人の動きがグローバルになって、今まで日本では稀だった病気が増えて、一般的という尺度も変わってきているわけです。

アフリカで注目されているエボラ出血熱ですら、輸入されてくるチャンスが無いとは言えない。

もっとも、リウマチ科や整形外科を専門とする立場ですから、そもそもそれらの病気を発症した患者さんが自分のもとに来院することはまずないわけですが。

それでも、どこで遭遇するかわからないわけで、こういう機会にある程度は勉強しておかないといけないわけです。

例えば、百日咳という病気。これも患者数が予防接種により激減したため、自分たちの世代の医者は直接見る事が少なくなった病気ですが、定期接種から外れた関係で増加傾向。

リウマチ患者さんでは、何かと咳を心配することが多いのですが、実は百日咳だったということが最近はあるんです。このあたりは、頭の隅にでも百日咳という病気がひっかかっていないと、ずっと悩み続けることになってしまいます。

泥などで汚れた傷に対して心配なのが破傷風。これも感染症の一種で昔はポピュラーな病気の一つでしたが、実は自分は医者になってから破傷風が発生したのを見た事も聞いた事も無い。

都会にいると、泥だらけのケガになる機会が減ったというのが、一番大きい理由かもしれませんが、正直もしも発症してもわからない可能性が高いだろうと思います。

 帯状疱疹は、けっこうよくある病気ですが、基本的には純粋に皮膚科のテリトリー。ところが、最初に激しい痛みで患者さんが病院に訪れるので、整形外科に初診する可能性がけっこう高い。

特徴的な湿疹が出現していれば、すぐに皮膚科に行くように説明できますが、そうでないと単なる神経痛として帰していることはけっこうあるかもしれません。

専門性は大事なのですが、少しでも広く浅くでも様々な病気の知識を持っていることは、医者と呼ばれる上で必須条件であることは肝に銘じておかないといけません。

2014年9月8日月曜日

今度は本気? 市営地下鉄

It will be the harvest moon tonight in  mid-Autumn.

と、いうわけで、今宵は「中秋の名月」です。ただし、天気予報はあまりよくありません。昨日の日曜日のようなぐずついた空模様が明日までは続くようです。

とりあえず、試しに窓をあけてみたら・・・

うちの近くにはすすき野という地名がありますが(札幌ではありません。あくまでも横浜の話)、昔はさぞかしススキがたくさん生えていたんでしょうね。

今年のはじめに、 横浜市営地下鉄ブルーラインが、現在の終点であるあざみ野から新百合ヶ丘まで延長される話が再浮上しています。

もともとの計画にあったものですが、川崎市の地下鉄計画とバッティングしたりで、ほとんど立ち消えになっていた感じのもの。

今度こそ本当にできるかもということなんですが、そうなってくると駅がどこにできるかで一喜一憂がありそうです。

東急が、剣山スポーツガーデンをあざみ野ガーデンズという商業地に変更したのはそのあたりを考えてのことなんでしょうか。

最近すすき野も再開発され始めていて、中心ともいえるすすき野東急SC(ここも東急)の周囲のだいぶ裏ぶれた商店街が整理されています。

東横線と田園都市線という東急電鉄の沿線地域は、ほとんど東急県と呼んでもいいくらい、その開発には東急の力が関与しているわけですから、横浜市も東急の意向を無視することはできないでしょう。

となると、あざみ野から1.2kmで「あざみ野ガーデンズ駅」、さらに1.2kmで「すすき野駅」、そこから川崎市にはいって2kmあたりで王禅寺あたりにひとつ作って、さらに2kmで小田急線の新百合ヶ丘につなぐというのが自然な感じでしょうか。

小田急線は新宿に出るしかない路線で、横浜に向かうのは大変で、直接出れるのは海老名まで行って相鉄線、町田から横浜線のふたつですが、いずれもややマイナー感は否めない。

ブルーラインが延伸すれば、小田急沿線住民は渋谷や横浜へ出かけることがかなり自由になります。となると東急グループの思う壺。

ただし、田園都市線の地獄の混雑には、さらに拍車がかかるかもしれません。小さい話ですが、地下鉄始発のあざみ野なら、絶対座れるという特典も無くなってしまうなあ。

2014年9月7日日曜日

三位一体節後第12主日

現世では9月となり、幾分かは涼しくなりましたが、昨日などは湿気も多くて蒸し暑かったですね。キリスト教の教会では、今日の日曜日は三位一体節後第12主日となります。

無宗教の人間からすると、多少イベントがないことには、なかなか興味の持続が難しい。ここらで、この先の暦を少しおさらいしておきましょう。

とりあえず、次の記念日は9月29日、大天使ミカエルの祝日です。その次が10月31日に宗教改革記念日というのがあります。そして11月の第4日曜日まで、三位一体節後が続きます。

11月最後の日曜日、11月30日からいよいよ待降節がはじまります。イエスの誕生日を祝うための準備期間というわけです。

というわけで、まだ丸3か月ほど比較的のんびりと過ごすことができるわけで、今からクリスマスから新年の怒涛の2週間のために、知識を整理しておくのも悪くはありません。

さて、今日のカンタータも3曲残されています。

BWV69a わが魂よ、主を頌めまつれ(1723)
BWV137 主を頌めまつれ、勢威強き栄光の主を(1725)
BWV35 霊と心は驚き惑う(1726)

先週の分は、いずれも比較的強い調子で、「ちゃんと信心しないとだめだぞ」みたいな曲調が多かったのですが、あまり脅かしすぎたと反省したのか、今週はいずれも優雅で慈愛に満ちた感じ。

BWV69aからして、王宮の祝典かと思うような出たしの合奏と、難易度の高そうな技巧的な合唱で始まります。これ番号付けは、バッハが作曲した最後のカンタータとされるBWV69の原曲という意味でaがついている。

BWV69は1748年の市参事会交代式のためのもので、確かにこの雰囲気なら世俗用途への転用はいかにもという感じです。

BWV137は10分ちょっとの短めの曲ですが、これも合唱はかなり難しそう。伴奏も管楽器が入って華やかです。

ライプツィヒにおける、カンタータ年巻の第2年にあたる1724年のものが無いのはめずらしい。楽譜が消失した可能性もありますが、バッハは明確に欠落していることを意識していたと考えられています。

第2年巻は、すべてコーラル・カンタータで埋め尽くすという明確なバッハの意図があり、コーラル・カンタータにこだわっていなかった翌年に、この欠落していた分を埋めるようにBWV137が作られているのです。

BWV35は、オルガンが大活躍するのが印象的。2部構成で、それぞれの冒頭シンフォニアは、完全にオルガン協奏曲です。そして、歌はすべてアルトの独唱のみというのも珍しい。

このシンフォニアは、失われた協奏曲(オーボエ?)が原曲と考えられていて、これがもとになってBWV1059のチェンバロ協奏曲(第8番)が復元されたそうです。

2014年9月6日土曜日

浜なし

浜なしは、横浜で栽培される梨という意味のブランド名で、梨の品種ではありません。

このあたりの事は、横浜市のHPに詳しく紹介されていますが、要するに戦後から自分のテリトリーである横浜市北部地域で栽培され、直売のみで流通するおいしい梨のこと。

去年9月はじめ、月に数回通りかかる場所に直売所があるのに気がついた。次に通ったときは、もう梨の販売は終わっていました。

今年は、絶対に買うぞという意気込みで通りかかったら・・・売っていました。わざわざ、そこまで行けばいいのですが、必要があってたまたまとおりかかるタイミングで、「偶然に」売っているというのがラッキーな感じがするところ。

開業したてのころに患者さんが、浜なしの栽培農家の方で、一度いただいたことがある。いやぁ~、確かに美味しい。採りたてで新鮮なものだけが販売所に並ぶわけですから、一番食べごろなわけです。

今年も、そろそろ終わりでしょうから、気になる方は急いで直売所めぐりをしましょう。

2014年9月5日金曜日

傘とライター

傘やライターは、特に男性では装飾品の定番で・・・というのは昭和までの話。ほんと、昔は何か贈り物をするというと、この辺にしておけば間違いがありませんでした。

傘は昔から、忘れ物のトップを守り続けていますが、ビニール傘が登場したのは、20年くらい前でしょぅか。ほとんど使い捨て感覚になって、なおさらどこかに置いてきても惜しくないものになってしまいました。

多少おしゃれっぽいものでも1000円、だいたい500円程度が主流でしょうか。ずいぶんと、物の価値がさがってしまいました。

自分の場合、ほとんど車通勤ですので、傘を必要とする時間はすごく少ない。折りたたみの小さいものを、車に一つ入れておけば事足りる。

それでも、最近は特殊な用途のものが話題になったりしますし、女性の日傘の需要は増えている。さらに、男性も日傘を使うなんて話もあって、それなりに必需品として生き残っています。

ところが、ライターは完全に終末を迎えた文化かもしれません。もともと煙草に火をつけるのが目的で、高級品もかなりありました。卓上ライターなどは、ずいぶんと凝った作りだったりして。

今でもライターの老舗、デュポンなどでは数十万円もするものが売られているんですね。

使い捨てライターが出てきたのは、40年くらい前。それでも、まだまだ高級ライターは使われていたし、安価なほうがよければマッチの存在が大きかった。

ところが、使い捨てライターが100円になって、しかもけっこう無料でおまけとして配布されるようになってから、まずマッチが消えていきました。

そしてこの20年くらいで、通常の高級ライターもほとんど見かけなくなって、ほぼ100円ライターが市場を独占しているんじゃないでしょうか。

一部のコレクター向けに、ZIPPOのオイルライターが今でも根強い人気がありますが、通常花火でもなんでも、着火したい場合は100円ライターでOK。

現在でも必要品ではありますが、高級品である必要がなくなった代表的な物ということでしょうかね。


2014年9月4日木曜日

15歳

15歳というと、義務教育が終わって高校に進学したころで、こどもと呼ぶにはふさわしくない年頃・・・なのは、あくまでも人間の話。

うちのわんこは、種類はミニチュア・シュナウザー。1999年生まれで、ちょっと前に誕生日を迎えて15歳になりました。

犬で15歳というと、もう人間なら80歳くらいという年齢です。こどもたちの成長を、一緒に見守ってきたわんこですが、さすがにだいぶよれよれになってきた。

主治医の獣医さんからは、もうちょっとしたことで体調を崩して、ころっといっちゃうことがあるよと言われています。

トリミングにだしたりすると、ストレス。一緒に遠出すると、疲労困憊。今年の夏は、熱中症になって、点滴されて一命を取り留めたことも。

目は白内障気味、耳や鼻もだいぶきかなくなっているかんじ。ふだんも、なんとなくぼーっとしていることもよくあります。

それでも、年からすると比較的元気なようで、見た目だけはそれほど年を感じさせません。いつまで、帰った時に、一応元気に出迎えてくれるでしょうか。

2014年9月3日水曜日

OVPP

以前はオーケストラは個性が出にくいとか、声楽はどうしても苦手とか、古楽にこだわるのがわからないとか、まぁ好き勝手なことを散々書いてきたんですが、何故かそれなりに開眼してしまいました。

手の平返したようなところですが、さらにごく最近にOVPPについても、あまり面白くないみたいなことを書いてしまいました。これについても、いくらか認識を新たにしないといけないと思い始めています。

OVPPとは、One Voice per Partの略で、各声部について一人が歌うというもので、さらに突き詰めると楽器もそれぞれの楽器が一人ずつというようなもの。

1980年代末に、アメリカの音楽学者リフキンが発表した学説で、当時はバカバカしい話として相手にされませんでした。何しろ、当時はリヒターの重厚なモダン楽器によるバッハがスタンダードとして認知されていたわけで、ピリオド奏法についてはまだ黎明期でした。

そんな少ない人数で、ぺらぺらの演奏ではバッハの荘厳さや偉大さは伝わらないと考えられていたんでしょうね。しかし、古楽器の研究が進み、バッハの時代の音がしだいに明らかになってくるにつれて、リヒターの演奏は、バッハが実際に耳にしていた音より遥かに厳粛すぎると考えられるようになったのです。

学説の真偽はともかく、リフキンが凄かったのは、すぐにその学説にもとずいた演奏を行いCDをだしたことでした。それがロ短調ミサ曲のCDで、人数が少ないために各声部がはっきりして、風通しのよいことはすぐにわかります。

リフキンは、カンタータも何枚かCDにしています。いずれも、OVPP方式を採用した、かなり軽いバッハです。古楽器は楽器の特性上、共鳴が弱く音の減衰が早いといわれているので、どうしてもモダン楽器に比べて早めの演奏になります。

リヒターの演奏は、カンタータ一つでも合唱と楽団だけで50人以上はいるかという、まるでカラヤンとベルリンフィルのような重戦車みたいなバッハ。ビブラートをきかせて、どうだ、これで心に響かないはずがないだろうみたいなところがあることは否めない。

もっとも、それはピリオド奏法によるバッハに慣れた耳から感じることですが、現代に音楽を聴く上では一つの表現方法としては圧倒的な存在感であることは疑いようもありません。

ただし、リフキンのロ短調、あるいはカンタータの演奏は、残念ながらとにかくOVPPでやってみたという程度。OVPPが実際に可能であることを証明するための音楽であり、軽さばかりが目立つ。それぞれの歌手がばらばらという印象で、音楽全体としてのまとまりが感じられません。

早くからOVPP説を実践していたのがパロットですが、パロットの方が音楽としての完成度は高い。やや地味な存在で、あまり話題にならないのですが、同じロ短調でもパロット盤は各声部や楽器が聞きとりやすく、かつバランスがいい。

OVPPはそれなりに認知され、確かにバッハがそんなにたくさんの人数を用意できたわけがないという考え方が浸透してくるにつけ、実践する演奏も増えてきています。

最近、特にOVPPに力をいれているのがクイケン。カンタータのシリーズも順調にリリースされています。ただ、そこまで裾野を広げるのは大変なので、自分は未聴ですので、コメントできません。

そして、もう一人OVPPを採用しているのがジョン・バット。この人は、かなりマニアックな録音をすることで有名です。初演版とか、復元版とか、通常使われているスコアとは違う楽譜を採用することが多い。

バットのヨハネ受難曲は、なんと実際の礼拝の進行に乗っ取って、入場のオルガン前奏からはじまり、会衆が歌うコラールのあとに本編が始まる。第一部が終わると、説教になるのですが、これはさすがにCDに入れるのはどうかと思ったんでしょう。聴きたい人は、無料でダウンロードするようになっています。

バットのロ短調は、元祖リフキンがOVPPのために校訂した譜面を用いています。これはほかの古楽系の録音と比べても、けしてひけを取らないなかなかのもの。少ない人数が嘘のように、各声部が有機的に融合して、迫力もあり細かいところも描き切るところが気持ちいい。

これは、さすがにOVPPというのを認めざるをえないかと思いました。ただ、音楽として歴史の中に埋もれさすだけならいいのですが、「音を楽しむ」ための一つの方法論であって、必ずしもそこにこだわるだけではだめかなとも考えます。




2014年9月2日火曜日

延長50回

いやぁ、驚いた。
夏の甲子園大会が終了して、高校球児の夏はとっくに終わっていたと思ったら、なんとまだやっていました。

ただし、硬式野球ではありません。軟式野球です。日曜日に決勝戦が行われて、中京高校が優勝したんですけど、驚いたのはこの決勝戦ではなく、決勝前に行われた準決勝の話。

中京高校の準決勝が始まったのは、実は8月28日のこと。15回までやって点が入らず、翌日に続きます。ところが29日どころか、30日も点がはいらない。

なんと4日目の日曜日にやっとのこと、延長50回でやっと決着したというから、これを驚かずに何を驚くのかという感じ。しかも、そのままダブルヘッダーで決勝戦だったわけですから、もう凄すぎです。

軟式といえど、野球の記録としては前代未聞ではないでしょうか。高校野球では、同日の試合は体力を考慮して15回までとされていて、決着がつかない場合は翌日に持ち越しという決まり。硬式の場合は25回が最長記録。

プロ野球は、回数や時間の制限で引き分けになりますが、過去にのんびりしていた時代に28回というのが最長らしい。アメリカでも33回が最長、日本の社会人軟式での45回というのがこれまでの最長記録だったみたいです。

もう、お疲れ様でしたとしか言いようがない。なんて充実した夏をすごしたことでしょう。選手たちは、社会に出てからも、きっと大いに活躍できるんじゃないでしょうか。

2014年9月1日月曜日

栗の木は残った

9月です。先週から灼熱と豪雨の夏が、急転直下に幕が降りて、いきなりの秋の到来という風情でしたが、カレンダーをめくって、9月という文字を見るとなおさらです。

いつも自宅からクリニックまで通勤する道の途中に、けっこう立派な竹林がありまして、その一番端に栗の木があるんです。

以前にも、ここで栗の写真を撮ったりして、ブログにものせたことがあります。いかにも秋らしいですよね。

ところが、8月なかばに急に重機が入って、どんどん竹をなぎ倒していました。数日で更地になって、砂利を敷き詰めて、宅地にするんだか、マンションでも建つんだかわかりません。

まぁ、土地の権利者の方の自由ですから、ただの通りすがりの自分が文句を言ってもしょうがないわけですけど、何とももったいないことをするもんだと思わざるをえません。

少なくとも自分がこの場所を知ってから10年弱は、まったく手つかずでほったらかしてあったのですから、そのままでもいいじゃんと勝手に思ったりするわけです。

それにしても竹ももったいないのですが、それにもまして残念なのは栗の木が無くなってしまうこと・・・と、思っていたら、よく見たら工事の壁の立てられて、すぐ外側に残っているじゃありませんか。

さすがに、これだけは残してくれたようです。なんか、ちょっとだけ嬉しくなりました。季節を大事にしたいという気持ちを持っている方が、土地の所有者なんでしょう。