2014年9月12日金曜日

報道の自由

朝日新聞の社長が、自ら頭を下げて記事の誤りについて謝罪をしました。

記憶にある限り、こんなことは初めてではないかと思います。誤報をした場合、謝罪記事を載せるのが一般的で、細かいものについてはほとんど放置されているのが現状かと。

朝日は、最近だけでも「慰安婦問題」、そしてそれを巡る池上氏コラムの「掲載拒否」、「吉田調書」と立て続けに、読者が不信に思う記事を連発しています。

メディアは「報道の自由」を御旗にして、自分たちの正義を振りかざしますが、しばしば「ペンの暴力」となっていることを忘れがちです。

誤報は、ある程度仕方が無いものと思いますが、新聞の場合は毎日出されているものですから、記事を載せるのも訂正するものスピード感が大事。

今回も社長が謝罪したことは、一定の評価はされるべきとは思いますが、遅すぎるということが問題。当然、その間に社や個々の保身をしていたと思われてもしかたがない。

新聞社としての体質に疑問が投げかけられる結果となったことは、大変残念なことでしょう。さらに、朝日だけに留まらず、他の新聞、あるいはメディアに対しても疑惑の目が投げかけられたということです。

他のメディアは、朝日だけの問題として、他人事のような反応をしているのが気になります。テレビでのインタヴュー取材や、記者会見の様子などて、最初から色眼鏡をかけた質問や、記者が相手を批判するような質問が目立ちます。

メディア全体が、この期に自らを正す機会ととらえることが大切だと思います。もう少し、「報道の不自由」というものも考えてもいいのかもしれません。