2023年2月28日火曜日

Herbert von Karajan / Albinoni Adagio (1983)

クラシック音楽のヒット曲ランキングがあったら、知名度と共にベスト10に入りそうな一曲が「アルビノーニのアダージョ」という曲。

普段クラシックを聞かないという人でも、絶対に聞いたことがあるはず。何とも哀愁の漂うメロディは、一度聞けば心に残ること間違いなし。

そもそもトマゾ・アルビノーニは、1671年ヴェネチア生まれの、イタリア・バロックの作曲家です。宮廷ヴァイオリニストとして生計を立てつつ、主としてオペラとヴァイオリンを主役にした器楽曲の作曲で有名になりました。

帝王として君臨したカラヤンの演奏は有名。もちろんオーケストラはベルリン・フィル。荘厳な雰囲気の中、重低音を響かせるオルガンと一糸乱れぬ弦楽器が奏でる調べは、さすがとしか言いようがない。

ネオリアリズムの悲劇的な映画の主題歌でも聞いているような感じですが、カラヤンが自ら進んで選曲したとも思えない。80年代になって、いろいろとベルリン・フィルとの軋轢が表面化してきた頃ですから、どこか商業ベースでの妥協もあったのかもしれません。

このアルバムは、過去の録音からアダージョと呼ばれるゆったりした情感あふれる楽章をベスト・セレクトしたものですが、「アルビノーニのアダージョ」については、わざわざ録音したようです。

ところが・・・ここで今となっては大問題がある。イタリアの音楽学者であるレモ・ジャゾットが、図書館で埋もれていたアルビノーニの楽譜を発見したとして、1958年に出版したのがこの曲でした。美しいメロディは、オーソン・ウェルズの映画にも使われ、またたくまに世界中に知れ渡りました。

なんですが・・・アルビノーニが作曲したと思われていたこの曲、実は贋作だったんです。ジャゾットは自身をアルビノーニの原曲を少しいじった編曲者と言っていましたが、今では完全にジャゾットの創作によるものであることが判明しています。

ですから、20世紀までの録音では、作曲者はアルビノーニ、編曲者がジャゾットとクリジットされるのが普通で、当然カラヤン盤でもそうなっている。カラヤン先生が生きていたら、「恥をかかせおって」と顔を真っ赤にしていたかもしれません。

2023年2月27日月曜日

Zubin Mehta / Vivaldi Le Quattro Stagioni (1982)

超人気曲のヴィヴァルディの「四季」だけに、探してみると様々な興味深い演奏が出るわ出るわ、もう7が揃いまくったパチンコ台みたいな感じ。

これはズービン・メータ四季のイスラエル・フィルハーモニーによる演奏で、それだけだと「なんだ大袈裟な面白みのない普通の演奏」かと思ってしまいますが、実は超有名なヴァイオリン独奏者が揃っていて、ちょっと知っているなら驚愕すること間違いない。

「春」はアイザック・スターン、「夏」はピンカス・ズッカーマン、「秋」はシュロモ・ミンツ、そして「冬」はイツァーク・パールマンが登場するという・・・

こんな「時代のスーパースター」を誰がどうやって頼めば集められんだぁ!! と、叫ばずにはいられない。1982年、テルアビブでのライブで、ドイツ・グラモフォンからCD発売と共に、画質は悪いのですが、テレビ放送の録画? と思われる動画もYouTubeで見ることができます。

イスラエル・フィル創設者であるフーベルマン生誕百周年記念イベントとして行われたもので、ユダヤを代表するヴァイオリニストが一堂に会したというもの。

イスラエル・フィルの上手さは定評があり、バーンスタインも大のお気に入りのオケでしたが、それにもまして4人の独奏者の素晴らしい音色はさすがとしか言いようがない・・・のですが、それ以上のものでもない。

つまり、これはお祭りとしての名人を一度に楽しむものであって、ヴィヴァルディである理由は感じられません。普通に有名なヴァイオリン協奏曲を4曲、30分ずつ4人で2時間のコンサートとかで良かったんじゃないかと思ってしまいます。

まぁ、こんなんありました的なところですが、興味がある方は一度は聞いておいて損はしません。


2023年2月26日日曜日

Luca Fanfoni / Lolli Sonatas for Violin and Basso Continuo (2010)

イタリア・バロック音楽の主役は・・・なんと言ってもヴァイオリン、間違いない。ヘンデル、テレマン、J.S.バッハなどの活躍で18世紀以降はドイツに音楽界の主導権を取られ、独奏楽器としてはピアノが主役になり、大人数の管弦楽団が整備されていきます。

とは言え、音楽史の中で、17世紀まではイタリアが先進国として主導権を握っていたわけで、ストラディバリのような優れた弦楽器製作者にも支えられて、小編成の楽団を中心に華やかなヴァイオリン独奏者が活躍しました。

そしてこの時期、優れた技能で聴衆を喜ばせたヴァイオリン独奏者は、演奏者であると同時に自分を演出するための作曲者でもあったのです。ヴィヴァルディ以外は、一般にはあまり知られていませんが、それは技巧ありきの曲が音楽としてそれほどたいしたことが無かった・・・

という一面も否定できないのですが、実際、ヴィヴァルディですら大ヒットの「四季」を除けば、「同じ曲を600回書き直した」と陰口を叩かれてしまう有様です。でも、それを言ったらモーツァルト、ハイドンくらいまでは似たり寄ったりの話。バッハも、自分の気に入ったフレーズはかなり使いまわししているのは事実。

今回の主人公はアントニオ・ロリ。ヴィヴァルディとは入れ違いに頭角を現した人。当然、18世紀半ばの一目置かれたヴァイオリン奏者でした。彼はシュトゥットガルト宮廷管弦楽団のソロ ヴァイオリン奏者であり、イタリアだけでなく、ドイツ、ウィーン、パリ、オランダ、イタリア、さらにはロシアでも演奏会を開いています。

作曲家としての知名度はあまり高くはありませんが、数曲の協奏曲とソナタを出版しています。AmazonでCDを探しても数枚しか見つかりませんが、こういう時頼りになるのがイタリアのレコード会社のDynamicです。自国の作曲家を系統立てて整理・紹介する仕事を地道に行っていて、ロリについてもCD3枚組で全協奏曲、CD1枚でソナタを網羅しています。

ソナタ集は、ヴァイオリンの活躍がより鮮明にわかります。こんな高音出せるの? と言いたくなるほどの音で、ほぼ曲芸じみた演奏も出てきますが、言ってみれば軽いテーマがあって、その後にアドリブが延々と続くハード・パップ・ジャズみたいなもので、確かに曲としてのテーマはどうでもいい感じ。ひたすらヴァイオリンのアドリブを聴くと思えば、それはそれで楽しい。もうはっきり言って、伴奏のチェンバロとかチェロとかいなくてもかまいません。

ロカテッリのCDでも演奏するファンコーニは、ほぼ知られていませんが、60歳くらいで多くのコンクールで入賞した実績があり、イ・ムジチで活躍したサルヴァトーレ・アッカルドに師事していました。それにしても、超絶テクニックを持つ知られていないヴァイオリン奏者が、一体イタリアにはどんだけいるんだろうと思ってしまいます。

2023年2月25日土曜日

Julia Fischer / The Four Seasons (2001)

何しろヴィヴァルディの「四季」は知名度の高い人気曲ですから、ヴァイオリン奏者にとっては一定の顧客を掴むことが見込める大事なドル箱であることは否定できません。新人にとっては、自分の名前を世間に知らしめるのに大変都合が良い。

ユリア・フィッシャーは1983年生まれで、現代女流ヴァイオリン奏者としてはトップ・クラスの実力と人気を誇っています。

十代から様々なコンクールで優勝をさらい、2004年にCDデヴューをしましたが、実はその3年前に収録された「四季」のDVD映像があります。

なんと、2001年ですから、フィッシャーは18歳という若さ。イギリスのウェールズ国立植物園で、園内に特設ステージを組んで、四季折々の美しい光景を交えながらの演奏はなかなか堂々としたものです。

一緒に演奏するのは、Academy of St.Martin in the Fieldsのメンバーで、実力派揃いで手堅くサポートしています。内容は、まさに正統派、よけいな遊びはありません。ただ、きびきびとした若さがはじける爽快な演奏です。

見方によっては、新人を売り出すためのMV。実際、美しい自然の風景や、音楽の邪魔にならない程度の環境音もところどころに混ざっていたりします。

しかし、実際のヴァイオリンの実力が素人目にもものすごくわかり、この曲の正統派演奏としてはベストにあげたくなる内容です(おじさん的には、ビジュアルの良さも忘れてはいけないポイントですが・・・)。

2023年2月24日金曜日

Gidon Kremer / Eight Seasons (1998)

ギドン・クレメールは、現代クラシック音楽界では最高のヴァイオリン奏者の一人。2016年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しニュースにもなったので、名前を聞いたことはある人が少なくないのではないでしょうか。

1947年、旧ソビエト連邦のラトビア生まれですが、旧体制の厳しい芸術に対する規制を嫌い、主として海外での活動を中心に、多くの名演を残しています。

自分が最初にこの名を記憶に遺したのは、マルタ・アルゲリッチと共演したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタです。本当に火花が散るような掛け合いは、楽譜がある音楽としては驚きの演奏でした。また、シューベルトの楽曲での、あまりにも見事な弱音にも感動しました。

ただ、芸術家としての妥協の無いとんがった部分がしばしば衝突にもなっているようで、クラウディオ・アバド指揮、ロンドン交響楽団との「四季」旧録音(1981)では、アバドと解釈を巡って対立し、後に著作の中でアバドを無能と書いたことは有名。他にも意見対立からお蔵入りになった企画も多数あるようです。

アバドとの「四季」は、本人の意向はともかく、人気者の共演とあってレコード会社は名盤扱いして何度も再発売されていますが、基本的に交響楽団と「四季」を演奏すること自体に無理があるわけで、クレメールの上手さは多少伝わる程度で、それほど良い物とは思えません。

さて、クレメールは90年代なかばから、アルゼンチン・タンゴの作曲・演奏家であるアストル・ピアソラに傾倒し、続けざまにCDをリリースしました。その中の一枚がこれ。「8つの季節」というのは、ヴィヴァルディの「四季」にピアソラの各季節にまつわる曲を交互に配した構成になっているから。

本当の目的はピアソラでしょうから、このアルバムでクレメールの「四季」を聞くのは正しくないのかもしれませんが、何しろヴィヴァルディの部分で38分、ピアソラで25分なので、知っているヴィヴァルディの方に耳が向いてしまいます。

共演するのは手兵のクレメラータ・バルティカで、古楽でもモダンでもない、独自のクレメール流という感じがします。やや早めの演奏で、一音一音を区切って、プツプツした感じは独特で好みが分かれそうなところ。もしかしたら、タンゴの歯切れの良さみたいなものを取り入れたのかもしれません。

まぁ、正直言って、雰囲気が違うので、ヴィヴァルディかピアソラか、どちらかに統一してくれた方が聞きやすいかなと思います。

2023年2月23日木曜日

I Musici / Vivaldi Le Quattro Stagioni (1970)

いつも古楽を褒めたたえて推奨しているので、古楽至上主義のように思われてしまうかもしれませんが、モダン楽器による演奏を否定しているわけではありません。実際、古楽系に傾いたのはこの10年程度のことで、それまではまったく普通に意識せずに音楽を聴いていました。

ヴィヴァルディの超有名曲「四季」についても、初めての出会いは70年代に買ったレコード盤で、当然のことですが演奏者はイ・ムジチ合奏団。

イ・イムジチは、フェリックス・アーヨ(ヴァイオリン)が中心に1951年に結成され、アーヨ、ロベルト・ミケルッチ、サルヴァトーレ・アッカルドら歴代コンサート・マスターによって絶大な人気を博し、もう70周年を越えたというからすごいことです。

どうも記憶が定かではないのですが、レコードのジャケットは4つの四季を表す絵画が縦2横2でデザインされていたので、おそらく1970年版で独奏はミケルッチだろうと思います。何しろ驚いたのは、丸々楽譜が付属していたこと。

当然、当時も今もまともに楽譜がよめるわけではありませんが、まさにイ・ムジチの目指しているものがよくわかる。つまり、作曲者の意図を、楽譜通りに最大限忠実に再現するということ。もっとも、まだ古楽という言葉が定着するずっと前ですから、モダン楽器によるモダン奏法です。

何度も聞いた演奏ですから、自分の中ではベストではないけどスタンダードの位置づけであり、いろいろな「四季」を聞く時の比較対象のベースになっていることは間違いない。

CD時代になって、ヴィヴァルディの40枚組の安価なBOXセットをあまり考えずに購入しましたが、実はこの中の半分はイ・ムジチの演奏でした(残り半分はネグリの声楽曲)。ヴィヴァルディの器楽曲はほぼ全部がイ・ムジチで揃ってしまうという何ともありがたいセット。

ここに含まれる「四季」は、独奏ヴァイオリンは初代コンマスのアーヨなので1959年録音版です。古い音源ですが、初期のステレオ録音としては優秀で何ら問題ありません。古楽系に演奏を知ってしまうと、何ともオーソドックスというか、丁寧というか、教習車が路上練習をしているような感じ。

よく商品レヴューで、古楽系の演奏はエキセントリックで初心者にはお薦めしませんみたいなことがコメント欄に書かれていたりするんですが、それぞれに面白さは違うので必ずしもイ・ムジチが初心者向けということではありません。後は、いろいろ聞いて自分のお気に入りを見つければいいだけの話ですね。

2023年2月22日水曜日

Rachel Podger / Vivaldi Le Quattro Stagioni (2018)

女流の古楽系ヴァイオリン奏者というと、思い出すのは今は60代になったヴィクトリア・ムローバ、50代ではレイチェル・ポッジャー、そしてもう少し若いイザベル・ファウストの三人がトップ・ランナーでしょうか。

この中で、筋金入りのピリオド奏者となると、ルネッサンス期の音楽からロマン派の一部まで、一番レパートリーの幅が広いポッジャーをあげざるをえない。ただ、主にCDをリリースしているのが、他の二人から比べるとややマイナーな「Channel Classics」というレーベルなのが残念な所。

CDベースの話になると、やはり商業的な側面を無視するわけにいかないので、ドイツ・グラモフォンのような巨大レコード会社からのリリースの方がより多くの人が耳にする機会があるのは事実。

もっとも、マイナーな会社の方が、実力さえあればより良好なコンテンツを取り上げてくれることもあります。アーティストにとっても本当に自分がやりたい音楽をしっかり作りこめる部分があるので、少なくともクラシック音楽の世界ではあなどれない部分が多い。

さて、当然ポッジャーもヴィヴァルディの「四季」は比較的最近CDとして演奏しています。一緒に演奏しているのは、結成されて15年くらいになる、比較的若い古楽演奏集団であるBrecon Baroqueです。

さて、この「四季」はどんなかと・・・予想通り、ではなく、あららら、比較的おとなしい演奏です。いかにも古楽奏法のきびきびした感じはあるのですが、ところどころで遊んでいる感じもします。

ただし、ビオンディカルミニョーラのようなほとばしるエネルギーみたいな爽快感は感じられず、とりあえず合格点を取りに行った安定した演奏という印象です。男性と女性、あるいはイタリア人とイギリス人の違いみたいなところがあるかもしれません。

もちろん、随所にポッジャーのさすがという見せ場は出てくるのですが、ソロイストとオーケストラというよりは、7~8人程度の室内楽的なコンセプトなので、ポッジャーが全体の中に溶け込んでいるようなところがあります。もっとも合奏協奏曲というジャンルの曲なので、それもまた当然なのかもしれません。

つまり優れた技巧を持つ主席ヴァイオリン奏者のいる集団演奏としては、そこそこ古楽演奏として楽しめるのですが、ポッジャーの個性を感じたい向きには物足りないかもしれませんね。

2023年2月21日火曜日

Claudio Abbado / J.S.Bach Brandenburg Concertos (2007)

愛好家ならずとも、誰もが一度は耳にしたことがあるクラシック音楽の名曲の一つに「ブランデンブルグ協奏曲」があります。作曲者は、これまた超有名なのヨハン・セバスティアン・バッハ。1721年にブランデンブルク=シュヴェート辺境伯に献呈されたため、そう呼ばれるようになった全6曲からなる合奏協奏曲集です。

バロック音楽を得意とするオーケストラでは、レパートリーからはずすことなどありえないくらい必須の名曲ですし、実際録音された音源の数は数えきれないくらいあります。

古楽系の集団では、ラインハルト・ゲーベルの80年代の録音は個人的にはお気に入り。イ・ムジチ合奏団による、いじりの無い「正当派」も悪くはありません。もともと宮殿での愉しみのために用意されたわけですから、少なくとも大編成のオーケストラで演奏されるべきものではありません。

しかし、最近はどれを聞こうかと思うと、ついつい手を出すのはこれ、クラウディ・アバドのブランデンブルグです。大指揮者のアバドですから、えっ?、なんでっ?! という感じがするとは思いますが、実に楽しく爽快な演奏はこの曲の名演として間違いなく数えられると断言します。

病気のため2002年にベルリン・フィルの音楽監督を辞任したアバドは、2014年に亡くなるので期間、大きな足かせが無くなった分本当に心から音楽を楽しむ姿勢が見えて、遺された音源は一つ一つが傑作ぞろいです。

その原動力になったのがルツェルン祝祭管弦楽団で、そのメンバーは、アバドが若い演奏者の育成のために結成したマーラー室内管弦楽団に、世界中からアバドのために集まったスーパー・プレイヤーが結集したものでした。ですから、全員が音楽を、そしてアバドを盛り上げたいという意識が非常に高く、密度の濃い演奏を聴くことが出来ます。

ほとんど同じメンバーの中から、主として古典までの古楽演奏のために編成されなおしたのが、ここに登場するモーツァルト管弦楽団で、古楽器のスペシャリストが加わり、実に凄いメンバーとなっている。

中心となるヴァイオリンは、ジュリアーノ・カルミニョーラ。そしてリコーダーはミカラ・ペトリ。もうバロック音楽ファンなら、それだけでも唸ってしまうこと間違いなし。そして、チェンバロはオッターヴィオ・ダントーネと来れば、もう感動物としか言いようがない。

名人が集まれば良いというものではありませんが、ここでポイントになるのは、ミラノで行われたこのコンサートの動画があることです(YouTubeでも見れます)。一目でわかりますが、実に楽しそうに演奏している。まさに、音を楽しむというのはこのことだと思わされます。

曲の性質上、実はアバドはほとんど仕事はしていません。はっきり言って、指揮者はいなくても何ら問題ないのですが、ここは皆でアバドを囲んで美しい音楽を奏でるという雰囲気であり、アバドも聴衆の代表みたいになって楽しんでいるのが見ていて嬉しくなります。

2023年2月20日月曜日

Fabio Biondi / Vivaldi Le quattro stagioni (1991)

おそらくもクラシック音楽をヴィバルディの「四季」から聞くようになったという人は多い。そのくらい有名。昭和人は、その場合ほぼ100%、イ・ムジチ合奏団のどれかのレコードから始まっています。イ・ムジチ合奏団は歴史が長く、何と昨年出た新譜でレコード、CD合わせて9種類もあるというから驚くほかありません。


ただし、悪く言えばイ・ムジチの「四季」は受験英語のような画一的なモダン楽器による演奏で、安心・安全な誰もが楽しめる演奏です。ヴィヴァルディは主として18世紀前半に活躍した人で、「四季」が出版されたのは1725年のこと。300年前の演奏は、もちろん録音があるわけではありませんが、少なくともそんな優等生的なものではなかったでしょう。

80年代以降、古楽の演奏が盛んになってから、当然ヴィヴァルディの音楽についても再構築の試みがいろいろな演奏家によって行われています。イタリア人のファビオ・ビオンディもその一人。

ビオンディは、古楽系のヴィヴァルディについては、おそらく第一人者と呼んで間違いない。90年頃から、自らの楽団エウロパ・ガランテを率いて、約30年間で協奏曲、ソナタ、宗教曲、歌劇などほぼ全分野を網羅しています。

1991年、そのキャリア初期に録音されたこのアルバムは、おそらくイ・ムジチしか知らなかった日本人にとっては青天の霹靂のような音楽だったと思います。これが四季? ヴィヴァルディが壊れた! いくら何でも好き勝手しすぎ・・・などなどの評が踊ったことは想像に難くありません。

てきぱきとした軽やかな進行の中で、自在に揺れ動くテンポ、際立つ楽器同士の絡み、目が眩むような速弾きなどによって、ドラマチックに四季を描き出しています。物凄い快速演奏のように思うかもしれませんが、全4曲12楽章で約40分。イムジチも43分くらいなので、実はそんなに違いは無いのに驚きます。

「四季」と言っているのは、「和声と創意の試み 作品8」と題された全12曲からなる協奏曲集に含まれる最初の4曲のこと。できるなら全曲セットで聞くことが望ましい。ビオンディは2000年に「四季」の採録を含めて全曲をCDにしています。

2023年2月19日日曜日

J.E.Gardiner / Beethoven Symphony No.9 (1992)

しばしば出てくるモダン楽器、ピリオド楽器(古楽器)という言葉。


そもそも、何がそんなに違うのかという話なんですが、演奏する側と聴衆側の要望によって楽器は変化してきたということ。

その前にクラシック音楽での時代区分をおさらい。9世紀頃にグレゴリオ聖歌という単旋律の音楽が普及し、多声、和音が使われて教会を中心に発展。15~16世紀になって、芸術的価値観が付加されたルネッサンス音楽が誕生します。

以後、モンテヴェルディから始まる17世紀~18世紀初めの音楽が「バロック」、ハイドンから始まる18世紀の音楽が「古典派」、シューベルトあたりからの19世紀の音楽が「ロマン派」と呼ばれます。20世紀はロマン派を残しつつも、印象主義音楽も混ざり、近代音楽、そして現代音楽とつながっているというのがおおまかな説明。

さて、その中で演奏者は、より新しい表現方法を模索してきたわけです。例えば、ベートーヴェンのピアノ・ソナタで言えば、最初の頃の比べると後年の物はより高い音・低い音を使っています。楽器の進歩により鍵盤の数が増えたというのもあるし、逆に作曲者側からもっと増やしてほしいというリクエストもあったことでしょう。

ヴァイオリンについても、もっと早く、より多くの音を弾きこなせるように、長く細くなってきました。これは特に曲芸的な超技巧を誇ったパガニーニの登場が大きく関与しています。また使用する弦もガット弦(羊または牛の腸を利用)だったものが、より丈夫で強く弾きやすいスティール弦に変わりました。弓の形状も変化してきています。

一方、もともとの儀式用教会音楽を、娯楽用に一般化したのは貴族たちです。宮殿の中で演奏者と貴族たちの距離は近いので、音の大きさはそれほど必要ありませんでした。しかし、歌劇の普及と共に一般民衆が多数集まる場所での演奏機会が増えるにつれ、より大音量が必要とされ、より響きの良い大きな音量が出せる必要が出てきます。当然、演奏者の人数(楽器の数)を増やすことも求められてきました。

ですから、現代のモダン楽器による大人数のオーケストラの演奏でのバロックあるいは古典派の音楽の演奏は、当時の作曲者らが意図した音楽とはだいぶかけはなれたものとなっているわけです。そこで、それぞれの時代に応じた楽器と編成で演奏しようというのが、古楽演奏として80年代以降定着してきたのです。

ですから、昭和の評論家たちはカラヤン指揮ベルリンフィルのJ.S.バッハの演奏が最高で、それに比べて古楽演奏家たちのものはしみったれた音楽かのように否定し受容できませんでした。本来の作曲者の意図した音楽と現代における解釈による音楽とでは、時代が古いほど乖離したものだという認識を持って両者を楽しむ姿勢が大事です。

・・・と、まぁ、ずいぶんと上から偉そうな話をしてますが、自分はもともとカラヤンとかは大袈裟な印象で好きになれなかったので、ピアノ独奏とか室内楽が好きなクラシック愛好家だったのですが、J.E.ガーディナーの古楽奏法によるベートーヴェンの交響曲で初めてオーケストラの楽しさを知りました。

響きが少なめの古楽器では、長く音を伸ばすのが不得意ですから、一般的早目の演奏になります。重々しい重戦車のようなカラヤンの演奏(第9は約70分)に比べて、ガーディナーは軽やかで爽快(なんと60分)。ベートーヴェンだって、そんなにいつでも苦虫嚙み潰したみたいな哲学者然としていたはずもないので、ガーディナーの演奏の方がより説得力を感じます。

まぁ、カラヤンを目の仇にしているようですが(実際今でも好きじゃない)、基本的に好き嫌いは個人の自由ですから、カラヤンの好きな方はそれはそれで良いと思います。音を楽しむのが音楽ですから、聴いて気に入ればいいだけの話。自分は今後も、できるだけオリジナルに近い形での音楽を聴きたいと思います。

2023年2月18日土曜日

どん兵衛 天ぷらそば


カップ麺の歴史は1971年日清のカップヌードルから始まったわけですが、日本の蕎麦・うどんについても、カップ麺化されたのは遅れること5年、1976年にスタート。

当初から「どん兵衛」のネーミングで親しまれてきました。以来、東洋水産(マルちゃん)の「赤いきつね・緑のたぬき」とのライバル一騎打ちとなっています。

自分はそもそもうどんか蕎麦かと聞かれれば、絶対的に蕎麦派。特にカップ麺のうどんは、とてもうどんと呼ぶのには抵抗がある。

一方、カップ麺の蕎麦も、以前はちぢれ麺で蕎麦の食感とはかけ離れたものであまり食べたいとは思いませんでした。何かの麺が和風のつゆにつかっているだけというのが正直な感想。

ただ、「どん兵衛」シリーズは、数年前に「ぴん蕎麦」と呼ぶストレート麺に変更され、これで格段と美味しくなった。

最近、コンビニで何やら新しいラベルの「どん兵衛」を見つけたので、早速食べてみました。何しろ「最&強」、「このどん兵衛 すべてが主役」という文字が踊っていて、さらに美味しさアップ感が半端ない。

結論。最強じゃない。麺は「ぴん蕎麦」で、カップ麺の蕎麦としては現在望みうる最強であることは変わらない。かき揚げは、マルちゃんと優劣付け難くどちらも最強と呼ぶにはちょっと違和感を残します。

一番ダメなのはつゆ。以前、「どん兵衛」は液体スープを採用して、ほぼ完璧なつゆになったと思っていたのですが、これは粉末スープで和風っぽい液体に戻ってしまいました。

う~ん、何か残念としか言いようがないところですが、まぁ和風カップ麺はそれほど食べる機会が多いわけではないので、どっちでもいいかなというところでしょうか。


2023年2月17日金曜日

Luca Fanfoni / Locatelli L'arte del Violino (2001,02)

イタリア・バロック音楽が面白い。

イタリアの16~18世紀の音楽は、モンテベルディとヴィヴァルディの二人の有名人だけ知っていれば事足りると思っていました。さすがに浅はかな考えであったと、大変反省しています。それぞれの作曲家にいろいろと個性があり、音楽史の中で無視できない大事な作品がいろいろとあるんですね。

ピアノの進歩は古典期以降のドイツに譲るものの、弦楽器、特にヴァイオリンについてはバロック期のイタリアでほぼ完成したと言えそうです。優れた作曲家は同時に優れた演奏家であって、自らの演奏技術を誇示することが音楽家として地位に影響したわけです。

ピエトロ・ロカッテリは1695年生まれで、その存在が忘れられていない最大の理由がこの「ヴァイオリンの技芸」と呼ばれる作品。

それぞれが3楽章の12曲のヴァイオリン協奏曲から構成される作品で、全部で3時間半くらいを要します。合奏部分は、実にシンプルでそれほど手の込んだことはしていないので、そこだけ聞いていると軽いBGMにしかなりません。

ところが、これらの作品のすごいところは、1曲の中の2楽章にヴァイオリン独奏のカデンツァが組み込まれているところ。カデンツァは楽章の終結部に演奏者の独奏部分のことで、即興的な自由が許されています。実際は有名になった演奏が、譜面に取り入れられていることが多いようです。

有名なのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の第1楽章。ラフマニノフ自身が超高度なテクニックを要する大カデンツァを作っていますが、一般人向け的な小カデンツァもあり、どちらを披露するかは演奏者の選択に任されています。

ロカテッリの作品では、何とこのカデンツァが長い。ほぼカデンツァのために合奏部分を取って付けた、と言っても過言ではないくらいのもの。1曲3楽章に含まれる2か所のカデンツァだけで演奏時間の半分くらいをしめています。

合奏部分を廃して、このカデンツァだけを演奏する演奏会やCDもあるようです。でも、たいしたものではないかもしれませんが、合奏があってからの独奏だから目立つわけで、最初からカデンツァだけだとヴァイオリン・サーカスみたいなので、やはり全曲で聞くのがおすすめです。

フル・ヴァージョンとしては、古くはイ・ムジチ合奏団のCDもあるのですが、やはり古楽器による古楽奏法で聴きたい。こういう時に重宝するのが、イタリア本来のイタリア人によるイタリア人の音楽をしっかり再現していくことを使命としている「Dynamic」というレーベル。

独奏者のルカ・ファントーニはあまり情報が無く、世界的には知られていない人のようですが、カデンツァ部ではバカテクを披露していて十分に聴き応えがあります。CD一枚に4曲ずつで、CD3枚で全曲を聞くことができます。

後に、この全部で24あるカデンツァ部をヒントに、独立した独奏曲集を作ったのがニコロ・パガニーニの超有名な「24カプリース」です。さあ、ヴァイオリンの歴史の一ページを飾る至芸を堪能しましょう。

2023年2月16日木曜日

Isabelle Faust / J.S.Bach Sonatas & Partitas (2009,10)

毎年恒例の正月番組で、大変高価な楽器の音色を聴き分けるというのがありますが、そこに登場するヴァイオリンと言えば、ストラディバリウス(安くて2億円、高いと10数億円)。

17~18世紀にイタリアで作られた、現在でも最高の音を出すヴァイオリンとして有名です。作ったのは、アントニオ・ストラディバリ、そしてその息子であるフランチェスコ、オモボノの三人。

チェロ、ヴィオラなどもわずかに現存していますが、圧倒的に多いのはヴァイオリン。全部で1,200挺弱が制作されましたが、J.S.バッハとだいたい同じ時代である300年ほど前のものですから、現存するのは世界中でその半分の600弱と言われています。

これらのヴァイオリンは、バロック・ヴァイオリンと呼ばれ、それだけなら古楽器と呼ばれるものですが、通常のモダン奏法の演奏者も当然使用していて、たいていはモダンの標準であるスティール弦を使用していのすが、古楽器奏法を行なう奏者は一般にガット弦を用います。

古楽器(ピリオド)奏法で有名なヴァイオリン奏者としては何人かが有名ですが、イザベル・ファウストもその一人。1972年生まれのドイツ人ですが、名前が知られるようになったのはフランスでの活躍からでした。

愛器は1704年に制作されたストラディバリウス(愛称はスリーピング・ビューティ)で、ヴァイオリン奏者の聖典とも呼べるJ.S.バッハの独奏ヴァイオリンのための「Sonatas & Partitas」全6曲の演奏は、この曲におけるピリオド奏法による頂点を極めた作品と評価されています。

何しろ、バッハが得意とした対位法(違う複数のメロディが同時に進行する)による独奏という高難易度の曲集ですから、モダン楽器と比べて響きが少なくなりやすい古楽器での演奏はより難しいと言われています。

もっとも、本来バッハが耳で聞いた音を出すわけですから、そういう音楽のつもりで作ったはずで、ファウスト自身も「これを一般聴衆に聞かせるために作った」かは疑問があると言っています。

ソナタは声楽曲に対する器楽曲という意味で、後に一定の形式にのっとったものをソナタ形式と呼ぶようになります。パルティータは組曲ということ。バッハのこれらの曲集では、それぞれが数分の短い楽章が組み合わされて一つになっているもの。全部で31楽章で、演奏時間はだいたい2時間ちょっと。さすがに一度のコンサートで、一気に演奏するには無理がありそうです。

でも、我々一般人は時間の許す限り、ゆったりと自由な格好で好きなだけ聴き続けることができる。まぁ、何と幸せな時代であることか。

2023年2月15日水曜日

Giuliano Carmignola / Vivaldi Le quattro stagioni (1999)

イタリア・バロックで最大の有名人と言えばアントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)。J.S.バッハよりちよっと年上ですが、ほぼ同時代の人。何しろ、クラシック音楽をとりたてて聞かない人でも、「ヴィバルディ」、「四季(Le quattro stagioni)」というのはたぶん知らないことは無い。

日本では1970年代に、イタリアのイ・ムジチ合奏団によるレコードがクラシックでは異例の大ヒットして、長らくバロック音楽とはこれだ!!、みたいな価値観を日本人に植え付けました。

当然、クラシック音楽を一般化する「功」と固定観念を作ってしまった「罪」の両面があったわけですが、自分も確かにイ・ムジチのレコードを持っていて、随分と親しんだ覚えがあります。

今の耳で聞くと、イ・ムジチの「四季」は、まさに優等生。モダン楽器の美しい響きによる、楽譜から丁寧に一つ一つの音を積み上げで完成した音楽は、間違いなく現代におけるクラシック音楽のあり方の典型なのかもしれません。

しかし、80年代以降に、その曲が作られた時代の実際に奏でられた音をできるだけ再現しようとする「古楽器」による「古楽」が盛んになり、イ・ムジチのようなモダンな端正な演奏は影をひそめるようになりました。

ジュリアーノ・カルミニョーラは、1951年生まれのイタリア人で、モダン・バイオリンの演奏もしますが、バロック・バイオリンの第一人者の一人として認知されています。特にその名を有名にしたのが「四季」の演奏でした。

カルミニョーラより前に、例えば古楽合奏集団、イル・ジアルディコ・アルモニコの「四季」も圧倒的なハイ・スピードで、それまでのイメージを崩した演奏を披露して愛好家を驚かせました。

しかし、カルミニョーラは、それだけではなく、楽章内で自由自在にテンポを揺らし、アドリブに近いような装飾音を混ぜ込んで、本当にこれが「四季」なのかと思わせるような圧倒的な演奏を聞かせてくれました。

やり過ぎという批判にさらされることもありますが、多くは好意的に迎えられ、時代の音楽はこうあるべきという一つの規範として名盤と呼ばれています。

大浴場でゆったりつかっているのもいいんですが、高温のサウナと水風呂のような刺激的な楽しみ方も温泉の醍醐味と思えば、カルミニョーラの「四季」から古楽の世界に飛び込むのも悪くはありません。

2023年2月14日火曜日

John Eliot Gardiner / Santiago a capella (2004)

クラシック音楽の聴き方としては、実は3種類あると思うんですよね。

まず、楽器の演奏者として、あるいは指揮者としてどのように曲を作り上げるかという・・まぁ、楽しみというよりは責任を伴う勉強みたいなものが一つ目。


自分のような一般人は、作曲者を中心に聴くか、または演奏者を中心に聴くかの二択が残されています。どちらかだけというのは、かなり難しいので、実際はどちらも混在して楽しむのが現実的。

例えば、ベートーヴェンを制覇しようとして、交響曲から協奏曲、室内楽、独奏楽器と幅を広げていくわけですが、そうなるといつの間にか違う演奏者のものと聴き比べたくなってくる。

クラシックなんて楽譜通りに演奏するんだから誰がやっても同じ、と昔の自分は思っていましたはこれが間違い。独奏はもとより、オーケストラでも指揮者の考え方によって、けっこう同じ曲でも聴いた印象は変わってくるものです。

そうこうしていると、気に入った演奏家というのが見つかって来るもので、今度はその演奏家のいろいろなものを聴きたくなってくるのは当然ということになります。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を出したピアニストは一体何人いるんでしょうか。ちょっと考えれば、名演と呼ばれるものだけでも軽く20人くらいは挙げられますが、今でも毎年数セットは増えているように思いますので、100じゃきかないかもしれません。

それはそれとして、ジョン・エリオット・ガーディナーは大好きな指揮者。自分にとってはオーケストラの面白さを再認識させてくれた恩人みたいな人ですが、本来はバロック初期の偉人、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」を歌いたくて、モンテヴェルディ合唱団を結成したのが始まり。

だったら、伴奏も自前でしようというわけで、古楽系の草分けであるEnglish Baloque Soloistsを結成。さらにベルリオーズの「幻想交響曲」を演奏したくてOrchestre Révolutionnaire et Romantiquemも結成しました。バロックから古典、さらにロマン派にまでレパートリーを延ばしてくれたおかげで、ガーディナーのCDを追っかけていると、驚くほど多種多様な音楽を聴くことができます。

2000年に1年かけてJ.S.バッハの教会カンタータ、約200曲を教会暦に沿って演奏し続けるという大偉業を達成し、従来の仕事に一区切りつけたガーディナーと手兵のモンテヴェルディ合唱団のメンバーは、キリスト教の巡礼の旅に出発しました。

敬虔なキリスト教徒は、フランスをスタートしてスペインの聖地サンチャゴ・デ・コンポステラへと巡礼する伝統があるそうです。日本で言えば四国八十八か所のお遍路さんみたいと思えばわかりやすい。

彼らは、途中で立ち寄った教会や修道院で、16~17世紀の多くの古いメロディを収集しました。それらをまとめたア・カペラのアルバムがこれ。もう一枚、「Pilgrimage to Santiago (2005)」というアルバムもあり、巡礼の旅の成果がこの2枚に凝縮しています。

古い宗教曲というとグレゴリオ聖歌のような単旋律のお経みたいなものを想像しがちですが、ここに収められた曲はいずれもカラフルで、美しい物ばかりです。宗教という型にはめ込まれていない、民衆のための本来の音楽の原点のようなものなのかもしれません。

心が現れるような清らかさがあり、最近の言葉で言えば「究極の癒し」の音楽とでも言えそうです。珈琲をゆっくりすすりながら、静かに気持ちを落ち着けるひと時にぴったりの音楽だと思います。

2023年2月13日月曜日

味噌を作ってみる 8 新シリーズ開始


去年の5月に仕込んだ自家製味噌は、多少のトラブルはあったものの、初めてにしてはほぼ順調に「味噌」になりました。

冷蔵庫に入れれば発酵は止まりますが、そのまま室温で保存しさらなる熟成中です。写真の左が、約8か月経過した最初の味噌ですが、さらに色が濃くなっているようです。

ちょこちょこ料理にも使用していますが、まろやかな味わいでなかなか優れものだと自負しています。何しろ、米麹、大豆、塩以外の保存料とか着色料とかよけいなものは入っていない、まさに無添加というのが嬉しい。

そこで、出来上がりまで半年以上かかりますので、次なる味噌の仕込みに取り掛かりました。

材料、分量、手順などは過去の記事を参照してください。米麹の下処理大豆の下処理なども基本的には一緒です。ただし、熟成開始については、前回はすべてジッパー付きのビニール袋で行い、だいたい食べれそうになってから容器に移したのですが、今回はビニール袋の中で混ぜ合わせた後、すぐに密閉できる容器に仕込んでいます。

この場合、注意が必要なのは一気に詰め込まないこと。手に握れる程度の量を少しずつ詰めて、入れるたびにしっかり押さえつけて空気を抜く必要があります。隙間に空気がたくさん残るとカビの原因になります。

さあ、今回はどうなるでしょうか。順調にいけば秋には食べれる予定です。

2023年2月12日日曜日

C.Maccari & P.Pugliese / Giuliani Rossiniane (2007)

いかにもクラシック音楽通みたいな話ばかりしていても、所詮楽譜をまともに読めるわけではないし、ましてやヴァイオリンやピアノを弾けるわけでも無い。多少は嗜んだと言えるのはギター。とは言え、クラシック・ギターともなると・・・

ドイツがクラシック音楽の中心になってからはないがしろにされてしまった感がありますが、クラシックの世界でもギターは登場するわけで、特にバロック期から古典期のイタリア音楽では普通に使われていたようです。

イタリアのナポリで1781年に生まれたマウロ・ジュリアーニは、クラシック・ギターの巨匠の一人。ギター以外の弦楽器も勉強した後の二十代なかばにウィーンに移り、作曲活動も開始しました。ベートーヴェンにも一目置かれる存在でしたが、40歳頃にローマに移り少しずつイタリアでも知られるようになった1829年、48歳で亡くなっています。

自己のオリジナルによるギター作品だけでなく、他の作曲家の有名曲を基にした変奏曲も多数作り、特に有名なのがロッシーニの歌劇のアリアをふんだんに盛り込んだ「ロッシニアーナ」と呼ばれる一連の幻想曲集です。

自分はオペラはずっと苦手で、ロッシーニの歌劇をほとんど知らないので、原曲がどのように使われているのかわからないのが残念ですが、知らなくても十二分に楽しめる。本来はギター独奏曲ですが、このアルバムでは、クラウディオ・マッカリとパオロ・プリエーゼというコンビによる二重奏で奏でられ、音楽的な厚みが増しているので大変聞きやすい。

例えば、ナポリの港町の夜にバルコニーで、ギター弾きながら物思いに耽っているような映画のシーンを思い浮かべるといいかもしれません。

2023年2月11日土曜日

初雪らしい初雪


天気予報は・・・まぁ、だいたい当たりますが、こと災害につながろうかという天候については、やたらと大袈裟に言うことが増えたような印象があります。

たいしたことは無いと言っていてとんでもないことになると、後で痛烈に批判されるご時世なので、それも危機管理の現れなのかもしれませんが、どうも肩透かしになることが多い。

昨日の天気予報は雪。それも大雪になるかもしれないので、不要不急の外出は控えろ・・・と、テレビで散々伝えていました。

確かに朝から雪。お昼ごろは、けっこうな勢いで降っていましたし、土のところは白くなり出した。先週でしたか、ちらりと埃が舞う程度の雪はありましたが、雪らしい雪ということでは、昨日が横浜の初雪というところ。

でも、次第に雨に変わり、夜にはほぼ雪は溶けている状態で、雪がった痕跡があるかな程度。生活の利便を考えれば、大人としてはよかったと思うところなんですが、何か天気予報に振り回されている感じも無いわけではありません。

もっとも、地域によっては積雪で深刻な被害を受けている所もあるわけですから、天気予報を非難するのは筋が違う。あくまでも可能性の情報として、各自が自分の責任において行動しないといけないというところでしょうか。

2023年2月10日金曜日

Andrew Manze / Tartini Devil's Sonata (1997)

17世紀のヨーロッパの音楽の中心はイタリアであったことは間違いなく、テレマン、ヘンデル、そしてJ.S.バッハらによってドイツ・バロックが隆盛を迎えるのは17世紀末の話。イタリアでは、今でも人気を誇るのはバロック前期ならモンテヴェルディ、バロック後期ならヴィヴァルディ、古典になるとパガニーニとかです。

有名人の影に隠れて、「知られざる作曲家」はいろいろいるわけですが、ヴィバルディとほぼ同世代に修道僧でありヴァイオリンの名手といわれたのがジョゼッペ・タルティーニでした。

タルティーニは1692年にヴェネチアに生まれ、研究熱心な理論派のヴァイオリン奏者でした。作曲家としては、ヴァイオリン曲だけが残されていて、当時の重要な仕事だった教会音楽や歌劇は作っていないようです。ただし、出版された協奏曲は125曲もあるというから驚きです。

中でも、ほとんど知られている唯一の曲が「ヴァイオリン・ソナタ ト短調」で、通称「悪魔のトリル」と呼ばれる曲。原題でも 「Il trillo del diavolo」で、そのまんま。

なんでも、寝ていたタルティーニの夢に悪魔が出てきて、ハッとする素晴らしい旋律を奏でたので、目が覚めたタルティーニはすぐに楽譜に起こしたという逸話が残っています。悪魔のように難しいトリルが出てくるということではありません。

トリルはヴァイオリン奏法のテクニックの一つで、半音または一音上の音を指で細かく混ぜて弾くこと。聞いていると「ティロリロリロ・・・」みたいな感じ。トリルだけに限らず、かなり高度のテクニックを要する難曲と言われていて、基本的にごく軽めの鍵盤楽器伴奏が付くだけで三楽章、約20分という演奏時間ですから、演奏する人はかなり緊張するんでしょうね。

マンゼは、1965年生まれのイギリス人。トレヴァー・ピノックの後釜としてイングリッシュ・コンソートを率いているので、古楽系が好きな人には馴染み深いバロック・ヴァイオリンのベテランです。

このCDのすごいところは、無伴奏というところ。聞く方は、すべてヴァイオリンの音だけに集中することになりますから、これはごまかしがきかないので相当の覚悟と自信があってできることだと思います。

現代女流奏者のトップに君臨するA.S.ムターの録音もありますが、弦楽オケの伴奏がついて主旋律中心の「わかりやすい」演奏になっています。マンゼは、主旋律に装飾音を追加して自分で同時に伴奏もしている雰囲気。オリジナルの指定がどうなっているのかわかりませんけど、その分難易度は格段と上がっている感じです。

2023年2月9日木曜日

Ysaye Quartet / Franck String Quartet (2006)

セザール・フランクは、1822年にベルギー生まれ、13歳以後はパリで過ごした作曲家なので、一般にはフランスの音楽家として認知されています。後年、サン=サンーンス、フォーレらの有名な作曲家と共に国民音楽協会を設立しています。

ドビューシー、ラベルらの印象派と呼ばれる、いかにもフランスらしいクラシック音楽が主流になる前の中心人物の一人と言える存在なんです。

じゃあどんな曲があるのと問われると、たぶんヴァイオリン・ソナタ一択というところ。ヴァイオリン・ソナタ以外には何があるのかと言われても、よほどの愛好家でないと答えられそうもありません。

クラシックのヴァイオリン奏者では、フランクのソナタを弾かないという選択肢は無いかのように多くのCDが発売されています。また、そのままチェロで演奏されるように転調・編曲されたバージョンも普及していて、多くのチェロ奏者も重要なレパートリーと位置付けているようです。

人生の多くをピアニスト、教会オルガニストとして過ごしたフランクが、作曲に本腰を入れたのは中年になってからなので、作品数がそれほど多くはありません。それでも、交響詩、ピアノ独奏曲、オルガン曲、オラトリオなどのある程度の作曲があります。

このアルバムは、CD2枚で残された室内楽作品を「だいたい」網羅したもの。1枚目は弦楽四重奏曲、2枚目はピアノのパスカル・ロジェが加わり、ピアノ五重奏と必殺のヴァイオリン・ソナタという構成です。

もともと鍵盤奏者であるフランクですから、かなり弾きこなすのに技巧を必要とするピアノ曲があるようですが、室内楽の伴奏部分でもピアノ奏者は指の筋トレをしているかのような難易度があるらしい。

ここでは、弦楽四重奏とピアノ五重奏に注目するわけですが、うーん、正直に言うとあまり面白くない。個人の好き好きなので、ご容赦いただきたいのですが、特徴的な半音階多用によるやや不協和音的な響きが続き、もやもやした印象がずっと続く感じ。

まぁ、コレクターとしては一度は聞いておくべきもので、フランクの曲の中ではヴァイオリン・ソナタが人気を維持できているというのも理解しやすくなるかもしれません。

2023年2月8日水曜日

自宅居酒屋 #55 時にはしくじることもある


居酒屋で出せそうな・・・簡単で手早く、そして肴にもなるレシピをいろいろとやってみているシリーズなんですが、ある意味、冷蔵庫の残り物処理的な面もある。

そろそろ賞味期限切れとか、乾燥したり色が変わってきた野菜とか、捨てることになる前に何とか食べ切ろうという時、そのままじゃイマイチなので、適当に味を付けてみたという感じ。

そんなわけで、時にはこれは無理だったという、どう見てもしくじり例も時にはあるんです。まぁ、こういうのも反面教師みたいなところなんで、反省し今後にいかしていくことが大切です。

今回紹介するしくじりは、ごはんのお供の定番、「瓶詰めエノキ」を使った和え物。そろそろ賞味期限が近づいてきたので何とかしようと思い立ち、大根・キュウリの千切りと和えてみました。

う~ん、う~ん、う~ん・・・ごはんとならちょうど良いはずのエノキですが、こうやって食べると・・・甘すぎる。塩味も強いので、野菜がすぐにしなしなになってしまい、何かフニャフニャした食感です。

酒のお供としては、好き好きはあるというものの、うちでは却下のメニューとなりました。

2023年2月7日火曜日

自宅居酒屋 #54 菜の花辛子和え


最近は生産者の努力で一年中流通する食材が増えて、「旬」の食べ物が減った感じですが、春が近くなるとスーパーに並ぶ「菜の花」は、基本的にこの時期だけのもの。

食によって季節を感じるというのは、昔は当たり前のことでした。これも日本人の感性を育てた大事な要素ですから、季節感を意識することは悪い事ではありません。

菜の花は、食べ方の定番は辛子醤油で和えるというもの。茹でる、和えるという2ステップでできるので、ほとんどレシピらしいレシピも無いくらい簡単。

そこらの原っぱに生えているものと、食用にするものは多少違うようですが、基本的には若い花芽が出てきたころを摘み取って食べる。そもそも菜の花の「菜」は食用という意味。

ビタミン豊富な黄緑色野菜の一つとしてもポイントが高く、抗酸化作用のβカロテンの含有量も抜群に多いので、この時期に一度や二度は食べておきたいものです。



2023年2月6日月曜日

Antje Weithaas / Bruch Complete Violin Concertos (2013-15)

音楽界には、一つだけある大ヒット曲だけで一生活躍しているような、いわゆる「一発屋」と呼ばれる人たちがいますが、クラシック音楽の作曲家にも似たような存在があったりします。

例えば、ハッチャトリアン。必ず小学校の音楽の授業とかで「剣の舞」を聞かされたと思いますが、何だかテンポの速い威勢の良い曲で妙に耳に残る。でもハッチャトリアンって、それ以上知っている人はまずいない。ロシアの人で、1903年生まれで亡くなったのも1978年ですからけっこう最近の人。

イギリスのホルスト(1874年~1934年)はどうでしょうか。はっきり言って、組曲「惑星」、それもその中の「木星(ジュピター)」しか知られていません。クラシック好きでも、その他の作品を一つでも知っていたら拍手喝采物です。

マックス・ブルッフも、そんな一曲だけが有名な作曲家の一人。何故か、「ヴァイオリン協奏曲第1番」だけは、演奏しないヴァイオリン奏者を見つけることは至難の業と言えるくらい、必殺の有名曲です。

ブルッフは1938年、ケルン生まれのドイツの人。同時代人にはブラームスがいて、当時のドイツの音楽界は、はワーグナー派とブラームス派に分かれてかなり敵対していたらしい。ブルッフは、終生、ブラームスを兄貴分として敬愛していました。

非常に魅力的なメロディを生み出す人で、ところどころに印象的なフレーズが散りばめられ、ムードだけに流されないところが良いと思います。以前にも室内楽で取り上げていますが、あまり知られていないのが残念な作曲家です。

ヴァイオリン協奏曲も「第1番」と言うくらいですから、実際2番、3番がある。やたらの「Complete Edition」とかばかり作っているレコード会社なんだから、1番出すなら全部で企画しそうなものですが、たいてい他の作曲家のヴァイオリン協奏曲との抱き合わせのアルバムばかりが登場しています。たぶん、今までに全部録音しているのはイ・ムジチ合奏団で有名なアッカルドだけじゃないかと思います。

となると、そういう仕事はマイナーなレーベルに期待。室内楽も出していたドイツのCPOレコードは、そういう期待に応えてくれるので要チェックです。サンチェ・ヴァイトハースという女性奏者がCD3枚で、協奏曲および関連作品を取りまとめてくれました。

しかも、最初に登場したのが1番じゃなくて2番というのも勝負かけている感じです。そのかわり、一緒に収録されているのは多少知られている「スコットランド幻想曲」ですから、ブルッフに興味がある者には嬉しい。

オーケストラも北ドイツ放送フィル、通称NDRで手堅い布陣です。指揮者のヘルマン・ボイマーは、元々アバド時代のベルリンフィルでバストロンボーンを吹いていた人。バラバラに順次発売されたものが、まとまった物が安く手に入ります。

第2番は、叙情的な1番と比べると迫力があって劇的な雰囲気。「ツィゴイネルワイゼン」の作曲者として有名なサラサーテのために作られ、独奏サラサーテ、指揮ブルッフで初演されています。第3番になるとオーケストレーションがさらにしっかりしてきます。いずれも第1番の影に隠れてしまっているのがもったいない。

ブルッフは、交響曲や合唱曲も作っていて、全体の曲数はそれほど多くはありませんから、是非「Bruch Complete Edition」を作ってもらいたものです。

2023年2月5日日曜日

N.Lahusen & R.Zubovas / Čiurlionis Complete Piano Works (1999-2008)

ヨーロッパ大陸の北部にはバルト海があり、外海の北海からの入口が大小の島々からなるデンマークです。北側はスカンジナビア半島で、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド。南側はドイツ、ポーランド、東のどん詰まりはロシアが囲んでいます。そして、ポーランドとドイツの間に挟まれた3つの国があり、バルト三国と呼びます。

バトル三国は、北からエストニア、ラトビア、リトアニアで、地政学的に不安定な緊張を強いられてきた歴史があります。音楽の世界では、現代で有名な作曲家アルヴォ・ペルト、指揮者ネーメ・ヤルヴィ、その子であるパーヴォ・ヤルヴィはエストニア出身。

リトアニア出身の作曲家で、知る人ぞ知るという存在が、ミカロユス・チュルリョーニス(1875~1911)です。普通のクラシック音楽愛好家は、たぶん手を出すことは無いくらいマイナー。

自分は以前にピアノ曲を漁っていた時に、たまたま知ってCDを買いましたが、興味深かったのは音楽ではなく絵画。音楽以上に有名なのが、300点ほど残されている何とも言えない不思議な景色・・・幻想的と一言で片づけられない、病的なものすら感じられる絵画です。リトアニア文化史の中では最重要人物なのですが、日本では1992年に初めて展覧会が開かれて紹介されました。

もともとロシアの影響下にあった時代に音楽家を目指し、ワルシャワ、ライプツィヒで学びましたが、20代なかばに美術学校に入りリトアニアの民族文化の保存に力を入れるようになります。しかし、徐々に精神異常が始まり療養所に収容され、36歳で短い生涯を終えました。

管弦楽曲、室内楽曲はそれぞれ数曲ありますが、残された楽曲のほとんどはピアノ独奏曲です。廉価版で何でもありで有名なNAXOSレーベルにもCDはありますが、自分が購入したのはCelestial Harmoniesという、アメリカの変わり種専門みたいなマイナー・レーベルの物。
1999年から2008年にかけて断続的に二人のピアニストによって網羅された、CD5枚からなる「ピアノ独奏曲全集」なんですが、今はAmazonではバラ売りしか見つかりません。

演奏者はCD3枚分がドイツのNikolaus Lahusen、残りがリトアニアのRokas Zubovasという人。いくつかアルバムを出しているようですが、情報量が少ないのであまりよくわかりません。

さて内容は・・・絵画と同じで何とも不思議な世界。はっきり言えば、たまにハッとするフレーズが無いわけではないのですが、それほど名曲として人に推奨するような物ではないという印象。全部で184トラックが収録されていますが、いずれも2分程度で短く、習作の域を脱するものはごくわずかだと思います。

いきなり、対位法でまるでJ.S.バッハのようなフーガで始まりますが、続くのがプレリュード、マズルカ、ノクターン、ワルツと来るのでショパンを意識している感じ。少なくともスラブ系の曲調はほとんど無さそう。

そうかと思うと、おそらく後年の作品は無調だったり、不協和音が入ってきたり、いかにも時代の音楽風になって来るのですがどれもが単調。唯一の大曲と言えるのが4楽章からなるピアノ・ソナタ。これも、ほぼショパン風と言えそう。一部の現代音楽風のものを除けば、耳障りは無い。まぁ、普通にBGMとして流しておくのには差支えはなさそうです。

さんざん文句ばかり言っているようですが、当然ながら一定水準以上、少なくとも他人が弾いてみようと思える物であることは間違いないし、こうやって実演してみるだけの価値はある音楽だろうと思います。ただ、普通の愛好家は知らなくても何も問題はありません。

2023年2月4日土曜日

立春


春が立つと書いて「立春」。

昼と夜の時間的な長さが同じという一瞬を迎えたことになります。天学的な事象で考えれば、ここから春になるわけですが、旧暦の暦だと、この時期に年が変わり新年となる(中国なら春節)。

季節が分かれるタイミングを節分と呼び、昨日が節分でしたが、いつの頃からか「恵方巻」を食べるというのが流行りだしました。

恵方巻は、縁起の良さそうな具材を詰め込んだ太巻きのことですが、そもそも恵方って・・・

まぁ、民間占い総集編みたいな陰陽道(おんみょうどう)で決まるもので、その年の縁起の良い方角の事。仏教は直接には関係ないわけで、信じる信じないは個人の自由です。

今年は南南西が恵方だったそうで、その方角を向いて黙って太巻きを食べた人がたくさんいたことでしょう。

食べても食べなくても、誰にも平等に春はやって来ます。とは言え、まだまだ寒い時期ですから、体調を崩さぬように注意しましょう。

2023年2月3日金曜日

自宅居酒屋 #53 長芋梅和え


材料さえあれば5分でできる、混ぜるだけの簡単レシピです。

長芋の食べ方をいろいろ考えていたんですが、やはりそのまま生で食べれる利点を使わない手はありません。

長芋は、食べたいだけ5mm程度の厚みで、太さによって1/2あるいは1/4に切るだけです。

さて、味付けも簡単。

梅干しです。種を取り除いたら、できるだけ細かく切って、ペーストにします。これをほぐすのにも白出汁を少々。量は、味を見て適当にでOK。

梅がほぐれたら、長芋を入れて和える。そして大葉のみじん切りを好きなだけ一緒ににすれば出来上がり。

いやぁ~、簡単でしょ!! でも、めっちゃ、旨い。

すぐ作ってみてほしいです。

2023年2月2日木曜日

Ronald Brautigam / Kraus Piano Works (2003)

ノルウェー、デンマーク、フィンランドときて、北欧4国の最後に残ったのはスウェーデン。スウェーデンと聞いて、真っ先に思い出す作曲家と言えば・・・ビョルン・ウルヴァース、というのは冗談(ABBAのメンバーです)。自分的には、歌手ですが、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターの出身地というのがポイント。

スウェーデンにはBIS Recordsというクラシック・レーベルがあって、特に日本人アーティストも比較的たくさんアルバムを作っているのでなじみ深い。特に鈴木雅明のカンタータ全集などを手掛けているし、ピアニストでも小川典子なども活躍しています。当然、北欧物はこのレーベルを外すわけにはいかない。

ただ、残念なことにスウェーデンの作曲家となると、よく知られた人はあまりいない。ニールセン、シベリウスらと近い時代には、ヴィルヘルム・ステーンハンマル、クット・アッテルベリという人が見つかりますが聞いたことが無い。

そこで、時代を遡って、古典派の頃。1756年、ドイツで生まれたヨーゼフ・マルティン・クラウスは、25歳の時にストックホルムの宮廷音楽家となり、多くの音楽を生み出しましたが、36歳の若さで病没。一般には、生まれた年も同じで「スウェーデンのモーツァルト」と呼ばれる存在です。実際に、モーツァルトとも面識があったようです。

当然、近世の北欧の作曲家と違い古典派らしい曲調が多いのですが、圧倒的に長調の軽快さが売りのモーツァルトと違って、やや短調の曲が多く音楽的な独特の響きが感じられるかもしれません。

ロナルド・ブラウティハムはオランダ出身ですが、現代のクラシック音楽界ではフォルテピアノ奏者として外せない存在です。フォルテピアノは、今のピアノの原型で、主として古典派の時代に使われた鍵盤楽器。一度この音にはまると、煌びやかで元気いっぱいの現代ピアノの音でモーツァルトやベートーヴェンを聞く気になりません。

当然、クラウスもフォルテピアノを使い、フォルテピアノを想定した作曲をしたはずですから、ここで聞ける音楽は250年前のスウェーデン王宮で鳴り響いていただろう音ということになります。

2023年2月1日水曜日

Simon Rattle / Sibelius Complete Symphonies (2015)

グリーク、ニールセンときて、もう一人忘れてはいけない北欧の有名な作曲家がいます。それがフィンランドのジャン・シベリウスで、1865年生まれ。

何しろ同時代の中では、全集ではCDで70枚を超える作曲量には驚きます。そして、絶えず隣接するロシアの脅威に晒され続けていたフィンランドでは、シベリウスの音楽が大衆の支えとなり、国の英雄として尊敬を集めています。

バイオリン奏者を目指し20歳からベルリンで修業し、作曲活動も本格化します。特にロシアからの独立を目指す愛国心を盛り上げる交響詩「フィンランディア」は代表作になりました。

そして、7つある交響曲は、今でも重要なコンサート・プログラムとして人気を誇っていますが、最後の第7番(1924年)を発表した数年後からは、まったくと言っていいほど活動を停止してしまいます。

1904年にヘルシンキ郊外のヤルヴェンバーに建てた自宅にこもり、公の場にもほとんど姿を見せませんでした。1957年に91歳で死去するまでの約30年間は、「ヤルヴェンバーの沈黙」と呼ばれています。本人もまったく語っておらず、作曲の筆をおいてしまった理由はわかりませんが、病的なものだけで説明しきれない何かがあると考えられています。

クラウディオ・アバドの後を継いで、2002年から2018年まで名門ベルリン・フィルハーモニーの首席指揮者兼芸術監督を務めたサイモン・ラトルは、1980年代にも当時の手兵国のバーミンガム市交響楽団と共にシベリウスの交響曲全集を完成させています。

ラトルは、2015年に再び集中的にシベリウスを取り上げ、二度目の全集を完成させ、ベルリンフィルのオリジナル・レーベルからの全集としてはベートヴェン、シューマンに続く物になります。

自分で買ったのは、CD 3枚に加えて、Blurauy 2枚に収録された全曲のライブ映像を含むセットです。これは、アバドのマーラーで経験したことですが、あまり馴染みがなかったクラッシでは、その中に入り込めるかどうかは映像の有る無しは大いに影響します。

シベリウスの交響曲は、もやもやした霧の中の音楽のような印象を持っていたので、音だけでは聞きこなすのは苦しいと思いました。でも、やはり映像付きは正解。めくるめく音の重なりがどのように構成されているのかは、ビデオでオーケストラ全体を見ながらだとわかりやすい。

ラトルは「マーラーは、人間と自然、とりわけ本人がテーマ。しかしシベリウスでは、人がそこにいるとは感じられない」と語っていますが、確かにそう感じます。少しずつ変化していく心地良いハーモニーとリズムが積み重なり、それは人の生活とは切り離された自然の営みと重なっていく印象です。