何しろ同時代の中では、全集ではCDで70枚を超える作曲量には驚きます。そして、絶えず隣接するロシアの脅威に晒され続けていたフィンランドでは、シベリウスの音楽が大衆の支えとなり、国の英雄として尊敬を集めています。
バイオリン奏者を目指し20歳からベルリンで修業し、作曲活動も本格化します。特にロシアからの独立を目指す愛国心を盛り上げる交響詩「フィンランディア」は代表作になりました。
そして、7つある交響曲は、今でも重要なコンサート・プログラムとして人気を誇っていますが、最後の第7番(1924年)を発表した数年後からは、まったくと言っていいほど活動を停止してしまいます。
1904年にヘルシンキ郊外のヤルヴェンバーに建てた自宅にこもり、公の場にもほとんど姿を見せませんでした。1957年に91歳で死去するまでの約30年間は、「ヤルヴェンバーの沈黙」と呼ばれています。本人もまったく語っておらず、作曲の筆をおいてしまった理由はわかりませんが、病的なものだけで説明しきれない何かがあると考えられています。
クラウディオ・アバドの後を継いで、2002年から2018年まで名門ベルリン・フィルハーモニーの首席指揮者兼芸術監督を務めたサイモン・ラトルは、1980年代にも当時の手兵国のバーミンガム市交響楽団と共にシベリウスの交響曲全集を完成させています。
ラトルは、2015年に再び集中的にシベリウスを取り上げ、二度目の全集を完成させ、ベルリンフィルのオリジナル・レーベルからの全集としてはベートヴェン、シューマンに続く物になります。
自分で買ったのは、CD 3枚に加えて、Blurauy 2枚に収録された全曲のライブ映像を含むセットです。これは、アバドのマーラーで経験したことですが、あまり馴染みがなかったクラッシでは、その中に入り込めるかどうかは映像の有る無しは大いに影響します。
シベリウスの交響曲は、もやもやした霧の中の音楽のような印象を持っていたので、音だけでは聞きこなすのは苦しいと思いました。でも、やはり映像付きは正解。めくるめく音の重なりがどのように構成されているのかは、ビデオでオーケストラ全体を見ながらだとわかりやすい。
ラトルは「マーラーは、人間と自然、とりわけ本人がテーマ。しかしシベリウスでは、人がそこにいるとは感じられない」と語っていますが、確かにそう感じます。少しずつ変化していく心地良いハーモニーとリズムが積み重なり、それは人の生活とは切り離された自然の営みと重なっていく印象です。