ゆで卵は英語では、 固く(hard)茹でられた(boiled)卵(egg)と言います。そこから、感情的にならず淡々と行動するようなキャラクターをハードボイルドと呼び、必要とあらば時には暴力や既成の道徳観からも外れるようなことも辞さない登場人物が活躍する文芸作品に対して用いられる言葉です。
ハードボイルドな小説であれば、多くのストーリーはミステリー、サスペンス、あるいはクライム物と呼ばれるようなジャンルに属することになり、主人公は探偵、刑事、ギャング、スパイなどであったりします。
1940年代から、アメリカではハードボイルド作品の映画化が盛んになり、1946年にニーノメフランクというフランスの映画評論家が、これらの作品を紹介するにあたって「フィルム・ノワール(film noir)」と記述しました。フランクは「感傷的なヒューマニズムを排除したダークな犯罪映画」と説明しており、コントラストが強い白と黒、光と影が明確な撮影手法が用いられていました。
あくまでも製作者側、あるいは視聴者側の感覚的な印象の話であって、実際には、フィルム・ノワールという言葉に厳密な定義があるわけではありません。フィルム・ノワールという用語は、アメリカに逆輸入されて60年代まで用いられます。映画の世界でカラー撮影が一般化すると、70年代以降は「ネオ・ノワール」という言葉で置き換えられるようになりますが、80年代以後は該当する作品は少なくなります。
50年代以後、主としてギャング物を中心にフランスでも盛んになり、「フレンチ・フィルム・ノワール」と呼ばれ、アメリカ映画の「悪女」に対して「親友の裏切り」がテーマとして取り上げられることが多いことが特徴です。
フィルム・ノワールのはしりとして古典的名作と呼ばれるのがこの映画で、原作はハードボイルドを確立したと言われているダシール・ハメット。主人公の私立探偵、サム・スペードはハードボイルドの代表的なキャラクターとして人気になりました。
サンフランシスコにあるスペード&アーチャー探偵事務所に、ミス・ワンダリーと名乗る女性が訪ねてきます。ワンダリーは、対応したサム・スペード(ハンフリー・ボガート)にフロイド・サーズビーという男から妹を助け出してほしいと依頼します。
しかし、サーズビーを尾行したアーチャーと、サーズビーも殺されてしまう。スペードは連絡してきたワンダリーのもとを訪ねると、彼女は本当の名はブリジット・オショーネシー(メアリー・アスター)と名乗り、妹の話はすべて嘘だが狙われているので助けて欲しいと懇願するも、詳しい話はしようとしないのです。
その夜、事務所にカイロ(ピーター・ローレ)という男がやってきて、ブリジットが預けた鷹の彫像を出せと銃を突きつけますが、スペードに銃と奪われ持っているなら五千ドル出すと言うのです。スペードはブリジットとカイロを会わせ、直接交渉をさせます。ブリジットは、マルタの鷹と呼ばれる高価な中世の彫像をサーズビーが隠してしまったと話しますが、彫像を狙っている者は他にもいるのでした。
探偵スペードは秘書ときわどい会話を楽しんだり、相棒が死んでその妻からあなたが殺したんでしょうと詰め寄られたり、依頼人のブリジットに手を出したりと、なかなかのハードボイルド振り。ブリジットも偽名を使うし、なかなか本当のことは言わずに泣き落としにかかったりと悪女感たっぷり。まさこれがにフィル・ノワールという感じです。
ワーナーブラザーズで3度目の映画化(1931年、1936年に次ぐ)ですが、最も原作に忠実に作られたと言われています。脚本・監督を務めたのはジョン・ヒューストン。名匠と呼ばれるヒューストンですが、この作品が監督デヴュー作です。
ほとんど原作通りの台詞が使われていますが、マルタの鷹の彫像は何だと聞かれて、スペードが答えるラストの有名な台詞である「The stuff that dreams are made of (夢を作るものさ)」はヒューストンのオリジナル。
ハンフリー・ボガートにとっては、この作品で人気に火が付きました。ピーター・ローレはヒッチコックの「暗殺者の家」でも怪演した性格俳優、メアリー・アスターは当時ハリウッドを賑わしていたスキャンダル女優で、ヒューストンの適材適所のキャスティングもはまっています。