郵便配達の仕事をしてごく普通に暮らしている、僕(佐藤健)は脳腫瘍で余命いくばくもないと宣言されます。家に帰ると、自分とそっくりの「悪魔」が現れ、何かを一つを世界から無くせば一日寿命を延ばすと持ち掛けます。ただし、何を選ぶかは「悪魔」が選択し、拒否することはできると説明し、まずは電話を消すと言います。
最後の電話を昔の別れた彼女(宮崎あおい)にして、翌日映画館で働く彼女に会いに行きます。会うとなかなか会話が進まない二人でしたが、別れた後に電話で長々と会話を楽しんだことを思い出します。夜になると次々と電話が消えて行ってしまうのでした。そして「悪魔」が再び現れ、今度は映画を消すと言い出します。
学生時代からずっと映画のビデオを貸してくれて、映画の話でずっとつながっていた「ツタヤ」(濱田岳)と呼ぶ友人がいました。僕は彼に会いに行くと、最後に見るならどの映画だろうと質問しますが、ツタヤは映画は無限だから最後なんかないというのです。しかし彼女の働く映画館も、ツタヤの貸ビデオ屋も夜になると消えてしまう。再び「悪魔」が現れ、次は時計を消すと言うのです。
町の古びた時計店を営む父親(奥田瑛二)は寡黙で頑固。母親(原田美枝子)が死んだ時も、黙って治した時計を枕元に置くだけでした。そんな父親とは僕はうまく関係を築けず、こどもの時に拾った飼い猫のレタスと母親だけが家族のようなものでした。僕は彼女とブエノスアイレスに旅行したことを思い出します。しかし、旅先で知り合った男性がいとも簡単に殺され命を失ったことで、気まずくなり別れてしまったのです。「悪魔」は次は猫を消すことにしました。
最初に飼っていた猫はレタスの箱に捨てられていたのでレタスと名付けていましたが、病気で死ぬときに、母親はレタスにやっと楽になれるとと語りかけていました。そして次に飼うことになったのはキャベツの箱に入っていたのでキャベツ。実は父親が代わりの猫を探してくれていたのです。猫との関係が母親と父親との一番大事なカギになっていたことを思い出した僕は、「悪魔」に猫が消えることを拒否するのです。
僕は大事なものと引き換えに命が長引いても、世の中の自分の存在していたことも消えていくことに気が付きました。自分が消えても、何も変わらないかもしれないれど、誰かが少しでも自分を思い出しくれること、そして母親と父親の思い出をしっかり残すことを選択したのでした。
時間軸の移動が多く、何かが消えることで過去や現在が変化してしまうので、柔らかなストーリーなんですが、気を抜いていると話が分からなくなりますので注意が必要です。また、登場人物は固有名詞で呼ばれないので、見るものが自分に置き換えて感情移入しやすいというのもポイントです。
一人の一市民、場合によってはそれなりの有名人がいなくなっても、世界は当然回るのですが、その人の周りには小さなドラマがたくさん生まれているということ。楽しいことも悲しいこともありますが、その一つ一つがそれなりの意味を持っていることをあらためて思い出させてくれます。
そんな大きなことを描いてくれているわけではありませんが、自分が何を大事にしているのかを思い出させてくれる、ちょっといい作品です。また、佐藤健の他の作品とはちょっと違う役柄も見どころになっています。