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2023年1月30日月曜日

Paavo Jarvi / Nielsen Complete Symphonies (2009-2013)

カール・ニールセンは、デンマーク出身の作曲家。1865年生まれで、生まれが近いのはリヒャルト・シュトラウス、ドビュッシーなど。デンマークは、一般にはヨーロッパ大陸の北の端という認識ですが、スカンジナビア半島とヨーロッパをつなぐ要衝ですから、通常は北欧四国として扱われます。

デンマークの王立オーケストラでバイオリン奏者としてのキャリアが長いニールセンは、作曲した曲の中心は管弦楽曲。曲調は後年かなり進歩的だったため、堰か膳の評価は必ずしも高いとは言えなかったようです。1931年に66歳で亡くなりましたが、評価が高まったのは60年代以降にレナード・バーンスタインが取り上げてから。

やはり一番人気は6つある交響曲。とは言え、まだまだ全集を録音した指揮者はあまりいない模様。全集として定番は、現状ではブロムシュテットあたりでしょうか。でも、自分のチョイスは、パーヴォ・ヤルヴィ。オーケストラはフランクフルト放送交響楽団で、2009~13年に録音されました。

この組み合わせは、実に相性が良い。ヤルヴィ+フランクフルトのマーラーの全集のビデオ作品がありますが、こちらもなかなか優れもの。これらの作品の頃は主席指揮者だったので、当たり前と言えばそうなんですけど、お互いに敬意をもって接している感じが伝わってきます。

北欧の作曲家は、ロマン派台頭の時期に登場していることもあってか、ドイツ的ではないし、かといってスラブ系の民族色の強い雰囲気とも違う。もちろん、フランスの印象派のムード一色でもないし、やはり独特のメロディとかリズム何だろうと思います。

主張しずぎないので、ちょっと聞くと取り留めのない印象なんですが、どこか力強さを感じることが多く、少なくとも聞きにくい音楽ではありません。

交響曲ならベートーヴェンだ!! とか決めつけないで、詩情豊かな雰囲気のある大曲として、北欧の音楽も是非聞きたいものです。

Eva Knardahl / Grieg Complete Pino Works (1977-80)

クラシック音楽の作曲家というと、どうしてもドイツ、フランス、イタリアあたりが中心になるのは、歴史的にもしょうがない。でも、バロック、古典ときてロマン派が出現するころから、ヨーロッパ大陸の北の方にも後世に名を残した偉大な作曲家が登場しました。

エドヴァルド・グリーグは、ノルウエーの人。生まれは1843年で、年が近いのは東にチャイコフスキー、ドヴォルザーク、フランスにはシャブリエとかフォーレがいます。

さて、グリークと言えば、誰もが知っている一番有名な曲が組曲「ペール・ギュント」でしょう。「朝」のすがすがしさ、「魔王の広間」のメロディなどは聞けば絶対わかると思います。そして、ちょっとクラシックを聞く人なら、ピアノ協奏曲も有名。ひと頃テレビCMにも使われていました。

グリークの生まれたのはベルゲン。地形が名高いフィヨルドを下りきった北海に面した海岸沿いの街です。ライプツィヒに出て音楽を学び、20歳頃からデンマークで作曲活動を開始しました。ピアニストとして活躍する傍ら、オスロで指揮者を務めたりしつつ、民族性を重視した曲作りを特徴としています。1907年に故郷で病没、64歳でした。

一部の管弦楽曲を除いて、残された曲のほとんどはピアノ演奏曲と歌曲です。自分はよく知らずに、たまたまピアノ協奏曲も含まれているピアノ独奏曲全集を「安かったから」という理由でだいぶ前に購入していました。

演奏者はエヴァ・クナルダール。グリークと同じノルウェー出身のピアニストで、この全集が出るちょっと前に亡くなっているのですが、写真を見ると「おばちゃん」風。ところが、このおばちゃんはノルウェーの音楽界では重鎮で、かなり有名らしい。

グリークのピアノ全集というのも、これが世界初。1977年から80年にかけて録音されました。ものすごく世界中から高く評価されている全集なんだそうです。CD12枚という大ボリュームなんですが、グリークの代表作とされる伃情小品集が圧巻の冒頭3枚を占めています。ノルウェー、特にベルゲンの地域性に根付いた閉塞感、厳しい寒さ、だからこそ春の温かみの高揚感などが余すところなく表現されています。

続いてノルウェー民謡に基づく小品、舞曲集などが続きます。「ペール・ギュント」で、ちょっと一息。その後はまた同じような曲が続くので、悪くは無いのですが、さすがに一度に聞き続けるのは疲れそう。慣れるまでは、一枚づつ丁寧に聞き馴染んでいくのがお勧めです。

2023年1月29日日曜日

Khatia Buniatishvilli / Labyrinth (2020)

若手女流三大ピアニスト、と自分が勝手に思っている一人がカティア・ブニアティシヴィリ。ソビエト圏グルジア、今はジョージアと呼ぶ国の出身で、なかなか名前が覚えにくい。他の二人、アリス紗良オット、ユジャ・ワンと比べて、圧倒的なグラマラスな美女。


音楽家なんだから、容姿の事をとやかく言うのは無粋ですし、いまどきだとセクハラになってしまいますが、演奏中の動画などを見ると、本人は明らかにそこんとこを意識したタイトなドレス姿を披露しているので、評価ポイントの一部に入って来るのはいたしかたがない。

プーチンがウクライナ侵攻するかなり前から、プーチンの事が大嫌いなのは有名で、ロシアでは演奏はしないし、プーチン推しの演奏家との共演は拒否というから筋金入りです。

3人の中では一番遅い2010年にSony Classicalからメジャー・デヴュー。しかも、アリスと同じようにリスト・アルバムで、こちらは難曲ロ短調ソナタで勝負してきたのは恐れ入ります。当然、テクニック的には申し分ないわけですが、独自の解釈が強く曲に深く入り込んだ演奏が持ち味と言えそうです。

だからと言ってソロイスト向けというわけではなく、オーケストラとの共演などでの協奏曲での協調性は抜群ですし、ソロ・パートでの「らしさ」みたいな表現力は好感が持てます。

アルバムは、ソロ物と協奏曲物をバランスよく出していますが、間に若手バイオリンの旗手ルノー・カピュソン、ベテラン・バイオリンのギドン・クレメールらとの室内楽も挟み、順調な活躍ぶりと言えそうです。

目下のところ、最新作は2020年の「ラビリンス(迷宮)」ですが、最近のアーティストはクラシックと言えど、アルバムとしてのコンセプトをしっかり持っている。昔のように安易に作曲家や曲名だけのタイトルを付けることは少なくなりました。

このアルバムは、モリコーネ、サティ、ショパン、リゲティ、バッハ、ラフマニノフ・・・などなど、国も年代も違う作曲家のピアノ小品を集めたもので、一見ごちゃごちゃのように感じますが、聞いてみると全体の一体感があり、違和感はありません。かっこよく言えば、時空を超えて散歩するかのような音楽の迷宮に入り込んでしまったような楽しさです。

ベテランの過去の名演を楽しむのもいいですが、このような若手の新しいクラシック音楽へのアプローチは、音楽の命を未来につなぐものとして必要なことだろうと思います。

2023年1月28日土曜日

Yuja Wang / Berlin Recital (2018)

クラシック音楽界の三大女流ピアニスト(と、自分が勝手に決めている)の中で、最も王道を進みトップに君臨しているのがユジャ・ワンだと思います。

北京で生まれたユジャは、15歳以後に世界中のコンテストで入賞し注目され、2009年、名門ドイツ・グラモフォンから満を持してデヴュー。以後、クラシック・ピアノの普遍的な名曲を中心に活躍しています。

いかにも東洋人と言える風貌で、グラマラスとは言えない(失礼!!)小柄な体格ですが、ヘア・スタイルや衣装はしばしば議論を招くほど先鋭的。まさに今に生きる若者という感じで、それらも含めて話題性も十分にあります。

体格的には西洋人より不利なはずなのですが、驚くべきべき指の運び(運指)と力強さ(打鍵)によって、まったくそのハンディを感じさせません。父親が打楽器奏者だったので、そこからの影響がかなりあるのだろうと想像します。

2009年のクラウディオ・アバド指揮でルツェルン音楽祭のライブ映像では、しばしば取り上げているプロコフィエフの協奏曲第3番を楽しめますが、この難曲を弾き切る姿は感動物です。

2018年のクラシックの聖地、ベルリン・フィルの小ホールで行われたリサイタルの模様は、通常のCDとして発売されていますが、そのほとんどがドイツ・グラモフォンのYouTubeチャンネルで動画として公開されているのも驚きです。

おそらく得意な曲で構成され、日頃から弾き馴染んでいるものを気楽に演奏するのではなく、むしろ何度も弾いてきた集大成を聞かせるような緊張感がみなぎっています。

まずは、力を入れている作曲家の一人であろうラフマニノフの小品4曲、スクリャービンのソナタ(No.10)、圧巻のリゲティ練習曲3曲、そして白眉となるプロコフィエフのソナタ第8番という構成。ユジャの超絶テクニックだけではなく、深い洞察力に基づくリリシズムが溢れるステージになっています。

もっと聞きたいという方は、アンコールで演奏された4曲がストリーミングのみで配信されています。ドイツ・グラモフォンはCDジャケットも従来からの王道デザインにしているところからも、レーベルを代表する正統派ピアニストと位置付けているのが伝わってきます。

2023年1月27日金曜日

Alice Sara Ott / Echoes of Life (2021)

自分の中では、三大若手女性ピアニストと言えるのが、中国出身のユジャ・ワン、ジョージア出身のカティア・ブニアテシヴィリ、そしてドイツ人の父と日本人の母親から生まれたアリス・紗良・オット。

ユジャ・ワンは1987年2月生まれ、カティア・ブニアテシヴィリは1987年6月生まれ、そしてアリス・紗良・オットは1988年8月生まれ。そもそも、みんな美人だし、ピアニストとしての実力もまったく申し分ありません。

日本人とのハーフということで、アリス・紗良・オットは贔屓したくなるというもの。メジャー・デヴューのリストの「超絶技巧練習曲」やベートーヴェンのアルバムを買ったときに、ブログでも取り上げました。

他の二人に比べるとやや活動が低調な印象で、どうしてるのかなぁと思ったら、実は病気だったんですね。それも、多発性硬化症という日本では難病とされている病気。手足のしびれや運動障害を起こす可能性が高く、ピアニストとしては致命傷になりかねない。

無理せず、周りの事は気にしないで、あくまでも健康第一に少しずつ音楽を続けてもらいたいものです。そこで、目下のところの最新作の紹介。

自身のコメントが出ています。「このアルバムは、私の人生に今も影響する想いや瞬間を映し出しているだけでなく、今日のクラシックの音楽家として自分自身をどのように見ているかを描いた音楽の旅路です」とのこと。

以前のクラシックのアルバムではありえない構成なのは、メインはショパンの前奏曲 作品28の24曲なんですが、数曲ごとに現代の作曲家の小品を7曲挟み込んでいるところ。伝統至上主義では絶対に許されませんが、一定の形を尊重しながら現代に生かしていくことは、古典的文化の価値を現在、そして未来にまで続かせることになる。

特に最終曲は自作というのも力の入れようが伝わるというものですが、それ以外の現代曲はフランチェスコ・トリスターノ、ジェルジュ・リゲティ、ニーノ・ロータ、チリー・ゴンザレス、武満徹、アルヴォ・ペルトのものです。知らない作曲家もいるんですが、100年以上前のショパンとのコラボは意外と面白い。

ショパンの前奏曲集と思って聞くのではなく、アリス・紗良・オットのコンセプト・アルバムの中にショパンも使われているという感覚で聞くのが正解。もちろんショパン・アルバムとしても優れており、どうしても従来のフォーマットにこだわりたいなら、現代曲は飛ばして聞けばいいんですけど、だったらアリス・紗良・オットでなくてもいいことになります。

2023年1月26日木曜日

Dietrich Fischer-Dieskau / R.Strauss Lieder (1967-70)

リヒャルト・シュトラウスは、1864年生まれで、戦後の1946年に亡くなった作曲家です。名前は知らなくても、キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」で使われた「ツァラトゥストラはかく語りき」は知らない人はいないくらい有名です。歌劇でも「薔薇の騎士」、「エレクトラ」などは、現在もコンスタントに上演されます。

音楽の傾向としては、実は自分としては苦手な後期ロマン派の潮流の中心で、どこで感動すればいいのかよくわからないところが悩みの種。ところが、けっこうたくさんある歌曲となると、これがなかなか良い感じなのです。

20世紀が生んだ史上最高のバリトン歌手、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ。おそらく、現存する演奏可能なリート(ドイツ歌曲)は、すべて網羅し録音を残しました。他にも、オペラへの出演や音楽祭への客演も多数あり、そのディスコグラフィーを完成させることはかなり困難です。

一個人が蒐集するなら、ある程度有名な作曲家に絞って、何度も歌われたものの中から最も評判が良いものに限定するのが現実的。当然、シュトラウスもその中に含まれます。

フィッシャー=ディースカウは、全集を意識したまとまった録音を二度行いました。最初は1967年から1970年にかけてEMIレコードに、そして二度目は80年代前半にドイツ・グラモフォンに行いました。

収録されている曲はほぼ同じなので、どちらを選んでもよさそうなのですが、やはりキャリアの上からフィッシャー=ディースカウの声の全盛期と言える60~70年代をチョイスするのが無難というもの。ピアノ伴奏は、EMI盤は盟友ジェラルド・ムーアで、DG盤はヴォルフガンク・ザパリッシュです。

しかも、CD3枚のEMI盤は現在はワーナーから格安のボックスが販売されていて手に入れやすい。シュトラウスだと構えて聞くと意外に聞きやすいのは、フィッシャー=ディースカウの歌唱によるところが大きいのかもしれません。バリトンと言ってもテノールまで含まれそうな音域と、柔軟な表現力、甘美な声質、どれをとってもさすがと思わせる歌唱は、本当に他の追従を許さない。

ただし、例によってフィッシャー=ディースカウの場合、「全集」と言っても歌詞の内容や、女声と指定されたものは省かれる。特にシュトラウスの歌曲を聞こうとすると、最も有名な「4つの最後の歌 (Vier Letzte Lieder, 1948)」が女声用なので含まれていないのが残念なところ。

これについては、古今あまたの名演がありますので、好きな女性歌手のものを聞けばいいんですけど、自分の場合は黒人のソプラノ歌手、バーバラ・ヘンドリックスがまとまった録音を残していたのでチョイスしました。


2023年1月25日水曜日

Friedemann Eichhorn / Liszt : Works for Violin and Piano (2007)

フランツ・リストと言えば、誰もが知っているクラシックのピアノ音楽のショパンと並ぶ二大巨匠のひとり。

ショパンと比べてという話になると、いろいろ長くなるのでここでは触れませんが、個人的にはショパンより作曲家としての功績はリストに軍配があがるように思っています。

ピアノ独奏曲だけでも、演奏時間にするとショパンは全作品でCD12枚程度ですが、リストは60枚くらい必要。他人の曲のピアノ独奏用編曲もいれたら、90枚くらいになろうというから凄いことです。ショパンはオーケストラ物は2つの協奏曲とニ三の小品だけですが、リストは協奏曲以外に交響詩、宗教曲などでCDにして15枚くらいは必要です。

二人に共通しているのは、室内楽曲があまり無いところ。ショパンはピアノ・トリオとチェロ・ソナタが1曲づつと小品でCD1枚に余裕で入ってしまいます。リストの方が多少多いといっても、せいぜいCD2枚分程度。

もっとも、ショパンが39歳で亡くなったのに対して、リストは74歳まで生きましたので、差があって当然ですけど、そこを差し引いても作曲家としての業績は歴然としたものがあるように思います・・・が、何かとショパンの方がいろいろと話題になる。

それはともかく、最も曲数の少ないリストの室内楽のCDは大変少ないので、それほど選択肢がありません。このCDの演奏者、フリードマン・アイヒホルンは現在50歳をちょっと過ぎたくらいのドイツのバイオリン奏者で、伴奏のピアノは現在80歳近いロルフ=ディーター・アレンス。

二人の共通点は、どうやら上司と部下らしい。リストが最も作曲家活動が活発だったのは、中年期のワイマールに住んでいたころ。ワイマールにはリストの名前を冠した音楽大学があり、二人はそこで教鞭をとる間柄。このCDが録音された2007年は、アレンスは大学の学長で、アイヒホルンはおそらく優秀な教員のようです。

ピアノ曲では巨匠然として技巧的な曲が多いリストですが、ここでは哀愁を感じる実にメロディアスな旋律を聞くことが出来ます。そもそもタイトルが「エレジー」や「ロマンス」ですから、それも当然。こういう曲をもっと作っていたら、リストの室内楽も注目されたのかもしれません。

2023年1月24日火曜日

Zee Avi (2009)

たぶん、知っている人は多くない。

Zee Aviは、マレーシアの女性歌手で、「ジー・アヴィ」と呼びます。

ウクレレやギターを持って歌うのが基本スタイルですが、一言でいうと「究極の癒し系」の歌声です。

マレーシア・・・って、どうなのと思うかもしれませんが、歌はほとんど英語で、それもネイティブっぽいきれいな英語です。

がちゃがちゃした音はほとんど聞こえず、特に朝に聞くのが一般いいかも。優しい気持ちでになれます。

BGMとして流してもいいけど、ついつい聞き入ってしまいます。

2008年の自身の名前だけのデヴュー?アルバムと、二枚目の2011年の「Ghostbird」の二枚のCDでお気に入りなんですが、その後あまり話題にならなくなったような・・・

でも、2014年に「Nightlight」、そして2019年には「Good Thing」というアルバムが出ているようです。「Goodthing」はタイトル曲だけストリーミングでありますが、アルバム自体は少なくともAmazonでは売っていません。

いゃぁ~、もっとたくさんの人に聞いてもらって、簡単にアルバムが手に入るようにしてほしいものです。


2023年1月23日月曜日

山口百恵 / メビウス・ゲーム (1980)

山口百恵の何が凄いか・・・って、もういろいろな人がいろいろな所で言いつくしていることですが、自分なりに思っていることをチョットだけ。

それまでの日本の大衆歌は、いわゆる演歌と歌謡曲でした。その違いを言葉で言うのは難しいのですが、昭和の日本人は感覚的に判別できていたんですよね。戦後日本の文化はほとんどがアメリカから入って来たものを、日本人なりに作り直したものだと思いますが、歌の世界ではポップス系が混ざったのが歌謡曲で、60年代からはフォークも広がり始めました。

フォーク・ソングは、どちらかというと体制に対する不満のはけ口みたいなところがありましたが、70年代になってしだいに恋愛模様が歌われるようになると、かなり丸くなって荒井由実に代表されるようなニュー・ミュージックと呼ばれる展開につながります。

山口百恵は、まさにそんな歌謡曲の過渡期に登場したわけで、1973年のデヴューから最初の数年間は、王道歌謡曲の作詞家・作曲家が歌を作り続けました。ただ、他のアイドル歌手と違ったのは、女の子が背伸びをする心情を歌に乗せたことで、大人っぽい雰囲気を作り上げたところ。

よく言われることですが、山口百恵の転換期を作り出したのは宇崎竜童・阿木曜子夫妻。宇崎竜童のデヴューは山口百恵と同じ1973年で、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドでの「スモーキン・ブギ」が大ヒット。正統派ロックン・ロールのようで、おちゃらけた歌詞が大うけ。

実は宇崎・阿木コンビを指名したのは山口百恵本人と言われていて、最初のアルバム用の曲がよかったのか、ついに1976年「横須賀ストーリー」でシングル発売となり、大ヒットとなりました。その後も1980年の引退まで、70曲ほどが宇崎・阿木コンビから提供され、シングルはことごとくヒットしたというのはよく知られていること。

この転換点から、山口百恵は歌謡曲からJPOPの元祖に生まれ変わったと思っているんですが、実際、桜田淳子は最後まで歌謡曲アイドルだったし、森昌子もずっと演歌歌手だと思います。

それまで、その時の年齢がアルバム・タイトルに使われていたりしましたが、「横須賀ストーリー」以後は、アルバム全体のコンセプトがはっきりしてきて、アルバムをイメージするタイトルが使われるようになります。1977年の「GOLDEN FLIGHT」では、初めて横文字だけのタイトルが採用され、ロンドンで現地ミュージシャンを採用してのロック色を強めた録音。

1978年のアルバム「COSMOS(宇宙)」は、初めての完全なコンセプト・アルバムで、宇宙をテーマに自由に飛び回る世界が描かれています。自身が初めて作詞した「銀色のジプシー」は、作曲が浜田省吾という豪華な組み合わせで、個人的にはBEST10に入るくらいの出来です。

オリジナル・アルバムは6年5か月で22枚という、もともとハイペースでアルバムが出ていましたが、引退の年は2月、5月、8月、そして10月と4枚のアルバムが発売されました。今ではありえない話。

この中では特に「メビウス・ゲーム」の出来が凄い。もう完全に歌謡曲の作りじゃない。フェードアウトして打楽器の音だけが残って次の曲に自然につながったり、ヒットした「ロックン・ロール・ウィドウ」も、イントロ変えて、中間のギター・ソロもたっぷり聞けたりして、作りこみが半端じゃない。

今年はデヴュー50周年、引退から43年。あ~、昔々の話になってしまいましたけど、あらためて今の耳で聞いてみると、JPOP化した以降のアルバムは十分鑑賞に耐えることに驚きます。もしも、もしもですけど、今、山口百恵のCDとか買いたいと思うなら、ベスト盤はやめましょう。横文字、カタカナ・タイトルのアルバムを一枚一枚買うのが絶対にお勧めです。

2023年1月22日日曜日

Carole King / Tapestry (1971)

間違いなく、自分の音楽趣味を掲載させたレコードの一枚。

中学生になって、ジャンルにとらわれずどんな音楽でも聴いた頃でしたが、うるさいくらいのハード・ロックを好む反面、サイモン&ガーファンクル、ジョーン・バエズと共にアメリカのフォークも好きでした(何故かボブ・ディランだけは苦手・・・)。

キャロル・キングは、アコースティック・ギターが主流のフォークの中で、ピアノの弾き語りというスタイルが新鮮でした。セクシーな感じとは程遠い、ハスキー・ボイスですが、そこが妙に落ち着くんですよね。

邦題は「つづれおり」で、何のことかわかりませんでした。「綴れ織」は日本の着物の織り方の一つで、「タペストリー」も似たような織り方をする西洋の壁掛け用装飾で微妙に違いのですが、どっちのタイトルも何となくアルバムにしっくりくる感じがします。

80歳になっている現在まで、音楽活動は続けているようですが、最大のヒットはこのアルバムで、特に「You've got a friend(君の友だち)」、「It's too late」は日本でも大ヒットし、今でもポップスのスタンダードです。

中学になると英語の勉強が始まるのですが、キャロル・キングの歌も個人的には格好の教材だったように思います。「~もまた、」という意味で終わりに使う「too」は、先に出ると「~すぎる」という意味になるというのは、間違いなく歌で知ったこと。「You've got a friend」も、辞書を引き引き訳を調べました。

When you’re down and troubled
And you need some loving care
And nothing, nothing is going right
Close your eyes and think of me
And soon I will be there
To brighten up even your darkest night

君が落ち込んで困っている時、
そして何らかの優しい手助けが必要な時
目を閉じて僕のことを考えてごらん
そしたらすぐに僕はそこにいて
君の暗い夜さえも明るく照らしだす

You just call out my name
And you know wherever I am
I’ll come running to see you again
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I’ll be there
You’ve got a friend

僕の名を呼ぶだけでいいんだ
君は僕がどこにだっているのを知っている
僕は君に会いに、また走って行く
冬でも、春でも、夏でも、そして秋だって
君がするべきことは、ただ僕を呼ぶだけ
そしたら僕はそこにいる
君には友だちがいるんだ

今でも、辞書なしでも理解しやすい英語で、歌を聞いていてもヒアリングで大意を掴みやすい曲です。長い人生、そんなともだちが一人だけでもいたらいいですね。


2023年1月21日土曜日

Schubert Lider -女声および重唱のための- (1973-75)

ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウがどんだけすごい歌手だったかは、知れば知るほど思い知らされます。2012年に亡くなるまで、生前にほとんど聞いていなかったことが悔やまれる。

もちろん、シューベルトの歌曲を一人で集大成したことが最大の功績何だろうと思いますが、実は男声で歌えるリート(ドイツ歌曲)で、フィッシャー=ディースカウが録音を残していない物探すことはほとんど難しい。

フィッシャー=ディースカウのディコグラフィから、歌詞の内容から女声用とされる歌曲だけが省かれているのはしょうがない。しかし、そこはクラシック音楽界の老舗、ドイツ・グラモフォン・レコードはぬかりがありません。

フィッシャー=ディースカウが自分の全集から省略した、シューベルトの歌曲をちゃんとまとめ上げています。つまり、女声用歌曲、混声二重唱、重唱、合唱を集めたわけで、しかも可能な限りフィッシャー=ディースカウも参加しているというのですから素晴らしい。

CDで8枚組です。最初の3枚は、ソプラノのグンドゥラ・ヤノヴィッツで占められ、クラシックを知らない人でも耳にしたことがある有名曲が目白押しです。4枚目はソプラノのクリスタ・ルードヴィヒ。60~70年代のクラシック界を支えた美声二人がたっぷりと聞けます。

後半は、フィッシャー=ディースカウを軸に、ヤノヴィッツ、ジャネット・ベーカー、エリー・アメリング、ピーター・シュライヤーらのオールスターが入り乱れて歌い上げていくという、まぁ贅沢の極みみたいな内容です。

ただし、残念なことに現在は廃盤になっているので、中古品を探すか、それぞれ単独のアルバムをバラバラにてに入れるしかありません。自分はAmazonで5000円くらいで手に入れましたが、フィッシャー=ディースカウ単独の全集と並べるとなかなか壮観です。

2023年1月20日金曜日

もんじゃ焼き


一般に定説といわれているのは、水を入れすぎて失敗したお好み焼きが原形で、店で提供されるれしぴとしては戦後の東京・浅草が発祥とされます。

80年代に、東京都中央区月島で「もんじゃ焼き」を提供する店が人気となり、一気に店が増えたことで、一般に「もんじゃ」と言えば月島というイメージが出来上がりました。

呼称については、「文字を書くように汁を流し入れる」ことから「文字焼き」と呼ばれたのが「もんじやき」、「もんじゃ」と変化したものらしい。

さて、ひさしぶりに「おうち」もんじゃ焼きをしたんですが、以前にやった時はもっと大きなホットプレートがあったんですが、時代が移って今のは小さい。

何か、キャベツばかりが目立って、野菜炒めみたいになっていますが、火が通れば問題ありません。

最初は定番の明太子と餅、2回目はシーフードとチーズ、3回目と残った具材と白菜キムチという具合に、味変させて楽しみました。

お好み焼きと比べて、圧倒的に小麦粉が少ないので、「粉物」と言っても罪悪感が少ないのが嬉しいかもしれません。

2023年1月19日木曜日

レオナルド・ダ・ヴィンチのワイン


正確に言うと、ダ・ヴィンチの育った村で作られたワイン。

そもそも「レオナルド・ダ・ヴィンチ」という名前は、「ヴィンチ村」の「レオナルド」という意味で、そのヴィンチ村で作られているワインということ。

場所はトスカーナ。ローマより150kmくらい北上した、フィレンツェのある州です。フィレンツェからは、西に20kmくらいのところにヴィンチ村があります。レオナルドの生家も残っています。

実際は、第二次世界大戦後からワイン作りが本格化して、もしかしたらレオナルドが飲んだワインを作ったブドウの木が代々続いてきたのかもとれない・・・というと、ちょっとロマンがありませんか?

トスカーナには、スーパー・トスカーナと呼ばれる、イタリアの公的なワインのランキングに沿わない極上のワインがあったりします。公的なお墨付きを得るためには、厳格な原料・製法を遵守しないといけないので、ランク付けに縛られずにもっと美味しさを追求したいということ。

ダ・ヴィンチ村のワインは、一本数万円することもあるスーパー・トスカーナと同じような自由な発想で作られたワインで、赤ワインは、サンジョヴェーゼ、メルロ、シラーをブレンドしたライト・ボディ、サンジョヴェーゼだけのミディアム・ボディ、シラーだけのフルボディ、そして白はヴェルメンティーノが使われています。

ランク付けはありませんが4本のセットで約1万円なので、比較的手を出しやすいところが嬉しい。他でも売っているかもしれませんが、Amazonでコンスタントに販売されていて買いやすいところもGoodです。セールスのタイミングだと2~3割引きになっていることがあるので狙い目です。

2023年1月18日水曜日

Anne Sofie von Otter / Douce France (2013)

クラシックの声楽家は、一般に30~40歳代がピークと言われ、年を取ると艶が無くなるとか、張りが無くなるとか、あるいは高音域が狭くなるとか言われたりします。確かに否定できないところですが、逆に技巧的な成熟が完成するという見方もあります。

アンナ・ゾフィー・フォン・オッターの場合は、1955年生まれなので、20歳代後半から注目され、21世紀になったばかりの時で45歳。そのあたりがピークであったことは否定できませんが、21世紀になってからクラシック以外のジャンルに進出し、レパートリーを広げつつ、年齢に合わせた活躍が続いています。

このアルバムは2枚組CDで、真正面からメロディとシャンソンに挑んだもの。タイトルは「優しいフランス」あるいは「甘美なフランス」という意味。

一枚目には印象派作曲家の歌曲(メロディ)が並びます。サン・サーンス、フォーレ、ラベル、トビッシーなど、知られた作曲家の名前が並びます。ピアノ伴奏でサポートするのは、ベンクト・フォルスベルク。80年代から、多くのアルバムで伴奏者として二人三脚でオッターを支えてきたピアニスト。

二枚目はシャンソン。つまりフランスの大衆歌曲が集められています。曲によって、アコーディオン、ヴァイオリン、ギター、金管・木管楽器などが加わり、曲想を盛り上げています。

また、選曲がにくい。「バラ色の人生」をはじめとして、日本人的にも知られた曲が多く、あまりこのジャンルに詳しくない自分でも、すっと入り込めるところが嬉しい。まさに、年齢を重ねたクラシック声楽家の、円熟の味わいがたっぷりと楽しめるアルバムです。

2023年1月17日火曜日

Anne Sofie von Otter / Sing Offenbach (2002)

ジャック・オッフェンバックと言えば、まぁ、たいていの人が知っているのは「天国と地獄」で、あの運動会の玉入れとかのにぎやかな定番曲。フレンチ・カンカンの女性たちが足を一斉に上げるところなんかを想像してニヤニヤ・・・


オッフエンバックはれっきとした作曲家です。1819年生まれで、もともとはドイツ人なんですけど、ほぼフランスで活躍して、たくさんの歌劇を作りましたが、ほぼフランス語です。

歌劇といいましたが、オペラの定石である悲劇は扱わず、ほとんどが喜劇です。オッフエンバックの歌劇は通常「オペレッタ」と呼ばれます。堅苦しさの残るオペラと違い、気楽さがある小劇場での公演が主体でしたから、風刺も効いて大衆からも大きく支持されました。

このアルバムは、すでに多くの作品で共演してきたマルク・ミンコフスキー指揮で、オッフェンバックの数ある作品の中から、楽し気な曲を集めたもの。

陽気な楽しい曲が、これでもかと出てくるので、とにかく聞いていて楽しくて厭きません。もちろん、超有名バラードの「ホフマンの舟歌」も登場します。最後は「天国と地獄」で賑やかに終幕。

実は、このアルバムをきっかけに、アルバムのメンバーによる本場パリでの公演が行われていて、DVDで見ることが出来ます。

耳で聴くだけでも楽しいのに、目で見ると楽しさ数十倍です。ちょっと値段は高くなりますが、絶対に字幕を見たかったので日本版を買いましたが、内容もわかってみると、一つ一つの場面が理解できて楽しさは数百倍に跳ね上がります。


2023年1月16日月曜日

Anne Sofie von Otter / Mots d'amour (2001)

それにしても、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターという人は、一体何国人だろうと思ってしまいます。いや、スウェーデン出身、ストックホルムで1955年に生まれたことははっきりしているんですけどね。

ヨーロッパは、英語、ドイツ語、フランス語が入り乱れている地域ですから、ある程度生まれと関係なくいろいろな言語を操れる人はたくさんいるだろうことは容易に想像できます。

でも、オッターの出身は北欧です。フィンランド語とノルウェー語に挟まれて、スウェーデン語が母国語ですし、大陸側とはバルト海で隔てられているんですよ。オッターは、ドイツ語のバッハ、モーツァルトはいうに及ばず、フランス語のベルリオーズなども完璧にこなします。

音楽の幅の広くて、バロック、宗教曲からオペラ、歌曲は当然のことのようにこなし、しかもスウェーデンのスーパースターABBAのカバー・アルバムを出したり、エルビス・コステロと共演したりもする。当然、その中では英語でも歌っているわけで、オッターの各国語の発音は完璧と評価されています。

日本のクラシック系歌手の一番辛い所が発音だろうと思いますが、海外の有名歌手でも母国語以外の歌唱では、しばしば発音の良し悪しが取り沙汰されることは珍しくはありません。

そんなわけで、今回紹介するのはフランス語。セシル・シャミナードの歌曲のアルバムです。ちなみにドイツ語歌曲のことはリート(lied,lieder)と呼びますが、フランス語歌曲はメロディと呼びます。

シャミナードは1857年パリ出身で、自立した最初の女性作曲家といわれています。ピアノ曲も優れた作品が残されています。ところが、存命中は人気があったにもかかわらず、病気による引退、戦争に向かう社会情勢の変化などにより忘れられた存在になっていました。

ピアノ曲は90年代から再び取り上げられるようになりましたが、歌曲についてはメジャーな会社ではオッターの本アルバムくらいしか見つけられません。そういう意味でも、大変貴重で価値があります。

女声らしい・・・という表現は、一定の色眼鏡をかけているようであまり使うべきではないかもしれませんが、少なくとも堅苦しいメロディはほとんどありません。なんとなく聞いていると、初めて聞くシャンソンのようなポップス感もあります。フランスの有名な印象派作曲家のドビッシーやラベルと活躍した年代が被りますが、まったく違う感じです。

オッターも曲調を意識してか、軽く弾むように楽し気に歌います。アルバム・タイトルは日本語だと「愛の言葉」ですから、まさに歌詞がわからなくても雰囲気は十分に伝わりますね。

2023年1月15日日曜日

自宅居酒屋 #52 大根炒め


大根はよく食べる野菜の一つですが、たいてい煮るかそのままサラダにするという調理法がほとんど。

他に食べ方は無いのかと・・・そこで、炒めたらどうなの? とネットを探すと、「大根炒め」のレシピは山ほど出てくる出てくる。何だ、自分が知らなかっただけなんだ。

味付けも様々紹介されているんですが、今回シンプルなオイスター・オイルを使ってみました。

冷蔵庫に残っていた、舞茸、鶏むね肉、ニラを一緒に入れてますが、基本は大根だけでもいいし、余り物を使い切るのに何を合わせても問題なさそうに思います。

大根は厚さ5mmくらいに切りました。薄くすると火の通りは早いけど、崩れやすくなるので注意が必要。

まず、炒めます。油はオイスターソースに合わせてごま油を使いました。さすがに、煮るよりも火の通りが早い。透明感が出てきたらOK。

ここで、味付けのオイスターオイルを適量。メーカーによって塩気の濃さが違うので味をみながらかけ回す。大根はある程度火が通っていないと、味が染み込まないので、タイミングは重要です。

一応、アクセントに豆板醤を小指の先ほど追加しました。全体に絡んだら出来上がり。実にシンプル。かなりいける。ご飯のおがずにもなりそうです。

2023年1月14日土曜日

詐欺電話


人を騙し、金銭を奪うシロサギ。それを餌とし喰らう最凶の詐欺師を騙す詐欺師――その名は、クロサギ・・・・・

というのは、どこかで聞いたドラマのナレーションですが、巷では「オレオレ詐欺」と呼ばれる、詐欺電話が手を変え品を変え横行しています。

何と、うちにもその手の電話がかかってきました。

注意喚起のため、内容を書いておきます。

「もしもし、どちら様でしょうか」
「こちらは、青葉区役所、健康保険課の××です。昨年9月にお送りした、医療明細はご確認いただけたでしょうか」
「? ? ? ?」
「もしもし、もしもし」
「区役所がそのような書類を送ることは無いと思いますが」
プツン・・・

こんな感じ。当然、国民健康保険に加入している自分としては、一瞬、ありえない話ではないように感じますが、過去数年間にわたって医療機関を受診したことはないので、そんな明細が出てくるはずがない。

冷静に考えれば、保険の仕組みとしても自治体は保険組合とやり取りをするはずで、被保険者に直接の何かを送り付けるというのはおかしな話です。そもそも、区役所の業務時間外の夜に電話が来るというのも変です。

でも、いろいろな社会の仕組みを何でも知っているわけではないので、いかにも本物と思わせる手口はいろいろです。いずれにしても、今時は電話で連絡してくるということ自体がかなり怪しいと思った方がいいですね。

2023年1月13日金曜日

ジェフ・ベックが死んだ

急に飛び込んできたニュースに愕然とした。

ジェフ・ベック死去。78歳。

随分と年をとったんだね、とあらためて思う。

最初の出会いは、1971年。もう50年も前の話。中学生になったばかりの頃、何を思ったか姉が急に「ラフ&レディ」を買ってきた。たぶん、何かの間違いで買ってしまったんだろう。ところが、そろそろロックに目覚めた弟の方が気に入ってしまった。

これは、一般には第2期ジェフ・ベック・グループと言われているバンドのアルバムで、黒人が加入していたせいもあってか、けっこうソウルっぽい感じが目新しかった。

その後、1973年、ベック・ボガート&アピス(BBA)という三人編成になって、ハード・ロックの王道に戻る。BBAでの来日が決まった時、ほぼ同じタイミングでユーライア・ヒープも来日。どっちに行くかで迷いに迷って、結局ユーライア・ヒープに行ったことは、後々までずっと後悔。BBAは日本公演のライブ・アルバムが出たことが唯一の救いだった。

ロック界で、三大ギタリストと呼ばれるのは、いずれもイギリス出身でヤードバーズに在籍した、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミーペイジ。

アメリカ南部の泥臭いロックに転進したクラプトンと、もうボーカルはいらないとギター・インストルメントに突っ走ったベックは、自分にとってはロックの最大のヒーロー。社会人になっても、ずっとアルバムは出ると買っていた。

1975年、ボーカルを排した「ブロウ・バイ・ブロウ」の衝撃たるや、とても言葉では言い表せない。ロックといえば、ボーカルは絶対付き物で、間に各楽器のアドリブ・ソロが入るという固定観念が出来上がっていたので、全編ギターで押し切るというのは、あまりのすごさに感動を越えていた。

今でこそ、クロスオーバーとかフュージョンとか、その手のアルバムは当たり前のようにあるけど、まさにこれがスタート。そして、これを超えるアルバムは、少なくとも自分は知らない。

ジェフ・ベックが死んだ。その事実だけでも、新年早々、かなりへこたれる。今日は、ずっとベックのギターを聞いていよう。

2023年1月12日木曜日

Noemi Waysfeld / Eine Winterreise

ちょっと変わった・・・不思議な雰囲気の漂うシューベルトの「冬の旅」を見つけました。「冬の旅」は、歌曲王シューベルトの代表作で、24曲からなる連作歌集で、声域・男女を問わずドイツ歌曲を唄う歌手であればたいてい一度は長選するくらいのもの。

ノエミ・ワイスフェルドは1984年生まれの38歳のパリジェンヌ。いわゆるクラシック音楽の声楽家とは違い・・・うーん、何と言えばいいのか・・・とてもアンニュイな・・・暗いシャンソンとでも言えばいいのか・・・

「冬の旅」は、ドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの詩集を題材にしたもので、そもそも失恋した若者が街を捨ててさすらいの旅を続けていく暗く悲しい歌が続きます。確かに、このような内容は、エディット・ピアフが、場末の酒場で古びたピアノにもたれて、片手にワインのグラスを持ちながら歌ってもよさそう。

ノエミの歌唱は、クラシックのような腹の底から唄うわけではなく、かと言って囁くほどでもない、ポップスとも言えない独特の歌い方で、これはこれで「味」がある。

全24曲のうち、13曲をピックアップして、原曲と同じピアノ伴奏だけで歌います。伴奏もオリジナルと比べて、アレンジされ現代風の味付けがしてある。

もちろん「冬の旅」の決定版ではありませんが、クラシックが苦手な人でも入りやすいと思いますので、まず聞いてみることで興味を持ってもらうはいいのかもしれません。

ストリーミング配信がメインのようで、少なくとも日本のAmazonではCD形式は購入できないようです。これも、若者をターゲットにしているということでしょうかね。

2023年1月11日水曜日

俳句の鑑賞 56 森澄雄


森澄雄は大正8年(1919年)、兵庫県生まれの俳人です。父親は歯科医で、俳句を詠む人物でした。5歳から長崎に転居し、昭和17年に九州帝国大学を卒業してすぐに招集され、ボルネオで終戦を迎えます。

父親の影響もあり十代から俳句を始めていましたが、「馬酔木」で加藤楸邨に指導を受けたこともあり、昭和15年、楸邨が「寒雷」主宰・創刊した際には、すぐに師事し参加しました。

戦後は都立高校で教鞭をとるかたわら、「寒雷」の編集にも参加。昭和45年、主宰誌「杉」を創刊し、戦後俳壇を牽引しました。平成7年に脳梗塞を起こし半身にマヒが残るものの俳句を続け、平成22年、肺炎により91歳で亡くなりました。

同世代だった飯田龍太とは、しばしば比較されることが多く、龍太の自然賛歌的な土着性の句柄に対して、森は「人間探求派」と呼ばれた楸邨の教えをさらに進めた、日常生活に根ざした人生を詠むのが特徴とされています。

除夜に妻白鳥のごと湯浴みをり 森澄雄

まさにこれこそが愛妻俳句。湯浴みをする妻を「白鳥のごとし」とは、普通は照れて言えるもんじゃない。除夜とくれば、おそらく大晦日の事でしょう。一年の垢を落とすかのように、湯浴みする妻の肌の白さを白鳥に例え、本来はエロティックなはずなのですが、作者は今年もご苦労さまでしたと労っているかのようです。

磧にて白桃むけば水過ぎゆく 森澄雄

「磧(かわら)」は、石がごろごろしているような水際のこと。どこかの清流の河原あたりが舞台でしょうか。初夏の日差しの中で涼しげな風景を見ながら、取り出した桃の皮を剝いてみると、目の前の水もどこかに向かって流れていることに気がつきます。

これらだけでも龍太との違いは明瞭です。現実的な無骨な龍太に対して、森はロマンチストで俳句も詩的、時に抽象的です。上句でテーマを表さず、読み進めるにつれしだいに盛り上がっていくような作りが得意なのかもしれません。

昇天寸前早老婆の白日傘 森澄雄

「早」は、ここでは「日照り(ひでり)」と読み、夏の強い日差しと共に、干からびた感のある老婆を表現しているのでしょう。暑さのため、ふらふらと歩いている様子が、今にも倒れそうなのに、手にする日傘の白さだけがとても目立ったということ。

西国の畦曼殊沙華曼殊沙華 森澄雄

西国は、森が少年時代を過ごした九州の地のことか。水田の境界部分の歩ける土手を畦道と呼びますが、そこには曼殊沙華、いわゆる真っ赤な彼岸花が咲いている。それも一つや二つではなく、たくさんたくさん咲いていることを単語の繰り返しで表現しています。

曼殊沙華は天界に咲く花とされ、俗な表現として死ぬことを「西に行く」というのがありますので、単なる田園風景というよりは、仏教思想を基にして何らかの死を意識したものではないかと思えます。

ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに 森澄雄

「ぼうたん」は牡丹の花。それが百、つまりたくさん咲いている様子は、まるで湯気がゆるゆると(ゆらゆらと)立っているかのように見える。自然の美しさを、普段生活の中で何気なく目にしているものに例える手法です。

鳴門見て讃岐麦秋渦をなす 森澄雄

これも鳴門の渦潮の荒々しい様子を、強風に大きく揺れ動く麦畑に例えた句です。例えですから、当然鳴門の渦が麦畑のはずはないので、それを虚構と言えなくもないのですが、誰もが納得できるような説得力があることが強みです。

いずれも、直接的な形容をせずに、作者の心情を強く押し出している作風です。現代の俳句に通じる基本形がここにあるように思いました。

2023年1月10日火曜日

俳句の鑑賞 55 飯田龍太


飯田龍太は大正9年(1920年)、山梨県境川に飯田蛇笏の四男として生まれました。蛇笏が主宰した「雲母」を継承し、戦後の伝統的俳句の中心人物の一人とされます。

山梨で過ごした龍太は、東京に出て昭和15年、國學院大學に入学し句作を開始しました。結核で兵役免除となり、戦時中は境川に戻り農業に専念します。兄らが次々と病死、戦死し、龍太は自然と父を手伝い「雲母」の編集に参加します。

昭和37年に蛇笏が死去すると、家督を継ぐと同時に「雲母」主宰となり、戦後俳壇で活躍しますが、平成4年、「雲母」900号にて終刊として俳壇から引退します。平成19年、肺炎のため86歳で亡くなりました。

大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太

龍太の俳句は、父親ゆずりの「ホトトギス」系の花鳥諷詠、伝統俳句が特徴ですが、特に際立っているのが生まれ育った甲斐の自然豊かな風土を根底としているところだと言われています。

大寒の頃、一年を通して最も寒さの厳して時期に、裕福とはいえないかもしれない村ではあるが、見渡すと一軒、二軒と散在する民家はみな人が住み、自分の心にはこれこそが故郷なんだと思わせる。故郷に対する、深い愛情があふれ出るような句です。

春すでに高嶺未婚のつばくらめ 飯田龍太

「つばくらめ」は燕のこと。春になると暖かい南方からツバメが戻ってきて、繁殖期を迎えます。基本的に一夫一妻ですが、なかなか相手が見つからないものもいるみたいです。高嶺の花として敬遠されているのか、相手を高望みしているのか・・・そのまま未婚のまま春が過ぎ去ってしまうのでしょうか。

夏の雲湧き人形の唇ひと粒 飯田龍太

「唇」はここでは「くち」と読みます。夏の雲と言えば入道雲で、しかもそれが湧き立つのですから、さぞかし雄大な光景でしょう。それと対比して、飾ってある人形なのでしょうか、その口が小さくて可憐なことを思い出したようです。

水澄みて四方に関ある甲斐の国 飯田龍太

季節は秋になり、空気も流れる川の水も澄んできます。甲府盆地は四方を山に囲まれ、四方に関所があったということ。まさに郷土である甲斐の国そのものを俳句にしたもの。

雪山に何も求めず夕日消ゆ 飯田龍太

そして季節は巡って、再び寒さの厳しい冬がやってきます。夕日は今日もまた黙って雪山の影に消えていくわけで、何かを欲しがったりはしません。もしかしたら、何も欲しがらず、あるがままに自然を受け入れるのは作者の本心なのかもしれません。

龍太は何故俳壇から身を引いたのでしょうか。「高齢のため満足いく選句ができないから」と説明されていますが、当時、まだ70歳を過ぎたばかりで、体力的には問題はないように思えます。

確かに「雲母」には毎月数万句が寄せられていたそうですから、それを数日間で目を通すだけでも大変なのは容易に想像できます。おそらく、流し見していくのではなく、一句一句にしっかりと対峙して、その句の意味するものを真剣にくみ取る姿勢が、そうとう精神的・肉体的に疲弊させるものだったのでしょう。

もともと肺病持ちだった龍太には、納得できる仕事ができないと判断した以上、中途半端に主宰を続けることなどまったく考えにも及ばないことだったのでしょう。飯田龍太に師事できた俳人は幸福だったと思います。

2023年1月9日月曜日

俳句の鑑賞 54 寺山修司


戦後の昭和の時代、いわゆる高度経済成長期に、若者の文化に関連して「ヒッピー」と並んでよく使われた「アングラ」という言葉を覚えているでしょうか。今の若者世代にはまったく意味が通じないと思いますが、「アングラ」は権力に対抗して商業的ではない文化活動の総称として使われました。

アンダーグラウンド(地下)を略したもので、政治に限らず世の中のすべての権威を持つものに反対するような、時には非合法な活動を含む前衛的な文化・芸術活動であり、その独特な存在感は当時の若者に支持され一世を風靡しました。しかし、彼らも名前が知られるようになると、次第に表舞台に出るようになり、商業化へソフト・ランディングを余儀なくされていきました。

アングラ演劇では、唐十郎と共に有名になったのが、演劇集団「天井桟敷」を率いた寺山修司でした。昭和10年(1935年)、警察官の息子として青森に生まれた寺山は、戦後進駐軍の関連の施設などを転々とし、中学2年の時に同級生の影響で俳句を始めました。

昭和29年、早稲田大学に入学。寺山の興味は、俳句よりも短歌に移っていて、しだいに注目されるようになりましたが、その一方で歌壇・俳壇からは、有名歌・有名句からの引用と思えるような内容が多かったため「模倣小僧」と蔑称されてしまいます。

腎臓病を発症し、大学は1年で中退しますが、戯曲の処女作が好評を博ししだいに演劇関係の仕事が増えていきました。昭和42年に「天井桟敷」を結成し、評論集「書を捨てよ、町へ出よう」、映画でも「田園に死す」などの代表作を残し、昭和58年肝硬変・敗血症により47歳で亡くなりました。

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹 寺山修司

燃ゆる頬花よりおこす誕生日 寺山修司

暗室より水の音する母の情事 寺山修司

恋地獄草矢で胸を狙い打ち 寺山修司

寺山は短歌については、リアルタイムに歌集を数冊ほど出版していましたが、俳句については40歳に近づいて初めて取りまとめた自選句集を刊行しました。これらは、その中に収載されたものですが、反安保に揺れた60年代の空気を多感な青春期に吸っていないとなかなか共感しにくい。

何となく伝わるものはありますが、定型ではないといって自由律とも言えず、季語は何かしら入っているもののまったく頼っていないというところが、まさに「アングラ」なのでしょうか。

ただ、アウトサイダーを気取っているものの、心の奥底ではどこかひ弱でいろいろな愛情を渇望しているような印象を持ちます。反発と渇望する気持ちとは、紙一重、表裏一体みたいなところかあると思います。

ふるさとの山の姿や絵双六 寺山修司

旅の鞄に菫いくども傷つけられ 寺山修司

蝉鳴いて母校に知らぬ師の多し 寺山修司

父ありき書物のなかに春を閉じ 寺山修司

寺山は、父の仕事のために青森県内を転々とする少年時代を過ごしたためか、「自分にふるさとはない」とうそぶいていたようですが、これらの俳句の中には捨てがたい郷愁のようなものを感じます。

父が出征したため母と二人で苦労した戦時中、そして戦死したため追いかけ抜き去りたくてもできない父親の背中をずっと見ているようなところもあるかもしれません。それらを自己解決できないうちに、寺山は早死したのです。

2023年1月8日日曜日

俳句の鑑賞 53 平井照敏


平井照敏(ひらいしょうびん)は、昭和6年(1931年)、東京に生まれ、東京大学文学部でフランス文学を学び、フランス文学者、詩人、青山学院暖気大学教授として活動しました。

30歳半ばで俳句を始め、加藤楸邨に師事し、「寒雷」編集長を経て、昭和49年に自らの主宰誌「槇」を刊行します。俳人としての著作には句集以外にも評論も多数ありますが、中でも高く評価されているのが歳時記の編集です。

歳時記は膨大な量の情報を整理する必然から、多数の編者が関わることが多く、一人の手によるものは多くはありません。そのため、記述の統一性にばらつきがあったり、例句の選択に村が出る部分はやむをえない。

現在手に入る最新の一人の手による大規模な歳時記は平井照敏によるもので、主として80年代後半に編纂されています。もっとも特徴的なことは、季語の本意をしっかりと記述しているところ。

例えば「梅雨寒」という季語については、通常は「梅雨の時期のある低温の時」という説明になりますが、平井の本意は「昭和になって使われ始めて新しい季題で・・・気候不順の思いを抱く」とあり、一歩踏み込んで俳句の実作により実効性のある説明になっています。

生き作り鯉の目にらむまだにらむ 平井照敏

膝小僧瞳のごとし夏電車 平井照敏

いずれも初めての句集から。すでに、独特の表現に煙に巻かれる感じがします。ある種の擬人化と言えそうな手法ですが、内容が慈愛に満ちた優しさを帯びていて、ちょっと気持ちが軽くなります。

活きつくりの魚は死んでいるのでにらむはずがない。実はにらんでいるのは作者であって、そこに生物の死とは裏腹のユーモアを感じます。夏の暑い時期に男性は短パンだったり、女性も丈の短いスカートを着用して膝小僧が露出している様子が、まるで目の玉が並んでいるかのように見えたということでしょう。

暗中に崩れし苺アガメムノン 平井照敏

文学者らしい俳句。「アガメムノン」はギリシャ神話の英雄で、「トロイの木馬」で有名なトロイア戦争におけるギリシャ軍の総大将でした。トロイアに挑むため、自分の娘を殺して生贄にしたとされ、熟してクズグズになった苺は崩れ落ちる娘を想像します。

啓蟄に虫ことごとく裸足なり 平井照敏

啓蟄は二十四節気の一つで、3月始めの頃。温かくなり、冬ごもりを終えて土の中から虫が這いだしてくる頃という意味。虫ですから裸足なのは当たり前ですが、本当にうようよと虫がいる様子が見えてきます。

春の日の今日は誰一人死なざる日 平井照敏

実際、そんなはずはないのですが、あまりに暖かでのどかな日和だったので、人が死ぬようなことは無いと感じたのでしょう。このような想像は、まさに季語の持つ本当の意味を熟知していることからの展開と言えます。

文学者の視点、詩人としての視点が絶えず見え隠れしてる俳句だと思いますが、それは季語そのものをストレートに用いず、別の物に置き換えるような発想を俳句にしているという印象から来ます。

それだけ表現の幅が広がり、少ない文字数で表現される世界が大きくなるのがわかりますが、これは真似ようとして真似できるものではありません。平成15年、72歳で病没しましたが、歳時記の中にしっかりとその遺産が残されました。

2023年1月7日土曜日

C.Abbado + A.S.von Otter + T.Quasthoff / Schubert Lieder with Orchestra

シューベルト作曲のドイツ歌曲(リート)では、フォーマットはビアノ伴奏による独唱なんですが、これをいろいろと変更したくなる人も出てくる。

例えば、ショパンと並ぶピアノの鉄人、フランツ・リストは、シューベルトの多くのリート曲をピアノ独奏用に編曲しています。これはこれで面白いのですが、原曲を知っていると、やはりピアノだけで奏でられても「ふぅ~ん」という程度であることは否めない。

人の声の雰囲気に近い楽器というと、真っ先に思いつくのはチェロ。歌手の代わりに、チェロがメロディを弾くというのはけっこうあって、歌手の歌声よりも時には温かみも感じられたりして悪くはありません。

もっと、大きな伴奏で歌を聞きたいという願望を満たしてくれたのが、我らがクラウディオ・アバドとアンネ・ゾフィー・フォン・オッターの鉄壁コンビです。ここにトーマス・クヴァストホフが参戦して作り上げたアルバムが、なかなか楽しい仕上がりになっている。

オーケストラ用に編曲したのは、ベンジャミン・ブリテン、ヨハン・ブラームス、マックス・レガー、ヘクター・ベルリオーズ、アントン・ウェバーン、フランツ・リストといった超豪華な作曲家たち。

メゾソプラノのフォン・オッターの声は、ソプラノほどキンキンするところが無いので大好きです。クヴァストホフはサリドマイド薬害による身体的障害があるにもかかわらず、大変艶のある声で活躍したバリトン歌手です。

特に聞きものは、二人の歌手で聞き比べられる「魔王(D328)」で、フォン・オッターの編曲はベルリオーズ、クヴァストホフの編曲はレガーが行っていて、伴奏のオーケストラの微妙な動きの違いが面白い。

リートの本来の楽しみ方からすると邪道と言われてしまうかもしれませんが、シューベルト自身もこれを聞いたら「そんなやり方もあったか」と喜ぶかもしれません。

2023年1月6日金曜日

Dietrich Fischer-Dieskau / Schubert Lieder

20世紀が生んだ最大の歌手と言えば、クラシック音楽界では誰もがディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウをあげることに異を唱えません。

歌劇、宗教曲での歌唱はもとより、フィッシャー=ディースカウが最も重要なレパートリーとしていたのがドイツ歌曲(リート)です。

これらは、そもそも歌い方も随分と違うので、たいていの歌手は専門が分かれることが多く、歌劇の人気歌手でもリートを唄うと不評だったりするものです。

声域はバリトン。一番低音部を担当するわけですが、フィッシャー=ディースカウの声は艶やかで伸びがあるので、高音域でもテノールに負けない美しさがあります。

リートは、今で言えば歌謡曲みたいなもの。例えばゲーテのような、当時の人気の詩人の書いたものにメロディをつけ、主としてピアノ伴奏で手軽に楽しまれたものです。特にシューベルトは、歌曲王と呼ばれるくらい膨大なリートを残しており、Hyperionの偉業である歌曲全集はCD40枚にも及び、最も有名な歌曲集「冬の旅」は歌っていない歌手を見つける方が大変なくらいです。

フィッシャー=ディースカウのシューベルト作品は、当然膨大な数が残されていますが、やはり金字塔ともいえる最高傑作が、60年代を中心に集大成を意識して録音された一連のシリーズ。ボックスCD化され全21枚で、男声歌唱用、および男性が歌って違和感がない物が網羅されています。

ということは、実は女声歌唱用のものや重唱が抜けているわけですが、そこはさすがクラシック音楽の殿堂、ドイツ・グラモフォン・レコードですから、ちゃんと残りをしっかりおさえたCDセット(6枚)があり、これも合わせれば基本的に全部そろうことになっています。

オリジナルのセットはプレミア価格になっていますが、その後登場した廉価版ボックス(ブックレット無し)も安くはなく、いまだに人気が高いことがわかります。自分は歌詞なども見て見たかったので、3分割されていたオリジナルの分売ボックスを個別に揃えました。かなり箱は壊れたりしていましたが、中身は大丈夫で全部で4000円くらいですみました。

当然、知らないメロディがたくさんありますが、それと同じくらいどこかで聞いたことがあるぞというものも出てきて実に楽しい。正月休みは、ずっと聞いて過ごしていましたが、半分以上がまだ聞けていません。しばらくは続けて楽しめそうです。

2023年1月5日木曜日

今年の目標


今年の目標・・・って言うと、だいたい小学生とかが、必ず宿題みたいに考える物。社会人になると、去年の続きが今年で、今年の続きが来年みたいなところがあって、そうそう毎年凄い変化が起こりようもない。

・・・それでも、人は向上心が無く毎日をダラダラと生きていくだけでは、あまり充実した人生とも言えませんし、そもそも日々の変化が少ない毎日なので、どんなつまらないことでも目標を設定した方が張り合いがあるというものです。

ところが、若い時と違って、それなりに年を重ねて、あまり中身のある目標というのも見つけにくい。う~ん、困った。

クリニックの院長としては・・・今年も一人一人の患者さんの病気やケガを治したい、というのが当然の目標ですけど、そのためには医師としての知識のアップデートを続けること・・・って当たり前だなぁ。

コロナ渦になってから、医療業界としては拡大路線は危険な賭けみたいなところがありますしね。もっとも、新型コロナを踏み台にするには、相当なバイタリティとマンパワーが必要ですしね。直接新型コロナ診療をしていない、うちのようなクリニックは受け身にならざるをえない。

まぁ、患者さんが安心して受診できることが大切ですから、コロナの心配がないより安全なクリニックを目指すしかありませんね。そのためには、結局、自分の健康管理をしっかりすることということでしょうか。

個人的にも、関連することですが、年を取って来て自分の体力にも自信が無くなってきているところが少なからずあります。ですから、健康管理の続きとして体力維持、あわよくば体力増進のための何かをやりたい。

そうそう、去年から本腰を入れて勉強している俳句については、とにかく一度でいいので上位に入選したいというのは、ちゃんとした目標かもしれません。そのためには、豊かな発想力と表現力を身につけないといけません。

やはり、わざわざ書き出すほどの目標とは言えないことばかりですが、どんなつまらないことしか思いつかなくても、一度あらたまって考えてみることが大事なのかもしれません。

2023年1月4日水曜日

杉山神社


初詣、行きました?

昔は、大きくて有名所にせっせと行ったこともありましたが、やはり氏神様を大事にしないといけません・・・遠くまで出かける元気もなくなったというのもありますが・・・

その地域を守ってくれるのが氏神、それを祀っているのが氏社、近辺に居住し氏神を信仰しているのが氏子ということになります。

住んでいるのは横浜市青葉区なので、元旦に一番近いちいさな神社にこの何年かは詣でます。クリニックがあるのは、横浜市都筑区で、ここから一番近いのはというと、中央公園にある杉山神社。

杉山神社へは、毎年ではありませんが、何度も初詣に出かけています。今年は、元旦に初詣のはしごをしました。杉山神社はふだんはひっそりとしていて、確か常駐する神主さんとかいない? と思いますが、今回はお昼時分だったせいか、大変な人の数に驚きました。

参拝しようと並んでいる列が、たぶん数百メートルにはなっていたと思います。最後尾は1時間以上待つことになりそうな雰囲気でした。

それだけ人気の杉山神社ですけど、実は横浜市内、特に港北区、都筑区あたりにはたくさんある。市内だけでも40社弱もあるらしい。ところが、実はその来歴は謎に包まれていることで有名。古くは平安時代にはあったようですが、中心となる本社がいまだにはっきりしない。

全国に広がるわけでなく、この近辺だけに特化していて、スサノオの子である五十猛命(いたけるのみこと)、あるいは日本武尊(やまとたけるのみこと) がメインの神様で、中にはレギュラーのはずの天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)が抜けているところもあるみたいです。

ふぅ~ん・・・とにかく、氏神様であることは間違いありませんね。

2023年1月3日火曜日

俳句の勉強 68 新年の季語 2


現代でも知られている、正月の風物詩を季語の中から選び出しています。

本来は、家々を訪れて祝福する芸能の一つが「獅子舞」、あるいは「越後獅子」と呼ばれる物ですが、今ではテレビでしか見ることはありません。たまに、店の前で余興として行われている程度。

格子戸を出て獅子舞の煙草喫ふ 星野立子

太鼓橋の裾の猿曳人だかり 星野立子

高濱虚子の家にも、獅子舞が御祝儀目当てでやって来ていたのかもしれません。娘の立子は、偶然に、格子戸の外に出て獅子舞を演じた者が一服して休憩している様子を見たんでしょうね。

似たような芸能に「猿回し」がありますが、さすがに生き物を扱うので獅子舞よりも大変です。今は、テレビか特別な場所でしか見れません。高濱家があったのは鎌倉ですから、この太鼓橋は鶴岡八幡宮の入口に架かる橋のことでしょう。初詣に出かけた立子が目にした光景です。

生まれた年とその年の干支が同じ者の中から、五穀を守る歳徳神を祀る準備の大役に「年男」が選ばれます。最近は、節分で豆まきをする人の呼び名として知れられています。選ばれるというと光栄なことで、一般には歳徳神のご加護を得られると言われています。とは言え、実際は年末から三が日まで、正月関連の雑用全般をしなければならないので大変だったのではないかと想像します。

年男勤め終りし素袍脱ぐ 島村茂雄

「素袍(すおう)」は下級武士の平服、あるいは平民の礼服で、堅苦しい服を着続けた仕事からやっと解放されて、安堵の様子が伝わります。

春の七草を用いて七日にお粥を食べるというのは、今でもスーパーにセットが売られているので、たいていの家庭で行われていそうです。一般的な七草は、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)。菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)ですが、ナズナは通称ぺんぺん草、スズナは蕪(かぶ)、スズシロは大根のこと。

その藪に人の住めばぞ薺打 一茶

八方の岳しづまりて薺打 飯田蛇笏

季語としては「七種」が一般的。本来は、六日の晩に七草を俎板に並べて叩くというところから、「薺打」、「叩き菜」などの季語もあります。二人とも時代こそ違いますが、静まり返ったところに七草を叩く音が響き渡ることを詠んでいます。

秋田県の伝統行事としてよく知られているのが「なまはげ」と「かまくら」で、正月行事を締めくくる小正月(15日ごろ)に行われますが、現在はなまはげは大晦日、かまくらは2月半ばのようです。

なまはげの鬼の口より酒の息 本谷久邇彦

かまくらの明一本の燭で足る 山口誓子

正月15日にお正月様が帰っていくための煙を焚き上げる行事が「左義長(さぎちょう)」で、「どんと焼き」というほうが馴染みがあるかもしれません。今では、注連飾りや松飾、あるいは古いお守りやお札を焼くための行事として続いています。

山神にどんど揚げたり谷は闇 長谷川かな女

左義長へ行く子行き交ふ藁の音 中村草田男

他にもたくさんの正月の季語がありますが、それぞれの神社仏閣の固有の行事を除くと、風習としては忘れられてしまったものが多い。残せるものは残すべきですが、残念ながら時代の変化によって消えていくのも仕方がないところ。

自分の知っている言葉だけでも、俳句の中に利用して遺しておくのも意味があるかもしれません。


2023年1月2日月曜日

俳句の勉強 67 新年の季語 1


歳時記を開くと、大分類として四季があります。ただし、本来春に含まれる1月だけは、信念として独立した大分類になっていて、これだけで他の4つの季節にせまる数の季語が収録されています。

だいたい「初××」という言葉はほぼ間違いなく新年の季語なので、悩むことはめったにない。また、だいたい正月独特の風習も問題ないのですが、時代の変遷と共に忘れ去られたものが多い。そういう季語は、現代人としてはピンとこないし、俳句にしても絵空事的なものになってしまいます。そこで、今でも説明なしにほとんどの人に理解されるような言葉を拾い集めてみました。

おせち(お節)というと、正月の定番料理ですが、季語としては「喰積(くいつみ)」、あるいは「重詰」と呼びます。本来は、儀礼的に不変の縁起物を重箱に詰めて客に出したものですが、冷凍技術が進んだ現在は、和洋中なんでもありで美味しい物が並びます。

喰積のほかにいさゝか鍋の物 高濱虚子

昔「おせちにあきたらカレーもね」というCMがありましたが、虚子もおせちばかりでは飽きてしまったようです。いかにも正月あるあるな俳句。

次の子も屠蘇を綺麗に干すことよ 中村汀女

「屠蘇(とそ)」は、おせちと共に正月に延命長寿の縁起物として振る舞われる薬酒です。みりんの中に生薬の入った小袋を入れておきます。朱色の大中小の三段重ねの盃に、本来は別々の生薬からの薬酒を注いで飲んだらしい。

自分も、こどもの時に親からは「真似事」として飲まされた覚えがあります。はっきり言って、変な匂いがして甘ったるいので一口でも正月早々に罰ゲームをやっている気分。言葉としてはまだ残っているのですが、ほとんどの家庭では好きなお酒を飲むだけが普通になっていそうです。

「雑煮」は今でも普通に使われている言葉。「羹(かん)」とも呼び、「羹を祝う」、「雑煮餅」、「雑煮椀」なども傍題として使われます。

しんしんとすまし雑煮や二人住 一茶

雑煮に入れる物は、地域によって様々ですし、味付けも鰹出汁、鶏ガラ、味噌など様々。正月といっても、一茶の貧しい家では、入れる物がなかったのでしょうか。すまし汁は、出汁、醤油、塩で味を整えたスープで、ここにいろいろな物を合わせていくベースみたいなもの。

雪国のありとも見えず松飾 長谷川かな女

「門松」、「松飾」は現在も用意している家が多い。とも言っても、立派な門松を門の両端に設置するほど立派な家はそうそうありません。せいぜい、細い松の枝を入口にくくりつけていることがほとんど。手軽な松飾は玄関に貼り付けるだけですので、自分も重宝して使っています。片付けるのは「松納(まつおさめ)」で、一般的には六日の夕に行います。

丸餅を二つ重ねて飾るのが「鏡餅」で、今では真空パックになってプラの蜜柑の模型が乗っていることがほとんど。丸くて鏡みたいというわけではなく、心臓をかたどったもので「魂」を表すものと考えられています。

鏡餅暗きところに割れて坐す 西東三鬼

正月気分が抜け始める頃に、気づくと乾燥してひび割れが入った鏡餅が置き去りになっていたことに気がついたということ。ちょっと哀し気なところが、逆に現実感を強めています。普通は十日間飾っておき、十一日に「鏡開」として割って食します。刃物で切るのは縁起が悪いので、割って開くということ。

正月らしい遊びといえば、「歌留多(かるた)」、「双六(すごろく)」、「福笑い」、「羽子板」、「独楽(こま)」などがあります。注意しないといけないのは、「凧上げ」は新年ではなく春の季語になっていて正月に限定されないということ。

胼の手も交りて歌留多賑はへり 杉田久女

ばりばりと付録双六ひろげけり 日野草城

羽子板の役者の顔はみな長し 山口青邨

「胼」は皮膚の固くなった「たこ」のこと。昔は、こども月刊誌などの1月号の付録に双六がついているのが普通でした。立派な羽子板には、当代の人気歌舞伎役者の顔を模した立体感のある飾り付けがしてあります。

いずれも誰もが知っているとは思いますが、古くからあるアナログな遊戯なので、しだいに消えていくようです。実際、ほとんど見かけなくなりましたね。

2023年1月1日日曜日

俳句の勉強 66 元旦の俳句


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

日本人なら当たり前のように、新年を迎えて晴れ晴れとした気分になるものです。良い事も悪い事も、新しい年になることで一度リセットして、さらに頑張ろうとかもう一度やり直そうとか思います。

元日やおもへばさびし秋の暮 芭蕉

旧暦を基準にしている俳句の世界では、1月から季節は春。特に1月は「新年」と呼ぶ特別な季節の名前で呼ぶ慣わしになっています。芭蕉は、大晦日までいろいろと信念を迎える準備でばたばたとしていましたが、まるで秋の暮を思わせるような静かな元旦を迎えたと感慨に耽っていたのでしょう。

1月1日は、年の始めであり、月の始めでもあります。そして日の始まりでもあるので、「三始」という呼び方もあります。

面白い別名は「鶏日(けいじつ)」で、荊楚歳時記(6世紀に成立した中国の年中行事を記したもの)が元になっています。1日は鶏、2日は狗(いぬ)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬というように6種の家畜の名で呼び、それぞれの日にはそれぞれの家畜を屠殺しない決まりになっていました。実は、7日にも「人日」という別名があって、死刑を行わない日とされていたそうです。

元日二日京のすみずみ霞けり 蕪村

元日はかはいや遍路門に立つ 一茶

やはり、現代と違って江戸時代の元日はだいぶ違った風景だったようです。ここ数年は、元旦から営業するという店は減ってきていますので、静かな元旦が戻ってきている気がします。

元日や見直すふじの去年の雪 正岡子規

元旦の朝、あらためて富士山を見やる。そこには雪が積もっているのですが、たった一日でも昨日より前は去年の事だということ。

元日や比枝も愛宕も雪の山 高濱虚子

元日や鷹がつらぬく丘の空 水原秋櫻子

元日や枯野のごとく街ねむり 加藤楸邨

大正・明治になっても、やはり正月は静かな印象です。戦後の高度経済成長期が、元旦の景色を変えたんでしょうか。でも、その頃に少年時代だった自分を思い出してみると、少なくとも三が日はどの店も休みでしたので、せっかくお年玉を貰ってもおもちゃ屋さんは休みで行けなかったものです。

元日や手を洗いをる夕ごころ 芥川龍之介

一般には小説家として認知されている芥川龍之介ですが、俳句もたくさん詠んでいます。これは、「元日」の俳句を探すと、たいてい名句として登場する賑やかな元日を思わせる句。新年を迎え、年賀の来客があったり、自身も初詣に行ったりと何かと忙しい。でも、夕方になって一段落して手を洗っていると、今日も暮れて行くのだとしみじみと思ったということでしょう。

名人の句を並べた後に、つたない素人句を出すのも気が引けますが、何でも勉強なのでご容赦いただきたい。

元日や干されたままの洗物

大晦日まで掃除をしまくって、すっかり外に干していた洗濯物を取り込むのを忘れていました。あれは去年の洗濯だなぁと・・・

元日に人人人の夜明け前

小高い丘の上に、まだ暗いうちから集まって来る人々。何か怪しい企みでもあるか、否、初日の出をまっているでした・・・という光景。その集団の一人になったこともありますが、何しろ寒い。テレビの中継で富士山をバックに見る方が気楽です。