2023年1月8日日曜日

俳句の鑑賞 53 平井照敏


平井照敏(ひらいしょうびん)は、昭和6年(1931年)、東京に生まれ、東京大学文学部でフランス文学を学び、フランス文学者、詩人、青山学院暖気大学教授として活動しました。

30歳半ばで俳句を始め、加藤楸邨に師事し、「寒雷」編集長を経て、昭和49年に自らの主宰誌「槇」を刊行します。俳人としての著作には句集以外にも評論も多数ありますが、中でも高く評価されているのが歳時記の編集です。

歳時記は膨大な量の情報を整理する必然から、多数の編者が関わることが多く、一人の手によるものは多くはありません。そのため、記述の統一性にばらつきがあったり、例句の選択に村が出る部分はやむをえない。

現在手に入る最新の一人の手による大規模な歳時記は平井照敏によるもので、主として80年代後半に編纂されています。もっとも特徴的なことは、季語の本意をしっかりと記述しているところ。

例えば「梅雨寒」という季語については、通常は「梅雨の時期のある低温の時」という説明になりますが、平井の本意は「昭和になって使われ始めて新しい季題で・・・気候不順の思いを抱く」とあり、一歩踏み込んで俳句の実作により実効性のある説明になっています。

生き作り鯉の目にらむまだにらむ 平井照敏

膝小僧瞳のごとし夏電車 平井照敏

いずれも初めての句集から。すでに、独特の表現に煙に巻かれる感じがします。ある種の擬人化と言えそうな手法ですが、内容が慈愛に満ちた優しさを帯びていて、ちょっと気持ちが軽くなります。

活きつくりの魚は死んでいるのでにらむはずがない。実はにらんでいるのは作者であって、そこに生物の死とは裏腹のユーモアを感じます。夏の暑い時期に男性は短パンだったり、女性も丈の短いスカートを着用して膝小僧が露出している様子が、まるで目の玉が並んでいるかのように見えたということでしょう。

暗中に崩れし苺アガメムノン 平井照敏

文学者らしい俳句。「アガメムノン」はギリシャ神話の英雄で、「トロイの木馬」で有名なトロイア戦争におけるギリシャ軍の総大将でした。トロイアに挑むため、自分の娘を殺して生贄にしたとされ、熟してクズグズになった苺は崩れ落ちる娘を想像します。

啓蟄に虫ことごとく裸足なり 平井照敏

啓蟄は二十四節気の一つで、3月始めの頃。温かくなり、冬ごもりを終えて土の中から虫が這いだしてくる頃という意味。虫ですから裸足なのは当たり前ですが、本当にうようよと虫がいる様子が見えてきます。

春の日の今日は誰一人死なざる日 平井照敏

実際、そんなはずはないのですが、あまりに暖かでのどかな日和だったので、人が死ぬようなことは無いと感じたのでしょう。このような想像は、まさに季語の持つ本当の意味を熟知していることからの展開と言えます。

文学者の視点、詩人としての視点が絶えず見え隠れしてる俳句だと思いますが、それは季語そのものをストレートに用いず、別の物に置き換えるような発想を俳句にしているという印象から来ます。

それだけ表現の幅が広がり、少ない文字数で表現される世界が大きくなるのがわかりますが、これは真似ようとして真似できるものではありません。平成15年、72歳で病没しましたが、歳時記の中にしっかりとその遺産が残されました。