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2023年1月10日火曜日

俳句の鑑賞 55 飯田龍太


飯田龍太は大正9年(1920年)、山梨県境川に飯田蛇笏の四男として生まれました。蛇笏が主宰した「雲母」を継承し、戦後の伝統的俳句の中心人物の一人とされます。

山梨で過ごした龍太は、東京に出て昭和15年、國學院大學に入学し句作を開始しました。結核で兵役免除となり、戦時中は境川に戻り農業に専念します。兄らが次々と病死、戦死し、龍太は自然と父を手伝い「雲母」の編集に参加します。

昭和37年に蛇笏が死去すると、家督を継ぐと同時に「雲母」主宰となり、戦後俳壇で活躍しますが、平成4年、「雲母」900号にて終刊として俳壇から引退します。平成19年、肺炎のため86歳で亡くなりました。

大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太

龍太の俳句は、父親ゆずりの「ホトトギス」系の花鳥諷詠、伝統俳句が特徴ですが、特に際立っているのが生まれ育った甲斐の自然豊かな風土を根底としているところだと言われています。

大寒の頃、一年を通して最も寒さの厳して時期に、裕福とはいえないかもしれない村ではあるが、見渡すと一軒、二軒と散在する民家はみな人が住み、自分の心にはこれこそが故郷なんだと思わせる。故郷に対する、深い愛情があふれ出るような句です。

春すでに高嶺未婚のつばくらめ 飯田龍太

「つばくらめ」は燕のこと。春になると暖かい南方からツバメが戻ってきて、繁殖期を迎えます。基本的に一夫一妻ですが、なかなか相手が見つからないものもいるみたいです。高嶺の花として敬遠されているのか、相手を高望みしているのか・・・そのまま未婚のまま春が過ぎ去ってしまうのでしょうか。

夏の雲湧き人形の唇ひと粒 飯田龍太

「唇」はここでは「くち」と読みます。夏の雲と言えば入道雲で、しかもそれが湧き立つのですから、さぞかし雄大な光景でしょう。それと対比して、飾ってある人形なのでしょうか、その口が小さくて可憐なことを思い出したようです。

水澄みて四方に関ある甲斐の国 飯田龍太

季節は秋になり、空気も流れる川の水も澄んできます。甲府盆地は四方を山に囲まれ、四方に関所があったということ。まさに郷土である甲斐の国そのものを俳句にしたもの。

雪山に何も求めず夕日消ゆ 飯田龍太

そして季節は巡って、再び寒さの厳しい冬がやってきます。夕日は今日もまた黙って雪山の影に消えていくわけで、何かを欲しがったりはしません。もしかしたら、何も欲しがらず、あるがままに自然を受け入れるのは作者の本心なのかもしれません。

龍太は何故俳壇から身を引いたのでしょうか。「高齢のため満足いく選句ができないから」と説明されていますが、当時、まだ70歳を過ぎたばかりで、体力的には問題はないように思えます。

確かに「雲母」には毎月数万句が寄せられていたそうですから、それを数日間で目を通すだけでも大変なのは容易に想像できます。おそらく、流し見していくのではなく、一句一句にしっかりと対峙して、その句の意味するものを真剣にくみ取る姿勢が、そうとう精神的・肉体的に疲弊させるものだったのでしょう。

もともと肺病持ちだった龍太には、納得できる仕事ができないと判断した以上、中途半端に主宰を続けることなどまったく考えにも及ばないことだったのでしょう。飯田龍太に師事できた俳人は幸福だったと思います。