年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します
年内は12月28日(土)まで、年始は1月6日(月)から通常診療を行います
2016年3月31日木曜日
サクラ咲く
3月晦日、年度末、今年も四半期が過ぎてしまいました。
クリニックの旭山桜は、先週が満開。今週は花が落ち始め、葉が伸びてきています。
横浜市北部の巷では、そろそろソメイヨシノが満開を迎えそうです。
毎年同じ光景ですけど、同じことも大事。今年も桜の季節になったんだなぁ、という安心感があります。
4つの季節を感じ取る力は、日本人としては大切なこと。仕事のことばかりにあくせくせず、周りに視点を移して、ちょっと季節を探してみるのは悪くありません。
そうは言っても、明日から診療報酬改正による変化がありますので、電子カルテがどうアップデートされたか心配です。ちゃんと、診療に混乱を来すようなことは無いことを祈るしかありません。
2016年3月30日水曜日
C-1輸送機
ことさら飛行機とか、あるいは自衛隊に興味があるわけでもないので、こんなものが頭の真上を通過するとうるさいだけ。
一体、この飛行機は何だろうと思うと、今は簡単にネットで探せたりする。写真をアップロードするだけで、それが何かわかるというアプリもあったりするので、ずいぶんと便利な時代になったものです。
というわけで、これが自衛隊のC-1輸送機というものであることは、簡単にみつけることができました。
国産だそうで、何でも尾翼の下が開いてジープとかも積み込めるんだそうです。60人まで乗れるスペースがあって、全長・全幅は30mくらい。
雀に比べると・・・いや、普通の鳥に比べるというのはナンセンスですけど、旅客機よりも高度が低い分大きく見える。その分、当然爆音もうるさいわけで、こんなものが飛び交う基地の街ではさぞかし大変だろうと思います。
2016年3月29日火曜日
雀の涙
本当に少しだけ、ごくわずか、ちょっとだけのことのたとえで、「雀の涙」ということを使います。
毛の先ほど、爪の先ほど、なけなしの・・・なども同じ意味を表す表現ですけど、雀の涙は一番味がある。いずれにしても、雀は小さいということがポイント。
雀の千声、鶴の一声なんていうのもある。いくらたくさんの小さい声が集まっても、挌上の一声が優るということ。
小さい、少ないからこそ貴重ということもあるんですけど、雀の場合は街中にありふれた存在というところが残念なんでしょうね。
とは言っても、昔に比べてずいぶんと少なくなっていることは間違いないので、何十年かすると「雀の涙」の意味が逆転しているかもしれません。
2016年3月28日月曜日
我ときて遊べや親のない雀
突然ですが、ベートーヴェンが生まれたのは1770年、亡くなったのは1827年。活躍した時代はバッハからは100年近くたっていて、モーツァルトは21歳年上、シューベルトは27歳年下です。
その頃、遠く日本では、時は江戸時代、元号は宝暦、明和、安永、天明、寛政、享和、文化、文政と目まぐるしくと変わっている頃です。
ただ、江戸時代のだいたい真ん中あたりで、徳川将軍家としては、第11代家斉による最も長期の安定政権(1787-1837)が続き、栄華を極めたころ。
こういう時代には生活は安定して余裕が出てくるので、文化的な円熟期を迎えるのですが、そのあとは熟しすぎて破裂してけっこう悲惨な時代へ移っていくというのは世の常です。
徳川家斉の時代に俳句の世界に登場する、ベートーヴェンと同時代のスーパースターというと、小林一茶。
一茶に俳句のいくつかは、知らず知らずのうちに聞いたことがあったりします。「我ときて遊べや親のない雀」の他にも、雀が登場するものとしては「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」というのがあります。
比較的わかりやすい、と言うといかにも俳句素人を暴露している感じですけど、日常的なわかりやすい言葉を使っていろいろな意味を込めている感じがしますね。
2016年3月27日日曜日
2016年3月26日土曜日
満開です
一足早く、クリニックの桜は満開になっています。
何しろ待合室が、温室効果で暖かい。ほころび出した蕾は先週から咲き始めましたが、今週半ばには満開になりました。
クリニックで季節を感じる飾りを受付に置いたりしていますが、毎年4月はあまりぱっとしたものが無いため、ちょっと寂しいと思いました。そこで、桜のミニ盆栽を用意してみたのですが・・・
4月になって咲く予定だったのですが、早い早い。4月になるまではもちそうもありません。室内なので、花散らしの風雨にさらされる心配はありませんけどね。
何とか手入れを怠らずに、来年も咲くようにしたいと思い、盆栽の入門書などを買い込んでみました。どうなることか・・・・
2016年3月25日金曜日
朝鳶に蓑を着よ、夕鳶に傘を脱げ
鳶と鷹の区別は難しいらしいのですが、外国とか、日本でも山奥にでも行かなければ、我々一般人が簡単に見つけることができるのは鳶に間違いないようです。
鷹の方がやや大きめで、生きた動物を餌にしています。鳶は雑食性で、鷹に比べると生活の仕方は烏に近い。
そもそも、鷹は鳴きませんが、鳶はピーヒョロ・ロ・ロってな具合におちゃらけたみたいに鳴くものですから、鷹よりもずいぶんと下賤な鳥と思われてしまうわけです。
ところが、当たっているのかはずれなのか、その真偽のほどはわかりませんが、その鳴き声が人の生活に役立っているかもしれないということわざがある。
「朝鳶に蓑を着よ、夕鳶に傘を脱げ」というのですが、これは天気予報みたいなもの。朝に鳶の鳴き声を聴いたら雨が降るよ、夕方だったら晴れてくるということらしい。
何かの天災が起こる前には、いろいろな動物がざわつくというような話はよくありますが、鳶も気圧の変化を感じ取って行動をしているのかもしれません。
2016年3月24日木曜日
鳶に油揚げをさらわれる
鳶は鷹の仲間で、ピーヒョロ・ロ・ロ・・・とのんびり泣いていたかと思うと、急降下してきて一気に餌を捕獲します。何しろ視力はいいらしいので、相当離れていても、獲物をロックオンする力はかなりのもの。
ただし、鷹とはちがって雑食性で、人里にも生息しているので、しばしば屋外で食事をしている人が襲われたりします。もっとも、人間を襲うわけではなく、あくまでも鳶が狙うのはバーベキューの肉だったりする。
江の島あたりでも、手に持っている食べ物を狙ってきたという話はしばしばあったりして、翼を広げれば1メートル以上になろうかという鳥が飛びかかってくれば、けっこう怖いだろうと思います。
鳶の雑食性をよく現していることわざに、「鳶に油揚げをさらわれる」というのがあります。もともと神社にお供えした油揚げを鳶がさらっていく様子から言われるようになったらしい。
大事なものや当然手に入れられると思っていたものを、突然横から奪われてしまい呆然とすることの例えとして使われます。
ほぼ手中にしていたものを取り逃がすというのは、なかなかショックが大きいものですからね。最後の最後まで、気を抜かずに集中することが大切だということの裏返しの話と思うことが大切なんでしょう。
2016年3月23日水曜日
鳶が鷹を生む
この親にして、この子あり、蛙の子は蛙などと言いますが、だいたい世間では親子は似ているものとされています。そもそも、そうむやみやたらと親子が違っていちゃ・・・変に気を回すことにもなりかねない。
ところが、時には親よりも優れた面を発揮するこどもというのが登場することがある。外見的に美男美女、あるいは頭脳・体力が優秀であったりすることがありますよね、
そういう場合に他人からすると、うらやましく思いつつも、やっかみ半分みたいなところで使う表現が「鳶(トンビ)が鷹(タカ)を生む」ということに・・・・なるんですが、現実にはトンビがタカを生むはずがない。
トンビとタカは、姿形はにているタカ科に属する鳥ですが、トンビは比較的あちこちで目にするありふれた鳥と言えます。狩猟性が低く、タカに比べるとやや劣る扱いを受けている。
つまり、タカの方が、あまり見かけない希少性があり、餌を狩る「かっこよさ」のようなところが評価されているために、トンビよりも一段上の扱いを受けるわけです。
もっとも、遺伝学的には、それなりの確率で突然変異というものがあって、能力的に大きな違いを見せるこどもが生まれることはあっていいわけです。
実際、絶対に親の能力を超えないなら、人類はしだいに弱体化して滅ぶことになりますから、時には「鳶がたかを生む」如きの優秀な人材の登場は必要なのだろうと思います。
2016年3月22日火曜日
東京湾アクアライン
川崎から木更津を結ぶ全長14kmの高速道路で、東京湾を横断するために川崎側約2/3が地下トンネルです。開通したのは1997年で、来年で20年になる。
当初、東京湾をぐるっと一周しないですむので、そうとういろいろな面で便利と期待されましたが、開通当初はその料金設定の高さに、みんな通行かるのに躊躇したことは記憶に新しいところです。
開通して数年した頃に、一度だけ通ったことがありましたが、今回2度目のチャレンジをしました。
ただ走れば、10分ちょっとあれば千葉まで行けてしまうわけですから、時間の節約はすごい・・・はずですが・・・ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。
連休だからというのもありますが・・・そういう時しか自分はいけませんからね・・・とにかく、川崎側のアクアラインに入るまでが、覚悟はしていましけど、とにかく大渋滞です。
たっぷり1時間はかかりましたか、クラッチがあるわけじゃないけど、足が疲れる。やっとスピードが出てくると、今度はひたすらまっすぐのトンネルですから、これはこれで疲れる。
そりゃ、やっと空が見えてパーキングエリアがあれば寄りたくなるというものです。高い通行料金を払うのですから、10分くらいで通り抜けてはもったいないし、そもそも膀胱が破裂寸前です。
それにしても、料金が高い。もう20年たったのですが、維持にも莫大な費用がかかるためなのか、一昨年引き下げられたとはいえ気楽に通りたくなる値段じゃない。
どう見ても利用するのは東京都民・神奈川県民が中心で、経済効果は圧倒的に千葉県側にあるわけで、 利用者負担ばかりが目立つ感じです。
もっと、千葉県に負担してもらわないと・・・と思ったら、維持にかかる税金などは千葉県が多く負担しているらしい。う~ん、まぁ、しょうがないか。
2016年3月21日月曜日
電力自由化
4月から電力自由化が始まります・・・ってなわけで、テレビでも大手の事業所が、いろいろなコマーシャルをせっせと流しています。
まるで、今申し込まないとダメですみたいな勢い。そもそも東京電力からも、「期間限定!締切迫る!!」とでっかく書かれた大きなDMが送られてきました。
ところが、自分もそうなのですが、電力自由化ってどんなことなのかよくわかっていない。テレビでのアンケート結果でも、半分以上の人が内容がよくわかっていないという結果のようです。
実際に、すぐに乗り換えようと思っている人は数%にすぎないようですし、どうせコマーシャルをするなら、どういう仕組みで、どういうメリットがあり、そしてどういうデメリットがあるのかを広報すべきですよね。
いくら吉田羊に「いくじなし!!」と迫られても、家の外をエレクトリカル・パレードが通ろうと、よくわかっていないうちに手を出す方がやばい感じです。
電話回線も、いろいろな別回線が登場して、あちこちからこっちを通すと安いですよみたいな勧誘がきます。
まるで、まだ回線を変えていないかのような言い方でせまってくるし、こっちをするのが当たり前みたいな言い方に腹が立つ。その仕組みについて説明を求めると、ほぼ100%ちゃんとした説明がない。
ちゃんとした説明のパンフレットを見せてくれ、それを見て熟考してから返事をするというと、パンフレットは無いといわれたこともあります。
電力についても、今後こういう事態が起こってくるのかと危惧しますね。すでに、今変えないととんでもないことになりますみたいな強引な勧誘、そのほとんどが詐欺らしいのも出てきているようです。
とにかく、あせる必要は無いことだけは確か。安くなるとはいっても、半分とかになるわけじゃない。下手に選ぶと高くなることもあるらしいです。
いろいろな情報が錯綜している時期ですから、実際に自由化が始まって、実際の話が整理されてからゆっくりじっくり考えればいいことかなと思っています。
まるで、今申し込まないとダメですみたいな勢い。そもそも東京電力からも、「期間限定!締切迫る!!」とでっかく書かれた大きなDMが送られてきました。
ところが、自分もそうなのですが、電力自由化ってどんなことなのかよくわかっていない。テレビでのアンケート結果でも、半分以上の人が内容がよくわかっていないという結果のようです。
実際に、すぐに乗り換えようと思っている人は数%にすぎないようですし、どうせコマーシャルをするなら、どういう仕組みで、どういうメリットがあり、そしてどういうデメリットがあるのかを広報すべきですよね。
いくら吉田羊に「いくじなし!!」と迫られても、家の外をエレクトリカル・パレードが通ろうと、よくわかっていないうちに手を出す方がやばい感じです。
電話回線も、いろいろな別回線が登場して、あちこちからこっちを通すと安いですよみたいな勧誘がきます。
まるで、まだ回線を変えていないかのような言い方でせまってくるし、こっちをするのが当たり前みたいな言い方に腹が立つ。その仕組みについて説明を求めると、ほぼ100%ちゃんとした説明がない。
ちゃんとした説明のパンフレットを見せてくれ、それを見て熟考してから返事をするというと、パンフレットは無いといわれたこともあります。
電力についても、今後こういう事態が起こってくるのかと危惧しますね。すでに、今変えないととんでもないことになりますみたいな強引な勧誘、そのほとんどが詐欺らしいのも出てきているようです。
とにかく、あせる必要は無いことだけは確か。安くなるとはいっても、半分とかになるわけじゃない。下手に選ぶと高くなることもあるらしいです。
いろいろな情報が錯綜している時期ですから、実際に自由化が始まって、実際の話が整理されてからゆっくりじっくり考えればいいことかなと思っています。
2016年3月20日日曜日
2016年3月19日土曜日
ドイツ・リート
シューベルトの歌曲の世界に入り込んで、「いやっ、こりゃ、やばいところに来てしまった」という感じで、とにかく膨大な量の歌物を前に、何とかとっかかりを見出したばかりです・・・
なのに、早くも間口を広げ始めている自分がいるんですね。怖いもの知らずというか、傍若無人というか、とにかくゆりたい放題とそしりを受けるかもしれません。
シューベルトの歌曲は、おそらく簡単に言えば、ドイツ・リートと呼ばれるもので、ドイツ語による世俗曲・・・つまり、当時の歌謡曲みたいなもので、ゲーテとかハイネなどが発表した詩にメロディをつけたもの。
宗教曲に比べれば、比較的気楽・・・なんていうと、古くからリートに親しんでいる方に怒られそうですが、片っ端から聴き飛ばして、とりあえず一つでも二つでも気に入ったメロディが出てくればいいかなと思ったりします。
もちろん、ドイツ語ですから、ただ聴いていても歌詞の内容がわからないとしょうがない。対訳は一度は見ておきたいものですが、今はネットで和訳を提供してくるところが簡単に見つかるので、大変にありがたいことです。
ドイツ・リートというと、ベートーヴェンに萌芽がみられ、シューベルトにより世界が出来上がり、シューマンとブラームスが発展させた。
恐れずにドイツ・リートの歴史を最短で説明すると、これだけ。いや、そんなものじゃないと言われるのは覚悟のうえですけど、初心者からすると最低これだけ押さえておくと少なくとも間違いはない。
さらに勝手なことを並べると、ベートーヴェンが演歌、シューベルトが歌謡曲、シューマンとブラームスがニュー・ミュージックと呼ぶと、昭和世代にはわかりやすいかもしれません。
そんなわけで、シューマンやブラームスの歌曲も聴きたい気持ちが出てくるわけですが・・・シューベルトの歌曲を歌いまくったフィッシャーデイスカウは、シューベルト以外も当然歌いまくっていて、この人一人をたどれば、ほぼすべての歌曲にたどり着けるというすごいことになっています。
ドイツ・グラモフォンは、フィッシャーデイスカウによって収録された膨大な録音と、一部の女声リートのアルバムによって、それぞれの作曲家の大全集を簡単に編めることができました。
これらは単独の全集として発売されたのはずいぶんと前のことで、今では中古でしか手に入らないし、ましてやかなりのプレミアがついてちょっと手に入れるのは無理。
ところが、作曲家別のデフレCDボックスというのがあるんですよね。自分も、ブラームスとシューマンは、この数十枚のCDボックス一つですませてしまおうと思ってかいこんでいます。
もともと歌物は得意ではなかったので、器楽曲だけ聴けばいいというつもり。それぞれ10枚くらいの歌が入っているものについてはオマケだと思っていましたが、実はこれが今や数万円もする歌曲全集が丸々収まっているということに気がついた。
つまり、もう数年前からシューマンもブラームスも歌曲全集を持っていたわけで、宝の山とも知らずに隅っこに追いやっていたというわけで、いまやよくぞ買っていましたと手を叩いて喜んでいるという次第です。
そんなわけで、これから同時進行でこれらのドイツ・リートの世界にさらなる一歩を踏み出そうとしているところです。
なのに、早くも間口を広げ始めている自分がいるんですね。怖いもの知らずというか、傍若無人というか、とにかくゆりたい放題とそしりを受けるかもしれません。
シューベルトの歌曲は、おそらく簡単に言えば、ドイツ・リートと呼ばれるもので、ドイツ語による世俗曲・・・つまり、当時の歌謡曲みたいなもので、ゲーテとかハイネなどが発表した詩にメロディをつけたもの。
宗教曲に比べれば、比較的気楽・・・なんていうと、古くからリートに親しんでいる方に怒られそうですが、片っ端から聴き飛ばして、とりあえず一つでも二つでも気に入ったメロディが出てくればいいかなと思ったりします。
もちろん、ドイツ語ですから、ただ聴いていても歌詞の内容がわからないとしょうがない。対訳は一度は見ておきたいものですが、今はネットで和訳を提供してくるところが簡単に見つかるので、大変にありがたいことです。
ドイツ・リートというと、ベートーヴェンに萌芽がみられ、シューベルトにより世界が出来上がり、シューマンとブラームスが発展させた。
恐れずにドイツ・リートの歴史を最短で説明すると、これだけ。いや、そんなものじゃないと言われるのは覚悟のうえですけど、初心者からすると最低これだけ押さえておくと少なくとも間違いはない。
さらに勝手なことを並べると、ベートーヴェンが演歌、シューベルトが歌謡曲、シューマンとブラームスがニュー・ミュージックと呼ぶと、昭和世代にはわかりやすいかもしれません。
そんなわけで、シューマンやブラームスの歌曲も聴きたい気持ちが出てくるわけですが・・・シューベルトの歌曲を歌いまくったフィッシャーデイスカウは、シューベルト以外も当然歌いまくっていて、この人一人をたどれば、ほぼすべての歌曲にたどり着けるというすごいことになっています。
ドイツ・グラモフォンは、フィッシャーデイスカウによって収録された膨大な録音と、一部の女声リートのアルバムによって、それぞれの作曲家の大全集を簡単に編めることができました。
これらは単独の全集として発売されたのはずいぶんと前のことで、今では中古でしか手に入らないし、ましてやかなりのプレミアがついてちょっと手に入れるのは無理。
ところが、作曲家別のデフレCDボックスというのがあるんですよね。自分も、ブラームスとシューマンは、この数十枚のCDボックス一つですませてしまおうと思ってかいこんでいます。
もともと歌物は得意ではなかったので、器楽曲だけ聴けばいいというつもり。それぞれ10枚くらいの歌が入っているものについてはオマケだと思っていましたが、実はこれが今や数万円もする歌曲全集が丸々収まっているということに気がついた。
つまり、もう数年前からシューマンもブラームスも歌曲全集を持っていたわけで、宝の山とも知らずに隅っこに追いやっていたというわけで、いまやよくぞ買っていましたと手を叩いて喜んでいるという次第です。
そんなわけで、これから同時進行でこれらのドイツ・リートの世界にさらなる一歩を踏み出そうとしているところです。
2016年3月18日金曜日
彼岸の入り
昨日からお彼岸です。
一番メインは3月20日の春分の日ん゛中日ですが、通常前後あわせて1週間をお彼岸としています。春分の日は、昼と夜の長さが一緒。これから、だんだん太陽が出ている時間の方が長くなっていきます。
早速、墓参を済ませてきました。このブログでも何度か書きましたが、20年前くらいに何にも考えずに家を購入したら、気がついたらうちの墓がすごく近かった。
墓があるのは川崎市。うちがあるのは横浜市ですが、横浜と言っても潮の匂いのしない、横浜の山奥みたなところ。一歩大きく踏み出すと、もうそこは川崎みたいな場所です。
車で10分くらいで行けてしまうところに墓があるので、もしかしたら祖先に呼ばれてしまったのかもしれません。まぁ、それはそれで悪いことではありません。
うちの墓は、自分の父親が両親のために建てたもの。祖父と祖母、そして父の3人の骨が埋葬されています。まだまだ、余裕はありますので、何も考えずそのままいけば自分やこどもたちの世代まで入ることになるのかも。
祖先がいて自分がいるというのは疑いようもない事実ですから、祖先や家族を大事にするというのは、宗教的な意味合いを除いたとしてもごく自然に発生する重要なことです。
家には仏壇は無いので、半年に一度お墓に出向いて手を合わせることが、唯一祖先に感謝できる機会になっているわけです。
2016年3月17日木曜日
梅は咲いたか桜もまだじゃない
♪梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳ャなよなよ風次第・・・
・・・ってな季節です。
梅は、咲き揃ってそろそろおわりかも。
クリニックに用意した桜を先週紹介しましたが、これは旭山桜という種類で八重咲の桜。蕾があれよあれよという間に膨らんで、昨日はいよいよ一番大きかった蕾がほぼ開花しました。
さすがに暖冬と言われ、例年に比べ寒さはあまり厳しくないし、クリニックの待合室の温室効果もあってかだいぶ開花は早い感じです。
来週は満開の見ごろになりそうですが、待合室でブルーシートを敷いてのどんちゃん騒ぎは固くお断りしています。
2016年3月16日水曜日
古い写真
去年古い写真を整理しました。ネガがしだいに劣化していくので、デジタル化して保存したかったからですが、すでにプリントされているけどネガが無い写真も多数出てきます。そういう写真はスキャンするか、直接撮影するかでデジタル化できます。
デジタルカメラで撮影したもの・・・我が家では、2000年以降は完全にフィルムを使わなくなりました・・・については、記録された撮影日時、あるいはファイルの作成日時の情報から、いつ撮影したかは簡単に特定できます。
ところが、古い写真になると、まじめに整理してメモ書きをしないと、簡単にはいつの撮影かよくわからないことはしばしば。
昭和40年代後半くらいからでしたか、写真に日付を写し込むことができるようになったので、だいぶ確認しやすくなりましたが、見栄えはよろしくないので、いつでも日付を入れていたわけではない。
それに日付の設定をまじめにしていないと、そもそもその日付が信用できるかどうかもわからない場合があったりするものです。
昔は親類がそろう機会はよくあったもので、そういう時に記念撮影などは恒例行事のように行われました。そうなると、たくさんの人数が写っているわけですが、ちゃんとメモして整理していないと、いつどこで撮影したのか、そもそもこれは誰だろうということになる。
この写真は自分の母方の親類。遠かったので、ほとんど行き来が無く、中央の二人が祖父母なんですが、会った記憶は小学生の時に一度だけ。ずいぶんと希薄な存在の孫だったのだろうと思います。
母の姉、つまり伯母さんが二人、そして従姉と従兄までは確定できますが、そのあたりでも数回しか会っていません。右後ろの男性陣は、まったく誰だか見当もつかない。
従姉の容姿から想像すると、撮影されたのはおそらく昭和40年頃。場所は祖父母の家だろうと思いますが定かではありません。誰かわかっている人は、もう皆亡くなっているので、古い物になればなるほど確認しようがない。
ですから、そもそもいろいろな写真の整理を始めたというのも、将来、自分のこどもたちが写真を整理したときに少しでも何の写真かわかるようにしておきたいということなんです。
2016年3月15日火曜日
てっそん
わがTRIBEに、新たな仲間が加わりました。
自分の姉の長女のところに生まれた長男で、自分はこの子からすると「大叔父(おおおじ)」と呼ばれることになる。
つまり、おばあさんの弟ということなんですが、じゃあ逆に自分から見たらこの子は何?
姪の息子ということですが、う~ん、何だろう。今まで、こういうことを知っていないといけない状況に遭遇したことがありませんでしたから、考えたこともない。
ネット社会の便利にところは、こういう時に簡単に答えを探せるところ。もっとも、簡単すぎることの問題もありますけど・・・それは横に置いておいて、答えは・・・
正解は、姪孫。てっそんと読みます。または又甥(またおい)とも。未だに、知らないことは山ほどあるものです。
もしも、生まれたのが女の子だったなら姪孫か又姪。甥のこどもでも姪孫は同じ。うちのこどもからすると従姉のこどもで、いとこ違い、あるいは従甥(じゅうせい)、従姪(じゅうてつ)だそうです。
この子から見てうちのこどもは、いとこ違いは一緒。こまかく言うと、従伯父、従伯母、従叔父、従叔母と呼び分けます。 なんだかこんがらかってきた。
自分の姉のこどもは3姉妹、家内の姉に2姉妹。全員姪っ子で、こどもができそうな年齢になってきていますので、今回を皮切りにしばらくは姪孫が増えていくんでしょうね。
2016年3月14日月曜日
ブログを本にしてみたい
こんなブログですから、あらためて読み返しても他人が面白がるようなものではありません。
ただし、たとえばリウマチ関連の話は、古いのは情報としては役に立たない場合がありますが、さすがにこれだけ書くと一般向けの内容としては、ほぼ全体を網羅するくらいのものになってきました。
それから、七十二侯も一年間を通して、季節・暦にふれる内容ですし、そこからつながった教会歴にそってバッハを聴き倒すというのも、けっこうなボリュームがあり、一応完結した感があります。
そこで、こういうところについては、まとめてみてもいいかなと思ったりするわけですが、全部自分で簡単にダウンロードできれば、PDFとかで何とかするという手もありますが、ブログも始めてからさすがに10年近くたって、ものすごい量を書いてきたので、やすやすと手が出ない。
ちゃっとした商業ベースにするなら自費出版とか、あるいはAmazonのKidle電子書籍から作るという方法もあったりしますが、別に売りたいわけではないし、とりあえず記録としてまとめておきたいという程度です。
そういう場合にもってこいなのが、ブログを本にするというサービス。
いくつかの会社があって、ネットのオンラインで、注文することができます。ブログのサイトアドレスを指定して、期間とかカテゴリーを選別すると、見本のPDFが作成できたりします。
関節リウマチのカテゴリーだけで、できるだけ詰め込んでみると200ページくらいになりました。七十二侯だけだと90ページ。教会歴と音楽で作ると250ページです。
自分用の記録としては、見本でできるPDFだけで十分な感じです。
白黒で作れば、一番簡単な装丁で一冊4,000円くらいで作れそう。カラーで作ると装丁の種類によっては5,000~12,000円くらい。
クリニックに一冊、自分用に一冊、一応家族に配るのに数冊・・・まぁ、5冊くらい作ったとして数万円でしょうか。
なんか年を取ると、本を出す人がよくいますけど・・・こういうことに触手が動くというのも、自分も年を取ったということですかね。
ただし、たとえばリウマチ関連の話は、古いのは情報としては役に立たない場合がありますが、さすがにこれだけ書くと一般向けの内容としては、ほぼ全体を網羅するくらいのものになってきました。
それから、七十二侯も一年間を通して、季節・暦にふれる内容ですし、そこからつながった教会歴にそってバッハを聴き倒すというのも、けっこうなボリュームがあり、一応完結した感があります。
そこで、こういうところについては、まとめてみてもいいかなと思ったりするわけですが、全部自分で簡単にダウンロードできれば、PDFとかで何とかするという手もありますが、ブログも始めてからさすがに10年近くたって、ものすごい量を書いてきたので、やすやすと手が出ない。
ちゃっとした商業ベースにするなら自費出版とか、あるいはAmazonのKidle電子書籍から作るという方法もあったりしますが、別に売りたいわけではないし、とりあえず記録としてまとめておきたいという程度です。
そういう場合にもってこいなのが、ブログを本にするというサービス。
いくつかの会社があって、ネットのオンラインで、注文することができます。ブログのサイトアドレスを指定して、期間とかカテゴリーを選別すると、見本のPDFが作成できたりします。
関節リウマチのカテゴリーだけで、できるだけ詰め込んでみると200ページくらいになりました。七十二侯だけだと90ページ。教会歴と音楽で作ると250ページです。
自分用の記録としては、見本でできるPDFだけで十分な感じです。
白黒で作れば、一番簡単な装丁で一冊4,000円くらいで作れそう。カラーで作ると装丁の種類によっては5,000~12,000円くらい。
クリニックに一冊、自分用に一冊、一応家族に配るのに数冊・・・まぁ、5冊くらい作ったとして数万円でしょうか。
なんか年を取ると、本を出す人がよくいますけど・・・こういうことに触手が動くというのも、自分も年を取ったということですかね。
2016年3月13日日曜日
ついに二桁
一見、何の変哲もない街のガソリンスタンド。
しかし、この日は驚愕の事実が隠されていた。
「イヤ大商談会」の垂れ幕は、実は「タイヤ大商談会」だったのだ・・・そんなことではない。一台も給油している車がいない・・・それはたまたま。
もったいぶってもしかたがない。
何と、「レギュラー、99円」とは、これを驚かずにはいられようか。
・・・ ・・・ と、まぁ、それだけま話なんですが。
ガソリン価格は、最近5年間で一番高かったのは一昨年7月で160円。昨年6月で137円。以降は下がる一方で、最近はほぼ100円に近くなっています。
それにしても100円を切る価格は・・・自分が車を運転するようになってからは、アメリカ同時多発テロ事件の直前にあったかもしれません。
いずれにしても、ほとんど記憶には無い。
中東情勢が不安定になると、ガソリンは高くなるという構図はしばらく続きました。しかし、2000年以後、ガソリン離れが進んでおり、石化燃料に依存しない社会が広がってきているわけで、産油国も以前のようにぼろ儲けというわけにはいかなくなっている。
極論するなら、イスラム圏の経済的不満を増大し、世界を不安定にした起爆剤の一つが「トヨタ」だったのかもしれません。
2016年3月12日土曜日
桜の蕾
横浜あたりでは、今年の桜の開花予想は2週間後くらい。
なんか気象庁の職員が東京の標準木とされる靖国神社のソメイヨシノの蕾の膨らみ具合から予想しているように思いますが、実際はいろいろなデータを加味して少しでも客観的な予想をしていたんですね。
・・・していた、という過去形なのは、2011年からは開花予想は民間に任せるということになったそうで、気象庁は予想を出していません。
さて、こちらはクリニックの桜。季節を感じる楽しみの一つとして、待合室に置いてあります。
種類は旭山桜で、先端の蕾がはじけてきました。確かに開花が近くなってきた感じがします。
さて、いつ開花となるんでしょうか。
2016年3月11日金曜日
あれから5年
今日のブログタイトルは、日本中で使われていると思いますが、やはりこれしかありません。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、戦後最大の自然災害であり、また原子力発電所の事故を引き起こしたことで、それまでのんびり平和を享受していた日本人の心の中の何かを変えさせたのです。
自分は、せっせと毎日ブログを書いていておかげで、当時のことを克明に確認することができます。読み返してみると、直接的な被災地としては最も遠い場所であったにもかかわらず、自分の周りにもたくさんの影響がありました。
もちろん、一番は電力不足の影響ですが、キャンプ用のガソリンランタンを家の中でいつでも使えるように準備したりしていたんですが、自宅では停電することはなかったので、実際に使わずにすみました。
当時からすると、ずいぶんと電気を使うことに躊躇がなくなりましたが、それでもはずしたクリニックの蛍光灯は、今でも一部は戻していません。どうでもいいところを照らすことはせず、少しでも節電する意識は維持しているつもりです。
直接的な被災地では、まだまだ復興には遠いとよく言われますが、いろいろな問題はあっても少しずつ何かが動いてきたことは間違いない。100%元に戻るということはありえないのですから、「復興」ではなく未来に向けて「再興」することが重要なのだろうと思います。
日本人が、これらの経験を意味のあるものとしていかせるかどうかは、近い将来に発生するかもしれない大災害の時にはっきりするのかもしれません。
2016年3月10日木曜日
海街diary (2015)
昨年評判になった、なおかつ高い評価を得た邦画の一つです。先日も、日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞し話題になりました。
監督は是枝裕和、主演は綾瀬はるか、広瀬すず、長澤まさみ、夏帆。
原作はコミックというわけで、マンガが原作の映画を批判するつもりはありませんが、小説あるいは映像作家のオリジナル作品の映画化がほとんどない昨今の邦画事情は寂しく思います。
自分のように、原作コミックを読んでいない者には関係ありませんが、マンガ原作ではすでに視覚的なイメージが出来上がっているので、そこに寄り添っていくにしても、できるだけ離れていくにしても、それなの束縛を受けることは否めません。
さて、この映画については、端的に感想を言うと、「静かに日常を積み重ねた」ドラマで、まさに日記を読んでいるような映画と言えるのかもしれません。特別にすごい事件が起こるわけではなく、わくわくするハッピーな出来事もありません。
誰にでも起こるような淡々とした日常を2時間の間観ていく中で、主人公の四姉妹の心の成長を見守っていく映画です。見終わって、どこかホッとする余韻を感じることができます。
もちろん、基本的なシチュエーションは、ドラマになる普通の一般人からすると複雑な家庭事情があります。是枝監督の演出は、過度に説明せず、登場人物のごく自然な演技の中から、それぞれの葛藤を描き出すことに焦点を当てているようです。
おそらく、脇役までかなり演技力の評価の高い主役級の俳優を揃えているのは、そういう意図をもってのこと。特に一番若い広瀬すずの演技力は、確かに只者ではありません。
観る側は、おそらく四姉妹の誰か一人に共感して、いつの間にか映画の世界に入っているのかもしれません。
☆☆☆☆
監督は是枝裕和、主演は綾瀬はるか、広瀬すず、長澤まさみ、夏帆。
原作はコミックというわけで、マンガが原作の映画を批判するつもりはありませんが、小説あるいは映像作家のオリジナル作品の映画化がほとんどない昨今の邦画事情は寂しく思います。
自分のように、原作コミックを読んでいない者には関係ありませんが、マンガ原作ではすでに視覚的なイメージが出来上がっているので、そこに寄り添っていくにしても、できるだけ離れていくにしても、それなの束縛を受けることは否めません。
さて、この映画については、端的に感想を言うと、「静かに日常を積み重ねた」ドラマで、まさに日記を読んでいるような映画と言えるのかもしれません。特別にすごい事件が起こるわけではなく、わくわくするハッピーな出来事もありません。
誰にでも起こるような淡々とした日常を2時間の間観ていく中で、主人公の四姉妹の心の成長を見守っていく映画です。見終わって、どこかホッとする余韻を感じることができます。
もちろん、基本的なシチュエーションは、ドラマになる普通の一般人からすると複雑な家庭事情があります。是枝監督の演出は、過度に説明せず、登場人物のごく自然な演技の中から、それぞれの葛藤を描き出すことに焦点を当てているようです。
おそらく、脇役までかなり演技力の評価の高い主役級の俳優を揃えているのは、そういう意図をもってのこと。特に一番若い広瀬すずの演技力は、確かに只者ではありません。
観る側は、おそらく四姉妹の誰か一人に共感して、いつの間にか映画の世界に入っているのかもしれません。
☆☆☆☆
2016年3月9日水曜日
北みたけ @ たまプラーザ
あざみ野駅から早渕川を真ん中にはさんだ道路沿いに北西に歩いて10~15分、一見なんとも見た目には怪しげな居酒屋がある。
何が怪しいって、たかだか間口1軒ほどの小さい店なのに、入口の雑然とした飾り付けがすごくて、表にあるのに裏通り一人繁華街状態。
特に繁華街というわけではなく、昼間だったら昔ながらの商店がぽつんぽつんとあるだけで、とりたてて目を引くような場所ではありません。
これが暗くなると、写真のような状態で、地元ピーポーにはそれなりに知られた(?)店なんです。
メニューからすると、どう見ても普通の居酒屋。それも和気あいあいとした、楽し気な雰囲気。某テレビ番組の「きたなシュラン」とかだったら、☆3つ行けそうな感じです。
実は、一度も店内には入ったことは無いんです。それなのに「怪しげ」とか書いてすみません。でも、この怪しげなところが、きっと一度行くと何度もリピートしたくなるところなんだろうと。
入口のすぐ右側にちいさい窓があるんですが、ここで焼き鳥のお土産を注文できるんです。すぐ横が出入り口で大きく開くので、何もここから無理やり注文しなくてもよさそうなところがいい。
とりあえず、今のところ焼き鳥を買って帰るだけですが、そのうち一度は中でゆっくりしたものです。
2016年3月8日火曜日
いつが空いてますか?
・・・という質問を電話で受けることがよくあるんですが、クリニックにおいでになる患者さんの数というのは、まったく予想ができません。
予約制にするクリニックもありますが、関節リウマチの患者さんだけを診るなら可能ですけど、整形外科はけが人のように急に問題が発生する方が多いので、予約制にしてもほとんど時間を守ることができません。
患者さんは雨が降ると来ない。だって、傘を持つのが不自由だったり、足元が悪いと滑りやすい。
患者さんは晴れると来ない。だって、洗濯とか布団干しとかで忙しいし、遊びにいかないといけないし。
患者さんは暑いと来ないし、寒いと来ない。う~ん、一体いつなら来るのか、よくわかりません。
これなら病院に行くかと思うタイミングは、だいたい誰もが一緒。ですから、寒くて雨でも降ろうものなら、ひたすら暇だったりして、日頃あまりいじらないところの整理整頓などをしたりします。
逆に、一度患者さんが来出すと、何か次から次へと待ち患者が増えて、もうあせりまくる。ある程度増えると、気持ちが居直ってしまいますけどね・・・
この前の土曜日の午前は11時を過ぎてから、どんどん患者さんが来るので、もう12時の診療終了時間までには終われないことは確定して、開き直って診療をしました。
ところが昨日は雨か弱くなったせいか、午後からちょっとずつ断続的に患者さんが来続けるので、開き直るわけにもいかない。あと一人だからがんばろうと思っていると、いつのまにかもう一人という状態がひたすら続きました。
正直、これが一番疲れる。ずっと何かに追いかけられているみたいなもので、昨日は診療終了後は、まったく喋る気力がありませんでした。
もう一人医者がいて、自分は予約制でリウマチ患者さんだけ診るというのは理想なんですけど、そんな贅沢な診療をするほど、経済的な余裕はありませんしね。
診療時間を減らすとか、休診日を増やすという方法もありますが、これも経済的な余裕が無いとできません。
そもそも、昨日みたいな状態が毎日あるわけでもないし・・・いったい、いつが空いているんでしょうか、こっちも知りたいものです。
2016年3月7日月曜日
シューベルト「美しき水車小屋の娘」と「白鳥の歌」を聴きこむ
シューベルトの三大歌曲集の中で、一番最初に発表されたのが"Die schone Mullerin(美しき水車小屋の娘)"です。「冬の旅」に比べると、やや注目度は下がるものの、ドイツ・リートのレパートリーとしては外せない作品です。
D番号は795、作曲は1823年で、この頃からシューベルトは病にいろいろと悩むようになったようです。作詞は「冬の旅」と同じ、ヴィルヘルム・ミュラーで、全20曲がおおよそ1時間程度で演奏されます。
内容は、青年が水車小屋の娘に恋をして希望を膨らませるのですが、恋敵の猟師に敗れて失恋し、小川に慰められて休息を得るというもの。「冬の旅」はいきなり失恋したところから始まり、特別な物語はありませんが、この曲ではしっかりとした物語の展開があります。
希望に燃える青春を歌う第1曲は、明るく元気な始まりで、途中は娘との楽しい日々がしっとりと歌われる感じ。ところが、第14曲に狩人が登場すると、風雲急を告げる展開になります。最後の第20曲では、小川が青年を優しく慰め、青年の死を思わせるように終わります。
"Schwanengesang(白鳥の歌)"は、シューベルト死後に出版社が一連の歌曲集としてまとめたもので、D番号は957で遺作さとされています。タイトルは出版社が、白鳥は死の直前に鳴くという話からつけたもの。
シューベルトはベートーヴェンから託されたルードヴィヒ・レルシュタープの詩に作曲して、前半7曲を連作として用意しています。そしてハインリヒ・ハイネの詩により6曲を作曲したのは、まさにシューベルトの最晩年であることは間違いありません。
そこにヨハン・ガブリエル・ザイドルの詩による1曲が加えられ、全14曲として構成されています。基本的にそれぞれの内容に関連性はなく、短編小説を寄せ集めたようなものですが、一つ一つの曲の完成度は大変優れていて、まさに「白鳥の歌」にふさわしいと言えます。特に第4曲の「セレナーデ」は、絶対に誰もが一度は耳にしたことがある超有名曲です。
シューベルトは本来は、テノール歌手のために作曲しているのですが、これらでも当然のようにディートリヒ・フィッシャー=ディスカウのバリトンによる名唱が最初に挙げられますが、同じバリトンのヘルマン・プライも、同じくらいに評価されている感じなのが「冬の旅」とはだいぶ趣が異なるところ。
テノールよりも低音域で歌われることは、落ち着きが感じられ、包容力のようなものが増えるのかもしれません。
本来のテノールとしては、過去の名人がずらずらとでてきます。フリッツ・ヴンダーリヒ、ペーター・シュライヤー、エルンスト・ヘフリガーなどがすぐに思い浮かぶわけで、場合によってはこちらが一番と考える方も多いでしょう。
新しいところでは、「冬の旅」と同じで、ヨナス・カウフマンとマーク・パドモアの二人の現役人気テノールによるものは必聴です。トーマス・クバストホフ、イアン・ボストリッジ、クリフトフ・プルガルディエン、マティアス・ゲルネ・・・とにかく枚挙に暇がない。
「冬の旅」に比べると、女性歌唱はずいぶんと少なくなります。特に「美しき水車小屋の娘」は、はっきりと男性の主観による歌詞とストーリーなので、当たり前ですが、三大歌曲集をすべて網羅する女性によるものが中心になります。
コントラルトのナタリー・シュトゥッツマン、メゾソブラノのブリギッテ・ファスベンダーが見つかります。コントラルトはアルトよりも低い声域で、実際シュトゥッツマンを聴いていると、時に男性なみの低い音域がでてきます。メゾソプラノはアルトより高めですが、声質が明るすぎない場合の呼び方。そういう意味では、男性曲でも違和感は少ないかもしれません。
さらに、いろいろ探していたら、なんと黒人ソプラノのバーバラ・ヘンドリックスのCDが見つかりました。透明感のあるリリック・ソプラノと呼ばれるヘンドリックスが、どのように歌うのか大変に興味深いところです。
シューベルト以前にもリートは存在していましたが、芸術として後世に残せる域まで高めたのはシューベルトの功績であることは間違いありません。シューベルトを歌曲王と呼ぶことに何の違和感もない存在感があります。
歌曲集としてまとめられているもの以外に、膨大なリートが残されていますが、少なくとも三大歌曲集だけは、クラシック音楽好き、特にシューベルトがお気に入りならば絶対に避けては通れない作品群です。
自分も、やっとこれらを聴く力がついた気がして、クラシック愛好家としては確実にステップアップしたような気になっています。
D番号は795、作曲は1823年で、この頃からシューベルトは病にいろいろと悩むようになったようです。作詞は「冬の旅」と同じ、ヴィルヘルム・ミュラーで、全20曲がおおよそ1時間程度で演奏されます。
内容は、青年が水車小屋の娘に恋をして希望を膨らませるのですが、恋敵の猟師に敗れて失恋し、小川に慰められて休息を得るというもの。「冬の旅」はいきなり失恋したところから始まり、特別な物語はありませんが、この曲ではしっかりとした物語の展開があります。
希望に燃える青春を歌う第1曲は、明るく元気な始まりで、途中は娘との楽しい日々がしっとりと歌われる感じ。ところが、第14曲に狩人が登場すると、風雲急を告げる展開になります。最後の第20曲では、小川が青年を優しく慰め、青年の死を思わせるように終わります。
"Schwanengesang(白鳥の歌)"は、シューベルト死後に出版社が一連の歌曲集としてまとめたもので、D番号は957で遺作さとされています。タイトルは出版社が、白鳥は死の直前に鳴くという話からつけたもの。
シューベルトはベートーヴェンから託されたルードヴィヒ・レルシュタープの詩に作曲して、前半7曲を連作として用意しています。そしてハインリヒ・ハイネの詩により6曲を作曲したのは、まさにシューベルトの最晩年であることは間違いありません。
そこにヨハン・ガブリエル・ザイドルの詩による1曲が加えられ、全14曲として構成されています。基本的にそれぞれの内容に関連性はなく、短編小説を寄せ集めたようなものですが、一つ一つの曲の完成度は大変優れていて、まさに「白鳥の歌」にふさわしいと言えます。特に第4曲の「セレナーデ」は、絶対に誰もが一度は耳にしたことがある超有名曲です。
シューベルトは本来は、テノール歌手のために作曲しているのですが、これらでも当然のようにディートリヒ・フィッシャー=ディスカウのバリトンによる名唱が最初に挙げられますが、同じバリトンのヘルマン・プライも、同じくらいに評価されている感じなのが「冬の旅」とはだいぶ趣が異なるところ。
テノールよりも低音域で歌われることは、落ち着きが感じられ、包容力のようなものが増えるのかもしれません。
本来のテノールとしては、過去の名人がずらずらとでてきます。フリッツ・ヴンダーリヒ、ペーター・シュライヤー、エルンスト・ヘフリガーなどがすぐに思い浮かぶわけで、場合によってはこちらが一番と考える方も多いでしょう。
新しいところでは、「冬の旅」と同じで、ヨナス・カウフマンとマーク・パドモアの二人の現役人気テノールによるものは必聴です。トーマス・クバストホフ、イアン・ボストリッジ、クリフトフ・プルガルディエン、マティアス・ゲルネ・・・とにかく枚挙に暇がない。
「冬の旅」に比べると、女性歌唱はずいぶんと少なくなります。特に「美しき水車小屋の娘」は、はっきりと男性の主観による歌詞とストーリーなので、当たり前ですが、三大歌曲集をすべて網羅する女性によるものが中心になります。
コントラルトのナタリー・シュトゥッツマン、メゾソブラノのブリギッテ・ファスベンダーが見つかります。コントラルトはアルトよりも低い声域で、実際シュトゥッツマンを聴いていると、時に男性なみの低い音域がでてきます。メゾソプラノはアルトより高めですが、声質が明るすぎない場合の呼び方。そういう意味では、男性曲でも違和感は少ないかもしれません。
さらに、いろいろ探していたら、なんと黒人ソプラノのバーバラ・ヘンドリックスのCDが見つかりました。透明感のあるリリック・ソプラノと呼ばれるヘンドリックスが、どのように歌うのか大変に興味深いところです。
シューベルト以前にもリートは存在していましたが、芸術として後世に残せる域まで高めたのはシューベルトの功績であることは間違いありません。シューベルトを歌曲王と呼ぶことに何の違和感もない存在感があります。
歌曲集としてまとめられているもの以外に、膨大なリートが残されていますが、少なくとも三大歌曲集だけは、クラシック音楽好き、特にシューベルトがお気に入りならば絶対に避けては通れない作品群です。
自分も、やっとこれらを聴く力がついた気がして、クラシック愛好家としては確実にステップアップしたような気になっています。
2016年3月6日日曜日
シューベルト「冬の旅」を聴きこむ
"Winterreise(冬の旅)"は、シューベルトの歌曲集の代表作ですが、全作品を通しても最も有名な曲であると言っても過言ではありません。
さらにシューマン、ブラームスへとつながるドイツ歌曲の中でも、最高傑作という評価もあり、クラシック音楽の中でもこれをはずすことはできない重要な曲集です。
基本的なデータを整理しておくと、D番号は911、作曲年代は1827年、シューベルトが亡くなる1年前で体調はしだいに悪くなっていた時期らしい。崇拝していたベートーヴェンの死による精神的なダメージもあったと言われています。
作詞はドイツ人のヴィルヘルム・ミュラー。失恋して絶望的な気持ちの青年が絶望して、冬の景色の中を彷徨する中で、目にした光景や、死を願う気持ちをひたすら綴っているという内容。
シューベルトはピアノ伴奏による24の連作リートとして作り上げ、通して演奏すると70~80分くらいかかります。当初仲間に聴かせたところ、暗澹たる内容に皆が声を失ったというような逸話が残されています。
第5曲は「菩提樹」として、特に美しく有名な曲。かつて恋人との逢瀬をした場所を通りりかかると、菩提樹が「ここは楽しいよ。ここにおいで」と誘う。寒風に帽子を吹き飛ばされながらその場を離れるが、いつまでも菩提樹は自分を誘うという、けっこう悲しさ満点の内容です。
一度、クラシック音楽の歌手ともなれば、すべての歌手が通らなければならない重要な課題と言うこともできます。一般的には詩の内容から、男性歌手(バスまたはテノール)が歌うのが通常ですが、この曲に限って言えば、女性歌手(アルトまたはソプラノ)もしばしば取り上げている。
この手の音楽については駆け出しの自分が、この超有名曲を語るなどとはおこがましいの極みですが、逆に男性専用のような固定観念が無いので、それぞれの声域の歌手を分け隔てなく楽しむことができます。
本来はテノール用に作曲されたらしいのですが、当然のように、デフォルトの地位にいるのがバスのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウです。何しろ何度も何度も録音をしていて、もうシューベルトをライフ・ワークのようにしていました。
マニア的には、年齢を重ねるごとに微妙に変わってくる歌唱表現を楽しむのだろうと思いますが、自分はさすがにそこまでの境地にはなっていません。一番有名らしいCD一つで、朗々と響き渡るバリトンに拍手するしかありません。
ただ、天邪鬼精神が首をもたげてくるもので、あまりの優等生振りに多少の不満を感じないわけではありません。"Winterreise"はこう歌うのだと教科書を見せられているようなところがあると言うと、諸先輩方から叱責を受けるかもしれません。
楽譜を重視するクラシック音楽ですが、その中でいろいろな解釈が存在することが楽しみの一つですから、それぞれの個性というものも重要な要素だと思っています。
そこでとりあえず、せっかくどんな声域の歌手でも挑戦できるのですから、バスの代表がフィッシャー=デイースカウとして、そのほかのテノール、アルト、ソプラノをそれぞれ聴いてみようと決めました。
そもそも、クラシック音楽の世界で、どの声域の歌手でもレパートリーにする、しかも男性目線の内容にもかかわらず女性も積極的にとりあげるリートは、まず他にはありません。それらを聴かずしてどうするという感じです。
テノールは、あまり声楽が得意では無い自分でも、聞いたことがある歌手の名前がずらずらと出てくる。でも、やっぱり新しいものに触手が伸びるというか、できるだけ音質の良いもので聴きたいという気持ちもあるので、チョイスしたのはマーク・パドモアとヨナス・カウフマン。
パドモアは、すでにバッハの受難曲のエヴァンゲリストで聴きなれています。自分が持っているだけでも、新しい録音ではけっこういろいろなところに出ています。淡々とイエスの受難を語るというよりは、比較的物語の起伏を歌の表現にも率直に取り入れる感じが好感を持てます。
数年前に、シューベルトの三大歌曲集をポール・ルイスのピアノで収録し、けっこう高い評価を得ています。ただし、2週間前に注文してまだ手元に届かないので未聴です。
カウフマンは、オペラをよく聴く・観る方には21世紀のテノールの最も人気がある歌手として知られていますが、自分はオペラはまだほぼゼロに近いのでよくわかりません。しかし、最近のアルバムの中では、最も評判がよいように思います(白鳥の歌はまだ未収録)。
アルトとソプラノは女性ということになり、がらっと雰囲気が変わります。本来、かなり暗澹たる内容の連作詩ですが、女性の声で歌うと軽やかとまではいかないにしても、救いが増える感じがします。もちろんCDは多くないので、選択はあまり自由にはできません。
古いところでは、ロッテ・レーマン、クリスタ・ルードヴィヒなどが草分けでしょうか。日本人の白井光子のものもあります。女性で三大歌曲をすべて収録しているのはブリギッテ・ファスベンダーが最初かもしれません。
アルトではナタリー・シュトゥッツマン。実は本当はアルトよりも少し低いコントラルトで、時に男性並みの声も出るのでこの曲にはぴったりかもしれません。三大歌曲をすべて歌う女性はあまりいないので、選択の余地はあまり無い。
ちょうど三大歌曲を集めたボックスが安く販売されているので、まとめて聴いてみたのですが、いずれも素晴らしい出来です。シュトゥッツマンは宗教曲からオペラまで幅広いレパートリーがあるだけでなく、近年は指揮者としても活躍していますから、その表現力たるやはんぱではありません。
そしてソプラノともなると、いよいよ数が少なくなってくる。バーバラ・ヘンドリックスか、クリスチーヌ・シェーファーのどちらかという感じですが、とりあえずシェーファー盤が面白い。何しろ早い。通常6分くらいかかる第1曲"Gute nacht"が4分台です。
でも、全体では標準的な70分ですから、緩急の変化があるということでしょうか。実際聴いてみると、緩急だけでなく強弱の変化もけっこうあって、相当な技巧力があることを感じさせます。
変わり種ということでは、無伴奏版、オーケストラ伴奏版、ギター伴奏版、日本語歌詞版、あるいは器楽演奏版などなど、いろいろなものがありますが、やはり本来のドイツ・リートとして聴くのが本道ですから、 歌詞の内容を理解したうえでそれぞれを楽しみたいと思います。
さらにシューマン、ブラームスへとつながるドイツ歌曲の中でも、最高傑作という評価もあり、クラシック音楽の中でもこれをはずすことはできない重要な曲集です。
基本的なデータを整理しておくと、D番号は911、作曲年代は1827年、シューベルトが亡くなる1年前で体調はしだいに悪くなっていた時期らしい。崇拝していたベートーヴェンの死による精神的なダメージもあったと言われています。
作詞はドイツ人のヴィルヘルム・ミュラー。失恋して絶望的な気持ちの青年が絶望して、冬の景色の中を彷徨する中で、目にした光景や、死を願う気持ちをひたすら綴っているという内容。
シューベルトはピアノ伴奏による24の連作リートとして作り上げ、通して演奏すると70~80分くらいかかります。当初仲間に聴かせたところ、暗澹たる内容に皆が声を失ったというような逸話が残されています。
第5曲は「菩提樹」として、特に美しく有名な曲。かつて恋人との逢瀬をした場所を通りりかかると、菩提樹が「ここは楽しいよ。ここにおいで」と誘う。寒風に帽子を吹き飛ばされながらその場を離れるが、いつまでも菩提樹は自分を誘うという、けっこう悲しさ満点の内容です。
一度、クラシック音楽の歌手ともなれば、すべての歌手が通らなければならない重要な課題と言うこともできます。一般的には詩の内容から、男性歌手(バスまたはテノール)が歌うのが通常ですが、この曲に限って言えば、女性歌手(アルトまたはソプラノ)もしばしば取り上げている。
この手の音楽については駆け出しの自分が、この超有名曲を語るなどとはおこがましいの極みですが、逆に男性専用のような固定観念が無いので、それぞれの声域の歌手を分け隔てなく楽しむことができます。
本来はテノール用に作曲されたらしいのですが、当然のように、デフォルトの地位にいるのがバスのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウです。何しろ何度も何度も録音をしていて、もうシューベルトをライフ・ワークのようにしていました。
マニア的には、年齢を重ねるごとに微妙に変わってくる歌唱表現を楽しむのだろうと思いますが、自分はさすがにそこまでの境地にはなっていません。一番有名らしいCD一つで、朗々と響き渡るバリトンに拍手するしかありません。
ただ、天邪鬼精神が首をもたげてくるもので、あまりの優等生振りに多少の不満を感じないわけではありません。"Winterreise"はこう歌うのだと教科書を見せられているようなところがあると言うと、諸先輩方から叱責を受けるかもしれません。
楽譜を重視するクラシック音楽ですが、その中でいろいろな解釈が存在することが楽しみの一つですから、それぞれの個性というものも重要な要素だと思っています。
そこでとりあえず、せっかくどんな声域の歌手でも挑戦できるのですから、バスの代表がフィッシャー=デイースカウとして、そのほかのテノール、アルト、ソプラノをそれぞれ聴いてみようと決めました。
そもそも、クラシック音楽の世界で、どの声域の歌手でもレパートリーにする、しかも男性目線の内容にもかかわらず女性も積極的にとりあげるリートは、まず他にはありません。それらを聴かずしてどうするという感じです。
テノールは、あまり声楽が得意では無い自分でも、聞いたことがある歌手の名前がずらずらと出てくる。でも、やっぱり新しいものに触手が伸びるというか、できるだけ音質の良いもので聴きたいという気持ちもあるので、チョイスしたのはマーク・パドモアとヨナス・カウフマン。
パドモアは、すでにバッハの受難曲のエヴァンゲリストで聴きなれています。自分が持っているだけでも、新しい録音ではけっこういろいろなところに出ています。淡々とイエスの受難を語るというよりは、比較的物語の起伏を歌の表現にも率直に取り入れる感じが好感を持てます。
数年前に、シューベルトの三大歌曲集をポール・ルイスのピアノで収録し、けっこう高い評価を得ています。ただし、2週間前に注文してまだ手元に届かないので未聴です。
カウフマンは、オペラをよく聴く・観る方には21世紀のテノールの最も人気がある歌手として知られていますが、自分はオペラはまだほぼゼロに近いのでよくわかりません。しかし、最近のアルバムの中では、最も評判がよいように思います(白鳥の歌はまだ未収録)。
アルトとソプラノは女性ということになり、がらっと雰囲気が変わります。本来、かなり暗澹たる内容の連作詩ですが、女性の声で歌うと軽やかとまではいかないにしても、救いが増える感じがします。もちろんCDは多くないので、選択はあまり自由にはできません。
古いところでは、ロッテ・レーマン、クリスタ・ルードヴィヒなどが草分けでしょうか。日本人の白井光子のものもあります。女性で三大歌曲をすべて収録しているのはブリギッテ・ファスベンダーが最初かもしれません。
アルトではナタリー・シュトゥッツマン。実は本当はアルトよりも少し低いコントラルトで、時に男性並みの声も出るのでこの曲にはぴったりかもしれません。三大歌曲をすべて歌う女性はあまりいないので、選択の余地はあまり無い。
ちょうど三大歌曲を集めたボックスが安く販売されているので、まとめて聴いてみたのですが、いずれも素晴らしい出来です。シュトゥッツマンは宗教曲からオペラまで幅広いレパートリーがあるだけでなく、近年は指揮者としても活躍していますから、その表現力たるやはんぱではありません。
そしてソプラノともなると、いよいよ数が少なくなってくる。バーバラ・ヘンドリックスか、クリスチーヌ・シェーファーのどちらかという感じですが、とりあえずシェーファー盤が面白い。何しろ早い。通常6分くらいかかる第1曲"Gute nacht"が4分台です。
でも、全体では標準的な70分ですから、緩急の変化があるということでしょうか。実際聴いてみると、緩急だけでなく強弱の変化もけっこうあって、相当な技巧力があることを感じさせます。
変わり種ということでは、無伴奏版、オーケストラ伴奏版、ギター伴奏版、日本語歌詞版、あるいは器楽演奏版などなど、いろいろなものがありますが、やはり本来のドイツ・リートとして聴くのが本道ですから、 歌詞の内容を理解したうえでそれぞれを楽しみたいと思います。
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