シューベルトの三大歌曲集の中で、一番最初に発表されたのが"Die schone Mullerin(美しき水車小屋の娘)"です。「冬の旅」に比べると、やや注目度は下がるものの、ドイツ・リートのレパートリーとしては外せない作品です。
D番号は795、作曲は1823年で、この頃からシューベルトは病にいろいろと悩むようになったようです。作詞は「冬の旅」と同じ、ヴィルヘルム・ミュラーで、全20曲がおおよそ1時間程度で演奏されます。
内容は、青年が水車小屋の娘に恋をして希望を膨らませるのですが、恋敵の猟師に敗れて失恋し、小川に慰められて休息を得るというもの。「冬の旅」はいきなり失恋したところから始まり、特別な物語はありませんが、この曲ではしっかりとした物語の展開があります。
希望に燃える青春を歌う第1曲は、明るく元気な始まりで、途中は娘との楽しい日々がしっとりと歌われる感じ。ところが、第14曲に狩人が登場すると、風雲急を告げる展開になります。最後の第20曲では、小川が青年を優しく慰め、青年の死を思わせるように終わります。
"Schwanengesang(白鳥の歌)"は、シューベルト死後に出版社が一連の歌曲集としてまとめたもので、D番号は957で遺作さとされています。タイトルは出版社が、白鳥は死の直前に鳴くという話からつけたもの。
シューベルトはベートーヴェンから託されたルードヴィヒ・レルシュタープの詩に作曲して、前半7曲を連作として用意しています。そしてハインリヒ・ハイネの詩により6曲を作曲したのは、まさにシューベルトの最晩年であることは間違いありません。
そこにヨハン・ガブリエル・ザイドルの詩による1曲が加えられ、全14曲として構成されています。基本的にそれぞれの内容に関連性はなく、短編小説を寄せ集めたようなものですが、一つ一つの曲の完成度は大変優れていて、まさに「白鳥の歌」にふさわしいと言えます。特に第4曲の「セレナーデ」は、絶対に誰もが一度は耳にしたことがある超有名曲です。
シューベルトは本来は、テノール歌手のために作曲しているのですが、これらでも当然のようにディートリヒ・フィッシャー=ディスカウのバリトンによる名唱が最初に挙げられますが、同じバリトンのヘルマン・プライも、同じくらいに評価されている感じなのが「冬の旅」とはだいぶ趣が異なるところ。
テノールよりも低音域で歌われることは、落ち着きが感じられ、包容力のようなものが増えるのかもしれません。
本来のテノールとしては、過去の名人がずらずらとでてきます。フリッツ・ヴンダーリヒ、ペーター・シュライヤー、エルンスト・ヘフリガーなどがすぐに思い浮かぶわけで、場合によってはこちらが一番と考える方も多いでしょう。
新しいところでは、「冬の旅」と同じで、ヨナス・カウフマンとマーク・パドモアの二人の現役人気テノールによるものは必聴です。トーマス・クバストホフ、イアン・ボストリッジ、クリフトフ・プルガルディエン、マティアス・ゲルネ・・・とにかく枚挙に暇がない。
「冬の旅」に比べると、女性歌唱はずいぶんと少なくなります。特に「美しき水車小屋の娘」は、はっきりと男性の主観による歌詞とストーリーなので、当たり前ですが、三大歌曲集をすべて網羅する女性によるものが中心になります。
コントラルトのナタリー・シュトゥッツマン、メゾソブラノのブリギッテ・ファスベンダーが見つかります。コントラルトはアルトよりも低い声域で、実際シュトゥッツマンを聴いていると、時に男性なみの低い音域がでてきます。メゾソプラノはアルトより高めですが、声質が明るすぎない場合の呼び方。そういう意味では、男性曲でも違和感は少ないかもしれません。
さらに、いろいろ探していたら、なんと黒人ソプラノのバーバラ・ヘンドリックスのCDが見つかりました。透明感のあるリリック・ソプラノと呼ばれるヘンドリックスが、どのように歌うのか大変に興味深いところです。
シューベルト以前にもリートは存在していましたが、芸術として後世に残せる域まで高めたのはシューベルトの功績であることは間違いありません。シューベルトを歌曲王と呼ぶことに何の違和感もない存在感があります。
歌曲集としてまとめられているもの以外に、膨大なリートが残されていますが、少なくとも三大歌曲集だけは、クラシック音楽好き、特にシューベルトがお気に入りならば絶対に避けては通れない作品群です。
自分も、やっとこれらを聴く力がついた気がして、クラシック愛好家としては確実にステップアップしたような気になっています。