2019年2月28日木曜日

ベジタリアン弁当



やせたい!! って思って菜食主義に走ることもあるし、中にはいろいろな信念に従って肉食を排除しているという方もいます。

栄養のバランスさえ崩さず食べるなら、何でもいいと言えばそれまでなんですが、実際ベジタリアンになろうとしてもメニューにはかなり四苦八苦すると思います。

今回、植物由来食材だけでできた、肉無し弁当を食べる機会がありました。

中高年が食べるものとしては、まったくOKという感じ。米飯を除けば、おそらく200kcal程度じゃないかと思います。当然ながら、お腹にもたれる感じはありません。

味は十分。塩味主体のあっさり系ですが、これがまた健康によさそうな気にさせてくれる。

ただし、若者が食べると、肉系がまったく無いのでガッツリ感に乏しく、逆に腹持ちがしない弁当となるかもしれません。


2019年2月27日水曜日

豊後梅

f/4  1/80sec  ISO-160  60mm

盆栽の豊後梅です。

蕾が膨らんできたので、この前の連休で自宅からクリニックの棚へ移動させました。

そしたら、気温が上昇して春めいた陽気が続いたので、先週末には満開になってしまいました。

今週は、一部散り始めたので、見頃は今週一杯でしょうか。

この鉢で春を迎えるのは3回目。去年は台風で、自宅の棚が崩れ落ち、この豊後の鉢も粉々という被害を受けました。何とか、接着剤とパテで修復したところ。

温かくなったら、植え替えをしてあげたいと思います。

2019年2月26日火曜日

本能寺ホテル (2017)

「プリンセス・トヨトミ」の鈴木雅之監督が、綾瀬はるか・堤真一のコンビで送る歴史ファンタジー(?)の第2弾。ストーリーは、前作との関連は無く、今回は綾瀬はるかを中心に展開します。

繭子(綾瀬はるか)は、普段から自分は「やりたいこと」が無く、自慢できる特技も無いと考えているような女性。勤めていた会社が倒産し、恭一(平山浩行)に言われるがままに結婚することになり、恭一の父(近藤正臣)に会うため京都を訪れました。

予約したつもりのホテルはミスで泊まれず、繭子は仕方がなく古びた佇まいの本能寺ホテルを見つけます。フロント係の老人(風間杜夫)に案内されエレベータで乗り込むとタイムスリップが起こり、ドアが開いた向こう側は何と1582年6月1日の本能寺でした。

暴君で知られる織田信長(堤真一)が逗留中で、繭子は信長の態度に腹を立ててその前に飛び出してしまいます。繭子は刀を抜かれて逃げ出し、危機一髪で再びエレベータに戻りました。

何が起こったのか混乱する繭子ですが、エレベータに乗ると再びタイムスリップします。森蘭丸(濱田岳)だけが繭子を匿ってくれるのですが、繭子は信長に「天下泰平を目指し皆が楽しく暮らせることを目指しているのに、あたなの部下はみんなあなたに戦々恐々として楽しそうじゃない」と言い放ちます。

繭子に興味を持った信長は、京都の町にお忍びで連れ出し、民衆が楽しそうに生活している様子を見せ、「お前はなにをやりたいのか」と尋ねました。「私は何もできないし、やりたいものがみつからない」という繭子に、信長は「できるできないではなく、やりたいかやりたくないかが大事」と話し、繭子は何かのヒントをもらいます。

日本人なら誰もが知っている「本能寺の変」は、天下統一を目前にした織田信長が、家臣の明智光秀の謀反により、本能寺で自害した歴史上の大事件。繭子は、今夜謀反が起こることに気がついて、歴史が変わってしまうかもしれないことに悩みながらも、ついに信長に「本能寺の変」のことを話し、この場を離れるように勧めてしまいます。

信長は、繭子の様子から未来から来た事を理解しますが、「天下統一は誰がしてもいい」と秀吉に後を託す手紙を書き運命を受け入れます。焼け落ちる本能寺から間一髪、現代に戻った繭子は、自分のささやかな「やりたいこと」を見つけることができ、前を向いて歩いていくのでした。

綾瀬はるかは、コメディ要素は濱田岳に譲り、比較的真正面から自分の生き方に疑問を持つ女性を演じています。それでも、現代人と戦国時代の人々とのギャップが自然とユーモラスな雰囲気を作るので、自然なギャグ的な要素を含んでいるところが綾瀬はるかにはぴったりな役どころ。

堤真一の織田信長は、あまりでしゃばらないところで、一般的な「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という残忍なイメージよりも豊かな人間性を描くことに成功しています。これをもっと砕けたキャラにしたのが、小栗旬の「信長協奏曲」かもしれません。

細かいことを言えば、時代を行き来する中で、特に現代のパートでは時間の流れに違和感を感じるところはありますが、許容範囲だと思います。このファンタジーを話として成立させるための、前作のような巨視的な大きなモチーフはありません。ここでは、一人の女性が自立する流れを、タイムスリップという手段を用いてより身近なものとして見せてくれます。

その分、映画としてのスケール感は少なめで、一般のイメージと比べて信長も「いい人」過ぎる感じもありますが、本能寺の変の前日に絞って話をまとめあげているので、だれるところはほとんどなく、2時間の間、程よい緊張感を持続できる作りになっていると思いました。

2019年2月25日月曜日

僕の彼女はサイボーグ (2008)

2008年は、綾瀬はるかが一気に飛躍した年と言えるかもしれない。前年のドラマ「ホタルノヒカリ」で人気に火がついて、実質的には劇場用長編映画ではこの作品で初主演。さらに、三谷幸喜の「マジックアワー」に出演し、アクション物の「」ICHI」でも主演、さらに「ハッピーフライト」でも準主役で登場しました。

この映画は、「猟奇的な彼女」で知られる韓国の郭在容(クァク・ジェヨン)の監督・脚本による日本映画です。綾瀬はるかの、とても女性らしい豊かな表情と、無機質なロボット的演技が見事で、それだけでも見る価値があるんですが・・・

ジロー(小出恵介)は恋人がいない、自分の誕生日に自分でプレゼントを用意する孤独な青年。それの前に、突然見知らぬ不思議な女性(綾瀬はるか)が現れます。彼女は、ものすごい食欲をみせ、ジローをあちこちに連れまわし楽しそう。そして、ジローの住む家の前で、以前の彼に「歩く姿も見たくない。二度と目の前に現れるな」といわれたと説明します。そして、「私は未来から来たの。もう帰る。さようなら」と言っていなくなってしまいました。

1年後、去年の不思議な誕生日の1日の出来事が忘れられないジローの前に、再び彼女が現れました。しかし、今回の彼女は去年と違って、愛想がない。レストランで食事をしていると、銃を乱射する錯乱した男が現れますが、ジローは彼女に助けられ間一髪脱出できました。

ジローの家に戻った彼女は、目からホログラムを映写して事の成り行きを説明します。61年後の世界で、年老いて死期が迫っているジローが、自分に降りかかるいくつか危険から守るためにアンドロイドの彼女を未来から送り込んだというのです。

生活を共にするうちに、少しずつ「心」を持つようになった彼女に、ジローは惹かれていくのですが、ついにあまりに乱暴な行動の数々に業を煮やして、「歩く姿も見たくない。二度と目の前に現れるな」と言ってしまいました。

彼女がいなくなって、心の空虚さが増していくジローでしたが、突然、東京大地震が発生し、街は全壊状態になり、ジローの身にも命が危険が迫るのでした。しかし、その時・・・

この映画・・・そもそもタイトルがまずい。サイボーグというのは、一般には機械などの力によって能力を強化した有機生命体を指す言葉。完全に機械的なものはロボットであり、人間に似せて作られたものがアンドロイドだと理解しています。映画を見ればわかりますが、主として登場する「彼女」はアンドロイドです。細かいことを言うなと言われるかもしれませんが、どっちかによって恋をするのかしないのか、大きな問題ですからね。

それと、いろいろなシーンは、どう見ても「ターミネーター」のぱりくでしかない。あまりにわかりやすいので、興醒めするしかない。それを許したとしても、せっかく盛り上がったラストのスペクタクルが終わった後延々と続く、謎解きの部分が・・・せっかく登場人物に気持ちを肩入れしたというのに、どんどん萎えていくのを止められません。

冒頭のシーンのほとんどを丸々また見させられるのは、芸が無さ過ぎる。始まりはジローの視点のカメラで撮影で、最後は彼女の視点からの撮影にはなっていますが、おそらく同時に撮影していたものだと思います。

120分の映画ですが、ラストは見ている人は何となく想像できていたことだと思うので、ポイントを絞って最低限にとどめて100分以内にまとめてもらえれば良かったのかもしれないというところです。

そんなわけで、妙に白けた気分で終わるのは、張り切った綾瀬はるかの好演に水を差す感じで残念です。

2019年2月24日日曜日

プリンセス・トヨトミ (2011)

マクガフィン・・・って、知ってますか。

ヒッチコックが、マクガフィンについて語っているのが有名なんですが、映画の中でストーリーを展開していくための動機付けみたいなもので、それ自体には意味は無い。そのことを気にする必要はなく、あくまでもきっかけ程度の物。

この映画では、騙されてしまいやすいのですが、実にタイトルそのものがマクガフィン。はっきり言って、「プリンセス・トヨトミ」なんてのは、どうでもいい。そこを理解して見ないと、まったく理屈の通らない、現実離れした絵空事であり、ダメダメの映画という評価になってしまう。

この映画の評価が二分している理由はそこにありそうで、自分も傑作とは思ってはいませんが、バカげた設定の中から意外な真理をついている部分があるように思いました。

会計検査院に所属するやり手の松平(堤真一)は、部下の直感型でおっちょこちょいの鳥居(綾瀬はるか)とニヒルで天才肌の旭(岡田将生)と共に、大阪にある社団法人OJOの調査に当たります。

OJOの奇妙な点に気がついた松平は、ふだんはお好み焼き屋の主人をしている真田(中井貴一)の案内で、OJOの中にある地下通路に案内されます。赤い絨毯がつづく真っすぐの長い廊下は、かつて豊臣が万が一の場合に脱出用に用意した地下通路の跡でした。そこで真田が語ったのは、驚きの話でした。

大阪夏の陣で、徳川は豊臣家を根絶やしにしたはずでしたが、一人だけ取り逃がしていた。豊臣の末裔が生き残ったことが、大阪の人々の心の支えになり、次第にその子孫を守っていくことのために「大阪国」という集団となっていきました。

その心は脈々と代々伝わり、現代社会でも大阪の人々は日本国民でありながら、精神的支柱である大阪国の人間として二重生活を送っていたのです。そして、OJO、つまり王女を守っていくことが大阪国民の使命なのです。

OJOは、大阪国の実務機関としての組織で、明治維新の際に大阪の財源提供と引き換えに明治新政府の幹部が「大阪国」の存在を認めることに署名していました。以来、隠れた存在として多くの国費がOJOに支出されてきたというのです。

大阪国民が見守る中で、「会計検査院としてはこの国費の使途については認めることはできない。税金がつぎ込まれている以上、日本国民にそれを知らせる必要がある」という松平に対して、真田との議論は白熱します。

大阪国民となる条件は二つで、一つは元服している年齢であること、そしてもう一つは父が死んでいること。父親は、自分の死期が近いことを知ると、息子を連れて赤い絨毯の廊下をを歩きながら、大阪国の話をして守るべきものを託す。ですから、父親に連れられてきた時と、息子を連れていく時の、一生に二回だけあの廊下にやって来るのです。

長い時間をかけて、父親と息子が話をすることは他には無い。だからこそ、そこで語られることは、どんなにバカげた話だとしても、信じることができる。そして、それが生きている意味となり、これからも守り続ける必要があるのです。

この映画のポイントは、この点に尽きる。親子で受け継ぎ守るべきものがあることが、秩序を生み出し、人としての生存理由の一つであるというのは、シンプルですがそれなりの説得力のある考え方で共感できる。

ただし、この映画の中では、父と息子に限定し、女性が排除されていることは現代社会にそのまま通用できる話とはいえない。せっかく壮大な荒唐無稽の設定をしておきながら、あと一つ足りないところを感じるのが惜しいところ(原作は未読なのでわかりません)。

松平は、大阪人の父親が亡くなる直前に息子に大事な話をしたがっていた記憶が蘇ります。しかし、松平は過去のいきさつから仕事を理由に父親を無視したのでした。松平は初めて父を理解することができ、そして無視したことを後悔し引き下がるのでした。

岡田将生にも、大阪との関連が出てきますが、残念ながら綾瀬はるかの鳥居には、コメディ要素としての存在以上の意味付けが乏しい。大阪に向かう新幹線の中で、鳥居はこどもの時に、富士山の裾野にたくさんの白い十字架を見たと話しています。そして、ラストでは、帰りに松平が白い十字架を目撃しました。

結局、これもマクガフィンの一つであり、大阪国の話とは直接の関連はなく、日本中に何かを連綿と守っている信念のようなものがあると暗示しているに過ぎません。綾瀬はるかは、話のめりはりをつける点では必要な存在なのですが、会計検査院側の人物が徳川に由来する役名をつけたからには、もう少し話の骨格への絡みが欲しかった。

マクガフィンはさりげなく使って、映画を見ている人は途中からは忘れてしまうくらいのものである方が効果的なのですが、岡田将生に最後に「さよならプリンセス」と言わせたりして、膨らませ過ぎているところが失敗ではないでしょうか。

監督はフジテレビの「世にも奇妙な物語」、「HERO」などを手掛けた鈴木雅之。この映画では過去を未来に導てきましたが、このあと続編ではありませんが、同じキャストで過去に戻る「本能寺ホテル」を作っています。ちなみに最新作が「マスカレードホテル」です。

2019年2月23日土曜日

インシテミル 7日間のデス・ゲーム (2010)

ホリプロ創立50周年を記念する映画で、出演者は全員がホリプロ所属のミステリー映画。監督は、「リング」で一躍有名になったホラー映画を中心に活躍する中田秀夫です。綾瀬はるか出演作としては、異色の一本と言えます。

昔は、芸能プロダクションというと例えば渡辺プロが圧倒的に力を持っていましたが、ホリプロは、70年代に一気に業界勢力図を変えました。その原動力となったのが、山口百恵であることに異をはさむ者はいないと思います。

中田ファン、または米澤穂信の原作を知っている人からは不評な映画です。自分としては、ホラー系はあまり好きじゃないし、原作は未読なので、豪華な俳優陣を楽しめました。やや最終解決が荒すぎるとは思いますが、映画にコンパクトにまとめるために推理よりもサスペンスを強調した感はありだと思います。

主として藤原竜也の視点で物語が進行し、好意を寄せる綾瀬はるかがヒロインという立ち位置になるのですが、基本的に「謎解き」があるので、あらすじはネタバレしない範囲にします。

フリーターでビビリの結城理久彦(藤原竜也)は、バイトを探していた時にコンビニでOLの須和名祥子(綾瀬はるか)に、不思議なバイトについてどう思うか声をかけられます。アルバイトの内容は、心理学実験で7日間密室に拘束されるだけで時給11万2千円というもの。興味が湧いた二人は、このバイトに参加します。

他の参加者は、
親からの虐待を受けた過去があるシングルマザーの関水美夜(石原さとみ)、
医学部を目指している学生なのに医者と名乗る大迫雄大(阿部力)、
その婚約者で今どき風の橘若菜(平山あや)、
疑心暗鬼をあおるような言動をする西野宗広(石井正則)、
一人殻に閉じこもっているような真木雪人(大野拓朗)、
実は連続通り魔事件の犯人である岩井荘助(武田真治)、
世田谷のマダム風を装う弁当屋を営む渕佐和子(片平なぎさ)、
そして息子が以前このバイトに参加して死んだという安東吉也(北大路欣也)です。

参加者に課せられたのは、7日間生き残ることだけ。何か事件が起こった場合、探偵役になって解決すれば報酬は倍。また、犯人になった場合も、そして死んだ場合も報酬が増えるというのです。

夜はそれぞれの個室から出てはいけないルールで、彼らを監視するガードと呼ばれる巡回ロボットがずっと警戒しています。また、それぞれの個室には人殺しができる様々なアイテムが一つずつ用意されていました。

この死のゲームが開始された当初は、10人はお互いを信用して黙って7日間を過ごそうと話し合うのですが、翌朝、西野が死んでいるのが発見されるところから、残りの9人の心の平衡が崩れ始めます。

虚栄心の強い大迫は探偵役を買って出て、なかば強引に岩井を犯人としたため、岩井はガードにより強制的に監獄部屋へ隔離投獄されます。しかし、次々と参加者が死体となり、お互いを疑い合い残った者の恐怖は増幅する一方でした・・・

参加者全員が集まれる部屋に置かれているのはインディアン人形で、A・クリスティの名作「そして誰もいなくなった」のモチーフ。それぞれの殺人アイテムにも、有名な推理小説にちなんだものが用意され、推理小説ファンからするとニヤっとしたくなる。

映画では、あからさまに犯人がわかる場合もあるし、そうでない場合もある。犯人が誰かという事よりも、精神的に追い詰められていくことで殺人をも行ってしまう怖さに主眼を置いています。

そして、今を時めく綾瀬はるかと石原さとみの若手二大女優の共演は、キャラが被っているところがあるので今後も期待できないので貴重。二人とも謎の多い役柄で、ふだん演じているものとは異質で見所になっています。

最後にこの不思議なゲームが行われる理由も説明されますが、はっきり言ってリアリティは無く、期待通りと期待通りではない結末が半々で混ざっている感じがします。しかし、もともとが非現実的な設定ですから、登場人物の心理的な恐怖を拾い出せれば成功という映画。そういう意味では、下手するとバタバタと人が死んでいくだけの映画との境界は紙一重ですから、もう少し時間をかけてもらいたかったというところはあります。

2019年2月22日金曜日

おっばいバレー (2008)

綾瀬はるか主演の青春コメディ映画。監督はブジテレビ系の「海猿」、「MOZU」などを手掛けてきた羽住栄一郎。

軟弱男子中学バレーボール部員から「試合で勝ったらおっぱい見せて」と言われて、困惑しながらも奮闘する女性教師を通して、皆が成長していく話で、コメディ要素は主としてこどもたちが担当。

もちろん、綾瀬はるかがおっぱいを出すはずはありませんが、ブルーリボン賞主演女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞し、けっこう見れる映画になっています。

思春期の性に興味を持つバカっぽい中学生。そこへ赴任してきた新人教師の寺嶋美香子(綾瀬はるか)は、彼らの所属する男子バレーボール部の顧問をすることになります。ところが、バレーボール部というのは名ばかりで、まったくバレーはしたことがなく、集まってバカをしているだけの連中。

奮起を促す美香子に、彼らは「勝ったらおっぱい見せくれ」と頼み、美香子が返答を言いよどんでいるうちに、その気になって頑張り始めます。そんな彼らを指導しているうちに、美香子も後に引けなくなってしまいました。

ところが試合の直前に、その約束が噂で広まってしまい、美香子は好調から真相を迫られます。部員たちは、自分たちが勝手に言い出したことだと説明しますが、美香子は了承したと言い責任は自分にあると認め退職することになるのでした。

実は、美香子は前に勤務していた学校で、こどもたちと一緒にライブに行こうと言ったことを責められて、自分はそんなことは言っていないと釈明してしまった結果、こどもたちの信頼を失った苦い経験をしていたのです。

試合当日、美香子がいないバレーボール部員は元気なく第1セットを失います。そこへ、自分の信念に対して自信を取り戻した美香子が応援に駆け付け、第2セットを奪い返しますが、最終セットは力尽き試合は負けてしまいました。

でも、彼らはがんばることを勉強し、負けても前に向かう力を得ることができました。美香子も、新たな気持ちで教師を続ける勇気をもらいました。去っていく美香子に、部員たちは精一杯の見送りをするのでした。

もちろん、ほぼ経験ゼロのチームがちょっと頑張って勝てるわけはなく、今どきは「おっぱいを見せる」なんて不適切な指導としてやり玉に挙げられるのは当然で、ストーリーとしては荒唐無稽みたいなところがあって突っ込みどころは満載。

でも、舞台を70年代に設定し、街中のシーンでは走っている車がみんなレトロなものなのには驚かされます。使われている音楽も、当時のヒット曲がどんどん出てきます。青春ドラマが大人気だった時代ですから、こんな展開も中高年には懐かしく受け入れやすい。

綾瀬はるかの好演だけでなく、市毛良枝、仲村トオルらのベテランが端役で要所を締めているのもあって、うまくまとめ上げられた映画となっています。

2019年2月21日木曜日

高台家の人々 (2016)

綾瀬はるか主演のラブ・コメディで、監督はフジテレビの土方政人。この監督は、ほとんどテレビの仕事をしている人で、映画は他に「謎解きはディナーのあとで」だけ。

綾瀬はるかの映画は、目下のところ最新作は「今夜、ロマンス劇場(2018)」ですが、これをラブ・ファンタジーとするなら、ギャグ満載の綾瀬のコメディ映画としてはこちらが一番新しい。

原作はマンガで未読ですから、違いはわかりません。でも、はっきり言えば、ロマンスをきれいに、そして重たくまとめ過ぎで、そのために前半のドタバタが浮いてしまっています。前半のドリフ並みの笑いの勢いを、全体に持続できればそれなりに良かった。あるいは薄いギャグにして、全体の品を保つべきだったのではないかと思います。

高台家のイギリス人の祖母アンと日本人の祖父茂正は大恋愛の末に結婚し、日本でセレブな生活をする息子の茂正Jr(市村正親)には、家柄を重んじる妻の由布子(大地真央)、長男の光正(斎藤工)、長女の茂子(水原希子)、次男の和正(間宮祥太朗)がいます。高台家には秘密があり、実はアンは人の心が読めてしまう「テレパス」という力を持っていて、孫たち3人にもその力がありました。

会社では光正は、女性社員の憧れの的でしたが、光正は彼女たちの心が読めてしまうので、その薄っぺらの恋愛観に辟易していました。ある時、地味な平社員の平野木絵(綾瀬はるか)の心を偶然読んでしまった光正は、そのあまりにぶっ飛んだ妄想に興味を持ちます。

ふだんから人の心が読めることを晒すことを恐れていた光正ですが、木絵の純粋な心に惹かれ、二人はついに婚約します。しかし、由布子からは家柄が違うと反対され、またテレパスのことを告白すると、木絵は姿を消してしまいました。しかし、いろいろ悩んだ末に木絵は、すべてを受け入れる覚悟で、光正のもとに向かうのでした。

・・・と、まぁ、こんだけの話。人気の綾瀬はるかは可愛いねとか、斎藤工がかっこいいねとか、そういうところで見ていれば特に不満は無いのかもしれませんが、映画としてはねぇ・・・やはり監督の本来のフィールドであるテレビ・ドラマでやった方が良かったんじゃないのかなと思います。

2019年2月20日水曜日

ハッピーフライト (2008)

今どきの女優さんの中では、どんな役でもこなせて、演技力でも評価が高い綾瀬はるかはトップクラスに位置していることに異論をはさむ方はいないと思います。ふだんのインタヴューなどでの天然系のキャラクターは、好感度を上げることにも役立っていますし、その雰囲気を持ち込んだコメディでの演技もなかなか魅力的。

綾瀬のコメディエンヌとしての演技が、映画で見れるのは木村拓哉主演の「HERO(2007)」あたりが最初で、端役ですが印象を残しました。実際この頃にブレークした感がありますが、主役の一人として、最初に活躍したのが「ハッピーフライト」です。

とはいえ、空港で働くさまざまな人々のどたばたの1日を描いていて、全員が主役みたいな映画です。監督はフジテレビ系の矢口史靖で、「ウォーターボーイズ」、「スイングガールズ」など、最近では「サバイバル・ファミリー」で知られています。

綾瀬はるかの役どころは天然でどじをしまくる新米のCAで、そのちょっと先輩が吹石一恵、鬼の上司が寺島しのぶ。機長昇格に臨むパイロットは田辺誠一、その訓練教官が時任三郎。

クランド・スタッフは田畑智子、平岩紙、その上司に田山涼成。オペレーション・コントロール・センターは肘井美佳、昼行燈みたいな上司に岸部一徳。そして新米整備士、厳格な上司に田中哲司。乗客には、笹野高史、菅原大吉、バードパトロールはベンガル、管制官に宮田早苗などなど。

どの部署に興味を持つかは見る人それぞれの好みですが、やはり機内のCAとパイロットが中心になるのはしょうがない。綾瀬はるかは、初フライトで失敗ばかりで、上司に怒られ自信を失いかけますが、特技が活きて皆の窮地を救います。きっと、仕事に慣れて自信を深め、良い先輩CAになっていきそうな感じです。

ストーリーは書くほどではなく、綾瀬、田辺らが乗り込んだ飛行機がバードストライクにより、エンジントラブルに見舞われ引き返すことになり、嵐の空港は大騒ぎになるというもの。それぞれの部署での、バタバタ振りを比較的リアルな描き方で見せていきます。

つまり、物凄く大事件というほどの物は起こりませんが、飛行機の運行に携わるすべての人たちを、100分という限られた時間の中で、丁寧に描出していると思います。実際の現場でも日常的にありうる話という感じが好感を持てます。空港が好き、飛行機が好き、そして綾瀬はるかが好きという方は見て損はありません。



2019年2月19日火曜日

鉄道員 - ぽっぽや (1999)

高倉健の東映任侠物の時代を知らない自分にとっては、平成になって健さんの映画の中の存在感をあらためて確認させてくれた映画が、浅田次郎原作、降旗・木村・高倉の鉄壁のトリオによる「鉄道員」でした。

亡くしたこどもの幽霊が、人生の終わりが近づく鉄道一筋の男の元に会いに来るというファンタジー。これを「バカげている」と思うか、単なる夢話と思うか、あるいは「そんなことがあってもいいじゃないか」と思うか・・・そんなことがあれば、とっても幸福なことだと思って見ることができるなら、任侠物後の健さんのベスト・ピクチャーと呼べるかもしれません。

映画の舞台は、北海道の真ん中あたり、かつて炭鉱で盛った幌舞。これは、架空の町で、JRには幌舞線も幌舞駅もありません。昔、機関車の釜焚き、そして現在は幌舞駅のたった一人の駐在駅員である駅長の佐藤乙松(高倉健)は、定年が迫っていました。幌舞線もまた廃線が決定している最後の正月を迎えようとしていました。

乙松の妻の静枝(大竹しのぶ)は数年前に亡くなりましたが、鉄道一筋の乙松は妻の臨終の際にも駅に立っていました。さらに、思い出されるのは高齢でやっともうけた一人娘の雪子の事。雪子は生まれて間もなく、肺炎により亡くなっていたのですが、この時も乙松は駅を離れることができませんでした。

若い頃からの乙松の仲間の仙次(小林稔侍)は、定年後の再就職先を決め、乙松にも一緒に誘うつもりで、おせち料理を携えて大晦日に幌舞駅にやってきます。しかし、仙次の説得にもかかわらず、乙松は「俺にはぽっぽや以外はできない」と頑なに断るのでした。

仙治が酔って寝込んだ頃、見知らぬ少女が人形を持って駅に現れます。乙松は名前を尋ねますが、はっきりしたことを言わないうちに人形を忘れていなくなってしまいました。それからしばらくして、もう少し大きな女の子が現れ、妹が忘れた人形を取りに来たというのでした。でも、乙松をからかうように笑って、また人形を置いていなくなります。

翌朝、仙治は考え直すように言って始発に乗って帰っていきました。夕方になって、高校生くらいの女の子(広末涼子)が現れます。乙松は、正月でお寺の祖父母のもとに来た三姉妹だと思います。女の子は鉄道のことに詳しく、乙松が夕方の上り列車を見送っている間に夕飯の支度をして乙松を驚かせます。

ちょうどそこへお寺から電話があり、孫たちは来ていないということを知った乙松は、女の子に「雪子なのか。成長してきた姿で順に会いに来てくれたのか」と尋ねます。人形は、乙松が雪子のために買ったもので、静枝が人形用にちゃんちゃんこを縫って着せたものだったのです。

乙松は、鉄道の仕事のために何もできなかったことを詫びるのですが、雪子は「お父さんはぽっぽやなんだから、しょうがないよ。ありがとう、お父さん。私は幸せだよ」と言って乙松を責めません。そして、人形を持って消えていくのでした。翌朝、除雪のためのラッセル車が幌舞駅に到着すると、駅のホームにはすでにこと切れた乙松が倒れていました。

映画では、雪子の霊が乙松の人生をすべて許して、幸福な気持ちで死んでいけるように導いていくように思います。でも、乙松はもう一人、静枝にも負い目を抱いて生きてきたのです。静枝は、乙松を認めてくれていたのでしょうか。

映画の中で静枝が口ずさむ曲は、アメリカの名曲懐メロである「テネシー・ワルツ」です。乙松と静枝の夫婦愛を示す場面で何度も登場し、時には健さんも口ずさみます。

実は、この曲は江利チエミのデヴュー曲です。江利チエミは、高倉健の妻であり、やむをえない事情で離婚し、1982年に急死しました。死後、健さんは毎年の墓参を欠かさなかったと言います。健さんが、プライベートでもずっと背負ってきたものと、乙松が妻と娘の死に対する気持ちを重ねる演出は・・・ずる過ぎる。

そこに気がつくと、いつもよりもやたらと涙腺が緩い健さんが見えてきます。静枝からも許されていることを通じて、江利チエミの死から気持ちを開放させてあげたいという、映画仲間からのメッセージが込められているのだろうと思います。

健さんは、昔の東映時代の映画作りの仲間が定年で続々映画界を去っていくなかで、もう一度最後に一緒に仕事をしたいという願いを聞いて出演を決意しました。「ぽっぽや」を「映画屋」と変えて見ると、公私取り交ぜた高倉健の集大成という見方もあながち間違いではなさそうです。

2019年2月18日月曜日

あ、うん (1989)

これも、降旗・木村・高倉トリオによる作品ですが、原作は向田邦子。もともと、1980年にNHKドラマとして向田邦子が脚本を書き、その後小説化したもの。

開頭一番、美しい花々が画面に溢れかえり、木村のカメラの見事な映像にうなります。そして、昭和12年を舞台にして、雑巾がけをする高倉健が早速登場します。

この瞬間の違和感・・・

う~ん、どうしたらいいんでしょうか。健さんとしては長髪でポマードで固めた髪型。会社社長ですから、スーツでびしっと決めてるんですよ。また、よー喋るんですね。

それと、なんで、なんでしょうか。メイン・キャストですけど、任侠物で「仲間」だった久しぶりの共演となる富司純子は女優の格としてはいいとして、もう一人の主役が板東英二ってのは・・・板東英二を俳優と呼ぶのには、かなり抵抗があります。何故ここに「素人」が選ばれるんですかね。

新しい健さんの映画だから、ってことで納得できる方もいるかもしれませんが、やはりここで健さんが演じているのは、やはり「不器用に実直」にしか生きられない男です。箱が変わっても、健さんは健さんなんですが、どうにもその箱の作りが甘すぎます。

向田邦子ですから、基本的には変則的なドラマになる人間関係があって、コメディ要素を盛り込みながらストーリーが進行していきます。へらへら、にやにやする健さんが見れるのはこの映画の価値かもしれませんけど。

戦友の門倉(高倉健)と水田(板東英二)は、家族以上の付き合い。軍次産業特需で景気が良い社長の門倉は、何かにつけて水田一家の面倒を見ていて、水田はそれを遠慮なく受けている。

門倉は水田の妻、たみ(富司純子)に惚れているのだが、水田も感じているが、それを理由に門倉に世話になってばかりいることを正当化しているようだ。水田が芸者に入れあげてたみに相談された門倉は、芸者を囲って水田から遠ざけます。

それをきっかけに二人の友情は少しずつ歪んでしまい、たみへの思いも深まることを恐れた門倉は、水田に絶交と言わせるように仕向けるのです。

一番、役がはまっているのは、健さんの奥さん役の宮本信子。門倉のたみに対する思いはわかっていて、それを出したり出さなかったりしながら、門倉や水田一家に接するあたりの微妙な機微を、表情や仕草で演じる所はさすがです。

狛犬の阿と吽になぞらえた男同士の友情と、プラトニックな三角関係をうまく作り上げた向田ワールドはさすがです。配役を考えなければ、映画としての完成度はそれなりにあると思いました。

2019年2月17日日曜日

夜叉 (1985)

高倉健主演、降旗康夫監督、木村大作撮影となれば、間違いなしの「健さん映画」なんですが、困ったことに嫌いな任侠物の残り香みたいな映画。

「居酒屋兆治」が終わって、次回作となる本作を準備中に、黒澤明監督の「乱」へのオファーがあったことは有名な話ですが、降旗組への礼節を重んじた健さんはこれを断りました。

この映画では、役柄はかなり名の通ったヤクザでしたが、今は堅気になって漁師をしている男。ところが、背中には昔の名残りである、夜叉の刺青が彫られている。回想シーンでは、ヤクザらしい場面が多々出てくるのですが、昔の映画と違うのは、かなりモダンなところもあって、ボルサリーノ帽をかぶってスーツで決める。帽子をボトルにひょいとかけて、ジャック・ダニエルスをくいっと一杯。日本刀も使うけど、拳銃で手っ取り早く終わらせたりもします。

この映画の特徴の一つは、全編にわたってBGMは佐藤允彦とトゥース・シールマンによるジャジーな曲が流れていること。最後のテーマも歌のはナンシー・ウィルソン。ジャン・ギャバンのギャング物が日本海の荒波を舞台にしたみたいなところがあって、こういう荒々しいけど物悲しい風景が木村大作のカメラとぴたっとはまっているわけです。

大坂ミナミでかつて知られた修治(高倉健)は、組を抜け十数年、妻の冬子(いしだあゆみ)の実家で今は敦賀の漁師として、背中に夜叉の彫物はひたすら隠して平穏な生活をしていました。

ある日、そこへミナミから流れてきた蛍子(田中裕子)が居酒屋を始めます。さらに情夫である矢島(ヒートたけし)がやってきますが、矢島は漁師連中を賭けマージャンに誘い、さらに麻薬を売りつけていくのでした。修治の友人の啓太(田中邦衛)も、その誘いにのせられ家の金をつぎ込んでしまいます。

修治の意見で蛍子は矢島の麻薬を棄ててしまうと、矢島が包丁で町中を追いかけまわす大騒動になります。止めに入った修治に矢島が切りつけたことで、衣服が裂け背中の彫物が露わになります。町の人々の修治に対する態度も変化していき、どこかで同じ空気を感じあう修治と蛍子は惹かれ合うようになります。

義母(乙羽信子)は、「夜叉は修治の背中にあるだけじゃない。心の中にいるんだよ」と言った通り、蛍子に頼まれ薬の金を払えず捕まっている矢島を助け出しに、修治はミナミに向かうのでした。挨拶に出向いたかつての姉御からは、「何かするならけじめをつけなきゃいけないのは私。気のすむように見物したら海へお帰り」と言います。

修治は矢島を捕まえている組に乗り込み連れ出しますが、結局矢島は昔の弟分(小林稔侍)に殺されてしまいました。弟分は「すまねえ。でも、こうしないとここで生きていけない」と泣いて詫びます。

修治は町に戻って蛍子に矢島が死んだことを伝えると、蛍子は町を出ていきました。夜行に乗った蛍子は、急に吐き気を感じます。つわり?・・・蛍子は夜叉を思い浮かべうっすらと笑みを浮かべるのでした。そして、修治は再び漁師としての生活に戻りました。

よく健さんのキャラクターは、「生きていくのが不器用」と表現されることがあります。一つ事にこだわり、なかなか自分を変えることができない。でも、見方を変えると、優柔不断で決断を迫られても、「これしかできないんで」と言い訳して逃げているようにも見えます。

夜叉の刺青を隠していたのは、もしかしたらいざとなったら元に戻れる保険のようなものだったのかもしれません。でも、すでに「夜叉の修治」は終わった人間でした。昔の世界に戻ることはできず、ずっと苦しくても心の中を封印し続けなければならないのです。

妻の冬子に対して、修治を過去に引き戻すのは夏の蛍。蛍子は、心のどこかで漁師になり切れていない修治の隠れた願望を具現化する魔性の女であり、本当の夜叉なのかもしれません。

2019年2月16日土曜日

八重咲の梅

f/5.6  1/400sec  ISO-100 160mm

暖冬で例年ほどではないとはいえ、寒い寒いと思っていますよね。来週からは、天気予報は春めてい来るらしい。

ちょっと周囲を眺めて見ると・・・すでに満開の梅の木を見つけました。

この品種は八重咲で、一見、桃の花とよく似ています。桃は開花はもっと遅いし、花びらの先がもう少し尖っている。

東風吹かば匂いおこせよ梅の花・・・と菅原道真が詠んだ梅は、たぶんこの八重咲の梅だったんではないかと。

春を迎えるの準備は、着実に進んでいるということですね。

2019年2月15日金曜日

神様は乗り越えられない試練は与えない

・・・私は神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています

本当に、これには素直に感動した。

18才の女の子から出てくる言葉として・・・・凄すぎると思います。

年を取って涙もろくなってきたのか、池江璃花子さんのコメントには心が揺さぶられる思いでした。

最近、最も衝撃的なニュースですが、キャッチャーな話題をブログに書くのはあまり好きではありません。また、医者ではありますが、白血病が専門ではないので、安易にどうこう言える立場ではありません。

ですが・・・

リオで結果を出せなかったこともあり、東京にかける思いは人一倍あるんだろうと思います。この微妙な時期に、「なんで私が」と悲嘆にくれるだけなのが普通のはず。

ところが池江璃花子さんは、すでに前を向くだけでなく、あきらかに進みだしている。

こんなすごい人を生み出した「平成」という時代も良かったと思えます。日本人として、絶対に治ってもらいたい。また、活躍する姿を見せてもらいたいと心から願います。

2019年2月14日木曜日

第25回田園都市リウマチフォーラム


昨夜は、田園都市リウマチフォーラムの会合で、この会も25回目になります。

昨今は、製薬会社はユーザーである医師との癒着の疑いをもたれないように、どんどん自主規制を強化しています。それはそれで正しい事ではあるんですが、製薬会社がスポンサーになっている小さい研究会は、風前の灯火状態。

最近では、大きな学会ですら、運営方法を考え直す必要に迫られているような状態もあります。本来は、医師が主体になっている学会や研究会は、全ての運営を自分たちだけで行うのが筋ですが、現実には自分たちだけでは難しい。

田園都市リウマチフォーラムは、自分たちが「リウマチ診療の中で日々疑問に感じることを勉強したい」という主旨で始めました。幸いにも、現在のスポンサーとなっている製薬会社は、最大限理解していただけているので感謝しかありません。

今回は、リウマチ診療上、必要不可欠なメソトレキサート(MTX)に関連して発生することがあるリンパ腫の問題を取り上げました。MTXは21世紀になって使われ始め、しだいに使用量が増えてくるにしたがって、リンパ腫の発生頻度が増えています。

10年くらい前から、このことに気がつき警笛をならすようになった一人が、今回の講演会の講師をお願いした埼玉医科大学教授の得平先生です。先生は、「この数年は、このテーマで話したとき、聴衆側の医師たちの反応がよくなった」と実感していると言っていましたが、自分も含めて経験することが増えたということだと思います。

これらの問題はMTXの副作用の一つと考えられ、メソトレキサート関連リンパ増殖性疾患という概念でまとめられますが、実は今でもまとまった教科書記述を探すことは困難です。特に日本人に多いことが指摘されていて、私たちは断片的な情報から試行錯誤している状況です。

得平先生は、日本の中でもこのテーマに関して位置にを争うトップ・ノウレッジをお持ちで、この疾患の概念啓蒙に尽力されていて、今回もわかりやすく知識を整理していただけました。聞いた内容を、日常診療に生かせるようにがんばります。

2019年2月13日水曜日

リアル~完全な首長竜の日 (2013)

ホラー映画を中心に活躍し、コアなファンが多い黒澤清監督による作品。乾緑郎によるSF小説で、第9回「このミステリーがすごい!」大賞の大賞受賞作である「完全なる首長竜の日」を原作としていますが、主だった設定を引き継ぎながらもほぼ別の話というくらい改変しているらしい。

メインのモチーフは、米映画「インセプション(2010)」で注目されたアイデアで「他人の意識の中に入り込み、仮想現実空間で対話する」というもの。世界レベルのVFXをうまく使いながら、主演の綾瀬はるかと佐藤健の二人芝居を中心に進行するストーリーは難解で、個人の感じ方によって映画を受け入れられるかどうかずいぶん違ってくると思います。

冒頭、人気漫画家として活躍する和淳美(綾瀬はるか)は、自宅のマンションで幼馴染で恋人の藤田浩一(佐藤健)と食事をしています。淳美は「昔からずっと一緒だったみたい」と言い、浩一は「これからもそうだよ」と答えます。

1年後、浩一は先端病院で淳美の心の中に入り込む「センシング」を行うことになります。1年前に自殺未遂を起こしずっと意識が戻らないため、和美の意識の中に潜入し自殺の原因を確かめ何とか回復させることが目的。

意識の中で淳美は、締め切りに追われて漫画を描き続けており、浩一に「こどものときに渡した首長竜の絵を探してほしい」と頼みます。何度かのセンシングにより、和美の潜在意識の中でみた光景が、しだいに浩一の現実の中に混入し始めてきます。

ある日、何と驚いたことに淳美からセンシングを依頼さてきたという連絡を受け、浩一は病院に急ぎます。この中で、絵が見つからないことを伝えさらに混乱を深くした浩一はマンションに戻って、首長竜の絵を自ら書きはじめます。

そこへ淳美が部屋に入ってきて、「やっと会えたね。絵が描けるようになったね」と言います。実は、自殺未遂をして昏睡状態が続いている漫画家は浩一の方で、センシングで意識の中に入ってくるのは淳美だったのです。

自殺未遂は単なる事故だったことがわかりますが、浩一の心の中にはかつて自分をいじめてくる友人が海で死んだとき、それを見捨てて逃げたことが深くトラウマになっていました。その友人を、首長竜の絵に託して封印していたのです。

友人は浩一を死の世界に連れて行こうとしたため、現実の浩一は脳死状態に陥ります。淳美は最後のセンシングを試み、浩一の意識に入ると、必死に浩一を呼び止めるのでした。それに怒った友人は首長竜になり二人を襲って来ます。

何とか首長竜の怒りを鎮め、浩一は「昔からずっと一緒だったみたい」と言い、淳美は「これからもそうだよ」と答えます。現実の浩一も回復に向かい、ついにゆっくりと目を開けるのでした。

この映画では、前半と後半が鏡面構造のように展開します。仮想現実の映画だと、その境界が見ていてよくわからないことが多いのですが、この話ではセンシングのオンとオフがわかりやすく、しだいに混乱していく現実というのも受け入れやすい。

ただ、そのことをうまく利用して、前半の浩一だけの想像の世界を本当のようにうまく「だます」ことに成功しています。そのために、後半の「真実」の話へ違和感なく突入していけるのです。

前半、浩一が車を運転するシーンで、車の外の景色をあきらかにスクリーンプロセスによっ映しています。CGなどが活躍する前の手法で、実際に演じている後ろに風景の映画を映して一緒に撮影するというもの。そのくらいの予算をけちるはずがないので、これはいったい何だろうと思わせます。医者の怪しげな行動も不思議。これらのすべてが、浩一の意識下の仮想現実であることを暗に匂わせていたわけです。

一度見ただけでは、なかなか理解しにくい映画ですが、演技力のしっかりした二人の若手俳優によって、VFXだけに頼らない見ごたえのある作品に仕上がっていると思いました。

2019年2月12日火曜日

今夜、ロマンス劇場で (2018)

目下のところ、綾瀬はるか主演の映画としては最新作で、数々の名作映画へのオマージュを込めた武内秀樹監督作品。

白黒映画の世界から現実社会へ抜け出た「姫」は、映画監督志望の青年との恋に落ちるのだが、彼女は人の温もりに触れると消えてしまう運命だった!!

・・・という、何ともすごいファンタジーなのですが、初めは綾瀬はるか得意のコメディ要素満載なのですが、いつの間にか二人の切なすぎるストーリーにはまってしまいます。

死期が近づいている牧野老人には、いつも見舞いに来る孫がいますが、彼女は老人(加藤剛)が転びそうになっても支えたり助けたりしないらしい。老人は、入院している病院の担当看護師にせがまれて、昔書いた映画の脚本の話をすることになります。

通っていた映画館、ロマンス劇場で古い廃棄されるフィルムを見つけた健司(坂口健太郎)は、その中に登場するお転婆な姫、美雪(綾瀬はるか)に恋をしてしまいます。嵐の晩、落雷が落ち停電すると、何と映画の中の美雪が白黒のまま健司の目の前に現れました。

美雪は、健司を下僕と呼び、やりたい放題。健司は働いている映画会社のメイク室に美雪を案内して、化粧で色を付けるようにしました。そして、美雪にいわれるがままに、いろいろなところへ連れていく健司。

健司は、美雪とのことをそのまま映画の脚本にまとめあげていきます。いつしか、健司は自ら美雪に見せたい景色をいろいろと案内するようになっていきます。

そして、ついに「ずっとそばにいてほしい」と告げますが、いつも映画の外から自分を見ていてくれた健司に会いたくて飛び出してきたけれど、人の温もりに触れると私は消えてしまうと言い残して、健司の元を去っていくのでした。

美雪は健司に片思いの映画会社社長の娘、塔子(本田翼)に、健司の事を頼むと託します。しかし、塔子は健司に美雪の本当の想いを伝え、そけを知った健司は美雪のいるロマンス劇場へ向かいました。そして、美雪は、最後に私を抱きしめて欲しいと言います。健司の手が美雪の肩に伸び・・・牧野老人の脚本はそこで終わっていました。

老人の自宅で、孫が昔の写真を懐かしそうに眺めていると、そこへ老人の危篤の電話が入ります。孫と思われていたのは、実はずっとずっとお互いに触れることなく、でも本当に幸福な日々を一緒に過ごしてきた美雪だったのです。

牧野健司は、美雪を抱くことをこらえて、それでもずっとそばにいてくれさえすればいいという選択をしたのでした。病院に駆け付けた美雪は、初めて健司の体に触れ、そして健司の命の灯と共に静かに消えていきました・・・

初めのうちは、美雪のハチャメチャに笑い、健司の男として何とも情けないところが目立ちます。しかし、だんだん、この絶対に成就できない恋の応援団員になっていく自分に気がつきます。でも、どう考えても結末は、最後は消えていく姫を追いかける王子しかありません。

健司が美雪に触れようとした瞬間に、話は現実に戻って年老いた老人(名優・加藤剛さんには申し訳ありませんが)のアップ・・・って、いやいやそりゃないでしょうと、がっかりさせておいて、さらに次の瞬間、病室に見舞いに来た「孫」が美雪!! というのは、「いゃーその手があったか」という感じです。

綾瀬・坂口のカップルのイメージから、しだいに坂口だけが年老いていく回想をおり込んでいくことで、綾瀬・加藤のカップルになっても見ていて気持ちが途切れない工夫がうまい。あまりにもプラトニックで、究極的な無償の愛とでも言えるような荒唐無稽な話ですが、このクライマックスは涙無しでは見られませんでした。全編にわたって、たくさんの色彩をこれでもかっていうくらい散りばめた画面も見所でしょうか。

2019年2月11日月曜日

ICHI (2008)

勝新太郎の当たり役である座頭市を女性に置き換えたリメイク作品・・・ていうより、座頭市にリスペクトして「目が見えない剣術使いの女性」を描いた映画。

監督は、曽利文彦。この人は「ビンポン」で映画監督デヴューし、実写版「あしたのジョー」、最近では「鋼の錬金術師」を監督した、TBS出身の主としてCGクリエイターとして活躍している。

VFX系の人は、時にその創造力に頼り過ぎるきらいがあるんですが、現在のコンピューティング技術をもってしても、あくまでも映画で演技をしているのは生身の俳優であり、その魅力以上のものではありません。

「ピンポン」は元々の原作漫画がよくできていて、実写化にあたって現実に演じきれない部分をVFXでうまくカバーしていたと思いました。しかし、今回は原案といえる座頭市のキャラクターはあっても、ストーリーはオリジナルに近い。

いくつか目を引く演出はあり、殺陣シーンでのVFXも多少の見所なんですが、ストーリーの進行自体が当たり前すぎて脚本の詰めの甘さみたいなものが目立つのが残念です。

瞽女は、主として北陸地方を中心に、明治時代まで三味線を持ち歩き門付巡業をした盲目の女旅芸人で、売春をおこなうこともありました。一人で門付をするはなれ瞽女の市(綾瀬はるか)は、自分に剣術を教えてくれた恩人(父親?)を探す旅をしています。

折れた剣で母を失明させたことから、腕は確かだが剣を抜くことができなくなった浪人の十馬(大沢たかお)は、実際はチンピラを市が斬ったのですが、勘違いから宿場を仕切っている白河組の用心棒に雇われます。

宿場の近くの岩場に本拠をおく悪党の万鬼党の首領の万鬼(中村獅童)は、元々出世が期待されていた武士ですが、顔半分の火傷のため落ちぶれていました。

市は万鬼が探している人物を知っているのでないかと考え、一人万鬼党に乗り込みますが、逆に捕まってしまいます。十馬は市を助け出し、白河組二代目の虎次(窪塚洋介)らと共に万鬼党との決戦に挑みます。

どうしても剣が抜けない十馬ですが、いよいよ万鬼との一騎打ちとなり剣を抜くことができました。しかし、相討ちとなり十馬は倒れます。市が駆け付け、立ち上がった万鬼を倒します。十馬のおかげで、生きる意味を少しだけ見出した市は、また旅を続けるのでした。

という感じの話なんですが、見るべきものは綾瀬はるかの一点。勝新太郎と違いずっと眼を開いている演技なんで、これはこれで大変。また、アクションもこなせることを証明してみせます。ただし、目を動かせない、表情もほとんど変えない、セリフもほとんどない寡黙な役回りでは、汚い格好をしていても綾瀬はるかは可愛い以上にはなりません。

実質的な主役とも言えなくはない大沢たかおも、おどおどした間抜けな面が強調され過ぎていて、最後にすっと剣を抜いて戦うのは「かっこいい」けど違和感があります。そもそも、市抜きでの最終決戦というのもがっかり。最後に手負いの万鬼を倒しても、なんかなぁという感じ。

綾瀬はるかというと、どうしても「天然」的な印象があり、またそれをうまく利用したコメディエンヌとしての役柄が多いので、こういうシリアスな演技はじっくり見るのには貴重なんですが、監督・脚本が平凡で映画全体としては低評価と言わざるをえないのは残念です。

2019年2月10日日曜日

野生の証明 (1978)

高倉健のアクション映画とくれば、「新幹線・・・」、「君よ憤怒・・・」に続いて、監督は佐藤純彌。当時「犬神家の一族」、「人間の証明」で大ヒットを飛ばした角川映画第三弾は、森村誠一原作の本作でした。

お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ
男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない

この二つのフレーズが、宣伝のためのキャッチコピーとしてメディアを賑わしました。物語のテーマである「野生」とは何かわかりにくいのですが、「荒々しく暴力的」というような意味ではなく、「愛おしいと思うものを守ろうとする本能」と健さんが後に語っています。

味沢岳史(高倉健)は、自衛隊の中で極秘にされている殺人をいとわない特殊部隊の一員で、東北での過酷な訓練中、寒村での全村民大量虐殺事件に遭遇します。

それから数年後、退役した味沢はその近くの地方都市で保険の外交員として、事件の唯一の生存者、頼子(薬師丸ひろ子)を養女にして暮らしていました。頼子は事件後から「予知能力」を持つようになり、失った記憶を少しずつ取り戻しつつありました。

その街は、ほとんどが一企業の支配下にあり、会長の大場(三国連太郎)は市長、警察、新聞社なども意のままにし、自衛隊にもパイプを持つ人物でした。虐殺事件の巻き添えで姉を失った女性記者(中野良子)は、この巨大悪を暴こうとして味沢に協力を依頼します。

虐殺事件は頼子の実の父親が、風土病から精神に異常を来して起こしたものと判明しますが、北野刑事(夏木勲)だけは、味沢の犯行と考え執拗に単独捜査を続けていました。大場の一人息子の成明(舘ひろし)は、女性記者を殺害し、さらに味沢のにも迫ってきます。

ついに格闘となり、味沢の特殊部隊員としての経歴が覚醒し、成明らを殺してしまうのでした。そして、その姿を見た頼子は、味沢が父親を殺したことを思い出します。実は、それは、娘を殺そうとしていたために行ったことだったのですが、頼子は心を閉ざしてしまいました。

北野刑事は、味沢と頼子を伴って、街から脱出しますが、味沢の存在を消去したい特殊部隊(隊長は松方弘樹)の攻撃を受けるのでした。自衛隊演習地に紛れ込んだ三人は、特殊部隊員を倒しながら逃げ続けますが、北野刑事のその中で自ら盾となって命を落とします。

味沢は頼子を逃がすために、一人でヘリコプターから攻撃してる隊長と対峙します。そこへ、すべての記憶を取り戻し、味沢を許せるようになった頼子が「おとうさん!!」と呼びながら走り出てきますが、機銃掃射により絶命します。味沢は、頼子の亡骸を背負い、一人拳銃を構えて、戦車部隊に正面から立ち向かうのでした。

映画はここで終わりますが、当然、勝てる状況ではなく、味沢の何かを守るためにはどうしてもやらないといけないことがあるという鉄の意志を示しているわけです。しかし、冷静に考えると、この映画では、悪の崩壊の兆しはあるものの生き残り、善は全員死んでしまうわけですから、ある意味「救いがない」健さんらしい映画かもしれません。

自衛隊が悪者ですから協力してもらえなかったので、アメリカでの軍の協力のもとのバトル・シーンが撮影されました。自衛隊の装備には無い装備が出てくるという突っ込みがあるかもしれませんが、かえって迫力はあって見どころになっています。また、この作品が映画デヴューとなる13才の薬師丸ひろ子は、新人とは思えない堂々とした演技で健さんをもうならせました。

2019年2月9日土曜日

居酒屋兆治 (1983)

降旗康夫監督、木村大作撮影、高倉健主演のゴールデン・トリオによる作品。高倉健の役柄は、現役ヤクザ、元ヤクザ、犯罪者、元犯罪者、あるいは軍人、警察官など強権の中で我を通して一悶着があるものが多い。この映画では、たぶん初めて普通の人の設定・・・といっても、それなりに浮き沈みがあります。

今回の舞台は居酒屋で、健さんは居酒屋の親父で主題歌も歌います。ヒロインは初共演の大原麗子で、なんともけだるい哀しみしかない役柄。居酒屋には、いろいろな人々が集まるので、結構意外な人物が登場してくるのが面白い。常連客には、池辺良、小松政夫、細野晴臣、武田鉄矢、山藤章二(題字も担当)、山口瞳など。校長は大滝修治、その若き後妻に石野真子、向かいのスナックのママはちあきなおみ、もつ屋にあき竹城、そして居酒屋のことを伝授したのが東野英治郎といった面々。

函館の斜陽化した造船の街の一角で妻(加藤登紀子)と居酒屋をやっている兆治(高倉健)は、かつて活躍を期待された高校球児でしたが肩を壊して造船所に入社します。しかし、リストラの担当になることを嫌い退社しました。

かつて恋仲だったさよ(大原麗子)は、牧場主(左とん平)と結婚しこどももいますが、いまだに兆治のことが忘れられず、しばしば行方をくらましてしまいます。ある日、さよは竈の火が周囲に広がっているのを見て見ぬふりをして家が全焼し、「あなたがすべて悪いのよ」とつぶやき消えてしまいました。

兆治は昔からの仲間の岩下(田中邦衛)と休日をすごしたりして平穏な生活をしていましたが、さよかららしい電話がかかってくるようになり、昔のことを思い出さずにはいられなくなります。

常連客の河原(伊丹十三)は昔の先輩で、何かにつけて横柄な態度でしたが、仲間に対する軽口についに我慢できなくなった兆治は殴ってケガをさせてしまいました。警察に留置された兆治は、河原の事よりも放火の嫌疑をかけられているさよの行方について追及されるのでした。

札幌のキャバレーで働いていたさよは、酒浸りの生活でどんどん健康を害していきます。釈放された兆治は、さよを探し出すしかないと決意し、噂を頼りに札幌に出ます。やっとさよの住居を探し出した兆治を待っていたのは、酒のせいで吐血しすでに冷たくなっているさよでした。手には昔の兆治との思い出の写真を握りしめていました。

このようにあらすじだけ辿ると、あまり救いのない話で(もっとも健さんの映画はそんなのが多い)、微妙な雰囲気が残ってしまいます。ここで、意外と映画の雰囲気をまとめあげるのに功績があるのが、妻役の加藤登紀子。

当然、大原麗子のような華やかさはありませんし、女優としてうまいわけではありません。しかし、とんがった夫の人生に振り回され、黙って支え続けるという役柄を静かに好演して、健さんの帰れる場所をしっかり作ってくれています。

それにしても、悲しみを溜めるに溜めた目をした大原麗子さんは美しいですね。せりふは最小限で、ほとんどが表情・行動だけの演技ですが、そこからひしひしと情念みたいなものが伝わってきます。あらためて、すごい女優さんだったと思いました。

2019年2月8日金曜日

駅 STATION (1981)

高倉健の円熟期以後、多くを監督したのは降旗康夫です。最初に二人が出会ったのは、東映時代の1966年ですが、本格的に仕事を共にしたのは1978年の「冬の華」でした。

ここでは、健さん唯一の連続テレビドラマ「あにき」の脚本を担当した倉本聰が、任侠物で人気を得た高倉健のイメージを蘇らせると同時に破壊する本を書いたのでした。現在ヤクザである姿を健さんが演じた最後の映画であり、東映任侠映画の挽歌と言われています。

時代の波において行かれた古いヤクザとして、健さんは自らの任侠物のキャラクターに終止符をうつことになるのですが、いくら変化したNEW健さんであろうと、どうも義理人情の切ったはったの世界はどうしても好きになれない。

そして、再び健さんが降旗監督とタッグを組んで、さらに名カメラマンの木村大作を加えたトリオの最初の作品となるのが、「駅 STATOPN」という男女のドラマです。

倉本聰が、健さんの誕生日プレゼントとして渡した脚本が元になりました。倉本は、どんどん寂れていく北海道の田舎の駅舎に健さんを立たせてみたいという思いから書き上げました。

いきなり映画の冒頭、刑事の三上(高倉健)は妻(いしだあゆみ)と子供が列車に乗って去っていくのを銭函駅で見送るシーンから始まります。三上と妻は直接会話をすることはなく、別れることになった細かい説明もほとんどありませんが、列車が走りだし涙を流しながら無理に笑顔を作ろうとして敬礼をする妻の姿は、それだけで大きなインパクトを与えてくれます。

今更ながら、いしだあゆみの美しさと、セリフの無いにもかかわらず並々ならぬ演技に脱帽するしかありません。最初の数分間で、すでに最高のクライマックスを見てしまった思いです。

先輩刑事(大滝秀治)が射殺されるのですが、オリンピックの射撃競技の選手だった三上は、その捜査には参加が許されませんでした。それから8年後、増毛の食堂で働く犯人の妹、すず子(烏丸せつこ)を尾行し、やはり駅で犯人、吉松(根津甚八)を逮捕しました。

さらに3年後、立てこもった銃を乱射する銀行強盗を隙を見て射殺した三上は、犯人の母親の罵声を背中に受けるのでした。そのころ吉松から、死刑執行前の最後の手紙が届き、そこには三上のずっと続いた温情に対する感謝が記されていました。

年末で帰省した三上は、海が荒れて連絡船が出ないため増毛に足止めされ、一軒の居酒屋に入ります。その店をやっていたのは桐子(倍賞千恵子)で、人生に疲れていた男女はどちらからともなく深い仲になっていきます。

年が明け、三上は警察を辞職する決意をして札幌に帰る途中、桐子のかつての愛人が先輩刑事を射殺した犯人であることに気づき増毛に引き返します。そして桐子の自宅で、桐子の目の前で犯人を射殺してしまいます。そして、用意していた辞職願を破って燃やしてしまうと、夜の駅から列車に乗り込むのでした。

律儀に真面目に、一つ一つこつこつと積み上げてきた主人公ですが、仕事の上でも私生活でも、今までの人生で自分の思いがうまく伝わらないことばかり。おそらく、登場人物のすべてが不器用で同じ思いなのかもしれません。

しかし、時間を戻せるわけではありません。駅に立つと列車が来て、そして列車は、走り出したら引き返すことはできません。敷かれたレールの上を真っすぐ走っていくしかないということなんでしょうね。

さすがに木村大作の画はうまい。静と動、色彩の有る無しなどのメリハリがしっかりしていて、画面からあふれ出る詩情豊かな表現はさすがです。また、降旗監督も、俳優陣を無理なく動かして、ゆったりとした中に自然な表情を引き出しているように思いました。

2019年2月7日木曜日

防火水槽

f/5.3  1/1000sec  ISO-100  105mm

防火水槽そのもの・・・じゃなくて、防火水槽がこの下にあるよという標識です。

防火水槽自体はここにはありません・・・っつーか、見ませんよね。昭和の匂いのするものとしても、けっこう古いもんじゃないでしょうか。

たぶん、1m四方くらいのコンクリートかなんかでできた、水をためておくもの。もしも火事が起きた時は・・・バケツで水をすくって、人手でリレーして・・・

本当に小さいボヤ程度で、早期発見できたら役に立つかもしれませんが、たぶん実際には焼け石に水みたいなものかと。

2019年2月6日水曜日

YOKOHAMA MANHOLE


ただのマンホールです。

横浜らしく、ベイブリッジ(?)らしきものがあしらわれています。

雨水を集めて流すためのものなので、「あめ」という文字もあるようです。

他のは、「げすい」と書いてあるものもあります。

わざわざ、取り上げてみたのは、YOKOHAMA MANHOLEがポケストップになっているところがあるから。

ふ~ん、というだけのことですが・・・・

地下に埋設されたインフラのメンテナンスのために、人が入っていけるための穴だから「マンホール」という。

人が入れないちいさいものは「ハンドホール」だそうです。

やっぱり、ふ~ん・・・

2019年2月5日火曜日

海峡 (1982)

森谷司郎監督が三度、高倉健とタッグを組んだ作品で、前作「動乱」に続き、吉永小百合をヒロインに迎えました。

昭和29年9月、津軽海峡を渡る青函連絡船の洞爺丸が、台風により沈没し日本海難史上最大の被害(死者1155人)を出しました。これをきっかけに、戦前からあった日本国有鉄道(現JR)が津軽海峡の下をトンネルを作る計画が本格化。昭和60年にすべてのトンネルが貫通し、最終的に昭和62年に列車が通れる青函トンネルが完成しました。

この映画では、この青函トンネルをつくるために命をかけた男たちと、それを支えた女性たちの物語として、東宝映画の創立50周年記念作品として制作されました。

昭和30年、青函トンネルを作るための準備委員会の一員として、地質調査のために国鉄職員の阿久津(高倉健)が竜飛岬にやってきたところから始まります。

ある日、岬の突端で自殺しようとしていた多恵(吉永小百合)を助け、多恵はそのまま村の居酒屋で働くようになりました。数年後、転勤を命じられた阿久津は村人に戻ってくることを約束しました。実家に戻った阿久津は、父(笠智衆)の面倒をよく見てくれる佳代子(大谷直子)と結婚し、子供を授かります。その噂を聞いた多恵は、思わず持っていた皿を落としてしまうのでした。

そして、さらに数年して、いよいよ本格的なトンネル工事の着工が決定され、阿久津は再び竜飛岬に戻ることになりました。トンネル堀り職人の源助(森繁久彌)の協力をとりつけ、洞爺丸事故で両親を失い、そして自らも数少ない生存者であった仙太(三浦友和)を採用します。

工事は度々の出水に難航し、死者も続出します。多恵は、単身赴任の阿久津の身の回りの世話をしていました。佳代子は息子をつれて竜飛岬にやってきますが、厳しい冬に恐れをなして帰ってしまいました。

ある日、父死すの知らせに実家に帰ろうとしていた阿久津のでしたが、大規模な出水事故の発生により、源助をも失うのでした。それらを乗り越えて、家族をも顧みずひたすらトンネル工事に命を懸けてきた阿久津は、ついに貫通したときコブシを上げて涙を流します。

いつのまにか25年がすぎ、阿久津の髪にも白いものが目立ちます。遂に竜飛岬を去る日に、阿久津は多恵の酌で、久しぶりの酒を飲みました。そして、海外での工事のために旅立っていくのでした。

実質的にはトンネル工事に関わる男たちの話であり、「黒部の太陽」の石原裕次郎と三船敏郎ような難工事に立ち向かう「プロジェクトX」みたいな内容です。話の奥行きを持たせるために、阿久津を中心とした「帰ってこない夫・父親」についていけない家族、心に傷を持ち密かに恋心を持つもののそれを表に出すことのない女性を配しているのはわかりますが、はっきり言って消化不良です。

せっかく小百合さんを配していながら、おそらく出演シーンをすべてカットしても何ら問題はありません。映画を見る限り、小百合さんは相変わらず美しく、一服の清涼剤ではあるんですが、健さんに対してはひたすらプラトニックな片思いに終始しています。

トンネル工事に命を懸ける男たちから、彼らに翻弄される女性たちに視点を変えていればかなり違った映画になっていたかもしれませんが、少なくともここでは家族も男を見放しているので扱い方が難しい。

森谷監督、高倉健、吉永小百合による次の企画もあったそうですが、森谷監督が早世したため実現はしませんでした。「八甲田山」は視点がはっきりしていました。しかし、「動乱」では、歴史的重大事件を背景にしたため男女の関係が薄れてしまった感がありました。大作ばかりまかされていた森谷監督は、大勢の名優より健さんに肩入れし過ぎていたのかもしれません。

2019年2月4日月曜日

動乱 (1980)

八甲田山で組んだ高倉健と森谷司郎監督が再び組んで、もう一人のビッグ・スター、吉永小百合を迎えた、五一五事件から二二六事件までの激動の昭和を描く大作。

男が男であった、女が女であった

雪は知っていた。寡黙な愛ほど強く激しいことを。

こんなキャッチコピーが、ずいぶんとあちこちのメディアで流れていた記憶があります。基本的には、男女のメロドラマであり、一つの愛の形を描くことが主題なのですので、基本的に登場人物はこのドラマのために作られた架空の人物たち。

見終えた時の最初の印象は、とにかく一見、健さんらしい「生きることに不器用」な男なんですが、「不器用すぎる」という感じ。30代前半の小百合さんの美しさも格別ですが、最後の最後まで二人の絡みは悲壮感が漂い重厚すぎました。

宮城(高倉健)は、脱走した初年兵を捜索してその姉の薫(吉永小百合)と出会います。薫は生活の困窮から身売りされていくところでしたが、宮城は脱走までした弟のためにも何とかしろとお金を渡すのでした。

部下思いで実直な将校であるがために、宮城は上官から疎まれ、辺境に飛ばされますが、そこで、夜を売る芸子に落ちぶれていた薫と再会。そこでも上官の軍用物資の横流しを告発しますが、さらに目を付けられるだけでした。

薫を連れ帰った宮城は、夫婦ということにして東京での生活を始めますが、彼のもとには私腹を肥やす政治家や軍部に反発する青年将校が集まるようになりました。薫と連れ立って鳥取に出かけた宮城は、彼ら昭和維新を目指す者たちの心のよりどころである神崎(田村高廣)に相談します。

その帰り、砂丘を歩いていると、それまで黙って「妻」になっていた薫は宮城についに声を荒げて迫るのでした。「私はただの隠れ蓑としての存在なのか。汚れた体の私を抱けないのか」と言う薫に対して、宮城は「そばにいて欲しい」とだけいいます。

ついに宮城らは武装蜂起し、二二六事件を起こしました。しかし、彼らは逆に国賊として非公開裁判で死刑が言い渡されます。宮城の父親(志村喬)の計らいで、籍をやっと入れた薫が宮城に面会がゆるされたのは刑が執行される数日前の事。「こうなったことを許してほしい」と涙する宮城に対して、薫は「幸せでした」と返事をするのでした。

二二六事件を起こした青年将校たちを、政治の腐敗を正すために蜂起した民衆の味方のように描いたところは、歴史的事実からも批判されているところで、そのために映画としての評価は必ずしも高くはなく、健さんとしては失敗作のように言われるところがあります。

ただし、健さんと小百合さんの二人のシーンは長回しのシーンが多く、二人の役者としての真骨頂が十二分に捉えられており見るべき価値を見出すことができます。清純派だった小百合さんにとっては、今までにない役柄と厳しいシーンも少なくない長期にわたるロケに参加したことで、映画人として成長できた作品だったようです。

それにしても、銃殺刑で死んでいく健さんの姿は、ちょっとショックでした。

2019年2月3日日曜日

是枝裕和 #8 奇跡 (2011)

「奇跡」は、是枝監督の第8作目の劇場映画で、今回はこどもたちが主役。映画のモチーフは九州新幹線開通であり、JRからオファーがあり制作されました。出演陣は、是枝作品に2回以上登場の俳優が多く、「是枝組」と呼べるカラーが形成されてきた感じがします。

博多に住んでいた兄弟、航一(前田航基)と龍之介(前田旺志郎)は両親(オダギリジョー、大塚寧々)の離婚により、博多と鹿児島に分かれて住んでいます。

再び家族4人で暮らすことを願っている航一は、ある日、開通した新幹線の上り下りの一番列車がすれ違う瞬間に奇跡がおこり、何でも望みが叶うという噂を耳にします。

航一は龍之介にに電話して、お互いその瞬間を共有して一緒に暮らそうと提案し、二人の友人も巻き込んだ計画がスタートしました。

航一と龍之介は、こども漫才「まえだまえだ」で活躍する実際の兄弟。龍之介の友人には、樹木希林の孫、内田伽羅。その母親役で夏川結衣。まだ子役時代の橋本環奈、平祐奈なども登場します。航一の祖父母は、樹木希林、橋爪功。祖父の友人に原田芳雄。航一の通う学校の先生に、阿部寛、長澤まさみ。

定評のある俳優陣が、ほとんど素人みたいな子供たちの周りを固めて、映画としての完成度を高めているわけで、それぞれが多くの出番があるわけではありませんが、チームみたいな結束力を感じます。

子役の扱いがうまいことは定評ある是枝ですから、今回も例によって、こどもたちには脚本は渡さずに撮影に臨んだそうです。「学芸会」のようにならない、こどもたちの無理のない演技(?)は、一つの目標に向かって突っ走っていく(本来無理がある)設定を本物らしく見せることに成功していると思います。

こどもたちを泊めてあげるおばあさんの役で、歌手のりりぃが登場したところは懐かしくも、ずいぶんと年を取ったと思いました。いずれにせよ、いきなりたくさんの見知らぬこどもを泊めるなんて普通は無い。また、ぴったりと新幹線がすれ違う時間と場所を事前に知るのも、それ自体が相当奇跡的なことです。

それらを「嘘」と思ってしまえば、この映画は成立しない。本来、映画なんて嘘を描いているようなもんだと思えば、それを楽しむことができるのかもしれません。

奇跡の瞬間・・・結局、航一は4人家族が元の生活に戻るという願いをしませんでした。この小さな冒険の中で、自分だけの思いを周りに押し付けることが幸せではないと気がついたわけで、航一は少し大人になったわけです。

2019年2月2日土曜日

南極物語 (1983)

監督は「キタキツネ物語」のヒットで知られるようになった蔵原惟繕。

八甲田山での過酷な厳寒ロケなどを通して、高倉健には「真冬が似合う俳優」というイメージができていました。そもそも人気を決定づけた「網走番外地」も、雪深い北海道を逃げ回る話でした。

フジテレビが自ら映画を作る、しかも南極を舞台にした作品ともなると、健さんに白羽の矢が立つのは当然で、プロデューサーは何度何度も出演をオファーしたそうです。しかし、健さんはどうしても首を縦に振らない。

急転直下に健さんが出演を承諾したのは、制作発表会見の数日前のことで、これには1982年2月江利チエミの急死が大きなきっかけになったと言われています。

プライベートについて多くを語らない健さんですが、1959年に江利チエミと結婚し、1962年には江利は流産しています。その後、江利の親族のトラブルなどが原因で1971年に離婚していました。

おそらく、江利に対する贖罪の気持ち、できるだけ俗世間から離れていたいという気持ちなどから、過酷さを承知で出演を承諾したのだろうと想像されています。健さんは、その後も毎年江利の墓参を欠かしていませんでした。

さすがにテレビ局ですから、さまざまな番組を利用した、角川映画にも負けないメディアミックスの宣伝手法により、映画は興行的にも大ヒットしました。真の主役は犬たちなのかもしれませんが、健さんたち俳優の遭難寸前の極地ロケがあって初めて見るものに感動を与えられる作品になったことは言うまでもありません。

ストーリーは有名な実話をベースにしたものですから、説明するまでもありません。1956年、日本初の南極地域観測隊の第1次越冬隊が出発。1958年、第2次越冬隊は上陸を断念、第1次の隊員を回収するのが精一杯で、15頭の樺太犬は基地に置き去りになりました。1959年に第3次越冬隊が到着すると、タロとジロの2匹が生き残っていて隊員と奇跡的に再会できたというもの。

映画の前半は、第1次越冬隊の隊長は岡田英次、そして犬係の二人が高倉健と渡瀬恒彦。大部分は北極、そして一部が南極でロケが行われ、越冬隊と犬たちの極地での厳しい生活を描いていきます。

そして犬を連れ帰れなかったことに対する悔恨から、健さんは犬を提供してくれた人々のもとを訪れ謝罪の旅をするのです。すぐに受け入れてくれる人もいれば、中には責められる(まだ子役だった荻野目慶子)。犬たちの碑ができたときは、記者から非難されたりしました。

渡瀬恒彦も、帰ってから犬たちの事が忘れられません。ここで、登場するのが婚約者。これを演じたのは、当時実力が認められ勢いがでてきた夏目雅子です。登場するシーンは多くはありませんが、「時代屋」と同じ渡瀬と芯の強い京女で共演しました。婚約者から背中を押され、ふたたび南極に行くことを決断するのです。

そして、人間たちの様々な葛藤と同時進行で、残された犬たちの壮絶なサバイバルの様子が描かれます。もちろん、それは想像上のことでしかありませんが、犬たちの名演技もあいまって、きっとそうだったのだろうというリアリティを感じることができ、またそれが見ている者を映画の世界に入り込ませる人に成功しているのだろうと思います。

健さんにとって、特別な受賞作ではありませんが、後年「南極のペンギン」という著作を著し、またこれを朗読したCDもだしています。極地俳優といわれた健さんにとって、かなり思い入れが残った作品なんでしょう。

2019年2月1日金曜日

遥かなる山の呼び声 (1980)

大ヒットした「幸せの黄色いハンカチ」から3年後、再び山田洋次監督、倍賞千恵子と組んだ作品が作られました。

1953年のアメリカ映画「シェーン」は、古典的名作として今なお語り継がれていますが、この映画のテーマソングの邦題が「遥かなる山の呼び声」であり、山田監督がこの映画に対するオマージュとして脚本を作り上げました。

第4回日本アカデミー賞では、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞などを獲得し、映画的にも「幸せの黄色いハンカチ」よりも高い評価を受けて、高倉健の代表作として上位にランキングされることもあります。

北海道釧路で、病死した夫の残した牧場を一人できりもりしている民子(倍賞千恵子)には武志(吉岡秀隆)という子供がいました。春早い頃、嵐の夜に一人の男(高倉健)が雨宿りをさせて欲しいと訪ねてきます。ちょうどその夜、牛のお産があり、男はそれを手伝って翌日帰っていきました。

数カ月して、再び男が牧場にやってきて、しばらく働かせてほしいと言い出します。はじめは、不安に思った民子でしたが、武志も打ち解け、いろいろと牧場を手伝ってもらうい、それまでの張りつめた気持ちが安らいでいくのでした。

ある時は、民子にしつこく言い寄る地元の料亭の主、虻田(ハナ肇)を撃退します。民子が腰痛で動けなくなり入院した時、男は武志に、父親と兄と三人暮らしだったが、父親が自殺してしまい泣きたかったがガマンしたという話を聞かせます。

秋になって男は草競馬に出場し優勝しますが、その会場に刑事がやってきて男に「函館の田島だろう」と尋ねます。男は、その夜、民子に明日出ていくといいます。そして、実は借金を苦にして自殺した妻の葬儀にやってきた、高利貸を殺してしまい逃げているところだと告白するのでした。

翌日、牧場に警察がやってきたので、男は素直に車に乗り込んで去っていきました。裁判で懲役が確定し、網走の刑務所に列車で移送されている途中の駅で、民子が列車に乗り込んできます。そして、牧場は手放し、男を待っていることを伝えました。男は涙を流し、民子は黄色いハンカチを渡すのでした。

1年を通して、ダイナミックな北海道の自然の風景を見事に写し込んでいるところが素晴らしい。実際に俳優陣が、トラクターを運転し、農作業を行い、まさに汗を流して働いている様子が、見ている者を話しの中にどんどん引きずり込んでいきます。

出会いと別れは必ず一対になっているわけで、突然現れた男は、いつか突然去っていくのだろうとひやひやしてみていくのですが、何かそれを阻止する解決策があるのではないと思わせてしまいます。そして、泣きたくても泣けなかった男が流す涙は感動ものです。最後の小道具が黄色のハンカチというのも、拍手喝采もの。

姉のように民子を慕う従弟の役で武田鉄矢、牛の人工授精士として渥美清、獣医は畑正憲、男の兄で鈴木瑞穂などが話の中でアクセントとして登場し、話のメリハリを深めています・それにしても、この時から、吉岡秀隆は北海道が似合う名子役だったんですね。