繭子(綾瀬はるか)は、普段から自分は「やりたいこと」が無く、自慢できる特技も無いと考えているような女性。勤めていた会社が倒産し、恭一(平山浩行)に言われるがままに結婚することになり、恭一の父(近藤正臣)に会うため京都を訪れました。
予約したつもりのホテルはミスで泊まれず、繭子は仕方がなく古びた佇まいの本能寺ホテルを見つけます。フロント係の老人(風間杜夫)に案内されエレベータで乗り込むとタイムスリップが起こり、ドアが開いた向こう側は何と1582年6月1日の本能寺でした。
暴君で知られる織田信長(堤真一)が逗留中で、繭子は信長の態度に腹を立ててその前に飛び出してしまいます。繭子は刀を抜かれて逃げ出し、危機一髪で再びエレベータに戻りました。
何が起こったのか混乱する繭子ですが、エレベータに乗ると再びタイムスリップします。森蘭丸(濱田岳)だけが繭子を匿ってくれるのですが、繭子は信長に「天下泰平を目指し皆が楽しく暮らせることを目指しているのに、あたなの部下はみんなあなたに戦々恐々として楽しそうじゃない」と言い放ちます。
繭子に興味を持った信長は、京都の町にお忍びで連れ出し、民衆が楽しそうに生活している様子を見せ、「お前はなにをやりたいのか」と尋ねました。「私は何もできないし、やりたいものがみつからない」という繭子に、信長は「できるできないではなく、やりたいかやりたくないかが大事」と話し、繭子は何かのヒントをもらいます。
日本人なら誰もが知っている「本能寺の変」は、天下統一を目前にした織田信長が、家臣の明智光秀の謀反により、本能寺で自害した歴史上の大事件。繭子は、今夜謀反が起こることに気がついて、歴史が変わってしまうかもしれないことに悩みながらも、ついに信長に「本能寺の変」のことを話し、この場を離れるように勧めてしまいます。
信長は、繭子の様子から未来から来た事を理解しますが、「天下統一は誰がしてもいい」と秀吉に後を託す手紙を書き運命を受け入れます。焼け落ちる本能寺から間一髪、現代に戻った繭子は、自分のささやかな「やりたいこと」を見つけることができ、前を向いて歩いていくのでした。
綾瀬はるかは、コメディ要素は濱田岳に譲り、比較的真正面から自分の生き方に疑問を持つ女性を演じています。それでも、現代人と戦国時代の人々とのギャップが自然とユーモラスな雰囲気を作るので、自然なギャグ的な要素を含んでいるところが綾瀬はるかにはぴったりな役どころ。
堤真一の織田信長は、あまりでしゃばらないところで、一般的な「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という残忍なイメージよりも豊かな人間性を描くことに成功しています。これをもっと砕けたキャラにしたのが、小栗旬の「信長協奏曲」かもしれません。
細かいことを言えば、時代を行き来する中で、特に現代のパートでは時間の流れに違和感を感じるところはありますが、許容範囲だと思います。このファンタジーを話として成立させるための、前作のような巨視的な大きなモチーフはありません。ここでは、一人の女性が自立する流れを、タイムスリップという手段を用いてより身近なものとして見せてくれます。
堤真一の織田信長は、あまりでしゃばらないところで、一般的な「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という残忍なイメージよりも豊かな人間性を描くことに成功しています。これをもっと砕けたキャラにしたのが、小栗旬の「信長協奏曲」かもしれません。
細かいことを言えば、時代を行き来する中で、特に現代のパートでは時間の流れに違和感を感じるところはありますが、許容範囲だと思います。このファンタジーを話として成立させるための、前作のような巨視的な大きなモチーフはありません。ここでは、一人の女性が自立する流れを、タイムスリップという手段を用いてより身近なものとして見せてくれます。
その分、映画としてのスケール感は少なめで、一般のイメージと比べて信長も「いい人」過ぎる感じもありますが、本能寺の変の前日に絞って話をまとめあげているので、だれるところはほとんどなく、2時間の間、程よい緊張感を持続できる作りになっていると思いました。