2021年4月30日金曜日
ホイールカバー
これは車屋さんの店先じゃない。
うちのクリニックのあるビルの地下駐車場の出入り口の光景です。ほぼ通年で、外れたホイールカバーが何枚かおかれています。
なんでかって言うと、機械式立体駐車場であることと狭いことで、駐車する際にタイヤをレーンの角にこすりやすいから。
ご利用の際には、十分に注意してください。
昔の車のタイヤはほぼ「テッチン」と呼ばれた鉄製のホイールについていて、必ずこういったホイールカバーが付いていました。ところが、今ではほぼ全てと言ってもいいくらいホイールはかっこいいデザインのアルミ製で、カバーはつけなくなりました。
この駐車場を利用する車にテッチンが多いわけではありません。
見た目だけではなく、燃費優先で車体重量を軽くするため、鉄製よりアルミ製のホイールが一般的になっていますが、一部の車には、アルミホイールなのにカバーが付いているということがある。
これは、やはり燃費の関係。つまり走行時のタイヤの空気抵抗を減らす目的です。
外れてしまって、黒いテッチンが露出すればすぐにわかりますが、カバーが外れてももともとがアルミだと意外と気が付かないこともあります。
そんなわけで、いつもここに引き取り手の無いカバーが積まれているということかと。
2021年4月29日木曜日
自宅居酒屋 #35 肉豆腐
これは本当に居酒屋さんメニューで、もう何十年か昔に居酒屋であまりに美味しかったので、レシピを教えてもらって以来のレパートリー。
用意するは、豆腐。絹でも木綿でもいいのでお好みで。すき焼きに入れるくらいの大きさに切ります。煮込む時間が無いときは薄めにしましょう。
肉は、絶対に豚肉。しかもバラ。脂が多い方が甘味が出る。煮込んで出てくるあくと脂はできるだけ除きます。適当な大きさに小間切れにします。
そして玉ねぎ。これも甘みがでてきます。全部あわせて鍋にいれちゃいます。今回は余っていたしめじも入れちゃいました。
味付けは、基本は醤油と砂糖。煮込むので最初はちょっと薄いくらいの味付けでOK。そして大事なのは生姜。多めかなくらいが丁度よい。味の深みが足りないと思ったら、少しだけだしの素を入れてもいいかと。
5~10分くらい煮込んで出来上がり。あとは食べるだけ。以上。
2021年4月28日水曜日
カラス いけいけ ネット
朝、ゴミ出しをする人にはお馴染みの、カラスいけいけネットです。
折り畳み式で、ごみの集積場で広げて収集を待ってます。一番の目的は、カラスによってゴミが荒らされるのを防ぐというもの。
住民の誰か(自分じゃありません)が、粋なイラストを描いてネットに括り付けていました。
まぁ、なかなか、いいんじゃないかということで・・・
2021年4月27日火曜日
ワレキューレ (2007)
出自などを含めて、ヒットラーの生涯については謎が多いことも事実ですが、少なくとも彼が率いた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)においては、晩年まで多くの心酔者が軍部のみならず、国民の中に大勢いたことは否定できません。
独裁体制は多くの敵を作ることは自明であり、国内では秘密警察ゲシュタポが国民の監視を強化し、ヒットラーに対して反旗を翻すことは大きな困難を伴ったことも事実です。しかし、ヒットラーの独裁に多大な危機感を募らせている人々が国の中枢にいました。
ヒットラーを暗殺しようという計画は、わかっているだけでも42回。ただし、実行されたものは数回で、最後に自ら命を絶つまで生き延びたことからも、すべての計画は失敗に終わっています。
この映画は、1944年7月の暗殺未遂事件を、その実行犯シュタウフェンベルク大佐中心に、事実に基づいて作られたものです。監督は「X-MEN」シリーズで名を上げたブライアン・シンガー、脚本には「M:I」シリーズのクリストファー・マッカリー。そして、製作総指揮と主演がトム・クルーズという豪華な組み合わせです。
クラウス・フォン・シュタウフェンベルクは、名家の出身で自身は伯爵の位を持っていました。軍の中でもその実直な人柄は親しまれ、愛国者は「一個人ではなく国に仕える者」という信念を持っていました。1942年以後は、度々ヒットラー批判を口にしていましたが、1943年4月に北アフリカ戦線で重傷を負い、左眼、右手、左手薬指・小指を失います。
黒いオーケストラの一員であるオルビリヒト将軍の計らいでベルリン勤務となったシュタウフェンベルクは、転任になったトレスコウの後を継いで新たな暗殺計画の中心人物となります。
何度かの計画延期後、東プロイセンの大本営「狼の巣」において、7月15日にシュタウフェンベルクは爆弾を持ち込み作戦実行直前までいきますが、一緒に処分したいヒットラー側近の親衛隊トップのヒムラー不在のためぎりぎりで中止。待機させた予備群は演習と説明し、その場を切り抜けます。
そして次の機会は7月20日に巡ってきました。今回もヒムラーは会議に出席していませんでしたが、計画の実行が決断され、シュタウフェンベルクは会議室に爆弾を持ち込み爆発させます。しかし、数名が死亡したものの、肝心なヒットラーは難を逃れました。すでに後戻りできない暗殺グループはワレキューレ作戦を発動し、予備軍によるベルリンの制圧に乗り出します。
しかし、ヒットラー生存が確認されとるすべては水泡に帰すのでした。ワレキューレ作戦は大本営側から中止が指令され、その日の夜に主だった首謀者は逮捕・即刻銃殺に処されました。その後も終戦まで、加担した者たちの裁判が続き、数千人以上の多くの者が粛清されています。実は猛将ロンメル元帥も関与を疑われ、ヒットラーから自殺を強要され亡くなりました。
この「7月20日事件」の後、ヒットラーの猜疑心はさらに深まり、より近辺の警戒は厳重となったため、これが最後の暗殺計画となりました。ヒットラーの暴走を止める者は誰もいなくなり、結果としてナチス・ドイツの終焉を早める結果になったのかもしれません。
シンガー監督は史実にこだわり、できるだけ実際の場所で、当時の車両などを用意してリアリティ重視の映画作りをしました。トム・クルーズも久しぶりの演技派としての熱演で、結果はわかっていてもサスペンスとして上級の仕上がりです。
ですが、残念ながら、やはり「大スター」であるトム・クルーズが主役ということが、一番のリアリティを失う要素になっていることは否定できません。また、登場人物が英語を話しているのも、今時の映画としては無理がある。できるだけ。あまり知られていない俳優を使い、吹き替えでもいいからドイツ語で台詞を言わせれば、もっと内容が際立ったかもしれません。
2021年4月26日月曜日
ヨーロッパの解放 III (1971)
アメリカもその例にもれず、ハリウッド作品の中にも見られます。名作とされる「カサブランカ(1942)」も、娯楽性を入れながら国策映画としての一面が含まれています。ヒッチコックも積極的な国策映画を作っていますが、一般向けのものとしても「逃走迷路(1942)」のような境界が曖昧な作品もある。
ロシア、旧ソビエト連邦は戦前から戦中、そして戦後にかけて国策映画の宝庫と言えます。共産主義国家として、映画産業すらも国営であったのですから当然と言えば当然のこと。
その大半は「モスフィルム」という国営スタジオで制作され、黒澤明監督の「デルス・ウザーラ(1975)」もここで作られています。「ヨーロッパの解放」も、当然モスフィルムの制作で、一大国家事業として完成した作品。
全5部からなるこの作品の中で、一番長いのが第3部で「大包囲撃滅作戦」という邦題がついていて2時間を超えるもの。
1943年11月に行われたテヘラン首脳会議において、ソビエトからの強い要望に応え、イギリス・アメリカを中心とした連合国軍は、半年後にフランス北部に第二戦線を構築することを決定します(オーバーロード作戦)。第3部はこの場面からスタート。この議事録はスパイの手によってナチスにもたらされますが、猜疑心の塊のヒットラーは偽情報として取り合いません。例によって、スターリン以下、そっくりさん俳優が登場し、スターリン以外の外国語台詞はボイス・オーバーがかぶさります。
ドイツ対ソビエトの東部戦線は、ソビエトが1943年夏にクルスクの戦いを制し、その勢いでドニエブル川を渡河し、1944年初頭にはウクライナに進軍していました。ソビエトは夏の攻勢について、フィンランドを叩く北部、ベルリンへの最短距離にある白ロシア(現ベラルーシ)に進軍する中央、そしてルーマニア、ブルガリア、ハンガリーなどのバルカン諸国を制圧する南部に分けて、一気に広域で決起することにし、ナポレオンのロシア遠征で功をなしたバグラチオン将軍の名を冠した作戦を立てました。
連合国軍のオーバーロード作戦の開始、ノルマンディ上陸、そして西部第2戦線が開始されたことに呼応して、あらかじめ白ロシア内のドイツの主要補給路である鉄道を破壊し、6月23日にバグラチオン作戦が始動しました。ウクライナ方面を主戦場に見せかけ、白ロシアの沼地・湿地帯を戦車が突破していく、ドイツ軍の想定外の突撃によりソビエトは深くドイツ占領地域に深く切り込み、ついにポーランドの土を踏むことに成功します。
一方、ドイツ国内では、東西からの攻勢により、危機感をつのらせた上級士官らがヒットラー暗殺および連合国軍との講和を画策しクーデターを起こします(7月20日事件)が失敗し、国内の混乱を露呈しました。イギリス首相チャーチルは、ヒットラー暗殺失敗よりも、ソビエトにポーランドを取られたことを悔しがるのでした。
今回も、ソビエト将兵と従軍看護師ゾーラとの恋愛模様が少しだけ盛り込まれていますし、たぶんこのシリーズで最大のセクシーな見せ場としてゾーラの川での沐浴なんてものもあります。もっとも、素肌が見えるのは足だけですが・・・単なる記録映画にしない努力なんでしょうけど、ほぼ意味が無く浮いているのはご愛敬。
相変わらず、空撮による平原での戦車部隊の戦闘は迫力があります。ただし、8月のワルシャワ蜂起についてはまったく触れずに1944年が終わってしまいます。カティンの森事件の根本と同じで、ソビエトとしては終戦後民主化運動の旗頭になりうるレジスタンスがドイツ軍に一掃されることを期待して、一時進軍を停止し見殺しにしたという見方はあながち間違いではないように思います。
この映画のDVDは以前発売された(2003年)ものは、まるで8mmで撮影したものかというくらいひどい画質でした。音声も画面とずれているようなかんじもあったりと、正直見るに堪えない感じ。ところが2012~13年に日本のテレビ・アニメとして「ガールズ&パンツァー」という萌え萌え系が放送され、その余波でなんとこの映画がリマスターされるという不思議な展開になりました。
2014年に発売されたリマスター版は、十分に鑑賞に堪える画質となり、音声もステレオ化して映画ファンも納得。DVDケースは、アニメのイラストのタイプと、通常のタイプが用意されています。
2021年4月25日日曜日
史上最大の作戦 (1962)
1941年12月、真珠湾を日本に攻撃されたアメリカ軍はついに参戦し、1942年6月にミッドウェイ環礁において日本海軍に圧勝しました。1943年になると、日本とアメリカは一進一退の攻防を繰り広げていましたが、1944年には日本は侵攻した南西諸島やマレー半島などから、じりじりと後退を余儀なくされます。
7月にマリアナ諸島(グァム島、サイパン島)を手中におさめたアメリカ軍は、ついに日本本土への爆撃が可能になりました。1944年10月、アメリカ軍はフィリピンに上陸、レイテ沖海戦でほぼ日本海軍はほぼ壊滅という状態に陥ります。
この頃から、海軍の残存部隊による神風特攻が始まりました。また、各戦地で降伏より自決を選ぶ日本兵がアメリカ軍兵士に異様な恐怖を与えたようです。この日本の自殺攻撃は、終戦まで続き、少年兵も駆り出され、時にはわずかな訓練で出撃させられました。日本の制作した映画では、今でも多く取り上げられるテーマになっています。
1944年のヨーロッパは、東部戦線では6月にソビエトがこれまでに無い大規模な「バグラティオン作戦」を展開し、ドイツが侵略した土地の大半を奪還します。撤退し続けるドイツ軍に対して、8月にポーランドのレジスタンス組織がソビエトより先に武装し自国開放を目指したのが「ワルシャワ蜂起」です。
しかし、いくらじり貧のドイツ軍といえど、民間人の武力勢力が立ち向かえるほど弱体化していたわけではありません。約5週間でレジスタンは鎮圧され、20万人が戦死・処刑されました。この時ソビエトは、ワルシャワのすぐ近くまで進軍していたものの、レジスタンスに対する援助はせず静観し、西側諸国の連合軍の援助の申し出にも協力を拒否しています。ヒットラーは、ワルシャワを徹底的に破壊することを指示し、町は廃墟と化しました。
ポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダは、ワルシャワ蜂起におけるレジスタンスの様子を「地下水道(1956)」で映画化しています。また、ソビエトの「見殺し」に対する反ソ感情を見て取れる「灰とダイアモンド(1958)」も作っており、ポーランドが戦後共産圏に取り込まれたものの、禍根を残したことは間違いないようです。
枢軸国と呼ばれる主な三か国のうちイタリアはすでに降伏し、残るドイツ、日本もこの年後半から敗戦に向けて着実に追い詰められていました。それでも、勝利を信じているのか、あるいは敗北を知らないのか、各地での兵士の命を消耗するだけの戦いが続いていました。
西部戦線は、何といっても連合国軍により「オーバーロード作戦」の発動が大きな出来事でした。ある意味、第二次世界大戦のハイライトと言ってもいいかもしれません。これは連合国の首脳会談で、スターリンが東部戦線の負担を減らすために、西部戦線の再構築を米英に迫ったことにも起因します。
計画は何度も討議されてきましたが、ついに1944年6月6日(一般にDデイと呼ばれる)、イギリスからドーヴァー海峡を渡りフランス西岸に上陸、いわゆるノルマンディ上陸作戦から始まり、ライン川を越えてドイツ本土に迫るというものです。
映画でのノルマンディ上陸作戦の再現は、何といってもスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン(1998)」が、驚愕のリアリティで見るものを圧倒します。映画開始から30分近く使って描かれる、兵士が吹き飛ばされて死体の山ができていくところは、まさに阿鼻叫喚の修羅場で、戦場を知らないものを恐怖のどん底に突き落としてしまいました。
この作戦の一部始終を比較的事実に基づいて忠実に映画化したのが、「史上最大の作戦」で、「クレオパトラ(1963)」で倒産しそうになっていた20世紀フォックス社が、社運をかけたオールスター・キャストの群像劇です。
監督は、イギリス部分はこのあと「バルジ大作戦(1965)」でもメガホンをとったケン・アナキン。アメリカ部分はアンドリュー・マートン、ドイツ部分はベルンハルト・ヴィッキという三者が共同で行いました。音楽はモーリス・ジャールですが、有名なテーマ曲は出演者の一人、歌手のポール・アンカが作りました。
ただ、この手の作品に付きまとう欠点としては、どうしても登場人物が多くなり、軍の位と名前がいきなりわんさか出てきて混乱します。まぁ、有名な俳優が多いので、ある程度そこで見分けをつけていくしかありません。
基本的には、作戦を決行する数時間前からの24時間のストーリー。ドイツのロンメル将軍が、連合国軍の上陸を許すまじ、その戦いは長い一日になると言うところから、原題の「The Longest Day」が来ています。
イギリスからドーヴァー海峡をフランスに渡るには、距離が一番短く、ドイツへも近い北寄りのカレーの町付近に上陸するのが比較的楽と考えられたため、連合国はドイツが恐れるアメリカのパットン将軍を囮部隊としていかにも本物の大軍勢が待機しているようにふるまいます。ドイツはカレー上陸を警戒しますが、一部の将校はノルマンディを心配していました。
じつはイギリスとしては、自国から離れていて、ソビエトも牽制できるバルカン半島への上陸案を出していましたが、それではドイツまでの距離が遠すぎるため採用されませんでした。そこで、意表をついてドーヴァー海峡の最も広がったところから上陸することになり、選ばれた場所がノルマンディでした。
しかし、5月から待機していた連合国の大部隊は、6月に入って天候が荒れ、なかなかタイミングが掴めない。6月5日に、一時的に天気が回復するという予想により、ついに決行が決定しまた。ドイツ軍は天候の悪さで、油断していたのです。
映画では、まずイギリスのグライダー部隊が、ノルマンディの北、ベヌヴィルの町のオルヌ川にかかるペガサス橋を敵の補給路を断つために攻略します。フランスのレジスタンスは鉄道を破壊、ノルマンディ近くのカーンの付近には、人形をパラシュートで降下させ攪乱。アメリカの第82空挺師団と第101空挺師団は、カレーのすぐ近くサント・メールにパラシュート降下し後方を急襲。
そして夜明けとともに、ノルマンディの海岸には6千隻にも及ぶ艦艇が接近し、砲撃を開始。イギリス軍が上陸したソード・ビーチ、カナダ軍が上陸したジュノー・ビーチ、そしてイギリス軍が上陸したゴールド・ビーチは、死傷者(合わせて死者3000名)をだしつつも比較的早くに上陸に成功します。
しかし、オハマ・ビーチに上陸したアメリカ軍は、ドイツ軍の要塞化した防御態勢による間断ない砲撃と浜に設置された地雷などにより最も過酷な状況に陥り、ここだけで2400名の死者を出します。そして最西端のユタ・ビーチは潮流により着岸地点がずれたため比較的簡単に上陸に成功します。そして、連合国軍のそれぞれの部隊が、この長い一日を何とか乗り切るところで映画は終わります。
あまりにたくさんのスター俳優が登場するので、名前を挙げていたらきりがない。メイン・キャストと呼べるのは、第82空挺師団を率いるジョン・ウェイン、オハマを攻めるロバート・ミッチャム、ドイツ軍将軍のクルト・ユルゲンスでしょうか。ヘンリー・フォンダ、リチャード・バートンもちょこっと登場します。人気が出る前のショーン・コネリー、ロバート・ワグナーの顔も見えます。
ごく一部に、事実と異なる部分があるようですが、概ねノンフィクションに近く、映画のドラマ性という意味では、正直ぱっとしませんが、それぞれの立場から連合国軍の反攻とドイツの敗北の始まりが、この一日で決したという意味では大戦中もっとも大きなイベントだったことはよく伝わります。
製作されてから60年近くたちますが、当然後の映画のような特撮やCGを駆使したリアル(過ぎる)戦闘シーンはありません。まだ物量で勝負できたハリウッドが作った、第二次世界大戦物の映画としてはやはり外すことのできない傑作という評価は間違いありません。
2021年4月24日土曜日
チキンラーメン キャベサラダ
新発売!! 今度の日清のチキンラーメンはサラダにびったり!!
・・・というわけで、早速食べてみました。
袋を開けると、こどものげんこつ大の麺のかたまりと、普通の袋麺についてくるスープ袋くらいの香味醤油だれで1セット。
千切りキャベツとあえるだけ。簡単です。
すでに、皆さん、お気づきのことと思いますが、これ大ヒットしたマルちゃんの「無限キャベツのもと」の何匹目かのドジョウで、まぁ出るべくして出た、あるいは満を持して出たという感じ。
さて、そのお味は・・・
これもありだとは思いますが、無限シリーズの圧勝としたいと思います。
ラーメンが固くて、バリバリします。キャベツと分離してる感じです。
無限キャベツは細い皿うどんみたいな感じでパリパリ。キャベツと違う食感がうまく混ざり合うところが抜群です。
というわけで、日清さんには申し訳ありませんが、いっそうの奮起を期待します。とは言っても、「こどもがよろこぶ」としてありますから、大人の感想はどうでもいいのかもね。
2021年4月23日金曜日
自宅居酒屋 #34 ニンニク春菊
和え物は、時短ですぐ出せる肴となるので居酒屋メニューとしては重宝します。
これも和え物ですが、ニンニクで味付けした春菊です。レシピとしては簡単。
春菊を適当に切ったら、茎から先に入れて数分間ゆがきます。
基本の味付けは、シンプルにおろしニンニクと醤油で味付けをするだけ。調理時間は5分以内です。
今回は、ちょっと中華風に醤油半分、オイスターソース半分。さらに豆板醤をちょっと、ごま油をちょっと足してみました。
これはこれで、風味が豊かになりますが、まだ食べたことが無い方は基本でどうぞ。
2021年4月22日木曜日
骨模型
診療をする時、患者さんに説明するために便利なツールは骨・関節の模型。
もう今は、まったく無理なんですが、以前は製薬会社が自社の製品の宣伝を兼ねて、手ごろな模型を配っていた時期があります。
おかけで、だいたい必要なものはそろっているわけで、診察室の手が届く棚に並んでいます。
その中で、一つだけ木彫りの物。これ肘です。目立つせいか、時々、患者さんに「なんであれだけ木なの?」と聞かれることがある。
じつは、開院前・・・台風の強風で折れた街路樹の枝を拾ってきて、ナイフで自分で削ったものなんです。
ですから、関節部分の可動性はありませんが、まぁ、うまくできたかなと思っています。
内装工事をしている時期だったので、業者さんについでに頼んでニスを塗ってもらいました。自分ではけっこう満足しています。
2021年4月21日水曜日
2021年4月20日火曜日
コレール
食器の材質にもいろいろありますが、まぁ一番陶器が多いですかね。
ガラス製というのもあるし、中には金属製のものもあります。金属製は壊れませんが、たいてい見た目が味気ない。
陶器やガラス製だと割れやすいのが一番の難点。そこを何とかしましょうと登場するのがこれ。
これ・・・これ・・・コレールというわけで、1970年にアメリカで誕生した「Vitrelle(ビトレル)」と呼ばれる三層のガラスを熱圧縮させて、衝撃に強く割れにくくしたもの。
熱にも強く、電子レンジやオーブンに入れても大丈夫というのがウリになっています。
こどもが小さいときキャンプにせっせと出かけて、ブラ食器ではつまらないので少しはおしゃれに・・・と思って、少しずつコレールを集めました。何しろ、荒い扱いになりやすいキャンプでは重宝します。
ところが、ある時一瞬でほとんどのコレールが消滅したのです。
洗い終わったコレールをまとめてしまおうと長男が持ったのはいいのですが、期待通りというか、当然のように落としてしまいました。
さすがに大小20枚くらいを重ねていたので重たい。一枚なら割れなかったかもしれませんが、まとめてだといくらなんでも無理があったようで、ガッシャーン!!
コレールは割れると、普通のガラスよりもこまかく四散します。
その時生き残った数枚が今でも食器棚にあります。キャンプをしなくなった今では、新たに増えることなく、それなりに活躍しています。
2021年4月19日月曜日
パットン大戦車軍団 (1970)
監督は「猿の惑星」などのフランクリン・J・シャフナー。この映画ではアカデミー作品賞・監督賞・主演男優賞・脚本賞他7部門で受賞しました。ちなみに主役のパットンを演じたジョージ・C・スコットは、主演男優賞を辞退したことでも有名です。
映画開始早々、大星条旗をバックにジョージ・スミス・パットン・ジュニアが演説を行います。これはノルマンディ上陸直前に兵士たちに行った有名なスピーチで、実際の半分くらいに短縮していますが、6分間にわたる長いものでパットンの戦争に対する考え方のすべてが出し尽くされています。
1942年11月、パットン少将はモロッコに連合国軍として上陸(トーチ作戦)。映画は、実質的にはパットンがモロッコから勲章を授与されるところから始まります。ここで、最初のパットンの言葉は「私の楽しみはドイツと戦うことです」であり、結局これがすべて。
翌年3月、チュニジアのカセリーヌ峠でイギリス人の司令官が大敗した後を受けて、中将に昇進し司令官になり、旧知のブラッドレー少将(カール・マルデン)を副司令官に指名し緩んでいた軍を叩き直します。着任早々、兵営地のあちこちを視察し、厳しい戒律を決めていきます。病院では、「戦争神経衰弱」の患者を追い出し、ここは勇者だけが治療を受ける場所だと言い放ちます。
古代ローマ時代の戦場だった場所では、パットンは2000年前の戦いに思いを馳せ、生まれる前から軍人であった自分の信条を吐露します。指令部を空襲されると、外に飛び出し拳銃一つで相手に発砲する。しかし、戦死者の墓地では墓泥棒にあわないように見張りをつけさせ、勇者に対しての敬意は忘れません。
5月までに北アフリカのドイツ・イタリア軍を一掃し、いよいよイタリア本土への足掛かりとなるシチリア島攻略が開始されますが、イギリスのモンゴメリー将軍に花を持たせるため、自分が援護側に下がることに不満を持ちます。パットンは、命令を無視して島の北東端、イタリア本土の鼻先につながるメッシーナをモンゴメリーを出し抜いて先に確保してしまいました。この時に盟友ブラッドレーは、パットンに「あなたは意地で兵士を命の危険にさらしている。私は任務だから戦うが、あなたは戦うのが好きなだけだ」と非難します。
また、野戦病院では負傷兵には手厚くしますが、砲弾の恐怖に神経がすり減ってしまった兵士に対して「臆病者。俺が撃ち殺そうか」と言って追い出したことが事件になります。総司令官アイゼンハワーから公式に謝罪を求められ、1944年の新年早々に司令官の地位も失います。
いよいよフランス上陸作戦がせまっていましたが、連合国軍はパットンの実力を恐れるドイツ軍に、パットンがカレーに上陸するという偽の情報を流します。囮として何もできない忍耐の時期を耐えて、上陸後に大将に昇進したブラッドレーについに前線に呼び戻されたパットンは、師団を任されフランス国内を快進撃するのでした。
そして、また冬が訪れ、かの有名なバルジの戦い。ヒットラーの血迷ったとしか言いようがない、真冬の反抗作戦は連合国軍は予想をしていなかったため、虚を突かれ苦戦を強いられますが、ドイツ軍も補給が無く悪天候で思ったような進撃ができません。しかしパットンは積極的な対応で切り抜け、連合国軍の勝利の糸口を作ります。
そして、ドイツの敗戦。パットンの情報を収集していたドイツ士官は、資料を焼却処分しながら、「戦争が終わればあんたも終わりだ。偉大なる時代遅れだ」と、パットンの写真に向かっていうのです。あいかわらず政治的に利口に立ち回れないパットンは、引退同然の閑職に追いやられて映画は終わります。
実際には、パットンは1945年12月に不慮の交通事故により頚髄損傷を受傷し急逝しました。まさに戦争だけが生きている証のような人生だったと言えます。映画で綴られたエピソードは、ほぼ事実と言えますが、それでもパットンの人間性に焦点を据えた劇的なドラマに仕立て上げたのは、脚本を書いたフランシス・フォード・コッポラの力量が大きいと思います。
当然、まさに戦争屋としか言いようがないパットンの考え方は、今時共感できるものではありませんが、戦時下においては実際に戦闘に駆り出される兵士たちには頼もしい上司であったことは間違いない。少なくとも、口先だけうまいことをいうような人物ではなく、何事にも本音で相対したところが一人の人間として魅力的なのだと思います。
戦闘映画では無いので実際の戦争シーンはわずか。戦争映画としてみると、少しがっかりするかもしれませんが、第二次世界大戦を駆け抜けた一人の軍人のドラマとしては大変興味深く、3時間近い長尺ですが意外と退屈しない作品になっています。
2021年4月18日日曜日
ヨーロッパの解放 I & II (1970)
ドイツを中心に見ると、全方位的に戦線を拡大していたので、アメリカとの戦いはそのごく一部にすぎません。特に、東部戦線と呼ばれた対ソビエト連邦との戦いは、開戦当初こそポーランドの分割で合意しお互い不可侵で落ち着いていたものの、1941年6月の突然のドイツのソビエト侵攻(バルバロッサ作戦)により敵対関係が明白となり、最も熾烈を極めた戦闘が繰り返されたと言えます。
西部・南部への侵攻はある意味単純に領土拡大、北部は資源確保がその目的にあったと思いますが、東部、つまりソビエトに対してはイデオロギーの違いによる「ゲルマン民族の生存のための戦い」と位置づけていたようです。結局、ヒットラー率いるナチスは、ユダヤ人と同じようにソビエトに対しても人種的優越感を持っていたことがありました。
北から南までほぼ全域にわたって拡大した戦線は、1941年末までにドイツが優勢にソビエトを押し込みますが、12月に首都モスクワ攻略に失敗し、翌1942年6月からの南側のスターリングラート攻略(ブラウ作戦)も冬の到来により頓挫しました。これらの結果、ソビエトには勇気を与え、モスクワの南約400kmのクルクスにソビエトの支配地域が西に突出した形で残されます。
兵員・兵器をかなり消耗したドイツは、1943年5月に北アフリカ戦線でも苦戦を強いられ、チュニジアで敗北を喫します。3月から始まったクルスク突出部への進撃は、戦闘力の回復が間に合わず緩慢な攻撃になり、その間にソビエトに体制を立て直す余裕を与えてしまいました。
この戦いが本格化するのは7月になってからで、地上戦においては戦車を中心にした戦法が採用され、大戦史上、最大規模の戦車戦が繰り広げられたことで知られます。両軍合わせて動員された戦車は8000台にも及び、その半分が戦闘で破壊されました。
しかし、7月10日に連合軍がイタリア半島のつま先、シチリア島に上陸し7月末までにイタリア軍をが敗北し独裁者ムッソリーニはいったん権力の座を失い軟禁されます。この知らせを受けてヒットラーはクルスクからの撤退を決めています。ここにドイツは東部戦線の優位性を失い、じりじりとソビエト軍の前進を許すことになりました。
この年の末までに、ソビエト軍はウクライナの要所ハリコフからドイツ軍を追い出し、ドニエプル川(現ロシアからベラルーシ、ウクライナに通じる大河)を超えることに成功しキエフを奪還しました。
イタリアも連合軍本土上陸直前の9月に降伏しています。ドイツ軍はローマから以北を占拠し抗戦し、少しずつ北に撤退するものの、連合軍がローマを手中にするのは翌1944年6月4日、ノルマンディ上陸のわずか2日前でした。
さて、「ヨーロッパの解放」という映画は、旧ソビエト連邦が制作した、クルスクの戦いに始まるソビエトの反抗の開始、そしてナチスの懐に攻め込み最終的にベルリンが陥落するまでを描く全5部からなる8時間近い超大作です。
60年代末に3年間かけて、ソビエトの威信にかけて軍が全面的に協力し、本物の戦車が大挙して登場する大迫力の映画なんですが、ただし注意をしなければならないのは、まさにソビエトが正義一辺倒の国策映画であるという点です。とはいえ、連合国軍として形の上では味方だったイギリス、アメリカのことは悪者にはしていません。
ほぼ史実に忠実に話が進行しますが、ソビエトにとって都合の悪いことはすべて省略。自分たちの同胞がいかに勇猛果敢に祖国を守り、悪のナチスを倒したかを延々と見せられるわけですが、そこを理解した上で見るなら、1943~1945年の東部戦線の動きが理解できます。
当時の本当の映像も混ぜて、記録映画のような作りで、映画としての展開の面白さはあまり無いといえます。ただ、自分のところのスターリン、敵のヒットラー、ムッソリーニ、味方のチャーチルなどは、そっくりさん俳優が登場し、なかなか興味深い。すでにスターリン批判が行われていた時代なので、スターリンは冷酷な人間としてあまり持ち上げていません。
戦場のシーンはカラーですが、ソビエト以外の人物の描写の部分は白黒。それぞれの国の言葉でしゃべっていますが、これにロシア語の同時通訳のようなナレーションがかぶさってくる、いわゆるボイス・オーバーという方法はソビエト映画の得意なところなんですが、正直言って聞き苦しい。
第1部はクルスクの戦いまでで、本物のソビエトの戦車がこれでもかというくらい大量に平原を突っ走るのは壮観です。ドイツの戦車は、ソビエトのものを改造しているらしいのですが、これも本物そっくりと評判です。後にも先にも、これだけ実写で戦争を再現する映画はおそらくこれだけと言えそうです。
第2部はドニエプル川を渡河してキエフを奪還するまで。ダム湖になって川幅が長大な渡河作戦は激烈を極め、ここでも当時の実録かと思わせるほど大規模な戦闘シーンが続きます。幽閉されたムッソリーニをヒットラーの特命によってドイツが救出したり(1943年9月12日)、テヘランでのスターリン、ローズベルト、チャーチルのテヘラン会談(1943年11月末)といったイベントも盛り込まれ、1944年の新年が明けるところで終わります。
ところどころにフィクションと思われる、ドラマ的な兵士たちの様々な葛藤が描かれるシーンが出てくるのですが、それが膨らんでいく感じはなく散文的なもの。展開も唐突な場面転換が多いので、(ソビエトに都合が良い)歴史的な時間推移を知る以外はなかなか難しい映画かもしれません。
2021年4月17日土曜日
戦後のこども
いわゆる「戦争を知らないこどもたち」である昭和のこどもである自分は、こども時にはまったものの一つにプラモデルがあります。
パーツを接着剤でくっつけて、完成品に付属のシールを貼ったり、時には「プラカラー」という塗料を塗ったりして完成させます。当時、悪ガキが有機溶媒を吸ってラりっているというのがありましたが、プラモデルに色を塗る作業は、なかば合法的な「シンナー遊び」みたいなもの。
それはさておき、プラモデルで作るものというと、戦争が終わって20年近くたったいましたが、日本やアメリカ、ドイツの戦闘機とか軍艦とか戦車が多かった。もちろんレーシングカーみたいなモダンなものもありましが、まだまだテレビのアニメとかは「鉄人」とか「アトム」くらいなものでプラモデルはほとんどなかったように思います。
そういえば、漫画も「青の6号」、「サブマリン707」、「紫電改のタカ」、「0戦はやと」といった戦争を題材にしたものがたくさん少年誌に連載していたものです。戦争の悲惨さよりも、戦争に登場する各兵器のカッコよさだけが生き残っていたような時代です。
日本の漫画の元祖といえば、田川水泡の「のらくろ」シリーズで、これもそのころ復刻されてうちにもありましたが、これで軍隊の階級とか覚える教科書みたいなものでした。まぁ、戦争関連が商売になる最後の時期だったのかもしれません。
こどものカルチャーは、昭和40年代にはいって「サイボーグ007」とか「巨人の星」、あるいは「あしたのジョー」などのヒットによって急速に戦争から離れていきます。
今になって考えると、確かに当時の日本の教育は、加害者側の「戦争の反省」という点については置き去りになっていた感があるかもしれない。地球上で唯一原爆を落とされた国、敗戦国として占領された国といった、被害者的な意識がどこかにあったことは否定できないところで、もしかしたらそれがいまだに世界の中、特に近隣国との関係で影響を残しているのかもしれません。
今の時代は、戦後75年たっても第二次世界大戦後の枠組みを大筋で維持しています。しかし東西冷戦後は、共産圏の再編成、宗教対立などの枠組みが変化しつつある中で、日本は戦争をどのように認識し消化してきたかが問われている部分がありそうです。
おそらく戦後教育で(少なくとも自分にとっては)十分とは言えない戦前・戦中の歴史上の事実を、しっかりと整理して認識することは現代社会の中で忘れられていた重要なポイントです。それを自分が興味のあるもの、小説でもマンガでも、あるいは映画などを通して知ることは意味があることだと思います。
2021年4月16日金曜日
海外発送品のリスク
日頃からAmazonヘビー・ユーザーなんですが、確かにPrime対象で翌日には届くというのは嬉しい。特にDVDやBlurayは、欲しい時が見たい時ですからね。とは言っても、新品を買うことはめったに無い。ほとんどは中古です。
Amazon以外の店舗が販売しているのはマーケット・プレイス品と呼ばれていますが、中古を狙うとほぼこの中から探すことになります。
中には1円というのもありますが、たいていは送料350円がついているのはしょうがない。中には送料無料の350円なんていう良心的なお店もあります。
安い!! と思ってみると、海外発送のことがしばしばあるんですが、この場合たいてい船便での発送。届くのに、早いと1週間。実際は、3週間前後かかることが多くて、気長に待つ心構えが要求されます。
4週間待って到着しないので、連絡したら再発送してくれました。それから4週間、結局手に入らずキャンセルしたことがあります。でもちゃんと返金してくれたのでOK。
今回の注文で、もう一つのリスクに遭遇しました。どことは言いませんが、海外発送だと商品の扱いがぞんざいなことにしばしば遭遇します。
これは「新品」のはずのBlurayのケースの角が粉々で、中のラベルも破れているのが届いたというもの。ヒンジも割れて、6枚組の中のトレイがばらばらになってしまいます。
輸送の途中の落下? でも、不思議なことに厚紙の封筒は何ともなっていません。ということは・・・最初からわかっていて発送したということ。
まぁ、大事なディスクは再生に問題がなかったのでそのまま受け取ることにしました。こんなこともありうるると思って注文しないと、けっこうガッカリするかもしれません。
2021年4月15日木曜日
自宅居酒屋 #33 コンニャク・ステーキ
煮物を作ったけど、コンニャクが余っちゃうなんてことありません?
そういうときは、焼いてステーキにしちゃうと、立派な一品に早変わりです。
香りが立つようにごま油で焼きます。味がしみ込みやすいように、両面に格子状に切り込みを入れておきます。
味付けはお好みでいいんですけど、基本は醤油。ちょっとかけて焼き、またちょっとかけて焼きを繰り返します。
何回かやって、5分くらい焼いていると、まぁこんなもんかなくらいに焼けてきます。
適度に水分が飛んで締まりますから、コリコリ感が出てきて食感的にもいい感じです。
2021年4月14日水曜日
おもちゃの国 (2007)
しかし、衝撃的な事件が発覚しました。一般に「カティンの森事件」と呼ばれる、ソビエトによる、捕虜となったポーランド将校に対する大量虐殺です。
1939年9月の開戦時に、ポーランドに侵攻したソビエトによって捕虜となったポーランド兵は、将校は約1万人、一般兵士は18万人と言われています。その後。ドイツがソビエトに侵攻したため、ポーランドとソビエトは捕虜開放で合意します。しかし、行方不明のポーランド兵士20数万人のうち、解放され確認が取れたのはその1/10程度でした。ポーランドは何度もソビエトに問い合わせをしましたが、スターリンは「彼らは開放された」の一点張りだったのです。
1943年2月、ソビエト内のカティンの町に近い森の中で、侵攻したドイツ軍によって捕虜だったポーランド兵の厖大な遺体が発見されました。赤十字が中心になって行われた調査では、遺体の死亡時期は1940年春で、様々な状況証拠からソビエトに責任があると推定され、ドイツはソビエトを、対するソビエトはドイツをお互いに虐殺の張本人として非難し続けます。
しかし、事件から半世紀近くたったゴルバチョフ政権下の1990年に、スターリンが殺害を指示したことを示す文書が見つかり公開されたことで、自ら公式にソビエトの独裁体制による犯罪と認めるに至りました。結局、殺害されたポーランド兵は2万~2万5千人ということがわかっています。
おそらく、ポーランド民族主義の中核となりうる将校たちが将来的に邪魔な存在であったことが、この事件の原因の引き金だったと考えられていますが、真相についてはいまだに謎が残る事件になっています。
ポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダ監督は、自身も父親がカティンで謀殺されており、2007年に「カティンの森」でこの事件を取り上げました。
戦争の中で攻撃してくる敵を殺すことは犯罪には当たらないことになっていますが、武器を放棄し戦う意思を示さない相手、ましてや民間人を殺傷することは厳しい批判の対象になります。日本も含めて、このような事案は多数発生していて、戦争が人間性をいかに狂わしていくか怖さしか感じられません。
特にナチス・ドイツがおこなったユダヤ人絶滅を目的とした大量殺戮はホロコースト(ドイツ語、丸焼きの供物という意味)と呼ばれ、ドイツ国内はもとより占領地のユダヤ人を強制収容所に集め、特にアウシュビッツに代表される絶滅収容所では信じられないくらい多くの人々が虐殺されました。亡くなった方は600万人とも、それ以上ともいわれています。
この極端な民族主義によってあまりに多くの悲劇を生み出したことは、人類史上けっして忘れてはいけない、そして絶対に繰り返してはいけないことであることは疑いの余地がありません。日本でも、遠藤周作が著した「海と毒薬」のモチーフになった九州大学生体解剖事件(1945年)があり、アメリカ兵捕虜を生きたまま解剖するというおぞましい事件があることを忘れてはなりません。
今回紹介するのは、実はDVDなどのメディア販売はありません。しかも、たったの13分間というドイツの短編映画です。そして、戦闘シーンがあるわけではないし、人が死ぬところが出てくるわけでもありません。しかし、この13分間の中に凝縮されたホロコーストに対する痛烈な思いは2時間の映画に負けない、むしろ短いだけに濃密なインパクトを与えてくれるものです。
監督・脚本はヨヘン・アレクサンダー・フライダンクで、この映画はデヴュー作ですが、アカデミー短編実写映画賞を受賞し、その他のいろいろな映画祭でも高く評価されました。
幸い、YouTubeで英語字幕付きで見ることができますので、是非ご覧になることをおすすめいたします。おかしな日本語ですが、自動翻訳も利用できます。ただし、物語はいくつかの違う時間の流れのシークエンスが、複雑に交差するような作りになっていることと、ベースになるユダヤに対する事象についての説明は特にありませんので、十分に予備知識を整理しておくことが求められます。
町からはユダヤ系住民が、どんどん収容所に送られている時期、つまり1942年頃の話です。小さな二組の手がピアノの連弾をしているところから映画は始まります。とても仲の良い二人のこども、ハインリッヒとダビッドでしたが、ハインリッヒはドイツ系、ダビッドはユダヤ系なのです。
ハインリッヒは母親に、ダビッドの母親が悲しそうにしている理由を尋ねます。母親は正直に答えることができず、一家は「おもちゃの国」に行くことになったと説明します。ハインリッヒは「おもちゃの国」という言葉に魅力を感じ、ダビッドとも離れたくないので自分も行きたいと言い出します。
ある朝、ついにダビッドの一家は親衛隊らによってトラックに乗せられ駅に向かいます。後を追うハインリッヒは、トラックには乗ることができませんでした。しかし、母親はベッドにハインリッヒがいないことに気がつき、一緒に行ってしまったと思い駅に走ります。
親衛隊に頼んでまだ出発していなかった車両のドアを開けてもらうと、ダビッドの一家がいました。振り向いた子供の顔は・・・ダビッドでした。しかし、母親はあらためて「ハインリッヒ、こっちに来なさい」と呼びかけます。ダビッドの両親もそっとこどもを押し出すのでした。最後は年老いた二組の手が連弾をしているところで終わります。
平和な日常が、ユダヤ人だからというだけで理不尽に壊される現実。こどもに真実を伝えられず、思わず嘘をつく母親。その嘘を真に受けてしまう純粋なこども心。ユダヤ人かどうかで大きく変わる親衛隊の態度。自分たちの運命を予見しているユダヤの人々。そして、自分の子ではないとわかっていても、こどもだけでも救い出したいと思う気持ち。この子だけでも助かってほしいととっさに願う両親。
おそらく父親は出征しているのか、すでに亡くなっているのかはわかりませんが、母親だけで二人のこどもを育て上げたことは間違いなく、それは相当過酷なことだったに違いない。そこには自分たちの同胞がユダヤ人に行った多くの残虐な行為に対する贖罪の気持ちがあったかもしれません。
2021年4月13日火曜日
スターリングラード (1993)
ドイツは、第6軍を中心に40万人近い兵士を送り込み、当初は優勢に戦っていましたが、ソビエトの挙国一致体制による徹底的な抵抗により一進一退のまま膠着状態に陥ります。
広大な国土を持つソビエトは、いくらでも後退が可能であり、ドイツ軍はすでに補給路が脆弱なっていて極端な前進もできない。そして厳寒の冬が来れば、ソビエトに圧倒的な地の利があることは明白でした。
11月にソビエトは大規模な反抗を展開し周囲からスターリングラードを包囲することに成功し、ドイツ軍は町の中に孤立した状態になります。第6軍のバウルス司令官は撤退の許可を求めましたが、ヒットラーは却下。パウルスを元帥にまで昇格し奮起を求めますが、1943年1月31日についにパウルスを含めに生き残っていた10万人ほどが降伏しました。最終的には双方ともに100万人程度の死者がでる悲惨な結果となり、ヨーロッパ戦線のターニング・ポイントの一つと言われています。
この映画は「Uボート」を制作したドイツのスタッフが再集結して作ったもの。映画としての知名度は落ちますが、戦争映画の隠れた名作として知る人ぞ知る作品です。
冒頭から、勲章をもらうというのに軍服の襟を開いたまま直そうとせず授与取り消しになるドイツ兵士がいたり、ロシア兵捕虜に対する暴力的な扱いに抗議するなど、今までアメリカ映画中心に描かれてきたドイツ兵のイメージとはかなり違うことに驚きます。
北アフリカ戦線で成果を上げたドイツ軍第6部隊の戦闘工兵らは、イタリアでつかの間の休暇を楽しんでいました。そこに新任の若く前線未経験のヴィッラント少尉が赴任し、彼らを引き連れスタリーングラードに向かいます。そこでは、激烈な市街地での近接戦が繰り広げられていました。恐怖に動けない者、敵を倒して失禁する者など、ドイツ兵も一人の人間として描かれています。
ヴィッラントの小隊は、次第に仲間を失い残り数名で地下水道から脱出しますが、その途中で仕掛けられていた爆弾で一人が瀕死の重傷を負います。彼を連れて何とか大隊の仮設病院にたどり着きますが、治療を早くしろと騒ぎ逮捕されてしまうのです。
そして長期化した戦闘は12月、ロシアの厳しい冬将軍が到来します。スターリングラードで包囲されつつあるドイツ軍は、ヴィッラントら囚人兵も突破口の要員として刈りだします。すでに軍としての統制力は無くなっており、マイナス50度という想像を絶する寒さの中で軍隊は崩壊し、誰もが人間性すら失っていくのでした。
結局、この映画では主だった登場人物は、戦闘で死ぬのはいい方で、凍死、餓死、自殺など兵士としての自尊心などを保つことができないような極限状態に全員が生を全うできません。救いがない結末しかそこにはありませんので、ダイレクトにナチス・ドイツ上層部に対する強烈な批判が見て取れます。ただ、その反面ドイツ軍最大の悲劇ともいわれるこの戦いに参加した兵士たちを英雄視はしていないものの、望まない悲劇の主人公にしてしまっている部分は否定できません。
日本も同様ですが、敗戦国側としては当然、戦争を美化するような描き方はできません。運命に翻弄され抗うことができなかった人々という視点は、映画の中に入ってくるのはやむをえないのかもしれません。
双方のスナイパーが対決する「スターリングラード(2001)」はアメリカ・イギリスなどの制作した映画で、どちらかというと戦争アクション物。ロシアが作った「スターリングラード 史上最大の市街戦(2013)」は、東日本大震災に救助隊として参加したロシア人がドイツ人を救助したことから、過去を回想するという不思議な展開の映画です。
2021年4月12日月曜日
トラ! トラ! トラ! (1970)
1941年の次の大きな動きは、6月のドイツ軍のバルバロッサ作戦と呼ばれるソビエト侵攻です。これにはフィンランドも、冬戦争で奪われた領地回復のためドイツ側で参戦(継続戦争)しています。フィンランドの戦いは「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場(2017)」で映画化されています。バルバロッサ作戦についての映画は多くはありません。
9月にはレニングラードを包囲しますが、これは2年を超える長期にわたり市民は想像を絶する忍耐を強いられます。さらにモスクワに迫るも冬の到来とともに補給路を断たれ苦戦し、12月を前にしてドイツ軍は初めて敗北を喫することになります。ナチスは秘密警察ゲシュタポや親衛隊による統制を強化し、さらにヒットラー独裁による恐怖政治を押し進めるのです。
この年、日本軍は東南アジア方面への侵攻を開始します。12月7日にマレー半島のイギリス軍に攻撃をしたことで、実質的な太平洋戦争が開始されたとされています。さらにその数時間後に、ハワイ・オアフ島のアメリカ海軍基地を強襲し、ついに何とか中立を保っていたアメリカを戦争にひきづり込みました。
日本にとって、この真珠湾攻撃はある意味、実質的に敗戦国となる命運を決定づけたのかもしれません。戦線の拡大は、兵員の分散と補給路の不確実性を増大させることにつながり、冷静に考えれば連合国軍に比べ人員的・物質的に限界のある日本は圧倒的に不利としか言いようがない。アメリカとの戦争が長期化すれば不利であることは、日本の一部の軍人にはわかっていたようです。
当時、中国に進出し領土を拡大する日本に対して、徐々にアメリカは対決姿勢を強めていました。そして、真珠湾にはアメリカの太平洋艦隊の主力戦艦が集結しており、マレー半島に進軍する日本にとっては脅威になっていました。しかし、アメリカは、日本からの攻撃は不可能と考え油断してことは否めません。
11月末にハワイに向けて出発した日本軍の機動部隊は、決行日を示す「新高山(ニイタカヤマ)登れ一二〇八」の電信を受けます。ハワイ現地時間12月7日早朝、艦隊から発進した200機弱の戦闘機、爆撃機が一気呵成に襲い掛かり、太平洋艦隊に甚大な被害を与え、「トラ・トラ・トラ」の電信が伝えられたのです。
モールス信号のトラ・トラ・トラは、「我奇襲ニ成功セリ」という意味と解釈されていますが、「突入セヨ(ト)、雷撃機(ラ)」の意味で、第1波で相手の迎撃態勢を崩したことで、重たい魚雷を搭載し動きが鈍い雷撃機に出された指令だったという意見もあります。
短期決戦の勝利でアメリカの戦意を喪失させ主導権を握るはずだったこの作戦は、直前に宣戦布告するはずだったのが、実際にアメリカ側に伝えられたのが真珠湾が火の海になった後のことでした。実質的に宣戦布告なしの奇襲攻撃として「リメンバー・パール・ハーバー」のスローガンのもと、むしろアメリカを戦意高揚へ向かわせることにつながります。
真珠湾攻撃にまつわる映画としては、そのものすばりの「パール・ハーバー(2001)」がありますが、これは親友同士と恋人との三角関係の話で、どちらかと言うと恋愛物。アメリカ国内でも、真珠湾攻撃の扱い方には批判的でした。ちなみにヒロインは「アンダー・ワールド」のケイト・ベッキンセイルです。
20世紀フォックス社のD・F・ザナックは、ノルマンディ上陸作戦を描いた「史上最大の作戦」のヒットに気をよくして、今度は太平洋戦争物を日米合作で企画したのが「トラ! トラ! トラ!」でした。しかし、アメリカにとっては屈辱的な展開の出来事であったのと、日本側スタッフとのトラブルだけでなく、アメリカ国内でも議論が巻き起こり興行的には成功とは言い難い結果になりました。
日本側とのトラブルは、監督に起用された巨匠・黒澤明との間に生じたもので、最終的に黒澤の降板という、日本映画史としては重大事件に発展しました。制作サイドが細かく管理するアメリカ式に対して、すべてを掌握したい黒澤の手法が相いれないのは当然です。また、いつもの東宝ではなく東映だったため、手慣れたスタッフ(いわゆる黒澤組)がいないこと、リアリティを重視して演技経験のない人を自らたくさん配役したことも黒澤をいらだたせたようです。
最終的には舛田利雄と深作欣二のダブル監督が決定し、アメリカ側のリチャード・フライシャーとの3人体制で映画が作られました。軍が協力してアメリカの本物の戦闘機や艦船が登場し、ゼロ戦などの日本の戦闘機は、アメリカの飛行機を可能な限り本物そっくりに改造し、実機が飛び交う様はかなり迫力のある仕上がりです。
アメリカの過信からの油断、そして日本の過信から増長を比較的正直に映画化したことは評価されますが、その分ドキュメンタリー色もあり、ストーリーとしての面白さは2時間半もたすのはちょっと厳しい感じもします。
日本は、マレー半島も手中にし。さらにフィリピン、シンガポールにまで侵攻します。主にイギリスの植民地が次々と陥落していくため、ヨーロッパでのイギリスのドイツ戦略にも影響を及ぼしました。「戦場にかける橋(1957)」は、この頃のタイで日本軍の捕虜収容所を舞台としたストーリーですが、映画として名作ではありますが、ほとんどフィクションです。
年が明けて、1942年初頭より戦線は南はニューギニア、ソロモン諸島に及び、しだいに日本の軍事行動にも行き詰まりが出始めます。そして6月に太平洋のど真ん中、ミッドウェイ環礁において、半年で立て直したアメリカ軍と大規模な海戦が起こり日本軍は完敗します。映画では1976年のものと、最近の2019年のものがあります。
2021年4月11日日曜日
自宅居酒屋 #32 イイダコの煮付け
イイダコは小さいので4~5個が串刺しになって、バーベキュー用みたいな売られ方をしているのを見つけます。
でも、その機会はごく稀で、めったに手に入らない・・・なので、これを見つけた時はできるだけたくさん買っちゃう。ただし、バーベキューではなくて、串から外して煮付けにします。
ふと、思いついて、Amazonで探してみたら、なんだ普通に売っているじゃん。
生のまま冷凍したものは、たぶんいろいろと前処理が必要でめんどう。ボイルしてから冷凍したものなら、その手間が省けるだろうと注文したら正解でした。
おそらく、ボイルしてすこし縮んでいるとは思いますが、さらに味をつけるのに煮るので、ちょうど一口で頬張れるサイズになります。
流水でざっと解凍して、味付けは基本は醤油だけで十分ですが、少しだけミリンをいれるとより美味になる。
煮すぎると固く縮まってしまうので、5~10分くらい煮たら、あとは自然に冷めるのを待ちます。そうすると味がしみ込んで出来上がり。
肴にばっちり。最高です。
2021年4月10日土曜日
2021年4月9日金曜日
Uボート (1981)
ドイツがポーランドに宣戦布告無しに侵攻した1939年9月1日に続いて、今度は9月17日にはソビエト連邦が東からポーランドに攻め込んできます。勢いに乗ったソ連は、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を制圧し、さらにフィンランドに迫りました。
フィンランドは、19世紀初めに実質的にロシア帝国の一部となっていたのですが、第1次世界大戦終結後に独立していました。再び傘下に収めようとするロシアに対して、人員・物量とも不利にもかかわらず、フィンランドは徹底抗戦します。1939年11月に始まったフィンランドの対ソ連の戦いは「冬戦争」と呼ばれていて、フィンランド映画の「ウィンター・ウォー 厳寒の攻防戦(1989)」でその戦いが描かれています。
一方、ドイツ軍も1940年4月に突如北上しデンマーク、ノルウェイに侵攻。5月にはベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)にも侵攻し、電撃的な攻撃により短期間で占領範囲を拡大していきます。
ダンケルクでイギリスを大陸から追い払ったドイツ軍は、6月にフランスを占領。ここタイミングでムッソリーニ率いるイタリアも枢軸国の一員として参戦してきました。イタリアは、北アフリカのリビア、エジプトに侵攻し、さらにギリシャにまで戦場を拡大していきます。
空軍の攻撃が成果をみないドイツ軍はイギリス上陸作戦をあきらめ、ソ連の動きに注意を払い、北アフリカのイタリアを支援することに集中します。また巨大戦艦ビスマルク、高性能潜水艦Uボートによる大西洋制圧に力を注ぐようになります。海戦物の映画としては、ビスマルクの進水から撃沈までを描いた「ビスマルク号を撃沈せよ(1960)」があります。
ドイツの潜水艦は、じつは第一次世界大戦でも数百隻が投入されていたのですが、第二次世界大戦の潜水艦の代名詞Uボートはさらに多くが建造され、フランス占領後に活発に活動し数千隻の船舶を撃沈しました。しかし、しだいに連合軍の対潜水艦対策が科学面で進歩し、大戦中を通じて最も死亡率の高い部隊となってしまいました。
Uボートとアメリカ軍駆逐艦の海面と海中での頭脳戦を見事に描いたのが「眼下の敵(1957)」で、映画としてはサスペンス重視のほぼフィクションですが戦争映画の名作として記憶されます。駆逐艦艦長のロバート・ミッチャムとUボート艦長クルト・ユルゲンスの駆け引きが素晴らしい。
ドイツが自ら製作した「Uボート」は、まさにドイツ潜水艦の真実を包み隠さず描いた潜水艦映画の名作です。監督はこれがきっかけでハリウッドに進出したウォルフガング・ペーターゼンで、もともとはテレビ用のミニ・シリーズとして全6話、約5時間の長さですが、先に約半分程度に編集した映画版が公開され、世界的にヒットしました。
実際にUボートに同乗した経験をもとにした小説が原作ですので、ほとんどのストーリーはフィクションといえど潜水艦内の緊迫感のある極限状態についてはかなり現実的な描写となっています。映画版でもすごい出来なのですが、テレビ版が、より登場人物の人間像が緻密に描かれドラマとしての深みが増していて、長くても緊張感が途切れることはありません。
フランスの大西洋に面したラ・ロシェル港に明日出航のUボートの乗組員が集まっています。身なりを整えた艦長(ユルゲン・プロホノフ)は、同乗記を書く報道班のヴェルナー少尉(ヘルベルト・グレーネマイヤー)を連れ立っていました。何度も航海を共にした機関長、航海長のほかに、いろいろな部下が前夜を羽目を外して大騒ぎしていました。
出航してしばらくは、何事もなく何日も静かに過ぎていきましたが、イギリス海軍の駆逐艦と遭遇して機雷攻撃を受けたり、補給船に魚雷攻撃をして沈没させたりと、やはりただでは済まない航海となります。そんな彼らは密閉した狭い艦内でどんどん心理的にも追い詰められていき、その上さらにジブラルタル海峡を突破してイタリアに進むよう指令がおります。
実際には、狭い海峡を突破できたUボートの記録はありませんし、イギリス海軍が拠点の一つにしている場所を通り抜けるというのは、ほとんど自殺行為です。当然、攻撃を受けて重大な損傷を受けたUボートは、海峡の海底に沈んでしまいます。彼らの生き残るための、必死の作業が行われるのでした。
実物大の潜水艦のセットを作り、その狭い艦内を前から後ろまでカメラが移動していき、各部署を緻密に描写していきます。実は、この潜水艦が「インディ・ジョーンズ / 失われた聖櫃」で使われています。
派手な戦闘シーンはわずかで、ほとんどが潜水艦内だけで進行するサスペンス色が強い作品ですが、ドイツ兵も一人の人間であり、上からの無理難題に翻弄される様を通して戦争の不条理を端的に表現することに成功していると言えます。
2021年4月8日木曜日
自宅居酒屋 #31 小松菜辛子和え
これも簡単レシピです。
ほとんど説明する必要が無い定番の料理の一つで、茹でた小松菜に和辛子と醤油を和えるだけ。味の濃さは個人のお好みです。
うちは辛子多めで、醤油少な目。
今回は、ちょっとバリエーションをつけて、フレークのツナ缶を開けてまぜています。
ツナと醤油は相性が良いので、違和感なく楽しめます。
2021年4月7日水曜日
2021年4月6日火曜日
空軍大戦略 (1969)
ダンケルクの撤退を許したドイツ軍は、休むことなくフランスへの侵攻をさらに進めます。そしてついに1940年6月22日、フランスはドイツに降伏占領され、フランスは南部のみ名目だけの主権国家となります。後に大統領となるシャルル・ド=ゴールはイギリスに亡命政府府を作りました。
ヒットラーの次の標的はイギリスでした。戦争初期には無敵を誇ったドイツの空軍機、メッサーシュミットや爆撃機ハインケルを夏以降大量にドーヴァー海峡を越えて投入しますが、イギリス空軍もスピット・ファイヤーなどで応戦。特に最新のレーダーを備えたイギリス軍は、徐々にドイツ軍を消耗させていきます。これは歴史的には、「バトル・オブ・ブリテン」と呼ばれる空の戦いとして記録に残りました。
ヒットラーは小型機による攻撃を断念し、爆撃機によるロンドン空襲に作戦を切り替えます。しかし、なかなか決定打とならず、北のソビエトの動きが活発化してきたためイギリスへの侵攻は中止になりました。無敵を誇り快進撃をしてきたヒットラーにとっては、最初のつまづきでした。
この映画は、原題はまさに「Battle of Briten」であり、監督は「007シリーズ」で有名なガイ・ハミルトン。チャーチルの「フランスの戦いは終わった。次はイギリスだ」という言葉から始まり、絶対的な主人公なしで、イギリス政府・軍部のそれぞれが、各部署で対ドイツ戦を準備し、何とか撃退するまでを歴史的事実を踏まえて描いていきます。
1940年6月、イギリス軍はダンケルクから撤退し、ヒットラーからは降伏同然の和平案が示されますが、イギリスは断固拒否します。これは軍備が整うまでの時間稼ぎで、実際、パイロットや新技術のレーダーの使用した管制官の育成を急いでいました。
イギリス空軍のトップはローレンス・オリヴィエ、一方のドイツ側にはクルト・ユルゲンスという豪華なキャスティングです。イギリスのパイロットは、クリストファー・ブラマー、ロバート・ショー、マイケル・ケインというのもすごい。なんか007にゆかりの人ばかりだと思ったら、何と製作がショーン・コネリーのボンド映画をアルバート・ブロッコリと共同製作したハリー・サルツマンです。
ブラマーの奥さんがスザンナ・ヨークで、空軍に所属してすれ違い夫婦になっているエピソードが、ドラマとしてのアクセントになっていますが、あくまでも刺身のつまみたいなものです。何といっても、一番の見せ場は飛行機同士の空中戦です。
ミリタリー・マニアの人からは一言あるようですけど、ほぼ本物の実機がどんどん登場してくるのはなかなかの見物です。撮影時、ドイツの爆撃ハインケルがロンドン上空を飛行したのは、かなり市民を仰天させたらしい。
模型はたくさん使われているようですが、CGの無い時代ですから当然ですが、最近の派手な爆発シーンやリアルな死体の山は登場しません。それでも、実際にアクロバット飛行で、実機が飛び回ることは、逆に今となっては実現不可能な映像だと思います。
映画の中ではイギリスの4倍の飛行機を有すると表現されていますが、実際にはほぼ空軍の兵力は拮抗していたようです。また、レーダーの実用化により早期に敵機の飛来を把握できたことや、イギリス寄りの戦場ではパラシュートで降下したパイロットを回収しやすかったといった地の利があったことで、イギリスの方が押し気味に戦闘が進行したようです。
両軍機ともに航続距離は700km程度なのですが、ドイツはフランスから飛来して往復だけで燃料の半分近くを消費してしまうので、イギリス上空で戦闘にかけられる時間は10分程度と映画内で説明されています。
ドイツの判断ミスは、自軍が優位と考え、直接ロンドンの爆撃に作戦の中心を移行させたことでした。爆撃の侵入ルートは予想されやすく、また小型の戦闘機の方が機動性に優れているので、ドイツ空軍は甚大な損失を受けることになります。
最後の大規模な空中戦シーンは、効果音や俳優の言葉は無く、音楽だけで延々と続きます。そして、映画は集中的な攻撃がひと段落ついて、何とドイツの攻撃の矛先がソビエトに向いたことで、イギリスに束の間の平穏が訪れ終了します。
2021年4月5日月曜日
ダンケルク (2017)
そうなると、戦闘行為そのものを中心にしたもの、戦中・戦後を通じて兵士たちにのしかかる心理的重圧を中心にしたもの、そして直接戦闘に参加しない市民たちを中心にしたものなどの特色が見えてくるようになります。
実際、両大戦の大きな違いは、第二次世界大戦では銃後の民間人にも影響があり、ホロコーストも含めて一般市民に多数の死者が発生していることがあげられます。民間人にも多くのトラマが発生するのは必然です。
敗戦国である日本が制作する戦争映画は、多くが巻き込まれる民間人や、死に行く兵隊の「悲劇」というテーマに沿ったものが多い印象があります。そういう意味では、大戦を歴史的に総括していく上では、残念ながら邦画は必ずしも適当とは言いにくい。
また、太平洋戦争に関しては直接の当事国であり、戦前の軍国主義が覇権の拡大を推し進めたことは間違いのない事実で、多く責任があることは否定できません。しかし、洋画で太平洋戦争を見るとなると、映画で描かれるばたばたと死んでいく者は、自分の身近な人々かもしれないと思うと、複雑な心境にならざるを得ない。
よく戦後について日本はドイツと比較され、最大の責任者であるアドルフ・ヒットラーが死亡していることから、ドイツが戦争責任を真正面から受け止め、映画でもはっきりとそこを認めたものが作られているという話があります。おそらく、日本の場合は形式的だとしても当事者である天皇が存命で国体維持に結びついたことが、ドイツとは異なる部分なのかもしれませんが、それはこれ以上論じられることではありません。
第二次世界大戦は、何故勃発したのか? という問いには、たくさんの議論があり、多くの要因が挙げられています。
最初に言われるのが、敗戦国ドイツの処遇を規定したヴェルサイユ条約です。この条約に基づく戦後のヴェルサイユ体制では、ドイツは多くの領土をドイツ系住民共々、ポーランド、チェコスロヴァキア、リトアニアに割譲されました。また到底払いきれるものではないような巨額な賠償責任を負わされたのです。これらは、ドイツ国民に多大な不満の温床となりました。
戦後、経済的に疲弊した各国の経済のうち、戦場にならなかったアメリカは世界最大の工業国として生産力を高めましたが、過剰生産により1920年代末に株価の暴落を引き起こします。これは一気に世界中に飛び火し、いわゆる「世界恐慌」に発展します。特に大戦から回復に及ばない国々に深刻な影響を及ぼしました。
この甚大な不況によって、人々はカリスマ的な指導者の登場を期待することになり、ファシズムが台頭する要因となります。ドイツではヴェルサイユ体制打破を掲げるヒットラーが躍進し、イタリアではムッソリーニが登場しました。特にイギリス、フランス、スペインなど以外の植民地を持たない国々では、生産性を上げることができず、その傾向は顕著なものになります。
日本は第一次世界大戦では戦勝国側でしたが、関東大震災(1923)に続く世界恐慌の流れの中で、軍部の力が強大化しドイツ・イタリアと協調しつつ大陸へ侵出し、1932年に満州国を設立。五・一五事件(1932)、二・二六事件(1936)などを経て軍部が政権を掌握しました。
ヒットラーは次第に国民の信任を取り付け、率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は選挙で勝利し、1933年1月ヒトラー内閣が成立します。翌年には国内の突撃隊などの反対勢力を一掃しも総統として名実ともに独裁政治が完成します。ヒットラーは、ドイツと陸続きのヨーロッパは自分たちの生存に不可欠とし、ヴェルサイユ条約はことごとく破棄して再軍備に向かいました。
チャーリー・チャップリンは、二つの世界大戦を真っ先にリアルタイムで戦争批判を映像化した稀有の映像作家です。ヒットラーの台頭を危惧して、笑い飛ばした「独裁者(1940)」は、まだ世界が危機感を持つ前に作られた本当に勇気のある映画として讃えられます。また、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「地獄に落ちた勇者ども」では、この時期の翻弄されるドイツ貴族たちの堕落と滅亡が描かれています。
ヒットラーは、1938年に手始めにオーストリアに侵入し無血で併合することに成功し、1939年8月にソビエト連邦のスターリンと中間にあるポーランドを分割領有する同意を含めた不可侵条約を結びます。その上で、9月1日、宣戦布告なしにポーランドに侵攻し、ついに第二次世界大戦の火蓋が切って落とされたのでした。
スティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト(1993)」は、すでに始まっていたナチスのユダヤ人排除の動きが加速する、まさにこの時期が中心となるストーリーです。また、ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト(2002)」も、同じく激動のポーランドを描いた作品でした。
イギリスとフランスは、当初はドイツの動きに対して宥和政策をとり静観していましたが、侵攻を拡大するドイツに対し翌1940年にはフランス国境付近の西部戦線の「マジノ線」と呼ばれた防御要塞に兵力を固めていきます。しかし、東から迂回して進撃してきたドイツ軍によって、あっという間に西に押し込まれ、ついに5月末に港町ダンケルクに40万人の兵力が孤立してしまうのです。
この撤退はダイナモ作戦と呼ばれ、イギリスのチャーチル首相は第二次世界大戦の中で最も成功したプロジェクトだと回想しています。軍用艦だけでなく、数百隻の民間の船も動員して。5月26日から6月4日までの10日間に33万人のイギリス、フランス、カナダ、ベルギーの兵士がドーヴァー海峡を越えてることに成功しました。しかし、脱出できずに捕虜になった兵士も7万人いるといわれています。
クリストファー・ノーランは、「バットマン」のリブート・シリーズで一躍世界的映画監督になりました。このダンケルクの撤退を映画化にあたって、ノーランは陸・海・空の3つのシークエンスをそれぞれ1週間、1日、1時間の話として1本の映画の中に複雑に組み込むという手の込んだ構成をしています。
イギリス国民が戦い抜く根っこになつた史実ですから、欧米の人々にはよく知られた話だと思いますが、日本ではあまり知られているとは言い難い。最初にごく簡単な説明のテロップが流れますが、ここに至る経過を予備知識として知っていないと、映画の緊張感は半減してしまうかもしれません。
特に、複雑な構成のため、最初のうちは多少見ていて混乱する部分があることは否定できません。しかし、次第に陸・海・空の時間軸が合ってきて、ダンケルクの浜で一緒になるところは見事。特に撤退だけだと映像としては地味ですが、空中戦のシーンをうまく混ぜ込むことでエンターテイメントとしての面白さも持続させています。
ほとんどはあまり知られていない俳優が出演していますが、ダンケルクの浜で作戦の指揮をとる海軍士官にケネス・ブラマー、そして救出に向かう民間船の船長にマーク・ライランス、イギリス空軍パイロットとしてトム・ハーディらが登場します。
浜辺の遠景に見える膨大な兵士は立て看板、空中戦では大型のラジコン飛行機を使用していたり、基本的にリアルなアナログ映像を主体に、どうしても実演が困難な部分はCGを利用するというコンセプトで作られています。確かに、実物のような質感はCGでは描き切れないリアリティを生み出すことに成功しているようです。
いずれにせよ、「名誉ある撤退」ではありますが「勝利」の話ではないので、戦争によって払われる犠牲の大きさを浮き立たせることがこの映画の最大のポイントなのかもしれません。
2021年4月4日日曜日
1917 命をかけた伝令 (2019)
この映画で最大の特徴になって話題になったのが、全編ワンカット(に見えるようにつないだ)撮影です。主人公二人をカメラは追い続け、シーンが途切れることなく最後まで続きます。
実は、この手法はアルフレッド・ヒッチコックが、もともとが舞台劇であった「ロープ(1948)」で試みたものと同じ。「ロープ」は物語と映画の時間軸は同じで、80分間に起こることをワンカットで見せるという実験的映画でした。
評論家からの評価は悪くはありませんが、ヒッチコックとしてはカット割りする場合よりサスペンスの盛り上げに苦労して必ずしも満足の行った出来とは考えていなかったようです。リアルタイム劇としては、フレッド・ジンネマンの「真昼の決闘(1952)」がありますが、こちらはカット割りをしています。
ワンカット撮影は、映画人にとってはチャレンジしてみたい技法なのかもしれませんが、究極のワンカットは舞台劇であり、自由度が高くなる映画の中ではどうしてもダイナミズムが失われてしまうという点は覚悟しないといけない重要な点だと思います。
1917年4月6日朝、のどかの草原のはずれから始まる物語。イギリス軍のウィリアム・スコフィールド伍長代理(ジョージ・マッケイ)とトム・ブレイク上等兵(ディーン=チャールズ・チャップマン)の二人は、補給基地で仮眠から起こされ、作戦本部の将軍のもとに呼び出されます。
ドイツ軍が戦略的退却をして、突入してくるブレイクの兄もいるD第二大隊を壊滅させる作戦と考えた将軍は、14km先にいる大隊へ明朝の進軍を中止するよう伝令を指示します。指令を受けた二人は、長く続く塹壕の中を最前線に向かい、死臭の漂う戦場に出ていくのです。ドイツ軍の塹壕に到達するとそこはもぬけの殻で、確かに敵はごく最近撤退していました。
ここまでが冒頭のわずか20分間の間に起こることなのですが、カメラがリアルタイムに追い続けるため、当然時間軸も同じだけ進んでいるはずなので、仮眠していた場所から将軍のいる本部までは良いとしても、そこから最前線までの距離があまりに短いことに違和感が早くも生じます。
一方で、戦闘地帯の中の、放置された無残な死体の数々や、敵の塹壕に設置してあった爆弾のトラップで最初の洗礼を受けるところなどは、ワンカットのために映画を見ている側も生中継のような錯覚を起こし、戦場の雰囲気をヴァーチャルに体験する感覚に襲われます。
墜落したドイツ機からパイロットを助け出し、逆にブレイクが刺されて死亡するシーンでは、ブレイクの顔がいきなり顔面蒼白になる。いかにも死にそうなんですが、急に変わるのはやりすぎ。スコフィールドは通りかかったほかの部隊のトラックに便乗しますが、途中からは徒歩でD大隊を目指す。
しかし、町でドイツ兵の狙撃を受け意識を失い、気が付くと夜になっている。ここでは、明らかにシーンが変わり、いっきに時間が半日以上経過しています。ここからは、またワンカット撮影が続き、次第に装備を失い、やっとのことで大隊のもとにたどり着きますが、すでに攻撃が始まったところでした。
全編を通して、内容的には優れた脚本と、本当に苦労しただろうと思わせる撮影は拍手を惜しまないですし、ほぼ一人舞台のようなスコフィールドを演じたジョージ・マッケイも素晴らしい。
ただし凡庸な意見かもしれませんが、カットの切り替えが無いことで、動きの少ないシーンでは冗長な印象はぬぐえませんし、目的地のD大隊との迫りくる時間の緊張を表現しきれているとは言い難い。あと、つまらないことかもしれませんが、エンドロールに10分間はいくらなんでも長すぎです。
戦争は古いものほど、人と人との闘いの要素が多くなり、敵と味方の距離も縮まっていくということ。そういう意味では、この映画で描かれた時間と距離の感覚は間違ってはいないのかもしれません。ただし、駆り出された兵士たちが考えていることは、第一次世界大戦でも同じで、家族を思い故郷に帰れることを願っていたというのは普遍的な心境です。
戦争映画としては「ありふれた」テーマであるその点にフォーカスをあてると、この映画が成功している部類に入ることは間違いありません。ワンカット撮影にばかり注意がいきがちですが、そのことがこの映画の価値を高めることにどれほど寄与したかは何とも言えません。
この年のアカデミー賞では、撮影賞・視覚効果賞・録音賞の獲得しましたが、主要な賞はほとんど「パラサイト」に持っていかれてしまいました。
2021年4月3日土曜日
担え銃 (1918)
戦争映画と呼ばれるジャンルについては、古今様々な名作が生まれているものの、サスペンス物の殺人事件なら許容できるのに、人と人との殺し合いを画面で見るのは勇気がいるものです。何故なら、お互いに個人的な殺す、殺される動機が無いため、シンプルに人間性の喪失を感じさせることが辛い。
当然のことながら、(戦時中のプロパガンダを除いて)戦争を肯定する映画は見たことがありません。どの映画をとっても、戦争の愚かさ、虚しさ、仲間との連帯などをテーマにしているわけで、結論も似てしまうところがあります。ですから、結論に至る過程によって、代表的な作品を吟味して見ることが大事なのかもしれません。
戦争映画として重要なポイントは、戦闘そのもののリアリティも大事ですが、できるだけ史実に基づく内容という点です。もちろん、歴史は勝者が作るものであるという原則があることと、戦争で功をなしたり、あるいは亡くなった方々を安易に批判するようなことはできません。
もっとも、すべての目撃証言があるわけではありませんし、完全にノンフィクションだと、それはドキュメンタリー映画になってしまいます。エンターテイメントとしての映画としては、「事実の基づく」ある程度の創作は許容されます。
とは言っても、戦場を舞台にして完全にフィクションとして作られた、例えば「ナバロンの要塞」、セガールの「沈黙シリーズ」やスタローンの「ランボー・シリーズ」のような映画は、アクション・エンターテイメントであって、それはそれで面白いのですが、厳密な戦争映画というくくりに入れることは抵抗があります。
戦争をイデオロギーの違いによる集団同士の争いとするならば、例えばアメリカの南北戦争もこの定義に含まれますが、より集団の差がはっきりと出るのは国同士の戦いの場合。あまり古い時代になると歴史映画(時代劇)の色合いが強くなるので、映画としては一般的には第1次世界大戦以後の約100年間が対象となり、特に映像技術の進歩に伴い第二次世界大戦以降が中心となると思います。
第一次世界大戦は、一般的にはサラエボ事件に端を発し、1914年7月28日にオーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告して始まりました。8月1日にドイツに宣戦布告されたロシアは、同盟のフランスに援助を依頼したため、ドイツは8月3日にフランスにも宣戦布告しました。ドイツの侵攻に対して8月4日にイギリスがドイツに宣戦布告し、イギリスと同盟していた日本も追従します。
その後、ヨーロッパ中の国々が、ドイツ側の中央同盟国か英仏露を中心とした連合軍に参加して戦火が拡大しました。1918年11月11日に休戦協定が結ばれ、人類史上最大の死者数となった戦争は事実上連合国の勝利で終結。1919年1月パリ講和会議で、敗戦国の責任が話し合われ、国際連盟の発足につながります。しかし、領土を失い多額の賠償責任を負わされたドイツの屈辱は、わすが20年後に再び全世界を巻き込む戦争の引き金になるのです。
もちろん、こんな短い説明で終われるものではありませんが、教科書的な知識として最低限このくらいはおさえておきたいところ。さすがに、現代人としては、第二次世界大戦の方がより身近な出来事ですし、その原因の一つとして認識すべきことです。
第1次世界大戦を題材にした映画としては、古くは1930年のアカデミー賞作品となったドイツ軍の側から描いた「西部戦線異状なし」という名作がありますが、事実考証はかなり正確と評判ですが、原作は基本的にはフィクション。スピルバーグの「戦火の馬」は戦争に巻き込まれる人々のドラマですが、ファンタジー色が強い。
キューブリック監督作にも「突撃」がありますし、「大いなる幻影」、「武器よさらば」なども思い出されます。「アラビアのロレンス」も時代背景は同じですが、事実をもとにしていても一個人のヒューマン・ドラマなので戦争映画とは言いにくい。
そんな中で、喜劇王として名を馳せたチャーリー・チャップリンが、監督・脚本・制作・主演した短編映画「担え銃」は、最も早くに作られた第一次世界大戦にまつわる映画の一つ。
何しろ、まだ戦時中でしたが、チャップリンは塹壕戦の中で、兵士たちの日常を笑いに変えパロディにすることで反戦思想を映画に込めています。100年たった白黒のサイレント映画で確かに古いのですが、今見るとむしろ新鮮な感じ。
もちろん、パロディのフィクション戦争映画ですが、戦闘映画ではありません。戦死者も一人も登場しません。しかし、リアルタイムに戦争に反対する姿勢を見せたことは、映画人としてのチャップリンのすごいところで、最後の字幕「Peace on Earth - good will to all mankind」にメッセージのすべてが込められています。
2021年4月2日金曜日
SAKURA 2021 @ 盆栽
4年目の春を迎える吉野桜の盆栽です。
実は、昨年夏に自動水やり機が故障して、多くの盆栽がダメになりました。
この鉢も葉が枯れて落ちてしまったので、半分あきらめていたのですが、年明けから少しずつ芽が出てきました。
どうせ葉芽だろうと思いましたが、それでも樹が生きているということなので、来年あたりにまた花がつくといいなと思っていたら・・・
何と、数輪の花が付きました。
あきらめずに水やりを続けてよかったぁ~
という話。
2021年4月1日木曜日
SAKURA 2021 @ 王禅寺
今日から「令和3年度」の始まり。
このあたりの桜は、満開をすぎて花びらがひらひらと舞い始めています。
王禅寺の付近にも、桜がたくさん植えてあるのですが、寺のある丘のにかなりまとまった桜の巨木があります。
明らかに高さは20m以上はあろうかという感じなので、樹齢は余裕で50年以上にはなっていると思います。ツタも絡まり古色蒼然という雰囲気です。
毎年、かなりまとまった花がたのしめるのですが、ここ数年はあきらかに勢いが無くなってきた印象があります。
桜の寿命は100年以上のものもありますが、きちんと手入れが行き届いている場合。このように、ほぼ野生に任せているものは50~60年で樹勢が衰えるものらしい。地球温暖化の影響とかもあるかもしれません。