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2021年4月5日月曜日

ダンケルク (2017)

第2次世界大戦になると、歴史的資料もしっかりしてきますし、存命の実際の体験者に取材もできますから、映画としては事実に基づく題材が選ばれるようになり、その作品の数も大変多くなる。

そうなると、戦闘行為そのものを中心にしたもの、戦中・戦後を通じて兵士たちにのしかかる心理的重圧を中心にしたもの、そして直接戦闘に参加しない市民たちを中心にしたものなどの特色が見えてくるようになります。

実際、両大戦の大きな違いは、第二次世界大戦では銃後の民間人にも影響があり、ホロコーストも含めて一般市民に多数の死者が発生していることがあげられます。民間人にも多くのトラマが発生するのは必然です。

敗戦国である日本が制作する戦争映画は、多くが巻き込まれる民間人や、死に行く兵隊の「悲劇」というテーマに沿ったものが多い印象があります。そういう意味では、大戦を歴史的に総括していく上では、残念ながら邦画は必ずしも適当とは言いにくい。

また、太平洋戦争に関しては直接の当事国であり、戦前の軍国主義が覇権の拡大を推し進めたことは間違いのない事実で、多く責任があることは否定できません。しかし、洋画で太平洋戦争を見るとなると、映画で描かれるばたばたと死んでいく者は、自分の身近な人々かもしれないと思うと、複雑な心境にならざるを得ない。

よく戦後について日本はドイツと比較され、最大の責任者であるアドルフ・ヒットラーが死亡していることから、ドイツが戦争責任を真正面から受け止め、映画でもはっきりとそこを認めたものが作られているという話があります。おそらく、日本の場合は形式的だとしても当事者である天皇が存命で国体維持に結びついたことが、ドイツとは異なる部分なのかもしれませんが、それはこれ以上論じられることではありません。

第二次世界大戦は、何故勃発したのか? という問いには、たくさんの議論があり、多くの要因が挙げられています。

最初に言われるのが、敗戦国ドイツの処遇を規定したヴェルサイユ条約です。この条約に基づく戦後のヴェルサイユ体制では、ドイツは多くの領土をドイツ系住民共々、ポーランド、チェコスロヴァキア、リトアニアに割譲されました。また到底払いきれるものではないような巨額な賠償責任を負わされたのです。これらは、ドイツ国民に多大な不満の温床となりました。

戦後、経済的に疲弊した各国の経済のうち、戦場にならなかったアメリカは世界最大の工業国として生産力を高めましたが、過剰生産により1920年代末に株価の暴落を引き起こします。これは一気に世界中に飛び火し、いわゆる「世界恐慌」に発展します。特に大戦から回復に及ばない国々に深刻な影響を及ぼしました。

この甚大な不況によって、人々はカリスマ的な指導者の登場を期待することになり、ファシズムが台頭する要因となります。ドイツではヴェルサイユ体制打破を掲げるヒットラーが躍進し、イタリアではムッソリーニが登場しました。特にイギリス、フランス、スペインなど以外の植民地を持たない国々では、生産性を上げることができず、その傾向は顕著なものになります。

日本は第一次世界大戦では戦勝国側でしたが、関東大震災(1923)に続く世界恐慌の流れの中で、軍部の力が強大化しドイツ・イタリアと協調しつつ大陸へ侵出し、1932年に満州国を設立。五・一五事件(1932)、二・二六事件(1936)などを経て軍部が政権を掌握しました。

ヒットラーは次第に国民の信任を取り付け、率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は選挙で勝利し、1933年1月ヒトラー内閣が成立します。翌年には国内の突撃隊などの反対勢力を一掃しも総統として名実ともに独裁政治が完成します。ヒットラーは、ドイツと陸続きのヨーロッパは自分たちの生存に不可欠とし、ヴェルサイユ条約はことごとく破棄して再軍備に向かいました。

チャーリー・チャップリンは、二つの世界大戦を真っ先にリアルタイムで戦争批判を映像化した稀有の映像作家です。ヒットラーの台頭を危惧して、笑い飛ばした「独裁者(1940)」は、まだ世界が危機感を持つ前に作られた本当に勇気のある映画として讃えられます。また、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「地獄に落ちた勇者ども」では、この時期の翻弄されるドイツ貴族たちの堕落と滅亡が描かれています。

ヒットラーは、1938年に手始めにオーストリアに侵入し無血で併合することに成功し、1939年8月にソビエト連邦のスターリンと中間にあるポーランドを分割領有する同意を含めた不可侵条約を結びます。その上で、9月1日、宣戦布告なしにポーランドに侵攻し、ついに第二次世界大戦の火蓋が切って落とされたのでした。

スティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト(1993)」は、すでに始まっていたナチスのユダヤ人排除の動きが加速する、まさにこの時期が中心となるストーリーです。また、ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト(2002)」も、同じく激動のポーランドを描いた作品でした。

イギリスとフランスは、当初はドイツの動きに対して宥和政策をとり静観していましたが、侵攻を拡大するドイツに対し翌1940年にはフランス国境付近の西部戦線の「マジノ線」と呼ばれた防御要塞に兵力を固めていきます。しかし、東から迂回して進撃してきたドイツ軍によって、あっという間に西に押し込まれ、ついに5月末に港町ダンケルクに40万人の兵力が孤立してしまうのです。

この撤退はダイナモ作戦と呼ばれ、イギリスのチャーチル首相は第二次世界大戦の中で最も成功したプロジェクトだと回想しています。軍用艦だけでなく、数百隻の民間の船も動員して。5月26日から6月4日までの10日間に33万人のイギリス、フランス、カナダ、ベルギーの兵士がドーヴァー海峡を越えてることに成功しました。しかし、脱出できずに捕虜になった兵士も7万人いるといわれています。

クリストファー・ノーランは、「バットマン」のリブート・シリーズで一躍世界的映画監督になりました。このダンケルクの撤退を映画化にあたって、ノーランは陸・海・空の3つのシークエンスをそれぞれ1週間、1日、1時間の話として1本の映画の中に複雑に組み込むという手の込んだ構成をしています。

イギリス国民が戦い抜く根っこになつた史実ですから、欧米の人々にはよく知られた話だと思いますが、日本ではあまり知られているとは言い難い。最初にごく簡単な説明のテロップが流れますが、ここに至る経過を予備知識として知っていないと、映画の緊張感は半減してしまうかもしれません。

特に、複雑な構成のため、最初のうちは多少見ていて混乱する部分があることは否定できません。しかし、次第に陸・海・空の時間軸が合ってきて、ダンケルクの浜で一緒になるところは見事。特に撤退だけだと映像としては地味ですが、空中戦のシーンをうまく混ぜ込むことでエンターテイメントとしての面白さも持続させています。

ほとんどはあまり知られていない俳優が出演していますが、ダンケルクの浜で作戦の指揮をとる海軍士官にケネス・ブラマー、そして救出に向かう民間船の船長にマーク・ライランス、イギリス空軍パイロットとしてトム・ハーディらが登場します。

浜辺の遠景に見える膨大な兵士は立て看板、空中戦では大型のラジコン飛行機を使用していたり、基本的にリアルなアナログ映像を主体に、どうしても実演が困難な部分はCGを利用するというコンセプトで作られています。確かに、実物のような質感はCGでは描き切れないリアリティを生み出すことに成功しているようです。

いずれにせよ、「名誉ある撤退」ではありますが「勝利」の話ではないので、戦争によって払われる犠牲の大きさを浮き立たせることがこの映画の最大のポイントなのかもしれません。