2021年4月27日火曜日

ワレキューレ (2007)

アドルフ・ヒットラーは、説明するまでもなくナチス・ドイツを率いた独裁者として知られ、第二次世界大戦を巻き起こした張本人であることは定説として認知されています。

出自などを含めて、ヒットラーの生涯については謎が多いことも事実ですが、少なくとも彼が率いた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)においては、晩年まで多くの心酔者が軍部のみならず、国民の中に大勢いたことは否定できません。

独裁体制は多くの敵を作ることは自明であり、国内では秘密警察ゲシュタポが国民の監視を強化し、ヒットラーに対して反旗を翻すことは大きな困難を伴ったことも事実です。しかし、ヒットラーの独裁に多大な危機感を募らせている人々が国の中枢にいました。

ヒットラーを暗殺しようという計画は、わかっているだけでも42回。ただし、実行されたものは数回で、最後に自ら命を絶つまで生き延びたことからも、すべての計画は失敗に終わっています。

この映画は、1944年7月の暗殺未遂事件を、その実行犯シュタウフェンベルク大佐中心に、事実に基づいて作られたものです。監督は「X-MEN」シリーズで名を上げたブライアン・シンガー、脚本には「M:I」シリーズのクリストファー・マッカリー。そして、製作総指揮と主演がトム・クルーズという豪華な組み合わせです。

ヒットラーは、国内で反乱がおきた時に予備軍を動員して戒厳令下に鎮圧にあたるワレキューレ作戦を用意していました。軍部内の反ヒットラー勢力は「黒いオーケストラ」と呼ばれ、まず1943年3月、トレスコウ少将らがヒットラーが搭乗する飛行機に爆弾を紛れ込ませ、飛行機ごと葬る計画を実行します。ヒットラー死亡確認後にワレキューレ作戦を発動し、混乱を収束させる予定でしたが、何らかの理由で爆発せず作戦は失敗。

クラウス・フォン・シュタウフェンベルクは、名家の出身で自身は伯爵の位を持っていました。軍の中でもその実直な人柄は親しまれ、愛国者は「一個人ではなく国に仕える者」という信念を持っていました。1942年以後は、度々ヒットラー批判を口にしていましたが、1943年4月に北アフリカ戦線で重傷を負い、左眼、右手、左手薬指・小指を失います。

黒いオーケストラの一員であるオルビリヒト将軍の計らいでベルリン勤務となったシュタウフェンベルクは、転任になったトレスコウの後を継いで新たな暗殺計画の中心人物となります。

何度かの計画延期後、東プロイセンの大本営「狼の巣」において、7月15日にシュタウフェンベルクは爆弾を持ち込み作戦実行直前までいきますが、一緒に処分したいヒットラー側近の親衛隊トップのヒムラー不在のためぎりぎりで中止。待機させた予備群は演習と説明し、その場を切り抜けます。

そして次の機会は7月20日に巡ってきました。今回もヒムラーは会議に出席していませんでしたが、計画の実行が決断され、シュタウフェンベルクは会議室に爆弾を持ち込み爆発させます。しかし、数名が死亡したものの、肝心なヒットラーは難を逃れました。すでに後戻りできない暗殺グループはワレキューレ作戦を発動し、予備軍によるベルリンの制圧に乗り出します。

しかし、ヒットラー生存が確認されとるすべては水泡に帰すのでした。ワレキューレ作戦は大本営側から中止が指令され、その日の夜に主だった首謀者は逮捕・即刻銃殺に処されました。その後も終戦まで、加担した者たちの裁判が続き、数千人以上の多くの者が粛清されています。実は猛将ロンメル元帥も関与を疑われ、ヒットラーから自殺を強要され亡くなりました。

この「7月20日事件」の後、ヒットラーの猜疑心はさらに深まり、より近辺の警戒は厳重となったため、これが最後の暗殺計画となりました。ヒットラーの暴走を止める者は誰もいなくなり、結果としてナチス・ドイツの終焉を早める結果になったのかもしれません。

シンガー監督は史実にこだわり、できるだけ実際の場所で、当時の車両などを用意してリアリティ重視の映画作りをしました。トム・クルーズも久しぶりの演技派としての熱演で、結果はわかっていてもサスペンスとして上級の仕上がりです。

ですが、残念ながら、やはり「大スター」であるトム・クルーズが主役ということが、一番のリアリティを失う要素になっていることは否定できません。また、登場人物が英語を話しているのも、今時の映画としては無理がある。できるだけ。あまり知られていない俳優を使い、吹き替えでもいいからドイツ語で台詞を言わせれば、もっと内容が際立ったかもしれません。