ドイツは、第6軍を中心に40万人近い兵士を送り込み、当初は優勢に戦っていましたが、ソビエトの挙国一致体制による徹底的な抵抗により一進一退のまま膠着状態に陥ります。
広大な国土を持つソビエトは、いくらでも後退が可能であり、ドイツ軍はすでに補給路が脆弱なっていて極端な前進もできない。そして厳寒の冬が来れば、ソビエトに圧倒的な地の利があることは明白でした。
11月にソビエトは大規模な反抗を展開し周囲からスターリングラードを包囲することに成功し、ドイツ軍は町の中に孤立した状態になります。第6軍のバウルス司令官は撤退の許可を求めましたが、ヒットラーは却下。パウルスを元帥にまで昇格し奮起を求めますが、1943年1月31日についにパウルスを含めに生き残っていた10万人ほどが降伏しました。最終的には双方ともに100万人程度の死者がでる悲惨な結果となり、ヨーロッパ戦線のターニング・ポイントの一つと言われています。
この映画は「Uボート」を制作したドイツのスタッフが再集結して作ったもの。映画としての知名度は落ちますが、戦争映画の隠れた名作として知る人ぞ知る作品です。
冒頭から、勲章をもらうというのに軍服の襟を開いたまま直そうとせず授与取り消しになるドイツ兵士がいたり、ロシア兵捕虜に対する暴力的な扱いに抗議するなど、今までアメリカ映画中心に描かれてきたドイツ兵のイメージとはかなり違うことに驚きます。
北アフリカ戦線で成果を上げたドイツ軍第6部隊の戦闘工兵らは、イタリアでつかの間の休暇を楽しんでいました。そこに新任の若く前線未経験のヴィッラント少尉が赴任し、彼らを引き連れスタリーングラードに向かいます。そこでは、激烈な市街地での近接戦が繰り広げられていました。恐怖に動けない者、敵を倒して失禁する者など、ドイツ兵も一人の人間として描かれています。
ヴィッラントの小隊は、次第に仲間を失い残り数名で地下水道から脱出しますが、その途中で仕掛けられていた爆弾で一人が瀕死の重傷を負います。彼を連れて何とか大隊の仮設病院にたどり着きますが、治療を早くしろと騒ぎ逮捕されてしまうのです。
そして長期化した戦闘は12月、ロシアの厳しい冬将軍が到来します。スターリングラードで包囲されつつあるドイツ軍は、ヴィッラントら囚人兵も突破口の要員として刈りだします。すでに軍としての統制力は無くなっており、マイナス50度という想像を絶する寒さの中で軍隊は崩壊し、誰もが人間性すら失っていくのでした。
結局、この映画では主だった登場人物は、戦闘で死ぬのはいい方で、凍死、餓死、自殺など兵士としての自尊心などを保つことができないような極限状態に全員が生を全うできません。救いがない結末しかそこにはありませんので、ダイレクトにナチス・ドイツ上層部に対する強烈な批判が見て取れます。ただ、その反面ドイツ軍最大の悲劇ともいわれるこの戦いに参加した兵士たちを英雄視はしていないものの、望まない悲劇の主人公にしてしまっている部分は否定できません。
日本も同様ですが、敗戦国側としては当然、戦争を美化するような描き方はできません。運命に翻弄され抗うことができなかった人々という視点は、映画の中に入ってくるのはやむをえないのかもしれません。
双方のスナイパーが対決する「スターリングラード(2001)」はアメリカ・イギリスなどの制作した映画で、どちらかというと戦争アクション物。ロシアが作った「スターリングラード 史上最大の市街戦(2013)」は、東日本大震災に救助隊として参加したロシア人がドイツ人を救助したことから、過去を回想するという不思議な展開の映画です。