2007年5月25日金曜日

山 岳 映 画

「山岳映画」と呼ばれる一ジャンルがあるんですね。基本は、山を舞台にした映画であればいいわけですが、どうしても舞台が限られるため、内容が似てくるのはしょうがないかな。

見せ場はたいてい苦労して登攀していく部分で、出演者が自ら厳しいアクションを見せ付けることになるわけ。雪崩にあったり、落石が襲ったり、ロープが切れたり、という具合です。

生と死が背中合わせになった、極限状態が様々なドラマへと発展していくんだけど、そこまでを前提条件として納得できていれば、こいつが大変面白い。

たぶん初めて見たのはテレビで放送された、そのものズバリ「山」。1956年アメリカ映画で、出演が「老人と海」で孤高の漁師を熱演したスペンサー・トレイシーとテレビ・シリーズ「スパイのライセンス」で大人気だったロバート・ワグナー、監督は「ケイン号の叛乱(1954)」のエドワード・ドミトリク。

山頂に墜落した飛行機の救助のため、山に登る兄弟。しかし弟の真の目的は飛行機にあるお宝だった。ってな話。セット撮影であるものの、なかなか迫力のある登山シーンでした。

日本にも1968年の熊井啓監督の「黒部の太陽」がありますが、父親に連れられて劇場に見に行き最後のシーンだけ記憶にあるんですよ。

これは黒部第4ダムを作る話で、工事のための隧道を両側から掘っていき、数々の困難を乗り越え最後の発破で貫通し両方から人々が握手して喜ぶ、というもんです。三船敏郎と石原裕次郎が豪華競演した作品。ただ、話としては吉村昭の黒3ダムにまつわる小説「高熱隧道」がお勧め(映画はありません)。

次に印象にあるのはクリント・イーストウッドの「アイガー・サンクション(1975)」。前半モニュメント・バレーのトーテム・ポールを上りきるのが本当にイーストウッドなのには感激した。

アイガー北壁に挑戦する仲間の中にスパイがいて、これを始末するために殺し屋イーストウッドが加わる。後半はアイガー登攀となるわけだが、実際に登山しているだけあってなかなかのシーンが続きますが、最後の滑落シーンのあと救助されるシーンが、ちょっとあっけないかなぁ

シルベスター・スタローンの。 クリフハンガー(1993)」は、記憶に新しい。ここでもさすがにスタローンのフリークライミングは見せます見せます。ロープが切れて友人が転落死して心の病を持つ主人公という設定は、ありきたりでいただけない。

スタローンの映画はあまり、何故とかどうしてとか考えずにアクションに徹することが楽しむ秘訣でしょう。そう思って見れば、全体のサスペンスの張り巡らし方と実写のアクションが見事に融合して、一級の娯楽作品といえますな。

ホワイト・アウト(2000)」は映画化不可能といわれた真保裕一の原作を若松節朗監督が、見事に料理した日本映画の快作。登山映画ではないけど、山間の密室化したダムを舞台の中心にして周囲の厳しい自然を巧みに配している。織田裕二、佐藤浩市らの出演者の熱演も素晴らしい。むしろ大和撫子松嶋が邪魔なくらい。

ダムを占拠した過激派はダムの破壊をネタにして政府を脅迫、ダムの下流の人々が人質状態になる。ダム職員の富樫は、誰も救援にこれない状況で一人で立ち向かう。ストーリーの展開に無理が無く、説明の有るとこ無いとこ見ていて納得できる。家でみるときはDVDを止めてトイレに行く事すら許さない、スピーディな流れです

もうひとつミレニアムなタイトルがあります。 もバーティカル・リミット(2000)」です。TVのコマーシャルでは、ずいぶんロング・ジャンプで驚かせられました。これは犯罪物ではなく、そういう意味では純粋な山岳映画といえますかな。

自分の名声のために無理に登攀し遭難、こりグループに妹が混ざっていた。主人公(おっと、これはバットマンのロビン君じゃないか)は、決死の救援に向かう。確かに実写だけでなく、SFXも駆使して、最高の登攀シーンがみれます。ただ残念なのは、見終わって凄い登山だったねぇ、ということ以外はあんまり印象に残ってない。DVDを止めてトイレに行ってもいいよ

2007年5月10日木曜日

走る・走る・走る~マラソンランナーの孤独

マラソンは古来オリンピックの最後を飾る、究極のスポーツなのかもしれません。人間が生の体ひとつで、どこまでがんばれるのか、ひたすら走り続ける選手を見ていると、とにかく感動し応援しない訳にはいかないのが心情というものでしょう。ああ、思い出されるは東京オリンピック。幼稚園児だった自分は、青山通りあたりで紙の旗を振っていたらしい、と聞いたことがあります。自分でははっきり覚えていませんが、アベベ、円谷の名前はしっかり記憶に残りました。


マラソンの選手を見ていると、ある種の陶酔感にひたっているような場面をしばしば見つけられます。無表情というよりも恍惚感。彼らにとって、走れるという至福の時を、心から楽しんでいるのでしょうか。


ランニングハイという言葉があって、長距離ランナーが走っている最中に麻薬中毒のような、酔っ払ったような悦楽感を味わうことを意味しています。適度なスピードでいったん走り出し、数kmくらい走った頃に、「風」が吹く。この「風」が吹くとランナーは気持ちよくどこまでも走れるような気分になります。この状態をセカンド・ウィンドと呼びます。普通のピープルはセカンド・ウィンドを感じられても、その後に疲労が襲ってきて無風状態に陥り失速・墜落という過程をとります。


ところがテレビに映るような選手は違います。そんな一般ピープルとは比べ物にならないくらいの持久力があるのです。30分、40分と無心に走っていくうちに彼らはついにランニングハイへと到達していくのです。


医学的にはエンドルフィンという、麻薬用の生体内物質が増えてきて脳内の受容体に作用するためと考えられています。


一方、マラソンは代表的な有酸素運動です。筋肉内の糖分が分解するとATP(アデノシン3リン酸)というものが出来て、これが筋肉を動かすエネルギーの源泉となります。この過程には酸素が不要ですが、1分以内の短時間しか持続できません。従って、呼吸無しで酸素をとりこまないでできる運動を無酸素運動といい、一気に走りぬけるような短距離走のような運動があてはまります。


運動しながら呼吸をすると、酸素下でのATP合成が可能となり、持続的に運動をし続けることが可能になり、さらに筋肉内の糖分を節約して脂肪を原料としてくれます。これだけで、有酸素運動が喜ばれているのも納得できますね。街中のアスレチック・クラブで飛んだり跳ねたりしている皆さん、エアロビクスは呼吸をしながらやってくださいよ。終わってから、ハァハァしているようじゃ駄目なんです。


マラソンはいいよ、気持ちがいいし、やせれるし。なるほど、その通り。いっちょ、がんばってみますか。

2007年5月1日火曜日

手のしびれ~鐘が鳴ります手根管

お寺とかで大きな金を撞かせてもらえるところがあります。この時とばかりに、思い切りボーン、その後手がびりびり。それとは関係ありませんが、手のしびれる病気でシュコンカン症候群というのがあるんですね。これについて、さぁ、考えてみよう。

シュコンカンは手根管と書きます。まさしく、手の根っこのところの管。手の平の手首に近いところを見てください。親指側のふくらみと小指側のふくらみがあるでしょう。その間の谷のところ、ここにあるんです。骨に囲まれた半円の空間で、上を強靭な靭帯組織で蓋をしたような構造をしています。この管の中を指を曲げるための筋肉の腱と一本の神経がすし詰め状態で通ります。

何らかの原因で、この神経が圧迫されると親指、人差し指、中指、そして薬指の親指側にしびれが出てきます。いたずらされる神経の名前は正中神経、しびれた状態を手根管症候群と呼びます。

正中神経は手関節部分ではほとんど知覚に関する働きしかしないのですが、唯一親指を手の中のほうに折りたむ力になる筋肉の刺激をする運動関係の働きがあります。このため、症状が進むと親指を中に入れられなくなり、他の指との間で行うつまみ動作ができなくなってしまいます。

原因ははっきりしないことが多く、中年女性に突然起こってくることが多いのですが、中には明らかに神経を圧迫する腫瘍ができていたり、関節リウマチが関与していたりする場合があります。血液透析をしている方に多いこともいわれています。手の使いすぎや性ホルモンの何らかの影響が関係しているともいわれています。

治療としては、軽ければ局所の安静と消炎鎮痛薬の外用薬で様子を見ますが、効果が無ければステロイド剤を局所に注射します。それでも駄目か、親指の筋肉の麻痺があるなら、手術を検討します。手術では、手根管の上蓋の役目をしている靭帯組織を切開して手根管の空間を広げ、神経への圧迫を減らしてあげます。最近は明らかな原因がない場合には、関節鏡というのぞき道具を利用することで、小さな傷でできる方法が広まってきました。腫瘍がある場合は、ちゃんと開いて腫瘍そのものを摘出する必要がありますし、リウマチの場合にはあちこちでべたべたくっついているのでしっかり開けないと危険です。

普通は早くに治療を開始すれば、直りの良い病気ですから心配はありません。しかし麻痺が進むと回復しずらくなります。またしびれの原因が首にあると、区別するのが大変難しいことがしばしばあるので注意が必要ですね。