2015年1月31日土曜日

朝だけ吹雪

昨日は朝から雪が降り出して、クリニックが始まる頃は、ビル風も手伝って周囲は吹雪状態。こりゃあ、患者さんは来ないなぁ、開店休業だ、とあきらめました。

まぁ、実際のところ、患者さんはポツンポツン。かなり閑でした。ただ、気がついたら、昼前には雨っぽくなって、ほとんど積もる事もありませんでした。

まぁ、大人としては、雪が降って喜んでいちゃいかんです。去年の大雪を思い出すと、ほんと大変でした。あんなことは、そうそう無いでしょうけどね。

それにしても、あっという間に1月は今日でおしまいです。今年も、あと11ヶ月しかありませんよ。紅白は誰が出るんでしょうかね・・・なんちゃって。

2015年1月30日金曜日

三度美味しい塩ラーメン @ 魁力屋

魁力屋は、自分のテリトリーに数店あって、豚骨ベースの横濱家とともに、最近の自分の中ではよく行くラーメン店になっています。

基本は濃厚鶏がらが基本の店ですが、今回は塩ラーメンにチャレンジ。これも、鶏がらベースで、塩ラーメンでは煮干などの和風だしが混ぜられていることがよくありますが、食べた感じではこの店のはあまりわからない。

まぁ、さっぱりとした感じで比較的個性の少ない、こんなもんでしょうというところ。これだけだと、やっぱり背綿油の濃厚鶏がら醤油にしておけばよかったかと思う事もあるやもしれず。

そこで、登場するのがトッピング。タンメン野菜というのがあって、簡単にいえば野菜炒めなんですが、注文するとこれがお皿に乗って出てきます。ためらうことなく、ラーメンの上に、どーんっと乗せましょう。

すると、どうでしょう。味が一変し、野菜炒めのコマ油の香りが広がって、美味しさがパワーアップします。

いやいや、なかなか楽しめるんですが、さらにもう一つ。半分食べたら、テーブルに用意してある、ラーメンコショウをパッパッと振り掛けましょう。すると、まさにタンメン。こしょうの香りが広がって、旨み爆発です。

一杯で三度美味しく楽しめる、塩ラーメン+タンメン野菜はおすすめです。

2015年1月29日木曜日

食べてみたい!! かっぱえびせんバーガー

これは衝撃!! いや、笑撃かもしれないのが、ロッテリアが発売する「かっぱえびせん×エビカツバーカー」の2月中だけの驚異のコラボ。

ロッテリアのエビカツバーカーは、最初に登場したのはずいぶんと昔。はっきりとは覚えていませんが、マクドナルドが日本に上陸して数年以内のことだったと思います。

マクドナルドではハンバーグだけだったメニューと違い、海老が入っているという斬新さがよかった。今では、似たようなバーガーはいろいろあるので、ロッテリアにこだわる必要はなくなりましたが。

最初、どうやってコラボするのかと思いましたが、プリプリの海老のかわりにえびせんが入っていたら、かなりがっかりです。おそらくふにゃふにゃの海老もどきになってしまいますからね。

どうやら、エビカツにかっぱえびせんを砕いて衣に使うという方法らしい。これなら、プリプリはそのまま、食べた食感はえびせんというイメージが湧いてきます。

いやぁ~、是非食べてみたい。食べてみたいのですが、近くでロッテリアがどこにあるのか思いつかない。

そしたら、逆バージョンもあった。かっぱえびせんのエビバーガー味というもの。こちらなら、スーパーで見つけられるかもしれないし、通販でも買えます。

でも、やっぱり、かっぱえびせんバーガーを食べてみたい。誰かぁぁぁぁ・・・!!!

2015年1月28日水曜日

爆問太田の発言

サンデージャポンという、日曜日の午前中にTBSが包囲しているバラエティ情報番組。正直言って、はしゃぎすぎで、品の無い番組という印象で好きになれない。

その前にやっている関口宏が司会するニュース解説番組が、硬派なだけによけいに目立つわけですが、もっともTBSの狙いはその落差なのかも。

とりあえず、サンデージャポンはめったに見る事のない番組ではありますが、前回は偶然見てしまいました。あいかわらずのコメンテーターが並んで、あいかわらずの進行。

司会は爆笑問題ですが、今回は太田クンが、急にまじめな口調でコメントしたことが、割と印象に残る内容でした。ふだん、ふざけてばかりなので、随分と印象が変わります。

「(イスラム国による日本人殺害予告事件について)今はネットを通じて、いろいろな情報が飛び交う時代ですが、メディアは憶測で物を言い過ぎ。一種の誘拐事件ということを考えると、今は黙ることも重要ではないか。議論は後でもできる」

というような主旨の発言でした。個人を対象にした誘拐事件と違って、国単位、場合によっては世界全体にも影響しかねない事件ですから、必ずしも太田の指摘が正しいとは言えません。

しかし、太田が言うように、ニュースでは事実の伝達以上に、あまりに推測の域を出ない解説が多過ぎです。明らかに番組を構成する事が目的で、メディアが御旗を掲げる「真実を伝える」ことを逸脱しているものも少なくありません。

 そういう意味では、太田の言う事の一部には共感できる。はちゃめちゃな芸風の太田ですが、素の部分が出た部分であるなら、ふだんも計算されたはちゃめちゃなのだろうと思いました。

2015年1月27日火曜日

カメラアプリ

iPhoneでも、Androidでも、携帯電話としては、それなりの機能があるわけで、実際のところモバイルPCとして、魅力的なアプリケーションを用意できるかが大きな魅力。

特に、カメラは携帯性と相まって備えていないスマホはありませんから、それをうまく使いこなせるアプリは、一つや二つはインストールしたくなる。

撮影した画像にいろいろなエフェクトをかけるようなものは山ほどありますが、だいたいどれも似たり寄ったりで、いじった画像は楽しいかもしれませんが、いちいち残しておくようなものでもない。

オリジナルで、どれだけ個性的な写真を撮れるかというのが、アプリの価値としては意味があると思いますが、最近見つけたもので。ちょっと面白いと思ったのがこれ。

Long Exposure Cameraというもので、そのまますばり長い露光時間で写せるもの。普通のカメラでこれをすると、光量が多すぎて、どんどん全体の色が白くなってしまいます。

このアプリは、動きのないところはデータを減算しているようで、全体の色はあまり変化しません。動きの大きなものを撮影するときの、後からではつけられない効果としては、大変面白い。

露光時間を設定してもいいし、好きなだけ開放するバルブ撮影もできたりします。フリー版だと、保存できる解像度がちょっと寂しいのですが、まぁそれでもちょっと楽しめます。

2015年1月26日月曜日

駅前駐車場の新料金

はぁ? と、思わずあきれてしまうというか、溜息をつきたくなるのが、2月からのセンター南駅前地下駐車場の新料金。

2年前にUR都市機構から、民間の日本パーキングに経営が変わって、値段はほぼ据え置き。1時間300円、24時間最大で500円~700円でした。都内に比べれば、かなり安いとは思いますが、何しろ横浜の田舎ですから。

ただ、どうも日本パーキングが採算が取りやすい駅前ビルの工事期間だけの契約だったのか、駅前ビルの完成する今月いっぱいで経営から手を引くというのが、年末に急にわかりました。

じゃあ、次はどうなるのか? とりあえず、閉鎖されるわけではなく、今年になってなんか新しいゲートの工事をしたりしていましたが、ついに料金がけいじされたというわけです。

それが、びっくりということなんですが、大幅値上げで、この地域の実情にまったくそくしていない値段になっています。

駅前の地下ということで500台くらい収容できる、広い駐車場ですから、もともと周辺の路上駐車を防止するという公共的な意味合いがある。

特にうちのクリニックビルとしては、隣接しているわけですから、ビルの患者さん用駐車場だけでは少ないので、この駐車場があることは大変助かるわけです。

1時間400円はまだしょうがないとしても、24時間最大料金制限の撤廃は痛すぎる。短時間利用よりも、自分も含めて、数時間以上駐車するという人のほうが圧倒的に多いと思うんですよね。

実際、今までの料金でも、満車になったことなど一度も見た事がありません。値上げしたら、もう誰も使わなくなるんじゃないかと・・・周辺の駐車場のほうが、圧倒的に安いですから。

この何を根拠にしたのか、強気の値上げはどこから決めたんでしょうか。駅前ビルに、わんさか人が来ると思っているんでしょうか。でも、期待されていた駅前一等地の新ビルは、パチンコとインドアテニスがメイン。利用する人は限られる。

う~ん。困った。今まであった月極契約が続くかもわからない。サービス券の有無もわからない。そもそも、新しい経営者が誰なのかもわからない。貼り紙には、「駐車場管理会社」としかありません。

いっそのこと、誰も利用しなければ、さすがにこの料金じゃ無理だと気がつくかもしれませんけど(・・・手遅れかもしれませんが)。

2015年1月25日日曜日

公現祭後第3主日

公現祭が終わって、3回目の日曜日。早くも1月は終わりに近づいています。今日のカンタータは4曲が残っています。

BWV73 主よ、御心のままに、わが身の上になし給え (1724)
BWV111 わが神の御心のままに、常に成らせたまえ (1725)
BWV72 すべてはただ神の御心のままに (1726)
BWV156 わが片足すでに墓穴に入りぬ (1729?)

「信じる者は救われる」というのは、キリスト教徒ではない自分もこどもの時から聞いた事があるキリスト教の教えの一つ。今日のテーマは、信仰のある者に起こるイエスの癒しの奇跡ということで、タイトルからもにじみ出ています。

BWV73は最初のコラールで面白いところは、歌の途中に3回レチターティボを挿入して、応答形式にしているところ。BWV111は、協奏曲的な冒頭曲から元気があり、第4曲のアルトとテノールの二重唱 も、信仰を選択することを力強く歌い上げます。

BWV72の第1曲は、密度の高い合唱曲で、小ミサ曲BWV235のグロリアに転用されています。最後のコラールは、馴染みがある曲。それもそのはずで、マタイ受難曲でも使われているもの。

BWV156は、最初はオーボエ協奏曲からの転用と考えられているシンフォニア。後にチェンバ目協奏曲BWV1056へ、再転用しています。

シンフォニアはイントロのようで、そのままコラール付きアリアにつながります。イエスに癒してもらいたい側の、死にそうになっている者の側の恐れを歌うテノールに、コラールが絡み付いていくところが面白い。

2015年1月24日土曜日

ナンバーブレート

自動車のナンバープレートは、昔はまったく選べなかったのですが、いつからでしょうか、4つの数字は有る程度選択が可能になっています。

ぞろ目が人気があるようで、4つの数字の揃ったナンバープレートをよく見かけます。他には他人にはわかりにくいのですが、たぶん本人が満足しているのは誕生日とか電話番号とか、自分の個人情報からの数字を選ぶのもあるんでしょう。

自分は、あまりこのあたりにはこだわりは特に無いので、わざわざ追加の費用を払ってまで、数字を揃えた事はありません。

最初に来る地名は、その車を管轄する運輸支局または自動車検査登録事務所の場所。ご当地ナンバーが導入され、ずいぶんとバラエティに富んだものにりました。最近では、「世田谷」にびっくりしました。

地名にはステータスみたいなところもあって、自分のテリトリーでは一番は「品川」、二番は「横浜」というのがお決まりでした。以前、厚木に住んでいたときは「相模」で、よくお相撲さんみたいといわれました。

その次は3桁の数字で、普通の乗用車は3か5から始まりますが、1だと大型貨物用、2だとバスなど、4は小型貨物用。8から始まるのは特殊用途用で、改造車が含まれ、パトカーもここに入る。

続いてひらがな一文字がありますが、事業用が「あ行」、「か行」と「ん」です。一般車はそれ以外。ただし「わ」はレンタカー。

レンタカーの「わ」が、沖縄でそろそろ埋まってしまうそうです。その場合は「れ」が使われるそうで、 実は札幌ナンバーもすでに「れ」が使われているそうです。

一度使用されたものは、二度と使われないそうで、どんどん無くなっていくわけですから、それだけ自動車産業の業績、あるいは日本全体の勢いを反映するもののひとつなのかもしれません。


2015年1月23日金曜日

パソコンの壁紙

街のところどころで、ふっと「いい感じ」と思う小さな風景を見つける事があります。

いい感じなのは、だいたいパソコンの壁紙に向いているということなんですが、思わず嬉しくなってパシャリ。

壁紙向けということになると、画面全体に広がる絵で、デスクトップにあるアイコンなどの邪魔にならないものがいい。あまり、明るいものとか、人物が写ってるものとかは使いづらい。

昨日の雨のしずくで濡れた感じが、ちょっといいかなと思いますが、残念ながらピントの合い方が下に偏ってしまいました。

ぼけるならぼれるで、画面全体が同じ感じの方がいいかもしれません。このあたりは、普通の風景写真と壁紙用との違いでしょうか。

2015年1月22日木曜日

腕時計

中学入学のお祝いというのは、自分の頃は定番が腕時計か万年筆あたり。自分は腕時計を親からもらって、以来40年ちょっと、ずっと時間に縛られて生活しているという・・・

それが嫌ではありませんが、もうここまで来ると時計が無いと落ち着かない気分になります。ただ、時間を知るという「基本的機能」がしっかりしていればいいので、付加価値部分については、どうでもいい。

今は、装飾がいろいろあって、楽しいのですが、自分が必要なのはアナログの針。ぱっと見た時に、視覚的・直感的に時間がわかる。

デジタル表示はあればあるで、まぁ困らないのですが、ストップウォッチを使う事もないし、ワールドタイムが必要な場所に行くことも無い。

仕事から、いろいろと汚れたり、傷をつけるようなことも多いので、実用第一。数千円のものは、大人として寂しいし、数万円出すのはもったいない。というわけで、ひたすら1万円程度のものを使い続けているわけです。

昔は手巻きとか自動巻きが多かったのですが、小さい電池が内蔵されるようになって1~2年は、比較的正確な時間を刻むことができるようになりました。

今時はソーラー充電が当たり前。しかも、電波時計で時刻あわせもおまかせで正確。大変便利でいいのだけれど、冬になって時計が袖口に隠れていることがおおくなったせいなのか、充電が切れてしまい止ってしまいました。

光の下に持っていって再充電したのはいいのですが、今度はどうにも時刻がぴたっとならない。何度やってもダメで、無駄に針がくるくる廻って、またもやせっかくの充電が無くなってしまうという困った事になりました。

このあたりが、安い外国物の悲しいところで、マニュアルがしっかりしていないので、合わせ方がいまいちよくわからない。ネットで探しても、困っている人はいるのですが、どうするかははっきりしないのです。

しょうがないので、またもや1万円くらいの時計を探すという事態になりました。今回は、多少安っぽい感じでも、何かと安心な日本製で探したいと思います。

2015年1月21日水曜日

バッハとライプツィヒ大学

ライプツィヒ大学は、1386年創設のハイデルベルク大学についでドイツで2番目に古い大学で、その創設は1409年までさかのぼります。つまり6年前に、創立600年を迎えているというから、すごすぎる話。

600年前というと、日本は室町時代。金閣寺が作られて12年、足利義満が亡くなった翌年。戦国時代に突入するのは、まだ80数年は後のこと。

何しろ学生だった人はというと、ゲーテ、ニーチェ、シューマン、ワグナーなんかがぞろぞろ出てくるのですから、その歴史の重みたるは生半可じゃない。

現在では、医学部は有名らしいです。全校で2,800人の学生がいて、学費は年間数万円というから日本とはだいぶ教育事情が違うようです。いずれにしても、ドイツの先端思想を長年にわたってリードしてきた名門であることは間違いありません。

さてさて、バッハは1723年にライプツィヒの聖トーマス教会に赴任するわけですが、これを決めるのは市参事会。前任者のクーナウが1722年に亡くなって、空きになったポストを誰にするかいろいろ相談をしました。

当時、すでに人気が出ていたテレマンが、最初の候補にあがります。なにしろ、テレマンはライプツィヒ大学出身で、街のこともよくわかっているので適任だったわけです。

テレマンは、1721年にハンブルクでカントルに就任したばかりで、ハンブルク市当局も引き抜かれてはなるものかと、待遇改善を約束したため結局この人事は実現しませんでした。

そこで、何人かの新たな候補の一人としてバッハの名前が出てきたわけで、市としても「最善が無理なら、このあたりで我慢するしかない」というところでバッハに決まったという事情があったわけです。

バッハとしても、最初のうちは当然、そのあたりの事情を知ってか知らずにか、従順にがんばりますという態度を示し、市の重要な文化機関であるライプツィヒ大学に対しても、卒業生ではないけど精一杯協力しますというところだったのです。

1727年に、ザクセン選帝候妃クリスティアーネ・エーバーハルディーネが亡くなりました。彼女は根っからのプロテスタントで、夫である選帝候のポーランド王の称号と引き換えにカトリック改宗したときに、これに大反対しその後は一人で隠居生活を送っていました。

当然、ライプツィヒでも彼女はプロテスタントの鏡として尊敬されていたため、ライプツィヒ大学の裕福な貴族学生の出資によって大学附属教会で追悼礼拝が行われることになりました。

そのための音楽がバッハに依頼され、作られたのがBWV198  侯妃よ、なお一条の光を です。始まりから最後まで、大変印象的なカンタータであり、分類上は世俗カンタータではありますが、バッハの作品の中でもかなり上位にあげられる名曲だと思います。

この曲の一部は、失われたマルコ受難曲とレオポルト候の葬送音楽(マタイ受難曲からの転用を含む)へパロディされていて、バッハ自身もこの曲を気に入っていたのだろうと思います。

ほかにも大学教授の誕生日などのための祝賀用のカンタータも何曲か作られています。BWV215 おのが幸を讃えよ、祝されしザクセン はザクセン選帝侯のライプツィヒ訪問に際して作られたもの。予定が早まり急きょ用意したものですが、なかなかの出来です。

夜の9時に演奏が始まり、600人のライプツィヒ大学の学生が蝋燭を灯して行列を組んで選帝侯を出迎えました。トランペットも大活躍するのですが、この演奏した名手ライヒェが、翌日急逝したことも含めた新聞記事が残っています。

ライプツィヒ大学とバッハの関係する楽曲を、一堂に集めて収録した、「ライプツィヒ大学式典用祝祭音楽集」というCDセットがあります。これは大学創立600周年を記念した企画として6枚組で、世俗カンタータを中心にに収録されました。

合唱には現ライプツィヒ大学合唱団が参加しており、300年たっていてもバッハと大学の関係を引き継ぐ気概にあふれた演奏には好感が持てます。

2015年1月20日火曜日

限界の無い「表現の自由」

2015年早々に起こったフランスの事件は、世界中を震撼させ、大きな波紋を広げています。

フランスのシャルリー・エブド紙が、繰り返しイスラム教の預言者ムハンマドを風刺画に登場させたことが引き金になって、新聞社が銃撃され12名の編集者、風刺画家が命を落としました。シャルリー・エブド紙は、事件後もムハンマドを登場させ、「表現の自由」を主張し続けています。

ただし、そのことによって、イスラム世界とそれ以外の世界との対立がより深まる懸念が深まるにつれて、次第に落としどころの見つけられない問題に広がってきているのではないでしょうか。

ちょうど、ローマ法王が東南アジアを歴訪している最中で、この問題について次のようなコメントをしました。

「(表現の自由に対して)暴力的に振る舞ってはいけないのは当然だ。しかし良い友人であったとしても、その人が私の母親に対して呪われた言葉を言ったとしたら、私はパンチを繰り出すかもしれない」

「私は宗教の自由と、表現の自由は両方とも人間の基本的な権利だと考えています。全ての人が自由と権利を持っているだけでなく、多くの人に有益なことをいう義務がある」

「(特定の宗教を)挑発したり、他の人の信仰を侮辱したり、また他の人の信仰をからかうことはできない。表現の自由には、限度がある」

「私たちの歴史を考えましょう。どのくらい多くの宗教戦争を人類は経験したのか。たとえ犯罪者であっても、神の名の下に人を殺してはいけない。これは正道を外れている」

世界が認める見識者の意見として、自分としては同感できる部分が多い。シャルリー・エブド紙に対して行われた暴力は、断じて許されるものではありませんが、ローマ法王のこのような発言に対しては、メディアはどう思っているのでしょうか。

イスラム教では偶像崇拝の禁止は厳格な戒律によって決められていることであり、ムハンマドの絵を描くこと、ましてや風刺画にして描くなどということは絶対にありえないことです。

シャルリー・エブド紙が行っていることは、表現の自由を主張する前に、イスラム世界の価値観の理解が足りなさすぎるのかもしれません。それがイスラム教を信仰する人々全体を、挑発・侮辱することにつながり多大な不快感を与えているなら、「表現の自由」はパンチ、つまり暴力となってしまいます。

他人同士は、互いに相手の価値観を認めていくことで、平等な関係が築けるものです。一方の価値観を強制する場合は、主従関係かあるいは敵対関係にしかなりません。

2015年1月19日月曜日

イタリア・ルネサンス

キリスト教社会が形成されていくうちに、文化的要素は宗教色、それもキリスト教の絶対性が強まり、しだいに禁欲的で人間性が失われたものばかりになってしまいました。もともと、ローマ・ギリシャ文化では、個性や人間らしさが尊重されていたわけで、14世紀頃にはそれらを抑制された文化が日々を支配していたわけです。

当時のイタリアでは、イスラム圏の文化人の流入により、他文化を空気が流入しやすい環境にありました。そして、東方貿易により経済的には余力を蓄え、特に北イタリアのフィレンツェで大富豪として君臨したメディチ家が学者や文化人のパトロンとしての機能を果たしたことが、まさに今でいうルネサンス(再生)の始まりと言えます。

ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の「神曲」は、ルネサンスの先駆的作品とされています。ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)は西洋絵画の父とよばれ、自然な構図・描出法を取り入れました。ジョヴァンニ・ボッカッチョ(1313-1375)の「デカメロン」は恋愛やユーモアを取り混ぜた、人間くさい近代小説のはしり。

それらの下地のもとに、メディチ家の基礎を築いたコジモ・デ・メディチ(1389-1464)と、続くロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)の時代に、イタリア・ルネサンスは一時代を作り上げました。

そこには、人文主義、あるいはヒューマニズムと呼ばれる考え方があり、カトリックの価値観はそのままに人間を人間らしくありのままに自由に生きていこうという意識が凝縮しています。メディチ家の庇護のもと、15世紀になると偉大な後世に残る作品が次々と世に出ると同時に、ヨーロッパ中に拡大していくことになります。

イタリア・ルネサンスでは、特に絵画・彫刻・建築などの美術分野での作品が多く残されています。絵画を中心に考えると、画家たちへの依頼人はそれまで基本的には教会だったわけですが、宮廷・貴族などの知識人からの仕事が増えるようになります。彼らは、自分に直接的に関係するような内容で描くように頼んでくるわけですが、より知的で複雑な内容を含む主題が用いられるようになりました。

美術史的には、この時期からその絵に描かれているものが単純に何かというだけでは絵の理解が困難になっていきました。示しているテーマが何かを解読するために、描かれたものの隠れた意味を解読し、その内容のベースにある精神的・観念的な思想・哲学の概念を知る必要が出てきます。このような解読方法をイコノロジー(図象解釈学)と呼んでいます。

さて、大胆に画家の数を絞って、イタリア・ルネサンスのエッセンスを勉強してみます。初期の代表的な芸術家としては、マザッチォ(1401-1428)、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1416-1492)の二人があげられます。

マザッチォは、人物描写に立体的な質感を与え、風景空間の中に厳密に配置する技法が特徴で、それはまさに影の描き方と遠近法の確立につながります。27歳という若さで亡くなっていますが、その影響力は絶大でした。サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂の壁を埋める壁画、特に「貢の銭」、「楽園追放」が有名です。

フランチェスカは、徹底的に幾何学的技巧を追及し、それらに基づいた著書も残しています。「慈悲の聖母」では保守的なパトロンの要求に答えつつも、遠近法や数学的な比率を用いる新技術を導入しています。「キリストの洗礼」、「キリストの鞭打ち」、そして長大な連作画である「聖十字架伝説」などが残されています。

次の世代のスーパースターは、サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)とレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の二人です。イタリア・ルネサンスを定着させた、最大の功労者に数えられる存在といえます。

二人に共通する人物がアンドレ・デル・ヴェロッキオ(1435-1488)です。フィレンツェの彼の工房は、ヴェロッキオを親方として、ボッティチェリやレオナルドのような才気あふれる人材が集まり、活気のある共同作業を行っていました。ヴェロッキオ作とされる「キリストの洗礼」では、明らかに左側の風景や天使像にはレオナルドの特徴が見て取れます。

ボッティチェリは、当初マザッチォの影響を強く受けるフィリッポ・リッピ(1406-1469)の工房で修業し、その後ヴェロッキオのもとにも出入りし、メディチ家との関係も深く持っていました。

最大の特徴は、キリスト教が本来否定する前キリスト教文化と人文主義を合理的に結び付け、これらとキリスト教も含めて出所は一緒であるとした新プラトン主義に傾倒した作品といえます。プラトン的な愛(プラトニック・ラブ)によって、人間が神の領域に近づくことができると考え、神秘的・官能的な「春(プリマヴェーラ)」や「ヴィーナスの誕生」が代表作となりました。

レオナルドは絵画だけにとどまらず、彫刻、音楽、医学、数学、建築など「万能の天才」と呼ばれるイタリア・ルネサンス最大の巨人です。彼の興味ほ持った範囲のあまりの広さは、人類史上最大と言われ、しかもすべてを理論的に洞察する超人的な完全主義者でした。

人体を生物として正確に描くことは、ルネッサンスの画家の共通する特徴でしたが、レオナルドは完璧を期すために、自らも人体解剖を行うという徹底ぶりでした。これらのスケッチが大量に残されていますが、いずれも医学的な正確さでは、現代の解剖学所のイラストにひけを取りません。しかも、科学的な解剖図に、芸術的なデフォルメが施されているものも見事の一言に尽きます。

完成作品の少なさでは群を抜いているにもかかわらず、絵画作品はいずれも人類史上最高傑作と呼ばれるものばかりです。特に「受胎告知」、「岩窟の聖母」、「最後の晩餐」、「洗礼者ヨハネ」、「モナ・リザ」などは、絵画に興味がない人でも一度や二度は目にしたことあると思います。

絵画におけるレオナルドの特徴は、完成された遠近法とスママートと言えるかもしれません。数学的に計算され尽くした空間に、完璧な遠近法を導入してるにもかかわらず、自然すぎて見る者はそれをあまり意識しません。それまでははっきりとした線、影、塗など好まれていたのに対して、レオナルドはスフマート技法を積極的に取り込み、淡い色調やぼかした輪郭により、キャンバス上により自然な空気が漂うようになったのです。

イタリア・ルネッサンスの最盛期を支えた最後の巨人が、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)とラファエロ・サンツィオ(1483-1520)の二人。

ミケランジェロは、基本的には彫刻家であり、「ピエタ」、「ダビデ像」は大変有名です。存命中に伝記が発表されたり、「神に愛された男」と呼ばれたりして早くから高い評価を受けていました。しかし、最も名前を不動のものにしたのは、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれた創世記をテーマにした壮大な天井画と祭壇壁画の「最後の審判」です。

ラファエロは、典型的なルネサンス画家として最高の評価をされている一人。芸術的かつ科学的なバランスの調和は、他の追従を許さないといわれています。多数の聖母子像、ヴァチカン宮殿のラファエロの間とも呼ばれる署名の間を飾る一連の作品などがことに有名です。

15世紀末にメディチ家はロレンツォの失策により破綻し、彼の死後すぐにフィリンツェを追放されてしまいます。しかし、1512年にハプスブルク家の援助のもとフィレンツェを奪還し、当主のジョヴァンニは翌年ローマ教皇、レオ10世に即位しました。

ローマとフィレンツェを支配するメディチ家の援助のもと、イタリア・ルネッサンスは最盛期を迎えたわけですが、レオ10世の巨額な浪費、サン・ピエトロ大聖堂建設の資金繰りのために大量の免罪符の販売に乗り出したことが、マルティン・ルターによる宗教改革運動の引き金になりました。

美術史上はラファエロの死をもってルネサンスの終焉としています。また、ミケランジェロの表現手法は、弟子によって「マニエラ(手法)」と呼ばれ、古い芸術家はこのマニエラが無いことを根拠に劣っていると考えられるようになります。16世紀以降は、レオナルド以降の手法を真似たり、強調するような変形を伴うような作品が目立ち始め、これらはマニエリスムと呼ばれるようになりました。

宗教の混乱に加え、ヨーロッパ全体の政治的混乱も加わり、1527年に神聖ローマ帝国の進軍と破壊・略奪によりローマは破壊され、イタリア・ルネッサンスは完全に終わったとされています。ローマ略奪に関わったドイツ傭兵にはルター信奉者が多く含まれ、カトリックとプロテスタントの決定的な分裂にもつながります。時代は、新しい混沌の中に進んでいきました。

美術史上きわめて奥深いテーマを数多く内包している、イタリア・ルネサンスという一時代を、かくも簡単に整理してしまいましたが、きっと大事なポイントをたくさん見落としていると思います。専門家や、本気で勉強しようという方々は、こんなブログは参考にしないでしょうから、あくまでも自分用です。間違いがあったら、教えてもらえると助かります。

2015年1月18日日曜日

公現祭後第2主日

周囲からあきれられながらも、バッハのカンタータをはじめとする教会音楽をひたすら聴いていると、すべてが傑作とは言えないというのが正直な気持ちです。

そりゃそうでしょう。いかに天才バッハとしても、毎週のように曲を用意しなければならなかったわけですから、時には駄作といえるようなものだって混ざっていて当たり前。

自分で新曲を用意するのが辛いときは、他人の曲を演奏したり、過去の自分の作品を歌詞を変えたりして再利用ということも幾度となくやってきました。

また、時には伴奏をかなり簡略化したり、歌手を減らしてたりするのも、人員の問題だけではなく、仕事を簡単にするというような目的もあったかもしれません。

クリスマスから始まる、キリスト教の新しい年のために、バッハは相当力を使ったことと思います。公現祭で、それが一区切りすると、バッハは今年の受難週をどうやって乗り切るかで頭の中が一杯だったのかもしれません。

そのせいか、公現祭後の主日用のカンタータは、あまりぱっとしません。公現祭後第2主日のテーマは、イエスが水をブドウ酒にかえたという話。今日のためのものは、3曲が残っています。

BWV155 わが神よ、いつまで、ああいつまでか (1716)
BWV3 ああ神よ、いかに多き胸の悩み (1725)
BWV13 わがため息、わが涙は (1726)

BWV155はワイマール時代のものですから、短いながらも多少聴きごたえがある。ソプラノの力強いレチターティボからの始まりのが新鮮。

BWV13も、テノールのアリアから始まります。リコーダーとオーボエが伴奏して、比較的印象的なメロディですが、あまり盛り上がるわけではなくやや長い。3曲目はアルトの独唱コラール。

まぁ、力の入ったものよりも、気楽に聴けるので、それはそれでいいかなぁという感じです。

2015年1月17日土曜日

今週も休養日

どうも、土曜日になると、1週間の疲れがたまってしまうのか・・・

何とも、書きたい事が思いつきません。

ふだん、おっとこれを書いておこうと思いつく事が、ちょこちょこあるのんですが。それを覚えていられないのは、脳の劣化のせいか・・・

今週は、月曜日が休みで、その分火曜日に患者さんが集中。

さらに木曜日の天気予報が悪くて、雪かもみたいな話だったせいか、水曜日に受診した患者さんも多かった。初診だけでも30人越えで、激疲れです。

木曜日午後は、本来完全休養の枠ですが、今週は手術があって、リウマチの患者さんの手の腱断裂の再建をしたりしていました。

そんなわけで、パソコンの前に座って長いこと考えていましたが・・・・

やっぱり無理。今週も土曜日のブログはお休みという感じです。

2015年1月16日金曜日

異物混入相次ぐ

マクドナルドをはじめ、いろいろな食品への異物混入が相次いで報道され、あらためて食の安全という問題が取り沙汰されています。

まず、大きな枠で考えると、人間はミスをするという大前提がありますから、完全にこのようなことを排除することは不可能なんでしょう。

今のように、すぐにネットなどへ誰でも簡単に投稿できる時代ですから、公になりやすいわけで、こういうことはいくらでもある話。自分もこんなのを見つけた事があります。


スーパーの惣菜のつくね串から、ひょろっと出てきたのは輪ゴムです。噛んだ食感で、すぐに気がつきました。思わずパチリ。

実際問題、中から輪ゴムやビニール片が出てきたとしても、おそらく健康への被害はないとは思います。基本的には、何となく嫌な感覚、不快感ということ。

ただし、虫が出てきたとか、人の歯が出てくるとなると、何となくではすまないでしょうね。たまたまなら、ある程度はしょうがないとは思いますが、きちんとした対応を希望したくなります。

以前の、農薬混入とか、針とか、人為的なものは別次元の話。これらと同列に考えてはいけない。これは明らかに犯罪ですし、口にすれば何らかの被害を必ず被ります。

わざわざ楊枝を食品に差し込むところを、自ら動画に撮って投稿している19歳の「少年」がニュースになっています。

いたずらは、その結果まで確認することで完結します。結果を見るということは、その結果に対して責任を取ると言う事。いたずらだけして逃げるのは、結果を直接見ていないわけで、もはやいたずらではすまされません。

まだ未成年だから、犯罪をやりたいだけやってもいいんだみたいなことまでネットに投稿しているようです。もう馬鹿を通り越しています。厳罰で臨むべきでしょう。

2015年1月15日木曜日

交通事故

なんで、渋滞してんだろう~、なんて脳天気に軽くイライラしながら車を運転。しばらく進むと、赤色灯をつけたパトカー、救急車、消防車までけたたましいサイレンを響かせながら横をすり抜けていきます。

こうなると、もう事故が発生した以外ありません。しかも、発生したばっかり。渋滞については、もう気持ちの上ではあきらめのスイッチがONになって、どうなることか腹をくくるしかありません。

しばらくノロノロ走っていると、向こうのほうに赤い光がたくさん集まっているところが見えてきて、いよいよあそこが事故現場かと緊張が走ります。そして・・・

車一台の単独事故でしたが、乗用車が完全にひっくり返っています。居眠り?運転とかで、路肩の土手あたりに衝突したんでしょうか。車の前部が完全に潰れているので、運転手は・・・

元々、医者になって最初の15年間は、救急車との戦いが中心でした。今みたいに、大病院は、簡単なものは見ませんとか言う前の時代ですから、ちよっと打撲したとか、ちょっと切り傷で縫合しないといけないとかいう患者さんの間に、死にそうになっている患者さんも運ばれてくるわけです。

重症患者さんの検査をしている間に、一人でも二人でも軽症者をさばかないと、もうにっちもさっちも行かなくなります。もう、てんてこ舞いどころではありません。

こういう事故現場を見ると、その頃の記憶が蘇ります。サイレンの音は、本能的に注意を喚起するようにできているのでしょうが、自分の場合一般の方が感じる以上に、恐怖、疲労、あきらめなどのいろいろな感情が混ざっているのかもしれません。

2015年1月14日水曜日

鳩と月

たまたま、電線にとまっていた鳩がいて、そのうしろにもうすぐ沈む月ががあった・・・というだけの写真です。

鳩は、しばしば「平和」の象徴として扱われます。最近勉強しているキリスト教文化では、聖霊を意味するらしい。

一方、月はというと、人を狂気に導いたり、狼男になったりと悪いイメージもありますが、神の一つという考え方もあるようで、見方はいろいろ。

月から鳩、あるいは鳩から月という見えない軸と、それに対して横方向へ伸びる見える軸が2本。鳩は手前にいて、間の軸には何もいません。

このあたりに、過去とか未来とかいろいろな意味づけをうまく出来ると、これ立派な芸術になるのかもしれませんが、いっこうにイマジネーションが湧いてこない。

そんなわけで、とりあえず、芸術家として身を立てなくてよかったと思うわけです。

2015年1月13日火曜日

バッハと福音書

聖書は、ユダヤ教の聖典で、後のイエスの物語を主体とした新約聖書に対して旧約聖書と呼ばれています。ここでの「約」は契約のことで、神と人間の間でとりかわされる約束を意味します。

旧約聖書は、神による天地創造から始まり、主としてユダヤ人の歴史をつづったもの。キリスト教では、旧約、新約ともに聖典として重視するわけですが、新約ではイエスが旧約の内容に矛盾せずに神と同一視できることを説いていきます。

イスラム教でも旧約聖書は聖典の一つとされ、世界の三大宗教に共通する根底を形成するわけですから、異教徒としても人類の歴史を知るうえで、聖書の最低限のことは理解しておいて損はありません。

とは言っても、原書を読むことは、その量も膨大で、かつ内容の複雑さから、たとえ日本語であってもかなり困難を伴います。まぁ、簡単な解説本はいろいろあるので、異教徒としてはそれくらいで許してもらうしかありません。

イエスの言葉を伝えるために、キリスト教が形成され、その教えをわかりやすくするために、絵画、演劇や音楽といった文化が発展していきます。

音楽については、最初は司祭がただ口で説明していただけだったのが、出てくる人物によって声色を変える。そのうち、人物を多人数で分業するようになり、節をつけることでより明解にする。さらに、楽器の伴奏を加えることで、より感性に響くようにしていくことになります。

そういった、音楽の発展の中で、ちょうど18世紀初頭は、純粋に宗教的な荘厳な堅実さと純粋に音楽を楽しむ娯楽性が、教会の中で対立したわけで、特にバッハの革新的な音作りは、しばしば保守的な教会関係者との間に軋轢を生むことになります。

再三書いてきたように、ヨハン・セバスチャン・バッハは、敬虔なキリスト教ルター派プロテスタントの信者です。プロテスタントは、16世紀初頭のルターらの宗教改革により、典礼において会衆の参加を推し進めるため、市民にわかりやすい自国語や音楽を積極的に用いました。

ですからバッハの教会音楽は、主としてドイツ語の歌詞を持ち、ルター自らも作ったコラールをふんだんに取り入れることが基盤となっています。カンタータにおいては、そのテーマは聖書からとられ、それぞれの主日によって厳密に決まっています。それに見合った歌詞は、聖句(聖書からとられるもの)と自由詩から成り立ちます。

このように、元来かなり強力な足かせがあるカンタータ作りで、作曲者の自由度は少ないところで、今までに無かったような音符の上下、速さ、重なりなどの変化が加わったことが、宗教性と娯楽性の見事なまでの融合を成功させ、現代においても人々を魅了してやまない完成度になったわけです。

カンタータのテーマは、主として新約聖書の4つの福音書(evangelion)から選ばれています。福音書は、イエスの弟子たちが書いたものとされ、それぞれ生誕から昇天までのイエスの歴史を別々の見方で書き記したものです。こっちに記述があっても、あっちには無いということもありますし、また同じことでも微妙に表現が違う場合もあります。

福音はもともとギリシャ語で、英語だとgood news、つまり良い知らせ(幸福の音)という意味。「福音をもたらす」という言い方がありますが、これは良い知らせが舞い込むという意味。

一番古いのはマルコ福音書とされ、イエスの昇天後50年くらいたってからのものと考えられています。イエスの直弟子である12使徒の一人、ペテロ(ペトロ)の通訳を務めていたのがマルコであると云われています。

ペテロは、イエスのおかげで大漁できた漁師で、イエスが捕縛されたのち、保身から予言通り「三度イエスを知らない」と言った人物。初代教皇として、キリスト教を興した最大の功労者です。

マルコは、ペテロに付き従ううちに、ペテロが話すイエスに関することをその都度書き留め、それを誰かが時系列に編集したものと考えられています。

新約聖書の冒頭に配されるマタイ福音書は、マルコと同じころの成立と考えられていますが、西暦70年のエルサレム陥落の文章を予言とするのか、事実の記録とするのかで議論が分かれています。

著者は伝統的に12使徒のマタイとされています。マタイは、もともとローマの収税人で、「敵」を仲間にいれることをほかの弟子は疑問に思いますが、イエスは「罪のある人だからこそ仲間に入れる」と説明しました。ただし、著者がマタイであるとする確証はありません。

いずれにしても、マルコの内容も下敷きにして、もっともイエスの歴史を系統的にまとめており、特に旧約聖書の内容を踏襲して、イエスが旧約の予言を成就していることを強調し、イエスの神格化に力が注がれているのが特徴とされています。

ルカ福音書は、マタイ と同じくマルコの内容を参照していると考えられています。イエスの死後に入信し、キリスト教布教に尽力したパウロの主治医であったルカが著者と言われています。

ヨハネ福音書は、ルターが高く評価していたもので、他の3つの福音書とは内容がかなり違っています。著者は12使徒の一人のヨハネとされ、成立はほかの福音書よりも確実に遅いと考えられていますが、これも決定的な確証があるわけではありません。

内容的には、イエスの年代記を踏まえてはいるものの、独自の宗教解釈が多く含まれることが特徴になっています。ヨハネによる洗礼以後に重点が置かれ、「光と命の世界」と「闇と死の世界」という2つの領域を基にイエスの神格化と救済を語っています。

これら以外に、キリスト教では正典として承認されなかった福音書(外典)が存在します。トマス、ユダ、ペテロ等々、いろいろあるようですが、キリスト教史専門家以外には、あまり立ち入ってもしょうがない分野かもしれません。

4つの(キリスト教的に)正式な福音書の中には、当然イエスの受難の物語が重要な位置を占めています。イエスが、すべての人の罪を代わりに背負うことが受難であり、それに続く復活・昇天がイエスを神とする根拠になっています。

それぞれの受難の物語を、信者に伝えるために音楽にのせてわかりやすくしたものが受難曲と呼ばれるものです。バッハの息子であるC.P.E.バッハらが編集した「故人略伝」によれば、バッハは5つの受難曲を作ったといわれています。

現存するのはマタイ受難曲とヨハネ受難曲の二つ。マルコ受難曲は、歌詞のみ残っていて、音楽は失われています。復元の試みはされていますが、完全なものは望めません。

ルカ受難曲は、BWV246と作品番号が降られていたものの、作者不詳の受難曲をバッハが筆写した譜面であったことがはっきりしています。

あと一つが何かというのは、研究者の中でいまだに議論され答えが見つかっていません。真のルカ受難曲かもしれませんし、外典に関連したもの(ありえないとは思いますが)、または完全な自由詩によるものかもしれません。

愛好家としては、もしもそういうものが見つかれば是非聴いてみたいとは思いますが、現在残っているものだけでもかなりのボリュームですから、新たにでてきたらそりゃもう大変でしょう。

いずれにしても、バッハの音楽との関連では、少なくとも新約聖書、その中の4つの福音書に書かれたイエスの記録、さらに特に受難に関する記事は理解しておくことが必要です。

2015年1月12日月曜日

バイオシミラー発売

昨年、11月28日に、実は日本の関節リウマチ診療に大きく関係したものが発売になりました。それはバイオシミラーと呼ばれる薬です。

関節リウマチ治療に革命的な変化を起こした、インフリキシマブ(レミケード、田辺三菱製薬)が発売されたのは2003年のことです。これは抗体製剤といわれ、一般に生物学的製剤、略してバイオなどと呼ばれてきました。

バイオシミラーとは、バイオ製剤と似たものという意味ですが、いわゆる医薬品のジェネリックと同じ概念のものになります。だだし、ジェネリックと決定的に異なるのは、バイオシミラーは新薬と同じ扱いを受けていることです。

ジェネリックは、価格が安いために医療費抑制に効果的であるとされ、厚生労働省は数年前から積極的にジェネリックを使う方向性に導こうとしています。一般的にジェネリックは、オリジナルの60%の価格設定となります。

しかし、ジェネリック品は、薬の化学的な薬効成分が同等というだけで、実際に同じだけの効果があるのか、副作用も同等なのかといった点の発売前調査は行われていません。また発売後の調査も特別なものはなく、製薬会社による情報活動もほぼゼロといっていいでしょう。

ですからローコストで提供できるわけですが、実際ジェネリックは昔から存在していて、中にはまったく効果がないような粗悪品も、医者であれば数多く経験します。

バイオ製剤は分子量が大きく、さすがに薬効成分が同等ならそのまま発売というわけにはいきません。そこで、バイオシミラーは新約と同じように治験と呼ばれる臨床研究が行われ、しっかりと主作用・副作用が検証された上で発売にこぎつけるのです。価格は70%(~80%)に設定されます。

さて、今回発売になったのは、インフリキシマブBS点滴静注用100mg「NK」という商品名のもので、発売したのは日本化薬。もちろん、発売前の試験でオリジナルと比べて、同等の主作用と副作用が確認されています。

一番気になるのは価格ですが、オリジナルのレミケードが、1瓶が8万9536円に対し、日本化薬が発売したバイオシミラーは5万9814円1、67%に設定されました。

一度に2本を使う場合、3割負担の方は、レミケードでは5万3722円かかりますが、バイオシミラーならば3万5888円となり、2万円弱負担が少なくなることになります。

レミケードに次に登場したのは、現在リウマチのバイオ製剤の中で一番使われているエタネルセプト(エンブレル、ファイザー製薬)です。これのバイオシミラーも、現在開発中で、日本では製薬大手の第一三共が、昨年夏から最終の治験を開始しており、今年中に承認申請、2016年中の発売が見込まれています。

薬剤費がかかることが、バイオ製剤導入の上で大きなネックになる例は少なくありません。これでも、まだまだ安いとはいえませんが、少しでも使える患者さんが増えることは、リウマチ診療に携わる者として歓迎すべきことだと思います。

2015年1月11日日曜日

公現祭後第1主日

公現祭が終わると、キリスト教でも年末・年始のあわただしさから、落ち着きを取り戻した感じです。さぞかし、バッハも一息ついたことでしょう。

ところで、公現祭は、もともとイエスが洗礼者ヨハネによって洗礼を受けたことを記念するものでした。洗礼というのは、なんとなくキリスト教の儀式の一つと思っていましたが、簡単に言えば「入信」のために水をかけたり、水に浸すする行為。

洗礼を受けることで、それまでの罪がすべて水に流され、神を信じるものとして一緒に歩んでいくことになるものです。イエスは、30歳頃に急に何かに目覚め、ヨルダン川のヨハネのもとに向かったということらしい。

今日のカンタータは、3曲が残っています。

BWV154 いと尊きわがイエスは見失われぬ (1724)
BWV124 わがイエスをば われは放さず (1725)
BWV32 いと尊きイエス、わが憧れよ (1726)

BWV154は、一部がワイマール時代に作られていたことがわかっています。8つのパートの中で、コラールは真ん中と最後。終わりのコラールの前にはアルトとテノールの二重唱が入るという、かわった構成。デュエットが、快活な調子で印象的。終盤に、3拍子にかわるあたりは、なかなか面白い。

BWV124は、冒頭コラールの後ろで、オーボエ・ダモーレが細かくリズムを刻みます。3曲目のテノールのアリアでは、一転して流れるようなオーボエが歌にからみついていくところが見事。

BWV32は、最後にバッハ作のコラールがありますが、基本的にバスとソプラノだけのためのカンタータです。こういう場合、バスはイエスであり、ソプラノは魂をあらわすのはお約束です。

2015年1月10日土曜日

休養日

新年疲れ・・・なのか、30分、じっと考えたんですが・・・

う~ん、今日は、ブログネタをまったく思いつかない。

無理やり書くこともできなくないけど・・・

やめとこう。

そんなわけで、今日は年に何回かある、ブログ休養日です。


2015年1月9日金曜日

インフルエンザ爆発的流行

お正月の華やかさが落ち着いてきましたが、インフルエンザの流行が爆発していて、ほぼピークに近づいたようです。先週だけで、今までの患者さんの半数近くが発生しています。

11月の発症に関連したA型ウィルスと12月に発症したものでは、微妙に型が変わってきているようです。そして、ワクチンの型はいまのところどんぴしゃではなく、微妙にずれていることが確認されています。

予防接種をしたからといって、安心というわけではありません。ただ、まったく無効ということではなく、予防接種をした方は比較的軽くすむ傾向があるようです。

うがい・手洗い・マスクは予防の基本で、予防接種や抗ウィルス剤の普及があっても、重要性は減る事はありません。また、発症した方は一定期間の外出は、くれぐれも控えてほしいと思います。

インフルエンザの基本的な知識を整理しておきます。

原因は、インフルエンザウィルス。飛沫感染を起こし、潜伏期間は2日以内。
発症すると、38度以上の高熱と咽頭痛、通常の風邪症状を伴う場合もあります。

もともと体力があれば、5日程度で自然治癒します。水分をしっかり取りながら安静にしましょう。

潜伏期でも他人にうつす可能性があり、発症しての数日が感染力が高く、解熱しても丸24時間は感染力が残っています。

簡易キットにより、ウィルスを検出する事が可能です。ただし、発熱してから5~6時間以上たたないと、検出できません。また、検出できれば発症は確実ですが、検出できなくても否定はできません。

抗ウィルス剤は、カプセルのタミフル、吸引するリレンザ、イナビル、点滴で使うラピアクタなどがあります。タミフルと年少者の異常行動の関連は、ほぼ否定されています。

抗ウィルス剤は、発症してから48時間以内に使用開始しないと効果はありません。

2015年1月8日木曜日

正麺鴨だしそば

1月も最初の1週間が終わり、松も取れるとだいぶ日常が戻ってきます。夕食も簡単にすませたくなってくるわけで、こんなもの見つけました。

マルちゃんの正麺シリーズは、確かに美味しいと思います。生麺にかなり近い食感は、インスタントとしては上出来。でも、それでも3食198円の生麺の方が上。

実際に美味しいのは、スープなんだろうと思います。3食198円についているような、液体スープがまともということ。

さて、日本蕎麦だとどうか? これは興味深い。インスタントの蕎麦は、とても食べたくなるものはないと思うんですよね。普通の乾麺がはるかにまし。

結論から言うと、ラーメンと同じ。確かにインスタントとしては、麺は食べれるレベルになっている。ただし、乾麺を越えるとはいい難い。

スープは・・・うん、これはいけます。鴨だし液体スープなんですが、最初あまり鴨の香りがしないような感じがしたんですが、そばと一緒に味わってみると、じわーっと鴨の独特の味が口の中に広がります。

1袋70円ちょいでスーパーで売っていましたが、この値段なら合格。カップ麺よりは、はるかに美味い。ただ、実際に鴨とネギがのっていないと寂しさは否めません。

2015年1月7日水曜日

あらためてバッハ本

少なからず、ヨハン・セバスチャン・バッハのことを勉強してみるということは、18世紀前半のドイツの人々の生活を想像できるようにするための知識の整理ということにつながります。

ネットでの検索だけでも、かなりの知識を得ることができるものですが・・・便利な世の中になったものです・・・さすがに、それだけでは正しいことなのかの保証もありませんし、また知れば知るほど物足りなくなります。

おのずと、バッハに関する書籍も同時に読みたくなるわけですが、日本語で読める専門書ということになると、ある程度限られたものばかりになってしまいます。

歴史的には、古い有名な大著もありますが、1980年代以降に急速に進歩した学問的な裏付けの無いものは、とりあえず手を出してもしょうがない。

バッハ自身の伝記的な詳細な解説は、

「ヨハン・セバスチャン・バッハ」
マルティン・ゲック・著、小林義武・監修、鳴海史生・訳
2001年 東京書籍

これにつきます。全4巻からなっていて、分売はされていません。第1巻が「生涯」、第2巻が「声楽曲」、第3巻が「器楽曲」、そして第4巻に年表・作品目録を「資料」として収載しています。

バッハの全作品を解説したものは、

「バッハ事典」
礒山雅、小林義武、鳴海史生・編著
1996年 東京書籍

特に個々のカンタータをすべて聴いていこうと思うと、これに載っているくらいの解説が無いと、キリスト教徒でもなく、またドイツ語を理解できない自分としては、とても太刀打ちできません。

もっと簡易なものはいくらでもありますが、それらはネット検索でも十分間に合う程度のことしか書かれていませんので、わざわざ購入するほどの理由は見当たりません。

ただし、問題はいずれの書籍もかなり高額であるということ。当然、新品をいまだに扱っているなんてことはありませんから、古本で探すしかない。

どちらもプレミアがついて、Amazonではかなりの価格になっています。そこで、こればかりは忍耐強くネットの古書を探し続けるしかありません。幸い、しつこく検索していると、たまに驚くような価格で出ていることがあるものです。自分は、Amazonの価格の半分以下でようやく見つけることができました。

カンタータ全般については、全集を録音したトン・コープマンが中心になって編集した「バッハ = カンタータの世界」 (全3巻)が、内容・量ともに群を抜いた解説になっていますが、残念ながら学問的すぎる内容のせいか、日本語訳も理解しにくく、相当上級者向きというところでしょうか。そこで、お勧めしたいのは、

「バッハ カンタータの世界」
樋口隆一・著
1987年 音楽之友社

 比較的古いのですが、さすがにもともと日本語で書かれたものですから、内容はわかりやすい。量的にも手頃ですし、古書としても適切な値段で手に入れることができます。

そして、受難曲などの大規模な声楽曲については、

「マタイ受難曲」
礒山雅・著
1998年 東京書籍

もちろんタイトルからして、マタイ受難曲がメインの労作。一つ一つ曲の詳細な解説がすごいのですが、受難曲全般の解説も大変ためになります。

さらにバッハの行動、考え方を理解するためには、キリスト教にも精通することが不可欠なのですが、さすがに荷が重すぎます。キリスト教の思想に慣れ親しんで生活していないと、かなり難しい。

聖書やキリスト教史の解説本は山ほどありますが、これに手を出すと底なし沼にはまってしまいそうです。このあたりは、ネットでの情報レベルに留めておく方が無難かと思っています。