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2015年1月13日火曜日

バッハと福音書

聖書は、ユダヤ教の聖典で、後のイエスの物語を主体とした新約聖書に対して旧約聖書と呼ばれています。ここでの「約」は契約のことで、神と人間の間でとりかわされる約束を意味します。

旧約聖書は、神による天地創造から始まり、主としてユダヤ人の歴史をつづったもの。キリスト教では、旧約、新約ともに聖典として重視するわけですが、新約ではイエスが旧約の内容に矛盾せずに神と同一視できることを説いていきます。

イスラム教でも旧約聖書は聖典の一つとされ、世界の三大宗教に共通する根底を形成するわけですから、異教徒としても人類の歴史を知るうえで、聖書の最低限のことは理解しておいて損はありません。

とは言っても、原書を読むことは、その量も膨大で、かつ内容の複雑さから、たとえ日本語であってもかなり困難を伴います。まぁ、簡単な解説本はいろいろあるので、異教徒としてはそれくらいで許してもらうしかありません。

イエスの言葉を伝えるために、キリスト教が形成され、その教えをわかりやすくするために、絵画、演劇や音楽といった文化が発展していきます。

音楽については、最初は司祭がただ口で説明していただけだったのが、出てくる人物によって声色を変える。そのうち、人物を多人数で分業するようになり、節をつけることでより明解にする。さらに、楽器の伴奏を加えることで、より感性に響くようにしていくことになります。

そういった、音楽の発展の中で、ちょうど18世紀初頭は、純粋に宗教的な荘厳な堅実さと純粋に音楽を楽しむ娯楽性が、教会の中で対立したわけで、特にバッハの革新的な音作りは、しばしば保守的な教会関係者との間に軋轢を生むことになります。

再三書いてきたように、ヨハン・セバスチャン・バッハは、敬虔なキリスト教ルター派プロテスタントの信者です。プロテスタントは、16世紀初頭のルターらの宗教改革により、典礼において会衆の参加を推し進めるため、市民にわかりやすい自国語や音楽を積極的に用いました。

ですからバッハの教会音楽は、主としてドイツ語の歌詞を持ち、ルター自らも作ったコラールをふんだんに取り入れることが基盤となっています。カンタータにおいては、そのテーマは聖書からとられ、それぞれの主日によって厳密に決まっています。それに見合った歌詞は、聖句(聖書からとられるもの)と自由詩から成り立ちます。

このように、元来かなり強力な足かせがあるカンタータ作りで、作曲者の自由度は少ないところで、今までに無かったような音符の上下、速さ、重なりなどの変化が加わったことが、宗教性と娯楽性の見事なまでの融合を成功させ、現代においても人々を魅了してやまない完成度になったわけです。

カンタータのテーマは、主として新約聖書の4つの福音書(evangelion)から選ばれています。福音書は、イエスの弟子たちが書いたものとされ、それぞれ生誕から昇天までのイエスの歴史を別々の見方で書き記したものです。こっちに記述があっても、あっちには無いということもありますし、また同じことでも微妙に表現が違う場合もあります。

福音はもともとギリシャ語で、英語だとgood news、つまり良い知らせ(幸福の音)という意味。「福音をもたらす」という言い方がありますが、これは良い知らせが舞い込むという意味。

一番古いのはマルコ福音書とされ、イエスの昇天後50年くらいたってからのものと考えられています。イエスの直弟子である12使徒の一人、ペテロ(ペトロ)の通訳を務めていたのがマルコであると云われています。

ペテロは、イエスのおかげで大漁できた漁師で、イエスが捕縛されたのち、保身から予言通り「三度イエスを知らない」と言った人物。初代教皇として、キリスト教を興した最大の功労者です。

マルコは、ペテロに付き従ううちに、ペテロが話すイエスに関することをその都度書き留め、それを誰かが時系列に編集したものと考えられています。

新約聖書の冒頭に配されるマタイ福音書は、マルコと同じころの成立と考えられていますが、西暦70年のエルサレム陥落の文章を予言とするのか、事実の記録とするのかで議論が分かれています。

著者は伝統的に12使徒のマタイとされています。マタイは、もともとローマの収税人で、「敵」を仲間にいれることをほかの弟子は疑問に思いますが、イエスは「罪のある人だからこそ仲間に入れる」と説明しました。ただし、著者がマタイであるとする確証はありません。

いずれにしても、マルコの内容も下敷きにして、もっともイエスの歴史を系統的にまとめており、特に旧約聖書の内容を踏襲して、イエスが旧約の予言を成就していることを強調し、イエスの神格化に力が注がれているのが特徴とされています。

ルカ福音書は、マタイ と同じくマルコの内容を参照していると考えられています。イエスの死後に入信し、キリスト教布教に尽力したパウロの主治医であったルカが著者と言われています。

ヨハネ福音書は、ルターが高く評価していたもので、他の3つの福音書とは内容がかなり違っています。著者は12使徒の一人のヨハネとされ、成立はほかの福音書よりも確実に遅いと考えられていますが、これも決定的な確証があるわけではありません。

内容的には、イエスの年代記を踏まえてはいるものの、独自の宗教解釈が多く含まれることが特徴になっています。ヨハネによる洗礼以後に重点が置かれ、「光と命の世界」と「闇と死の世界」という2つの領域を基にイエスの神格化と救済を語っています。

これら以外に、キリスト教では正典として承認されなかった福音書(外典)が存在します。トマス、ユダ、ペテロ等々、いろいろあるようですが、キリスト教史専門家以外には、あまり立ち入ってもしょうがない分野かもしれません。

4つの(キリスト教的に)正式な福音書の中には、当然イエスの受難の物語が重要な位置を占めています。イエスが、すべての人の罪を代わりに背負うことが受難であり、それに続く復活・昇天がイエスを神とする根拠になっています。

それぞれの受難の物語を、信者に伝えるために音楽にのせてわかりやすくしたものが受難曲と呼ばれるものです。バッハの息子であるC.P.E.バッハらが編集した「故人略伝」によれば、バッハは5つの受難曲を作ったといわれています。

現存するのはマタイ受難曲とヨハネ受難曲の二つ。マルコ受難曲は、歌詞のみ残っていて、音楽は失われています。復元の試みはされていますが、完全なものは望めません。

ルカ受難曲は、BWV246と作品番号が降られていたものの、作者不詳の受難曲をバッハが筆写した譜面であったことがはっきりしています。

あと一つが何かというのは、研究者の中でいまだに議論され答えが見つかっていません。真のルカ受難曲かもしれませんし、外典に関連したもの(ありえないとは思いますが)、または完全な自由詩によるものかもしれません。

愛好家としては、もしもそういうものが見つかれば是非聴いてみたいとは思いますが、現在残っているものだけでもかなりのボリュームですから、新たにでてきたらそりゃもう大変でしょう。

いずれにしても、バッハの音楽との関連では、少なくとも新約聖書、その中の4つの福音書に書かれたイエスの記録、さらに特に受難に関する記事は理解しておくことが必要です。