公現祭が終わると、キリスト教でも年末・年始のあわただしさから、落ち着きを取り戻した感じです。さぞかし、バッハも一息ついたことでしょう。
ところで、公現祭は、もともとイエスが洗礼者ヨハネによって洗礼を受けたことを記念するものでした。洗礼というのは、なんとなくキリスト教の儀式の一つと思っていましたが、簡単に言えば「入信」のために水をかけたり、水に浸すする行為。
洗礼を受けることで、それまでの罪がすべて水に流され、神を信じるものとして一緒に歩んでいくことになるものです。イエスは、30歳頃に急に何かに目覚め、ヨルダン川のヨハネのもとに向かったということらしい。
今日のカンタータは、3曲が残っています。
BWV154 いと尊きわがイエスは見失われぬ (1724)
BWV124 わがイエスをば われは放さず (1725)
BWV32 いと尊きイエス、わが憧れよ (1726)
BWV154は、一部がワイマール時代に作られていたことがわかっています。8つのパートの中で、コラールは真ん中と最後。終わりのコラールの前にはアルトとテノールの二重唱が入るという、かわった構成。デュエットが、快活な調子で印象的。終盤に、3拍子にかわるあたりは、なかなか面白い。
BWV124は、冒頭コラールの後ろで、オーボエ・ダモーレが細かくリズムを刻みます。3曲目のテノールのアリアでは、一転して流れるようなオーボエが歌にからみついていくところが見事。
BWV32は、最後にバッハ作のコラールがありますが、基本的にバスとソプラノだけのためのカンタータです。こういう場合、バスはイエスであり、ソプラノは魂をあらわすのはお約束です。