平成27年、2015年、あけましておめでとうごさいます。
今年もよろしくお願いいたします。
さてさて、今年もヨハン・セバスチャン・バッハの教会カンタータを、教会暦に沿って順に聴いていきたいのですが、目標は最低でも復活祭・昇天祭まで。
というのは、去年の春から始めたので、一番大事なキリスト教のイベントである受難~復活・昇天というところが、かなり駆け足であまり聴きこんでいないのです。
重ねていいますが、自分はキリスト教徒ではありません。文化的側面としての興味を持っているのですが、キリスト教に入信しようとは思いません。それでも、バッハの音楽は十分に楽しめると思っています。
年末・年始は、キリスト教ではクリスマスのお祝いがメインですから、新年中心の今の日本の感覚からすると、だいぶテンションは低目かもしれません。
とは言っても、元日は御子の割礼と命名の日とされていて、当然イエス誕生の一連の流れの中では重要であることにかわりはありません。
BWV143 わが魂よ、主を頌め讃えよ (ワイマール時代?)
BWV190 主にむかいて新しき歌を歌え (1724)
BWV41 イエスよ、いま讃美を受けたまえ (1725)
BWV16 主なる神よ、汝をわれらは讃えまつらん(1726)
BWV171 神よ、汝の誉れはその御名のごとく (1729?)
さらにクリスマス・オラトリオの続きもあります。
BWV248 第4部 ひれ伏せ、感謝もて (1735)
いきなりですか、BWV143は偽作の疑いありの作品。バッハ的ではないという理由で、疑いの目が向けられています。「バッハ的」というのは、後世の人が勝手に主観的に考える事です。
そう考えると、バッハの真似をして誰かが書いたものが、バッハ作とされて混ざっている可能性も当然あるわけで、聴く側からすると何を信じたらいいのかわからないことになってしまいます。
ただし、作品としては出だしは管楽器・打楽器の華やかな響きが年明けにふさわしい。2曲目にコラールというのは、確かに珍しく、しかも合唱ではなくソプラノの独唱ですから、このあたりが「バッハ的」でないのかもしれません。
バッハがライプツィヒ着任後、最初の新年のためのBWV190は、楽譜の一部が消失していているので、 復元されたもので演奏されています。
BWV41は、これも華やかな雰囲気に包まれたものですが、様式は典型的なバッハのコラール・カンタータです。BWV16では、冒頭コラールが、実はカトリック系ではしばしばある''Te Deum''のルターによるドイツ語版。BWV171は、マタイ受難曲と同じピカンダーによる作詞。一部はロ短調ミサ曲に転用されるパートを含んでいています。
クリスマス・オラトリオの第4部は、この連作の中では唯一の短調。とは言っても、最初と最後のホルンがいい味を出しています。